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◆ヴァイキング Vikingek
<戦史FAQ目次
(画像掲示板より引用)
「カラパイア」◆(2010.2.14) 炎を持ったバイキングたちが夜空を真っ赤に染め上げる,スコットランド燃える祭典「ウップヘリーアー(Up Helly Aa )」
『ヴァイキング事典』(スーザン・M・マーグソン著,あすなろ書房,2007.1)
【質問】
ヴァイキングって何?
【回答】
ノルマン人=北の民,別称で,「入江の民」という意味をもちます.
北ゲルマンに属し,原住地はスカンディナヴィア半島・ユトランド半島で,8~12世紀ごろに活発な民族移動を行い,ヨーロッパ世界一帯に多
大な影響を及ぼしました.
ゲルマン人とは,ローマ帝国が衰える4世紀頃にヨーロッパ圏に大移動した民族です.
ローマ帝国時代から傭兵として優れた人種でした.
【質問】
そんでヴァイキングは何かやらかすの?
【回答】
ヴァイキングはヨーロッパだけでなく,中東のイスラム圏まで暴れまくりますが,ヨーロッパの方では部族によるノルウェー・デンマーク,スウェーデンが建国されます.
しかし一番有名なのは,ヴァイキング首長ロロによるノルマンディー公領.フランス北部に領地を西フランクから与えられ当時西フランクの王であるシュルル三世の妹と結婚をします.
彼らはフランスのノルマンディ地方に定住し,フランス人と同化(というよりはフランスの言語や文化,生活様式
を受け入れたといった方がいいだろうか)し,ノルマン人となります.
その後,数百年の月日が流れ,ノルマンディー公ウィリアムによりアングロ・サクソン人が治めるイギリスに攻め込み,ノルマン朝を立て,イギリス王国(現在のイギリス)を創始しま
した.
一方,東スラブでは部族国家が多すぎてまとまりがなく,互いに争いばかりやっていたため,そのとき商売に来ていたヴァイキングであるノルマン人(ルーシ人)の族長リューリクを担いで,王様になってもらい,キエフにルーシ(ロシア)を作りました.
北海と黒海を結ぶ交易路はヴァイキングの通り道だったから,交易中継地にヴァイキングが街を作り,それが周囲の定住民にも支えられて大きくなったんだと思います.
当時も今もロシアは人口密度が極めて低いものでした.
しかも森林地帯とステップ地帯とが分かれており,
それを南北に繋ぐのは交易路でもある河でした.
全く環境が異なるけれども中央アジアの交易オアシス国家と同じような物だと思われます.
実際にイワン雷帝やピョートルが出てくるまでは,ロシアというのは距離の離れた連続しない都市国家の集まりでした.「東スラブ人は都市を作らなかった」というよりも,当時の生活形態では作る動機が無かったんだと思います.
ちなみに,ノルマン人がスラブ諸部族と抗争した事実はありません.
【質問】
バーサーカー(狂戦士)って本当にいたんですか?
【回答】
大麻やキノコでラリって気勢を上げた,という話だが・・・
イギリスのTV番組で,ボランティアにバイキングの武器の扱いを訓練させて,その後で酒とベニテングダケを服用させてから武器を使わせる,という実験をやったらしい.
結果,キノコは戦闘能力を低下させることが確認されたそうな.
【質問】
ヴァイキングの侵略に対抗して,西欧は,ヴァイキングの本拠地である北欧を襲撃したことは無いの?
【回答】
バイキングは国家ではないし,襲撃したところで得られるものは何にもないから,北欧など興味がなかった.
中世には,北ドイツやリューゲン島に住んでいた異教時代のスラブ人部族がデンマーク島嶼部を襲撃して勢力を広げたりしたことはある.
後に,ポーランドとデンマークが姻戚関係になって合同し,これらスラブ人部族を撃退し,イギリスまで遠征している.カヌート大王の時代.
でも,この時代のデーン人はバイキングとはいえないな.
【質問】
ヴァイキングの入植地はどうなったの?
【回答】
アメリカ入植地の最期は悲惨だったそうです・・・
ヨーロッパとの定期船も途絶えた末に孤立,
果てにイヌイトに襲われアボーン・・・
15世紀まで集落は生き残ったようですが,コロンブス以降にヨーロッパ人が訪れたときには,既に無人の村と化していました.
南方のイティルは,「赤毛のエイリックのサガ」によれば,3冬を越しただけですぐに撤退してしまうので,入植地として確立もしていないのではないでしょうか.
撤退の理由は, 土地は豊かであったが,原住民(スクレーリンガル)との武力衝突や襲撃の恐怖を恐れてのことだとされています.
『赤毛のエイリックのサガ』では,
「赤い布を好んで欲しがっていたので動物の皮と交換し,剣や槍も購入したがっていたが,カルルスエヴニとスノッリが交換を禁じている.
やがて交換する赤い布が少なくなると,高値で取引をする.
カルルスエヴニたちが飼っていた雄牛が森から突進してきて,唸り声を上げ,スクレーリンガルたちはギョッとして,逃げていった.
3週間たったのち,襲撃してきたので戦闘となった.
スクレーリンガルの飛び道具により,戦意を喪失するが,妊婦のフレイディースの行動に恐れをなし,スクレーリンガルたちは戦意を失い撤退する.
この戦闘でカルルスエヴニ側は2人が戦死した.スクレーリンガル側は多数の犠牲者が出た.
先住民との衝突の危険性を考え,撤退する.
北上の途中,5人のスクレーリンガルを発見し,陸地から襲ってきた一味の回し者と考え,5人を撃ち殺した」
とのこと.
この内容から,
・物々交換(バーター貿易)から,雄牛の事件をきっかけに関係が悪化し衝突となったこと.
・飛び道具によりすぐに戦意を喪失したり,妊婦のような女性も参加していることから,もともと戦闘を想定して遠征を組織しているわけではないこと.
・カルルスエヴニ側は2人が戦死し,スクレーリンガル側は多数の犠牲者が出た
というので(サガによればですが),撤退理由が戦いの優劣ではないことが推測されます.
スクレーリンガルは,『赤毛のエイリックのサガ』によれば,
・投石器を武器として使用している.
・革の胴衣を着ていて,木製の入れ物を持っている.
・斧を知らない.
・王たちに治められていているといっている.
・岩穴や洞窟に寝泊まりしている.
ということぐらいしか分かりません.
なお,1992年に,イティルの可能性がある古墳群遺跡が,ロシア発掘チームによりカスピ海の小島で発掘された,という話のようです.続報は不明.
10年たって報告が出てないってことはないでしょうから,イティルでなかった可能性が高いのでは?と思われます.
ヴァイキングの東方へ進出についてのサガには『イングヴァールのサガ』があり,マッツ・G・ラーション『悲劇のヴァイキング遠征』(新宿書房,2004年12月31日発行)は,このサガをルーン石碑などとともに読み解いています.
遺跡としては,カナダのニューファンドランド島ランス・オ・メドーズ(ランゾー・メドーズ,L'Anse-aux-Meadows)
北アメリカにヴァイキングの居住跡とされる有力な場所があります.
ノルウェーの調査隊が1961-68年に調査を行ない,発見した炭素殻と炭より,放射性炭素の分析から860-890,1060-70年と推定されています.
ヴァイキングの生活をしていたことを示す85個の遺物を発掘し,カナダ政府環境省公園管理局
(ここが管轄)の1973-77年の調査で45個の遺物を発掘しました.
合計130点であるが,これはランス・オ・メドーズとほぼ同規模のアイスランドのクヴィタルホルトの遺跡から出土した遺物88点に比べて多いものの,出土品のほとんどが鉄と鋲であることは共通しています.
ヴァイキングの居住を示すものは,例えば羊毛を紡ぐための糸巻きの破片が見つかっていることなどがあげられるています.
~~イヴ・コア『ヴァイキング』創元社 「ランス・オ・メドーズの遺跡」より
余談.
これが幸村誠「ヴィンランド・サガ」に登場するヴィンランドなのかも知れないし,そうでないのかも知れませんが,関連づけるに足りるものが不足しています.
【質問】
バイキングはいつからバイキング行為しなくなりましたか?
ノルマン人のイギリス征服とか南イタリア征服は,「バイキングの勢力拡大」という理解でいい?
それとも,もはや別もの?
【回答】
ヴァイキング(ノルマン人)は戦争や海賊ばっかやってたんではない.
交易商人であり優秀な職人であり,漁業はもちろん農業も営んでいた.
デンマークやスカンディナヴィア諸国に統一王朝が出来ても,ヴァイキングの高い能力は生かされ,ノルマンディーやイングランド,ロシアなどを征服し植民していった.
が,完全に定住して王侯貴族になってしまえば,自由で独立したヴァイキングとはいえなくなる.
北海帝国やノルマン王朝の時代は,いわば定住への過渡期としていいのでは.
十字軍以後はもうヴァイキングとは言いがたい気がする.
・・・イスラムにとっては大して変わらん蛮族だろうけど.
世界史板
青文字:加筆改修部分
【質問】
どうしてヴァイキングは略奪止めたの?
【回答】
侵略されていた諸民族が封建国家を完成させた中世には,形勢を完全に逆転されますた.
いったんヨーロッパが堅固たる国家体制をととのえてしまえば,がんらい技術も総生産も総合的な技術もたち遅れていた未開の北欧人やアジア遊牧民は,基礎体力で太刀打ちできません.
で,じぶんたちも慌ててキリスト教に改宗し,封建国家(スウェーデンやデンマーク,ハンガリーやブルガリアなど)建設へと舵を切ったわけです.
もっと言えば,ヴァイキングの北にヴァイキングは居なかったからだと思います.
【珍説】
8世紀から10世紀にかけて,北方のノルマン人はバイキングとなり,ヨーロッパ全域を侵略し,略奪,放火,殺戮の限りを尽くし,人々を捕らえ,奴隷としてイスラム世界などへ売っていた.
より遠くへ遠征し,珍しい品物を入手することが,彼らの権威を高める手段だった.
〔略〕
こうしてバイキングはフランク王国,イングランド王国などを滅ぼし,現代の英仏など,ヨーロッパ諸国の基礎を築いていったのである.
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.162-163)
【事実】
まるでマンガを鵜呑みにしちゃったようなヴァイキング観ですな.
彼らが略奪等を行った事は否定しません.
そもそも北欧諸国の王権は,略奪行に由来してるそうです.
「王権の成長自体がヴァイキング活動に関係があったのである」
「~地域間の争いを平和的に解決し,共通する外敵を撃退し,また結束して遠征するために,連合することを必要とした」
「財政的にみても王権は,「国民」の租税にではなく,対外的な略奪や交易に依存していた
~少なくとも恒常的な租税はなかった
~遠征こそが王権の形成根拠であり,存在理由でもあった」
『山川出版社「北欧史」熊野聰他著』
ですが,実際は略奪だけではありません.
バイキングの船出の本来の目的は交易です.いわゆる運送屋.
その上,鉄工を主体として手工業も得意.ピピン一族はアウストラシアの鉄産地の出身です.
以下,ヴァイキングの輸出品目;
ガラス製小像,鹿の角の工芸品,銅の工芸品,青銅の工芸品,水晶玉,ガラス玉,陶器,ガラス細工,琥珀の装身具,農産物,織物,奴隷,干し魚,蜂蜜,毛皮,セイウチの牙の工芸品,セイウチの皮,イッカククジラの牙,手織りの毛織物,ハヤブサ,鉄
取引にはアッバース朝の銀貨を使っていました.
ヴァイキングの「農民」としての側面も,知られているような知られていないような.
ヴァイキングは,その海賊行為だけで生活していたように考えられてきました.
その後,商業部分が評価されるが,今度は交易者としての過大な評価のため,個人的土地所有者,「農民」としての存在が見失なわれています.
交易,ヴァイキング,傭兵などの活動は,定着前の富をなす手段でしかない,という見解を示す熊野聰氏の『北の農民ヴァイキング』(平凡社)などを読んでみると,ヴァイキング=海賊のイメージの人にとっては,目から鱗なのかも知れません.
彼らの探検・征服行も,新たな農地を手に入れるためです.
また,「カラーイラスト 世界の生活史6 ヴァイキング」も,いい感じの本ですが,色彩が派手で,実際はもっと地味だったんだろう思われます.
ヴァイキング=北欧人として,金髪碧眼のイメージが強いが,金髪碧眼が多かったかどうかは怪しいものがあります.
ヴァイキングの襲撃を受けた人びとは,特に目立つ金髪にのみ言及し,また現代の北欧人のイメージとあいまって定着しがちです.
しかしレジス・ボワイエは,『ヴィキングの暮らしと文化』(白水社)において,多くは茶色の髪の毛で,たとえば,「アイスランドのサガ」に登場する人物は,茶色の髪をした黒い瞳の娘などであるとしています.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
アングロサクソンの祖先は海賊であり,イギリスは「海賊立国」である.
だが彼らは,その略奪・殺戮の歴史に罪悪感を持つどころか…祖先が「勇敢なバイキング」だったことを今でも誇りにしている.
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.163)
【ツッコミ】
「現代の価値観で,過去の事象を批判するな」
by 小林よしのり
なお,ノルマン・コンクエストは王室が変わっただけで,それ以外の階級が変化したわけではありません.
ヴァイキングがアングロサクソンの祖先という言い方も正確ではありません.
ノルマンが後にアングロサクソンに同化したのが真実です.
ちなみに,勝ったウィリアム1世と,負けたハロルド2世は親戚同士.
イングランドの農業は小作農制で,農奴制はありませんでした.
民族による階級の区分があったわけでもありません.
しいて言えば,
ノルマン&アングロサクソン>ケルト
ですが,そういった民族的階級区分よりも,中世文化においては,
王侯貴族>農民
という身分的職業的階級区分の方が際立っています.
【珍説】
この500年の世界史の真実を見ておこう!
大量破壊兵器の所有と言う濡れ衣を着せてまで,イラク侵略を押し切り,石油利権の強奪を図ったアメリカ・イギリスの白人どもが,先祖返りを起こしている実態を知っておくのだ!
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.163)
【事実】
イラク戦争の各項で述べた通りですので,反証を用意してから論壇に出直してきてください.
それにしても,バイキングの歴史一つろくに調べもしないでおきながら,「世界史の真実」とヌケヌケと言える口は,どの口ですか?
【質問】
バイキングが乗っていたあの独特の船は,何か呼び名があるんでしょうか?
調べてみてもたいていは「バイキング船」としか載っていないもんで.
【回答】
大きく分けて
戦闘用はロングシップ
貨物用はクノール
サガでは,直接的な表現をとらず,「海の馬」といった表現で表わされる.
いわゆるヴァイキング船については,ここがくわしい.
http://www.runsten.info/viking/ship/index.htm
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