c

「別館A」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

各国別 D〜
<◆中央アメリカ 目次
米州FAQ目次


 【link】

「VOR」◆(2012/12/01) ホンジュラスで20億ドル分のコカイン没収

「CS Monitor」◆(2013/05/22) #Guatemala's Constitutional Court overturned former dictator Gen. Efrain Rios Montt's #genocide conviction
「LA Times」◆(2013/05/10) Former Guatemalan dictator Rios Montt denies ordering slaughter of Maya
「Reuters」◆(2013/05/11) Former Guatemala dictator Rios Montt found guilty of genocide

●Haiti

「JSDF.ORG」:(2010-01-18)ハイチ共和国への国際緊急援助隊の派遣に係る準備に関する大臣指示及び一般命令の発出について

「Heaven」:(2010.01.18)略奪,リンチ,暴徒に対する発砲が相次ぐハイチ

イソヤ界」◆(2010年1月27日)ハイチ地震“千羽鶴”は「迷惑です」現地支援者からの指摘でmixi主催者沈黙★12 - こっちは必死なんだよ(#^ω^)

「エルエル」◆(2010年01月23日)ベネズエラのチャベス大統領曰く「ハイチの地震はアメリカの兵器が原因」

「週刊オブイェクト」◆(2010年02月10日)自衛隊ハイチ派遣でAn-225ムリヤ輸送機をチャーター

「日本語で読む中東メディア」◆(2010/01/26)イラン軍統合参謀本部副司令官:「米国のハイチ支援は侵略目的」「支援を口実にした現代的な詐欺」 (Mardomsalari紙)

「防衛省」■ハイチPKO活動状況(100525 統幕)
http://www.mod.go.jp/jso/pko_minustah_activity/pko_haiti_100525.pdf

⇒ 現地で隊員が何を食べておられるか?の献立も載っています.
 詳細な活動報告です.
 ぜひご覧ください.

――――――おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)5月31日(月)

●Mexico

D.B.E. 三二型」(2011/05/27)◆メキシコの麻薬密売組織から押収された改造車が凶悪すぎてヤバい

「Strategy Page」◆(2010/04/28) MEXICO: Ma Deuce Goes Gangster

「Strategy Page」◆(2013/04/13) MEXICO: No One Expects The Rural Vigilantes

「Strategy Page」◆(2013/05/10) MEXICO: It Is Cool To Be Corrupt Again

「Strategy Page」◆(2013/05/30) MEXICO: Corrupting Influences

「VOR」◆(2012/05/14)メキシコ 49の頭部なし遺体発見される
>警察は,遺体の隣に麻薬密売グループ「ゼタス」のシンボルである「Z」の文字があった事から,49人は麻薬密売グループ間の抗争の犠牲者である可能性が高いと推測している.

「VOR」◆(2012/06/08)メキシコ 市役所の近くにバラバラ遺体を載せたトラック放置
>墨タマウリパス州シウダマンテでは,市役所の近くに15体のバラバラ遺体が載せたトラックが放置される.
>目撃者の情報によると,労働ピーク時に何者かがトラックを市役所の建物付近に停めて,急いで立ち去っている.
>非公式情報によると遺体の近くにはメッセージが添えられており,内容については伝えられていないが殺害理由か政府に対する脅迫が書かれていたと見られている.
>犯行の特徴から犯人は墨の麻薬カルテルの可能性がある.
>墨の麻薬密輸組織は数年にわたり勢力争いを繰り広げており,カルデロン大統領が組織犯罪と戦う意向を表明した2006年以降,少なくとも4万7500人が死亡している.

「VOR」◆(2012/07/19)メキシコの町 警官のいないまま

「VOR」◆(2012/08/27)メキシコ 道路で拷問された11名の遺体が見つかる

「VOR」◆(2012/11/26)メキシコで新たな油田発見

「VOR」◆(2012/11/27)メキシコのビューティークイーン,兵士との銃撃戦で死亡
「VOR」◆(2012/11/28)メキシコ・ギャング団 ビューティークイーンを「生きた盾」に

「VOR」◆(2012/12/02)メキシコ首都で騒乱,100人以上が負傷

「VOR」◆(2012/12/05)メキシコ 銃撃戦で死亡した「美の女王」本人も軍に発砲と判明

「Wired」◆(2012/11/06) 多発する通信技能者たちの誘拐:麻薬カルテル,裏の通信網

「WP」◆(2011/03/05)13 Mexican troops charged with transporting drugs

イソヤ界」:【閲覧注意】とあるメキシコの麻薬戦争:アルファルファモザイク

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/05/06)メキシコ  さすがの「麻薬戦争」もピークを越した? ブラジルにとって代わるメキシコ経済?

「ザイーガ」◆(2012/06/04)麻薬戦争で台頭する女性たち(メキシコ).これまでに逮捕された女性リーダーは46人

「スパイ&テロ」◆(2012/05/16) メキシコ凶悪麻薬組織「ロス・セタス」


 【質問】
 1979年からのエルサルバドル内戦の背景は?

 【回答】
 コスタリカは,中米で最初にコーヒー産業を軌道に乗せた国ですが,その成功を見て,中米の他の国々も続々と参入します.
 1870年代にはグアテマラ,1880年代にはエルサルバドルがコーヒー増産に着手し,ニカラグアやホンジュラスがこれに続きます.
 現在では,グアテマラやホンジュラスは,生産量ではコスタリカを遙かに凌ぎ,年間コーヒー生産量の国別でも10位以内に名を連ねています.
 因みにコスタリカは13位.

 その中米の中に,エルサルバドルと言う国があります.
 面積はコスタリカの半分以下の,21,040平方キロしか無いのですが,スペイン領時代から現在の首都であるサンサルバドルを中心に,インディゴ生産などで経済的に発展し,中米の中でも突出して高い人口密度を誇っていて,中米諸国の中ではグアテマラに次いで政治的発言権を持っていた地域でした.

 しかし産業革命により,人工染料が開発されるとインディゴは落ち目となり,代わって台頭してきたのがコーヒーです.
 このコーヒー生産は,コスタリカに遅れる事約半世紀の1880年代になってからでした.
 既に,この頃には世界的にコーヒー・ブームに沸いていた事から,政府は従来からコーヒーを扱ってきたコーヒー農園主を支援しますが,コスタリカが比較的緩やかにコーヒーの生産を拡大してきたのに対し,エルサルバドルは強権的な政府の下,コーヒー農園主達は急速に農地を拡大する事になりました.
 こうしてコーヒーは,19世紀末になるとエルサルバドルも,全輸出に占める割合が90%を超えるほどの最重要の経済基盤になります.

 エルサルバドルのコーヒーも,コスタリカ同様にマイルド・コーヒーの生産を目指して,手摘み選別方式による収穫と水洗式の精製に取り組んでいました.
 水洗式の精製が行われる地域では,大農園主が精製業を独占し,彼らは新技術や機械を導入しながら,現在も品質の向上を行っている他,周辺の中小農民からもコーヒーを買い取って精製しています.
 しかしながら,エルサルバドルのコーヒー生産地域には,水源が不足している地域があった為,1930〜40年代の段階でも,その生産高の半分は,未だに乾燥式で精製されていました.
 その分,品質に劣ったのは否めません.

 コスタリカが教会所領,農民,先住民の土地を没収し,コーヒー栽培者に無償で土地を与えるなどしてその所有権を承認したのと同じく,エルサルバドルも同じ様な過程を経てコーヒー農園を拡大しました.
 コスタリカと違ったのは,コスタリカではコーヒーが生産出来る地域が中央盆地に限られ,土地を没収された農民達は,周辺の土地を新たに開墾して,再度自分達の農園を造る事が出来たのに対し,エルサルバドルは国土の広範な地域でコーヒー生産が可能だった為,富裕なコーヒー生産者は,より熱心に農園の拡大が出来た点です.
 これに反比例する様に,土地無し農民は増え続け,遂には季節労働者に堕する人々も少なくありませんでした.

 ただでさえ人口密度が高い国であるにも関わらず,こうした大土地所有が進んでいくと,結果的には二極分化が進む事になります.
 かくして,エルサルバドルは,国家権力と結びながらコーヒー生産に関わる全ての利益を独占するエリート大土地所有者と,生活苦に苦しみつつ大農園主に従属する小・零細土地所有者に両極化することになりました.

 コーヒー産業の発展に伴って,強大な権力を掌中にした一握りのエリートの事を,俗に「14家族」と呼ぶ様になりますが,これは実態を持った具体的なエリート家族を指すのではなく,ごく少数の富裕なコーヒー貴族がエルサルバドルに権力者として君臨している象徴の事を指します.
 つまり,経済的に豊かになった大農園主が,経済のみならず政治をも思いのままに動かす様になったと言う訳です.

 こうした性格を持つ大農園は,同時に精製業者も兼ね,エルサルバドルのコーヒー産業の中核となり,コスタリカ以上に近代的な生産システムを導入しつつ,コーヒー・モノカルチャーを進めていったのです.

 エルサルバドルにしろ,コスタリカにしろ,コーヒー農園の主な働き手は,白人やメスティーソでした.
 グアテマラの場合は,国家が計画した先住民に対する強制労働制度がありましたが,両国にはそんな制度はありません.
 但し,エルサルバドルの先住民農民の中には,前貸し制度による債務で,事実上の半奴隷的生活を送る者もいました.
 尤も,19世紀末の時点で,エルサルバドルの先住民人口は25〜30%,コスタリカは5〜10%であり,グアテマラの様に70〜75%が先住民である事から比べると,前提条件は異なりますが….
 因みに現在のエルサルバドルは,メスティーソの割合が人口の85%を占め,白人10%,先住民5%となっています.
 一般的に,中南米では先住民人口が多ければ多いほど,その先住民労働力への依存度が高まる傾向にあります.
 実際にはエルサルバドル西部は未だ先住民の比率が高く,先住民をコーヒー農民として雇い入れていました.
 彼らは一般に穏健でしたが,1932年にはその大反乱も起きています.

 コスタリカもエルサルバドルも,小・零細農園は兼業農家が多く,必要な労働力は基本的に家族が賄っていました.
 海外からのコーヒー移民,つまり,奴隷は導入されませんでした.
 しかし,大コーヒー・プランテーションに於いては,エルサルバドルの農業労働者の待遇は,コスタリカと違って収入面,労働条件面からも厳しい状況に置かれました.
 1920年代以降は,エルサルバドルの都市部に於いて,職人や労働者による中米では尤も組織的な労働運動が展開されましたが,コーヒー農民もそれに刺激を受けて反政府運動を行いました.
 この農民達の運動は,屡々強権を誇る農園主の前に打ち砕かれ,1930年代には軍事政権が弾圧をする中で,過激な武装集団へと発展していきます.

 とは言え,エルサルバドルも19世紀半ばから寡頭政治体制下で,民主主義実現の努力が為されていました.
 1886年,コスタリカよりも3年早く立憲主義,議会制,市民権の保障,成年男子選挙制などを定めた憲法が採択され,1939年までは不完全ながらも一応の有効性を保っていました.
 但し,1920〜30年代の大統領職は事実上,1つの有力一族に独占されてはいましたが….
 また,1931年には改革派の知識層や都市労働者を支持基盤とする労働党が,選挙によって政権を獲得したりもしました.
 もしこれが進めば,コスタリカよりも民主化の進んだ社会になる可能性を秘めていた訳ですが,1931年に労働党政権の副大統領を務めていたマキシミリアーノ・エルナンデス将軍が,政権を掌握し,1932年以降,共産主義者,農民,先住民など数万人を虐殺して軍事独裁政権を樹立して以降,その発展は留まり,以後の歴史は夥しい鮮血にまみれる様になりました.

 1980年以前には,富裕なエリート層の息子達が農村部に自家用車でドライブに出掛け,貧農を銃で撃ち殺す「ゲーム」に興じたりもしています.
 貧農は,日々の生活の為に自然と対峙しつつ,それ以外の人工的な障害とも闘わなければならなかったのです.

 ニカラグア革命の結果を受け,1979年以降11年間に渡って,エルサルバドルでは,国軍と反政府軍との間で内戦が生じ,約7万5千人の犠牲者が出て,コーヒー産業もこの戦乱によって大きな影響を受けました.
 流石に,今ではそれも落ち着きを取り戻しつつありますが,まだ復活するには長い道のりを経なければなりません.

 中米と言う地域で一括りにしても,様々な問題がある訳ですね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2010/07/04 21:58


 【質問】
 グアテマラにおける,「上からのナショナリズム」について教えられたし.

 【回答】

 さて,中米のコーヒー・モノカルチャーと言えば,昔,コスタ・リカとニカラグアについて触れた事がありました.
 まぁ,似たようなものなのですが,今回はグアテマラ編.

 1840年に中米連邦共和国が崩壊した後,分離独立したラファエル・カレーラ率いる保守政権は,当時産業革命で興隆し始めていた英国資本に大きく依存する事になり,1850〜60年のグアテマラの輸入額の内60%が繊維製品を中心とする英国製品に依って占められていました.
 これに対するグアテマラの主要輸出品は,インディゴとコチニールと言った天然染料原料でしたが,1850年代になると不作が起きたり,安定的で安価に供給される人工染料に取って代わられる等,国際市場に於ける競争力を失いつつありました.
 この危機を乗り越えるべく,カレーラ政権が新たに目を付けた換金作物が,既にブラジルやコスタ・リカで成功を収めつつあったコーヒーの栽培,輸出でした.

 因みに,カレーラ大統領は1840年から1860年までの20年間政権を担当するのですが,そのカリスマ性と共に,先住民の支持が主な支持の源泉でした.
 カレーラはスペイン植民地以来の先住民共同体を維持し,カシーケを中心とする伝統的な政治体制とクリオーリョ官僚による家父長主義的支配を併用する二重統治構造を,植民地権力よりも巧みに利用しました.
 これには,隣国のメキシコのユカタン半島を1839年以来1901年まで半世紀以上に亘って席巻し,一時期はその5分の4を支配下に置いたマヤ系先住民族の叛乱,所謂カスタ戦争の惨状を十分に理解し,先住民達を「近代化」する事は国家に対する叛乱や抵抗を増幅するだけだと判断して,彼らを家父長的に保護する事が得策だと考えた為です.

 当時のグアテマラでは,人口の約70%を占める先住民と,約25%を占める先住民と白人の混血,つまりメスティーソとの間に於ける人種・民族的対立や階級的差異ははっきりしたものでは無く,どちらも約5%の白人クリオーリョからは同じ「非白人」として扱われ,被支配的階級に押し込められていました.
 人口の殆どを占める先住民に対する課税はなるほど厳しかったものの,彼らは小規模な生産・貿易活動に従事していると言う点で,先住民と混血民との間にはそれほど厳然たる区別は無かったと言えます.

 では,当時の先住民の暮らしはどうだったか.
 彼らは基本的に植民地時代と殆ど変わらない生活スタイルや価値観を有していた様です.
 当時の生活を窺い知る為の史料は極めて限定されていますから,全体像は把握出来ませんが,1864年にトトニカパン市近郊の町モモステナンゴの先住民共同体で発生した殺人事件の裁判記録から,その一端を読み解く事が出来ます.

 事件の粗筋は次の様なものでした.
 先住民のディエゴ・パサ夫妻が何者かによって山刀で斬殺されたのが事件の発端で,政府がこの殺人事件を解決する為に白人やラディーノの役人を派遣し,ディエゴの母親から証言を取りました.
 それによると,被害者夫婦は,同族の人々に対して羊泥棒を働き,土地を手に入れる目的で同族人を「呪殺」した廉で,血縁者一同によって「処刑」されたと言うものでした.
 しかし,この事件の捜査は完全に行き詰まってしまいます.
 と言うのも,この事件について知っている先住民達は,被害者の母親以外,誰も何も語らなかったからです.

 この記録から判る事は,当時の先住民達が国家の司法権力を全く尊重しておらず,同族人殺しは死を以て償うと言う共同体の掟こそが,彼らにとっての「正義」だと言う事であり,この事件について貝の様に口を閉ざしてしまった住民の行動は,この掟が共同体全体に浸透している事を示しています.

 こうした状況の中,欧米諸国の産業革命に端を発する急激な国際経済の変化に対応しきれず,遂にカシーケの様な従来からの保守政権は倒れ,中米各国では自由主義(リベラル)政権が成立します.
 グアテマラで「リベラル」時代を創始したのは,西部高地の有力コーヒープランターで,名高い軍人でもあったフスト=ルフィーノ・バリオスで,彼は1871年から1885年まで政権を担いました.
 バリオスは,保守派や教会勢力と結びついていた植民地時代の地域主義的な政治・経済構造を改編して中央集権化する一方で,先進国の資金や技術を積極的に導入しながらコーヒーを中心とする農産物輸出経済の基盤を固めていきます.
 フランスや米国の投資家が鉄道や港などのインフラストラクチャーを整備し,英国やドイツの商人がマーケティング・チャネルを打ち立て,それによってグアテマラはコーヒー・モノカルチャーを基軸とする「近代化」への道を歩んでいきました.

 バリオスを始めとするグアテマラの「リベラル」政治家と言うのは,欧米の「自由主義者」とは異なり,独裁的権力を背景にした上からの近代化政策を通じて,自国を欧米をモデルとした国民国家に造り替えようと目論んでいました.
 彼らは,植民地時代の政治・経済システムを破壊する一方,コーヒー地主階級を中心とした新たな寡頭支配体制を構築し,その頂点に立つ大統領の権限を議会に優先させる「権威的進歩主義者」でした.

 グアテマラと同じ時代,他の中米諸国にもバリオスに追随する「リベラル」政治家が次々に政権を獲ります.
 1876年に登場したエル・サルバドルのラファエル・サルディバル,1870年に登場したコスタ・リカのトマス・グアルディアは,グアテマラと同様,コーヒー輸出経済を基盤とし,バリオス政権をモデルに強権的な国家の世俗化と近代化を進めましたし,19世紀末に中米地域に進出した米国と全面対決するニ カラグアのホセ=サントス・セラヤも,その政治スタイルの類似性からやや遅れて登場した「バリオスの息子」であると言えます.

 バリオス時代,グアテマラに於けるコーヒーの輸出額全体に占める割合は,1880年には90%に達しました.
 その後,小麦,天然ゴム,カカオ,砂糖黍,玉蜀黍などの農産物の多角化や米国資本のユナイテッド・フルーツによる大規模なバナナ生産によりコーヒーへの依存度は徐々に減じられたものの,20世紀初頭までその経済的重要性は極めて高いものでした.

 バリオスは,国策としてコーヒー農園の拡大を促進する為,荒地などの国有地をコーヒー農園主に売却・譲渡したり,広大な教会所領を没収してコーヒー農園に変貌させたのですが,此処で重大な問題が生じます.
 労働力が不足したのです.

 この労働力不足を補う為,バリオスは,人口の7割を占める先住民を確保する為と称して,先住民共同体や長期借地契約の廃止を命じ,彼らの土地を奪い,玉蜀黍,豆類,芋類を中心とした先住民の自給自足生活を破壊して,彼らがコーヒー農園で働かざるを得ない状況に追い込みます.

 一方で,労働力不足の解消と,白人系住民を増大させて人種的に欧州諸国に近付く為に,白人至上主義的な「国民の白色化」を狙った欧州移民招致計画も立てられましたが,欧州移民の多くはグアテマラの様な狭隘な土地よりも,大規模で成功する可能性が高いとみられたブラジルやアルゼンチンに集中し,計画は失敗に終わります.
 しかし,少数ながら高い資本力と技術力を持つドイツ系移民がグアテマラのコーヒー生産・輸出業に於いて大きな権限を持つ様になり,1900年までに国内のドイツ系コーヒー農園の数は159箇所,その総面積は2,160.29平方キロメートルと全国土面積の2〜3%に匹敵する程の力を持ちます.

 バリオスは,このドイツ系移民の流入を歓迎し,1877年に彼らの代表に対して,「100の外国人家族は,インディオ2万人に相当する価値がある」と述べています.
 当時のクリオーリョが如何に白人を求め,先住民を軽視していたかがよく判る発言です.
 因みに,これら広大なドイツ系移民の農園や財産の多くは,1945年にナチス・ドイツが第二次世界大戦に敗北した事を受けて没収されたのですが….

 こうして国家によって土地を奪われた先住民の中には,コーヒー生産地帯から遠く離れた高地・山岳地帯へと逃避し,伝統的な先住民共同体を維持する者達も又多くいました.
 その為,バリオスは日給労働者の労働環境や給与について雇用者である農園主に一任する事,また,国家が最高100名の労働者を先住民共同体から徴集し,コーヒー農園主に分配すると言うマンダミエントと呼ばれる強制労働制度を法制化する事により,先住民をコーヒー農園に縛り付けようとしました.
 1879年には新憲法が制定され,そこでコーヒー栽培者の土地に対する権利,地方の政治経済に大きな影響を及ぼしていた教会の所領や財産の処分,先住民共同地や共有地の廃止等が更に細かく規定されました.

 この「自由主義」改革とその指導役としての国家権力を正当化する為に,バリオスが採用したのが,欧州諸国で勃興していた「ナショナリズム」を手本にした,「上からナショナリズム」です.
 この考えを用いて,グアテマラに「国民」を創出させ,人々を結束させ得る魔術めいたエネルギーを思うままに操ろうと考えました.
 そして,この「国民形成計画」は,直ぐに他の中米諸国によって模倣され,全体に拡がっていく事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/01/29 22:30
青文字:加筆改修部分

 さて,バリオスはグアテマラに居住している住人に,「国民」意識を持たせる為,一方で国旗,国歌,独立記念日,公園,鉄道,幹線道路などの統合と進歩を意味する国民シンボルを次々創り,他方では政府系新聞や雑誌などの文字メディアを通じてグアテマラに住む住民達に,「国民」概念を刷込もうとしました.
 彼は,国民シンボルと国民概念を相互に補完させて具体的な国民像を浮かび上がらせる事によって,実際には多様性に満ちたグアテマラ群衆を,国家に忠誠を尽す,均質的で,匿名のグアテマラ国民へと変身させようとしましたが,住民達はこの計画に乗っかる事はありませんでした.

 公園などの公共空間や鉄道は,重要な国民統合と発展の国民的象徴として,演説や公報に於いて繰返し言及されました.

 取り分け鉄道は,先進諸国に於いても重要な国民シンボルであった事から,その宣伝効果が大いに期待されました.
 グアテマラでの鉄道敷設工事には時間が掛ったのですが,それでも都市間の限定的路線が開通する度に,国家を1本の線で貫くこの国民の統合と発展のシンボルは,メディア上で礼賛されています.
 コスタ・リカではこの手法を流用して,鉄道を「ナショナリズム」「資本主義」「文明化」「ファルス」を意味する「進歩」と「力強さ」の国民的象徴として刷込まれ,白人系多数派の間で受容されました.

 しかし,グアテマラなどの先住民にとっては,この欧米的発展史観に立脚したは国民シンボルは親しみやすいものでは無く,感情移入し易いものでも無かった.
 鉄道の敷設は,寧ろ先住民の伝統的生活を変化させ,鉄道敷地が彼らの住居を横切り,彼らを追い立てることさえありました.
 この為,ニカラグアのマサヤでは,これに対する先住民の暴動さえ起きています.

 グアテマラ国旗も,勿論,重要な国民シンボルです.
 中米連邦時代の国旗である,「空」や「海」を象徴する「青」と「中米地峡」や「自由」を象徴する「白」の縞模様を基調とした国旗中央部には,グアテマラの国鳥であり,古代マヤ人が「大気の神」として崇拝したケツァールをデザインした国章が描かれていますが,これは同時代の先住民やその文化を,積極的・直接的に国民シンボルへと昇華させているとは言い難いものです.

 この時期の中米リベラル政府の中で,上からの国民シンボル作りに「成功」したのは,バリオスの政策を模したコスタ・リカのグアルディア大統領だけでした.
 コスタ・リカは植民地時代や中米連邦共和国時代に於いて,常に中米地域の辺境であり,グアテマラの政治・経済的圧力に屈服し続けてきました.
 その為,グアルディアを始めとするコスタ・リカのエリート達は,中米のクリオーリョ・エリートの間で燻っていた中米単一国家構想が再び頭を擡げた場合に,自分たちの既得権を喪失する事を恐れ,他のどの国よりも真剣に国民形成計画に取り込んでいます.
 コスタ・リカ・ナショナリズムの昂揚は,中米統一国家の成立を妨げる最強の障害物になると考えられたのです.

 コスタ・リカの場合は,少数派の白人が多数派の先住民を支配するグアテマラと異なり,白人・混血民の数が全体の90%に達しており,10%に満たない先住民や黒人は国家による国民形成計画の対象外とされ,主要都市部から隔離されたのと引き替えに,コスタ・リカでは欧米的表象や価値観が殆ど抵抗なく多数派に受容れられたのです.
 その中身は,フランスに範を取ったもので,国旗は,赤・青・白の三色国旗,国歌は「ラ・マルセイエーズ」に酷似したもの,都市部には自由の女神を彷彿とさせる国民的英雄ファン・サンタマリアの像,オペラ座を模して建築された国立劇場はその代表例であり,白人・混血系住民が「国民」をイメージする上で重要なシンボルとなったのです.

 グアテマラにはこんな国民シンボルはありませんでした.
 その上,グアテマラで文字メディアを通じた国民概念の普及の為の政策は,国民シンボル作り以上に深刻な問題を抱えていました.
 1870年代のグアテマラの識字率は10%に大きく届かず,スペイン語学校が増設された1893年の時点でさえ,7歳以上の識字率が11.3%,1923年の段階でも13%でしかありません.
 当然,文字メディアの中に込められた複雑な国民的メッセージはグアテマラの多くの人々の間で共有される事はありませんでした.

 コスタ・リカはこれと対照的で,1892年でも識字率は31%程度でしたが,それでもグアテマラより高く,国民形成計画の進行と共に識字教育が進み,1927年の識字率は76%に跳ね上がりました.
 即ち,この国では文字メディアを通じたイメージの普及がし易いものとなっていました.

 また,グアテマラではクリオーリョ・エリート自身にも問題がありました.
 彼らは,グアテマラ総督領時代から中米全土を支配していると言う支配者意識を払拭できなかったため,彼らの提示する「グアテマラ国民」は常に曖昧な概念であり続けました.

 これは,教育大臣や外務大臣を歴任したロレンソ・モントゥファルが著した国民史叙述の内容にはっきりと見られます.
 モントゥファルは,当時の中米で最も名声を博した歴史家の1人であり,バリオスから歴史教科書として使用し得る国民史の編纂を依頼されていました.
 歴史や地理について語る時,モントゥファルは中米という共同体単位に拘ったのですが,「中米国民」意識は国民形成計画の中で芽生え始めたグアテマラ「国民」意識と混交し,論理的な矛盾を生み出してしまっています.
 モントゥファルが編纂し,歴史地理教育の教科書となった『中米史概説』の中で,彼は,中米が1つの国家であると前提しておきながら,中米連邦共和国の分裂に言及して次の様に述べています.

------------
 共和国は5つの国家へと分割された.
 混乱を避ける為に,各国家について話す事が必要である.
 各国家を単なる1つの国家と限定してしまう事は,ボルドーやマルセイユの他には何も語らないフランス史を書く様なものであろう.
------------

 この中でモントゥファルは,既に中米に5つの独立国家があると前提しており,もし,グアテマラ「国民」概念を読者に定着されるという本来の目的に忠実であろうとするならば,此の後,彼は祖国としてのグアテマラ国民国家と他の中米諸国との相違点について言及しなければならない筈です.
 ところが,彼は中米全体をフランスに,中米各国をフランスの主要都市に例える事により,恰も本当の国家は唯一「中米」であるかの様に矛盾した記述を行っています.

 そして,次の様な内容が続きます.

------------
 中米は統一体では無い.
 それは5つの断片であり,連邦政府の時代においてさえも,各地域が独自の性格を持った行政組織を有していたのである.
 この中米全体について話す為には,2通りの方法しかあり得ない.
 各章が中米の5つの区域に起こった事を,例えそれぞれの出来事の間に関連が無いにしても同時的に扱う様にするか,各章が各地域について専門的に記述されるか…(後略)
------------

 こうして中米連邦共和国の時代に於いてさえ,グアテマラを含めた中米各国はそれぞれ異なった国民国家の道を歩んでいたとしながらも,「ネイション」とは「中米」と「グアテマラ」の間で揺れ動く曖昧なものだったのです.
 これは独りモントゥファルだけではなく,バリオス自身が,中米連邦復活計画を周辺のクリオーリョ達の支持の下,熱心に進めていたりすることで体現しています.

 モントゥファルはバリオスのこうした動きを,グラント将軍の南北戦争における勝利と合衆国の再統一,カヴールやガリバルディの活躍によるイタリア統一,ビスマルクによるドイツ統一などに擬えて賞賛しています.

 バリオスは,この中米連邦復活計画は,ビスマルクによってドイツから派遣されたベルゲン中米総領事と親密な交友関係を築いており,ドイツの国家統一に大きな関心を抱き,それを参考に中米統一計画を練っていました.
 既にエル・サルヴァドルとホンジュラスは中米連邦への参入を取り付け,この計画に対して消極的なニカラグアやコスタ・リカを軍事力で屈服させる準備を進めていました.
 結局,この計画は,財政難による軍事費の不足,中米に於ける統合的市場の不在,中米各国に於けるバリオスに倣った国民形成計画の強化とナショナリズムの萌芽などの理由に依って挫折しましたが,その後も,グアテマラ・クリオーリョの間では,亡霊の様に「中米」という「創造の共同体」概念が残り,幾度も中米統一運動が復興しては頓挫し,を繰返す事になります.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/01/30 23:41

 さて,バリオスは先住民を「国民」へと変貌させようと奮闘しますが,志半ばにして死去しました.
 その後を継いだのが,バリオスの甥,ホセ・レイナ=バリオスで,彼は1885年から1898年まで,13年の長期政権を築く事になります.

 当然,レイナは,叔父の国民形成計画を継承するのですが,「インディオの文明化」については,やや批判的にこれを再検討し,側近と議論を重ねた結果,1893年に先住民の強制労働に終止符を打ち,法的に労働の自由化を宣言するという思い切った新戦略を打ち出します.

 これについて,レイナは,
「自由は,この貧困なる人種にとって,単なる無意味な書き言葉や偽りの理論としてでは無く,今や疑いない永遠の事実となった.」
と自画自賛し,それによって,先住民を国家の臣下(=国民)へと変貌させるのだ,と高らかに宣言しました.
 つまり,レイナ政権は,先住民に対するこの「最高の贈物」を通じて,一気に「インディオの文明化」を達成しようという腹づもりだったのです.

 しかしながら,債務によって縛り付けられた半強制労働についてはその後も法的に手つかずの儘残っていた為,土地を持たず,借金に苦しむ先住民の実質的な生活は全く好転しませんでした.
 こうした状況の下,政府が自画自賛したこの「自由化」に対する先住民の反応は,政府に感謝の意を表すどころか,1898年にウエウエテナンゴ市北方の町サンファン・イスコイで大反乱を起こし,白人・混血層を恐怖のどん底に突き落とします.
 先住民は,石,棍棒,旧式な銃で武装し,スペイン植民地時代と変わらない「野蛮」な方法で,リベラル・エリート達の「文明」に抵抗したのです.
 この叛乱は,新式の連発銃で武装した国軍により直ぐに鎮圧されましたが,「インディオの文明化」と言う計画が完全に潰えた事は誰の目にも明らかでした.

 レイナ政権で外務大臣も務めていたラモン・サラサールが書いた小説『闘争』の中で,この計画の失敗に直面したリベラル・エリートの失望が象徴的に描かれています.
 この小説は,ラディーノ男性のエルナンドと先住民系女性のルイサの愛憎物語です.

 ルイサは信心深い貴族の出身でスペイン国王と大司教を敬愛した女性であり,エルナンドは典型的なリベラル思考の持ち主で,著名なリベラル政治家の顧問を務めた父を持ち,スイスで教育を受けたインテリです.
 2人は恋に落ちて結婚しますが,やがてルイザはエルナンドの徹底した啓蒙主義,汎神論,哲学的思考に反発し,夫婦仲は冷えていきます.
 やがて,2人の間に子供が出来ますが,生まれた子供は不運な死を迎え,その結果,2人は破局に至ります.
 ルイサは修道院に入った後,体調を崩して死に,エルナンドはアルコール中毒のギャンブラーに身を持ち崩して,ルイサの不幸な死を知った後,後を追う様に息絶えると言うストーリーです.

 この小説の中で,ルイサは貴族,カトリシズム,封建主義,先住民,非合理性と言う植民地時代の遺産を,対するエルナンドは,進歩,科学,ラディーノ,合理性と言ったリベラル的価値観を表象しています.
 エルナンドは,「国民創成計画」が失敗に終わって絶望の淵に陥ったリベラル・エリートに擬され,ルイサが宿した子供を「グアテマラ国民」に擬えて,その子供の死を国民創成計画の失敗に例えたものです.

 勿論,先住民総てがこの「国民創成計画」に否定的であった訳ではありません.
 一部の先住民は,自ら進んでグアテマラ国家機構の一員となりました.
 この現象は,レイナ政権が倒れた後,その後を襲ったマヌエル・エストラーダ=カブレラ大統領の時代に見られます.
 エストラーダは,1898年に当選した時にはグアテマラ初の文民大統領でしたが,政権を獲ると直ぐに独裁化し,米国資本家と組んで財政を安定させた上で,新聞の検閲,反対派の追放・収監,警察の強化,身内による高級官僚職の独占など,バリオスを凌ぐ軍事独裁政治を行い,1920年まで22年間に渡って政権を維持する事になります.
 その徹底した独裁の様は,ノーベル文学賞受賞者でフランスへの亡命を余儀なくされたミゲル=アンヘル・アストゥリアスの代表作『大統領閣下』の中で取り上げられています.
 また,エストラーダは,バリオス時代には一定の配慮を受けていた職人などと市民の活動も厳しく制限・管理した為,人々の不満は高まっていきました.

 エストラーダは,こうしたと市民による反政府運動の機運を感じ取り,経済的には米国資本の進出を積極的に受容れると共に,速やかに国軍を増強します.
 ところが,この軍隊に多数の先住民兵士が含まれていた為,混血層を中心とした都市住民の反政府運動を,武装した先住民兵士が鎮圧すると言う今までとは完全な価値観の逆転が起きます.
 今まではコーヒー農園などで先住民支配のエージェントとして活動していた混血民が,今度は先住民によって監視される存在になった訳です.

 こうして軍人という「下級公務員」となった一部の先住民達の中には,グアテマラの国家制度に準じる者も見られる様になりました.

 1899年にモモステナンゴで起きた殺人事件に関する記録では,此の事を如実に示しています.

 事件は,妹の通夜に出席していた先住民軍人のティモテオ・アハネルが,数人の部下を引連れて現れた同じく先住民軍人のフェルミン少尉によって刺殺されたというものです.
 殺人の動機は不明ですが,直ぐに被害者の父親であるフアン・アハネルが訴えたので,フェルミンは当局に拘束される事になります.
 ラディーノの司法官は直ぐに調査を開始し,検視を行い,目撃者から証言を取った後,事件を裁判に持ち込みます.
 フアンはカランサと言う名の,経験豊富で優秀なラディーノの弁護士を雇い,フェルミンの弁護はグスマンと称する地元出身の教養高い先住民が引き受けました.
 公判の途中でグスマン弁護士は,近代法に基づく合理的思考によって審判を下すべきだと裁判官に訴え,8ヶ月の審理の後,容疑者に懲役10年の実刑判決が下ったものです.

 1864年の同種の事件との違いは歴然です.
 容疑者も,被害者とその関係者も,何の躊躇いも無く事件の解決を国家の規定した裁判手続きに委ねており,被害者の家族が,共同体の掟に従って容疑者に報復する事は無く,被害者の父親がラディーノの弁護士を雇った事,また容疑者の弁護も,先住民(もしくは先住民の血が色濃い混血民)の弁護士が担当したと言う事実は,彼らが伝統的な社会規律から脱却しつつあった事を示しています.

 この様に,先住民が国家の法体系に則り,自分たちの権利を守る為に国家制度に主体的に従っていた例は多数有ります.
 つまり,一部の先住民が「国民」化する可能性はあったのです.

 しかし,この時代にバリオス以来続いていた国民創成計画は,遂に断絶する事になります.
 エストラーダは首都に巨大なグアテマラの立体模型図を設置し,イメージ上の国民空間と地図上の国民空間を一致させる試みを行いますが,これが22年間の独裁の間に創設された唯一の国民シンボルであり,新たな国民史編纂も実施しませんでした.

 それどころか,エストラーダは,今までシンボルとして国民に親しまれていた9月15日の独立記念祭を一方的に廃止し,古代ギリシャの都市国家アテナイの守護神ミネルヴァを称える祭典に差し替えました.
 また,もう1つの重要な国民シンボルである鉄道も,米国帝国主義のシンボルとしてグアテマラのナショナリストに憎まれたユナイテッド・フルーツ社の創業者,米国人マイナー・キースの資金で敷設されたので,グアテマラの国民的シンボルの地位を失いました.

 キースは,その凄まじいまでの資金力で,グアテマラやコスタ・リカに於ける鉄道の敷設を財政的に支援しながら,そのバナナ農園は各国の法的権限が及ばない「飛地」を確立しており,その農園は「バナナ共和国」と揶揄された程でした.
 特に,1908年のグアテマラ〜プエルト・バリオス間の鉄道完成式典では,無数の星条旗をはためかせてターミナルに出現した列車を出迎えるキースと合衆国特使のディヴィス将軍が主役であり,グアテマラの国民シンボルの完成を祝うどころか,グアテマラ進出に成功した「米国民の偉大さ」を祝す式典となっていました.

 こうして,エストラーダ時代には,バリオス以来の国民創生計画は完全に頓挫したのです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/02/01 23:06



 【質問】
 グアテマラにおける「先住民白色化計画 」について教えられたし.

 【回答】

 さて,グアテマラの大統領であるバリオスは,「国民」の創成に血道を上げていましたが,それにしては効果が一つも上がりませんでした.
 これは,グアテマラと言う土地に住んでいる人々の殆どが,クリオーリョとは全く縁の無い先住民だった為です.

 バリオスは,この状況こそが自身の国民形成計画に於ける深刻な問題点であると認識し,「インディオの文明化」計画に取りかかります.
 先住民は「野蛮」であり,国民国家や自由主義のすばらしさを理解しない事が,彼らが国民形成計画に主体的に関わろうとしない原因だと考えたのです.
 因みに,リベラル・エリート達は,コントやスペンサーなど社会ダーウィン主義思想に影響を受けていたにも関わらず,先住民の「種」や「血」を否定せず,その「文化」のみを問題視しました.
 これは,一方で欧米文化を崇拝し,先住民文化を侮蔑していたクリオーリョ達が,他方で先住民を「国民」概念に取り込まざるを得ないというジレンマを論理的に解決する方策でもありました.

 彼らはマヤ文明をエジプト,インド,ギリシャ文明に匹敵する偉大な文明であると評価しながらも,その文明はスペイン人の侵攻時には既に衰退していたと主張し,そして,「科学,芸術,そして言語という聖域」を有していたスペイン人は,衰えた先住民社会を再文明化する責務を怠り,先住民を奴隷化・迫害して卑しめたと主張します.
 だからこそ,「進歩的な」欧州文明を身につけたリベラル・エリートが,先住民を「解放」し,文明化する様に指導して,自分たちと同じ文化を共有するグアテマラ「国民」に育てる必要があると言うのです.
 極論すると,この「文明化」計画というのは,植民地時代と殆ど変わらない白人至上主義に基づいた先住民文化の欧米化,所謂「白色化」と同義だった訳です.

 これもまた,グアテマラから他の中米諸国に拡大して行きました.

 例えば,20世紀中頃までのコスタ・リカに於いては,先住民はスペインからの独立までに先住民女性と白人男性との間の混血化が進み,消滅したとする歴史教科書が採用されていました.
 国の中で僅か10%に過ぎないとは言え,存在していた先住民を,コスタ・リカは公的な歴史的叙述から消滅させたのです.
 グアテマラは「白色化」を先住民に強要したのに対し,コスタ・リカは先住民を国民形成計画から放逐し,情報操作によって,白人や混血層の意識に「コスタ・リカ国民=白人」と言う概念を刷込んで,「白色化」を図った訳です.

 また,ニカラグアでは,「ニカラグア国民=混血」と言う概念が人々の間に広まりつつありました.
「玉蜀黍によって養われた身体に,スペインの獅子の精神が宿っている」
と表現された事もあります.
 こちらは,先住民がスペイン語を話すか否かで判断されていました.
 先住民独自の言語では無く,スペイン語という白人の言語を使用する事が殆ど唯一の「人種融合」の鍵とされていた事から,ニカラグアの「国民」概念もまた,基本的に先住民の「白色化」を前提にしていたと言えます.

 話をグアテマラに戻すと,「インディオの文明化」計画を実行する為,バリオス政権は先住民向けの学校を次々と建設し,そこで国民イメージを伝える媒体としてのスペイン語教育に全力を注ぎます.
 当然,当時のクリオーリョ・エリート達は事態を楽観視してました.
 例えば,1878年にチマルテナンゴに開設した先住民夜間学校の創立式で,あるクリオーリョの検査官は,この学校が先住民文化の復興に繋がると述べ,そして,スペイン語と最新の文明を学んだ先住民達は,秘書や教師,医者にもなる事が出来るなど知的且つ富裕になり,スペイン風の食事やファッションを嗜んだ先住民女性は,より一層美しくなると公言して憚りませんでした.

 これは,1879年に発刊されたフランシスコ・ラインフィエスタという作家の書いた,グアテマラ初のSF小説である『鳥の視界〜空想』と言う作品の中にも流れています.
 このラインフィエスタもバリオス側近の1人でしたが,作品では時空間を自由に旅する事の出来るコンドルへ変身した主人公が,グアテマラを俯瞰しています.
 この作品で,主人公は先住民の未来についてこう語っています.
-------------
 教育は,インディオを社会的平等が達成される水準に引上げた.
 そして,まさにその時,驚いた事に彼らの血管を流れていた血は,総て自分たちの頭を流れる血や才能と全く同じ性質である事が分ったのである.
 あのとき,文明はこの君たちにとって最愛の人種を滅ぼしはしなかったのだ.
-------------
 つまり,未来のグアテマラでは,「文明化」教育が功を奏した結果,先住民が白人・混血民と同じ血を共有する「国民」と化すと言う理想を描いた訳です.

ところが,実際の「インディオの文明化」は容易ではありませんでした.
 先住民の子供達は,政府が設置した学校には通いませんでしたし,1880年に実施されたグアテマラ初の人口統計調査の結果からも,先住民共同体が未だに根強く残っている事が判明しました.
 楽観主義一色だったクリオーリョ官僚達は,公報などに於いて先住民に対する感情的な怒りをぶちまけましたが,先住民が「文明化」の名の下に行われた「白色化」に従容と従わなかったのも道理です.

 加えて,コーヒー農園で酷使された先住民達は,統合された1つの「国民」をイメージするどころか,日増しに顕在化する人種・民族・階級対立の中で暮らしていました.
 コーヒー収穫期に不足する労働力を補充する為,農園主はカシーケと手を結んで先住民共同体から大量の季節労働者を調達しようと試みますが,カシーケは概して誇り高く,屡々高圧的な白人農園主に抵抗しました.
 この為,農園主達は次第に先住民と直接向き合う事を避ける様になり,その「両者の文化を理解する事が出来る仲介役」としての混血民の社会的地位が確立されていきます.
 そうなると,今までは同列に扱われていた混血民が,白人農園主から先住民を間接支配する為の代理人や監督を任される様になります.
 それは,結果として先住民から頭一つ抜きん出た形となり,先住民と混血民が新たに階層化していきます.

 また,国家が混血民の先住民居住区への移住を奨励した事も無関係では有りません.
 西部高地では,聖職者と「インディオ文化に同化した者」以外には混血民が居住していなかったのですが,1870年代には商人や労働契約代理人などのラディーノが国家の後押しを受けて移住し,その地域の最も肥沃な土地を先住民から奪いました.
 混血民の都市部への移住が増加するのもこの頃です.
 当然,これに対する先住民の叛乱も起きましたが,それは小規模な者であり,知事の支援の下で武装した混血民によって鎮圧されるか,或いは国家警察隊に捕えられ,「外国の最も完璧な監獄を模倣した刑務所」に収容されました.

 コーヒー農園主であり,グアテマラの有力政治家とも交流のあったドイツ移民のヴァルター・ハンシュタインは,1892年に本国の両親に宛てた手紙の中で,こう書いています.
-------------
 グアテマラの住人は,異なった種族に属し,異なった言語を話す土着民のインディオである.
 彼らはプランテーションの最下層を占める身体の小さく,ずんぐりした人々で,1日僅か1マルクで生活している.
 2番目の種族が混血であるメスティーソであり,彼らは貿易業者や使用人として働いたり,牛や馬の世話をしている.
 スペイン人の子孫達が,こうしたプランテーションの所有者である.
-------------
 こうした状況では,先住民が自己と白人・混血民とを一括りにする「国民」イメージを共有するのは困難であり,寧ろ,彼らの国家に対する不信感は以前にも増して募っていきました.
 例えば,人口の大多数が文盲であるキチェ東部では,1883年までに42名の学校教師が国家によって派遣され,20の学校に於いて920名の男子学生,258名の女子学生を相手に教鞭を執りましたが,この人数は地域総人口の僅かに1.8%に過ぎず,その生徒の全てはラディーノでした.
 つまり,先住民達はスペイン語を習得する事により,白人社会により一層従属させられる事を警戒した為,「インディオの文明化」の現場である学校を徹底的に忌避したのです.

 先住民の白人・混血民に対する不満や怒りは,この時期にケツアルテナンゴ付近で発生し,主に高地先住民の間に定着した民族劇の中で消極的に発散されていました.
 その粗筋は,キチェ族の伝説的な王キカブが征服者達と勇敢に戦うが,最終的には住民の安全を優先してスペインに屈服し,キリストへの帰依を誓うというものです.
 その中では,マヤとスペインの二項対立的構図が強調されており,劇中で使用される仮面に表現されたスペイン人の邪悪さとマヤ人の高貴さ,スペイン人の粗野な衣装に対するマヤ人の華麗さなど,様々な形でスペインに対するマヤの優位性が表象されていました.
 こうした方法で,先住民達は「文明化」の圧力にじっと耐えていたのです.

 …とここまで書いた所で,ふと何処かの国の文教政策が,非常に似通っている様な気がしてなりません.
 一生懸命,その国の文部官僚達は,「国民」を創ろうとしているのですが,階層分化の進んだその国では,そうした動きに消極的に対抗しているのではないか,と思ってみたりもするのです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/01/31 23:30
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 エストラーダ追放〜グアテマラ内戦までの経緯は?

 【回答】

 さて,1919年,エストラーダの独裁政治に不満を持つ保守派,職人,都市労働者,鉄道労働者,一部の先住民による反政府運動が激化し,1920年,「自由主義の再生」を掲げた学生や知識人を中核とする統一党が,エストラーダを政権から追放します.

 しかし,この民主運動も,必ずしも国民的運動とは言えない,「反独裁」の下での一時的な政治的結合でした.
 例えば,この運動の中核を担った労働者連盟の代表は,統一党員を常に「お坊ちゃん」と呼んで馬鹿にしていましたし,先住民に対しては家父長主義的な言い回しで未熟なインディオを指す「インディート」と呼び,「私たちの言語(つまり,スペイン語)を殆ど話す事を出来ない」事と嘲笑していました.
 彼らは,グアテマラ「国民」として結束していた訳では無かったのです.

 その後,統一党はバリオスの遺志を継ぐかの様に積極的な外交を展開し,コスタ・リカを除く中米4カ国による中米連邦の復活を試みる事になります.
 しかし,既にニカラグアやパナマを始め中米地域に巨大な利権を築いていた米国は,この動きを警戒し,徹底的な政治干渉によってこの連合を崩壊させました.

 1923年に米国は,クーデターや革命運動によって成立した政府の正統性を承認しない事,また中米諸国の既存の主権や独立に影響を与える新たな立法行為を放棄する事などを盛り込んだワシントン条約を中米諸国に押しつけました.
 この「北方の巨人」の圧力によって,中米連邦共和国の結成は実現不可能な過去の夢となりました.

 約半世紀に及ぶグアテマラの「自由主義」時代は,バリオス,レイナ,エストラーダと言うたった3人の独裁的権限を持った大統領によって創出されたのですが,その間に行われた上からの国民形成計画の失敗が,その後のグアテマラ社会に多大な影響を及ぼす事になった事は言う迄もありません.

 ラサーロ・チャコンによる民主制の移行が失敗に終わり,1931年から1944年にかけて,反共主義者のホルヘ・ウビコによる軍事政権が誕生したのを皮切りに,その後のグアテマラでは軍部による独裁恐怖政治が長期に亘って続く事になります.

 勿論,グアテマラの心ある人々は,ただ漠然とこの状況を黙認していた訳ではありません.
 1940年にメキシコで先住民擁護について話し合う,第1回米州インディヘニスモ会議が開催された事を受け,グアテマラでもインディヘニスタ国民協会が1945年に創設され,マヤ系先住民の共同体や文化に関する本格的な研究が始まりました.
 また,労働組合や共産主義者の思想や運動に影響を受けたハコボ・アルベンス大統領が1950年に就任すると,ユナイテッド・フルーツ社を含む大土地所有を解体し,土地を失った先住民や貧農を救済しようと努めたりしました.
 しかしながら,こうした動きは,自国の権益を保護をしようとする米国と,既存の国家秩序を維持しようとする寡頭政治及び軍部右派の介入によって,妨害され,1954年に政権の座を追われました.

 バリオス政権からエストラーダ政権に掛けて膨張した軍部は,リベラル政権による国民形成計画や「インディオの文明化」計画の失敗から誤った「教訓」を引き出してしまいました.
 先住民は手の施しようのない異質な存在で,彼らを説得する事は不可能であるので,グアテマラ国家の統一と秩序を維持する為には,言葉や議論,或いは穏健的なナショナリズムを通じてでは無く,軍事力と全体主義的なナショナリズムによる支配こそが効果的だとする思想です.
 ドイツのヒトラーやスペインのフランコの独裁政治をモデルにしたウビコは,先住民労働者に対して,
「働く為に結集せよ,それこそが,祖国と私に奉仕する最良の方法である」
と言い放ちました.

 この様に,多くの先住民を抱えるグアテマラの公権力が強硬路線へと方針転換し,暴力によって露骨に先住民を支配する様になった事こそが,その後のグアテマラ及びその他の中米諸国に於ける先住民の自治や人権を大きく脅かす元凶となっていきます.
 この圧倒的な暴力に抗う為に,先住民側も次第にその抵抗運動を過激化していきました.
 彼らは武装ゲリラ戦術を用いるなどして徹底抗戦の姿勢を明確にし,これに先住民以外のアナーキストや共産主義者,或いはアルベンスの流れを汲む軍部左派の動向を絡み合って,グアテマラは事実上の内戦状態となりました.

 グアテマラで死亡あるいは行方不明となった人々の数は,10万5,000人を超えると言われています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2012/02/02 23:01
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 グアテマラにおける対麻薬作戦について教えられたし.

 【回答】
 グアテマラは,2007年の大統領選までに対麻薬で厳しい姿勢を取るよう米国から圧力を受けていますが,最近になって,米国政府の「ならず者国家リスト」に載せられる危険は若干減っているようです.
 8月の下旬,サンマルコスで行なわれた手入れでは,4500万ドル相当の麻薬と栽培施設,最重要指名手配者となっていた麻薬密売人のひとりが逮捕されています.
 オスカー・バーガー政権のイメージは,少し良くなっているようです.

おきらく軍事研究会,平成18年(2006年)11月20日


 【質問】
 ハイチへ災害派遣される自衛隊の陣容を教えてください.

 【回答】
 100113にハイチ共和国西で発生した地震に対し,以下紹介するとおりの経緯で,政府は国際緊急援助隊派遣を決定.
 それに伴い,わが中部方面隊から部隊の編成・派遣が行なわれました.
(各方面隊はローテーションで待機部隊を準備しています)

 今回派遣されたのは,13旅団を中核とする部隊です.
 指揮官は,13後方支援隊長の白川誠1等陸佐[陸軍大佐]で,13旅団・中央即応集団から拠出された連絡調整官・医官・看護官ら,要員約110名で編成されています.

 活動内容は医療援助活動(ハイチ共和国レオガン)です.

 100120 編成完結式が13旅団司令部[海田市駐屯地(広島県)]で行われ,13旅団長の平野治征陸将補が派遣隊長白川1佐に隊旗を授与しています.

 13旅団長の訓示;
「自信と誇りを持って,安全に任務に当たってほしい」
 隊長の答辞;
「速やかに医療活動に当たり,被災者の苦労を和らげたい」

 100121,部隊は現地に向け出立.
 同夜,米マイアミでわが空自のC130輸送機に乗り継ぎ現地入り.
 ハイチのレオガン市にある大学の看護学部で,活動を行ないます.

 すでに現地に設置されている統合連絡調整所の拡大も図られます.

 【参考】
http://www.mod.go.jp/j/news/2010/01/18c.html

おきらく軍事研究会,2010.1.23

▼ 防衛省発表等を総合すれば次のとおり.

1.100205に行なわれた閣議で「ハイチ国際平和協力業務実施計画」,「ハイチ国際平和協力隊の設置等に関する政令」が決定された

1.政府は国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH(ミヌスタ))に,国際平和協力法に基づき,陸自部隊(約350名で編成)を本年11月30日までのあいだ派遣する.

1.閣議決定を受けた防衛省は100205に防衛会議(*)を開催し,防衛大臣による「ハイチ国際平和協力業務の実施に関する自衛隊行動命令」を発出した.

1.自衛隊行動命令の概要は,以下のとおり.

 ○本日の安全保障会議,閣議決定を受け,国際平和協力本部長から自衛隊の部隊等による国際平和協力業務の実施の要請があった.
 中央即応集団司令官,自衛艦隊司令官及び航空支援集団司令官は,所要の部隊を編成し,実施計画及び実施要領に従い活動を実施せよ.

1.陸自ハイチ派遣国際救援隊に対する隊旗授与式は,本日1315〜1412に実施された.
 主な出席者は首相,防衛大臣,防衛副大臣,防衛大臣政務官2名,統合幕僚長 折木陸将,陸上幕僚長 火箱陸将,防衛大臣補佐官(西元徹也・元陸将,元統幕議長),防衛事務次官である

1.任務は瓦礫の撤去,整地,道路補修,軽易な施設建設など.派遣期間は本年11月までの約10ヶ月間の予定.首都ポルトープランス西方のレオガンで展開予定.

1.派遣部隊

<編成>
 陸自:ハイチ派遣国際救援隊(国連要員190名,自隊支援要員150名)
 海自:輸送艦・補給艦・護衛艦各一隻(当面は展開せず)
 空自:第1ハイチ空輸隊等(C-130H,U-4,KC-767,政府専用機.約200名)

1.中央即応集団からの派遣要員150名(指揮官:山本雅治1等陸佐[陸軍大佐])は本日午前,宇都宮駐屯地を出立した.
 山本1佐は
「日本の代表として,ハイチの方々に全力を尽くしたい」
「隊員の家族には,(隊員を)確実に連れて帰ることが私の任務と説明した」
と語った.

1.1次要員は2月6日(土)から順次出立,2次要員は2月下旬から3月上旬に出立予定.

1.自衛隊のPKO参加は平成4年のカンボジア以来7回目.
 今回は,カンボジア(約600人),14年の東ティモール(約680人)に次ぐ大規模派遣となる.

http://www.mod.go.jp/j/news/2010/02/05d.html
http://www.mod.go.jp/j/news/2010/02/05b.html
http://www.mod.go.jp/j/news/2010/02/05b.pdf
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100206/plc1002061005005-n1.htm

(*)防衛会議

 防衛省に設置される特別の機関のひとつ.
 防衛大臣の求めに応じ,防衛省の所掌事務に関する基本的方針について審議する.

「防衛省設置法等の一部を改正する法律」(平成21年法律第44号)が2009年6月3日に公布,同年8月1日に施行された.
 同法第1条により改正された防衛省設置法第19条の2に基づき,同年8月1日に防衛会議が設置された.
 議長及び委員からなり,議長は防衛大臣が務め,委員は以下の者をもって充てるとしている.
防衛副大臣
防衛大臣政務官
防衛大臣補佐官
統合幕僚長
陸上幕僚長
海上幕僚長
航空幕僚長
情報本部長
防衛事務次官
官房長
局長

(参考 ウィキペディア)

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)2月6日(土)


 【質問】
 自衛隊のハイチ派遣,どうでしょう?

 【回答】
 まぁ,予想はされてはいましたけどね.
ハイチ大地震:北沢防衛相,自衛隊派遣準備を指示

 陸自の中部方面隊と中央即応集団が派遣される予定のほか,実際米国にいた空自のC-130輸送機がJICAの医療チームを乗せてハイチに行き,帰りは米国人被災者を乗せました.
 ただ,現在のハイチは無政府状態で,護身のためにそれなりに武装をしないと危険な状態にあります.

「無政府状態」の悪夢再び=略奪,銃声後絶たず−ハイチ

 場合によっては派遣された自衛隊と,ハイチの武装した暴徒と武力衝突する可能性もあります.
 そこまで考えて,部隊行動基準を決めて派遣しないと,ハイチにも日本にも後々禍根を残しかねません.

 小沢民主党幹事長での一連の政治スキャンダルで,北澤さんも大変かと思いますが,自衛隊の部隊行動基準を定め,それから派遣するようにお願いしたいところです.

 ちなみにソマリアではそのようにして派遣した結果,今日に至るまで禍根を残す出来事は発生していません.

バルセロニスタの一人 in mixi,2010年01月19日10:01

▼ まず申し上げたいことですが,わが自衛隊にとって今回の派遣は意義あることと考えます.
1.国際舞台での用兵経験を蓄積できる
1.平素の訓練の成果を発揮できる
からです.

 当面は地上侵攻も想定されないことから,この派遣はわが自衛隊にとり,戦闘組織としてのノウハウを組織学習を通じて蓄積することを通じ,より精強になることに繋がるメリットがあります.

 また,わが自衛隊は,外国軍との接触がほとんどありません.
 外地で展開するこの機会を十二分に活用し,大いに他国軍との交流,情報収集に励んでいただきたいと思います.

 声なき多数国民は,わが自衛隊を信頼し応援しています.
 武運長久を祈ります.
 わが国の宝であるわが自衛隊の実力を,ふたたび国際社会で如何なく発揮してください.

 一方,派遣を命じた政府には怒りの念を禁じ得ません.

 わが国益,現地の治安状況等を考慮すると,もう少し慎重に検討されて然るべきだったと思います.
 従来,PKO派遣を政局の具にしていた前野党が,政権の座に着いたためか,これまでのPKO派遣に比して拙速な決定という感じを受けます.

 背景を推測すると,安全保障政策に極めて疎い現政権が,
1.衆参併せて12議席しかない社民党に配慮した失策である普天間問題
1.インド洋からの撤退
などを通じて失った「米国との信頼感」の回復を意図する,付け焼刃的な対米すりより施策による派遣であり,
「自分達の面子維持のため」にわが自衛隊を利用したパフォーマンス
としか思えません.

 また,
1.インド洋での給油活動を「意味がなかった」と言ったり,
1.観閲式や殉職者の追悼式にも参加しない
というメンタリティの持ち主である最高指揮官・某首相の命令で,地球の裏側の劣悪な環境の国に派遣されるわが自衛官の心情を思うと,激しい怒りを覚えます.

 派遣に際して将校がまず考えることは,
・「派遣の大義」すなわち「何のために自分は行くか」であり,
そして,
・「派遣の大義を多くの国民に支持されていること」です.

 これが,
「劣悪で危険な環境下でも与えられた任務をやり抜こう」
という隊員の士気に直結します.

 この点を政府は考えたのでしょうか?

 そもそもわが国内では,PKO派遣の根本的な問題
1.何故,各国ともPKOに軍事組織を派遣するのか?
1.武器の使用等日本独自の制約が国際社会で通じるのか?
が何も解決していません.

 こういう現状では,わが部隊派遣をすべきか否かは,慎重の上にも慎重を期すべき事柄であったはずです.

 派遣根拠となっている,2001.12.07に改正された改正PKO法は,派遣隊員が
(1)職務遂行に当たって自己の管理下に入った者の生命・財産を保護するための武器使用
(2)武器などを防護するための武器使用
(3)凍結されていた停戦監視,巡回などの六項目の任務
ができるようになったことが改正点でした.

 ところが,「任務達成のための武器使用」については,
「海外での武力行使は,憲法違反に相当する」
「正当防衛以外の武器使用は憲法違反」
という理由から,なんら変わることのないまま現在に至っています.

「海外での国権使用による武力行使は憲法上許されない」
「憲法で認められているわが防衛力は,わが国防衛のためにある.
 PKOといえども,外国の軍隊を助けることは実力を超えた”戦力”に相当し,ゆるされない」
という感覚です.

 しかし現実は,検問を突破しようとする不逞の輩に対する威嚇射撃や,不意の攻撃を受けた際に撤退するための援護射撃など,「PKOに参加する諸国の軍なら当たり前のこととして行う武器使用」があります.

 こういった,他国では話にすらならないことが,わが国では問題になるのです.

 PKOは,「命令のもとに統一行動が取れる」軍隊にしかできないことをやるためのものです.
 軍隊としてできることは「当然の前提」として考えられています.

 わが国の現状では,PKO部隊として統一行動をとる他国部隊が,目の前で危機に陥った場合でも助けにいけません.
 これは集団的自衛権行使に相当するからで,「実力以上の”戦力”の行使」=「憲法違反」となるからです.

「わが自衛隊が武器をつかうことはすべて悪い」
 こういう硬直したアタマとココロのままでいるために,「国権の発動ではないはずの,しなければならない武力行使」すら,一律に禁止してしまっているのです.

 迷惑するのは,現地の隊員と周りまわって国民です.

 「国連が,集団的自衛権行使の対象になる存在か否か」も整理されてません.
 「派遣部隊がわが国権の一部に相当するか否か」についてもそうです.
 もしそうであるとしたら,わが部隊への攻撃があったら,宣戦布告して個別自衛権を行使しなければなりませんが,どうなんでしょう?
 近くから攻撃を仕掛けられたら宣戦布告の対象になるが,遠くから仕掛けられたら国連への攻撃と見なすという意見もあるようです.
(基準は何kmなんでしょうか? 誰がいつその距離をどうやって測るのでしょうか?)

 このあたりも整理されていません.

 結果,PKOに派遣されるわが自衛隊部隊は,「武器使用するときは国権の一部」「攻撃を受けた場合はPKO部隊」という錯乱状態のまま,おっぽり出されています.
 PKOの運用基準には
「国連加盟国が提供する軍事要員は,作戦面では国連軍事司令官のみに従う.
 指揮系統の遵守がなければ,作戦上重大な支障が生じる」
とありますが,PKO派遣自衛隊部隊は「任務と権限の不一致」の状況に置かれています.

 もし,わが部隊を国連に提供するとしたら,武器使用基準等の用兵に関しては,すべて国連に委ねるべきでしょう.
 それができないなら,わが自衛隊に国軍の権威と権限を公式に授与するか,部隊派遣すべきではないという結論になります.

 「危険度は低い」という愚劣な思考から,卒業しなければいけません.
 これは,イラクのときにさんざん俎上に上った出来事だったはずです.

 PKOは慈善事業ではなく国際軍事作戦以外の何ものでもありません.
・いかなる任務であろうと武器使用の可能性はゼロにはならない
・PKO参加の他国部隊に与える信頼
という視点を政治は忘れてはなりません.

 派遣は決定しました.
 部隊は出立します.

 派遣される以上は,わが自衛官が後顧の憂いなく任務に励むことができるよう,政治には,憲法改正を含めて,こういった根本的な問題の解決に努めてもらいたいものです.

【参考】産経新聞論説委員 岡芳輝 「大矛盾を残したPKO法改正」
    「正論」 平成14年3月号

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)2月6日(土)


 【質問】
 なぜハイチへ自衛隊PKOは派遣されたのですか?

 【回答】
「ハイチPKO 参加の狙いは?」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1102451&media_id=88

 この報道を信頼するならば,鳩山首相がハイチPKOを決断した背景には,普天間で冷えきっている日米関係の改善があったわけですか.
しかし元はご自分の内閣の大臣が迷走に迷走を重ねた結果でしょうに.
しかもその尻拭いを防衛省と自衛隊にやらせるわけですか.つくづく北澤さんも自衛隊も因果な商売をしてるなとしか思えません(´・ω・`)
 派遣される隊員が無事帰国出来るのを祈ります.

バルセロニスタの一人 in mixi,2010年02月10日06:28


 【質問】
 メキシコ麻薬戦争って,どんな戦争?

 【回答】
 メキシコ麻薬戦争とは,麻薬の密売を減らそうとするメキシコ政府と,麻薬カルテルとの間で起こっている武力紛争,または地域支配のための麻薬カルテル同士の紛争のことを呼ぶ.
 麻薬カルテルであるティファナ・カルテルとガルフ・カルテルの主要メンバーが拘束されて以降,アメリカにおける麻薬の輸送ルートをコントロール下に置くための抗争に起因する暴力事件が増加している.
 紛争の犠牲者は毎年数千人,2010年3月末現在で総計22,743人とされているが,行方不明者や発見されていない死体のことを考えると,実数はこれよりはるかに多いと思われる.

 【参考ページ】
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/la/cartel/mexdrugwar.htm
http://bakusyouten.blog92.fc2.com/blog-entry-4386.html
http://potemkin.jp/archives/50681422.html
http://gigazine.net/news/20101103_drug_wars/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/army/1294631775/

【ぐんじさんぎょう】,2011/06/19 20:20
を加筆改修

メヒコのギャング,パネェっす(笑)
faq110525mx.jpg
faq110525mx2.jpg
faq110525mx3.jpg
(こちらより引用)

Bernoulli in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2011年05月25日 07:29
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 第二次大戦時は,米大型艦の幅がパナマ運河を通行可能な幅となるように制限されましたが,今も幅は変わらないのでしょうか?

 【回答】
 第2パナマ運河計画とかは,海上輸送がコンテナ化して船と列車との貨物積替が楽になり,そのコンテナを二段重ねにして鉄道輸送するDoubleStackTrainが出来たので,わざわざ遠回りして運河を通らなくても,アジアから,またはアジアへの貨物は,大陸横断鉄道で東海岸から西海岸,西海岸から東海岸に輸送した方がコスト面で得になってしまい,今は頓挫している状況とのことですが….

眠い人 ◆gQikaJHtf2


目次へ

「別館A」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ