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◆Sudan FAQ
Africa FAQ 目次


 【Link】

 【質問】 スーダン内戦の経緯は?

 【質問】 ダルフール内戦の原因は?

 【質問】 スーダンの「アラブ人」は,どう見てもアフリカ人にしか見えないのだが?

 【質問】 スーダンにおけるイスラーム過激原理主義の勢力は?

 【質問】 スーダンでは,いかにしてイスラーム過激原理主義者は政府を支配するようになったか?

 【質問】 スーダンでは現在,どのような「イスラーム説教」が行われているか?

 【質問】 ハッサン・トゥラビの経歴は?

 【質問】 ハッサン・トゥラビの信条はいかなるものか?

 【質問】 イランはスーダンにどんな支援をしているか?

 【質問】 スーダン内戦でのチャイルド・ソルジャーの実態は?

◆◆PKO関連

 【質問】 ダルフール紛争へのPKO派遣はどうなっているのか?

 【質問】 スーダンPKFに自衛隊は参加するのか?

 【質問】 スーダンにロシアがPKO部隊を派遣する目的は何か?

◆◆中国の影響力

 【質問】 スーダン内戦に中国はどのような影響を与えているか?

 【質問】 スーダン都市部での中国人の密度は,過去と比べて高くなっているか?

 【質問】 以前と比べて,都市部で中華料理店が増えているような現象は見られ ないか?

 【質問】 スーダン都市部の人は中国人が好きか嫌いか?

 【質問】 スーダンの首都ハルツームが2008年,反政府ゲリラに攻撃されたそうですが,スーダン政府は中国が支えているんじゃなかったのですか?


 【Link】

 (a) 書籍

Donald Petterson 「Inside Sudan: Political Islam, Conflict, and Catastrophe」

「民族紛争を生きる人々」 栗本英世著,世界思想社(1996年)

「近代スーダンにおける体制変動と民 族形成」 栗田禎子著(2001年)

「スーダン:もう一つのテロ支援国家」 富田正史著,第3書館(2002年)
※著者はスー ダン政府支持の立場を打ち出しているので,記述が客観的か注意すべし.

 (b) Site

Voice of Sudan Alliance Forces(Sawt Nedal al−Shabal−Sudany al−Mosalah)
(スーダン向けの反政府秘密局,01:45−02:15に7000kHzにて放送.
 QTHは37 Cassidy St#228,Kingston,Ontario K7K 7B3,Canada)

http://wiki.fdiary.net/sudan/

アッサラーム・アレイクム(スーダンの生活事情,政治軍事情報は外務省HPのコピーなので,参考にならず)

スーダン

スーダンの基本データ(BBC)

スーダン・ブログ

対外情報調査部」より,「スーダン共和国

ダルフール内戦に関するQ&A(BBC)

「ワレYouTube発見セリ」:Sudan army - Military parade

 (c) 主要登場人物(キャラクター・デザイン:さいとうたかを)


スーダン大統領
オマール・ハッサン・アハマド・アル・バシール
(Omer Hassan Ahmed El-Bashir)

スーダン副大統領Ali Osman Taha(右)とスーダン人民解放軍(SPLA)指導者John Garang(左)
ケニアでの南スーダン内戦の和平会談席上にて

南スーダン反政府指導者Daniel Deng Mondyit(57)

スーダン人民解放軍(SPLA)指導者John Garang

チャド大統領Idriss Deby
西スーダンDarfur紛争の和平会議再開に出席中(チャド首都 Ndjamenaにて)

スーダン外務大臣Mustafa Osman Ismail

+

 【質問】
 スーダン内戦の経緯は?

 【回答】
 第1次内戦と第2次内戦に分かれる.
 さらに,2003年からは西部と北部との間に新たな内戦も発生した.
 同国特有の複雑な民族問題に国際社会の利害が絡み合い,出口の見えない泥沼となっている.
 以下引用.

 1956年に独立する前年から1972年まで第一次内戦が続いていた.
 第一次内戦は,独立時の南北の人種的違いや歴史的な差別が原因となっていた.北部のアラブ人は南部の黒人を奴隷狩り・売買の対象としていた.
 このような状況下,両者がひとつの国としてまとまるには無理があった.これが主な第一次内戦の原因であり,大きくみればアラブ人と黒人の戦いとみることができた.

 現在の第二次内戦は1983年に始まって20年以上続いている.
 これは第一次内戦後の社会的・経済的発展の不均等を原因に,ディンカ族のジョン・ガランが立ち上がったもの,大義名分としては南部の独立のためではなく,政治体制の変革を目指している.
 しかし,北部と南部の境界線あたりで大規模な油田が見つかった頃より,状況は複雑化する.
 諸国政府がスーダンから利益を得ようと介入し,ジョン・ガランを指導者とするゲリラ組織SPLA/Mを支援するようになり,北部の政府側にはリビアやエジプトなどのムスリム政府がついた.

 近年すすめられている和平交渉において政府はSPLA/Mをはじめとする南部勢力に民族自決権と宗教的自由を認めたものの、紛争の終結には至っていない.

http://www.nishi-shinjuku.net/~africa/mid-north_africa/sudan/passing_events.html

 なお,各社報道によれば,同国政府と南部の反政府勢力「スーダン人民解放軍(SPLA)」は二十六日深夜,ケニアの中部都市ナイバシャで,暫定政府の権力配分などで正式に合意し,政府側代表のタハ副大統領とSPLAの最高指導者ガラン大佐が和平協定に調印したという.
 石油から得る富の分配を50:50とすること,
 イスラム法を南部すべてには強要しないこと
 副大統領2人のうち1人を南部から出すこと
で最終合意に達した.

 ところが――
 北部と南部の和平はこれで何とかメドがついたが,北部と西部との間で2003年2月,新たな紛争が発生した.地下資源の配分と地方の権限を求める構図は,「北部と南部」の内戦と同じだ.ちがうのは,西部の黒人部族はイスラム教徒ということだ.政府軍の支援を受けたアラブ民兵とイスラム教徒同士の戦いとなっている.

 政府軍機の空爆と呼応してアラブ民兵は西部の町・村を襲って来る.民兵による殺戮,略奪,レイプなどを避けて13万人が西隣国のチャドに逃れ,100万人以上が国内難民となった.干ばつも襲っているため,国連は120万〜200万人に緊急食糧援助が必要と見ている.

http://www.janjan.jp/world/0406/0405284778/1.php
※なお,janjan記事にはアメリカ陰謀説が見られるが,
根拠不明なものであるため,該当部分は割愛

 スーダン・ダルフール地方での激しい暴力と殺戮を逃れてチャドに避難した人々は,たいへんな窮状に陥っており,数万人の生命が飢えと病気によって脅かされている.栄養失調が増加し,不十分な数しかないキャンプは過密状態にあり,食料と水が不足しているだけでなく,多くの難民がスーダン人民兵による越境攻撃の危険にさらされている.チャドで大規模な人道援助を行う必要が極めて重大になっている.

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や国際NGOが数ヵ月前からチャドにチームを派遣し,緊急対応を行っているにもかかわらず,状況は遅々として改善されず,危機はさらに拡大している.
 MSF(国境なき医師団)の緊急事態対応コーディネーターとして,チャド・スーダン国境から戻ったばかりのJean de Cambryは,次のように報告している.
「栄養失調のレベルは,週ごとに上昇しています.4月中旬には,イリバにあるMSFの集中栄養治療センターに入院する重度の栄養失調 の子どもの数は週に3,4人でしたが,現在は週25人近くに増加しています.」
「現在,多くの難民の栄養状態は,キャンプの外よりもむしろ中の方が悪化しているという事態が起きています.設置されたキャンプがその収容能力を超えて稼動しているからです.元々6千人用に設計されたいくつかのキャンプは,今やその倍の人数を収容しています.これでは6千人の需要に見合うよう準備された食糧で,2倍の人数を賄わなければならないことになり,到底足りる量ではありません.」
 水の供給についても非常に問題があり,数千人の難民は安全な飲料水を手に入れることが一切できずにいる.De Cambryはさらに続ける.
「ティネ,ビラク,イリバにある我々の医療施設では赤痢の患者が増加しています.とりわけ栄養不良の状態にある多くの子どもや大人にとっては非常に危険な状況です.
 ほとんどの難民キャンプではトイレが完全に不足した状態です.あるキャンプでは難民400人に対しトイレがひとつしかありません.これは,ひとつのトイレにつき最大20人という国際基準の20倍にあたる数字です.とても受け入れられる状態ではありません.」
 国境地帯からチャド国内の難民キャンプへ移動せずにいる数万人の難民は,暴虐行為を働くスーダンの民兵から襲撃される危険にさらされている.
 民兵グループはスーダンからチャドへ越境しては難民の持ち物や家畜を略奪している.
「これらの越境攻撃によりしばしば難民が負傷し,また殺害されています.彼らはまったく保護が受けられません.また,多くの人々が国境を越え自分の家に食糧を取りに行こうとして殺されています」

(国境なき医師団日本 ニュース・リリース)

 また,数万人もの人々が,襲撃された村々からの『略奪品』となり,奴隷として売買されている.そのほとんどは,女性と子どもだ.

http://www.lares.dti.ne.jp/~tomoyan/hitori/hitori/june16.htm
※リンクから考えて,元ソースはCNNと思われる

 アフリカ連合(AU,53カ国加盟)の首脳会議(2004/7/8)も,国連が「世界最悪の危機」と警鐘を鳴らすスーダン西部ダルフール地方のアラブ系民兵による黒人住民への集団的残虐行為に対し,毅然とした対応を示せなかった.多くの非民主主義国家を抱えるAUの限界を露呈したとの指摘も出ている.

(毎日新聞 2004/7/9)

 スーダン政府,反政府勢力の集合体「国民民主同盟(NDA)」,南部の反政 府勢力「スーダン人民解放戦線(SPLA)」の3者が2005/6/18,カイロで和解協定に 調印しました.
 今年1月に政府とSPLAが包括和平協定に調印,83年以来の内戦に終止符がうたれました.これが他の反政府勢力への和平ムードを広げ,今回の調印に到りま した.
 ただ,現在問題となっている西部ダルフール地方の反政府勢力は,現在も政府 と交渉中で,今回の協定に参加していません.

おきらく軍事研究会

<スーダン>7月だけで人道支援関係者8人殺害 ダルフール

 【ヨハネスブルク白戸圭一】紛争により200万人以上が避難民となっているスーダン西部ダルフール地方で,国連や非政府組織(NGO)などの人道支援関係者に対する襲撃が急増し,7月だけで8人が殺害された.
 国連は過去2年間の人道支援関係者の犠牲者総数を上回る深刻な事態として,国連平和維持部隊の受け入れをスーダン政府に働きかけている.
 国連人道問題調整事務所(OCHA)は7日,「人道支援関係者が直面している暴力は前例がない」との声明を発表.国際NGOのオックスファム(本部・英国)など4団体も声明を出し,この状態が続けば「住民への支援にも支障が出る」と訴えている.

 紛争は政府軍と反政府勢力2派の間で03年1月ごろ始まり,今年5月に政府と「スーダン解放軍(SLA)」が和平協定に調印したが,SLA非主流派と「正義と平等運動(JEM)」は調印を拒否.
 他にも政府系,反政府系双方の民兵が存在するため戦闘が終息せず,諸勢力が和平崩壊を狙って人道支援関係者を襲撃している模様だ.

毎日新聞,2006年8月11日19時0分

スーダンの和平合意違反を再非難 プロンク国連特別代表

 【アルジャジーラ特約28日】スーダン政府から国外退去させられたヤン・プロンク国連事務総長特別代表(スーダン問題担当)は27日,国連安全保障理事会の会合に出席,同政府が西部ダルフール紛争で反政府勢力と取り交わした和平合意を破り,軍事行動を続けているとあらためて非難した.

 オランダの元閣僚でもあるプロンク特別代表は会合で,このようにスーダン政府の軍事行動を常に非難していることが国外退去させられた理由だと指摘した上で,同政府軍が反政府勢力に対し,航空機による爆撃や武装民兵を動員した攻撃を加え,惨劇を起こしていると主張した.
 また,同特別代表は自身のウェブサイト上で,「スーダン政府軍はダルフールで行った反政府軍との戦闘で2回も大敗を喫し,政府軍兵士たちの士気が低下している」と書き,これが原因で同政府から「好ましからざる人物」とのらく印を押され,国外退去を求められたと述べた.
 しかし,プロンク特別代表の任期は今年末まであるため,同代表は近くスーダンに戻り,タエ・ゼリホーン同副代表と事務引き継ぎを行う.

 一方,国連報道官はこの日,「アナン事務総長は,ダルフール紛争交渉が重要な時期を迎え,国連がスーダン政府と話し合いを続けられる状況を維持することが重要であることを十分に認識している」と指摘した.
 また,スーダンのモハマド国連大使は同日,「プロンク特別代表は国連事務総長の信認を受けているのだろうが,スーダン政府は一向に認めていない.国連事務総長特別代表という肩書きは終わった.わが国の姿勢に揺るぎはない」と強調した.
(翻訳・ベリタ通信=志岐隆司)

2006年10月28日20時11分,アルジャジーラ


 【質問】
 スーダンのジョングレー運河工事は,なぜ内戦を誘発したか?

 【回答】
 地元遊牧民の意向を全く無視したため.

 この運河は1972年に計画されました.
 スーダンは,アフリカのナイル川流域にあり,大半が砂漠地帯で乾燥しているため,農耕ができません.
 そのため,スーダンに住む人々はたくさんの牛をつれて移動するという遊牧の生活をしていました.
 そこで,スーダン政府は乾燥地帯に運河を通し,その水で緑化されれば,年間を通して移動している遊牧民が定住し,豊かになるだろうと思い,ナイル川から水を引くために運河を作り始めたのです.

 一方,遊牧民の言い分はこうでした.
「運河を作るということは,私たちの土地への侵略だ.
それに,洪水があるからこそ動物たちに良質の牧草を食べさせることができる.その洪水をコントロールされてしまったら,私たちの牛は死んでしまうじゃないか!」
 しかも,政府側が「遊牧民が定住したら豊かになれる」と考えたことも,一年中動き回って生活している彼らにとっては,まったく違う適応を取り入れることを意味しています.

 だから遊牧民たちはそれを拒否し,話し合おうとしたが応じてもらえなかったため,武力を使って阻止しようとしたのです.
 結果的にジョングレー運河の計画は断念され,現在も遊牧民であるヌアーやディンカの人々は遊牧の生活を続けています.

 詳細は
http://www.littera.waseda.ac.jp/littera/trc/pro/cyber/netclass/nisimura/01_txt_07_02.html
参照.


 【質問】
 ダルフール内戦の原因は?

 【回答】
 同地方ではアラブ人遊牧民と黒人農民が土地や水資源をめぐり長い間争ってきたが,昨年2月に黒人農民側が軍施設などを襲撃して新たな内戦が始まった.アラブ人が要職を占める政府がアラブ人側に有利な取り計らいをしてきたことへの反発が背景にあるとみられている.

 これに対し政府はアラブ人民兵に武器を与えて農民への攻撃を支援してきた.民兵は焼き打ち,婦女暴行など残虐行為を繰り返し,これまでに1万人以上が死亡,100万人以上が村を追われた.

日経新聞 2004/7/10社説,抜粋要約

 スーダン・ダルフールの虐殺の発端は,2003年2月,弁護士アブデルワ ヒド・ムハンマド・ヌールが率いるとされるダルフール解放戦線(DLF)が マッラ山地で武装蜂起したことだ.アラブ系住民優遇策を採り続けるハルツー ムのバシル政権に異議を唱えたわけである.
 DFLは,それまでも散発的に起きていたアラブ系住民との抗争に対処するため,アフリカ系の1部族,フール族が作り上げた村落自警団を核とする.ダルフールのアフリカ系住民の殆どがDLF側に合流したとされる.
 DLF は1カ月後の2003年3月にスーダン解放軍(SLA)に改称.
 以後,SLAは,バシル大統領率いるスーダン政府軍と全面武力衝突に入る .

 そこで,バシル大統領が取った手段が,SLA,より端的に言えば,アフリカ系住民に強い反目を抱くアラブ系住民武装民兵を政府軍に編入して,鎮圧に利用することだ.
 こうすれば,虐殺などの民族浄化につながる事態があっても ,政府軍は一切関与していないと言い張れるからだ.
 バシル大統領は,リビアのカダフィ大佐,チャドのデビ大統領と交渉し,こ れら隣国との国境を閉鎖.これはSLAを兵糧攻めにするのが狙いだった.

 そして停戦が成立しては崩壊という,どこにでもある内戦激化のパターンがダルフールでも繰り返される.もともと人的,物的に圧倒的な劣勢にあるSLAが,そう長く持ちこたえられるはずもない.
 2003年12月の停戦期間満了と共に,停戦期間中に部隊再編,兵力増強を続けてきたスーダン政府軍側は,全面的な攻勢に乗り出し,ジャンジャウィードによるアフリカ系住民の徹底的掃討もあって,各地で勝利を手中にする .
 ジャンジャウィードが常套手段とする,有無を言わさぬ虐殺,強姦で,アフリカ系住民はダルフールのチャド国境意沿いに追い込まれる.あるのは餓死だけだ.

 南部における反政府勢力スーダン人民解放軍 (SPLA)が,ダルフールのアフリカ系住民に密かに武器を渡し続けているの も問題を複雑にしている.(了)

(400字で切る国際ニュース),抜粋要約

 SLAの停戦交渉代表,アダム・アリ・ショガールは,
「ダルフール地方は56年のスーダン独立以来,開発から取り残され,黒人住民は少数派として差別されてきた.アラブ系が権力を独占している現在の抑圧的な中央政権が,自由で民主主義的なものに変わるまで抵抗を続ける」
と語っている.

(asahi.com 2004/05/11 07:46,リンク切れ)

 スーダン政府と反政府武装勢力は2004年11月,ダルフールを政府軍機の飛行禁止区域とすることで合意.

 しかし2005/1/19,ロイター通信は人道支援関係者の証言として,ダルフール南部の集落で,政府軍の支援を 受けたアラブ民兵が村民3人を殺害,政府軍も空爆を行ったと報じ,国連報道官は26日,スーダンの首都ハルツームで会見し,ダルフール南部の別の村で先週起きた戦闘で,村民105人が死亡した可能性があると発表した.大半は女性と子供という

(加藤賢治 from 読売新聞,2005/1/28)


 【質問】
 スーダンの「アラブ人」は,どう見てもアフリカ人にしか見えないのだが?

 【回答】

アラブ人【あらぶ−じん】by 広辞苑
本来はアラビア半島に住むセム系の遊牧民族の総称.現在ではアラビア語を使用する人々の総称.アラビア人

 民族としてのアラブとは,アラビアのロレンスに出てくるような,色白で彫りが深く,精悍な顔つきをして黒い目と髪をした人々のことを指す.エジプトは8世紀から現地のエジプト人とアラブ人の混血が進んでいるため,エジプト人は湾岸諸国の人々からは「アラブでない」とみなされることが多い.
 エジプト人たちの意識としては,「我々はアラビア語を母語とするアラブである(…しかし人種的には純粋なアラブではない)」というのが一般的であろうか.彼らは南部のヌビア系の人々のことは,たとえアラビア語を話していても「アラブ」とみなさないし,黒人のことも「アラブ」とみなさない.エジプト的にはアラブは,アラビア語を母語とし,セム系の血をいくらかひいている者,のことだ.多分.
 アラビア語を使う=アラブ,という図式はエジプト的には成り立たない.多分湾岸諸国でも.

 だが面白いことにスーダンでは,黒人でも,それはアラブなのである.彼らがアラビア語を話し,自分のアイデンティティをムスリムであることに置き,自分のことを「アラブ」だと思えばそれは,スーダンでは立派なアラブなのだ.おそらくそれは,スーダン南部の「キリスト教徒もしくはアニミズムを信仰する,アラビア語以外の言葉を話す人々」と自分たちを差異化するために,近代になって獲得された概念なのだろう.
 それは必ずしも間違った用法ではないが,いわゆる「中東」を見慣れたものにとってはかなり奇異なことである.スーダンの,「黒い」「アラブ」.そして,今スーダン北部を支配しているイスラーム「原理主義」政権は,シャリーアに基づいた統治をしている,と標榜している.
 しかしイスラーム「原理主義」政権が君臨している割には,女性の衣装はトゥーバと言われるアフリカのものが多い.頭髪を緩やかに隠してはいるが,エジプトのような,髪の毛,首をきっちり覆う,シャリーアにのっとったイスラミックなスタイルのヴェールは首都にも数えるほどしかいない.

アラビアのミネコ,エジブト留学中のイスラーム法研究者,
「DEPOLOG――スーダンダン」, 2004/4/14


 【質問】
 スーダンにおけるイスラーム過激原理主義の勢力は?

 【回答】
 イスラーム法の制定もあり,スーダンはイスラーム過激原理主義者の楽園となっている.

 ビン・ラーディンも,90年からアフガニスタンに再度渡る95年までここで暮らしている.
 米国は98年,ビン・ラーディンと関係があると見られた首都ハルツームの薬品工場に巡航ミサイルを撃ち込んだ.米国は同時にアフガニスタンのテロ訓練キャンプにもミサイル攻撃している.

 かつて,スーダン政府は南部(キリスト教地域)の自治権を認めていた.
 ところが78年,その南部で石油が発見されると,政府は支配を強化してきた.83年にはイスラム法を制定して南部キリスト教徒の生活に規制を加えた.事実上の弾圧である.
 同法制定以来,スーダンは国際社会から孤立を深めている.2000年9月には女性の就業を禁じた.
 マスコミへの規制も厳しい.ラジオ,テレビ局はすべて国営.識字率が低いので,有力な活字メディアもほとんどない.

http://www.janjan.jp/world/0405/0405224604/1.php


 【質問】
 スーダンでは,いかにしてイスラーム過激原理主義者は政府を支配するようになったか?

 【回答】
 ロンドン大学やソルボンヌへの留学経験を持つイスラーム過激原理主義者ハサン・アル・トゥラービーは,スーダンのムスリム同胞団を母体にして「イスラーム憲章戦線」を結成,反共産主義やイスラーム刑法導入といった主張を糸口にして,60年代からスーダン政治に勢力を築く.

 1986年の国政選挙では,「国民イスラーム戦線」を率いて第3党の地位に就き,連合政権に参加していた.

 しかし,トゥラービーが権力中枢に辿り着くのは,軍事クーデターを支援し,そのイデオローグとなることによってである.
 1989年,トゥラービーの思想的影響下にあるオマル・アル・バシール准将が,クーデターを成功させる.
 新政権でトゥラービーは国会議長に就任,大統領となったバシールと共に,「国民イスラーム戦線」を支持基盤として実権を掌握する.

 しかし,バシールとトゥラービーの統治は,多くの観察者によって「悲劇的」と形容される帰結をスーダンにもたらした.
 宗教の名の下に内戦が激化,政治的反対勢力への過酷な弾圧が行われ,大量の難民が流出した.
 1989年のクーデターは,北部の政権がイスラーム刑法施行を撤回するといった形で,内戦が終結に向かう兆しを見せ始めた正にそのときに発生した.
 バシール政権は,南部勢力との内戦をジハードと定義し,自らの正当性の根拠に採用した.

 スーダン政治史の研究者ピーター・ウッドワードの結論は,次のようなものである.

「イスラーム国家は北部と南部両方での,独立スーダン史上,例のない規模の抑圧によって成り立っている.
 殆どの住民にとって実生活の環境は悪化し,多くは国を出た.
 スーダンは政治的イスラームのかがり火となるのではなく,国際的に孤立してしまった――辿り着き得ぬものに辿り着こうとした代償として」(論文「スーダン 権力の座に着いたイスラーム過激派」,エスポズィート編「政治的イスラーム」所収,p.113)

 宗教的信念に基づいた楽観的な社会思想は,政治イデオロギーとして用いられたときに大きな問題をもたらしかねない.
 この問題を回避できるか否かは,「運動」が「全体社会」の中の「他者」の問題をどれだけ認めることができるかにかかっている.

(池内恵「現代アラブの社会思想」,講談社,2002/1/20, p.110-112,抜粋要約)


 【質問】
 スーダンでは現在,どのような「イスラーム説教」が行われているか?

 【回答】
 説教に名を借りた反ユダヤ・プロパガンダが行われている.

 例えばアル・カロウリ師(Sheik Abd Al-Jalil Al-Karouri)は,2004年11月19日,アル・シャヒードモスク(ハルツーム)において,
「ファルージャには現在ユダヤ兵が1000人いる.これはアメリカ筋の数字である.そのうち37人がラビだ.
 このラビ達が,ファルージャで戦うユダヤ兵をけしかけ戦闘意欲をかきたてている.
 つまり,アメリカはイスラエルのために戦っているのだ.
 随分昔から掘削しているから,イラクの石油を手にするための戦いではない」
「アメリカが建国の基盤を保持したいのであれば,(ベンジャミン)フランクリンの忠告を聞くべきだ※1.フランクリンはユダヤ人に気をつけると警告しておるぞ.
 そのユダヤ人共がアメリカ人を誘導して,戦闘と混沌のなかに放り込んでいるのだ※2」
と述べる.この説教は,スーダンTV(官立)でも放送された.

 また,アル・カロウリ師は2004年8月24日,アル・シャヒードモスク(ハルツーム)において,
「蚊と黴菌はユダヤ人とアメリカのパトロンの関係を想起せしめる.つまり,イスラエルとアメリカの関係は蚊とマラリア菌の関係と同じである.
 蚊は人血を吸う.マラリア菌は人体を冒す.マラリアは蚊を媒体として人体に侵入してあばれまわり,汚染してしまうのだ.
 この説教壇上からアメリカに忠告する.マラリアは蚊の腹中にやどり,やがて蚊を殺すぞ.
 我々の忠告は,建国の父(ベンジャミン)フランクリンの忠告と同じである.ユダヤ人こそマラリア菌だ.アメリカの腹中にやどっており,おそかれはやかれアメリカを滅ぼしてしまう.」
「ユダヤの特徴という資料を配布したが,9月9日(9/11のことであろう)になったら,これの再確認をやる.要するに,アメリカで9月9日に起きたあの一連の事件,有名な二棟のビル破壊は,アメリカが主張するようにイスラエルの敵による仕業か,或いは我々が主張するように,イスラエルの手先がやった犯罪かという問題だ.いずれにせよ結果は同じだ.ユダヤ人のせいでこうなったということに変りはない」
と述べている.これもスーダンTVで放送されている.

(MEMRI,抜粋要約)

 ※1 ベンジャミン・フランクリンの反ユダヤ主義なるものが巷間伝えられているが,その神話については,2002年1月31日MEMRIのSpecial Dispatch 339(エジプトの週刊誌ナチプロパガンダのでっちあげをコピー発行)を参照.
 ※2 MEMRI TVプロジェクトクリップ381を参照.

 また,2006/11/29付,イェルサレム・ポストによれば,ダルフール紛争は「中東紛争から目をそらすイスラエルの謀略」で,死者の実数は9千人だとスーダンの大統領が弁明したという.


 【質問】
 ハッサン・トゥラビの経歴は?

 【回答】
 MEMRIより,事実部分を引用する.

 スーダンの学者でイスラム主義指導者のハッサン・トゥラビHassan Al-Turabiはソルボンヌ大学から法学博士号を取得している.
 博士は1960年代初め,スーダンのムスリム同胞団の指導者になった.
 1986年.スーダン国民議会選挙では国民イスラム戦線(NIF)ーームスリム同胞団の新しい分派で.スーダンのイスラム国家樹立を目指すーーを率いた.
 NIFは,同議会第三党に躍進した.
 1989年,選挙で選出された政府を打倒する軍事クーデターに,舞台裏で参加した.
 以後2001年まで,NIFの指導者,後に国民議会の議長を務め,指導的な政治家として政府を支えた.

 トゥラビは1990-1991年にかけ人民アラブ・イスラム会議(PAIC)を設立し,書記長に就任した.(スーダンの首都)ハルツームに本部を置いたPAICは,政治的イスラム主義過激運動の国際的な傘組織だった.
 トゥラビは1990年代はじめ,スーダンを基地として使用することをビンラーディンに認め,また,ビンラーディンの精神的師となった.
 NIFはスーダンをイスラム国家に変えようとした.
 しかし,その試みは複雑な結果をもたらした.反対勢力が台頭し,内戦になった.
 2000年,スーダン政府はPAICの主催を止めた.
 2004年3月,トゥラビはハルツームで,かつての同志である現大統領オマル・バシールOmar Al-Bashirの命令で逮捕された.
 しかし,2005年6月釈放された.

MEMRI, 2006/5/4


 【質問】
 ハッサン・トゥラビの信条はいかなるものか?

 【回答】
 かつては,女性の就労禁止などを定めていたが,少なくとも2006年には,
「女性は胸を隠さねばならない,顔ではない」
「女性はイマーム,また政治指導者にもなることができる」
「自宅での飲酒には罰則がない」
などと,他のイスラーム過激原理主義勢力よりは軟化の兆しが見える.

 一方,反ユダヤ・反イスラエルのために具体的に行動を起こせ,とも説いているが…….

 以下引用.

 スーダンの学者でイスラム主義指導者のハサン・トゥラビはアラビーヤ・テレビで,こう語った:
女性は胸を隠さねばならない,顔ではない;女性はイマーム,また政治指導者にもなることができる;自宅での飲酒には罰則がない

 〔略〕

 以下は,2006年4月10日(ア首連ドバイの衛星テレビ)アラビーヤ・テレビで放映されたトゥラビ博士のインタビューの抜粋である.
 このクリップは,
http://www.memritv.org/search.asp?ACT=S9&P1=1112
で見ることができる.

「イスラム世界の大半は・・・コーランを(正しく)読まず,(盲目的に)引用する」

 トゥラビ:
「これらの見解の一部はすでに数十年前に表明され,書籍でも取り上げられた.
 しかし,あなた方は依然こう見ている.
 イスラム世界ーー停滞し,後退し,伝統を重んじるーーイスラム世界の大半はコーランを祝福のため以外は(正しく)読まず,(盲目的に)引用している,と」

(・・・)

 インタビュアー:
「トゥラビ博士,あなたは女性と男性は平等だとし,女性はイマーム(スンニ派の礼拝指導者)を勤めることができると語った.
 つまり,ある女性が男性よりも敬虔で聡明ならば,彼女は礼拝を指導することができると語った.
 また,あなたは,ムスリムの女性と経典の民の男性との結婚を(認めた).
 また,ヒジャーブ(ベール)で(女性が髪を覆うこと)に関し幾つかの点を提起し,胸を隠すだけで十分だと語った.

(・・・)

「アッラーがお望みになるなら,私は女性が働き,社会生活の一部になることを望む・・・私は人間間の平等を好む」

 トゥラビ:
「私は社会の半分(女性の意)が外出すべきだと言ったが,それは,単に街中に出る人間の数を倍にするためではなかった.
 ともかく,電化製品の登場で,家庭はもはや多くの作業を必要とはしないーー我々が自分たちの妻を装飾品として扱い続け,夜を待つのでなければだが.

「アッラーがお望みになるなら,私は女性が働き,社会生活の一部になることを望む.
 アッラーは女性に,我々に優る幾つかの利点を,また,我々には女性に優る利点を与えた.アッラーは男性と女性に,それぞれ互いに優る利点を与えたのだ.
 私は人間には平等が存在することを好む.なぜなら,「アッラーは単一の魂からその仲間を創造された」と言われるように,我々はすべて,同一の魂から創造されたからだ.

(・・・)

「私は,女性がイマームになることを禁じるハディース(預言者の言行録)を知らない.
 私はこう理解できる・・・礼拝の間にーーつまり我々が祈る時,我々は互いに近づき,触れ合う.
 そうした接近状態で,仮に女性が我々と共に祈るならば,彼女たち(の存在)によって我々の思考は礼拝から逸脱し,男と女の関係に向かうだろう.
 これがーーモスクによって祈り方は異なるがーー彼女たちが我々の背後で祈るか,脇で祈るかする理由だ.

「しかし,一人の女性が我々よりも一層敬虔であり,一層善良であり,あるいは年齢が上ならば,人々は彼女の顔を見ることなく,彼女の知恵ある言葉に耳を傾けるだろう.

「(この問題に)関するハディースが一つある.
 預言者(ムハンマド)がウンム・ワルカUmm Warqaをよく訪ねた(というハディースだ).預言者は幾人かの女性をよく訪ねた.訪ねたのは妻たちで,その夫たちではなかった.なぜなら彼女たちは(夫たちよりも)行いの正しい人間だったからだ.

「女性はムエッジン(礼拝の呼び掛け人)を勤めることもできる.彼女のダールdar(家や領域を意味するアラビア語)の人々を礼拝で導くことができる.
 ダールは必ずしも家を意味しない.ダールは広い地域を指す・・・例えばダルフールDarfourやダルハメドDar-Hamed(といったぐあいだ).

(・・・)

「ある女性が候補者の中で最善の人物ならば.また,国家が直面する挑戦にもっともよく対応できる人物ならば,国家の指導者になることができる.
 国家は社会的な困難,経済的な困難,あるいは軍事的な困難に陥っているとして・・・これらの困難次第で,また現在の必要性に応じて,私は候補者を(選択して)投票する.

(・・・)

「ユダヤ人やキリスト教徒と結婚した欧州の女性は,イスラムに改宗する以前に離婚する必要はない」

 トゥラビ:
「人々はイスラムに改宗する.欧州では,女性は夫に先立ってイスラムに改宗することができる.彼女たちを止めさせるべきか,それとも彼女たちを裁判に掛けるべきか.彼女は信仰する女性でありーー離婚するまで彼女を改宗させないでおくべきか,それとも(離婚前に改宗させて)彼女の家族をバラバラにするべきか.その(イスラム)法判定の根拠はどこに求めるのか.(しかし,関連するコーランなどの)章節はどこにもない・・・」

 インタビュアー:
「彼女がイスラムへの改宗を望むならば,彼女は結婚していなければならない・・・」

 トゥラビ:
「いや,そう我々に伝える(コーランなどの)章節は存在しない・・・(その)章節は多神教徒に言及している.我々と多神教信者との結婚は禁止されている」

(・・・)

「コーランは,我々が経典の民と結婚できると語っている.結婚できないとは言っていない,
 (経典の民との結婚を禁じるイスラム学者は)(こと他教徒との結婚問題に関しては)信頼がおけない一般的な章節に依存している.
 もし,これが妻(と夫)との間に争いを引き起こさないならば,そして,現在引き起こしてはいない・・・ましてや女性は夫と同じ政党に投票すらしない,時には,夫は宗教的でもなく,キリスト教徒であることは親から受け継いだものにすぎず,実際はイエスを信じてさえいない.
 彼女をキリスト教に復帰させるべきか.それは無意味なことだ.

「同様に,経典の民出身の妻に対し我々の宗教に改宗することを我々は強制しない.私は(これに関し,法判定を)決定した・・・(いや)決定しなかった.私は人々の諸問題について私の意見を与えたのだ.

「女性たちは夫に先立ってイスラムに改宗してきた.
 そして(イスラム学者は)彼女たちを止めようとした.
 私はそうするなとイスラム学者たちに言った.もし,あなた方がサラフィー(先達)の書籍を読んでいたら,この法判定に遭遇したろう,と.

(・・・)

「ヒジャーブ(ベール)という言葉はコーランの中に現れる.それは預言者の部屋のカーテンを指している.当然ながら,人々ーー法判定を求めにきたムスリム,質問を望むイスラムへの改宗者,訪問を望むジャーヒリーヤ(メッカの多神教信仰)の人々ーーが部屋に入ると,預言者の妻はその部屋に坐ったままでいることはできなかった.
 これは現代の家屋でも不可能だ・・・
「アッラーに賞賛あれ,今日の家屋は(預言者の時代に比べ)より広く,ホールや客間がある.
 しかし,当時は一つの部屋しかなかった.
 そこで,彼女たちは気楽さを感じることが出来るように,また,好きな衣類をなんであれ着れるように,ヒジャーブを使ったのだ.
 もし彼女に頼むことが何かあれば,我々はヒジャーブの背後からそれを頼む.
「コーランはこのこと(女性の体を隠すもの)をヒジャーブと述べたわけではなかった.
 これはキマルkhimarと呼ばれた.乳房だけを隠すものだ.
 言及されているものはキマルであって,ヒジャーブではない.
 (一方)あなた方が聞き続けているのはヒジャーブ,ヒジャーブ,ヒジャーブだ・・・
 こうして言葉が歪められる時,人々はミスリードされる.

「ムスリムは・・・ただそこに坐り,自分たちの問題の解決を神に懇願する.『おー,アッラーよ.ユダヤ人を殺せ,アメリカ人を殺せ』・・・彼らは自分では何もしようとしない・・・シーア派も同じだ」

 トゥラビ:
「これはムスリムの弱さである.彼らは常に坐ったままで,自分たちの問題を解決するよう神に懇願するだけだ.『おー,アッラーよ,ユダヤ人を殺せ,アメリカ人を殺せ』と.それが,彼らが坐ったままで行う唯一のことだ.
 彼らが望むのはイエスが来て,マハディ(救世主)が来て,世界を正義と光で満たすことだ」

(・・・)

「彼らは自分では何もしようとしない.彼らは偽りと戦わず,ジハードを展開しようと望まない.
 彼らは,アッラーが天国からイエスを派遣し,彼らの問題ーー『あれらアメリカ人,あれらキリスト教徒』との全ての問題を解決してくれることを待っている.
 イエスは2006年も経て,もはや生きてはいない.
 しかし,イエスはムスリムの幻想の中に生き続けている.
 兄弟よ,これらは幻想,幻想なのだ」

(・・・)

「これはシーア派も同じだ.
 むろん確実ではないが,カリフが彼(幼かった第12代イマーム)の名前を発見し,彼と彼の父親を連れて行き,たぶん彼を密かに殺した.
 しかし,シーア派は依然(この)イマームの再臨を待ち続けている.
 1000(年)以上,あるいは数百年,シーア派はイマームを待ち続けた.
 実際のところ,シーア派の大半はイマーム(の再臨問題)を無視して,前進した.
 私は,全てのムスリムの前進を望む.
「最後の審判の時,私はこう言ってアッラーに謝罪することは出来ない:
 私はメシアを待っていた.しかし,貴方(アッラー)だけが知っている理由で,貴方はメシアの出現を遅らせた.
 私はメシアを待っていた.私は,待っている人々の一人だ.死ぬまでに,行動する者の一人になれ.多くの人々が死んだ」

(・・・)

我々は酒を捜すためにムスリムの家に立ち入ることはできない

 トゥラビ:
「我々は飲酒を禁止されている.酒を飲む罰はむち打ちである.
 しかし,私はこう言い続けてきた.人々の家に立ち入ることはできないと.許可を得て初めて家に入ることが出来るのだ.
 ノックを繰り返しても,誰もドアを開かないなら.たとえ我々が警官であろうとーーさらには(第二代カリフ)オマル・イブン・アルハッターブOmar Ibn Al-Khattabであろうと,立ち去らねばならない.そのようにオマルは行動した.
 我々は人々の家には立ち入らない.もし(一人の人物が)自分自身の酒を製造し,それを家の外では飲まないならーー彼が眠りに落ちるまで好きにさせなさいーー翌日ふだんのように家を離れるなら.それ(飲酒)はそれほどひどいことではない.
「しかし,むろんのこと非ムスリムでなければ,誰であろうと公共の場で飲酒し,また売るならば,その人は罰せられねばならない.
 泥酔して脚がふらつき,車を無謀運転するならばーー世界のすべての国で,責任を問われる.
 私は,飲酒の禁止が,他人をスパイするために使われないよう望む.

(・・・)

「改革は惨めさ,恐れ,保守主義からは出現しない」「西側に行くと,我々の信仰は一層強まる」

 トゥラビ:
「兄弟よ.我々の社会は改革の必要がある.
 改革は惨めさ,恐れ,そして保守主義からは出現しない.
 我々は何を保守しているのか.この(ムスリム世界の)後退性か.我々はただ坐って保守主義を掲げていていいのか.
 西側が軍で,経済で,メディアで,科学で,我々を圧倒しているというのに.我々は何を保守しているのか.
 アッラーにかけて,西側諸国に行くと,我々の信仰は一層強まる.我々の信仰はひたすら発展する.私の信仰は欧州で,フランスで,英国で一層発展した.私の信仰は一層強まった.私の知識も同様だ,
 アッラーに賞賛あれ.

MEMRI, 2006/5/4


 【質問】
 イランはスーダンにどんな支援をしているか?

 【回答】
 スーダンに対してイランが石油無償供与など援助を与え,見返りとして紅海の港をイラン海軍に使用させるなどの軍事協力を引き出している.

 また,91年12月のラフサンジャニ大統領のスーダン訪問直から,革命防衛隊派遣が開始されている.
 彼らは軍事顧問団としてスーダン軍を指導すると共に,当時スーダンを拠点としていたエジプトのテロ組織「イスラーム集団」を筆頭とする,各国テロ組織に軍事訓練を開始した.
 欧米メディアに流れた情報によると,スーダン国内のイスラーム・テロリストのキャンプは,少なくとも17ヶ所.主にスーダン北部に点在しており,最大のものは,ハルツーム北西郊外のメルヒヤト・スーダン人民防衛軍基地内にあったということだが,確認はとれていない.

 これにより,イランはますますスンニー派テロ諸組織との関係を深め,テロリスト側は財政基盤と爆弾製造技術などを大幅に向上させることとなった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.69-70,抜粋要約)


 【質問】
 スーダン内戦でのチャイルド・ソルジャーの実態は?

 【回答】
 スーダン南部生まれで,1999年現在,ユニセフ・ナイロビ事務所職員として働くナポレオン・アドク(右写真)によれば,以下の通り.

「スーダンでは軍事訓練を受けなければ学校を卒業できません.
 政府軍は学校を通じ,反政府軍は孤児を集めて兵士にします.
 誘拐(ゆうかい)されて奴隷のように働かせられる子どももいれば,兵士になるしかないと考える子どももいます.食べ物や服を与えてもらえるからです.そして銃や弾の扱い方を徹底的に教えられます.

 実は私も11歳の時,兵士になりました.兵士になろうとしてなったのではありません.安全を求め,勉強ができると聞いて,反対する両親にも告げずに難民キャンプに行きました.
 しかし,そこで,銃を突き付けられ兵士にならざるをえなかった.証人として処刑を目撃させられたり,250人の子ども兵士を率いたり,地雷撤去などの危険な仕事をさせられました」

                

(読売新聞 1999/9/28)


◆◆PKO関連


 【質問】
 ダルフール紛争へのPKO派遣はどうなっているのか?

 【回答】
 2006/6/19,スーダンのバシル大統領はダルフール地方への国連平和維持作戦(PKO)部隊の受け入れを拒否する方針を明らかにしていました.

 ⇒国連は「PKOにあたる部隊(PKF)派遣には,スーダン政府との了解が前提」との立場をとっており,来年1月までに派遣が行なわれるよう交渉していました.

 軍駐留には当然受入国側の了解が必要で,これは常識です.
 基本的に他国軍に足を踏み入れてほしくない,これも常識ですね.

 立派な理念やフレーズでなんでも動くと考えたら大間違いです.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)6月26日

 一方,国連安保理は8月31日,スーダン西部のダルフール地方に対し,最大で2万5千人規模となるPKO部隊を派遣する決議を採択しました.
 過去最大規模のスケールですが,スーダン側が受け入れに反対しています.
 受け入れ側政府の承認が得られない限り,部隊の展開は不可能ですから,実現するかどうかははっきりしていません.

 ⇒これは,政府軍と反政府軍の和平合意履行のため,現在スーダン南部で展開中の国連スーダン派遣団(UNMIS 約1万人)の任務や規模を拡大し,ダルフールに配置換えするというものです.
 大規模部隊をダルフールに展開することで治安を回復させ,今年5月に調印した和平協定の履行支援にあたるそうです.

 ちなみに現在アフリカ連合(AU)部隊が駐留し,同任務に当たっていますが,実力不足で両勢力から完全に舐められており,活動は失敗に終わっています.
 UNIMSは,当面はAU部隊の支援にあたり,年内に任務を承継することとなっています.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)9月4日


 【質問】
 スーダンPKFに自衛隊は参加するのか?

 【回答】
 日本の国連常任理事国入りを狙う外務省は積極姿勢だが,防衛庁はリスクが高いとして慎重姿勢.

 スーダン南部へ1万人規模の平和維持軍(PKF)要員を 派遣する決議案は2005/3/25,国連安保理で採択された.
 本事案に関しては安保理での協議が紛糾しており,決議案を「PKO」 「訴追」「対スーダン制裁」の3つに分けている.うちPKOのみが優先して採択された.
 これは,
・軍部隊1万人と警察官715人からなる「国連スーダン派遣団(UNMI S)」を編成.
・当初の展開期間は半年.
とされている.

 国連はPKFへの自衛隊参加を求めており,アナン事務総長の「日本の常任理事国入りへの異例の言及」 と連動している.

 これに対して日本政府外務省は,
「現地では停戦合意が守られており(……????),PKF(平和維持軍)への派遣条件は整っ ている.
 参加となれば初のPKF本体業務への参加となり,常任理事国入りのアピールには絶好の機会.
 アフリカで活動することでアフリカ各国の票もほしい」
として積極姿勢.
 ただ,「防衛庁の慎重姿勢は変わらないであろうから,ODAでの復興支援 を柱にすべきとの意見も出ている」という.

 一方,防衛庁は,
「アフリカはわが国の安保と関係が薄いし,アフリカの同地域には防衛交流もな く情報が乏しいため,隊員の安全確保に問題あり.
 また,これ以上の海外派遣 は国内の部隊運用を困難にする.
 一言でいえば,”国益のための派遣”として 隊員に覚悟を与える積極的な説得根拠に乏しい」
として消極的.

 おきらく軍事研究会の見解では,
「問題は,ダルフール地方の大虐殺処理を代表とする”極めて流動的な現地情勢”.
 特に,この決議案ではダルフールに関しても言及されており,
”UN MISが取れる行動を1ヶ月以内に報告”
”毎月情勢を報告する”
などを求め られている.

 UNMISはその活動内容の変動幅が大きくなることが見込まれ,”いったん行ったが最後”となる可能性が高い.
 モザンビークPKOで自衛隊は酷い目に遭っているので,同じ過ちは二度 と繰り返したくない思いもあるだろう.
自衛隊が参加する必要ない」
としている.

(おきらく軍事研究会)


 【質問】
 スーダンにロシアがPKO部隊を派遣する目的は何か?

 【回答】
 スーダンでは,中共が石油・資源他各方面で利権に食い込んでおり,このままではロシアの分け前がなくなってしまうので,ほんのわずかでも「人的貢献」をアピールし,スーダンでロシアのプレゼンスを誇示・発揮しておこうとしているため.

 以下引用.

●ロシアがスーダンの国連平和維持作戦(PKO)に部隊を派遣します.
 17日,イワノフ国防相は,スーダンPKO(ダルフール地方)に対し,117名の軍部隊と4機のヘリを投入し,数日中に派遣すると発表しました.

 →スーダンでは,中共が石油・資源獲得のため各方面で利権に食い込んでおり,このままではロシアの分け前がなくなってしまいます.そのため,ほんのわずかでも「人的貢献」をアピールすることが目的です.
 国連常任理事国としてイランや北鮮問題などに関わる上でも,スーダンでロシアのプレゼンスを誇示・発揮しておくことは得策と見ているわけです.
 日本の此処にまでその内容が届いているわけで,世論操作・情報の扱いがわが国とえらい違いだ,とつくづく思わされます.
ちなみにスーダンでは,他の各国もいろいろ動きを見せているようです.

おきらく軍事研究会,2006/4/24

 ●ロシア,ダルフールに部隊派遣

 15日夜から16日にかけてロシア空軍輸送機An-124がChkalovsky飛行場からスーダンに向け出立しました.軍航空戦隊の平和維持部隊30名とMi-8ヘリ4機を輸送するためです.
 空軍広報官のドロビシェフスキー大佐が16日に語ったところによれば,An-124は南スーダンのエンテベ空港に着陸し,そこで工兵と専門家がヘリを組み立て,テスト飛行後,ロシア軍部隊展開地域に向かうそうです.

 ロシア部隊の空輸作業は4月20日からはじまっており,イリューシン76がスーダンに向け6回の空輸を行ない,150トンの物資を空輸しています.6月1日までに残り9回の空輸が行なわれます.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)5月22日


◆◆中国の影響力


 【質問】
 中国は,スーダン内戦にどのような影響を与えているか?

 【回答】
 大きな攪乱要因となっている.

 最近における国有中国石油会社の海外進出はものすごく,カスピ海地域や中東地域などで石油権益を次々に獲得している.それらの国で石油の採掘権を獲得して,自ら投資,生産操業をおこなって,生産された石油をごく一部を除いて国際市場で販売することなく,せっせと中国国内に搬入している.
 中でも,米国が「テロ支援国家」として神経を尖らせているイラク・イラン・スーダンとも油田開発を締結しており,すでに進出を果たしている.
 特に,内戦が続き,欧米企業が忌避しているスーダンでの石油生産はかなり大規模なものであり,海外事業収入の柱となっている.
 中国国有石油会社による油田権益獲得の特徴は,その背景として中国政府首脳の「資源外交」が活発に行われていることである.

「世界を動かす石油戦略」

 中国のスーダン進出は,既に2000年には活発になっていたようである.以下,抜粋.

  目下,中国はスーダンにおける石油利権で,アメリカを制し,一人勝ちといわれている.
 そもそもスーダンに豊富な油田があると想定し,最初にその発掘に乗り出したのは1973年のことである.その後1983年に,スーダンにはイランとサウジアラビアを足した分よりも大きな油田が横たわっていることが確認された.以後この国では油田利権を巡って,熾烈な利権獲得紛争が繰り返され,海外からもアメリカやフランスの石油メジャーが触手をのばしていた.
 ところが,その後アメリカはスーダンをテロ国家として名指しし,国交を断絶してしまった.中国はそのスキを狙ってスーダン政府に食い込み,まんまと石油利権獲得に成功したのである.
 一方,“してやられた”アメリカはどうしているかというと,あの誇り高いアメリカが積極的に中国にとり入り,スーダンの石油利権獲得にありつこうと懸命になっているのだ.

 なぜかといえば,2010年には既存の中東油田における埋蔵量は枯渇の運命にあるからで,この状況下では,アメリカもこのスーダン油田には無関心ではいられないのだ.
 最近では,中国のスーダン石油利権に食い込むために,民間サイド,例えば石油会社AmocoやBankof Americaなど有数の米国系企業が,次々にスーダン油田の窓口である「国営中国石油公社」へ投資競争を行なっている.

(クライン孝子 from "SAPIO" 2000/9/21)

◆中国の石油外交戦略

 中国初の海外大型油田開発となったアフリカ・スーダンの場合,この国が国連の経済制裁決議を受けて国際社会から孤立させられていた時期に,中国は石油利権を確保し,調査,パイプラインの敷設,石油の採掘を実現させている. 当初中国側のパートナーであったカナダの会社は,アメリカの圧力で撤退させられている.現在ではスーダンの油田は,中国の石油会社の独壇場となっている感がある.

 スーダンの複数の現場での原油産出量は順調に増えている.また,現地に石油精製工場を建設する動きも始まっている.

 国連の制裁とアメリカ独自の制裁が続いていたリビアについても,911事件後の2002年,江主席の訪問中に,石油と天然ガス開発に関する包括的な協定を結んでいる.

 このように,中国の姿勢は常に隙間を狙う戦略で一貫している.イラン,リビアの利権も,米国の顔色を伺う国にとっては遠い夢の国のお話であったけれど,中国にとってはまさに絶好の投資の機会であった.大国の言い方では漁夫の利,小国の言い方を探せば火事場泥棒,とでもいうことになるのかもしれない.国連の常任理事国でありながら,国連の決議に縛られる様子がまったくないのも,国連の性格をよく理解しているゆえだろうか.中国にとっての戦略物資確保のためには,とにかく即物的なことだけを考えて動く中国流の石油外交の面目躍如というところだ.そのうえ,相手がイラン,イラク,リビアであろうとも,必ず上流での動きをめざしている.メジャーを通して産出物を輸入するのではなく,常に自分の力での採掘を考えている.

齊藤清「中国のアフリカ石油外交」,2004/2/16

 ただし,SAPIOのほうは反中カラーの雑誌であるため,注意が必要.

 現在,国連では,米国が作成した国連安保理決議案によって,ダルフール紛争の解決に向けてスーダン政府を動かそうとしている.
 これは,スーダン政府が住民虐殺や婦女暴行, ダルフールで略奪を行っているアラブ系民兵ジャンジャウィードを30日以内に訴追しなければ,何らかの制裁を発動するとした内容.民兵の武装解除も盛り込まれている.

 しかし拒否権を持つ中国は,パキスタン・アルジェリアと共に,内容にかかわらず,制裁に反対した.

http://news.goo.ne.jp/news/reuters/kokusai/20040728/JAPAN-152661.html

 ようやく2004/7/30,国連決議は採択された.
 大規模虐殺が始まってから,既に約5ヶ月が経っていた.


 【質問】
 スーダン都市部での中国人の密度は,過去と比べて高くなっているか?

 【回答】
 ご存知の通り,中国はアメリカがスーダンに制裁を科しているのを好機に,1990年代初頭よりスーダンの資源を求めて深く浸透しております.
 その中心となるのは石油で,石油の発掘,パイプライン敷設,精製のプロジェ クトの為に多数の中国人をスーダンに送り込んでいます.
 石油のみならず,ダム建設(有名な北部のマラウイダム)や最近では都市部で のビル建設にも中国人は働いています.
 でも,その中国人の大部分はプロジェクトの現場で働いている様です.
 都市部でのビル建設もやっていますので都市部での人口もそれなりに増えては いるのでしょうが.

 正確な中国人人口は判りませんが,現場を中心として2万人と言う人も居れ ば,10万人,中には最低でも300万人は居ると言うスーダン人も居ます(300万 人は幾らなんでも多すぎると思いますが...).
 また,中国人のメーカーの出張者はカルツームでは良く見かけます.我々の競合者です.
 従いまして,都市部での中国人の密度が過去と比べて高くなっているか,と言 う質問に関しましては,増えているのは間違いないでしょう.
 でもどれくらい増えたのかは判りません.

特派員@山口 in おきらく軍事研究会


 【質問】
 以前と比べて,都市部で中華料理店が増えているような現象は見られ ないか?

 【回答】
 以前は判りませんが,現在はカルツームには4軒の中華料理屋が在るそう です. (カルツームに3軒,北カルツームに1軒)

特派員@山口 in おきらく軍事研究会

 ※中華料理店の有無は,その地域の治安程度を測る一つのバロメータとなる.


 【質問】
 スーダン都市部の人は中国人が好きか嫌いか?,それともそのどちらで もないのか?(ちなみに,エチオピアでは中国人は大変嫌われていました)

 【回答】
 基本的にはスーダン人は中国人を嫌っています.
 理由は,たくさんの中国人がやってきているにも係わらず,連中は所謂「自己完結型」と言いましょうか,身の回りの事で現地のスーダン人を一切雇用しません.セキュリティーから掃除人まで全て本国から連れて来ています.食料も 全て持参していますので,スーダンで金を使う事は殆ど無いようです.
 本国に帰 るときに土産物を買うくらいです.
 スーダン人との交流も無いと聞きます.

 ただ,そうは言っても,アメリカが制裁を加えている時期にスーダンの開発・ 復興に協力しているのは中国だ,と言う考えはスーダン人も持っており,感謝しなけらばいけないと思っている様です.

特派員@山口 in おきらく軍事研究会


 【質問】
 スーダンの首都ハルツームが2008年,反政府ゲリラに攻撃されたそうですが,スーダン政府は中国が支えているんじゃなかったのですか?

 【回答】
 現代中国に関する考察(2008/05/12 17:27)によれば,スーダンは江沢民派の利権の塊みたいな国であり,政権が転覆しても胡錦濤派にしてみれば痛くも痒くもないので,石油を買わず,武器を与えないことにより,江沢民利権を胡錦濤政権が締め上げているのだという.

 ただしそれを信頼すると仮定するならば,中国にとっては,そのことによって失われる石油資源利権が,国内派閥抗争よりも大事ではない,ということになり,話の信頼性に疑問も残る.


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