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「Blogs of War」◆(2013/05/06) Gunfight in Nigeria's Delta oil region kills eight: sources
「D.B.E. 三二型」(2012/05/08)◆イスラム過激派が霊廟破壊 マリの世界遺産都市で
「NY Times」◆(2011/09/15)Terrorist Groups in Africa Pose Threat to U.S., General Ham Says
「Reuters」◆(2012/12/26) Gunmen kill six in northeast Nigeria church attack
「Reuters」◆(2013/05/31) Nigeria arrests
Lebanese suspected of Hezbollah ties
「中東の窓」◆(2013/05/31) ナイジェリアのヒズボッラー細胞逮捕
「Strategy Page」◆(2013/04/09) PROCUREMENT:
Forbidden Treasure Of The Desert
北アフリカ・イスラーム武装勢力による誘拐ビジネス
「Strategy Page」◆(2013/04/16) SOMALIA: Terrorists Terrorize Each Other
「Strategy Page」◆(2013/05/07) COUNTER-TERRORISM:
Another Battle Of Kasserine Pass
チュニジア,カセリーヌ峠の戦い
「Strategy Page」◆(2013/06/02) NIGERIA:
Islamic Terrorists Furious Over Recent Defeat
ナイジェリア軍,「ボコ・ハラム」に打撃を与える
「Strategy Page」◆(2013/09/23) SOMALIA:
Mall Massacre Sends The Wrong Message
アル・シャバーブのテロ攻撃が,ケニア国内でのソマリア人排撃ムードを醸成
「VOR」◆(2012/03/04)コンゴの首都で爆発 150人以上が死亡
「VOR」◆(2012/04/03)ソマリアで爆発 オリンピック委員会の会長とサッカー連盟の会長死亡
>ソマリアの首都モガディシュの国立劇場で自爆テロが発生し,同国のオリンピック委員会とサッカー連盟の会長を含め,少なくとも7人が死亡.
>イスラム武装勢力アル・シャバブが犯行声明を表している.
「VOR」◆(2012/04/08)ナイジェリア 教会爆発で少なくとも20名死亡
「VOR」◆(2012/04/29)ナイジェリア 武装集団が大学を襲撃
「VOR」◆(2012/06/03)ナイジェリア 教会付近で爆発 少なくとも12人死亡
「VOR」◆(2012/07/01)ケニアの2つのキリスト教会に手榴弾 16人死亡
「VOR」◆(2012/10/03)ナイジェリアで武装集団が学生を射殺 27人死亡
「ボコ・ハラム」の犯行だと考えられている
「VOR」◆(2012/10/28) ナイジェリア北部 カトリック教会で再び爆破 15名が犠牲に
「VOR」◆(2012/11/02)ソマリア テロ容疑者400人逮捕
「VOR」◆(2012/12/03)ナイジェリア イスラム過激派がキリスト教徒10人を惨殺
「VOR」◆(2012/12/18)ナイジェリア南部でヒュンダイの社員6名拉致
「VOR」◆(2013/05/06) 武装勢力 ナイジェリアの元石油相を誘拐
「VOR」◆(2013/05/09) ナイジェリア 過激派宗教セクトによる警官の犠牲者 46人に
「VOR」◆(2013/05/25) ナイジェリア陸軍兵殺害事件の容疑者が英国mi5のリクルート・リストに
「VOR」◆(2013/07/06) ナイジェリア,武装集団が学校襲撃,30人の児童が殺害
「VOR」◆(2013/09/29) ナイジェリア ボコ・ハラム戦闘員 約50名の寝ている学生を射殺
「WSJ」◆(2013/05/07) Tanzania Arrests 4 Saudis Over Bomb Attack
「朝目新聞」(2013/06/08)●ナイジェリア,ホモであるだけで懲役14年
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/04/30)ナイジェリア 頻発するイスラム過激派「ボコ・ハラム」によるキリスト教徒を対象にしたテロ
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/06/19)ナイジェリア イスラム過激派によるテロ頻発 キリスト教徒による報復暴動も 悪化する憎しみの連鎖
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/24) ナイジェリア イスラム過激派「ボコ・ハラム」に対する大規模掃討作戦が進行
「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/26) ニジェール イスラム過激派が仏ウラン加工施設攻撃 拡散するテロ組織の背景に砂漠化進行と食糧難
「中東の窓」◆(2012/09/20)北アフリカ,サヘル地域の過激派の協調の動き
「中東の窓」◆(2012/11/02)ユダヤ人の誘拐計画(チュニジア)
「中東の窓」◆(2012/11/06)テロ細胞の逮捕(モロッコ)
「中東の窓」◆(2012/12/14)サラフィストのホテル襲撃(チュニジア)
「中東の窓」◆(2013/02/27) 左派政治家暗殺事件(チュニジア)
「中東の窓」◆(2013/04/08) 左派政治家暗殺とカタール(チュニジア)
【質問】
ウエストゲート・モール襲撃事件について教えてください.
【回答】
「立て篭もりなう」
テロリストの犯行声明も,最近はこのように行われる.
2013.9.21,ケニアの首都ナイロビ(Nairobi)で,覆面の武装集団が,市内の高級ショッピングモールを襲撃した事件.[1]
彼らは同日正午ごろ,ウエストゲート・モール(Westgate
Mall)に突入,人質をとって立て篭もった.[1]
警察当局によると,モールには当時,約1000人の買い物客がいたという.[1]
イスラエルの資本も入っているこのモールは,ケニアの富裕層や外国人に人気があった.[1]
アルシャバブ(Shebab)は,事件と同時にツィッターにて犯行声明を出した.[1]
アルシャバブは
「ムジャヒディン(イスラム聖戦士)がケニアの異教徒らの縄張りに入ってやつらと戦い,今もモール内にいる」
と書き込むとともに,今回の犯行は,ソマリア政府を支援するために,ケニアが行っているソマリアへの軍事介入に対する報復だと主張した.[1]
彼らの言い分によれば,ケニア軍のソマリア介入に対して警告していたが,無視されたという.[1]
たしかに,国境周辺でのテロならば,介入後にケニア国内で何度もアルシャバブは起こしている.
これは警告というより脅迫といった表現が近いだろうが.
ケニア治安当局によると,事件の展開は次のようになったという.
ケニア軍と警察は,数時間に及ぶ激しい銃撃戦の末,武装集団を「身動きできない」状態にすることに成功し,買い物客とモールの従業員の数百人を避難させた.[1]
人質を取って立て籠もった武装勢力の制圧は困難を極めたが,治安部隊が4日目に建物に突入.[2]
最大15人ほどのテロリストは市民61人を殺害した後,追い詰められて放火し,建物の一部が崩落した[2]
23日夜,ケニア内務省が同モールを「制圧した」と発表したのもツィッターだった.[5]
だが,この公式発表は,だいぶ事実とは違うらしい.
「ニューズウィーク」誌によれば,実際は以下のようだったという.
治安部隊は何時間も現場に現れず,しかも建物を制圧した治安部隊は,店内の商品を略奪し,バーでビールをあおった.[2]
建物の支柱をロケット弾で破壊して,建物を崩壊させたのも彼らだ.[2]
瓦礫の下には,行方不明の39人が埋まっているかもしれない.[2]
ケニア政府は犯人グループのうち5人を殺害したとしているが,遺体は見つかっていない.[2]
脱出に成功した市民からは,一般人の服を着た襲撃犯が,群衆に紛れて逃げたとの証言も出ている.[2]
建物の地下駐車場から近くの川に下水管が通じているため,そこから逃亡した可能性もある.[2]
(「襲撃犯の数はわずか4人だった可能性もある」とも,同誌は述べている[2]が,これはちと疑わしい)
また,治安部隊の遅い到着までの間に,市民の救出に当たったのは,ケニア軍ではなく,非番の警官や自警団らだったという.[2]
英デイリー・メール紙は,たまたま非番でモールに居合わせたSAS(英国特殊空挺部隊)隊員が拳銃を手にし,銃撃の中,100名の客を脱出させたと報じている.[6]
証言によれば,非番で友人とコーヒーを飲んでいた隊員は襲撃を知るや,銃撃の中を十数回モールと外を行き来し,100名の客を脱出させたという.[6]
セキュリティ上の理由により,隊員の名前や顔は明らかにされていないが,襲撃現場で拳銃をジーンズに差し込み,二人の女性を肩に抱いている男性の写真が発表されている.[6]
ケニア紙「Daily Nation」が28日報じたところによれば,ケニアの一部政府高官は,事件を事前に察知していたた可能性も指摘されている.[4]
事件の数日前に,イスラエルの諜報機関などから,テロ計画に関する情報は入っていたからだ.[4]
ケニア国防省,内務省,財務相,また国防軍司令官ジュリウス・ヴァヴェリ・カランギ将軍に提出されていたテロ対策レポートによれば,テロリストらは火器と手榴弾を用い,また人質をとって,首都の建物を占拠する計画を練っていたという.[4]
この事件のもう一つの注目点は,実行犯グループに英米人が含まれていた可能性が強いことだ.[3]
ケニアのモハメド外相は事件発生から2日後の23日,実行犯に英国人の女1人と米国人2-3人が含まれているとの見方を明らかにした.[3]
襲撃発生時にショッピングモールにいた買い物客も,地元メディアの取材などに対し,犯行グループに「白人の女」が含まれていたと証言している.[3]
また,アルシャバブは犯行声明で,今回のテロ攻撃に参加した9人の氏名を公表し,そのうち3人が米国在住者であったと主張している.[3]
六辻彰二 によれば,米国籍所有者や米国在住者がアルシャバブの活動に参加していたこと自体は,既知の事実であるという.[3]
1991年のシアド・バーレ政権崩壊後,ソマリアから世界各国への移民が激増し,米国も多数のソマリア人を受け入れた結果,その数は推定3万2000人になるという.[3]
移民はミネソタ州,オハイオ州,カリフォルニア州,ワシントン州などに多く,このうちミネソタ州のソマリア系住民のコミュニティが最大.[3]
米国の人権団体Anti-Defamation Leagueが2013年6月にまとめた報告書には,アルシャバブの活動に関与したとして起訴された米国籍保有者・米国在住者35人の氏名と罪状が記載されている.[3]
さらに米国のシンクタンクNew America Foundationの追跡調査によると,アルシャバブの活動に関与したことが確認されたミネソタ州在住者は22人.[3]
このうち3人は資金提供だけだったが,19人はソマリアに渡航して,戦闘またはテロ攻撃に加わっていた.[3]
米国在住者が実行犯となったソマリア国内での自爆テロは,FBIが把握しているだけで,2009年から2011年の間に少なくとも4件発生している.[3]
FBIは米国在住者のアルシャバブへの関与を断ち切るために,ミネソタ州で「サイ」(Operation
Rhino)という作戦名の集中的な取り締まりを実施したこともある.[3]
事件の犠牲者は死者67人,負傷者175人に達する.[4]
アルシャバブやケニア政府は,ツィッターで「なう」して得意げだろうが,この67人はもはや永遠に「なう」できない.
【参考ページ】
[1]http://www.gekiyaku.com/archives/33231595.html
[2]http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131016-00010002-newsweek-nb
[3]http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130926-00010000-fsight-int
[4]http://japanese.ruvr.ru/2013_09_28/122090944/
[5]http://read2ch.com/r/poverty/1379987900/
[6]http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20130924-00028364/(元ソースはこちら)
【関連リンク】
「気になりますちゃんねる」◆(2013/09/25) ケニア・ショッピングモール占領事件に出動した軍隊の銃がカオス過ぎる
【ぐんじさんぎょう】, 2013/11/04 20:00
を加筆改修
【質問】
チュニジア・バルド国立博物館銃乱射事件って何?
【回答】
えー,毎度,笑えないお噺(はなし)を一席.
落語の人物と申しますと,八っつぁん熊さんにご隠居さん,人のいいのが甚兵衛さん,馬鹿で与太郎なんてことを申します.
ちなみに,大きなことを言うようですが,今や「春風亭流氷」と言えば,わが国では……,私一人です.
で,そんな八っつぁん熊さんご隠居さん甚六さんの宴さんなどなどなどがごちゃっと長屋に住んでいたのが,江戸という時代でして,この時代のみならず昭和の初め頃までは,殆ど町内から一歩も出ずに一生を終えたってぇ人も多かったそうで.
そんな時代ですから,旅行なんてぇのも一大事.
庶民にとっての大型レジャーの一つとなっていたわけでして.
お伊勢参りを扱った『東海道中膝栗毛』ってぇ滑稽本がベストセラーになっていることが,その良い証拠ですな.
そんな伝統みたいなレジャーが,今の時代までずっと続いているようでしてね.
昭和の高度成長期には,お伊勢参りどころか海外にまで出かけていっちまう.
ところがマナーがなっていないから顰蹙をかっちまう,てな噺を筒井康隆が『農協月へ行く』というお題で書いていたりする.
もちろん平成の時代になっても旅行が大型レジャーの一つであることには変わりはないわけで,一昨年だけでも延べ2000万人近くが海外に出ている[1]ってぇ言いますから,大変な数です.
そんな旅行者たちの中に,一組の母娘がおりまして.
娘のほうは,名前を結城法子って言うんですが,当年とって35歳.[2]
2015.3.14に日本を出まして,イタリア・ジェノバ発の7泊8日のクルーズ旅行[2]ってぇんですから,お伊勢参りに比べりゃ豪勢なもんです.
3.18朝にはチュニジアのチュニスに入港しますってぇと,ガイド・ツアーでバルド国立博物館を訪れます.[2]
バルド国立博物館と申しますのは,チュニジアの定番観光スポット[7]でございまして,古代ローマ時代からイスラーム王朝時代の色んな遺物を見ることができるんですな.[3]
『テルマエ・ロマエ』でおなじみローマ式公衆浴場の,その床を覆っていたというモザイク画なんてぇのもございます.[3]
また,2階には「木いちごくれなきゃカルタゴほろぶ」でおなじみカルタゴの,その遺品ばかりを集めた「カルタゴの間」なんてぇのもございます.[3]
おまけに建物自体も,13世紀のベルベル人のイスラーム王朝の時代に,その王(アミール)によって建てられた宮殿だという,大変豪華な代物.[3]
まぁ地中海クルーズ旅行なら,こいつを見逃す手はありませんわな.
ところがお昼頃のこと.
結城さんが展示室を移動中,何かが弾けるような音が聞こえる.[2]
そんとき,観光バスを止める駐車場では,1台のバスから観光客が降りて,建物のほうへ歩き出したところに,2人組の男が現れて,カラシニコフで背後から銃撃し始めていたんですな.
警備が手薄なことも災いして,犯人たちは続いて博物館の中に突入.
その当時,博物館の中には観光客は100人はいた[7]ってぇんですが,そのうち40人が人質にされてしまいます.[6]
結城さん達は別の展示室に逃げたんですが,そこでも発砲がありまして.[2]
で,入り口を振り向くと,銃を持った男が立っている.[2]
結城さん,すぐに頭を手で覆って床に伏せたんだそうで.[2]
男の顔も見ていない[2]くらい咄嗟に伏せたってぇんですから,殆ど条件反射だったんでしょうな.
幸い,結城さんは人質にされることもなく,なんとか建物から脱出しましたが,
「生きた心地がしなかった」[3]
そうな.
その4時間後,犯人たちは突入してきた特殊部隊に撃ち殺されるんですが,結局,犯人2人と特殊部隊員1名などなど合わせて22人が死んでしまいまして.[6][8]
観光客で死んだ人のうち,イタリア人が4人,フランス人1人,ポーランド人1人,コロンビア人2人,オーストラリア人1人,スペイン人3人,そして3人が日本人.
全員女性で東京都荒川区の成沢万知代さん(66),埼玉県狭山市の宮崎チエミさん(49)・遥さん(22)というお名前だそうで[9](ナマンダブ,ナマンダブ…)
犯人は最初,ダーイシュじゃねえか?ってェ言われていたんですが,後に地元チュニジアのイスラーム過激原理主義組織「アンサール・アル=シャリーア」の分派,「ウクバ・イブン・ナフィア旅団」の仕業って断定されまして.[4][12]
この組織はダーイシュに忠誠を誓う声明を出していますんで,最初言われてたことも,そんなに外れていたわけじゃあないんですけどね.[12]
撃ち殺された実行犯は,ヤシン・ラビディ Yassine Labidi とサビール・カシュナウィ Saber Khachnaoui っていうチュニジア人で,ラビディのほうはこの事件以前から諜報機関にマークされてたんだそうです.[4]
まあ,丸腰の観光客を,不意打ちで,背中から撃っているっつぅ点で,庇いようのない最低のロクデナシどもでございます.
他にも複数が逮捕され,また,28日夜には,「ウクバ・イブン・ナフィア旅団」の中部ガフサ近郊の拠点を治安部隊に急襲されて,指導者ハリド・シェイブなど9人が射殺されている[4]んですが,誰がどのような役割を果たしたかは,現時点ではまだ明らかにされておりませんで.
で,危うく日本人4人目の犠牲者になるところだった結城さん,とりあえず地元の病院に入院したんですが,入院している間に,どうも風向きがおかしなことになってまいりまして.
実は結城さん,自衛隊中央病院に勤める陸上自衛隊の3等陸佐,昔で言う少佐だったんですな.[10]
それが
〈私は一日中泣いていたせいで目が腫れ上がって開けることができず……〉[10]
などという手記を発表したせいで,それが昔の軍人のイメージをお持ちの方の感情をいたく刺激したんでしょうな,
「今後,自衛隊員が血を流す事態も想定されるなか,負傷した同僚を救護すべき医官がこの体たらくではと,『自衛隊不信』が広がらないといいのですが……」(世良光弘)[10]
「『戦士』が弱さを示すことにメリットは何一つない.これから自衛隊は後方支援などで海外における活躍がますます求められていくわけですが,『弱いところから叩け』は軍事の基本.結城3佐が弱さを露呈し,自衛隊全体もそういったイメージを持たれることで,ひ弱い自衛隊のいるところこそ狙い目と,海外の軍隊になめられかねません」(中西輝政)[10]
「忠勝に言わせれば,彼女は"戦う者"の風上にもおけない存在ということになるのかもしれない――」(記事執筆者)[10]
「武士は食わねど高楊枝.侍たる者,腹が減ろうが,どこぞが痛もうが,平気の平左を気取り,気高く振る舞うものであろう.しかし,"現代のサムライ"である陸上自衛官の結城法子(のりこ)氏(35)の手記に目を通すと,テロ被害に遭ったことに対する同情の念を抱くよりも,日本の"女戦士"はこの程度だったのかと,情けなさが漂ってくるのを否定できないのであった」(同)[10]
などと,まあ,こんなふうに叩かれている次第で.
しかも,事前に旅行の届け出をしなかったことも発覚して,停職2日の懲戒処分を受け,4.18付で依願退職する破目になっちまいまして.[11]
医官に「サムライ」の気構えを要求するのもなんだかなあ…と思う次第で.
屈強なアメリカ海兵隊員だって,実際に戦場に立たせてみると,PTSDを発症するのが後を絶たないんで,「一日中泣くなんて情けない」みたいなこと言う人がいるのには,どうにも違和感がありましてね.
本人の話によりますってぇと,犯人を見て咄嗟に伏せたってぇんですから,軍人らしい反応を一応は見せてはいると思うんですがねえ…?
だいたい,サムライなんてぇのは江戸時代には人口の1%くらいしかおりませんで,しかも戦国乱世は遠い昔の事となると,武士は官僚みたいなものになってたわけで.
手前勝手な「サムライ」の理想像を持ち出してくるのは,そりゃあ違うんじゃあないかい?と.
むしろ比べるべきは,『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんとじゃねえかって,あっしはそう思うんですが,どんなもんですかねえ…?
もっとも,無届旅行したこたぁ言い訳できないでしょうから,そこだけはイカンと.
…おあとがよろしいようで.
【参考ページ】
[1]http://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/in_out.html
[2]http://www.asahi.com/articles/ASH3Q5TKDH3QUHBI014.html
[3]http://www.bardomuseum.tn/(英語ページはこちら)
[4]http://us.cnn.com/2015/03/19/africa/tunisia-museum-attack/index.html
[5]http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPKBN0ME2U320150318
[6]http://www.asahi.com/articles/ASH3L778KH3LUHBI01T.htm
[7]http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H4M_Z10C15A3EAF000/
[8]http://www.sankei.com/world/news/150319/wor1503190029-n1.html
[9]http://www.asahi.com/articles/ASH3M24XLH3MUEHF001.html
[10]「週刊新潮」2015年4月2日号
[11]http://news.yahoo.co.jp/pickup/6156933
[12]http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H1P_Z20C15A3FF8000/
◆◆◆◆ナイジェリア
【質問】
「ボコ・ハラム」とは?
【回答】
ボコ・ハラム Boko Haram はナイジェリアにおけるイスラーム過激原理主義武装勢力.
▼ 「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」という,その名の通り,欧米の教育や価値観を否定し,ナイジェリア全土にシャリア(イスラーム法)を導入することを求めており,ついたあだ名が「ナイジェリアのターリバーン」.
「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」という,その名の通り,欧米の教育や価値観を否定し,ナイジェリア全土にシャリア(イスラーム法)を導入することを求めており,「ナイジェリアのターリバーン」を自称.
西洋文明,現代科学(特に進化論),さらにはボコ・ハラムの思想を受け入れないムスリム・ムスリマも攻撃対象としており,そのためならモスクをテロ攻撃することもいとわない.
「あんな勉強なんてしなくていいんだ」
などと言い出す奴というのは,その勉強ができない奴であることが多いのだが,ボコ・ハラムの歴史を見てみると,連中,やはり相当頭が悪いんじゃないかと思える.
ボコ・ハラムは正式名称を「宣教及びジハードのためのスンニ派イスラーム教徒集団」(Jamāʻat Ahl as-Sunnah lid-daʻwa wal-Jihād)という.
1990年代中頃に設立されたイスラーム教の学習グループが,そのルーツだとされる.
2002年頃,そのグループの分派組織として,ナイジェリア北部のマイドゥグリにてモハメド・ユスフ師によって結成された.
2004年,ボコ・ハラムはヨベ州に本部を移した.
そしてニジェールとの国境付近に軍事訓練キャンプを設立したのだが,これにつけた名前が「アフガニスタン」.
子供にDQNネームをつける馬鹿親がいるが,あれと同じノリを感じる.
そして警察署襲撃などを繰り返したが,2009年,ナイジェリア警察はボコ・ハラム摘発に乗り出す.▲
同年7月26日,警察による「ボコ・ハラム」メンバー逮捕がきっかけとみられる,バウチの警察署襲撃に端を発した武力衝突が発生.
▼ 治安部隊とボコ・ハラムの間でバウチ州,ヨベ州,カノ州,カツィナ州において大規模な戦闘が行われ,700人を越える死者が出た.▲
中でもボコ・ハラムの拠点があるボルノ州マイドゥグリでは,特に戦闘が激化した.
7月29日,政府当局はボコ・ハラムの拠点を制圧したと発表.
7月30日,ボコ・ハラム指導者モハメド・ユスフが拘束され▼る.
ユスフは収監中に脱走を図ったが▲射殺された.
これにより戦闘は沈静化に向かったが,しかし,マイドゥグリなどではその後も散発的な衝突が発生した.
▼ 2010年7月1日,新しい指導者にはアブバカル・シェカウ Abubakar Shekau が名乗りを上げ,同年8月からは
・ボルノ州にて暗殺事件
・バウチ州の刑務所襲撃(700人以上の受刑者が脱獄した),
・アブジャのナイジェリア軍兵舎敷地内の市場での爆弾テロ,
・クリスマスイブにプラトー州にてキリスト教徒を狙った連続爆破テロ
などテロを再開.
また同年3月,「ボコ・ハラム」報道担当は,
「米国は,第一の攻撃目標である」
「米国は,イラクやアフガニスタンなどを迫害しているほか,パレスチナの同胞を殺害するイスラエルを盲目的に支援している」
として,米国も攻撃対象であることを強調している.
2011年6月には,アブジャで起こった警察本部駐車場での自爆テロ事件(2人が死亡)について犯行声明を出す.
同年8月,国連施設に対して自爆テロを実行.
この年よりテロ攻撃は,従前までの軽火器を用いた攻撃から,自爆攻撃などの爆弾を用いた攻撃へと過激化し,活動地域も北部地域から首都圏にまで及んだ.
2012年1月6日,北東部アダマワ州の州都ヨラで教会と美容院を襲撃し,11人を殺害.
また同日,北東部ヨベ州で警察と銃撃戦を展開し,警察官2人が死亡した.
同年2月15日夜,コギ州の刑務所が襲撃を受け,看守1人が殺害,受刑者119人が脱走する事件が発生したが,ボコ・ハラムは後日,犯行声明を出した.
その後,当局による取締りが強化されたことから,首都圏におけるテロは一時的に収束.
2013年5月14日,ナイジェリアのジョナサン大統領は,ボコ・ハラムの攻撃は宣戦布告に当たるとして,ボルノ州,ヨベ州,アダマワ州の3つの州に対して非常事態宣言を発令.
同地域における携帯電話サービスを停止させた.
政府軍とボコ・ハラムの戦闘により,隣国ニジェールに3万7,000人以上の避難民が流出した.
カメルーン国境沿いの地域は,森林地帯が多く,テロリストの隠れ場所はいたるところにあった.
テロリストはまた塹壕やトンネルを多く掘って隠れ家としていた.
同年7月6日,ヨベ州マムドの寄宿学校を襲撃され,生徒ら42人を殺害.
同年7月16日,北部で兵士が隠れ家を襲撃し,ボコハラムのメンバー3人を逮捕.
同年9月17日,ボルノ州ベニシェイクで市民を襲撃.
少なくとも87人が死亡した.
同年9月25~26日,カメルーン国境に近いボルノ州の村を襲撃され,民間人27名を殺害.
同年9月29日,ヨベ州の農業大学の学生寮に武装集団が押し入り銃を乱射し40人の学生が死亡する事件が発生したが,ナイジェリア軍報道官はこの事件をボコ・ハラムの犯行だと非難した.
同年11月13日,アメリカ政府は,ボコ・ハラムとその派生組織「アンサル」をテロ組織に指定.
2014年2月,ボルノ州のキリスト教徒が多く住む村を襲撃し,100人以上を殺害.
同年4月,ボルノ州の学生寮を襲撃し,女子生徒240人を拉致.
女子生徒らを「奴隷として売り飛ばす」との犯行声明を出した.
同年5月,ボルノ州の町を襲撃し,少なくとも125人を殺害.
以降,断続的に集落を襲い,多くの住民を殺害した.
また,身代金目的の誘拐事件も多く起こしている.
同年8月,実効支配している北東部でのカリフ制国家の樹立を一方的に宣言.
宣言すれば国家になると考えているところなど,いかにもDQNな考えと言えよう.
同年10月17日,ナイジェリア政府は,ボコ・ハラムとの間の停戦と,4月に拉致された女子生徒の解放で合意したと発表したが,戦闘は継続し,女子生徒も解放されなかった.
同年11月,ボコ・ハラムが公表したビデオにおいて,アブバカル・シェカウは停戦も女子生徒の解放も事実ではないとし,既に女子生徒はイスラーム教に改宗した上で結婚させたとうそぶいた.
2015年1月3日,ボルノ州バガ郊外の多国籍軍基地を奪取し,バガで約2000人の住民を虐殺.
同年1月11日,ナイジェリア北東部で複数の自爆テロを起こし,23人を殺害.
自爆犯はいずれも少女だった.
同年3月4日,ダーイシュに忠誠を誓う声明を発表.
アル=カーイダを裏切る形になったのだが,自覚があるのかどうなのか.
同年6月,チャド首都ンジャメナで初めて爆弾テロを実行.
その後,治安当局による掃討作戦により,占拠地の多くを失い,2016年1月~3月には前年10月~12月に比べて,同組織によるとされるテロ件数が大きく減少したほか,テロ手法の質も低下.
2016年6月3日夜,ニジェール軍の駐屯地を数百人の戦闘員により襲撃.
ナイジェリア兵2人,ニジェール軍兵士30人を殺害した.
同年にはニジェール南部でも村落への襲撃を繰り返すなどした.
同年8月7日,アブバカル・シェカウにより,組織が分裂したという情報を否定する動画が公開された.
同年8月28日,ムハンマド・ブハリ大統領は,アブバカル・シェカウが負傷するとともに組織から追い出されこと.また,新たに創始者の子息,アブムサブ・バルナウィ師が新たな指導者になったことを示した.
同年12月23日,政府軍は,ボルノ州サンビサ森林地帯に構築されていたボコ・ハラム側の「キャンプ・ゼロ」を急襲して制圧.
制圧を受けてブハリ大統領は,「キャンプ・ゼロ」はボコ・ハラムの最後の拠点であったと強調し,戦闘員が隠れ潜む場所はもはやないと述べた.
2017年5月6日,拉致していた276人の女子生徒のうち82人を,スイスと赤十字社の仲介により,治安当局に拘束されていたボコ・ハラムの幹部5人と交換に解放.
当初は83人解放される予定であったが,1人が戦闘員との結婚を理由に解放を拒否したという.
こうして見てみると,ゲリラ戦成功のイロハも知らず,闇雲に村々を攻撃すればいいとでも思っているかのようだ.
西洋文明拒絶はチェ=ゲバラや毛沢東の理論すら学ばないことの言い訳にはならない.
結局,学ぶこと自体が嫌いなのだろう.
「無知は罪悪」
とは良く言ったものである.▲
【参考ページ】
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090802/mds0908021021000-n1.htm
https://www.strategypage.com/qnd/nigeria/articles/20130717.aspx
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/africa/boko_haram.html
https://kotobank.jp/word/ボコ・ハラム-189793
https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2017/06/0607.html
http://honz.jp/articles/-/44275
2009.8
2017.11.5改訂
【質問】
ナイジェリア・バウチ州刑務所襲撃事件とは?
【回答】
2010.9.7夜,ナイジェリア北部バウチ州で,武装集団が刑務所を襲撃,警備隊らと銃撃戦になり,複数の受刑者が脱走した事件.
目撃者によると,刑務所の一部で火災が発生し,壁が崩れ,銃撃戦は約2時間続いたという.
AP通信によれば地元当局者は,刑務所から仲間を逃がそうとした「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」の犯行と明言したという.
全土にイスラーム法(シャリア)の導入を求めるボコ・ハラムは,「ナイジェリアのターリバーン」とも渾名され,2009年7月,治安当局と激しく衝突.
最近は,拠点のあるボルノ州で発生した複数の警官や市民の射殺事件への関与が指摘されていた.
【参考ページ】
2010.9.8,産経ニュース(共同通信)
「Strategy Page」:NIGERIA: The Taliban Return
【質問】
カノ連続襲撃事件とは?
【回答】
2012.1.20,ナイジェリア北部カノ州カノで発生した,警察署などを狙った連続攻撃.
カノはナイジェリア第2の都市.
22日,同地の病院に勤務する医師は,爆弾や銃撃による一連の攻撃で,
「2つの病院で178人の死亡が確認された」
とした上で,まだ搬送されていない遺体もあり,死者数がさらに増加する可能性を示唆した.
同地のイスラーム系テロ組織「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」が,犯行を認めている.
【参考ページ】
ロイター,2012年1月23日(月)9時43分
【質問】
カドゥナ教会自爆テロ事件とは?
【回答】
2012.4.8午前8時40分ごろ[2],ナイジェリア北部の都市,カドゥナにあるキリスト教教会近くで起きた自爆テロ事件.
教会では復活祭の礼拝が行われていた.[1][2]
教会の中にいたという男性によると,爆発はスタジアムやバス停,露店のあるあたりで発生し,大きな爆発音とともに教会の窓が割れたという.[2]
駐車してあった自動車2台が爆発したとみられている.[1]
また,教会に近付こうとした車が治安当局者に引き返すよう命じられた際に突然爆発したとの報道もある.[3]
緊急対応当局の報道官によると25人が死亡,13人が負傷して病院へ運ばれたという.[2]
教会では復活祭のミサが行われていたという.[1][2]
また,同国報道官によれば,同日午後9時ごろ,カドゥナから約250km離れた中部ジョスでも爆弾が爆発したという.[2]
現場は酒場や学校に近い繁華街だったが,死者は報告されていない.[2]
【参考ページ】
[1]時事通信,2012年4月8日(日)19時55分
[2]CNN,2012年4月9日(月)9時33分
[3]ロイター,2012年4月9日(月)11時8分
【質問】
カドゥナ州・キリスト教会連続爆弾テロ事件とは?
【回答】
2012.6.17.ナイジェリア北部カドゥナ州で相次いだ,キリスト教会を狙った爆弾テロ事件.[2]
最初の爆発は午前9時ごろ,同州ザリアの教会で発生.[2]
爆弾を仕掛けた車が,高速で教会の防護柵を突破.[2]
匿名の州当局者によると,少なくとも24人が死亡,125人が負傷し,このうち一部は重傷を負ったという.[2]
一方,赤十字社は死者2人,負傷者22人としている.[2]
数分後にザリア市内の別の教会で爆発が起き,赤十字社によれば16人が死亡,31人が負傷した.[2]
さらに州都カドゥナ市内の教会でも爆弾テロがあった.[2]
ザリアとカドゥナでは,キリスト教徒の若者らがタイヤに火を付け,主要道路を封鎖するなどして反発.[2]
州当局が24時間の外出禁止令を出した.[2]
ロイター通信は,報復襲撃により,約20人が死亡した可能性があると報じた.[3]
また,ナイジェリア当局と赤十字関係者は17日,テロとそれへの報復により,死者が合わせて少なくとも36人に上ったと明らかにした.[1]
「ボコ・ハラム」が教会攻撃を認めた.[2]
【参考ページ】
[1]時事通信,2012年6月18日(月)9時52分
[2]CNN,2012年6月18日(月)12時33分
[3]読売新聞,2012年6月18日(月)20時55分 【ヨハネスブルク=黒岩竹志】
【質問】
チボク女子学生拉致事件って何?
【回答】
この事件について日本のフェミニズム団体が騒いでいるのを見たことがないが,これは正真正銘の性奴隷の事件である.
2014.4.14深夜から15日未明にかけ,イスラーム過激原理主義テロ組織「ボコ・ハラム」が,ナイジェリアのチボク Chibok にある公立女子学校を襲撃,警備の警官数名と兵士1名を殺害し,約300人の生徒を拉致した.
生徒たちはトラックに押し込められ,サンビサ森林内のコンドゥガ地区へ連行されたと見られる.
同地区には要塞化されたボコ・ハラムの拠点がある.
拉致された女子生徒の内,53人は自力で脱出に成功したが,2016.4.30現在,276名が消息不明.
***
話は4時間前に遡る.
ナイジェリア軍は,ボコ・ハラムが学校襲撃を企てているとの情報をキャッチする.
治安の悪化により,チボクの学校は4週間にわたって閉鎖されている.
しかしこの日,物理の修了試験を受けるため,複数の学校から生徒が集まっていた.
そういうスケジュールがボコ・ハラムに漏れていたことは間違いない.
これが映画なら,「直ちに出動!」ということになるが,現実は必ずしもそうはいかない.
手続きが必要であるし,輸送手段も必要である.
例えば阪神淡路大地震でも,災害派遣の出動要請がなかなかなされなかったために,自衛隊の出動は遅れている.
で,ここからが話が食い違うところなのだが,後にアムネスティ・インターナショナルは,ナイジェリア軍は襲撃計画の情報をつかんでいながら,学校への兵力増援をしなかった,と報告書に書いている.
報告書によれば,2人の軍高官は,兵士たちは自分たちより装備の優れた武装集団に立ち向かうことに躊躇するので,攻撃を食い止めるのに十分な部隊を配備することができなかったと述べたとされる.
一方,ナイジェリア軍は,
「いや,情報を掴んでいたことは事実だけれど,援軍を送るのことは難しかった.兵力展開の限界を超えていた」
と主張する.
ナイジェリア軍の腐敗はすさまじいもので,平気で村を焼き払ったり,住民を虐殺したりする.
ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば2009年以降,治安部隊は過剰な実力行使を行っているという.
家を焼き払い,住民に暴行を加え,被害者を「失踪」させ,ボコ・ハラム支援者と判断した人びとを超法規的に殺害する等々.
(「ボコ・ハラム」が存続し続けている理由の一端もそこにある)
なので,アムネスティの主張にもそれなりの信憑性はある.
一方,ナイジェリア陸軍はそもそも10万人しかいない.
実働兵力は5個師団+特殊部隊1個だけだ.
迅速な展開が可能な空挺師団も存在しない.
日本の2.44倍という国土面積,および対ゲリラ戦には正規戦よりも頭数が必要なことなど考えれば,5個師団は少な過ぎる.
ゆえに,どちらの言い分にも頷ける部分があって,どちらが正しいとも言い難い.
もちろん,軍の側の事情など,テロリストにとっては知ったことではない.
14日深夜,チボクの街を「ボコ・ハラム」は襲撃する.
襲撃対象は女子学校のみならず,街全体.
家々も焼き払われた.
学校は主に警察が警備していたが,武装組織に対して明らかに非力.
警官数名は射殺される.
テロリストは学校を破壊した.
西洋教育を施すような建物は,彼らの価値観では「悪」だからだ.
チボク唯一の学校だったが,これでゼロになり,2016年になっても再建されていない.
生徒たちはトラックに押し込められ,サンビサ森林内のコンドゥガ地区へ連行されたと見られる.
同地区には要塞化されたボコ・ハラムの拠点がある.
そこからさらに国境を越え,隣国のチャドやマリなどに連れていかれているところを,サンビザ住民に目撃されている.
被害生徒たちはイスラームへの改宗を強いられる.
ヒジャーブをかぶらなければむち打ち,殴打を行い,殺害すると脅される.
そしてボコ・ハラムのメンバーとの結婚を強要される.
その際,「持参金」が組織に支払われている.
その額,2000ナイラ.
ドルにして12.5ドル.
事実上の人身売買だ.
「ボコ・ハラム」もそれを認めている.
5/5,「ボコ・ハラム」リーダー,アブバカル・シェカウが犯行声明ビデオを出し,
「アラーは彼女らを売るようにと私に命じた.私はアラーの命令を遂行する」
「私の信仰では奴隷制度が認められている.私は(これからも)民衆を捕まえては奴隷とするだろう」
「女性は学校になど行くべきではない.9才から結婚できるのだから結婚するべきだ」
などと述べた.
アラーの声を聴いたとほざくとは,とうとう預言者気取りである.
脱出者の証言によれば,物理的・精神的虐待,強制労働,拉致期間中のレイプなども行われているという.
そればかりか自爆テロの実行犯に仕立て上げられた者もいるようだ.
「ボコ・ハラム」は自爆テロに,洗脳し易い少年少女たちを使うことでよく知られている.
2014年には4件だった子供の自爆テロは,2015年には44件に増えた.
一般市民に被害を与えるため,その自爆犯は泣いたり,痛みがあるふりをしたり,叫んだりして注意を引き,善意の人たちが集まったところで服の下に隠していた爆弾を爆発させるという手法を取る.
起爆はそれら少年少女自身ではなく,遠隔操作によって行われる.
「ボコ・ハラム」のテロでは,少年少女たちは只の「歩く爆弾」に過ぎない.
2014.5.26,ナイジェリア軍のトップは
「被害生徒たちの所在を突き止めたが,想定される被害の大きさから強行な救出作戦は断念した」
と発表した.
どこまで本当かは分からない.
一方,自力で逃げ出してきた少女も53人いる.
(軍より優秀じゃないか?)
だが,帰り着いた故郷でも,テロリストかもしれないと疑われ,汚名を着せられて差別されることも少なくない.
2016.4.30現在,276名(数字には異説もある)が消息不明のままである.
そればかりか,アムネスティによれば,2014年以降「ボコ・ハラム」によって拉致された子供は推定2000人に達するという.
【参考ページ】
「碧空」◆(2016/04/14) ナイジェリア ボコ・ハラム,自爆テロに子供を多用 チボク拉致事件から2年,もどらぬ少女たち
http://www.huffingtonpost.jp/human-rights-watch-japan/nigeria_b_6085952.html
http://www.afpbb.com/articles/-/3043230
http://news.livedoor.com/article/detail/11412815/
http://www.afpbb.com/articles/-/3082342?cx_part=topstory
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/boko-haram-and-nigeria-government_b_6427348.html
https://www.hrw.org/news/2013/05/01/nigeria-massive-destruction-deaths-military-raid
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603271103230
【ぐんじさんぎょう】,2016/05/13 20:00
を加筆改修
【質問】
マイドゥグリ連続テロ事件について教えてください.
【回答】
2015/10/13~10/16に,ナイジェリア北東部・マイドゥグリ Maiduguri において連続して発生したテロ事件.
13日には同市で複数の爆弾が相次いで爆発して7人が死亡し,翌々日の15日夕刻から16日朝にかけては計5件の自爆テロが発生し,計34人が死亡,49人が負傷した.[1]
いずれも犯行声明は出されていないが,当局は「ボコ・ハラム」の犯行とみている.[1]
***
ダーイシュの影に隠れて忘れられがちだが,ナイジェリア北部ではイスラーム過激原理主義テロ組織「ボコ・ハラム」が,2015年現在,活発に活動している.
特に昨今問題視されているのが,子供を使った自爆テロである.
「ボコ・ハラム」は2014年から,拉致した少年少女らを実行犯に仕立てた自爆テロを繰り返している.[2]
国連児童基金(ユニセフ)は2015年5月,2014年以降に起きた北東部での自爆テロのうち,少なくとも4分の3で女性や子供が実行犯だったとの見解を発表している.[2]
たとえばナイジェリア北部の中心都市カノでは2014年7月下旬,自爆テロが4回起こったが,いずれも10代の少女が実行犯と伝えられた.[2]
また,2015/1/10には北東部の中心都市マイドゥグリにおいて,市場で自爆テロがあり,少なくとも19人が死亡,大勢の負傷者が出た.[4]
警察関係者は「犯人は10歳ぐらいの女児」としており,爆発物を体に巻き付けていたという.[4]
さらに同年2月には北東部ポティスクムで7歳前後の少女によるとみられる自爆テロが発生.[2]
さらにまた3/7,マイドゥグリでは魚市場で女が自爆するなど,4カ所で爆発が相次ぎ,AP通信によると,54人が死亡し,143人が負傷した.[7]
同年10/1には,マイドゥグリにおいて5人の子供が実行犯とみられる自爆テロが相次いで起こり,実行犯を含む計15人が死亡.[2]
爆発はモスクと,「ボコ・ハラム」に対抗する自警団のリーダーの家屋で発生[2].
BBCは治安当局者らの話として,自爆したのが9~15歳の少女4人と少年1人だったと報じた.[2]
「ボコ・ハラム」が少年少女を自爆テロ実行犯としているのは,テロ警戒の注意を引きにくいためという見方もある.[2]
その10/1のテロからさほど日にちもたっていない10/13,同じマイドゥグリで,複数の爆弾が相次いで爆発するテロが起こった.[1]
少なくとも7人が死亡.[1][8]
犯行声明は出されてなかったが,当局は「ボコ・ハラム」の犯行とみて捜査を開始した.[1]
ところがテロはそれだけでは終わらなかった.
15日夕刻,やはりマイドゥグリにおいて自爆テロが起こったのである.[1][3]
その日は金曜日で,金曜日にはモスクで金曜礼拝がある.
現場の住民の証言によると,そのモスクの中で,信者を装った実行犯が自爆.[1][3]
この爆発で14人が死亡した.[3]
爆発を受けて現場に人が集まったところで,モスク外で待ち伏せしていた別の実行犯が自爆した.[1][3]
もはやテロではおなじみの手口となった時間差爆破.
16人と襲撃犯が死亡した.[3]
この2件の自爆事件による負傷者は32人で,うち7人は重体.[3]
その後,16日朝までに3件の自爆テロが相次ぎ発生.[1][3]
4人が死亡,17人が負傷した.[3]
5件合計で死者34人,負傷者49人.[1][3]
いずれも犯行声明は出されていないが,ターゲットの性格と攻撃の激しさからみて,「ボコ・ハラム」の犯行が疑われている.
マイドゥグリはボルノ州の州都で[3],「ボコ・ハラム」発祥の地でもある.[6]
そのためか,「ボコ・ハラム」からのテロ攻撃を執拗に受けている.
この事件後の10/23にも同市で28人死亡.[3][5][6]
翌日も同市のDala Yazaramの近郊で,女性自爆テロ犯2人が侵入,一人は取り押さえられたが,もう一人は自爆した.[3]
3人死亡,負傷者多数.[3]
こうした自爆犯は,自分の意思ではないことが多い.
たとえばユリヤ・ユージック『アッラーの花嫁たち』(WAVE出版,2005)によれば,チェチェンの女性自爆犯はノンポリの,普通の女性達であり,売られるか,または連行された上で,洗脳され,自爆犯に仕立て上げられるという.
しかも自爆も本人の意思でなく,遠隔操作であることもしばしばだとか.
「ボコ・ハラム」も同じように,拉致した少年少女を洗脳し,自爆犯に仕立て上げているだろう可能性が高い.
それにしても,そのために10歳にもならない子供たちをさらってくるというのは,まるで,同年代に相手にされない高校生が,近所の子供を集めてリーダーづらして優越感に浸っている図式を見ているようで,「だっさ…」以外の言葉が出て来ないのだが.
【参考ページ】
[1]http://www.moj.go.jp/psia/africa.html
[2]http://ameblo.jp/azianokaze/entry-12082426071.html
[3]http://www.cnn.co.jp/world/35072070.html
[4]http://www.yomiuri.co.jp/world/20150110-OYT1T50152.html?from=ytop_main1
[5]http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201510/0008507756.shtml
[6]http://albore.hatenablog.com/entry/2015/10/24/092017
[7]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150308-00000774-fnn-int
[8]http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151015/k10010270371000.html
mixi, 2016.3.20
◆◆◆◆ソマリア
【質問】
アル=シャバーブについて教えてください.
【回答】
アル=シャバーブ(アッ=シャバーブ,Al
Shabab or Ash-Shabaab)とは,ソマリア発のイスラーム過激原理主義テロ組織であり,「イスラム法廷会議(ICU)」の,若手強硬派による分派組織.
「シャバーブ」とはアラビア語で「青年」を意味する.[9]
2004年初めに結成されたと自称しているが,欧米が支援する暫定政府とエチオピア軍の軍事的圧力を受けて,ICUが徐々に領土を失う中で,分裂・派生した組織の一つだと見られている.[1]
アブ・マンスール(別名:シーク・ムクタハル・ロボウ)を指導者とするが,イラン,リビア,エジプト,ペルシャ湾岸地域からの支援を受け,幹部にも非ソマリア人が多いと言われる.
2006年,アフリカ連合(AU)の平和維持部隊駐留により,アル=シャバーブは首都から追放.[1]
ICUの指導者の一人だったアハメドが,国連が支援する暫定政府の大統領に就任したが,アブ・マンスールらは暫定政府を拒否.[1]
同年11月,ソマリアのバイドアにおける,暫定連邦政府のチェックポイントに対し,自爆攻撃を行った.[6]
この攻撃によって,少なくとも8人が死亡,4人が負傷した.[6]
2007年12月頃,ソマリア暫定連邦政府がエチオピアの力を借りてモガディシュとキスマユを取り戻すと,アル・シャバーブは敗走.
しかし2008年8月,ソマリア南部の港湾都市キスマユを軍事占領.
2008年10月,ソマリア北部の2都市に対し,同時に自動車爆破テロを行った.[6]
これにより少なくとも26人が死亡,29人が負傷した.[6]
2008年後半までには,首都モガディシュの一部を除く,ソマリア南部の大部分を掌握した.
2009年1月26日には,エチオピア軍が撤退した数時間後に,ソマリア暫定議会があるソマリア南部の都市バイドアを占領.
2009年2月22日,モガディシュのアフリカ連合軍基地への自動車自爆テロを行った.
同年5月17日,モガディシュ北部のジョハールを掌握.
同年6月18日,ソマリア中部ベレドウェインのホテルにおける自動車自爆テロを行い,治安長官アデンを含む20名を殺害した.
同年6月20日,アル・シャバブを中心とする反政府組織が,首都モガディシュの大統領官邸を包囲.
同年9月下旬,それまで協力関係にあったヒズブル・イスラムに対し,互いに宣戦布告.
同年11月,対ユダヤ人・イスラエル作戦用の特殊部隊「アル・クッズ旅団」を創設.
2010年2月,ヒズブル・イスラム側の部将ハッサン・トゥルキーを寝返らせ,ヒズブル・イスラムの支配地であったゲド州やヒラーン州を次々に攻略.
同年7月11日,ウガンダの首都カンパラのレストランで,連続爆破テロを実行.サッカーワールドカップ(W杯)観戦中の人など70人以上が死亡した.[2][9]
同年10月17日,ケニア国内でのテロに業を煮やしたケニアが,ソマリア南部へ侵攻し,アル=シャバーブ掃討作戦を開始.[8]
同年12月20日,ヒズブル・イスラム議長アウェイスはアル=シャバーブに対し,全面降伏の声明を発表.
2011年2月,ソマリア―ケニア国境を警備していたケニア・ソマリア軍と,国境を越境してきたアルシャバブとの間で交戦.[9]
同年3月,暫定政権を支持するケニアに対して報復を行うと,アルシャバブが声明を発表した.[9]
しかし,近隣諸国による包囲網が敷かれ,また,支援者であったカダフィ政権が倒れると,状況は暗転.
2011年7月~8月,モガディシオ市内においてアフリカ連合派遣部隊と交戦し,市内からの撤退を余儀なくされる.
2012年2月には,首都モガディシオの北西約250キロの地点にある交通・軍事上の要所で,最大拠点都市の一つバイドアから撤退した.[4]
同月,アル?シャバーブとアルカイダは,提携を正式に発表.
同年9月29日,ケニア軍を主力とするアフリカ連合部隊によって包囲されていたキスマユからも撤退.
2013年5月5日,ソマリアの首都モガディシオ中心部で,同国を訪問中のカタール政府関係者らを乗せた車列に対する自爆テロを起こし,カタール代表団に死傷者はいなかったものの,11人前後が死亡.[5]
同年9月7日,モガディシオ中心部のレストランで,自爆テロを実行.警察当局者によると,少なくとも15人が死亡,20人が負傷した.[7]
同月,ケニアの首都ナイロビのショッピング・モールを襲撃.
ソマリア国境に近いケニア北東州のガリッサでは,それ以前,2012年より街中の飲食店やホテルなどを狙った攻撃や爆弾テロが散発的に発生しており,地元紙によると100人以上が死亡したという.[5]
アルシャバブの目的は,政府を倒し,厳格なイスラム法を適用すること.[1]
BBCによれば,アル・シャバブの支配地域では,不貞行為を働いた女性を石打ちで死刑にしたり,窃盗犯の手足を切り落としているという.[1]
外国人メンバーの影響で[3],彼らは国連と欧米のNGO(非政府組織)も敵視しており,08年と09年には平和維持部隊の隊員など42人を殺害.[1][8]
国連世界食糧計画(WFP)などの支援団体がソマリアに送ろうとする支援物資の輸送を阻止し,食糧や医薬品を燃やし,支援スタッフを殺害するなど妨害を行っている.[3]
また,ケニアのほか,06年にソマリアを侵略したエチオピアと,アフリカ連合に派兵しているウガンダとブルンジも敵とみなしている.[1]
戦闘員は数千人に達し,目印の赤と白のスカーフを着用している.[1]
情報筋によれば,外国人兵士も数百人参加している模様.[3]
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)によれば,アル=シャバーブは10歳の子どもを戦闘に送り出したり,女児を誘拐して前線で戦う戦闘員の妻にしたり,子どもが紛争に巻き込まれないよう抵抗した親に,目をつけて殺害した事例もあったという.[4]
過酷な訓練を経て前線に送られた子どもたちの中には,成人の兵士を守るために「捨て駒」として利用されることもあるとした.[4]
資金源は密輸.[5]
国連調査団によれば,ソマリアから木炭を湾岸諸国に輸出,逆に湾岸経由で砂糖を輸入し,この砂糖をケニアに持ち込む裏ビジネスにアルシャバブが関与しているという.[5]
地元報道などを総合すると,砂糖・木炭取引への関与でアルシャバブは年間数十億円を得ている疑いがある.[5]
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/アル・シャバブ
(ソマリア)
[1]http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/07/post-1460.php
[2]http://www.newsweekjapan.jp/foreignpolicy/2010/09/post-163.php
[3]http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/08/post-2216.php
[4]http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/3d4c278c0fa25fbb6d8f41ef64626256
[5]http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/4a5dce763a421920edb363b925618096
[6]http://www.rewardsforjustice.net/index.cfm?page=robow&language=japanese
[7]http://dontena.doorblog.jp/archives/cat_440939.html
[8]http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65698776.html
[0]http://www.fsight.jp/21102
[0]http://matome.naver.jp/odai/2131234116236515501
[0]http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP545713
[9]http://hafriuka.jugem.jp/?day=20120710
【ぐんじさんぎょう】, 2013/10/04 20:00
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【質問】
カンパラW杯決勝戦中継自爆テロ事件とは?
【回答】
2010.7.11夜,アフリカ東部ウガンダの首都カンパラで,エチオピア料理レストランとラグビー競技場で起きた,2件の自爆テロ事件.
同競技場では大型スクリーンで,サッカー・ワールドカップ決勝戦が中継されていた.
74人が死亡,70人以上が負傷.
負傷者には米国人が数人含まれているという.
フランス通信(AFP)などによると,アッシャバーブの報道官は12日,モガディシオで記者団に対し,
「ウガンダとは戦争状態にあり,攻撃の背後にはわれわれがいる」
と述べた.
アル・カーイダの影響を受けるとされる同組織は事件当時,首都モガディシオを含むソマリア南部のほとんどを実効支配し,穏健派のイスラーム指導者,シャリフ・アハマド師率いる暫定政府側と戦闘を継続.
同組織は,ソマリア内戦の終結を目指すアフリカ連合(AU)など,周辺国による平和維持部隊(PKF)派遣を
「神の聖クルアーンに対する宣戦布告」
と受け止め,ソマリア国内でAUのPKF部隊への攻撃を実行.
最近は,PKF部隊の中核となっているウガンダとブルンジへの「直接攻撃」を予告していた.
【参考ページ】
2010年7月12日19時10分,産経新聞(ロンドン 木村正人)
2010年7月13日20時8分,産経新聞(カイロ=村上大介)
【質問】
モガディシオAMISOM基地自爆テロ事件とは?
【回答】
2009.9.17,モガディシオにあるアフリカ連合(AU)の平和維持部隊(AMISOM)基地で,国連のロゴが付いた車2台が侵入,自爆した事件.
標的となった建物は,AMISOMの主力となっているブルンジ,ウガンダ両軍部隊の兵舎で,野戦病院としても使われていたという.
AMISOM当局者によれば,ブルンジ軍副司令官を含む将兵17人,民間人4人が死亡,40人が負傷した.
AU本部によると,「アル=シャバブ」が犯行声明を出したという.
【参考ページ】
2009年9月18日12時55分,ロイター
2009年9月18日14時33分,CNN
【質問】
モガディシオ・ホテル爆破閣僚暗殺事件とは?
【回答】
2009.12.3,モガディシオのホテルで爆発があり,地元メディアによれば,同国暫定政府の閣僚3人を含む少なくとも23人が死亡した事件.
単独の自爆犯は女装して会場に忍び込み,爆弾をさく裂させたという.
同国からの報道によると,死亡した閣僚は
カマル・アデン・アリ保健相,
アハメド・アブドラヒ・ワイル教育相,
イブラヒム・ハッサン・アドウ高等教育相
の3人.
ホテルでは,保健衛生を学ぶ地元大学の卒業式が開かれており,学生や家族,政府当局者らが多数出席していた.
スポーツ担当閣僚も当初,死亡したとされたが,重体で病院に運ばれたことが分かった.
学生9人,医者2人,記者らメディア関係者3人も殺害された.
中東・アラブ首長国連邦(UAE)のドバイを拠点にする衛星テレビ,アルアラビーヤのカメラマンも死亡したとの情報がある.
また,少なくとも50人の負傷者が出ている.
ソマリアでは反政府武装勢力が暫定政府打倒で攻勢を強めており,閣僚らを狙った自爆テロとみられる.
犯行声明は出ていないが,イスラーム系過激組織アル・シャバブの関与が疑われている.
同組織の報道担当は否定している.
【参考ページ】
2009年12月3日22時21分,時事通信
2009年12月4日19時12分,CNN
2009年12月3日19時54分,CNN
【質問】
モガデシュ・ホテル爆弾テロ事件とは?
【回答】
当局者らによれば,2010/8/24午前11時前,モガデシュの大統領宮殿近くのホテルに2人組の男が侵入し,爆発物を起爆させたテロ事件.
治安部隊が出動してホテルを包囲,犯人らは自殺したという.
少なくとも33人が死亡した.
政府報道官によれば,死者には国会議員6人が含まれ,さらに議員3人が負傷したという.
「アルシャバブ」が犯行声明を出した.
同組織はソマリア暫定政府や,政府を支援するアフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM)に対する攻撃を繰り返している.
同報道担当者は,AMISOMが同国から撤退するまで戦闘を続けると述べた.
【参考ページ】
2010年8月25日10時15分,CNN
【質問】
アル=シャバブによる2011年のラマダーン攻勢について教えられたし.
【回答】
アフリカ連合(AU)当局者によれば2011.8.1,ソマリアでアル=シャバブが開始した,ラマダーン入りに合わせた攻撃.
首都モガディシオ北東部で激しい戦闘があり,AUの拠点付近にも迫撃砲や銃撃の音が響いたという.
アル=シャバブはモガディシオ市内に戦闘員を集結させ,さらに攻撃の構えをみせているという.
また,ソマリア軍の制服を着た2人組が自爆を図ったものの,AU部隊が起爆直前に阻止したという.
その際の銃撃戦で,AU側の兵士2人が死亡した.
AU軍はその先週,人道機関による食料や物資の輸送を助けるため,アル=シャバブに対する掃討作戦を実施していた.
AUによると,アル=シャバブはAU軍が2007年に同国へ派遣されてから毎年,ラマダーンに合わせて攻撃を仕掛けてきたという.
AU軍の報道官は
「ソマリアは飢饉に襲われているというのに,過激派は命を救うどころか奪うことに集中している」
と非難した.
国連によると,アル=シャバブが実効支配する同国南部では,1991年以来の飢饉が起きており,栄養失調に陥った住民の割合は50%に迫り,世界最悪の水準.
【参考ページ】
CNN,2011年8月2日(火)9時51分
【質問】
2011年11月の,ケニア・ソマリア両軍によるアルシャバブ攻撃は,どのようなものだったのか?
【回答】
2011.11.23,バダデ近郊の2カ所の,アルシャバブの軍事基地を空爆.
そして翌日,ケニア軍報道官やソマリア当局者らによれば,ケニア軍とソマリア軍は,アルシャバブの軍事基地を攻撃し,多数のメンバーを殺害・拘束したというもの.
ケニア軍報道官によれば,ヘリコプター部隊の援護を受けた両軍部隊が,アルシャバブの基地を攻撃し,破壊したという.
これに対して24日,ソマリアとの国境に近いケニアのマンデラで,道路脇に仕掛けられていた爆弾が爆発し,パトロール中だったケニア軍兵士1人が死亡.
また,同日夜,ケニア東部ガリッサにおいて,レストランなどで手投げ弾とみられる爆発があり,3人が死亡,27人が負傷した.
【参考ページ】
ロイター,2011年11月25日(金)17時27分
【質問 kérdés】
在モガディシュ・トルコ大使館爆破テロ事件とは?
Mi az török nagykövetség bombázás Mogadishuban?
【回答 válasz】
2013.7.28,ソマリアの首都モガディシオにおいて発生した,トルコ大使館関係施設に対する襲撃事件.
まず自爆車がトルコ大使館の建物に突入.
次いで,トルコの援助で設立されたシファ病院が襲撃された.
死者8人,負傷者9人.
トルコのソマリアでの人道支援活動に対するアッ=シャバーブの報復と見られる.
☾☆ ☾☆ ☾☆
昨今,幼稚園児に教育勅語を唱和させるアホ幼稚園の話が世間を賑わせているが,教育に名を借りて,他人を思い通りにしたい人間は,どこにでもいるものだ.
テロ組織「アル=シャバーブ」もそうしたアホ人間の集まりで,欧米型の教育を児童生徒に受けさせることに反対している.
では,彼らのようなイスラーム過激原理主義者の推奨する「教育」がどのようなものかと言えば,ひたすらクルアーン(コーラン)の暗唱と軍事教練という代物.
考えようによっては,彼らのトンデモ論理が大人には相手にされないからこそ,子供相手に無理強いして言うことを聞かせようとしているようにも見える.
ソマリアでは中央政府が崩壊しているので,私営学校と援助NPOが初等教育の中心だが,トルコはソマリアへの人道支援の一環として医療と教育にも関与している.
もちろんまっとうな教育である.
どこぞの王国のようにワッハーブ派の思想を教育と称して広めようとしているわけでもない.
これがアル=シャバーブにとっては敵対行為に見えるらしい.
「ぼくのかんがえたさいこうの教育」を広める邪魔になるからだ.
そもそも,人道支援と称して,ソマリア政府の役に立つようなことをしていることが気に入らない.
ソマリア政府は彼らの敵だからだ.
敵の味方も敵である.
ましてトルコはムスリム/ムスリマが大多数を占める国.
「裏切者」への憎悪は,異教徒へのそれより深い.
2013.7.28午後5時ごろ,「裏切者」の大使館に,爆発物を積み込んだミニバンが突入,爆発した.
死体が飛散.
近隣の多くのアパートメントの窓が割れたという.
死者は6人.
そのうち2人がソマリア人の大使館警備員.
巻き添えを食った現地の大学生が1人.
そして自爆犯3人.
大使館員2人を含む9人が負傷した.
次いで,トルコの援助で設立されたシファ病院が襲撃された.
こちらでは死者2人.
アル=シャバーブが犯行声明を出した.
ところが不思議なことに,このテロはソマリアを巡る英国とトルコの間の代理戦争だ,と主張する人々がいる.
たとえば「Yeni Safak」紙のイブラヒム・カラグル Ibrahim Karagul 編集長(コラムニスト)は,
「トルコがソマリアで影響力を広げるのを阻止するために,英国がアル=シャバーブにテロを行わせた」
と主張している.
トルコにはこのように,世界のあらゆる全てのテロ組織の背後には米国・西欧諸国の策謀があると信じている人が結構いるという.
池内恵は『現代アラブの社会思想』(講談社,2002)において,中東では欧米・ユダヤによる陰謀論が知識人層にまで広がっている旨を指摘していたが,トルコにもそういう傾向があるのだろう.
「人は,己が信じたいものしか信じない」
とは,よく言われるところだが,陰謀論が知識人にまで広がっているとなると,あまり穏やかな話とは言えまい.
そういえば日本にも,「コミンテルンの陰謀」だの「9.11自作自演説」だのを広めようとする「知識人」がいまだに存在する.
そういう事実を鑑みるに,今,本当に必要なのは,何かを盲目的に暗唱させて信じさせる「教育」よりも,何事も一度は疑ってかかる教育のほうだと思うのだが,どうだろう?
【参考ページ Referencia Oldal】
http://arcanaslayerland.com/2017/02/26/tsukamoto-2/
http://ameblo.jp/dspno1captain/entry-11581431518.html
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/al-shabaab.html
http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/4506284.html
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130728_094347.html
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2016/07/31/somarianojiao-yu-nokong-bai-wotorukozheng-fu-gamai-meru-541488
http://edition.cnn.com/2013/07/27/world/africa/somalia-turkish-embassy-attack/
http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2013/08/somalia-al-qaeda-turkey-attack-al-shabab.html
https://www.youtube.com/watch?v=tpKLqv-6ulk
【ぐんじさんぎょう】,2017/3/25 20:00
を加筆改修
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