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◆◆軍事組織
<◆おフランスざんす
欧州FAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「Blogs of War」◆(2013/05/06) French Missile Launch Fail: France's M51 Ballistics Rocket Destroys Itself In Test - Huffington Post
「VOR」◆(2013/05/05) フランス 大陸間弾道ミサイルの実験に失敗

「Defense News」◆ (2012/09/28)DCNS, STX France Bid on French Supply Vessel Program

「Defense News」◆(2012/09/28)French Put Extra Funds Into Support, Ops, in Stable 2013 Budget

「Defense News」◆(2012/11/01)Interview: Adm. Bernard Rogel
 フランス海軍参謀長へのインタビュー

「Military Technology」◆(2013/05/23) Rafael de Gongora Appointed Head of SENER’s Marine Engineering Strategic Business Unit

「Strategy Page」◆(2013/05/18) WARPLANES: Rafale Fades Some More

「時事」◆(2013/04/30) 仏軍,文民含め28万5千人から8.4%削減へ=19年までに-5年ぶり国防白書
(キャッシュ)

蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2◆(2013/05/10) サンダーバード1号はフランス製?
> マトラ社の迎撃戦闘機案、R-130です

「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/6/8) ロシア海軍は黒海へ入ったフランス海軍のフリゲートを監視する

「ワレYouTube発見セリ」:AMX-30B2 MBT

「ワレYouTube発見セリ」:CDG French Nuclear Aircraft Carrier - Mission Heracles

「ワレYouTube発見セリ」:French army & Special Forces.

「ワレYouTube発見セリ」:French Navy

「ワレYouTube発見セリ」:Frecce Tricolori

「ワレYouTube発見セリ」:Leclerc France MBT at Tank Show!

「ワレYouTube発見セリ」:Patrouille De France(フランス空軍アクロバットチーム,パトルイユ・ド・フランス)

●書籍

『Chemins de fer militaires a voie de 60』

 1880年代から1930-40のマジノ線地下鉄まで,フランス狭軌軍事鉄道についての本.
 フルカラー.写真,図版,諸元多数.
 一次戦を鉄道の面から俯瞰するのに良い本.
 どっかで見つけたら即買いレベル.

――――――軍事板,2010/05/20(木)

『外人部隊125の真実 戦士たちの知られざる世界』(合田洋樹著,並木書房,2016.3)

 合田さんの新刊本は,予想している以上にボリュームがありますよ.
 コンテンツが豊富なことが最大の理由ですが,もうひとつ,理由があります.
 きのうのメルマガで合田さんもおっしゃってましたが,写真がものすごく多いんです.
 想像を超える量です.
 それも,合田さんご自身が撮影されたものですから,アングルが一般の本と全く違います.
 冒頭のカラー写真だけで8ページもあります.
 日本人兵の姿もたくさん掲載されていますし,訓練中の一コマもあります.
 わが国では殆ど見かけることのない,フランス軍の将軍のお名前や姿もわかります.
 写真に接することができるだけでも,この本を手にする価値はあると思います.

 外人部隊を伝える本としては誠に異色です.
 この本を手に取ることで,等身大の外人部隊,外人部隊兵,外人部隊の日本人兵のことがわかる一冊です.
 軍務に関心がない人にとっても,外人部隊というライフスタイルとはどういうものか?が実によく伝わる作品です.

 メルマガを発行して16年.
 これまでいろいろな軍事関連本を読んできました.
 そのなかでも,この本ほど,維新的で新鮮な印象を受けたものは記憶にありません.
 これまでの外人部隊本が,あまりにステロタイプだったせいなのでしょうか・・・

 第一章は,外人部隊入隊前の心構え・準備について書かれています.
 ひとことでいえば「かゆいところに手が届く」内容で,ここに書かれていることをすべてクリアしておけば,外人部隊兵というライフスタイルの第一歩を踏み出せる内容となっています.
 合田さんをはじめ,さまざまな先輩が外人部隊に入り,いろいろなものを見,いろいろな経験をする中で,後輩たちに残したエキスといえましょう.
 はぐくんだ歴史を伝承する内容です.
 何一つ無駄なところがありません.

 [中略]

 第二章は,外人部隊の歴史と部隊に関する解説,入隊後の生活,注意すべきことについて触れられています.
 現在外人部隊とよばれるのは,1個准旅団,8個連隊,1個分遣隊,1個徴募隊だそうです.
 各部隊の詳細をわきまえておくだけでも,今後外人部隊について話すときに違いが出ることでしょう.
 いずれもフランス正規軍隷下に置かれており,傭兵部隊ではありません.

 いかに新兵訓練を乗り切るか?
 基礎教育の概要
 バカにされたらどうするか?
など,入隊から部隊生活になじむまでの間に直面するであろういろいろな壁.
 それらをクリアするための経験者ならではの活きたコツを,具体的に惜しみなく伝えています.
 麻薬は絶対ダメ,などの「べからず帖」もあります

 パリ事件以降,兵員削減の流れが変わった,とか,ネパール人志願者が増えた,など,ビビッドな話題にも敏感です.

 嬉しいのは,フランスの将軍について触れている点です.
 フランス軍はわが国ではほんとうに身近ではありません.
 ピュガ陸軍大将のこともこの本で初めて知りました.

 余談.
 核武装国家フランスは,生命線といえるウランをどこで採掘していると思いますか?
 答えは,本著114ページをご覧ください.

 無責任な部隊兵が増えた理由,という観点も非常に新鮮です.
 日本もフランスも同じような問題を抱えてるなあと思います.

 外人部隊と女性に関する話題も3項目あります.
 フランスらしいなと思います.
 参考になるとともに楽しいですね!

 第三章は,日本人部隊兵に関する内容が主です,
 186~190ページには「脱走」に関する一文があるのですが,正直すごく意外な内容です.
 なぜ意外と感じたのか?
 自分の中に「外人部隊」「軍隊」に対するぬぐいがたい固定観念が残っている,ということですね.

 その他,「意外」を思わせる記述満載で,すごく面白いです.
 著者が力を入れて書いたことがよく伝わってきます.
 外人部隊では,戦技や体力より優先しなければいけないことがあるんですよね.
 あまりに当たり前のことなのですが,見えていない人が多いようです.
 本著にはその答えがズバリ書かれています.

 また,昨今入隊する日本人の質が落ちてきたとの指摘があります.
 国内企業や各組織でも同様の思いを持つ人は多いはずです.
 平均値の高さが最大の武器であった日本人の平均値が落ちてきた感を私も持ちます.
 欧米型の「一部のエリートと多数の愚人」というスタイルに向かっているようで正直不安です.
 日本人として真の誇りを育むためにも,外人部隊での生活,という選択肢はありだなと正直思います.

 なおここでは,合田さんが勤務された警務課や郵便係の仕事についても触れられています.

 第四章では,現役中に身につけておいた方がいい外人部隊というライフスタイルのキモを伝えています.
 本著の核心となる部分で,他に例を見ないアドバイスです.
 どういう特技課程を選ぶと除隊後有利か?,
休暇をどう使うか?,
家族が病気になって一時帰国しなければいけないときはどうするか?
国民年金は納めるべきか?
ファイナンシャルプランをどう立てるか?
保険金支払いの手続きはどうするか?
などなど,具体的なアドバイスや案内が満載です.

 最後にある「恩給」制度は,合田さんもおっしゃる通り,自衛隊も採用する必要があると思います.
 現役の士気も上がりますしね.
 そのためにも防衛予算大幅増額は不可欠ですね.

 第五章(最終章)は,除隊後の人生について書かれています.
 最重要書類「セーベーセー」に関する解説.
 大切ですね.
 ここで合田さんは除隊者に「ある提案」をしています.
 外人部隊出身者ならではのビジネスです.
 まあ,この提案を読むだけでも本著を手に取る価値はありますね.
 なかでも,有能な国際ビジネスマンなら絶対に見過ごすことのできない提案ですからね.

 自衛隊退官者についても同様のことを思いますが,外人部隊出身者の退役後のつながりも強いようですね.
 入隊したら,死ぬまで部隊が面倒を見てくれる.
 こういう組織でないと,パフォーマンスの高い能力は発揮できないでしょうね.
 現在も外人部隊で活躍している方々,合田さんのように退役された方々が,日本という祖国で活躍できるキチンとした職場ができればいいのにな,と強く思います.

 ライフスタイルとしての外人部隊を提案する書.
 それがこの本です.

------------エンリケ,「おきらく軍事研究会」,2016.2.27

『フランス外人部隊』(デイヴィッド・ジョーダン著,原書房,2008.6)

『フランス外人部隊の全て』(古是三春・ビトウマモル著,イカロス出版,2009.9)


 【質問】
 国家憲兵隊って何?

 【回答】

 200年以上前からフランス,プロイセンでは,警察機構は軍事組織に近く,現在でもフランス国家地方警察機関と機動警備警察であるGendarmerie nationale ジャンダルムリ・ナチオナーレは陸,海,空軍と並ぶ国防省の第四の軍です.

 編成,装備,人事などの管理と有事の作戦運用は国防省が,
平時の部隊運用は内務省が,
犯罪捜査については司法省が,
それぞれ指揮を執ります.

 編成は,地域に分駐隊を置く「県ジャンダルムリ」と,固定した管轄地域を持たない「機動ジャンダルムリ」に大別されます.
 「県ジャンダルムリ」は,平時は県知事(フランスの県知事は選挙でなく内務省から選ばれる官製知事)の指揮下で,通常の警察業務を担当します.

 対暴動の機動隊も,ジャンダルムリの中に編成されています.
 機動隊のうち1個中隊は,パラシュートで降下可能な空挺機動隊です.
 他には沿岸警備隊の巡視船部隊やパトカー部隊,騎馬警官もジャンダルムリの中で編成されています.
 フランスのGendarmeの公式サイトにも書かれていますが,道路信号の管制業務も行なうし,交通違反者への講習会なども開
 交通取締も主要業務.
 交通機動隊や自動車警ら隊のパトカーも持っています.
 そういう軍事組織なのです.

 さらに,現在のジャンダルムリには,フランス共和国の近衛部隊である共和国大統領親衛隊(ギャルド・レピュブリケ-ヌ)が存在します.
 共和国大統領親衛隊は,1個の歩兵連隊と2個の騎兵連隊で構成されています.
 また,大統領親衛隊軍楽隊は,隊員の殆どがパリ音楽院の卒業生のトップ・クラスで,世界で一番演奏技術の高い軍楽隊ということで有名です.

軍事板,2003/04/19 & 05/12
青文字:加筆改修部分

 元々はジャンダルム[Gendarmes]という言語は,重装騎兵 [Carabiniers]がその源です.
 ナポレオンの時に近衛部隊に,Gendarmerie d'Elite騎兵大隊(ジャンダルムリ大隊)が創設され,これがナポレオンが執務する庁舎などの警備を担当するようになりました.
 また,ナポレオンが遠征したときは,皇帝自身の護衛,連絡線の確保が任務になりました.
(だから,今でもフランス大統領官邸(エリゼ宮)などの警備は,フランス国家憲兵隊の親衛隊の任務になっています.)

 ジャンダルムリ大隊は警護任務以外に,一般の憲兵の仕事を援助したり,徴兵拒否者の逮捕も行うようになりました.
 また,当時は地方や国境地帯は,野営能力のある軍隊でないと警察活動が行えなかったので,軍隊が地方の警察活動を行うようになりました.
 これが準軍事的組織の国家憲兵隊になっていきました.

 ただ,軍隊内の規律維持などの任務は,本来の陸軍憲兵が主として行っていますので,ジャンダルムリはその割合は少ないです.
 現在,仏ジャンダルムリの活動の50%は行政警察活動,40%は犯罪捜査活動だそうですから,業務内容の殆どは警察活動です.

元留学生 in 軍事板,2003/05/02
青文字:加筆改修部分

 ちなみに,アメリカの州政府法執行機関も,成り立ちは似てます.
 テキサス・レンジャーとかね.
 アレも元は準軍隊だったのが,後に警察組織になりました.

軍事板,2003/04/20
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランスの憲兵と警察の管轄領域について教えて頂きたい.

 【回答】
 フランスの憲兵ってのは田舎の警察を兼ねてる.
 だから,都会では警察官が出てくるところに田舎だと憲兵が出てくる.
 交通違反とかも憲兵が取り締まる.
 要するに人口1万人以下とかの田舎が憲兵の縄張りで,都会は警察の縄張りってことだけど,暴動なんかになると憲兵の機動隊が動員されることもあるってところかな.

 あと,本業だから当然だけど,軍隊内の警察業務は地域を問わず憲兵の仕事ね.

世界史板

▼ フランスの警察機構は,都市部を管轄するいわゆる警察(Police)と,それ以外を管轄する憲兵隊(Gendarmerie)の二重構造からなっています.
 パリ市内を舞台とした映画に登場するのは,前者に属する制服警官(agent de police)と私服警官(inspecteur)です.
 交通取り締まりを主におこなう婦人警官は,パリ警視庁所属の補助警官(auxiliaire)ですが,20区ごとにある警察署(Commissariat d'arrondissement)に配属されています.
 彼女たちはその制服の色からかっては「茄子(aubergine)」とあだ名されていましたが,制服の色が変わってからは「ツルニチニチソウ(pervenche)」に変わりました.
 土が見えないパリの路上にも,奇妙な植物が生息しているわけです.

 一方,田園風景の中,オートバイに乗ってさっそうと登場するのが憲兵(gendarme)です.
 イギリスはバッキンガム宮殿の衛兵ほど派手ではありませんが,同じような役割を持つ共和国大統領衛兵隊(Garde Republicaine)も憲兵隊に属します.
 だからフランスの人たちはgendarmeというと,日本語で表現すれば,「国家地方警察軍」.
 こんなイメージでしょうか.
 日本語の「憲兵隊」というイメージは無いです.

元留学生 in 軍事板,2003/04/30
青文字:加筆改修部分

▼ 憲兵も刑事警察業務では,司法大臣――被疑者が軍人のときは国防大臣の場合あり――の管轄下で,予審判事・検事の捜査指揮を受けます.

 また憲兵の身分は軍人です.
 軍事作戦行動では,直接大統領に責任を負っています.
 その関係で,体裁の上では国防省の管轄になります.

(内閣の監督下にある内務省と,大統領府の監督下にある国防省は,犬猿ではないにせよ,それなりの緊張関係にあります.
 体裁上,国防省は憲兵隊の管轄権を手放してはいません.)

 とはいえ(警備公安を含む)行政警察業務については,内務省の管轄下にあり,非軍事的な装備など大半の経費は内務省予算でまかなわれています.
 予算を握っているのは内務省ということです.

 つまり憲兵は
所属は国防省
犯罪捜査は司法省
統帥は大統領
実質的な組織の管理運営は内務省・県
といった具合です.

 複雑なんですが,土壇場で憲兵が内閣の私兵・手駒にならないよう配慮しているところが,この制度ミソです.

 土壇場が多い国ですので・・・・

軍事板,2000/10/10(火)

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 国家憲兵の装備ってどんなもの?
 機動隊並?
 それともアメリカの州兵みたいなフル武装?

 【回答】
 いわゆる警察並みの装備.
 但し制服と階級は軍隊式.
 また,有事の際のために,軍事組織としての装備も保有しているらしい.
 さらに,幾つかの国家憲兵特殊部隊が存在し,これは対テロ特殊部隊としての装備を持っている.

軍事板

▼ 暴動鎮圧部隊は装甲車なども保有していて,例えば日本の機動隊よりかなり重武装です.
 またパトロール艇なども保有し,沿岸警備隊の役割も果たしています.
 また,レスキューや国家の重要施設警備・儀仗もするなど,多彩な任務を持つ部隊です.

 これは公式サイトのギャラリーのページなんですが
「La gendarmerie en images」

このリンク先を見てみるとイメージが湧くかな,と思います.

軍事板


 【質問】
 おフランスの特殊部隊GIGNは357マグナムのマニューリンなんかを使っているけど,大丈夫ざますか?

 【回答】
 統計上,要人警護においてはおいては最初の3~4発程度で勝負が付いているので,それだったら排莢不良の危険のないリボルバの方が確実だと結論付られたためらしいです.
(いつの号か忘れたけど,Gun誌に書いてあった)

SIG in 軍事板


 【質問】
 GIGNと第2REPの役割分担が,よく分からん.

 【回答】
 GIGNは国歌憲兵隊のCT部隊.
 第2REP(第2外人落下傘連隊)は,外人部隊の精鋭.
 役割分担もクソも無いが?
 繋がりとしては,76年のシブチでの人質事件の際に,連隊の選抜隊がGIGNを支援したくらいか.

熊男 ◆f3i1ZVfXIQ : 軍事板,2003/04/29
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 COSとは?

 【回答】
 フランス軍特殊作戦軍 Commandement des Operations Speciales の略称.
 1975年に独立したコモロにおいて,独立後も政情不安が続いていたため,その治安維持のため,フランス政府は1992年に1er PRIM(陸軍第1空挺連隊)を派遣.
 同連隊が現地で活動するに当たり,作戦遂行上,派兵などを統括する組織の必要性を認めた同政府は,陸海空の特殊部隊を統合するGCOS(総司令部)を創設.
 そして同年6月,GCOS設立を提唱したモーリス・ルパージュ陸軍中将が司令官となって誕生したのがCOSである.
 COSは,アフリカを中心に,国外での治安維持活動に従事.ボスニア内戦にも派遣された.

 COSは国防省の下,陸海空軍と外人部隊,国家警察,国家憲兵隊などの特殊部隊を指揮下に置き,CEMA(参謀総長)の指令でのみ動く.総員1500名.
 海外派兵から大統領警護まで,あらゆる任務を担う.

 以上,ソースは「世界の特殊部隊」(宝島社,2005/3/1),p.30-31.
 ただし,迂闊に信用していいソースではなさそうなので,複数文献と比較検討されたし.


 【質問】
 EPIGNって何?

 【回答】
 EPIGNはフランス国家憲兵隊機動隊空挺部隊です.
(Escadron Parachutiste d'Intervention de la Gendarmerie Nationale)
 フランスでは,暴動鎮圧部隊である機動隊は,国家憲兵隊の中に編成されていますが,そのうちの1個中隊(4個小隊)がパラシュート降下が可能な空挺機動隊中隊になっています.
 HAHO/HALOをこなし,GIGNの支援や,空挺降下しての野外でのテロ犯捜索活動などを実施しています.
 日本の警視庁第7機動隊などにレンジャー部隊または数個の機動隊に存在している銃器対策部隊は,ヘリからのリペリング降下が可能ですが,彼らにさらにパラシュート降下(自由降下も含む)の技術を身につけさせたような存在です.

軍事板,2003/04/15
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランス外人部隊なのですが,もし外人隊員の出身国とフランスが戦争になった場合,その隊員はどうなるのでしょうか?
 たとえば,湾岸戦争のときイラク人の隊員がいたとしたら,どうなっていたのだろうかと思います.
 隊員出身国とフランスとの戦いはありうることだし,重大な問題なので,契約書に明記してあると思うのですが,どんなもんでしょうか?
(フランスの外人部隊本部でお留守番とか?)

 【回答】
 フランス外人部隊は,入隊すると新しい名前と国籍が与えられます.
 入隊するとき,身分証の類はいっさい求められないそうです.
 そんな訳で外人部隊に入ると,祖国フランスに身も心も捧げなければなりません.
 契約の具体的内容は知りませんが,そもそも志願者には苦労してないので,それができないヤツは入隊基準で落とされます.
 ちなみに外人部隊のモットーは,「Legio Patria Nostra(外人部隊こそ我らが故郷)」

 あと,勘違いしている人が多いんですが,フランス外人部隊というのは大戦争の最前線に投入される精鋭部隊ではなく,あくまで紛争地帯の治安維持等を主任務にする,安上がり部隊だと言う事もお忘れ無く.

軍事板,2003/02/17
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カレー要塞について教えてください.

 【回答】
 もともとはケルト人集落で,10世紀頃迄はただの漁村だったが,997年にフランドル伯がここに要塞を建設した.
 1224年に要塞は増築されている.
 1346年にエドワード三世は,ここを手に入れるのに,のべ千隻近くに及ぶ艦艇と一年の年月を費やした.
 その甲斐あって,百年戦争中はイギリス軍の作戦基地として,戦中戦後を通してイギリスの羊毛貿易の基地として発展した.
 イギリス統治下,カレーには最大で千名にも及んだ,イギリス唯一の常備軍が配置されていた.
 当初は羊毛貿易にかける関税で黒字だったのだが,羊毛が売れなくなってくると,守備隊の維持費は,当時のイギリス王室支出の最大で半分から1/4にあたる額になってしまい,給料の滞納や踏み倒しが相次ぎ,幾度となく守備隊の反乱騒ぎにまで発展した.
 カレー防衛のためなら仕方がないと,カレーの羊毛商人達は王室に莫大な貸し付けを行っていたのだが,貸し付けに利子が重なりに重なりまくり,1466年にはカレー守備隊とカレーの関税収入は,借金のカタにカレーの羊毛商人組合に取られてしまった.
 1558年,八百名の守備隊の守るカレーに,三万のフランス軍が来襲し,一週間に及ぶ攻防戦の末に,カレーはフランスの手に落ちたのだった.
 フランスは1560年に,大砲を意識した新型要塞を南側に増築した.
 イギリス統治下には北側の町しかなかった.

 第二次大戦中には,ドイツ占領下,カレー要塞にあったドイツのリンデマン砲塔と,ドーバーを隔てたイギリスの要塞が打ち合って,ドイツの方が勝っちゃったという逸話も.
 殆ど戦局に影響のない戦闘で,日々の要塞の勤務は退屈だけど,この時はドイツ側は大喜びだった事でしょう.


85 : 一等自営業 ◆JYO8gZHKO. [] 投稿日:03/03/17 03:00 ID:t8+1e5kC [1/1回]

 カレーライスのスレかと思った・・・・ボソッ


70 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/03/12 21:07 ID:???

 なんだっけな.昔,世界史板でロダンの彫刻「カレーの市民」とかで有名な,百年戦争のパ・ド・カレーについて語ろうってスレッドが立ったんだよな.

 ・・・見事,カレー食べたいだの,レシピだので埋め尽くされた.
 不憫なスレッドよのう・・・


72 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/03/12 21:59 ID:???
>>70
 みんな,フランスの港町なんかよりも,スパイシーなやつをご飯にかけて食うほうが好きなんだよ.

軍事板,2003/03/12-03/17
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 欧州戦闘機開発計画を見て思ったのですが,何故,自国至上主義で独自規格原理主義のフランスを開発計画に参加させたのでしょうか?
 始めから脱退することが分かっている国を多国間開発計画に参加させたのは何故でしょうか?

 【回答】
 フリゲートも対地ミサイル SCALP/Storm Shadow も無事完成に至ってる.
 フリゲートでは抜けたのは英国だったし,ユーロファイターでは能力向上型からドイツが抜けるとか抜けないとかでごちゃごちゃやってる.

 主義とか国民性とかではなく,長期間かかる現代兵器の開発においては,一国の方針が途中で変わることがいくらでもあり,もちろん国際情勢も必要とされる兵器の能力もどんどん変わっていく.

 すると,地政学的要因や予算が最初から異なる国家間の共同開発は,最初は十分重なり合っていても途中でそれが無理になってくる.
 そこで他国との付き合いで続行するのは自国民に対する裏切りっしょ.

 一度,二ヵ国~多国間開発のリストを作って,それぞれの抜けた国を調べるといい.
 そこまで徹底したことはないが,パラパラ見てる限り,どの国もみんな自分勝手にやってるよ.

 で,ヨーロッパではフランスが予算も使うし数も使うから,できれば一口噛んで欲しい国に必ず入る.

軍事板


 【質問】
 フランスの核戦略って,どの書籍をあたればいい?
 おそらく調査不足なんだろうと思うが,高坂センセの『多極化時代の戦略』下巻(日本国際経済研究所,1982)で,一章を割いてあるのしか見たことがない.

 【回答】
 残念ながら日本語に翻訳された,これはというフランスの理論書はない.
 結局は英語経由の方がよいかもしれない.
 原書になるけど代表的なのとか

 理論家や政治家;

 de Gaulle は当然として
Mendes France の回想録

Leo Hamon
Leo Hamon. La Strategie contre la guerre Preface du general Charles Ailleret

Pierre Marie Gallois
 Strategie de l'age nucleaire

Andre Beaufre
 Strategie de l'action
 Dissuasion et strategie
 Introduction a la strategie

 最近のもの

Bruno Tertrais
 La France et la dissuasion nucleaire Concepts, moyens, avenir

Aurelia Bortolin
 Risques, menaces et dissuasion nucleaire francaise

 たくさんあるけど,取っ掛かりはここらかな.

軍事板,2009/07/10(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランスは航空核攻撃戦力としてミラージュ2000Nという機種を保有していますが,これって各種の改造はしてあるものの基本的には戦闘攻撃機ですよね?
 このレベルでも,「戦略爆撃機」と呼ぶのでしょうか?
 それとも,「戦略攻撃機」という分類もあるのでしょうか?

 【回答】
 とりあえずミラージュ2000Nは「戦略爆撃機」とは普通は呼ぶまい.
 フランスは航空機による戦略核攻撃を,既にあんまり重視していない.
 だから,「一応核兵器も積める」程度の機体であり,「戦略**機」と呼ぶほどの位置にはない.

 調べたなら分かると思うが一昔前ならともかく現代ではこれが戦略爆撃機,あれが戦術爆撃機という分け方は無意味になってきてる
  冷戦初期の核抑止力の要だった戦略爆撃機 B-52が現代ではどんな任務に就いているか考えてみるといい.

 また,今では技術の進歩や運用思想の変遷で,区分がよくわからなくなって来ているが, とりあえず「戦略」に分類される任務に投入できる兵装搭載能力がある機体なら,「攻撃機」とは普通は呼ばない(旧日本軍の攻撃機と爆撃機の区分とかはまた別).
 だから,「戦略攻撃機」という分類は成立しないことになる.

 アメリカが「戦闘攻撃機」であるF-111を改造して核弾頭空対地ミサイルを運用できるようにしたFB-111という機体があったが,これは記号からもわかるように,「B(爆撃機)」の分類で,「攻撃機」ではなかった.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 国家は地政学的に見て,島国,半島国,沿岸国,内陸国の四つに大きく分類されます.
 フランスは沿岸国で,強力な陸上防衛力が求められるのに何故,戦車の保有台数が国土面積に比して少ないのでしょうか?
 軍事大国である,アメリカ,ロシア,イギリスなどから着上陸があったり,ドイツから侵攻があった場合どうするんですか?
 戦車が少ないと,相手の侵攻が容易になり,防衛が困難になるのでは?

 【回答
・ 戦車数約800両(うち半数がルクレーク.ミリタリーバランス持ってる人補足よろ)は,決して少ない数では無い.
 むしろ多め.
・ 旧植民地や海外領土に影響力を保つための外洋海軍や,核抑止をになう核戦力にリソースを取られてる.
・ NATO及び欧州連合(軍事的には西洋同盟か)を結成する同盟国から侵攻を受ける蓋然性は,低い(低くするために同盟してる面もある)
・ ロシアはNATO・欧州連合の仮想敵であるが,東方の同盟国が盾になってくれているため,国土が直接戦場になる蓋然性が低い.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2009/07/17(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 AMX30戦車の射撃統制装置(FCS)について教えてください.

 【回答】
 初期型では射撃統制装置(FCS)は,光学式照準機と測遠機を組み合わせた単純なものが用いられ,コストを下げるために,砲スタビライザーは未装備となっていた.
 改良型のAMX-30B2戦車では,AMX-APX社が開発したCOTAC APXM581 FCSが採用されており,これは,砲手用のM544望遠サイトと,M550レーザー測遠機,弾道コンピューター,各種センサーなどから成っていた.
 レーザー測遠機の最大測定距離は10,000mで,誤差は±5m.

 【参考ページ】
http://schafe.s246.xrea.com/combat/data/AMX-30.htm

faq101220am.jpg
(http://www.2emecuirassiers.com/images/page023/AMX30B2-2.jpgより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2010/12/21 20:50
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 シトロエン Citroën 2 CVについて教えてください.
Mi az Citroën 2CV?

 【回答 válasz】

 シトロエンと言えば,時代の先を行く自動車メーカーとして認知されています.
 逸速く先進技術を導入していますが,ただシトロエンがオリジナルで作ったものは少なく,初期の頃は米国の先進企業が開発したものに逸速く目を付け,パテント料を払って製造権を買い受け,欧州に逸速く展開する事に長けていたメーカーだったりするのが実態でした.
 フォードに倣って大量生産技術を取入れ,バッド社からプレスによるボディー製作技術を取入れ,モノコックボディの導入も同じくバッド社から取入れて,高級車部門をヴォアザンに売り払い,大衆車メーカーへと脱皮しました.
 そして,FF車として大々的に売り出されたトランクアビアシオンのFF技術もまた米国のバッド社からの技術移転です.

 しかし,そのトランクシオンアヴァンの発売が,丁度世界大恐慌と被ってしまい,資金繰りに窮して,心労で創業者のシトロエンは死んでしまいます.
 その自動車事業を引継いだのが,フランスのタイヤメーカーであるミシュランでした.
 ミシュランは自動車事業を自社の1つの部門にすること無く,シトロエンとして独立させ続けますが,一方で彼等の理想とする車を作ろうとします.

 当時,欧州で一世を風靡したのが「国民車」構想でした.
 一番有名なのが,ドイツの文字通りの「国民車」であるフォルクスワーゲンですが,例えば英国だとオースチン・セブン,イタリアではフィアット・トポリーノです.
 国家が出しゃばったフォルクスワーゲンとは異なり,オースチンやフィアットの思想としては,国民に手が届く車をまず自動車メーカーとして提供すると言うものであり,部品点数を少なくした結果,小型でミニマムサイズの自動車になり,2人乗りがやっとの余裕の無い車体となります.
 そのフィアットはフランスではシムカがライセンス生産して,それなりに売れていました.

 で,ミシュランもそうした国民車を手がけようと考えました.
 パリに工場を置いて,都会的なセンスを誇っていたシトロエンとは異なり,郊外の,どちらかと言えば農村部に工場を置いていたミシュランは,労働者のための車と言うよりは,当時フランス国民の大多数を占めていた,農民のための車,「農民車」を作ろうと思い描いた訳です.

 その設計方針は,「頑丈で,燃費が良く,農民が自分ちの畑で作った作物を満載して市場に売りに行く為に用いる自動車」であり,スタイリングは完全に従来のシトロエンとは異なり二の次.
 荷物を満載出来る様,従来の2人乗りでは無く,4人乗りとして車体を構成し,その車体を形作る鉄板は極力薄く,一部ではアルミ合金を用いて車体を軽量化し,燃費の向上を目指す.
 一方で車体はモノコックボディにして剛性を確保する.
 サスペンションは,前輪は独立懸架にして乗り心地を良くし,後輪はトーションバーで荷物を満載出来る様な簡便な構造とする.
 余計なプロペラシャフトなどの部品を取り付けてしまうと部品代が掛かるので,以前のトランクシオンアヴァンの様にFF構造とする.
 但し,エンジンは従来の直列4気筒や6気筒エンジンでは全長に占めるエンジン収容部が長くなるので,2気筒水平対向とし,高さを抑え,またエンジン収容部の長さを減らして鋼板を削減すると共に,エンジンフードには軽量化の為と剛性確保の為,コルゲートが施されています.
 当然,エンジンは必要最低限の走行性能で,燃費重視.
 また,屋根も金属板では費用がかかるので,幌とする.
 更に,夜間走行の為のヘッドライトも費用削減のため,2つでは無く1つとする.
 ……などなど,質実剛健を絵に描いた様なデザインになりました.

 こうして1937年から1940年にかけて試作車が作られますが,戦争で一旦御蔵入りとなり,戦後に開発が再開されて,車体デザインは質実剛健からフランスらしい優美な形となって,1949年に2CVとして世に出た訳です.
 これには実質的支配者としてシトロエンに君臨していた創業家ミシュラン一族が急逝した為に,シトロエンの技術者のセンスが取り込まれたと考えて良いと思います.

 とは言え,あくまでも「農民車」としての位置づけなので,車輌性能はそこそこです.
 高速道路をかっ飛ばす車では無く,あくまでも,郊外の農村と都市部の市場への輸送手段としてのもので,偶に余暇があった時に家族旅行に出るくらいのものと言う思想でした.

 翻って,日本の今の車作りを見ていると性能に拘りすぎている様な気がします.
 その割には,都市インフラは貧弱で,歩行者を守るどころか,自動車が優先されすぎな感じ.

 先日,昭和橋から鳩ヶ谷駅入口までの信号の間に2箇所あった横断歩道のうち,昭和橋に近い方の横断歩道が廃止されました.
 交差点改良工事で右折用のレーンを作ったところ,その起点が横断歩道に掛かってしまい,結局横断歩道の方が廃止されたという本末転倒な有様.

 御陰で歩行者は身を縮めて歩かないと行けない場所も多くあります.
 今日の帰り,横断歩道を渡っていたら,向こうから来た軽乗用車がトロトロトロと走ってきたのですが,止まる事無く横断歩道を通り過ぎました.
 慌てて道路を渡りましたが,あれ,もし私が横断歩道で立ち止まったりしたらどうするつもりだったのでしょう.

 米国のライフル協会と同様,自動車メーカーが日本の主要産業として君臨している限り,人が優先の社会にはなれないのでしょうかね.
 思考を逆転させないと,今後もこうした事故は増えこそすれ,減ることが無いのではないでしょうか.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2 : 2019/05/09 23:28


 【質問】
今日の小ネタ (DefenseNews 2008/7/4)
>仏国防調達局 (DGA : Delegation Generale pour l'Armement) は Thales に,
>Damocles 偵察ポッド×10 セットを発注した.

 偵察ポッドってことはラファール辺りが抱えるやつですか?

 【回答】
 そう.スーパーエタンダール(近代改修済み)やミラージュ2000(D)にも搭載可能.
 ただし,それぞれポッドに対応する改造がなされている必要がある.
 ラファルであれば F2/ブロック05仕様からの対応になる.

 ちなみに,ダモクレスはFLIR付きレーザー照準ポッドであって,偵察ポッドには分類されないことも多い.
 応用はできるが,機能に限界がある.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ブレゲー「デュポン」輸送機について,3行で教えてください.

 【回答】
 ブレゲー Breguet 「デュポン」(Deux-Ponts,ダブルデッキの意味)は,1949年から1950年代にかけて,フランスのブレゲー社により生産された2階建てデッキの輸送機.
 Breguet 761,763,765などの型がある.
 フランス空軍のほか,エールフランスでも旅客機として用いられたが,そのうち半数の6機も,フランス空軍へ委譲された.

 【参考ページ】
http://www.avionslegendaires.net/avion-militaire/breguet-br-761-763-765-deux-ponts/
http://www.airliners.net/search/photo.search?aircraft_genericsearch=Breguet%20761%2F763%2F765%20Provence%2FSahara
http://fr.wikipedia.org/wiki/Breguet_Deux-Ponts

三面図
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】, 2013/03/30 20:30
を加筆改修


 【質問】
 戦後のモラン・ソルニエについて教えられたし.

 【回答】

 モラン・ソルニエと言えば,第1次世界大戦からのメーカーで,大戦間期にはM.S.223/225戦闘機を練習機にした様なM.S.230高等練習機を開発し,この機体は映画ブルー・マックスにドイツ最新試作戦闘機として登場したり,1933年にはパトルイユ・デタンプと言う世界でも最初の方の曲技飛行チームを結成したりしているなど,大いに活躍しましたし,第2次世界大戦には主力戦闘機の一翼を担うM.S.406を生産したりしています.

 ドイツ占領下では,細々とM.S.406の発展型であるM.S.460戦闘機とそれを基礎にしたM.S.470練習機を開発していましたが,解放後はM.S.460は放棄され,M.S.470系統だけが開発されます.

 M.S.470は全金属製低翼単葉引込脚のある意味贅沢な練習機で,エンジンは690馬力のイスパノ・スイザ12Xと言うこれまたM.S.406と同様のものを搭載し,顎に大きな冷却器を置いていました.
 これは流石に試作機のみで終わり,生産型では空冷星形14気筒700馬力のノーム・ローン14Mを装備し,最大速度468km/hを発揮して,占領下で生産が進められていたアラドAr.396を解放後国産化した最初の近代型練習機であるSIPAS.10よりも高性能をで,M.S.472/474バノーⅡ/Ⅳと命名されてフランス空軍の主力練習機となります.
 その後,離陸時の出力を750馬力としたイスパノ・スイザ12Y45液冷エンジンを装備したM.S.475がバノーⅤとなり,200機生産されました.

 ところで,当時,この辺りの機材は占領時のストックがまだ沢山ストックが残っていて,バノーⅡとⅣが何故作られたかと言えば,第2次世界大戦でフランス空軍の直協機として活躍していたポテ63のエンジンが余っていた為で,片方は双発エンジンの左回転のものを,もう片方は右回転ものをそれぞれ流用したことから型が事なる羽目になったと言うもの.
 また,バノーⅤのイスパノ・スイザ12Y45エンジンは大戦中,フランス空軍の主力戦闘機となったドボアチンD.520のエンジンと冷却器をそのまま流用した為だったりします.

 余談ですが,Ar-396を国産化したS.10練習機は,ルノーで生産したアルグスAs411MA倒立エンジン580馬力を搭載したもので,当時の情勢を反映して外板を合板張りにしたものです.
 最初はSIPAで生産されましたが,後に電気系統を替えてファルマン社でも生産され,S.111と命名されました.
 これをAr-96並に全金属製としたS.12のうち18機,ファルマン社製作のS.111のうち34機は機関銃を2丁搭載し,ロケット弾や爆弾架を装備して対ゲリラ攻撃機に改造され,アルジェリアで用いられました.

 その後,暫くは軽飛行機の試作などを色々とやっていますが,何れも戦前の匂いがプンプンしている様な機体で,近代的な機体は1949年のM.S.730シリーズまで待たねばなりません.
 M.S.470が高等練習機としての位置づけなら,こちらは初歩練習機であり,230馬力のポテ6D倒立エンジンを搭載した低翼単葉,全金属製の機体で,胴体は上部左右と底部の3つの部分を各一体構造で製造し,最後にリベット留めで組み立てるまるでプラモデルの様な生産方式を採っています.
 座席は前に並列の2席と後部に1席の合計3席あり,試作型のM.S.730は固定脚から出発し,様々な引込み方式が検討された結果,生産型のM.S.733アルシオンでは,外側への引込脚となりました.
 そして,1952年から戦前の複葉練習機であるタイガーモスやスタンプS.V.4Cに代わってフランス空軍に納入され,300機が空軍と海軍に使用されています.

 次いで,モラン・ソルニエが空軍に提案したのが,フーガマジステールと一騎打ちとなったM.S.755フルーレです.
 これは並列複座の機体である以外はエンジンも同じなので似通った形態であり,操縦性の面からマジステールに軍配が上がってフルーレは不採用となりました.

 しかし,ただでは転ばないのが老舗たる所以でしょうか.
 モラン・ソルニエは,2号機を改造して複座の胴体を延長して前後2席の合計4座としたM.S.760パリを生み出しました.
 これこそ,世界最初のビジネスジェット機であり,4座にしたことで使い勝手も良くなり,フランス空軍の連絡機として採用されたほか,元々の機動性の良さを活かして,戦闘練習機としても利用され,海軍や研究所に少数機を引き渡したほか,合計で100機近くが調達されています.

 戦術攻撃訓練の場合は7.7mm機関銃が固有装備となるほか,30mm機関砲1門を装備し,爆弾など500kgまでの外部装備を取り付けられると言う多用途ぶりで,軽攻撃機としても利用出来ます.
 尤も,その場合は後席と複操縦装置は取り外されますが.
 勿論,その機動性は4座ながら戦闘機に近い曲芸飛行も出来ると言うものです.

 こうした機動性や多用途ぶりが評価されたのか,アルゼンチン空軍と海軍に36機,ブラジル空軍にも23機が輸出され,更に米国のビーチクラフト社も製造権を購入するなど,それなりに成功した機体となりました.

 Ⅰ型,Ⅱ型までは軍用機としての名残が強かったのですが,Ⅲ型になると,軍用機から脱却し,スライド式キャノピーを有していた客室も完全な与圧室となり,座席数は6に拡大するなど,純然たるビジネスジェット機となりました.
 とは言え,軍用機としての出自は幅の狭い胴体などに残っており,エンジンがターボジェットで胴体に近い場所にあること,居住性の悪さ,発展性の無さが,これ以上この機体が売れなかった原因だった様です.

 1962.1.7,モラン・ソルニエはポテーズに買収され,「SEEMS(Société d'Exploitation des Établissements Morane-Saulnier)」となりました.
 1966年には民間機部門が分離して「SOCATA (Société de Construction d'Avions de Tourisme et d'Affaires、現在EADS Socata)」となりましたが,最終的にはアエロスパシアルに買収されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2013/08/09 23:52
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランス軍などの軍用チーズについて教えられたし.

 【回答】
 さて,フランスの兵隊に欠かせないものは,パンにチーズにワインです.
 流石に,戦場では優雅に美味しいものは食べられませんが,少なくとも,パンらしい香りのするパン,チーズの濃厚な香り漂い,安くてもワインとして飲めるものが必要となります.

 このうち,パンは小麦さえあれば現地で製造することが出来ますが,ワインは自国から運ばねば成りません.
チーズも然り.
 葡萄から作られるワインは,味さえ気にしなければ,現地調達も可能ですが,フランス人が口に入れられる程度のチーズについては,欧州や米国以外では,後は日本で作られるくらいです.

 フランス軍とベルギー軍に対しては,国防省の特注により,年2回生産されるBonjuraと言うプロセスチーズが納入されています.
 Bonjuraは通称「兵隊チーズ」と呼ばれ,フランシュ=コンテ圏ジュラ県にあるベニエ・インターナショナル社グロジャン工場で製造されています.
 原料は,牛乳から製造されるEmmentalとComteを主に,他のチーズを配合しています.
 Comteはフランスでの生産量が最高のチーズであり,Emmentalもフランス全土で生産されるありふれたチーズです.
 脂肪分は50%で,ナチュラルが324kcal,ハム入り(ベーコンの味がする)が320kcalとなっています.
 これは,輸送の便を考えて,直径5.7cm,高さ1.6cm,42.5g入りの缶詰にされています.
 賞味期間は4年.

 この缶の中身は,「タルティーヌ用の溶かしチーズと説明されており,英語では,「スプレッド用のプロセスチーズ」と書かれて居ます.
 つまり,これはパンに付けて食べるチーズな訳です.

 成分は,チーズ,バター,乳蛋白,塩,溶融塩,ポリ燐酸,オルソ燐酸,クエン酸ナトリウムから成っています.
 味よりも,カロリーとか,塩分の供給とかに重点を置いたもので,いかにも軍用と言う感じですね.

 このプロセスチーズと言う代物,試作は1907~08年にスイスで行われました.
 元々は余剰のチーズを保存することが目的でした.
 1911年,スイスのゲルベール社でEmmentalをベースに試作,商品化に成功,同時期に米国でも商品化が行われます.
 そして1917年,ジュラに欧州初の大規模生産工場が建設され,現在に至ります.
 この欧州初の大規模生産工場から,現在でもフランスとベルギー軍用にチーズが供給されている訳です.

 因みにプロセスチーズは,チーズには違い有りませんが,一般に欧州で作られるナチュラルチーズとは別の代物です.
 熟成したナチュラルチーズを1種または2種以上加熱,攪拌,更に添加物,調味料を加えて加熱殺菌します.
 この加熱殺菌することが,バクテリアや酵素の働きを弱めることになり,ナチュラルチーズよりも長期保存が利く訳です.
 缶詰の場合は,更に長期保存を狙っている為,超高温殺菌(130~140度)を行います.

 プロセスチーズには,同じタイプのチーズを混ぜたものと,タイプの違う数種類のチーズを混ぜたものとがあります.
 ComteやEmmentalは,加熱圧搾して作る為と生産量や生産地域が多い為によく使われますが,この他に,味を変える為に,ブルターニュやメーヌ地域で,殺菌乳を用いて作られるSaint-Paulinとか,「チーズ達の王」であるRoquefortなんかも用いられます.
 味付けには,胡椒,香草,玉葱,胡桃,ハム,オリーヴ,マッシュルーム,貝類が加えられたりします.

 流石に,軍用は無骨なので,風味だけですが….

眠い人 ◆gQikaJHtf2, 2008/07/28 22:41


◆◆フランス海軍


 【質問】
 フランス海軍のウィルス汚染事例について教えてください.

 【回答】
 2008年十月からマイクロソフトが,ウィンドウズに侵入するウィルス「Conficker」の警告を発し,対処を呼びかけていたにもかかわらず,フランス軍が無視して必要なセキュリティ対策をとらなかったため,戦闘機がシステムから飛行計画をダウンロードできない事態が起きた,という話を聞きました.

 複数のフランス紙によると,このウィルスはフランス海軍中枢システムに侵入・攻撃したそうです.
 海軍報道官は
「悪影響は確かに出たが,機密漏れはなかった.
 想定済みのことでもあり,通信リンクを全切断してウィルスを隔離した結果,ネットワークの安全を99%確保した」
としています.

 しかしながら,問題が解決するまでの間フランス海軍は,電話やファックス・手紙という旧式の情報伝達手段に逆戻りする必要に迫られました.
 海軍将校のひとりは
「海軍内の誰かが,ウイルスに感染したUSBメモリーを使ったのが原因と思われる.
 フランスへの挑戦というより,われわれの怠慢ということになろう」
といってます.

 フランス海軍の脆弱なシステム「Intramar」を襲ったウィルスは1月21日に検出駆除されましたが,軍ネットワークすべてに影響が出て,参謀に対して「コンピュータを起動してはならない」との命令も出されました.

 23日に海軍参謀長が「Intramar」を他の軍システムから切り離すことを決定しましたが,在Villacoublay空軍基地の8通信連隊の一部コンピュータはすでにウィルスに感染しており,同基地所属のラファール戦闘機は飛行計画のダウンロードが出来ず,1/15,16の両日にわたって地面に釘付け状態となり,結局,別システムで運用していたということです.

 マイクロソフトの警告から三ヶ月たって海軍は動き始めたわけですが,その最大の原因としてフランス情報筋は
「参謀長以下国防省関係者は,たくさんのコンピュータからなる軍情報システムが,ウィルスにいかに汚染されやすいか,をまったく分かっていなかった」
との指摘をしています.

 ちなみに軍情報システムへのウィルス攻撃は,今年1月,英軍でも発生しています.
 このときは,24以上の空軍基地システムと空母「アーク・ロイヤル」を含む海軍艦隊75%のシステムにウィルスが侵入し,攻撃が行なわれています.

⇒ いってみれば軍システムは,自前でサーバーを持つということですね.
 これは,ウィルス・スパイソフトといったシステム侵入者との永遠の戦いを意味します.

おきらく軍事研究会,平成21年(2009年)2月9日
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランスも空母を保有していると聞きましたが,現在も就航しているんですか?

 【回答】
 「シャルル・ド・ゴール(Porte-avions Charles de Gaulle)」という艦が就役している.
 同艦はフランス海軍の10番目の航空母艦であり,最初の原子力空母.米海軍以外では唯一の原子力空母.
 フランス海軍旗艦.地中海側のツーロン軍港を母港とする.
 推定建造費170億フラン.

 1989年4月,ブレストの国営造船会社で建造開始.
 当初はリシュリューと命名されたが,後にジャック・シラク首相(当時)の介入でシャルル・ド・ゴールに変更された.
 クレマンソー級の退役にあわせ,1996年に就役させる予定であったが,冷戦終結の影響で工期が遅れ,1994年5月に進水,就役予定は1999年に変更となった.
 しかしその後1996年に原子炉の強度不足が発覚し補修,
 2000年には早期警戒機のE-2Cを運用するにはアングルド・デッキが短いことが判明したため,アングルド・デッキを4m伸ばす工事を行うなど予定外の工事が発生,就役はさらに遅れた.

 2001年5月18日正式に就役し,同年9月アフガニスタン戦争支援のため,インド洋に派遣された.スエズ運河を通過して,同年12月9日カラチ南方海上に到着し,米軍の指揮下で最新鋭戦闘機ラファール,空母搭載型攻撃機シュペル・エタンダールなどが140回に及ぶ偵察・空爆作戦を行った.
 2002年3月には一時休養のためシンガポールに入港し,7月1日ツーロンに帰港している.

 フランス海軍では他に「クレマンソー」が保管中.
 当初は姉妹艦の「フォッシュ」の部品取りのための保管だったが,フォッシュがブラジルに売却されたんで部品取りの必要もなくなり,他国との売却交渉も不首尾に終わったんでスクラップとして売却しようとしたら ,艦内のアスベスト除去に多大な費用がかかるということで,にっちもさっちもいかない状態になったまま,現在に至る…….

軍事板

 空母クレマンソーの後日談ですが,
http://www.asahi.com/international/update/0116/004.html
によれば,解体のためインドに向かっていたが,スエズ運河通過にエジプト政府から待ったをかけられ,どうにか通過は出来たが,インドの最高裁は同艦の入港禁止を支持する意見を出しており,同艦が目的地に辿り着けるかは現在不透明…….

FAQ BBS

 【関連リンク】
「朝日新聞」:漂流13年 「有害廃棄物」のフランス退役空母,解体へ

さまよえるクレマンソー
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 「ジャンヌ・ダルク」はヘリ空母?

 【回答】
 平時は練習艦,
 有事になるとヘリを搭載できるが,その状態でも普通はヘリ巡洋艦と呼ばれると思う.
 はるなやアンドレア・ドリアと似たような艦.


 【質問】
 フランスの空母って,今までに何隻建造されたのですか?

 【回答】
 第二次大戦前の空母自体は,Normandy級戦艦の船体を流用した,Bearrnだけ.

 これに水上機母艦を加えるなら,第一次大戦に魚雷艇母艦から改造されたFoudre,徴用水上機母艦は,他に,Campania,Nord,Pas-de-Calais,Rouenが,第二次大戦では,Commandant Testeがあります.
 未完成ですが,Joffre,Painleveが正規空母として建造される予定でした.

 第二次大戦中は,Bearnが航空機運搬艦として使用された他,英国の軽空母Colossusが,Arromancheとして5年貸与後,購入され,米国が建造した護衛空母で,英国に引き渡されたBiterが,1945年4月にDixmudeとなっています.
 前者は,第一次インドシナ戦争,1956年の第二次中東戦争に参戦し,後者は,第一次インドシナ戦争で,その搭載機がベトコンと交戦していますし,航空機運搬にも使用されました.

 正規空母としては,1950年にClemanceauが計画(PA50)されていましたが,これは頓挫しました.

 代りに,米国のIndependence級軽空母のLangleyとBellau Woodを供与され,Lafayette,Bois Belleauとして就役させています.
 こちらも,1953年にインドシナ戦争に出撃し,対地支援を行った後,前者は第二次中東戦争に参戦しています.

 その後,正規空母としてPA54計画で,ClemenceauとFochが建造されます.

 1958年に更にPA58計画の名の下,大型空母が計画されますが,これまた,1961年に中止,

 1975年にPH75計画で計画された原子力ヘリコプター空母は,最終的に,Charles De Gaulleとして結実しました.

 また,ヘリコプター空母としては,Arromancheが最初に改造され,また,練習艦兼任で,Jeanne D'Arcが建造されました.
 ちなみに,PH75はJanne D'Arc代艦だったりします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/03/22(水)
青文字:加筆改修部分

 フランス海軍の空母(未成艦及び水上機母艦含む)のリスト;
http://www.hazegray.org/navhist/carriers/france.htm

軍事板,2006/03/22(水)
青文字:加筆改修部分

空母「ベアルン」模型
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 フランスの空母艦隊はどんな編成ですか?

 【回答】
 フランス唯一の空母シャルルドゴールは地中海沿岸のトゥーロンToulonを母港としているが,同じくトゥーロンを母港とする主要水上艦艇は,

Cassard級防空フリゲート
D614 Cassard
D615 Jean Bart

Georges Leygues級フリゲート
D640 Georges Leygues
D641 Dupleix
D642 Montcalm
D643 Jean de Vienne
D645 La Motte-Picquet

Meuse級多用途補給艦
A607 Meuse
A630 Marne
A631 Somme

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランス海軍の揚陸作戦能力は?

 【回答】
 あまり大したものではない.
 LSD ミストラル Mistral 級とフードル Foudre 級が緊急展開と長距離輸送能力の中心だが,補助的な輸送船の類がなく,大規模で継続的な展開に備えた海上輸送能力は十分ではない.

 詳しくは「世界の艦船」2006年3月号,p.77-78(岡部いさく著述)を参照されたし.


 【質問】
 魚雷学派って何でしょうか?
 フランス海軍で始まった考え方で,ベルタンあたりが日本に伝えたそうなのですが,いろいろ検索してもそのものずばりという解説が見つかりません.
 わかる方,教えてください.

 【回答】
 1871年に海軍将校オーブによって提唱された「ジューヌ・エコール」の事ではないでしょうか?

 これは,英国とイタリア両国の海軍に対抗出来る海軍力の整備を提唱した事で,英国に対しては防衛的戦略に基軸を置き,魚雷艇を配備して,大型艦を小型艦で撃沈する事を,イタリアに対しては,港湾の砲撃を軸とした攻撃的な戦略を採用し,地中海では大型装甲艦配備を提唱します.
 端的に言えば,「地中海は攻撃型,英仏海峡は防御型,大西洋は攻守両方に適した布陣」と言う事になり, 地中海ではToulonの整備,英仏海峡はCherbourgの整備を主眼とします.

 Toulonには,艦隊決戦と湾岸砲撃を軸とした対伊海戦を想定して最も優れた装甲艦を配備し,Cherbourgには古い海防艦と魚雷艇が配備されて,英国からの軍港の防衛とドイツの英仏海峡突破阻止を目的としています.
 更にBrestには通商破壊線の拠点として,高速巡洋艦を配備すると言う政策が採られました.

 但し,オーブが1890年に世を去ると,合理的理論が極論に逸脱してしまい,議会が力を得ると,Clemenceauを 中心に,装甲艦=反動的,魚雷艇=民主的と言う変な議論が罷り通り,魚雷艇を主力とする建艦計画を立ち上げ,潜水艦にも力を入れますが,当時優秀だったローブーフを退けて性能の劣ったものを発注するなど,フランスの海軍力の凋落を顕著にし,ファショダ事件での敗退や,弩級艦の建艦にも遅れを取る事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 【質問】
 詳しい説明ありがとうございます.
 なんだか,無茶苦茶な議論が罷り通っていたんですね.
 もともと陸軍国なので,海軍にはできるだけ予算をかけたくないという意識もあったのでしょうか?

 【回答】
 いや,陸軍国と雖も,技術的には英国を凌駕している部分もありました.
 但し工業力が貧弱だった為に,直ぐに英国に追いつかれましたが….

 また,第二帝政時代から第三共和制初期に掛けては,バランスの取れた艦隊を建造しています.
 建造予算も比較的潤沢に有り,英国海軍の縮小版的な存在でした.

 唯一誤算だったのは,普仏戦争で鉄道の威力を過小評価した事で,プロイセン側の侵攻に対し,海峡封鎖で何とかなると思ったのが,実は鉄道を用いた迅速な輸送で敗北を喫した訳で.
 海軍に関してみれば,制海権は奪われることなく,パリ防衛でも十分に対抗し,輸送船団も武器弾薬などの物資の補給を滞りなく行えましたし,漁船も安全に操業を行えました.

 普仏戦争での敗北が国家的ヒステリー状況を生み,海軍に敗北の責任を押しつけると言う事をしたので,一般的にフランスは陸軍国というイメージが出たのだと思います.

 そのため一時的に海軍は二義的とされますが,国民の不満をそらす為に,第三共和制政府は,積極的な海外進出を計画し,清仏戦争では海軍が重要な役割を果たし,再び海軍力の整備に拍車が掛かります.
 これを背景に登場したのが,先の「ジューヌ・エコール」という訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 【質問】
 魚雷艇だけだと,荒天時には出撃もままならないような気がするんですが,その点どうですか?

 【回答】
 魚雷艇に関しては,英仏海峡での戦闘を考える限り,荒天時の問題は余りありません.
 第二次大戦でも,英仏海峡での戦闘の主力は,英国のMTBと駆逐艦,ドイツのSボートが中心になっています.
 逆に,魚雷艇を整備することで,英国はその魚雷艇より戦力の勝る,高価な水雷艇駆逐艦を整備せざるを得ず,英国の防衛費に相応の負担を強いています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 ジャック・クストーって海軍の軍人?

 【回答】
 Yes.

 ジャック・イブ・クストー(Jacques Yves Cousteau)は1910年,フランス南西部ボルドーの生まれ.

 海軍兵学校を経て航空士官学校に進むも,自動車事故に遭って艦艇勤務に転科.
 砲術士官として巡洋艦に乗っていた.

 その後,海中の未知の世界に魅せられて研究を始め,エミール・ガニャンの技術協力を得て,1942年にアクアラングを開発.
 全世界のスキューバ・ダイバーは,彼に足を向けて寝られない,はず.

 1950年から海洋調査船「カリプソ」号で海洋調査を指揮.
 1953年には著書「沈黙の世界」がベストセラーに.
 1956年には,海中の世界を紹介した映画「沈黙の海」を制作し,カンヌ映画祭グランプリ,アカデミー賞を受賞.

 1957年に退役してモナコ海洋博物館長に就任.
 深海潜航艇ディープスターやアージロネットを完成させる.
 1962年から海底居住実験「プレコンチナン計画」を実施,1965年には6人を水深100mの施設で約1ヵ月生活させた

 他に,テレビ映画シリーズ「クストーの海中の世界」,著作「クストー海の百科」などあり.

 晩年は地球環境学者として海洋汚染,環境破壊に関心を持ち.1992年の地球サミット出席,フランスの核実験再開批判などの活動を行っている.
 まあ,アル・ゴアの先輩みたいな人だね.

 1997/6/25,パリ市内の自宅で死去.
 享年87歳.


 【質問】
 ヴィルフランシュ軍港について教えられたし.

 【回答】
 ヴィルフランシュ・シュール・メール Villefranche-Sur-Mer 軍港は,フェラ岬(Cap Ferrat)と高さ191mのモン・ボロン(Mont Boron)に挟まれた,幅約380m,深さ約60mの,地中海でも屈指の錨地(びょうち).[2]
 16世紀建造の要塞を挟むように,ラ・ダルス港とラ・サンテ港がある.[2]

 ヴィルフランシュの街の起源は古く,鉄器時代の住居跡が近郊の山で発見されている.[3]
 その頃は,「モントリヴ」Montolive(ラテン語のMonsとOlivaから成る)と呼ばれた,オリーヴの木に覆われていた美しい丘だった.[3]
 その後,リグリア人が住み,湾はギリシャ人によって利用され,紀元前130年,ローマ人が港を建築した.[3]
 13世紀末,その跡に,アンジュのシャルルが新しい街と港を再建してから,「免税(franchises)の特典に浴する自由な街」という意味に由来する,ヴィルフランシュと呼ばれるようになった.[3]

 1388年には,ニースと同様,サヴォアの支配下となるが,港がフランス‐トルコ軍の船隊によって占領された事件を契機に,当時地中海全域の制海権を握ったオスマン帝国海軍の襲撃に備える目的で,サヴォア国王の命により,1557年から,エマニュエル・フィルベールによって,強固に要塞化され[3],ラ・ダルス港は,サヴォワ王国の軍港となった.[2]
 海に張り出すサン・エルムLa Citadelle Saint-Elme 城砦建築には,イタリアから技術者が呼ばれた.[3]
 跳ね橋や鉄柵などの残る門は,立派な石橋で繋がれ,その下は,深い溝になっている.[3]
 これに加えて,丘上に,モン・タルバン城砦が増築され,町は複雑な防衛のシステムで守られていた.[3]
 ただし両方の城砦とも,1691年と1705年のフランスの侵略時に占領されている.[3]

 その後19世紀初頭までには,武器庫,鍛冶(かじ)場,ロープ製造場などの施設と砲兵学校が設置され,ラ・ダルス港は海軍工廠(こうしょう)として重要な役割を担うこととなった.[2]

 ロシア帝国はサヴォワ家と友好関係を結んでいたので[2],1770年には,アレクセイ・オルロフ伯爵が指揮するロシア海軍戦隊の戦闘艦が,初めて停泊した.[1]

 オルロフ兄弟は,地中海におけるロシア戦隊の常時駐留地を探していたエカチェリーナ2世によって派遣され,自費で同湾を購入し,その後,国へ移管した.[1]
 同戦隊の艦は,有名なチェスマの戦いへ加わった.[1]

 ヴィルフランシュのロシア海軍基地は,1880年まで存続した.[1]

 また,アメリカ海軍も19世紀の終わりから20世紀半ばまで,この港を寄港地として利用していた.[2]

 かつて,燃料の石炭置場とされたサヴォアの徒刑所は,今は,海洋学の観測所 Observatoire Oceanologiqueとなって,夏場に近くの海岸線で海水浴客を悩ませるくらげの研究など地中海生物の生態を調べているという.[3]

アレクセイ・オルロフ伯爵
衛星から見たヴィルフランシュ軍港
(こちらより引用)

 【参考ページ】
[1]「六課」ACS,2013/03/17
[2]http://www.newsdigest.fr/newsfr/blogs/region/cogolin/4042-2010-07-05.html
[3]http://nice06000.blog106.fc2.com/blog-entry-101.html

【ぐんじさんぎょう】, 2013/10/25 20:00
を加筆改修


 【質問】
 Affaires maritimesについて教えてください.

 【回答】
 フランス運輸住宅省所属の海事局(Affaires maritimes)は,国家憲兵隊海上部隊より海軍に近い存在です.
 何しろ,Affaires maritimesの職員の殆どは海軍軍人ですし,Affaires maritimesの救助活動地方センター司令官は,海軍管区長官が兼務しています.
 運輸住宅省海事局(Affaires maritimes)は,海軍の哨戒部隊が運輸住宅省の指揮下に派遣されて,海難救助活動,油除去活動,漁業取締を行っているのです.
 国家憲兵隊海上部隊の方が,海上警察部隊に近いように思われます.

 フランス運輸住宅省海事局と国家憲兵隊海上部隊の比較について述べておきます.

(1)運輸住宅省海事局
任務;海難救助,海上交通管制及び漁業監視
パトロール艇 38隻保有
職員は警察官と海軍軍人の身分を兼務.

(2)国家憲兵隊海上部隊
任務;海上における刑法犯取締や公共秩序維持,領海警備
パトロール艇40隻とヘリコプターを保有.
職員は国家憲兵隊員の身分

軍事板,2003/04/13
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 フランス国家憲兵隊海上憲兵隊って何?

 【回答】
 フランス国家憲兵隊は,行政組織上は国軍の機関であるが,伝統的に行政警察及び司法警察についても主要な役割を担ってきた.
 フランスの警察法上,国家憲兵隊は,独自の重要な執行機関となっている.
 この国家憲兵隊は,海上における部門として海上憲兵隊(la gendarmerie maritime)を 持っている.

 海上憲兵隊は,人的側面及び財政的側面において,海軍から一定の支援を受けているほか,具体的な任務の遂行においても,海軍との協力体制が採られている.
 海上憲兵隊は,一定の軍事的役務(海軍施設の安全確保等)も所掌しているが,その主たる任務は,海上警察(行政警察及び司法警察)であり,海上における国際条約の遵守,フランス国内法令の励行,海軍軍管区司令官の行政決定の執行を担っているほか,海難救助,司法警察作用等を行っている.

軍事板,2003/04/20
青文字:加筆改修部分


◆◆◆兵器総記


 【質問】
 何でフランスの兵器って世界中にあるの?

 【回答】
 フランスの兵器は「そこそこの値段でそれなりの性能」なので,お得感が強かった上に,フランスは西側であっても,冷戦下ではアメリカやイギリスと距離をとっていたので,
「ソビエトから兵器買いたくないがアメリカから買うのも…」
とか
「共産主義も社会主義も嫌いだが,民主主義も嫌いなので,アメリカが武器を売ってくれん(困」
といった国が多数フランス製兵器のユーザーとなった.

 また,フランスは衰いたとはいえ,世界中に植民地持ってた国なので,昔の植民地と今でもコネクションが強いという面もある.

 尚,フランス製の「そこそこの値段でそれなりの性能」の兵器群は湾岸戦争でアメリカの「ハイテク兵器」の前に一方的にやられ,以後
「やはり安くても性能が低いのはね・・・」
とさっぱり売れなくなってしまい,輸出のかなりの部分を兵器産業に頼っていたフランスの工業に打撃を与えた.
 結果フランスは,国家戦略を「農業本位国家」にシフトさせる.
 これは後のEU統合に大きな影響を与えた.


 【質問】
 自衛隊がフランス製の兵器を購入すれば,今までと全く違う整備体制を整えなければいけなくなる,と聞きますが,NATOの一員であるフランスがそんな独自規格に拘っているのは何故でしょうか?

 【回答】
 「フランス人だから」としか言いようがない.

 あとフランスは軍事組織としてのNATOには加盟してないので,相互運用性を追及する必要がない,というのも一点

 ただ,砲弾や銃弾は他国製も「一応」,利用できるようにしてはいるらしい.

軍事板


 【質問】
 シトロエン社の興るまでを教えられたし.

 【回答】
 19世紀初頭,NapoleonIがオランダを占領した時,彼は市民全員に姓を名乗るように定めました.
 で,アムステルダム界隈で,檸檬やトロピカルフルーツを商っていた行商人は,彼の取扱商品に因んで,Limoenman(レモンマン)と言う姓を名乗るようにします.

 その後裔は後にダイヤモンド商人となってポーランドに渡り,其処の女性と結婚した後,フランスに移住しました.
 彼は,フランスでは,その姓のフランス語読みとして,Citroenと名乗ります.
 彼の息子が,後にCitroenと言う自動車会社を興すことになる訳です.

 その息子,Andre Citroenは22歳の時,母の母国ポーランドに赴きます.
 その故郷の地で,Double Helical Gearを目の当たりにした彼は,それを見て即座に勘が働き,特許を買い取ることにしました.
 その2年後,兵役を終えて時間が出来ると,彼はそのGear制作に没頭し,遂に量産化に成功,1913年にはパリに大きな工場を建設するとともに,欧州各地に代理店を設置し,一代でその業界のトップに躍り出ます.
 ちなみに,Citroenのロゴは,元々このGearの形状から採ったものだったりします.

 その彼が自動車産業に関わることになったのは1908年のこと.
 当時年産120台だったモール社と言う自動車会社の役員に就任し,青息吐息だったその会社を組織の再編,技術導入などで,1913年までにその生産数を10倍にして,再建に成功したことが始まりです.
 その過程で,1912年に当時自動車量産を始めたばかりのFordを見学,その量産ラインに感銘を受け,やがてその技術をフランスに導入しようと考えます.

 しかし,1914年の第一次大戦の勃発で頓挫を余儀なくされます.
 当初,召集を受けて砲兵隊の大尉として赴任した彼は,当時のフランス軍が満足な砲弾の量が無く,苦戦に陥っていたのを目の当たりにして発憤し,直ぐ様上層部に対して砲弾の大量生産体制の構築を提案(ちなみに彼はエコール・ポリテクニク出身)します.
 その実現のため,様々な人脈を駆使して,米国から砲弾製造の設備を導入し,パリ郊外に124,000m^2の敷地を購入,女性を中心に12,000名が作業に従事し,日産55,000発の砲弾を作り続けます.
 戦争が終わるまでに,その数は2,800万発に及びました.

 ところが,戦争が終わるとその砲弾の需要は激減し,反動で不景気が到来します.
 そのまま好景気になるまで縮退するのが普通の経営者ですが,彼は,逆にその工場を転用して,戦前に構想していて実現できなかった量産型大衆車の生産を試みます.
 そして,1919年にTypeAを製作します.
 従来の自動車会社がシャーシだけ作って,ボディーはコーチビルダーが製作していたのに対し,TypeAは,ボディーを内製化し,全部の部品を取り付けた完成状態で出荷する上,安価で性能が良かったために,デビューから2週間で16,000件の注文が入り,日産30台から始めた生産台数は,すぐに100台に上昇するヒット商品になりました.
 1921年には改良型のTypeBを出し,1922年にはTypeC,そのボディーの標準カラーがレモン色だったことから,"Petit Citroen"と呼ばれた車,後の5CVを発売します.
 この5CVは,世界初の女性ドライバー向けの車であり,機械に素人の女性にも取っ付きやすいように,マニュアルの他,認定修理工場の一覧表,標準工賃一覧表,パーツリストが渡されました.

 また,販売面でも,フランチャイズ方式のディーラー網構築,即金では手が出せない購買層の為にローン制度を準備したりと,現在の自動車販売制度の基礎的な部分を作っていますし,宣伝分野でも,新聞への全面広告の他,タクシーとしてパリにCitroenを供給して走らせ,フランス全土の交差点にCitroenロゴ入りの道路標識を建ててみたり,他のメーカーもやっていますが,冒険旅行とかラリーの主催もやっています.

 しかし,この人のアイデアの泉は尽きることなく,1924年から10年間,エッフェル塔に電飾広告を出し続けると言う前代未聞のこともやってのけます.

 1925年にはModelBの改造型B12を投入しますが,これも米国の会社から技術を導入して,欧州初のプレススチール製ボディを装着し,カラーは合成ラッカー吹付け塗装となりました.
 1928年にはB14に変わり,新しい4気筒エンジンのAC4と6気筒エンジンのAC6が誕生し,そのボディスタイルは16種に上りました.

 こうして,1920年代末には従業員30,000人を擁して,日産400台の車,年産にすると10万台の車を生産し,フランス全土に5000の販売店,国外生産拠点4カ所,累計販売台数50万台と言う欧州最大の自動車会社に成長します.

ところが,1929年の世界大恐慌によって,販売量は落ち込み,その上,新モデルの開発は難航し,何とか旧モデルの改造で息をつく状況になっていました.

新モデルは,世界でも最初の方に作られた前輪駆動のトランクシオン・アヴァンなのですが,先駆者にありがちな開発難航で開発費が嵩んだ上に,Renaultの新工場を見せられたCitroenは,対抗して自社の工場を建直したりしたので,財政的に破綻を来たし,1934年12月21日,遂に破産.
彼は,会社を失い,財産を失い,自らの寿命も縮めてしまいます.

1935年7月3日に,彼は失意のうちに胃癌によって夭折(一応56歳だからその言葉は当てはまらないかも知れないが)してしまいました.
生き急いだと言うべきか,生き急がざるを得なかった人生だったと言うべきか.

ちなみに今のCitroenは,第一債権者たるMichelinの持ち物になっていますが,その進取の精神は次の経営者にも見事に受け継がれている訳です.

眠い人◆gQikaJHtf2,2006年12月17日21:15


 【質問】
 シトロエンはなぜ成功できたのか?

 【回答】
 Citroenと言う自動車会社は,企業の成り立ち的に,今は無きプリンス自動車と軌を一にします.
 大株主がタイヤメーカーで,その大株主の企業は同族企業であると言う点に於て.

 ただ,プリンス自動車の場合は,個性的,先進的で良い製品を作るけれども,経営に人を得ず――と言ったら言い過ぎかもしれませんが――,次第に銀行支配に組み込まれ,最後には,吸収合併という形で,市場から退場を余儀なくされてしまいました.

 一方のCitroenの場合は,創業者が破産を宣告されて,失意のうちに会社を去った後,Michelinの傘下に入ります.
 この会社も同族企業です.
 ちなみに,前の日産CEOのGhosnさんもこの会社のBrazil法人の立て直しに当たっています.

 余談はさておき,Citroenには一族から重役が派遣され,同社の経営に当たります.
 しかし,その送り込まれたPierreが2年後に自動車事故で不慮の死を遂げ,その後任になったのが,Pierre-JulesBoulangerです.
 創業者のCitroenが外向的で楽天主義者で,自己宣伝家,交際好きな派手な面があったのに対し,Boulangerは,内向的で厳格,外部の交際よりも内部で社員たちとの対話をするのが楽しみ,と言う全く反対の人物でした.
 ただ,二人に共通していたのは,車好きだと言うこと.

 創業者のCitroenは,TranctionAvantを世に出し,Boulangerは,実用本位のバンTypeHと,農民車2CVによって,車をより大衆に近づけたものにしました.
 とは言え,前者は技術の粋をこらしたものであるのに対し,後者はあくまでも実用本位と言うのも経営者の個性が出ていて面白いですね.

 Boulangerのその個性は,技術面にも発揮され,内部に研究開発部門を社長就任後直ぐに設置しています.
 これは,「Citroenは,定説と慣習を否定することから始めよう.そう,人真似は止めよう」と言うメッセージが込められていました.
 そして,Citroenの従業員に,「我々だけにしか出来ない車を作るんだ」と受け止められ,愛社精神やモチベーションの向上に繋がっています.

 また,従業員の採用に当たっても,大学やグランド・ゼコール出身のエンジニア達にありがちな,型通りの発想,近視眼的な物事の捉え方を嫌い,独学の人物や技術専門学校で学んだ学生達を好み,また,彼らと良く交わったそうな.

 さらに,彼はニーズをくみ取るための調査を徹底的に行いました.
 商用車のTypeHは,1939年にまず,前身のTUBが発売されましたが,これは,市場に集まる行商人達の現行の車に対する不満を聞き,そのニーズを極力取り入れた車で,試作車が出来て,その出来映えを確認するために,調査中に意見を聞きに行った肉屋に持って行くと,その場で成約してしまったそうな.
 キャビンと貨物スペースに隔壁のないウォークスルー・レイアウト,
 歩道から直接貨物を積み卸しできるスライディングドア,
 低床式貨物スペース,
 その中では立ったまま作業が出来る,と言う今日の商用車のレイアウトを先取りしたものだったりします.

 一方の2CVのコンセプトも,Boulangerの考えは,「エンジン付きの農耕馬車.自動車はもとより,凡そ機械と名の付くものなど今まで一度も使ったことのない人々が使うような車」でした.
 基本設計では,「こうもり傘に車輪を4つ付けたような車.農夫2人が乗れて,馬鈴薯50kgまたはワイン樽1樽を搭載可能.
 道が悪くても乗心地は極上で,鋤で掘り起こした農耕地を走らせても,籠に入れた卵が一つたりとも割れず,経済的.
 実用的にして様々な用途に用いることが出来る車であること.
 見た目はどうでも良い.長年の酷使に耐える車であること」
と言う指示を出します.
 TPVと名付けられた車は,1938年に完成し,各種のテストを行った後,1939年10月から生産を開始し,前量産型として250台を生産します.

 ところが,もし戦争が無ければ,Citroenは商業的に大失敗するところでした.
 元々のTPVのレイアウトはFWDで,トーションバーによる全輪独立懸架を採用し,車重は燃費を考えて300kg以内に押さえる為,車体はアルミ板による溶接構造で,ルーフは布張り,サイドウィンドウはプラスチックを採用しました.
 ただ,トーションバーは複雑で高価に過ぎ,アルミ板の加工は難しく,プラスチックは未だ黎明期.
 とてもじゃないですが,大量生産には時期尚早でした.

 戦争があった為に,これら250台のTPVはドイツ軍に見つからないよう隠匿されますが,1949年,2CVの発売と同時に,Boulangerは,残っているTPVの破壊を命令します.
 余りのクォリティの低さに,無かったものにしたかったのかもしれません.
 TPVの1台は,Michelinの工場で,ピックアップトラックとして働き,スクラップにされたものが戦後直ぐに保護され,1968年に完全な形で残っていた1台が発見され,これはCitroenが宣伝用に使用しています.
 更に1994年に個人が所有する土地の納屋の中から3台が見つかったりして,現在は5台が残っています.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi,2006年12月21日21:15


 【質問】
 ノーム・ローヌって何?

 【回答】
 正しくはノーム・エ・ローヌ(Gnome et Rhone)と言い,フランスのメジャーどころの航空機エンジン,オートバイ・メーカーです.
 1915年にノーム とル・ローヌの2社がが合併してできた会社で,第1次世界大戦や第2次世界大戦では,この会社のエンジンが,多くの国で軍用機に使われました.
 しかし1949年,スネクマ(Snecma)の一部門として国有化されました.

【ぐんじさんぎょう】,2008/6/11 20:30

Gnome Rhone(ITA)のサイドカー
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ノームって星形ロータリーエンジン作ってたとこだっけ?
 星形ロータリーエンジンについて解説してください.
 シリンダーが回るなんて想像できない.

 【回答】
 昔の飛行機のエンジンは精度も悪く,ガソリンも質が悪いから常に調整する必要が有った.
 ところが調整してると今度はオーバーヒートする,星型エンジンの背中?にプロペラを付けて出力軸を機体の方に付けてエンジンごと回して冷却する(笑い
 オイルは垂れ流しで,ヘッドやらクランクケースから回りに飛び散る,おもろいエンジン.

自動車板


 【質問 kérdés】
 ブレゲーBr.761ファミリーについて教えられたし.

 【回答 válasz】
 さて,フランス航空機の大きな特徴に2階建てと言うのが有ります.
 最近では,Airbus A.380-800と言う総2階建ての機体がありますが,これの系譜は随分前からあり,例えば,Latecoer631やSNCASE SE.200と言う6発飛行艇が総2階建てでした.

 その思想を陸上機にした機体が,Breguetが開発したBr.761で,文字通り Deux-Ponts(2階建て)という愛称を持っていました.
 これは解放後に旅客輸送と貨物輸送を両立させようと考えて1944年から製作に着手したもので,初号機のBr761-01(F-WFAM)は1949年2月に初飛行しました.
 この機体は,1,600馬力のSNECMA 14Rエンジンを4基搭載した機体で航続距離は2,000km.

 それから,前量産型のBr.761Sが3機製作されます.
 この機体は,フランス製エンジンに換えて,2,100馬力の米国製P&W R-2800-B31エンジンを搭載しました.
 これらはAir AlgerieとSilver City Airwaysに引き渡されて試験運行が続けられます.
 S型は更に3機が生産されて,フランス空軍のII/64"Maine"に引き渡され,軍用としての適性を見る事になりました.

 Air FranceはBr.763と言う発展型を12機発注しました.
 これはS型のエンジンを2,400馬力のR-2800-CA18に換装したもので,Provenceという愛称が与えられました.
 因みに,旅客だけなら107名を一度に運ぶ事が出来,Air Franceの中距離路線である,パリとアルジェを結ぶ路線に就航しています.
 同型機はフランス空軍が6機発注し,パペーテの第82混成飛行隊に引き渡されています.

 これだけ大きな機体ですから,容積もたっぷりあります.
 そこで軍用としての可能性を追求し,フランス海軍航空隊向けに対潜哨戒機として提案することになりました.
 24時間の対潜パトロールが出来,5トンのロケット弾や魚雷などを搭載して敵機から攻撃されても,ある程度反撃できる武装を持つと言うものです.

 1950年,Br.761初号機を改造して,Br.764が開発されます.
 胴体下部に爆弾倉を設けて,12発の対艦ミサイルまたは魚雷,90mm,100mm,127mmの各種ロケット弾やソノブイを搭載し,自衛用に胴体上部,後上方,尾部に20mm連装機関砲を搭載した砲塔を持ち,磁気探知機や対艦レーダなどの電子機器類を詰め込んだ機体でした.
 因みに,20mm機関砲は最初MG151/20だったのですが,Hispano-Suizaに変更されました.

 これだけ武器を搭載すると,エンジンはオリジナルのままでは馬力不足になるので,様々なエンジンが検討され,最初はJumo213,RR Griffon,Bristol Centaurusが候補に挙がりましたが,最終的にはBr.763と同じR-2800-CA18に落ち着きました.

 こうして試作が進みましたが,1954年まで掛かっても機器の不具合,航続力の不足などの問題が続出してまだ実用化には至らず,一方でコストが掛かりました.
 当時,フランスはインドシナ半島やアルジェリアを始めとして各地で植民地戦争を繰り広げており,予算に余裕がありませんでした.
 また,NATO統一哨戒機として,米国製P2Vか,英国製のShackletonMk.IIが推奨されます.
 結局,対潜哨戒機としての採用は見送られ,この任務には米国から輸入されたP2V-7が当てられたのです.

 これとは別に,フランス空軍向けには最終型のBr.765 Saharaが15機発注されましたが,予算不足のために4機のみ生産され,第64輸送飛行隊に配属されました.
 この機体はBr.764の試作結果を受けて各部をリファインした機体で,164名の完全武装の兵士か54名の空挺部隊の兵士を搭載するか,またはAMX13軽戦車か105mm榴弾砲を6門搭載できるものでした.

眠い人 Álmos ember ◆gQikaJHtf2,2019-10-09

https://www.youtube.com/watch?v=Cz_5BSwYbfc


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