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総記FAQ目次


 【link】

「Financial Post」◆(2010/09/16) Brace for peak oil production by decade's end

「VOR」◆(2012/07/13)ナイジェリア タンクローリー車爆発・炎上 死者100人を超す

「VOR」◆(2012/08/25)ベネズエラ最大の石油加工工場で爆発 少なくとも7人死亡
「VOR」◆(2012/08/26)ベネズエラの石油工場で爆発,死者39名

「VOR」◆(2012/10/22)愛が「友好」に勝る
> ヴェードモスチ紙によるとロシア産石油を経済相互援助会議諸国に供給する世界最大の石油パイプライン「ドゥルージバ(友好)」のスロヴァキアとチェコの部分で,コンドームやゴム製乳首が詰まった為,稼働が停止.
> トランスネフチによると石油の流れを良くする為に加えられている添加剤を老いれる際に入った可能性があるとしており,ウクライナかベラルーシで故意に混入されたのではないかと指摘.
> これに対してベラルーシでパイプライン南支線を管理するオペレーターはヴェードモスチ紙の記事を否定し,技術的にパイプラインの中に何かが入る事はありえないとしている.

「VOR」◆(2012/11/04)フィンランド沖で環境災害 石油製品が大量に漏れ出す

「VOR」◆(2012/11/15)BPに 記録的罰金の脅威が迫る
> ロイター通信によると2010年に発生したメキシコ湾原油流出事故に関して,英石油ガス大手BPは米法務省との合意の枠内で,米史上最大の罰金を支払わされる可能性があり,それが今日にも発表される可能性があると伝える.

「VOR」◆(2013/03/14) OECD 原油価格1バレル270$になると予想!?

朝目新聞」●ひと目でわかる,アニメーションで説明したメキシコ湾・原油流出100日間  (of らばQ)

国際エネルギー情勢を見る目(113)高値圏での推移を続ける原油価格動向とその背景

「人民網」◇(2012/07/27)世界石油企業25社,サウジ・アラムコが首位 中国石油は5位

石油問題の"ウソの顔"(1)/養老孟司(東京大学名誉教授)

石油問題の"ウソの顔"(2)/養老孟司(東京大学名誉教授)

「ダイヤモンド・オンライン」◆(2013/09/13) 【橘玲の世界投資見聞録】ほとんど問題にされない巨大な経済格差,“法外な幸運”を享受する産油国の実態

「ナショナルジオグラフィック」◆(2010/06/14)エクアドル,石油“非開発”費用を要請

「日刊 アジアのエネルギー最前線」(2013/11/18)◆ The World's Biggest Oil Companies, 2013|Forbes
石油企業の順位は,シェールガスとオイルの出現で,どう変わるか

「日経」◯(2012/02/22) 原油需要,新興国が先進国を逆転へ 4〜6月 省エネ促す仕組み不可欠

『トコトンやさしい石油の本』(藤田和男監修,難波正義・井原博之・島村常男・箭内克俊編著,日刊工業新聞社,2007.3)


 【質問】
 石油資源の潜在能力の高い地域は?

 【回答】
 2010年現在の推定では,
1) サウディアラビアのGAWAR油田(推定1000億バレル)
2) 米アラスカのノース・スロープ油田350億バレル
3) サウディアラビアのKHURAIS油田(推定270億バレル)
4) イラクの西QURNA油田210億バレル
5) イラクのRUMALIA油田170億バレル
6) イラクのMAJNUN油田130億バレル
7) ベネズエラのカラボボ油田125億バレル
8) カザフスタンのKASHAGAN油田90億バレル
9) ブラジルのサントス.リオ沖油田80億バレル
9) イランのKHUZESTAN油田80億バレル

 【参考ページ】
「BRAZIL TODAY」


 【質問】
 現状の原油価格の最大の問題点は?

 【回答】
 2009/5/27のUPIによれば,28日に行なわれたOPEC(石油輸出国機構)の会議で,イランのノザリ石油相が
「原油価格は1バレル80ドル近辺が妥当.
 そうでないと採掘投資に回せない」
といったと伝えています.

 また,サウジ当局者が,
「もし新たな採掘投資戦略が見つからない場合,1バレル150ドルまで上昇する可能性がある」
と述べたとも伝えています.

 ちなみに現時点(090531 11:24)での原油価格は1バレル61ドル付近です.

 ⇒確か以前お伝えしたかと思うのですが,現状の原油価格の最大の問題点は,採掘技術にあまりに高額のカネがかかる点にある,という話を聞いたことがあります.
 採掘分野のイノベーション(技術革新)を図らない限り,原油の世界は先細りとなる気がします.

おきらく軍事研究会,平成21年(2009年)6月1日
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 世界で最初に,国外の石油資源の安全保障が国家の主要政策となったのは?

 【回答】
 1914年のイギリスが最初.
 以下引用.

------------
 20世紀初頭にディーゼル動力式の軍艦が登場して以来,石油は戦争の勝利に不可欠と見なされてきた.
 それ以前は,石油は概ね灯油用だった(エクソン,モービル,ロイヤル・ダッチ・シェルは19世紀,都市化の進むヨーロッパと北米に灯油を供給するために設立された).

 決定的転機が訪れたのは,1912年,海軍相時代のウィンストン・チャーチルが,軍艦の動力源を石炭から重油に転換する決定を下した時だった.
 これによりイギリスの軍艦は,速度と航続距離で敵国(とりわけドイツ)の蒸気船を大きく上回った.
 しかし同時に,イギリス政府は大きなジレンマにも直面した.石炭は国内にあったものの石油は殆どなく,ほぼ全面的に輸入に頼らざるを得なかったのだ.
 戦争の足音が迫って原油輸入の安定性が危うくなる中,イギリスは厳密に安全保障の観点から,政府が石油配給の権限を握る体制への移行を決める.
 イギリス議会は1914年6月17日,政府によるアングロ・ペルジャン・オイル・カンパニー(APOC)の経営権取得を承認した.
 ロンドンに本部を置くAPOCは,ペルシャ南西部で油田を発見したばかりだった.
 この議会の決定により,ペルシャにおけるAPOCの石油権益の保護が,イギリスの国家政策となった.

 かくして史上初めて,国外の石油資源の安全保障が,国家の主要政策となったのである.

------------(Michael T. Klare =「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事,「世界資源戦争」,廣済堂出版,2002/1/7, P.51-52)

 その直後の第一次大戦では,石油が戦争に必要不可欠な物資となり,両大戦間では対日石油禁輸措置に見られるように,国家戦略すら左右するものになったのは,周知のとおり.


 【質問】
 石油における政治問題の変遷と問題は?

 【回答】
 まずは,石油は複合相互依存,リアリズム両方に絡む問題となる.

 規則・規範・制度・枠組みのことをレジームと呼ぶ,
 これは,相互依存の枠組みの中で発生する.

 国際石油のレジームは,この数十年で劇的に変化してきた.
 1960年代には,主要石油消費国の政府と密接な関係を持った民間石油企業によって,寡占されていた状態だった.

 これについて,ナイ教授は以下のように分析している.

--------------------------------------------------------
 当時,石油は1バレル当り2ドルで売買され,時にセブン・シスターズとも呼ばれる7大国家的石油企業が生産量を決定してきた.
 石油価格は,これらの巨大企業の生産量と,ほとんどの石油消費量がなされる富める国々の需要によって決まった.
 脱国家的企業が生産量を決め,価格は富める国々の状況で決まったうわけである.
 国際システム内における伝統的な軍事力の観点から見て,最強の国々がこのシステムを動かし続けるために時折介入した.

 たとえば,1953年にイランで民族主義運動がシャーを打倒しようとした.
 それに対し英米が秘密裏に介入し,シャーを復権させたのである.
 こうして石油レジームはほとんど変化しなかった.
--------------------------------------------------------

 これに変化が起きたのは,1973年の石油危機からで,国際石油レジームは大きな変化をとげた.
 富裕国の市場だけで価格が決定されるんじゃなくて,産出国が産出量を決定し,これが価格に大きな影響を与えるようになった,
 富裕国から,比較的貧しい国に,とてつもなく大きな権力と富の移転が起きた.

 この石油危機に対して,アメリカではリアリスト達が予見していたように,ペルシャ湾の油田確保のための武力行使を検討していた.
 しかしながら,現実には武力行使を行うことなく,この問題に関するレジームは弱小国側有利と推移した.

 この変化に対して,ナイ教授は以下のように分析を行っている.

--------------------------------------------------------
 しばしばなされる説明は,石油産出国が団結して石油輸出機構(OPEC)を形成したことだ,というものである.
 この説明の難点は,OPECが1960年には形成されていたにも関わらず,劇的な変化が1973年までに起きなかったことである.
 [その間],OPECがあったにもかかわらず,石油価格は低下した.
 話はもう少し複雑だと言うことになる.
 [具体的に言えば]国際石油レジームのこのような変化の説明としては,3つの方法がある.
 第1は全般的バランス・オブ・パワー,第2は石油問題に関するバランス・オブ・パワー,そして第3が交際制度である.
 リアリスト[現実主義者]の観点からすれば,軍事力,とりわけ石油の主要石油輸出地域である,ペルシャ湾岸に関する軍事力に基盤を置くバランス・オブ・パワーの変化が重要となる

 2つの変化が,このようなバランスに影響を与えていた.
 ナショナリズムと脱植民地化の隆盛である.
 1960年には,OPEC加盟国の半数はヨーロッパの植民地であった.
 1973年までには,これら諸国はみな独立した.
 また,ナショナリズムの登場によって,軍事介入のコストもまた増大する.
 ナショナリズムに目覚めて植民地支配から解放さた民族に対し軍事力を使うことは,ますます費用がかかることになったのである.
 1953年に英米がイランに介入したときのコストは,それほど高いものではなかった.
 しかし,1979年にアメリカが仮にメジャーを復権させようとしても,とてつもないコストがかかってとてもできなかったであろう.
 すなわち,富める国々が1973年に介入して石油産出国を植民地化しなかった1つの理由は,ナショナリズムに目覚めた民族に対して軍事力を使うことのコストの高さに関係している.ということになる.
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<まとめ>

・石油は複合相互依存,リアリズム両方の側面に関係している.

・石油危機以前は,富裕国が石油の産出国よりも力をもっていて,石油価格を決定していた.

・1972年の石油危機では,その力の多くが石油産出国に移転していった.

・アメリカが石油産出国に対して軍事侵攻を行わなかったのは,それがとてつもないコストを伴うものであったからである.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第7章を参照されたし.

 ただし私見では,先進国は,代替エネルギーや燃費の節約,他の輸入国を見つけることによって,一定のアドバンテージは取り返したと思う.

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 【質問】
 アメリカとイギリスの力の変化が石油戦略に与えた影響とは?

 【回答】
 イギリス経済の衰退とともに,ペルシャ湾におけるプレゼンスも小さくなっていった.
 OPECが結成(1960年)されるくらいまでは,イギリスはペルシャ湾における「警察官」的な立場だったと言える,
 1961年にイラクが企図した最初のクウェート合併は,イギリスによって阻止された.

 だが,1971年までにイギリスの経済は弱体化し,国際的な防衛戦略を少しずつ縮小させていった.
 この変遷について,ナイ教授は以下のように述べている.

--------------------------------------------------------
 1971年には,かつて喧伝された「スエズ以東」の役割から撤退した.
 1974年に東地中海における大国としての役割を果たしえなくなった時と,やや似たような事態になったのである.
 1947年には,アメリカがギリシャ,トルコ支援に乗り出し,トルーマン・ドクトリンを策定した.
 しかし1971年には,アメリカが1947年のようにイギリスの肩代わりをするには,条件が悪すぎた.
 アメリカはヴェトナムの泥沼にはまり込んでおり,さらにペルシャ湾で大きな軍事的役割を引き受ける気持ちは到底持ち合わせてなかったのである.
--------------------------------------------------------

 その代わりに,ニクソンとキッシンジャー(国務長官)は,地域大国に大きく依存した戦略をとり,イランにその役割を求めた.
 イランを地域覇権国にすることで,イギリスが果たしていた役割を肩代わり(しかも安上がりに)させようとした.

 リアリスト的にみれば,石油レジームの変化を説明するに,全体的構造,特にバランス・オブ・パワーの変化に注目すべきと言うことになる.

 ただし,別の見方も存在する.
 全般的な軍事力ではなくて,石油問題に限定したパワーの分布に注目しようと言う見方だ.

 この見方について,ナイ教授は以下のように論じる.

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 この問題に関するパワーの分布には,重要な変化があったからである.
 アメリカは,かつて世界最大の石油産出国であった.
 しかし,1971年にアメリカの石油生産はピークに達する[以後低下する].
 以後,アメリカの石油輸入は増大し,アメリカにはもはや余剰の石油はなくなる.
 1956年と1967年2度に及ぶ中東戦争に際して,アラブ諸国は石油禁輸を行おうと試みたが,簡単に失敗に帰した.
 ヨーロッパがアラブからの石油を切断されると,アメリカは生産を増大させ十分な石油をヨーロッパに供給したからである.
 しかし,1971年にアメリカの石油生産がピークに達し,以後アメリカが石油輸入を行うようになると,石油市場をバランスさせる力はサウジアラビアとかイランといった国に移ったのである.
 アメリカは石油が足りなくなったときに埋め合わせをしてくれる.最後の頼りになる供給国ではなくなっていたのである.
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<まとめ>

・イギリスは,その国力の衰退とともに,ペルシャ湾におけるプレゼンスを低下させていった.

・アメリカは,それに対して,特定の地域大国にその役割を果たさせようとした.

・1971年以降,アメリカは,頼りになる最後の石油供給国ではなくなっていた.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第7章を参照されたし.

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 【質問】
 1973年以降の石油における問題は,どのように変化していったのか?

 【回答】
 これは,国際制度の役割変化,特に多国籍企業とOPECの変化に注目すべきだろう.

 アメリカ7大メジャーは,徐々に力を失いつつあった,
 1つには,石油産出国に「うまい儲け話」がなくなり,時代遅れになってきたことがある.
 多国籍企業が資源の豊富な国に新規投資を行う場合,共同利益のほとんどが多国籍企業に回るように取引を行うことが可能な場合がある,
 なぜなら,貧困な国にしてみれば,多国籍企業が資源を開発してくれるだけで,大きな利益になるからだ.
(それにそもそも,自力で資源を開発できない国が多い)

 貧困国にとってみれば,多国籍企業が利益の8割を持っていったところで,それ以前と比べれば,比べ物にならない利益になる.
 だから,早い段階で多国籍企業が,国際市場へのアクセスを独占してしまえば,多国籍企業が最も大きな分け前を取るようなことが可能になるわけだ.

 しかしながら,時間の経過と共に,無意識のうちに,慈善事業をやっているわけでもないのに,自分たちの人やノウハウなどの資源を移転していくことになる.
 これについて,ナイ教授は以下のように述べている.

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 たとえば現地人の訓練である.サウジの人々やクウェートの人々,そしてその他の人々が油田,汲み上げ基地,積み込みドッグの運営方法に習熟していき,またマーケティングの知識を身につける現地雇いの人も出てくる,といったことである.
 こうして貧しい国々は,大きな取り分を欲するようになる.
 多国籍企業は,それなら撤退すると脅迫することもできるが,そうすると,今度は貧しい国の側が,すべての経営を自分でやるからよいと脅迫をすることができるようになってくるのである.
 したがって,時がたつにつれ多国籍企業の,とりわけ天然資源を扱う多国籍企業の力は,受入国との取引において低下せざるを得なくなってくるのである.
 これが「時代遅れになった上手い話」である.
 1960年代から,1973年にかけて多国籍企業は意図せずして技術や技能を移転し,それによって貧しい国々に自ら石油生産に従事する能力を身に付けさせることになったのである.
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 さらに別の側面があって,新しい多国籍企業が石油市場に参加してきた.
 彼らは,7大メジャーではないにせよ,それでも大きな企業であった.
 彼らは,石油産出国と独自の取引を行った,
 この時点で,産油国側は,7大メジャー以外と商売ができるようになり,取引条件を選ぶ側になって,大規模多国籍企業の力を弱めることになった.

 また,国際制度の面からみれば,OPECのカルテル的役割もわずかではあるが有効になってきた.
 これについて,ナイ教授は以下のように分析している.

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 供給を制限するカルテルは,石油産業において長い間,当たり前の現象であった.
 しかし,かつてこれはセブン・シスターズの間の民間取り決めであった.
 カルテルは一般的には困難がある.
 とりわけ市場がゆるく価格が下がっている時には,生産割当てをごまかそうという誘因が働くからである.
 カルテルが最も上手くいくのは石油不足の時なのに対し,石油余剰がある時には,どうしても自らの石油を売るため価格を下げて市場のシェアの大きな部分を獲得しようとするのである.
 こうして時がたつにつれて,カルテルは骨抜きになってしまうのである.

 OPECは,民間の手から石油産出国の手にカルテルを移行させようと言う試みだと見ることができる.
 その初期において,OPECがその力を振るうことは困難であった.石油が余っていたからである.
 石油余剰が続く限り,OPEC諸国は市場シェアを求めて協定無視に向かう誘因に駆られた.
 設立された1960年から1970年代初頭にかけてOPECは価格統制を維持できなかった.
 しかし石油不足が発生すると,石油生産者の取引力を調整するOPECの役割は増大することになったのである.
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<まとめ>

・石油7大メジャーは,徐々にその力を失ってきた.

・原因として,貧困国への人・技術の移転が起こったこと,他の多国籍企業が参入し,独自取引を始めたことがある.

・OPECは,1970年代から,カルテルとしての力を増大させてきた.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第7章を参照されたし.

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 【質問】
 1973年のヨム・キプール戦争は,石油価格にどのような影響を与えたか?

 【回答】
 まず,これによってOPECの発言力が増大した.
 ヨム・キプール戦争に際して,OPECは政治的な理由から,石油供給を削減したが,これが結果的には,OPECが有効に機能する状況を生んだ.

 イランはアラブ諸国というより,アメリカの手先となって,ペルシャ湾の警察と言う役割を果たしていると思われていたが,シャー(国王)は,石油価格を4倍に引き上げ,これにOPEC諸国が追随することになった.

 市場の原理があるから,永久に価格を引き上げることはできないが,OPEC連合の効果として,石油価格が下がりにくくなったことも確かである.

 ナイ教授は,これを「制度的な要因」から分析している.

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 重要な制度的要因としては,危機に際して「苦痛を平準化する」という役割を石油企業が果たしたことがあげられる.
 危機のある段階でヘンリー・キッシンジャー国務長官は,アメリカが「首を絞めあげられる」ような武力を使わざるを得なくなるかもしれない,と語った.
 貿易で取引される石油のうち15%が削減され,アラブのアメリカ向け輸出は,禁輸で25%低下した.
 しかしながら,石油企業は,どこかの国だけが他国より損害を被ることがないような措置を取ったのである.
 石油企業は,世界で取引される石油を再分配したのである.
 アメリカはアラブからの石油輸入が25%低下したが,こうして禁輸による苦痛は平準化され,富裕国のすべては石油の7-9%の現象と,「首を締め上げられる」段階よりずっと下の段階で済んだ.
 このため経済紛争は軍事紛争に至らなかった.
--------------------------------------------------------

 で,なんで石油企業がこんな行動をとったかというと,長期的な利潤を最大化しようとしたからで,このために,市場へのアクセスと価格の安定を重視した.
 多国籍企業は,特定の国で販売を拒否した場合に,その国の国有化政策を取られると企業としては困るからだ.

 イギリスのエドワード・ヒース首相は,BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)の社長に対して,イギリスにのみ石油を売るよう要求したが,これを受け入れることは,他国でBPは国有化されてしまって,その時点でBPの命運は尽きてしまう,と述べて,これを拒否した.
 石油企業は,長期的な利潤を極大させるため,1国が苦痛を集中的に受けることを防止し,市場を安定化させることを企図したのでである.

 こういうふうに「絞殺」の脅威を低下させることによって,これら企業は武力が使われる確率を低くさせた.
(決して事前目的ではない,当然だが)

 石油をめぐる問題について,ナイ教授は,リアリズムと複合的相互依存,両方の理念を用いて,以下のように述べている.

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 まとめてみると,石油はリアリズムと複合的相互依存という2つの理念型の間に入る問題の特徴をよく示している,と言える.
 また1960年の石油レジームと1973年以後の石油レジームの間の劇的な相違は,3つの次元の変化,すなわち全般的バランス・オブ・パワー,問題ごとのパワーの構造,それに石油領域における制度のそれぞれに起こった変化によって説明されることが分かった.
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<まとめ>

・ヨム・キープル戦争は,OPECの影響力を増大させた.

・石油企業が「長期的利潤を最大化させる」ことを目指したため,石油に関する問題で,武力行使が行われる可能性が著しく低くなった.

・石油の問題は,リアリズムと複合的相互依存の中間に位置する問題で,これら二つの問題を比較するのに適している.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第7章を参照されたし.

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 【質問】
 1973年の時点で,石油はどれだけ影響力があったのか?

 【回答】
 まず,1973年の時点では「石油」は巨大なプレゼンスを有していた.

 アラブ諸国は,生産削減と,イスラエルの友好国に対する石油禁輸措置によって,石油問題をアメリカの政策課題のトップに押し上げるほどの影響力を持った.
 さらに,一時期,日本やヨーロッパとアメリカの同盟関係に動揺を与えた.(フランスと日本が,石油供給を確保するため,独自路線をとったため)

 「武器」の側面でみると,石油は,ヨム・キープル戦争において,アメリカがアラブとイスラエルの紛争解決工作において,よりアラブ側に融和的な役割を取るようになったことでも,大きな力になった.

 だが,石油という武器は,アメリカの対中東政策を転換させるほどの影響力があったわけではなかった.
 ナイ教授は以下のように述べている.

--------------------------------------------------------
 アメリカ人が,イスラエルとの同盟を突然切り替え,アラブの大儀を支持するようになるなどと言うことはなかった.
 石油は,確かにある程度の効果をもったパワーの源泉であったが,アメリカの政策転換をもたらすほど強力なものではなかったのである.
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 また,なぜ石油がそこまで強力な武器ではなかったかについては,相互依存のアプローチから分析を行っている.

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 石油と言う武器は,なぜそこまで強力ではなかったのであろうか.
 相互依存の相互性(receiprocity)に,答えの一部が隠されている.
 サウジアラビアは石油市場の基軸国となっていたが,アメリカへの投資額も巨大なものがあった.
 もし,サウジがアメリカ経済に損害をあまり出してしまうと,自らの経済的利益を害することにもなったのである.
 それに加えてサウジアラビアは,安全保障面でもアメリカに依存していた.
 長期的に言って,アメリカのみがペルシャ湾地域のバランス・オブ・パワーを保つことのできる国であり,サウジの人々はそれを知っていたのである.
 そのため彼らは,石油という武器をどこまで使うかについては慎重であった.
--------------------------------------------------------

<まとめ>

・1973年の時点では,石油は巨大な力を有していて,それはアメリカの政策課題のトップになるほどであった.

・石油の影響力をつかって,アラブ諸国は,イスラエルとの和平交渉にアメリカをより融和的な方向に導くことに成功した.

・ただし,アメリカの対中東政策を転換させる力は有していなかった.

・さらに,石油の基軸国であるサウジアラビアが,自らの経済的損失を鑑みて,それほど強硬にでなかった.

 詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣,2005.4),第7章を参照されたし.

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 【質問】
 塩前石油とは?

 【回答】
 前塩層と呼ばれる地層の底に含油されている石油.
 2009年,試掘が開始されたサントス沖の塩前油田ツピー&ララBM-S11の場合,この付近の海底は水面下2キロから始まり,最初は数百メートルの後塩層があり,この後,7キロから8キロの前塩層の底に石油・ガスを含む含油層が存在する.
 発見された油田にはBM-S8から始まり,BM-S52に到るまで番号が付けられており,ツピーララBM-S11と名付けられた油田は,西方から2番目.
 海底まで2,000キロ,油層までは更に7キロから8キロの深度,石油に換算して50億バーレルから80億バーレルのストックと予想されている,
 これに対する投資は2013年までにサントス海盆に必要な投資は11プラットフォームは11基,総額186億ドルと見積もられているという.

 【参考ページ】
BRAZIL TODAY 2009/05/04(409号)


 【質問】
 非在来型石油資源って何?

 【回答】
 油田として存在する石油以外の石油資源のことで,アスファルトの黒い塊のような形で存在する.
 カナダのオイルサンド,ベネズエラの超重質油,オイルシェールなどが知られている.
 非在来型石油資源の総資源量は,6兆バーレル以上存在するといわれる.
 非在来型石油資源は採掘方法が汎用化されていないため,商業化が難しいとされているが,今後,原油価格上昇
(国際エネルギー機関(IEA)の田中伸男事務局長によれば,非在来型石油資源への投資を促すには、原油価格が1バレル=70〜90ドルで推移する必要があるという)
や技術開発によっては,将来の有望な資源となる可能性を秘めている.

 【参考ページ】
『原子力発電がよくわかる本』(榎本聰明著,オーム社,2009.3),p.13
http://www.rite.or.jp/Japanese/labo/sysken/about-global-warming/download-data/DNE21+_PrimaryEnergyProduction.pdf
http://news.www.infoseek.co.jp/reuters/world/story/02reutersJAPAN179590/
http://www.noe.jx-group.co.jp/binran/glossary/jp_ha/hi1.html
http://www.happycampus.co.jp/docs/983431277601@hc06/61301/

【ぐんじさんぎょう】,2010/12/18 20:40
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