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◆◆◆2008年ムンバイ襲撃事件
<◆◆インド(含カシミール)
<◆イスラーム過激原理主義 目次
テロリズムFAQ目次


(military.photosより引用)


 【link】

「VOR」◆(2012/04/16) 「オバマ逮捕」に1600万ドルの賞金
> 米がジャム・カシミール州の印からの分離を目指して武装闘争を続け,
>166人の犠牲者を出したムンバイ同時テロなどを行ってきた「ラシカル・エ・タイバ」の
>指導者はフィズ・ムハメドフを指名手配し,逮捕に繋がる情報には賞金を
>出すと発表した事について,英のアフメド上院議員は不満を表明し,
>オバマ大統領とブッシュ前大統領を逮捕した人物には1000万ポンドの賞金を出すと発表.
> アフメド議員は英におけるイスラム社会の権利擁護の為に活発に活動しており,
>「米の隷属下にある対テロ世界戦争」と定期的に批判している.

「VOR」◆(2012/06/26) ムンバイ同時多発テロ インドで重要容疑者の1人拘束

「VOR」◆(2012/11/26) インドのムンバイ 2008年テロ事件の犠牲者を追悼

「WP」◆(2010/12/24) Police search Mumbai for 4 in alleged terror plot


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件とは?

 【回答】
 2008/11/26夜〜27未明に,ムンバイ中心部の,鉄道駅や高級ホテルなど約10カ所で発生した,銃乱射や爆破によるテロ事件.

 ムンバイ(旧ボンベイ)は,インド西海岸マハラシュトラ州の州都で,同国の金融・商業の中心地.
 大衆娯楽映画産業「ボリウッド」の中心地としても知られる.

 PTI通信によると,最初の襲撃は26日午後9時半(日本時間27日午前1時)ごろ,繁華街最南部コラバ地区のレストランで発生.

 その後,インドを代表する高級ホテルであるタージ・マハル・ホテルやトライデント・ホテルが襲われ,武装グループ数人がこれらのホテルに立てこもった.

 襲撃当時,タージ・マハル・ホテルのロビーにいた欧州議員団の一員,カリムがAP通信に語ったところによれば,
「突然,外で激しい銃声が聞こえたと思うと,マシンガンのような武器を持った武装集団が目の前に現れた.
 そしてわれわれに向けて発砲し始めた.
 反対方向に走って逃げた」
 外の安全が確認できないため,カリムはしばらく,ホテルのレストランで身を潜めていたという.

 ある目撃者は,犯行グループが米国や英国のパスポートを保有している15人前後を人質に取っていたと語った.
 CNNのアンカーマンによると,タージ・マハル・ホテルの宿泊客の半数が西洋人だったとみられる.

 大阪市の三品有紀(27)は,タージ・マハル・ホテル近くにある欧米人に人気のカフェに飲みに出掛け,事件に遭遇.以下のような主旨の証言をしている.
「2階の席に着こうとした瞬間,「ダダダダダ」と音が響いた.
 三品は一瞬「花火かな」と思ったが,すぐに銃声と分かった.
 悲鳴が上がる中,しゃがみ込んだ.
 周りにいた人が逃げようと,店内の奥にある物置の扉を壊した.
 犯行グループが上がってこれないよう,1階から2階に通じる扉を誰かが閉めた.
 15人ほどと一緒に物置に入り,隠れた.
 その間も,乱射される銃の音が続いた.

 しばらくすると,警察官が来て外に連れ出した.
 カフェの1階はさまざまな物が散乱し,粉々になっていた.
 三品さんは「2階への扉が閉まっていなかったら,死んでいたかもしれない」と緊張した声で話した.
「ヘルプ,ヘルプ」
 同ホテル裏の宿泊先に戻ると,欧米人とみられる男性の叫び声が,ホテルの方から何度も上がった.
 警察官がホテルを取り囲み,銃声や爆発音が散発的に聞こえた」

▼ 北京市出身でタージマハル・ホテル内の「ゴールデンドラゴン中華レストラン」でシェフをつとめる男性(49)によれば,同ホテル3階で暮らしていた彼が11月27日午前8時ごろ,娘を大学に送っていこうとロビーに下りると,床が血まみれで,警察と犯行グループが互いに銃撃戦を繰り広げているのを目撃.
 このため彼は,娘とともに床に伏せたという.▲

 PTI通信によると,人質またはホテルに閉じ込められた人は,米国人やイスラエル人らとみられる外国人を含め,200―300人に上った模様.
 タージマハルホテルでは数人〜45人が捕らえられ,インドの治安部隊がホテルを包囲.
 時折激しい銃撃戦が展開され,ホテルのプールには遺体が浮いた.

▼ ムンバイの開業医プラシャント・マンゲシーカー(52)と,その妻のティル(48)は26日夜,同ホテルで開かれた長女(21)の友人の結婚パーティーの最中に銃撃に遭い,逃げ込んだホテル新館3階の会議室で約11時間過ごした.

 夫妻によると,約50平方メートルの会議室に,パーティー出席者や宿泊客ら約40人が避難.
 入り口に机でバリケードを作り,壁際に肩を寄せ合うように座り込んで,小声で話したという.
 ティルさんは警察やホテル側に,携帯電話で状況を報告.
 背中から胸にかけて弾が貫通した男性もおり,シーツで強く巻き,止血したという.

 27日午前1時半ごろ,ホテル従業員の情報で一部の客が脱出を図ったが,犯行グループに撃たれた.
 空が白み始めた同日早朝,警察が突入し,ホテルの裏口からようやく脱出できた.
 ティルは「女性はトイレを我慢していた.絶望的な状況だったが,皆で助け合うことができた」と振り返った.▲

 ホテルには火災も発生し,武装集団が警察の突入を防ぐため,屋上から手榴弾を投下する中,消防士がはしご車を使って上層階の窓を割り,救出活動にあたった.

 治安部隊は27日,救出作戦を展開.
 地元マハラシュトラ州警察幹部は現地のテレビに対し,タージ・マハル・ホテルの人質が「全員救出された」と言明した.

 また,軍事用の強力な爆発物RDX8キロがタージ・マハール・ホテル付近の飲食店から発見され,新たな爆弾攻撃が計画されていた可能性が明るみになった.

 トライデント・ホテルでは,そのレストランにいた英国人アレックス・チェンバレンによれば,自動小銃を持った20代とみられる男がレストランに押し入り,30―40人を調理室に移動させた後,米英人はいないか問い始めた.
 チェンバレンは男に気付かれずに非常口から逃れたが,その直前,付近で銃撃音が鳴り響いたという.
 犯人らはジーンズとTシャツを着た若者だった.

 オベロイ・ホテルではAP通信によると,犯人は22,23歳でヒンディー語かウルドゥー語を話していたという.
 テロリストは,英国か米国のパスポートを持っている者はいないかと尋ね,レストランにいた英国人の1人は,とっさにイタリア人と答えたために助かったという.
 同ホテルには27日朝,警察の特殊部隊100人前後が突入し,19階から外国人4─5人を救出した.

 ターミナル駅のチャトラパティ・シバジ駅,病院,映画館なども自動小銃や爆弾で襲撃され,死者が出た.
 ターミナル駅のチャトラパティ・シバジ駅にいた目撃者は,旅行客らでごった返す駅舎で
「リュックサックを背負った2人組が立ち止まり,突然,銃を撃ち始めた」
「彼らはただ手当たり次第に人々に向けて発砲して,逃げていった」
と語った.

▼ チャトラパティ・シバジ駅構内の食堂で働くチョウリー(24)によると,26日午後9時45分ごろ,駅の裏口から構内に入ってきた若い男2人のうち1人が手投げ弾を投げた.
 もう1人が乗客らに,自動小銃を乱射し,銃撃と爆発は30分近く続いたという.
 チョウリー
「駅にいた警察官は警棒しか持たず,射殺された」
と述べている.▲

 警察によれば,2人組はカラシニコフ自動小銃と手投げ弾で武装.
 同駅だけで10人が殺害された.

▼ 立てこもり事件は市内のカマ病院でも発生したが,27日朝までに解決した.
 病院でも銃撃が起きたとの情報も伝えられるが,犯行グループの人数などははっきりしない.
 当時,敷地内にいて自らも負傷した警備員(45)は,裏の壁を乗り越えて侵入した2人にいきなり銃撃された,と話した.
 カマ病院のマヘシュガウリ院長によると,同病院は小児科と産婦人科が中心の公立病院で,病棟には当時,新生児を含め母親と子供ら約100人がいた.
 銃声を聞いた各階の看護師が,病棟中央の階段やエレベーターホールから病室につながる扉を閉鎖.さらに照明を消し,患者を部屋の奥に誘導,避難させた.
 このため,容疑者2人は1階から6階の病室には入らず,会議室しかない7階まで上ったところで警官隊と銃撃戦となった.
 だが,2人の武器は強力で,結局,逃げられたという.▲

 さらに,武装集団は2つのホテル以外に複合ビルも占拠,同ビルに入居するユダヤ教関連施設の聖職者が人質となったという.
 占拠された複合ビルにはユダヤ教の関連施設が入居しているという.

 このテロでは日本人も,出張中の三井丸紅液化ガス社員,津田尚志(享年38)がトライデント・ホテルにて死亡,同僚の結束達也(当時44)が負傷した.
 他に宿泊客ら日本人計10人が,武装グループが立てこもる2つのホテルから脱出できない状態になった.

▼ 最終的には11月29日午前,特殊部隊などによる制圧作戦が成功し,発生から約60時間後に鎮圧された.
 犯行グループが最後まで抵抗していたタージマハルホテルでは,テロリスト3人が殺害されて制圧された.▲

▼ 外国人では英国人1人,オーストラリア人1人を含む6人,同州テロ対策部隊の幹部,警官には11人の死亡が判明している.

 ムンバイ中央管制室の警官はロイター通信に対し,テロリスト4人を射殺,9人を拘束したと語った.

 専門家の間では一般的に,こうしたテロはムスリムとヒンズー教徒の対立を煽ることが目的と考えられており,インド社会の不安定化を狙ったものと分析されている.

 【参考ページ】
「時事通信」:ムンバイ同時テロ(地図・写真共)
2008年11月27日8時24分付,ロイター
2008年11月27日10時15分付,CNN
2008年11月27日12時40分付,時事通信
2008年11月27日13時17分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年11月27日16時4分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年11月27日17時57分付,時事通信
2008年11月27日18時3分付,産経新聞
2008年11月30日8時1分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年12月1日3時5分付,読売新聞
2008年12月1日8時0分付,NNA
2008年12月1日11時22分付,サーチナ
2008年12月2日8時1分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年12月5日21時19分付,産経新聞

 【関連リンク】

「militaryphotos」:Mumbai counter-terror operations 26-27 Nov

「wikipedia」:ムンバイ同時多発テロ

「時事通信」:〔写真特集〕ムンバイ同時テロ

「週刊オブイェクト」:「ラシュカレトイバ」「タリバーン」の背後にいるパキスタン三軍統合情報部ISI

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火の手が上がるホテル
(こちらより引用)


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロにおいて,インド当局は事前に情報を掴んでいたのか?

 【回答】
 米テロ対策当局者がCNNに語ったところによれば,少なくとも1カ月前には米情報機関は,犯行グループが海上からインドに入国し,ムンバイでテロを実行する可能性があるとの情報を掴んで,インド政府にムンバイが海上から狙われる可能性があるとの情報を伝えていたという.
インドの治安当局もCNNの取材に対し,それを認めたという.
 インド当局は,この情報を受けて1週間にわたり警戒を強め,ホテルなどの警備も強化したが,その後,警戒を緩めたという.

 また「デカン・ムジャヒディン」が,デリーのインディラ・ガンジー国際空港と3つの主要鉄道駅でのテロを警告する内容の電子メールを,警察当局に送っていたことも明らかになっている.

 さらに地元紙によれば,9/18には治安部隊「NSG」がタージマハルホテルに,「テロの標的にされている」と警告.
 11/18には情報機関「RAW」が,パキスタンのカラチにあるラシュカレトイバの拠点から発信された「貨物船が目的地に向かっている」との衛星電話での会話を傍受し,NSGや海軍などに連絡した.
 さらにまた,ムンバイの漁業組合は4カ月も前に,RDX爆薬を積んだ漁船がムンバイに入港したとの情報を当局に知らせたが,無視されたとしている.

 タージマハルホテルのオーナーでタタ財閥のラタン・タタ会長は地元紙のインタビューで,警告を受けたが2カ月たって何も起きなかったため,直前に警戒を緩めていたことを認めている.

 【参考ページ】
2008年12月2日8時1分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年12月2日11時51分付,NNA
2008年12月2日13時36分付,CNN


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロにおいて,テロリストたちはどういう経路で侵入したのか?

 【回答】
 実行犯の中で唯一生きて逮捕されたモハマド・アジマル・アミル・イマンの供述によれば,カシミール地方のパキスタン側などにある「ラシュカレ・タイバ」施設で,ムンバイ襲撃用に戦闘や船舶航行の訓練,襲撃目標の写真や地図を渡されてのブリーフィングを,数ヶ月に渡って受けた後,11/23早朝にボート5隻でパキスタン南部のカラチを出港.
 途中でインド船籍の漁船を乗っ取ってムンバイ沖に着いた後,ゴムボートに乗り換えて上陸.
 上陸後は各自がタクシーで襲撃目標に移動したという.

 地元の漁業関係者も,武装グループが11月26日にボートを停泊させ,上陸するのを見たと証言している.

 また,関係者がCNN−IBNに語ったところでは,ムンバイ沖を漂流していたボートから,電話とGPS端末が見つかったという.
 情報当局者によれば,ボートは乗っ取られたもので,乗っていた船員4人が行方不明.
 船長は後ろ手に縛られた状態で,うつ伏せに倒れて死亡していたという.

 さらに現地紙などによれば,実行犯の一部は犯行の数週間前から,タージマハルホテルで料理人として働いたり,ホテルに宿泊して事実上の“テロ指揮所”を開設していたりしたほか,マレーシア人学生と偽って市内に部屋を借り,武器や爆発物の備蓄もしていたという.

 【参考ページ】
2008年11月30日8時1分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年12月2日13時36分付,CNN
2008年12月2日19時57分付,読売新聞(永田和男)


 【質問】
 ナハリヤ・ビーチ上陸テロ事件とは?

 【回答】
 1979年,イスラエルのナハリヤ Nahariya の浜辺に,Samir Kuntar率いるテロリスト・グループが高速艇で上陸,警察官や民間人 Danny Haran と,その4歳の娘,Einat を射殺した事件.
 2008年にKuntarは捕虜交換でイスラエルから釈放され,シリアのダマスカスで受勲したという.
 AMI PEDAZHURはニューヨーク・タイムズ紙上にて,ムンバイ同時多発テロでのテロリストの侵入の手口は,この事件を髣髴とさせると述べている.

 詳しくは,2008/12/20付,「ニューヨーク・タイムズ」を参照されたし.

【ぐんじさんぎょう】,2009/1/5 22:42
に加筆


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロにおけるテロリストの装備は?

 【回答】
 自動小銃や手榴弾,爆薬などで武装していたという.

▼ PTI通信によれば,欧米の捜査官らは,実行犯が使用した武器弾薬がアフガニスタンで使われている物に極めて類似している,との見解を示しているという.▲

 また,「The Indian Express (India)」:Terror 2.0によれば,彼らはGPSを用いて目的地に到達し,連絡には衛星電話が使われたという.
 これらの技術を適切に用いたことが,今回のテロの成功の最も重要な要因になった,と同記事は述べている.

 詳しくは同記事を参照されたし.

 【参考ページ】
2008年12月16日8時0分付,NNA


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロにおいて,インド国内に協力者はいたのか?

 【回答】
 インド警察によると,2008年2月に別のテロ事件で逮捕した,元インド学生イスラム運動(SIMI)メンバー,ファフィーム・アンサリが関与していたという.
 アンサリは,2007/11/28〜12/10の間ムンバイに滞在し,タージマハル・ホテルや中央駅,ムンバイ証券取引所などが描かれた地図を作成とされる.
 この地図のコピーはテロ実行犯全員が持っていたという.
 また,テロ実行犯の携帯電話のSIMカード(契約者情報を記憶したICカード)は,いずれもバングラデシュ人の名前で,インド国内で購入されたものという.

 【関連リンク】
2008年12月5日21時19分付,産経新聞


 【質問】
 結社D(D-Company)とは?

 【回答】
 英国のジャーナリスト兼東南欧専門家であるMisha Glennyによれば,Dawood Ibrahim率いる大規模な組織犯罪結社.
 ムンバイへの密輸ルートの大部分を牛耳っているという.
 ムンバイ同時多発テロにおいて,テロリスト達が上陸した Sasool 岸壁もまた,結社Dの支配下にあり,Glennyは,このテロの成否の鍵を握っていたのは,間違いなくこの犯罪組織だろうと述べている.

 詳しくは,2008/12/1付,「ガーディアン」紙を参照されたし.

 「東南ヨーロッパの専門家」でしかないため,信憑性には留保を付けておきたいところだが.


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロでは,何ヶ所が攻撃を受けたのか?

 【回答】
 この事件は10箇所で発生した大規模な同時多発テロです.
 そのほぼすべてが南ムンバイの以下の地で起きています.

・チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅 (CST)
・五つ星ホテル,ナリーマン・ポイントにあるオベロイ・トライデント(Oberoi Trident)
・同じく五つ星ホテルのタージマハル・ホテル(Taj Mahal Palace & Tower).
・ムンバイのコラバ地区で旅行者に人気のレストラン,レオポルド・カフェ.
・二つの病院.カマ病院と,ゴークルダース・テージパール病院.
・ユダヤ教正統派のムンバイ・ハバド・ハウス

おきらく軍事研究会,平成20年(2008年)12月1日


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロによる損害は?

 【回答】
 ホテルなど施設に対する物理的被害のほか,テロによる死者は195人,負傷者は約300人.

 内務省の発表によると,外国人の犠牲者は22人.
 オベロイ・トライデント・ホテルで武装集団の銃撃を受けて亡くなった日本人・津田尚志(38)のほか,国籍が判明しているのは,米国人,英国人,イスラエル人,ドイツ人など16人.

 インド治安当局側も,警察官など20人が死亡している.

 マハラシュトラ州の当局者は29日の記者会見で,これまでの捜査結果に基き,犯行グループが5000人の殺害を計画していたと述べている.

 旅行各社は2008年12月の売上が25〜30%ダウンすることを覚悟しているという.
 毎年12月と1月は外国人観光客による売り上げが50%を占める書き入れ時だが,今年はテロで打撃を受ける見通し.

▼ 事実,同時テロ前には,ムンバイを訪れる外国人の数が1日3,000人いたが,テロ後は600人に減少しており,特にパキスタン人の来訪が減っているという.▲

 今回のテロが輸出業者に打撃を与えるとの懸念も高い.
 国内の繊維やアパレル会社の中には,欧米のバイヤーから訪印の延期やキャンセルが相次いでいるという.

▼ だが一方,≪ WEB 熱線 第1106号 ≫2008/12/03の「インド事報・インド徒然」は,

> 一時的に出張者・観光客の減少は仕方ないが,
>投資や日常ビジネスに大きな影響が出るとは考えにくい.

> 〔今回のテロが悪影響を与えるという話は,〕奥深い巨大なインド市場の実態を知らない輩の
>思い付き的表現だろう.

>精神的気弱な日本企業や日本人サラリーマンがビビッても,
>他の国のアグレッシブな企業・ビジネスマンが動く.

などと,上述の報道に対して懐疑的な見解を示している.▲

 【参考ページ】
2008年11月30日13時0分付,CNN
2008年12月1日8時0分付,NNA
2008年12月19日8時30分付,NNA


 【質問】
 ムンバイ同時多発テロの犯人は何者か?

 【回答】
 自動小銃や手投げ弾で武装した多数のテロリストが,短時間でホテルなどを占拠していることから,
「軍隊並みの訓練を受けた組織による計画的犯行」(地元警察)
とみられている.

▼ タージマハル・ホテル制圧にあたった奇襲部隊隊長は記者会見(11/28)で,
「犯人はホテルの構造を熟知しており,事前調査をしていたようだ」
と述べ,高度な訓練を受けた犯行グループが綿密な計画の下で犯行に及んだとの認識を示している.
 隊長は犯行グループの熟練度について,
「誰もがあのようにカラシニコフ自動小銃を撃ち,手投げ弾を使えるわけではない.
 どこかで訓練を受けていたのは間違いない」
と米CNNテレビで指摘した.▲

 また,イスラーム過激派の犯行である可能性が濃厚.
 中でも,首都ニューデリーやジャイプールで爆弾テロを起こしているイスラム過激派のインディアン・ムジャヒディンだとする見方が強まっている.

 犯行声明は,「デカン・ムジャヒディン」を名乗る組織から27日,PTIなど複数の報道機関に電子メールで送られている.
 また,ホテルに立てこもっている男の1人も同日,地元テレビに電話で「デカン・ムジャヒディン」という組織に属しているとした上で,
「インドで逮捕されたムジャヒディン(イスラム聖戦士)全員を釈放」
するよう要求している.

 デカン・ムジャヒディンの存在は,ニューデリーでインド周辺のテロ組織を調べている紛争管理センターでも確認していない.
 ただ地元メディアによると,立てこもっている犯行グループは,
「インド国内のイスラム教徒を迫害してきたことへの報復だ」
としており,インディアン・ムジャヒディンが行ってきた主張と全く同じだという.

 同組織は非合法組織「インド学生イスラム組織 Students Islamic Movement of India 」が母体.
 ムンバイはもともとイスラム教徒とヒンズー教徒の衝突頻発地域で,イスラム系のテロ・グループによる爆弾テロがしばしば起きているが,そのほとんどのケースで彼らが主犯とされている.
 彼ら自身,7月のアーメダバードや9月のニューデリーでの同時爆弾テロを認めている.
 その犯行声明では,一連のテロは2002年にグジャラート州で起きたヒンズー教徒との抗争でイスラム教徒約3000人が殺されたことへの報復だとしていた.
 さらに,今年9月に地元メディアに送ったメールでは,ムンバイ警察の反テロ部隊が行った取り締まりを非難し,特に今回,テロリストに殺害された同部隊の隊長を名指しで批判していた.

 また同組織は,パキスタンに根拠を置くイスラム過激派の支援を受けているとされ,特に,カシミール地方のインドからの分離独立を主張するテロ組織「ラシュカレトイバ Lashkar-e-Tayyba(正義の軍隊,高潔者の軍隊)」との関係も指摘される.
 ニューデリーの事件後,射殺されたリーダーの1人も何者かから資金援助を受けていたとされる.

 ラシュカレトイバは,以前から国際テロ組織アルカーイダとのつながりが指摘される組織.
 その本拠地はパキスタン・ラホール近郊のムドゥリケで,実質的な上部機関はパキスタン国軍の情報機関「統合情報局」(ISI).
 パキスタンのムシャラフ前大統領が,米国の要請を受けて取り締まり姿勢を強めて以降,インド国内への浸透をはかっていた.

▼ なお,Emily Wax & Rama Lakshmiによれば,インドやアメリカの捜査当局は,本事案の首謀者はラシュカレ・タイバ Lashkar-i-Taiba 指導者,Yusuf Muzammilだと見ており,ライス米国務長官はパキスタンに対し,Muzammilなどの容疑者をインドに引き渡すよう促しているという.
 インドがMuzammil以外に引渡しを求めているのは,ラシュカルの司令官 Zaki ur-Rehman Lakhwi と,ISIの元director,Hamid Gul.▲

▼ そして2008/12/8付,「ガーディアン」紙(Saeed Shah執筆)によれば,7日,パキスタン治安部隊はヘリボーンでラシュカレ・タイバのキャンプを急襲したという.
 この拠点は,カシミールのパキスタン側支配地域の首都ムザファラバード Muzaffarabad の郊外にある.

 2008/12/9付,「ワシントン・ポスト」紙(by Candace Rondeaux)によればこの急襲は,Jamaat-ud-Dawaが運営するキャンプに対して3時ごろ,数回に渡るヘリの対地攻撃の後,治安部隊数十名により行われ,ラシュカレ・タイバのメンバー,Zaki ur-Rehman Lakhwiなど22名を拘束したという.
 Lakhwiは,インド当局から本事案の首謀者格と名指しされているうちの一人.
 Jamaat-ud-Dawaは年間75万ドルの予算を使って66都市で慈善事業を営む自称「援助団体」だが,アメリカ財務省は2006年,同団体をラシュカレ・タイバのフロント組織に指定し,その資産を凍結している.▲

▼ テロ実行犯で唯一生きて捕らえられたカマルは,ラクウィー Lakhwi が犯行を計画した,と語っている.▲

▼ 2008年6月にはインドの裁判所が,実行犯として唯一拘束されたアジマル・カサブの供述に基づき,同組織設立者を含むパキスタン人22人に逮捕状を発行.
 ちなみにインド当局によれば,同月現在,容疑者は「ラシュカレ.タイバ」メンバーら35人だとされている.

 2009.8.6には,パキスタン当局は国際刑事警察機構(ICPO)を通じ,容疑者13人を国際手配した.
 ICPOによれば,容疑者の名前などのデータは公開されず,ICPO加盟国の警察に直接送られるという.▲

▼ 2009.7.19付のエコノミック・タイムズ紙(4面)によると,パキスタン政府は,2008年ムンバイ襲撃事件に「ラシュカレトイバ(LeT)」が関与していたことを認めたという.
 パキスタン,ラワルピンディ州のアディアラ裁判所に提出した,11.26テロの調査機関の第2回報告書には,LeTメンバー5人の名前が含まれていたという.
 報告書には,作戦実行責任者ザキウル・レフマン・ラクビ,通信責任者ザラル・シャーに加え,アブル・アル・クマ,シャヒード・ジャミール・リアズ,ハマド・アミン・サディクの名前が挙げられた.
(2009年7月21日8時0分付,インド新聞)

 ただしリチャード・ノートン・テイラーによれば,アル・カーイダとは同時多発という点では似ているが,自爆テロではない点が異なるとしている.
 また,アル・カーイダに触発された過激派とは異なり,彼らの要求は以前から存在しており,したがってアル・カーイダ系組織と性急に判断を下すのは誤りだとしている.

 【参考ページ】
「時事通信」:ムンバイ同時テロ(地図・写真共)
2008年11月27日17時57分付,時事通信
2008年11月27日19時3分付,産経新聞(宮野弘之)
2008年11月29日8時1分付,産経新聞
2008/12/7付,「Wasington Post」紙(Emily Wax & Rama Lakshmi)
200812月9日18時0分付,インド新聞
「tnfuk」:ムンバイの事件,ガーディアンの分析
「スパイ&テロ」:デカン・ムジャヒディンとは
2009年8月7日16時36分,CNN

襲撃グループの男=インドTV放映
(こちらより引用)

爆破現場の警察
(こちらより引用)


 【質問】
 Azam Amir Kasabとは?

 【回答】
 ムンバイ同時多発テロにおいて,唯一生きて捕らえられたテロ実行犯.
 パンジャブ Punjab 州 Faridkot村の,屋台引きの息子.
 小学校を4年で中退し,2005年,知り合いからの紹介でラシュカレ・タイバ Lashkar-i-Taibaに入り,訓練を受けたという.

 詳しくは2008/12/3付,Washington Post(Rama Lakshmi著述)を参照されたし.

▼ 2008年12月5日21時19分付,産経新聞によれば26日夜,仲間9人と共に,ゴムボートでムンバイの漁港に上陸したカサフは,2人でチャトラパティ・シバジ駅に向かい,同駅で手榴弾と自動小銃を乱射して,乗客と警官ら80人以上を殺害.
 さらに駅から500メートルほどのカマ病院を襲ったという.▲


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件だが,イスラーム過激派以外の可能性はないのか?

 【回答】
 黒井文太郎によれば,他に現在のムンバイであのようなテロを起こす勢力は考えづらいという.
 また,ムンバイは以前からイスラーム・テロがしばしば起きているという.
 詳しくは「スパイ&テロ」,2008/11/28付を参照されたし.


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件だが,アル・カーイダとの関係性は?

 【回答】
 黒井文太郎によれば,関係はあるとも言えるし,ないとも言えるという.
 アル・カーイダ,タリバン,ISI(パキスタン国軍統合情報局)内極右人脈,カシミール系イスラム・テロ組織各派,パキスタンのイスラーム政党,などは,それぞれの構成員が友達関係で繋がっているため,その点では関係があるといえるが,ビン・ラーディンが支持したり,計画したり,協力したりといったことは,インドではこれまでさほど関与していないため,可能性は低いという.

 詳しくは「スパイ&テロ」,2008/11/28付を参照されたし.

 また,リチャード・ノートン・テイラーによれば,アル・カーイダとは同時多発という点では似ているが,自爆テロではない点が異なるとしている.
 また,アル・カーイダに触発された過激派とは異なり,彼らの要求は以前から存在しており,したがってアル・カーイダ系組織と性急に判断を下すのは誤りだとしている.

 詳しくは「tnfuk」:ムンバイの事件,ガーディアンの分析を参照されたし.


 【質問】
 なぜパキスタンのイスラーム過激原理主義勢力は,インドへの敵視傾向を強めてきたのか?

 【回答】
 深町宏樹(桜美林大学非常勤講師)によれば,インドがアフ【ガ】ーニスタンへのプレゼンスを拡大していることが原因だという.
 パキスタンとインドの間で,アフ【ガ】ーニスタンを巡って覇権争いが展開されており,イラン・チャーバハール港経由で無関税の恩恵を受けつつ貿易を行える,アフ【ガ】ーニスタン・インド・イラン3国間覚書調印(2003年1月)――アフ【ガ】ーニスタンのパキスタン港湾依存度が低下する――や,アフ【ガ】ーニスタン国内に4ヶ所のインド領事館が開設されるなどしており,パキスタン政府はバローチ・パシュトゥーン両民族の不満に乗じ,在カンダハールのインド領事館経由でインド政府が「内政干渉」してくるのを恐れている模様.
 その結果,ターリバーン/アル・カーイダも
「インド人は立ち去れ」
と敵愾心を露わにしており,
・2006年4月,カンダハール州で復興事業関係のインド人が,ターリバーンに誘拐され,首を切断される
・同年7月,ムンバイ列車テロで200人以上が死亡
などの事件が起こっている.

 詳しくは『アフガニスタンと周辺国』(鈴木均編,アジア経済研究所,2008.3.14),p.92-94 & 98-100を参照されたし.


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件におけるテロリストの目的は?

 【回答】
 ≪ WEB 熱線 第1106号 ≫2008/12/03の「インド事報・インド徒然」によれば,インド経済への打撃を狙った,という説は考えにくいという.
 なぜなら,そういう目的ならばムンバイの金融センターを直接狙うだろうからだという.
 それよりもむしろ,より多くの米英・イスラエル人殺害,および印パ関係の悪化を狙っていたのではないか?と,同記事は述べている.

 詳しくは同記事を参照されたし.


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件後の偽電話事件とは?

 【回答】
 【日刊 アジアのエネルギー最前線】,2008/12/7付によれば,インドのムケルジェ外相と名乗る電話が,パキスタンのザルダニ大統領執務室にかかってきて,インド軍はパキスタンへの攻撃態勢に移った,と通告した事件.
 ザルダニ大統領は,直ちにパキスタン訪問から帰途の途中にあるライス国務長官を呼び出し,ライス国務長官は,ムケルジェ外相に電話して,それで偽電話と判明したという.
 偽電話の発信箇所はインド外務省内の建物だったという.

 詳しくは同メール・マガジンを参照されたし.

 上記の元ソースは,2008/12/8付,「ガーディアン」紙(Saeed Shah執筆)である模様.
 同記事によれば,この電話がインド外務省の番号からかかってきたと主張しているのはパキスタン政府で,Wajid Hasan 駐英大使は,大統領府にある,電話発信者のID検知システムによって,この電話の発信源が確認されたとの旨,述べている.
 ちなみに同大使は,これをニセ電話ではなく,インドによる心理揺さぶり戦術だと認識している.

 ただし本サイトでは,この情報の真偽をクロス・チェックするだけの情報を持たないので,念のため.


 【質問】
 事件後,なぜパキスタン軍幹部たちはターリバーンを「愛国者」と呼んだのか?

 【回答】
 2008/12/3付,「MEMRI」によれば,2008年ムンバイ襲撃事件後,パキスタンではインド空軍の動きを懸念する空気が強まったが,その空気に乗じ,ウルドゥ語のパキスタン主流紙「Roznama Janq」,2008年12月1日付紙面で,
「数名のターリバーン幹部が,インドによるパキスタン攻撃があれば,パキスタン軍を支援する意向を示した」
と報じ,この支援提案に対して,パキスタン軍幹部達が彼らを,パキスタンの愛国者≠ニ呼んだ,という経緯.
 同紙は
「(タリバン側からの)停戦提案が受入れられる前向きな空気はある.
 パキスタン軍はその第一段階として報道陣を前にメスド(Baitullah Mehsud)とファズララ(Maulvi Fazlullah)の両名を含む武装集団指揮官達は愛国的パキスタン人≠ナあると明言した」
と報じた.
 メスドとファズララは,パキスタンにおけるターリバーン運動を牛耳る人物.
 また,メスドは,B・ブット前首相の暗殺計画にかかわった,と非難されたいわくつきの人物でもある.

 他にも2008年11月30日,南ワジリスタンのパキスタン部族地区を本拠地とするタリバンのナジル(Mullah Nazir)派スポークスマン,ワリ・ムハンマドは,インドがパキスタンを攻撃すれば,インド国内で自爆攻撃をかけると警告したという.
(2008年12月1日付,パキスタン紙「Roznama Jasarat」)

 また, 2008年12月1日,テレーケ・タリバン・パキスタン(Tehreek-e-Taliban Pakistan)の主任スポークスマンであるオマル(Maulvi Omar)も,インドに対して警告を発し,戦争になればタリバン戦士がパキスタン軍及び治安部隊と共闘して,インド軍と戦うと述べている.
 彼はまた,タリバン戦士がパキスタン軍兵士と共に,カシミール地方の実効支配線の守りにつくこともあり得るとした.
(2008年12月2日付,パキスタン紙「Roznama Jasarat」)

 ターリバーンのこのリップ・サービスの背景には,この数ヶ月パキスタンの治安部隊と血みどろの戦闘に足をとられ,立往生の状態にある彼らが,この事件を契機として,パキスタン軍と停戦する手掛りをつかもうとしている,という事情がある模様.

 パキスタンの部族地区カイバル居留地を根拠地とする2つの武装集団が勢力を誇っている.ラシュカレ・イスラム(Lashkar-e-Islam)とアンサルル・イスラム(Ansarul Islam)も同様.
 2008年11月30日,ラシュカレ・イスラムのスポークスマン,カーン(Misri Khan)は,インドからの攻撃をうければ,数千数万のラシュカレ・イスラム戦士が,パキスタンの敵にしかるべき反撃を加えると述べた.
 2008年12月1日,アンサルル・イスラムのスポークスマンアフリディ(Mubin Afridi)も,数千の戦士が,パキスタン政府の対インド戦開始命令をてぐすねひいて待っていると述べ,ほかの武装集団も小異を捨てて大同に就き,インドと戦うとつけ加えた.
(2008年12月2日付,パキスタン紙「Roznama Jasarat」)

 さらに,ラシュカレ・タイバ指導者サイードの腹心でダワ(Jamaatud Dawa)のスポークスマンでもあるムジャヒド(Yahya Mujahid)は前記ウルドゥ語紙に対し,ダワ運営のイスラム神学校と施設をインドが空爆すれば,パキスタンの領土主権に対する侵犯として対応する,と言った.
(2008年12月2日付,パキスタン紙「Roznama Jang」)

 ダワの別の幹部マッキ(Hafiz Abdul Rahman Makki)も同種の警告を発している.
(2008年12月1日付,パキスタン紙「Roznama Express」)

 ……ものすごくマッチポンプ臭がするんだが.


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件に関し,なぜイスラエルは諜報要員をインドに派遣した(らしい)のか?

 【回答】
 インド軍対テロ部隊の錬度は十分であるが,テロリストに関するインテリジェンス面で十分ではない,とイスラエル当局は判断したようで,バラク国防相はインテリジェンス,治安,人道支援面での協力をインドに申し出たそうです.
 これについてインド側は,治安支援の申し出については拒否したようです.

 〔略〕
 28日金曜日にインド軍対テロ部隊と警察特殊部隊は制圧作戦を発動しました.
 まず最初に手をつけたのが,ユダヤ人所有のビルやイスラエルからの観光客が多いユダヤ・タウン,「ナリマン・ポイント」の中心にある「ハバド・ハウス」の解放でした.

 イスラエル治安当局は,
「ムンバイのハバドハウス襲撃が計画的なものであった場合,全世界のハバドハウス警備を再検討する必要がある」
と述べています.
 イスラエルでは,テロで死亡した9名の葬儀を,大々的に行なったようです.

おきらく軍事研究会,平成20年(2008年)12月1日

▼ 「ハアレツ」紙などによれば,イスラエルの捜査チームは現地で遺体識別の作業中.
 また,9人の犠牲者のほかに,2人のイスラエル人が行方不明になっているという.
 生きて逮捕されたムンバイのテロ実行犯の1人は,多くのイスラエル人を殺すよう命じられていたと証言.
 イスラエル治安当局は,世界各地にある敬虔派ユダヤ教の施設,ハバッドハウスに対し,安全な場所に移転するように要請したという.

 なお「エルサレム・ポスト」紙によれば,本事案において,ハバッドハウスのラビの2歳の子供を救出した家政婦には,イスラエル政府から「義なる異邦人」の称号を授与される見通し.
 両親は殺害されたため,子供はイスラエルの祖父母のもとに引き取られるという.

 一方, 「ハアレツ」紙によれば,インドのテロ犠牲者のうち2人は,現代イスラエルの建国を認めない超正統派の一派のメンバーだったため,遺族が棺を国旗で巻く事を拒否し,国による追悼式典も辞退するというオチまでついたとか.▲

▼ ≪ WEB 熱線 第1106号 ≫2008/12/03の「インド事報・インド徒然」によれば,2008年頃のインドとイスラエルの協力関係について,次のように述べられている.

―――――
インドとイスラエルの経済関係が強まりつつあり,最近イスラエル軍向けのインド製車両やITソフトウェアのイスラエル進出などの大型商談が決まっている.
 12月には,イスラエルのビジネス大型ミッションがムンバイ入りすることになっていた.

 イスラム世界にとっては極めて不快なこと,このような動きを牽制するのもテロの目的の一つであったと言われている.
――――――

 イスラエルとの関係が良好であるというだけで,イスラーム過激原理主義のテロの標的になる可能性があるということか.▲


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件後のセキュリティ強化策は?

 【回答】
 例えば【日刊 アジアのエネルギー最前線】,2008/12/7付によれば事件後,インド電力省はすべての発電,送電企業に,自らの保安能力をアップするよう求めたという.
 ONGC(Oil and Natural Gas Corp. Ltd)は,約1,100人の警戒部隊を動員する予定.
 送電事業にとって最悪のシナリオは,送電網破壊である,という.
 詳しくは同メール・マガジンおよび,2008/12/6付,「Hindustan Times」を参照されたし.

▼ また,マハラシュトラ州政府は,60億ルピー・5年を費やして,5千個の監視カメラの設置,6カ所の情報施設の新設を計画しているという.
 2011.11.28現在,受注企業候補を絞り込んでいる最中.
 詳しくはインド新聞,2011年11月28日(月)12時0分付を参照されたし.▲


 【質問】
 2008年ムンバイ襲撃事件陰謀論とは?

 【回答】
 パキスタンの治安エキスパート,ザイド・ハミド(Zaid Hamid)が,パキスタンのテレビ局ニューズ・ワン(News One)のインタビューに答えて語ったところによれば,
「ムンバイ・テロは西側とヒンズーのシオニストが計画した」.

 その根拠として,ハミドは以下のような点を挙げている.

――――――
「映像を見なさい.彼ら(インドのテレビ各局)が映しているテロリストはホテル内で,手にした自動小銃を撃っている,
 彼はヒンズー・シオニストの,サフラン色のバンドを手に結んでいる.
 ムスリムは,こうしたタイプのバンドは(手首に)巻かない.
 彼らの顔はヒンズーに似ており,彼らが話している言葉,パキスタン人はこの言葉を使わない」

――――――2008/12/11付,MEMRI

 詳しくは,2008/12/11付,MEMRIを参照されたし.

 「治安エキスパート」がこのレベルとは…….
 頭が痛い…….

 【関連リンク】
「Strategypage」:INFORMATION WARFARE: Why Arabs Believe In Force Fields
 ムンバイ・テロはアメリカとユダヤの陰謀だと,パキスタン等で広く信じられているというお話.
 やれやれ……


 【質問】
>当局とテロリストの結託を疑わせる証言もある。

by 田中宇
http://tanakanews.com/081202Mumbai.htm

というのは本当?

 【回答】
 本当ではないようだ.
http://nofrills.seesaa.net/article/110638701.html
によれば,「結託を疑」っているのは田中宇本人に過ぎず,彼が引用した記事本文は,単に「インド警官,情けなさ過ぎ」ということを述べているに過ぎないという.
 そしてなぜ「情けない」状態になったかといえば,インド警察の装備が貧弱だからだという.

 詳しくは同ブログを参照されたし.

【ぐんじさんぎょう】,2008/12/23 19:50
に加筆

▼ しかも,では本当に警察の装備が貧弱なのかと言えば,そうは言えないようです.

 ロイターの記事に出てくる小銃ですが,これはインド警察の装備が装備してるイシャポール,
http://en.wikipedia.org/wiki/Rifle_7.62mm_2A1
 "自動"小銃ではないですが,装備が貧弱とはいえないでしょう.
 7.62mmNATO弾が10もしくは12発撃てます.
 一方,"軍"の装備はどうかというと,ロイターの記事を見る限り,FALやAS67,特殊部隊はMP5.
 適切な装備がなされていると思います.

http://www.guardian.co.uk/world/2008/nov/28/mumbai-terror-attacks-police-response
"The police are poorly equipped with primitive body armour and carbines"
「インド"警察"は装備が貧弱ゥッ!何故ならボディアーマーもカービンもない」
って,そこまで警察に求めるのはいかがなものかと.
 MP5持ってボディアーマーを着けてる部隊は他に存在する,ってことですね.

 なお,ロイターは新しい写真が追加されると、若い番号が割りふられるので,古い写真はその都度アドが変わって流されますね・・・
http://www.reuters.com/resources/r/?m=02&d=20081128&t=2&i=7002717&w=450&r=2008-11-28T154033Z_01_BTRE4AR0ICI00_RTROPTP_0_INDIA-MUMBAI
 くだんのishapore
http://www.reuters.com/resources/r/?m=02&d=20081128&t=2&i=7002745&w=450&r=2008-11-28T154033Z_01_BTRE4AQ1B3K00_RTROPTP_0_INDIA-MUMBAI
 同じ警察でもこちらはFAL.
http://www.reuters.com/resources/r/?m=02&d=20081128&t=2&i=7004566&w=450&r=2008-11-28T183337Z_01_BTRE4AR16C100_RTROPTP_0_INDIA-MUMBAI
 陸軍?のINSAS
http://www.daylife.com/photo/014JgG6bvQdI5/mumbai_National_Security_Guard
 ナショナルセキュリティガード.
 メット,ボディアーマーにMP5.

HN「インド警察の装備」 in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分

同事件に出動していたインド警察
faq02i02p.jpg
faq02i02p02.jpg
faq02i02p03.jpg
(こちらより引用)


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