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<ロシアFAQ目次
Тип Sovremenny (Sarich, пр. 956EM)
新「六課」◆(2012/03/31) 駆逐艦ナストーイチヴイ就役19周年
「ロシア・ソ連海軍」:解体されるソブレメンヌイ級駆逐艦(2003年)
「ロシア・ソ連海軍」:ロシア太平洋艦隊基地・シュトコヴァ17のソブレメンヌイ級駆逐艦
「六課」:北方艦隊のソブレメンヌイ型駆逐艦(2009年3月2日)
「六課」◆(2012/02/05)ソブレメンヌイ型駆逐艦「ブールヌイ」近影
「六課」◆(2012/02/18)ロシア海軍駆逐艦「ベスパーコイヌイ」をブロガーが訪れた
「六課」ACS◆(2013/02/19) ソブレメンヌイ級駆逐艦ブールヌイのエンジンが修復される
「六課」ACS◆(2013/05/10) 北方艦隊のソブレメンヌイ級駆逐艦近影(2013年5月9日)
「六課」ACS◆(2013/09/04) バルト艦隊旗艦・駆逐艦ナストーイチヴイは地中海へ行く
「ロシア海軍情報管理局」◆(2014/9/17) ロシア海軍の駆逐艦ラストロープヌイはクロンシュタットへ曳航された
【質問】
ソブレメンヌイ級全艦リストはありますか?
【回答】
ソ連邦海軍が1980年代に建造したミサイル駆逐艦ソブレメンヌイ級(プロジェクト956)
スペックは「世界の艦船」などにも載っているので割愛しますが,本級全艦のリストを掲載している日本語の資料は,今では無いに等しい状態です.
(ウィキペディアには全艦リストが載っていますが,あれは私が書いたものです)
というわけで,ソヴレメンヌイ級全艦のリスト.
ロシア海軍に就役した艦の他,未完成艦や計画のみの艦も含めました.
なお,ロシア海軍は,本級を28隻建造する予定でした.
[就役艦]
★ソヴレメンヌイ(Современный)
1981年1月4日就役,北方艦隊配属
1989年よりオーバーホールに入るがソ連邦解体後に中断,1998年除籍,解体.
★オチャヤンヌイ(Отчаянный)
1982年9月30日就役,北方艦隊配属
1997年除籍.
★オトリーチヌイ(Отличный)
1983年9月29日就役,北方艦隊配属
1998年除籍.
★オスモトリーチェリヌイ(Осмотрителъный)
1984年9月30日就役,太平洋艦隊配属,
1997年除籍.
★ベズプレチュヌイ(Безупречный)
1985年11月16日就役,北方艦隊配属
1993年よりサンクトペテルブルク市北方造船所(セーヴェルナヤ・ヴェルフィ)にてオーバーホールに取り掛かるが,未だ完了せず.
★ボエヴォイ(Боевой)
1986年月.28日就役,太平洋艦隊配属
1993年よりウラジオストク市ダーリ・ザヴォートにてオーバーホールに取り掛かるが,未だ完了せず.
★ストイキー(Стойкий)
1986年12月30日就役,太平洋艦隊配属,
1999年に除籍,アブレーク湾埠頭に係留保管されたが,同年4月8日に浸水し沈没.
★オクルイレンヌイ(Окрыленный)
1987年12月30日就役,北方艦隊配属,1997年除籍.
★ブールヌイ(Бурный)
1988年9月30日就役,太平洋艦隊配属.2006年7月からオーバーホール.
★グレミャーシチー(Гремящий)
1988年12月30日就役,北方艦隊配属
2005年,セヴェロドヴィンスク市のズヴェズドーチカ工廠でオーバーホールに取り掛かる予定であったが中止.
★ブイストルイ(Быстрый)
1989年12月30日就役,太平洋艦隊配属
1993年から2002年までダーリ・ザヴォートにてオーバーホール.
★ラストロープヌイ(Расторопный)
1989年12月30日就役,北方艦隊配属
2002年から2005年にかけてセーヴェルナヤ・ヴェルフィにてオーバーホール.
★ベズボヤズネンヌイ(Безбоязненный)
1990年12月23日就役,太平洋艦隊配属
1999年からダーリ・ザヴォートにてオーバーホール.2002年,ストレローク基地に移動.
2005年,ウラジオストクに移動.
★ベズジェルージュヌイ(Безудержный)
1991年12月30日就役,北方艦隊配属
1998年よりオーバーホールに入るが予算不足のため中断,2005年予備役.
★ベスパコーイヌイ(Беспокойный)
1993年12月29日就役,バルト海艦隊配属.
★ナストーイチヴイ(Настойчивый)
1993年月.27日就役,バルト海艦隊配属.同艦隊旗艦.
★ベスストラーシュヌイ(Бесстрашный)
1994年4月17日就役,北方艦隊配属
2004年6月,アドミラル・ウシャーコフ(Адмирал
Ушаков)に改名.
[未完成艦]
★ヴァージュヌイ(Важный)
1993年進水後工事中断,中国に売却
★アレクサンドル・ネフスキー(Александр
Невский)
1995年進水後工事中断,中国に売却
★ソーブラジテルヌイ(Собразительный)
1990年起工,90年代半ばに建造中止.
★ブリヌィ(Бульный)
プロジェクト956U,起工前にキャンセル
★ヴェチヌィ(Вечный)
プロジェクト956U,起工前にキャンセル
この他,2001年に中国が改型(956EM)2隻を新規発注し,2005と2006年に就役しました.
【質問】
ソヴレメンヌイ級は米空母攻撃用?
【回答】
分かっていない,と言うか,勘違いしている軍オタが多いようだけど,ソヴレメンヌイ級は,れっきとした「艦隊防空艦」です.
本級は元々,1960年代に建造された「ヴォルナM」(SA-N-1)エリア防空ミサイルを主兵装とするプロジェクト61(カシン型)駆逐艦の代替として計画されました.
同世代で言えば,アメリカ海軍の「キッド」級ミサイル駆逐艦あたりが「対抗馬」になります.
ソヴレメンヌイ級に搭載されている防空ミサイル「ウーラガン」(SA-N-7)は,射程距離が25〜30km程度とエリア防空用ミサイルにしては短いが,これは,同時期に開発された射程90kmの広域防空ミサイル「フォルト」(SA-N-6)を補完する目的で開発された為です.
要するに「ハイ・ロー・ミックス」の「ロー」に当たるシステムだったわけだね.
「それならフォルトだけで良いだろう」などと思われるかもしれないが,フォルトは大型のシステムで嵩張るし,コストも高くなる.何せ「ハイ」の方だからね.
それにフォルトは,あくまでも「長距離迎撃用」なので,撃ち漏らしたターゲットが,より接近してきたら対処が難しくなる.
そこで,フォルトが撃ち漏らした対空目標を撃つのが,この「ウーラガン」の役割というわけだ.
あくまでも,「フォルト」システム搭載艦と組み合わせて運用する事が前提のシステムというわけだね.
1980年代のソ連海軍は,長距離防空ミサイル「フォルト」,中距離防空ミサイル「ウーラガン」,個艦防空ミサイル「キンジャール」(SA-N-9),そして近接防御システム「コールチク」(CADS-N-1)で「四段構え」の総合艦隊防空システムを構築するつもりであり,「ウーラガン」を搭載するソヴレメンヌイ級も,その中の一翼を担うものだったんだね.
「ウーラガン」は,管制用レーダー(イルミネーター)「オリェーフ」(バンド・スタンド)によって誘導されるが,ソヴレメンヌイ級は,この「オリェーフ」を6基搭載しており,同時に6個の空中目標に対処する能力が有る.
いちおうは「同時多目標対処能力」を有しているという事になる.
なお,15番艦「ベスパコイニィ」以降は,改良型の「ヨズ」(SA-N-12)に換装されており,誘導系などが改良された他に,射程が50km程度にまで延長されている.
「ヨズ」システムは,インドや中国にも輸出され,両国の国産駆逐艦に装備されている.
さらに,「ヨズ」を垂直発射用に手直ししたタイプが開発されており,現在,ロシア海軍が建造中の新型フリゲートプロジェクト22350と,インド海軍が建造中の新型駆逐艦(改デリー級)に搭載される.
ソヴレメンヌイ級は,超音速対艦巡航ミサイル「モスキート」(SS-N-22)を搭載している事でも知られており,この為,本型は米空母攻撃の為に造られたと勘違いしている軍オタも少なくない.
だが,いくら「モスキート」がスゴイ対艦ミサイルと言っても,射程距離は,初期型で90km後期建造艦には,射程が120km程度に延長されたタイプが搭載されたが,これで米空母群に接近するのは,自殺行為以外の何者でもない事が分からぬソ連海軍でも有るまい?
ソヴレメンヌイ級に「モスキート」が搭載されたのは,ただ単に,このミサイルを積む大型艦が他に無かっただけでしょ.
対潜任務艦のウダロイ級に積んだんじゃ意味無いし,大型の巡洋艦(キーロフ級,スラヴァ級)は,長距離対艦ミサイルを搭載するのだから,モスキートを積む必要は無い.
本級が計画された1970年代中期の時点では,艦橋の両側に搭載するミサイルは,「ラストルーブ」対潜ミサイル(SS-N-14)か「モスキート」しか選択肢が無かったんだけど,「ラストルーブ」を主兵装とする対潜任務艦・プロジェクト1155(ウダロイ級)が同時に計画されているのに,本級にまで,この対潜ミサイルを積む必要など無い.
なら,「モスキート」を積むしか無いじゃないか!(笑)
だいたいね,同時期に西側各国が建造した駆逐艦やフリゲートだって,ハープーンとかエグゾセなどの対艦ミサイルを搭載していたけど,別にコレでソ連艦隊と雌雄を決する艦隊決戦をやるつもりでは無かったでしょ.
海上自衛隊の「はつゆき」型護衛艦だって,ソ連太平洋艦隊との決戦用として計画されたわけじゃないよね(笑)
(旧日本海軍の甲型駆逐艦じゃあるまいし(^^;)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜,2006/12/31
【質問】
1980年代に建造された旧ソ連の新型艦がほとんどガスタービンを採用している中,ソブレメンヌイ級のみが従来型の蒸気タービンを採用したのは,どんな理由から?
【回答】
端的に申し上げますと,当時のソ連国内の造艦業界の事情によるものです.
周知のように,旧ソ連は,西側に先駆けて世界初のオールガスタービン推進艦カシン型を1960年代初頭に就役させ,その後も続々とオールガスタービン推進の水上戦闘艦を建造してきました(クリヴァク型,カーラ型など).
しかしながら,ソ連は蒸気タービン推進艦の建造を止めたわけではなく,カシン型,クリヴァク型,カーラ型と同時並行でキンダ型,クレスタT/U型といった蒸気タービン推進の水上戦闘艦も引き続き建造しておりました.
ガスタービン水上戦闘艦は,カリーニングラード市のヤンタリ造船所,ウクライナの61コムーナ造船所,カミシュ・ブルン造船所で建造されておりましたが,レニングラード市のジュダーノフ造船所だけは,蒸気タービン水上戦闘艦を専門に建造していました.
同所は,搭載する蒸気タービン機関の製造工場も抱えておりました.
このようなソ連の造艦業界の状況下において,蒸気タービン推進の水上戦闘艦の建造を止めたら,一体どうなるか?
まず,ジュダーノフの蒸気タービン機関の製造工場は遊休化してしまいますね.
同造船所でガスタービン推進艦を建造する事は,不可能ではありませんが,その場合,搭載するガスタービンは,他所から持ってこなければならない.
そのような状況において,ジュダーノフでもガスタービン推進艦を大量建造したら,ガスタービン機関の製造が追いつかなくなる恐れが出てきます.
それは,1980年代のソ連海軍の艦艇整備計画に支障をきたす恐れが生じてくる事を意味している.
このような「最悪の事態」を避ける「最善の方法」は,ジュダーノフに建造させる事を前提に,蒸気タービン推進の水上艦を設計する事ですね.
それで,プロジェクト956戦列駆逐艦(ソブレメンヌイ級の正式名称)は「時代に逆行した」蒸気タービン推進艦になってしまったのです.
かつて日本の家庭用ゲーム機メーカーで,他社が次々とCD-ROMに移行していく中,最後までROMカートリッジを使い続けた任天堂にも似ていますね.
(任天堂はROMカートリッジの大規模な製造工場を抱えていたので,なかなかCD-ROMに移行出来なかった)
更に付け加えると,蒸気タービンの燃料は重油ですが,ガスタービンは軽油です.
蒸気タービン艦の建造を急に取りやめてガスタービンに全面移行すれば,重油が余って軽油が不足する恐れも出てくるでしょう.
(西側の海軍は艦船用の燃料を全て軽油に統一しておりますが)
このような「最悪の事態」を避ける「最善の方法」は,ジュダーノフに建造させる事を前提に,蒸気タービン推進の新型水上艦を計画する事だと当時のソ連海軍上層部が考えても不思議ではなかったでしょう.
それで,プロジェクト956駆逐艦(ソブレメンヌイ級)は「当時の時代の流れに逆行した」蒸気タービン推進艦となったわけですね.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/12(火) 午後 8:20
ジュダーノフ造船所に,「造艦業界の任天堂」の称号を進呈.
【質問】
ソヴレメンヌイ級の稼働率が低いのは何故なのか?
【回答】
956型の稼働率が悪いのは,ガスタービン機関が主流の現代海軍において,蒸気タービン艦は維持整備に手間が掛かり,取り扱いも難しいので,今のロシア海軍には,いささか持て余し気味である事,
必要な乗員数が1155型よりも多い――1155型は249名に対し,956型は296名――ため,慢性的な人員不足に悩むロシア海軍にとっては,1155型よりも使い難い艦である事,
更には,かかる状況下でロシア海軍は,無い袖を振って大型の巡洋艦や「空母」を維持している為,そのシワ寄せが来ている事などが挙げられるでしょう(特に北方艦隊所属艦は).
加えてロシア海軍では,蒸気タービン機関は重油,ガスタービン,ディーゼルは軽油と2種類の艦艇用燃料が使われていますが,ソ連邦解体後,蒸気タービン艦が激減したので,燃料の重油の割り当ても少なくなっている事も有るかと.
ましてや北方艦隊の場合,なけなしの重油は,空母クズネツォフに持って行かれるだろうし.
もともと,プロジェクト956が蒸気タービン推進艦になった理由の一つは,ガスタービン用燃料の供給不足を懸念しての事だったのだが,ソ連邦解体後,これらの「配慮」が完全に裏目に出てしまったと言える.
結果からいえば,プロジェクト956はガスタービン艦にするべきだったが,本型が計画された1970年代,ソヴィエト連邦が1990年代初頭には無くなり,今日のような事態に陥るであろう事を,誰が予測できたか?
もし,そのような者が居たとしたら,それは人間ではないだろう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/14(月) 午後 7:01
【質問】
「ソブレメンヌイ級の蒸気タービンには欠陥があり,その為に早期退役が進んでいる」というのは本当?
【回答】
ソブレメンヌイ級に関して良く言われているのが,「蒸気タービンに欠陥があり,その為に早期退役が進んでいる」という事です.
「世界の艦船」とかで良く書かれていますね.
ここでおさらいすると,ソブレメンヌイ級の蒸気タービンエンジンは2基で合計出力102,000馬力.
タービンを動かす蒸気発生用の高圧ボイラーは4基,
ボイラーの形式は,1〜6番艦が「KVN-98/64」
7番艦(ストイキー)以降は「KVG-5」
となっております.
建造途中でボイラーが換装されていることから,初期建造艦の「KVN-98/64」は運用実績が芳しくなかったのかもしれません.
ただいずれにせよ,「蒸気タービンに欠陥」が有るとしても,それは初期建造艦6隻だけの事であり,ソヴレメンヌイ級全艦という事にはならない.
ボイラーが「KVG-5」に換装された後,本級はロシア海軍向けに11隻,中国海軍向けに4隻も建造されているし,そもそも,ソヴレメンヌイ級は,当初の予定では28隻くらい建造するはずでした.
初期建造艦6隻を除外しても22隻.
「機関に欠陥」が有る艦を,何の改善もせずに22隻も建造しようとするほど,旧ソ連邦は愚かだったでしょうか?
ましてや,「機関に欠陥がある」駆逐艦を,友好国に4隻も売るのでしょうか?
ソ連邦が解体された後の1993年春(ソヴレメンヌイ級1番艦竣工から13年後)の時点でさえ,当時のロシア海軍総司令官グロモフ上級大将は
「ソヴレメンヌイ級とネウストラシムイ級は,建造を継続する」
と発言しておりますよ.
「機関に欠陥がある」のならば,海軍総司令官がこんな発言はしないでしょう.
これも良く言われることですが,蒸気タービン機関は,ガスタービンやディーゼルに比べて維持整備に多大な手間と費用と人手が掛かり,構造も複雑で取り扱いが難しい.
この為,西側海軍では,一部の大型艦を除いては蒸気タービン推進艦は建造されなくなりました.
この「維持整備に手間と費用が掛かり,取り扱いが難しい」事が,ソ連邦解体後の,資金や人員不足に悩むロシア海軍にとっては,とてつもない重荷になっていると見るべきじゃないかな.
更に付け加えると,同時期に建造されたウダロイ級対潜駆逐艦(ガスタービン)よりも多くの乗員数を必要とする事も,ソヴレメンヌイ級の大量維持を困難にしている要因の一つでしょうね.
(ウダロイ級:249名,ソヴレメンヌイ級:368名)
いずれにせよ,機関の欠陥云々以前の問題だよね.
とかくロシア・ソ連に関しては,何でもかんでも「欠陥が有る」と決め付ける思考能力ゼロの輩が多いよね.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜,2006/12/12(火) 午後 8:20
【珍説】
〔ソブレメンヌイ級のうち,〕特に17隻建造されたうちの後期建造艦は,ソ連崩壊後の建造であったために,船体や装備の工作が悪く早期に退役してしまい〔略〕
岡部いさく in 『世界の艦船』2007年6月号
【事実】
現在,ソブレメンヌイ級で一番活発に行動しているのは,岡部が言うところの「ソ連崩壊後の建造」の「船体や装備の工作が悪い」艦に該当するはずのベスパコイニィ,ナストイチヴイ,アドミラル・ウシャコフ(旧ベスストラーシュヌイ)の3隻なんですがね.
何で「船体や装備の工作が悪い」のに,地中海や大西洋まで遠征できるんだろうね?(笑)
それに,ソブレメンヌイ級で「早期退役」したのは,ちょうどオーバーホール時期に差し掛かった時にソ連邦が解体され,資金不足で修理が出来なかった「前期」建造艦ばかりなんですがね(笑)
ついでに書くと,ロシアは,岡部駄作が言うところの「信頼性が低い」「駄作艦」を,2年に一度サンクトペテルブルク市で開催されるIMDSで展示しているわけだが.
ベスパコイニィはIMDS2003(2003年開催),ナストイチヴイはIMDS2005(2005年開催)に「出展」されている.
(下の写真参照)
IMDSは,ロシアの海軍技術を諸外国にアピールし,海軍兵器の売込みを図るイベントであるわけだが.そのようなイベントに,「信頼性が低い」「駄作艦」を出すのか?
しかもこの2隻は,繰り返しになるが,上で岡部駄作が書いているところの「ソ連崩壊後の建造」の「船体や装備の工作が悪い」艦に該当するんだが(笑)
(2隻とも1993年に就役)
事実を良く調べもせず,いい加減な「駄作」記事を書いている事の方が「不思議に思えてくる」ね.
あと,アンドレイ・ポルトフ氏も,『世界の艦船』2007年6月号「再生計るロシア海軍」でソブレメンヌイ級を「大失敗のプロジェクト」と書いているが,
「ただし設計ミスというよりも製造レベルの問題で,竣工した17隻のうちほぼ半数は冷戦末期の混乱期に製造されたからである」
と但し書きをつけている.
ただこれも,上記のように,現実には,「冷戦末期の混乱期に製造された」最終建造グループが高稼働率を誇っている事を説明できないわけだが(笑)
それに,ポルトフ氏も,岡部駄作も,同時期に建造されたウダロイ級はそれほど酷評していないが,ウダロイ級だって,「ほぼ半数は冷戦末期の混乱期に製造された」のに,ソブレメンヌイ級よりも高稼働率を誇っているという矛盾が生じるんだが.
そも,「製造レベルの問題」という事は,即ち,ソブレメンヌイ級を独占建造したジュダーノフ工場(現セーヴェルナヤ・ヴェルフィ)がダメダメだった,という結論に繋がるはずだが,セーヴェルナヤ・ヴェルフィは,ウダロイ級も建造しているんだよね.
それにだ,
セーヴェルナヤ・ヴェルフィがそれほど劣悪な「製造レベル」なら,何でソ連邦解体後も,同社はロシア海軍の水上戦闘艦の建造をほぼ独占しているんだろうねえ.
そんなダメなフネしか造れないような造船所に,新型フリゲート22350型や新コルベット22380型が発注されるはずが無いのでは?
サンクトペテルブルクには,他にも造船所が有るんだし,この他,カリーニングラードにも,「成功作」のウダロイ級を建造したヤンタリ・ザヴォートが有るし.
まあ日本でも,かの超巨大戦艦「大和」を「大失敗のプロジェクト」などと評する人は少なくないので,ロシアに,ソブレメンヌイ級を失敗作と評する人が居る事は不思議ではないでしょう(笑)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/27(金) 午後 6:07
【珍説】
このクラス〔ソブレメンヌイ級〕は対潜作戦を主任務とするウダロイ級を補完するものとして,対水上目標攻撃を主任務としていたが,ギアード・タービン機関や兵装の信頼性が低く,〔略〕
岡部いさく in 『世界の艦船』2007年6月号
【事実】
まず,岡部いさくは,ソブレメンヌイ級にエリア防空用対空ミサイルが搭載されている事を知らないようです(笑)
あと,「兵装の信頼性が低い」と言うのは,具体的にどの兵器を指しているのか?
ソブレメンヌイ級が搭載している兵装は,他のクラスでも使われているものだよ.
モスキート対艦ミサイル然り,130mm砲然り,30mmガトリング砲然り,その他も同様だ.
唯一,ウーラガン対空ミサイルのみは,ロシア海軍では本級しか装備していないが,ロシア以外では,インド海軍と中国海軍の国産駆逐艦やフリゲートに装備されている.
「信頼性が低かった」ら,わざわざ輸入してまで装備しないだろ.
それに,このウーラガンの発展型は,ロシア海軍が現在建造中の新型フリゲート22350型にも装備されるわけだが.
信頼性が低かったら,わざわざ改良してまで使うまい?
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/27(金) 午後 6:07
【質問】
ウーラガンは「信頼性が低かったから改良した」ということなのでは?
サイドワインダーだって初期型は問題があったわけですし.
【回答】
ただいま建造が進められているロシア海軍の新型艦は,新規開発のミサイルを搭載しているが,対空ミサイルだけ「前世代」のウーラガンの発展型という事実を見ても,このミサイルの「信頼性が低い」とは考えられない.
「信頼性が低かった」ら,対空ミサイルも新規開発されるでしょ.
というか,ウーラガンが,それほど「信頼性が低かった」ら,試作止まりと思われ・・・
【珍説】
このクラス〔ソブレメンヌイ級〕が駄作艦と評されながら,ソ連時代に多数が計画,建造されたのは不思議だが,それ以上に中国が2隻を購入したことが不思議に思えてくる.
中国の2隻は未完成状態にあった18,19番艦とされるが,ポルトフ氏の資料では956EM型とされている.
in 『世界の艦船』2007年6月号
【事実】
中国が購入した「"4"隻」は,「未完成状態にあった18,19番艦」と,その後に追加発注された「956EM型」ですが(笑)
そんな基礎的なことも知らないのでしょうか?
それに,その4隻の就役時期を調べれば分かるだろうが,中国は,まず,「未完成状態にあった18,19番艦」を購入し,この2隻が引き渡された後に改良型の956EM型2隻を追加発注した.
956EM型2隻が追加発注されたのが2001年12月.
中国が最初のソヴレメンヌイ級を引き渡されたのは1999年12月.
この間,2年に渡って運用しているんだよ.
956型が,岡部が言うほどの「駄作艦」だったら,追加発注するはずが無かろう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/27(金) 午後 6:07
【質問】
ソヴレメンヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級の1番艦ソヴレメンヌイСовременныйは,
1976年3月3日起工
1978年11月18日進水,
1980年12月25日就役.
1981年1月24日,北方艦隊編入.
ソ連海軍の新型ミサイル駆逐艦の1番艦という事で西側の注目を集めました.
1989年12月6日よりムルマンスクでオーバーホールが始まりましたが,
1991年12月のソ連邦解体により工事は停滞,
1998年11月15日,ついに海軍から除籍されました.
この時点で,オーバーホール工事の進捗度はは86パーセントだったのですが・・・
その後,2003年にムルマンスクで解体されました.
1枚目は,1988年9月12日に大西洋上で撮影されたソヴレメンヌイ
2枚目以降は,2003年にムルマンスクで解体を待つソヴレメンヌイ
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/27(金) 午後 7:42
【質問】
オトチャヤンヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級の2番艦オトチャヤンヌイОтчаянныйは,
1977年3月4日起工,
1980年3月29日進水.
1982年9月30日就役.
その後,北方艦隊に編入.
1992年6月26日よりムルマンスクでオーバーホールが開始されたのですが,ソ連邦解体後の混乱と財政難により工事は進まず,1998年に除籍されました.
90年代後半には,同型艦の部品取りに使われていたようです.
その後,2003年6月に,ムルマンスクで解体されました.
その間,本艦の舷側番号は,以下のように変遷しております.
1981年:431
1982年: 684
1985年:460
1987年:405
1990年:417
1990年後半:433
1991年:475
1枚目:1986年に撮影されたオトチャヤンヌイ.
2枚目以降:2003年6月にムルマンスクで解体されるオトチャヤンヌイ
なお,オトチャヤンヌイの右側に居るのは,同型艦ソヴレメンヌイ
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/27(金) 午後 7:46
【質問】
オトリーチヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級3番艦オトリーチヌイОтличныйは,
1978年4月22日起工
1981年3月21日進水
1983年9月29日就役
就役後は,北方艦隊に編入され,80年代は活発に行動していました.
1984年12月28日から1985年1月2日までキューバのハバナ訪問
1986年春から秋まで地中海で行動
1989年7月21日から7月25日までアメリカ合衆国のノーフォーク訪問
1991年10月に予備役編入され,修理を待つ事になりましたが,ソ連邦解体後の混乱と財政難により,修理される事無く1998年11月に除籍されました.
本艦の舷側番号は,以下のように変遷しております.
1983年:671
1985年:403
1988年:434
1990年:408
1991年:151
1992年:474
2枚目:大西洋上のオトリーチヌイ(1985年10月1日撮影)
3枚目:レバノン沖のオトリーチヌイ(1986年3月24日撮影)
7枚目:ノーフォーク停泊中のオトリーチヌイ(1989年7月23日撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/8(火) 午後 7:53
【質問】
オスモトリーチェリヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級4番艦オスモトリーチェリヌイОсмотрительныйは,
1978年10月27日起工
1982年4月23日進水
1984年9月30日就役
本艦と次のベズプレチュヌイは,艦橋上のレーダーが「フレガートM」(プレートスティア)になっています.
ソヴレメンヌイ級で初めて太平洋艦隊に配属された艦という事もあり,日本の国防関係者から「多少」注目されました.
「多少」と書いたのは,本艦と一緒にキーロフ級原子力巡洋艦フルンゼが極東に回航され,そっちの方が脚光を浴びたからです.
本艦は1985年8月29日レニングラード出港,大西洋上でフルンゼと合流,一路極東を目指しました.
途中,アフリカや中東の親ソ国,ベトナムに寄港,対馬海峡を抜け,11月22日にウラジオストク到着.
フルンゼと行動を共にしていた為,本艦もおこぼれで西側諸国の注目を浴び,東シナ海を航行中,日本,中国,韓国が監視の為に艦艇を派遣したものでした.
(当時,中国とソ連は敵対的関係にあった)
この当時,『世界の艦船』は巻頭カラーページでフルンゼを何ページにも渡って載せましたが,オスモトリーチェリヌイは1ページしか載りませんでした.
ソ連邦時代末期には動かなくなり,1991年8月に『世界の艦船』編集長・木津徹が取材の為にウラジオストクを訪れた際には,赤錆びた状態で係留されていました.
その後も修理されること無く,ウラジオストクで赤錆びた状態のまま係留され続け,1997年8月16日,ついに除籍されてしまいました.
本艦の舷側番号は,以下のように変遷しております.
1984年:672
1986年:780
1986年後半:755
1990年:730
1993年:735
1997年:730
2枚目:大西洋上でブリテン空軍「バッカニア」に追尾されるオスモトリーチェリヌイ(1985年9月撮影)
5枚目:洋上給油を受けるオスモトリーチェリヌイ(1986年3月25日撮影)
6枚目:洋上のオスモトリーチェリヌイ(1989年5月撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/8(火) 午後 8:25
【質問】
ベズプレチュヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソブレメンヌイ級5番艦ベズプレチュヌイБезупречныйは,
1981年1月29日起工
1983年7月30日進水
1985年11月16日就役
1986年1月7日,北方艦隊編入
本艦と4番艦は,艦橋頂上部のレーダーが「フレガートM」(プレートスティア)となっております.
就役後の本艦は,大西洋や地中海で行動し,
1990年7月9〜13日,ブリテンのポートスミスを訪問
1991年12月20〜24日,エジプトのアレクサンドリアを訪問しました.
1993年11月3日,オーバーホールの為サンクトペテルブルクに入港.
1994年からセーヴェルナヤ・ヴェルフィでオーバーホールが開始されましたが,財政難により工事は進まず,2002年,修理を断念して除籍されました.
なお,本艦の舷側番号は,以下のように変遷しています.
1985年:820
1986年:430
1987年:681
1988年:459
1991年:413
1992年:417
1994年:455
1995年:439
1枚目:北大西洋のベズプレチュヌイ(1986年8月30日撮影)
2枚目:北大西洋のベズプレチュヌイ(1986年9月撮影)
3枚目:地中海のベズプレチュヌイ(1990年12月17日撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/12(土) 午後 7:32
【質問】
「ボエヴォイ」とは?
【回答】
ボエヴォイБоевойは,ソブレメンヌイ級駆逐艦の6番艦.
1982年3月26日起工
1984年8月4日進水
1986年9月28日就役
本艦より,艦橋頂上部のレーダーが3次元レーダー「フレガートMA」(トッププレートTop
Plate)に換装されました.
就役後,太平洋艦隊に配属.
1987年11月18〜23日,イエメン人民民主共和国のアデン訪問.
1988年4月12〜16日,朝鮮共和国のウォンサン訪問.
1990年7月31日〜8月4日,アメリカのサン・ディエゴ訪問.
▼ ソ連邦解体直後にも稼働状態に維持されていましたが,1993年11月25日よりウラジオストクのダーリザヴォートでオーバーホールが開始されました・・・
・・・が,例によって1990年代のロシア海軍の混乱と財政難によりオーバーホールは進まず,1998年には予備役に編入されました.
それでも,まだ除籍されてはいないようで,書類上は,ロシア海軍に在籍している事になっているようです.
1992年10月15日から1993年8月30日までウラジオストクで修理.
1994年10月から12月までドック入り.
1995年9月1日には第2次世界大戦の戦勝50周年記念観艦式に参加.
1996年8月には同型艦「ベズボヤズネンヌイ」と共に海軍総司令官から表彰を受けました.
しかし,当時のロシア海軍の極度の財政難により,蒸気タービン機関のボイラーの部品を交換する為の資金が供給されなかった為,1998年に予備役編入されました.
以後,フォーキノ(ストレロク基地)へ回航され,同地に係留されたまま現在に至っています.
2006年10月15日には,就役20周年を祝う式典が開催されました.▲
本艦の舷側番号は,以下のように変遷しております.
1986年:678
1987年:640
1989年:728
1990年:554
1990年後半:770
1993年:720
ちなみに,このボエヴォイ,ピットロード社からプラモデルが発売されています.
(1/700スケール,ハイモールドシリーズNo.HM-049,商品名「ボエボイ」)
エッチングパーツ付きで定価4,725円と高価ですが・・・・
(トランペッター社の1/350ソブレメンヌイ級(定価4,410円)よりも高い・・・(^^;)
ウラジオストク金角湾のボエヴォイ(1991年7月28日撮影)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq39m956be.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq39m956be02.jpg
ソ連邦解体後のボエヴォイ(1993年撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/10(木) 午後 8:09
青文字:加筆改修部分
&新「六課」◆(2012/05/13)
※2012.12.12付改訂部分
【質問】
ストイキィの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級7番艦ストイキィСтойкийは,
1982年9月28日起工
1985年7月27日進水
1986年12月30日就役
本艦より,蒸気タービンエンジン用の高圧ボイラーがKVG-5型に変更されました.
ちなみに本艦以前の艦(1〜6番艦)は,KVN-98/64型ボイラーを搭載していました.
1987年2月24日,太平洋艦隊に編入.
同艦隊に配備された3隻目の956型になります.
1980年代には活動していたものの,1991年12月のソ連邦前後には洋上に出る事も無くなり,
1993年10月22日からダーリザヴォートでオーバーホールが開始されたものの,資金不足で工事は進まず,ついには修理を断念して
1998年5月30日除籍.
その後,ストレロク基地(アブレーク湾)に回航され,同地で係留保管される事になりましたが,
1999年4月8日,係留中の本艦は浸水し,湾内で沈没してしまいました.
ストイキィは2001年に浮揚され,スクラップとして中国に売却されました.
なお,本艦の舷側番号は,以下のように変遷しています.
1986年:679
1987年:645
1989年:719
1990年:727
1993年:743
1枚目:1987年撮影のストイキィ
2枚目:1989年撮影のストイキィ
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/12(土) 午後 11:13
【質問】
「オクルイレンヌイ」について教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の8番艦オクルイレンヌイОкрыленныйは,
1982年11月5日海軍籍登録
1983年4月16日起工
1986年5月31日進水
1987年12月30日就役
1988年2月19日,北方艦隊に編入されました.
1990年代初頭までは,地中海へ行ったり大西洋へ出たりと活発に行動していましたが,ソ連邦解体後は行動が尻すぼみになっていき,1994年3月に予備役編入.
その後も復帰する事なく,1998年11月,ロシア海軍から除籍されました.
なお,本艦の舷側番号は,以下のように変遷しています.
1988年:670
1990年:444
1991年:424
1996年:415
さて,ロシア(ソ連)海軍に就役したソヴレメンヌイ級駆逐艦17隻の履歴を振り返ってみると,ソ連邦時代には,割と活発に行動していたが,ソ連邦解体後,行動が不活発になっていったケースが多い事が分かるでしょう.
『世界の艦船』とかが主張しているように,本型が失敗作・駄作艦であるならば,当初から(ソ連邦時代から)行動が不活発になるのではないかな?
だが実際には,ソ連邦解体を境目として行動が不活発になっていく艦が増えている.
これが何を意味するのか,『世界の艦船』スタッフには,分からないのか?
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/8578075.html
とか
http://blogs.yahoo.co.jp/rybachii/19271984.html
でも説明しているし,かのウィキペディアにも書いているが・・・
「失敗作・駄作艦」などとレッテルを貼るのは,単なる「思考停止」でしか無い事を,『世界の艦船』,というか,日本の軍オタと評論家達は,一体いつになったら分かるんだ?
2枚目:地中海のオクルイレンヌイ(1989年12月22日撮影)
4枚目:地中海のオクルイレンヌイ(1990年撮影)
5枚目:洋上のオクルイレンヌイ(1991年4月撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/10/28(日) 午後 8:14
【質問】
ブールヌイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の9番艦ブールヌイБурныйは,
1983年11月4日:起工
1986年12月30日:進水
1988年9月30日:就役
1988年11月9日:太平洋艦隊編入
ソ連邦解体後も細々と活動し,稼働状態に維持されました.
1996年6月,同型艦ブイストルイと共に,ロシア海軍創設300周年記念観艦式に参加.
1990年代末には,太平洋艦隊所属のソヴレメンヌイ級駆逐艦で稼働状態に有るのは本艦だけという有様でした.
そのような状況下の1999年10月,太平洋艦隊司令官ミハイル・ザハレンコ大将に率いられた巡洋艦ワリャーグと本艦は,中国の上海を訪問,中国海軍と共同演習を行いました.
2000年4月10日,演習中の本艦の30mmガトリング砲が,大型対潜艦アドミラル・ヴィノグラドフを誤射するという事故が起こりましたが,死傷者は居ませんでした.
2005年8月には中国海軍と共同演習を行ないました.
この時,中国海軍側は新鋭駆逐艦「広州」を参加させましたが,奇しくもこの広州,ソヴレメンヌイ級と同じ艦隊防空ミサイル(ウーラガン)を装備する艦でした.
ブールヌイは,2006年7月より長期オーバーホールに入っております.
本艦の舷側ナンバーは,
1988年から「677」,
1990年から「795」
1994年以降は「778」となっております.
1枚目:駆逐艦ブールヌイ
3枚目:ブールヌイ(2005年8月撮影)
5枚目:中国海軍と共同演習中のブールヌイ(2005年8月23日撮影)
手前の艦は中国海軍駆逐艦「広州」
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/1(火) 午後 7:13
【質問】
旧「グレミャーシチー」について教えられたし.
▼ 【回答】
親衛駆逐艦「グレミャーシチー」(404)
(Гвардейский Эскадренный
Миноносец"Гремящий")
は,レニングラード市のジュダーノフ造船所で建造.
1984年11月28日起工,
1987年5月30日進水,
1988年12月30日就役
ソヴレメンヌイ級の通算10番艦.
当初の予定名は「ヴェドゥーシチー」Ведущийだったが,就役前の1988年8月18日,「グレミャーシチー」と改名し,先代から親衛称号と親衛旗を継承.3代目「グレミャーシチー」となった.
1989年5月1日,北方艦隊編入.
1990年6月25日〜7月1日,ハバナ(キューバ)訪問.
大西洋の戦いの50周年記念式典に参加するため,
1993年5月25日〜6月1日,リヴァプール(イギリス)訪問.
1998年以降,第2状態予備役となり,セヴェロモルスク基地に停泊.
行動は低調になっていきました.
(下1枚目は1990年4月に地中海で,2枚目は1993年6月に大西洋上で撮影)
ジェーン海軍年鑑は,2000年以降,本艦を現役リストから外しました.
『世界の艦船』などでも,退役した事になっています.
ちなみに下の写真の3枚目と4枚目は,2005年3月28日と2006年6月28日に撮影されたものです.
・・・・・どう見ても退役しているようには思えないんだけど(笑)
2005年にズヴェズドーチカ工廠でオーバーホールされる予定だったが,資金不足で中止.
2006年以降は同じ埠頭に係留されたままとなった.
2007年12月9日,グレミャーシチーは,ロシア海軍から除籍された.
「グレミャーシチー」の名前と親衛称号は,同日,僚艦ベズジェルージュヌイに受け継がれた.
本艦の舷側番号は,以下のように変わっている.
1988年:680
1989年:684
1990年:605
1991年:420
1991年:739
1991年:439
1995年:429
2004年:404▲
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/8(日) 午後 8:35
&同,2007/12/14(金) 午後 5:09(青文字部分)
【関連リンク】
「ロシア・ソ連海軍」:除籍された旧グレミャーシチィ近影(2008年3月3日)
「六課」:除籍後の駆逐艦グレミャーシチィ(2008年9月21日)
【質問】
ブイストルイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソブレメンヌイ級駆逐艦の11番艦ブイストルイБыстрыйは,現在もロシア海軍太平洋艦隊の現役艦です.
『世界の艦船』では「ビストリイ」と表記されていますが,これは英語表記の"Bystry"だけを見て勘違いしているだけであり,「ブイストルイ」の方が原語に近い表記になります.
1984年10月30日:海軍籍に登録
1985年10月29日:起工
1987年11月28日:進水
1989年9月30日:就役
1989年10月31日:太平洋艦隊編入
ソ連邦の末期に建造された艦ですが,ソ連邦が解体された後も比較的良好なコンディションに維持され,細々と活動していました.
1996年6月にウラジオストクで行なわれたロシア海軍創設300周年記念観艦式に参加して以降,外洋での行動は見られなくなり,ジェーン海軍年鑑は,2000年以降,本艦をロシア海軍の現役リストから外しました.
しかし2003年9月8日,ウラジオストク沖で行なわれたロシア・日本の共同訓練に姿を見せ,まだ現役にある事が判明しました.
これを受け,ジェーンは,慌てて本艦を現役リストに復帰させました(^^;
この間,本艦はウラジオストクでオーバーホールを受けていたのですが,資金不足により工事は進まず,動ける状態に無かったのです.
オーバーホールを終えた事も有って艦の状態は良好であり,2004年9月30日には,揚陸艦を護衛してカムチャツカ方面に向かう姿が,日本海上自衛隊によって視認されています.
太平洋艦隊所属のソブレメンヌイ級の中で,良好な状態にあるのは本艦とブールヌイと見られますが,ブールヌイは現在オーバーホール中です.
(この他,ベズボヤズネンヌイも,いちおう動ける状態には有るようです)
本艦の舷側ナンバーは,
1989年から「676」,
1991年から「786」
1993年以降は「715」となっております.
1枚目:就役直前のブイストルイ(1989年撮影)
2枚目:ウラジオストクのブイストルイ(1992年9月23日撮影)
5枚目:洋上行動中のブイストルイ(1993年8月1日撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/1(火) 午後 2:28
【質問】
ラストロープヌイの簡単な経歴を教えられたし.
【回答】
駆逐艦ラストロープヌイРасторопный(420)は,1986年8月15日起工,1988年6月4日進水,1989年12月30日就役.
ソヴレメンヌイ級の通算12番艦になります.
就役後,北方艦隊に配属されましたが,1990年代末には行動は低調になり,ジェーン海軍年鑑は2000年以降,本艦を現役リストから外しました.
『世界の艦船』などでも,退役した事になっています.
実際には,2002年にバルト海に回航され,サンクトペテルブルクでオーバーホールに取り掛かっていました.
下の写真ですが,1枚目は2000年撮影,2枚目は2006年6月30日に撮影されたものです.
オーバーホールは順調に進んでいるようです.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/8(日) 午後 8:52
【質問】
「ベズボヤズネンヌイ」の経歴は?
【回答】
ベズボヤズネンヌイБезбоязненныйは,太平洋艦隊に配備されたソヴレメンヌイ級駆逐艦6隻の中でいちばん新しい艦です.
レニングラード市のジュダーノフ造船所で1987年1月8日起工.
1989年2月18日進水.
1990年12月23日就役.
ソヴレメンヌイ級の通算13番艦になります.
1990年12月28日,太平洋艦隊編入
1991年1月14日,西表島沖を北上,太平洋艦隊配属.
しかし配属から一年も経たずにソヴィエト連邦は解体され,
その後の混乱と財政難の中で,艦艇の行動は極度に低下しました.
特に,太平洋艦隊はこの傾向が顕著でした.
そのあおりを受けたのか,ベズボヤズネンヌイは外洋で行動中の姿を目撃される事は無く,1997年にようやく日本近海を航行しているのが確認された程度でした.
その後,行動中の姿を確認される事は無く,ジェーン海軍年鑑は2000年には本艦を現役リストから外し,西側では退役した事になっていました.
実際には,1999年からウラジオストクで修理が行われ,2002年にはシュトコヴァ17基地(アブレーク湾)に回航されたので,西側に目撃される事が無かったというだけでしたが.
2004年にはウラジオストクに戻り,金角湾に居るのが確認されたので,ジェーン海軍年鑑も本艦を現役リストに戻しました.
ジェーン海軍年鑑も,けっこういい加減です(笑)
(あと,それを鵜呑みにしている『世界の艦船』もね)
本艦の舷側番号は,以下のように変遷しております.
672(1990年)
711(1991年)
754(1993年)
極東回航時ののベズボヤズネンヌイ(1991年撮影)
ウラジオストクに停泊中のベズボヤズネンヌイ(1999年6月13日撮影)
ウラジオストク金角湾内を移動中のベズボヤズネンヌイ(1999年6月22日撮影)
ウラジオストクに戻ったベズボヤズネンヌイ(2004年10月2日撮影)
ウラジオストクのベズボヤズネンヌイ(2005年撮影)
ウラジオストクのベズボヤズネンヌイ(2005年9月21日撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/7(土) 午後 10:59
▼ 【質問】
新「グレミャーシチー」(旧名「ベズジェルージュヌイ」)について教えられたし.
【回答】
駆逐艦ベズジェルージュヌイБезудержный(406)は,レニングラード市のジュダーノフ造船所で建造.
1987年2月24日起工,
1989年9月30日進水,
1991年12月30日就役
ソヴレメンヌイ級の通算14番艦になります.
就役後は,ロシア北方艦隊へ配属.
1993年5月26日〜31日,大西洋の戦いの50周年記念式典に参加するため,ニューヨーク(アメリカ)を訪問.
1993年夏から1994年までドックで修理.
1998年,オーバーホール実施.
しかし財政難の為,以後の行動は不活発になり,外洋で姿を見る事は無くなった.
(1枚目の写真は,1993年6月に北大西洋上で撮影されたもの)
ジェーン海軍年鑑は2000年以降,本艦を現役リストから外しました.
『世界の艦船』などでも,退役した事になっています.
ちなみに,下の2枚目と3枚目は,2006年6月30日に撮影されたものです.
・・・・・どう見ても現役です(笑)
2007年12月9日,除籍された先代グレミャーシチーの後を継ぎ,4代目親衛駆逐艦「グレミャーシチー」
(Гвардейский Эскадренный
Миноносец"Гремящий")
を襲名.親衛旗を受け継いだ.
親衛旗が継承された日,モスクワ州,チェリャビンスク州,ペトロフスキー区が,本艦の親衛称号継承を祝い,乗員にプレゼントを贈った.
というわけで,非常にややこしいのですが,ソブレメンヌイ級駆逐艦グレミャーシチー(404)が除籍され,同型艦ベズジェルージュヌイ(406)がグレミャーシチーと改名されました.
この辺りの事情を知らない人は,グレミャーシチーが残され,ベズジェルージュヌイが除籍されたと思うかもしれません.
なお,2007年12月,本艦の艦長は,アンドレイ・ナボコフ2等海佐が務めている.
本艦の舷側番号は,以下のように変わっている.
1991年:682
1992年:444
1993年:435
1994年〜:406▲
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/8(日) 午後 8:36
&同,2007/12/16(日) 午後 8:25(青文字部分)
【質問】
ソヴレメンヌイ級「ベスパコーイヌイ」について教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の15番艦ベスパコーイヌイБеспокойныйは,
1987年4月18日起工
1992年2月22日進水
1993年12月29日就役
建造時期がソヴィエト連邦解体と重なった為,進水と竣工が遅れてしまい,本艦より後に起工された16番艦ナストーイチヴイの方が先に完成してしまいました.
ソヴレメンヌイ級の本艦以降は改良型のプロジェクト956Aとなり,エリア防空ミサイルが「ヨーシュ」(SA-N-12)に,対艦ミサイル「モスキート」も射程延長型(3M82「モスキートM」)に換装されました.
それまでソヴレメンヌイ級は,北方艦隊か太平洋艦隊に配属されていたのですが,本艦はバルト艦隊に配属されました.
おそらくは,バルト艦隊に配備されていた旧ソ連時代のミサイル巡洋艦が退役したので,その代わりに配備されたものと思われます.
あと,ソ連邦解体後の混乱により,北方艦隊なり太平洋艦隊の根拠地に回航する余裕が無かったという事も有るでしょう.
2001年にはバルト海沿岸諸国の海軍合同演習「BALTOPS-2001」に参加.
2003年にはサンクトペテルブルク市で開催されたIMDS-2003にて「展示」されました.
2004年よりカリーニングラードのヤンタリ・ザヴォートでオーバーホールが行なわれ,
2005年末までに復帰しました.
本艦の舷側ナンバーは,1992年までは「678」,1993年以降は「620」となっております.
1枚目:洋上のベスパコーイヌイ(1994年撮影)
4枚目:BALTOPS-2001に参加するベスパコーイヌイ(2001年7月撮影)
7枚目:IMDS-2003に展示されるベスパコーイヌイ(2003年6月撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/13(日) 午前 10:55
【関連リンク】
「ロシア・ソ連海軍」:駆逐艦「ベスパコーイヌイ」就役16周年
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級駆逐艦ベスパコーイヌイ・その1
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級駆逐艦ベスパコーイヌイ・その2
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級駆逐艦ベスパコーイヌイ・その3
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級駆逐艦ベスパコーイヌイ・その4
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級ベスパコーイヌイ近影(2007年9月25日)
【質問】
ナストーイチヴイの略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の16番艦ナストーイチヴイНастойчивыйは,
1988年4月7日起工
1992年進水
1993年3月27日就役
起工当初の予定名はモスコフスキー・コムソモーレッツМосковский
Комсомолецでしたが,1992年12月5日,ナストーイチヴイに改名されました.
建造中にソ連邦が解体され,進水したのはソ連邦解体後になりました.
起工されたのは15番艦ベスパコーイヌイより1年遅かったのですが,完成は本艦の方が9ヶ月ほど早くなりました.
本艦は就役後,バルト艦隊に配属され,同艦隊の旗艦となりました.
バルト艦隊には,ミサイル巡洋艦2隻が居たのですが,ソ連邦解体後に退役した為,その穴埋めとして,本艦とベスパコーイヌイが配属されたようです.
就役間もない1993年6月19〜26日,ドイツのキール市を訪問,その数日後の6月28日〜7月2日には,ウィヘルムスハーフェンを訪問.
翌1994年7月には,フランスのルーアン市を訪問.
その後も,バルト海諸国海軍合同演習BALTOPSにたびたび参加するなど,ソ連邦解体後の混乱と財政難の中で,本艦は良好な状態に維持され,活発に行動していました.
1996年夏には,当時のロシア連邦大統領ボリス・エリツィンが本艦を訪問.
2000年7月には,ウラジーミル・プーチン大統領の訪問を受けました.
2005年には,サンクトペテルブルク市で開催されたIMDS-2005に,新型潜水艦「サンクト・ペテルブルク」と共に「出展」されました.
2006年当時の艦長は,セルゲイ・ピンチュク一等海佐(カピタン・1ランガ)です.
本艦の舷側番号は,1992年には「675」でしたが,1993年以降は「610」となっております.
1枚目:洋上テスト中のナストーイチヴイ(1992年12月撮影)
7枚目:BALTOPS-2005に参加(2005年6月8日撮影)
9枚目:IMDS-2005に展示(2005年7月1日撮影)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/5/13(日) 午後 9:40
【関連画像】
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級ナストーイチヴイ近影(2007年9月25日)
【質問】
「アドミラル・ウシャコフ」について教えられたし.
【回答】
ロシア海軍向けソヴレメンヌイ級の「最終艦」になってしまった「アドミラル・ウシャコフ」Адмирал
Ушаков――旧名「ベスストラーシュヌイ
Бесстрашный」――はソヴレメンヌイ級の17番艦になります.
1988年4月16日,レニングラードのジュダーノフ造船工場(第190造船所)で起工.
1992年進水.
1994年4月17日就役,北方艦隊に編入.
1995年12月,空母アドミラル・クズネツォフの御供で地中海に進出し,
1996年3月下旬まで地中海で行動.
1997年,イギリスのポーツマス市を訪問.
2001〜2003年はセヴェロドヴィンスク市のズヴェズドチカ工廠でオーバーホール.
2004年6月,本艦は「アドミラル・ウシャコフ」と改名されました.
この時点で「アドミラル・ウシャコフ」の名は,原子力巡洋艦プロジェクト1144の1番艦(旧キーロフ)に付けられていたのですが,同艦は修理を断念して除籍される事になり,本艦がその名を受け継ぐ事になりました.
ロシア・ソ連海軍の命名基準では,駆逐艦の名は形容詞を付ける事になっており,駆逐艦に人名が付けられるのは極めて異例でした.
2004年10月,「アドミラル・ウシャコフ」は,長期修理を終えて現役復帰した空母アドミラル・クズネツォフの御供で大西洋に進出,大西洋中部及びアイスランド沖で演習を行ないました.
この時,クズネツォフ機動部隊は荒れた海域に突入し,機動部隊でいちばん小さい「アドミラル・ウシャコフ」は,荒海に翻弄されながらも無事乗り切りました.
空母アドミラル・クズネツォフは,翌2005年3月にもバレンツ海で小規模の演習を行い,9月には大西洋北部で演習を行なっておりますが,この時にも「ベスストラーシュヌイ改めアドミラル・ウシャコフ」は一緒に行っているようです.
いわば,空母クズネツォフの「太刀持ち」的存在といったところでしょうか.
北方艦隊にはソヴレメンヌイ級が9隻配属されましたが,既に5隻が除籍,
4隻が在籍しているものの,本艦以外の駆逐艦は,ほとんど活動していないようです.
本艦は,今後も,第7大西洋作戦戦隊の「太刀持ち」として活動し続けるでしょう.
なお,本艦の船体舷側番号は,以下のように変遷しております.
・694(1993年)
・678(1995年)
・434(1996年)
ポーツマスを訪問したベスストラーシュヌイ(1997年)
ズヴェズドチカ工廠でオーバーホール中のベスストラーシュヌイ(2000年)
セヴェロモルスク基地を出港するアドミラル・ウシャコフ(2006年6月30日撮影)
右側に写るのはスラヴァ級巡洋艦マルシャル・ウスチノフ
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜,
2007/4/3(火) 午後 7:07
【関連リンク】
「ロシア・ソ連海軍」:荒天航行中のロシア駆逐艦アドミラル・ウシャコフ(2004年10月)
「ロシア・ソ連海軍」:ソブレメンヌイ級「アドミラル・ウシャコフ」近影(2008年1月9日)
【質問】
「エカテリンブルク」の略歴を教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の18番艦「エカテリンブルク」Екатеринбургは,
1988年11月4日起工
1994年3月23日進水
起工時の艦名は,ヴァージュヌイВажныйでしたが,1996年4月27日,エカテリンブルクと改名されました.
ソ連邦解体後の財政難という状況下でも,本艦の艤装工事は細々と続行されました.
が,そのような状況下において,ロシア海軍は,大型かつ高価な原子力巡洋艦「ピョートル・ヴェリキー」を竣工させた為,本艦をはじめとして細々と艤装工事中だった他の駆逐艦や警備艦への工事資金割り当ては,ほとんどゼロになってしまい,相次いで工事が中断してしまいました.
ロシア海軍への就役が絶望的となった本艦と19番艦「アレクサンドル・ネフスキー」は,1996年9月,ついに中華人民共和国へ「身売り」する破目になってしまいました.
本艦及び「アレクサンドル・ネフスキー」は,元々は小改正型「プロジェクト956A」として建造されていたのですが,中国に売却するに当たり,「プロジェクト956E(956Э)」として完成させる事になりました.
具体的には,防空ミサイル及び対艦ミサイルが,前期建造タイプ(ただの「プロジェクト956)と同じものになりました.
中国向けプロジェクト956Eとして工事が再開された本艦は,起工から11年後の1999年12月25日に竣工.
1999年12月27日,杭州(Hangzhou)と命名されました.
翌2000年2月16日,中国本土到着.
現在,中国海軍の東海艦隊に所属しております.
下の3枚の写真は,1999年秋頃に撮影されたもので,中国に引き渡される以前に,仮のロシア海軍番号(698)を付けて洋上テスト中の駆逐艦「エカテリンブルク」です.
(この時点では,また「杭州」と命名されていない)
中国海軍に引き渡される際,本艦は中国軍艦の標準色である白色に塗られ,舷側番号「136」を付けられました.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/7/18(水) 午後 5:33
【質問】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦には,ヴヌシーテリヌイという艦名の艦はこれまで何隻あるのか?
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦には,ヴヌシーテリヌイВнушительныйという名前を付けられた艦が3隻あります.
[初代ヴヌシーテリヌイ](1枚目の写真)
1983年8月30日,ウクライナ共和国の61コムーナ造船所(ニコラーエフ)で起工.
1987年10月17日,工事中止
出来上がっていた船体は切断され,中央部分を海上倉庫として使用.
[2代目ヴヌシーテリヌイ](2枚目の写真)
1990年起工,後に「ソーブラジテルヌイ」Собразительныйに改名.
1990年代半ばに工事中止.
出来上がっていた船体はバルチースクに回航され,海上倉庫として使用.
[3代目ヴヌシーテリヌイ](3枚目の写真)
中国向け改ソヴレメンヌイ級(956EM型)「泰州」(タイチョウ)の引渡し前の仮艦名.
2002年6月27日起工,
2005年12月28日就役
……というわけで,ロシア海軍の駆逐艦として就役した艦は,1隻もありませんでした.
竣工したのは「3代目」のみで,しかも,中国軍の駆逐艦としての就役です.
似たような運命を辿った初代と2代目は,ゴッチャにされるケースが多いようです.
というかネット上では,2代目は「無かったこと」にされている所がほとんどです(^^;
(公式には,ウクライナで起工された初代が「無かったこと」にされているようですが)
〔略〕
だが,それでは,"Google Earth"でバルチースクを見ると写っている,この船体(2枚目の写真)の説明が付かないわけだが.
どう見ても,これはソヴレメンヌイ級駆逐艦の船体でしょう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/10/11(木) 午後 8:27
【質問】
初代ヴヌシーテリヌイの簡単な経歴を教えられたし.
【回答】
駆逐艦ヴヌシーテリヌイВнушительныйは,レニングラード(サンクトペテルブルク)以外の造船所で建造された唯一のソヴレメンヌイ級です.
1983年4月11日に建造承認.
1983年8月30日にウクライナ共和国の61コムーナ造船所(ニコラーエフ)で起工.
1987年10月17日に進水したところで工事は中止されました.
出来上がっていた船体は切断され,中央部分は海上倉庫として使用されました.
下の写真は,1993年頃の旧ヴヌシーテリヌイです.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/4/10(火) 午後 9:18
いと哀れ……
【質問】
「ソーブラジテルヌイ」について教えられたし.
【回答】
ソヴレメンヌイ級駆逐艦の20番艦「ソーブラジテルヌイ」Собразительныйは,1990年に起工されました.
1991年12月のソ連邦解体後も,ソーブラジテルヌイは,細々と建造工事が続けられたのですが,当時のロシアにおける混乱及び極度の財政難は,それすらも許さず,1990年代中期には,工事が進んでいた18,19番艦を除くソヴレメンヌイ級駆逐艦の建造はキャンセル.
(つまり,ソヴレメンヌイ級の建造予定隻数は,28隻から19隻へと大幅削減)
当然,20番艦ソーブラジテルヌイの建造工事は中止されました.
この時,船体はほぼ完成していたようです.
それでも,1990年代末期の西側資料には,「建造中」のソヴレメンヌイ級として,まだ本艦の名前が有ったのですが,その後,いつの間にか忘れ去られてしまいました・・・・
・・・そして今では,本艦は「無かった事」にされるケースが圧倒的に多くなりました・・・・
現在,"Google Earth"でバルト艦隊基地バルチースクBaltiyskを見ると,ソヴレメンヌイ級駆逐艦の船体と思しき物が写っております.
これこそ,建造中止されたソーブラジテルヌイの「成れの果て」でしょう.
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2007/10/22(月) 午後 9:16
【質問】
改ソヴレメンヌイ級はどんなものだったの?
【回答】
改ソヴレメンヌイ級(プロジェクト956U)戦列駆逐艦は,ソヴレメンヌイ級駆逐艦の通算21番艦(ブリニィ?)以降のヴァージョン.
8隻程度建造される予定だったが,起工前にソ連邦が崩壊した為にキャンセルされた.
原型からの変更点は兵装及び電子機器で,3つの設計案が存在していたようです.
★ヴァリアントI
ヨズSAM単装発射機×2,オーニクスSSM連装発射筒×2,130mm連装砲×2,コールチクCIWS×2,533mm連装魚雷発射管×2,RBU-1000対潜ロケット6連装発射機×2,Ka-27ヘリコプター×1
★ヴァリアントII
ヨズSAM単装発射機×2,オーニクスSSM連装発射筒×2,クラブSSM用VLS×16,130mm連装砲×1,コールチクCIWS×2,533mm連
装魚雷発射管×2,RBU-1000対潜ロケット6連装発射機×2,Ka-27ヘリコプター×1
★ヴァリアントIII
ヨズSAM単装発射機×2,クラブSSM用VLS×16,130mm連装砲×1,コールチクCIWS×4,533mm連装魚雷発射管×2,RBU-1000
対潜ロケット6連装発射機×2,Ka-27ヘリコプター×1
竣工していたら,「ソヴレメンヌイII型」と呼ばれたかな?
シア・クァンファ(夏光華) in mixi
この3つの案のうち,実際に建造されるのは,ヴァリアントIIIになる予定だったようです.
が,ソ連邦解体とその後の財政難により,ソヴレメンヌイ級は20番艦までしか起工されず,ロシア海軍に就役したのは17番艦までとあっては,21番艦以降の建造どころでは無くなり,幻と消えました.
最近,中国海軍に引き渡された「改ソヴレメンヌイ級(956EM)」2隻は,ヴァリアントII
あたりの影響を受けているように見えます.
(ただし,対艦ミサイルは従来のモスキートだし,艦尾のクラブSSM用VLSも有りませんが)
Морские Силы〜ロシア・ソ連海軍〜
2006/12/14(木) 午後 5:45
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