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【質問】
ノヴェンバー型原潜の開発経過を教えられたし.
【回答】
船体に関しては,素材となる高硬度鋼の開発をНИИ-48,流体力学計算はЦНИИ-45,有名な中央空気流体力学研究所(ЦАГИ)が担当しました.
気密性の維持とヴェンチレーター,復熱・凝縮システムの原寸大実験は,人民戦士の称号を持つ退役潜水艦Д-2で実施されていました.
この潜水艦の最大のネックは,大型核弾頭魚雷Т-15の数十トンに及ぶ発射装置をどう配置するかでした.
自力で魚雷が始動するシンプルな発射管を想定した場合,その口径は2mとなりますが,構造は単純であり重量もそれほどではないことが分かり,設計に組入れられることになりました.
1954年末,船体の技術設計が完了し,海軍上層部での検討に回されました.
しかし,オリョール少将が委員長を務める海軍専門家委員会では,全くの新設計艦である627号艦にТ-15を装備する事に懐疑的で,設計は差し戻しとなりました.
結果的に,627号艦の装備は変更となり,Т-15発射装置1門,533mm魚雷発射管2門の代わりに,船首部に従来と同じく533mm魚雷発射管8門を装備する事になりました.
当初,このプロイェークト627の目的は,Т-15を用いた海岸施設の大規模破壊だったのですが,武装変更の結果,対艦船・対輸送船攻撃に切り替えられています.
これは,その後の核弾頭の小型化により,従来の533mm魚雷にも核弾頭を搭載出来るようになるという展望が拓けたからでもありました.
円筒型の船体は,特別に開発されたАК-25鋼で造られ,9つの防水区画に分けられていました.
第1区画は船首・魚雷部,第2区画はバッテリーと居住区,第3区画は司令塔,第4区画は補機群,第5区画は原子炉,第6区画はタービン,第7区画は電気設備,第8区画が居住区,第9区画が舵機と船尾部となります.
この内,乗組員が出入りする区画は第1〜4,8〜9区画で隔壁は15気圧に耐えるように出来ていました.
30名の士官は,2人部屋,4人部屋に配置され,第2区画に士官集会室,第4区画に下士官用集会室が設けられました.
潜水艦の連続航走距離は2ヶ月とされ,原子炉は艦の中央部に隣り合って前後に配置,蒸気発生器とパイプ群は炉から見てシンメトリカルに配置されえいました.
基本的な設備は防振,消音カバーで緩衝され,船体はレーダー波を減衰出来るカバーに包まれていました.
装備としては,水深100mでも発射出来る魚雷発射管とその制御システム「レニングラード」,レーダーアンテナ,周囲を監視する装置としてテレビカメラМТ-50装置を3基,聴音機,操舵装置群,凝縮器とヴェンチレーターなどがあり,排水量3,050t,潜航深度300m,潜行最高速力30kts/h,浮上時最高速力15kts/h,潜行日数は先ほども触れた様に50〜60日,乗組員数85名で,魚雷発射管8門に対し533mm魚雷が20発装備されており,1955年に完成した米国海軍のノーチラスとほぼ同じ性能を予定していました.
因みに,1959年,ドレジャーリは米国を訪問しています.
その際,シッピングポート炉や原子力船サヴァンナ号の建造過程を見学し,自分達の軽水炉が米国のそれに比べても遜色のないことを確認し,自信を深めています.
〔略〕
船体の方は1955年9月24日に起工式を終えましたが,原子炉実験の一定の成功を待って,1956年10月に蒸気発生装置群の据付を開始し,1957年8月9日に進水式が挙行されました.
9月13〜14日の両日,初めて最小出力ながら原子炉を洋上で稼働させ,9〜10月にかけ船体外部の蒸気発生源の力を借りての調整が完了しました.
1958年5月19日〜6月5日,中型機械製作省のニコラエフを長とする官庁間委員会の試験に於て,計画出力の60%の出力で繋留しつつ実験が行われましたが,それ以上の出力での試験は,舫の強度を勘案して回避されています.
引き続き,7月13日〜12月1日まで,イワーノフ海軍中将を長とする国家委員会が実施した白海での洋上実験が行われ,途中7月14日には原子力のみで10時間3分の航海に成功しました.
蒸気発生装置群の出力は,この時点でも矢張り60%止まりでしたが,最大速力は23.3kts/hを実現しています.
この国家委員会には,アレクサンドロフ,ドレジャーリ,ペレグゥドフ,グラドコフ,デレンス,コーシュキン等も加わっていました.
しかし,全力運転に至らない実験成功は,海軍にとってとても領収出来る状態にあるとは言えませんでした.
彼等は,実際,蚊帳の外に置かれ続けていました.
この627号艦についても,国の命令で建造したもので,自分達の要求で建造したものでは無かったりします.
特に,彼等は原子力潜水艦の技術的未完成性を危惧し,その採用に反対していました.
にも関わらず,実験は成功したとする国家委員会の報告は,党中央委員会と閣僚会議で1959年1月17日に承認され,直ちに原子力潜水艦プロイェークト627は,К-3と言う艦名を与えられて,試験航海の為に海軍に引き渡されてしまいました.
1959年の年内にК-3は,9日,22日,14日に亘る長期の潜航実験に成功し,原子炉出力は計画出力の80%に達していました.
1962年7月には北極点までの北極海潜航航海に成功し,この艦は「レーニンスキー・コムソモール」と言う名誉ある名称を与えられることになりました.
それに先立つ1955年10月22日付の閣僚会議布告により,К-3が完成する以前に早くも第402造船工場では12隻のプロイェークト627А型原子力潜水艦の建造が開始されました.
このシリーズの第1艦であるК-5は,出力80%で28kts/hを出せるものとされ,1959年12月27日,北洋艦隊に配備され,К-8が1960年8月31日,К-11,К-21,К-52は1961年12月27日,К-42,К-152は1961年11月4日,К-133,К-153は1962年10月16日,К-115は1962年12月30日,К-50は1963年12月20日に海軍に配備されました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2009/05/13 23:04
【質問】
627型および627A型(どちらも西側分類ではノヴェンバー型の一種)における原子炉の不具合は,どのようなものだったか?
【回答】
まず,ソ連最初の原潜K-3は,白海での潜航試験中,蒸気発生器が破損し,大量の1次冷却水を海中投棄.
1959年7月には北氷洋からの帰投中,蒸気発生器破裂により,乗員94人が被曝した.
627改正型であるはずの627A型でも,蒸気発生器の信頼性が低く,整備後わずか数百時間で故障するケースが多発,蒸気漏れは日常茶飯事だったという.
また,蒸気発生器は1次冷却水と2次冷却水の接点であるため,蒸気漏れが原因となって1次冷却水が2次冷却系に混入し,放射能が漏れる事故も頻発した.
しかも2基のうちどちらが故障したのか,即座に判断しにくい構造だったという.
蒸気発生器の問題は1960年代中期になってようやく解決されたが,それでも平均600時間しかもたず,出港するとすぐに蒸気漏れが発生したという.
1960/2/10.バレンツ海で潜航訓練中のK-8の蒸気発生器が破裂し,1次冷却水と蒸気加減弁のヘリウムが,原子炉室とタービン室に大量に噴出.
炉心温度が急上昇したが,燃料棒溶解は回避した.
このとき乗員118人が被曝して13人が放射能症患者となり,1年後に1人が死亡.
1963/8/9,51日間という大西洋大航海中のK-133において,蒸気発生器のトラブルから,タービン区画で放射能が激増.
その後も帰投するまでに蒸気発生器のトラブルは3回起きた.
627 & 627A型は平均修理期間は実際には10年近いと言われており,85年以降は全艦が保管状態に置かれた.
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.18-22
なお,蒸気発生器については別項を参照されたし.
【ぐんじさんぎょう】,2009/4/15 22:40
に加筆
【質問】
645型(ノヴェンバー改型)に搭載された原子炉は,どのようなものだったのか?
【回答】
冷却材にビスマス(Bi)/鉛(Pb)合金を使用する液体金属冷却式のVT-1型原子炉.
これは水を冷却材とした場合よりも,加熱蒸気の温度を高くできるため,原子炉出力を高めることができた.
これは水を冷却材とした場合よりも,過熱(super-heated)蒸気の温度を高くできるため,原子炉出力を高めることができた.
また,1次冷却が自然循環のため,騒音源の1つである冷却ポンプが必要なく,さらに2次冷却系の圧力が1次冷却系よりも高いため,蒸気発生器にトラブルが生じても,放射能が2次冷却系に漏れる心配がない反面,保守整備が難しかった.
しかしその反面,冷却材の液体金属が原子炉内で固まって閉塞しないよう,常に125℃以上に維持しなければならない上に,冷却材の液体金属が原子炉内で放射化されて,強い放射線を発する(または『強い放射能を持つ』)Po-210が生成されるため,それを含む一次冷却系への接近が著しく困難になるなど,保守整備が難しかった.
ちなみに自然循環は,液体金属冷却にしか起こらないというものではないので,念のため.
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.22-24
【ぐんじさんぎょう】,待機稿に加筆・修正
> 「加熱蒸気の温度」
これはこのままでも差し支えないのですが,より当該原子炉の特性を強調する場合,『ソ連/ロシア原潜建造史』の記載通り
「過熱(super-heated)蒸気の温度」
とすべきと考えます.
PWRの場合,特別な工夫を施さない限り
「飽和蒸気(その圧力で蒸気と水が共存する物;通常の大気圧下では100℃の蒸気に相当する)」
以上に熱を加えること
(過熱:super-heat;通常の大気圧下では,蒸気の温度を100℃より高くする(例:120℃)こと.この場合,水(液相)が共存することはない)
ができません.
一方,上記のような液体金属冷却原子炉では,原子炉出口の冷却剤温度がPWRより高いため,過熱蒸気を容易に得ることができ,その分,小型の原子炉で大出力をねらうことができます.
だからこそ,液体金属冷却原子炉が技術的に極めて困難であることは承知の上でも,645型(ノヴェンバー改型)K-27が実験艦として1隻のみ建造されたわけです.
たった1文字の違いですが,これは単純な誤植ではなく,そこまでの意味を持った違いとなりますので,ご注意のほどを.
また,その技術的意味をここまで正確な日本語で伝えることのできる,アンドレイ
V.ポルトフ氏の力量は全く持って尋常ではないことが,この点に凝縮されているとも言えます.
〔略〕
> 「保守整備が難しかった」
この記載自体に全く誤りはありませんが,何故難しかったのか例示を挙げておくと,親切かと考えます.
よって,原文を元に以下の記載に変更することを提案します.
「冷却材の液体金属が原子炉内で固まって閉塞しないよう,常に125℃以上に維持しなければならない上に,冷却材の液体金属が原子炉内で放射化されて,強い放射線を発する(または『強い放射能を持つ』)Po-210が生成されるため,それを含む一次冷却系への接近が著しく困難になるなど,保守整備が難しかった.」
〔略〕
しかし,どこを読んでみても,技術的に整合性のとれない誤りがほとんど見受けられない『ソ連/ロシア原潜建造史』は,絶賛に値する良書だと感じますね.
へぼ担当 in mixi,2009年04月25日 00:48
【質問】
自然循環って何?
【回答】
1次冷却材ポンプ(原子炉主循環ポンプ)などの外部からの駆動力により原子炉冷却材は強制循環されているが,このポンプが停止した際にも,原子炉冷却材の密度分布による差や一部にボイドが発生することによって,ループ内に原子炉冷却材の循環(能力)を生じるような循環を,自然循環(自然対流)という.
自然循環は冷却材喪失事故時や,何らかの原因によるポンプ停止時に,炉心の除熱をする上で重要な役割を果たす.
http://www.rist.or.jp/atomica/dic/dic_0364_01.html
特に,蒸気発生器・一次系ポンプなど放射能を含む一次系機器を原子炉容器内に内装した原子炉システムである一体型炉では,自然循環による炉心冷却能力が高く,一次系配管が無いためLOCA対策上安全性が高くなる。
http://www.rist.or.jp/atomica/07/07040502_1.html
※ LOCA:冷却材喪失事故(Loss−of−coolant Accident)
また,沸騰水型炉では自然循環を利用することによって,高価な循環ポンプを不要としている.
http://www.rist.or.jp/atomica/16/16030107_1.html
旧原研のLOCA模擬実験装置LSTF(Large Scale Test Facility)による実験では,LOCAが発生して冷却材の主循環ポンプが自動的に止まっても,炉心で加熱された水と蒸気発生器の伝熱管内で,冷やされた水との密度差によって,原子炉の一次系に自然循環が発生し,炉心の冷却が維持されることが分かっている.
http://www.rist.or.jp/atomica/06/06010104_1.html
高速実験炉「常陽」においては,定格出力で運転中に全動力電源喪失を想定した時に,原子炉システムの自然循環により崩壊熱を十分に除去でき,固有の安全性を有することを実証.
http://www.rist.or.jp/atomica/06/06010205_1.html
また,日本原子力研究開発機構において研究されている,次世代の舶用炉としての大型船舶用原子炉[MRX]では,受動的崩壊熱除去システムが採用されている.
これは蒸気管破断,蒸気発生器伝熱管破断等の事故時に,自然循環により炉心の崩壊熱を格納容器水中に放熱できるヒートパイプ式 水冷却システム(弁の開放操作のみ) が採用できるので,受動的崩壊熱が可能であり,安全性の向上ができるというもの.
http://www.rist.or.jp/atomica/07/07040401_1.html
詳しくはそれぞれのリンク先を参照されたし.
【ぐんじさんぎょう】,待機稿に加筆・修正
PWRを中心とした上記記述には,「下記の一点を除き」大きな問題はありませんので,ご安心ください.
(細かいことを言えばきりがありませんが,そこまでやると趣味の領域の問題であり,本質的な問題ではありません.)
> また,沸騰水型炉では,自然循環を利用することによって,
>高価な循環ポンプを不要としている.
> http://www.rist.or.jp/atomica/16/16030107_1.html
この部分は「全面削除」
(舶用炉を前提とした記述に統一した方が良く,舶用炉での採用実績のないBWRのお話をここで含める必要は薄いと考えます.)
を推奨します.
修正する場合は,以下の事項を考え合わせる必要があります.
<後述するとおり,これだけで論文を数多く書くことができる非常に難解・複雑な分野です.
ちなみに私個人はこの分野の技術検討・詳細解析が専門であり,幅広い原子力分野でもっとも得意とする分野です.>
1.確かにBWRの開発当初は「自然循環を利用することによって,高価な循環ポンプを不要」とする意図があったのは確か.
2.しかし,自然循環により得られる炉心流量は比較的小さく,結果として原子炉の大きさに比べ得られる原子炉の出力は小さくなり,経済性に劣ることが次第に明らかとなった.
3.そのため,元は自然循環を指向していたBWRの開発は,循環ポンプ(BWR名称:再循環ポンプ)を用いた強制循環に移ることとなった.
これにより再循環ポンプそのものは高価であるが,強制循環によりよりコンパクトな原子炉で大きな原子炉出力を得られるため,結果として経済性の向上につながった.
4.ただし,強制循環には「ポンプそのものが高価」という点以上に,原子炉から原子炉水をいったん外に引き出して,強制的に再度送り込むため,その取り出し,送り込む配管のトラブル,及び,精緻きわまりない再循環ポンプそのものがやっかいであり,万が一配管が破断した場合に大きな事故につながる
(BWRでの最大の事故想定は,これら配管の破断である).
5.そのため,静止型のジェットポンプを用いたりして,原子炉外にいったん引き出す原子炉水の量を低減したり,原子炉内への内蔵ポンプを採用することによって,これら配管そのものをなくしてしまうなどの改良が,現在も続けられている.
6.なお,元々の発想である「自然循環」の試みが放棄されたわけではない.
強制循環より,自然の物理現象を利用した自然循環の方が,工学的なトラブルが少ないのは誰の目にも明らかである.
一方,経済的に自然循環利用で十分な原子炉出力を得るには,風呂が深ければ深いほど上下の温度差があり,自然対流が強くなることからも明らかなように,原子炉の上下高さを高くとる必要がある.
しかし,やり過ぎれば原子炉圧力容器が巨大な物となってしまい,ある一定の制約がかかる.
よって,現在開発中の新型炉においても,自然循環概念の活用が常に検討課題としてあがっており,経済性・安全性・信頼性他とのトレードオフで強制循環概念とどちらが優位か,詳細な設計・検討が行われている.
7.また,自然循環に移行した際の問題点として,原子炉の自己制御性を適切に考慮しなければ,出力振動を起こす可能性があり,BWRの炉心設計では十分な配慮が必要となり,6.とも絡んで技術的な課題となる.
これは初心者ドライバーが運転する車が道にそれた場合,元に戻そうとしてハンドルを切りすぎて行き過ぎ,それを繰り返すことによって蛇行運転を繰り返す状況(機械制御理論でのフィードバック効果の発散現象)と,考え方は似たものである.
以上,1.から7.まで全てまとめることが必要となりますが,軍事板的にここまでやるべきかどうか,判断を仰ぎたいと考えます.
<これでも極力,要点だけを端的にまとめたつもりなのですが,たった1行の部分を正確に書こうとすると,この有様となります.>
へぼ担当 in mixi,2009年04月24日 23:51
【質問】
K-27(645型)の原子炉は,どのようなトラブルを起こしたか?
【回答】
1964年,大西洋南部を航行中,蒸気発生器の故障により,1次冷却系に酸化物やスライムが発生してパイプ・ネットが閉塞,炉心温度が1,000℃に上昇した.
1965/8/26には原子炉室に火災が発生,漏洩放射線が最大許容値の5倍に達した.
乗員105人が被曝したが,にもかかわらず直後に米空母ランドルフ(エセックス級)を発見し,追尾の後,魚雷の仮想発射まで行った.
しかしこの火災が引き金となり,左舷原子炉の破損したパイプから,放射能を帯びた水蒸気が艦内に漏れ,右舷原子炉も数日後には同じトラブルが発生する恐れがあった.
乗員の決死の修理により,K-27が帰港したとき,埠頭には出迎えは無かった.
北洋艦隊幹部は,同艦は沈没したものと思い込んでいたためだった.
1968/5/24にはバレンツ海で潜航訓練中,1次冷却系の清掃不充分が原因で原子炉が暴走し,続いて出力が急低下した.※
蒸気発生器がトラブルを起こし,炉心温度急上昇に堪えきれず,核燃料棒の20%以上が融解,破裂した.
このため原子炉室のガンマ線量は1,000レントゲンに達し,放射性ガスが艦内に広がった.
身を挺して故障を修理した乗員9人は,事故直後に放射能症で死亡.
被曝した乗員115人のうち何人かは1970年代初期,癌や心臓病で死亡した.
K-27はこのバレンツ海での事故の後,係船されて,液体金属冷却材が凝固しないよう,専用の補助船が高温蒸気を供給していた.
しかし1979年には,セヴェロドヴィンスクの造船所埠頭に係船中,同様の炉心融解事故が再度発生した.
そのため1982年9月,K-27は原子炉と核燃料を搭載したまま,ノバヤ・ゼムリヤ島のステエポボイ湾に秘密裏に投棄された.
1963/10/30に海軍に潜水巡洋艦として引き渡された同艦が,1965/9/7には早くも実験潜水巡洋艦に艦種変更されたのも,トラブルの多さを物語っていると思われる.
【参考ページ】
『ソ連/ロシア原潜建造史』,p.23-24
【ぐんじさんぎょう】,2009/4/29 21:00
に加筆・修正
※ このような液体金属冷却炉では,1次冷却系の原子炉流量が原子炉の出力を大きく左右する傾向にあります.
このため,本原子炉の暴走から始まる事故シーケンスは以下が考えられます.
1.何らかの要因で出力上昇,原子炉暴走.
(制御棒操作などの不具合が疑われますが,その点はさすがに注意深く削られていますね.)
2.その中で,1次冷却系が酸化物やスライム等で閉塞.
3.1次冷却系の原子炉流量が減少,または安全系の動作により原子炉出力は急低下.
その後は,解説するまでもないと考えます.
問題はどの程度閉塞したか,と言うことになりますが本文を読む限り,「清掃不充分により1次冷却系の原子炉流量が急変した」のは間違いないところと愚考します.
この場合,乗員に有効な防護方法は実質ありません.
この場合,原子炉を止める方が先であり,原子炉を止められなかった場合……(涙).
文字通り,死に突撃した勇敢な水兵さんに最敬礼.
へぼ担当 in mixi,2009年04月28日 22:34・改
【質問】
ノヴェンバー型「レニンスキー・コムソモール」について教えられたし.
【回答】
2008年12月17日は,ロシア/ソヴィエト原子力潜水艦50周年の記念日でした.
50年前の1958年12月17日,ロシア/ソヴィエト初の原子力潜水艦K-3「レニンスキー・コムソモール」がソヴィエト海軍へ引き渡されました.
K-3(プロジェクト627原子力潜水艦)は,ウラジーミル・ペレグドフが設計主任を務めました.
K-3は,1955年9月24日に「セヴマシュ」で起工され,1957年8月9日に進水しました.
同艦の建造には,135の企業が参画しました.
1957年9月14日,K-3はVM-A型原子炉を起動.
そして翌1958年12月17日,K-3はソヴィエト海軍に受領されました.
1959年3月12日,北方艦隊に編入.
設計主任ウラジーミル・ペレグドフは「社会主義労働英雄」称号を授与され,410名のセヴマシュ労働者が表彰されました.
「セヴマシュ」総取締役エゴーロフは,レーニン勲章を授与されました.
K-3は,1962年12月9日,「レニンスキー・コムソモール」と命名されました.
1967年9月8日,出港してから56日が経過したK-3は,油漏れの為,出火.
第1,第2区画に居た39名が死亡しました.
死亡した乗員の大多数は,消化剤の二酸化炭素による窒息死でした.
K-3は,その後もソヴィエト海軍に留まり続けましたが,1987年12月17日,海軍の戦闘編制から除かれました.
1988年9月9日,グレミハ基地へ回航.
1989年3月14日,予備役のK-3は,B-3と改称されました.
ソ連解体後の1993年9月30日,第285潜水艦大隊に転属.
1993年11月5日,第14潜水艦旅団に転属.
2002年11月,ムルマンスク近郊の第10船舶修理工廠「シュクヴァール」へ回航されて修理を受けました.
そして現在は,同地で記念艦として保存されています.
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ〜ロシア・ソ連海軍〜
2008/12/21(日) 午前 11:46
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