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(画像掲示板より引用)
新「六課」◆(2012/11/20) ヴィクターIII級原潜ダニール・モスコフスキーは遭難漁船の乗員を沿岸へ送り届けた
「六課」ACS◆(2013/04/15) ロシア海軍はヴィクターIII級原潜を近代化しない
「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/5/20) 修理中のヴィクターIII級原潜オブニンスクは進水した
「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/12/8) ロシア海軍のヴィクターIII級原潜オブニンスクはバレンツ海から巡航ミサイルを発射した
【質問】
671型(ヴィクター型)の原子炉はどのようなものか?
【回答】
VM-4P型と呼ばれる加圧水型原子炉が並列に2基搭載されたが,これはVM-A型に比べて出力が7%増加し,核燃料の寿命は8年に延びた.
また,遠隔操縦装置が大幅に採用され,循環系のパイピングも見直されて長さが短くなったことにより,信頼性が向上した.
そのためヴィクター型はノヴェンバー型に比べ,原子炉事故は減少した.
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.28-31
記載そのものには瑕疵はないのですが,分かりやすくするために以下の部分の修文を提案します.
> 循環系の「配管取り回し」も見直されて「配管の」長さが短くなった
【解説】
我々のような従事者だと「パイピング」=「配管取り回し(配管敷設ルート)」とすぐに思い浮かぶのですが,一般の方には難しいと考えます.
また,この「パイピング」は,単に機器を結ぶ配管を最短ルートで敷設すればよいと言う単純な物ではなく,熱膨張などの各種熱影響・機械的強度,配管曲がり部などの腐食・浸食・減肉の問題(エロージョンが主),放射線遮蔽の問題などがあり,現在でも製作とともに高度なノウハウが求められる重要な分野です.
そのため,パイピング等の設計の良否がそのプラント(この場合,原子力潜水艦)の信頼性を大きく左右するだけに,非常に重要視される物であり,その点において671型(ヴィクター型)は長年運用されてきたことでも明らかなように,致命的な問題点は少なかったものと評価できます.
> 原子炉事故は減少
第一世代に比べれば改善されたと言うことでしょうね.
ヴィクター型でも,K-314の事故では「原子炉冷却材喪失事故+原子炉格納容器破損」という,商業炉では絶対にあってはならない極めて深刻な事故(米国TMI事故は原子炉格納容器が健全であったため,これに比べれば遙かに軽微)を招いていますので,絶対的な安全であったとまでは言い難いと考えます.
<もっとも当時の知見において,専門家以外で加圧熱衝撃(PTS)を想定しなければならなかったのは,酷な面がありますが.>
解説はこちら:加圧熱衝撃
http://www.rist.or.jp/atomica/dic/dic_1924_01.html
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.31
へぼ担当 in mixi,2009年05月02日 02:34
【質問】
ヴィクター型原潜用原子炉開発までの過程を教えられたし.
【回答】
1955年半ばからは第2世代型原子力潜水艦用原子炉の開発が開始されました.
これはНИИ-8のデレンスをリーダーとして,プロイェークト639として始動し,この原子炉では原子力潜水艦の重装備化と高速化を目標に高出力の原子炉を目指したものでしたが,突然,この計画は打ち切りとなります.
計画中止の理由は明らかになって居ませんが,当時の海軍造船総管理部では,米国に短期間で追いつき,追い越す為に過大とも言える原子力潜水艦建造計画を作成しつつあり,プロイェークト639は,その目標が建造計画に余りにも低いものとして大幅に見直しを迫られたからと言われています.
1959年12月,プロイェークト639の代わりに出力を大幅に引上げたプロイェークト661が発動されましたが,この計画には長い年月を要し,661艦の試験が完了したのは実に1969年12月の事になります.
661艦はК-162と命名され,2基の高出力蒸気発生装置群を搭載し,船体に軽いチタン合金を採用することで,公試に於て出力90〜92%の状態で,計画速力37〜38kts/hに対し,42kts/hという驚異的な速力を実現することになります.
しかし,公試が進むにつれ,また,就役が進むにつれて欠陥が明らかになってきました.
即ち,船体が水を切って進む時に発生する乱流に起因する流体力学上の原因による外部からの雑音,敵に集中攻撃をかける為にミサイルを全搭載数分発射しようとすると,1度に2基宛発射するとして,次発装填から発射までのインターヴァルが3分掛かると言う戦術的欠陥が発覚し,特に前者の欠陥は設計時の考慮不足であり,1988年にこの艦は退役させられてしまいました.
ところで,当初海軍中枢部が示していた憂慮には相応の根拠がありました.
27/ВМ試験台では,К-3以後のプロイェークト627А艦となるК-5,К-8,К-14用の為の地上試験が行われていました.
しかし,この実験の過程で様々な故障が発生しています.
1956年末には一次冷却水回路のパイプ群の溶接部から冷却水が漏出し,これが為に循環ポンプが停止,試験台での実験が一時中止されています.
この際に,燃料棒が多数破損し,炉心の取り替えが必要と成りました.
1957年5月,27/ВМ試験台は復旧し,1961年1月まで実験が継続されました.
1961年5月には次の原子炉の実験を進め,1962年8月3日に念願の出力100%,即ち計画出力7万kWを達成します.
しかし,第4期試験の過程で1965年12月,小規模ながら冷却水の漏出が発見され,炉を停止して冷却した後,燃料棒を取出して炉内を点検した所,耐食性遮蔽板が疲労した結果,裂け目を生じていたことが判明しました.
この修復方法の検討には多大な時間を要し,1966年9〜10月,НИИ-8の開発した方法で修理が施されました.
この間,1960年10月13日にはК-8で航海中に蒸気発生器から冷却水が漏出した事故が発生しました.
これは幸い乗組員が補修して事なきを得ましたが,1961年7月4日に北大西洋を航海中のК-8で放射能漏れが発生し,司令官を始めとする乗組員が多数被曝,後に死亡しています.
有名なのが,1963年4月10日のК-19の事故で,8名が死亡,艦は航行不能となり,基地に曳航されています.
更に,1965年2月10日にはモロトフスクで繋留中のК-11の炉が過熱,暴走し,8名が死亡しています.
これも余りにも拙速に原子力潜水艦艦隊を編成しようとしたツケが回ってきたと言えるでしょう.
てな訳で,次は液体金属冷却炉について.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/05/13 23:04
【質問】
ヴィクター型ではどんな原子炉事故が起きたのか?
【回答】
1985/3/20,作戦行動中のK-38は,タービン区画でショートによる火災が発生,原子炉がストップしたため,北洋艦隊原潜基地へと曳航された.
同年/12/29,ウラディウォストーク近郊にあるパブロフスク原潜基地に帰港したK-314において,原子炉の1次冷却水漏れ事故が発生した.
規則では,損傷箇所の修理は原子炉が完全停止してからと定められていたが,原子炉室長は原子炉停止前に漏洩箇所のパイプを閉鎖.
ところが1次冷却水の遠隔操作装置故障のため,高圧蒸気の圧力により,調整弁経由で原子炉室に1次冷却水が大量に噴出.
新たに冷却水が補填されたが間に合わず,炉心融解が始まって,放射能を帯びた水蒸気が大量に吹き出した.
しかも,第4原潜艦隊副司令官リセンコ少将の誤判断により,原子炉に冷水が浴びせられた結果,原子炉格納容器に亀裂が入り,そこから噴出した放射性蒸気により乗員が被曝した.
事故後,K-314は予備役となり,原子炉から核燃料も取り出せないまま,現在もチャジマ湾の原潜修理工場に係留されたままになっている.
K-469において,自動装置の故障から,原子炉のタービンを破損した例もあったという.
一方,改正型の671RT型(ヴィクターII型)では,機器の信頼性も高まり,原子炉事故はなかったという.
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.31, 33
【ぐんじさんぎょう】
【質問】
ヴィクターIII型原潜「オブニンスク」について教えてください.
【回答】
B-138(Б-138)は671RTM「シュチューカ」型多目的原潜(ヴィクターIII型)
.
1987年10月,乗組員編成を完結.
1988年12月7日,K-138として起工.
1989年8月5日進水.
1990年5月10日就役([1][2]によれば1991年2月28日就役)
1991年2月28日,北方艦隊編入.
1991年,魚雷発射訓練成功賞授与.
1992年6月3日,B-138に艦名変更.
1993年,魚雷発射訓練成功賞授与.
1995年,魚雷発射訓練成功賞授与.
2000年5月5日,「オブニンスク(Обнинск,Obninsk)」の名誉艦名を授与さる.
2009年現在,北方艦隊所属.
活動は不活発で,事実上の予備艦?
歴代艦長
1991〜 Е. Н. Филиппов-В.В.Симонян
2006〜 А. А. Нельга
2007〜 Д. Кокорин
2008〜 кап. 2 ранга Михаил
Владимирович Домнин
【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/22147683.html
http://www.geocities.jp/aobamil/KL.html[1]
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィクター級原子力潜水艦
http://battle.onego.ru/forum/showthread.php?p=418211
http://ru.wikipedia.org/wiki/Обнинск
(подводная лодка)[2]
http://www.deepstorm.ru/DeepStorm.files/45-92/nts/671RTM/K-138/K-138.htm
【ぐんじさんぎょう】,2010/01/29 23:00
に加筆改修
【質問】
ヴィクターIII型原潜B-305(K-305) について教えられたし.
【回答】
かつてロシア海軍太平洋艦隊に所属していたプロジェクト671RTM原子力潜水艦B-305(Б-305)
西側では,ヴィクターIII型(Victor-III)のコード名で知られているタイプです.
コムソモリスク・ナ・アムーレ市のアムール造船所で建造.
1979年1月23日,「潜水巡洋艦(КрПЛ)」として海軍籍に登録
1980年7月27日起工
1981年5月17日進水
1981年9月30日就役
就役時の名前はK-305(К-305)でした.
1981年11月23日,太平洋艦隊に編入.
本艦は,沿海州のパヴロフスキー湾(бухта
Павловского)を基地として活動しており,
1986年,海軍総司令官より海上ロケット射撃功労賞および対潜戦闘功労賞を受賞,
1990年にも,海軍総司令官より海上ロケット射撃功労賞を受賞しました.
1992年6月3日,B-305と改称され,艦種も「原子力大型潜水艦(АБПЛ)」に変更されました.
1994年8月,訓練中のB-305に訓練弾が命中して火災が発生しましたが,間もなく鎮火.
1995年春,修理を終えた本艦は,予備役となりました.
1996年7月末,ウラジオストクで挙行されたロシア海軍創設300周年記念観艦式に参加.西側報道陣および海軍関係者の前に姿を見せました.
これが,B-305の最後の花道となりました.
1998年5月30日,B-305は,海軍籍から除かれました.
本艦が駐留していた沿海州パヴロフスキー湾の原潜基地は閉鎖され,除籍された原潜の保管場所となりました・・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/20567919.html
[本艦の歴代艦長]
・初代(1981〜1988年):V.K.ボンダレンコ
・2代目(1988〜1990年):S.P.ポターニン
・3代目(1990〜1994年):D.G.ポガダエフ
・4代目(1994〜除籍まで):S.P.ボーエフ
2枚目:原潜B-305艦内
3〜5枚目:パヴロフスキー湾の原潜B-305
6,7枚目:1996年7月末,ウラジオストクのロシア海軍創設300周年記念観艦式に参加する原潜B-305
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/5/7(水) 午後 5:28
【質問】
ヴィクターIII型について教えられたし.
【回答】
西側ではヴィクターIII型攻撃原潜のコード名で知られるプロジェクト671RTM多用途原子力潜水艦は,1978年から1992年の長期に渡り,合計26隻が建造されました.
1968年から1974年に掛けて15隻が建造された671(ヴィクターI)型原潜,
1975年から1978年に掛けて7隻が建造された671RT(ヴィクターII)型原潜
に続く671シリーズの最終タイプで,旧ソ連海軍の攻撃原潜のワークホースでした.
ソ連邦解体後も,本型の後に建造された971(アクラ)型と共に,ロシア海軍の原子力潜水艦隊のワークホースとして活動を続けるはずでしたが,極度の財政難はそれを許さず,1996年以降,次々と除籍されて行きました.
特に1998年には,1年間で12隻の671RTM型が除籍されてしまいました.
1990年代には,ちょうどオーバーホールや原子炉の炉心・燃料棒の交換時期に差し掛かかったものの,予算不足で実施されないまま除籍される671RTM型が多かったようです.
加えて,971型に比べて乗員数が多い事も,人手不足に悩むロシア海軍にとっては,本型の大量維持を難しくしたでしょう.
(水中排水量7,250トンで乗員数98名の671RTM型に対し,971型は水中排水量12,770トンで乗員数73名)
そして現在,ロシア海軍籍に留まっているのは,最終建造グループの671RTMK型5隻だけです.
なお671RTMKは,671RTMよりも静粛性が向上しています.
[671RTMK型]
全て北方艦隊所属
・B-292「ペルミ」(Б-292"Пермь")1987年11月27日就役
・B-388「ソスノヴイ・ボーリ」(Б-388)1988年11月30日就役
・B-138「ポリャールヌイ・ゾーリ」(Б-138"Полярные
зори")1990年5月10日就役
・B-414「ダニル・モスコフスキー」(Б-414"Даниил
Московский")1990年12月30日就役
・B-448「タンボフ」(Б-448"Тамбов")1992年9月24日就役
B-292は,予算不足でオーバーホールが実施されないまま除籍されようとしていたところ,ロシアのペルミ市が資金援助を申し出て,2002年7月27日,B-292艦長とペルミ市長の間で支援協定が結ばれ(一番下の写真),ようやく修理に取り掛かる事が出来ました.
これを契機に,名無しだった同艦は,「ペルミ」という個艦名を付けられました.
「ペルミ」は現在も修理中ですが,修理が終わった後,2015年まで現役に留まる予定です.
B-414「ダニル・モスコフスキー」は,行動可能状態にある数少ない671RTMK型でしたが,2006年9月6日,作戦任務中に火災事故を起こして損傷,予備役になりました.
B-388とB-138も行動は不活発のようであり,最終艦のB-448「タンボフ」だけが稼働状態にあると見られます.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/7/16(月) 午後 6:22
【質問】
ヴィクターIII型原潜B-388について教えてください.
【回答】
B-388(Б-388)「ソスノヴイ・ボーリ Sosnovy
Bor」は671RTMK型(ヴィクターIII型)潜水艦.
旧名K-388.
1987年5月8日起工,
1988年6月3日進水,
1988年11月30日竣工,
1989年3月1日就役.
北方艦隊所属.
1992年6月3日,B-388に艦名変更.
1994年,魚雷発射訓練成功賞授与.
1996年,SRZ-10にて修理.
1998年,魚雷発射訓練成功賞&対潜訓練成功賞授与.
2003年,予備役に?
2007年,修理.
2009年現在,行動不活発の模様.
【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/22147683.html
http://www.geocities.jp/aobamil/KL.html
http://www.globalsecurity.org/military/world/russia/671-list.htm
【ぐんじさんぎょう】,2010/02/09 23:07
に加筆改修
【質問】
ヴィクターIII型原潜「ダニール・モスコフスキー」について教えられたし.
【回答】
B-414「ダニール・モスコフスキー」は,プロジェクト671RTMK(ヴィクターIII級後期型)原子力潜水艦の1隻です.
ロシア・ソ連潜水艦総合情報サイト『ディープストーム』より.
【B-414「ダニール・モスコフスキー」,プロジェクト671RTMK】
1988年12月1日,レニングラード(現サンクトペテルブルク)のアドミラルティ造船所で起工.
1990年8月31日,進水.
1990年12月30日に就役しました.
1991年3月14日,赤旗北方艦隊に編入され,ザーパドナヤ・リッツァ基地へ配備されました.
同年10月,アラグバ(ヴィジャエヴォ)基地へ移転しました.
[原潜基地アラ・グバ(ヴィジャエヴォ)]
1996年9月18日,「ダニール・モスコフスキー」(モスクワ大公ダニール)と命名されました.
2006年9月6日,航行中に火災事故を起こし,乗員2名が死亡しました.
[「ダニル・モスコフスキー」火災事故(2006年9月6日)]
修理後に現役復帰し,現在も稼働状態に在ります.
[アラ湾(ヴィジャエヴォ)の原子力潜水艦]
2012年7月29日にセヴェロモルスクで開催された,ロシア海軍記念日観艦式にも参加しています.
2012年11月18日,「ダニール・モスコフスキー」はバレンツ海で,遭難した漁船を救助しました.
『ロシア連邦国防省公式サイト』より.
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ロシア連邦軍西方軍管区広報サービス発表
2012年11月19日13時13分配信
【北方艦隊の潜水艦はバレンツ海で漁船の船員を救助した】
11月18日,北方艦隊の潜水艦は,漁労航路〜リンナハマリからチェベルカ〜の途上にあった漁船「ルイバチー」の乗員の援助にやってきた.
これまでに得られた情報では,バレンツ海において民間船は海水の浸水により機器が故障し,航行不能となった.
バレンツ海において計画戦闘訓練任務を遂行していた原子力潜水艦「ダニール・モスコフスキー」は,同エリアにおける災害に近い所に居た為,救助活動を開始した.
悪天候条件下〜風速15メートル,風力3の強い突風で荒れており,視界不良の海域〜で北方艦隊の潜水艦は,同船の被災者を艦内に受け入れた.
数時間後,漁船「ルイバチー」は沈没したが,この緊急事態による犠牲者は居なかった.
[後略]
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二面図
写真
faq130623ms2.jpg
faq130623ms3.jpg
新「六課」,2012/11/18
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ダニイル・モスコフスキイ」火災事故について教えてください.
【回答】
ロシア北部のバレンツ海で停泊中の北方艦隊所属の原潜「ダニイル・モスコフシキー」(ビクター級)の艦内で,2006/9/6深夜,火災が発生し,乗員2名が一酸化炭素中毒で死亡しました.
放射能漏れはないそうです.
原潜は曳航され,母港であるムルマンスク州ビジャエボに到着しています.
火災は電気設備区画から起きており,電気回線のショートが原因と見られています.(ほんとかな?)
当時のロシア側の報道を幾つか.
潜水艦で火災,2人死亡,1人負傷-海軍総司令官
モスクワ,9月7日(インタファックス)
海軍総司令官ウラジーミル・マソリン大将は,ロシア北方艦隊の潜水艦「ダニル・モスコフスキー」で火災が発生し,2人が死亡,1人が負傷した事を,9月7日木曜日に公表した.
「火災により,35歳の准士官及び28歳の水兵が死亡し,潜水艦から乗員を避難させていた水兵1人が負傷した」と彼は言った.
2人の水兵がロシア原子力潜水艦の火災により死亡
モスクワ,9月7日(RIAノーボスチ)
ロシア国防省は,木曜日に,北方艦隊の原子力潜水艦で火災が発生し,2人の水兵を死亡させ,原子炉の自動停止を引き起こしたと発表した.
同省スポークスマンは,「昨夜,バレンツ海上の原子力潜水艦ダニル・モスコフスキーで火災が発生した」と語った.
彼は「火災により2人の乗組員が死亡しましたが,爆発の危険は有りません.電気回路の火災により,原子炉が自動的に停止しましたが,火災はすぐに消し止められました」と言った.
K-414ダニル・モスコフスキー(ヴィクターIII型原子力潜水艦)は,1991年3月にロシア海軍に引き渡され,2000年8月の原子力潜水艦クルスク沈没事故の際には,捜索及び救助活動に参加した.
浮上した潜水艦は,海軍基地へ曳航されている,とスポークスマンは語った.
北方艦隊の法務局は,この事件の調査を開始した.
2006年7月9日10時46分更新
海中の火災は,技術的な失敗の為に発生した-総司令官
モスクワ,9月7日(RIAノーボスチ)
ロシア北方艦隊の原子力潜水艦で発生した火災(2人の水兵を殺し,1人を負傷させた)は,技術的な故障の結果だった,と海軍総司令官が木曜日に語った.
火災は,K-414ダニル・モスコフスキー(ヴィクターIII型原子力潜水艦)の原子炉の緊急自動停止を引き起こしたが,速やかに消し止められた.
「おそらく,火災は電子機器区画で起こったショートサーキットによって発生した」とロシア海軍総司令官ウラジーミル・マソリンは言った.
マソリンは,防毒マスクを直ちに着けなかった為,消火活動をしていた2人の水兵が死亡したと語った.
別の水兵は,防毒マスクの酸素を使い果たした後,一酸化炭素中毒になった.
しかし,彼の生命は既に危機的状況から脱している.
乗員はその区画から救助されたが,ヘリコプターで病院に移送する途中で死亡した,と総司令官は言った.
マソリンは,1991年に就役した潜水艦がその修理期限を過ぎていたと語った.
しかし,同艦は良好な状態だった為に耐用年数が延長された.
ダニル・モスコフスキーは,2000年8月の原子力潜水艦クルスク沈没事故(このとき118名の乗員は全て死亡した)の際,捜索及び救助活動に参加した.
北方艦隊は,ヴィジャエヴォ(バレンツ海のムルマンスクから130km北方にある海軍基地)に潜水艦が曳航されると公表した.
「浮上した潜水艦の曳航は完了した」と艦隊司令部は発表した.
法務局は,海軍規則の違反行為の可能性があると見て,この事故の調査を開始した.
調査担当者はヴィジャエヴォ基地で活動している.
2006年9月7日14時23分更新
[/quote]
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/7/16(月) 午後 10:41
【関連リンク】
「ロシア・ソ連海軍」:ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その1
「ロシア・ソ連海軍」:ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その2
「ロシア・ソ連海軍」:ヴィクターIII型原潜「ダニル・モスコフスキー」その3
【質問】
ヴィクターIII型原潜B-524の略歴を教えられたし.
【回答】
671RTM型(ヴィクターIII型)多用途原子力潜水艦B-524は,レニングラード(サンクトペテルブルク)市のアドミラルティ造船所で建造され,
1976年5月7日起工,
1977年7月31日進水,
1977年12月28日就役.
就役後は北方艦隊に所属し,ザーパドナヤ・リッツァ基地に配備されました.
なお,就役当初はK-524(К-524)という番号でした.
本艦は,1982年10月11日から1992年8月まで「60リェート・シェフストヴァVLKSM」60
лет шефства ВЛКСМ(VLKSM後援60周年)」という個艦名が付けられました.
1986年3月25日から1996年4月18日まで潜水艦修理工廠「ネルパ」に入渠し,最終建造グループの671RTMK型に準ずる近代化改装工事が行われました.
1992年6月3日,改装工事中にB-524(Б-524)に番号変更.
改装終了直後の1996年4月18日,「ザーパドナヤ・リッツァ」Западная
Лицаと命名.
本艦の写真を見ると,他の同型艦と違って,セイルの前方に細長い鉛筆ケースのようなケーシングが有りますが,これは,シレーナСирена(セイレーン)と呼ばれる小型潜水艇の搭載スペースです.
シレーナは,直径532mm,全長8600mm,重量1,367kg,乗員2名の「人間魚雷」ですが,旧日本海軍の「回天」のような自殺兵器ではなく,工作員の運搬用潜水艇です.
サイズ的には魚雷発射管からも撃ち出せますが,本艦のみは,シレーナ搭載スペースが別に設けられました.
最終建造グループと同等の能力を付与されたB-524でしたが,2002年に除籍され,2006年に解体されてしまいました.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/7/17(火) 午後 8:34
【質問】
ヴィクターIII型原潜「ペルミ」について教えられたし.
【回答】
原子力潜水艦B-292「ペルミ」はプロジェクト671RTMK(Б-292"Пермь"),西側で「ヴィクターIII級」と呼ばれるタイプの1隻です.
1983年3月3日,プロジェクト671RTM水中巡洋艦K-292として海軍籍登録
1986年4月15日,プロジェクト671RTMKとして起工
1987年4月29日進水
1987年11月27日就役
1987年12月30日,赤旗北方艦隊第1潜水艦小艦隊第33潜水艦師団へ編入
1992年6月3日,「原子力大型潜水艦」に艦種変更.B-292に改称
2001年7月,第7潜水艦師団へ転属
2002年7月27日,ペルミ市と後援協定を締結し,「ペルミ」と命名
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/22147683.html
http://mltr.run.buttobi.net/faq21e02b.html#03587
2005年,ロシア海軍の戦闘編制から除籍
2006年6月,解体の為,セヴェロドヴィンスク市の艦船修理センター「ズヴェズドチカ」へ回航
2007年6月,「ズヴェズドチカ」の第52浮きドックへ入渠
というわけで,結局,修理される事は有りませんでした.
ペルミ市の地元メディアの記事(2008年3月19日)
http://www.permv.ru/archive/?article=8385
【潜水艦「ペルミ」は何処に在るのか?同艦は切断される・・・】
この中に,こういう一文が有ります.
「しかし,潜水艦(ペルミ)に再び不運が舞い降りた.
同じ頃,第7師団所属の,より近代的な潜水艦で火災が発生した.
"我々の"潜水艦の為の資金は,この艦の損傷を修理する為に転用されたのである」
火災を起こした「第7(潜水艦)師団所属の近代的な潜水艦」は,おそらく,B-414ダニル・モスコフスキーの事でしょう.
現在,"Google Earth"でセヴェロドヴィンスク市を見ると,浮きドックに載せられたヴイクターIII級原潜が写っています.
おそらく,これが原潜「ペルミ」でしょう.
「ペルミ」
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「ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課」
2010/1/7(木) 午後 10:19
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