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◆航空
ロシアFAQ 目次


 【link】

CRS@空挺軍 in mixi,2009年08月23日20:02:クラスノダール高等軍事航空学校で学ぶうら若き女性士官候補生

「D.B.E. 三二型」(2012/06/26)◆ロシア軍に最新兵器登場,その名は「空飛ぶ教会」 ひどい扱いを受けている兵士にとって唯一の頼れる存在に

Global Security◆ Russian Aircraft(英語)

「Strategy Page」◆(2013/07/18) RUSSIA: The Untouchables
 ロシア航空業界の現状

「VOR」◆(2012/04/27)メドヴェージェフ大統領 空軍司令官を解雇

「VOR」◆(2012/06/08)露国防省 北極パトロール用特別機を開発

「VOR」◆(2012/07/06)ロシア 改良型輸送機Il-76 第一号が実験に

「VOR」◆(2012/08/08)ロシア 航空ロケットに亜麻

「VOR」◆(2012/08/11)プーチン大統領「安全保障における空軍の役割は増大する」

「VOR」◆(2012/10/06)ロシア国防省 新型イリューシン476の大規模契約に調印

「VOR」◆(2012/10/09)ロシア初の小型無人偵察機 2013年配備

「VOR」◆(2012/11/15)モスクワ郊外飛行管制センターでケーブル切断,ISSへの指令が途絶える

「VOR」◆(2013/04/09) ウラルの隕石 ロシアの超音速ミサイルか?

「VOR」◆(2013/04/09) ウラル隕石,ロシアの超音速ミサイルか?(続)

「VOR」◆(2013/05/04) ロシア航空宇宙防衛軍の装備に最新レーダー6基加わる

「VOR」◆(2013/05/21) ロシアの極超音速ミサイル開発計画

「VOR」◆(2013/05/27) ロシア国防省 航空宇宙防衛軍の電撃演習実施

「VOR」◆(2013/06/25) 2013年中に「イスカンデル」の最初の旅団の納入開始

「VOR」◆(2013/06/29) モスクワ上空 対空防衛のため 最新レーダー4基

「VOR」◆(2013/08/17) 新世代のレーダー基地がロシアの空を守る

「VOR」◆(2013/08/20) ロシア企業,新型無人機2タイプの国家実験へ

「VOR」◆(2013/08/27) スホイ35やツポレフ50もNATO軍機から給油可能に

「VOR」◆(2013/08/28) MAKS2013で新型地対空ミサイルシステム披露

「VOR」◆(2013/08/28) ロシアで超音速ミサイルが開発

朝目新聞」●ナウシカに出てきそうなソ連の巨大な航空機「カリーニン7」(of らばQ)

「カラパイア」:【画像】ロシアの軍用航空機「MIG・ミグ」の工場を見学しよう

「くろいあめ,あかいほし」★(2010/10/29)露空軍の航空機調達・改修状況

「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/9/6) ロシア海軍は2014年に10機の艦上戦闘機MiG-29K/KUBと1機の輸送機An-140,1機の水陸両用機Be-200を受領する

「ステルスX」

 ロシア製航空アクション映画.
 Usedセルで確保.

 一定範囲の航空機を,ステルス化(しかも非視認化まで)するという装置で透明化した爆撃機が ,テロ組織にコントロールを奪われ遠隔操縦,米軍基地を攻撃しようとし,乗員は必死で・・・ という,よくありそうな内容ですが・・・
 流石ロシア映画!
 Su-27フランカー,Tu-160ブラックジャック,A-50メインステイの実機が飛行(一部シーンはCG)!
(基地では多数のベアも駐機)

 さらにソブレメンヌイ級も登場(部分的にはクリバックの映像も)

 しかし,米軍のF-14は全部CG(笑)

 いやあ,冷戦時代からは想像も出来ない映画(笑)
 あのソ連版B-1である戦略爆撃機ブラックジャックの実機が,映画出演とは(笑)

――――――Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/05/17(日)

スホーイ公式(ロシア語)

「ニコニコ動画」◆(2010/03/05) 旧ソ連(ロシア)の変態軍用機開発史(前半)

「らばQ」:Googleマップに捨てられた軍用機が…,実際に見に行った写真

「六課」ACS◆(2014/01/03) ロシア海軍航空隊は北極圏パトロールを継続,拡大する

「ワレYouTube発見セリ」:Akhtubinsk Test Center & Test Pilots (アフトゥビンスク試験場)

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Air

「ワレYouTube発見セリ」:russia air force great

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Air Force Tribute Video

「ワレYouTube発見セリ」:Russian "Eagles" (ロシア軍アクロバットチーム,イーグルス)

「ワレYouTube発見セリ」:Tribute To The Russian Air Force

「ワレYoutube発見セリ」:ロシア空軍アクロバットチーム,ストリージ


 【質問】
 ロシアは空軍と防空軍に分かれていますが,その運用方法は効率的といえるのでしょうか?
 西側のように空軍として一元化し,部隊で分けたほうが,素人的には効率的ではないかと思うのですが……

 【回答】
>ロシアは空軍と防空軍に分かれていますが,

 その認識が間違い.
 空軍を二つに分けたんじゃなくて,それぞれ系統(出自)が別.
 防空軍は,地上軍の高射砲部隊を主体にして,空軍の迎撃機部隊をくっつけた.

 その証拠に初期の防空軍の司令官や幹部は,地上軍出身者で占められている.
 ちなみに戦略ロケット軍も地上軍の砲兵隊からの別れだ.
 あれも空軍の分派ではないぞ.

 なお,1997年に空軍に一元化されてる.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ロシア空軍の「指揮規模」を教えてください.

 【回答】
 ソ連・ロシアの場合,基本的には戦闘機とかは,
4機で飛行小隊,
それが3個の12機で飛行中隊,
それが3個集まって航空連隊(36機),
それが3個集まって航空師団.
 大型機(爆撃機とか)は,
飛行小隊3機,
それが3個で飛行中隊(9機),
それが3個で航空連隊(27機),
それが3個で航空師団.
というのが標準だった.
ええ,まんま陸軍式ですとも

 むろん,あくまでも「標準定数」だから,今の超金欠ロシア空軍で,この定数が満たされているかどうかは・・・・・・・一部を除いては,満たされていないだろーなー・・・

 一方,ロシア海軍では,艦上戦闘機連隊1個を中核とした「空母航空隊」が一応は存在する模様.
 ただ,「艦上戦闘機」Su-33は,今のところ合計24機しか生産されていないので,上述の1個戦闘航空連隊の定数(36機)には及ばないね.
 パイロットは,少なくとも2002年8月の時点で30人は居た.

夏光華(シア・クァンファ) ◆BFSytpS.uc :軍事板,2006/01/04(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 MAKSって何?

 【回答】
 MAKS(Международный авиационно-космический салон, 国際航空宇宙サロン)は,ロシアで奇数年の8月に開催される,同国最大の航空ショー.
 モスクワ近郊,ジュコーフスキー飛行場で行われ,ロシア航空機産業の見本市となっている.
 最近では西側企業も参加している他,航空機以外にもミサイル・ジェットエンジン・レーダーや民間分野の宇宙船・民間機等も展示されている.

 【参考ページ】
http://www.aviasalon.com/
http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?MAKS
http://www.worldtimes.co.jp/gallery/photo/maks/maks.html
http://airshow.seesaa.net/category/3792917-1.html
http://10e.org/mt/archives/200508/230244.php

【ぐんじさんぎょう】,2009/7/2 22:05
に加筆

 【関連リンク】
CRS@空挺軍 in mixi,2009年08月24日21:12:MAKS-2009 360度パノラマ
http://pano.1drey.com/various/maks2009/maks2009_1.html
http://pano.1drey.com/various/maks2009/maks2009_2ssj_cab.html
http://pano.1drey.com/various/maks2009/maks2009_3flight.html
http://pano.1drey.com/various/maks2009/maks2009_4tu.html
>必見!

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ロシア軍用機のマークが変わるって本当?

 【回答】
 旧来から使われてきた軍用機の国籍識別マーク「赤い星」が,ロシア連邦国旗法に抵触するんで,これを変えましょうという話が持ち上がり,急遽国会に改正法案出して審議され,可決された
 そして新しい国籍識別マークは「ロシア国旗の3色の星」ということで決定.

 今の所すぐに一新ということではなく,これから順次に移行するようですね.
 まだまだ「赤い星」冠したロシア軍機が見れそうです.

新しい国籍識別マークを付けたヘリの画像がコチラ

CRS@空挺軍 in mixi,2009年04月16日22:09

 なんか……,「トム&ジェリー」 で,トムが何かに頭をぶつけた時に出てきそうな星やなぁ~ (w`;

ベタ藤原 in mixi,2009年04月16日 22:11


 【質問】
 アレクサンドル・ゼーリン将軍とは?

 【回答】
 アレクサンドル・ゼーリン大将は1953年5月6日生まれ.
 ヴィソツキー海軍大将より1歳年上ですが,1976年に,ハリコフ高等航空操縦学校を卒業しており,同年に黒海高等海軍学校を卒業したヴィソツキー氏とは「コレス(correspond)」になります.
 2007年5月5日,ロシア空軍総司令官に任命されております.

ゼーリン将軍

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ~ロシア・ソ連海軍~
2008/4/5(土) 午後 9:56


 【質問】
 冷戦後のロシア空軍の戦力整備状況は?

 【回答】
 「ロシア空軍の中の人も大変だな」状態.
 5兆ルーブル(約25兆円!)を投じ「2007年から2015までの国家武器計画(GPV-2015)」で,ようやく新造機や近代化改修ができるようになった.
 『航空情報』 2008年9月号の小泉悠氏によれば,1992~99年において国内向けに生産された航空機は

         15機(うちヘリコプター8機)

 ソ連時代には戦術機だけで年産500機,ヘリコプターでは700機を生産していた現実からの落転ぶりが凄まじい・・・
 全ロシアが泣いた(´;ω;`)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年08月12日23:00
青文字:加筆改修部分

1992~99年のロシア空軍の第一線機
faq39x01p15.jpg
faq39x01p16.jpg
(うそ)


 【質問】
 2009年現在での,ロシア空軍の調達計画は?

 【回答】
 ゼーリン空軍司令官記者会見によれば,ロシア空軍はYak-130練習機,Mi-28N,Ka-52戦闘ヘリの調達契約を結ぶ事を計画しているという.
 さらに,今後64機の戦闘機を調達する契約に調印した事も表明した.
 内訳は48機のSu-35S,4機のSu-30M2,12機のSu-27SM.
 これらの契約は2015年までに実現されるという.
 また,Su-34戦闘爆撃機の配備に関する長期契約の実現についても,将軍は触れている.

 詳しくは
http://arms-tass.su/?page=article&aid=74552&cid=25
を参照されたし.

 また,
http://www.flightglobal.com/articles/2009/08/20/331265/russia-signs-2.5-billion-deal-for-64-sukhoi-fighters.html
によれば,スホーイとの契約総額は25億ドルになるという,
 これは,2008年から開始された装備調達計画が,さらに拡大されたものだという.
 冷戦終了後,ロシア空軍は年間6機以上の戦闘機の発注を行ってこなかったが,2008年にはSu-34×32機を12億5000万ドルで発注している.

軍事板,2009/08/21(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ロシア空軍の年間訓練時間は?

 【回答】
 最近ではやや状況が改善していており,2008年には戦闘機パイロットの場合年間飛行時間60~65時間となっている.
 ロシア空軍のゼーリン司令官は,2008年以降全パイロットの年間飛行時間を50~80時間確保し,将来的には1980年代の100~120時間にまで回復させる目標を示している.
http://inoforum.ru/inostrannaya_pressa/modernizaciya_vvs_rossii_vedyot_k_buduwim_ugrozam_ssha/
http://army.lv/ru/Voenno-vozdushnie-sili-Rossii-segodnya-i-zavtra/2612/3723

軍事板,2010/05/07(金)
(CRS@空挺軍 in mixi,2010年05月08日00:39に転載)


 【質問】

――――――
空自の緊急発進,14年ぶり300回超 対ロシア軍機で増加
2008年4月18日12時11分,産経新聞


 日本の領空に接近する国籍不明機に対し,航空自衛隊が実施している要撃戦闘機による緊急発進(スクランブル)の平成19年度の実績が307回となり,平成5年以来14年ぶりに300回を超えたことが18日,防衛省のまとめで分かった.

 防衛省は,スクランブル実績の集計・分析作業を行っているが,19年度はロシア軍機に対するスクランブルが最も多く約250回,次いで中国軍機の約50回となっている.
 ここ数年続くロシア軍機に対するスクランブルの増加傾向が続いていることが裏付けられたという.

 〔略〕

 スクランブル統計の実績回数は,1機の対象機に対し,複数の空自基地から3回発進した場合は3回としており,実績の回数と実際に日本周辺に飛来した対象機の数とは一致しない.
――――――

 なんでこんなに多いの? 挑発?

 【回答】
 ここで注目すべきは,最後の

>スクランブル統計の実績回数は,1機の対象機に対し,
>複数の空自基地から3回発進した場合は3回としており,
>実績の回数と実際に日本周辺に飛来した対象機の数とは一致しない.

という文章です.
 〔略〕

 これを分かりやすく説明すると,例えば,ロシア軍の爆撃機1機が太平洋を南下した場合
・第2航空団(千歳飛行場)
・第3航空団(三沢飛行場)
・第7航空団(百里飛行場)
・第5航空団(新田原飛行場)
・第83航空隊(那覇飛行場)
がスクランブル発進するので,計「5回」とカウントされます.

 日本海を南下した場合は
・第2航空団(千歳飛行場)
・第3航空団(三沢飛行場)
・第6航空団(小松飛行場)
・第8航空団(築城飛行場)
がスクランブル発進するので,計「4回」とカウントされます.

 ロシア機が,北海道周辺海域上空だけを飛行しても,千歳の第2航空団と三沢の第3航空団がスクランブル発進するので,最低でも,計「2回」とカウントされます.

 ロシア機が,オホーツク海南西海域(つまり日本側に近いところ)上空を飛行すれば,千歳のF-15Jがスクランブル発進してきます.
 日本海や太平洋上空を飛行しなくても,スクランブル発進回数にカウントされるケースも有るわけでね.

http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/29938208.html
で紹介していますが,ロシア海軍総司令部首席報道官イーゴリィ・ディガロ1等海佐は今年3月6日,
「ロシア太平洋艦隊に配備された航空機は,領空外の中立海域上空の使用に関する国際規制・条約に厳密に従い,日本海上空の定期的な哨戒飛行を実施している」
と言っています.
 これは,「日本海上空」で,4回程度のスクランブル発進が「定期的に」行われている事を意味する.

 また,http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/30330309.htmlで紹介していますが,ロシア海軍のTu-142洋上哨戒機が,沖縄周辺海域へ飛来した事も有りました.
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080321/crm0803212209030-n1.htm

 当然,この場合も,航空自衛隊のスクランブル発進は,計「5回」とカウントされます.

 ついでに書くと,日本航空自衛隊の「スクランブル実績の集計」には,ロシア・ベトナム間を往復するアエロフロート航空の不定期便(当然,民間機)も含まれています.

 ですから計「250回」とは言っても,実際に飛来したロシア機の延べ機数(飛来回数)は,遥かに少ないわけです.
 ただ,他のブロガーは,上辺の数字だけ見て,ロシア機が,1年間に250回も日本近海へ飛来したと思っているようだけど(失笑)

 上で述べたように,このニュースは,アチコチのブログで取り上げられていますが,ここまで考察している(考慮できる)ブロガーは,皆無です・・・

 〔略〕

 それとスクランブルってのは,「領空」侵犯されそうになってから行うのではなく,「領空」の外の,航空自衛隊が設定した「防空識別圏(ADIZ)」の近くを「国籍不明機」が飛行しているのをレーダーでキャッチしたら行うもの.
 「防空識別圏」自体は公海上空ですよ.

 だから「防空識別圏」を飛行しても,「領空侵犯」にはならないわけ.

 〔略〕

 下の地図を見れば分かるだろうけど,日本の「防空識別圏」は,ほぼ日本海全てをカバーしている.
 特にロシア沿海州は,ロシア領空を出たら日本の「防空識別圏」に入ってしまうくらいだ.
 これが何を意味するか分かるか?
 ロシア沿海州駐留の航空部隊が,洋上で飛行活動(訓練や哨戒)を行えば,自動的に日本の防空識別圏」へ入り,スクランブルの対象になるということだ.
 「侵略的な本性」とか「挑発」などとは,トンチンカンもいいところだよ.

ロシア海軍航空隊のTu-142海洋哨戒機

日本の「領空」と「防空識別圏」(ADIZ:Air Defense Identification Zone)

Небесный бытьネベスニィ・ビィチ~ロシア・ソ連海軍~
2008/4/18(金) 午後 10:12


 【質問】
 ロシアの軍需の航空宇宙産業メーカー吸収合併の歴史についての表はないでしょうか?

 【回答】
 今のロシアの航空機産業は複雑怪奇で,何レスも費やさないと,とても回答ができません.
 一応,最近数年の動きは,岩波新書の845に「ロシアの軍需産業」という本があります.
 この141ページ目以降に,スホーイグループ,ミググループ,イリューシングループ,ツポレフグループの動きが掲載されていますので,参考にしてください.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/11/26(土)
青文字:加筆改修部分

www.fas.org/man/crs/RL30730.pdf
が参考になるとうれしい.

軍事板,2005/11/26(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 企業体「スホイ」グループはどのようにできたのか?

 【回答】
 1996年8月の大統領令で創設.
 江頭寛によれば,エリツィン再選後の新内閣で第1副首相に就任していたポターニンが,「スホイ」本社を中心に,
「イルクーツク航空機生産工場(IAPO)」
「コムソモリスクナアムーレ航空機生産工場(KnAAPO)」
「ノヴォシビルスク航空機生産工場(NAPO)」
「タガンログ航空科学技術コムプレクス(TANYK)」
を一グループに大同団結させようとしたもの.
 この裏には1995年,中国からのSu-27大型受注を確保していたスホイの株をポターニンが買収し,乗っ取りを策したことがからんでいるという.

 中国へのSu-30MKK輸出,Su-27の外国へのライセンス供与などで数十億ドルを稼いでいたKnAAPOは,ポターニンに利益が吸い取られることをいやがり,ハバロフスク地方知事ヴィクトル・イシャエフ(ハバロフスク地方への納税が減るのを嫌がった)と組んで,統合に反対し続けたが,2001年11月,プーチンは大統領令で新たな「スホイ航空機持ち株会社」設立を発表,KnAAPOは将来民営化され,株式の74.5%は持ち株会社に,25.5%は連邦資産基金に管理されると定めて決着がついたという.

 詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.274-275を参照されたし.

▼ 後日談.
 どうやらMiGも「スホイ」グループ傘下に入りそうな気配濃厚.

 「.kojii.net」:今週の軍事関連ニュース (2009/01/16) より.

――――――
今日の小ネタ

 UAC (United Aircraft Corp.) の Alexey Fyodorov 社長は,Sukhoi のディレクター・Mikhail Pogosyan 氏が RSK-MiG のディレクターに就任,両方のトップを兼任することになったと発表した.
 11 日に幹部との会合を開いた際,Pogosyan 氏は「UAC における戦闘機生産能力を強化するのが仕事だ」と言明した由.
 RSK-MiG は,アルジェリアから受注した MiG-29 の返還騒動により財務状況が悪化,2008 年末の時点で 15 億ドルの負債を抱えている.
 自国からの受注もない状況なので,2009 年には政府が 5 億ドルの財政支援を実施することになっている.
 RSK-MiG の従業員は 14,000 名,バックログは 40 億ドル.(DefenseNews 2009/1/12)
――――――

 ライバルのトップになるとはなぁ・・・
 時代が変わったものですな.
 しかも財政支援まで受けるとはなぁ.
 インドからの受注に成功しても,苦しい経営になりそうです.
 その前にスホーイに吸収されそうですが!

CRS@空挺軍 in mixi,2009年01月16日00:47
青文字:加筆改修部分

 【関連動画】
「ワレYouTube発見セリ」:Sukhoi co.History
「ワレYouTube発見セリ」:The Russian Sukhoi fighters.


 【質問】
 統合航空機製造会社ってなんですか?

 【回答】
 小泉悠氏によれば,それまでバラバラであった航空産業を単一の企業連合体へと統合し,研究・開発・生産・販売体制の合理化を図るもの.
 株式会社であるが,政府が株式の過半数を所有しているので,国営企業とも言える.

 また,航空機のみならずヘリコプター・メーカーも統合が進んでおり,2008年にはエンジン・メーカーの統合も開始されているが,こちらはいきなり単一の企業体にするのではなく,まずは4つの企業グループに再編する模様.

 詳しくは,『航空情報』 2008年 09月号 「特集:近未来のロシア空軍」 P24-25を参照されたし.
 今現在のロシア空軍の近代化について調べたい人にはオススメなので,是非購入しましょう!
 手短に読めるのがポイント.
 この私が薦めるのだから間違いない(爆)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年08月12日23:00


 【質問】
 MiG設計局は今どうなってるの?

 【回答】
 1995年5月にMoscow航空機企業合同(MAPO)MIGに集約され,1996年1月に国有集権企業MAPOにKamov共々吸収されることになっていましたが,輸出権を保持したいMAPO MIGとMAPOが対立.
 1997年にMIG傘下の実験設計ビューローMIGが分離独立し,MAPO-Mの小部門として生き残ります.
 MAPO-Mは株式会社後,MAPOの継承企業となり,1999年12月8日付ロシア連邦政令により,MAPO傘下企業は連邦国有権集権企業ロシア航空機製造会社MIGに統合されました.
 最終的に,民営化後,国防ホールディングと言う軍需関連持株会社への移行が視野に上っています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2007/01/02(火) 19:54:24
青文字:加筆改修部分

▼ 【追記】
http://www.flightglobal.com/articles/2009/08/20/331265/russia-signs-2.5-billion-deal-for-64-sukhoi-fighters.html
によればロシアは,ミグに4億7000万ドルの資金注入を行う可能性を示唆.
 ただし,航空宇宙産業の経営者には,これ以上の金融的な救済措置が採られるとは思わないようにと警告した.

 MAKSでロシア空軍とスホーイ,国防省による協同記者会見が行われ,その席で明らかにされた.
 RSKミグに対しては,アルジェリアからキャンセルされたMiG-29SMT×34機を5億3300万ドルでロシア空軍が購入することで同意した.
 RSKミグはその後,合資会社ユナイテッド・エアクラフト社の傘下に入り,スホーイと経営統合された.
 ロシアは昨年RSKミグに対して,支払い能力を維持するために4億7000万ドルを供給したが,同等の額を供給する必要が今年も生じるかもしれないことを,プーチン首相が8月18日に述べている.

 プーチン首相は,PAK-FAは優先度の高い事業であるとしたが,ロシアの航空宇宙産業が国際市場での競争力を失いつつあることについては批判を行った.
 ユナイテッド・エアクラフト社の現在の債務は37億6000万ドルに上り,中心的でない資産を売却することで資金の保有額を増やすという,産業界の約束は果たされなかったと首相は述べた.

 首相は,企業や経営者のミスに対して,国が際限なく損失を補ってくれるというのは錯覚であると警告した.

軍事板,2009/08/21(金)
青文字:加筆改修部分

▼ 【さらに追記】
 RSK-MIGが倒産という形ではなくて,ОАК=統合航空機製造営団(統合航空機製造会社)に吸収という形になったという話.

 それまではRSK-MIGはОАКに参加していなかったが,今年の9月に正式にОАКに譲渡され,構成要素の一つになった.

 その譲渡価格



           1ルーブル(3 円)



 誰がどう見ても不良債権扱いです,本当にありがとうございました.

 この吸収によってОАКは,ロシアで活動している全航空機メーカーを傘下に収めたことになった.

CRS@空挺軍 in mixi,2009年10月24日19:09

▼ 【更に更に追記】

      _,,,.-―==‐、,_
    ,彡三=_ミミヾヽ''シ,,;;;ヽ
    !彡''  ̄         ヾ;;l   私アナスタス・ミコヤンからも諸君に話がある.
   l彡'           lミl
   rヾ''   _   _  lリ  このイラク上空は今やかなりの人気空域になっている.
   |「ll  '',, 。=、` , 。=、'' l    だから西側の兵器が流入しやすくなっている.
.   l 、     ̄フ ヽ ̄  |   彼等は地上を覆い尽くすミグを欲しがってるから,
    ` l    , /、_!、  l    君の国がよく狙われるのだ.
     ,|   l ,illリlilミ、l  l
     /ヽ   ` `二´  ,/、    諸君は彼等にけっして戦いを挑んではいけない.
   ,,/:::::::::\ ー― '':::::::::::`ヽ  どんな痛烈な攻撃もそれは彼等を笑わせるだけだ.
 良き第三世界の住人たる諸君は当然導入済みであろうサハフ情報相を活用し,
 米軍とそれに反応する者の反逆者を全て隠滅してさっさと亡命するようにしたまえ.

 そして西側メディアでスホイの悪口を言われても,すぐ忘れること.
 西側メディアの諜報もあなどれないから,君の個人的な感情でスホイの経営を乱し,
 ミグが吸収合併して負債を増やさないよう,常に務めてくれると私はとても嬉しい.


 そういえばサハフ情報相どうしてるのかぁ?
 回顧録を出版するという話を聞いたけど


●第三世界に聞いた採用戦闘機アンケート
   
    MiG ─┐   ┌───わからない 9%
    11%  │_..-ー''''''l'''''― ..,
        ./   .l,  |     `''-,
      ./     .l  .|       \
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     l      西側製80%     /
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      .\              /
        `'-、              /
          `''ー .......... -‐'″



●第三世界に聞いた採用戦闘機アンケート
   
    MiG ─┐   ┌───空軍なし 9%
    11%  │_..-ー''''''l'''''― ..,
        ./   .l,  |     `''-,
      ./     .l  .|       \
      /ゝ、     l. |         ヽ
     ./   .`'-、    l. |           l
    │      ゙''-、 .l,|             l
     |         `'″          |
    │                   ,!
     l 飛べるならなんでもいい80%/
     .ヽ                  /
      .\              /
        `'-、              /
          `''ー .......... -‐'″
      _,,,.-―==‐、,_
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 ミグ必死だな(笑) byパーヴェル・スホーイ

軍事板,2010/01/13(水)
CRS@空挺軍 in mixi, 2010年01月13日21:22


 【質問】
 WW2の間,ソ連の戦闘機を開発していたラボーチキン設計局は戦後,すっかりその名を聞かなくなりましたが,どこへいってしまったのでしょうか?

 【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/NPO_Lavochkin
によれば,1960年に主任設計者のセミヨーン・ラヴォーチキンの死去に伴い閉鎖.
 その後,ソ連崩壊後にNPOラヴォーチキンとして復活し,現在は航空機,ロケットブースターや惑星間探査機の設計・製造を行っているという.

 ラヴォーチキン社のロシア語サイトはこちら.
http://www.laspace.ru/rus/index.php

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第2次大戦後のソ連のジェット・エンジン開発において,ドイツの技術はどのような役割を果たしたのか?

 【回答】
 ソ連ではリューリカが先陣を切って開発していたジェットエンジンですが,国内製のものは信頼性が低く,機体設計者達は,国産エンジンではなく,ドイツからの技術によるエンジンを利用して,ジェット機を開発し始めました.

 推力850kgのJunkers Jumo-004はРД-10として,推力800kgのBMW-003はРД-20として,国産化が準備されていきます.
 試験研究は,航空機工業省の第1研究所(НИИ-1)と中央航空エンジン研究所(ЦИАМ)で進められ,生産はウファの第26工場とカザンの第16工場で行われました.

 また,チェトヴェリコフ設計局では,Arado Ar-234をベースに,BMW-003を4基搭載した爆撃機とJumo-004を2基搭載した爆撃機の設計を進め,第82工場,第458工場では,Ar-234とMesserschmitt Me-262の再生産を行い,1946年になると,モスクワの第381工場とサラトフの第292工場でMe-262を120機生産しています.
 ただ,この模倣を完全に行うにはMe-262は機構が複雑で,量産化に失敗した為,完全模倣は放棄され,「ドイツ製」ジェットエンジンを用いた「国産」機を開発する路線に切り替えられました.

 こうして製作されたのが,1946年4月24日に初飛行し,ソ連初の純ジェット戦闘機となったМиГ-9と,その直後に試験飛行を実施したЯк-15で,前者はРД-20を2基,後者はРД-10を1基搭載した戦闘機でした.
 元々,МиГ-9は,リューリカのエンジンを搭載する予定でしたが,結局BMW-003を搭載する事になりました.
 リューリカのエンジンは大きく,ミコヤン設計局では機体フレームを縮小しなければなりませんでした.
 これらのジェット機は1947年のメーデーのパレードにて初めて公開され,以後,同じエンジンを積んでЛа-150,Су-5,Су-9が開発されていきます.

 ドイツから持ち帰ったターボプロップエンジンであるJumo-012の開発は,ブランドナーやシャイベと言ったドイツ人達の手でクイビシェフで行われました.
 Jumo-012はНК-4と改称され,クズネツォーフの手によって更なる改良が加えられて,НК-6として熟成され,アントノフ設計局のАн-8に搭載されていきます.

 Walterロケットエンジンは,РД-1の改良に用いられましたが,これ以上の進展は見られませんでした.

 一方,リューリカが設計した国産エンジンである推力1,250kgのТР-1はイリューシン設計局が製作したИл-22爆撃機に4基搭載され,1947年7月24日に初飛行をすることが出来ました.
 又,スホーイ設計局のСу-11は,ТР-1を搭載していましたが,ТР-1は試作のみに終わり,以後リューリカの下で,ТР-2,ТР-3(後にАх-5,推力5,100kgとなる),続いて,推力9,600kgにまで高めたАл-7,Ал-7фがスホーイ設計局の機体に用いられ続け,現在に至っています.

 リューリカに続き,クリモフも国産エンジン開発に参戦し,1951年にはミクリンが推力8,750kgのАМ-3,1952年には1,120kgのРД-3Мを開発.
 ツマンスキーは1953年に戦闘機用に推力3,300kgのРД-9Бを開発するなど,百花繚乱の気配を見せます.

 但し,開発の果実が挙がったのは1950年代の事で,党と政府の首脳部では,ドイツからこれだけの技術を持ってきたのだから,もっと早くに成果が上がる事を期待していました.
 1946年にはスターリンは早くも「遅延」に対する怒りが,ヤコヴレフ(航空機設計者のヤコヴレフとは別人)砲兵総管理部長官,シャフーリン航空機工業大臣,ノヴィコフ空軍総司令に向けられ,「官僚主義」「縄張主義」に対する批判が噴出しています.

 この時期,ソ連の研究者達は,国産エンジンの耐熱性の確保に腐心していました.
 後に科学アカデミー総裁となるケルドゥィシュでさえも,これにはエンジンを機体からやや離す程度の解決しか示す事しか出来ませんでした.
 また,速度の上昇と共にどんな翼形を採用すべきか,この設計研究ではスヴィシチェフ,セレブリツキーが新しい翼形の開発,ストルミンスキーが理論研究を行い,この研究の成果は,МиГ-15として結実しました.

 こうしたスターリンの「発破」が効いたかどうかは分かりませんが,1948年1月にはЛа-174は初めて音速突破に成功し,1950年にМиГ-17はマッハ1.05を記録しました.
 1952年になると,ツマンスキーのРД-9Бを2基搭載し,最大速度1,450km/hを誇るМиГ-19が量産化され,同じ年,РД-9を搭載したЯк-25は最大速度1,090km/h,航続距離3,000kmを達成し,更にレーダーを搭載した戦闘機となりました.

 もう一つ,ソ連航空界にとってタイムリーだったのは,英国の政権がソ連に寛容な労働党に移った事です.

 1946年,英国は対ソ技術輸出を解禁し,9月にはRolls-Royceのジェットエンジン,Derwentを30基,Neneを25基,1947年3月から1948年に掛けて船積を行いました.
 また,クリモフはパリの航空ショーを見学した後,英国に渡り,Rolls-Royceとライセンス生産の交渉を行い,1947年にそのライセンスを得る事が出来ました.

 こうして,推力1,600kgのDerwentはРД-500,推力2,200kgのNeneはРД-45として国産化されることになりました.
 更に,1946年末の閣僚会議布告により,ツポレフ設計局はジェットエンジン搭載爆撃機の開発を開始し,1947年夏に設計図を完成させました.
 当時,未だ英国製エンジンは到着していなかったにも関わらず,その設計は英国製エンジンの搭載を前提として計画され,最終的にТу-12はРД-45を搭載し,ソ連国産初のジェット爆撃機となりました.
 その性能は,最高速度783km/h,上昇限度11,000mとレシプロ機とそんなに変わりませんでしたが….

 その後,政府と党中央委員会は,イリューシン設計局とツポレフ設計局に前線用ジェット爆撃機の開発を指示.
 こうして開発されたのが,片や有名なИл-28双発爆撃機であり,片やТу-14三発爆撃機でした.
 Ил-28は1946~47年に設計され,当初はРД-45,後にВК-1を2基搭載し,最大速度900km/h,航続距離2,400km,爆弾1tが搭載可能であり,直ちに標準前線爆撃機に指定されこれまた大量産が始まりました.
 Ту-14は,機体後部に第3エンジンを取り付けた設計で,1947年末から試験を行い,1948年から量産が開始されました.
 当初は,РД-45を搭載していましたが,クリモフが改良したВК-1に換装されています.

 РД-500はツシノの第500工場,РД-45はモスクワの第45工場で量産されていましたが,先述のように,РД-45はクリモフの手で改修が為され,ВК-1となって,後にМиГ-15戦闘機にも搭載されて,ソ連だけで5,000機以上が生産されています.

 1948~49年にはツポレフ設計局の手で,Ту-4に替わる新型爆撃機の設計が始まりました.
 この爆撃機はミクリンの手による推力8,750kgの大推力のジェットエンジンАМ-3を2基搭載し,最大速度1,000km/hで航続距離は3,700~5,700kmの大型戦略爆撃機Ту-16となりました.
 1952年に初飛行を行うと直ぐにТу-16は大量産が掛けられる事になりましたが,当初は900km/h附近で操縦性が低下する問題点を抱えていました.
 其所でЦАГИではフリスチャノヴィッチを責任者とするグループ,航空研究所(ЛИИ)では,オストスラフスキーとガイツを責任者とするグループが研究を進め,課題を解決していきました.

 この他,バーデ率いるドイツ人グループは,超音速爆撃機Б-140の設計を1949年に完了しています.

 結果的に,冷戦期に活躍するソ連軍用機群の基本が形作られた訳ですが,この他に齎されたのは,軍需工業官庁としての航空機工業省の膨張でした.
 1940年の独ソ戦直前,航空機工業人民委員部は100箇所の工場に41,000台の金属切削工作機械を有し,370,200名の労働者を雇用していましたが,1945年には171工場,93,000台の工作機械,715,000名の労働者を有するまでになります.
 因みに,この膨張は1941年12月に疎開の為に行った218,000名(うち,技術有資格者137,000名)の大量求人の結果であり,この数は,全軍需工業関係の求人47万人の凡そ半分に達します.(他に弾薬人民委員部が136,000名,装備人民委員部が64,200名,戦車人民委員部45,000名)

 1946年には民需転換で158工場,623,300名に減りましたが,工作機械はドイツからの移転なども含めて106,000台に増加しました.
 軍需比率は,戦後一旦減りましたが,1946~50年の第5次5カ年計画では,軍用機25,765(内,ジェット機5,700機)の生産を計画し,1946年には民生品生産割合は50.2%,1950年の計画で46.8%だったのが,実績になると25.1%に減っていき,逆に言えば軍用品生産割合が74.9%と実に4分の3が軍需で占められるようになりました.

 1952年10月の第19回党大会直前に党中央委員会機械工作工業課が作成した,「1938~50年ソ連機械製作工業の発展に関する資料」では,航空機工業省では,この期間中20機種の航空機を製作し,9機種を量産化し,30種のピストンエンジン,ジェットエンジンを開発し,ジェットエンジンでは2機種を量産化しました.
 航空機の総生産機数に占めるジェット機の比率は1946年には僅か1%でしたが,1948年には6,530機の生産計画中,750機がジェット機となり,1950年にはその比率は65%に達しています.

 正にソ連にとって,海外からの技術吸収は干天の慈雨となった訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/04/07 23:13


 【質問】
 Su-27なんかのSuの部分は,普通に「エス・ユー」って読み方でいいんですかね?

 【回答】
 Suを英語圏の人間は「スウ」と読むようです.Su-27は「スウ トゥウェンティセブン」とかなるわけ.
 ソ連大使館の武官もSuをスー,Tuをトゥーと読んでいた.その武官はその後スパイ容疑で逃げ出したが(笑).

軍事板


 【質問】
 ソ連機のコードネームは,あまりいい意味を持つ単語を避けている――「梃子の支点(ファルクラム)」とか――というのは本当ですか?

 【回答】
 コード名の意味を調べてみればいーんじゃない?(笑)

 というわけで,一例を.

・フォックスハウンド【foxhound】(MiG-31のコード名)
 犬の一品種.
 狐狩り用の中形のハウンド.
 毛は短く,色は白・黒・褐色の斑(まだら).耳は垂れている.
 英国原産のものと米国の改良品種とがある.

・フランカー【flanker】(Su-27のコード名)
 ラグビーで,フォワード第3列目の左右両端のプレーヤー.

・フリースタイル【freestyle】(Yak-141のコード名)
 1 レスリングの種目の一.
 グレコローマンスタイルと異なり,相手の腰から下の攻撃も許される.
 2 水泳で,自由形.
 3 「フリースタイルスキー」の略.

・ファーマーFarmer(MiG-19のコード名)
 農業経営者,農場主,農民

・フェンサーFencer(Su-24のコード名)
 フェンシングの選手

 ・・・ハンターとラグビー選手とレスラーと水泳選手とスキーヤーと農家とフェンシングの選手に謝れ(笑)

シア・クァンファ in FAQ BBS

>flanker
>アメフトのWRの片割れで自由に動いてビッグプレイを狙う方の選手

 Su-27にはけっこう当てはまってる?

SLE某 in FAQ BBS

 自分の知っている例をいくつか.
 当初,ツポレフTu-22(Tu-26でない方)はBeautyというコードネームを付けられますが,後に美しすぎるという理由でBlinderに変更されたそうです.
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/Tu-22bli.htm

Flankerについては米俗語でインチキといった意味もあるそうです
http://www.eigotown.com/culture/sports/football/football_p4.shtml

 そして,もしコンピュータでランダムに選んだのならMig-25がFoxbat,派生型であるMig-31がFoxhoundであることが偶然だと言うことになるわけです.

 その他NATOコードネームとその意味の一覧
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/nato.htm

 以上,参考になれば幸いです.

M63 in FAQ BBS

 「ソ連機のコードネームは,あまりいい意味を持つ単語を避けています」の件ですが,確か週刊エアクラフトに書いてあったと記憶しています.
 ただ,具体的にどの号かを確定していないし,コードネームを付ける基準として載っていた訳でもないので,今のところ俗説以上の論拠を出せません.

 ちなみに私が読んだのは,MIG-29かSu-27のコードネームに関してでした.

名無し in FAQ BBS

 ……というわけで,本サイトとしては現状,肯定も否定もできないので両論併記.


 【質問】
 最近のロシア機のセールスの調子はどうですか?
 西側の規格の武装(サイドワインダーやらMkシリーズが運用できるようにする)やネジやボルトを同じにして,ロシア機を作れば,もっと売れるんじゃないでしょうか?

 【回答】
 ロシア機のセールスは好調です.
 特に中国に対してよく売れており,インドやマレーシア等も併せてロシアの輸出産業のスターとなっています.
 モスクワで開かれたエアショー,MAKS2005においても1000億円以上の商談が成立したと言われています.
 単にいわゆる「西側」に売れていないだけです.

 また,軍用機,装甲車両など併せて西側のエレクトロニクス,西側口径の砲などを搭載したモデルも作っています.
 ロシアの動静は,米の最新鋭機に見劣りすることもあってあまり報道されないのですが,決して閑古鳥してるわけではありません.

 「以前からの武器体系」というものもありますが,価格の割に性能が良いという面が高く評価されています.
 第一級を買えるなら米から最新鋭機を買えばよいのですが,そうはいかない場合,ロシア機が次善の選択になる.
 特に現在はF/A-22は門外不出,F-35は契約国が先約してていつ入手できるかわからない.ラファールやユーロファイターは実績がない.
 ……というわけで,東南アジア,中国,インド,中東などに,スホーイを稼ぎ頭に,イリューシンやジェットエンジン,レーダーなども売ってるわけです.
 ライセンス生産や共同開発などによる技術供与も,魅力の一つのようです.

 対するに米はF/A-18やF-16,F-15を持ってきてるわけですが,上記のような条件や,費用対効果比,米の輸出規制や輸出後もうるさい口出しなどがあって,ロシアの門を叩く国も多いわけです.
 それもできない国は,フランスの古いミラージュや中国製に手を出す.あるいは使用条件さえ合えばグリペンのような,最新型だがやや融通の利かない機を選ぶ(南ア)こともあります.

 規格に関しては,旧ソ連の設計局>航空企業も,西側アヴィオニクスへの入れ替えての販売攻勢とか,西側企業との合弁,旧式機の換装ビジネスとかも手がけています.
 生き残る為に金になる事はとりあえず思いつく事はやってます,その結果としての現状な訳です.
 ネジ・ボルト類に関してはヨーロッパの企業も同じ土俵ですし.

 ただ,無線機の載せ代えやIRAAMのボアサイトモード程度の追加ならそんなに難しくはありませんが,BVRAAMとなるとFCSもいじらないといけないから結構大変です.
 違う外部装備品となると搭載飛行テストもやらないといけない.これらのテストや,図面や治具を2系統準備しなければならないなど,コストがかかる.
 その辺をどう経営判断をくだすかという問題になりますが,微妙に仕様の異なる,従来型と西側仕様の2つのラインを生産することにしたら,規模の経済がそれだけ損なわれます.
 経営効率,生産効率がそれだけ落ちることになりますね.

軍事板

「世界に広がるスホーイの翼」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 東側はレーダー兵器の開発にずいぶん手間取ったのに,空対空ミサイルや艦対艦ミサイルなどをすんなりと,西側と互角のものが開発できたのはなぜなんでしょうか?

 【回答】
 コピーものもありますが,Archerはじめ,二桁世代のSAMなど,登場した際に西側に「ショックと怖れ」を 与えたミサイルも多く,米がMOAB用にパテントを購入したので有名なlattice fin(格子状尾翼)も独創です.

 ソ連AAMの優秀性は主に空力面の研究が西側より進んでいたことに依拠しており,西側技術の盗用というよりは,努力の方向が違ったからということではないでしょうか.
 対艦ミサイルに至ってはMiG-15を縮小無人化してみたりなど,電子技術に頼った西側とは別の柔軟な アイデアに基づいた発展をしています.
 技術の発展の方法,方向はいろいろある,という事実の一つの表現ということでしょう.

 また,もともと流体力学系に強い,といった面もあるでしょうが, ロケットに関する基礎技術自体,人工衛星が米よりも数年レベルで先んじていた点(重量,信頼性加味)からも,ソ連のミサイル技術は西側と異なる方向性ではあるものの,水準としては同等だったと考えられます.

 もっとも,ソリッドステートの電子技術では遅れを取り,いまだにAESA素子の自己生産ができないようですから, 苦手~遅れている面があるのも確かでしょう.

 ※アトールは台湾海峡紛争で入手したサイドワインダーのフルコピーとされている(事実らしい) .
 しかし,MiG-23が使った中距離ミサイルはスパローが基になっているとよくいわれるが,詰めていくと根拠はきわめて薄弱だ.
 MiG-25のは外見はフェニックスによく似てるが,中身は別物のようだ(「世界の傑作機」ほか).

軍事板


 【質問】
 ソ連のジェット機開発の始まりは?

 【回答】
 ソ連初の純ジェット戦闘機と言えば,Як-3の機体に,ドイツ製Jumo004を搭載したЯк-15ですが(МиГ-9は政治的な理由で初となっていますが),ソ連は其より前にジェット発動機の開発を進めていました.

 1929年,『航空隊の技術』誌に,中央空気流体力学研究所(ЦАГИ)のモーター部長ステチキンが「航空用反動機関の理論」と言う論文を掲載します.

 この論文を受け,各地で先駆的な試みが始まり,1930年代の半ばにはハリコフ航空専門学校学生であるイエレメンコが初のターボジェット機ХАИ-2を構想し,同校の熱機関研究室技師であるリューリカがその機体に搭載するエンジン,推力500kgのРТД-1を設計しました.
 この機体が設計作業に入ったのは1937年ですが,ХАИ-2は設計最高速度500km/h,巡航速度120~130km/h,重量1.5tと言う謂わば平凡な性能の機体で,胴体下に空気取入れ口を持ち,S字状のパイプでエンジンまで空気を導き,胴体下から排気する構造でした.
 今の機体で言えば,吸気口の位置を除けばポーランドのTS-11によく似ています.
 流石に,こんなラジカルな機体は設計図盤上から先に進みませんでしたが,もし,実現していれば,ソ連もジェット機開発では先端を行っていた事になります.

 機体は実現しませんでしたが,リューリカはレニングラードのキーロフ工場に於て,РТД-1を発展させたРД-1を製作し,1941年夏には75%まで完成した状態に漕ぎ着けました.
 そのРД-1を搭載する機体は,1942年10月,ラヴォーチキン,ゴルブノーフと共に共同設計で戦闘機開発に当っていたグゥドーコフがそのエンジンの設計図を目にした事から,彼等が設計したЛаГГ-3にРД-1を搭載した機体を構想しました.
 РД-1は推力530kgで,これを搭載したЛаГГ-3改は最大速度700km/hを予定していました.
 このエンジン装備法は機首先端に空気取入れ口を設け,直ぐに機首下にエンジンを搭載すると言う,正に後のЯк-15と同じレイアウトでした.
 とは言え,この最大速度700km/hと言う数字は余りにも楽観的な見通しであり,更なる検討が必要でしたが,戦局が悪化し,リューリカは包囲されたレニングラードに閉じ込められ,実験工場の責任者となり,エンジンの製作どころでは無くなって,研究に打ち込めず,1944年に研究に復帰するものの,包囲時の健康悪化により病気となっていました.

 1944年始めになると,今度はРД-1を用いて,ミコヤンとグレーヴィッチが率いるМиГ設計局がИ-300,スホーイ設計局がСу-9(後の超音速迎撃機Су-9とは別物)を開発するよう命じられますが,РД-1のエンジンは実用には程遠い事が判明した為,結果は不首尾になっています.

 正統的なジェットエンジンについては,リューリカを中心に行われていたのですが,傍流に当るジェットエンジン開発も様々に行われています.

 1940年からは直流式ラムジェット・エンジンを戦闘機に取り付ける試みが先ず始まり,И-15бисとИ-153の下翼下に2基のラムジェットエンジンが取り付けられ,試験が行われています.
 この他,ЛаГГ-3やЯк-7Бにも同様の試みが為されています.
 これは,ソ連がエンジン開発の遅れから大馬力エンジンの入手が出来ず,速度や上昇力がドイツ戦闘機に比べ劣っていた為であり,それを補う為に,原始的なラムジェット・エンジンを利用しようとした訳です.

 確かに,これで速度は30~50km/h向上しましたが,余計な荷物を追加した為に,それを稼働させていなければ反って性能は低下し,機動力は落ち,かと言って稼働時には60~70kg/minと言う莫大な燃料を消費してしまう代物でした.

 もう一つの潮流は,イタリアのカプロニ・カンピーニ方式のエンジン・ジェットでした.
 こちらは,ピストンエンジンと単軸コンプレッサーを組み合わせたもので,1943~45年に掛け,ホルシチェフニコフ率いる設計局が開発しています.
 こちらの方は,1945年3~4月に掛けて,И-107型エンジンをСу-5に,И-250型エンジンをМиГ-13にそれぞれ搭載し,試験飛行を行いました.
 しかし,こちらはピストンエンジンの重量と高速飛行時のプロペラの効率低下に悩まされ,結局この開発も打ち切られてしまいます.

 「ジェットじゃなければロケットを使えば良いじゃない」と言ったかどうか知りませんが,補助エンジンとして液体燃料ロケットエンジンを用いる試みもありました.
 ペトリャコフПе-2爆撃機,Як-7,Ла-7,Су-7戦闘機に推力300kgのРД-1が搭載され,試験を受けましたが,これも,速度が70~180km/h上昇したものの,酸化剤として扱いの難しい液化硝酸を搭載しなければならず,燃料消費量も約90kg/minと莫大な上,信頼性にも欠陥があり,その上操縦が難しいなどの欠点があり,これ又芳しい成果を収めませんでした.

 純ロケット戦闘機については,ドイツでその開発と実戦配備に成功し,日本でも開発が行われている事を知ると,ボルホヴィチノフが政府に液体燃料ロケットエンジンのみを搭載した戦闘機の開発を進言し,ベレズニャークとイサーエフの共同設計で戦闘機開発が行われる事になります.
 こうして誕生したБИは,木製の主翼を持つ機体に,推力1,100kgの液体燃料ロケットエンジンД-1А-1100を搭載したもので,試作段階から20mm機関砲2門を有するのが戦局の悪化を物語っていました.
 この機体は工場の東方疎開により製作が遅延し,1942年5月15日に3分間の初飛行をします.
 しかし,欠陥が何十もあり,飛行時間が2分と短い割に705kgの燃料と酸化剤を搭載する必要があると言う効率の悪さから,1943年3月27日に起きた事故を機会に,その研究開発は中止となりました.

 こうして,ソ連の国産ジェットエンジン開発は,何れの経路も頓挫する事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/03/29 21:51

 ドイツの崩壊が間近な1945年2月,航空機工業人民委員部はジェットエンジンの自主開発路線をスターリンに進言しますが,彼は,航空機工業人民委員部次官のヤコヴレフ等の意見を制して,ドイツの技術習得,ドイツ製エンジンの利用を命じました.

 ソ連の航空エンジン開発は,1920年代に導入したイタリア製フィアット発動機の導入に始まり,ドイツのBMWエンジン,イスパノスイザ,グノーム・ローンと言ったフランス製エンジン,ライト・サイクロンなどの米国製エンジンと言ったエンジンを常に技術導入し,それから学んで独自に発展させていったものです.
 スターリンは,ジェットエンジンにしても自主開発路線では時間が掛かり過ぎると判断したと思われ,将来的な戦争の為にも,先ずは手っ取り早く,しかもライセンス料が必要ない,敗北しつつあるドイツの技術を活用する事を考えた訳です.

 1946年3月,ヤコヴレフを委員長とした政府「特別委員会」が,ドイツに赴き,国内の航空機メーカーを視察した後,4月2日,ヤコヴレフと航空機工業大臣フルニチェフは,スターリンに対し,ソ連の航空エンジンの将来像について審議するよう要請すると共に,その席上でヤコヴレフはドイツ視察旅行の報告も行いました.

 4月17日付で,ヤコヴレフ委員会の報告は閣僚会議で検討され,以下の項目について,閣僚会議布告№874-366によりドイツで試験研究を行う様決定が為されます.

1. Junkers Jumo004Fジェットエンジンの製作
2. Junkers Jumo012ジェットエンジンの製作
3. BMW-003Sジェットエンジンの製作
4. BMW-018ジェットエンジンの製作
5. 低空戦闘爆撃機Junkers EF-126の製作
6. 爆撃機EF-131の製作
7. 実験機DFS-346の製作
8. 高速ジェット爆撃機EF-125の設計
9. 航空ディーゼルエンジン Junkers Jumo224の設計
10.無人機用自動操縦装置の設計

 この決定に基づき,ユンカースの工場があったデッサウに第1特別設計ビューロー(ОКБ-1)を設置します.
 このОКБ-1は,ドイツ人が中心で,1946年5月14日にはエンジン設計ビューロー(指導者シャイベ博士,博士号取得技師10名,ディプロマ取得技師22名,技師47名,技士・設計士90名,詳細設計の為の製図工88名,マイスター8名,労働者・職員166名の合計431名が在籍),航空機設計ビューロー(指導者バーデ博士,博士号取得技師2名,ディプロマ取得技師31名,技師164名,設計士106名,詳細設計の為の製図工33名,労働者・職員95名,パイロット2名)の合計433名),エンジン生産工場に254名,航空機生産工場に635名,治具等生産工場191名,この他,工場技術課に技術者66名,労働者・職員106名,生産サービス部門,車両部門,財務課,会計課,人事課,警備などの補助的諸部門で851名と,全体の規模は2,992名が在籍しています.

 この中には,Junkers社のライプチッヒ近郊にあるムルデンシュタイン工場のJumo004生産部門で課長職に就いていたブランドナーがいました.
 彼はソ連軍に捕えられ,混乱した状況で散り散りになった生産チームのメンバーを再度集めるのに協力させられた後,モスクワに連行され,ソ連のエンジン設計技師だったクリモフに対し,ユンカースのジェット機開発状況について報告させられた後,クリモフの副官であるクズネツォーフに従ってレニングラードで一緒に働かされ,1953年に漸く解放されました.

 この設計ビューローでは,1946年秋までの移転まで非常に短い期間の間に様々な作業を行いました.

 Jumo-004Fについては,5月8日に空気取入口の改造と噴流スタビライザーの安定版取付けを強化,冷却装置を改善してガス圧縮機に二重壁を持たせ,ジェットノズルの先端部を改造し,ジェットノズルに空気流量を変化させる構造を追加して,高熱時の過熱によるのエンジン故障続出に対応しました.
 このエンジンは,7月25日までにシャイベ博士の指導の下,25時間の稼働実験と性能測定試験を実施しています.

 Jumo-012は,敗戦時に放置状態だったものを組立て,1946年6月25日に組立完了.
 7月6日から試験が開始されましたが,構造計算ミスでタービン軸部のリング破損や内壁の歪み,タービンの設計ミスに歪みや直径の縮小などが発生しています.

 Jumo-224については,当初はシャイベ博士が担当していましたが,後にゲルラッハ技師を中心とする技師・設計技師29名,技士10名,製図工12名,複写要員4名のチームを独立させ,ディーゼルエンジン専門部隊としました.

 EF-126は,1946年5月10日に第1号機の地上試験と最終組立を実施,第2号機が最終完成ラインにあり,3~5号機が製造中でした.
 6月に試作機2機が完成して曳航試験は完了しますが,離着陸装置のスキー型滑走装置の出し入れが緩慢であったり,昇降舵の後退角が不十分であったり,パイロットランプの歪み,昇降舵の作動ギアの設計ミスなどが見つかり,ソ連領内で組立てる3~5号機にフィードバックし,5号機では更なる改良を施す予定でした.

 EF-131は1946年5月10日現在,航空機本体の設計を完了したものの,射撃・爆撃照準装置,ロケット推進によるスターター部分,自動操縦装置,レーダー,個別制御装置,電波高度計等が未設計でした.
 6月には,最終設計段階にありましたが,空軍はこの段階で性能の大幅な向上を求める「戦術的・技術的要求(ТТТ)」を航空機工業省に突きつけ,此の儘突き進みたいとするОКБ-1と対立しています.

 Hs-132については,資料収集が完了したものの,ソ連に無い規格の鋼材や非鉄金属を使う為,設計作業が停滞していました.

 DFS-346については,Юлия計画と呼称され,ロケットエンジンを搭載した超音速航空機の開発計画でした.
 地上発射の場合はカタパルト発進が予定され,3月10日付の人民委員会議布告№606-249сと次官指令№1/195сに基づいて7月から,旧ハインケル社の技師149名を動員して専門の設計ビューローが開設されています.

 BMW発動機関係については,ウナゼブルグのBMW工場を基礎にして,第2特別設計ビューロー(ОКБ-2)が開設され,此処で開発が行われました.
 開設当初は,生産部門に職員5名,労働者95名(内直接生産に携わるのは60名),設計ビューローに職員28名,労働者5名,管理部門には職員5名,労働者20名の合計158名の陣容でしたが,1945年年末には生産部門に職員65名,労働者263名,設計ビューローには職員78名,労働者22名,管理部門に職員40名,労働者90名の合計558名に強化されました.
 この数は,1946年5月27日には更に増え,開発部門に308名,生産工場に490名など合計1,723名の陣容となっていました.
 この内,ロシア人は僅かに12名を数えただけでした.
 7月17日,更に陣容は強化され,設計部門392名,生産労働者577名,工程・工具部門に157名,補助労働者400名,建設部門に304名,管理部門に87名,車輌運転手,警備,消防などの補助部門が190名,ロシア人11名の合計2,107名となり,機械類は342台設置されていました.

 BMW-003については,敗戦時,工場に推力800kgのエンジンが残されており,1945年年末までに試験台2基,始動モーター試験台と噴射ノズル試験台が設置され,推力1,050kgを目指し出力強化試験が行われています.
 1946年7月始めの1号機試験は燃焼開始1時間5分でタービン翼が3枚千切れ,温度は850度に達しました.
 7月15日に完成した3号機は設計変更を加え,推力800kgの制限下で慎重にテストし,温度750度,1時間50分後の点検では,タービン翼の1枚に取るに足らないガタ付きが1箇所ある以外は欠陥は見いだせませんでした.

 改良型であるBMW-003S第1号機は6月15日に組み立てが完了,1時間39分の稼働試験を行いますが,1時間後にタービン翼中心部に変形が見られ,第2号機は40分後にタービン翼が破損し,大きな振動が現われ,燃焼室の過熱によるタービンの膨張などが見られ,タービン翼先端と内壁の間隙は2.8mmから0.8mmに縮まりました.

 BMW-018についてはほぼ1からの開発となり,5月27日現在のエンジン製作に必要な設計図面は15%,約300枚に留まり,部品製作は約10%まで進捗しましたが,BMW-003に人員を割かれた為,スローペースで展開されていました.
 又,熱加工の為のキューポラが整備されていない不備も生じていました.
 7月17日になると,陣容拡大の効果が出たのか,詳細設計書の進捗は90%,部品準備は25%に進んでいます.

 てな訳で,明日はОКБ-3とОКБ-4について.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/04/02 23:33

 昨日は,ドイツ国内に作られたソ連の特別設計ビューローであるОКБ-2までの話を書いてきましたが,今日はハレにあった第3特別設計ビューロー(ОКБ-3)を先ず取上げます.

 ハレのОКБ-3は,Siebel社の工場を基礎に解説され,1946年5月1日現在,技術者131名を含む総勢788名が勤務していました.
 このОКБでは,超音速航空機の開発を最終目標としていました.

 この為,中心にはエンジン開発部門があり,そこでは,
Walter109-509(推力1,700kg),
Walter109-510(推力2,000kg)の両ロケットエンジン,
BMW-003に付随する補助ロケットエンジンであるBMW-3395(推力1,200kg),
同じくBMW-3390S(推力4,000kg)
が開発されていました.
 この為,エンジン用の試験台が8基あり,燃焼プロセスの研究も行われています.
 この他,ロケットエンジンの燃料タンク組立と,液体ロケット燃料の研究も俎上に上っていました.

 しかし,このОКБ-3は,他のОКБよりも困難な状況にありました.
 1つ目の問題は,ソ連の専門家が不足していた為,このОКБの統率が取れなかった事,
2つ目は,この工場のドイツ人専門家が米国に連行された他,ソ連占領地区居住者でも,このОКБ-3で働く事を是としない者が多かった事,
3番目の問題は,自動車輸送部隊を配備する決定が滞り,資材や設備の入手が困難である事,
最後に,資材や設備を見つけても,それを運び出す許可は官僚的手続きに基づくので,非常に時間が掛かる事
等が挙げられています.
 実験設備,燃料タンク関係設備,資材の殆どはバスドルフにあり,ハレに順次輸送していましたが,一部は直接モスクワに送られてしまい,現地ОКБでは利用出来ないと言うのが大きな問題点でした.

 更に大きな問題は人材確保の深刻さで,エンジン,高々度用与圧室の設計技師,燃料開発の化学者が払底していました.
 専門家の選定はОКБ-3の将校団が担当していましたが,一連の専門家は西側占領地区に居住していた為,「対応する諸機関の速やかな援助が必要」である,とされていました.
 実際,DFS-346開発には,そうした手段により連れて来られたドイツ人達が従事していました.

 こうした困難の中,Walterエンジンについては,マルクリスから届けられた半製品ストックがОКБ-3開設時にあり,その後,アイレンブルク,ブランディフの飛行場やストック・ヤードから補助部品,ユニットが掻き集められました.
 それらを修理し,部品を補う事で14基のエンジンが生産出来ると見積もられていました.
 また,Walter109-509エンジンは,4つのサブタイプ全部を入手する事が出来ました.
 このうち,A2型は2基が組立てられ,1946年7月1日と3日に試験されましたが,T液,C液の何れの燃料も不足し,本格的な燃焼試験が行われていません.
 Walter-510エンジンはDFS-346用として3基が生産されましたが,これは燃料の入手が出来ずに試験すら行われていない状況でした.

 そのDFS-346は,製作途上でした.
 この為,ОКБ-3では,先ずは乗員訓練用のグライダーを設計していました.
 これは乗員訓練と安全性向上が目的でした.

 ところで,折角ロケットエンジンが出来ても,燃料確保が至難でした.
 1946年5月17日現在,ブルク近郊のストック・ヤードに,過酸化水素水150トンを発注し,又,ブランディフ飛行場でC液を発見しましたが,後者は警備司令部の妨害により発送出来ずにいました.

 Walter用の燃料はT液と呼ばれる過酸化水素水の82%濃縮精製物と安定剤としてオキシキノリンを添加した液体と,メタノール57%と,水化ヒドラジン30%,水13%を混合したC液があります.
 またBMW用エンジンの為には硝酸98%濃縮精製物と言った燃料が必要です.
 しかし,25t入手出来たC液には水分が多く,化学工場で蒸留を依頼しても,量が不足すると見られていました.
 BMW用の燃料は,30t入手出来ましたが,こちらはメタノールが多く含まれていました.

 両方ともソ連占領地区では生産出来ない代物だったため,代替案として他の連合国占領地域にあるI.G.社工場等で水化ヒドラジン,キセリジン,トリエチル・アミンなどの原料を購入する事が望ましいとされましたが,水化ヒドラジンの代わりにフェニル・ヒドラジン,トリエチル・アミンの代わりにジメチル・イソブチル・アミンと言った,ソ連占領地区で生産可能な代替品を利用する方法も研究されていました.

 ОКБ-4はベルリンの「アスカーニャ=ヴェルケ」社工場を基礎として開設され,主に航空機用自動操縦装置の開発・研究を担当していました.
 1946年3月25日現在,実働56名でソ連側要員は僅か3名で,所長レオンチェフ,副所長ソコロフ,補佐官レズニコフ大尉だけでした.

 ОКБ-4はベルリンと,フリードリヒスハーフェンに設計事務所,試験工場区,実験室とその第1工場(敷地面積1,500km^2,工作機械45台)を1946年7月に開設し,敷地面積3,000km^2,工作機械48台の第2工場が設置されました.
 この時点で,博士4名,ディプロマ取得技師6名,技師33名,技士16名,職員39名,有資格労働者143名,補助労働者129名,合計370名に拡大しています.

 3月25日現在,ОКБ-4では中央ジャイロスコープ・ステーション,制御装置,自動信号装置,30V500Hz三相交流電流供給用電動発電機,操縦装置3種,電波高度計の開発が為されており,既に350枚の詳細作業設計図が設計ビューローで作成されていました.
 とは言え,これらは他のものとは違い,全く1からの開発となっており,その上,管制用ジャイロスコープやゾンデコンパスを構成する2つのコンパスの1つ,ムッター・コンパスは,セニロフ少尉と言う人物がモスクワに持ち帰ってしまっており,資料が極めて少ない状態での開発となっています.

 ОКБ-4の具体的な課題は,7月25日時点では,15品目に上ります.

1. ジャイロスコープ・ステーション
2. 誘導コンパス指示器
3. 中央コンパス航路指示器
4. 中央操縦装置(計器類表示器など)
5. 平衡航路指示器
6. 信号装置
7. 操縦桿
8. 変速装置
9. 滑空度調整装置
10.無線式絶対高度計
11.ブイ型無線受信機
12.無線式距離計
13.離着陸自動計算・決定装置
14.プロペラピッチの自動変更装置
15.500Hz交流電流を自動操縦機器類へ送る為の変圧器

 また,試験研究用機器の開発にも責任を負っており,8項目が研究されていました.

1. マッハ計の為の空気力学研究用錘
2. 操縦桿による航空機のコントロールに働く諸力の測定指示器
3. 機体の主翼取付け部分に働く諸力の測定指示器
4. プロペラの旋回角自動記入装置
5. 各部に於ける気圧の自動記録装置
6. 測定機器設置用気密室
7. 舵角決定装置
8. -7~+15度までの荷重倍数決定装置

 こうした多岐に渡る開発項目の為,ОКБ-4では仕事を4つに分類し,第1の課題群から段階を追って進めるように予定にしていました.

 先ずは,コントロール用諸装置やゾンデ・コンパスの開発で,これは1946年7月の時点で完了していました.
 第2段階は,電動式操縦装置とジャイロスコープ・ステーションに用いられる管制用ジャイロスコープ装置の設計と製作でこれは1946年12月末が予定期日でした.
 第3段階は,ジャイロスコープ・ステーションの残り2つのジャイロスコープの設計と製作,絶対高度計などの試験済機器の実際に飛行機に取り付けての試験,システムとしての自動操縦装置一式の開発で,これは1947年5月1日が開発完了予定期日となっています.
 第4段階は,自動離着陸装置の開発で,完成期日は1948年4月1日が予定されていました.

 但し,この頃にはソ連本土への移転が俎上に上っており,レオンチェフ所長は,出来るだけ第3段階終了後に移転するよう要望を出していました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/04/03 23:47

 さて,今までドイツ国内に於けるソ連の航空機開発について書いてきた訳ですが,1945年8月2日に行われたポツダム協定でドイツ領内での軍需生産は禁じられていました.
 この為,4つのОКБで研究してきたそれぞれのものが生産に入る段階で,拠点をソ連に移転させる必要がありました.
 1946年4月19日の省令№228で移転が指令され,8月に入ると,これらОКБの移転準備状況報告を指示する次官指令が出されています.

 ソ連は,2箇所の試験工場を国内に準備し,第1試験工場へは,ОКБ-1から機械工場のプレス盤全て,大型研磨盤,フライス盤,研削盤,部品組立工場,航空機組立工場から全ての設備,被覆材工場の機械,据付台,非鉄金属鋳造設備,鍛造プレス機が,ОКБ-3からは研究用設備,計測制御機器・装置類,静止実験用機体試験台,エンジン試験台,飛行機部品用スタンプ・プレス機,航空機と部品の組立台,写真室設備,予備燃料保管庫,航空機製造・メンテナンス用部品ストック,半製品,資材,治具類,クレーン及び運搬装置が送付されることになっていました.
 第2試験工場へは,ОКБ-1,ОКБ-2から高度な研究設備,計測制御機器装置の全て,エンジン実験用計測制御機器を装備した格納庫,ジェットエンジン試験台,ジェットエンジン用資材,部品試験用研究設備,大型旋盤,中刳り盤,正面旋盤,大型フライス盤,ボール盤,研削盤,研磨盤,鍛造プレス設備,可変ピッチプロペラ軸受函試験用装置,ピストンシリンダー据付装置付試験台,ОКБ-1にあったクレーンと運搬装置が送られる事になっていました.

 この他,生産設備でも移送作戦が予定されていました.
 ドイツのソ連占領地区に於ける航空機工業省管轄分の設備からは,金属切削工作機械30,565台,プレス機4,921台,ハンマー79台,電動機5,467台,その他種々の設備27,928台が計画され,移送対象工場は30箇所から移送されました.
 航空機工業省管轄分の設備だけでこれだけの設備を移送するのですから,ソ連占領地区全体では正に根刮ぎの移送が行われた訳です.

 更にドイツ人「協力者」も移送されました.
 当時,ОКБ-1~4には8,000名の人間が働いていましたが,その内1,400~1,500人の移送が決定され,8月7日に,ドイツ人専門家・労働者1,400名,家族含めて3,500名の移送が決定,10月2日に先ず第1陣1,000名程度がソ連領内に特別列車で連行されています.
 デッサウにあった旧Junkers社員はクイビシェフ(現在のサマーラ)北方のウプラフレンチェスキに,ケーテン工場のメンバーはチェルニコフスクにあるKrimovの設計事務所に連行されています.

 しかし,彼等を折角連行しても,省で用いる研究設備製作の進捗状況や省購入委員会による研究設備発注に不備があり,設備が満足に稼働しておらず,彼等は暇をかこっていました.
 それならばドイツに戻して従来の設備で研究させた方が余程効率が良かったのでしょうが,この考えは却下され,結局,1946年末までに完全に4つのОКБはソ連領内に移転させられてしまいました.

 ところで,航空機工業省駐独代表部で,多くは然程重要ではない技術問題の解決に当っていた工務課は,1946年末に航空機工業省駐独科学・技術課(НТО)に再編され,航空機工業省と政府直属のドイツ科学技術達成物研究管理部,Gosplanに同時に所属する事になりました.
 НТОは,1947年から活動を開始しましたが,独自の設計ビューローを持つものでは無く,ソ連が株を取得したドイツ企業やその他のドイツ諸企業,個々のドイツ人専門家と契約を締結して,研究を委嘱して研究課題の遂行を行う目的がありました.

 これは残存課題を効率よく熟す事,そのコストを成る可く低減させる事,ドイツ人に作業を任せる事による士気の向上,数少ないソ連側専門家のОКБ運営と言う非本来的業務からの解放など一石何鳥も目指したものでした.

 1947年度のテーマは24件でしたが2件はドイツ国内に専門家が居ないと言う理由で除外され,代わりに別のテーマが年度途中で加わりました.
 年度末には最終的に42件に増加しましたが,14件は流体力学関係のテーマで,その中には超音速実験の為の空気力学実験用風洞装置と,空気力学計測機器の為の自動装置一式と言う重要且つ複雑なテーマのものまでありました.
 空気力学関係のテーマは11件で,その多くが超音速関係のものでした.

 これらの契約55件のうち,21件がソ連が株主になっている「ソヴィエト株式会社」,24件が他の諸企業,10件が個々の専門家でした.

 НТОにはベルリンの他に地方組織を持ち,これにはソ連側専門家も配置されており,当初6名,後に11名に拡大されていました.
 また,定員外の在ドイツ専門家も動員され,全42テーマで343名のドイツ人専門家が確保されましたが,流石に複雑な課題については,研究基盤が不安定では難しく,変則的ながら,НТО内部に科学・技術ビューロー(НТБ)通称Прибор(計測制御機器)を設置し,ドイツ人専門家に安定的な研究基盤を与える事にしました.
 但し,НТБの存在は,秘匿されるべき性格のものでした.
 こうして,1947年のテーマ達成率は計画上の数字67.3%をやや上回る67.6%となり,全体で454種の試作品が製作されました.

 しかし,НТО課長であったシュニットマンはこれに決して満足した訳ではなく,以下の困難と欠陥を挙げています.

1. 初発のテーマ別計画の不充分な準備と思慮不足による混乱
2. 本省による技術的条件(仕様や定格等)の確定遅延による初期活動の停滞(半年遅延した)
3. НТО勤務員の一部に専門性と資格の点でテーマの要求に不一致な人物が居た.
 (レーダー,通信関係の専門家は皆無,НТБには空気力学関係のソ連側専門家が居ない等)
4. ソ連側専門家の徹底的な不足
5. НТО,НТБにソ連側の文民通訳官,秘書(つまりタイピスト)がおらず,機密が守れない
6. НТБに於けるドイツ人空気力学専門家の不足
7. НТО独自の確固とした年間支出予算の欠如
8. 「ソヴィエト株式会社」への適切でない指導部人事
 (幹部に納期や完成品供与に責任を持たない者が居る)
9. 配給の不足

 更に,これに輪を掛けてトラブルが発生しました.
 1947年末,НТБで中心と成って働いていた空気力学の専門家であるコイネ博士の失踪です.
 НТБでは超音速に於ける空気力学実験用風洞装置の設計,超音速用ピトー管の設計,空気力学理論の研究を課題としていました.
 所長には,ソ連本国から適切な人物が派遣されるまで,シュメレフと言う人物が仮就任し,コイネ博士がドイツ側の中心人物となっていました.
 現地からソ連本国に対しては,幾度もソ連側専門家の派遣を要請していましたが実現せず,ソ連占領地区には空気力学理論関係のドイツ人専門家も不足していました.

 そこで,コイネ博士は,ソ連側に対し,西側占領地区にあるゲッティンゲンに赴き,其所に居住する専門家数名を説得してНТБに引入れると約束して,通行証を貰い,11月28日にゲッティンゲンに向けて旅立ちました.
 しかし,12月2~4日の帰任予定日になっても帰らず,官憲が家族を捜すと,家族も其に先立つ11月4日にはいなくなっていました.
 НТБは完全に秘密の存在だったのですが,こうなってしまっては既に西側に知られてしまったのも同然です.
 シュニットマンは,ソ連軍ドイツ軍政部人事部長にНТБの活動終熄を進言し,1948年1月にНТБは機械設備,制御機器の試作品製作を終え,ソ連国内への移送を報告し,3月19日にはНТБは閉鎖されたと言う報告が為されています.

 こうして,ドイツ国内での名実共に研究活動は終焉を迎え,以後はソ連国内での外国技術利用に向かう事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/04/04 22:52


 【質問】
 大韓航空機銃撃事件って何?

 【回答】
 1978.4.20,冷戦真っ只中の時代だというに,パイロット航法ミスで誤ってソ連領に侵入.
 迎撃されたあと,なんとか不時着した.
 日本人乗客,韓国人乗客,それぞれ1名が死亡し,13人が重軽傷.
 パイロット側にもソ連側にツッコミどころはある.

 銃撃事件のWikiに,

>1991年になり,ソ連軍戦闘機のパイロットが「即座に撃墜せよ」との命令に背いて威嚇銃撃をしていたことが判明した.
>そのため当時のソ連国防当局は侵犯機が軍用機または旅客機のいずれなのか区別が付かない状態で撃墜を指示する,
>国際慣習を無視した対応をしていたことが明らかになった.

ってあったwwwww
 ソ連こえええwwwww
 だけど,そんときの戦闘機の人,良い人でよかったwww

哲学ニュースnwk,2012/06/16(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 赤の広場セスナ着陸事件では,ソ連空軍は動かなかったのか?

 【回答】
 同事件は1987/5/18,ドイツ人マシアス・ルスト(当時19)が,ヘルシンキの飛行クラブ所有のセスナ172でハンブルクを発ち,フィンランド上空を経由してソ連国境を越え,モスクワの赤の広場に着陸した,というもの.
 セスナは赤の広場の南側,道路を跨ぐ橋に南から侵入し着陸,広場南の寺院前で停止した.

 ソ連空軍はセスナの領空侵犯後,MiG-23,2機が迎撃に飛び立ったものの,パイロットは大韓航空機撃墜事件後の国際世論のバッシングを思い出して,撃墜をためらったのだとか.

 事件後,ゴルバチョフ首相(当時)は国防相と防空軍司令官を解任し,軍人約2000人を処分.
 もっとも,この処分は,事件にかこつけて反改革派を一掃するためのものだったとも見られている.

 詳しくは「航空ファン」2006年7月号,p.71(西村直紀著述)を参照されたし.

消印所沢

 経過は以下の通り.(時刻はすべてモスクワ時間)

1987年5月28日
1321 ルスト機,マルミ飛行場(ヘルシンキ)を離陸
1420 フィンランド湾上空でソ連国境を越境
1429 エストニア共和国レーダー基地がルスト機発見.
    レーダー指揮所当直員,クリニツキー少佐は国境侵犯機と判定せず,監視を続行
1430 第14防空師団指揮所作戦当直員,カルペツ中佐と,偵察情報センター担当作戦当直補佐,チョルヌィフ少佐に目標情報(針路120度,速度120~150km/h,高度600m)を伝達,両人は目標を鳥の群れと判断
1445 カルペツ中佐,上級指揮所へ通報,目標に全ソ戦闘ナンバー8255を付与
1451 656戦闘機連隊のMig23(1機)がスクランブル
1523 Migがルスト機視認,パイロット,プーチニン少佐の報告「目標はヘリコプター」
1528 2度目の報告「目標は胴体に青い横縞の入った白い軽量スポーツ機.国籍不明」
1529 プーチニン少佐に帰投命令
1531 さらにMig4機が相次いでスクランブル,1750まで捜索するも目標発見できず(この間,各地のレーダーがルスト機を追尾)
1747 モスクワ軍管区防空軍指揮所でブラジニコフ中将,レズニチェンコ少将,グコフ少将,シゾフ少将,グヴォズジェンコ少将による協議.
「ヘリだろう?」
「小鳥の群れだ」
「パイロットは自説を言い張っているだけさ」
「あれが飛行機だと,みんなが苦労するぞ」
「隕石か鳥だ」
「雲があんなにあるのに隕石なんておかしい」
「レニングラードは鳥だと言っている」
「同調しよう.連帯表明だ」
・・・「目標は鳥」と決定
1840 ルスト機,レーダー監視対象から外れる.防空軍警戒態勢は平常態勢に移行
1900 ルスト機,赤の広場に着陸

 余波
解任=国防大臣ソコロフ元帥,国防次官兼防空軍総司令官コルドゥノフ元帥
解任,名誉剥奪の上,自由剥奪刑5年=カルペツ中佐
同3年=チョルヌィフ少佐(いずれも半年後に恩赦)

ソ連領空不法侵犯,国際飛行規則違反,悪質な不良行為により懲役4年=マチアス・ルスト(1年2カ月で保釈,国外追放)

 【参考文献】
「KGB極秘文書は語る」(アンドレイ・イーレシュ著文芸春秋社,),第3章「翼よ,あれが『赤の広場』だ」

ぴぴ in FAQ BBS

赤の広場
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ロシア軍機が牛を投下して漁船を「撃沈」した事件について教えてください.

 【回答】
 シベリアだかどっかでの話.
 ロシア兵が,「牛でも盗むか」と思い立ち,首尾よくかっぱらって輸送機に乗せた.
 ところが運んでいる途中,海上で牛が暴れ出した.
 このままでは危険.
 なので海上投棄したところ,たまたま操業中の漁船に直撃.漁船は一発で沈没.
 漁師たちは命からがら岸にたどり着き,当局に
「牛が空から降ってきて船が沈んだ」
と正直に話したところ,
「アホなことぬかすな!」
と逮捕されたそうな.

軍事板


 【質問】
 なぜロシアの戦勝記念日(5/9)はいつも晴れるのですか?

 【回答】
 戦勝記念日以外でも,大きな祭日ではいつも晴れです.
 なぜなら,祝日を晴れにするために,ロシア緊急事態省,空軍,気象台などの何百人もの専門家が,雨雲迎撃作戦を展開.雲行きが怪しくなり次第,イリューシンIl-18などの空軍機がスクランブル発進して,「晴れ薬」を撒布し,町に近づく前に雨を降らせてしまうからです.

 詳しくは,
「ロシアンぴろしき:必ず晴れるロシアの祝日.恐るべきロシアの天気操作技術」
を参照されたし.


 【質問】
 旧東陣営製のECMポッドってあまり名前を聞いたことがないですが,もし存在するなら名前を教えてください.

 【回答】
 古い話になりますが,イランイラク戦争時に使用されたSPS-141ポッドは優秀だったようです.
http://www.secretprojects.co.uk/forum/index.php?topic=713.0;wap2

 現代であれば,例えばSu-27は 「Gardeniya-1FUE」ECMポッドを使用します.
 Su-25はチェチェンでMPS-410「Omul」ECPポッドを使用しました.
写真の左端の四角いポッド.
http://www.aeronautics.ru/sukhoi/su25046.jpg

http://www.acig.org/artman/publish/article_56.shtml
の後半に,各国のECMポッドが簡単にまとめてありますので,ご参照ください.

軍事板


 【質問】
 ロシアにおける航空機用複合材料開発の現状は?

 【回答】
 ロシア航空産業も,地道な活動を行っている模様.
 2010年初頭からの量産を目指し,研究開発に着手しているという.

 以下,
「.kojii.net」:今週の軍事関連ニュース (2009/01/16) より.

――――――
 ロシアの UAC (United Aircraft Corp.) は,複合材料製品の分野を強化するため,2008 年末に発足した Aerocomposite への出資を決定.48% の株式を取得した (その他の株主は,Sukhoi (26%) と Progresstech 企業グループ (26%)).
 民間機で使用する複合材料製の機体構造・サブアセンブリー・コンポーネンツについて,開発・試験・生産・販売の体制を整えるのが目的.
 将来の民間機では,複合材料の使用比率が高まると予測されることから,この分野を重視することにした.
 まず 2009-2010 年にかけて研究に重点を置いて,2009 年中に生産拠点の設置場所を決定,2010 年初頭から複合材料製品の量産を開始する計画.(UAC)
――――――

 これに関連して 『航空情報』誌,「赤星通信局」No3の執筆者 小泉悠氏によれば

・スホーイのミハイル・ポゴジャン社長は,RSK-MiGに対して,「スホーイとの合併(事実上の吸収)によって,限られたリソースをスホーイ・スーパージェット(SSJ)100などの,「本当のブレイクスルー」となる計画へ集中するように」と主張している.

・ポゴジャン社長が発言した「ブレイクスルー」とは,ロシアの経済産業発展省が言い出した標語であり,ロシアを資源輸出国から工業製品輸出国へと成長させるための経済方針のことである.
 航空・宇宙・ナノテクなどの7つの分野が指定されており,なかでも新型リージョナル・ジェット旅客機SSJ100は,航空分野の目玉として注目されている.

 航空分野はロシアが得意とする所だし,むざむざと航空産業を潰すわけにはいかないしね.
 その点で言えば悪くない話だとは言える.

CRS@空挺軍 in mixi,2009年01月16日00:47
青文字:加筆改修部分


 【質問 kérdés】
 ロシアのS-300は巡航ミサイルに対して有効ですか?
Az orosz S-300 érvényes hajózási rakétákra?

 【回答 válasz】

 米英仏によるシリアに対する武力行使が行われましたが,その程で,ロシアがシリア防衛のために供与されたSAM「S-300」が,米海軍や米空軍の巡航ミサイルに対して全く無力であったのが明らかになっています.
 S-300はその射程とレーダーの性能から西側にとって脅威とされていましたが,実際はそうでもなかったようです.

> 攻撃「精密,圧倒的」=シリア防空システム効果なし−米軍高官:AFP
> http://www.afpbb.com/articles/-/3171218?act=all

 巡航ミサイルや対艦ミサイルは海面や地表をスレスレに飛翔しますからレーダー地平線で探知出来ない事もあり,レーダーで探知した時には既に目標の目と鼻の先を飛翔していたという事もあります.
 そのため巡航ミサイルの迎撃はSAMだけではなく,戦闘機による迎撃や戦闘機をミサイルに誘導するためのAWACSやAEWも必要になります.
 シリア空軍やシリア防空軍は旧式ながらも稼働可能な戦闘機を保有しており,稼働率が比較的良好なのはMiG21やMiG23,MiG29です.
 しかしバッシャール・アル=アサド大統領は総力戦になるまで空軍や防空軍の戦闘機を投入しない方針であり,シリアの巡航ミサイル迎撃はSAMに頼らざるを得なくなり,結果はこの様でした.

> 強力ではないが大量の防空戦力を持つシリア : 海国防衛ジャーナル
> http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50710070.html

 一方で,巡航ミサイルや対艦ミサイルの迎撃には戦闘機が必要だと改めて認識された事案です.
 S-300以外にも西側にはイージスシステムがありますが,レーダー地平線によるレーダーでは探知出来ない位置を飛翔するミサイルは,戦闘機がAEWで発見し,迎撃するしかありません.
 米海軍ではNIF-FCAと呼ばれるE-2DやF-35Bにミサイルを探知させてSM-6で迎撃させるというシステムを開発中で,我が国の海自でも導入が検討されていますが,開発終了や導入はまだまだ先のようで,しばらくは戦闘機に頼る事になるかもしれません.
 まして,このようなシステムの開発においついていないロシアや中国ではしばらくの間,巡航ミサイルの迎撃が課題となるでしょう.

ねらっずーり in mixi, 2018年04月21日
青文字:加筆改修部分


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