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◆Ukraina ウクライナ
欧州FAQ・目次


 【link】

D.B.E.ミニ型」:ウクライナ,サタンに命令をされて大統領のオフィスを破壊した男性/情報源エルエル
>ひょっとしてその悪魔ってのは金髪で編みこんだ髪を頭の上のほうにぐるっと回したびじげふんげふん.

「HISTORIA」:ウクライナのコサックたち
   ┃
   ┗補遺

「Wikipedia」:ボフダン・フメリニツキー

「国際情報センター」◆(2010/2/8)ウクライナ大統領選挙

「ままならねーことこのうえねー」:ティモ姐さんまじパネぇっす伝説 その1
「ままならねーことこのうえねー」:ティモ姐さんまじパネぇっす伝説 その2

「六課」:ロシア海軍,未完成巡洋艦「ウクライナ」を購入?

『物語 ウクライナの歴史』(黒川祐次著,中公新書,2002.8)


◆◆軍事組織


 【質問】
 EU加盟を目指すウクライナは,西側の兵器を導入する予定はないのですか?

 【回答】
 そのうち西側装備に移行する,かもしれない.

 現状で旧ソビエト系の装備をしている以上,EUに加盟したからといって急にドイツ製やらフランス製やらイギリス製やらの兵器に換えると,兵器体系が混乱する.
 整備のやり方から運用方法まで全部別のものになるし,これまでの兵器用の予備パーツのストックや生産体制が全部パァになるから.兵士の教育も一からやり直しになる.

 それはあまりにも無駄くさいから,兵器体系が移行するにしても,徐々にゆったりと,だろう.

 アメリカ製の戦闘機しか運用したことがない日本が,Su-27を運用できないように,兵器は系統が違うとマニュアルから予備パーツ,取り扱い方から何から何まで全部換えなければいけないので,急には変えられない.

軍事板

Su-27(ロシア製)に乗るユシチェンコ大統領



◆◆◆海軍

 【質問】
 ウクライナ海軍の持っているスラヴァ級4番艦「ウクライナ」について教えられたし.

 【回答】
 スラヴァ級4番艦「ウクライナ」は,現在は,ウクライナの所有となっております.
 元々の艦名は「アドミラル・フロータ・ロボフ」でした.

1984年起工,
1990年8月1日進水,
1993年3月18日,完成度75パーセントで工事中断.
1993年10月1日,本艦はウクライナに接収された.
1998年2月17日,本艦は,ウクライナ大統領の命により,「ウクライナ」と改名された.

 その後,ウクライナによって建造工事が再開され,2001年の就役が予定されていたが実現せず,今も尚,完成度95パーセントの最終艤装段階のままでニコラーエフ造船所の岸壁に係留されている.
(ただし,海外のサイトには,本艦は「2001年にウクライナ海軍に就役」と書かれているところも結構有るので,注意を要する)

 本艦をインドもしくは中国へ売却する話も出たが,いずれも実現せず,ロシア海軍も再び本艦の取得に意欲を示した事も有ったが,2005年以降は,関心を持たなくなった.
 2005年5月,ロシア国防省の海上兵器・軍事機材発注・納入局長アナトーリー・シュレモフ少将は,旧アドミラル・フロータ・ロボフについて,
「これは,構想に関しても,構造に関しても,前世紀1980年代の艦である」
と述べて,ウクライナからの購入の可能性を否定した.
 新型のステルスフリゲートの建造計画を進めているロシア海軍にとっては,今さら本艦を取得するメリットは無いと言える.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/30(土)午後5:18

 【関連リンク】
「六課」:スラヴァ級巡洋艦「ウクライナ」,2009年中に就役?
 はったりである可能性にベット


 【質問】
 ウクライナ海軍所属の旧ソ連艦艇を教えられたし.

 【回答】
 旧ソ連海軍黒海艦隊は,ソ連邦解体後,ロシアとウクライナで分割されました.
 そして,ウクライナが取得した旧ソ連黒海艦隊所属艦で新たに「ウクライナ海軍(ВМС)」が創られる事になりました.

 「ウクライナ海軍」自体は,1992年に創設されましたが,旧ソ連黒海艦隊帰属問題が解決を見たのは1997年5月の事であり,この時,ウクライナに対し,黒海艦隊所属艦艇が正式に引き渡されました.

 そして現在,ウクライナ海軍に在籍している主要艦艇は,以下の通りです.

<警備艦(フリゲート)>
U130「ヘトマン・サハイダチヌィ」(1993年就役)
U132「セヴァストポリ」(旧ラジテルヌイ,1974年就役)
U133「ミコライフ」(旧ベズコリズネンヌイ,1977年就役)
U134「ドニプロペトロヴスク」(旧ベザヴェトニィ,1973年就役)

<コルベット>
U200「ルツスク」(1993年就役)
U206「ヴィニツィヤ」
U208「メリィニィチェキィ」
U209「テルノーピリ」

<潜水艦>
U01「ザポリジュジャ」(旧B-435,1970年就役)

<ミサイル艇>
U153「プリィリウキィ」
U154「カホーヴカ」
U155「プリドネプロヴィイェ」
U156「クレメンチュク」

<揚陸艦艇>
大型揚陸艦U400「ロヴノ」(旧イリヤ・アザロフ,1971就役)
大型揚陸艦U402「コンスタンチン・オルシャンスキィ」(1985年就役)
中型揚陸艦U401「キロヴォグラード」(旧SDK-137,1971就役)
エアクッション揚陸艦U420「ドネツク」(旧MDK-57,1988年就役)
エアクッション揚陸艦U422「クラマトルスィク」(旧MDK-7)
エアクッション揚陸艦U423「ゴルリヴカ」(旧MDK-93,1991年就役)
エアクッション揚陸艦U424「アルテミヴスィク」(旧MDK-123,1990年就役)

<その他の艦艇>
指揮艦U510「スラヴートィチ」(1992年就役)
巡洋艦「ウクライナ」(未完成)

 警備艦(フリゲート)は,旧ソ連からの取得艦で構成されておりますが,U130は1993年に新造状態で入手,残り3隻は,1997年の黒海艦隊分割協定によってウクライナに引き渡された中古艦です.
 全て旧ソ連海軍の1135(クリヴァク型)シリーズですが,U133,U134は1135原型(クリヴァクI型)U132は1135M(クリヴァクII型),U130は1135.1(クリヴァクIII型)となっており,兵装は一部異なります.

 写真を見る限り,稼動状態に有ると思われるのはU130とU133のみです.
 U134に至っては長期間放置されているらしく,船体が赤錆びています.

 唯一の潜水艦「ザポリジュジャ」は,旧ソ連海軍の641(フォックストロット)型潜水艦B-435として1970年6月に就役し,1995年には活動を停止しました.
 その後,1997年にウクライナに引渡されましたが,艦の状態は悪く,長期にわたって修理が行われているものの,未だに行動可能状態に復していません.

 コルベットは,U200がソ連邦解体後の新規建造艦ですが,他は旧ソ連海軍の中古艦です.

 ミサイル艇も,全て旧ソ連の中古です.

 揚陸艦は,全て旧ソ連海軍の艦艇を取得したものですが,注目されるのは,4隻のエアクッション揚陸艦を保有している点でしょう.
 U401は写真を見る限り,稼動状態には無いようです.

 指揮艦U510「スラヴートィチ」は,ソ連海軍向けの偵察艦として建造が進められていたものを,ソ連邦解体後にウクライナが接収して工事を続行,竣工させた艦で,ウクライナ海軍の旗艦となっております.

 ウクライナ海軍の悩みは,旧ソ連黒海艦隊から引き継いだ艦艇の老朽化が進んでいる事ですが,他の旧ワルシャワ条約機構加盟国,例えばポーランドやルーマニアなどのように,西側の艦艇を導入するわけにも行かず,かと言って,自国では建造出来ず(造船所は有っても,自力で艦艇を設計する能力は無い),ロシアから導入する具体的な動きも有りません.

 現在,ニコラエフ造船所には,資金難の為,完成度95パーセントで工事がストップしているミサイル巡洋艦「ウクライナ」が有りますが,無い袖を振ってこの艦を完成させるくらいしか,ウクライナ海軍の戦力強化策は無さそうです.

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/30(土)午後8:18


 【質問】
 ウクライナ海軍の1135(クリヴァク)型フリゲートの現況を教えられたし.

 【回答】
・U130「ヘトマン・サハイダチヌィ」(1993年就役):2007年1月よりニコラーエフ市でオーバーホール

・U132「セヴァストポリ」(旧ラジテルヌイ,1974年就役):2005年除籍,スクラップとしてトルコに売却,2006年7月6日,トルコに曳航

・U133「ミコライフ」(旧ベズコリズネンヌイ,1973年就役):2001年除籍

・U134「ドニプロペトロヴスク」(旧ベズザヴェトニィ,1977年就役):2004年除籍,2005年3月26日,セヴァストポリ沖で海没処分

・・・・というわけで,現在,ウクライナ海軍には行動可能なフリゲートは1隻も有りません・・・・

 フリゲート以外では,未完の巡洋艦ウクライナは売りに出され,潜水艦ザポリージュジャもウクライナ海軍への就役は断念・・・

 ウクライナ海軍に明日は有るのか・・・・?
(・・・・・たぶん無い)




Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/9(月) 午後 7:34


 【質問】
 フリゲート「ヘトマン・サハイダチヌィ」について教えられたし.

 【回答】
 ウクライナ海軍の11351(クリヴァクIII)型フリゲートU130「ヘトマン・サハイダチヌィ」は,1993年に新造状態で〔旧ソ連から〕入手.

 同艦は2007年1月よりニコラーエフ市でオーバーホールされていましたが,このほど修理を終え,2007年11月18日,母港であるセヴァストポリへ帰港しました.

 写真は,セヴァストポリの入り口を通過する「ヘトマン・サハイダチヌィ」です.

 クリヴァクIII型フリゲートはロシアも保有していますが,こちらは海軍では無く国境警備庁所属なので,本艦は「海軍」で運用されている唯一のクリヴァクIII型になります.

 まあもっとも,海軍艦艇として見れば,搭載ミサイル兵器は短距離対空ミサイルだけであり,対艦ミサイルも対潜ミサイルも無いクリヴァクIII型は,『ウィキペディア(Wikipedia)』の「11351型国境警備艦」で書かれているような「バランスの取れた万能艦」とは言えないが(^^;

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/20(火) 午後 8:59

2006/12/30(土)午後8:18(後者:青文字部分)

▼ 11351型は,ロシアも保有しており,極東方面に配属されていますが,国境警備庁に所属し,カムチャツカ半島周辺でしか活動していない為,西側の目に触れる事はありません.
(http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/18314784.html参照)

 しかし,ウクライナ海軍の「ヘトマン・サハイダチヌィ」は,度々外国を訪れており,外国の目に触れる機会は,ロシア国境警備庁所属の「姉妹艦」に比べ,遥かに多くなっております.

 本型のベースとなったプロジェクト1135M(クリヴァクII型)では,艦前部には「メチェーリ」対潜ミサイル発射機1基,オーサM短距離対空ミサイル発射機1基,RBU-6000ロケット爆雷発射機2基が搭載されていますが,11351型では,対潜ミサイル発射機が撤去され,代わりに100mm単装砲1基が搭載されています.
 〔略〕

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/22(木) 午後 7:57

 本型のベースとなったプロジェクト1135M(クリヴァクII型)では,艦後部にオーサM短距離対空ミサイル発射機1基と100mm単装砲2基が搭載されていますが,11351型では,これらは撤去され,代わりにヘリコプター格納庫とヘリ発着甲板が設置され,格納庫上部両脇には,30mmガトリング砲が装備されています.

 一見すると,原型よりもバランスが取れた「万能艦」に見える11351型ですが,搭載ミサイル兵器は,短距離対空ミサイル(短SAM)だけであり,対艦ミサイル(SSM)も対潜ミサイル(SUM)も無い本型は,「万能艦」とは呼べないでしょう.

 〔略〕

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/22(木) 午後 7:58

1枚目:11月18日8時39分撮影


2枚目:11月18日8時40分撮影


3枚目:11月18日8時41分撮影

Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/11/20(火) 午後 8:59

2006/12/30(土)午後8:18(後者:青文字部分)

 【関連リンク】

ウクライナ海軍フリゲート「ヘトマン・サハイダチヌィ」近影(2008年4月15日)


 【質問】
 潜水艦「ザポリージュジャ」について教えられたし.

 【回答】
 「ザポリージュジャ」は,元々は旧ソ連海軍の641型(フォックストロット)潜水艦B-435でしたが,ウクライナへ譲渡され,1997年8月1日,U01「ザポリージュジャ」Запорiжжяと改名されました.

 しかし,稼働状態に復する事は有りませんでした.

 写真(1枚目では右上に,2枚目では右下に写っている)を見ると,いちおう修理中のようですが・・・・
 ※大容量画像につき,転載元のブログで閲覧されたし.

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/4/30(水) 午後 8:49

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 揚陸艦「コンスタンチン・オリシャンスキー」について教えられたし.

 【回答】
 ウクライナ海軍揚陸艦「コンスタンチン・オリシャンスキー」は,旧ソ連海軍のプロジェクト775(ロプーチャI型)揚陸艦BDK-56として1985年に就役.

 ソヴィエト連邦解体後,ウクライナへ譲渡され,「コンスタンチン・オリシャンスキー」と改名されました.

 ウクライナ海軍の揚陸艦の中では,最も活発に動いていた艦で,何度も外国を訪問していました.

 写真は,2008年4月16日にセヴァストーポリで撮影されたものです.
 ・・・・・放置状態のようです・・・・・

 ・・・・ウクライナ海軍,終わったな・・・・


Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/4/26(土) 午後 6:17

 そもそも「始まって」もいないという説.


◆◆戦史


 【質問】
 ザポロージェ・コサックの起源は?

 【回答】
 酒井裕によれば,ドン・コサック誕生とほぼ同じ時代,リトアニアやポーランドの圧政を逃れた人々が,ドニエプル川の早瀬のかなたに独自の社会を形成したのが始まり.
 ザポロージェとは,「早瀬の向こう側」という意味.
 彼らはチャイカ(カモメ)と呼ばれる軽敏な小舟で,ドニエプル川を下り,アゾフ海から黒海を越えて,対岸のオスマン帝国の港町を襲ったという.

 詳しくは『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.44-45を参照されたし.


 【質問】
 16世紀後半,ウクライナの辺境やステップに住むコサックの役割を評価したポーランド王ステファン・バトーリが,同地のコサックに課した制度で,彼らの一部について特別な名簿に書き込ませることにし,彼らを戦士として働かせる代わり,免税特権,給金,武器や封建的義務からの自由を与えることで,彼らを取り込もうとした制度の名前は?

 【回答】
 登録コサック制.


 【質問】
 登録されなかったコサックに対する処遇は?

 【回答】
 阿部重雄によれば,非登録コサックのほうが多数だったが,彼らにはいかなる権利も認められなかったという.
 いろいろな理由をつけられて税金を搾り取られ,死ぬと財産を没収されたという.
 また,正当な理由もなく投獄されることも稀ではなかったと言う.

 詳しくは『コサック』(阿部重雄著,教育社新書,1981.5),p.177を参照されたし.


 【質問】
 登録コサックの数を6000人に制限し,それ以外は
「領主のところでカエレ! そして服従しろ!」
と定めたポーランド政府に対し,1629に起きたコサック蜂起で,登録コサックの数を8000人に増やすことに成功したものの,蜂起鎮圧後はまた6000人に戻されたばかりか,登録コサックに与えられていた特権も剥奪されることになった,その蜂起の名前は?

 【回答】
 タラース・フェドローヴィチの蜂起.


 【質問】
 1648年から始まった,ウクライナのコサックや農民による統治者ポーランド王室への大規模な反乱で,何度かの休止期間を挟み,周辺国も巻き込みながら延々と86年まで続いたため,ポーランドの衰退を招いたものの,ウクライナも独立を達成できず,結局はロシアに併合されることになった農民戦争の名前は何?

 【回答】
 フメルニツキイの乱.

おおよそ当時のポーランド軍


 【質問】
 フメルニツキイとは?

 【回答】
 ▼酒井裕によれば,ボグダン・ジノヴィー・フメルニツキイは,17世紀のザポロージェ・コサックの指導者.
 1595年,キエフ南東,チギリン生まれ.
 父ミハイルは,裕福な登録コサックで,ポーランド士族の身分を持ち,僅かながらも領地も持っていた.
 キエフとリヴォフのイェズス会士の教会学校カレッジで,ラテン語とポーランド語を学ぶ.
 また,フランス語やトルコ語にも通じ,古典物語,周辺諸国の歴史,乗馬,操銃術,剣術も心得る.
 若い頃,一再ならず海上遠征に参加.
 1620年,トルコの捕虜に.
 1622年,身請けされて帰郷.
 登録コサックの部隊本部事務局に勤めて給金を貰い,地方のこまごまとした仕事を処理.
 1637年の反ポーランド蜂起には,あまり深入りしていなかったが,蜂起鎮圧後,チギリン部隊の百人隊長に左遷.
 1647年,騎士の一団の暴行に抗議した,当時10歳の彼の息子が,彼らに撲殺さる.
 1648年,ウクライナとポーランドとの戦争において,彼は全コサックを率いて参戦.ウクライナを支配するポーランドに対して蜂起.▲
 勇敢なコサック軍の活躍により,しばらくはウクライナ優勢で戦況が進むが,1650年のベレステチコの決戦で敗北.
 フメルニツキイはロシアに援軍を求めるが,それはロシアのウクライナ進出を許すことになってしまい,1667年,ウクライナはドニエプル側を境に,東をロシアに,西をポーランドに分割されてしまったという.

 【参考文献】
『コサック』(阿部重雄著,教育社新書,1981.5),p.182-183
『コサックの旅路』(酒井裕著,朝日新聞社,1994.12),p.47

フメルニツキイ


 【質問】
 フメルニツキイの乱の前には,どのような反乱がウクライナで発生していたのか?

 【回答】
 コシンスキイの蜂起(1591〜93)やナリヴァイコの蜂起(1594〜96)など,しばしばコサック蜂起が発生している.
 どちらも一時は高揚を見せるが,結局は敗北してコサックや,それに荷担した農民は打撃を受けたという.
 一方,ウクライナやベラルーシの領主達は,蜂起鎮圧のためにもますますポーランド領主側に接近するようになったという.

 詳しくは『コサック』(阿部重雄著,教育社新書,1981.5),p.177を参照されたし.


 【質問】
 16〜17世紀,なぜウクライナのコサックや農民はしばしば反乱を起こしたのか?

 【回答】
 阿部重雄によれば,農奴制的抑圧と,宗教・言語などの「ポーランド化」が原因だという.
 その頃ポーランドでは商品流通・貨幣経済が飛躍的発展を遂げており,領主達は贅沢の味を覚えた.
 そしてその生活費を捻出するために,「再版農奴制」を敷いて農民からの収奪を強化.
 そのため農民の中には反乱を起こしたり,辺境ステップへ逃亡してコサックに合流する者が相次いだという.

 また,ルブリン合同後,ウクライナでは領主達が次々にカトリックへ改宗.
 教会ではカトリックと正教との合同を行う「合同教会派」と,正教会派とが争いを始めていたという.
 
 詳しくは『コサック』(阿部重雄著,教育社新書,1981.5),p.171-175を参照されたし.


 【質問】
 1569年,ポーランド王ジグムント2世アウグストによってルブリン市において召集されたリトアニア・ポーランド両国の議会が決定した,両国を統合された複合国家共同体とする合同規約で,ポーランドの東方進出への意思と,ロシアとの戦いを続けるため,ポーランドとの一層の緊密な連携を図ろうとするリトアニアとの利害一致の産物である,この合同の名前は?

 【回答】
 ルブリン合同.

 詳しくは『コサック』(阿部重雄著,教育社新書,1981.5),p.171-172を参照されたし.


 【質問】
 ウクライナ・クーデター未遂事件とは?

 【回答】
 2000/9/22,SBUによって摘発されたもので,犯人グループは重要拠点破壊,武器弾薬庫占拠,武装蜂起などを計画していたとされる.
 背後関係などは不明.あまり実効性が感じられないところから,ただの未熟な過激組織のようにも見えるが.

 以下引用.

 【モスクワ22日=花田吉雄】露インターファクス通信によると,ウクライナの治安当局(SBU)は二十二日,同国内でクーデター計画を未然に摘発,犯行グループを身柄拘束したと発表した.
 発表によると,同グループはチェルノブイリ原子力発電所,キエフ人造湖ダム,ガス・パイプラインなど国内の重要拠点の破壊工作の準備を進めていたほか,ウクライナ軍の武器弾薬庫の占拠と武装蜂起などを計画していたとされる.
 捜査当局は,武装蜂起を呼びかけるげき文や地図,作戦計画書,その他の関係書類を押収した.
 ただ,犯行グループは国内の三地方の出身者であること以外,人数や犯行目的,計画の進行状況などは明らかにされていない.

読売新聞,2000/9/22


 【質問】
 なぜウクライナは独立直後の西欧接近路線をやめ,2000年頃からロシアへ再接近したのか?

 【回答】
 江頭寛によれば,クチマ大統領サイドによるネット・ジャーナリスト,ゲオルギイ・ゴンガーゼ暗殺疑惑に始まって様々なスキャンダルが噴出,このときにクチマを支援する動きをプーチン大統領が見せたため,ウクライナのロシア再接近に繋がった.
 その背景にはクチマと政府との対立構造があった.
 当時の首相ヴィクトル・ユシチェンコは,2000年秋には政策成功で国民の人気が上がり,クチマにとっては捨てては置けない存在となった.
 副首相ユリヤ・チモシェンコは燃料エネルギー部門の急激な改革を策し,タラシューク外相はウクライナの大目標,西側の支持取り付けに成功していた.
 これらはクチマ周辺の利権を大きく脅かすものだった.

 詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.158-162を参照されたし.

 この問題は後にユシチェンコ暗殺未遂にまで発展,結局クチマ側は選挙に敗れ,ユシチェンコ政権の下で再び西欧接近路線に回帰することになる.

プーチンとユシチェンコ(左)


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