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◆◆◆チェチェンFAQ
<◆◆地域/組織別
<◆イスラーム過激原理主義 目次
テロリズムFAQ目次


(画像掲示板より引用)


 【Link】

БРОНЕТЕХНИКА В ЧЕЧНЕ ≪БАЙКАЛ≫, ≪ТЕРЕК≫, ≪КОЗЬМА МИНИН≫ И ДРУГИЕ
 チェチェンへ向かう装甲列車について

Chechny footage split by NTV , ORT,TVC,RTR,TV-6 journalists
第一次チェチェン紛争で報道された動画を集めた物

CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年03月12日)
Спецоперация в Чечне. Уничтожены боевики
>チェチェンにて掃討作戦が行われ,過激派を殲滅し証拠物件を押収した

CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年04月04日)
Спецоперация ФСБ и МВД в г. Октябрьский, Башкортостан
http://o001oo.ru/index.php?showtopic=28499
 サマラ州オクチャブルスクにて,FSBとMVDの合同作戦が行われた.
 テロリストを射殺・拘束したが,逃走した者もいるとのこと.

CRS@空挺軍 in mixi◆(2010年04月14日)
Спецоперация в Дагестане. Уничтожены два боевика
 ダゲスタン共和国にて掃討作戦が行われ,2つの過激派を殲滅した

CRS@空挺軍 in mixi(2010年08月22日)◆
В Дагестане в результате спецоперации уничтожены трое боевиков
 ダゲスタン共和国にてテロリスト掃討作戦が行われ,3名を殺害した.
 軍装面から見ると,EOTech社製ホロサイトを使用する隊員が増えています.
 また,マルチカム迷彩服を着た隊員も確認できます.

CRS@空挺軍 in mixi(2010年08月29日)◆
北カフカスのナリチクで特別作戦 戦闘員5人を殲滅
В Нальчике введен режим контртеррористической операции
В Нальчике уничтожены пятеро боевиков
В Нальчике продолжается спецоперация
Контртеррористическая операция проходит в Нальчике
Пятеро боевиков убиты в ходе спецоперации в центре Нальчика
Три боевика уничтожены в Дагестане
 ダゲスタン共和国においても掃討作戦が行われ,3人のテロリストを殺害.
В августе на Северном Кавказе уничтожено более 30 боевиков
А. Бортников доложил Д. Медведеву о спецоперациях на Северном Кавказе
 ロシア連邦保安庁 アレクサンドル・ボルトニコフ長官はメドヴェージェフ大統領に対し,一連の掃討作戦の結果,30名のテロリストを殺害し,相等数の爆発物の押収に成功したと報告

「militaryphotos.net」:Chechnya 1994
 チェチェン人の独立運動.

「militaryphotos.net」:Chechnya after the first war (08-09/1996)
 第1次チェチェン紛争.

「militaryphotos.net」:Chechnya. Russian Spetsnaz (special purpose units)

「militaryphotos」:Chechnya photos
 2008年のグロズヌイ

「Militaryvideo.ru」:Accursed and forgotten

 第一次チェチェン紛争を描いたドキュメンタリー(グロ注意!)

―――CRS@空挺軍

「militaryvideo.ru」:Chechen insurgents

「militaryvideo.ru」:Dudaev Cocktail

「militaryvideo.ru」:First Chechen war

「militaryvideo.ru」:Sergiev-Posad OMON convoy attack

Q&A: The Chechen conflict(BBC,英語)

「Russia Now」◆(2010/12/27)RT Video: Ethnic conflicts deadly dangerous for Russia? Medvedev

「Russia Now」◆(2011/02/16)Monday's blast in Russia's Dagestan equal to 50kg TNT - police

「Russia Now」◆(2011/02/16)Moscow police arrest four suspected terrorists

「Russia Now」◆(2011/03/07)Rockslide in southern Russia kills one hiker, injures two others

「Russia Now」◆(2011/09/18)Chechen authorities to hand out headscarves to women on their holiday

「Russia Today」◆(2011/07/07)Russian nationalists hail Chechen order, want same for Moscow

「Strategy Page」◆(2013/05/11) RUSSIA: Seeking A Kinder And Gentler Tyrant
 「穏やかな暴君」を支持するロシア:アサド政権支持とコーカサスの対テロ作戦

Только смотреть будешь очами твоими и видеть возмездие нечестивым (Пс 90,8)

第一次チェチェン紛争時のロシア軍の作戦経緯を載せているサイト(露語)

――――――CRS@空挺軍 in mixi,2010年02月28日21:58

twower

チェチェンに関する情報・画像を載せている(露語)

――――――CRS@空挺軍 in mixi,2010年02月28日21:58

「VOR」◆(2012/06/19)北カフカス ロシア軍人300名以上行方不明(6/19)
>露国防省のタラノフ大佐は社会院で表した声明の中で,1990年代から2000年代にかけてのチェチェン戦役で330名以上の露軍人が着たカフカスで行方不明になっている,と発表.
>今年,336名の内14名が発見され,長期間捕虜となった後に強制労働に使役されていた,としている.

「VOR」◆(2012/05/27)過激主義反対 グローズニィにイスラム代表団
>国際フォーラム「過激主義に反対するイスラムドクトリン」に参加する為,著名なイスラム活動家・学者等からなる代表団がチェチェン共和国のグロズヌイに到着.フォーラムでは過激主義を非難する布告が採択される見通しで,この布告は全てのイスラム教国に配布されてイスラム教の学術機関などでも教育される.

「VOR」◆(2012/12/07) メドヴェージェフ首相 北カフカスでの記者殺害は不安定の脅威

「VOR」◆(2013/04/30) グルジア サアカシヴィリ体制下でのチェチェン人テロリスト養成に関する審理開始

「VOR」◆(2013/05/21) ロシア テロ活動積極化の際に立つ

「VOR」◆(2013/07/03) サンクトペテルブルグ中心部で爆弾事件
>同市中心部のネフスキイ大通りに近いストレミャンナヤ通りで男性が地面にあった袋を持ち上げた所,袋が爆発.
>男性は約100m離れた所にあったマクドナルドにたどり着き,駆けつけた救急隊の医師から手当てを受けたが,手首から先の部分が吹き飛ばされており,現在はペテルブルグ外傷研究所に収容されている.
>現場では市警察の爆発物処理班と機動捜査班が作業を続けている.

「VOR」◆(2013/07/18) ロシア北カフカス地方で連続テロ未遂犯グループ殲滅

「You Tube」:Chechnya 2000 - Grozny city ride

>Exclusive personal video from my friend.
>Spetsnaz fighters provided security and escorted officials during their ride in Grozny city

 この当時のグロズヌイはまさに廃墟でした・・・常に激戦区であった首都.

――――――CRS@空挺軍 in mixi,2008年10月20日10:34

「You Tube」:チェチェンにヨーロッパ最大のモスクが完成
 正教会の司祭まで招いていることに注目
  ┃
  ┗チェチェンの首都グロズヌイに1万人収容のモスク(イスラム教礼拝所)完成
   同共和国のカディロフ大統領とプーチン首相が視察した

「YouTube / Russian Today」◆(2010/10/19)Terrorists storm Chechen parliament killing 3, security repels raid

「Video@mail」:Паноптикум "Ад"
 第一次チェチェン紛争にて,グロズヌイで戦うロシア兵.
 皆,表情がとても疲れきっています.

「Video@mail」:Съёмки Грозный 4.02.1995
 1995年時のグロズヌイの様子・・・まさにスターリングラードさながらの廃墟

「YouTube」:第一次チェチェン紛争でのGRUスペツナズ隊員達を特集したドキュメンタリー(露語)
part1
part2
part3
part4
part5

「エルエル」:チェチェンで作られた手作りの武器

「スパイ&テロ」◆(2010/04/05)ロシア自爆テロ陰謀論?

チェチェン情勢(メルマガ過去ログ,外信のスクラップ帖のようなもの)

チェチェン総合情報(情報量充実.ただし,一方の側に立つ政治主張サイトにつき,注意)

チェチェン紛争(戦闘序列など)

「チェチェンやめられない戦争」(ポリトコフスカヤ著,日本放送出版協会,2004.8)

「ノーボスチ」:チェチェン共和国の今.グローズヌイ市.(写真25点)

「ワレYouTube発見セリ」:Ambush By Islamic Chechens

「ワレYouTube発見セリ」:Battle of Grozny (1994-1995)

「ワレYouTube発見セリ」:First Chechen war

「ワレYouTube発見セリ」:Footage of My regiment in Action:Operation Free Chechnya

「ワレYouTube発見セリ」:Russian Military in Chechnya

「ワレYouTube発見セリ」:Welcome to Checnya (ロシア軍 in チェチェン)


 【質問】
 チェチェン人はどんな民族なのか?

 【回答】
 狼にも喩えられる獰猛な民族.
 スターリン時代に民族強制移住を経験し,反露感情が比較的強い.
 モスクワでは「チェチェン・マフィア」は恐怖と憎悪の的になっている.

 以下引用.

 ロシア南部北コーカサス地方にあるイスラム系のチェチェンは,人口79万あまりの小さな共和国です.
〔略〕
 〔コーカサスの諸民族の〕中でもチェチェン人は勇猛な民族と言われ,狼にも喩えられています.
 19世紀前半には,隣のダゲスタンと共にイスラム国家を作り,指導者シャミーリのもと,30年間に渡ってロシア帝国の進出に抵抗を続けました.

 ソビエト時代には,兄弟民族であるイングーシと自治共和国を形成しました.
 第2次世界大戦中に,対独協力の容疑で民族全体が中央アジアへ強制移住させられ,このときに数万とも言われる人達が死亡しました.
 フルシチョフ時代の1957年に名誉が回復され,再び祖父の地,北コーカサスへ戻りました.
 しかし,この民族存亡の危機は,チェチェンの人達にとって忘れられない記憶として残り,ソビエト崩壊後の民族主義の高まりの一因と見られています.

 チェチェン人は,部族単位で非常に強い結束力を持ちます.
 特にモスクワなどチェチェン以外の土地では,その結束力で助け合いながら異郷での困難を乗り越えています.
 しかしモスクワでは,チェチェン人のグループの一部が,カジノやナイトクラブなど夜の世界を支配しているとまで言われ,「チェチェン・マフィア」と呼ばれて恐怖と憎悪の対象にされています.
 モスクワでは,コーカサス系(黒髪で顔の彫りが深く,眼光が鋭いのが特徴とされる)というだけで,警官に呼び止められ身分証明書の提示を求められたり,不当な罰金を要求されるなど,嫌がらせを受けることが多いそうです.

小林和男著「ロシアのしくみ」(中経出版,2001/7/9),p.155-156

チェチェンで押収された密造銃
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 【質問】
 「テイプ(テープ)」とは?

 【回答】
 元々チェチェンという土地は周囲を険しい山々に囲まれており,交通網も発達しにくく,外部からの影響が及びにくい地域であったことから,伝統的な社会基盤である「テイプ(テープ)」というのが根強く維持されてきた.

 この「テイプ(テープ)」というのは,血縁と地縁の概念が合わさったもので,簡単に言ってしまえば氏族や部族のようなものである.
 この「テイプ(テープ)」はチェチェンにおいて山岳部,平野部合わせて約170部の「テイプ(テープ)」があると言われ,氏族や家族を基盤に,年長者を敬い,服従するような家長父制が尊ばれているのが特徴である.
 また,スーフィズム(イスラム神秘主義)の指導者が族長も兼ねている.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年10月19日21:55


 【質問】
 チェチェンにハッハーブ派が浸透してきたのは何時頃?

 【回答】
 元々チェチェンという国はイスラム神秘主義(通称;スーフィズム)の影響が強かったが,かの有名なスターリンによる強制移住によって,チェチェンとイングーシの人々の中にいた,スーフィズムの一派であった「カリカータ」の信者達が,流刑先の中央アジアのイスラムの影響を受けて,より原理主義的な傾向を強めることになる.

 で,チェチェンとイングーシに帰還したこの「カリカータ」の信者達は,熱心にイスラム教のモスク再建運動を始め,ちょうどゴルバチョフが登場したのも幸いし,西側との交流も盛んになる.
 ヨルダンやトルコ,シリアに離散した同胞から,より深く正統的なイスラムに帰衣した者も現れて,こうした人達がコミュニティーを作り,母国チェチェンの「イスラム復興」に積極的に支援し始めた.
 このコミュニティーは資金面だけでなく,イスラムの教師や聖職者も派遣し,チェチェンからイスラムを学ぶ留学生をイスラム学校へ受け入れることもあった.

 こうしたチェチェンにおけるイスラム復興を通じてワッハーブ派が浸透してきた.
 最初からワッハーブ派の影響が大きかったわけではない.
 ここでは単なる派閥の一つである.

 しかしチェチェン紛争でこのワッハーブ派の影響を受けて,イスラム原理主義的な抵抗が強まっていくのは1995年から96年.
 第一次チェチェン紛争ではスーフィズムに支えられた部族社会が独立闘争を支援していた.
 その後,'96年に勃発した第二次チェチェン紛争では,チェチェン独立派のうち過激な武装組織がワッハーブ主義的な傾向を強めて,土着の部族社会に基づいたスーフィズムとの対立が表面化する.

 この背景には,武装勢力を率いるようになった若い指導者が,中東のイスラム諸国やチェチェン人コミュニティーからさらに闘争資金を得るために,土着のスーフィズムには距離を置いたという見方もできる.

 こうしてワッハーブ派の影響を受けた指導者達は,チェチェンの部族社会である「テイプ(テープ)」を排して,チェチェンの民族統一の理念を打ち出そうとしていた.
 そのため,ワッハーブ派の影響を受けた勢力と伝統的なスーフィズムを信奉する勢力との関係が緊張し,ついに武力衝突まで発展する.

 1998年7月,チェチェンのグデルメスで,武装勢力の一派である「シャリャート部隊」が,スーフィズム勢力と武力衝突し,50名が死亡する事件が起きた.
 マスハドフ大統領は,衝突の責任は「ワッハーブ側である」と非難する「シャリャート部隊」の解散を命じたが,しかし翌99年にもグロズヌイで,再びワッハーブ派とスーフィズム派が武力衝突するなど,事態は悪化の一途を辿る.

 こ内紛に着目したロシア側は,第二次チェチェン紛争に当たり,チェチェンのイスラム社会の分断を画策し,伝統的な「テイプ(テープ)」の指導者を懐柔し,スーフィズム勢力を取り込む工作に出た.
 この工作の成果がご存知のように,アフマド・カディロフが率いる勢力である.

 こうした背景があり,99年にロシア側の進行が始まると穏健派であるマスハドフ大統領は孤立を深めて,より厳格なイスラム化を掲げることでワッハーブ派の勢力を手を結ぶことになる.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2008年10月19日21:55
青文字:加筆改修部分

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 チェチェン紛争の発端は?

 【回答】
 ソ連崩壊の際,連邦内の自治共和国にも独立機運が高まったが,ロシアは自治共和国を共和国に昇格させただけで,自治共和国の独立を認めなかった.
 チェチェン=イングースは連邦残留派のイング−スと独立派が多いチェチェンに分裂。
 チェチェン内部にも連邦残留派がいたので、内戦となり,それにロシアが介入。1996年まで、この内戦は続いた.

 詳細は,
辻雅之「チェチェン紛争基礎知識」その2
を参照されたし.

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 先日,NHKでチェチェン紛争に関する番組を放送していました.
 その中で1994年の戦いで,ロシア軍戦車部隊は歩兵や航空部隊の支援を受けないまま,グロズヌイ市内に突入し,市街戦でチェチェン軍に反撃されて1個旅団がほぼ全滅してしまったと言っていました.

 そこで質問なのですが,なぜロシア軍は歩兵や航空部隊の支援を付けないまま戦車だけを市街戦に投入したのでしょうか?
 支援を付けたくても付けれなかったのか,付ける意思が無かったから付けなかったのか.

 【回答】
 ・ロシアはグロズヌイを包囲して敵の増援をたつことをせず,(これは兵力の不足によるものだが)行軍戦術で首都を陥落させようとしたため,警戒を怠った.
 結果,ロシア軍の装甲車の隊列は行軍隊形のまま,歩兵を展開させることもなく,こうした待ち伏せをうけることとなった.
 ・ロシア軍戦車の主砲は地下にいるチェチェン軍対戦車班に対して無力であり,車載対空機銃も2−3階にいる対戦車戦闘班の同時攻撃に対抗し得なかった.

 詳しくは,ロシア軍によるレポート
http://www.fas.org/man/dod-101/sys/land/row/rusav.htm
をご覧になってください.

 英語じゃ面倒?
 では,篤志家による抄訳がありますので,そちらをご覧ください(笑)
市街地での対戦車伏撃戦術(チェチェン軍対戦車歩兵戦闘群)

軍事板

 物凄く長いが必見.
 2004年にロシアで製作されたチェチェン紛争ドキュメンタリー
http://russianremote.com/1253.html

 「2」の動画に海軍歩兵が!
 BTR?の車体に熊のマークがあることから,彼らの所属が北方艦隊の【第61独立海軍歩兵旅団】ということがわかります.
 また,ロシア軍の兵士達が殆ど袖章をしていない所にも注目.

 しかし装甲車輌の損害が酷い,
 また,チェチェンも廃墟になった所が物悲しさを語りかけます・・・

CRS in mixi,2007年04月28日00:44

Russian SpN unit is cut off by a surprise Chechen assault

 動画は削除されますたが代わりの映像を
http://www.youtube.com/watch?v=j7yQDxDSV7Y

関連して英訳も再うp
[VIDEO]Chechen campaigns

 そこには貴重なコメントが.
 この通信はMaykopskaya brigadeの無線記録であることが判明.
(海軍歩兵のことなのか,それとも内務省軍のことなのか不明だったので原文です)
 この無線はチェチェン武装勢力がグロズヌィ奪還のため奇襲作戦を実行.
 ロシア軍側は山岳地帯掃討作戦のため,グロズヌイの守備を薄くしていた.
 要するに武装勢力側の陽動作戦に引っ掛かった.

 まさかグロズヌイに攻めてくることはないだろ常識的に(ry・・・・ウホ゛ァー
 になり増援要請を本部に必死に請願しています.

 ここのHPに原音が公開されています
http://music.artofwar.ru/Grozny_-_radioperehvat.mp3

CRS@空挺軍 in mixi,2007年11月20日16:07▲

第61独立海軍歩兵旅団
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CRS in mixi,2007年04月28日00:44


 【質問】
 チェチェン紛争では,狙撃兵はどのように活用されたのか?

 【回答】
「チェチェン紛争では狙撃兵の価値が重視された」
 雑誌「歩兵マガジン」に寄稿したレスター・W・グラウとチャールズ・Q・カットショーはこう述べている.

 チェチェン軍はロシア軍とグロズヌイで市街地戦を行い,たちまちのうちにチェチェン狙撃兵達は,ロシア軍に多大な損害を与えた.
 崩れた建物に潜んで戦って膠着状態になった点は,スターリングラードの戦いと似ている.
 しかし,今度の戦争ではロシア軍『狙撃兵』は不利であった.
 諸兵科連合チームの一員として,通常の部隊に猛スピードで突進して戦うように訓練されていたからである.
 ロシア軍狙撃兵,瓦礫の中で敵をしとめたり,何日も続けて身を伏せて敵を待ち伏せしたりする準備はまったく出来ていなかったのだ.
 これに対してチェチェン軍には地の利が有り,しかも狙撃用の銃もたくさんもってい.

 グラウとカットショーによれば,ロシア軍は当初チェチェンに向かう際に,SVD狙撃用ライフル533挺しか持参しなかったという.
 一方でチェチェン軍は4人組チームを作っており,RPGとSVDの他にもアサルトライフル1挺ずつ支給していた.
またこれとは別に,狙撃兵一人一人にもSVDを持たせていた.

 2人の記事によれば,チェチェン軍はこうした狙撃兵チーム組んで行動しており,編成は狙撃兵1人に,4人の支援要員を加えた5人組.
 狙撃兵はロシア兵に1〜2発撃つと,狙撃位置を変え,ロシア軍が狙撃兵に発砲してきた場合には,支援要員が手当たり次第に発砲してロシア兵の注意を引き,その間に狙撃兵を脱出させたという.

 このときのロシア軍は,チェチェン軍狙撃兵に翻弄され,対応する準備すら出来ていなかったが,1999年に再度チェチェンに侵攻したさいには,ロシア軍もまた2〜3名からなる「狙撃兵掃射」部隊を編成していた.

 アメリカ陸軍のジェームズ・リード中尉は,アメリカ陸軍外国軍事研究局への報告書のなかで,次のように書いている.
「グロズヌイ攻防戦でロシア軍は,市街地戦での狙撃兵の重要性を学んだ.
 チェチェン側狙撃兵は,たいてい一人か二人だけで行動し,ロシア軍部隊を釘付けにした.
 今後の市街地戦でロシア軍は,狙撃作戦や対狙撃兵作戦に投入する狙撃兵の数を増やすものと予想される」

 【参考文献】
戦場の狙撃手 (単行本)
マイク ハスキュー (著), Mike Haskew (原著), 小林 朋則 (翻訳)

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CRS@空挺軍 in mixi, 2009年02月22日21:08


 【質問】
 チェチェン紛争の犠牲者数は?

 【回答】
 どちらもあまり信頼が高いとは言えない数字だが,ロシア側発表で4〜7万,チェチェン側発表で15〜16万とされている.
 以下引用.

チェチェン紛争 国民の15%,15万人犠牲 支援増狙い政権初公表

 【モスクワ=内藤泰朗】ロシア南部チェチェン共和国の親ロシア派政権,ジャブライロフ国家評議会議長は十五日会見し,一九九四年から十年以上に及ぶチェチェン紛争で,十五万−十六万人が犠牲になったと語った.これは共和国人口の15%以上に当たる.
 人権擁護団体などがこれまで,これに近い犠牲者数を発表したことはあったが,当局側がそれに近い犠牲者数を明らかにしたのは初めて.
 全人口の15%喪失というのは,第二次大戦で二千七百万人という世界最大の犠牲者を出した旧ソ連にも匹敵し,同紛争の凄惨(せいさん)さを物語るものといえる.親露派チェチェン政権側は,紛争の悲惨さをロシア側に訴えることで,支援増大や権限分割交渉での対露カードとする思惑が見え隠れする.
 ジャブライロフ氏によると,この犠牲者数は,九四年末から約二年間続いた第一次紛争と,九九年からの第二次紛争の合計で,ロシア連邦側とチェチェン側双方の軍人と民間人を含む.チェチェン独立派武装勢力の総数は最大千人で,うち百−百五十人が外国人雇い兵だという.
 ロシア側の発表では,チェチェン紛争での犠牲者数は四万−七万人といわれており,チェチェン当局側発表との間に大きな差がある.
 〔略〕
(産経新聞)-8月17日2時46分更新

チェチェン紛争
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 【質問】
 チェチェン問題には,イスラーム過激原理主義勢力はどう関与しているか?

 【回答】
 チェチェン戦争には,アフ【ガ】ーニスタンで戦った多国籍イスラーム義勇兵が数多く参戦している.
 特に,チェチェン・ゲリラ最強硬派とされるシャミル・バサエフ元首相代行の部隊と共闘するアラブ人義勇兵隊長「ハッタブ司令官」の部隊が知られるが,アスラン・マスハドフ大統領派にも,タリバーンからの支援ルートが確立されたようだ.

 自発的な義勇兵参加は以前からあったが,2000年5月,マスハドフ大統領の代理人がアフ【ガ】ーンを訪問,ビン・ラーデン同席でタリバーン高官と極秘会談を行った上,ビン・ラーデンの資金援助により,タリバーンからマスハドフ派への兵士・武器貸与が正式合意されたという報道もある.

 軍事的劣勢にあるチェチェン・ゲリラ自体が,病院襲撃,バスジャック,NGO誘拐などのテロ活動をしばしば行っているが,特に,頻発する爆弾テロにアフ【ガ】ーン人脈が関与しているという疑惑が強い.

 また,チェチェンとその周囲のカフカス地方は,中央アジア同様,かねてより麻薬密輸が盛んな土地であり,チェチェン・ゲリラ主流派もチェチェン・マフィアを母体としているが,これに中央アジアの麻薬コネクションに繋がるアフ【ガ】ーン義勇兵人脈が食い込みを図っているという指摘もある.

 また,
「バサエフ派がパレスチナのイスラームテロ組織支援に乗り出しつつある」
という未確認情報が,ロシア連邦保安局筋からロシアのマスコミに流れており,注目を集めている.

 詳しくは,黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕著「イスラムのテロリスト」(講談社,2001/10/20),p.150-151を参照されたし.

 ただし,この文献は
>タリバーンからの支援ルートが確立されたようだ.
>疑惑が強い
>指摘もある
など,推測が多いので,その点は留意されたし.

 なお,2001年2月,アフガニスタンのタリバン政権のオマル師は,
「カブールにチェチェンの大使館を置く」
と発言しているという.
 「論座」2001?年11月号,『コーカサスとアルカイダの影』外岡秀俊,より.

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 なぜチェチェンで宗教対立が起こるようになったのか?

 【回答】
・ドゥダエフのスーフィズム重用
・第1次チェチェン紛争後の方針対立
に起因するという.

 以下引用.

 1991年末のチェチェンでのドゥダエフ政権の成立は,同共和国での宗教生活に劇的な変化をもたらした.
 旧ソ連の空軍将校から大統領に招かれたジョハル・ドゥダエフは,自己の政権の正当性を確立するためにイスラム教徒を重用した.
 チェチェン指導部が政権の安定に利用したのはイスラム神秘主義の流れを汲む世俗的スーフィズムのグループだった.
 結果としてチェチェンは宗教的に二分された形になり,1994年の夏には「スーフィズム」「ワッハビズム」の2つの宗派の間で流血の事態も起きていた.

 チェチェンの「ワッハビット」たちには1994年の第1次チェチェン紛争以前には具体的な政治プログラムは何もなかった.
 紛争では共通の敵であるロシアに対し,伝統主義者との利害の一致があったし,「ワッハビット」の持つ外国とのコネクションはチェチェン指導部にとっても好都合だった.
 ドゥダエフ政権自体には援助をしなかったイスラム圏諸国は,「ワッハビット」勢力を通じて資金援助を行い,紛争中に大きく影響力を拡大した.

 しかし「スーフィズム」と「ワッハビズム」の協力関係は,第1次チェチェン紛争後,変化した.
 「ワッハビット」は「聖戦」の継続を望み,イスラム勢力の軍事力整備を主張した.
 彼らのリーダーたちは北カフカスに新たな戦争の脅威が存在し,イスラム民族は常に侵略の危険に備えておかねばならぬと述べた.

 〔略〕

 一方,世俗的スーフィズムの基盤に立つマスハドフ政権は西側への接近政策をとり,特に英国からの投資導入に力を入れたのが知られていた.
 しかし1998年にチェチェン領内で英国人通信技師4人が誘拐され,喉を掻き切られた死体で発見された事件は,英国とマスハドフ政府の関係に水を差した.
 マスハドフ自身は旅行と称して非公式に米国を2度訪問し,米国務省とも接触していた.

 バサエフは1997年1月に行われたチェチェン大統領選に出馬し,マスハドフに敗れた後,マスハドフの政府に副首相として入閣した.
 当初は政府に協力的だったが,やがて野に下り,マスハドフとの対立姿勢をあからさまに示すようになった.
 マスハドフに対してはたびたび暗殺が武装勢力によりしかけられるようになっていた.

江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.71-72

 ちなみに,イスラーム圏において政教分離の概念が希薄であることは,言うまでもないだろう.

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 チェチェン紛争にアルカーイダは関与しているのか?

 【回答】
 肯定的情報と否定的情報のどちらもあるが,関与している可能性は,そうでない可能性に比べて高い,ということは言えるだろう.

 まず,BBCによれば,「その可能性はあるが,証明はされていない」という.
 以下引用.

Do the rebels have links with al-Qaeda?

It is possible but unproven.
It has been known for years that Muslim volunteers have travelled to Chechnya to join the fight, reportedly after attending training camps in Afghanistan or Pakistan.
In October 2002 a man suspected of helping to carry out the 9/11 attack told a German court that the alleged leader of the hijackers, Mohammed Atta, had wanted to fight in Chechnya.
One of the main field commanders, until his death in 2002 at the hands of Russian forces, was an Arab called Khattab - a veteran of the Afghan mujahideen war against the USSR.
He was alleged to have been in occasional telephone contact with Osama Bin Laden.
Intercepted telephone calls also led US officials to allege in 2002 that fighters in Georgia's Pankisi Gorge, near the border with Chechnya, were in contact with al-Qaeda.

 一方,朝日新聞によれば,アル・カーイダはチェチェンを「主戦場」と見なしているという.
 以下引用.

 現在,彼らはチェチェンを,イラクなどと並ぶ「主戦場」と見なしている可能性がある.

 アルカイダらイスラム主義勢力は,タリバーンの保護を受けてアフガンに本拠地を築き,イスラム教徒がからむ各地の紛争への介入を目指した.
 タリバーンは00年,チェチェン独立を承認.中央アジアをまたぐ「イスラム軍事センター」(エジプト・アハラム戦略研,ラシュワン研究員)が形成された.

 02年3月,アルカイダとチェチェン武装勢力の関係の原点ともいえる,ヨルダン出身のハッターブ野戦司令官が,ロシア連邦保安局によってチェチェンで暗殺された.アフガンでビンラディン氏と出会い,アルカイダ入りした人物とされる.
 米紙ニューズデーは02年1月,同司令官がチェチェン独立派のヤンダルビエフ元大統領代行と談笑する場面が映ったビデオの存在を報じた.
 クレムリンは「両者の関係を証明する証拠」(広報担当者)と強調した.

 01年の米同時多発テロ後の「対テロ戦争」でタリバーン政権は崩壊.アルカイダは保護を失った.
 スーダンなど他の紛争地も米欧の圧力でテログループの受け入れをやめた.
 こうして行き場を失った勢力がチェチェン入りした可能性もある.

 ロシアの学校占拠事件では,射殺された実行犯のうち,少なくとも10人がアラブ人だったとされる.以前から指摘されてきた,アフガンからチェチェンへのアラブ人イスラム主義グループの流入が,改めて確認されたことになる.

朝日新聞 2004/9/4,抜粋要約

 また,黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕によれば,

自発的な義勇兵参加は以前からあったが,2000年5月,マスハドフ大統領の代理人がアフ【ガ】ーンを訪問,ビン・ラーデン同席でタリバーン高官と極秘会談を行った上,ビン・ラーデンの資金援助により,タリバーンからマスハドフ派への兵士・武器貸与が正式合意されたという報道もある.

という(「イスラムのテロリスト」,講談社,2001/10/20,p.150)

 さらに,防衛研究所研究部第五研究室主任研究官,兵頭慎治は,

 今回の事件〔ベスラン小学校人質事件〕の首謀者は,チェチェン独立強硬派のバサエフ野戦司令官であるとみられているが,犯行グループに2名のアラブ系外国人がいたことから,国際テロ組織アルカイダの影もちらついている.

という見解を示している(防衛研究所ニュース2004年10月号)

 同事件では,アラブ系外国人,アフリカ系黒人など外国人10人が加わっていたとされ,射殺体の写真が公開されている(Ishikawa-News.com,2004/9/5).

 米国も同様の見解だ.

 米国務省当局者によると,米政府は以前から,アルカイダはチェチェンのイスラム武装勢力に資金援助を行うなど緊密なつながりを保っているとみていた.

という(共同通信,2002-10-24-09:54)

 さらにまた,ターリバーン戦争でも,ターリバーンと共に戦うチェチェン人アル・カーイダ兵がいたという.

アルカイダ部隊が死守 空港で激しい攻防戦

 【イスラマバード3日共同】タリバンの牙城(がじょう),アフガニスタン南部カンダハル攻略のカギをにぎる空港をめぐる戦闘は三日も,ウサマ・ビンラディン氏のテロ組織アルカイダのメンバー数百人が中心となり,米軍機の支援を受けた反タリバン勢力のグルアガ元カンダハル州知事派の進撃を阻止している.

 元知事派関係者は同日,「空港を死守しているのはアラブ,パキスタン,チェチェン系のアルカイダ部隊.彼らは投降すれば殺されると思っており,戦死を恐れていない」と指摘.北部クンドゥズと同様,タリバンよりも外国人部隊が「難敵」との見方を示した.

 カンダハル空港は市中心部の南東約十五キロ.元知事派部隊は空港の南三キロ地点にまで接近している.

 パキスタン軍筋によると,カンダハル空港を制圧すれば,米軍も海兵隊の空輸や攻撃ヘリの展開が容易になるため,反タリバン勢力のカンダハル市内への進攻は時間の問題だ.
(了) 12/03

共同通信,2001/12/3

 逆に,否定的な見解もある.
 「死を賭して報じるチェチェンの悲劇」:アンナ・ポリトコフスカヤ(月刊現代2004年11月号)によれば,小学校人質事件の中に,アルカーイダはいなかったという.

<犯人とアルカイダは無関係>
 ロシア当局は,実行犯の中にアラブ人が10人いたとか,アルカイダ等の国際テロ組織が関与と発表していますが,犯人グループと交渉し,26人の人質を解放させたアウシェフ元イングーシ共和国大統領は,
「犯人は訛りのないロシア語かカフカス訛りのロシア語を話した」
と言っています.
 つまり,犯人グループは,ロシア人,イングーシ人,チェチェン人,オセチア人のいずれかということになります.

チェチェン; Dirty War

 また,常岡浩介は月刊現代2004年11月号において,チェチェン共和国のディスクレジット(信用失墜)を主要任務とする,犯罪組織対策・活動阻止局(URPO)第3課の存在を指摘している(チェチェン; Dirty War).

 ただし,常岡はチェチェン寄りの立場をとっており,中立なジャーナリストではないので,注意が必要.

 モスクワ在住のジャーナリスト,藤村幹雄も次のように述べている.

 学校襲撃事件に国際テロ組織が絡んでいるとのロシア政府の主張も確認できない.
 捜査当局は30人の武装集団の中に10人のアラブ人がいたと主張するが,遺体は確認できていない.
 ロシアは一連のテロで常にアルカイダの影を強調してきた.ロシアはアルカイダの脅威を強調することで,テロに無力という自らの責任を回避しようとしている形跡もある.
 ただ,民族独立闘争だったチェチェン独立運動が,ロシアの抑圧強化で,次第にイスラム原理主義への傾斜を強め,アルカイダなどから一定の資金援助を受けているのは事実のようだ.

「ユーラシア新世紀」,2004/9/10

 「モスクワ劇場占拠事件を起こした武装勢力の中に,アル・カーイダのメンバーが含まれていたとする報道もあるが,これはガセだとする情報もある.
 以下引用.

ロシアのサイト 国外幹部と接触か

 【モスクワ31日滝沢学】ロシアのニュース専門インターネットサイト「Utro.ru」は三十日,モスクワ劇場占拠事件を起こした武装勢力の中に,米中枢同時テロを実行した国際テロ組織アルカイダのメンバーが含まれていたと報じた.
 同サイトがロシアの特務機関筋の情報として伝えたところでは,メンバーはサウジアラビア出身で「ヤシル」と名乗り,アルカイダを構成する小グループ「細胞」の指導者だった.ロシア特殊部隊の二十六日の劇場突入の際,殺害されたという.

 プーチン・ロシア大統領は今回の事件を国外で計画された「国際テロ」と非難.当局も劇場占拠中の武装勢力が携帯電話で数回,アラブ首長国連邦やトルコに連絡を入れるのを傍受している.
 同サイトは,殺害されたこのアルカイダのメンバーが,国外の幹部と接触していた可能性もあり得ると指摘している.

〔略〕

東京新聞,2002/10/31

 国内のいくつかの大手メディアが「劇場占拠犯にアルカイダ幹部」と衝撃的な記事を掲載した.
 私も驚いた.自分は間違っていたのだろうかと心から悔い改めようかしらん,とちょっと思った.
「ロシア諜報機関筋によると」とものものしく銘打って,射殺された占拠犯の中に,
「米911事件の首謀者の一人でアラブ首長国連邦国籍のヤシル氏がいた」
というのだ.
 ニュースソースを見て,大爆笑した.utro.ru(http://utro.ru/)ではないか.
 何がおかしいといって,このサイトはお笑いニュースネタのサイトなのだ.
(書いてる本人は本気と思えることもあってちょっとコワい)

常岡浩介「The Chicken Reports」,2002/10/31

 私見ですが,過激原理主義勢力の影響を受けているだろうことは間違いない以上,にも関わらずその老舗であるアル・カーイダとは無関係,とは考えにくいものがあります.

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 第1次チェチェン紛争後のチェチェンの状況は?

 【回答】
 94年に勃発した第一次チェチェン紛争はチェチェン・ロシア双方に甚大な被害を与え,96年にロシア政府とチェチェン独立派との間で和平合意が調印され,翌97年にはOSCE(欧州安全保障協力機構)などの監視の下にチェチェン共和国大統領選挙が行われ,穏健派のマスハドフが選出された.

 その後,マスハドフはエリツィンと平和条約を締結したが,同条約は「独立問題」を棚上げしたものに過ぎないとし,締結直後からロシア,チェチェン内部からも批判を浴び,周辺国であるアゼルバイジャンからも
「問題は解決されていない」
と声があがった.

 戦後のチェチェン共和国には課題が山積していた.

T 経済運営の問題

 元々チェチェンという国は,都市化が遅れた共和国であり,その生産手段の7〜8割が首都であるグローズヌイに集中しており,紛争でグローズヌイは最大の激戦地となったことから,石油関連産業施設及び住居や公共施設も破壊され,街全体が廃墟と化した.
 このような有様から,都市名のスペルを捻って「グリャーズヌイ(Грязный:汚い)と言われるほどであったという.

 さらにチェチェンでは国内産業基盤の欠如,石油関連産業の依存,また農業も十分に雇用を提供できない,月収もロシア連邦で最低水準という理由などから,多くの若者が出稼ぎ労働者として,ロシア共和国等の外の世界に出向いていった.

U 社会的問題

 紛争発生時には,チェチェンには軍隊というのは存在しておらず,各自が自らの生命を守るためなど,それぞれの理由や目的で武装していた.
 武装した人々は,氏族や部族,あるいは地域指導者の下でまとまるなどとして,ロシア軍に立ち向かった.

 しかし紛争が終結しても,雇用が確保されないという理由などから,武装解除や社会復帰が進まないという問題が発生し,武器を手放さない者が多く,また,各地域で作戦を展開していた野戦軍が,その地域を統制し続けるなど,政権の影響力が及ばない地域もあった.

V 政治運営の問題

 ソ連崩壊前後から生じたチェチェン紛争は,チェチェン内部にも「国家の有り方」や正当性を巡り,様々な問題を抱えていた.
 紛争前のチェチェンには一元的な政治(国家)機構というのが存在しておらず,紛争後にこの政治機構を作り上げる大きな仕事があった.
 憲法の制定・議会・大統領選挙が行われ,政権が誕生し,行政機構等が整えられて,初めて戦後復興へと挑む事が出来る.
 こうした事業をやり遂げるには,有力な指導者達の積極的な協力が無ければ成功しない.

 しかし,持久戦・ゲリラ戦が長く繰り広げられたチェチェン紛争においては,思いの外,各野戦司令官達の影響力と発言力が増大しており,彼らは自らの働きに見合った利益や権力分配も求め,マスハドフ政権と衝突した.

 【参考文献】
ユーラシア研究所『ユーラシア研究』No.39(東洋書店)2008年11月
富樫耕介「第二次チェチェン戦争の経緯と現在の課題」

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月22日17:38

第一次チェチェン紛争
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 【質問】
 第1次チェチェン紛争後,マスハドフ政権のとった舵取りはどのようなものだったか?

 【回答】
 ようやく平和を実現したチェチェンではあったが,多くの課題に直面することになったマスハドフ政権であった.
 マスハドフ政権は現実主義的な政策を打ち出し,なんとか共和国の安定を維持しようと努力を払った.

T 対ロシア関係の現実的な見直し

 バサーエフなどの過激派は,紛争の終結を「ロシアからの勝利」として受け取ったが,多くの課題を抱えるチェチェン経済が復興し,国家機構を整えるためには,ロシアからの支援が必要不可欠であったことを自覚していた.
 そこでマスハドフは,ロシアを感情やイテオロギーの側面から即座に排除するのではなく,むしろ良好な関係を維持することを目的とした外交政策を展開.
 しかしこうした外交政策や行動は,即座に国内の過激派や反対派に政権批判の材料を提供したに過ぎなかった.
 ロシアとのさらなる関係悪化や身代金を目的としていた過激派は,チェチェンに出入りしていたロシア人(報道関係者)の拉致などを行い,ロシア側と激しく対立していた.

U 国内の反対勢力の取り込み

 多大な影響力を誇る対立勢力を在野の状態で放置すれば,安定的な政治運営は行えず,また下手に彼らと対立すれば,第一次紛争と同じような悲惨な内戦へと繋がる恐れがあったため,マスハドフは反対派の筆頭であるバサエフを政権内部に取り入れた.

 しかしマスハドフの対ロシア政策を,バサーエフは激しく非難し,ことあるごとに対立した.
 そしてついに閣僚を辞任し,国内外のイスラーム過激派勢力(ワッハビスト)と結託し,マスハドフ政権閣僚の暗殺を試みたり,マスハドフ政権打倒の動きを見せ始めた.
 これに対してマスハドフは,自らイスラーム化を行う事で過激派を再び政権内部に吸収・拘束し,国内を団結させ,バサーエフなどの過激派からの主導権奪取を目論んだ.
 ところがこの目論見は,紛争を共に戦ったイスラーム指導者であるアフマト・カディロフを反発させてしまい,さらなる分裂を招いてしまった.

 こうしてチェチェンは,クルアーン・シャリーヤ(イスラム法)とシューラー(評議会)による国家運営に切り替わったが,この行為はむしろ過激派に正当性を与えてしまい,彼らの行動を抑制出来ないものにしてしまったという※1

V 積極的な経済協力の推進とそれによる新しい経済運営への取り組み

 マスハドフは,南コーカサス諸国との経済的な結びつきを進め,将来的な共通市場を導入する第一段階として,チェチェン経由の石油輸出プロジェクトを進めた.
 このバクー・グローズヌイ・ノヴォロシースク石油パイプラインは紛争前には稼動していたが,紛争後はチェチェンを迂回するルートが取られていた.
 マスハドフはこのパイプラインを再稼動し,尚且つ主要なパイプラインにするという計画を打ち出した.
 これはグルジア・トルコ(BTC)ルートの巻き返しを受けていたロシアにも歓迎された.

 すぐさまマスハドフ政権はア,ゼルバイジャン政府等と積極的に会談を重ねたが,この計画の実施には莫大な予算が必要であった.
 そこで政権は,チェチェンに技師を派遣していたBP(英国石油)やイギリス政府に支援を求めた.
 ところが石油産業を巡っては,チェチェン国内勢力による熾烈な争いが繰り広げられており,死者まで出る事態に発展していた※2
 また,政権が進めていたこのプロジェクトを妨害するために,反対派がイギリス人技師を拉致するという事件が発生.
 当時マスハドフと会談したサッチャー元英国首相は,拉致問題が解決しない限り支援は出来ないと伝えた.
 こうした事態を受け,マスハドフは人質を奪還しようと試みたが失敗.
 こうして復興の主軸であった「マスハドフ構想」は頓挫した・・・・

 そしてチェチェンは「破綻(失敗)国家」へと変化し,政権は国内を統率できず,バサーエフ率いる反対派勢力との二重権力状態となり,経済は完全に崩壊.
 拉致ビジネスや犯罪が横行し,無秩序状態へと陥った.

※1
 この時バサーエフはこう述べた.
「私の大統領はついにイスラームを受け入れた.
 彼はもう大統領ではない.
 故に,私たちはイマーム(指導者)を選ばなければならない」

※2
 99年頃にはバクー・グローズヌイ・ノヴォロシースクパイプラインは,警備責任者が殺害されるなどし,輸送が度々休止している.

 【参考文献】
ユーラシア研究所『ユーラシア研究』No.39(東洋書店)2008年11月
富樫耕介「第二次チェチェン戦争の経緯と現在の課題」

CRS@空挺軍 in mixi,2009年02月22日18:04


 【質問】
 独立後のチェチェンの財政状況は?

 【回答】
 事実上9年間の独立状態であったチェチェンであったが,独立後のチェチェンは,経済状態はこちらも事実上崩壊していたと言っても過言ではない.

 チェチェン出身経済学者ハズブラトフが,88年〜90年に数回に渡,チェチェン・イングーシ共和国の現地学術調査を行った結果,同共和国は社会保障・医療・教育・雇用等の状態において,ソ連連邦内の最下位から数え2番目に位置する貧困地域という調査結果を報告した.
 チェチェンでは石油資源が採掘できるが,その収益の1%(注1)しか国庫に還元されないという状況下であり,50%以上を国庫に還元しなければ社会・生活レベルに達しないという.
 チェチェンの財政の70%以上が,ロシア国庫の財政負担によって成り立っているという報告もある.
 つまりチェチェンという国は,天然資源に依存しつつも,中央からの財政支援が必要な,典型的な赤字国家であり,労働力の半数近くは出稼ぎに行く必要があり(注2),経済的な自立は不可能であったのが現状であった.

 民族感情的な独立機運が高まり,財政は石油資源で賄えるという楽観的な見通しから,チェチェンは独立闘争を開始した.
 だが,頼みの石油資源の精製工場が,大規模な空襲を受け,壊滅的打撃を被った.
 しかしチェチェンは,隣国から通る石油パイプラインに通行料が取れれば,財政面は安心できると判断していたが,結局石油パイプラインはチェチェンを迂回するルートに決まり(注3),財政に致命的な打撃を被る結果になる.

 元来,ロシア連邦の財政援助を宛てに出来るはずもない.
 そこで同胞であるイスラーム諸国に援助を頼み出るが,ロシアとの関係を悪化させてまで支援する義理はなく ,何処にでも冷たく対応されるだけであった.
 英国や米国にも支援を求めたが,ここでも冷たく対応されるだけで,孤立無援状態にになったのである.

(注1) たびたび石油利権を巡って武力衝突が行っている,
 国庫に還元されないのは言うまでも無い.

(注2) 悪名高いチェチェン・マフィアの根源がここにある.

(注3) 紛争地帯にパイプラインを通す愚か者がいるのか?という話になる.

CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月02日23:35


 【質問】
 チェチェン独立の代償は?

 【回答】
 闘争の末に独立を勝ち取ったチェチェンであるが,
「唯一機能している経済活動は?」
と問われれば,答は間違いなく「誘拐ビジネス」である.
 誘拐は週3回ペースで発生し,98年だけでもチェチェンに誘拐された人々は1415人にのぼり,身代金は1件につき1万〜400万ドルが相場であった.
 特にジャーナリスト・外国人がカモになりやすく,国内外でも報じられている.

 無論マスハドフ大統領も誘拐防止対策局を設置したが,劇的な改善に至らなかったのが現実であった(注1)

 こうして独立後は,まともな財政基盤を失い,ますます求心力を失ったマスハドフ政権.
 バサエフらに代表される過激派は,政権奪取に熱心であり,どちらかが主導権を握るかで,政治的紛争が収まるところ知らない状況下に陥った.

 独立を得た結果何が得られたか?
 せいぜいこう答えるのが精一杯である.

           「シャリア法廷と公開銃殺だけ」

 この壊滅的財政を救うには何が必要が?
 過激派が出した答が,ダゲスタン共和国を奪取し,チェチェンとダゲスタンによるイスラム統一国家を樹立.
 こうすればチェチェンの孤立を回避でき,資源が眠るカスピ海を掌握できるという戦略的な答えであった(注2)

 そしてこの戦略目標を実現させるために,バサエフらはダゲスタンに侵攻するが,敗退する惨めに結果になり,ロシア側の怒りを買い,独立を失う結果に繋がった.

(注1)  BP(英国石油)社員が誘拐され,発見された時には遺体となってきた事件が発生.
 誘拐ビジネスのせいで,国際的な支援を失う結果にも繋がっている.

(注2) カスピ海資源開発には,各国の強い思惑があることから,弱小国に過ぎないイスラーム統一国家に付け入る隙が無い所か,過激派を輸出する窓口になりかねないことから,周辺国にとってはかなり強い警戒感を与える結果にしかならず,かなり無理のある計画としか考えられない.

CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月03日00:01



 【質問】
 ダゲスタン侵攻を止めることは,チェチェン自身にはできなかったのか?

 【回答】
 当時のイングーシ共和国アウシェウ大統領は,こう発言していおります
「もしチェチェンを『野蛮な秩序の洞窟共和国』にしたくないなら,マスハドフは『鉄腕』を振るい,『独裁』を発揮すべきだ」

 ただ,マスハドフに,バサエフら過激派を“粛清”できたか?というと無理ですね.
 「血の復讐」という文化もそうですが,マスハドフは2度と内戦を繰り返したくないという強い思いがあり,過激派とは言え同じ同胞であることから,粛清のような行動を取る選択肢は,彼には無かったと考えられます.

 アウシェウ大統領の発言は,
「厄介事を持ち込むな.巻き込むな」
という苦情に過ぎませんね,
 本気で助ける気はさらさらないですし.

CRS@空挺軍 in mixi,2010年10月03日 00:11
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カディロフ政権の下で,チェチェンは安定するだろうか?

 【回答】
 好き放題できるとあって,最近調子に乗りつつあるラムザン・カディロフ大統領ですが,ここ最近の好き放題ぶりには,クレムリンも厭一定の警戒心を持ち始めたようです.

 現在チェチェンに駐留しているロシア連邦軍も半減しつつありますが,06年8月,プーチンはチェチェン共和国に駐留する約5万人の連邦軍を削減するように命じる大統領令に署名.
 これにより駐留するロシア軍は08年末までに,国防省旅団(1万5000人)内務省旅団(7000人),国境警備隊(3000人)が現地に留まるようです.
 親ロ派政府は,カディロフの私兵部隊を含め2万人の兵力を持つと言われております.

 このロシア連邦軍の削減に対して,カディロフは
「地元のチェチェン部隊だけで統治は可能」
と発言しており,将来的にロシア連邦軍全部隊の撤退を求める方針を「コメルサント」紙に語っている.

 現在のチェチェン共和国には,復興資金が大量に流入し,特に首都グローズヌイの再建が急ピッチに進んでおり,アパートや施設の再建が着々と進んでいます.

 グローズヌイの市長である,ムスリム・フチエフ市長は07年に
「一時は首都の80%が破壊されていたが,アパートなど900箇所のインフラを整備した.
 石油生産量も6年前の3倍に増加した」
と復興ぶりを強調しています

 しかしその一方では,カディロフ親子の個人崇拝が進み,恐怖政治が進行しているのも事実.
 現在のチェチェン情勢の安定化の背景には,長年の戦闘疲れ(第一次紛争は94年ですので14年経過)があり,親露派や独立派に厭戦気分があることが大きい.

 他にもチェチェンではベビーブームが起きており,一人当たりの女性が一生に産む合計出産率は3・8人と,ロシア連邦構成政体で最も多い.

 ただし,チェチェン人が20万人近くが死亡したと言われる,一連の紛争の傷跡は大きく,そう易々とチェチェン人の怨念が失われることはありませんし,隣接するイングーシ共和国では,当局との衝突事件も数多く起きていると言われています.

 ロシアのカフカス問題専門家,ボリス・マカレンコ(政治技術センター研究員)は06年時点で,こう予測した.
「チェチェンは,カディロフの独立王国の様相を呈しつつあり,今後どのような行動をとるか予測できない.
 カディロフはロシア連邦にとどまりながら,フリーハンドを握っている.
 やがて手の付けられない状況になる恐れがある」

 カディロフの父,アフマト・カディロフは03年,「コメルサント」紙でこう述べていた.
「チェチェンで採掘される石油収入の半分が,連邦政府に持ち去られている.
 チェチェンに税収のすべてを残すことが必要だ.
 将来,独自の石油会社を創設する」

 息子は父以上に独立精神が旺盛とされ,連邦政府とのあいだで経済権限分与協定の交渉を目指している.
 モスクワの傀儡と見なされていた親ロ政権が,独立色を強める可能性も否定できず,ロシア政府内でも復興資金が湯水のように使われ,かつ使途不明が多いことから,横領疑惑が浮上しつつあり,不満を募らせている.

 元々カディロフ親子は第一次は独立派で,独立派の内紛から親ロ派に寝返った人物であり,彼直属の私兵も元を辿れば独立派である.

 ロシアはチェチェン化政策を進めながらも,こうした親ロ派政権による独立志向を警戒し続けるだろう.

 というかカディロフ一派に肩入れし過ぎたロシア側にも,責任は大いにあるがね.

 【参考文献】
『「新冷戦」の序曲か メドベージェフ・プーチン双頭政権の軍事戦略』(木村汎, 名越健郎著, 布施裕之著,北星堂書店,2008.12)

CRS@空挺軍 in mixi,2009年01月04日15:45

▼ ロシアはカディロフを,北コーカサスの番犬代わりにするのであろうか?
 飼い犬に手を噛まれるという諺を知っているのかね?,ロシアは.

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アジアを読む 「テロ相次ぐ北コーカサス・イングーシ」

 隣接するチェチェンではもともと独立派でしたが,その後ロシア側に移り,ロシア軍の支援でいわば武力でチェチェンを安定させたカドゥイロフ共和国大統領が反対派を排除して,権力を固めています.
 独立派の武装勢力を投降させて,カドゥイロフツィと呼ばれる親衛隊を築いて,いわば力による権力を築き,なかなか連邦の側も手出しを出せない状況だと言われています.

 チェチェンのカドゥイロフ氏に,イングイーシやダゲスタンなどの治安維持を任せる,つまり北コーカサスの治安維持を任せるという考えが,クレムリンには出てきているように見えます.
------------------

 なかなかロシアが手を出しにくいのを好い事に,自らの権益拡大を目指していそうな感じがするんですけどね.
 犬というより狸だな,カディロフは.

CRS@空挺軍 in mixi, 2009年07月25日22:24
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 カディロフツィ(カディロフ一派)によるチェチェンの締め付けは,どのような有様なのか?

 【回答】
・チェチェン紛争のチェチェン化によって誕生

 チェチェン紛争で多くのロシア兵が死に,ジャーナリストが報道で紛争の現実を映し始めると,ロシア人や遺族達による反発が数多く出るようになり,攻撃反対デモや政権批判のデモが相次ぐようになった.
 内政に悪影響を及ぼし始めたのを危惧したプーチン政権は,それまでのロシアによる解決を撤回し,まずチェチェンに親ロシア政府を置いて,チェチェン人の手で過激派を壊滅させるように仕向けた.
 所謂「チェチェン紛争のチェチェン化」を目指したのである.

 この「チェチェン紛争のチェチェン化」を最初に実行した男が,元ムフティー(イスラム教の高位聖職者)のアフマド・カディロフである.
 元々カディロフは第一次チェチェン紛争際には,ロシアとの紛争は聖戦であるとして,独立派と共闘していたが,その後大統領になったマスハドフを,過激なイスラム教の一派であるワッハーブ主義を奨励していると強く非難し始めた.
 その結果,彼は大統領からムフティーのポストから外された.
 この一連の出来事に大統領に愛想をつかしたカディロフは,プーチン首相(当時)に接近し,第2次チェチェン紛争にはロシア側として参戦する.

 2000年6月にはカディロフはプーチンによってチェチェン行政府長官に任命され,ロシアのバックを受けた彼は,好き勝手な行政を行い始め,チェチェンを内側から孤立させようと努めた.
 この頃から,カディロフが率いる民兵組織も活発に行動し始め,チェチェン一般民衆に対して数々の狼藉行為を行い始めた.
 その悪評ぶりは凄まじいものであったという.
 また,彼が大統領に就任した頃に,「カディロフツィ(カディロフ一派)」と呼ばれる新興武装勢力が誕生した.
 アフマドの息子のラムザン・カディロフがその指導者として,組織を束ねていた.
 このカディロフツィ(カディロフ一派)は,身代金狙いや怨恨による誘拐・拷問・殺人・略奪etc,数多くの犯罪行為をひき起こしている.

・大統領爆殺,息子が大統領へ

 こうしてチェチェンにおいてロシアの後ろ盾を得て,急速に成長したカディロフ一派ではあるが,2004年5月対独戦勝記念の式典中にアフマド・カディロフ大統領は爆弾によって暗殺された.
 やもなくプーチンは,息子であるラムザン・カディロフを大統領にしようとした.
 憲法によって30歳以上ではないと大統領にはなれないことが規定されていたが,名実共に彼が大統領になっても可笑しくはなかった.
 その後06年には首相,07年には大統領へと就任し,「親ロシア派」チェチェン勢力のトップとして,今日まで君臨している.

 ただし傀儡政権とは言え,ラムザン・カディロフはプーチンの操り人形でないようだ.
 ロシアに対する面従腹背の感があるようで,ロシア政府から支給された復興補助金も殆どが使途不明で,チェチェンを自分勝手に動かしているというのが実情のようだ.
 とはいえラムザンが今後とも,ロシアに対して敵対的になることはありえないだろう.
 何故なら今の状態ならば,ロシアも眼を瞑ってくれているし,自分の力で思い通りにできるからだ.

 【参考文献】
『コーカサス 国際関係の十字路』(廣瀬陽子著,集英社新書,2008.7)

Russian Prime Minister Vladimir Putin, right, and Chechen President Ramzan Kadyrov, left, speak during their meeting in Moscow, Tuesday, Aug. 12, 2008.

ラムザン・カディロフ近影
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CRS@空挺軍 in mixi,2008年08月13日10:59


 【質問】
 何故ロシアはチェチェンを絶対に手放そうとしないのか?

 【回答】
 カスピ海のエネルギー開発が絡んでいるから.
 カスピ海からエネルギーを輸送するルートとして考えられているものの一つに,アゼルバイジャンとカザフスタンから西に,ソ連時代のパイプラインを利用し,ロシアのノボロシイスクに至るルートがある.ノボロシイスクからはタンカーで黒海を通過,トルコ海峡を抜けて地中海に出る.
 既にこのルートは,カザフスタンのテンギス油田とアゼルバイジャンのAIOCの油田からの原油輸送に使われている.
 しかし,バクーからノボロシイスクに至るパイプラインは,チェチェン中央部を横切るため,しばしば戦闘によって輸送が停止されてきた.
 カザフスタンからノボロシイスクへのルートは,チェチェンより北を抜けるが,北オセチアなど他の紛争地帯に近接している.

 ロシアがチェチェンを支配し,カスピ海沿岸の武装集団を押さえ込もうとしている背景には,明らかにこの2つのパイプラインを守る狙いがある.

 詳しくは,Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.151-152を参照されたし.
 なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事.

ロシア海軍歩兵@第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 ロシアがチェチェンを再支配したことによる,石油資源戦略上の意味は?

 【回答】
 江頭寛によれば,ロシアはカフカス地域に睨みを利かすことができるようになったという.
 事実,アゼルバイジャン,グルジアはプーチン政権とは良好な関係を保とうとする意思を見せ,カザフスタン,トルクメニスタンもアメリカ寄りからロシア寄りに大きく舵を切った.
 カザフスタンは「上海5」に参加,トルクメニスタンは米系企業によるカスピ海横断天然ガス・パイプライン計画に関心を失った.

 詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.130-131を参照されたし.

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 2006年現在,チェチェンにとって大きな問題は何か?

 【回答】
 ロデリック・ラインらによれば,深刻な問題が3つ.
 1. カディロフ一派が残忍で汚い,無法な方法でチェチェンを支配しており,まともな国造りをするつもりがないこと.
 2. 反対派がイスラーム過激原理主義分子に取り込まれてしまったこと.
 3. 北カフカスのほかの地方でも反乱の危険が増大し,実際に反乱が起きていること.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.81-82を参照されたし.
 同書は言う.
>ロシア政府にはまともな統制力もなければ戦略もない.


 【質問】
 プーチン大統領がチェチェンに対して行っている事は,強権政治と言えるのか?

 【回答】
 ロシア人もチェチェン人も共に被害者であると同時に加害者でもあるんだから,要するにロシア人もチェチェン人も,「どっちもどっち」.
 あと,テロが起きてるんだから,セキュリティ・レベル上げるのは,どんな国でも当り前.プーチンのやっていることは,イギリスのブレア首相がやってることと,そうは変わらない.

 以下引用.

――――――
 この問題については,ロシア人達が既に何百人もの犠牲を出しているテロの被害者である事を忘れてはならない.
 もちろん,テロの真の原因は,独立を認めないロシアの政策にあり,責任はプーチン大統領自身にあるという意見もあろう.
 しかし,プーチン大統領が首都周辺などで行っている治安対策は,その質において,英国においてブレア首相が批判を浴びつつ行っている治安対策と大きく変わるものではない.
 何らかの国家戦略からプーチン大統領がロシアを警察国家にしようとしていると見る見解には与することができない.
 これも「対処・反応」と言えよう.
 もちろん,このテロ対策が自由な経済活動を阻害している面はある.
 しかしそれは,最近の米国における国境管理の厳格化を見ても分かるように,現代社会が地球規模で抱える問題と言えよう.

――――――上垣彰=西南学院大学教授 in 「週刊エコノミスト」 2006/7/18号,p.36-37

▼ ロデリック・ラインらは,もっと簡潔に次のように述べる.

――――――
 ロシア政府には,現地で法と秩序を維持し,テロと戦う義務と責任がある.
 国内外の意見の不一致は,そこで展開される軍事行動の実態についてであって,テロに対抗するという原則についてではない.

――――――ロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.224

 なお,佐藤優は
「テロ対策というのは,ある程度,人権を侵犯するものにならざるをえない」
と述べている.
 テロリストの破壊殺傷技術が進歩するにつれ,その侵犯の度合いも増大するものとなるのが必然と言えよう.残念ながら.

プーチン画像
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(一部うそ)


 【質問】
 チェチェンでロシア軍はどのような活動をしているか?

 【回答】
 2000/2/4付「独立軍事評論」によれば、
「北カフカーズにおける対テロ作戦の防諜保障のために、連邦軍連合集団の下に、かなり大げさだが、ロシアFSB軍防諜局(UVKR)北カフカーズ地域(SKR)臨時作戦グループ(VOG)という正確な名称を有する特殊機構が創設され、現在、上首尾に機能している」
という.

 詳細は,
軍防諜員のチェチェン生活
を参照されたし.

 2005年5月には,チェチェン共和国内務省は,露治安部隊がイスラム武装勢力と交戦,同勢力幹部のバハ・アルサノフ同共和国元副大統領を殺害したと発表.
 アルサノフは,治安部隊が今年3月に殺害した同勢力最高指導者のアスラン・マスハドフ同共和国元大統領の側近.(五十嵐弘一 from 読売新聞,2005/5/15,抜粋要約)

 確かに,近年のチェチェン・ゲリラによる無差別テロは,もはや目標を選別するゆとりがない,追い詰められた状況に彼らがある事を示しているようにも見える.

 一方で,ロシア軍による暴行・弾圧・虐殺の噂も絶えないが,報道管制が敷かれているため,正確なところは不明.
 アンナ・ポリトコフスカヤ著「第二次チェチェン戦争」などのルポを参照されたし.

▼ また,ロデリック・ラインらによれば,チェチェンは最大の失敗であるという.
 テロはいまだに撲滅されておらず,ロシア軍の報復攻撃は効果が上がらず,重大な人権侵害はとどまるところを知らず,責任者の大半は処刑されず,2006年現在で犠牲者の数は数千人に達している.
 この紛争に関する連邦予算の一部は,政府高官や軍幹部の懐・別荘に流れ込んだと報じられている.
 チェチェン人の心を掴み,生活を再建するためになされたことは少なく,今や地方の行政も残酷な軍閥の手に委ねられているという.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.56-58を参照されたし.▲

ロシア海軍歩兵 in Chechen
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ロシア国内軍 in Chechen


 【質問】
 ロシアの治安部隊やチェチェンの地元当局は,人権と国際人道法に違反しているのではないか?

 【回答】
 ロデリック・ラインらによれば,その証拠は当初から山ほどあるという.
 武装勢力側も同じ罪を犯しているが,だからといって政府軍側もテロリストと同様の行為をしていい理由にはならない,と彼らは主張する.
 だが,道徳問題を云々して泥仕合にならないためにも,イラクやパレスチナなど同様の状況かでは,他の国の部隊も人道的というには程遠い状態だったと認めなければならないとも述べている.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.225を参照されたし.


 【質問】
 チェチェン問題を交渉によって解決することは可能か?

 【回答】
 ロデリック・ラインらによれば,武装勢力を率いているのは交渉不可能な過激派であるため,それは不可能だという.
 むしろ安易に政治的解決を要求するのは控えるべきだという.西側も,アフ【ガ】ーニスタン,イラク,パレスチナなどの厄介な紛争地域では,自分達も平和樹立に散々苦労していることを忘れてはならない.
 その上で,ある程度の沈静化は可能だろうし,そうしなければならないと,彼らは述べる.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.224を参照されたし.


 【質問】
 チェチェン問題に対し,ロシアがとるべき最善の方法は,どのようなことなのか?

 【回答】
 ロデリック・ラインらによれば,ロシアは,これまでとってきた戦術・戦略を失敗と認め,これを変更しなければならないという.
 チェチェンに限定せず,北カフカス全体を対象とし,
・低強度紛争を処理する訓練を受けた,規律ある治安部隊を最小限投入する
・高いレベルのシビリアン・コントロール下で,指揮命令系統を一本化する
・政治制度を整備する
・公正で独立した司法機関と法執行機関を整備する
・公民権や参政権を保証し,民族差別を防ぐ仕組みも整備する
・腐敗防止と経済資源・機会の公平な分配を含む,経済開発に向けた努力を行う
・教育,医療,住宅などの社会問題に取り組む
といった提案を,彼らは行っている.
 これらのアプローチでも早急な解決は望めないが,現在のアプローチの継続は,紛争を拡大長期化する可能性のほうが大きいだろうという.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.225-227を参照されたし.


 【質問】
 チェチェン問題に対し,国際社会がとるべき最善の方法は,どのようなことか?

 【回答】
 ロデリック・ラインらによれば,まず紛争が北カフカス全体に拡大しかねないことに注意すべきだという.
 その上で,ロシアが現在のやり方を変更し,適切なアプローチをもって紛争解決を目指すのなら,国際社会はロシアを積極的に支援する準備を整えるべきだという.

 詳しくはロデリック・ライン他著『プーチンのロシア』(日本経済新聞社,2006/11/17),p.254を参照されたし.


 【質問】
 チェチェン共和国にゲリラの要塞っていくつあったの?

 【回答】
 チェチェンのゲリラがもっていた要塞は,グロズヌイ,グデルメス,アルグンシャリ,バトーム,シャトイ,ヴェジェノ.
 96年初頭にはゲリラの支配地域は,ロシア軍による三方向からの侵攻で大きく縮小し,アチホイマルタンまで後退.
 最初に書いた3つの要塞は陥落(といえるのかどうかわからないが).
 この第一次チェチェン紛争で3万5千人以上が死んだ.

名無し上級大将 ◆80fYLf0UTM in 軍事板

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 ロシア以外の主要国は,なぜチェチェンの人権問題に見て見ぬふりなのか?

 【回答】
 それがイスラーム過激原理主義者支援になりかねないので,二の足を踏んでいる.
 また,ロシアが石油輸出国だから,という理由もある.

 詳細は,
辻雅之「チェチェン紛争基礎知識」その3
を参照されたし.

▼ ちょうど9・11という事件が起き,世界中がテロに対する怒りと恐怖に包まれた.
 このチャンスを逃すロシアではなかった.
 彼らはチェチェン問題を「テロとの戦い」に組み入れる事に成功し,安保理決議を有効に活用し,各国に「テロとの戦い」に対する協力を求めた.
 そしてチェチェン独立派の過激派が,モスクワ劇場占拠事件・ベスラン小学校占拠事件・カディロフの父を暗殺といった「テロ」戦術をとるようになったことも後押しになり,結果的には過激派は「テロとの戦い」というプーチンの方針を正当化する行動をとってしまったとも言える.

 穏健派のマスハドフは「テロ」戦術を批判していたが,彼にバサエフら過激派を止める力がなかったのが,悲劇としか言いようが無い.
 ただ心情としては,荒廃した祖国をまた戦場へと駆り立てるのはなんとしてでも避けたかったのだろう・・・
 今となってはわからないが.

 【参考文献】
ユーラシア研究所『ユーラシア研究』No.39(東洋書店)2008年11月
富樫耕介「第二次チェチェン戦争の経緯と現在の課題」

チェチェン共和国首都グロズヌイにて戦勝記念パレードが・・・・ (2009年)
カディロフの独裁ぶりに歯止めが掛かるのはあるのでしょうか?
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CRS@空挺軍 in mixi,2009年05月12日00:28


 【質問】
 グルジア・パンキシ渓谷が,チェチェン武装勢力にとっての安全地帯となっているのは何故か?

 【回答】
 江頭寛によれば,まずパンキシ渓谷は,何世紀にも渡って戦争や交易の要衝として利用されており,19世紀初めにグルジアがロシアに併合されると,同渓谷にチェチェン人が住み着いていたという.

 また,グルジアはロシアの影響力を押しとどめる緩衝国家の役割を,チェチェンが果たしてくれることを期待しており,チェチェン独立を達成する主体として,マスハドフ派に期待をかけているからだ,と江頭は述べている.

 1999年のチェチェン紛争以来,同地にはチェチェン難民の流入と共に,数千人の武装勢力が逃げ込んでいると,ロシア側は主張している.

 詳しくは,江頭寛著『プーチンの帝国』(草思社,2004.6.22),p.245-247を参照されたし.

画像は第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 USACCとACPCとは?

 【回答】
 USACC(米国・アゼルバイジャン商工会議所)は,両国間のビジネス協力,相互理解,対話を目的に,米国によって1995年に設立されている.
 J.W.ブッシュ政権のチェイニー副大統領やアーミテージ国務副長官も,政権入りするまでここのメンバーを務めており,現在ではベーカー元国務長官,ブレジンスキー元大統領補佐官,キッシンジャー元国務長官,スコウクロフト元大統領補佐官,バール元国防政策委員会委員長,そしてロイド・ベンツェン元財務長官,ジョン・スヌヌ元首席補佐官(言共和党上院議員)等,主要閣僚経験者が顔を揃えている.
 USACC設立趣旨は,
「豊かな農業生産性と天然資源に恵まれたカスピ海の西南岸に位置するアゼルバイジャンは,米国と自由主義諸国にとって地政学的に,かつ戦略的に,極めて重要な国である」
となっている.

 ACPC(チェチェンの平和のための米国人委員会)は,ブレジンスキー元大統領補佐官とアレクサンダー・ヘイグ元国務長官,スティーブン・ソラーツ元下院議員の3名を共同議長にして1999年に設立された.
 その名の通り,チェチェン紛争の平和的解決を目指したNGOであるが,民主化,人権保護,難民救済などの米国の理想主義が強く打ち出されており,ネオコンの有力者が多数参加している.

 この地域一帯を「ユーラシア・バルカン」と名づけたブレジンスキー元大統領補佐官本人がUSACCとACPCに参加している点は興味深い.
 ブレジンスキーは,企業や金融機関向けのアドバイスを手がけるZ.B.の社長として,米国のグローバル企業と関係しており,グローバル・ビジネス・リアリストとアカデミック・リアリストの2つの顔を持っている.
 この点はキッシンジャー元国務長官やライス大統領補佐官などと共通しており,リアリストならではの実践主義が読み取れる.

 この地域は,19世紀には帝政ロシアと大英帝国が勢力圏争いを行った「グレート・ゲーム」の舞台だったが,旧ソ連崩壊によって,米国・欧州・ロシア・中国・そして日本を巻き込んだ「ニュー・グレート・ゲーム」が既に始まっている.
 石油・天然ガスなどの宝庫であり,21世紀の新たな火種となる水資源にも恵まれている上,石油・天然ガス・パイプライン網が相次いで建設され,国連主導で動き始めている,ユーラシア全般に広がる道路・鉄道計画では,ユーラシア西端と東端を結ぶ中継地に位置している.
 つまり,ユーラシアの語源であるユーロとアジアを繋ぐ役割も担っている.

(園田義明「最新・アメリカの政治地図」,講談社新書,2004/4/20,p.76-78,抜粋要約)

第1次チェチェン紛争
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 【質問】
 ヨルダンのチェチェンコミュニティーについて教えてください.

 【回答】
 実はヨルダンには,チェチェン国外では最大規模のチェチェン人コミュニティーが存在する.
 ヨルダンに住むチェチェン人は9000人以上.
 約1600世帯が暮らしている.
 チェチェン人はコミュニティーの中ではチェチェン語を使い,伝統や習慣を守ってきたという.

 現地ではチェチェンからの移民は「モハジール」と言われている.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


 【質問】
 いつ頃チェチェン人はヨルダンへ渡ってきたのか?

 【回答】
 1864年,ロシア皇帝アレクサンドル二世がチェチェン人をトルコ人へ引き渡すことを決めた,
 露土戦争で,チェチェン人がトルコ側についたというのが追放の理由だった.
 当時のオスマンは,帝国の一部であったヨルダンへ,チェチェン人の移住を進めた.
 1911年までのチェチェン移民は3500人程で,アンマン郊外とエスザルカという町に住んでいた.
 その後,彼らはそのコミュニティーを大きくした.

 チェチェン・コミュニティーのヨルダンでの社会的地位は高く,彼らは教育熱心であり,今では政府高官をはじめ,議会でも議席を持ち,特に軍での活躍ぶりが目立っている.
 司令官のポストにまで上り詰める人物もいる,
 また,ビジネス界でも成功を収めるようにまでなった.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


 【質問】
 国外のチェチェン・コミュニティの中でも,チェチェン独立への支援活動はあったのか?

 【回答】
 チェチェン独立運動が始まった1990年代はじめ,ヨルダンのチェチェン・コミュニティーで義勇軍を作ろうという動きがあったし,ドゥダーエフ大統領時代には,チェチェンの独立を支持する集会が頻繁に開かれ支援の動きが盛り上がったことは確かです.
 ヨルダンからの帰還チェチェン人であった独立政権のユセフ外相(当時)は,イスラム諸国からチェチェン入りする義勇兵が「10万人にものぼるだろう」と表明していました.
 グロズヌイで復興されたイスラム大学には,ヨルダン・シリア・エジプトからのイスラム聖職者や教師が招かれました.

 チェチェン・コミュニティーはヨルダン王室にも様々なルートから,「チェチェン独立を指示して欲しい」と働きかけ,議会にも働きかけました.
 ヨルダン議会は「独立支持」を表明したものの,ロシアとの関係を重視していた当時の故フセイン国王は,クレムリンからの圧力に押されて,チェチェンの独立には賛同しませんでした.

 ヨルダンの治安情報によれば,1996年,チェチェンのシャリ地区のセルジェニユルトという村で,ヨルダンのチェチェン・コミュニティーからの資金協力によって,
「イスラムによって徴兵されたカフカス・センター」
と呼ばれる組織が作られた.
 独立を資金面・宗教的・思想的に支援する目的だったようである.
 ロシア当局側は,ここが「テロ訓練センター」で,武装勢力を支援したとみている.
 この組織はバクーとキエフにも支部を作ったとされる.

 テロの支援をしているかはさておき,チェチェン人達はヨルダンのみならず,中東のアラブ首長国連邦のドバイ・カタールへと移住した者も少なくなく,彼らが資金面でも独立運動を支えてきた.
 またチェチェンは,アラブ諸国の正統イスラムや原理主義運動を受けるようにもなった.

 【参考文献】
『チェチェンの呪縛』(横村出著,岩波書店,2005.7)

CRS@空挺軍 in mixi,2007年12月27日22:58


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