c
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
◆◆戦争根絶
<◆戦争と平和
<総記FAQ目次
(朝目新聞より引用)
「FSM」◆(2010/04/12)第9地区
後半は,バーネットの新地政学論について.
> 主張をものすごーく簡単に言うと,世界はコア(都会:中央)と
>ギャップ(田舎:周辺)があり,世界の紛争の大半はギャップで発生している.
> だったらグローバル化を推し進めて,世界中のギャップを
>コアしちゃえば紛争がなくなるんじゃねーの!ということだ.
「Togetter」◆(2011/01/24)「人間の盾」作戦の可能性と限界( #futenma )
「愛・蔵太」■[ネタ]「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という幻想について
「リアリズムと防衛を学ぶ」◆(2010-12-20)経済で戦争は防げるか――『The Costs of Conflict』
【質問】
みんなが平和を願えば,戦争はなくなるんじゃないの?
【回答】
望むだけでは平和になりません
他国を攻めるのは自国の意思で防げますが,他国が自国に攻めてくるのを防ぐには,残念ながら防衛力しかありません.
以下,スイス政府編『民間防衛』(原書房,1995)より.
〜〜引用開始〜〜
世界とともに平和に生きることを欲しないスイス人があろうか.
戦争を非としないスイス人がいるだろうか.
われわれが軍隊を国境に置いているのは,他の国がわれわれを平和に生きさせておいてくれるためである.
人類の幸福は,われわれにとって重要なことだ.われわれは力の及ぶ限りそれに貢献している.たとえば赤十字の活動,開発途上国に対する援助,戦争状態にある国の利益代表など.ところが,現実はこのとおりである.
それを知らないとしたら,われわれは,お人好しであり,軽率だということになるだろう.われわれを取り囲む国々が武装し続ける限り,われわれは国家の防衛を怠ることはできない.
ヨーロッパで対立する交戦国によるスイス攻撃の可能性を,われわれは,最近の二つの大戦の経験にかんがみて,よく考えなくてはならない.
潜在的は敵を仮定−−その宣伝文句に基づいて判断することは,たとえその宣伝文の中に,聖書の文句が引用されていようとも,できないことだ.われわれは,にせ平和主義者たちが,武装するのをやめないでいることを確認している.われわれの信念は誠実なものである.われわれは,だれ一人殺そうとするつもりはないが,ただ正当防衛を確保しなければならぬ.
われわれが武器を使用せざるをえないようなことがないように!われわれは,これ以上に真摯な願いを持たない.
〜〜引用終了〜〜
また,同書では,ある全体主義国家が民主主義国家を攻撃する場合,実際の軍隊を動かす前にまずは武力を伴わない心理戦・情報戦を仕掛けると書いてあります.
具体的には,全体主義国家から民主主義国家にスパイ活動を行う工作員を主要箇所にもぐりこませるのです.
どのような場所なのか,またどのようにして賛同者を増やしていくのか方法が書いてあります.
また,どのような人間が工作員に騙されて賛同者となってしまうかも参考になります.
−−引用開始−−
ヨーロッパ征服を夢みる,ある国家の元首が,小さなスイスを武器で従わせるのは無駄だと判断することは,だれにも納得できる話である.
単なる宣伝の力だけでスイスをいわゆる「新秩序」の下に置くことができると思われるときに,少しばかりの成果をあげるために軍隊を動かしてみたところで,何の役に立つだろうか.
国を内部から崩壊させるための活動は,スパイと新秩序のイデオロギーを信奉する者の秘密地下組織をつくることから始まる.
この地下組織は,最も活動的で,かつ,危険なメンバーを,国の政治上層部に潜り込ませるようとするのである.
彼らの餌食となって利用される「革新者」や「進歩主義者」なるものは,新しいものを待つ構えだけはあるが,社会生活の具体的問題の解決には不慣れな知識階級の中から,目をつけられて引き入れられることが,よくあるもんだということを忘れてはならない.
数多くの組織が,巧みに偽装して,社会的進歩とか,正義,すべての人人の福祉の追求,平和という口実のものに,いわゆる「新秩序」の思想を少しずつ宣伝していく.
この「新秩序」は,すべての社会的不平等に終止符を打つとか,世界を地上の楽園に変えるとか,文化的な仕事を重んじるとか, 知識階級の耳に入りやすい美辞麗句を用いて・・・・・.
不満な者,欺かれた者,弱い者,理解されない者,落伍した者,こういう人たちは,すべて,このような美しいことばが気に入るに違いない.
ジャーナリスト,作家,教授たちを引き入れることは,秘密組織にとって重要なことである.
彼らの言動は,せっかちに黄金時代を夢見る青年たちに対して,特に効果的であり,影響力が強いから.
また,これらのインテリたちは,ほんとうに非合法な激しい活動はすべて避けるから,ますます多くの同調者を引きつけるに違いない彼らの活動は,”表現の自由”の名のもとに行われるのだ.
−−引用終了−−
戦争なんて,日本人なら誰も望んでいません
しかし,その心を利用されないように気をつけなければならないのです
スイス政府がスイス国民に配布していた『民間防衛』という本に一度,目を通してみてください
一部抜粋します.
−−引用開始−−
外国の宣伝の力
国民をして戦うことをあきらめさせれば,その抵抗を打ち破ることができる.
軍は,飛行機,装甲車,訓練された軍隊を持っているが,こんなものはすべて役に立たないということを,一国の国民に納得させることができれば,火器の訓練を経ることなくして打ち破ることができる・・・・・・.
このことは,巧妙な宣伝の結果,可能となるのである.
敗北主義−−それは猫なで声で最も崇高な感情に訴える.−−諸民族の間の協力,世界平和への献身,愛のある秩序の確立,相互扶助−−戦争,破壊,殺戮の恐怖・・・・・・.
そしてその結論は,時代遅れの軍備防衛は放棄しよう,ということになる.
新聞は,崇高な人道的感情によって勇気付けられた記事を書き立てる.
学校は,諸民族の間との友情を重んずべきことを教える.
協会は,福音書の慈愛を説く.
この宣伝は,最も尊ぶべき心の動きをも利用して,最も陰険な意図のために役立たせる.
−−引用終了−−
以下,藤原帰一氏の『「正しい戦争」は本当にあるのか』より.
----------------
「何度も言いますけど,平和っていうのはそんな観念よりも具体的な,目の前の戦争をどうするか,戦争になりそうな状況をどうするかって問題なんです.
平和主義を守るか守らないかってことよりも,具体的な状況のなかで平和を作る模索が大事だって思ってます.
一言いっておきたいんですけど,平和って,理想とかなんとかじゃないんです.
平和は青年の若々しい理想だとぼくは思わない.
暴力でガツンとやればなんとかなるっていうのが若者の理想なんですよ.
そして,そんな思い上がった過信じゃなく,汚い取り引きや談合を繰り返すことで保たれるのが平和.この方がみんなにとって結局いい結論になるんだよ,年若い君にとっては納得できないだろうかもっていう,打算に満ちた老人の知恵みたいなもんです」
ちなみに,〔藤原は〕政治家同士が国民に内緒で暗黙でやりとりをすることを真に支持するのではなく.表面的なパフォーマンスや耳障りの良いスローガンに頼らず,常時は地道に段階を踏んでいって,緊急時には感情的な世論に流されずに,専門的な情報とノウハウの蓄積をベースとした,密度と実効性のある交渉を行う姿勢が目指すものであり.国民がその情報を得てしっかりと吟味し,見守り,間違いがあればちゃんと記憶しておいて選挙に反映させることができること.
それが,彼の前提であり,本意での理想であるのだと思います.
▼ また,実際にセンチで取材に当たってきたカメラマンも,
「その地の人たちが戦いをやめようとすれば,戦いは終わる」
というのは幻想に過ぎない旨,述べている.
以下引用.
――――――
紛争地の取材を始めた頃,ぼくは
「その地の人たちが戦いをやめようとすれば,戦いは終わる」
と信じていました.
しかし,一つ一つの戦いを時間をかけて見続けていくうちに,そんな単純なものではないと思うようになったのです.
内戦下のエル・サルバドルで,幼いとき政府軍に両親を殺され,仇を討とうとゲリラ兵士になって10年以上,戦いをしていたフランシスコという若者に出会いました.
「山間部を移動中,従軍看護婦だった彼女も爆撃で死んだ.
戦いの中で,心が安らいだことは一度としてなかった」
という彼は,
「戦いを経験した人なら,二度と戦いの場に戻りたいと思わないはずだよ」
と言いました.
誠実な人柄でしたが,その表情に喜怒哀楽があまり浮かばないのも,長い戦いの生活のせいだったのかもしれません.
アフガニスタンで5年ぶりに再開したイスラム戦士は,ぼくを見るなり,
「なぜ,こんな国にまたやってきた?
いつまでも戦いが終わらないような野蛮な国に…」
と言いました.
その物言いをいぶかるぼくに,彼は
「自分は戦うことしか学んでこなかった」
と続けたのです.
戦争の中でしか生きてこられなかった彼の無念さがにじんでいました.
テレビでよくニュース・キャスターが
「戦争はいけないのに,どうして愚かな戦いを続けるのか」
と言うのを聞きますが,戦いの中にいる彼らこそ,戦いを真っ先に止めたいと願っているのです.
砲弾が落ちれば,自分の家族や友人が傷つき,家が壊され,そして銃撃が当たって死ぬのは自分なのです.
実際に戦っている人が戦いをやめたいと願っているのに,どうして戦いが続くのかを考えなければ,本当に戦争を止める力にはなりません.
〔略〕
戦いの中に生きていれば,そこから逃れることはできないのです.
そんな生活を望んでいる人などいません.
誰もが平和に生きたいと願っているのです.
ぼくが,そうわかるようになるまで長い時間がかかりました.
マスードに,
「どうして,いつまでも戦いが終わらないのか」
と問い詰めるように聞いたこともあります.
彼は苦しそうに,
「戦いは必ず終わる」
と言うだけでした.
戦いをやめられず一番苦しかったのはマスードでもあったはずなのに,です.
――――――長倉洋海著『ぼくが見てきた戦争と平和』(バジリコ,2007.5.15),p.175-178
以上を総合して考えるに,結局のところ,
「具体策を伴わない願望は決して叶わない」
ということに集約されるのではないかと.▲
【質問】
国境がなくなれば,世界は平和になるのでは?
【回答】
良くあるのは村から県,県から国家へ統一されたのだから次はきっと云々,という理論.
しかしながら,単細胞生物から複雑化した生物も,高度になるに従って巨大化したのだから,どんどんでっかくなるのだ,と言い切るのもどうかと思います.
実際には限界があり,巨大過ぎた生物は死滅したように,規模の大きさには限界があることを理解すべきです.
良い例はソ連とかですね.
世界統一論の例としてEUを持ち出す人も居ますが,実際はEU内での綱引きは大変なものですし,EUに入りたくても入れて貰えない国もあることに目を向けないのは片手落ちですね.
国家の看板とは,言い換えれば「面子」になります.
「面子」が潰されれば,国際問題となります
「面子」を認めないと,戦闘状態になることもしばしばです.
パレスチナ問題は,アラブ諸国がイスラエルを認めないのとイスラエルが,パレスチナにおけるアラブ人国家を認めないところが原点.
〔略〕
私は国家の「面子」を,人間の欲望や業のような原罪の側面と,アイデンティティとして欠かすことが出来ない要素という両面性で捉えます.
これからも国家という単位で世界が存在するなら,〔EU見たいな国家連合の形態を含む〕この「面子」という問題は,避けて通れないでしょう.
(「面子」が国家としてのポリシーや尊厳に大きくかかわっているのも事実なので,一概に悪とは言えない・・・)
〔略〕
独立した組織の「面子」を尊重しつつ,対立も上手に回避し,平和な時代を築いた英雄がいます.
その名も・・・「徳川家康」です.
(何故か,反戦家の間で名前が挙がらない・・どうしてかな?)
徳川家康は,元和堰武政策で諸大名の軍事力と自治を大幅に認めつつ,約300年の平和の礎を築きました.
そのパワー・バランスの妙と政治体制(集団合議制度,富と権力の分離,大名の国替,お手伝い普請等)は現代社会でも見習うべきではないでしょうか?
もしも「世界政府」が現実になったときは,徳川幕府がモデルケースとなることでしょう.
〔ただし〕私は,別に江戸幕府の政治体制をそのままで現代社会で使えるとは思っていません.《当然!!》
現代から見れば不充分な点も数多くあることは事実です.
(反対に現代社会がどれだけ完全な社会なのだろうか?)
(現代社会で必須な思想「自由,平等,人権」に対する配慮が足りないからだろうか・・)
しかし,江戸幕府の成立については面白いことに,過去の為政者達の成し得なかった各種の政治問題を見事に解決したという凄さがあります.
効果的な政策には必ず影の部分があります.その影だけをクローズアップしても真実は隠されます・・・
●1.宗教戦争の撲滅
江戸時代を通じてあれほど過去の為政者たちを苦しめた宗教戦争が無くなった.
各地で勃発した一向一揆は姿を消し,島原の乱以降では,宗教戦争は一切見られなくなった.
キリスト教の禁教令は悲劇も生んだが,日本国内で宗教的対立を生まない下地を作ったという点では評価できます.
(一つの国に相容れない宗教の存在は,大きな戦争原因)
国内において戦闘状態をなくすため一番の施策は,武力蜂起する思想をなくするのが効果的といえます.
(一時の暴発ならそれを持続する根拠に欠けるので,それが恒常化することにはならないという理屈)
当時の武力蜂起を理論的に補足したのが「一向一揆」と言えます.
「一向一揆」は加賀の国において93年間も国を実効支配したのですからその凄さか判ります.
(有名な山城の国一揆はわずか8年間の自治でした)
その一向宗という爆弾と戦わずして協力し,その牙を抜く方法を選んだのです.
(現在,本願寺派が東西に分裂しているのはそのため)
つまり強大すぎる勢力は分断する.
危険な思想を根絶やしにするのではなくその無力化を図る.
ここに目的があったのです.
その他にも「宗門改め」や「寺請制度」(檀家制度の始まり)などによって,次第に国家権力と対抗する勢力であった宗教勢力は,権力機構に組み込まれ,一部においては行政機能さえも持つようになったのです.
(葬式仏教と言われるようになったのはこの頃から)
キリスト教の弾圧についても,以上の流れを充分に理解しなければ,当時の為政者達の苦悩や決断は理解できません.
当時のキリスト教は,毒饅頭でした.
食べればおいしい(貿易による利益).
でもその思想性はあの一向宗よりも恐ろしい・・・・(後ろ盾は,海外勢力・・)
最初は毒饅頭の毒抜きに苦心しましたが,それは結局効果的ではありませんでした・・・
(武士だけの禁教令や宣教師の入国禁止など・・)
そんな中で,平和のためには,貿易による利益を大幅に減らしてもそれを良しとしたのです.
(鎖国というのは為政者にとっても大きなリスクだったのです.)
キリスト教の弾圧政策を批判するのは簡単ですが,それを決断するに至った過程や背景についてキチンと検証しなければ,本当の意味で歴史に学ぶと言うことは出来ないのではないでしょうか?
宗教が持つ麻薬性と陶酔感は,多くの人を救う一方で,集団真理に陥った際に大きな平和への障害となります.
江戸幕府は,その全ての勢力を弾圧しませんでした,
その中の多くの勢力と妥協し,その中の反社会性という毒を除くように腐心し,どうしても困難な勢力に対してのみ弾圧という非情の策を選んだと言えます.
(どうしてキリスト教が弾圧されねばならぬのかその答えは・・・中南米にいくらでも好例があります.)
本当に平和を大切と思うなら・・時として非情な決断が・・
貴方にそれが出来ますか?
●2.戦国時代に大きくなりすぎた軍事力と武士のリストラに成功
戦国時代の終結と言っても武士が突然農民になったわけではありません.
その有り余るエネルギーのリストラと捌け口は,困難な政治課題でした.
それを徳川氏は,軍事力の存在は認めつつ,それを無力化若しくは力を発揮できない状況に追い込むことで,自然にその力を減少させました.
数多くのお手伝い普請,天下普請はその好例!!
●3.尊重された地方自治
日本全国に存在した300諸藩,これらは全て独立した国家でした(譜代大名の一部は違いましたが・・).
何しろ,藩札という紙幣発行や独自の殖産興業を行う藩も沢山ありましたし,藩校などの文教施策も各藩が独自に行ったのです.
そんな中でも最低限の秩序と治安の維持という義務を各藩に義務付け,それにそぐわない藩は改易されました.
(改易と言っても別に大虐殺はありませんから《念のため》)
取り合えず,この三つを紹介します.
考えてみれば現代社会の戦争の原因となりえる
1.宗教問題2.過剰軍備3.民族自決
の三つの難問をクリアした江戸幕府に注目するのは得策と思料します.
もう一度繰り返しますが・・・
江戸幕府成立時の施策をそのまま現代社会での諸問題解決に寄与するわけではありません!!
しかし,当時の政治問題に対して一定の回答を導き出し,そして結果として300年間の平和という成果を出したのが徳川家康なのです.
彼の諸問題を解決させるときの姿勢や決断こそ,我々が学ぶべきことなのです.
(個別にあれが駄目,これは非人道的というのはいかにも評論家的発想ですね・・・・)
過去の為政者が何を悩んでどのように対応したか.
それを学ぶのは有効ではないでしょうか?
現代社会に直接は参考にならなくても,検証することは大切だと思います.
少なくとも300年間の平和という成果を出した.
このことはその功罪を検証する価値があると思います.
江戸時代には,高度な無力化や危険思想の除去を行っていたという事実と反対に,パワー装置による弾圧も同時進行で行っていたということを説明したかったのです.
あと蛇足ですが・・・進歩とは・・過去の美点の切捨てになった点も数多くあります・・・
若しくは,当時は一度切り捨ててしまったけれども,現代になってもう一度必要とされるものもあります.
そうした点を検証するためにも,過去を知ることは無益ではありません.
【質問】
日本国憲法第9条のような条項のある国同士は,戦争しないのでは?
【回答】
まず,自衛権という自然権を放棄する国はありません(公理)
そして,利害対立が起こっていて双方が自分の正義を主張する場合,やはり戦争が起こります.
よって,その推測は成り立ちません.
消印所沢 in mixi
青文字:加筆改修部分
▼ 【反論】
この回答は回答になっていないと思うんだが…
特に,公理として国家が自然権を有するとしているが,国家が固有の権利として自衛権を有するとの考えに対しては,
――――――
自衛権は「国家固有」だからそもそも放棄不能なものだという議論がある.
この主張は,個人の正当防衛になぞらえて,その様に説かれるが,近代立憲主義の立場に立つ解釈態度からすれば,「固有」の自明性を主張できるのは,人権主体としての個人だけであって,集合体としての国民も,それと同じ様に説明される国家も,憲法によって明示的に与えられた権利・権能を持つに過ぎないはずである.
少なくとも,自衛権が国家に「固有」なものだという主張は,論証を要しないほど自明なものではない.
――――――
という指摘(樋口陽一『憲法<改訂版>』,創文社,2001年)137〜138ページより抜粋)があるように,公理とまではいえないんじゃないか?
少なくとも何らかの価値判断を行い,憲法から自衛権の根拠を導き出す必要性があるんじゃないか?
この指摘が間違っているとしても,国家が自然権を有するとしても,自然権ないし社会契約論に否定的な立場の人間からは,公理とはいえないと思うんだが.
名無し3等兵 in FAQ BBS,2009年6月30日(火)
23時39分
青文字:加筆改修部分
【再反論】
少なくとも国際法上は,「武力攻撃を受けた国が反撃する権利」は,固有のものとして認められているかと存じますが?
国連憲章51条を参照していただければ幸いです.
また,2005/3/21に発表された国連事務総長報告では,国際法的に認知されうるべき先制的自衛権の「範囲」にまで踏み込んだ言及がなされており,そのことからも,自衛権自体は固有の権利として国家に認められていると解するのが自然でしょう.
なお,上智大学教授,村瀬信也氏は,武力行使,自衛権,法執行活動,平和維持活動といった問題については,関連の国際判例があるので,これらを踏まえて議論することが必要である旨,述べておられます.
詳しくは『ジュリスト』,2008.2.1号,p.92-93を参照していただければ幸いです.
消印所沢 in FAQ BBS,2009年7月1日(水) 22時5分
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
マクドナルドのお店がある国同士は,戦争しないって,ホント?
噂...でしょうけど....マクドナルドのお店がある国同士は,戦争しない.って聞いたことがあります.
・実績として真実なのだろうか?
・それは,どうして?
・ほんとだとすれば,世界平和につながる道になる?
...って,どう思いますか?
まる3
【回答】
残念ながらその説はガセですね.
WIKIによると,
――――――
マクドナルドの標準化は,同時に生活様式や経済活動のグローバリゼーションを意味した.
トーマス・フリードマンは,「マクドナルドのある国同士は戦争を行わないだろう」と予言した.
この予言は,アメリカのセルビア爆撃によって破られた.
――――――
因みにこれを言ったフリードマンは,新自由主義のプロパガンダを開発した人物シカゴ学派のミルトン・フリードマンとは別人ですが,グローバリズム万歳論者でもあるようです.
みやう?
事実として,西側世界間で起きた戦争はフォークランド戦争(紛争)の一件のみ,というのがあります(多分)
(当時のアルゼンチンを西側と見なしてよいかどうかには,疑問の余地もあるが)
西側で発達した経済圏/網は
”戦争吹っかけて勝って賠償金ウハウハ”
という戦争経済を否定しています.
戦争するより貿易した方が”儲かる” ワケです
今,中国に外国資本が雪崩れ込んでいますが,これも一昔前であれば,資本の替りに軍隊が雪崩れ込んで(まあ中国とて抵抗するでしょうけど),各国が権益を追求する形となるでしょう.
そういう意味では”植民地”支配ももう流行りません.
同じく経済面から非効率であるからです.
様々な媒介を経ながらの実質資本運用より当然,資本を直接運用した方が”儲かる”
ワケです.
ここらへん,田中明彦先生の「新しい中世」という本がいいこと書いてあるのでお奨めです.
参考:田中先生HP「田中明彦研究室」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/
伊茶門司
以上,mixiより
青文字:加筆改修部分
▼ ですが,ポール・ホースト「戦争の経済学」によれば,1999年のNATO軍によるコソボ爆撃は,内戦への国際的介入であり,またユーゴスラビアはNATO連合軍に反撃できなかったので,NATOの作戦もこの理論の反例とはいえない,とのことです.
つまり宣戦布告をしたものではないため,反例として不十分ということです.
この「金のアーチ理論」は社会学の仮説ですから,多少の「疑問」は出たものの,おおむね当たっているという評価もあります.
一応参考までに.
luwak in FAQ BBS,2009年6月20日(土) 3時57分
青文字:加筆改修部分
▲
▼ 【反論】
英語版Wikipediaには,コソボ空爆以外の反証もあります.
・南オセチア戦争(2008年)――マクドナルドができたのはロシアが1990年,グルジアが1999年
以下は戦争をどう定義するかにもよるが
・パナマ侵攻
・カルギル戦争とカシミール紛争
また,以下はマクドナルドができたからといって,戦争を止めさせる事ができない例(対偶命題が真ではない例)
・レバノンとイスラエル――1973年来,2006年のレバノン戦争など戦争状態が継続している.マクドナルドができたのはイスラエルが1993年,レバノンが1998年.
バグってハニー in FAQ BBS,2009年7月1日(水)
14時18分
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
言論の自由が戦争を遠ざけることは,間違いないのでは?
【回答】
ん〜 云われてみれば,そのような気もしないではないのですが……
でもね,例えばルワンダの話だ.
1994年に起こった,フチ族によるツチ族の虐殺の一因になったのは,ラジオで行われていたツチ族を誹謗中傷し,民族対立を煽る放送だったワケで,もしコレを政府が規制 (言い方を変えれば 『弾圧』) しておけば,あそこまで酷い事態にはなってなかったのでは? と私は考えますしね.
んで,日露戦争の話.
開戦前,新聞は対露開戦派と対露開戦回避派に別れていたワケです.
当初,規模的には半々ぐらいでした.
当時の日本政府首脳部は表立って意思表示はしてなかったものの,腹積もりとしては 『対露開戦回避』 だったんだわさ.
国力の差を冷静に考えると,ど〜考えても勝ち目がないからね.
でも,だからと云って,政府は 『対露開戦派』 を弾圧するワケではなく,両者の動きを静観してたワケなんだけど,気がつけばいつの間にか 『対露開戦派』 が主流を占めるようになり,それが対露開戦の主因になったワケで……
あと,ワイマール共和国の話.
第一次世界大戦後のワイマール共和国では,フリーパスに近い状態で言論の自由が認められていたワケで,フリーパスに近い状態であったが故に,極右勢力であるナチ党の伸張を許す一端になったワケで……
そう考えると,言論の自由があったとしても,戦争を遠ざける要因にはなってないような気が……
むしろ,戦争を呼び寄せているような気が……
『言論の自由』 と云うのは,民主主義と云う木を育てる栄養剤であることは間違えないでしょう.
多種多様な意見が集まって,で,そこからベターなモノを選択していくものですから.
でもね 『言論の自由』 は,ヒトラーのようなモノや,ルワンダ虐殺のようなモノを生み出し,木自体を腐らせ兼ねない劇薬でもあるわけだわさ.
(現実問題として,どんなに 『言論の自由』 が保障された社会でも,その 『言論の自由』 によってもたらされた情報を受け取る側が,自分の主義主張に合った意見以外,オフミットしてしまうコトは多々あるわけでして……
となると,最終的に頼るところは,最もアテにならん 『個人の良識』 か……)
だからね,薬の使用は医師,薬剤師に相談し,使用量,用法を守り,正しく使いましょう! (w`;
まぁ,藤原との付き合いが長い人は分かっていると思いますが,
【藤原の特技】
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・(・・)・) < 揚げ足取り!
/JベタJ \__________
ベタ藤原 in mixi,2007年07月22日08:26
青文字:加筆改修部分
【珍説】
戦争は人間の理性をも破壊する行為だが,たとえ戦場にあっても,やってよいことと悪いことがあるのだと,昔から認識されていたし,今ではちゃんとした規定があるのだ.
このことを皆が知り,さらに考えを深めたならば,やがては,
「理由のいかんを問わず,戦争を仕掛ける行為は,それ自体が犯罪である」
といったような国際的ルールを作り,戦争の恐怖を遠ざけていくことは,断じて不可能ではない.
林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.80-81
【事実】
それは,地球に一つの統一された「正邪」観を全人類が持たない限り,不可能な話です.
国際紛争では,簡単に白黒をつけ難いケースがゴロゴロしています.
したがって何十年かかってパレスチナ問題一つ解決できていません.
カシミール紛争にせよ,
・同じイスラーム教徒であるということでパキスタン帰属が正解なのか(元元は独立を志向していたカシミールに対し,パキスタンは帰属派への武器援助をすることで,独立派を潰そうとしたのに?),
・カシミール自治を憲法に定めているインド帰属が正解なのか(事実上,その自治が現在では口約束状態なのに?),
・独立が正解なのか(印パ両国が綱引きをする緩衝地帯となるだけだから,それなら現状と大して変わらなくないか?)
……これといった明快な正解を出すことができていなら,何度もカシミールを発端とした戦争が起こったりはしません.
あるいは自らの行いだけが正義であると信じるような政権があったら?
ターリバーン戦争やダルフール紛争は,まさにそんな政権であるために起きたのですが.
結局,平和は魔法の杖の一振りでもたらされるようなものではないのです.
紛争当事者を抑止しうる有形の力,そして有能なネゴシエーター,紛争当事者の本音を探りうる正確な情報等々,平和達成のために必要とされるツールは多数あるでしょう.
したがって,これだけははっきりしています.
単細胞が,単純な見方によるチープなスローガンを何万回叫ぼうと,平和はやってきません.
【質問】
かなり無茶苦茶な疑問ですが,SFや武侠ものみたいに,戦争をする代わり,それぞれの国のごく少数の代表者同士の戦闘で結果を決めたりすることが,今までも,これから先も行われないのはなぜなのか教えてください.
【回答】
太古の昔にはそういう形の「戦争」が行われた例がある.
中世ヨーロッパでは騎士文化が行くところまで行った結果,厳密なルールに則って行われる一対一の決闘で勝敗を決める戦争,というのが実際に行われたこともある.
ではなんで現代ではそういう事ができないのか,と言えば,戦争の形態が変わったから.
近代までは,戦争というのは殺し合いというよりは,利権をめぐって人死にが出ることもある勝負で決着をつけるもの,という側面が強かった(ただし同一文化圏内での話.異文化,異民族同士の戦争はやっぱり皆殺し合戦になった).
なんでそんなことができたかといえば,戦争をするのは国家の支配者層と,それに雇われた傭兵だけだったから.
一般国民にはほとんど一切の政治的経済的権利がなく,「譲渡したりされたり奪われたり奪ったりする存在」でしかなかったから,国家のごく一部の人間が勝手に「勝負の掛け金」にすることができ,支配者層は自分たちの身に危険が及ばないから,
「あぁ,負けちゃった・・・ちぇ,領地が減る」
という以上のものがなかった.
もちろん支配者層が参加して死んだり捕虜になったりすることもあったが,戦死すれば英雄だし,捕虜になっても身代金を払えば解放されるという世界だった.
だが近代になって「市民社会」というものが成立すると,戦争で被害を受ける人間が国家の運営権を持つようになる.
そうなると,戦争の勝ち負けが自分たちの生活に直結する人々が運営する国家同士が戦争をする事になり,その「戦争の勝ち負けが自分たちの生活に直結する人々」が国家運営権を持つ人々が,国民の大半を占めるわけで,そんな国家で「選ばれたただ一人の戦士」同士が戦った結果で,国民の大多数の運命が決まります・・・なんて言われても,誰も納得などできない.
あなただって,たった一人の国家代表が一騎打ちに負けたから,あなたの国は明日から占領下に置かれます,なんて言う政権与党には投票しないし,そんな主張する政府は支持しないだろう?
だから,質問の答えとしては,「近代国家というものが誕生し,会皆民参加によって成立する政治体制の国家が誕生したから」ということになる.
そして現代では,まず以って大国は小国に対し,そのような事をする必要が無い.
また,民族・宗教感情が絡んだ場合,戦争で敗北をすると言うのは,その民族・信者にとって致命傷となる.
そう言う状況下で最善を尽くそうと思えば総力戦になるだろう.
(よって,同一宗教,同一民族下では,代表者同士の戦いと言う事に比較的なり易い.
例えば源平合戦など.
特にアフリカの一部地域では,男だけで示し合わせた場所で戦争をして,勝負を決めると言う事が実際に行われていた時代があった)
仮に無駄な犠牲を出さないために,お互いがそのようなシステムを許容出来るほど理性的であるのなら,交渉と妥協案の模索によって解決を図るはず.
戦争とは,それらの交渉が決裂して,せっぱ詰まった状況で起きるのだから.
軍事板,2004/08/17
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦争もゲームで決めりゃ,誰も死ななくてよくね?
【回答】
そういうマンガがあるよ.
オチで「実際には死亡者が出ないシミュレーション方式で戦争してる」というのが明かされるんだが,結果として延々何十年も戦争終結しない,という話.
新谷かおる氏の作品だったか.
藤子短編集の「一人ぼっちの宇宙戦争」思い出した.
宇宙人側が地球側の人間から一人選んで,その人間のクローンVSオリジナルで侵略の勝敗を決める話.
星野宣之にもあったハズ.
SFとしては古典的なネタ,逆に,模擬かと思ったら実戦だった,つーのもある.
墨子の逸話でも似たようなのがあったな.
国を攻めようとしてる他国に乗り込んでいって,墨子が自分の帯をとき,それを城砦に見立てて模擬線をしたが,敵国の将軍は何度やっても勝てない.
悔し紛れにその将軍は「必ず勝てる方法を私は知っているが,あえて言いますまい」と言う.
墨子も「将軍が仰る方法の防ぎ方をしっていますが,あえて言いますまい」とやりかえす.
横で見ていた王様がどういうことかと尋ねると
「将軍は私を殺そうとしているのです.ですが私は弟子たちに防衛戦術を教えてありますので,それは無意味なことなのです」
それを聞いた王様は,戦争を諦めて墨子を無事に帰国させた,ってお話.
この後,墨子は城に帰ろうとしたけど通行手形がなかったから入れてもらえず,雨の中でずっと門が開くのを待ってた,というオチがつく.
つーか人類の悲願でもあるな.
大昔から戦争の代わりに一騎打ちしたりオリンピックやったりと色々やったし.
いちばんほのぼのしたのが牛相撲かなんかで勝敗を決めた戦争という実話.
どこの国の話だったか忘れたが.
でも,サッカーの勝敗でもめて起こった戦争も現実にあるしな.
戦争の代わりにゲームじゃなくて,ゲームの代わりに戦争するのが人間のサガじゃないかな.
ある意味,ゲームの究極形が戦争だと言えよう.
583:名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/01/13(土)12:46:50ID:Fm7TcBNH0
もう,ガンダムファイトでよくね?
586:名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/01/13(土)13:00:59ID:jssK0Es50
もう,指相撲でいいような気がしてきた
587:名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/01/13(土)13:21:25ID:Uhi+0Ven0
点F15レートのマージャンで
592:名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/01/13(土)14:15:36ID:iMavK4lFO
「諸君,私はゲームが好きだ」
某板
【質問】
EU統合や,冷戦の終結により,戦争の可能性はほとんどなくなったのではないか?
【回答】
先進国同士の戦争の可能性が大幅に減ったのは事実だろう,
だが,朝鮮半島には,未だに冷戦構造の残滓が残っているし,中東では紛争が絶えない.
特にアジアでは,伝統的なライバル関係が完全に克服されたとは言い難い.
バランス・オブ・パワー[勢力均衡]や安全保障の考慮などを時代錯誤だと考えるのは,早計である.
それは「酸素のようなもの」であり,未だに十分な考慮と留意が必要である.
詳しくは,ジョゼフ・S・ナイ教授「国際紛争」(有斐閣,2005.4)序章を参照されたし.
ますたーあじあ in mixi
【質問】
不戦共同体とは?
【回答】
欧米関係に見られるような,どんなに対立が激しくなっても,直接戦争する可能性が全く考えられない,信頼感が相互にある関係.
以下引用.
筆者がここで言いたいことは,一口に西側陣営,または「西(ウェスト)」と言っても,そこには意味の重層性があるということである.
それは第1に,厳密な意味で,かつてシュペングラーが第1次大戦後荒廃したヨーロッパを嘆いて鋭い警告を発した「西欧の没落」と言う表現に込められた西欧社会,
第2に,両大戦間期を経て米国の強い影響を受けた米欧社会,
そして第3に,米欧以外の地域にまで拡大した民主主義諸国という,本来西欧を中心とする3つの同心円による構造である.
そして,イラク戦争のときに見られた米欧間の激しい論争は,この第2の同心円の中での論争であり,また,この同心円の中心を巡る抗争でもあった.
我々日本人は,このことをもう少し慎重に考えたほうがよい.
つまり,米欧対立はどんなに激しい様相を見せていても,その基本的なところでの相互の信頼関係は,3番目の同心円の層とは大きく乖離している.
改めて言うまでもなく,第2の同心円の中では,歴史文化的背景を伴った共通意識,規範が大いに共有されているのである.
アメリカ人研究者がよく使う表現で言えば,
「どんなに対立をしていても,米欧諸国が直接戦争をするという可能性は全くない」
という信頼感が前提となっている.
「デモクラティック・ピース(民主主義国同士は戦争をしない)」
というアメリカ政治学界で冷戦後,一時期流行した政治理論の前提は,米欧間の「不戦共同体」=「安全保障共同体」という共通意識だった.
そこには協力と対立が共存する.
所謂ブッシュ政権の「単独主義 ユニラテラリズム」と,独仏に代表される「多国間協調主義 マルチラテラリズム」という,2つの普遍主義の対立というのは,この安全保障共同体と言う合意枠組みの中での世界秩序を巡る角遂だった.
先に述べた3番目の同心円の層に関して合意が不充分なのは,この点である.
これを,アメリカを中心とする「西側同盟」という枠組みで考えるなら,大西洋関係がアメリカのアジア・太平洋同盟関係よりも遥かに優先されるという,誰でもが容易に理解する事実に突き当たる.
(渡邊啓貴 わたなべひろたか〔国際関係論専門家〕
from 「中央公論」, 2005/7, P.149)
つまり逆に言えば,任意の複数国間関係において武力の準備を全く必要としない状況が出来上がるためには,
・歴史文化的背景を伴った共通意識,規範が大いに共有されており,
かつ,
・できれば民主主義国家同士であることが望ましい
という2点が必要だと言えよう.
【質問】
国際紛争を解決する際に,国連軍などの一定の強制力の下,ジャンケンなりクジ引きなりである意味公平に地域の線引きなどを決めることは,軍事衝突を減らすことになるでしょうか?
【回答】
ジャンケンでは決着はつかない.
自分の国の言い分が通らない時点で,その国にとってはどんな手段であっても,公平ではありえない.
相手国にとっても同様.
当事国の双方が公平でないと考える手段を行っても,それでは何ら解決しない.
国連軍の監視などで実力行使が封じられているのなら,じゃんけんの前も後も外交交渉が延々と続けられ,監視が緩まれば軍を動かす国も出てくる.
要は現代と変わらない.
試しに民事裁判をみんな,じゃんけんやくじ引きで解決している世界を想像してみよう.
どこらへんが公平なんだ?
で,全世界にルールを強要できるほどの国連軍が設立できるなら,その力で「従来の国家」を全て解体してしまえば,国際紛争なくせるんじゃね?
79 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/04/19(日) 19:20:25 ID:???
創作としてならなんでもありだぞ.
それをガンダムでやったのがGガンダムだ.
81 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/04/19(日) 20:14:22 ID:???
アニメならギガンティックフォーミュラも付け足しておくか.
軍事板
青文字:加筆改修部分
仮にジャンケンが採用されたとしても,外交交渉に交渉を重ねた結果,
元のジャンケンとは似ても似つかぬようになるルール変更が行われる可能性も……
(画像掲示板より引用)
【質問】
考えたんですが,みんなが国際結婚をしたら世界は一つになり,戦争はなくなるんじゃないでしょうか?
【回答】
ご家庭が戦争の最前線となる可能性もあながち否定できない.
例えばイラクでは,シーア派とスンニ派の間でかつてはごく普通に結婚があったようです(新聞ソースなんで厳密なものではない).
しかし,現在はそのような例は無いし,結婚している夫婦も,今だったら結婚していなかったと話している.
次に宗教の問題.イスラム教では解釈によっては啓典の民(ユダヤ教,キリスト教)以外との婚姻を禁じる向きがある.
そして交通の問題.我々の大半は世界の大部分の土地に足を踏み入れることなく死ぬ.
つまり国際的に融合する前提がまだまだ満たされていない.
軍事板
それは,人々がより親しくなれば平和も訪れる,という願望です.
しかし,人間1人が知り合える人数には限界があることと,言語や習慣や趣味の違いが関係を遠ざけるように,国内よりも国外の人間との架け橋が強くなることは極めて希.
戦争という巨大なうねりをせき止めるほどの効果があるとは期待できず,かの小さな変化に過大な期待を持つことは「判断を誤っている」としか思えません.
これは,「人々がきちんと交通ルールを守れば事故はきっと無くなるに違いない」,というのと大差ないレベルかと.
国内だけで年間1万以上の死者を出す現状を事故ゼロにするなど,夢物語としか言いようがありません.
以上のような願望や,見当違いの判断をする人は,本当の平和から逆に遠ざかってしまいます.
また,平和のためにと考えながら,侵略者の手のひらで踊っているだけということに気付かない人も居ます.
それらをきちんと指摘することが平和への道かと.
こんな私を,「平和を望んでいないのだろう」という捉え方をする人は,余りにも考え方が純粋過ぎというか,はっきり言えば幼いと思いますね.
もっと歴史や政治を見つめて欲しいものです.
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ