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「NNN」◆(2013/04/01) 【社会】外務省から内閣情報調査室に出向中のキャリア官僚,練炭自殺か?
- 東京 -
(キャッシュ)
【質問】
日本外務省のロビー活動はどの程度のものか?
【回答】
以下の事例から見て,不活発ないし効果的活動ではないのではないかと考えられる.
・98年6月,当時のクリントン米大統領は中国公式訪問の際,北京での晩餐会の挨拶でこう述べた.
「米中両国はかつて日本と戦った同盟国だった」
と.
前年10月,当時の江沢民・中国国家主席は米国公式訪問で最初にハワイの真珠湾に立ち寄り,日本の攻撃で沈没した戦艦「アリゾナ」の記念館に花束を捧げ,同じく第2次大戦中の「米中同盟」を強調した.
周到に用意された中国の対日嫌がらせだったが,なんとクリントン大統領は,これに「呼応」する形で中国に迎合したのだった.
「日米同盟にむざむざと楔を打ち込ませるような言葉を,当の米大統領自身に言わせてしまった外務省は,何をしていたのだ.
ホワイトハウスとその周辺への事前のロビー活動はしていなかったのか?」
同大統領に同行していた日本人特派員の間から,日本外交の脇の甘さを批判する声が上がったのは当然だった.
・93年秋,当時の細川護煕首相は,国連総会やアジア太平洋経済協力会議(APEC)非公式首脳会議で訪米したが,細川内閣の武村正義官房長官が
「北朝鮮と親し過ぎる」
などとして,クリントン政権が事実上の解任へ圧力をかけてきたことがある.
細川首相は本気で内閣改造を検討したと言われるが,このときもワシントン特派員団の間では,
「同盟国からのあからさまな内政干渉という無様な事態が表面化するまでに,外交ロビーのレベルでなぜ問題を沈静化できなかったのか?」
との疑問が燻った.
・95年11月,クリントン米大統領は,予算を巡る,共和党主導の議会との対立で,「行政機能停止」の事態に追い込まれ,遂に大阪でのAPEC非公式首脳会議への出席を中止,代わりにゴア副大統領が来日して,時の村山首相と会談した.
この時にも在米日本大使館は直前まで「来日中止」の最終決定情報を掴めず,政府首脳の眉を顰めさせた.
・97年末に中国系米国女性,アイリス・チャン氏が,謝りに満ちた「南京事件」の本「レイプ・オブ・ナンキン」を出版して話題となった.
しかし当時の在米日本大使館は即座に抗議に立ち上がらず,結果的に同著の世界での独り歩きを許してしまった.
(斎藤勉〔産経新聞編集特別委員,元ワシントン特派員〕
from "SAPIO" 2003/12/10号,P.)
【質問】
情報収集する際の,外務省の基本姿勢は?
【回答】
VIPとの交友により人脈を作り,その筋からの情報を取得することであるようだ.
私には,大使館の役割について一つの理想像があった.
ある先輩大使が,その著作の中で,東南アジアのある国に大使として赴任した時,何を考えたか書いている.
それによれば,その国には多数の日本企業が進出しているのみならず,東南アジアの中枢に位置するその国の安定は,日本にとって死活的な重要性を有する.
そこで,その国の安定と治安の鍵を握る人たち,すなわちその国の王室と軍部および米国(さらには米軍)との付き合い,それを通じての情報収集によって,その国の動向を把握すると共に,我が国としての対応を考えることに,大使としての役割を集中したと言う.
もとより優秀な部下が,大使館の日常業務をしっかりと遂行し,大使を支えたからこそ,そうした対応が可能であった事を,大使も付言している.
駒野欽一著「私のアフガニスタン 駐アフガン日本大使の復興支援奮闘記」
(明石書店,2005/8/18),p.186
ただし,こうした情報収集のやり方は,「政府が現実を直視できていない」場合には必ずしも有効では無く,また,発展途上国にはしばしばそのような政府が多い.
また,偽情報を掴まされ,日本政府がいいように踊らされる懸念もある.
【質問】
日本外務省のチャイナ・スクールとは何か?
【回答】
対中謝罪外交を展開することにより出世ができるという構造を有する,日本の外交官僚および,贖罪意識に囚われた日本の「媚中派」の政治家のことを指す.
以下引用.
そもそもは,「中国語の語学研修を中国で受けたキャリア外交官」を指すが、最近では中国担当キャリア全体を意味して使われるようになっている.
省内にはアメリカン・スクールやロシアン・スクールも存在するが,「日本の国益よりも相手国の主張や国益の代弁者として働いている」点で,突出した派閥だと言える.
その嚆矢は,1955年のバンドン会議まで遡る.「対米自立外交」を打ち出していた鳩山一郎首相の意向で出席した,当時の外務省幹部達は,インドネシアのスカルの大統領や中国の周恩来首相らの「自主独立」の外交論に心を動かされ,とりわけ中国語の専門家を育成する必要性を実感したという.
アメリカ一辺倒の外交だけでなく,共産圏を含めたアジア全体と独自外交を展開するため,翌1956年から,後にチャイナ・スクールと呼ばれるようになる中国語専門のキャリア官僚を毎年養成するようになる.
その第1期生となった元外務省OBは,こう明かしている.
「当時の幹部は,共産圏ということで,ロシア語も中国語も同じようなものという意識があったようです.
しかし当初は,決して現在のように中国に対して弱腰ではなかった.少なくとも1972年,私が,中国大使館が作られる前にできた北京の『覚書事務所』に赴任した時代には,我々は色々と中国に対して言いたいことを言っていた.
中国は外交上手で,一度弱みを見せると,そこに徹底的につけ込む.今,弱腰になったとすれば,何人かの先輩が一度中国に弱みを見せ,それを見た後輩も影響を受けたからでしょう」
「江沢民の出世と合わせたかのように,日本でチャイナ・スクールのドンと言われた橋本恕(ひろし)元中国大使が,中国に従順な官僚を重用するようになった.この頃からチャイナ・スクール達が,外務省内でも異例な,自らが人事権を握れる特権を手に入れ,チャイナ・スクールは,より閉鎖的で独善的な存在になったと言われだした.
しかも,そのシステムは,中国に頭を下げれば下げるほど出世するといういびつなものでした」(外務省幹部)
チャイナ・スクールは,中国外交部で日本語を専門としている「ジャパン・スクール」と連携し,お互いが上手く出世できる秘密裏の人事システムも手に入れたため,彼らのいこうががいむしょう全体の意見として強く影響するようになった.
彼らは水面下で外交政策を話し合い,日中間の舞台裏で様々な取り決めを行う.そのやり方は簡単に言うと,表向き中国が「強気外交」を仕掛けて火をつけ,日本が「土下座外交」を行うことで収束させる.そしてお互いにその見返りに「出世」という実を取るというものだった.現実に、この10数年間で日本外務省のチャイナ・スクールと中国のジャパン・スクールは,それぞれの組織の中で大きな出世を果たしている.
その裏事情を差し引いても,日本のチャイナ・スクール達がとりわけ江沢民に弱腰だったのは何故なのか?
一つは江沢民自身が,内政でも外交でも「抗日」の旗印を最大限利用してきたことがある.
江沢民は,育ての親の叔父・江上青氏を「抗日烈士」と称え,出世のために江沢民自らも「抗日烈士の子孫」という虚偽紛いの経歴を売り物にしてきた.実際に対日外交では,98年の訪日時に,日本政府から巨額のODAを受け取りながら,小渕首相主催の晩餐会の席で「正しい歴史認識」を厳しく説教するというように,常に「反日強硬カード」を切ってきた.
チャイナ・スクール達は,この江沢民の持つ強大な外交権力を恐れてきた.
例えば中国共産党の組織内に「中央外事工作領導小組」という組織がある.中国の対日外交政策の基本方針は,実は政府機関である国務院・外交部ではなく,この組織で決められる.江沢民がこの小組のトップ(組長)を長く務めてきたことが,自虐的な日本外交のあり方を大きく決定付けた.
「この小組の方針によって,靖国問題,教科書問題といった,過去の日本の政治家や外交官達の保守的言動に歯止めがかけられてきた歴史があるのです.江沢民は今後暫くこの組織を使って外交政策を事実上牛耳ると思われるのは,来年の中国共産党大会までには中央外事工作領導小組組長に江沢民配下の政治局員が就任することが確実だからです.
江沢民が実験を握っている限り,外交部が経済政策などでいくら表向きは対日重視政策をとると言っても,将来も日本の外交政策や軍事政策には厳しく当たってくることは間違いありません」
と,ある中国共産党関係者は言う.
さらに,チャイナ・スクール達の弱点としては,外交政策を最終的に決定する江沢民には,決して交渉の場で接触できない不文律がある.日本と違い,中国の共産党主義体制下では,常に党が政府の上位に位置するだからだが,そこで歴代のチャイナ・スクール達は,日本の「媚中派」の政治家達を使い,自分達の意のままに対中国政策を手中にする手法をとってきた.
しかし,戦時中の贖罪感に囚われた日本の政治家達は,中国の表向きの顔である「日中友好」の甘言に誘われ,訪中時の恒例行事である中国側の接待工作の罠に嵌まった.
〔略〕
贖罪意識から抜け出せない政治家と,摩擦を避ける外交官という,二重のチャイナ・スクールの談合構造が,日本の対中外交が,江沢民率いる中国に連戦連敗を強いられてきた原因である.
〔略〕
(山村明義 from "SAPIO" '04 Jan. 08)
なお,2004年の全人代では,江沢民派閥への信任が極めて悪かったとされる.
「国家中央軍事委主席に再任された江沢民は,2946票の内,反対票・棄権票が220票と,全体の7.5%にも上った.江沢民の名前を消して胡錦濤の名前を書いてあった票が,36票もあった.これは極めて珍しい現象だ.江の人気のなさが分かろうというものだ.
さらに,江の腹心の曾慶紅(共産党常務委員)は,国家副主席に選出されたが,反対票177票,棄権票190票が出た.信任率は87.5%という極めて不名誉な数字となった.全人代の選挙で,信任率が90%を切ることは珍しい.
やはり江の腹心で,前上海市党委書記だった黄菊は,副首相選挙で91.75%と,4副首相の内,最低だった」
(ウィリー・ラム Willy Wo-Lap LAM, a journalist, from SAPIO 2003/4/23, P.48, 抜粋要約)
ただし,「SAPIO」は反中カラーの雑誌であるため,留意されたし.
なお,以下の記事によれば,中国の反日姿勢が高まるに連れ,「チャイナ・スクール」への与党の批判も高まっているという.
対中融和派起用せず 安易な妥協排除 官邸の強い意向
町村信孝外相が次期駐中国大使への起用を固めた飯村豊インドネシア大使は,入省後に中国語学研修を経験して対中融和派が多い「チャイナ・スクール」ではない.
中国が歴史問題などで対日攻勢を強める中,
「中国と安易に妥協しない人物の起用が必要だとの首相官邸の強い意向が働いた」(外務省幹部)
という.
現駐中国大使の阿南惟茂氏は「チャイナ・スクール」の重鎮として知られている.
平成十三年一月に赴任したが,翌年五月に中国・瀋陽の日本総領事館で北朝鮮から脱出した家族が亡命を求めた事件が発生.
その際,北京の日本大使館がこの家族の保護に積極的ではなく,これ以降,与党内から
「中国の評価ばかり気にしている」
と阿南氏への批判が強まっていた.
中国は,小泉純一郎首相の靖国神社参拝や教科書問題で批判を展開する一方,日本の国連安保理常任理事国入りに反対する姿勢を表明.東シナ海での石油ガス田開発や,原子力潜水艦による沖縄近くの日本の領海侵犯など日本への圧力を強めている.
それだけに,後任の駐中国大使について,政府内で
「中国寄りの『チャイナ・スクール』は困る」
との声が高まっていたという.
日中両国間では,首脳の相互交流がストップする中,外務次官級の総合政策対話や歴史共同研究など,関係改善に向けた作業も行われている.
飯村氏も対中外交の再構築が最重要課題になるが,「非チャイナ・スクール」の大使の登場に
「友好や親善で取り繕う傾向が強かった対中外交を見直す,明確なサイン」(日中関係筋)
との見方が強まっている.
また,以下のエピソードも,本当だとするならば,チャイナ・スクールなど有害無益だという証左だと言えよう.
安倍晋三政権成立後1カ月だが,日本外交が輝きを取り戻している.
東京にいる外国人情報専門家たちは
「率直にいって,小泉前政権と同一国家の外交か,にわかには信じられない」
と感想を述べている.
筆者は「その秘訣(ひけつ)は安倍官邸が外務官僚の能力を十二分に引き出しているからです.キーパーソンは谷内正太郎外務事務次官です」と答えている.
外部からは見えにくいが,日本外交を下支えするのは外務省課長クラスの官僚だ.課長がしっかりした人物だと,首相や外相の政策を外交の「ゲームのルール」に従った言葉に転換し,国益を実現することが可能になる.
外務省の中国課長には中国語を専攻したキャリアの外交官(いわゆるチャイナスクール)が就任することが不文律とされていた.
だが,専門家は視野が狭くなり,特にチャイナスクールの場合は中国当局者と腐れ縁があるので,いざけんかというときに毅然(きぜん)たる対応がとれない.
その辺の事情もあって,夏の人事で英語研修の秋葉剛男氏が中国課長に就任した.
チャイナスクールは猛反発したが,谷内次官が押し切ったという.
その結果,チャイナスクール内部にも危機感が走り,中国との「なれ合い外交」を続けているとスクール(派閥)が崩壊してしまうと考え,緊張感をもって今回の日中首脳会談を準備した.
派閥を守ろうとするのは自己保身に過ぎないが,官僚を動かすには国益と自己保身の上手な連立方程式を立てることが不可欠だ.
谷内・秋葉ラインは見事にそれを実行した.
例えば,温家宝首相との晩餐(ばんさん)会で安倍首相が行うスピーチに対し事前に中国側が変更を求める事態があった.
安倍氏は中国側の要請を拒み,スピーチを中止した.
従来のチャイナスクール主導外交では首相に頼み込み何とかスピーチを行う体裁を整えただろう.
秋葉課長だからこそ対応が変わった.
その結果,日中関係が悪化したわけではない.
むしろ9日に「中国政府より在中国日本国大使館に対し,北朝鮮が間もなく核実験を行うであろう旨の事前の情報伝達が行われた」(20日付内閣答弁書)という成果をもたらしている.
中国による理不尽な要求を安倍首相が拒絶したので,むしろ中国は日本に対して一目置き,情報協力を深化させたのだ.
【質問】
天木直人・駐レバノン大使が解任されたのは,本当に天木本人が言うように,
「イラク戦争で『米国追従』の小泉首相に,『米国の単独攻撃を食い止める』よう訴えた公電を全世界の公館に送ったが無視され,逆に外務省幹部に辞任を促された」
ことが原因だったのか?
【回答】
そうではないことを窺わせる情報もある.
以下引用
ある外務省筋によると,レバノンでは〔天木は〕イスラム過激派と関係が深く,「戦争反対」を強く訴えた背景には,彼らからの後押しがあったのではないかとの観測もある.
これがもし事実なら,天木氏は結果的に日本の世論分断工作に一役買っていたことにもなる.
(斎藤勉〔産経新聞編集特別委員〕 from "SAPIO" 2003/12/10号,P.86-87)
【質問】
外務省が硬直化した組織になっている原因は?
【回答】
前例主義になりがちな旧条約局による支配が,その元凶であるという説がある.
以下引用.
条約局は2001年1月に発覚した機密費詐欺事件後の外務省改革で,「国際法局」に改編された(2004年8月).
自民党の外務省改革小委員会は,条約局支配や,北米局とアジア太洋州局の対立構造などの縦割りの打破,入省後の研修で専攻した外国語毎の「スクール」主義の改善を狙い,条約局の廃止も提唱したが,外務省は国際法上のルール作りに積極的に参画させるとして,条約局を国際法局に改編したのである.
看板の架け替えでお茶を濁しただけだという批判は根強くある.
この条約局出身の官僚は「条約マフィア」と呼ばれ,外務省の主流を占めてきた.
旧条約局の仕事は,主に日米安保条約を始めとする条約の解釈と運用,国際法と国内法の整合性の確保であり,まさに旧来の外交政策の総元締めだったと言っても過言ではない.
条約局長経験者が最高裁判所の判事に任命される慣例も続いている.
官僚は何事も「前例主義」に陥る傾向が強い.
この性質は,冷戦構造というある種,安定した状況下では問題なかったが,先行きが不確実で複合的な事態には対応できない.
条文や法律の解釈を所管する条約局は,その象徴的な存在と言えるだろう.
湾岸戦争の勃発など国際安全保障環境の激変の波が次々と押し寄せる中で,前例に倣うだけでは通用しなくなってきた.
状況に応じて戦略を練り,柔軟に対処する外交が求められるようになり,外務省における旧条約局の主導的な役割に,自民党などからは廃止論が燻っていた.
久江雅彦著「米軍再編」(講談社新書,2005.11.20),p.138-139
ただし,本書は匿名ソースが多いため,その点,注意を要す.
また,岸田秀著『官僚病の起源』(新書館,1997.2)によれば,官僚には以下のような特徴があるという.
これらの殆どが外務省にも当てはまるだろうことは,想像に難くない.
(1)官僚組織は本来,国のため国民のためのものであるにもかかわらず,自己目的化し,仲間内の面子と利益を守るための自閉的共同体となっている
(2)しかも,その自覚がなく,国のため国民のために役立っているつもりである
(3)共同体のメンバーでない人たち,すなわち仲間以外の人たちに対しては無関心または冷酷無情である
(4)同じことであるが,仲間に対しては配慮が行き届き,実に心優しく人情深い
(5)身内の恥は外に漏らさないのがモットーで,組織が失敗を犯したとき,失敗を徹底的に隠匿し,責任者を明らかにしない
(6)したがって,責任者は処罰されず,失敗の原因は追及されないから,同じような失敗が無限に繰り返される.
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