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テロリズムFAQ目次


 【Link】

「AP」◆(2013/05/06) Bomb explodes in Roman Catholic church in Tanzania, killing woman and injuring more than 40 others

「Blogs of War」◆(2013/05/06) Gunfight in Nigeria's Delta oil region kills eight: sources

「D.B.E. 三二型」(2012/05/08)◆イスラム過激派が霊廟破壊 マリの世界遺産都市で

「NY Times」◆(2011/09/15)Terrorist Groups in Africa Pose Threat to U.S., General Ham Says

「Reuters」◆(2012/12/26) Gunmen kill six in northeast Nigeria church attack

「Reuters」◆(2013/05/31) Nigeria arrests Lebanese suspected of Hezbollah ties
「中東の窓」◆(2013/05/31) ナイジェリアのヒズボッラー細胞逮捕

「Strategy Page」◆(2013/04/09) PROCUREMENT: Forbidden Treasure Of The Desert
 北アフリカ・イスラーム武装勢力による誘拐ビジネス

「Strategy Page」◆(2013/04/16) SOMALIA: Terrorists Terrorize Each Other

「Strategy Page」◆(2013/04/18) COUNTER-TERRORISM: The Canadian Conundrum
 カナダは,アルジェリア・Tiguentourineガス田襲撃に関与したカナダ人2人を追跡
「中東の窓」◆(2013/04/23) カナダのテロリスト逮捕

「Strategy Page」◆(2013/05/07) COUNTER-TERRORISM: Another Battle Of Kasserine Pass
 チュニジア,カセリーヌ峠の戦い

「Strategy Page」◆(2013/05/08) ALGERIA: Why Terrorists Hate This Place
 テロリストはなぜアルジェリアを憎むのか?

「Strategy Page」◆(2013/06/02) NIGERIA: Islamic Terrorists Furious Over Recent Defeat
 ナイジェリア軍,「ボコ・ハラム」に打撃を与える

「Strategy Page」◆(2013/09/23) SOMALIA: Mall Massacre Sends The Wrong Message
 アル・シャバーブのテロ攻撃が,ケニア国内でのソマリア人排撃ムードを醸成

「VOR」◆(2012/03/04)コンゴの首都で爆発 150人以上が死亡

「VOR」◆(2012/04/03)ソマリアで爆発 オリンピック委員会の会長とサッカー連盟の会長死亡
>ソマリアの首都モガディシュの国立劇場で自爆テロが発生し,同国のオリンピック委員会とサッカー連盟の会長を含め,少なくとも7人が死亡.
>イスラム武装勢力アル・シャバブが犯行声明を表している.

「VOR」◆(2012/04/08)ナイジェリア 教会爆発で少なくとも20名死亡

「VOR」◆(2012/04/29)ナイジェリア 武装集団が大学を襲撃

「VOR」◆(2012/06/03)ナイジェリア 教会付近で爆発 少なくとも12人死亡

「VOR」◆(2012/07/01)ケニアの2つのキリスト教会に手榴弾 16人死亡

「VOR」◆(2012/10/03)ナイジェリアで武装集団が学生を射殺 27人死亡
 「ボコ・ハラム」の犯行だと考えられている

「VOR」◆(2012/10/28) ナイジェリア北部 カトリック教会で再び爆破 15名が犠牲に

「VOR」◆(2012/11/02)ソマリア テロ容疑者400人逮捕

「VOR」◆(2012/12/03)ナイジェリア イスラム過激派がキリスト教徒10人を惨殺

「VOR」◆(2012/12/18)ナイジェリア南部でヒュンダイの社員6名拉致

「VOR」◆(2013/05/06) 武装勢力 ナイジェリアの元石油相を誘拐

「VOR」◆(2013/05/09) ナイジェリア 過激派宗教セクトによる警官の犠牲者 46人に

「VOR」◆(2013/05/25) ナイジェリア陸軍兵殺害事件の容疑者が英国mi5のリクルート・リストに

「VOR」◆(2013/07/06) ナイジェリア,武装集団が学校襲撃,30人の児童が殺害

「VOR」◆(2013/09/29) ナイジェリア ボコ・ハラム戦闘員 約50名の寝ている学生を射殺

「WSJ」◆(2013/05/07) Tanzania Arrests 4 Saudis Over Bomb Attack

「朝目新聞」(2013/06/08)●ナイジェリア,ホモであるだけで懲役14年

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/04/30)ナイジェリア  頻発するイスラム過激派「ボコ・ハラム」によるキリスト教徒を対象にしたテロ

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2012/06/19)ナイジェリア  イスラム過激派によるテロ頻発 キリスト教徒による報復暴動も 悪化する憎しみの連鎖

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/24) ナイジェリア  イスラム過激派「ボコ・ハラム」に対する大規模掃討作戦が進行

「孤帆の遠影碧空に尽き」◆(2013/05/26) ニジェール  イスラム過激派が仏ウラン加工施設攻撃 拡散するテロ組織の背景に砂漠化進行と食糧難

「中東の窓」◆(2012/09/20)北アフリカ,サヘル地域の過激派の協調の動き

「中東の窓」◆(2012/11/02)ユダヤ人の誘拐計画(チュニジア)

「中東の窓」◆(2012/11/06)テロ細胞の逮捕(モロッコ)

「中東の窓」◆(2012/12/14)サラフィストのホテル襲撃(チュニジア)

「中東の窓」◆(2013/02/27) 左派政治家暗殺事件(チュニジア)

「中東の窓」◆(2013/04/08) 左派政治家暗殺とカタール(チュニジア)


 【質問】
 チュニジア・バルド国立博物館銃乱射事件って何?

 【回答】
 えー,毎度,笑えないお噺(はなし)を一席.
 落語の人物と申しますと,八っつぁん熊さんにご隠居さん,人のいいのが甚兵衛さん,馬鹿で与太郎なんてことを申します.
 ちなみに,大きなことを言うようですが,今や「春風亭流氷」と言えば,わが国では……,私一人です.

 で,そんな八っつぁん熊さんご隠居さん甚六さんの宴さんなどなどなどがごちゃっと長屋に住んでいたのが,江戸という時代でして,この時代のみならず昭和の初め頃までは,殆ど町内から一歩も出ずに一生を終えたってぇ人も多かったそうで.
 そんな時代ですから,旅行なんてぇのも一大事.
 庶民にとっての大型レジャーの一つとなっていたわけでして.
 お伊勢参りを扱った『東海道中膝栗毛』ってぇ滑稽本がベストセラーになっていることが,その良い証拠ですな.

 そんな伝統みたいなレジャーが,今の時代までずっと続いているようでしてね.
 昭和の高度成長期には,お伊勢参りどころか海外にまで出かけていっちまう.
 ところがマナーがなっていないから顰蹙をかっちまう,てな噺を筒井康隆が『農協月へ行く』というお題で書いていたりする.
 もちろん平成の時代になっても旅行が大型レジャーの一つであることには変わりはないわけで,一昨年だけでも延べ2000万人近くが海外に出ている[1]ってぇ言いますから,大変な数です.

 そんな旅行者たちの中に,一組の母娘がおりまして.
 娘のほうは,名前を結城法子って言うんですが,当年とって35歳.[2]
 2015.3.14に日本を出まして,イタリア・ジェノバ発の7泊8日のクルーズ旅行[2]ってぇんですから,お伊勢参りに比べりゃ豪勢なもんです.

 3.18朝にはチュニジアのチュニスに入港しますってぇと,ガイド・ツアーでバルド国立博物館を訪れます.[2]
 バルド国立博物館と申しますのは,チュニジアの定番観光スポット[7]でございまして,古代ローマ時代からイスラーム王朝時代の色んな遺物を見ることができるんですな.[3]
 『テルマエ・ロマエ』でおなじみローマ式公衆浴場の,その床を覆っていたというモザイク画なんてぇのもございます.[3]
 また,2階には「木いちごくれなきゃカルタゴほろぶ」でおなじみカルタゴの,その遺品ばかりを集めた「カルタゴの間」なんてぇのもございます.[3]
 おまけに建物自体も,13世紀のベルベル人のイスラーム王朝の時代に,その王(アミール)によって建てられた宮殿だという,大変豪華な代物.[3]
 まぁ地中海クルーズ旅行なら,こいつを見逃す手はありませんわな.

 ところがお昼頃のこと.
 結城さんが展示室を移動中,何かが弾けるような音が聞こえる.[2]
 そんとき,観光バスを止める駐車場では,1台のバスから観光客が降りて,建物のほうへ歩き出したところに,2人組の男が現れて,カラシニコフで背後から銃撃し始めていたんですな.
 警備が手薄なことも災いして,犯人たちは続いて博物館の中に突入.
 その当時,博物館の中には観光客は100人はいた[7]ってぇんですが,そのうち40人が人質にされてしまいます.[6]

 結城さん達は別の展示室に逃げたんですが,そこでも発砲がありまして.[2]
 で,入り口を振り向くと,銃を持った男が立っている.[2]
 結城さん,すぐに頭を手で覆って床に伏せたんだそうで.[2]
 男の顔も見ていない[2]くらい咄嗟に伏せたってぇんですから,殆ど条件反射だったんでしょうな.
 幸い,結城さんは人質にされることもなく,なんとか建物から脱出しましたが,
「生きた心地がしなかった」[3]
そうな.

 その4時間後,犯人たちは突入してきた特殊部隊に撃ち殺されるんですが,結局,犯人2人と特殊部隊員1名などなど合わせて22人が死んでしまいまして.[6][8]
 観光客で死んだ人のうち,イタリア人が4人,フランス人1人,ポーランド人1人,コロンビア人2人,オーストラリア人1人,スペイン人3人,そして3人が日本人.
 全員女性で東京都荒川区の成沢万知代さん(66),埼玉県狭山市の宮崎チエミさん(49)・遥さん(22)というお名前だそうで[9](ナマンダブ,ナマンダブ…)

 犯人は最初,ダーイシュじゃねえか?ってェ言われていたんですが,後に地元チュニジアのイスラーム過激原理主義組織「アンサール・アル=シャリーア」の分派,「ウクバ・イブン・ナフィア旅団」の仕業って断定されまして.[4][12]
 この組織はダーイシュに忠誠を誓う声明を出していますんで,最初言われてたことも,そんなに外れていたわけじゃあないんですけどね.[12]
 撃ち殺された実行犯は,ヤシン・ラビディ Yassine Labidi とサビール・カシュナウィ Saber Khachnaoui っていうチュニジア人で,ラビディのほうはこの事件以前から諜報機関にマークされてたんだそうです.[4]
 まあ,丸腰の観光客を,不意打ちで,背中から撃っているっつぅ点で,庇いようのない最低のロクデナシどもでございます.
 他にも複数が逮捕され,また,28日夜には,「ウクバ・イブン・ナフィア旅団」の中部ガフサ近郊の拠点を治安部隊に急襲されて,指導者ハリド・シェイブなど9人が射殺されている[4]んですが,誰がどのような役割を果たしたかは,現時点ではまだ明らかにされておりませんで.

 で,危うく日本人4人目の犠牲者になるところだった結城さん,とりあえず地元の病院に入院したんですが,入院している間に,どうも風向きがおかしなことになってまいりまして.
 実は結城さん,自衛隊中央病院に勤める陸上自衛隊の3等陸佐,昔で言う少佐だったんですな.[10]
 それが
〈私は一日中泣いていたせいで目が腫れ上がって開けることができず……〉[10]
などという手記を発表したせいで,それが昔の軍人のイメージをお持ちの方の感情をいたく刺激したんでしょうな,
「今後,自衛隊員が血を流す事態も想定されるなか,負傷した同僚を救護すべき医官がこの体たらくではと,『自衛隊不信』が広がらないといいのですが……」(世良光弘)[10]
「『戦士』が弱さを示すことにメリットは何一つない.これから自衛隊は後方支援などで海外における活躍がますます求められていくわけですが,『弱いところから叩け』は軍事の基本.結城3佐が弱さを露呈し,自衛隊全体もそういったイメージを持たれることで,ひ弱い自衛隊のいるところこそ狙い目と,海外の軍隊になめられかねません」(中西輝政)[10]
「忠勝に言わせれば,彼女は"戦う者"の風上にもおけない存在ということになるのかもしれない――」(記事執筆者)[10]
「武士は食わねど高楊枝.侍たる者,腹が減ろうが,どこぞが痛もうが,平気の平左を気取り,気高く振る舞うものであろう.しかし,"現代のサムライ"である陸上自衛官の結城法子(のりこ)氏(35)の手記に目を通すと,テロ被害に遭ったことに対する同情の念を抱くよりも,日本の"女戦士"はこの程度だったのかと,情けなさが漂ってくるのを否定できないのであった」(同)[10]
などと,まあ,こんなふうに叩かれている次第で.
 しかも,事前に旅行の届け出をしなかったことも発覚して,停職2日の懲戒処分を受け,4.18付で依願退職する破目になっちまいまして.[11]

 医官に「サムライ」の気構えを要求するのもなんだかなあ…と思う次第で.
 屈強なアメリカ海兵隊員だって,実際に戦場に立たせてみると,PTSDを発症するのが後を絶たないんで,「一日中泣くなんて情けない」みたいなこと言う人がいるのには,どうにも違和感がありましてね.
 本人の話によりますってぇと,犯人を見て咄嗟に伏せたってぇんですから,軍人らしい反応を一応は見せてはいると思うんですがねえ…?

 だいたい,サムライなんてぇのは江戸時代には人口の1%くらいしかおりませんで,しかも戦国乱世は遠い昔の事となると,武士は官僚みたいなものになってたわけで.
 手前勝手な「サムライ」の理想像を持ち出してくるのは,そりゃあ違うんじゃあないかい?と.
 むしろ比べるべきは,『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんとじゃねえかって,あっしはそう思うんですが,どんなもんですかねえ…?

 もっとも,無届旅行したこたぁ言い訳できないでしょうから,そこだけはイカンと.
 …おあとがよろしいようで.

 【参考ページ】
[1]http://www.mlit.go.jp/kankocho/siryou/toukei/in_out.html
[2]http://www.asahi.com/articles/ASH3Q5TKDH3QUHBI014.html
[3]http://www.bardomuseum.tn/(英語ページはこちら
[4]http://us.cnn.com/2015/03/19/africa/tunisia-museum-attack/index.html
[5]http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPKBN0ME2U320150318
[6]http://www.asahi.com/articles/ASH3L778KH3LUHBI01T.htm
[7]http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H4M_Z10C15A3EAF000/
[8]http://www.sankei.com/world/news/150319/wor1503190029-n1.html
[9]http://www.asahi.com/articles/ASH3M24XLH3MUEHF001.html
[10]「週刊新潮」2015年4月2日号
[11]http://news.yahoo.co.jp/pickup/6156933
[12]http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM29H1P_Z20C15A3FF8000/






https://www.youtube.com/watch?v=noUv8CthseA
https://www.youtube.com/watch?v=WAEjMe_UEfY
(閲覧注意,実行犯の死体画像あり)


◆◆◆◆アルジェリア


 【質問】
 アルジェリアにおけるクーデターが無血だったのは何故か?

 【回答】
 1992/1/11,シャドリ大統領が辞任を表明.
 その直後,政府軍の戦車・装甲車などが政府施設,放送局,電話局などの周囲を固め,兵士多数が厳戒態勢に入った.
 不可解な辞任である.総選挙敗北の引責にしてはタイミングがおかしい.
 決戦投票は5日後の1月16日.辞めるなら12月26日の第1回投票直後でもよかった.
 これは総選挙を白紙に戻す布石だな,と私〔布施〕は直感した.

 大統領辞任の政治的空白を埋めたのは,最高治安評議会という正体不明の組織だった.
 同評議会にはゴザリ首相,ベルヘイル内相(陸軍大将),ネザール国防相ら主要閣僚の他,陸軍参謀総長ら現役の軍幹部が加わり,軍部の匂いが濃厚だった.
 この組織は,後に最高国家評議会と名前を変えるが,軍事色が強いことに変わりはなかった.

 大統領辞任表明の翌12日,治安評議会は果たして総選挙白紙撤回を宣言.
 と同時に,アルジェやオラン,コンスタンチーヌなどの大都市は,軍が目抜き通りを固め,事実上の戒厳令下に置かれた.
 シャドリ大統領の動静は全く伝えられなくなった.
 フランスのマスコミは,総選挙決戦投票実施に反対する軍部が,シャドリを引き摺り下ろした,つまり事実上のクーデターだと報じていた.

 FISは当然,激しく抵抗したが,国家評議会はモスクと周辺での集会を強権的に禁じ,FISに組織解散を命じた.

 国家評議会が元首として迎えたのは,モロッコに2年間亡命していたモハメド・ブディアフだった.
 抗仏独立戦争の英雄とされる彼も,さほど有名人ではない.
 国家評議会の実権を握るのはネザール国防相とベルヘイル内相であり,ブディアフは最初から傀儡の色彩が濃厚だった.
 1月16日,ブーメジェン国際空港に降り立った彼は,5ヵ月余り後の6月29日,アルジェリア東部アンナバで演説中,凶弾に倒れた.治安部隊の制服を着た男が,ブディアフ議長の背後から自動小銃を乱射,議長は頭などを撃たれて即死した.73歳だった.

 アルジェリアは,ほぼ3人に一人が失業者という異常な事態にあった.石油資源を有し,農業や漁業資源も豊かなこの国が貧困に喘ぐ理由は,簡単には説明できない.
 政府関係者は外債の締め付けを強調するが,それは外向けの説明に過ぎない.
 アルジェリアは流通経路や経済機構が硬直化し,長年のFLN一党支配の弊害,つまり富の遍在が顕著になっていた.
 軍部の傀儡と見られたブディアフも,次第に政府・軍・FLNの不正に目を向け,政府部内の腐敗や汚職にメスを入れる一方,大統領選出馬にも意欲を燃やしていたという.
 利権確保を目指す一部支配層には,ブディアフは目の上のたんこぶになりつつあった.
 操り人形のはずだったブディアフが,独り歩きを始めようとしたために,「消された」との見方も有力だ.

 暗殺事件の真相は今もって謎である.
 実行犯として逮捕されたのは,ブディアフの警護を担当する,ブラマフという26歳の治安要員.
 政府系の新聞は,彼が士官学校時代,FIS幹部と精神的な師弟関係にあったと報じた.
 しかしブラマフ容疑者は,明確な組織に属してはいなかった.
 鳴り物入りで始まった政府の真相究明も,尻窄みの形で終わったことを考えれば,FISが犯行に関与したとは考えにくい.

 ブディアフの後継議長になったのが,退役軍人国民協会事務局長のアリ・カフィ(64)である.
 アルジェリア東部スキクダに生まれ,イスラーム神学校で学んだ後,16歳でアルジェリア解放戦線に参加.
 独立後はFLN中央委員になり,シリア,レバノン,エジプト,イラクなど中東諸国の各大使を歴任したが,知名度は低く,新議長候補の下馬評にも挙がっていない人物だった.
 ブディアフ同様,お飾り的元首の色彩が強かった.

 そのカフィは94年1月,リアミン・ゼルーアル(53)に元首の座を明渡した.25-26日,アルジェリアは,新指導体制を決める国民会議を開き,3年間の暫定大統領としてゼルーアルを選んだのである.
 陸軍参謀総長を務めた職業軍人.
 暫定大統領に選ばれたとき,国防相だった彼は,そのまま大統領職と国防相を兼ねることになり,軍政色はさらに強まった.

(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.316-321,抜粋要約)


 【質問】
 「武装イスラーム集団」(GIA)とは?

 【回答】
 1992年1月,選挙によって合法的なイスラーム政権が誕生しそうになったアルジェリアでは,軍部が逆クーデターを起こし,イスラーム勢力一掃に乗り出し,事実上の内戦に突入した.
 本来なら政権を担うはずだった政治組織「イスラーム救国戦線」(FIS)は,クーデター直後に軍事部門「イスラーム救国軍」(AIS)を発足させたが,軍・警察や政府関係者のみを攻撃対象とするAISの方針を「手緩い」と批判する過激派が,92年8月に発足させたのがGIAである.

 GIAには,主に3つのグループがあった.
(1) 「イスラーム救国軍」から強硬派が分派した勢力.
(2) 80年代に弾圧されて壊滅したイスラーム過激組織「アルジェリア・イスラーム運動」の残党
(3) 「アフガン」と呼ばれるアフ【ガ】ーン帰還兵グループ
 このうち,兵力1000を擁し,主導的立場に立ったのがアフガン」だった.

 苛烈な対ソ戦のベテランである「アフガン」達は,攻撃性という点でも抜きん出ており,それがGIAのテロ路線を決定付けた.
 もっとも,GIAは統一司令部もないような寄り合い組織であり,その実態は,アフ【ガ】ーン帰還兵が主導権を握る様々な過激グループが,それぞれ惨忍なテロの戦果を競い合ったというのが,最も現実に近いと考えられる.

 GIAの総兵力は最盛期で数千人規模と言われたが,内部抗争による集散が激しく,実際のところはよく分かっていない.
 最強部隊は,その活動エリアを,首都アルジェの南方100kmに扇状に広がる北アトラス山脈の麓地帯としており,そこは「恐怖の三角地帯」と呼ばれた.

 GIAに対しては,スーダンの過激原理主義政権が全面的に支援した他,イランとリビアも支援した.
 そのため,アルジェリア政府は93年3月にイランとの国交を断絶している.
 武器ルートとしては,モロッコおよびチュニジア・ルートがある.

 GIAはチュニジアにも勢力を伸ばし,配下に「チュニジア・イスラーム戦線」を創設,GIAキャンプで訓練してきたと言われている.
 アルジェリア移民の多いフランスを中心に,欧州各国にも細胞を浸透させているのは間違いない.

 96年7月に内紛で3派に分裂したと伝えられるが,以後,確かに武装組織としての戦闘力はかなり弱体化したようだ.
 97年10月の,AISと政府との停戦合意に際しては,元FIS系の有力グループ多数がAISに同調,GIAを脱退した.
 その際も激しい内紛があり,300人以上の戦死者を出したようだ.

 97年に入ってGIAは内紛に陥り,組織としての戦闘力が低下.
 対する政府軍は,同年6月より大攻勢に出て,残った主力部隊を追い詰めた.

 それを受け,自暴自棄になったGIA残党が同月下旬より始めた「復讐」が,一般住民虐殺である.一度に40~50人の一般住民を理由もなく殺戮する行動が,数日おきに各地で繰り返されるようになった.
 犯人グループはアフ【ガ】ーン帰還兵の同一グループと見られるが,あまりの非道さに,他のグループが相次いで戦線離脱を表明.99年半ばからは逆に和平が急速に進むこととなった.
 政府も世論の支持を背景に,恩赦を含む懐柔策を打ち出す.
 AISが初めにそれに応じると,GIAの中からもそれに続くグループが現れ,99年10月には531人の大量投降があった.
 2000年以降,ゲリラ組織としてのGIAは殆ど壊滅状態となっている.
 だが,問題の虐殺犯行グループは,ますます孤立を深める中,無差別テロを諦めようとはしていない.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.94-100,抜粋要約)


 【質問】
 FISの政策は?

 【回答】
 1990年6月の統一地方選の結果,多くの地方で行政権を握ったFISは,女性にヘジャブ(ベール)着用を強制し,仏語排斥運動を始めるなど,急激なイスラーム化運動を開始.
 女性達は観光客といえども,海岸やプールで水着姿になることを禁じられ,体の線が浮き出すボディコンシャス風の服装も厳しく規制された.
 リゾート地の西洋風レストランは営業停止の命令を受け,美しい彩色を施した遊歩道の敷石が剥ぎ取られたケースもある.

(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.307,抜粋要約)

 なお,布施自身は同書 p.310において,
「アルジェリアで行われたアルコール禁止,厳しい服装規則,女性に対する就業規制などは,サウディでもアフ【ガ】ーニスタンでも行われており,FISの主張を直ちに『危険』と決め付ける理由はない」
とは書いているが…….


 【質問】
 GIAはどのようなテロを行ってきたか?

 【回答】
 治安部隊員と政府職員,およびその家族,ジャーナリスト,外国人,教師を特に標的にしたテロ活動を展開していたが,徐々に無差別テロへと傾斜.
 特に,93年9月には在留外国人への攻撃を宣言し,外国人襲撃を劇化させた.97年末までに外国人133人が殺害されている.

 都市部では,車に仕掛けた時限爆弾によるテロを主戦術とし,村落部では20~50人のグループによる夜間襲撃を繰り返してきた.
 その虐殺ぶりがエスカレートし,一夜に百人以上を殺害することも珍しくなかった.
 女性・子供も容赦なく,イスラームによる処刑を意味付けるため,ナイフで喉を抉る殺害法を好んだ.この処刑を行うのは,アフ【ガ】ーン帰還兵に多かったという.
 そういった殺戮グループでは,サイダ地区に出没する自称「死の師団」などが知られる.

 94年8月からは,穏健派のAISまでを攻撃目標に加え,激しい抗争に入った.

 GIAのテロの特徴の一つに,エジプトの「イスラーム集団」と同じく,外国人を標的とする点が挙げられる.
 エジプトの場合は,観光産業に打撃を与えるという目的があるが,それとはまた別の次元で,GIAは特にフランスを宿敵としている.
 それには,堕落したフランス的価値観を一掃するという側面に加え,フランス当局に高速されている仲間を奪還することと,より直接的に,フランスに復讐するという目的があった.

 1994年12月,パリ行きエール・フランス航空機がアルジェ空港でGIAテロリスト4人にハイジャックされた.
 2日間,空港に駐機したまま,膠着状態に陥ったが,痺れを切らした犯人が,乗客3人を処刑したため,アルジェを出発してマルセイユ空港に到着した.
 その日の内にフランス軍特殊部隊が突入,犯人全員を射殺し,乗員乗客全員を無傷で救出した.

 これに対し,GIAが報復として在留フランス人を襲撃・殺害するようになった.
 在留フランス人は,身辺警戒を厳重にすることで対処した.
 するとGIAは方針を転換,フランス本国でのテロを始めたのである.
 およそ半年の準備期間を経て,95年7月から始まった無差別爆弾テロは,パリの地下鉄駅やマーケットを標的に行われ,11月に終息するまで,計8件で8人の犠牲者を出した.
 フランス当局の追跡で,GIAのアジト幾つかが摘発されたが,その後,GIAの細胞は欧州各地に散った.
 同年95年12月,ロンドンでもGIAアジトがイギリス当局に摘発されたが,そこではビン・ラーデンのグループとの通信記録が押収されている.
 96年12月,再びパリの地下鉄で連続爆破事件が発生.爆薬詰めガス・ボンベを使用する同じ手口から,捜査当局はGIAの犯行と断定している.

 97年に入ってGIAは内紛に陥り,組織としての戦闘力が低下.
 対する政府軍は,同年6月より大攻勢に出て,残った主力部隊を追い詰めた.

 それを受け,自暴自棄になったGIA残党が同月下旬より始めた「復讐」が,一般住民虐殺である.一度に40~50人の一般住民を理由もなく殺戮する行動が,数日おきに各地で繰り返されるようになった.
 狂気が狂気を呼んだということなのだろう.虐殺数も,やがて一度に200人を超えるという「手当たり次第の皆殺し」状態になっていく.
 97年12月には,一夜に412人の殺害が記録されている.
 犯人グループはアフ【ガ】ーン帰還兵の同一グループと見られるが,あまりの非道さに,他のグループが相次いで戦線離脱を表明.99年半ばからは逆に和平が急速に進むこととなった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.96-99,抜粋要約)


 【質問】
 バトナ自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2007/9/6,アルジェリア北部のバトナで,ブーテフリカ大統領の到着を待つ群衆の中に紛れ込んだ男が自爆した事件,
 AFP通信によると,15人が死亡,74人が負傷した.
 爆発は大統領の到着前だったため,大統領は無事だった.

 イスラム過激派による大統領を狙ったテロとの見方が有力だが,犯行声明は今のところ出ていない.

 【参考ページ】
2007年9月7日11時55分,読売新聞(by 福島利之)


 【質問】
 デリース海軍兵舎自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2007/9/8,アルジェリア北部の地中海沿いの町デリース(首都アルジェ東約100キロ)の海軍兵舎近くで車が爆発した事件,
 爆発物を満載したバンが門を突き破って基地内に侵入し,自爆した.
 このバンは通常は,基地への物資配達に使われており,事前に犯人に奪われ,運転手も誘拐されたとみられている.
 爆発の威力は大きく,プレハブの兵舎は大部分が倒壊した.

 AFP通信は医療関係筋の話として少なくとも28人が死亡,約60人が負傷したと報じた.
 犠牲者の大部分は沿岸警備隊員だという.

 同国では当時,「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」の犯行とみられる爆弾テロが相次いでおり,6日には北部バトナで,ブーテフリカ大統領を狙ったとみられる自爆テロで,20人以上が死亡したばかり.

 今のところ,両テロで犯行声明は出されていないが,同国でなお勢力を維持する「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ組織」などのイスラム過激派がここに来て,ブーテフリカ政権に対する武装闘争を活発化させた可能性もある.

 【参考ページ】
2007年9月8日21時0分,時事通信
2007年9月9日1時48分,読売新聞(by 福島利之)


 【質問】
 ブーイラ連続爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 2008.8.20朝,アルジェリアの首都アルジェ南東約120kmのブーイラで起きた,連続2件の爆弾テロ事件.
 爆発のひとつは,市中心部のホテル付近に停車していたバスを狙い,もう1件は市内の軍司令部の近くで起きたという.
 爆発が遠隔操作によるものか,自爆テロかなど詳細は不明.

 「アルジャジーラ」によると,少なくとも11人が死亡,31人が負傷した.

 犯行声明は出ていない.

 同国では19日にもアルジェ東方約50キロにある町で,爆弾を積んだ車が警察学校の正門に突っ込み,43人が死亡する自爆テロが起きたばかり.

 【参考ページ】
2008年8月20日22時38分,産経新聞(カイロ=村上大介)


 【質問】
 イナメナス人質事件について教えてください.

 【回答】
 「日揮」は日本初のエンジニアリング会社である.
 1928年(昭和3年),「大阪の島徳」として名を馳せた天才相場師・島徳蔵,東京の実業家・実吉雅郎らによって,「日本揮発油株式会社」という名でスタートした.
 エンジニアリング事業とは何か?
「プロジェクトの基本計画から設計,資材・機器調達,建設,試運転まで一貫した責任体制で遂行する」(「日揮」公式ページ)
というもので,1960年代から同社はプラント輸出に力を入れるようになった.
 とはいえ,
「(昭和)36年の入社当時には,プラント輸出なんていう言葉を聞いたこともなかったんですな.
 つまり社内的にも,まだ海外の仕事を請け負う体制が,完全に整っていたとは言えなかったんやな」
「まあ,いきなり大きな商談が,海外から舞い込んだ,そんな感じやった」
(同社プロジェクト・マネージャー氏の証言――深田祐介『日本商人事情』(新潮文庫,1981年), p.142)
というところからの,手探りからのスタートであった.

 上述のマネージャー氏によれば,
「個人的な感想を述べさせてもらうならば,あの時は事実,戦地に行っているような感じ」
だったという.
 深田祐介は次のように言う.
「戦後の貿易戦争においても,『学徒動員』が行われたのではないか,私はそう思っている.
 [中略]
 昭和23年の学制改革以来,新制大学が『駅弁大学』の異名を取るほど,全国くまなく創設され,大学卒業生の数は,戦前とは比較にならぬ圧倒的な勢いで増えていった.
 ときあたかも高度成長期を迎え,これらの新卒業生は,膨張する一方の企業に,大挙して流れ込んだ.
 企業のほうはといえば,技術革新と設備投資の集中したおかげで,組織は膨れ上がり,新設したポジションの権限は,若手に任さざるを得ない状態にあった.
 動員された人たちの多くが,入社後,年を経ずして大きな権限を与えられ,第一線に立ち,大量に海外へ送り出される,そういうことになった」(同書,p.41-42)

 2002/11/18,日揮は,アルジェリアのイナメナスガス田開発プロジェクト受注契約に調印する.
 BP Exploration(In Amenas)社とアルジェリア炭化水素公社ソナトラック社とのジョイント・ベンチャー.
 天然ガス精製プラントは,2006年には完成した.

 日揮はアルジェリアでは,1969年の「アルズー製油所」建設プロジェクト受注で,最初の足がかりを築いた.
 以後45年に渡って同国との絆を深め,アルジェリアが日揮に寄せる信頼には,絶大なものがあるという.

 イナメナスはアルジェリアの南東部に位置する.
 ハシメサウドという都市から南に850km行ったところにある.
 同地では1960年代から,油田の開発が始まっていた.
 2006年には,ソナトラック社,BP社,そしてノルウェーの国営企業スタトイル社が開発を引き継ぎ,都市部から 25km ほど離れたTigantourineでの天然ガス開発を進めている.
 そして,イナメナス鉱区はアルジェリアのガス輸出の1割を占める輸出拠点となっていた.

 2013年1月16日,午前5時40分頃のことである.
 突如としてプラントのサイレンが鳴り響いた.
 武装した男たち,約30人が侵入してきたのだった.
 チュニジア10人,エジプト9人,アルジェリア4人,カナダ,マリ,モーリタニア各2人,ニジェール1人他.
 小銃,機関銃,ロケット弾,携帯ミサイルなどで武装していた.

 日揮事務所に勤めるアブドルハミーダ(30)は,そのとき,自室で身支度をしていた.
 窓の外では,赤いライトが見えた.
 日揮の従業員ら約10人が,ガス施設近くの日揮事務所にミニバスで出発する時刻だった.
 テロリストに遭遇し,運転手はバックして逃げようとしたが,岩に当たってバスは止まった.
 従業員らは降車して逃げたが,渕田六郎(64)とマレーシア人の2人が,居住区の建物に逃げ込む前に撃たれて死亡.
 さらに,建物内に逃げた内藤文司郎(44)とフィリピン人の2人も殺害されたという.
 死亡した日本人2人は,いずれも日揮の協力会社の社員だった.

 施設警備を行っていたのはアルジェリア軍の兵士である.
 彼らは勿論応戦した.

 日揮キャンプ(宿舎)にいた同社社員は,何事かと思ってドアを開けたところ,
「ステイ・ルーム!(部屋にいろ!)」
という声が聞こえたので,部屋にこもった.
 その後,外から銃声のようなものがかなり聞こえていたという.

 先に出たアブドルハミーダのほうは,自室の鍵をかけてエアコンと電気を消し,ベッドの下に伏せた.

 戦闘では,イギリス人1人,アルジェリア人1人が死亡.
 そして6時半から8時頃までには,警備兵力は駆逐された.
 プラントの広大な施設は,テロリストに占拠されたのである.
 アルジェリア軍側の兵力が少なかったのか,士気が低かったのか,引き込みでもいたのか,筆者には分からない.
(「中東協力センター」は,アルジェリアのサハラ砂漠の石油・ガス施設が,長年暴力とは無関係であったことから,油断があったのではないかと見ている)
 このことは,やりようによってはビッグサイトのような広大な建物においても,30人程度,日本の警察の装備を考えたら,ひょっとしたらその半分でも,人質立て篭もりテロを起こせるのではないか?との不安を抱かせるが,それはさておき.

 施設を占拠した武装勢力は,「al-Mua'qi'oon Biddam」と名乗っていた.
 邦訳するならば「血盟団」ということになるが,もちろん同名の昭和初期の日本の極右テロ組織とは関係ない.
 イスラーム過激原理主義に連なる組織である.
 リーダーは,アルジェリア出身のモフタール・ベルモフタール.
 身代金で儲け過ぎて,元いた組織では浮き上がってしまったほどの,根っからの誘拐屋である.

 テロリストたちは,このときも当然のように,人質となる民間人を探し始めた.
 件の日揮社員は,彼が隠れている部屋の近くで,
「オープン・ザ・ドア! (ドアを開けろ! )」
という声や,威嚇のためであろう銃声を聞いている.
 また,アブドルハミーダの部屋では,武装勢力のメンバーらしき人物がドアを開けようとしたが,施錠を確認するとすぐに隣へ移った.

 のちの1/29の読売新聞の電話インタビューでは,日揮の関係者が,テロリストは居住区域に押し入った際,日本からの出張者が宿泊する部屋に,
「まっすぐに向かった」
と証言しており,部屋割りまで事前に把握されていた可能性がある.
(事件当日,英石油大手幹部が訪問することになっており,そうした内部情報が筒抜けだったようだという報道もある)
 居住区域内で日揮従業員の住む一画は,日本人ら外国人宿舎とアルジェリア人の宿舎に分かれていたにも関わらず,武装集団はまっすぐ,外国人宿舎の中でも,日本からの来訪者が宿泊していた寝室の前に進み,1人が英語で
「ドアを開けろ! 開けないと殺す!」
と叫んだという.
 そして,
「(日本人の)来訪者2人を最初に連れ去った」
と,その関係者氏は話している.

 想像するに,この「関係者」とはアルジェリア人社員であろう.
 テロリスト達は外国人以外の人質に興味はなく,アルジェリア人の人質に対しては,「事を構えるつもりはない」と明言しており,数百人のアルジェリア人人質が逃走しても,殆ど阻止することはなかった.

 一方,隠れている日揮社員は,9時ごろ,ヘリコプターの音を聞いている.
 さすがのテロリストも,ヘリまでは持っていないから,アルジェリア軍であろう.
 さほどにアルジェリア軍の対応は迅速だった.
 施設は軍に包囲された.
 また,人質の出身地である諸国も,要請があれば救出に動くべく,特殊部隊を現地に派遣した.

 アブドルハミーダは,同時刻,携帯電話からショートメールを父親に送った.
「テロリストに襲われている.
 警察に通報してほしい.
 心配するからお母さんには言わないで」
 室外からは
「イスラム教徒には危害を加えない.出てこい」
などと呼びかける,チュニジアなまりのアラビア語や英語が聞こえたが,銃撃音は約5時間続き,怖くて出る気にはなれなかったという.

 犯行グループは,
・フランス軍によるマリ介入であるセルヴァル作戦の停止
・政府に逮捕されたイスラム過激派メンバーの釈放
・人質の外国人らを伴った,拠点であるマリ北部への出国
などを要求.
 人質の首には,爆発物が巻かれた.
 しかしウルドカブリア・アルジェリア内相は16日のうちに,
「テロリストと交渉はしない」
と強調し,武装勢力側の要求を拒否したことを明らかにした.

 アメリカの民間情報機関「ストラトフォー STRATFOR」は,西側とアルジェリアの両情報機関の人質救出作戦は,テロリストの自殺攻撃を阻止するか取引をするかの選択に迫られる,とコメントしていた.
 明らかにアルジェリア政府は前者を採用した.
 いや,採用したのは軍自身であったのかもしれない.
 作戦指揮官Bachir Tartag将軍は,このような事件に対しては,厳しい態度をとることで知られている.
 大統領のブーデフリカは,軍司令部や治安部隊とは親しくないと見られており,事件当時は治療と称してジュネーブに滞在し,急遽帰国という行動もなかった.

 17日よりアルジェリア軍は,テロリストに対する攻撃を開始.
 救出作戦の混乱の中で脱出に成功した,北アイルランド(Northern Ireland)出身のスティーブン・マクフォール(Stephen McFaul)の証言によれば,テロリストが人質を移動させようと車に乗せていたときに,アルジェリア軍の攻撃が始まったという.
 軍のMi-24ヘリの攻撃を受けて,車は5台中4台が破壊され,残る1台に乗っていたマクフォールは混乱に乗じて逃げたという.

 一方,部屋に隠れていた日揮社員氏,17日朝9時45分ごろ部屋の小窓から外を確認すると,同社のアルジェリア人スタッフが数人いた.
 話しかけたところ,
「安全担当のアルジェリア人スタッフが部屋をノックして確認しているので,それまで部屋で待て」
と言われた.
 その数分後,その安全担当の(アルジェリア人)スタッフが自分の部屋をノックしてくれ,部屋を開けると,必要最低限の荷物を持つよう指示され,頭にはターバンのようなものを巻かれ,ほかのアルジェリア人スタッフからは,ネックウォーマーで顔を隠すように言われた.
 アルジェリア人スタッフに取り囲まれながらキャンプの外に出て,建設工事の下請けの会社のキャンプに逃げ込み,そこに匿われた.
 その間,先ほどの下請け業者の安全担当の人物が警察の車まで走って行き,この社員の保護を依頼.
 すると,近くまで警察の車が来てくれたので,社員氏はそこまで200メートルぐらい走っていって乗り込んだ.
 彼は,その車でアルジェリア軍のキャンプに連れていかれ,軍のキャンプで水を補給した後,軍のチェックポイントに連れて行かれた.
 そこではメディカルチェックを受けた後,そこで待機.
 その間,外で武装勢力が攻撃している様子が見えたという.
 この証言からは,既に朝9時頃には,テロリスト側は施設全体の掌握もできなくなっていたことが分かる.

 19日午前,軍は最終作戦を実施し,施設一帯を制圧した.
 アルジェリア政府によれば,この戦闘で685人のアルジェリア人労働者,107人の外国人が解放されたが,一方で少なくとも人質23人,テロリスト29人の武装勢力が死亡したという.
 また,テロリスト3人が拘束された.
 しかしベルモフタールは,死者の中にも,拘束された者の中にも含まれていない.

 事件全体では,8か国,37人が死亡(アルジェリア政府発表による)
 そのうち10人が日本人で,全員が日揮関係の幹部・協力会社・派遣社員であった.
 犠牲者の一人,新谷正法は,元日揮副社長で,事件当時は日揮最高顧問.
 1946年に東京都に生まれ,横浜国立大工学部を卒業し,1971年に入社.
 2009年に副社長に就任し,約3年間務めた後,最高顧問になった.
 社内でも「数字に明るいアルジェリア担当」として知られていた.
 駐在員ではなく,英石油BPとの幹部会合に出席するため現地を訪れ,事件に巻き込まれたという.

 ベルモフタールと,1960年代の日揮とは,たった一つだけ共通するものがある.
 「よりよくなると思われることを選んだ」という,選択の意思である.
 日揮の海外駐在員達は,海外へ出て外貨を稼ぐことが,自分達の暮らしにとって,日本にとって,良いことだと考えた.
 ベルモフタールは,イスラーム過激原理主義に共鳴し,そのために活動することが,イスラーム社会にとって良いことだと考えた.

 しかし共通するのはそこまでで,前者は建設的方法を選び,後者は破壊的方法を選んだ.
 そして前者は海外から発注を受けるほど信頼を得,後者は仲間内でも嫌われるほどの職業的誘拐犯・密輸業者となった.
 正解はどちらだったかは,言うまでもないだろう.

 【参考ページ】
http://www.jgc.co.jp/jp/07abut/05compnyp/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%8F%AE
http://stocks.finance.yahoo.co.jp/stocks/profile/?code=1963.T
http://www5f.biglobe.ne.jp/~bunkazai/100sen/shima_tokuzou.html
http://manekineco-ex.seesaa.net/article/150761355.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/実吉雅郎
http://www.jgc.co.jp/jp/01newsinfo/2002/release/20021118.html
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/4/4852/0304_067_t.pdf
深田祐介『日本商人事情』(新潮文庫,1981年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/イナメナス
http://en.wikipedia.org/wiki/In_Amenas
http://nn.wikipedia.org/wiki/In_Amenas
http://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%A5%D9%86_%D8%A3%D9%85%D9%8A%D9%86%D8%A7%D8%B3
http://www.statoil.com/en/NewsAndMedia/News/2006/Pages/FirstGasFromInAmenas.aspx
http://masuminoomoi.blog.so-net.ne.jp/2013-01-26(元ソースは東洋経済オンライン)
http://poverty.ddo.jp/test/read.cgi/poverty/1359526949/
http://urarala7.exblog.jp/19713757/(電波が強いので,転載記事のみ参照した)
http://megalodon.jp/2013-0123-1131-25/sankei.jp.msn.com/affairs/news/130117/crm13011710490004-n1.htm
http://jagamaru.exblog.jp/19900545/
http://blog.goo.ne.jp/horifaxch/e/92142dbdb145dcff209681330bb1c8a9
http://www.norway.or.jp/news_events/policy_soc/policy/pressrelease21032013/%2B%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%A1%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%80%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6&safe=off
(↑のキャッシュ)
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/63728671.html
http://www.bp.com/genericarticle.do?categoryId=1015&contentId=7085141
http://chamberlainnevil.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-349c.html
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2921843/10125024
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/2013_03/josei07.pdf
http://www.asahi.com/international/update/0119/TKY201301190366.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yfbwd399/8598978.html(元ソースは読売新聞)
http://axolotlfc2.blog.fc2.com/blog-entry-5081.html
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/624529/
http://togetter.com/li/443952
http://togetter.com/li/444281

 【関連リンク】
http://livemedia.jp/?p=1315
http://livemedia.jp/?p=1326
http://livemedia.jp/?p=1363
「Strategy Page」◆(2013/06/03) COUNTER-TERRORISM: Al Qaeda Fights Corruption And Loses

 【関連動画】
アルジェリア イナメナス 人質事件の現場の映像

イナメナス位置
(画像掲示板より引用:原出典は朝日新聞)

イナメナス市街地とプラントの位置関係
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/09/22 20:00
を加筆改修


◆◆◆◆ナイジェリア


 【質問】
 「ボコ・ハラム」とは?

 【回答】
 ナイジェリアにおけるイスラーム過激原理主義武装勢力.
 「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」という,その名の通り,欧米の教育や価値を否定し,ナイジェリア全土にシャリア(イスラム法)を導入することを求めており,ついたあだ名が「ナイジェリアのターリバーン」.

 2009.7.26,警察による「ボコ・ハラム」メンバー逮捕がきっかけとみられる,バウチの警察署襲撃に端を発した武力衝突が発生し,衝突は近隣の北部各州へと急速に拡大.
 ボコ・ハラムの拠点があるボルノ州マイドゥグリでは特に激化した.

 政府側は29日,ボコ・ハラムの拠点を制圧したと発表.
 さらに,ボコ・ハラムの指導者モハメド・ユスフ師が30日,拘束後に殺害され,混乱はいったん収束した.

 しかし,マイドゥグリなどではその後も散発的な衝突が発生中.

 【参考ページ】
2009.8.2,産経新聞

2009.7.27,ナイジェリア北部で拘束されたイスラム系勢力のメンバー
産経新聞より引用)


 【質問】
 ナイジェリア・バウチ州刑務所襲撃事件とは?

 【回答】
 2010.9.7夜,ナイジェリア北部バウチ州で,武装集団が刑務所を襲撃,警備隊らと銃撃戦になり,複数の受刑者が脱走した事件.
 目撃者によると,刑務所の一部で火災が発生し,壁が崩れ,銃撃戦は約2時間続いたという.

 AP通信によれば地元当局者は,刑務所から仲間を逃がそうとした「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」の犯行と明言したという.
 全土にイスラーム法(シャリア)の導入を求めるボコ・ハラムは,「ナイジェリアのターリバーン」とも渾名され,2009年7月,治安当局と激しく衝突.
 最近は,拠点のあるボルノ州で発生した複数の警官や市民の射殺事件への関与が指摘されていた.

 【参考ページ】
2010.9.8,産経ニュース(共同通信)
「Strategy Page」:NIGERIA: The Taliban Return


 【質問】
 カノ連続襲撃事件とは?

 【回答】
 2012.1.20,ナイジェリア北部カノ州カノで発生した,警察署などを狙った連続攻撃.
 カノはナイジェリア第2の都市.

 22日,同地の病院に勤務する医師は,爆弾や銃撃による一連の攻撃で,
「2つの病院で178人の死亡が確認された」
とした上で,まだ搬送されていない遺体もあり,死者数がさらに増加する可能性を示唆した.

 同地のイスラーム系テロ組織「ボコ・ハラム(西洋の教育は罪)」が,犯行を認めている.

 【参考ページ】
ロイター,2012年1月23日(月)9時43分


 【質問】
 カドゥナ教会自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2012.4.8午前8時40分ごろ[2],ナイジェリア北部の都市,カドゥナにあるキリスト教教会近くで起きた自爆テロ事件.

 教会では復活祭の礼拝が行われていた.[1][2]
 教会の中にいたという男性によると,爆発はスタジアムやバス停,露店のあるあたりで発生し,大きな爆発音とともに教会の窓が割れたという.[2]

 駐車してあった自動車2台が爆発したとみられている.[1]
 また,教会に近付こうとした車が治安当局者に引き返すよう命じられた際に突然爆発したとの報道もある.[3]

 緊急対応当局の報道官によると25人が死亡,13人が負傷して病院へ運ばれたという.[2]
 教会では復活祭のミサが行われていたという.[1][2]

 また,同国報道官によれば,同日午後9時ごろ,カドゥナから約250km離れた中部ジョスでも爆弾が爆発したという.[2]
 現場は酒場や学校に近い繁華街だったが,死者は報告されていない.[2]

 【参考ページ】
[1]時事通信,2012年4月8日(日)19時55分
[2]CNN,2012年4月9日(月)9時33分
[3]ロイター,2012年4月9日(月)11時8分


 【質問】
 カドゥナ州・キリスト教会連続爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 2012.6.17.ナイジェリア北部カドゥナ州で相次いだ,キリスト教会を狙った爆弾テロ事件.[2]

 最初の爆発は午前9時ごろ,同州ザリアの教会で発生.[2]
 爆弾を仕掛けた車が,高速で教会の防護柵を突破.[2]

 匿名の州当局者によると,少なくとも24人が死亡,125人が負傷し,このうち一部は重傷を負ったという.[2]
 一方,赤十字社は死者2人,負傷者22人としている.[2]

 数分後にザリア市内の別の教会で爆発が起き,赤十字社によれば16人が死亡,31人が負傷した.[2]

 さらに州都カドゥナ市内の教会でも爆弾テロがあった.[2]

 ザリアとカドゥナでは,キリスト教徒の若者らがタイヤに火を付け,主要道路を封鎖するなどして反発.[2]
 州当局が24時間の外出禁止令を出した.[2]
 ロイター通信は,報復襲撃により,約20人が死亡した可能性があると報じた.[3]
 また,ナイジェリア当局と赤十字関係者は17日,テロとそれへの報復により,死者が合わせて少なくとも36人に上ったと明らかにした.[1]

 「ボコ・ハラム」が教会攻撃を認めた.[2]

 【参考ページ】
[1]時事通信,2012年6月18日(月)9時52分
[2]CNN,2012年6月18日(月)12時33分
[3]読売新聞,2012年6月18日(月)20時55分 【ヨハネスブルク=黒岩竹志】


 【質問】
 チボク女子学生拉致事件って何?

 【回答】
 この事件について日本のフェミニズム団体が騒いでいるのを見たことがないが,これは正真正銘の性奴隷の事件である.

 2014.4.14深夜から15日未明にかけ,イスラーム過激原理主義テロ組織「ボコ・ハラム」が,ナイジェリアのチボク Chibok にある公立女子学校を襲撃,警備の警官数名と兵士1名を殺害し,約300人の生徒を拉致した.
 生徒たちはトラックに押し込められ,サンビサ森林内のコンドゥガ地区へ連行されたと見られる.
 同地区には要塞化されたボコ・ハラムの拠点がある.
 拉致された女子生徒の内,53人は自力で脱出に成功したが,2016.4.30現在,276名が消息不明.

***

 話は4時間前に遡る.
 ナイジェリア軍は,ボコ・ハラムが学校襲撃を企てているとの情報をキャッチする.
 治安の悪化により,チボクの学校は4週間にわたって閉鎖されている.
 しかしこの日,物理の修了試験を受けるため,複数の学校から生徒が集まっていた.
 そういうスケジュールがボコ・ハラムに漏れていたことは間違いない.

 これが映画なら,「直ちに出動!」ということになるが,現実は必ずしもそうはいかない.
 手続きが必要であるし,輸送手段も必要である.
 例えば阪神淡路大地震でも,災害派遣の出動要請がなかなかなされなかったために,自衛隊の出動は遅れている.

 で,ここからが話が食い違うところなのだが,後にアムネスティ・インターナショナルは,ナイジェリア軍は襲撃計画の情報をつかんでいながら,学校への兵力増援をしなかった,と報告書に書いている.
 報告書によれば,2人の軍高官は,兵士たちは自分たちより装備の優れた武装集団に立ち向かうことに躊躇するので,攻撃を食い止めるのに十分な部隊を配備することができなかったと述べたとされる.
 一方,ナイジェリア軍は,
「いや,情報を掴んでいたことは事実だけれど,援軍を送るのことは難しかった.兵力展開の限界を超えていた」
と主張する.

 ナイジェリア軍の腐敗はすさまじいもので,平気で村を焼き払ったり,住民を虐殺したりする.
 ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば2009年以降,治安部隊は過剰な実力行使を行っているという.
 家を焼き払い,住民に暴行を加え,被害者を「失踪」させ,ボコ・ハラム支援者と判断した人びとを超法規的に殺害する等々.
(「ボコ・ハラム」が存続し続けている理由の一端もそこにある)
 なので,アムネスティの主張にもそれなりの信憑性はある.

 一方,ナイジェリア陸軍はそもそも10万人しかいない.
 実働兵力は5個師団+特殊部隊1個だけだ.
 迅速な展開が可能な空挺師団も存在しない.
 日本の2.44倍という国土面積,および対ゲリラ戦には正規戦よりも頭数が必要なことなど考えれば,5個師団は少な過ぎる.

 ゆえに,どちらの言い分にも頷ける部分があって,どちらが正しいとも言い難い.

 もちろん,軍の側の事情など,テロリストにとっては知ったことではない.
 14日深夜,チボクの街を「ボコ・ハラム」は襲撃する.
 襲撃対象は女子学校のみならず,街全体.
 家々も焼き払われた.

 学校は主に警察が警備していたが,武装組織に対して明らかに非力.
 警官数名は射殺される.

 テロリストは学校を破壊した.
 西洋教育を施すような建物は,彼らの価値観では「悪」だからだ.
 チボク唯一の学校だったが,これでゼロになり,2016年になっても再建されていない.

 生徒たちはトラックに押し込められ,サンビサ森林内のコンドゥガ地区へ連行されたと見られる.
 同地区には要塞化されたボコ・ハラムの拠点がある.
 そこからさらに国境を越え,隣国のチャドやマリなどに連れていかれているところを,サンビザ住民に目撃されている.

 被害生徒たちはイスラームへの改宗を強いられる.
 ヒジャーブをかぶらなければむち打ち,殴打を行い,殺害すると脅される.

 そしてボコ・ハラムのメンバーとの結婚を強要される.
 その際,「持参金」が組織に支払われている.
 その額,2000ナイラ.
 ドルにして12.5ドル.
 事実上の人身売買だ.
 「ボコ・ハラム」もそれを認めている.
 5/5,「ボコ・ハラム」リーダー,アブバカル・シェカウが犯行声明ビデオを出し,
「アラーは彼女らを売るようにと私に命じた.私はアラーの命令を遂行する」
「私の信仰では奴隷制度が認められている.私は(これからも)民衆を捕まえては奴隷とするだろう」
「女性は学校になど行くべきではない.9才から結婚できるのだから結婚するべきだ」
などと述べた.
 アラーの声を聴いたとほざくとは,とうとう預言者気取りである.

 脱出者の証言によれば,物理的・精神的虐待,強制労働,拉致期間中のレイプなども行われているという.

 そればかりか自爆テロの実行犯に仕立て上げられた者もいるようだ.
 「ボコ・ハラム」は自爆テロに,洗脳し易い少年少女たちを使うことでよく知られている.
 2014年には4件だった子供の自爆テロは,2015年には44件に増えた.
 一般市民に被害を与えるため,その自爆犯は泣いたり,痛みがあるふりをしたり,叫んだりして注意を引き,善意の人たちが集まったところで服の下に隠していた爆弾を爆発させるという手法を取る.
 起爆はそれら少年少女自身ではなく,遠隔操作によって行われる.
 「ボコ・ハラム」のテロでは,少年少女たちは只の「歩く爆弾」に過ぎない.

 2014.5.26,ナイジェリア軍のトップは
「被害生徒たちの所在を突き止めたが,想定される被害の大きさから強行な救出作戦は断念した」
と発表した.
 どこまで本当かは分からない.

 一方,自力で逃げ出してきた少女も53人いる.
(軍より優秀じゃないか?)
 だが,帰り着いた故郷でも,テロリストかもしれないと疑われ,汚名を着せられて差別されることも少なくない.

 2016.4.30現在,276名(数字には異説もある)が消息不明のままである.
 そればかりか,アムネスティによれば,2014年以降「ボコ・ハラム」によって拉致された子供は推定2000人に達するという.

 【参考ページ】
「碧空」◆(2016/04/14) ナイジェリア  ボコ・ハラム,自爆テロに子供を多用 チボク拉致事件から2年,もどらぬ少女たち
http://www.huffingtonpost.jp/human-rights-watch-japan/nigeria_b_6085952.html
http://www.afpbb.com/articles/-/3043230
http://news.livedoor.com/article/detail/11412815/
http://www.afpbb.com/articles/-/3082342?cx_part=topstory
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/boko-haram-and-nigeria-government_b_6427348.html
https://www.hrw.org/news/2013/05/01/nigeria-massive-destruction-deaths-military-raid
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603271103230

【ぐんじさんぎょう】,2016/05/13 20:00
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 【質問】
 マイドゥグリ連続テロ事件について教えてください.

 【回答】
 2015/10/13~10/16に,ナイジェリア北東部・マイドゥグリ Maiduguri において連続して発生したテロ事件.
 13日には同市で複数の爆弾が相次いで爆発して7人が死亡し,翌々日の15日夕刻から16日朝にかけては計5件の自爆テロが発生し,計34人が死亡,49人が負傷した.[1]
 いずれも犯行声明は出されていないが,当局は「ボコ・ハラム」の犯行とみている.[1]

                ***

 ダーイシュの影に隠れて忘れられがちだが,ナイジェリア北部ではイスラーム過激原理主義テロ組織「ボコ・ハラム」が,2015年現在,活発に活動している.

 特に昨今問題視されているのが,子供を使った自爆テロである.
 「ボコ・ハラム」は2014年から,拉致した少年少女らを実行犯に仕立てた自爆テロを繰り返している.[2]
 国連児童基金(ユニセフ)は2015年5月,2014年以降に起きた北東部での自爆テロのうち,少なくとも4分の3で女性や子供が実行犯だったとの見解を発表している.[2]
 たとえばナイジェリア北部の中心都市カノでは2014年7月下旬,自爆テロが4回起こったが,いずれも10代の少女が実行犯と伝えられた.[2]
 また,2015/1/10には北東部の中心都市マイドゥグリにおいて,市場で自爆テロがあり,少なくとも19人が死亡,大勢の負傷者が出た.[4]
 警察関係者は「犯人は10歳ぐらいの女児」としており,爆発物を体に巻き付けていたという.[4]
 さらに同年2月には北東部ポティスクムで7歳前後の少女によるとみられる自爆テロが発生.[2]
 さらにまた3/7,マイドゥグリでは魚市場で女が自爆するなど,4カ所で爆発が相次ぎ,AP通信によると,54人が死亡し,143人が負傷した.[7]
 同年10/1には,マイドゥグリにおいて5人の子供が実行犯とみられる自爆テロが相次いで起こり,実行犯を含む計15人が死亡.[2]
 爆発はモスクと,「ボコ・ハラム」に対抗する自警団のリーダーの家屋で発生[2].
 BBCは治安当局者らの話として,自爆したのが9~15歳の少女4人と少年1人だったと報じた.[2]

 「ボコ・ハラム」が少年少女を自爆テロ実行犯としているのは,テロ警戒の注意を引きにくいためという見方もある.[2]

 その10/1のテロからさほど日にちもたっていない10/13,同じマイドゥグリで,複数の爆弾が相次いで爆発するテロが起こった.[1]
 少なくとも7人が死亡.[1][8]
 犯行声明は出されてなかったが,当局は「ボコ・ハラム」の犯行とみて捜査を開始した.[1]

 ところがテロはそれだけでは終わらなかった.
 15日夕刻,やはりマイドゥグリにおいて自爆テロが起こったのである.[1][3]
 その日は金曜日で,金曜日にはモスクで金曜礼拝がある.
 現場の住民の証言によると,そのモスクの中で,信者を装った実行犯が自爆.[1][3]
 この爆発で14人が死亡した.[3]
 爆発を受けて現場に人が集まったところで,モスク外で待ち伏せしていた別の実行犯が自爆した.[1][3]
 もはやテロではおなじみの手口となった時間差爆破.
 16人と襲撃犯が死亡した.[3]
 この2件の自爆事件による負傷者は32人で,うち7人は重体.[3]

 その後,16日朝までに3件の自爆テロが相次ぎ発生.[1][3]
 4人が死亡,17人が負傷した.[3]
 5件合計で死者34人,負傷者49人.[1][3]

 いずれも犯行声明は出されていないが,ターゲットの性格と攻撃の激しさからみて,「ボコ・ハラム」の犯行が疑われている.

 マイドゥグリはボルノ州の州都で[3],「ボコ・ハラム」発祥の地でもある.[6]
 そのためか,「ボコ・ハラム」からのテロ攻撃を執拗に受けている.
 この事件後の10/23にも同市で28人死亡.[3][5][6]
 翌日も同市のDala Yazaramの近郊で,女性自爆テロ犯2人が侵入,一人は取り押さえられたが,もう一人は自爆した.[3]
 3人死亡,負傷者多数.[3]

 こうした自爆犯は,自分の意思ではないことが多い.
 たとえばユリヤ・ユージック『アッラーの花嫁たち』(WAVE出版,2005)によれば,チェチェンの女性自爆犯はノンポリの,普通の女性達であり,売られるか,または連行された上で,洗脳され,自爆犯に仕立て上げられるという.
 しかも自爆も本人の意思でなく,遠隔操作であることもしばしばだとか.
 「ボコ・ハラム」も同じように,拉致した少年少女を洗脳し,自爆犯に仕立て上げているだろう可能性が高い.

 それにしても,そのために10歳にもならない子供たちをさらってくるというのは,まるで,同年代に相手にされない高校生が,近所の子供を集めてリーダーづらして優越感に浸っている図式を見ているようで,「だっさ…」以外の言葉が出て来ないのだが.

 【参考ページ】
[1]http://www.moj.go.jp/psia/africa.html
[2]http://ameblo.jp/azianokaze/entry-12082426071.html
[3]http://www.cnn.co.jp/world/35072070.html
[4]http://www.yomiuri.co.jp/world/20150110-OYT1T50152.html?from=ytop_main1
[5]http://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201510/0008507756.shtml
[6]http://albore.hatenablog.com/entry/2015/10/24/092017
[7]http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150308-00000774-fnn-int
[8]http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151015/k10010270371000.html

mixi, 2016.3.20


◆◆◆◆ソマリア


 【質問】
 アル=シャバーブについて教えてください.

 【回答】
 アル=シャバーブ(アッ=シャバーブ,Al Shabab or Ash-Shabaab)とは,ソマリア発のイスラーム過激原理主義テロ組織であり,「イスラム法廷会議(ICU)」の,若手強硬派による分派組織.
 「シャバーブ」とはアラビア語で「青年」を意味する.[9]
 2004年初めに結成されたと自称しているが,欧米が支援する暫定政府とエチオピア軍の軍事的圧力を受けて,ICUが徐々に領土を失う中で,分裂・派生した組織の一つだと見られている.[1]
 アブ・マンスール(別名:シーク・ムクタハル・ロボウ)を指導者とするが,イラン,リビア,エジプト,ペルシャ湾岸地域からの支援を受け,幹部にも非ソマリア人が多いと言われる.
 2006年,アフリカ連合(AU)の平和維持部隊駐留により,アル=シャバーブは首都から追放.[1]
 ICUの指導者の一人だったアハメドが,国連が支援する暫定政府の大統領に就任したが,アブ・マンスールらは暫定政府を拒否.[1]
 同年11月,ソマリアのバイドアにおける,暫定連邦政府のチェックポイントに対し,自爆攻撃を行った.[6]
 この攻撃によって,少なくとも8人が死亡,4人が負傷した.[6]
 2007年12月頃,ソマリア暫定連邦政府がエチオピアの力を借りてモガディシュとキスマユを取り戻すと,アル・シャバーブは敗走.
 しかし2008年8月,ソマリア南部の港湾都市キスマユを軍事占領.
 2008年10月,ソマリア北部の2都市に対し,同時に自動車爆破テロを行った.[6]
 これにより少なくとも26人が死亡,29人が負傷した.[6]
 2008年後半までには,首都モガディシュの一部を除く,ソマリア南部の大部分を掌握した.
 2009年1月26日には,エチオピア軍が撤退した数時間後に,ソマリア暫定議会があるソマリア南部の都市バイドアを占領.
 2009年2月22日,モガディシュのアフリカ連合軍基地への自動車自爆テロを行った.
 同年5月17日,モガディシュ北部のジョハールを掌握.
 同年6月18日,ソマリア中部ベレドウェインのホテルにおける自動車自爆テロを行い,治安長官アデンを含む20名を殺害した.
 同年6月20日,アル・シャバブを中心とする反政府組織が,首都モガディシュの大統領官邸を包囲.
 同年9月下旬,それまで協力関係にあったヒズブル・イスラムに対し,互いに宣戦布告.
 同年11月,対ユダヤ人・イスラエル作戦用の特殊部隊「アル・クッズ旅団」を創設.
 2010年2月,ヒズブル・イスラム側の部将ハッサン・トゥルキーを寝返らせ,ヒズブル・イスラムの支配地であったゲド州やヒラーン州を次々に攻略.
 同年7月11日,ウガンダの首都カンパラのレストランで,連続爆破テロを実行.サッカーワールドカップ(W杯)観戦中の人など70人以上が死亡した.[2][9]
 同年10月17日,ケニア国内でのテロに業を煮やしたケニアが,ソマリア南部へ侵攻し,アル=シャバーブ掃討作戦を開始.[8]
 同年12月20日,ヒズブル・イスラム議長アウェイスはアル=シャバーブに対し,全面降伏の声明を発表.
 2011年2月,ソマリア―ケニア国境を警備していたケニア・ソマリア軍と,国境を越境してきたアルシャバブとの間で交戦.[9]
 同年3月,暫定政権を支持するケニアに対して報復を行うと,アルシャバブが声明を発表した.[9]
 しかし,近隣諸国による包囲網が敷かれ,また,支援者であったカダフィ政権が倒れると,状況は暗転.
 2011年7月~8月,モガディシオ市内においてアフリカ連合派遣部隊と交戦し,市内からの撤退を余儀なくされる.
 2012年2月には,首都モガディシオの北西約250キロの地点にある交通・軍事上の要所で,最大拠点都市の一つバイドアから撤退した.[4]
 同月,アル?シャバーブとアルカイダは,提携を正式に発表.
 同年9月29日,ケニア軍を主力とするアフリカ連合部隊によって包囲されていたキスマユからも撤退.
 2013年5月5日,ソマリアの首都モガディシオ中心部で,同国を訪問中のカタール政府関係者らを乗せた車列に対する自爆テロを起こし,カタール代表団に死傷者はいなかったものの,11人前後が死亡.[5]
 同年9月7日,モガディシオ中心部のレストランで,自爆テロを実行.警察当局者によると,少なくとも15人が死亡,20人が負傷した.[7]
 同月,ケニアの首都ナイロビのショッピング・モールを襲撃.
 ソマリア国境に近いケニア北東州のガリッサでは,それ以前,2012年より街中の飲食店やホテルなどを狙った攻撃や爆弾テロが散発的に発生しており,地元紙によると100人以上が死亡したという.[5]

 アルシャバブの目的は,政府を倒し,厳格なイスラム法を適用すること.[1]
 BBCによれば,アル・シャバブの支配地域では,不貞行為を働いた女性を石打ちで死刑にしたり,窃盗犯の手足を切り落としているという.[1]
 外国人メンバーの影響で[3],彼らは国連と欧米のNGO(非政府組織)も敵視しており,08年と09年には平和維持部隊の隊員など42人を殺害.[1][8]
 国連世界食糧計画(WFP)などの支援団体がソマリアに送ろうとする支援物資の輸送を阻止し,食糧や医薬品を燃やし,支援スタッフを殺害するなど妨害を行っている.[3]
 また,ケニアのほか,06年にソマリアを侵略したエチオピアと,アフリカ連合に派兵しているウガンダとブルンジも敵とみなしている.[1]
 戦闘員は数千人に達し,目印の赤と白のスカーフを着用している.[1]
 情報筋によれば,外国人兵士も数百人参加している模様.[3]
 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)によれば,アル=シャバーブは10歳の子どもを戦闘に送り出したり,女児を誘拐して前線で戦う戦闘員の妻にしたり,子どもが紛争に巻き込まれないよう抵抗した親に,目をつけて殺害した事例もあったという.[4]
 過酷な訓練を経て前線に送られた子どもたちの中には,成人の兵士を守るために「捨て駒」として利用されることもあるとした.[4]
 資金源は密輸.[5]
 国連調査団によれば,ソマリアから木炭を湾岸諸国に輸出,逆に湾岸経由で砂糖を輸入し,この砂糖をケニアに持ち込む裏ビジネスにアルシャバブが関与しているという.[5]
 地元報道などを総合すると,砂糖・木炭取引への関与でアルシャバブは年間数十億円を得ている疑いがある.[5]

 【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/アル・シャバブ (ソマリア)
[1]http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/07/post-1460.php
[2]http://www.newsweekjapan.jp/foreignpolicy/2010/09/post-163.php
[3]http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/08/post-2216.php
[4]http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/3d4c278c0fa25fbb6d8f41ef64626256
[5]http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/4a5dce763a421920edb363b925618096
[6]http://www.rewardsforjustice.net/index.cfm?page=robow&language=japanese
[7]http://dontena.doorblog.jp/archives/cat_440939.html
[8]http://blog.livedoor.jp/toshiharuyamamoto128/archives/65698776.html
[0]http://www.fsight.jp/21102
[0]http://matome.naver.jp/odai/2131234116236515501
[0]http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP545713
[9]http://hafriuka.jugem.jp/?day=20120710

【ぐんじさんぎょう】, 2013/10/04 20:00
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 【質問】
 モガディシオAMISOM基地自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009.9.17,モガディシオにあるアフリカ連合(AU)の平和維持部隊(AMISOM)基地で,国連のロゴが付いた車2台が侵入,自爆した事件.
 標的となった建物は,AMISOMの主力となっているブルンジ,ウガンダ両軍部隊の兵舎で,野戦病院としても使われていたという.
 AMISOM当局者によれば,ブルンジ軍副司令官を含む将兵17人,民間人4人が死亡,40人が負傷した.
 AU本部によると,「アル=シャバブ」が犯行声明を出したという.

 【参考ページ】
2009年9月18日12時55分,ロイター
2009年9月18日14時33分,CNN


 【質問】
 モガディシオ・ホテル爆破閣僚暗殺事件とは?

 【回答】
 2009.12.3,モガディシオのホテルで爆発があり,地元メディアによれば,同国暫定政府の閣僚3人を含む少なくとも23人が死亡した事件.
 単独の自爆犯は女装して会場に忍び込み,爆弾をさく裂させたという.

 同国からの報道によると,死亡した閣僚は
カマル・アデン・アリ保健相,
アハメド・アブドラヒ・ワイル教育相,
イブラヒム・ハッサン・アドウ高等教育相
の3人.
 ホテルでは,保健衛生を学ぶ地元大学の卒業式が開かれており,学生や家族,政府当局者らが多数出席していた.
 スポーツ担当閣僚も当初,死亡したとされたが,重体で病院に運ばれたことが分かった.
 学生9人,医者2人,記者らメディア関係者3人も殺害された.
 中東・アラブ首長国連邦(UAE)のドバイを拠点にする衛星テレビ,アルアラビーヤのカメラマンも死亡したとの情報がある.
 また,少なくとも50人の負傷者が出ている.

 ソマリアでは反政府武装勢力が暫定政府打倒で攻勢を強めており,閣僚らを狙った自爆テロとみられる.
 犯行声明は出ていないが,イスラーム系過激組織アル・シャバブの関与が疑われている.
 同組織の報道担当は否定している.

 【参考ページ】
2009年12月3日22時21分,時事通信
2009年12月4日19時12分,CNN
2009年12月3日19時54分,CNN


 【質問】
 モガデシュ・ホテル爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 当局者らによれば,2010/8/24午前11時前,モガデシュの大統領宮殿近くのホテルに2人組の男が侵入し,爆発物を起爆させたテロ事件.
 治安部隊が出動してホテルを包囲,犯人らは自殺したという.

 少なくとも33人が死亡した.
 政府報道官によれば,死者には国会議員6人が含まれ,さらに議員3人が負傷したという.

 「アルシャバブ」が犯行声明を出した.
 同組織はソマリア暫定政府や,政府を支援するアフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM)に対する攻撃を繰り返している.
 同報道担当者は,AMISOMが同国から撤退するまで戦闘を続けると述べた.

 【参考ページ】
2010年8月25日10時15分,CNN


 【質問】
 アル=シャバブによる2011年のラマダーン攻勢について教えられたし.

 【回答】
 アフリカ連合(AU)当局者によれば2011.8.1,ソマリアでアル=シャバブが開始した,ラマダーン入りに合わせた攻撃.
 首都モガディシオ北東部で激しい戦闘があり,AUの拠点付近にも迫撃砲や銃撃の音が響いたという.
 アル=シャバブはモガディシオ市内に戦闘員を集結させ,さらに攻撃の構えをみせているという.
 また,ソマリア軍の制服を着た2人組が自爆を図ったものの,AU部隊が起爆直前に阻止したという.
 その際の銃撃戦で,AU側の兵士2人が死亡した.

 AU軍はその先週,人道機関による食料や物資の輸送を助けるため,アル=シャバブに対する掃討作戦を実施していた.
 AUによると,アル=シャバブはAU軍が2007年に同国へ派遣されてから毎年,ラマダーンに合わせて攻撃を仕掛けてきたという.

 AU軍の報道官は
「ソマリアは飢饉に襲われているというのに,過激派は命を救うどころか奪うことに集中している」
と非難した.
 国連によると,アル=シャバブが実効支配する同国南部では,1991年以来の飢饉が起きており,栄養失調に陥った住民の割合は50%に迫り,世界最悪の水準.

 【参考ページ】
CNN,2011年8月2日(火)9時51分


 【質問 kérdés】
 在モガディシュ・トルコ大使館爆破テロ事件とは?
Mi az török nagykövetség bombázás Mogadishuban?

 【回答 válasz】
 2013.7.28,ソマリアの首都モガディシオにおいて発生した,トルコ大使館関係施設に対する襲撃事件.
 まず自爆車がトルコ大使館の建物に突入.
 次いで,トルコの援助で設立されたシファ病院が襲撃された.
 死者8人,負傷者9人.
 トルコのソマリアでの人道支援活動に対するアッ=シャバーブの報復と見られる.

☾☆     ☾☆     ☾☆

 昨今,幼稚園児に教育勅語を唱和させるアホ幼稚園の話が世間を賑わせているが,教育に名を借りて,他人を思い通りにしたい人間は,どこにでもいるものだ.
 テロ組織「アル=シャバーブ」もそうしたアホ人間の集まりで,欧米型の教育を児童生徒に受けさせることに反対している.
 では,彼らのようなイスラーム過激原理主義者の推奨する「教育」がどのようなものかと言えば,ひたすらクルアーン(コーラン)の暗唱と軍事教練という代物.
 考えようによっては,彼らのトンデモ論理が大人には相手にされないからこそ,子供相手に無理強いして言うことを聞かせようとしているようにも見える.

 ソマリアでは中央政府が崩壊しているので,私営学校と援助NPOが初等教育の中心だが,トルコはソマリアへの人道支援の一環として医療と教育にも関与している.
 もちろんまっとうな教育である.
 どこぞの王国のようにワッハーブ派の思想を教育と称して広めようとしているわけでもない.

 これがアル=シャバーブにとっては敵対行為に見えるらしい.
 「ぼくのかんがえたさいこうの教育」を広める邪魔になるからだ.
 そもそも,人道支援と称して,ソマリア政府の役に立つようなことをしていることが気に入らない.
 ソマリア政府は彼らの敵だからだ.
 敵の味方も敵である.
 ましてトルコはムスリム/ムスリマが大多数を占める国.
 「裏切者」への憎悪は,異教徒へのそれより深い.

 2013.7.28午後5時ごろ,「裏切者」の大使館に,爆発物を積み込んだミニバンが突入,爆発した.
 死体が飛散.
 近隣の多くのアパートメントの窓が割れたという.
 死者は6人.
 そのうち2人がソマリア人の大使館警備員.
 巻き添えを食った現地の大学生が1人.
 そして自爆犯3人.
 大使館員2人を含む9人が負傷した.

 次いで,トルコの援助で設立されたシファ病院が襲撃された.
 こちらでは死者2人.

 アル=シャバーブが犯行声明を出した.

 ところが不思議なことに,このテロはソマリアを巡る英国とトルコの間の代理戦争だ,と主張する人々がいる.
 たとえば「Yeni Safak」紙のイブラヒム・カラグル Ibrahim Karagul 編集長(コラムニスト)は,
「トルコがソマリアで影響力を広げるのを阻止するために,英国がアル=シャバーブにテロを行わせた」
と主張している.
 トルコにはこのように,世界のあらゆる全てのテロ組織の背後には米国・西欧諸国の策謀があると信じている人が結構いるという.
 池内恵は『現代アラブの社会思想』(講談社,2002)において,中東では欧米・ユダヤによる陰謀論が知識人層にまで広がっている旨を指摘していたが,トルコにもそういう傾向があるのだろう.

「人は,己が信じたいものしか信じない」
とは,よく言われるところだが,陰謀論が知識人にまで広がっているとなると,あまり穏やかな話とは言えまい.
 そういえば日本にも,「コミンテルンの陰謀」だの「9.11自作自演説」だのを広めようとする「知識人」がいまだに存在する.

 そういう事実を鑑みるに,今,本当に必要なのは,何かを盲目的に暗唱させて信じさせる「教育」よりも,何事も一度は疑ってかかる教育のほうだと思うのだが,どうだろう?

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://arcanaslayerland.com/2017/02/26/tsukamoto-2/
http://ameblo.jp/dspno1captain/entry-11581431518.html
http://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/ME_N-africa/al-shabaab.html
http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/4506284.html
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20130728_094347.html
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2016/07/31/somarianojiao-yu-nokong-bai-wotorukozheng-fu-gamai-meru-541488
http://edition.cnn.com/2013/07/27/world/africa/somalia-turkish-embassy-attack/
http://www.al-monitor.com/pulse/originals/2013/08/somalia-al-qaeda-turkey-attack-al-shabab.html

https://www.youtube.com/watch?v=tpKLqv-6ulk

【ぐんじさんぎょう】,2017/3/25 20:00
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 【質問】
 ウエストゲート・モール襲撃事件について教えてください.

 【回答】
「立て篭もりなう」
 テロリストの犯行声明も,最近はこのように行われる.

 2013.9.21,ケニアの首都ナイロビ(Nairobi)で,覆面の武装集団が,市内の高級ショッピングモールを襲撃した事件.[1]
 彼らは同日正午ごろ,ウエストゲート・モール(Westgate Mall)に突入,人質をとって立て篭もった.[1]
 警察当局によると,モールには当時,約1000人の買い物客がいたという.[1]
 イスラエルの資本も入っているこのモールは,ケニアの富裕層や外国人に人気があった.[1]

襲撃したテロリスト

 アルシャバブ(Shebab)は,事件と同時にツィッターにて犯行声明を出した.[1]
 アルシャバブは
「ムジャヒディン(イスラム聖戦士)がケニアの異教徒らの縄張りに入ってやつらと戦い,今もモール内にいる」
と書き込むとともに,今回の犯行は,ソマリア政府を支援するために,ケニアが行っているソマリアへの軍事介入に対する報復だと主張した.[1]
 彼らの言い分によれば,ケニア軍のソマリア介入に対して警告していたが,無視されたという.[1]
 たしかに,国境周辺でのテロならば,介入後にケニア国内で何度もアルシャバブは起こしている.
 これは警告というより脅迫といった表現が近いだろうが.

 ケニア治安当局によると,事件の展開は次のようになったという.
 ケニア軍と警察は,数時間に及ぶ激しい銃撃戦の末,武装集団を「身動きできない」状態にすることに成功し,買い物客とモールの従業員の数百人を避難させた.[1]
 人質を取って立て籠もった武装勢力の制圧は困難を極めたが,治安部隊が4日目に建物に突入.[2]
 最大15人ほどのテロリストは市民61人を殺害した後,追い詰められて放火し,建物の一部が崩落した[2]
 23日夜,ケニア内務省が同モールを「制圧した」と発表したのもツィッターだった.[5]

 だが,この公式発表は,だいぶ事実とは違うらしい.
 「ニューズウィーク」誌によれば,実際は以下のようだったという.
 治安部隊は何時間も現場に現れず,しかも建物を制圧した治安部隊は,店内の商品を略奪し,バーでビールをあおった.[2]
 建物の支柱をロケット弾で破壊して,建物を崩壊させたのも彼らだ.[2]
 瓦礫の下には,行方不明の39人が埋まっているかもしれない.[2]

 ケニア政府は犯人グループのうち5人を殺害したとしているが,遺体は見つかっていない.[2]
 脱出に成功した市民からは,一般人の服を着た襲撃犯が,群衆に紛れて逃げたとの証言も出ている.[2]
 建物の地下駐車場から近くの川に下水管が通じているため,そこから逃亡した可能性もある.[2]
(「襲撃犯の数はわずか4人だった可能性もある」とも,同誌は述べている[2]が,これはちと疑わしい)

 また,治安部隊の遅い到着までの間に,市民の救出に当たったのは,ケニア軍ではなく,非番の警官や自警団らだったという.[2]
 英デイリー・メール紙は,たまたま非番でモールに居合わせたSAS(英国特殊空挺部隊)隊員が拳銃を手にし,銃撃の中,100名の客を脱出させたと報じている.[6]
 証言によれば,非番で友人とコーヒーを飲んでいた隊員は襲撃を知るや,銃撃の中を十数回モールと外を行き来し,100名の客を脱出させたという.[6]
 セキュリティ上の理由により,隊員の名前や顔は明らかにされていないが,襲撃現場で拳銃をジーンズに差し込み,二人の女性を肩に抱いている男性の写真が発表されている.[6]

 ケニア紙「Daily Nation」が28日報じたところによれば,ケニアの一部政府高官は,事件を事前に察知していたた可能性も指摘されている.[4]
 事件の数日前に,イスラエルの諜報機関などから,テロ計画に関する情報は入っていたからだ.[4]
 ケニア国防省,内務省,財務相,また国防軍司令官ジュリウス・ヴァヴェリ・カランギ将軍に提出されていたテロ対策レポートによれば,テロリストらは火器と手榴弾を用い,また人質をとって,首都の建物を占拠する計画を練っていたという.[4]

 この事件のもう一つの注目点は,実行犯グループに英米人が含まれていた可能性が強いことだ.[3]
 ケニアのモハメド外相は事件発生から2日後の23日,実行犯に英国人の女1人と米国人2-3人が含まれているとの見方を明らかにした.[3]
 襲撃発生時にショッピングモールにいた買い物客も,地元メディアの取材などに対し,犯行グループに「白人の女」が含まれていたと証言している.[3]
 また,アルシャバブは犯行声明で,今回のテロ攻撃に参加した9人の氏名を公表し,そのうち3人が米国在住者であったと主張している.[3]
 六辻彰二 によれば,米国籍所有者や米国在住者がアルシャバブの活動に参加していたこと自体は,既知の事実であるという.[3]
 1991年のシアド・バーレ政権崩壊後,ソマリアから世界各国への移民が激増し,米国も多数のソマリア人を受け入れた結果,その数は推定3万2000人になるという.[3]
 移民はミネソタ州,オハイオ州,カリフォルニア州,ワシントン州などに多く,このうちミネソタ州のソマリア系住民のコミュニティが最大.[3]
 米国の人権団体Anti-Defamation Leagueが2013年6月にまとめた報告書には,アルシャバブの活動に関与したとして起訴された米国籍保有者・米国在住者35人の氏名と罪状が記載されている.[3]
 さらに米国のシンクタンクNew America Foundationの追跡調査によると,アルシャバブの活動に関与したことが確認されたミネソタ州在住者は22人.[3]
 このうち3人は資金提供だけだったが,19人はソマリアに渡航して,戦闘またはテロ攻撃に加わっていた.[3]
 米国在住者が実行犯となったソマリア国内での自爆テロは,FBIが把握しているだけで,2009年から2011年の間に少なくとも4件発生している.[3]
 FBIは米国在住者のアルシャバブへの関与を断ち切るために,ミネソタ州で「サイ」(Operation Rhino)という作戦名の集中的な取り締まりを実施したこともある.[3]

 事件の犠牲者は死者67人,負傷者175人に達する.[4]
 アルシャバブやケニア政府は,ツィッターで「なう」して得意げだろうが,この67人はもはや永遠に「なう」できない.

 【参考ページ】
[1]http://www.gekiyaku.com/archives/33231595.html
[2]http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20131016-00010002-newsweek-nb
[3]http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130926-00010000-fsight-int
[4]http://japanese.ruvr.ru/2013_09_28/122090944/
[5]http://read2ch.com/r/poverty/1379987900/
[6]http://bylines.news.yahoo.co.jp/dragoner/20130924-00028364/(元ソースはこちら

 【関連リンク】
「気になりますちゃんねる」◆(2013/09/25) ケニア・ショッピングモール占領事件に出動した軍隊の銃がカオス過ぎる

【ぐんじさんぎょう】, 2013/11/04 20:00
を加筆改修


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