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戦史FAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【link】

「2ch.軍事板」◆(2003/03/17〜) 今更ベトナム戦争について語るスレ
 レス回収済

「2ch.軍事板」◆(2003/03/30〜) 今のアメリカ軍がベトナム戦争を戦ったら
 回収すべきレス無し

「2ch.軍事板」◆(2004/02/03〜) もし日本がベトナム戦争で師団規模おくっていたら
 レス回収済

「404 Blog Not Found」:訃報 - Robert McNamara, 93

American Aces of World War 2(朝鮮戦争,ヴェトナム戦争の両陣営エースについても記述)

NAM

NAN戦装備/用語辞典(主として陸戦)

「U-1速報」◆(2013/05/24) 「韓国総領事が韓国軍のベトナム虐殺を日本人の捏造デマと断言」 ベトナムでの売春婦活用を公的否定する韓国人たち

「U-1速報」◆(2013/09/13) 「韓国のベトナムに対する成熟的な態度を日本も見習うべきだ」 韓国がベトナムを許すが如き理解不能な理屈を展開中

「WP」◆(2011/08/08)Vietnam War-era artillery shell explodes, killing 2 people cutting it up for scrap metal

「朝目新聞」(2013/06/28) ●ベトナム戦争時,狙撃兵にキレた米軍が猛烈な砲撃を叩きこんでいる写真が公開

一番槍(リンク切れ)

 ヒストリア・ベトナムでは人物や部隊を解説しています[略]

------------ホワイトアイス by mailform, 2012.2.4

一番槍BLOG

 ベトナム共和国軍をメインに、インドシナ半島の歴史、軍装、AR15/M16含む米軍採用小火器を解説したBLOG

------------戸R in FAQ BBS,2015/6/30(火)

「アルファルファモザイク」◆(2013/06/23) 韓国によるベトナム30万人虐殺の賠償を日本が行うべき―慰安婦が訴え

ヴェトナム戦争軍事戦略論

「ザイーガ」◆(2010/02/27) 【動画】ベトナム戦争ドキュメンタリー

「日刊 アジアのエネルギー最前線」(2013/10/05) ◆ボー・グエン・ザップ将軍死去 ベトナム戦争指揮|日経

「ニュー速クオリティ」◆(2010/08/10)フルメタル・ジャケット無料配信キタ━━━━(°∀°)━━━━ッ!!

北京亭同志会

「ベ平連」運動の情報ページ

「まとめたニュース」◆(2013/11/14) 韓国 「ライダハンってなんだよw そんな事実は存在しないんだよwww」 韓国がライダイハンを史実から消去画策

●書籍

『Vietnam Gun Trucks』(Gordon L Rottman著,Osprey)

 自身ヴェトナムで特殊部隊従軍経験を持ち,これまで多くの名著を残してきた著者による,おそらく決定版代表作.
 1967年に誕生し,1972年に(一度)消滅した,これまで独立兵科として全く認知されて来なかった知られざる「攻撃兵科」…Gun Truck
 その非常的防衛手段としての誕生から,極めて攻撃的な高速歩兵戦車としての(米軍ヴェトナム撤退による)終焉までを,組織編成・戦術・兵器としての発展,独特のメンタリティなどあらゆる麺から描き出している.
 たまたま読み合わせる事になったのだが,歴群アーカイヴ「第1次世界大戦・2」の冒頭の,田村尚也氏による菱形戦車論と比較すると非常に興味深い.

 っても原書読めねえよ…というそこの貴方,はっきり言ってこれ,英語読めない新規移民米兵向きの手引き本です.
 終章"ASSESSMENT"を締めくくるこのパラグラフの意味が取れれば大丈夫.
" It would be 40 years later,in iraq,but the Army would find itself in need of convoy escort and faced an ingenious and even more deadly enemy determined to ambush convoys.
Atypically,the Army initially made no effort to study the successful gun track operations and principles developed in Vietnam.
Instead they reinvented the wheel and it proved to be costly"
 わずか48ページの一冊で,なにからなにまで完結していることもあり,写真集の次の最初の原書としては最適かと.
 …しかしいまごろになって,こんなテーマの本に着手する訳だ,著者.
 古巣相手に激怒しているなあ…

-----------------軍事板,2011/10/25(火)
青文字:加筆改修部分

『輝ける嘘』(ニール・シーハン著,集英社,1992.9)
『輝ける闇』(開高健著,新潮文庫,1982.10)
『ベスト&ブライテスト』(デビッド・ハルバースタム著,朝日文庫,1999.7)

 上記3冊は,冗談抜きで,1962〜64年に,75年の敗北を予言した名著.
 南ベトナム軍が,いかに戦う気がなかったか,どれだけ米軍を投入しても絶対勝てるわけなかった,ということを肌で感じた人々の著作.

 この3冊を読むと,1965年のダナン上陸にはじまる米軍の武力介入など,まるで無駄だったと叫びたくなる絶望的名著.

―――軍事板

『彼らはヴェトナムへ行った』(リック・アトキンソン著,新潮文庫,1995.6)

 ある年次のウエストポイント卒業生たちの,入学以後の人生を描いた作品.
 確か,一番戦死傷者が多かったんじゃなかったかな.
 米陸軍の士官教育や,軍組織のあり方が,興味深い.

------------軍事板,2001/06/18(月)
 原題:「The long gray line」
 陸軍士官学校1966年卒業クラスの士官学校の4年間,任官後のヴェトナム,その後の米陸軍の様子が個人のエピソードを中心に組み立てられている.
 全編非常に面白い本だが,中でも卒業後のレンジャー課程で若き少尉をしごくのが,あのデルタの生みの親・ヴェックウィズだったりする.
 また,875高地の戦い(ダク・トーの戦い)も上巻のクライマックス.
 このように,ごく普通の士官の目線で語られる戦争は,非常にリアル.
 マニアはさておき,幹部自衛官ならば必読の書と言える.

 ちなみに士官学校のドタバタ4年間は,スケールが違うものの,基本路線は防大のそれと同じ.
 規律の中にも悪戯小僧は健在.

――――――軍事板
 良い本だよ.
 士官の軍隊ものだとベストに入る作品.
 イケメンで家柄も良くて,成績抜群の超絶リア充が負傷やら何やらで案外出世できなかったり,中には世界を揺るがすような出来事に巻き込まれるやつがいたり,同期でもそれぞれの人生が,バラエティに富んでて読ませる内容.

------------軍事板,2012/01/03(火)

『ケネディと冷戦 ベトナム戦争とアメリカ外交』(松岡完著,彩流社,2012.8)

『戦争記憶の政治学: 韓国軍によるベトナム人戦時虐殺問題と和解への道』(伊藤正子著,平凡社,2013/10/11)

『ドキュメント ヴェトナム戦争全史』(小倉貞男著,岩波書店,2005.4)
 北ヴェトナムの政策に関する書籍.

『ベスト&ブライテスト 2』(デビッド・ハルバースタム著,サイマル出版会,1983.6)

『ファイブ・フィンガーズ 皆殺しの七人 特別狙撃チーム出撃せよ』(ゲイル・リバース著,原書房,1990.5)

 NZのSASで,ベトナム戦中に中国に潜入した話.
 ただ,著者の話を落合ノビーが翻訳した事実あり.

 中身はところどころ糞リアルな部分があるので,なんとも言えん.
 ゲイル・リバースの他の著作も,ただの素人ではない,細かいところがいちいち具体的,かつ緊張感あるな.
 肉体労働してる人にはわかるんだよね.
 あんな丈夫そうなBDUと,屈強な兵士の体が,どんどんボロボロになっていく様が,リアルだったな.

 あとその本の,ラジオを聴いてる言うことを聞かない兵士のエピソードを,村上龍が「5分後の世界」で,ガッツリいただきで書いてたよ.
 SASのリバースが,トラックの荷台にのって,一般兵士と移動中(ごめん,うろ覚え.作戦中かも),ポータブルラジオを聴いてる兵士がいて,
注意したらそいつがイヤホンを抜いたと.
(なんかあって,いうことを聞かせた)
 リバースはそれ以上言うこと聞かないと,のどを掻っ切るつもりでためらいはないと書いている.
 5分後の世界では伝聞の形を取って,優秀な日本兵が,そいつののどを掻っ切ったという形にしてある.
 ほぼ,まんま.
 立松和平とか田口ランディ並みの盗作なんだな.
 村上龍は「僕ちゃん,お勉強しましたよ.馬鹿向けに」小説を書く人だから.
 表に出ない相手から,盗作するのはやりやすいよね.

――――――軍事板,2010/05/23(日)〜05/24(月)
青文字:加筆改修部分

『ホーチミン・ルート従軍記 ある医師のベトナム戦争1965-1973』(レ・カオ・ダイ著,岩波書店,2009.4)

 ベトナム戦争の北側の本と言えば,ゴー・グェン・ザップ将軍の様に,大局的な目線からの本が多かったが,最近はそうでもないみたいで,前線で戦った兵士や将校達の目線で書かれた本が,多く出版される様になってきたとか.
 本書はその先駆けとなるもので,元々はダイ医師が野戦病院で付けていた日記を元に,ベトナム語で出版したものを英訳出版し,更にそれを日本語訳されたもの.

 著者は抗仏闘争からずっと,軍医として各地を転戦し,1965年に前線の医療体制を構築する為にホーチミントレイルに送られた人で,本当の前線ではないにしろ,その直ぐ後側で兵士達の治療に当っていた.
 前線ではないとは言え,ベトナム戦争はヘリボーンによる後方への奇襲兵力投入が可能と成った戦争でもあり,病院の位置を暴露されて屡々,ヘリボーンで展開した敵兵力と銃撃戦を繰り広げている.

 こうした戦記でも,共産主義社会にありがちな教条主義的なものは余り見られず,そうした輩を寧ろ嘲笑し,
兎に角,やれる範囲で現実的な対応を次々に編み出している.
 自転車の灯火を利用した手術用の照明,自前で構築した水力発電設備,自活の為の食糧供給政策など,戦場においては教科書通りの施策が採れないことを書いている.

 現実と言えば,共産主義体制では余り自国の政府や軍人の悪口を書かないものだが,時に歯に衣着せぬ言い方(流石にイニシャルにするなど配慮はしているが)で批判している.
 また,前線視察を怖がって途中で帰った幹部が粛清されたとか,クメール・ルージュによるホーチミントレイルの輸送妨害なども触れていて,北側の苦闘も描かれている.

 訳も変な誤訳はなく(まぁ,観測機が全部L-19とか,40mm迫撃砲がUH-1から撃たれるなどがあるが),全般的に読みやすい.

――――――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2009/08/07(金)

『レクイエム ヴェトナム・カンボジア・ラオスの戦場に散った報道カメラマン遺作集』(ホースト・ファース他編,集英社,1997/10/9)

 写真集.
 ベトナム戦争で戦死した戦場カメラマンが撮った写真です.
 北ベトナムの側から取った写真もたくさん有ります.

------------軍事板,2001/08/29

 【質問】
 ベトナム戦争物でおすすめある?
 『彼らはベトナムへ行った』と,漫画の『キャットシットワン』は持ってる.

 【回答】
 小説でよければ
『ローリングサンダー』
『ファントムリーダー』
『スチールタイガー』
 何れもマーク・ベレント著,早川文庫NV.

 彼には本当はあと2作品ある筈なんだが,未訳のまんま.

 ファントム好きなら
「ベトナム空戦史」
 二人乗りなので面白い.
 後席が緊急周波数で神様お助け〜!と叫んでしまって,帰還すると「祝帰還・神様オタスケ号」と垂れ幕ができてたりとか.

 ヘリが好きなら,
エバケンの「ガンシップ」
 または,ひたすら撃ちまくる
「地獄のヘリ作戦」

『第3MP大隊奮戦記―もう1つのベトナム戦争』
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4383024645/
 マイナーだけどおすすめ.
 軍や兵士は,いわゆる「後方」でどんな活動をしているのか,というお話.

「ワンス・アンド・フォーエバー」(ハロルド・G・ムーア ジョセフ・L・ギャロウェイ/角川文庫)
 入手してみたらガチだった.
 まだ冒頭をちょこっと読んだだけだが,映画とは明らかに違う.

「NAM―狂気の戦争の真実」
 開戦から終戦まで,陸海空,アメリカ国内戦線まで,1990年の西側で手に入ったヴェトナム戦争情報を,盛り込める限り叩き込んだ大型本.
 北ヴェトナムについては流石に薄いけど.

軍事板,2012/01/03(火)〜01/06(金)
青文字:加筆改修部分

「プラトーン・リーダー 歩兵小隊のベトナム戦争」ジェームズ・マクダナー(大日本絵画)
 第173空挺師団第503連隊第4大隊B中隊の小隊長の手記
 あまりにもステロタイプなベトナムでの歩兵戦闘が描かれてますが,あくまでもノンフィクションです.

「ベトナム戦争 兵器ハンドブック」ソノラマ
 兵器ハンドブックと名うってますが,読みやすい概略と,キーとなる作戦の概要も記述.
 特に,米軍撤退後の最終攻勢である,イースター攻勢にも言及.
 正直,兵器解説の部分なんかどーでも良いので,上記部分をもっと詳しく追って欲しいかったですが,これ以上深く追うと,それはそれで読みにくいかもしれないので,まあちょうど良かったのかも.

Lans ◆xHvvunznRc :軍事板,2012/01/03(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ヴェトナム戦争全般を分かりやすく噛み砕いて書かれた本ってありますか?
 専門的でも構いませんが…

 【回答】
 北ヴェトナム側からのヴェトナム戦争については↓が詳しい
『ベトナム人民軍隊 知られざる素顔と軌跡』
小高泰著
暁印書館
2006年8月刊
 ヴェトナム語資料や現地での調査を基にした詳しい記述がポイント.
 現在に至る軍の情勢についても見ることが出来る.

 入手しやすく,戦争の性格や全体像を理解するって点だと
松岡完『ベトナム戦争』(中公新書,2001.7)
 軍事的な描写はあまりやってないのと,時系列でなく,各章構成がイシューごとなのはちょっとわかりづらいかも.

 で,一番いいのは
ジョージ・ヘリング『アメリカの最も長い戦争(上・下)』(講談社,1985.11)
 1954年のインドシナ和平から撤兵までを扱ってて,米国の外交史研究を見ててもまず必ず上がる概説書.
 問題はちょっと古くて,今は入手難な点.
 図書館の類にあればぜひ.
 また,翻訳は初版だけど,原著(America's Longest War : the United States and Vietnam, 1950-1975)なら2001年に改訂第四版が出てる.

 ベトナム戦争はヘリが大活躍した戦争なので,
『地獄のヘリ作戦』(H. L. ミルズJr 他著,朝日ソノラマ文庫,1995.5)
もオススメ.
 とにかくヘリコに乗りまくって撃ちまくって敵も味方も死にまくった話満載.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 若干入手難ですが
『ベトナム戦争兵器ハンドブック』(三野正洋著,朝日ソノラマ文庫,1996.6)
が読みやすいです.
 兵器解説は三野なので軽く流すとしても,戦争の概要と戦闘の実態の部分は別人が書いています.
 このシリーズは他に朝鮮戦争と湾岸戦争が出ているのですが,新書版で再刊されているので,もしかしたら,ベトナム戦争も再販されてるかもしれません.

 なお,このころの三野は意外とまともっぽい.
 つか考察になるとやばいですが,戦史,資料であればそんなに気にならないレベルでまとまります.

Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ウ゛ェトナム戦争ってなんでアメリカ負けたんですか?
 アメリカってめっちゃ強いのに,なんで東南アジアの発展途上の国に負けたんでしょうか?

 【回答】
 ベトナム戦争では,アメリカ側は様々な制約の中での戦争だった.
 ベトナム戦争はアメリカ対ベトナムと一般に認知されるし,実際にそうだと言えるだろうけど,正式には南ベトナム&アメリカvs北ベトナム.
 実質はどうであれ,北ベトナムに侵略を受けている南ベトナムに対する援軍,として現地に行っており,侵略を防ぐために駐屯してるのであって,北を侵略するために行っていたわけではない(重ねて言うが,実態は別の話).
 アメリカが負けた,というのは人的損失の巨大さと大儀名分と実態がかけ離れていることからのアメリカ国内での反戦運動から,援助していた南ベトナムから撤退せざるを得なくなった.
 最終的に,アメリカ抜きの南ベトナムが北ベトナムに統一されることになり,アメリカが援助していた国家は消滅.これが負けたということであって,北ベトナムがアメリカを侵略したわけではない.

 念のためだが,南北ベトナムに分離していたこと自体が,ベトナム人にとっては押し付けの話.
 ベトナム戦争は統一戦争の側面と代理戦争の側面を併せ持つが故に,左右の主張や見方が異なるのは当然だが,内戦の末の統一そのものに対して,外国であるアメリカが敗北したか否なんか,そもそも関係ない話.

(世界史板)

 世論と有力支持者の意見.
 戦争前半,米政府軍部のベトナムでの戦は圧倒的かつ順調に推移しているってストーリーを流してた.
 アメリカ世論も最初はイケイケだった.ベトナム戦争は楽勝だと思われていたから.
 が,テト攻勢(当時の北ベト軍側の評価では,軍事的には戦術的にも戦略的にも大敗) で北ベト側に大規模な攻勢を行うだけの能力があり,楽勝とは言えないってのが露呈された.
 楽勝のはずだったのに,大軍突っ込んでも勝てないから,おかしいぞってなったわけ.
 その後,テトの被害と教訓から北越側が,対仏戦以来の大攻勢による占領から,不正規戦によって米軍の疲弊を図ることへと方針を転換し,以降勝ち負けのはっきりしない泥沼に陥り,米が嫌気を起こしたと.
 その結果,国益とコストを重視する中道〜保守系の世論も反戦へと傾き,国論が撤退へと傾いた.

 また,ベトナム人の心を掴むことが出来ず,ゲリラ(南ベトナム解放戦線)への対処が下手くそだった.
 アメリカが後押しした政権は,腐敗まみれで人心は離反していたし,「戦略村」構想なんて最低.
 結果,「軍隊を負かすことはできても,国民を負かすことはできない」というクラウゼヴィッツの分析通りに.

 さらに,アメリカ政府も前線に近いところへあまりにも介入しすぎた.
 それゆえ,作戦に政治的な制約がかかり,思い切った攻撃がベストなタイミングで行われなかったということもある.

軍事板

▼ 上記を戦略学的にいえば,ヴェトナム側のほうが戦略が明快だったことが勝因だという.

――――――
北ベトナム側の三つの戦略というのが,

@決定的な負けを絶対に避ける
Aとにかく長期戦に持ち込む
B意思の力では絶対に勝つ

の三つだったそうです.
これによってアメリカは負けたということです.
――――――

 詳しくは「地政学を英国で学ぶ」を参照されたし.
 上記引用もここから.▲

僧侶の抗議の焼身自殺を「人間バーベキュー」と言い放つ,腐った大統領弟夫人も南ヴェトナムにはいたし.


 【質問】
 なんで米軍はベトナムであんなに苦戦したんですか?
 やっぱゲリラの力?
 ソ連という後援の存在?

 日本は仏印進駐ではけっこうすんなりいったような気がしますが.

 【回答】
 まず相手が違う.

 フランスとアメリカの場合,ベトナム人社会そのものと戦っていたが,日本軍の場合対象はフランス軍,それも二流軍隊に近い植民地軍.

 フランスもアメリカも結局は,住民を味方につけること出来なかったからといってもいい.
 フランスの場合は兵力不足と錬度士気の不足により最終的に押されてしまったが,アメリカの場合は物量で押し捲って,軍事的には勝っていた.

 余談だが,フランスはインドシナ戦争の敗北を教訓にして,休戦直後に始まったアルジェリア戦争では,インドシナ帰りが戦場に戻り始めたころから,徹底した掃討戦術を採用し,1959年から始まった大攻勢を始めるに至る.
 1960年になるとアルジェリア内の解放戦線部隊を一掃し,「軍事的」には圧倒的な勝利を収めつつあった.
 が,現地住民からソッポを向かれ,国内世論は反戦及び厭戦気分に触れそうになり,国債政治的にもコケてしまっては,軍事的勝利だけではどうにもならん.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 北に行けば中国が介入する.ソ連との対決が深まる.
 世界戦争に拡大する.
 それで北に行けなかったのだけど,朝鮮戦争のように17度線で持ちこたえることができなかったのは,なぜなんだろう?

 【回答】
 やはり朝鮮と違って,ジャングルからの浸透を防ぐのは難しかったんだろうなあ.

 38度線みたいに無人地帯もうけて,本当に物理的な鉄条網なり壁なり造る計画はあったのよ.
 マクナマラ・ラインというやつなんだけど,結局,朝鮮半島とちがい,隣国のカンボジア・ルートを超えられると意味なしだから,建設は中止になった.

軍事板


 【質問】
 ベトナム戦における米軍の最大の間違いは,北ベトナムに陸上軍を侵攻させなかったことなのでしょうか?

 【回答】
 ドミノ理論が最大の間違いじゃないか.

 ベトナム政策でのアメリカの最大の失敗は,親米主義者だったホーチミンを敵に回し,腐敗無能な連中に政権を渡したことにある.

 ホーチミンは独立宣言をした直後は建前上,議会制民主主義を容認しておったので,アメリカが素直に国家承認しておけば,その後はユーゴ状態になって,完全共産主義体制になってもソ連中国とは同一歩調をとらず,中立的親米路線を歩んだろうと推測されている.

軍事板

▼ プロパガンダかもしれないが,ホーチミンはフランスの植民地主義に対抗するウィルソンの民族自決を生んだアメリカの民主主義に結構,期待してたみたい.
 「ペンタゴン・ペーパー」からの引き写しだけど,40年代末,ホーチミン率いる民族組織は,アメリカにラブ・コールをおくっていた.
 結局,無視されて,独力でヴェトミン戦争に勝って,こんどこそアメリカと仲良しにされるかな?と思ったら,すでにアメリカはマッカーシー旋風後で,ソ連の匂いのするヴェトミンは,こんどこそ目の仇にされたんだと.

軍事板

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 北ベトナム領内への全面侵攻は可能だったの?

 【回答】
「そういうことしたら社会主義圏全体へ戦争仕掛けたと見なすぞゴルァ」
と,ソビエトと大陸中国に脅されてたので無理.

 だから,北爆の時は様々な制約が付けられて効率的な作戦を阻害した.
「ソビエトの軍事顧問団に被害が出たら大変なことになるぞ」
ということで.
 まぁ実は結構死んでるんだけど,ソビエト軍人・・・.

 あと,同じような脅しが入ってたので海上封鎖も出来なかった.
 特に海上封鎖は「キューバ危機の悪夢」が関係者の頭にチラつくので尚更.

 下手に北進すると,核戦争につながりかねない,という懸念が常にあった.
 少なくとも,冷戦の悪化,核のヘアトリガーがさらに軽くなるという心配.
 誰だって,アジアの「共産主義に対する砦」より自国の方が大事だ.

 というか,そんな兵力の余裕はどこにもない.

 ただでさえ,議会の
「これだけの大兵力を送って何故勝てないのか.どれだけ兵力があればいいというのか」
という質問に,派遣軍司令官が
「最低でも今の倍は必要です」
と答えて,議会を絶句させたりしていたんだから.

 兵力増強の妨げは,もちろん装備などの必要性もあるが,なにより政治的問題.
 その時点での徴兵制ですら不評だったのに,倍増したらその政権は消滅する.
 自分をホワイトハウスや議会から追い出す法案にサインする政治家はいない.

 それに当時は,「冷戦」という戦争の真っ只中であることを忘れてはならない.
 アメリカ連邦軍/州兵全てをヴェトナムに動員したら,欧州はどうなる?

 ウエストモーランドに言わせれば,ヴェトナムに派遣した数十万の兵力は,
「兵力の逐次投入の愚の典型.
 最初から大兵力を派遣して一気に決められないなら,派遣そのものをするべきではなかった.
 物資的な援助と少数の顧問団派遣に留めておくべきで,海兵隊のダナン上陸からして,この戦争は間違ってる」
という扱い.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大学の行政学の夏季授業で国防長官のマクナマラが出てきてるのですが,授業で彼の改革で非効率が当たり前と思われていた軍事の分野に効率を持ち込み,一定の成果が出た反面,ベトナム戦争ではその効率化政策が祟って散々な結果になったと聞いたのですが,そうなんでしょうか?

 【回答】
 だいぶ昔に読んだ話なんで細部は間違ってるかもしれないが.ベトナムでは過去の統計から消費した弾数に基づいて戦果が推計されたことがあった.
 要するに,敵のいそうな繁みにこれこれの数の弾を撃ちこんだから,確率上はベトコンにはこれだけの死傷者が出たはずというもの.
 それに基づいて戦果が発表されたわけだが,実際には誰もいないところにメチャクチャに撃ちこんでるだけということが多かった.
 そのため,統計上は大量の損害を与えているはずなのに,敵の抵抗が弱まらず,作戦遂行上で大きな問題になったとか.

 つまり,ベトナムでは効率化の方向性が相手のホームグラウンドでの神出鬼没のゲリラ戦という状況に合致しなかっただけ(電子機器・ミサイルへの偏重で近距離での遭遇戦に苦労した).

 こないだのイラクでもそうだったでしょ?
 中央政府制圧は速やかに遂行されたけど,やっぱゲリラには手を焼く.
 対正規軍を想定した効率化では,非対称戦で齟齬が起こることもあるわけで.


 【質問】
 ベトナム戦争で,当時のアメリカに加担した国を教えて下さい.
 イギリスと韓国と他には?
 あと,日本はどの程度の協力をしたのですか?

 【回答】
 第二次大戦後なら,最初が英国,次いでフランス,フランスが撤退して,米国が主力になります.
 このほか,韓国(兵力派遣),豪州(空軍派遣),ニュージーランド(空軍派遣),タイ(輸送機派遣)だったか,と記憶しています.

 日本の協力は,まず,佐世保,横須賀での修理基地の提供,そこでの艦船修理.
 横田,岩国は補給物資の中継基地ですし,岩国は海兵隊の出撃基地でした.
 また,日本は米兵の休暇先であり,傷病兵の治療場所であり,遺体の搬送先でもありました.

 琉球は,長らく米国の施政下にありましたが,米軍爆撃機の出撃基地の一つとなり,海兵隊の出撃基地ともなっていた上,彼らが派兵前に訓練を積んだ場所でもあります.
 更に,中央情報局の出先機関が置かれ,ここからベトナムの隠密作戦を支援しています.
 当時,Reischauerは,沖縄を称して,「100万人の日本人の住む植民地」と言って憚りませんでした.
 沖縄の県民総生産の4分の1は今でもそうですが,米軍絡みです.

 個人としても,農業技術者,医療技術者が民間支援の形でベトナムに行っています.
 また,米軍基地の日本人労務者は,日本政府の斡旋による個人契約という形で,輸送船や上陸用舟艇に乗り込み,弾薬や爆弾などの輸送・陸揚げ作業に従事して,死亡者を出していました.

(世界史板)


 【質問】
 ベトナム戦争でアメリカ軍が,ハノイを攻めなかったのはなぜでしょう?
 インドシナ半島全体に戦争が拡大してしまったのなら,ハノイを攻めて占領した方が良かったのでは?

 【回答】
 戦争というのは,戦場しか見ていては見誤るモノ,実は政治の一手段に過ぎない.
 戦場を拡大するのが政治的に得策で無いという当時の判断があった.
 (米)国内での反戦・厭戦ムードも,大いに関係しているだろうし,費用的にも厳しい状況も.

 また,当時公式,非公式に,大陸中国とソビエトからは
「北ヴェトナム領への侵攻は,我らが同盟国への侵攻であり,同盟国への侵攻は自国への直接攻撃と見なす」
と宣告されており,アメリカ軍が北ヴェトナム領へ侵攻することは,ヴェトナムの地域を越えて世界規模で戦争が拡大する危険があった.
 ソビエトも大陸中国も核兵器を持っていたわけで,つまりそれは核戦争の危機が発生する,ということ.
 北ヴェトナム領内への航空攻撃――いわゆる「北爆」――が実行までにあれほど躊躇され,北爆が決断された後も様々に軍事行動に政治的制約が掛けられたのもそのため.

 ホーチミンルート遮断のための越境攻撃と,それに伴って周辺諸国へ戦禍が拡大したのは「公然の秘密」であり,ヴェトナム戦争中に米軍が越境攻撃をしていた事実は,少なくとも公的には認められていない.

 そもそも,南ヴェトナムの領内での戦闘だけでも莫大な兵力を必要としており,それでも尚兵力の不足を感じていた遣越米軍と派遣軍司令部からの増派要求に頭を悩ませていた米政府にとって,更なる兵力を必要とする北ヴェトナム侵攻作戦など,絶対に避けたいところだっただろう.

 現実に米軍が北ヴェトナム領への地上侵攻を実行した場合,おそらく第三次世界大戦が勃発したと思われます.
 その結果は核兵器の投げ合いによる先進国の壊滅,という事態になった事でしょう.

軍事板,2004/12/21
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 ジョン・ケリーは「ヴェトナム戦争で,勲章欲しさに嘘をついた」のか?

 【回答】
 軍の公式記録によると,ケリーが戦友を助けたのは事実だが,疑問は残る.
 叙勲理由は,実物以上の英雄を作るものだ.
 以下,要約引用.

----------
 1969/3/13,ケリーが艇長を勤める高速艇を先頭に,5隻の哨戒艇がベイハップ川を下っていた.
 ケリーとは別の艇に乗っていた兵士の話によると,途中に魚網があり,ケリー艇ともう1隻は右側の隙間を抜け,残り3隻は左側を通ろうとした.
 そのとき,左側先頭にいた艇が触雷,身動きとれなくなった.
 5隻は川岸に向けて機銃掃射した.
 「真実を求める高速艇退役軍人の会」の話では反撃はなく,40秒ほどで射撃をやめた.
 ケリーはさらに前進してから引き返し,自分の艇から川に落ちた兵士を助けた.
 その間,銃撃はなかったという.

 ケリー艇に乗っていたデル・サンダスキーがnewsweek誌に語った話は,少し違う.
 そのとき,おそらくロケット砲攻撃の衝撃で艇が大きく揺れ,ジム・ラスマンという兵士が川に落ちた.
 ケリーは船室の壁に叩きつけられ,腕を負傷した.
 川岸のジャングルには銃の発射炎が見え,銃弾が水面をかすめた.
 ケリーがラスマンを助けているときも銃撃が続いていたかどうかは,サンダスキーも覚えていない.
 だが,艇には水が流れ込んだという.

 Newsweek誌が入手した公式報告書によると,船のエンジンと舵は確かに破損していたが,いつ破損したかは明らかではない.

 「真実」の会の信憑性にも疑問はある.
 戦争犯罪を巡り,71年に議会でケリーが行った証言に対し,彼らが不満を抱いているのはまず間違いないからだ.

----------(エバン・トーマス & T. トレント・ギーガクス from "Newsweek" Jananese Edition,
p.41, 2004/9/1,抜粋要約)

 【質問】
 週刊少年マガジン6号/7号の「ネルソンさん,あなたは人を殺しましたか?」(講談社より同名のタイトルで出版されているものの漫画化)は,どの程度妥当でしょうか?

(編者注:ちなみにこんな漫画だった,らしい)

 【回答】
 冒頭からイラク戦争そして編集部での戦争に対する疑問,という導入部から,「反戦,反米」をテーマにしたものでしょう(原作が有るとは言え).
 とりあえず,「一方的に米側が悪い」という点については,「そういった前提のもの」という事で論じないでおきます.

 まあ突っ込む所は二つですか.

◆装備:これは漫画化のさいの問題だが.

 1966年からとなっているが,米軍側はM-14のみ.というかM-16を持っている奴がいない.
 M-16の作動不良問題は
1)クリーニングの教育をしなかった
2)装薬に多量の汚れが残る旧式のものを使った弾薬が有った
3)マガジンの不良
 以上3つである(薬室内のメッキやボルト・フォアード・アシストの意味は少なかった).
 これらの問題は65年頃には全て解決したので,66年になって出てくるのがみなM-14という事は有り得ない.

◆南軍旗について(これは原作を忠実に漫画化したと思われる)

>数多くはためく南北戦争時の南軍の旗
>それは奴隷制度の象徴であり黒人差別へのあからさまな肯定だった
>この南軍の旗はユダヤ人にとってのナチスの鉤十字と同じようなもので
(引用終わり)

 本人がニューヨークのブルックリン育ちだから,そう考えるのは当然と言えるが.66年というのも有るし.

 しかし,そもそも陸軍の下士官/兵や海兵隊員には南部出身者が多い.
 南部人の北部への反感については,以下に起因する.
 南北戦争において南部は北軍のシャーマン将軍による焦土作戦(住宅を含む全ての建築物を焼き払う)等によって大きなダメージを受けた.これによって南部は100年以上遅れたと言われる.
 また現在でも,北部・東部は南部に対し,「遅れた田舎」という差別意識を根強く持っている.
 人種差別主義者の多くが南部連合旗をシンボルとするのも事実だが,南部連合旗イコール黒人差別とするのは間違いで,南部に対する差別だ.

 フィクションだが参考になるものとしては,講談社から出ているパトリシア・コーンウェルのバージニア州リッチモンドを舞台とした警察小説「サザンクロス」がある.背景から舞台は95年以降のあたりのはず.
 黒人の警官が,停止させた車のリア・バンパーのステッカーのこの旗について
「それは人種差別の象徴だろう」
と指摘してドライバーと言い合いになり,後にこのドライバーがモノローグで
「卑怯にも人種差別をしているなどと言いがかりを付けたのだ」
と言う所が有る.
 女主人公が,この地域で根強い人種差別が残っているのを指摘している所も有るので,この点では特に偏っていないと思う(人種差別関連で白々しさを考えさせるスティーブン・ハンターのスワガーシリーズに比べても).

 なお,ベトナム戦争が黒人への差別を和らげたという事が有る.
 昔の(今も残っているが)黒人への差別の根には,差別する側は黒人と直接的な関係をほとんど持たないのに,
「黒人という人種はあらゆる能力が劣っている」
という事をあたりまえの事として多くが信じていたことがある.
 ベトナム戦争においても,上述のように前線に出る兵士は南部出身のものが多い.
 黒人兵がポイントマンなどの危険な任務を押し付けられるという差別は有った.
 しかし,前線で白黒混在して戦っていると単なる事実から
「黒人兵は別に劣った所が無い」
という事を,直接的に体験した者が多い.
 WW2の米軍の日系人部隊が,米国内の日本人の地位向上(復活?)に影響したように,別に不思議な事でもない.

 後編のインタビューより
「最近,自衛隊員に英語を教えている女性に会いました(中略)
 ですから,私はその女性に,
『憲法九条のある日本の兵士は命令に従わなくて良いんだ,行きたくなかったら行かなくてもいいんだよ』
というメッセージを伝えてほしい,と言いました(後略)」

 いやー何て言うたら良いか.
 「最近」てー事は,そもそも自衛隊員でもイラクに行く隊員では無いんじゃないかというか.
 別項で書かれている通り,イラクに行った人は,ますイヤなら行かないですむ(希望者の方が圧倒的に多いから)というか.
 アメリカには修正二条(正しい訳では無いが)が有るから,米国内の米国人は武器の保有と所持はいくらしても良いんですか?というか.
 やでやで.

 最後にもう一つ.
 前編のマンガの後で「ベトナム戦争とは?」という記事が有ります.
 で,ベトナムを支配していた国としてアメリカとフランスとだけ有りますが,一つ肝心な国を忘れちゃいませんか?

(キルロイ in FAQ BBS)

「支配してた国? んーとー,『動物王国』?かなあ……」


 【質問】
 マスコミが言っている,
「2001年のアフガン侵攻からイラク戦争から現在までの戦費を全部合わせたら,ベトナム戦争の戦費を超えました」
って奴ですが,2001年から現在までの戦費を全部ひっくるめて,ベトナム戦争の戦費とと比較するのは不適切ですよね?
 アフガン侵攻,イラク戦争,イラク戦後治安維持などの複数の出来事を,ベトナム戦争と言うひとつの戦争と比較して語ることは,意味が無いのではないのですか?

 【回答】

 インフレ率とかドル▼の購買力▲平価とか,不適切な理屈はいろいろある.
 平価水準を同等に設定すれば,アフガンイラク戦争から現在までの戦費はベトナムの半分に届かないだろう.
 ベトナム戦争当時は選抜徴兵制で陸軍も海兵隊も,今より遥かに規模が大きかった.
 ベトナムに投じられた兵力も,今の15万名程度をかなり上回る数十万規模.


 ここにInflation Adjusted Costが出されてる.
http://www.ritholtz.com/blog/2008/11/big-bailouts-bigger-bucks/

 イラク戦争のコストにアフガン戦争を加えたら,2008年時点でベトナム戦争のコストを超えてるだろう.
 ただしベトナム戦争当事〔原文ママ〕に比べると,アメリカの実質GDPは3倍ぐらいになってるんで,国民の負担はそれだけ小さいということ.

経済板住人 ◆ebHA.RI.WI in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 また,ベトナム戦争の戦費というが,いろいろとあるので,実はあんましはっきりした数字は出しにくいはず.
 例えばフランスのインドシナ戦争への支援やら,タイや日本での基地建設やら,嘉手納からB-52を飛ばしたりタイからAC-130とF-4を飛ばしたりとかに伴って発生する費用とか,軍の規模が膨らんだことによる,本国の軍教育機関の肥大とか,休暇での民間機チャーター費用とかいろいろあるわけだが,たぶんそういう費目を細かく見ていくと,平時から発生する費用と,戦争ゆえに発生する費用との区別が,段々付きにくくなってくると思う.

 今と同様,ベトナム戦争の予算も補正予算で通してたことが多かったようだし,議会に出す予算書が,これがまた数字だらけで量も多い.

 これについてはイラク戦争関係の費用も同様で,例えばイラクから戻ってきた装備の修理費用は,派遣後に発生するが,これを戦費に含めるかとか,負傷による除隊者の医療費用とか保険とか,さらにドイツから引き上げる部隊の受け入れと基地統合に掛かる費用とか,旅団戦闘団化改編での費用とイラク派遣経費が重なる面があるなどなど.
 イラク南部および北部における飛行禁止区域作戦(サザンウォッチ,ノーザンウォッチ)や,イラク軍の動向に応じて大規模な部隊を派遣して演習するなどを1991年以降していた時期も,イラク戦争に含めるというか,湾岸戦争の後半がイラク戦争だっていう見方もあるだろう.

 ということなので,ざっくりわりきった話をするとしても,かなり戦費の定義が曖昧.


 【質問】
 ベトナム戦争の写真で有名な,すっぱだか(ナパーム浴びて服が焼けて)で逃げる少女の写真がありますが,彼女はその後どうしたのですか?

 【回答】
 現在も存命で,ドキュメンタリー本も出版されています.

 この本は,本人が極めて協力的で,著者の筆力もすごく彼女だけでなく世の中のバックグラウンドもちゃんと書いてあるのですごい.

 驚いたのは事件直後の星条旗新聞.1ページ使って「誤爆,炎の地獄」だかというタイトル,少女含む逃げる民間人とナパームの爆撃の写真.
 ちなみに,爆撃したのは南ベトでなく米軍機.

 少女が治療を終えるまでの苦痛の日々でも,距離を保ち,感情を煽るような文にしないのがすばらしい.
 で,ベトナム政府は彼女を反米プロパカンダに利用しようとなる.
 この1/3あたりからラスト前までの彼女の主張と背景描写の大半が共産主義体制批判.

 留学先のキューバで平和で豊かに暮らしていたら,ペレストロイカやソ連崩壊によりどんどん国は貧しくなるが,ドイモイで豊かになりつつあるベトナムと逆方向に突っ走るカダフィ〔原文ママ〕.

 正直,ナパームよりもコミュニズムが心底怖くなる本でした.
 きっちりとハッピーエンドなのが救い.

(キルロイ in FAQ BBS)


 【質問】
 べ平連って何?

 【回答】
 ベトナムに平和を〜という日本の反戦市民団体で,自称文化人みたいな人達が反戦運動をしてました.
 ベトナム戦争後にカンボジアにベトナムが侵攻してから,べ平連は急におとなしくなりました.


 まあ,集団趣味ってところですかね.
 暴走族とか集まると楽しいでしょ.
 ナチSAだって,皆で暴れるのが楽しいってだけで,政治そっちのけで入隊したやつが多かったみたいだし.

自営業(青文字部分)他 in 軍事板
修正部分:黄文字


 【質問】
 ベ平連は過激派団体だったのか?

 【回答】
 小熊英二が述べるところによれば,過激派学生が参加しており,
「新左翼や共産党の活動家が各地のベ平連に入りこんで,自分たちの党勢拡大に利用している」
という噂も流れたが,組織の不定形さゆえに乗っ取られずに済んだという.

 以下引用.

――――――――――――――――
 1960年代末には,全共闘運動の台頭とともに,ベ平連にも急進的な学生が参加するケースが増えた.
 しかし吉川の回想によれば,内ゲバをやめさせる仲裁はしたものの,基本的には当人の判断と責任にまかせ,
「行動を制限することは一切しませんでした.それはその人の自由」
という方針をとった.

 〔略〕

 新たに加入した急進的な学生たちは,しばしばベ平連の路線にあきたらず,小田や吉川,鶴見などを「オールド・ベ平連」などと批判することもあった.
 新左翼や共産党の活動家が各地のベ平連に入りこんで,自分たちの党勢拡大に利用しているという噂も流れていた.
 しかし1968年8月,松田道雄が
「これじゃあ,ベ平連も完全に占拠されますよ」
と鶴見俊輔に忠告したとき,鶴見は
「絶対に占拠されませんよ」
と微笑したという.本部も役職もない運動を「占拠」するのは不可能なはずだという,
 弱さに徹した自信がそこにはあった.

 そのため当時のベ平連のデモは,ヘルメットをかぶった学生,小田をはじめとした作家や知識人,そして主婦や会社員などが,連れだって行進しているものとなった.
 鶴見俊輔は1968年に,「党派性というものはある意味で人間の弱さにつけこむもの」であり,「それと闘うことが出来るかどうか」が課題だと述べていた.
 敗戦後の運動が党派争いで崩壊したことを経験した鶴見が,「不定形の思想」を育んでいたことが実践に役だったのである.

 結果として,ベ平連にあきたらず「卒業」してゆく者は多かったが,除名や分裂はおこらなかった.
 「ひとりベ平連」が容認されている状態では,「分裂」など起きようもなかった.

――――小熊英二著『<民主>と<愛国>』(新曜社,2002.10),p.778

>本部も役職もない運動

と言えるかどうかには,疑問がなくもないが.

 また,著者は中立的立場ともあまり言えないことにも留意.


 【質問】
「ニクソンショックとスミソニアン協定が,世界経済に大きく影響を与えた.
 しかしその中でも,日本は大きな利益を得た.
 それにはベトナム戦争がかかわってる」
と言われたのですが答えは何ですか?
 ベトナム特需があったんですか?

 【回答】
 あんまり学校の宿題の答えをネットで聞くのは感心しないな.
 せめて,自分なりに調べて,わからない事をポイントしぼって聞くべきだろう.

 まぁ,せめて質問の中で軍事に関わる部分だけヒントを与えると・・・・
 当時,ニクソンは経済政策の転換を図られる事になった
 そのために,固定相場制の通貨規準をから脱却する必要性を感じた.
 そのために,ニクソンショックと呼ばれる経済政策を打ち出していく事になる.

 その経済政策の必要性の一つとして,ベトナム戦争戦費の支出があった.

 まぁ,これ以上は自分で調べて補完するなり,別の角度から考えてみるとよいよ.

 ちなみにニクソンショックとスミソニアン協定の関連なら理解できるが,ベトナム特需とは関連が薄いぞ.
 ベトナム戦争中の米の経済的破綻とインフレは,ほとんどがベトナムへの直接的な資金投入が原因で,日本の特需の影響は非常に限定的だ.

 特需の規模自体は日本の方が韓国より遥かにでかい.
 ただ,当時の日本は既に経済規模が相当でかくなってたんで影響は小さかったんだ.
 実質,軍需関係だけにしか恩恵がなかったっていいんだよ.
 そこんとこが朝鮮戦争特需との違いだ.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ ちなみに父が東京矢口に住んでいた頃,矢口の戦車工場にベトナムから壊れた戦車が毎日のように運び込まれてきて,工場内に入りきらない戦車が,多摩川の河川敷に並べてあったそうな.
 その頃は第一第二京浜,戦車その他軍用車をつんだトラックを良く見かけたって.

軍事板
青文字:加筆改修部分


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