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総記FAQ目次


 【link】

『国際法と紛争解決論』(稲原泰平著,信山社,2013/1/10)


 【質問】
 国際法とも関わりを持ちそうな国内法の解釈は,どのような基準で臨むのが妥当なのか?

 【回答】
 上智大学教授,村瀬信也によれば,国際司法裁判所その他の国際裁判所の判例は,国際法における有権的解釈の基準を提示し,各国に対して対外的な行動基準を示すものであるから,政策担当者は言わば「影の国際裁判所」を常に意識して,「もしこの案件が国際裁判にかかった場合,どのように判断されるか」を考えながら行動すべきだという.
 武力行使,自衛権,法執行活動,平和維持活動といった問題については,関連の国際判例があるので,これらを踏まえて議論することが必要であるという.
 安全保障に関する議論において現在,国会の審議では日本でしか通用しない論理が「法理」としてまかり通っており,安全保障に関する議論においては,国際法と国内法との距離を,可能な限り縮めていく努力が何よりも望まれると,村瀬は述べている.

 詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.92-93
を参照されたし.


 【質問】
 自衛隊は実質は軍隊なのに,国内政治上は軍隊でない扱いになっていますが,国際法上では日本軍∴オいなんでしょうか?

 【回答】
 ハーグ陸戦条約を批准している国からは,その条約が定める範囲において「軍隊」扱いされる.
 他の国際条約についても同様.

 戦時国際法だと,軍隊に加えて民兵とかも扱わないといけない場合が多いので,もっと大枠でしか定義を定めていないものが大半.
 例えばジュネーブ第一条約だと,第13条を参照のこと.
 かなり幅広い.
http://www.mod.go.jp/j/library/treaty/geneva/geneva1.htm

 もともと国際法なんて最低限のことしか定めてないけどさ.
 うざったい問題がはっせいするのは主に国内法.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「軍」という単語が含まれていない「自衛隊」と言う名称のままでは,国際的に軍隊と認められず,仮に捕虜になっても軍人として扱われない可能性がある,というのは本当でしょうか?

 【回答】
 間違いです.

 その手の質問については,IDFとJDFをペアで並べる回答が基本かと.
IDF (Israel Defense Forces)
JDF (Japan Defense Forces / Japan Self-Difence Force):後者の訳は,海外の文献ではあまり一般的ではない.

 イスラエル軍を国際的に軍隊と認めない,という主張はなかなか興味深いものがありますし.一応国際的には少なくともIDFは軍隊です.
 また, ドイツのブンデスヴェーアだって,直訳すれば「連邦防衛隊」です.

 翻訳の問題はさておくとしても,ジュネーヴ条約における定義,

第四条〔捕虜〕A この条約において捕虜とは,次の部類の一に属する者で敵の権力内に陥ったものをいう.
(1) 紛争当事国の軍隊の構成員及びその軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員
(2) 紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員(組織的抵抗運動団体の構成員を含む)で,その領域が占領されているかどうかを問わず,その領域の内外で行動するもの.但し,それらの民兵隊又は義勇隊(組織的抵抗運動団体を含む)は,次の条件を満たすものでなければならない.
 (a) 部下について責任を負う一人の者が指揮していること.
 (b) 遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること.
 (c) 公然と武器を携行していること.
 (d) 戦争の法規及び慣例に従って行動していること.
(3) 正規の軍隊の構成員で,抑留国が承認していない政府又は当局に忠誠を誓ったもの

により,条約上は何ら問題ありません.


 【珍説】
しんぶん赤旗
陸自帰国に民間機イラク部隊チャーター便“国際条約違反だ”航空連など申し入れ

あつこば(小林アツシ) in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
国際民間航空条約(シカゴ条約)
のchapter.5においては,軍需物資や兵器の輸送は禁じられているが,人員の輸送は禁じられていません.

 また,chapter.18において,当条約は戦争時,国家非常時において,条約締結国の行動を何ら妨げるものではない,としています.
 よって,有事法における民間機の徴用は何ら国際法違反では無いようですね.

ポポフ in mixi

 赤旗ったら,平気な顔して嘘を吐いて・・・
 知らずに書いているんじゃなくて,知ってて敢えて書いているんだから性質が悪い.
 あそこは何十年も前からそうだ.こんなやり方ばっかり!

JSF in mixi


 【質問】
 米国への弾道ミサイル攻撃を,日本が「個別的」自衛権の延長上で撃ち落すことができるという政府見解は,国際法的には妥当なのか?

 【回答】
 上智大学教授,村瀬信也によれば,そのような「法理」は,国際的は通用しないという.
 なぜなら個別的自衛権はあくまでも武力攻撃を受けた国が反撃する権利であり,その挙証責任は自衛権を行使する被害国自身にあるが,国際裁判所が求めるものはあくまで武力攻撃があったという事実であるからだという.
 すなわち,組織性・計画性は要件ではなく,その証明は無意味であり,集団的自衛権でしかそれは正当化することはできない,と村瀬は述べている.

 詳しくは
『ジュリスト』,2008.2.1号,p.105-106
を参照されたし.


◆◆◆◆非武装中立論


 【質問】
 非武装中立というのは可能ですか?

 【回答】
 不可能です.
 国際法上は,中立とは,非戦争当事国が交戦国に対して有する国際法上の地位を言います.
 中立は交戦国に対して黙認義務と公平義務を負うこととなります.
 非武装では,その義務を果たせません.

(ドクトル斎木 in 某BBS)

      黙認義務
 中立国は,交戦国が中立国の船舶などを臨検し,戦時禁制品を没収するなどの措置を執ることを,黙認しなければならない.

      公平義務
 中立国は,すべての交戦国に対し,同じ扱いをしなければならない.

 で,黙認義務の方はともかく,公平義務の方は,ある程度の実力がないと果たせません.
 交戦国の一方が,「お前の国の港を自由に使わせろ,さもなければ武力占領する」などと言い出したときに,それを跳ね返すのは困難ですから.

軍事板

 余談ですが,1970年代,社会党最大派閥の領袖であった向坂逸郎元九州大学教授は,こう主張してました.
 社会主義政権が樹立出来た暁には,自衛隊は解散せずに,ワルシャワ条約に加盟すると!
 社会党の非武装中立論も,9条堅持の主張も実態はこんなものだと.
 西側に,日本が属する時は,武力も持たずに,社会主義陣営に属するなら武力を持つことは良いと.

 向坂逸郎は,経済学者です.こうも主張しておりました.
「将来的に日本は,コメコンにも加盟すると」.

 とんだ学者馬鹿の典型ですな!

 通称「白旗赤旗論」というのもありました.
 マルクス経済学者の森嶋通夫が唱えたもので,もしソ連が攻めてきたら白旗を出し,そして赤旗を掲げれば日本は助かるという考えだそうです.
 なんのための「非武装」であるかが,よく理解できますね.

軍事板

 (選挙演説)
「軍備は戦争の原因になります! 私は軍備増強に断固反対します!」

 (中国の建国50周年”軍事”パレードに招待され帰国後,空港でのインタビュー)
記者「自らの信条として,中国の軍拡に反対の意は表明してきましたか?」
土井「・・・・・・(シカト)」

 ・・・・・・これだもんよ(笑)

軍事板



 【珍説】
↑ちょっと見てわろたw
非武装中立がトンデモなのは同意だがこれは理屈になってない,というか非武装中立論をわかってないw
「公平義務」で侵略を跳ね返すって何よwwwトンデモ国際法www

新新FAQでくわしくつっこまれてるよ

軍事板
青文字:加筆改修部分

 【事実】
>「公平義務」で侵略を跳ね返す

 どこをどう読めばそのような解釈になるのか理解できません.
 誤読をもとに難癖をつけられても困ります.

>「公平義務」で侵略を跳ね返すって何よwwwトンデモ国際法www

 公平義務と言うのは中立の条件と,上述回答文の中にも書いてあるだろ?

http://ja-tec.com/C/C02/content11637.html
>中立とは,交戦国が中立国を戦争に巻き込まない法的義務を負うことを
>本質とするものであった.そして,中立国が負う公平義務は,中立国が
>戦争に巻き込まれない法的権利を享受するための対価・条件と位置づ
>けられたのである.

 東大の報告書にも書いてある,中立国の基本条件.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 非武装中立論は,いつごろ現れたの?

 【回答】
 上住充弘・元社会党調査部長によれば,1965年の石橋提案から.
 それ以前の社会党の政策は,国連憲章第51条にある集団自衛権を基に,日米中ソを主要参加国とする集団安保体制を北東アジアに作り,それと並行して日米安保条約など,北東アジアの軍事条約を全てなくするというものだった.
 しかし石橋政嗣(のちの社会党委員長)の提案では,最初に日米安保を廃止し,同時に自衛隊を解体するというものだったという.

 【参考ページ】
『週刊文春』 1992.7.16号,p.43-44

【ぐんじさんぎょう】,2010/10/26 21:20
を加筆改修


 【質問】
 非武装中立論を言い出す以前の社会党の防衛政策は,どのようなものだったの?

 【回答】
 上住充弘・元社会党調査部長によれば,社会党の1955年政策大綱のそれは,おおよそ以下の通りだったという.

-----------------------------
 日本の安全は,最終的には国連の平和維持機能,そして国連警察部隊を支持する.
 そういう体制ができるまでの間は,国連憲章第51条にある集団自衛権に基づく集団安全保障体制を北東アジアで作る.
 すなわち日米中ソを主要参加国とする集団的不可侵安全保障条約である.
 その条約との見合いにおいて,日米とか米韓,中朝といった2国間安保条約を同時になくす.
 それまでは世界の現状に鑑み,安保も自衛隊も全部認める.
−−こういう政策でした.

 自衛隊についても,アメリカの援助で再軍備するのはいけない.
 それには反対して軍縮を主張するが,国内治安を守るための「機動力ある警備組織」を持つというものでした.
 これは入党したてのころに叩き込まれたので,今でもよく覚えています.

 大学時代に佐々木惣一先生(京都大学名誉教授・故人)の講義で,日本国憲法第9条はクラウゼヴィッツの国家意思貫徹のための国権発動,つまり外交の延長としての武力の行使,保持は禁止してある.
 しかし,国家意思貫徹のためではない自衛力は当然,国家の固有の権利であると聞き,感銘を受けていました.
(中略)
 この政策を,「自主独立の外交」と言っていました.
 「非武装中立」だとか「非同盟中立」なんて言葉はどこにもありませんでした.
 これこそが本来の社会党の「固有の政策」だったのです.

-----------------------------『週刊文春』 1992.7.16号,p.43-44

 上住はこの政策を,「実に目配りのきいたいいものでした」(同,p.43)と評価しているが,国連中心外交という点,「日米中ソの集団不可侵条約」などの点で,やはり非現実的であるように思われる.

 また原彬久は,安全保障問題以外の55年統一綱領の問題点として,左派に配慮して,綱領が「永久政権」論寄りであることを挙げている.※
 「永久政権」論とは,社会党分裂時代に左派社会党が綱領としていたもので,議会制民主主義と現行憲法を否定し,議会で絶対多数を占めた後は,この「絶対多数」を「恒久化」するとしており,その時点で複数政党制は廃されることを意味する.
 そして,社会主義の原則に従って憲法改正を行い,行政・教育・新聞・出版などの諸機関を「社会主義の方向に適応」させるという,報道の自由をも否定するものになっている.
 要するに中国や,かつてのソ連と同じ体制.

 したがって社会党や,その後身の社民党が「護憲政党」を自称するのは,看板に偽りありといって差し支えないかと.

 それにしても,もし社会党が一回でも選挙に大勝していたら,そのときに一気に赤化する可能性が,本当にあったとは……

 ちなみに,前出の上住によれば,1986年の「新宣言」後も,社会党は一党独裁を目指す方針を捨ててはいないという.
 以下引用.

-----------------------------------------------
 これは制定過程の討議記録を見れば一目瞭然です.
(中略)
「社会党単独政権論を放棄するようなことがあってはならない」(山口農漁民局長・社研)
(中略)
 結局は新宣言は,従来の「科学的社会主義」(共産主義)の発展として,以前の綱領である「日本における社会主義への道」を再確認したに過ぎないのです.
 その後,91年党大会で採択された現在の党規約では,
「私たちは社会主義の最も民主的な姿である,社会民主主義を選択する」
とも言っています.

 当然,ここで言う社会主義とは科学的社会主義,つまり共産主義です.
 ですから党規約は,「科学的社会主義」(共産主義)と社会民主主義という全く相反するものが同居する,奇妙なものになってしまったのです.

 鳴り物入りで宣伝されたシャドーキャビネットも,まやかしに過ぎません.
 91年2月の党大会で,党規約が改正されました.
 そこで議員の立法,および政策活動は,党の政策審議会のもとで行うことになり,国会議員の組織は政策決定権を全く持たないことになってしまったのです.
 国民の請託を受けた議員が,党の機関の下でしか動けない,まだに一党独裁理論以外の何物でもありません.
 今年の2月末に,影の防衛大臣だった上原康助が,現実的な防衛予算の修正案を持ってきました.
 すると政策審議会の連中は,
「シャドーキャビネットは政策決定機関ではない.
 政策審議会で討議して決定せよ」
と言うんです.
 しかし政策審議会の外交政策委員長は,極左派の矢田部だから,通るわけがありません.

--------------------------『週刊文春』 1992.7.23号,p.52-53

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.109-114

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/07 21:25
を加筆改修


 【質問】
 「講和問題に対する党の一般的態度」とは?

 【回答】
 1949.12.4,社会党中央執行委員会が決定したもので,論旨は次の4点から成る.
1) 日本国憲法が「非武装」と,国際紛争に対する「中立」とを命じている点を確認すべきこと
2) 米ソ冷戦体制の中,社会党は一方の陣営との「単独講和」(編者注:太平洋戦争の講和条約であるサンフランシスコ講和条約のこと)ではなく,「全面講和」を要望すること
3) 特定国家群との間に「基地提供」などの軍事的・政治的協定を結ぶのに反対であるということ
4) 社会党は,関係各国ないし国連集団安全保障による「中立」を欲するのだが,「中立」確保のための自国兵力の提供はしない
 これは,「全面講和」「中立」「軍事基地反対」という「平和3原則」発祥の文書となった.
 社会党左派が右派に対して優位に立っていた中で作られた,この「一般的態度」は,社会党右派の曾禰益(渉外部長)の起草によるものだったが,曾禰の回想によれば,
「一度投げ出した政権を再び手に入れるためには,理想的なことを言ったほうが得だというタクティクス(戦術)があった」
ための産物だったという.
 その後,社会党右派は,「3原則」否定に多大なエネルギーを裂きながら,それに失敗したというから,軽率な判断だったことは否めない.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.67-68

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/20 21:20
を加筆改修


 【質問】
 そもそも,日本社会党の「右派」「左派」って,いったい何なの?

 【回答】
 元々,社会党は無産勢力の右派から中間派,左派までを取り込んだ寄り合い所帯だった.
 むしろマルクス主義勢力(戦前の日本無産党の系統)は客分的立場だったが,これは西尾末広ら右派は,「日無系は少数派だから,これは抑えていけるだろう」として左派も受け入れることにしたのだという.
 ところが,右派と左派は党の分裂まで引き起こすような対立を延々と続け,しまいに「ひさしを貸して母屋を取られた」状態になるのは,現状を見た通り.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),第1章

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/22 21:00
を加筆改修


 【質問】
 「平和4原則」って何?

 【回答】
 上述の「平和3原則」に「再軍備反対」を加え(1951.1.19,党大会で可決),「全面講和」「中立」「軍事基地反対」「再軍備反対」としたもので,以後,社会党の安保・外交政策を導く最重要指針となった.
 旧日無系の鈴木茂三郎が委員長に選ばれるなど,左派優位の中でこれは可決されたもので,鈴木は再軍備反対,すなわち非武装に関しては,吉川栄治を引用して,
「剣聖と言われたような人の殆どの究理の結果は,要するに『無刀』というところに尽きる」
と新聞に寄稿したというから,どうも鈴木は「天然」だったらしい.
 鈴木はまた,その寄稿にて
「アメリカその他が,西ドイツに再軍備を要求したように日本には要求しないと考える私の一つの根拠は,日本は,かように天然の防壁(海のこと,引用者注)をめぐらしているからである」
とも書いたが,アメリカが日本に再軍備を要求したのは,それから間もなくのことだった.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.75-76

【ぐんじさんぎょう】,2011/03/18 21:39
を加筆改修


 【質問】
 佐藤昇の中立論は,どのようなものだったのか?

 【回答】
 佐藤昇は,いわゆる「構造改革派」の理論的指導者だが,その「中立」理論は60年代以降の安保・外交政策の一つの典型を示している.
 佐藤は,米ソ冷戦を3つの次元
1) 体制間
2) 政策間
3) 軍事ブロック間
の闘いから成っていると論じ,(1)(2)については中立はありえないが,(3)については中立は可能だと主張した.
 また佐藤は,資本主義の政策は戦争政策であり,社会主義の政策は平和政策であるとし,社会主義軍事ブロックの結集は,「帝国主義の侵略政策によって余儀なくされたもの」,すなわちあくまで「防衛的」なものだと主張した.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.202-203

【ぐんじさんぎょう】,2011/03/06 20:50
を加筆改修


 【質問】
 佐藤昇の中立論の問題点は?

 【回答】
 彼の理屈では,平時には社会主義体制に味方することで,「平和政策」を追求し,資本主義体制の「戦争政策」と戦う側に立ちながら,ひとたび戦争になれば,その闘いを放棄するという,

------------
およそ現実にはありえない"虫のよさ"(原彬久)
------------
 一般に中立国は,自国に火の粉が降りかからない限り,第三者の軍事的・政治的対立には敢えて無関心を装うもの(同上:すなわち無関心を装っていない社会党が,中立であるなどありえないということ)
------------

だと指摘されている.
 それ以前に,
>資本主義の政策は戦争政策であり,社会主義の政策は平和政策である
とする決めつけが,すでに現実離れしている.
 佐藤が論文を発表したのは『思想』 1961年10月号の誌上でのことだが,すでに1956年にはハンガリー動乱が起きている.
 また,そもそも1945年に日ソ不可侵条約を無視して侵攻してきた国の名前を忘れている.
 1950年には北朝鮮の侵攻で,朝鮮戦争が始まって……ああ,そういえば日本社会党は,ずっと長いこと「朝鮮戦争は韓国が起こした」と言い張っていましたね.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.203-204

【ぐんじさんぎょう】,2011/03/17 21:27
を加筆改修


 【質問】
 石橋政嗣の非武装中立論は,どのようなものか?

 【回答】
 これは,のちに日本社会党委員長となる石橋が,党外交防衛政策委員長だった頃の1966年5月に発表したもので,
1) 「絶対平和」を掲げ,「非武装中立」を基本的国是とするよう主張していること
2) 「護憲・民主・中立」の社会党政権実現の暁には,「直ちに日米安保条約の海相を(アメリカに)通告し,外交交渉を経て条約を廃棄する」と謳っていること
3) 社会党政権誕生後,直ちに自衛隊解体に着手する旨を宣言していること
を特徴とする.
 自衛隊解体に当たっては,社会党政権の安定度,平和中立外交の進展度などの諸条件を考慮しつつ,これを実施.
 自衛隊は国内治安維持のための「国民警察隊」に切り替えると共に,災害派遣などに対処する「平和国土建設隊」,国際貢献のための「平和共栄隊」を新設するとしていた.

 もちろん佐藤昇の中立論の,「資本主義の政策は戦争政策であり,社会主義の政策は平和政策である」という認識が,石橋の非武装中立論にも継承されていたことは,言うまでもない.

 社会党の言う「民主」が実際には一党独裁に非常に近いものであったことから考えると,この「国民警察隊」なるものは……

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.205-208

【ぐんじさんぎょう】,2011/03/21 21:00
を加筆改修


 【質問】
 石橋政嗣らの「降伏論」とは?

 【回答】
 彼が非武装中立論の中で述べているもので,おそらくは森嶋道夫が1979年に発表した「降伏論」の受け売り.
 石橋曰く,
「そうはいってもとにかく,不安だ.もし攻めてくる国があったら『降伏』せよというのかと,さらに執拗に迫ってくる人たちがいることも事実です.
 このような人たちは,『攻めるとか,攻められるとかいうような,トゲトゲしい関係にならないように,あらゆる国,特に近隣の国々との間に友好的な関係を確立して,その中で国の安全を図るのだ』
といくら言っても聞こうとはしないものです.
 私は,こういう人たちには誤解を恐れず,思い切って
『降伏したほうがよい場合だってあるのではないか』
ということにしています.
 事実,我々は1945年8月15日に降伏した経験を持っているのです.
 あれは間違いだったというものが殆どいないのも,事実ではないでしょうか」

 また,非武装中立論を持ち上げた小林直樹(憲法学者)は,以下のように述べている.
「仮に2,30万人のソ連軍隊が――そういうことは実際には生じないと思うけれども――日本を占領すると仮定する.
 しかし,日本の社会に文化が花開いており,自由が満ちあふれ,そして日本人が毅然とした自主的な姿勢を持って,不正な支配に屈従しない国民として生きていたならば,彼らは占領者として自らを恥じ,ひいては日本から学ぶようになるだろう.
 いわば日本が自由学校になることによって,ここで彼らが自由の良さを学んだならば,本国に帰ってソ連のシステムに飽き足らなくなり,これを変えるように努力するということになるだろう.
 そうなれば,向こうは公費で日本に留学生を送ってきたのと同じ結果になります」

 これらは詭弁の特徴
2:ごくまれな反例をとりあげる(降伏後,被占領国が過酷な状況に置かれる事例のほうが,圧倒的に多い)
3:自分に有利な将来像を予想する(およそ現実的展開とは思えない「ソ連占領後でも平和な日本」を夢想)
に該当する.
 実際にはそんな生易しい占領にならないだろうことは,ソ連自身の歴史が証明しており,彼らの詭弁は,「夢想主義」の一言で片付けることができるだろう.

 【参考ページ】
『「悪魔祓い」の戦後史』(稲垣武著,文春文庫,1994.8.15),p.152-161
+++

【ぐんじさんぎょう】,2011/04/11 20:00
を加筆改修

 【関連リンク】
「ストパン」■(2010-08-10)[ロシア][歴史]ロシアの同化政策?――zapiska o rossijskoj imperie


 【質問】
 なぜ社会党は,非武装中立論に転換したのか?

 【回答】
 一般的には,「サンフランシスコ講和条約の世論の広範な支持を受けて,「全面講和」を降ろした」と考えられている.

 また,上住充弘・元社会党調査部長も,それについては特に何かを明言しているわけではない.
 ただ,
・その前年,ソ連におけるスースロフ演説において,中国の言う第三勢力論は間違いだと批判したこと,
・中ソ代理戦争が社会党内に起こり,中国派が空中分解したこと,
・ソ連からの援助金が,秘密裏に党内に流れるようになったこと,
を,その前後で述べている.※
 彼が何を示唆しようとしているかは,容易に想像できるだろう.

 ソ連からの秘密援助について,社会党は全面否定していたそうだが,ソ連側の共産党極秘文書があったとなっては……

 なお,『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25)
では,

----------------------------------
 60年安保以降,社会党は安保・外交の重心を,「平和4原則」あらむしろ「非武装中立」へと移していく.
 日ソ国交回復(1956年)によって曲がりなりにも全面講和に向かう道筋ができたためか,安保改定後の社会党における対外政策の表看板は,全面講和を含む「平和4原則」から,「非武装中立」へ収斂されていったかのようである.
 しかも「非武装中立」そのものの正当性に関しては,党内で特に異論が起こるということはなかった.
 再軍備を主張し,「反共」の立場から日本防衛体制を支持する西尾末広ら党内最右派が離党した60年安保以後,社会党内には「非武装中立」そのものに関する大きな論争は見られない.
 例えば60年代から70年代のける党内抗争の対立軸となった「構革」と「反構革」との間にさえ,安保・外交に関する限り,基本的な相違はなかったと言ってよい.
----------------------------------p.201

と,「なぜ転換したのか」については曖昧な憶測を記すにとどまっている.

 ちなみに筆者は社民党サイトのメールフォームにて,また,福島党首に直接,この件を尋ねた
http://twitter.com/post_tokorozawa/status/29139266126741504
http://twitter.com/post_tokorozawa/status/31617502135984128
http://twitter.com/post_tokorozawa/status/32049278322999297
が,返信はなかったことを付記しておく.

 【参考ページ】
※『週刊文春』 1992.7.16号,p.41-44

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/11 21:20
を加筆改修


 【質問】
 ソ連による日本社会党への資金援助の始まりは?

 【回答】
 上住充弘・元社会党調査部長等によれば,中ソ対立のあおりを受けて,また,核拡散防止条約に反対したことで,日本共産党がソ連と決裂したため,日本における足がかりを失ったソ連は,社会党へ浸透工作をかけてくることになったという.
 原水協(原水爆禁止日本協議会)も分裂して,社会党は原水禁(原水爆禁止日本国民会議)を結成するが,ソ連はこれを全面的に支持.
 ソ連のフロント組織である世界平和協議会(世評)が,大量の外国代表を派遣し,400万円を寄付したという.

 なお,本件について社民党党首にも直接質問したが,回答はなかった.

 【参考ページ】
『週刊文春』 1992.7.16号,p.43
&http://ja.wikipedia.org/wiki/原水爆禁止日本国民会議

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/14 21:10
を加筆改修


 【質問】
 ソ連はどのような方法で,日本社会党を資金援助したのか?

 【回答】
 1992.6.24の新聞各紙によれば,1972年,成田委員長時代に選挙資金として,ソ連共産党に対し10万ドルの資金援助を要請し,ソ連側は日ソ貿易の帳簿を操作することで,秘密資金を提供したという.
(社会党は報道を全否定)

 また,上住充弘・元社会党調査部長によれば,
1) 日ソ貿易の仲介斡旋料という名目で,取引額の15〜20%が日ソ貿易協会通じて
2) 党の機関紙誌にソ連の原稿を載せるという方法で
中ソ対立の時代以降,援助が続いてきたという.
 以下引用.

------------------
私に言わせれば,こういう類の話は党内では周知の事実でした.
 社会党の名誉のために,もっと正確な言い方をすると,この場合のソ連からのカネというのは,社会党の会計に入ったのではなく,石橋政嗣・元委員長の率いる派閥の懐に納まっていると,党内では見られていました.
 石橋は当時,書記長の要職にありました.
 和田,勝間田,石橋,伊藤茂と続くこの派閥は,国際局,国民運動局と下部組織の日ソ特別委員会,日ソ議員連盟,日ソ友好協会などを全て掌握していました.
 そしてさらに,問題の『日ソ貿易協会』という組織を党の外部に作り,牛耳っていたわけです.
 そして,こういう要職を利用して,日ソ貿易協会が様々な商業取引をソ連側と行うのを,側面的に協力していた,というのが党内の「常識」でした.
 その結果,あちらの沿海州地域の会社と日本の中小商社が取引する際の面倒を,協会が見ることになります.
 その仲介斡旋料という名目で,取引額の15%とか20%がリベートとして日ソ貿易協会,ひいては石橋派の懐に転がり込んでくる仕組みになったと聞いています.

 カネは石橋派の派閥資金として使われたと思いますが,具体的な数字はあえて今回申しません.
 しかし新聞報道を見たとき,やっと氷山の一角が明らかになったと思いました.
 社会党全体では,この程度のものではないはずです.

 むろん党内でも,この件は当時から表沙汰になっていました.
 そのころ私は党の企画室にいて,毎朝会議をやっていたのですが,
「石橋派だけがソ連とくっついて金儲けしているのはおかしいじゃないか.
 日ソ貿易協会は党の機関にすべきだ!」
という議論さえ出ていました.
 年末になると党本部の書記局員の中の,石橋派系のメンバーが,ボーナスとして十万円も貰っていることが分かり,他のメンバーがうらやましがったこともあります.

 党の機関紙誌,『社会新報』や『月刊社会党』にソ連の原稿を載せる方法でも,資金援助が行われていました.
 これは1964年秋に『社会新報国際版』が刊行されたのが最初で,当時は1回に40万円が提供されていました.
 『月刊社会党』には,ごく最近までこの手の文書が載っていたくらいです.

[中略]

 ソ連崩壊後もロシア共和国連邦会議で40%の反対派を組織している保守派と,社会党親ソ派との関係は,今も続いています.
 92年度の党大会にも,未だに旧ソ連共産党のゴリゴリの保守派であるA.V.ユージン・ロシア共和国最高会議議員が招待され,現在の国際部長がつきっきりで接待していたほどです.

-------------------------『週刊文春』 1992.7.16号,p.42

 なお,本件について社民党党首にも直接質問したが,回答はなかった.

【ぐんじさんぎょう】,2011/02/17 21:00
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▼ 旧社会党にソ連から資金が流れてたってのは,この辺で解説されてるな.
http://space.geocities.jp/mitu_fugen/bunnshun.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/nagosi.htm

 どっちもネタ元は,中公の「クレムリン秘密文書は語る」みたいだ.

ニュース極東板,2011/03/07(月)


 【質問】
 非武装中立論に対する中国の反応は?

 【回答】
 1957年の第1次訪中団以来,日本社会党は中国へのアプローチを続けてきたが,野党でしかない社会党に対し,終始中国はリアリズムをもって対応する.
 特にニクソン訪中以降は,中国の主敵はアメリカからソ連へ変わった為,それまで敵視してきた日米安保体制に対しても,中国は支持する側へと急変.
 1970年10月の第5次訪中団に対し,孫平化・中国人民対外友好協会常務理事は「非武装中立」論を批判.
 また,1975年5月の第6次訪中団は,中国側から,
「米帝国主義だけを憎んで,社会帝国主義(ソ連)を憎まないのは,人民の支持を失うことになります.
 アメリカが直ちに朝鮮(韓国)と日本から引き上げることは,そうたやすくないと思います」
と批判されるにいたる.

 中国から正論を説かれてしまう日本社会党って……

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.236-238

【ぐんじさんぎょう】,2011/04/04 20:20
を加筆改修


 【質問】
 非武装中立論は,いつ頃,どのようにして放棄されたのか?

 【回答】
 1994.6.30,社会党が自民党,新党さきがけと連立して政権与党となった後,7.21の衆院本会議において,村山富市首相(社会党)が,冷戦構造崩壊の今,社会党の党是とも言うべき非武装中立は,「その政策的役割を終えた」と明言することによって放棄された.
 そしてそれは,1995年5月の第62回臨時社会党大会において追認された.
 これは3党の政策合意(6.30未明)を反映したものだが,「初めに連立ありき」で,政策協議は置き去りだったという.

 逆の見方をすれば,社会党にとって非武装中立はしょせん,その程度のものだったと言えよう.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.316-320

【ぐんじさんぎょう】,2011/04/08 20:50
を加筆改修

 社民党が連立与党を離れたら,また元の木阿弥になりましたけどね.

バルセロニスタの一人 in mixi,2011年01月09日 05:53

 この時,左の人々のかなりの部分が社会党を見放して戻ってこないわけで,元の木阿弥よりさらに酷いですよ.

唯野 in mixi,2011年01月09日 08:26


 【質問】
 社会党の非武装中立論は,なぜあんなにトンデモになってしまったのですか?

 【回答】
 原彬久によれば,端的に言えば社会党の「理想主義」は,「現実」の中から「理想」を汲み上げ,その「理想」に現実を近づけていこうとするプログラムの欠けた,単なる夢想主義だからだという.
 そして,他国が「侵略するかしないか」は,他国の意思にかかっていることであるにも関わらず,社会党は「他国からの侵略はない」と,主観だけで思い込んでいたと指摘する.
 さらに,「軍備を持てば,必ず軍国主義化する」などという,ゼロか百かの単純な二元論に足をとられてもいたためだ,と原は述べている.

 【参考ページ】
『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(原彬久著,中公新書,2000.3.25),p.330-338

【ぐんじさんぎょう】,2011/04/14 20:30
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