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◆◆UNOSOM II (第二次国連ソマリア活動)
<◆ソマリア
<Africa FAQ 目次
ブラックホークダウン・アスキーアート(映画を長編アスキー・アートで再現)
【質問】
ソマリア内戦のときに上陸した多国籍軍って何人くらいですか?
ついでに死者も.
【回答】
米軍主導で行われた,多国籍軍による「希望回復作戦」の参加兵力は,多い順に
パキスタン:4436人
アメリカ:4031人
イタリア:2240人
モロッコ:1279人
フランス:1084人
ベルギー:938人
アラブ首長国連邦:762人
サウディアラビア:678人
ナイジェリア:558人
カナダ:463人
トルコ:320人
エジプト:235人
ボツワナ:203人
ジンバブウェ:161人
スウェーデン:155人
チュニジア:143人
クウェート:138人
ドイツ:135人
ギリシャ:89人
ノルウェー:74人
そして
オーストラリア,マレーシア,ニュージーランドの合計が231人
インドが不明
合計:18353人
(1993年6月12日現在・ロイター通信)
多国籍軍の死傷者は(左から順に死者,負傷者)
パキスタン:34人・62人
アメリカ:18人・116人
モロッコ:7人・44人
ナイジェリア:7人・8人
イタリア:6人・40人
マレーシア:1人・10人
フランス:1人・7人
ベルギー:1人・4人
カナダ,トルコが負傷者なしで死者1人づつ
ノルウェー:死者なし・8人
アラブ:死者なし・2人
ジンバブウェ:死者なし・2人
(1993年0月7日現在・AP通信)
名無し上級大将◆80fYLf0UTM
【質問】
すみません,「希望回復作戦」がどんな作戦だったか,ひとつ.
【回答】
「OPERATION RESTORE HOPE」の作戦概要ね
まずは第一段階
12月9日午前零時:米軍特殊部隊SEALSがモガディシュに上陸
午前四時半:米海兵隊第一陣(1800名)が上陸.
チブチ駐留のフランス軍150人も上陸し,空港や港湾施設を管理下に置き,モガディシュ,バイドアに基地設営
第二段階
バイドアの海兵隊に陸軍・第十山岳師団が合流.
このころ,すでにバイドア以下,オドゥール,ベレトウェン,ジャララシは多国籍軍の管理下
第三段階
一月:キスマヨに上陸した部隊がバルデラまで進出
第四段階
5月:米軍主導の多国籍軍から国連軍に指揮権を委護
ほんとに大まかな流れなので,あまり当てにしないこと.
名無し上級大将◆80fYLf0UTM
【質問】
タスクフォースレンジャーの作戦経過について教えてください.
【回答】
ソマリア内戦のブラックシーの戦いてのはタスクフォースレンジャーの作戦と=みたいなものだが,まあ,いいか.
タスクフォースレンジャーの作戦経過については
1993年10月3日
2:49PM 逮捕の目標となるディギル族指導者をモガディシオのホールワディックストリートのビルで発見
3:32 ヘリコプター19機(ブラックホーク,リトルバード)
車両12台,兵士160名(デルタ,レンジャー,SEAL,160SOAR)で構成されたタスクフォースレンジャーが行動を開始
3:42 航空機部隊(デルタ,レンジャー)が目標周辺に降下開始
その際にレンジャー隊員ブラックバーンがロープ降下中に落下し負傷
4:00 降下地点周辺にソマリ族民兵が殺到
4:02 デルタ,目標建造物に侵入し21を拘束
4:15 民兵との市街戦闘開始.車両部隊への逮捕者収容と撤退に遅れが出る
4:20 ブラックホークスーパー61がRPGによる攻撃で市街地に墜落
4:22 墜落地点に民兵が殺到.捕虜を乗せた車両部隊がデルタ,レンジャーと共に予定を変更し墜落地点へ向かう
同時に予備機として空中に待機していたブラックホークスーパー64がスーパー61の滞空地点に展開
4:28 捜索・救助チームが支援のために降下
4:35 墜落地点へ向かう車両部隊が道を間違え混乱.民兵からの狙撃を受け死傷者を出す.
4:40 交代任務で滞空していたスーパー64が攻撃を受け墜落.民兵が殺到.
4:42 ヘリボーンスナイパーとして配置されていたデルタ隊員
ランディ・シュガート一等軍曹とゲイリー・ゴードン曹長がスーパー64の墜落地点に降下救助を志願,後の英雄である
4:54 車両部隊,民兵の攻撃により半数を死傷
スーパー61の墜落地点への移動を断念し基地へ引き返す
5:03 スーパー64墜落地点に向かう別働隊の車両部隊が攻撃を受け立ち往生
5:34 徒歩でスーパー61墜落地点に向かったデルタ,レンジャー部隊墜落地点に到達
5:40 ソマリ族がスーパー64墜落地点に殺到
降下したデルタ隊員シュガート,ゴードン及びスーパー64の生存者を殺害.スーパー64の乗員マイク・デュラントは負傷し捕虜になる
5:45 デルタ,レンジャーの混成部隊99名がスーパー61墜落地点で民兵と戦闘を展開.
10:00 第10山岳師団の2中隊,基地に残存していたレンジャー部隊,パキスタン軍戦車部隊,マレーシア軍装甲車部隊が大規模な救出部隊を組織
11:23PM 救出部隊モガディシオ市街に出発
1:55AM 救援部隊スーパー61墜落地点のレンジャー部隊と合流
3:00 スーパー61乗員の遺体回収はじまる
5:30 遺体回収が完了し車両部隊の撤退開始される
6:30 全部隊国連管理下のスポーツスタジアム跡に到着
この作戦でアメリカ軍の死者は19名負傷者は73名
捕虜になったマイク・デュラントは11日後に赤十字を通し釈放
2週間後にはクリントン大統領はタスクフォースレンジャーをソマリアから撤退するよう指示
作戦指揮官のガリソン少将は責任を負い退役
兵士たちの話によると,戦闘が続くにつれてアイディード派の兵士たちは兵士を遮蔽するため,市民を彼らの前に押し出していたということだが,しかしながら,アメリカ軍兵士が民兵を隠すような市民を撃ったり,殺したりすることをいとわないことを繰り返し明らかにすると,この手の先方は通用しないとあきらめ,市民による遮蔽は減った.
また,少数の米兵(車両)を多数で挟み銃撃し,その流れ弾による同士討ちも多数目撃されているということである.
この戦闘でソマリ族民兵は1000名以上が戦死しそれ以上の負傷者が出たとされている.
この作戦の所期の目的は達成されたため,作戦上は成功であるとアメリカ人の多くは考えている.
だが,30分程度で終了する予定だと豪語していた任務が,夜をまたいで15時間にも及び,多くの犠牲を出した点を無視すればの話である.
作戦のその後について
上記のように熾烈を極めた戦いで,この戦闘はソマリアの国連活動の中でアメリカ軍が直面したもっとも激しい市街戦のうちの1つとして数えられている.
また,この戦いの後,死亡した米兵(上記のシュガートとゴードン,そしてブラックホークの乗員)の裸にされた遺体が,住民に引きずり回されるという内容の映像が世界に向けて公開,アメリカのニュース番組でも放映されている(後に身体を切断された状態で発見される).
これに衝撃を受けたアメリカ国民の間で撤退論が高まり,そういったアメリカ世論を背景にビル・クリントンは1994年,ソマリアからの撤兵を決定.
この戦闘が平和維持活動から撤退したことの理由として挙げられている.
クリントンはこの作戦の「後遺症」によって,この後から,地上軍の派遣をなかなかしなくなり,ミサイルや戦闘機による戦いをメインに想定しだした.
つまり,この作戦が,ハイテク戦争への方向を推し進めるのを早めたともいえる.
スーパー64乗員を救助に行き戦死したデルタ隊員ゲイリーゴードン,ランディ・シュガートの両名には,議会名誉勲章が授与されている.
続いて参加部隊とその装備,および指揮官と一部補足
アダム64(コールサイン): ウィリアム・F・ガリソン少将(統合特殊作戦コマンド司令官)
ユニフォーム64 : ダニー・マクナイト中佐(車両部隊指揮官)
アルファ51 : トム・マシューズ中佐(航空部隊任務指揮官)
ロメオ64 : ゲイリー・ハレル中佐(地上部隊任務指揮官)
ジュリエット64 : マイク・スティール大尉(レンジャー地上指揮官)
キロ64 : スコット・ミラー大尉(デルタ地上部隊指揮官)
対テロ特殊部隊デルタC中隊 : 18名 M727ライフル及びM203グレネードランチャーで武装.
75レンジャー連隊 : 82名 M16ライフル及びM60マシンガン,M249支援火器等で武装.衛生兵を含む.車両部隊30名,ヘリコプター部隊52名.
160SOAR(ヘリ搭乗員): 18名
SEAL : 2名 通信及び車両ドライバー
空軍特殊部隊STS : 4名 パラジャンパー 2名,CCT 2名
AH-6リトルバード攻撃ヘリ : 4機
MH-6リトルバード輸送ヘ : 4機 デルタ隊員輸送用
MH-60ブラックホーク : 8機 レンジャー部隊輸送用x4(チョーク1〜4)
デルタ輸送用として2機
戦闘救難,戦闘管制それぞれ1機ずつ
OH-58カイオワ
観測ヘリコプター : 3機
P-3オライオン哨戒機 : 1機
HMMWV 装甲オプション装備モデル : 車両班
輸送用トラック 車両部隊 : 拘束者輸送用
急速対応部隊(QRF)こと第10山岳師団が参加している
ああ,くどいようだが,「1000人殺した」というのはアメリカが言っていることで,350人から700人とする説もある.
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM
【質問】
ブラック・ホーク・ダウン事件はなぜ起こったか?
【回答】
1993/6/5の,アイディード派による国連軍パキスタン部隊攻撃により, 国連は加害者の一斉検挙を決議する.
『国連平和維持軍としての米軍の任務が,ソマリアへの人道支援活動の保護から,ソマリアの部族勢力や武装勢力との戦闘,特にアイディードの逮捕,彼の武装勢力の殲滅へと変化する.』(「現代の戦争被害」)
10月3日,モガディシオでアイディード派幹部逮捕に向かったアメリカ軍とアイディード派の間で戦闘が勃発.
「ブラック・ホーク」ヘリが民兵によって撃墜され,アメリカ側にもソマリア側にも多数の死傷者を出す激しい市街戦となる.
アイディード派は,民衆に引き回されるヘリの搭乗員の遺体や,捕虜にしたヘリのパイロットの映像を全世界に放送させた.
この衝撃的な映像を見たアメリカ国民からは撤退論が噴出し,クリントン大統領は米軍撤退を決定.
この事件はアメリカの外交政策に強く影響をあたえ,米政府はその後何年も他国への介入に対して消極的になる.
http://bhdaamov.hp.infoseek.co.jp/somalia.html
【質問】
モガディシュの戦闘についてをできるだけ簡潔に
【回答】
ブラックホーク作戦「リトルバード」のことかな?
ブラック・シーの戦いとも呼ばれることもあるね.
アメリカ軍特殊作戦部隊VSモガディシュ現地の民兵・住民といったところで.
モハメッド・ファッラ・アイディードの副官たち(所在地はモガディシュのバッカラ市場)
アイディードの外務大臣 オマール・サラッド
アイディードの最高政治顧問 モハメッド・ハッサン・アウレ
を捕らえること目的とし,1993年10月の3から4日にかけての15時間の間(当初は30分の予定),ソマリアの首都モガディシュにおいて行われたもの.
前段階として希望の回復作戦が行われている.
司令官および司令部は
ウィリアム・ガリソン将軍,統合タスクフォース指令センター.
民兵のほうは不明.
参加人数および死者数は(米軍特殊部隊,応戦する民兵その他)
参加人数
160人,2000人以上 (都市部のみ)
死者数
18人,350から700人と推定されている
結果を箇条書きで簡潔にまとめると
・ハブル・ジェディド派の指導者たちの捕縛に成功,作戦目標は達成
・タスク・フォースの敗北
・ブラックホークヘリ2機の大破,もといブラックホーク・ダウン
・アメリカ軍兵士18人が死亡,73人が負傷
・捕虜も1名殺害されるが
・その十倍以上は民兵が死んだ
となっている.
ちなみにこれ,国連主導のものではなく,ビル・クリントン大統領率いる米国の単独作戦で,米軍以外の兵力は一切投入されていない.
また,米軍は1000人は殺した(民間人も含む可能性が大きい)と言い張っているが,事の真偽のほどは不明
.
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM
上記を要約すると,以下のようになります.
[モガディシュの戦闘]
アメリカはソマリア内戦の一方に肩入れし,特殊部隊を使って敵側指導者の拉致を試みたが,特殊部隊の乗ってきたヘリがソマリア民兵に撃墜された.
ヘリを失った特殊部隊は敵に包囲されたが,翌朝国連軍に助けられた.
予想外の被害がでたものの,作戦は成功.
死者は米兵18名,国連兵1名,ソマリア民兵&市民350〜1,000名以上とされる.
【質問】
「ブラックホーク・ダウン」という映画を見て思ったのですが,参加した特殊作戦部隊はグリーンベレーなんですか?
【回答】
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Mogadishu_%281993%29
によれば,作戦に参加した特殊部隊は
陸軍からデルタとレンジャー.
海軍からシールズ.
空軍からパラレスキューとコンバットコントロール.
あと,ヘリを運用してた第160特殊作戦航空連隊.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ブラックホークダウン」を見て気になったんだが,あの映画で最初に兵士がヘリから落っこちて,分隊長が無線機背負ってるやつに「大尉を呼べ」って言ってでも繋がらなくて結局,自分の持ってる小さい無線機で交信するシーンがあったけど,最初から自分の使えばいいんじゃないかなーと思ったんだよね.
しかも同じ分隊内でも,無線機を持ってるやつはいたみたいだし.
やっぱり映画だからなのかな?
【回答】
あのシーンで無線が通じなかった理由は,無線機の不具合.
原作小説を読み返すと判るんですが,通信兵のムーア上等兵がロープ降下の時に,ロープと一緒にマイクのコードを掴んでしまったため,コードが切れてしまったんです.
その時は無線が繋がらない理由がわからなかったので,やむなくエヴァーズマンは自分のウォーキー・トーキーを使用したのです.
映画ではそこらへんの描写は省略したみたいですね.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
なるほど,ウォーキートーキーってトランシーバーみたいなものですよね?
しかしマクナイト中佐はそれを使って,C2ヘリや本部のガリソン少将と通信している描写がありますが,ウォーキートーキーでそのくらいの距離で通信できるものなのでしょうか?
もしできるとすれば,ムーア上等兵の背負っていたような大きな通信機はいらないように思えるのですが .
【回答】
司令部から命令を受けたり,他の部隊と交信したりする長・中距離用無線機と,隊員同士が相互の交信に使用する短距離無線機は使い分けるのが普通.
個人間のトランシーバーは状況によっては,わずか数百メートルしか通じない場合もあり,出力の大きな無線機で部隊間の通信網を構築し,それをトランシーバーで補完するわけです.
それと劇中,マクナイト中佐はハンビーの無線でC2ヘリと会話してますよ.
確かに車外でウォーキートーキーで会話してるシーンがありますが,その直後にハンビーの無線で会話してたりしてますんで,演出か映像の編集のミスの可能性もあります.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ブラックホーク作戦で落ちたヘリはどんなヘリですか?
やっぱり「ブラックホーク・ダウン!!」な感じですか?
【回答】
落ちたのはヘリ「スーパー61」
ブラックホークが墜落するという意味の ”Blackhawk
down”はたしかに有名だが,「スーパー61」の墜落時の交信として正しいのは
”We got a Blackhawk going down,
We got a Blackhawk going down!!”
going downは結構有名だと思うんだが・・・
名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM
Super 64が抜けているような.
【質問】
『ブラックホーク・ダウン』観ているんですが,結局あんなひどいことになったのは何が原因なんでしょう?
ヘリをRPGで攻撃するとは思ってなかったから?
【回答】
原作を読むとかなり詳しく載ってるのでお勧め.
ヘリへのRPGでの攻撃は以前からあって被害が出始めてたけど,UH-60に対する上層部の盲信が原因で特に対策も取られず投入され続け,ついに撃墜.
救出が混乱に陥ったのは墜落場所が悪く,更に救出部隊への指揮,誘導が適切さを欠いていたため.
また,89年のパナマ侵攻でもノリエガ将軍を拘束するのに大変な手間と時間が掛かっています.
当時,アメリカ南方軍がパナマ市郊外に基地を持ち,米軍人は事態が悪化するまでほぼ自在に市内各所を動いて偵察できていたという前提があっても,なおかなりの日数が必要でした.
それを,ほとんど準備も無いモガデシュでやれると思うこと自体が誤りです.
ヘリによる空の支配というのは,地上に眼が無い限りかなり脆く,かつ,現地入りしてからかなりたっていましたから,飛行パターンや運用手順などもある程度ばれています.
RPGで狩られる可能性は次第にあがっていたのです.
さらに,イスラムという媒介をへてオイルマネーがジハードやらへの喜捨として流れ込むし,市場で最新の民生品を調達できますから,軍閥の兵隊というのもけして侮れないようになってきています.
たぶん,映画や原作で描かれているほど,アイディード派の民兵は損害を出していないと思うんですよねぇ.
さらにまた,クリントン大統領がヘタレで部隊増援を許可しなかったり,国連の任務で制限が付いたり,その国連は現地の武装勢力と一緒にいたり.
現地人はアイディードのプロパガンダに乗せられて,パキスタン兵24人を惨殺するし.
その復讐もかねて,アイディードがいるとの情報があったビルにヘリで攻撃したら,部族長たちの会合で,現地人は余計怒っちゃうし.
それに映画やgoogle mapsで分かるとおり,デルタが降下した地区から米軍が根拠としている飛行場までは,たかだか数kmしかありません.
要するにモガデシュ市内を制圧するにたるだけの兵力を注がず,都市においても意力を発揮する機甲戦力を伴わず,あくまで特殊部隊と軽歩兵にヘリの組み合わせでやろうとしたのが間違いでした.
ブラックホークダウンのあとには,撤退の形を作るため機甲戦力を送り込んでいますから,本気でアイディドを拘束したいのならば,もちっと早めに決断を促すべきだったんですよ.
少なくともヘリ+デルタじゃ限界があるわけで.
イラクでフセインもかなりの間逃げ回っていますし,フセイン子息二人も数ヶ月(たしか7月だったかな)は逃げてますからね.
そしてビンラディンは今に至るも捕まっていないわけです.
▼(その後,2011年5月にようやく,ビン=ラーディンは特殊部隊に急襲され,殺害されました.
ビン=ラーディン拘束作戦の始まりは,1999年とされていますので,それが正しければ,12年も逃げ回ることができたということになります――編者注)▲
軍事板
【質問】
なぜソマリアPKOは失敗したのでしょうか?
やはり「ガリ構想」には無理があったのでしょうか?
【回答】
失敗の原因については,米軍の兵力が脆弱すぎたということで良いでしょうか.
ガリ構想についてですが,常任理事国はじめ日本も含めた軍事強国,軍事大国が,誠意を持って乗ってくれないと,どうにもならない話です.
【質問】
ソマリアの米兵死体引きずりまわしシーンが,早期撤退の材料になったのですよね?
私は,逆にあれが流れた時,
「あー,これで米国は後に引けなくなったな.」
と思っていましたが.
【回答】
あの頃は冷戦が「アメリカの勝利」に終わったと認識されてて,米国民は大半が
「これで平和の時代が来る」
と思ってた.
「世界の責任者になった以上,世界を津々浦々までアメリカの力で平和にしなければならん」
というのが,アメリカ政府の考える”新しい使命”だったのだが,国民は
「もう戦争は嫌だ」
という意識が強かった.
だからあの一件で一挙に,「世界の警察官としてのアメリカ」はアメリカ国民自身の支持を失うことに.
あと,アメリカ政府の広報とマスメディアが
「飢餓に苦しむアフリカの貧しくかわいそうな人々に歓迎される我がアメリカ軍」
をやたら強調して報道してたので,現地住民に米兵が虐殺された(まったく歓迎されてないどころか,憎悪の対象にされている),というのは米国民には激しいショックを与えた.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソマリアでイタリア軍が米海兵隊と戦闘,しかも勝利したという話は本当でしょうか?
【回答】
ソマリアに国連軍が派遣されていた時,ちょっとした感情の行き違いから,アメリカ海兵隊とイタリア軍の部隊が戦闘になってしまったことがあります.
イタリア軍が検問から解放したソマリア人をアメリカ海兵隊が連行しようとして揉め事になり,隙を見て逃げようとしたソマリア人をアメリカ兵が射殺.それをきっかけに撃ち合いになった,というものです.
その時イタリア兵は逃亡も降参もせず,上層部が事態を収拾した時にはアメリカ海兵隊を圧倒していた(被害は双方ほぼ同数)そうです.
▼ ただし,具体的な部隊名も衝突の規模も不明で,創作くさくもある.
事実なら,CNN等のトップニュースになってるはずだし.
前にこれが話題になった時の話だが,三野正洋の「どの民族が戦争に強いのか?」の中で語られてるエピソードだった,筈(という書き込みがあった).
自分はその本持ってないので確かめられないが,ここ読んでる人で当該図書を持ってる人がいたら確かめてくれ.
また,一応と言うか,国連ソマリアPKOが発動されたとき,かつてあの地域を植民地にしてて,独立後も利権を持ってたイタリアは,PKF参加国から外されたが,だからこそとイタリア政府は強引に参加を主張して加わった.
PKFの中でイタリア軍部隊は,「勝手知ったる元領土」とばかり,他の国のPKF部隊と協調しようとせず,特にPKFの主導権を握っていたアメリカの指揮に従わないので,PKF内での摩擦を何度も起こし,挙句の果ては司令官がクビ同然で本国に帰国したりしている.
アメリカは「イタリア軍部隊は現地の武装勢力と癒着している」
イタリアは「アメリカは自国のルールを押しつけ過ぎて却って紛争の火種を撒いている」
と非難し合ってたりして,結構関係は険悪だった.
だから,そういうエピソードがあってもおかしくはない・・・とは思うんだが,さすがに銃撃戦まであったか,というとなぁ.
軍事板,2008/09/05(金)
青文字:加筆改修部分
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