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◆UK FAQ
欧州FAQ・目次


目次

◆◆軍事組織

◆◆◆英国陸軍

◆◆◆英国海軍

◆◆戦史


 【link】

 【book】

 【珍説】 「英国国王は議会に諮らずに宣戦布告できるし,空軍,海軍,海兵隊に対して解散を命じることができる(林信吾)」???

 【珍説】 「組織が誰のものかを論じるのに名称からはじめてはいけないと,どこの誰が決めたのでしょう」???

 【質問】 サッチャー首相は,どんだけ度胸があったの?

 【質問】 英国人はどれだけ紅茶に拘るのか?

 【質問】 英国警察の現在の拳銃の携行事情はどうなっているのでしょうか?

◆◆軍事組織

 【質問】 英国が核兵器を廃絶することはありえるのか?

 【質問】 英国の将軍とかの爵位がよく分かりません!

 【質問】 英国では,戦争のときには貴族が率先して志願する,というのは本当か?

 【質問】 エゲレス人はティータイムのためなら,戦闘中の砲撃さえ中止するって話,ヨタだよね?

 【質問】 英国の士官学校は1年で卒業,って早すぎない?

 【質問】 英軍機の機体に書かれているマークや略語の意味を教えてくださいプリーズ.

 【質問】 なぜ「ニムロッド」は対潜哨戒機なのに4発ジェットなのですか?

◆◆◆英国陸軍

 【質問】 英国陸軍British Armyは,なぜRoyalが冠されなかったのでしょうか?

 【質問】 現在のイギリス陸軍の師団編制について教えてください.

 【質問】 なぜ英陸軍は兵科が騎兵・歩兵・砲兵の3つしかないの?

 【質問】 有名なバッキンガム宮殿の衛兵は,近衛師団から採用されるんですか?

 【質問】 バッキンガム宮殿の衛兵が着用している大きな黒い帽子は,なんで採用されたんでしょうか?

 【質問】 英軍のBRIXMISとは?

 【珍説】 「SAS創始者もニート」???

 【質問】 SASは軽装備?

 【質問】 「チャレンジャー」の120mm砲が滑腔砲ではない理由は?

 【質問】 L1ライフルはFALと同じもの?

◆◆◆英国海軍

 【質問】 英国海軍の起源は?

 【質問】 シニック制度とは?

 【質問】 悪名高いロイヤル・ネイビーの強制徴募は,いつ頃まで行なわれていたのですか?

 【質問】 英国海軍による奴隷貿易取り締まりについて教えてください.

 【質問】 マレーシアやソロモン諸島などイギリス連邦が他国に侵略されたら,イギリスは軽空母を引き連れてくるのでしょうか?

 【質問】 英国軍艦につくHMSとは?

 【質問】 CVA-01型について教えてください.

 【質問】 イギリスは1960年になっても,大砲が武器の巡洋艦を作ったそうですが事実ですか?

 【質問】 イギリス海軍は空母を保有してるのに,艦隊防空用イージス艦を一隻も保有してないのはなんで?

 【質問】 英国の戦略原潜兵力は?

 【珍説】 「英潜水艦の巡航ミサイルは米国に無許可で発射できず,英国は米国の属国化した(田中宇)」???

 【質問】 現在の英海軍の揚陸作戦構想はどんなものか?

 【質問】 英国海軍では酒が配給されていたそうだが?

◆◆英国戦史

 【質問】 英国が無敵モードになったのは,いつごろからですか?

 【質問】 100年戦争以後のイギリスって,なんでこんなに戦争に強いの?

 【質問】 ピータールーの虐殺とは?

 【質問】 イギリス帝国がインド亜大陸や支那に侵略を開始したとき,本国から遠い現地陸軍への兵站・補充は間に合ったのでしょうか?

 【質問】 英国植民地出身の兵士は,なぜ英国のために戦うことができたのか?

 【質問】 最盛期のイギリス帝国が,欧州大陸になんら領土を獲得できなかったのはどうしてですか?

 【質問】 エーモンド・デ・ヴァレラとは?


 【link】

net bunker」:核戦争の最大の懸念は放射能ではなく紅茶不足,50年代の英公文書 国際ニュース : AFPBB News

UKの地理パズル

Undergroundkent(英国の地下戦争遺跡)

「Youtube」:新・英国旗 / New Union Flag

英国国防省(英語)

「ゆきかぜまる in 軍事板常見問題mixi支隊」: HMS Daring Departs For Sea Trials

「ワレYouTube発見セリ」:A tour of the Royal Navy’s first Type 45 Destroyer - DARING (45型駆逐艦)

「ワレYouTube発見セリ」:RAF Battlefield helicopters 1

「ワレYouTube発見セリ」:Red Arrows Tribute (英空軍アクロバットチーム,レッドアローズ)

「ワレYouTube発見セリ」:royal navy

「ワレYouTube発見セリ」:Royal Navy 6

「ワレYouTube発見セリ」:Royal navy homemade ad

「ワレYouTube発見セリ」:英空軍,EH-101マーリン輸送ヘリ

 【書籍】

『Soldier: The Autobiography』(General Sir Mike Jackson著)

 「おやびん」ことGeneral Sir Mike Jacksonが自叙伝を出版したようです

 レビューに面白い話がありましたので紹介.
[quote]

It was 1971 when I first met Mike Jackson. I was a corporal attached to 1st Battalion the Parachute Regiment in Palace Barracks, Northern Ireland. He was battalion adjutant in the rank of captain. The next time we met was some 18 years later in that same barracks. By then I was the captain - and he the brigadier. No, we were not in uniform, in fact he was playing a very hard game of rugby and I was a mere spectator. He was running down the wing at the time when an opponent bundled him off the field of play. He landed right beside me. "Hello Ned, good to see you again" he said and promptly got on with the game.

 私が最初にMike Jacksonに会ったのは1971年でした.
 私は北アイルランドで英国軍パラシュート部隊で伍長を勤めてました.
 当時の彼は大尉で大隊の副官でした.
 18年後に再び彼に会いました.
 その時は,私は大尉であり,彼は准将になってました.
 私たちは軍の制服を着てませんでした.
 なぜかって? そう! 彼はラグビーの試合中で,私はその観客だったんです.
 彼がトライを決めて目の前に転がり込んできました.
 すると
「いやー,久しぶりだねネッド(レビュー者名).元気?」
と言うと,試合に戻っていきました.

[/quote]
 ちなみにおやびんは北アイルランドで「血の日曜日」を経験したそうですよ.
 当時中佐で現場の副指揮官だったらしい

―――CRS@空挺軍 in mixi,2008年01月28日23:38

『イギリス史』(川北稔編,山川出版社,1998.4)

『図説イングランド海軍の歴史』(小林幸雄著,原書房,2007.1)

 本著を書いた小林さんは元海将補[予備役海軍准将]です.
 創設からトラファルガー海戦までの「イングランド海軍」の通史で,この分野ではわが国唯一の著作です.
 海戦中心の描写ではありますが,それ以上に「イングランド海軍を通して書いた近代海軍の解説書」「イングランド海軍を通じて書いたパクス・ブリタニカへの道」という意味合いを持つ本で,本格的かつ一般向けに書かれたとても読みやすい歴史書という印象を,読み終えたいまもっています.

 その他,軍事用語の解説や,ご本人がまえがきで述べられている「海軍の階級呼称の由来」(アドミラルがこういうものだったとは・・・)など,事典的な読み方も出来る,気づきを多くもらえる本ですね.

 小林さんはパクス・ブリタニカの本質を「ブリテンがこれまでの海洋政策を一大転換させたこと」にあると指摘しています.

 この本は,事典代わりになるわが国唯一の「イングランド海軍」本ですし,パクス・ブリタニカを研究したり調べたりする上で必須の文献であると思います.
 なにせ,19世紀までの「イングランド海軍」のすべてが書かれているわけですから・・・.
「安い」
「ボリュームもちょうどいい」
「書棚にあるだけでも満足できる」
とも思います.

――――おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)2月9日

『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(君塚直隆著,有斐閣,2006.11)

『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』(田所昌幸編,有斐閣,2006.4)

 18〜19世紀に掛けての英国の士官や人事制度.結構面白いです.

――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 【質問】
 英国が核兵器を廃絶することはありえるのか?

 【回答】
 当たり前の話ですが,英は絶対に核兵器を手放しません,
 北鮮も同じく核を絶対手放しません.
 話し合いで何とかなると考えているのは「お気の毒」な方です.

 2006/12/4,ブレア首相は下院で「将来の核抑止力」と題する白書を発表し,次世代の核兵器システム開発を継続して行ってゆく方針を表明しました.
「英国が核兵器を維持することは重要」
とし,200億ポンドかかるとされる新システム開発を継続する意向です.

 現在英国は核兵器システムを原潜4隻で保有しています.
 2024年に寿命がくる現在の原潜の後継システムを何にするか?という議論が起こっています.
 一部報道によれば,現在1隻あたり200発の核弾頭を搭載していますが,これを160発に減らすとともに,原潜を現行の4隻態勢から3隻態勢に減らすとの見方もあります.

 ⇒搭載弾頭が減るから原潜を減らすというのは,全く理解できないですね.
 運用に便利な4隻態勢を崩すことはないでしょう.

 ちなみに英下院は労働党の一部議員を除き,核抑止力の重要性を十分認識しており,政府のこの方針が支持されるのは間違いないです.

 労働党でブレア首相の後継者と目されているブラウン財務相は
「北鮮が核兵器を保有するなどしている状況下で,一方的な核軍縮は無意味」
と語っています.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)12月11日

 ただし,
http://www.ft.com/cms/s/ef616118-83bb-11db-9e95-0000779e2340.html
および
http://www.nytimes.com/2006/12/05/world/europe/05britain.html?ref=world&pagewanted=print
によれば,規模は縮小される模様.
 源泉は4隻体制から3隻体制に,弾頭数は200から160に減らせないかどうか検討されるという.
 以下引用.

 核弾道弾を搭載している現行の4隻のバンガード級原子力潜水艦(Vanguard class nuclear-powered submarine)が2022年までに全艦退役するので,後継艦を建造し,2024年から逐次就航させて行く.
 新潜水艦健造経費は,150億〜200億英ポンドであり,大部分は2012年から2027年にかけて支出される.
 この間,国防費総額の3%を占めると予想され,核関連経費全体では,この間の国防費総額の6%を占めると予想される.
 また,潜水艦の隻数を3隻に減らし,それでも常時1隻を外洋に配置する現行の態勢を維持できるかどうかを検討する.
 仮に3隻に減らせるとなれば,健造経費は10億〜20億英ポンド削減できる.

 ちなみに,潜水艦による核抑止は,航空機や陸上核弾道弾による核抑止に比べて2.5倍も安上がりだし,これらより敵の攻撃に対し脆弱ではない.
 水上艦艇による核抑止は経費は同じくらいだが,より脆弱だ.

 現在使用している核弾道弾は,米国製のトライデント(Trident)D5弾道弾を延命させて,2040年代まで使えるようにする措置を講じる.
 そのための経費は約2億5,000万英ポンド.
 なお,核弾頭の数は現在の200から160未満にまで減らすことも検討する.

要約:太田述正コラム #1548 ( 2006.12.5 )

 なお,2006年12月5日付,読売新聞によれば,英国政府の白書「英国の核抑止力の未来」では,「ならず者国家」の支援を受けたテロリストによる核攻撃まで想定した幅広い議論を展開しているという.


 【珍説】
 英国と日本では軍隊の存在感も違いますが,もっとも大きいのは軍隊の性格です.英国の軍隊のうち,空軍,海軍,海兵隊は「ロイヤル」の名を冠している.つまり王家の軍隊です.
 でも,陸軍だけは「ブリティッシュアーミー」という名称になっている.
 これは議会制民主主義を確立する過程で国民ないし,議会が王権と戦った歴史が背景にあって国土防衛にあたる陸軍だけは「国民軍」を名乗っている.
(中略)
 英国の国王は,議会に諮らずに宣戦布告することができるし,麾下の空軍,海軍,海兵隊に対して解散を命じることができます.

林信吾 in 『週刊朝日』2007/4/13号

 【事実】
>英国の国王は,議会に諮らずに宣戦布告することができるし

 えっと,コレ,英国大使館厳重抗議モンだと思うのですが.

Tono in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 林氏の言い分ですと,英国空軍,英国海軍・海兵隊は国王の私兵であるがごとくの言い分ですが,そんなコトはありません.
 大体,宣戦布告だけ行ったって,戦費の調達は議会の議決が無ければ行えないのですから.
 戦費の調達のみならず,平時の予算も議会を通さねばなりません.

 王権そのものがクロムウェル死して後の王政復古により,議会が王へ保障したものであることを考えれば,議会に無関係に国王が軍をどうのこうのできるはずがない.

 この後,対談の中で潮氏に対して,
「やはり潮さんの発想はどうも古い感じがする」
と言ってますが,英国軍が国王の私兵であるかのような認識を持っている林氏は,17世紀で止まってますね.

ゆきかぜまる in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 何十年住むより,ちゃんと資料読んだ方が有効ということですね.年の功より亀の甲.

 以下,英国大使館(日本語版)より

 条約を締結する権限,宣戦布告と講和を行う権限,外国の国家および政府を承認する権限,領土を併合・割譲する権限は,女王の大権の下で『政府』が有しています.

 外交権が国王に属する,という主張なら分かるけど.

in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 実際,17世紀で止まっている部分というのはイギリス政治では多く存在します.
 イギリス軍やイギリス人の女王への忠誠というのも非常に強いですし,女王に使われることに幸せを感じないイギリス人もなかなかいないでしょう.
 なんで,クロムウェルの後,あっさりと王が戻ってきたのか,
 指摘している方の言い方だと,あそこでそれまでの王権が消えたかのようですが,そうはイギリス人は考えません.
 同時に自分は「民主主義の父」なる国に住んでいると自負しています.
 だから,イギリス式民主主義に対する非難にも過剰なほど反応します.

 「女王には支配されてたいけど,民主主義は最高のものを持ちたい」
という,なんというか妙な国なんですよ,イギリスって.

大河 in FAQ BBS

 また,大屋准教授のブログ「おおや日記」内,2007年04月03日付記事,「続々・ひたぶるにうら悲し」によれば,おおよそ以下のように指摘されている.

 .Royalなんて単なる名称.陸軍内の組織にはRoyalを冠しているものが多い.
 また,the Royal Air Forceの前身は海軍のRoyal Naval Air Serviceと陸軍のAir Battalion.
 林信吾理論が正しいとすると,創設時は国民・国家のものであった陸軍飛行部隊は1918年に国王に取りあげられてRAFの一部になったということになる.そんなわけあるかい.
 さらに,軍事費は陸海を問わずnon-civil expenseであって,租税をもって充てるというのがイギリスの伝統的な考え方であったらしい.
 つまりカネの面から見れば,すべて国家の軍隊であり,国王の軍隊ではない.

 ・国王が「解散を命じることすらでき」るなんてこともない.
 海軍はthe Naval Discipline Act 1957が規律しており,議会と法律の支配下にある.
 陸軍・空軍もそれぞれthe Army Act 1955, the Air Force Act 1955が規律している.
(さらに,2006年に成立したthe Armed Forces Act 2006がこれら3法律を廃止して統一的に組織・運営等について定めたらしい)

 ・「英国の国王は,議会に諮らずに宣戦布告することができる」かについては,額面としては正しいが,国王が自由にそうできるというのとはまったく異なる.
 議会と無縁に,国王が勝手に宣戦布告できるわけではない.
 理論的には国王が法案に対して拒否権を発動する可能性があるが,最後の同意拒否は1708年.
 イギリスの場合は「幹」となる憲法典がないこともあって,「慣習」に頼る割合が度外れて大きい.
 つまり実際にはできない.

 ・イギリスについては文章化されたルールだけを見てモノを言ってはならない,というのは勉強してるとほぼ最初に叩き込まれる話だと思うのだが,どうやら林信吾氏にはその心得がないようである.

 ちなみに,アイザック・アシモフの短編小説群の中には,外国にはまったく行った事がなく,それどころか自宅の書斎から殆ど一歩も出ない学者が探偵役で出てくるものがある.
 この学者氏,にもかかわらず,およそ世界中の出来事で知らないものはない.
 この学者は言うまでもなくフィクションだが,ホホイのごとき,それとは真逆の人間がノンフィクションの世界の中に存在するというのだから,まさに「事実は小説よりも奇なり」.

 【参考サイト】
http://www.historylearningsite.co.uk/british_constitution.htm

英国女王

(引用元:『サウスパーク』)

 【珍説】
 ひとつだけ指摘するなら,組織が誰のものかを論じるのに,編制や予算ではなく名称からはじめてはいけないと,どこの誰が決めたのでしょう.

イケメン作家@本人 in 社会学板

 【事実】
 現代の全ての近代的国家は,立法と行政を通じて全ての(公的)組織をコントロールしているから.
 以上,証明終わり.

蘇るベルナドッド隊長 in 社会学板


 【質問】
 英国の将軍とかの爵位がよく分かりません!

 【回答】
 イギリス貴族には ・家族名 ・爵位名(複数可) ・呼びかけ(口頭での敬称)の3つがあり,正しく使い分ける必要があるので注意.

 ナポレオンを破ったウェリントン公爵Duke of Wellingtonの家族名はWellsleyで,Arther Wellsley, the 1st Duke of Wellingtonがフルネームになる.
 口頭での呼びかけはDuke of Wellington.

 これが侯爵なら,呼びかけはMarquiss 伯爵,子爵,男爵への呼びかけは全てLord.
 仮に,本名ジェームズ・ドラモントJames Delamonteという人物がEarl of Shetland シェットランド伯爵に任せられている場合,本人への呼びかけはLord Shetland シェットランド卿.

 娘がAnnだった場合,肩書きはLady Ann Delamonte レディー・アン・ドラモント.
 口頭の呼びかけはLady Ann レディー・アンとなる.

 男子の場合は,長男ならLord Peter Delamonte,次男以下はMr. William Delamonte.
(ただし文書ではHonourable William Delamnte)

 爵位というのは本人の身に専属するので,妻以外の家族には及ぼされない.
 シェットランド伯爵の娘がLady Ann Shetlandと呼ばれることは決してない.
 妻はCountess Shetland シェットランド伯爵夫人と呼ばれる.

 ただし,爵位名と家族名が同じ場合は当然同じになる.
 Earl Russel ラッセル伯爵の本名がJohn Russelの場合,娘はLady Ann Russelと呼ばれる.
 しかしこのRusselはあくまで家族名.
(爵位名が家族名の場合ofが入らない)

 シェットランド伯の娘レディー・アンが平民のMr. Henry Smithと結婚すると,レディーの称号は残り,Lady Ann,Lady Ann Smithと呼ばれる.

 平民Miss Mary BrownがSir Henry Smithと結婚した場合は,Lady Smithと呼ばれ,本人の洗礼名は呼ばれない.

 英国の男爵の爵位は通常 Lord〜と表記される.詩人バイロン男爵,テニスン男爵はそれぞれLord Byron,Lord Tennyson.Baronは普通,大陸ヨーロッパの男爵を指す.

 ナイト勲爵士,准男爵baronetはともにSirと呼ばれる.
 ナイトは一代かぎり,准男爵は世襲だが,どちらも貴族ではない.
 従ってSirを「卿」と訳すのは不適切.「卿」は貴族Lord専用の訳語とすべき.
 そもそも准男爵というのは,近世になってから作られた新しい制度.
 17世紀に入ってから,James 1世が,王室費が足りないので金出す香具師に爵位を売ろうとしたら,本物の貴族連中にゴルァ!されて,
「なら貴族じゃない肩書ならいいだろ」
って売り出したのが始まり.

 准男爵の歴史はここが要領よくまとまってる
http://en.wikipedia.org/wiki/Baronet
 ・ジェームズ1世の准男爵売り出し価格は「兵士30人分の給料の3年分」
 ・功績により准男爵を授けられた有名人は作曲家のエルガー,物理学者のストークス,ピーター・パンの作者J.M.バリーなど.ギネス家の当主は代々の准男爵.
 ・いちばん新しく創設された准男爵はサッチャー首相の夫,故デニス・サッチャー氏.

 なお,第二次大戦後,政治家,学者,裁判官などの功績に対して一代貴族(男爵)を与える制度ができた.

 その他無数の煩瑣な約束があるが,英国でも社交欄担当のゴシップ記者とベテラン執事くらいしか正確なことは知らないらしい(笑).
 しかし複雑なだけに,肩書きを正しく表記すると,非常にもっともらしく感じさせることができる.
 ただし,准男爵やナイト勲爵士が貴族ではないというのは,英国ではわかりきった常識.
(英国といっても,サッカーの試合で暴れるフーリガン連中の知識レベルまでは責任もてないが(笑))
 このページなどは簡単で要領よくまとまっている.
http://www.literary-liaisons.com/article038.htm

英国の将軍


 【質問】
 英国では,戦争のときには貴族が率先して志願する,というのは本当か?

 【回答】
 それほどではないにしても,貴族に対しては庶民より高い行動規範が求められていることは確かである.

 しかし,日本人は英国貴族に対し,そもそも大変な誤解がある,という.
 貴族には守られねばならない暗黙の了解が幾つもあってめんどくさいし,また,質素な生活をせざるをえない貴族も多い.

 以下引用.

 英国貴族が今どういう生活をしているかは常識で考えたら誰でも分かることである.
 立憲君主国で民主主義国のイギリスで,貴族という位だけはあっても,貴族だけが3世紀前の生活をしていることなどありえず,普通の庶民,市民と同じ生活をしている.称号があるから貴族と呼ばれるだけのことだ.

 〔略〕

 それでは,当のイギリス人にとっての貴族像はどんなものなのだろうか.
 じつは,日本人が抱いている貴族に対する憧れとは全く異なる物なのである.
 一言で言えば,貴族というのは特殊な世界で,貴族は大変だ,ご苦労なことだ,と思われているのである.
 英国貴族には貴族としての義務があって,「戦争のときには貴族が一番最初に志願しなければいけないんだそうですね」などと聞きかじっている人もいるが,それほどではないにしても,貴族に対してはより高い行動規範が求められていることは確かである.
 貴族と一般庶民との最大の違いは,庶民が国を守るために自分の身を捧げなくても誰も何とも言わないし,お腹をすかしているときにパンを盗んでも,モラルの上では何にも言われない.
 しかし,もし国が滅びそうになっているときに貴族が自分の身を捧げなかったら,あるいはもしお腹がすいているという理由で貴族がパンを盗んだら,大変な非難を受けるだろう.
 国民の規範たれ,などと堅苦しく言われているわけではないが,伝統的に,王室を守って国の柱石になる,というふうな意識が残っている.
 もちろん,貴族の中にはそうした意識の低い人もいるし,悪いことをする人もいる.
 しかし,貴族の家庭の躾や教育には伝統的にそういう面がある.

 アメリカのテレビ番組「ダイナスティ」に出てくるような,あるいは日本で想像されているような華やかで上滑りの,毎日パーティに行って,毎朝遅くまで寝ていて,義務もなくマナーもなく,召使をたくさんこき使って楽に暮らしているのが貴族だと考えたら間違いである.
 彼らの生活はもっと質素で厳しい.成金貴族もいないわけではないが,そういう家族は決して尊敬されたり,憧れの的になったりすることはない.

 貴族という事に関連して日本人から良く受ける質問がある.
 イギリスは階級社会だから,下の階層にいる人はさぞ上の階層に行きたい,貴族になりたいと思っているでしょうね,というものである.
 これについては,必ずしもそうではない,という程度にしか答えられない.
 なぜかといえば,民主主義国であるにも関わらず,イギリスが階級社会として今まで残ってきた理由は,貴族だけが得をしたり,上流階級だけがいい思いをするようなことがなかったからである.
 現在では原則的にはどの階級も平等であり,経済的に特権を持つことはない.
 意識の上で階級制度は残っているが,これは無視しても差し支えないくらいのものだ.
 極端に言えば,労働者階級は労働者階級として,中産階級は中産階級として,貴族階級は貴族階級として,どの程度もある程度まで自分の階級に満足していたから階級がそのまま残って来た,ということなのである.
 もし満足していなかったら,よその国と同じように革命が起こって王政も貴族制度もなくなっていたことだろう.
 イギリスは,かつて世界に君臨し,世界中から富を集めてきたというバックグラウンドがあるし,イギリス自体が豊かな国で,長い間の富の蓄積があったために,それぞれの階級が満足してきた.
 欲を言えばきりがないけれども食べていくのに困らないし,仕事もまあまあだし,夏休みもちゃんと取れるからこれでいいのではないか,というふうに考える.

 貴族階級は貴族階級で昔に比べればずいぶん苦しくなったし,屋敷の維持も大変だけれども,でもまあ,昔の特権を考えても仕方がない,というふうにそれぞれが考えている.
 一方で,労働者階級の息子がとても頭が良くてケンブリッジ大学に進学したいと言っても,親が
「まあ,やめたほうがいいよ.うちあたりで何も大学に行って苦労することはないじゃないか」
などと言うのである.
 親が子どものお尻を叩いて,いい大学に行かせ,できたらい家の娘と結婚させて,階級を上げて貴族になりましょうなどと考えている人はまずいないと言っていい.
 何を苦労して上のクラスに行かなきゃならないんだ.行けば行くほど義務が増えて,小うるさいことがあって,食事にはいつもネクタイを締めていなくてはならず,何かするとすぐに「貴族のくせに」とみんなに非難される.いいことなんか何もないじゃないか.
 そんな苦労をするくらいだったら,パブでのんびりビールでも飲んで,庭仕事をして暮らしているよ,というのが平均的な労働者階級の考え方だと思う.
 私なども「へーえ,日本人で貴族と結婚した人」とびっくりされることはあっても,貴族になってよかったわねとか,それはすばらしいわねと言われたことは一度もない.

 〔略〕
貴族の中にも貧乏な貴族もあるし,お金持ちの貴族もある.
 昔から続いている古い貴族の中には,今でも悠々と自分の土地からの上がりで食べていける貴族もあるが,ほとんどの貴族は,土地とお城があればあるほど,それを維持していくのは大変だというのが現状である.
 貴族の中にある幾つかの暗黙の了解みたいなものの一つは,王室にたいする忠誠心である.
 イギリス人は貴族でなくても忠誠心を持っている国民だが,貴族の場合には特にそれが強い.
 もう一つは,イギリスの伝統を守るということである.
 イギリスの伝統を守るということの中には,自分の屋敷や畑,土地,絵,家具,そういったものを簡単に処分しない事も含まれる.
 自分の家の名前を大事にすると同時に,自分の家に先祖代々から伝わってきた物をできるだけ自分の手で守っていこうと努力する.これが自分の国を守ることでもあるし,地方を守ることでもあるし,また自分の名前を守ることでもあると固く信じている.
 〔略〕
 貴族の邸を維持するのは非常にお金がかかることである.
 貴族の邸が売りに出るときというのは,ひたすら維持費が出せないという理由からである.
 大きな邸や館では,電気代だけ,あるいは暖房費だけでも1ヵ月に数万ポンドもかかるといわれる.
 こんなに維持費がかかる邸を維持していくために自分の家に伝わる絵を一枚売るとか,銀の食器を全部売るとかして費用を捻出しなければならなくなる.
 しかし,できるだけ売るのを避けよう,売らずに頑張っていこうと努力している人たちが多い.
 そのために1年のうち少なくとも半年は邸を公開して,入場料をとって一般の人たちに見せたりする.
 その収入は無税になる.そういう特別な税法があって貴族の邸は守られている.
 ただし,公開している間は自分たちは住めない.
 だから,邸の後ろのほうの小さい部屋に住むか,別に小さな小屋を建てて住んで,主家をいわば公衆に売り渡してしまう.
 もちろん自分たちのためにも使えるから実際に売り渡してしまうのではないが,このように邸や庭を美術館とか博物館みたいにして人々に公開し,ついでにその地域でできた物産を売ったりする人もいる.
 ときには,貴族の奥様が自ら案内して案内料をとることもある.
 それにしても,これは全部,自分の土地や邸を守るためにやっていることである.

 というように,貴族といっても何もしないで遊んで家を維持していける人はほとんどいない.
 仮に自分の屋敷を公開するにしても,そうやって一生懸命働いている.
 パーティとか競馬とかいう催し物には華やかに着飾って出かけるが,それ以外のときは普通の人と同じように,自分の家においてであろうと,外へ出ていくのであろうと,やはり仕事を持って暮らしているのである.
 古い貴族の家系であろうと,20世紀になって貴族になった家系であろうと,現在では貴族として得をすることは財政的には一つもない.
 貴族でも税金は同じであるし,むろん年金がつくわけでもない.
 貴族院に出席して政治を討議している人達は時間給というか日当というか,給料が出るが,しかし非常に安い給料である.

 〔略〕

 ついでに,男性の貴族にとって一番大切なことは何かと言えば,危機に瀕してパニックに陥らないことだろう.危機に瀕してなおかつユーモアの精神があることだ.
 ユーモアの精神はイギリス人にとって貴族から労働者階級まで不可欠の物であるが,特に貴族の場合,死ぬか生きるかというような瀬戸際に来ても,それをちょっと捻って笑い飛ばす心の余裕が望まれる.

マークス寿子著「大人の国イギリスと子どもの国日本」
(草思社,1992/7/20),p.157-164 & 167

 ただし,やり過ぎるとただのモンティ・パイソンになってしまうので注意.


 【質問】
 エゲレス人はティータイムのためなら,戦闘中の砲撃さえ中止するって話,ヨタだよね?

 【回答】
 ヨタとは言えない可能性が高いかと.

 たとえば他の業界の話ですが,こんな話があります.
 映画「エイリアン」シリーズは撮影作業の多くをイギリスで行っており,役者の多くはイギリス在住のアメリカ人などを登用したそうです.
 一方,撮影やセット制作のスタッフはイギリス人が大半なのですが,作業が軌道にのってきたところでお茶になってしまうので,たびたび作業の妨げになっていたそうです.

 組合の規定でティータイムの時間が決まっているそうで,アメリカのスタッフは
「お茶係を殺したところで,翌日には別の係の者が運んでくる」
とコメントを残しています.

 エイリアン2 メイキングDVDより.

ウィナ・ツァハル in FAQ BBS

http://www.geocities.jp/jgill37jp/index.htm


 また,
「イギリスの病院に行ってはいけない」:NHSの問題点(4)
より.

[quote]

 医療スタッフがTea timeを理由に患者を待たせることは日常的である.
 10人あまりの患者がおとなしく座っている待合室の横を,紅茶を注ぎにいった医師が,それをこぼさないようにと大事そうにマグカップを持ってゆっくりと通り過ぎる.
 産院に入院している妊婦の陣痛が強くなったが,平日の昼間にもかかわらず,midwife(助産婦)が全員休憩時間に入っていたために,一人残された夫が立ち会って自ら臍の緒を切る.
 いずれも私が実際に見聞きした話である.

[/quote]

 こんなとこだとは思わなかった!

仮 in FAQ BBS


 【質問】
 サッチャー首相は,どんだけ度胸があったの?

 【回答】
 例えばこんなエピソードが.

 英軍の特殊部隊SASの任務に要人警護がある.
 で,その為の訓練をする訳だが,警護の対象になる要人にも訓練に参加してもらうのがルールなんだそうだ.
 ある時サッチャー首相と閣僚の一人が訓練に参加したそうな.
 二人がテロリストに拉致されたとの想定で狭い部屋に閉じ込められているところへSAS隊員が突入.MP5を乱射して,二人の周りに配置されたテロリストにみたてた人型の標的を穴だらけに.
 その間サッチャー首相はみじろぎはおろか瞬き一つしなかったそうな.
 発砲がおわってみると,男性閣僚が恐怖のあまり部屋の隅にうずくまってガタガタと震えてるのを見たサッチャーさん,
「さっさと立ちなさい,このバカ」
と叱りつけたとさ.

 ちなみにサッチャーは,イラン大使館占拠事件をSASが解決して以来SAS大好きで,この時,サッチャーは防弾チョッキを着ないことで,SASに対する信頼を示した,とか.

 しみじみ漢だねえ,サッチャー.


 【質問】
 英国人はどれだけ紅茶に拘るのか?

 【回答】
 紅茶のブレンドと言うのは,地酒や地ビールと同じで,その土地の水に合わせたブレンドが為されるそうです.
 ですから,英国でお土産にBrooke BondのPrince of Walesを買ってきて,日本で飲んでも実は余り美味しくなかったりと言う現象が起きます.
 これは,欧州の方は硬水なのに対し,日本の水は軟水であり,ブレンドが軟水用に成っていない為だからとか.

 また,飲み方でも欧州の場合は,大抵がミルクを先に注いで,その上から紅茶を注ぎます.
 この為,色味,味,コクなどはミルクが入っている事が前提です.
 そのミルクも,欧州市場向けの場合は低温殺菌牛乳でないといけません.
 Liptonの紅茶のテイスティングや袋詰めの工場は,主にSri Lankaにありました.
(後に国営化,今は民営化され,民族資本が経営している)
 しかしSri Lankaは熱帯ですから,こうした低温殺菌牛乳の調達には非常に苦労するそうです.

 Earl GreyのEarlは伯爵と言う意味.
 これは1830年にホイッグ党から久々に英国首相となったCharles Greyから来ています.
 彼が首相だった1830〜34年に,中国の武夷山から摘まれたお茶と言う触込みで齎され,正山小種と言われたそれは,英国にはブラックティーとして紹介され,仄かに松の香りが漂うものでした.
  Grey伯はこれを気に入り,Twiningsなどの茶商に購入を依頼します.

 最初はその正山小種が輸入されていたのですが,需要に供給が追いつかず,後に,Twiningsが本物の正山小種に似たものとして,普通の中国茶葉にベルガモットオイルを使って香りを付けたのが,Earl Greyと命名されました.

 でもって,正山小種はLapsang Souchongと呼ばれます.
 そのLapsang Souchongは,松で燻蒸したもので,松ヤニの香り,口の悪い人に言わせると,正露丸のクレオソートの香りが漂うもので,非常に好き嫌いの分かれるものです.
 Earl Greyが嫌いな人は,先ず嫌いなお茶になるでしょう.

 このお茶は,元々福建省の最も北側に当たる武夷山桐木村で摘まれた茶葉から作られたものでした.
 この村には可耕地が少なく,村民は日々の糧を得る為,宋代の末期から自生している茶の木の葉を摘取って緑茶に加工して,それを商人に卸して生活していました.
 紅茶を作り出したのは,明代末期から清初期の事.
 その茶葉が英国に輸出されていたのが,18世紀から19世紀にかけてだったそうです.

 この桐木村で作られた茶葉は天然品で,この茶葉の事を「生成の品基」と呼び,それ以外の茶は人工的に栽培されたもので,「作成の外山」と呼ばれていました.
 ところが,余りにこの「生成の品基」の人気が高かった為に常に品薄となります.
 そこで商人達は,「作成の外山」の茶葉を加工して正山小種紅茶として輸出した訳です.

 で,この茶葉の方が絶対量が多いですから,何時の間にか偽物が本物になってしまいます.
 其の上,正山小種品種の風味を知っている英国人が代替わりすると,名前だけ残り,本物がどんなものだったのか,本当の味はどんなものだったのかと言う記憶が忘れられ,失われてしまったのです.
 更に清末期以降,相次ぐ戦乱によって原料茶葉の出荷が止った事もあり,益々偽物が氾濫していった,と.

 本来の正山小種紅茶は,揉んだ茶葉が自然発酵し,それを止める為に火入れをする際,松の木を燃やして乾燥させた際に,乾燥室内部にその煙が侵入して,仄かに松の香りが付くのですが,Lapsang Souchongと呼ばれるそれは,一旦出来上がった紅茶を水に一度浸し,それを燻煙する様にしています.

 正山小種紅茶の香りは本来,竜眼と言う茘枝に似た果物の香りなのですが,硬水で茶葉を煮出すと,淡い香りしか漂いません.
 まして輸送により4ヶ月も経っているので,更に香りが希薄になっていたと思われます.

 英国の消費者達は,その香りは本来もっとするものだと考え,本当の香りのする茶葉を東インド会社に求め,東インド会社は中国の輸出業者へ,輸出業者は,生産者達へそれぞれ要求を伝えていきました.

 で,生産者は考えた.
「元々,この茶葉にはこんな香りしか付かないが,もっと強い匂いって何なんだ?」
と考えた末,彼らの出した結論は,燻煙で付いた松の匂いをもっと増やすという事になった訳です.

 斯くして,燻煙された茶葉が英国に齎されます.
 人々は,「こんなものか?」と思ったのでしょうが,そこはそれ,中国の武夷山と言う,紅茶の原産地から齎された神秘的なお茶です.
 結局,彼らはそれを有り難がって飲む事になりました.

 即ち,消費者,中間流通業者,生産者の三者に誤解と錯覚があったのが,悲劇の元なんですけどね.

 因みにLapsang Souchongは英国では,最も気取った時に注文する紅茶だそうです.
 何か笑えますね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2008年02月02日18:56

 【余談】
 1850年,ScotlandのGlasgowにIreland難民の両親の下に,一人の男の子が誕生しました.
 難民ですから,当然暮らしは貧しかったのですが,そのうち父親は一生懸命働いて小金を貯め,小さな食料品店を開きました.
 その中で育った男の子は,嬉々として商品を並べ,売ったりする事に興味を示します.
 或時,彼が卵を客に売っていた親父に言いました.

「オカンにタマゴ売りをやらせたらええんちゃうん.オカンの手は小っさいから,タマゴが大きく見えるやん」(Ireland人なので大阪弁でお送りしております)
 成る程と考えた親父も偉い.
 こうして,彼も商売の手伝いをする事になりました.

 彼が店に立つ時には,Scotland人にはScotland語で話しかけ,Ireland人にはIreland語で話しかける事で,客の信頼を勝ち取っていきます.
 誰しも,自分の育った国言葉で話しかけられるのは心地良いものですから.

 こうして商売のイロハを学んだ彼は,更に学校に通う為,近所の文具店で働き,その給料を学資に充てました.
 やがて文具店を辞め,給料のもっと高いシャツを作る店に転職し,売込み用の生地の見本帳を作成する仕事を始めます.

 13歳の時,毎日憧れて通っていた港で,大型帆船の進水を見て一大決心をし,両親を説き伏せて,蒸気船のキャビンボーイに転職しました.
 週給は8シリングと,結構賃金が高かったのも魅力でした.
 そんなある日,15歳になったばかりの頃,港にNew York行きの船を見かけます.
 船賃18ドルは,今まで蓄えたお金で支払い,残りは8ドルしかありませんでした.
 それでも,彼は新大陸に一歩を記したのでした.

 この時,彼は信用出来そうなIreland訛りの男を見つけ,こう持ちかけます.
「あんさん,船ん中にわての知り合いがぎょうさん居てまんねん.紹介したら礼してくれへんか?」
「よっしゃ,ほんまに10人以上連れて来れたら1週間宿代は只にしたる!」
 これが米国に於ける彼の最初の仕事でした.

 1865年の事,当時は南北戦争終結直後で経済状況が悪化していましたが,それでも彼は持ち前の才覚で,Virginiaのタバコ農園で働き,後にSouth Carolinaの農園で運転手になるなど,3年間,ひたすら働き続けました.
 そして3年後,New Yorkの百貨店の食料品売り場で働く口を見つけます.
 彼は水を得た魚の様に働き,仕事熱心で昇進も早く,このまま続けるとその百貨店でも経営者に成る事も出来たかも知れません.
 しかし19歳になると,彼はあっさりその地位を投げ捨て,再びGlasgowに帰って行きます.

 Glasgowに戻った彼は,直ぐに新しい荷馬車を準備し,両側に店の名前を入れ,それに乗って帰宅しました.
 荷台には,母親の為に一樽の小麦粉とロッキングチェアが載っており,懐には商売資金の500ドルが忍ばせてありました.

 21歳の誕生日に,彼は親父から独立して自分の食料品店を持ちました.
 扱い品は,父の店と同じくチーズ,ハム,ベーコン,バター,卵と言ったIrelandの産物で,店員は彼と手伝いの少年,それに猫1匹でした.

 彼は宣伝の才に長けていました.
 彼のモットーは,「商売は身体と宣伝が資本である」と言うもの.
 店に掲示板を掲げ,地方新聞の連載漫画や面白い絵,値札もスマートなものを造り出します.

 例えば,店頭にペンキで描いた大きなハムの看板を掲げます.
 これが夏になると暑さでペンキが滲んで柔らかくなり,さも脂がのった本物のハムに見える様に工夫したり.
 はたまた,一頭の泣いている豚を背負っているIreland人の絵を描き,Ireland人の台詞に,「このブタ,身寄りがおらんねんて.で,家族は全部彼の店にいるんやて.可哀想やさかい,わてが連れて行ってやりますねん.」…非常にブラックユーモアというか何というか.

 その広告が評判を呼ぶと,今度は良く太った2頭の豚のしっぽにリボンを結び,脇腹には「○○屋の孤児」と大きく書いた旗を立てて,2人のIreland人の格好をした男達と共に,町中を練り歩きました.
 彼らは,警察署の前にだけは行くなと厳命されていましたが,人混みと豚の力に負けて,警官の目に付いてしまい,人集りによって,荷馬車が通行出来なくなって遂に警官の出動と相成ってしまいました.
 当然,警察からは大目玉を食らったのですが,この事件は新聞に書き立てられ,更にこの店は有名になってしまいました.

 彼は更に宣伝の方法を考えます.

 店の入口に凸面鏡,出口に凹面鏡を置いて,入口の鏡に「私は○○の店に入る」と書いておいて,凸面鏡の効果で客の姿は細長く痩せて見える様に,出口の鏡には「私は○○の店から出て来た」と書いてあって,凹面鏡の効果で客の姿は健康的に太って見える.
 当時は,痩せは不健康だと思われていたので,この効果は絶大でした.
 更に,彼は太った若い女性を何人も雇い,「私は○○の店で買い物をします」という駕籠を持たせて町中を歩かせ,彼の店で食品を買うと健康的になると言うイメージを大衆に植え付ける事に成功しました.

 27歳になると,益々彼の才能は溢れ出て,終にはScotlandの大銀行が出している1ポンド紙幣と同じ大きさ,デザインそっくりの紙幣をも出してしまいます.
 王室の紋章の下に店の名前が書かれ,発行者の名前も彼の名前でした.
 その紙幣には,「Ireland産のハムとバター,卵の市場.私の経営する店は何処でも,ハムとバターに関しては15シリングで提供出来る」と書かれていました.
 当時,ハムとバターを他の店で買うと1ポンドはしたので,これは大幅な値引き広告.
 しかも,1ポンド紙幣と同じデザイン,大きさで,他店を皮肉ると言う事まで遣って退けました.

 1880年代になると,彼の店の名物は,Christmasに作る「チーズのお化け」でした.
 彼は作る前から,
「雌牛800頭6日分の牛乳で作ったチーズ.乳搾りの女性の数は20人」
と前宣伝を仕掛け,更にこのチーズには金貨を沢山入れて,その現場を大衆に公開しました.
 これをカットした日には,あっと言う間にチーズは売り切れになってしまいます.

「チーズの中に金貨を入れるのは違法」
と言われると,ビラでこう告知しました.
「チーズからもしも金貨が出て来たら,私の店にお返し下さい」.

「もし金貨を飲み込んだら死んでしまう.販売を中止しろ」
と警察から指導が来たら,
「私の店のチーズには金貨が入っていて,飲み込むと窒息する危険があります」
と言う,警察からのご注意と言う広告を新聞に出し,更にチーズは売れるという結果を生みだしました.

 彼の考えはこうでした.
「御店が2店になったら,利益は2倍や.御店の数が増えるだけ利益は増える」
 その考え通り,1号店開店から3年目に2号店が出来,半年後には3号店が出来ました.
 そして10年後には,店の数は20軒以上となり,800人以上の従業員を雇う一大企業に成長していました.
 因みに彼の座右の銘は,
「商売ほど楽しいものは他にない」
ですが,もう一つ,鉄則にしているものもありました.
「生産物は問屋からではなく,作っている人から直接購入する」
です.
 直接仕入れる事で,新鮮さは失われる事がありません.
 しかも,良品か否かは自分の目で確かめる事が出来ます.
 こうして彼は,Irelandに出かけて農産物を仕入れた他,米国から大量のベーコンを,Denmarkからは質の良いバターを仕入れたのです.

 その彼の名前ですか?
 彼の名前はThomas Lipton.
 今,日本人でも誰でも知っている,あの黄色いTea bagと赤字に白抜き文字のブランドの人です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2008年02月03日21:44

 昔は,生協もこうした活動をしていたのに,今は全く食品商社ですねぇ.
 一体,何処でどう間違えたのか,初心に帰れと生協には言いたい.

 1880年代に入ると,英国では紅茶を日常的に飲む習慣が定着し,消費量も年々増加していきました.
 茶商たちは,取扱い店舗を増やそうと懸命で,Thomasの店にも目を付けました.

 彼も従来の父親の扱い品目とは異なる紅茶を扱いたかったのですが,先ず彼は:,紅茶の利益率を計算してみました.
 彼は実際にLondonの紅茶取引の中心街で茶葉を購入し,人件費,運送費,経費其の他を差し引いて,一体どのくらいで利益が出るのかを試算してみたのです.
 すると,一般の小売店が1ポンドの茶葉を2シリング6ペンスで売っているのに対し,1シリング7ペンスでも十分に利益が出る事が判りました.
 更に,彼の店で紅茶を売る際に,少しでも付加価値を付ける為,Tower Tea Co.のWilliam Long,Thomas Longと言う二人のブレンダーをヘッドハンティングして,オリジナル茶葉のブレンドを作り,これをTowerと言う商品とLondon Brokenと言う商品として販売しました.

 1シリング7ペンスの紅茶は,1889年の販売開始と同時に英国内にセンセーションを巻き起こしました.
 それは安く,それでいて香りも良く,味も最高という三大要素を全て含んだものだったからです.

 また,彼は紅茶の売り方にも工夫を施しました.
 今までのお茶の売り方は,大きな箱から茶葉を客の注文に応じて取り出し,カウンターの奥で量り売りすると言うもので,客はその量が正確か否か判断出来ない上に,客が立て込んでくると時間が掛かってサービスが十分に行き届かない所がありました.
 其処で彼の店では,予め茶葉を1ポンド,半ポンド,4分の1ポンドの量に計って袋詰めしておくと言う方法を採りました.
 これなら,客が押し寄せても直ぐに対応出来ますし,客は誤魔化しとかを気にする必要がありません.
 しかも袋にはブレンド名,茶葉の品質などの情報を印刷する事も出来ますし,一々箱を開けて湿気に晒して,新鮮さを損なう必要もありません.
 斯くしてこのアイデアも大ヒットし,売上が急増する事になりました.

 彼のアイデアは留まる所を知りません.
 同じ紅茶でも水質によって香り,水色,味が異なる事が判ると,地域毎にその水質に合ったブレンドをすると言う事を遣って退けます.
 これまた,自分の生まれ育った土地に愛着を持つ人々にとっては,Thomasの店の紅茶以外は紅茶ではないと言う刷り込みを与える結果になりました.

 更に,紅茶の袋にはブランド名を印刷するべく,印刷所を設立して,其処で袋の印刷を一手に行い,20カ国語の文とポスターを作って茶葉と共に送り出したり,狭い地区では数百人の男に中国人の扮装をさせ,胸と背にブランドの名前を書いた看板を付けさせて町中を更新させたりもしています.

 しかし,一つ物足りない所がありました.
 それは,幾らブランドを確立しても,彼のモットーである生産者からの直接仕入れではなかった事でした.
 1890年夏,彼はAustraliaへの航海の途次,セイロン島のColomboに立ち寄ります.
 丁度,Londonの銀行家から,この島の茶園が売りに出されているとの情報を得た為です.
 彼は到着の翌日から早速,Candyとその北側に拡がる茶の栽培地区を訪れ,1000mの高地に拡がる茶園を見学します.
 そして,現地を見て彼は,この茶園への投資の将来性を確信し,10万ポンド以上を投資して,島の南東部Uvaにある3,000エーカーの茶園の買収を手始めに,各地の茶園を買収した上,Colomboに,ブレンドとパッキングの工場を設け,其処から世界中に紅茶を輸出する体勢を整えました.

 この生産地でも彼のアイデアは尽きる事はありません.
 工場では,生葉を摘取る以外の人力は極力省き,機械化を進める事で,大量生産を可能にし,しかも品質の優れた茶葉を作り出す効率化が進められ,結果的に,何処の紅茶よりも安く,衛生的で品質の安定した良質茶を作る事が出来る様になりました.
 また,茶摘みの工程も,従来はタミルの女性達が急な斜面や足場の悪い土地で,摘取った茶葉を頭から吊し背負って運ぶ危険な作業を行い,実際に事故が多く効率も悪いものでした.
 其処で彼の茶園では,山頂から工場までロープウェイを敷設して,大量にかつ安全に運べる体勢を整えました.

 こうして帰国したThomasの事業は益々発展を続け,遂に彼は億万長者にのし上がります.
 しかし,この儲けは全部事業の拡大に注ぎ込み,私生活には殆ど使いませんでした.
 事業は工場,倉庫,流通,店舗,印刷に拡大し,従業員も1万人を超え,Glasgowを本拠にするのも不便になり,本社機能をLondonに移し,自分の事業を会社組織に変更しました.
 それでも生活は質素で,屡々,邸宅に戻らずに店のカウンターの中で寝込む事もありました.

 因みに,彼は生涯独身を貫きます.
 あるとき彼の友人が,彼に何故結婚しないのか,問うた事があります.
 彼の返事はこういうものでした.
「いやぁ,紅茶の値段が嫁はんを養うのには安おますさかいな.」

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2008年02月04日20:44

 1890年,LiptonはCeylonの茶園で目ぼしいものを買収し,1894年には自社工場をColomboに建てて,ブレンドと製茶を行い,此処から英国に輸出する事にしました.
 その時に彼が用いたキャッチフレーズ,"Direct From The Tea Garden To The Tea Pot"は,英国国民に大反響を呼び,Liptonブランドの紅茶は,売れに売れ,自社の茶園では賄いきれない程になりました.
 其処で,やむなく,Londonのティーオークションで茶葉を手に入れたり,Colomboのオークションで茶葉を手に入れたりしました.
 1893年には,IndiaのCalcuttaにも買い付けの為の支社を設立し,茶葉の確保に努めていました.

 それより以前の1883年,彼は米国に紅茶を輸出します.
 その手法は,英国の様な小売店での展開ではなく,市場の大きさを見込んだ,卸売りとしての代理店を持ち,其処から末端に拡げるという手法をとりました.
 Chicagoに置いた米国のLipton代理店には注文が殺到し,その評判を聞いて,全米に支店を持つ大小売店チェーンや商人たちから紅茶扱いの申し込みが殺到しました.
 更に,効果的にLiptonブランドを宣伝する為に,Chicago万国博に自社の紅茶を出品し,見事に金賞を得た事で,名実ともに,世界のブランドとして,Liptonの紅茶は認められる事になります.

 Liptonが英国政府に支払う紅茶の輸入税は常にトップで,その輸入量は誰にも追い抜かれる事はありませんでした.
 その記録を更新するのは何時もLiptonだった訳です.

 さて,そんな自他共に認める大金持ちのLiptonですが,生活は質素で,散在をする訳でもなく,紳士としての嗜みである賭け事やら馬鹿騒ぎには一切参加しませんでした.
 と言っても,世捨て人でも変人でもなく,服装は何時もお洒落で,人には親切であり,貧者には特に進んで施しを与える様な人でした.

 1897年,英国ではVictoria女王即位60周年記念日に,皇太子妃の名で貧しい人々に求職を出すロイヤルディナーが計画され,皇太子妃はその資金の一部として100ポンドを寄付した,と「Times」に報じられました.
 Liptonもこの時,ディナーに必要な紅茶と砂糖を寄付したいと申し出ます.
 この事が評判となって,ディナーの企画は広く宣伝され,London市長からもお礼の言葉が丁寧に返されました.
 その答礼に市庁舎を訪れたLipton,市長に基金の集まり具合は如何かと尋ねると,未だ5000ポンドしか集まっておらず,可成り困っていると言う話が出て来ました.
 ディナーには3万ポンドが必要です.

 其処で彼は即座に小切手帳を出し,不足分2万5000ポンドを記入して,市長に手渡します.
 しかし,彼はこれは匿名の寄付として扱って下さいと言う風に言ったのです.

 こうして皇太子妃の面子は保たれ,かつ,匿名の寄付者が誰かで世間の噂は持ちきりとなります.
 報道は益々過熱し,彼の下にも何度も記者が訪ねてきましたが,彼はすっとぼけ,
「ええ? わてが寄付? そんな…2万5000ポンド,ポンと貸してくれる人がいたら教えて貰いたいですわ.」
と答えてみたり.
 10日に渡って報道合戦が続き,そろそろそれも沈静化仕掛けた時,Liptonは市長に,寄付者の公開を許しました.
 実は彼が寄付者だった事が判り,世間は喝采し,彼の名声は益々上がり,普段広告に使う分の2倍以上の効果を上げました.

 このロイヤルディナーの後,貧民に数ペンスで栄養のある食事を与えると言う,Alexandera基金が設けられ,彼はこれにも10万ポンドを寄付します.
 この基金の名前は皇太子妃の事で,彼はこの事業で王室と関係を深め,1898年にはknightの称号を受ける事になります.
 Sir Thomas Liptonの誕生です.

 この年から彼の事業は彼の個人商店から会社組織になり,彼は会長職に収まります.
 しかし会社組織になった事により,彼の手塩に掛けたブランドは法人格を持ち,自分の手を離れていきました.

 以後は,悠々自適の生活を送る事になります.
 が,1899年から1930年の間,彼が凝ったのが,アメリカズカップへの挑戦でした.
 彼は有り余る資金を背景に,Shamrockという船名のヨットを1世から5世まで相次いで建造し,このレースに参加します.
 これで1回でも優勝したのなら,話は出来すぎですがそうは問屋が卸さない.
 結局,彼は1回も優勝カップを手にする事はありませんでした.
 1930年,彼は80歳でしたが,Shamrock5世を駆ってレースに挑み,見事に負けました.

 そして,彼はこう言い残します.
「ヨットレースの結果がどうあれ,最高のヨットが勝つ事を信じている」
と.
 こうしたfair playの話に弱い米国人達は感激し,Liptonこそ英国を代表する最高の大使であると称賛して,アメリカズカップよりももっと名誉あるゴールドカップ,それは当時6000ドルもする高価なものでしたが,これは全て大衆の寄付によって集められたカップを,
「世界のベスト敗者」
と言う称号を付けて贈りました.

 因みに第一次大戦中,彼は自分が普段使っている蒸気エンジン付き大型ヨットを,自費で病院船として改造させ,英国政府に寄付する事もしています.

 1931年9月15日,彼は81歳で急死します.
 2日前の午前中まで,会食に出て,人々と言葉を交わした後,午後に寝室で倒れている所を発見されたのです.
 2日の昏睡の後,彼は息を引取りました.

 葬儀はGlasgowで行われ,彼は両親の墓のあるGlasgowの貧民墓地に埋められました.
 そして,当時の金額で700万ドルに達する財産を残しましたが,身寄りのない彼の遺言は,これを全てGlasgowに寄付し,病人と貧民を救う基金に充てられました.

 良いお金の使い方か否かは判りませんが,これは確実に生きたお金の使い方ではないかと思いますね.
 今の日本の企業経営者にどれだけこうした気概のある人物がいるのでしょうかねぇ(嘆.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2008年02月05日22:03


 【質問】
 英国警察の警察官は拳銃を携行するようになった,という話を聞きましたが,現在の拳銃の携行事情はどうなっているのでしょうか?

 【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/British_police
のUse of Fire armsの章によると……
 北アイルランド,空港,各施設と特殊業務以外では通常武装しない.
 ロンドンの警官の7%が火器使用の訓練を受けている.
 ただし,厳重に定められた規定が許すときしか携行できない.
 迅速に対応できるよう,火器運搬車両がある.
 しかし,銃器犯罪増加に対応して2000年から,武器を通常携行するパトロールが許可された.
 2004年からテーザー(近距離で発射できるスタンガン)が導入されている.
 しかし,巡査レベルに至る常時携行武器は,伸縮警棒と催涙ガススプレー.

 また,
http://www.uknow.or.jp/be/s_topics/100faqs/qa12.htm
によれば,

 Q.警察はどんなときに銃を携帯できるのですか?

 A.通常,制服警官は暴力から自衛するために警棒を携帯しています.
 イングランド,スコットランド,ウェールズでは,「公認拳銃所持警官」(Authorized Fire arms Officer)として知られている特別訓練を受けた警察官にのみ,上官の許可を得た場合にかぎり拳銃が支給されます.
 警官が武装犯に直面しそうなときや,攻撃される危険のある人を保護するために配置されたときに,拳銃携帯の許可が与えられます.
 警官は自分や他の人々の生命が危険だと考えたとき,最後の手段としてのみ発砲してもよいことになっています.

 各公認拳銃所持警官は発砲決定について個人的に責任を負い,法廷でこの行為の正当性を立証するように求められるかもしれません.
 イングランドとウェールズのほとんどの警察隊が,火器事件に対して迅速に初期対応できるように,武装対応車両(鍵をかけた箱に入れて火器を携行するパトロールカー)の制度を採用しています.
 北アイルランドでは,警官は保身用に拳銃を携帯しています.

 なお,上述のテーザーですが,
http://www.taser.com/law/product_info/
によれば,TASERM26から,TASERX26に変更されるようです.


 【質問】
【イギリス】ヘンリー王子が「特別扱い」に反発,同僚と同じ待遇でアフガン前線を志願
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1145781074/

 ヘンリー王子は20歳で入ったらしいけど,1年で卒業って早すぎない?

 【回答】
 大学レベルの高等教育(教養+理工系専門)
+数年間の全寮生活による人格教育
+初級士官に必要な軍事教育
をおこなう米軍や自衛隊の士官学校(防衛大学校)と違って,イギリスの(陸軍)士官学校は初級士官に必要な軍事教育のみをおこないます.
 リーダーに必要な教養教育や人格教育は,(エリート中等教育である)パブリックスクールで受けている,という建前になっています.
 そのため,イギリスの士官学校は1年(というか,熊谷氏の本には9か月とあった記憶が)制なのです.

 最近はさすがにそれでは足りないので,任官後に大学に遊学させたりしているようですが.

 ソースは,かなり古いですが以前に読んだ,熊谷直著『軍学校・教育は死なず』(光人社,1988.4).

英国士官学校での訓練の一こま

(うそ)


 【質問】
 英国植民地出身の兵士は,なぜ英国のために戦うことができたのか?

 【回答】
 英国への忠誠心がそれほどなくても,国王に対しては並外れた愛着心を抱いていたからだという.
 以下引用.

 ユニオン・ジャックがはためいていたイギリスの植民地で,時代や場所に関係なく共通していた唯一とも言うべき原則は,国王への忠誠心であった.
 君主制と帝国は互いに欠く事のできないものだった.
 ある意味では,20世紀に入って帝国を支える柱が外れてしまうと,帝国の一体性にとって,君主制の持つ重要性はそれまで以上に大きくなった.

 このことから,比較的取るに足らないようなエドワード8世の結婚問題が,1936年に非常に重視されたことも説明できる.
 当時は,国際的な危機が高まる中で,戦争になった場合,イギリスの安全保障は自治領が自発的に援助を提供するかどうかに大きく左右されていたのであり,君主制の威厳や植民地での忠誠心が弱まることは危険を意味した.
 海外に住む臣民の忠誠心や想像力の中で,国王が握っていた影響力は驚くべきものだったようだ.
 オーストラリア総督のノースコート卿は1904年に,オーストラリア人はイギリスや大英帝国に対してどっちつかずの態度をとっているが,実質的に誰も見たことのないイギリス国王に対しては並外れた愛着を抱いている,と説明した.
 インド人兵士も,イギリス人将校に対しては無関心だったり,曖昧な態度をとったりしたが,国王へは心からの忠誠心を示し,さらに国王=インド皇帝から直々に褒賞されたり,話しかけられたりすれば,熱狂したようである.3
 (訳注)
 ※ 1894〜1972.36年に即位したが,離婚歴のあるアメリカ生まれの女性との結婚を決意し,同年に退位.国外に退去した後,ウィンザー公として結婚した.

 (原注)
 3 例えば,D.Omissi, The Sepoy and the Raj, The Indian Army 1860-1940, Macmillan, London, 1994の107ページ以降を参照.

Dominic Lieven著「帝国の興亡」(日本経済新聞社,2002/12/16)上巻,p.192

 1914年,そうした脅威が現実のものとなったとき,植民地がイギリスの勝利に果たした貢献は,経済的に,また,とりわけ戦場において巨大であった.
 第1次大戦ではイギリスの海外帝国から250万人以上が出兵し,その約10人に1人が戦死した.
 1918年までの西部戦線では,オーストラリア,ニュージーランド,カナダ人の部隊がおそらく,イギリス軍の中で最良の組み合わせであった.

同,210-211

セポイ


 【質問】
 飛行機の尾翼なんかに書いてあるターゲット・マーク(◎など)には,なにか実用的・機能的な理由があるのですか?

 また,爆撃機ヴィッカーズ・ウィニーの機体に書かれていたG-EAOUの文字は,"God Elp' All Of Us"を意味するらしいですが,Vickers Vulcan"G-EBET",DH-50J"G-EBFO",このへんの略語の意味がググってもわかりません.
 教えてくださいプリーズ.

 【回答】
 胴体の中隊符号のことなら,国籍マーク左側のアルファベット2文字が中隊を示し,右側のアルファベット1文字が中隊中の個々の機体を表しています.
 なお,アルファベットの"I"と"C"は紛らわしいので使っていません.
 開戦後,中隊だけで用いられていましたが,実戦訓練部隊,機種転換部隊にも使用が拡大し,また,中隊数も増えたため,アルファベット2文字の組合せが不足し,アルファベット1文字と数字の組合せ,次いで,使用されていなかった"I"と"C"も使われ,最終的に1桁の数字とアルファベット1文字も出現します.
 但し,2桁数字は出ていません.
 なお,連隊長搭乗機は連隊が数個中隊より成っていたため,中隊符号が用いられず,多くの場合,連隊長の頭文字が用いられました.

 これは1938年9月から使用が開始され,1939年9月に一度改訂,そのまま1951年まで使用されていますが,符号に関しては中隊ごとに幾度か変更されています.

 余談ながら,海軍機は,尾翼に所属空母か陸上基地のアルファベットを付けています.
 1文字は空母,2文字なら陸上基地を表します.

 例えば,中隊符号としては….

(1938〜1939)
 KA(第9中隊),NQ(第43中隊),FZ(第65中隊),TW(第90中隊),NJ(第207中隊),RL(第603中隊)

(1939〜)
 JX(第1中隊),MG/XU(第7中隊),PH(第12中隊),FT(第43中隊),US(第56中隊),EY(第78中隊),SR(第101中隊),JU(第111中隊),ZM/NS(第201中隊),GX/NH/6U(第415中隊),Z9(第519中隊),UF(第601中隊),NG(第604中隊),FY(第611中隊),AJ/YZ/KC(第617中隊)

(1937〜46)
 A(空母アーク・ロイヤル),M(マルタ),O(空母オーシャン),GP(ゴスポート)

(1945〜55)
 A(空母インドミタブル),J(空母イーグル),R(空母グローリー),W(空母ウォーリア),FD(フォード),HF(ハルファ)

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 対潜哨戒機は,高速性より低速性能を要求されるため,また,滞空性能(燃費)上有利なため,プロペラ機の方が都合が良いそうですが,ではなぜ「ニムロッド」は4発ジェットなのですか?

 【回答】
 コメット4がベースだから,ニムロッドは確かに4発ジェットだ(^_^;)
 ただあれは,デ・ハビランド救済のため買い取ったものであって,最初から想定して造った物では無い.
 それにジェットと言っても,P3Cと性能はどっこいどっこいなんじゃないかな(未確認です)
 それをまだ改修して使おっつうのだから,さすが英国.

 対潜哨戒機は機体性能要求は平凡なので大抵一世代前の機体か,適当な機種を転用している.
 専用の機体を一から設計した例はほとんど無いんじゃ無いかな?

 経済的な面からは,米軍がP3Cから何かに乗り換える時に便乗する方が安上がりだと思うし,他国(米国含む)と共同開発して多数作る方がコストが下がるのでは無いかと思う.

軍事板


 【質問】
 英国が無敵モードになったのは,いつごろからですか?

 【回答】
 古代ローマ帝国時代には殖民都市としてロンドンを作られ,
北欧辺りからやってきた海賊には敗北.
フランスから来た王には占領され,
ジョン欠地王がフランスに負けまくってマグナカルタ,
モンゴル帝国には斥候として没落イングランド貴族がこき使われ
100年戦争でも結局敗北.

 しかし!

この欧州ののび太状態だったU,Kはその後,イスパニア艦隊を撃退,
東南アジアあたりでオランダとの抗争を制し,
インドでは諸王国を破り,
支那をアヘンで滅ぼし,
江戸時代の日本との局地戦も勝利し,
第一次大戦と二次大戦はずっこけそうになりながらも,なんとか戦勝国としてゴールイン,
強いイギリスとしてのイメージは確固たるものに!!

 ※ヴィーナー・ノイシュタットでモンゴル軍の偵察隊が撃破されたとき,捕虜になったモンゴル兵の中にイングランド人がいた.
 尋問すると,その男はジョン失地王に反抗してイングランドを追い出され,十字軍に加わって消息不明になっていた貴族だった.

世界史板


 【質問】
 イギリス帝国がインド亜大陸や支那に侵略を開始したとき,本国から遠い現地陸軍への兵站・補充は間に合ったのでしょうか?

 【回答】
 インド支配は,現地の国と同盟を結んだり敵対したりを繰り返しながら,数世紀をかけて完成したもの.
 イギリスが本格的に進出したころは,ムガール帝国は衰退して多くの国が群雄割拠していた.
 インドに限らず植民地戦争では,現地の同盟者を得たり,現地で徴募した兵隊をヨーロッパ人が指揮する形になるのが普通.
 金さえ出せば兵隊は集まる.
 士気は低いが,敵も同じようなもん.

 清との戦争の場合は,海からの攻撃に翻弄された側面もあるし,政府が腐敗していて有効な対策を打てなかった面もある.

 また非ヨーロッパに対しては武器が優勢だったというのもある.

世界史板


 【質問】
 100年戦争以後,まったく戦争に負けていない(勝利条件を満たしたという意味で)イギリスってすげえよな.
 なんでこんなに戦争に強いのだろう?

 【回答】
 国論を統一し,軍事と政治を戦略に沿って整備できる環境が整っていたこと.
比較的宗教及び貴族領主の力が弱く,王権に沿った統一的行動が取れたこと.
 スコットランド及びウェールズに統一された強力な王権が出現しなかったこと.
 ヨーロッパ・大西洋経済圏にコミットしつつ,政治的には一定の距離を保てるだけの場所にいたこと.
 比較的早期に議会政治を始め,一握りの阿呆が国全体に悪影響を及ぼすという君主政治の欠陥を排除できたこと.
 エリザベス1世以降,蓄財に励んだことで軍備を整えられたこと.
 局地戦での敗北がたまたま国家の敗北に結びつかなかったこと.

 その他色々.

世界史板


 【質問】
 イギリス帝国がその最盛期でも,欧州大陸になんら領土を獲得できなかったのはどうしてですか?
 やはり主力は海軍で,陸戦に不向きだったということもありますか?

 【回答】
つ ハノーヴァー,ジブラルタル

 基本的には大陸の領土に興味が無いから.
 防衛上の観点からは,オランダやベルギーを独立させて緩衝国としておけばいいし,あとはインド航路が安全であればいい(スエズ運河開通以後)
 必要に応じて(ナポレオン戦争,第一次世界大戦),大陸に陸軍を派遣してはいる.

世界史板


 【質問】
 ピータールーの虐殺とは?

 【回答】
 男子普通選挙実現等を要求する集会を,騎兵隊が武力鎮圧した事件.

 英語版ウィキペディアによれば,1819/8/16,工業都市マンチェスターのセント・ピーターズ広場(St Peter's Fields)で,民衆6〜8万人が集会を開き,男子普通選挙実現と,穀物価格カルテルを認める穀物法廃止等を要求.
 当局は,yeomanryを投入し,この集会の解散と首謀者の逮捕を図ったが,失敗.
 更に軍隊が投入され,サーベルで斬られたり,馬に踏みつけられたりして民間人11名が死亡,400名以上が負傷.
 この事件は,1815年のワーテルローの戦いになぞらえて,ピータールーの虐殺 Peterloo Massacre と呼ばれるようになり,チャーチスト運動への伏線となった.


 【質問】
 エーモンド・デ・ヴァレラとは?

 【回答】
 北アイルランド問題がこじれた原因で最大なのが,このアホ政治家。
 イースター放棄にも参加した筋金入りの独立論者だが、理想主義者で融通が無かった。
 マイケル・コリンズが都市ゲリラ戦(テロ)をやってる最中に、アメリカに渡ってアイルランド支持を得ようとしたが相手にされず。
 それを「お前らがギャングみたいな戦いをしているからだ!」とIRAに八つ当たり。
 その後、デ・ヴァレラ率いる執行部の指示でIRAは正規戦を挑んで大敗する。
 度重なるテロにイギリス政府が音を上げて、北部三州を分離したアイルランド独立案を提示しても,彼は突っぱねる。
 アイルランド側でこの案を強く支持したのがIRA指揮官のコリンズだったと言うのが,歴史の皮肉。
 その案がアイルランド議会で承認されると、大統領のクセに同志を率いて議会から脱会、内戦を引き起こす。
 この内戦は、その前の独立戦争よりも凄惨で、未だにアイルランドでは内戦の歴史検証はタブー視されている。
 内戦は政府軍の勝利で終わり、降伏したデ・ヴァレラは短期服役後、恩赦で釈放されて政界復帰。
 その後は、新生国にありがちな政治不安に乗じて「愛国者」「イースターの英雄」と言うだけで再び大統領に就任。
 そして徹底的な反英路線を続ける。
 決定的な馬鹿はWW2中の中立政策。
 チャーチルは,北部三州のアイルランド帰属を条件に連合軍側への参戦を求めるが、デ・ヴァレラは
「何で恨み積もるイギリス人と組むのか?」
と突っぱねる。 ここで北アイルランド問題は永久決着が付くはずだったのに・・・

 そして大戦後、マーシャルプランからも除外され、イギリスからは報復関税を喰らい、アイルランド経済はどん底まで落ち込む。 失業者多数と呼ばれた「北アイルランド」より悲惨な生活だった。
 今の好調なアイルランド経済になったのは,ECに参加し、「恨を越えて」イギリスと北アイルランド問題に取り組み始めた冷戦後の事。

 信念一途なのも良いけど、組織の指導者はまず「部下に腹一杯飯を食わせる事」を第一に考えて貰わんとナァ。

 ただ,一つだけ弁護すれば、デ・ヴァレラには,一国の指導者に祭り上げられるような魅力と,戦時中いくらか親英的な中立政策(まあ単に親独よりマシ程度かもしれないが)を実施する分別があった。

(軍事板出張スレッド in コヴァ板)


◆◆英国陸軍


 【質問】
 英国陸軍はBritishArmyといいますが、その成立に由来して Royalが冠されなかったのでしょうか?
 また,歩兵以外の兵科はRoyal〜とありますが、つまり歩兵は諸侯からの献上、または義勇兵を束ねたものと考えていいのですか?

 【回答】
 Royaと冠していないのは,「国王の私兵ではない」ことを示すためです.

 中世〜近世初頭の英国軍は,王直属の部隊や封建諸侯の部隊などの寄せ集めでした。
 連隊「レジメント」という部隊単位はその名残で、レジメンタルタイの斜め縞はその連隊のオーナーの貴族の紋章のカラーによって異なっていました。

 英国陸軍はその後,1688年の名誉革命により新たに英国王に即位したオレンジ公ウィリアムと,議会との間で即位の条件として交わされた文書『権利章典』に基づき、議会の同意の下に設置されている常備軍であり、 それまでの国王の私兵や諸侯の連合軍とは一線を画しています。
 このような歴史的経緯から、「国王の私兵ではない」ことを示すため,あえて「Royal」を冠していないそうです。

 じゃあ英国海軍は国王の私兵なのか?と言われると、決してそうではないのですが、その歴史に陸軍のような断絶がないため、古来の名称である「Royal」を冠していることを誇り、英国における「Senior service」(先任軍) と自称しています。

「それなら英国空軍は?」
と聞かれると、さあ困った...(笑)
 まあ、陸海軍に比べたらごく最近に創設されていますので、誰もそんなことを気にしなかったんじゃないでしょうか?

 なお,歩兵にも王立連隊はありますし、戦車にもYeomanry連隊はあります。

軍事板

 ちなみに英陸軍のほとんどの連隊には指揮官としての連隊長の他にcolonel-in-chief(名誉連隊長or連隊所有者)という役職がある.
 各連隊に所有者がいた頃のなごりだが,現在では完全に名誉職であり,王族や高位の貴族,外国の王族が任じられている.

軍事板

 上述の話は,大屋准教授のブログ「おおや日記」内,2007年04月03日付記事,「続々・ひたぶるにうら悲し」においても,ほぼ同様の論旨が見られる.
 以下引用.

 〔略〕
 たしかに陸軍と海軍のあいだには創設の経緯に差があり,それが現在でも制度的に尾を引いている.
 陸軍はもともと異なる主体が連隊regiment単位で創設したのを寄せ集めたという性格があり,特にチャールズ2世が常備軍的なものを創設してから1707年の統合まではイングランド陸軍とスコットランド陸軍が別々に組織されていた.
 "Royal"が付かないのはそのせい(すべてが"Royal"起源ではないから)だという.

 それに対し海軍はその相当以前に王室によって「国王大権」Royal Prerogativeに基づき創設されたものだとされる.
 このため,陸軍・空軍・海兵隊の軍人は就任に際して国家元首としての「王座」the Sovereignに対する忠誠宣誓を行なう義務があるのに対し,海軍はそれを免れている.
 だが書いたとおりグループ分けは「海軍 v. 陸軍・空軍・海兵隊」であり,「陸軍 v. 海軍・空軍・海兵隊」というRoyalが付くか付かないかの区別ではない.
 〔略〕

 出所も,どのような話の流れで出てきたかも違う2つの記述が,大筋としては一致する以上,その信頼性は高いと愚考する.

いにしえの陸軍のおもかげを残すビーピーター(ロンドン塔の衛兵)


 【質問】
 現在のイギリス陸軍の師団編制について教えてください.
 イギリス軍の公式ページを翻訳にかけて調べてみたのですが,いまいちよく分からないもので.

 【回答】
 古い資料で恐縮ですが,陸軍部隊なら,
1個地上軍集団司令部
3個師団司令部
1個支援軍集団(駐独)

主力部隊としては,
 第1装甲師団                    第3機械化師団
  +司令部(ヘルフォート)              +司令部(ブルフォード)
  +第4装甲旅団(オスナブリュック)        +第1機械化旅団(カタリック)
  +第7装甲旅団(ベルゲン)             +第12機械化旅団(オウルダーショット)
  +第20装甲旅団(パデルホルン)         +第19機械化旅団(コウルチェスター)
  ※機械化師団が,NATO即時対応部隊の任務に就く場合は,ARIETE装甲旅団(伊)が追加
 第2師団(ハンバー川以北の英国本土を統括)   第4師団(首都圏,イングランド南東部を統括)
  +司令部(エディンバラ)                  +司令部(オールダーショット)
  +第15旅団(ヨーク)                     +第2旅団(ショーンクリフ)
  +第51ハイランド旅団(パース)              +第49旅団(チルウェル)
  +第52ロウランド旅団(エディンバラ)           +第145旅団(オウルダーショット)

 第5師団(イングランド西部,中部,北西部,ウェールズを統括)  第16空中襲撃旅団本部(コウルチェスター)
  +司令部(ソールズベリ)                           +第1〜第3パラシュート大隊本部
  +第42旅団(プレストン)                            +第1ロイヤル・アイルランド連隊  
  +第43旅団(エクセター)
  +第143旅団(ソールズベリ)
  +第16旅団(ブレコン)
 ※空中襲撃部隊には,他にパスファインダー小隊,第7騎馬砲兵連隊,第23工兵連隊,第3,第4攻撃ヘリコプター連隊,
  第13空中襲撃支援連隊,第216通信大隊,第156王立憲兵隊を含む.

 北アイルランド軍集団
  +司令部(リズバーン)
  +第3旅団(ポータダウン)
  +第8旅団(ロンドンデリー)
  +第39旅団(ベルファスト)
  +第107アルスター旅団(リズバーン)

 加えて,1個防空旅団があります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 兵科についてですが,英陸軍は騎兵・歩兵・砲兵の3つしかないのに,陸自には11あります.
 これはどういう意味があるの?

 【回答】
 「兵科」をどれだけ細かく分けるか,って言うのは,はっきり言えばその国の軍隊の歴史の積み重ねだから.
 例えばアメリカ海兵隊には「兵科」がない.

 英軍がその3つなのは,近代軍編成の基本の「三兵思想」「三兵戦術」から来ていて,その伝統を今でも大切にしてる,というただそれだけの話.

 三兵戦術とは,砲兵が遠距離から叩き,騎兵が突入して掻き乱し,歩兵が整然と前進して制圧する,っていう諸兵科連携の基本戦術.
 現代でも騎兵が戦車に変わっただけで,基本概念は同じ.

軍事板


 【質問】
 有名なバッキンガム宮殿の衛兵は,近衛師団から採用されるんですか?

 【回答】
 英国近衛兵各連隊の回り持ち.

 英国近衛兵連隊は7部隊に区別される.

 ホース・ガーズ(騎兵隊)が、
ライフ・ガーズ,
ブルー・アンド・ロイヤルズ。

 フット・ガーズ(歩兵隊)が、
グレナディア・ガーズ,
コールドストリーム・ガーズ、
アイリッシュ・ガーズ、
ウエルッシュ・ガーズ、
スコッツ・ガーズ。

 各連隊の歴史,制服については以下の如し.

1:ライフ・ガーズ
 近衛騎兵第一連隊。
 王政復古以前、オランダに亡命していたチャールズU世の護衛隊が基。
 赤いチュニック(制服)に、白い房飾りの付いたヘルメットを被る。

2:ブルー・アンド・ロイヤルズ
 ロイヤル・ホース・ガーズとロイヤル・ドラゴンズが統合して組織.
 濃紺のチュニックに赤い羽根飾りのヘルメットを被る。

3:グレナディア・ガース
 チャールズU世亡命中の1655年に創設された、近衛歩兵第一連隊。
 赤いチュニックに等間隔の金ボタン。
 チュニックの上から白いベルトを着けている。

4:コールドストリーム・ガーズ
 クロムウェルの命で創設され、後に王党派側へついた。
 隊の名称由来は、最初の宿営地であるスコットランドの街の名。
 赤いチュニックのボタンが、2つずつ組になっている。
 帽子の右側に赤い羽根飾りがある。

5:アイリッシュ・ガーズ
 1900年にヴィクトリア女王が創設。
 赤いチュニックのボタンが4つずつ組になっている。
 帽子右側に青い羽根飾りをつけている。
 閲兵や分列行進の時、大型猟犬のウルフハウンドを連れている。

6:ウエルッシュ・ガーズ
 1915年にジョージX世が創設した最も新しい連隊。
 赤いチュニックのボタンは5つずつ組になって、帽子の左側に緑と白の羽根飾りがつく。

7:スコッツ・ガース
 1642年にチャールズT世のために創設。
 赤いチュニックのボタンは3つずつ組になって、帽子に羽根飾りはない。
 ちなみに近衛騎兵連隊本部 Horse Guards は,ホースガーズ通りのつきあたり、ホワイトホールとの交差点正面にある。
 大昔はヘンリー8世の馬上槍試合場があった場所。
 門の両脇では赤い(濃紺もある)制服に、房の付いた金色に輝くヘルメットを被った衛兵が、馬上でサーベルを掲げている。(ダウニング街の地図参照

魯鈍的風説瓦版内,「魯鈍的倫敦見物記3」


 【質問】
 ナポレオン戦争ものの映画とかを見ると、英兵は黒いアフロみたいな大きな帽子をかぶってますが(バッキンガム宮殿の衛兵は今でも着用してますね),なんであんな代物を採用したんでしょうか?
 重そうだし目立つし…メリットがわからんです。

 【回答】
 あれはスコットランド兵の民族的軍装で、熊の毛皮の帽子。
 防寒用であり、神聖な動物である熊の毛皮を身につけることで霊力を高め戦功と無事を祈る、と言う呪術的な意味があった(元々はね

 ナポレオン戦争の時代は「迷彩」とか「偽装」という概念が無いので、派手なのは構わないと言うよりはむしろ推奨されたものだった。
 そもそも英軍の場合は軍服は紅だし、「目立つ」ということはあの時代には、ほとんど問題にされていない。


 【質問】
 英軍のBRIXMISとは?

 【回答】
 制式名称は「駐独ソ連占領軍派遣イギリス軍総司令官使節団」で,連絡将校の隠れ蓑の下で,「鉄のカーテン」の向こうの情報収集活動を行った.

 表向きはBRIXMISは,東独の監視任務を担当する,NATO主導の活動だった.ワルシャワ条約機構軍側がずるをしていないか――例えば,戦術核ミサイルの規定保有量を越えていないかというような――を確かめるという名目で企画されていた.
 ソ連と東独も同様の監視部隊を持っており,西側領内で監視任務を行っていた.
 こうしたシステム全体は,細部まで厳密に規定され,慎重にすり合わされた一連の合意の下に稼動していた.

 しかし,元SASのギャズ・ハンターによれば,東側の立入禁止区域に潜入し,偵察する任務をBRIXMISは行っていた.
 BRIXMISの隠密チームは普通3名で構成され,それぞれが選り抜きの専門家だった.
 王国輸送隊(RCT)から派遣された運転手達は,最高のドライバーだった.闇の中で道の道路を高速で突っ走る能力に加え,あらゆる運転法に通じ,メカニックとしても優秀,どんな種類の車でもたちどころに修理する能力があった.

 これに観測員が加わった.通常は陸軍情報部隊の隊員で,時には通信隊員の場合もあるが,いずれも流暢なロシア語で会話ができ,通信の専門家で,一流のカメラマンでもあった.
 観測員の仕事は,生の情報を収集して記録することだった.

 さらに,チームには時としてSASのような特殊部隊員が参加した.

 詳しくは,Gaz Hunter著『SAS特殊任務』(並木書房,2000/11/1), p.207-209を参照されたし.


 【珍説】
 英国陸軍特殊空挺部隊SASの創始者もニート

コヴァ板

 【事実】
 エベレスト登頂するニートなんてはじめて聞いたな.

Stirling,David,-David Stirling/デーヴィッド・スターリング(1915.11.15〜1990.11.4).

英SAS創設者.
1939:エベレスト登頂中に英国が第2次大戦に参戦.
1941:エジプトにてSAS設立.
1941:パラシュート降下時に負傷.
1943.1:捕虜となる.
1945:戦後に解放.
1990:騎士の称号授受.

軍事板

 【余談】
 何で読んだかは忘れたが,SASの関係のサバイバルの本のなかにあったエピソード.

 イギリス軍が夜間降下訓練で降下地点を間違えて降りてしまい,場所を聞くために民家をたずねた.出てきたのは老婆であった.
 兵士は尋ねた.
「すいません,お婆さん,ここはどこでしょうか?」
「地球!」
と,老婆は言うなりドアを閉めたという.

 その時の兵士達の姿は黒ずくめでヘッドランプをつけていた.
 宇宙人と間違えたんだな,婆さん.

軍事板

 SASセキュリティ・ハンドブック(AndrewKain/NeilHanson共著,清谷信一監訳,原書房,2003)P92に,そのエピソードは収載されてました.
 以下当該箇所引用.

 夜間降下訓練をしていたSASの自由降下訓練のグループが目標の落下地点から少し外れたところに着地してしまった.
 全員無事に着地はできたが,その場所がどこかわからなかった.
 近くに家があったので玄関に通じる道を歩いていって玄関のベルを鳴らした.
 扉を開けたのは老婆だった.
 老婆はそこに,黒づくめの服を着て頭に小さいライトを光らせたヘルメット姿の男たちが一列に並んでいるのを見て,一歩後ずさりした.
 グループのリーダーが
「奥さん,大変申し訳ないのですが,私たちがいるのがどこなのか教えていただけないでしょうか?」
と尋ねた.
 すると老婆は
「地球!」
と答えるなり,慌ててドアをぴしゃりと閉め,かんぬきをかけたのである.

 ヘッドライトが蝋燭だったら八つ墓村とか一瞬思ったわけだが.

スコップダンディ in mixi支隊

潜伏任務中のSAS

(うそ)


 【質問】
 SASは軽装備?

 【回答】
 SASといえども冒険野郎ではないので,ロクに武器を持たず,敵地に侵入することはない.
 特殊部隊の活動は軍事目的であるので,必ず達成すべき目的と任務がある.
 したがって可能な限り,あらゆる状況を想定して,できるだけ重武装で侵入する.
 一人で担ぐ装備だけで50キロを超えるのは当たり前,100キロ近いときもある.

 問題は脱出時で,予定通り事態が進行すれば一切,装備を残さず撤収するのがセオリーだし,決まりになってる.
 しかし敵に発見され,追尾を受ける状況になれば別.
 どんどん装備を捨て(といっても埋めたりして発見されにくくする必要はある),最後には体一つになってしまう事態もあり得る.
 実際,湾岸戦争ではそういう状況が現実に発生した.
 それを想定し,訓練しているということ.

 どうも特殊部隊っていうと,徒手空拳で何かする人たちだと思われてる節があるけど,実際には彼らも歩兵だから.むしろ,一人あたりの武装の重さや数は通常の歩兵を大きく超え,それを運べる,というのが特徴だったりする.

軍事板
青文字:加筆部分


 【質問】
 チャレンジャーは120mmライフル砲装備と聞きました.
 現在は滑腔砲の方が主流と思うのですが、ライフル砲を装備している理由は何故ですか?

 【回答】
 コンカラーから重戦車路線に走ったイギリスは,西側で真っ先に120mm砲を開発した。
 当時はどの国もライフル砲だった。当然イギリスも120mm砲をライフルで造った。

 その後、各国が105mm砲から120mm砲へと大型化する際、ついでに滑腔砲にした。
 イギリスは元々120mm砲だったので、新しい砲を造る必要性を感じなかった。お金掛かるし。


 【質問】
 L1ライフルはFALと同じもの?

 【回答】
 FN社に言わせると「L1ライフルはイギリスの銃です.FALと同一視しないで下さい」だそうだ.

 英国人は他国の銃を採用したのに 「この機能要らない.絶対に要らない」 って独自仕様にしちゃう人種.
 実際フルオート機能の省略の他に,L1A1は国産にあたり図面をインチ規格に書き直してあるので,イギリス系の図面で作ったL1はFALとは微妙に部品の互換性がない.

 流石は,アメリカが3ヶ月で建造した護衛空母を
「将校用食堂がないから」
「ガソリン・タンクに不備がある」
と半年以上かけて改修したり,
「エンジンの馬力が低すぎる」
とファントムの エンジンを載せ換えて,却って性能が低下したのに平然と使ってた英国人だけのことはある.

軍事板


◆◆英国海軍

 【質問】
 英国海軍の起源は?

 【回答】
 「イギリス人の海外進出とイギリス海軍」 from 「スタンプ・メイツ」によれば,王立武装船隊がその始まりだと言う.
 ただし,最初は殆ど書類上のだけの存在だった.
 以下引用.

 イギリス海軍,すなわち王立武装船隊(イギリス海軍・Loyal Navy)はヘンリー8世が創立したとされますが,それでも,海軍委員会の設置によって,国王が海軍を編成する手段を獲得したにすぎません.
 王様の船は僅かしかなく,一般の船を戦争のたびに集めて編制されました.
 11世紀にシニックと指定された港(Cinique Ports)から船舶を集めて,ウィリアム2世が第1回の十字軍の遠征(1095)を行いました.

 なお,大規模に「シニック」を利用したのは獅子王リチャード1世の第3回十字軍の遠征(1189)が最初の説も有りますが,国王も徐々に船の隻数を増やしました.

 【質問】
 シニック制度とは?

 【回答】
 イギリス海峡の特定港が必要なときに所定数の船を用意することを義務づけ,その見返りとして特権を与えるという制度で,国王自ら艦隊を維持するのと同様な効果を得られるよう期待されたものです.
 しかし14世紀半ばまでには,大半のシニック港が沈泥で埋まり,役に立たなくなってしまいました.
 以下引用.

 11世紀,エドワード懺悔王は自ら艦隊を維持するのではなく,イギリス海峡の特定港が必要なときに所定数の船を用意することを義務づけ,その見返りとして特権を与えるという方法で,自ら艦隊を維持するのと同様な効果を得ようと考えました.
 それらの港は「シニック港CinquePorts」と呼ばれ,
サンドウィッチ,
ドーバー,
ハイズ,
ロムニー(現在はニュー・ロムニー),
ヘイスティング
の5港が最初のシニック港です.
ウィンチェルシー,
ライ,
シーフォード(ケント州またはイーストサセックス州)
は13世紀中,絶頂に達しました.

 それらの港は,自らの費用で,国王に,成人21人,少年1人が乗り組む157隻を,それぞれ年間15日を提供することになっていました.
 1244年には,最初の幾つかの船員病院がサンドウィッチに設置されました.

 しかし,海路保持を契約の中に入れたため,すぐさま防衛の目的も果たせないことが解りました.
 ノルマン人の征服後,シニック港が供給できる以上の大船隊を要求された最初の事件は,1189年のリチャード一世の十字軍遠征です.
 その艦隊は100隻以上となり,船はイングランド,フランスのノルマンディーやポァトゥー地方のすべての港で買船あるいは用船されたものでした.

 次の世紀になると,国王は何隻かのガレーを所有するようになり,そのほとんどが商船としても使えるように幅広となっており,さらにその後半になると機会さえあれば,すぐに船を用船に出すようになりました.
 例えば,1232年ジョン・ブランコビリーは王室船クイーン号の使用に対して,国王に年間50ドイツマルクを支払い,その船を良好な状態に保つことを条件として,かれが望むところに出掛けて交易していたといわれています.

 1297年,エドワード一世(1239-1307)は艦隊を305隻に引き上げました.その要員は5,800人であったと記録されています.

 14世紀半ばまでに,ほとんどのシニック港が沈泥で埋まってしまったので,国王は自分の船を40隻あるいは50隻を,ロンドン・タワーからそれほど遠くない,テムズ川南岸のロザーハイズや同北岸のラトクリフに保持するようになりました.
 しかし,それでもって海上での作戦あるいは中隊の移動に当たって決して十分ではなく,イングランド人船員の強制徴発impressmentや外国人の雇用は避けられませんでした.

「イギリス人の海外進出とイギリス海軍」 from 「スタンプ・メイツ」


 【質問】
 悪名高いロイヤル・ネイビーの強制徴募は,いつ頃まで行なわれていたのですか?

 【回答】
 一応,1795年に各地方政府に対し,一定の報奨金と引換に強制的に割当をして,水兵を事実上徴兵する法律(Quota Act,1795)を施行して,強制徴募を表面上打ち切っています.
 但し,寄港地からの脱走に伴う要員補充の為,強制徴募は行われていました.

 1852年に継続勤務制度(Continuous Service)を導入して,水兵の熟練度に応じて階級を与え,給与を増額する勧告が行われ,更に10年継続勤務で年金を与えること,年金受領者は戦時には軍役の義務を課すことが勧告されました.
 以後,強制徴募は影を潜めるようになっていきます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 英国海軍による奴隷貿易取り締まりについて教えてください.

 【回答】
 1441年,ポルトガル商人によって開始された黒人奴隷貿易は,ポルトガルとスペインの植民地が拡大した16世紀以降本格化します.
 1562年にはイングランドも参加し,18世紀前半には莫大な富を生み出す収入源となっていました.

 しかし,それは倫理的な側面から,奴隷貿易の禁止を求める活動が主に英国を中心に盛んになっていきます.
 こうした動きは,議会をも動かし,1807年に英国船による奴隷貿易が禁止され,1833年に同国の奴隷制度そのものが廃止されるに至りました.

 英国はその動きを世界中に広めることに腐心し,1815年のウィーン会議では,英国,フランス,オーストリア,プロイセン,ロシアの五大国が奴隷貿易禁止の共同宣言を採択し,1822年にはヴェローナの会議で同様の宣言が行われています.

 となると,小国は大国の状況に屈せざるを得ず,スペインとポルトガルは,1817年に北半球での奴隷貿易禁止に同意すると共に,1826年には4年以内の全面禁止,そして,スペインは,1835年に自国商船が奴隷貿易を行っていた場合,それを違法の海賊行為と見做すという議会法令を採択することになります.
(尤も,キューバについては1867年まで適用されませんでしたが)

 しかし,一方のポルトガルは一向に改善が見られず,業を煮やした英国政府は,自国艦隊を用いてこういった密貿易船を取り締まることになりました.
 大西洋では,1811年から英国艦隊が巡回を開始し,1839年には乗組員440人以上の四級艦船1隻と,乗組員80人以上のスループ18隻が大西洋周辺に配備され,奴隷貿易禁止の為の警戒に当たることになりました.
 これは自国艦船のみならず,二国間条約を締結した相手方の国の商船に対しても,臨検を行う権利を有しており,例え,現行犯逮捕でなくても,昇降口が閉まらず鉄格子で開け放たれただけとか,船倉の仕切りが異常に多いとか,水や食料が通常の消費量より多いとか,手枷,足枷を大量に所持している,などの疑わしい艦船も,取り締まりの対象となりました.

 こうして捕えられた船は,通常その船籍の本国へと送還されますが,その前に捕獲場所に最も近い港町の混合裁判所に拘引され,そこで裁判を受けさせるケースが多かった様です.
 代表的な混合裁判所には,リオデジャネイロ,ハバナがありました.

 また,奴隷たちは即座に解放されますが,彼らは元に戻されても再び奴隷にされるケースが多かったので,後に米英の奴隷貿易廃止協会がアフリカに植民都市を築き,その地に住まわせることが多かったりします.
 米国のそれがリベリア,英国のそれがシエラレオネになった訳で.

 さて,混合裁判所は,何カ国かの判事で構成され,そのうちの一人は拿捕された奴隷船の国の出身者となっています.
 裁判の結果,その船が奴隷貿易を行っていたことが現行犯で見つかったか,それを行うための擬装が為されていたことが証明出来れば,乗組員は全員改めて起訴,各国法に基づいて罪に問われることになりました.
 また,船と積荷は没収され,半年以内に競売に掛けられて英国政府にその代金が支払われ,拿捕した船の乗組員にその代金が報償として分配される仕組みでした.

 一方で,相手の商船が無罪となった場合は,英国政府は逆に損害賠償を支払う必要がありました.
 従って,英国海軍に不幸にも遭遇した奴隷貿易船は,捕まる前に直ちに書類や帳簿を焼却したり,重しを付けて海に投棄して証拠隠滅をはかるケースが多く,証拠不十分で不起訴となることも多くありました.

 また,リオやハバナは,謂わばスペインやポルトガルのテリトリーですから,判事が買収され,捕縛しても無罪放免と言うケースも多々あったようです.

 こうした英国海軍の行く手を阻んだのは,奴隷貿易商人だけではなく,相手国の政府もそうした側に与するケースもありました.
 特に,二国間条約を締結しても,相手国艦船の臨検・拿捕を許さないケースがあり,折角,奴隷貿易をしているのを発見しても,船籍の相手国海軍が近くにいない限り,みすみす見逃すことになりました.

 例えば,1808年に奴隷貿易を禁止した米国や,1827年に大西洋で奴隷貿易を取り締るようになったフランスなどの国でも,英国の臨検を認めていませんでした.
 このため,1841年に相互臨検・探索の権利を盛り込んだ奴隷貿易禁止条約が締結されるまでは,フランス,ロシア,星条旗,スペイン,ポルトガルという各国の国旗を掲げた奴隷貿易船が横行しました.

 特に,1838年10月から1839年4月の半年間に,ポルトガルの奴隷密貿易船が,アフリカからリオに37隻入港し,ハバナでも1837年に48隻,38年に44隻堂々と入港していたりします.

 こうした状態を放置し得ない英国政府は,ポルトガルと長い外交戦を繰り広げることになりました.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi


 【質問】
 マレーシアやソロモン諸島などは,イギリス連邦となっていますが,もしも,マレーシアやソロモン諸島が,他国に侵略されたら,イギリスは軽空母を引き連れてくるのでしょうか?

 【回答】
 The Commonwealth Nationsは単なる政治的な国家連合であって,軍事同盟ではありません.
 従って,MalaysiaやSolomon Islandsが他国に侵略されたとしても,英連邦が挙って軍を出すことはありません.

 Malaysiaに関しては,Australiaと二国間協定を結んでいます.
 これに伴い,MalaysiaにはAustraliaの陸空軍が駐留していますから,万一,他国からの侵攻を受けたとしても,先ずはAustraliaが対処します.
 次いで,米国になるでしょう.

 Solomon Islandsについては,Australiaが防衛の責務を負いますし,部分的にPapua New Guinea軍も防衛に携わります.
 他国からの侵攻を受けた場合は,この両国で先ず対処することになるでしょうね.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 英国軍艦につくHMSとは?

 【回答】
 英国海軍「ロイヤルネイヴィー」は,元は名前どおり「王の所有する海軍」だった。
 英国軍艦につくHMS(His/Her Majesty's Ship)はその名残。
 「Royal Oak」 「Arc Royale」 「Warspite」などはエリザベス一世の時代から続く伝統ある艦名だった。
 ただ,予算も王室費から出ていたため,エリザベス王朝時代などは極めて小規模であり、戦時には私掠船(王公認の海賊船)を編入してしのいでいた。


 【質問】
 CVA-01型について教えてください.

 【回答】
 英国が戦後に建造しようとした艦隊型空母.
 空母イーグル(II)とアーク・ロイヤル(II)の代艦として2隻計画された.※
 基準排水量5万4千トン.
 全長270m.
 エレベーター2基
 搭載機:ファントムF-4K×18〜24,バッカニア×18〜24,ガネットAEW3×4,ヘリ数機
といった要目が伝えられている.
 もっとも,計画だけだったこの艦のこと,もし実際に建造されていたら色々設計変更などもあっただろうから,まあ目安としての数字でしかないがね.

 しかし1966年2月,計画中止.
 これは,時の労働党政権が空母全廃政策を掲げていたため.
 その理由としては
・財政的負担が大きいこと
・戦略原潜ドレッドノート就役により,戦略原潜の戦力化の目途がついたこと
が挙げられる.

 そのためアーク・ロイヤルは,アングルド・デッキ拡大や大型スチーム・カタパルト装備などして70年代まで使い続けられることになった.
 ルーキーが育たなくて老選手だけで頑張る,どこかのチームのような話である.

 ※4隻説もあり.
 『世界の艦船』増刊の『イギリス航空母艦史』旧版では4隻となっていたが,新版では隻数の記載は削除されている.
 上述のように財政的負担の大きさが懸念されている状況で,4隻も計画するほど無鉄砲か?とも愚考するが.

written by ペンウッド卿(うそ)


 【質問】
 イギリスは1960年になっても,大砲が武器の巡洋艦を作ろうと計画してたと聞きましたが事実ですか?

 【回答】
 タイガー級巡洋艦ですね.
 建造中に終戦で工事中止になった艦を,戦後に設計を改めて防空巡洋艦として再発注したものです.
 「タイガー」「ライオン」「ブレーク」の三隻が1959〜61年にかけて就役しました.

 これらは空母直衛の防空艦として,6インチ両用砲4門,3インチ速射砲6門を搭載していました.
 後にタイガーとブレークは,ウェセックス4機搭載のヘリコプター巡洋艦に改装されています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板

 なお,英国ではTiger級の竣工に加えて,機動部隊の防空艦兼商船護衛の為, 1947〜51年に計画・設計したMinotaur級巡洋艦の設計を近代化した4種類の巡洋艦を,1960年に設計しています.
 これは10,500t〜17,500tの排水量の船体に,合計出力90,000軸馬力の蒸気タービンエンジンを4基搭載し, 31kts/hの速力を発揮するものでした.
 武装は,中型巡洋艦案では6in連装砲3基,3in連装対空砲4基,連装対空機関砲6基,次発装填機構を備えた 固定魚雷発射管8基.
 小型巡洋艦案では,5in連装砲2基,3in連装対空砲3基,4連装対空機関砲6基,4連装魚雷発射管4基.
 砲搭載大型巡洋艦案では,5in連装砲4基,3in連装対空砲6基,連装対空機関砲6基,4連装魚雷発射管4基.
 これらは当時,ソ連が整備を進めていたSverdolov級巡洋艦に対抗するものとして計画されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 イギリス海軍って,インビンシブル級軽空母を三隻保有してるよな.
 しかもさらに大型のエリザベス級をニ隻建造中.
 なのに艦隊防空用のイージス艦を一隻も保有してないのはなんで?
 イギリス海軍ってフォークランド紛争でアルゼンチン軍の戦闘機に,結構な数の艦艇やられてるよね?
 空母ばっか作って,防空艦はいらないの?

 【回答】
 英国やロシア,フランスなどの空母は,米空母とは運用思想がまるで違うということ.
 空母自体が守られるべき高価値目標ではなく,空母が他の艦艇を守る.
 英国などでも空母の価値が高いことは高いが,空母それ自体がイージス艦のようなもの.
 したがって,「艦隊防空」も空母艦載機が一翼を担う.
 フォークランド紛争でも,アルゼンチンの戦闘機や攻撃機のかなりの数を艦載機で落としてる.

 なお,空母随伴艦としては今,45型を作ってる.


 【質問】
 英国の戦略原潜兵力は?

 【回答】
 英国は核兵器を保有しており,戦略兵力の主体は原潜となっています.
 英海軍の原潜に搭載されている潜水艦発射型弾道弾「トライデント」の詳細は以下のとおりです.(by コモ辞書)

トライデント2 D-5;
 米海軍の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)・トライデント最新型.
 制式型名=UGM-133A.

<歴史>
 '90&'92,オハイオ(Ohio)型原潜の第9番艦テネシー(Tennessee)以降に各24基搭載.
 '99末で10隻のOhio型原潜に計240基搭載(START-IIではSLBM1基当り弾頭数4個に制限).
 '99に1隻当り核弾頭を96発から48発に削減.
 '02現在,SSBN×10隻に216基配備.

 英海軍は,'93就役のバンガード(Vanguard)型原潜(2000年迄に4隻就役)に各16基搭載している.

<性能諸元>
 全長44.6ft(13.59m)
 胴体直径6.9ft(2.10m)
 発射重量130,000LB(58,968kg)

 誘導(Draper, Unisys, Boeing社製)

弾頭:
 Mk-4('92配備,100kt・W76×8個MIRV)及びMk-5('90配備,475kt・W88×8個MIRV)

[W76:米海軍の戦略用「水中対地」核弾頭.Trident C-4/D-5 SLBM用.実戦配備.Los Alamos国立研究所設計,技術内容は中国に漏洩]
[W88:米海軍の戦略用「水中対地」核弾頭.Trident D-5 SLBM用.実戦配備.Los Alamos国立研究所設計,技術内容は中国に漏洩]

3段固体推薬

射程
4,000+NM(7,400+km)〜12,000km

CEP=90/120m

 CEP(circular error probable)は「半数必中界」といい,発射した弾薬の命中精度を表す数字のことです.
 たとえばCEPが5メートルなら,目標を中心とする半径5メートルの円内に100発中50発の弾着が「期待できる」ということになります.
 当然,数が小さいほうが能力が高いです.

参考:
 最も高精度のICBMでは射程10,000kmでCEP約180m.
 終末誘導装置付巡航ミサイルではCEP1〜3m.
 レーザ誘導爆弾ではCEP数十cm〜数m程度

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)7月24日


 【珍説】
 アメリカの属国になったイギリス 2003年7月29日  田中宇
 ガーディアン紙の記事などによると、イギリス軍の潜水艦部隊はアメリカの巡航ミサイル「トマホーク」を大々的に導入すべく改装を行っているが、トマホークはアメリカの許可なしには発射できない。
〜中略〜
 トマホークは、地図とミサイル直下の実際の地形と照合して誘導するターコム(Tercom)と、GPS(衛星を使った位置測定システム)というアメリカの2つのシステムがないと飛ばせず、イギリスにとって対米従属を強いるミサイルとなっている。

 【事実】
 ・・・あれ? イギリスは自前の偵察衛星を持っているのだから独自にデータを入力できる筈。
 そもそも、トマホークの基本航法装置はTercom(地形等高線照合)とDsmac(デジタルマップ照合)であって、二つともそれぞれレーダー衛星と光学衛星からのデータを入力してやれば発射が出来る。
 それにイギリスに供給された型はまだGPSが付いていなかった筈だし、GPS衛星からのデータ受信はアメリカから一々許可を得ずとも可能。

「週刊オブイェクト」,2004/01/25


  イギリスの戦略原潜に搭載されているトライデントIIミサイルは,正確には英国の所有物ではなく,米国にある米と共同で管理しているミサイルプールから搭載し,ミサイルは米国がメンテナンスしています.

 核弾頭は完全に英国製であり(設計には米の助けが入っているにしても),英国まで戻った後, クールポートで英海軍によって「借りた」トライデントに取り付けられます.

 英原潜に米軍人が乗り込むルールはありませんし,コントロールしているわけでもありません.
 しかし,弾道弾に対する早期警戒システムや衛星は米のものであり,共同使用しているとはいうものの, この点では米にコントロールされていると言えるかもしれません.

 しかし,基本的にはブレア首相が先日英国の核戦力維持とそのためのミサイル改良について答弁した
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/4805768.stm
ように,英国は核ミサイル発射に際して他国の許可を得る必要はありません.

軍事板 

▼ この田中氏が下敷きにしているガーディアンの記事
We are now a client state
Britain has lost its sovereignty to the United States

David Leigh and Richard Norton-Taylor
Thursday July 17, 2003

や田中氏が言わんとしているのは,トマホークやトライデントといった兵器は米国の軍事技術に大きく依存しているということであって,これは事実として正しいと思います.
 ただ,それを理由として,ガーディアンの記事や田中氏が言うように,英国は米国の属国に成り下がったと言えるのかというと,難しいと思います.
 だいたいにして米国以外で,トマホークやトライデントを使えるのは英国だけですしね.
 ないものねだり,贅沢な悩みという気もします.

 これは補足部分と同じことですが,
「メインテナンスには米国の協力が必須である」

「発射には米国の許可が必要である」
は同値ではないです.
 前者は実際の運用の話であって,後者は手続きの話です.
 その点でも,ガーディアンの記事や田中氏の主張には違和感を感じます.

 トライデントの発射には米国の許可は必要ではないというのが,英国防省の公式見解です.
 以下は情報公開法に基づくQ&Aからの抜粋.

[quote]

 Q2.英国政府による核使用に,米国政府は何らかの関与をしますか?
 A2.いいえ.
 ただし,NATOとして使用する場合はこの限りではありません.
 米国を含むNATO同盟国には意見を表明するための手続きが定められています.

 Q3.米国政府は英国による核使用を禁止したり拒否権を発動することはできますか?
 A3.いいえ.

 Q4.英国政府には核使用に際し米国政府に通告する義務がありますか?
 A4.いいえ.ただし,A2にあるとおりNATOとしての核使用の場合,米国と相談することになります.

[/quote]

バグってハニー in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 現在の英海軍の揚陸作戦構想はどんなものか?

 【回答】
 LPH オーシャン Ocean から空挺部隊がヘリで発進
   ↓
 空挺部隊が橋頭堡確保
   ↓
 LPD アルビオン Albion 級から地上部隊第一波が上陸
   ↓
 海岸から視程外(およそ20浬以上)の沖合に待機していたラーグス・ベイ Largs Bay 級 LSD からLCUとヘリとで第2波を揚陸
   ↓
 海岸が確保されたところで同級は海岸へ接近,メキシフロート自走式ポンツーンで桟橋を設け,機械化歩兵部隊や重車輛などを揚陸

……という段取り.

 なお,ユーゴ内戦へのNATO介入に際し,重装備や多数の兵員を輸送する能力に不足がある事を痛感したため,新型車両運搬船 Hurst Point 級RORO船6隻を,2002〜2003年に就役させた.
 これらは民間のAWRS社に就航し,25年間契約で英国防省にチャーターされている.
 同省では他に3隻をチャーターしている.

 詳しくは「世界の艦船」2006年3月号,p.76-77(岡部いさく著述)を参照されたし.


 【質問】
 英国海軍では酒が配給されていたそうだが?

 【回答】
 グロッグは配給酒。英国海軍の原動力で、1970年に廃止されるまで続いた伝統の酒である。水割りのラムのことを一般に指すが、適宜砂糖やレモンを加えていたようである。水とラムの混合比は2:1。
 「パッサーズ・ラム(Pusser's Rum)」(注1)は英国海軍に納入されていたものが配給酒制度廃止で市場に出回ったもので、「1655年以来の伝統」が売り文句(注2)である。しかし、ラムが配給され始めたのは18世紀のことである。

 折しもその時代、フランスとの戦争状態に入ったことで、それまで配給酒に使っていたブランデーの補給が出来なくなった。タイミング良くジャマイカを占領して、ラムに切り替えたところ、生のまま呑んで悪酔いする水兵が続出し、事故が増えた。
 そこで1740年(注3)にエドワード・ヴァーノン中将が水割りにして配給したところ、それがなくなったので、水割りでの配給が一般的になったのである。
 そして、このヴァーノン提督、トレードマークがグログラム(絹毛混紡の布)のボート用長マントで、「グロッグ親父(Old Grog)」の通り名があった。このために、彼が発明した配給酒も「グロッグ」と呼ばれるようになったとのことである。いくらグロッグでも飲み過ぎればふらふらになる。その状態を指した言葉がグロッギー、日本語になまると「グロッキー」である。

注1、2:Pusser's Rumラベルより
注3:研究社英和大辞典第5版grogの項より

 ちなみに一日の配給量は60mlほど。かならず水かお湯割りだそうな。

(軍事板)

 また,イギリス海軍はどこの国よりいち早く壊血病の対策として「ライム」を船に積んで遠征にでかけた.
 後にそれをからかわれて「ライミー」などと呼ばれた.

世界史板


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