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テロリズムFAQ目次


 【Link】

「BBC」◆(2013/05/25) Woolwich attack: Online posts over Lee Rigby killing spark charges
 ウリッチの事件以来,ソーシャルメディア上でのレイシズム,宗教関連のヘイトスピーチの罪にとわれるケースが多発

「National Review Online」◆(2013/06/04) Torching Utopia
移民を受け入れすぎたスウェーデンの悲劇:60パーセントの福祉支出が移民へ

「NAVER」◆(2015/01/10) 人質4人も死亡…2つの「立てこもり事件」は対照的な終わり方だった

「NY Times」◆(2010/12/20) 12 Arrested in British Terrorism Raids

「NY Times」◆(2010/12/16)Sweden Bombing Doesn’t Soil Image of Tolerance

「NY Times」◆(2010/12/19)Swedish Police Report Details Case Against Assange

「VOR」◆(2012/01/31) ノルウェーで,ムハンマド風刺画で新聞社爆破を計画した3人に有罪判決

「VOR」◆(2012/04/15)ドイツで独語版コーラン無料配布

「Ynet news」◆(2010/11/17)Germany fears terror attacks


 【質問 kérdés】
 リー・リグビー殺害事件とは?

 【回答 válasz】
 2013.5.22,英国陸軍の兵士,リー・リグビーが車で轢かれた後,斬殺された事件.
 犯人達は2人組のイスラーム過激原理主義者で,「英軍がイスラーム教徒を殺している」報復として,英軍兵士を殺したと述べた.
 事件後,英国ではモスクやイスラームの寄宿学校への襲撃などが続発した.

+++++

 ロイアル・フジリアーズ連隊はイングランドの歩兵連隊です.
 1968年,
ロイヤル・ノーサンバーランド・フジリアーズ
ロイヤル・ウォリックシャー・フジリアーズ
ロイアル・フジリアーズ(ロンドン連隊)
ランカシャー・フジリアーズ
の4つのフジリアーズ連隊を統合して誕生しました.
 それぞれの連隊の歴史は古く,
ロイヤル・ノーサンバーランド・フジリアーズは1672年,
ロイヤル・ウォリックシャー・フジリアーズは1674年
ロイアル・フジリアーズ(ロンドン連隊)は1685年,
ランカシャー・フジリアーズは1688年
にまで遡ります.
 いずれも歴戦の部隊で,ナポレオン戦争,ボーア戦争,第一次・第二次大戦,朝鮮戦争などに出動した戦歴があります.

 リー・リグビー Lee Rigby はロイアル・フジリアーズ連隊第2大隊の機関銃手です.
 また,軍楽隊の太鼓手でもありました.
(写真1)
 彼は1987年生まれ.
 キプロス,ドイツ,アフ【ガ】ーニスタンで任務に就いた後,ロンドン塔にある連隊本部において業務補助として働いていました.
 2007年に結婚していますが,その後,離婚.
 新しい婚約者がいました.

 2013年5月22日の午後,彼はロンドン塔での職務を終え,兵舎に戻るところでした.
 ウェリントン通りを彼は歩き,ウリッジ Woolwich の兵舎まであと180mのところまで来ていました.

 そこに一台の車が接近.
 車には男が2人乗っています.
 車は時速30~40km/hでリグビーを撥ねました.
(図1 現場地図)
 さらに2人は車を降りて,倒れたリグビーに接近.
 それぞれ手にはナイフやクリーバーが握られています.
 クリーバーとは肉屋で使われる大型の包丁です.
写真2 クリーバー cleaver - wikipediaより引用)

 2人はリグビーに襲い掛かりました.
 リグビーは数か所に傷を受けます.
 この負傷がリグビーにとって致命傷となりました.

 犯人達は,動かなくなったリグビーを引きずって,斬首しようとします.
 そのとき,勇気ある複数の通行人が,リグビーの上に覆いかぶさって彼を守りました.
 犯人の一人は,その模様を撮影していた通行人に向かって叫びまます.
「イギリス軍はムスリムを殺している!
 仕返しにイギリスの兵士を殺す!」

 イングリッド・ロヤウ=ケネット Ingrid Loyau-Kennett は,コーンウォールに住むカブ・スカウト・リーダーです.
 バスで通りかかった彼女は交通事故が起こったのだと思い,バスを降ります.
 応急処置をしようとしたのです.
 しかしリグビーはそのとき既に死んでいました.
 ロヤウ=ケネットは,犯人達に対して冷静に,武器を渡すよう言います.
 犯人は拒否しました.
 それでも彼女は辛抱強く,警察到着まで彼らと冷静に話をすることに努めます.

 事件から9分後,警察が到着します.
 しかしイングランドの警官は,原則として銃を持っていません.
 彼らはAFOを呼び寄せます.
 AFO(Authorised firearms officer)とは,常時銃器携帯することを許可された専門の警察官です.
 5分後にはAFOが到着.
 犯人達はクリーバーや銃を振り回して威嚇します.
 AFOは発砲.
 犯人達は負傷して取り押さえられました.
 後に,犯人の持っていたリボルバー拳銃は,古くて使えないものだったことが明らかになります.

 犯人の身元はマイケル・アデボラジョ Michael Adebolajo (22) と マイケル・アデボウェイル Michael Adebowale (28) と判明.
 2人ともナイジェリア系の英国人です.
 2人はどちらもクリスチャンの家庭に育ちましたが,後にイスラームに改宗しています.
 2人はグリニッジ大学を出ていますが,アデボラジョには英国やケニアで逮捕歴があり,2人とも当局からマークされていました.
 背後関係は無し.
 典型的な一匹狼型テロリストです.

 2014年,アデボラジョには終身刑が,アデボウェイルには45年の刑が確定しました.
 しかし2017年に伝えられるところによれば,アデボラジョは刑務所内でイスラーム過激原理主義の布教を行っていると言われています.
 反省がないことは明らかです.

 一方,英国イスラーム協会は,事件を非難する声明を発表.
 同協会のジュディー・シッディキ Julie Siddiqi は,この事件が地域や人種の対立に利用されかねないことに懸念を表明しました.

 その悪い予想は当たりました.
 反イスラーム団体,イングランド防衛同盟(English Defence League;EDL)の呼びかけによってウリッジで行われた抗議集会では,参加者の一部が警察に瓶を投げ込みました.
 また,極右政党「英国国民党」(BNP)は6月1日,ロンドン中心部のホワイトホールで抗議デモを実行.
 これは反ファシズムの抗議運動を招き,双方合わせて58人が公共秩序法違反で逮捕される騒ぎとなりました.

 さらに,反ファシズム・反人種差別団体「Hope not Hate」は,事件発生から5月27日までに193件のイスラモフォビック事件があったと発表.
 これにはモスクへの襲撃10件も含まれます.
 事件当日だけでも,エセックス州ブレーントリーのモスクに男が押し入り,ナイフでを脅し,爆発物らしきものを投げ付けました.
 また,ケント州ギリングハムのモスクでは,乱入した男がクルアーンの納まった本箱のガラスを破りました.
 6月5日には,マスウェル・ヒルのアル=ラーマ Al-Rahma イスラミック・センターに放火.
 EDLを真似たと思われる落書きも発見されています.
 センターは学校の放課後の子供たちが利用していました.
 さらに事件は続きます.
 6月8日,ロンドン南東部チーズハーストにある,ムスリム・ムスリマの寄宿学校であるDarul Uloom Schoolが早朝,火事になり,128人の学生と教師が避難.
 建物の壁には「EDL」の文字がスプレー書きされていました.

 警察はこうした事件の発生を予想して,警官1200人をムスリム・ムスリマのコミュニティに配置していましたが,もしそうしていなければ,もっと深刻な事件も起きていたことでしょう.

 アデボラジョらの犯行がイスラームと反イスラームの対立を煽るためのものだとすれば,見事にその目的は果たされていると言えるかもしれません.
 反イスラームの極右が結果的にイスラーム過激原理主義者の片棒を担いでいるとは,何とも皮肉な話です.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://edition.cnn.com/2013/05/23/world/europe/uk-attack-muslims
http://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/1750481314568545
http://www.aljazeera.com/news/europe/2013/05/2013522171012368683.html
http://www.bbc.co.uk/news/uk-22703063
http://www.bbc.co.uk/news/uk-22636624
http://www.bbc.co.uk/news/uk-22634468
http://www.bbc.co.uk/news/uk-22664468
http://www.bbc.co.uk/news/uk-22739189
http://www.bbc.co.uk/news/uk-25450555
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-london-22785074
http://www.bbc.com/news/uk-22833138
http://www.breitbart.com/london/2017/05/22/anniversary-fusilier-lee-rigby-four-years/
https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/638699/Lee-Rigby-murder-Michael-Adebowale-Broadmoor-prison-luxury-unit
https://www.gov.uk/government/news/drummer-lee-rigby-killed-in-woolwich-incident
http://www.ibtimes.co.uk/articles/470265/20130523/woolwich-beheading-murder-mosque-braintree-gillingham-arson.htm
https://www.independent.co.uk/news/uk/crime/pair-arrested-for-grimsby-mosque-attack-believed-to-be-exsoldiers-8635012.html
http://www.itv.com/news/granada/update/2017-05-22/bikers-remember-fusilier-lee-rigby-on-the-fourth-anniversary-of-his-murder/
http://www.manchestereveningnews.co.uk/all-about/lee-rigby
http://www.manchestereveningnews.co.uk/news/greater-manchester-news/woolwich-soldier-murder-victim-named-4007798
https://www.standard.co.uk/news/london/vandals-trash-lee-rigby-memorial-in-woolwich-days-before-fouryearold-anniversary-of-murder-a3543106.html
http://www.telegraph.co.uk/news/2017/10/31/charismatic-lee-rigby-killer-looked-prison-judge-told/
https://www.theguardian.com/uk/2013/may/22/woolwich-two-shot-in-police-incident-live-coverage
https://www.theguardian.com/uk/2013/may/23/woolwich-attack-suspect-michael-adebolajo
https://www.theguardian.com/uk/2013/may/27/grimsby-mosque-petrol-bombs
https://www.theguardian.com/uk/2013/may/27/woolwich-witness-ingrid-loyau-kennett
https://www.theguardian.com/uk/2013/may/28/woolwich-murder-200-islamophobic-incidences
https://uk.news.yahoo.com/lee-rigby-killer-hires-lawyer-in-20000-compensation-bid-084754444.html ※写真1&図1引用元

https://www.youtube.com/watch?v=FY4qrFFxqxg

【ぐんじさんぎょう】,2018/1/8 20:00
を加筆改修

> 2013.5.22,英国陸軍の兵士,リー・リグビーが車で轢かれた後,刺殺された事件.

 刺殺ではなく「斬殺」ではないかと.
 英語では単にmurdered, killedが用いられていますが,車ではね飛ばして/轢いて動けなくしておいて,首を切り落とそうとしたので,
(現場の目撃者は実際に斬首されていたと当時パニクってツイートしています.
 ソースは下記に記録あり.
https://matome.naver.jp/odai/2136923620898738101
状況的に「斬殺」.

 あまり関係ないかもしれませんが,事件翌日の言論状況についての記録,ご参考まで
https://matome.naver.jp/odai/2136930477513359601

 少し下のほうにEDLのデモ関連で出てくる「ウールウィッチ Woolwich」は,カタカナ表記は「ウリッチ」または「ウーリッチ」です.
(知らないと読めないロンドンの地名シリーズ.
 2番目のwが黙字です.
 「ウ」を伸ばすか伸ばさないかは神学論争).

 また,ウリッチはリー・リグビー殺害現場の地域名でもあり(EDLは事件現場に押しかけたわけです),私はこの事件のことは「ウリッチ英兵殺害事件」と呼んでいます.

  で,EDLのウリッチ集会のあとですが,EDLの当時のリーダー2人がロンドン中心部からウリッチ(東の端.東京でいうと地理的には夢の島や新木場の感じかも)まで歩くということをしようとしたときの記録.
https://matome.naver.jp/odai/2137252613470966501
(途中で逮捕.
 EDLの2人はモスクなどへの接近禁止令が出ていて,それに違反した).
 EDLトミー・ロビンソンのファッションが,当時は衝撃的だったのですが,スコットランドのレファレンダムを経てああいう「ユニオンジャック推し」は当たり前になってしまいました.

 EDLのウリッチ集会については
http://twilog.org/nofrills/search?word=edl%20woolwich&ao=a
の一番古い日付(2013年5月23日)参照.
 VICEの記者が現場にいて(当時VICEにいたジャーナリストが極右専門の人だった)写真をツイートしていたりしました.

nofrills by direct massage, 2018.1.9

 ご教示ありがとうございます.
 修正させていただきます.
 それと,次にノルマン人を率いて英国を征服した暁には,黙字を廃止することを公約といたします.

編者,2018.1.9

 絶対支持します>黙字廃止
 ついでにフランスも征服しちゃってシルヴープレ.

nofrills by direct massage, 2018.1.9


 【質問】
 なぜドイツでムスリム組織が活発なのか?

 【回答】
 神秘主義教団,イスラーム運動が本国トルコで禁止されているため,出稼ぎ労働者としてのトルコ人受入国であるドイツで組織的な活動を行っているもの.
 出稼ぎ労働者は,受入国では最低の賃金労働と貧困な生活を強いられ,心の拠り所としてイスラームに回帰するという現象が,強く表れているようである.
 例えば,スレイマンジュおよびヌルジュという神秘主義教団は,モスクを建設したり,同胞団体を作り,国際移住労働者の間で積極的活動をしている.
 これに対し,ドイツではトルコが公的にモスクを建設し,公的な宗教指導者を派遣している.

 詳しくは,「アジアにおけるイスラーム法の移植」(成文堂,1997/4/18), p.291-292(塙陽子著述)を参照されたし.

 9.11後は,ドイツでも取り締まりは強化されている.
 アラブ系学生に対するスクリーン捜査を行った他,反民主的な団体の活動を禁止する「結社法」を強化.
 また,外国人の査証データを中央で一括管理する他,身分証明書に指紋など新たな識別情報を盛り込むことなどが検討されている.
 同年12月には新しい結社法を適用し,ドイツ西部,ケルンに本拠を置くイスラーム組織「カリフ国家」を非合法化した.これはトルコの現政権を打倒し,イスラーム国家樹立を目指す集団で,トルコ出身の指導者の下,ドイツ国内に1千人を超えるメンバーがいた.

 詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.118を参照のこと.

 結局は貧困の問題,と.


 【質問】
 なぜドイツは,移民を簡単に追い返すことができないのか?

 【回答】
 庇護権という個人権が基本法に明記されており,この条項によって,追い返すことが極めて困難な仕組みになっているため.
 そのため,各自治体の負担は大きく,社会不安の原因になっているという.

 以下引用.

 ナチスのときに多くの市民がドイツを追われた経験から,1949年の憲法制定時に,古くからヨーロッパの法伝統に存在していた庇護権を,明白に記すことになった.
「なんぴとであれ,自分の国で政治的に迫害されているならば,ドイツに政治亡命する権利がある」
ということである.
 そして庇護権は,言論の自由や職業の自由と同じく,個人権として,いかなる形でも制限され弾圧されることのない不可侵の基本的人権に含まれると理解されていた.
 〔略〕
 憲法を起草した1949年には,ドイツの都市は瓦礫に埋もれ,人々は飢えていて,多くの若者がドイツに見切りをつけてアメリカやカナダやニュージーランドに移住していた.

 ところが,この頃には予想もつかないことだったが,80年代以降グローバル化が始まり,同時に第3世界の貧困化が進み,人口圧力が増大してきた.
 アフリカ,アジアの各地域から,世界に残された数少ない安定と繁栄のゾーンであり,何よりも基本権のパラダイスであるヨーロッパを目指してのミグレーション(移住,大移動)の波が動き出した.
 基本法16条に庇護権を高らかに歌い上げているドイツは,彼ら移住者にとって最も魅力的な目的地であった.
 彼らは,東欧からドイツへの国境を越えるとき,あるいは遠隔地からドイツに着いた飛行場の入国審査のときに,担当官に
「政治的庇護を求める」
と言えば,その場での入国拒否や強制送還は不可能になる.
 代わりに庇護権申請者専用の住居に入る.その多くは,コンテナを転用した最低限の設備を備えた施設だが,それでも,本国にいるよりは上等な生活環境である.
 そこに住んで,日当の形で公的扶助を受けながら,書類を揃え事情聴取を受け,審査結果を待つことになる.
 手続きは極めて煩雑で,結果が出るまで何年もかかる.

 もちろん,政治亡命が認められるのは実際にはかなり難しく,その割合は平均4%程度である.
 それでは残りの96%はすぐに強制送還かと言えば,話はそれほど簡単ではない.
 却下されても,公権力によって自己の権利が侵害されたと思った場合に,裁判に訴える権利が保証されている基本法19条第4項にしたがって,行政裁判所への不服申立てという手続きが可能で,これにより,さらに4%程度が亡命を認められていた.

 ところが,時間のかかるこうした手続きと裁判の間にも生活は続き,結婚,出産,あるいは子供の学校などを通じて,底辺とは言え生活がドイツに根付いてしまうことが多い.
 そうした人々の強制送還は,まさに人道上の理由から,事実上不可能となる.
 それでも強制送還を裁判所が許可した例があるが,当人を乗せるアフリカ行きのルフトハンザ機の機長が,到着後,不当に逮捕されることが分かっている人間を乗せるのは,良心に反すると言って,搭乗拒否したこともある.
 強制送還のハードルは高い.

庇護権請求者の急増

 このような事情であるから,冷戦崩壊と共に庇護権申請者が幾何級数的に増え始めた.
 85年は7万人強,壁が開いた89年でも12万人程度であったのが,92年度には連邦内務省の発表で44万人弱となった.
 91年に比べても70%の上昇率である.
 〔略〕

 地方分遣を旨とするドイツであるから,こうした庇護権申請中の外国人が一定の比率で各州に,そして各州から各自治体に割り振られてくる.
 かなり田舎の町や村でも住居を提供し,そして彼らの生活のための公的扶助金を用意しなければならない.
 世界第一級の豊かさを誇るドイツだから可能だとは言っても,負担は馬鹿にならない.
 例えばバイエルン州は,93年1月現在,7万8千人の庇護権申請者を預かっており,そのために92年度の州予算から4億2600万マルク(当時の換算レートでおよそ240億円)支出している.
 12年前の1980年では,バイエルン州には8000人弱しか外国人が収容されていなかったのに比べれば,約10倍の人数に伴う支出の増加は無視できないし,人口1千万ちょっとの州としてはかなりきつい負担であろう.

 厄介な事に,統一した以上は,経済の悪い,したがって税収の低い旧東ドイツの市町村にも,こうした負担が配当されてくる.
 当然,一般市民は,
「ドイツ人のお金を外国人にくれてやっている」
という不満の声を上げる.
 東の市民達は,今まであまり見たことのない肌の色の人が町外れの住居に「なんとなく」いる事に違和感を抱く.
「彼らは芝生で小便も大便も平気でする」
と迷惑がられる――実際には,劣悪な施設ゆえのやむを得ない小用のことが多かったのだが.
 おまけに,
「麻薬の取引もしているらしい」
といった流言が飛び交う.
 このままいけば,ドイツ中が庇護権申請者で溢れ返ってしまう,といういわれのない恐怖が独り歩きし始め,やがて住居への投石,外を歩く彼らへの罵倒,暴力沙汰,放火へとエスカレートする.
 その典型が,先に述べたロストック市の暴動である.

三島憲一著「現代ドイツ」(岩波新書,2006.2.21),p.68-72
ただし,ソースとしては信頼性にやや難があるので,
その点は留意されたし


 【質問】
 2007年のドイツ大規模爆破テロ未遂事件とは?

 【回答】
 2007/9/4, 大規模なテロを計画していたとして,ノルトライン・ウェストファーレン州で3人の男が逮捕された事件.
 逮捕されたのは,イスラム教に改宗したドイツ人2人とトルコ人1人.

 独警察当局がさらに約10人を指名手配.
 国外逃亡のケースもあるという.
 そのうち大半はドイツ人で,5人については氏名が判明.
 残りの2人は仲間内の呼び名しか分かっていないが,外国に滞在したことがあるという.

 逮捕された3人が所属していた「イスラム聖戦連盟」独支部の規模などは不明.

 彼らは爆弾の材料となる過酸化水素を730キロ調達し,ナイトクラブやパブ,空港など米国人が多く集まる施設への攻撃を計画していたとされる.
 報道によると,標的にはフランクフルト国際空港やラムシュタイン(Ramstein)の米軍基地も含まれていた.

 独国内では,「『ムハンマド』や『ムスタファ』(といった典型的なイスラム教徒)ではなく,『フリッツ』や『ダニエル』(といった白人の改宗者)が逮捕された」(独紙)ことに強い衝撃を受けた.
 独国内の2006年のイスラム改宗者は約4000人.これは2005年の4倍に相当する.
「(一般のドイツ国民に)イスラム教への不信感が強いため,信者が(布教に向け)一段と結束する」(識者)
結果とみられる.

 ドイツはアフガニスタンに連邦軍を約3000人派遣している.
 アフガン人のものとみられる頭蓋骨(ずがいこつ)を同軍兵士がもてあそぶ写真が昨秋,独紙に掲載されたことも,今回の事件を誘発したとみられる.

 欧州では,01年12月に米航空機の爆破を試みた英国人の男や,05年11月にイラクで自爆したベルギー人の女など,改宗者の事件が増えつつある.

 【参考ページ】
2007年9月7日7時2分,NNA
2007年9月8日8時1分,産経新聞(by 黒沢潤)


 【質問】
 「サラフィスト・グループ」とは?

 【回答】
 イタリアやスペインに根を張る組織.
 ノートルダム寺院周辺に対する化学兵器によるテロを計画していたとして,2001年4月,一斉摘発される.

 詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.133-135を参照のこと.


 【質問】
 ストックホルム連続自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.12.11 17:00頃,ストックホルムの中心部で,爆発が2カ所で相次いだ事件.
 最初に17:00頃,ストックホルム中心部にある繁華街で,ガスボンベを積んだとされる車が炎上し爆発.
 その約10~15分後,車から300mほど離れた場所で新たな爆発が起きた.

 後者の爆発により,男が死亡,近くにいた2人がけがを負った.

 警察当局は,今回の爆発が,死亡した男による自爆攻撃であった可能性があるとした上で,2つの爆発の関連性を調査中であると発表した.
 また,スウェーデンの通信社TTは,最初の爆発が起こる約10分前に,スウェーデン軍のアフガニスタン駐留と,スウェーデンの芸術家が描いたイスラーム預言者ムハンマドの風刺画を非難する内容の電子メールを受け取ったことを明らかにした.
 同国のビルト外相も twitter で,今回の爆発は自爆攻撃であると指摘した.

 【参考ページ】
2010年 12月 12日 16:11,ロイター


 【質問】
 「ユランズ・ポステン」紙テロ未遂事件とは?

 【回答】
 2010.12.29,デンマークとスウェーデンの情報当局が明らかにしたところによれば,デンマーク紙ユランズ・ポステンが入居しているビルに侵入し,「できるだけ多数を殺害」しようとした容疑で,イスラーム過激派5人が逮捕された事件.
 同紙は2005年,イスラーム預言者ムハンマドの風刺画を載せたとされる.
 デンマークの当局者は,
「差し迫ったテロ攻撃を未然に防いだ」
と述べた.

 【参考ページ】
2010/12/29 23:39,共同通信


 【質問 kérdés】
 2017年トゥルク殺傷事件とは?
Mi az 2017-es turkui késelés?

 【回答 válasz】
 2017.8.18,フィンランドのトゥルク中央市場広場において,難民申請中のモロッコ人男性が,刃物で無差別に人々を殺傷したテロ事件.
 フィンランド人女性2人が死亡し,他に8人が負傷.
 犯人は犯行現場で取り押さえられたほか,支援者1人が国際指名手配された.

☠     ☠     ☠     ☠     ☠

 刃物を持った男が,女性に次々襲い掛かります.

 逃げ惑う人々.

 事件は政治問題に.

 これは実話であり,公式記録・専門家の分析・関係者の証言をもとにしたふりをして構成しています.

 トゥルクはフィンランド南西部にある,同国の代表的な観光地の一つです.
 フィンランド最古の街であり,1812年まではフィンランドの首都でした.
 2011年にはヨーロッパ文化首都にも選ばれ,多くの観光客が訪れます.

 2017年8月18日16時02分.
 トゥルクの街の警察署に一報が入りました.
 中央市場広場で,男が複数の人間を刺したというのです.

 男は,駐車場が近い広場の西側で,まず女性1人を刺しました.
 彼女はイタリア人で,ベビー・カーを押していました.

 次いで,その女性を助けようとしたハッサン・ズビエ Hassan Zubier を刺しました.
 ズビエはストックホルムから来た観光客です.

 男は広場から出ると,プゥトリ Puutori 市場広場へと走って北上しながら,ナイフ2本を振り回し,さらに数人を刺します.
犯人の走行経路 - wikipediaより)
 プゥトリ広場には,ムーミン・ワールドに向かう際に乗る市営バスのバス停があり,観光客が大勢います.
 人々は逃げまどいます.

 通行人が犯人の凶行を止めに割り込みました.
 この勇敢な人物は,犯人が逃げ出すとそれを追いかけ,同時に警告の叫び声をあげます.
 この行動が無かったら,被害者はもっと増えていたかもしれません.

 プゥトリ広場に接するブラーヘン Brahen 通りまで犯人がやってきた時,警察が犯人を見つけます.
 警官は犯人に止まるよう命令します.

 犯人は警告を無視.

 撃たれました.

 犯人の大腿部に当たり,その場で取り押さえられます.
 これは,そのときの実際の映像です.
https://www.youtube.com/watch?v=42ktuyfsHCA


 犯人が取り押さえられたのは16時15分.
 僅か15分ほどの間に,10人が刺され,そのうち2人が死亡しました.
 負傷者の中にはスウェーデン人とイタリア人,英国人が一人ずつ含まれています.
 不幸中の幸い,最初に刺されたイタリア人女性は軽傷で済みました.
 ベビーカーの中には生後半年の赤ちゃんもいましたが,こちらも何の被害も受けていませんでした.

 犯人の名前はアブデラーマン・ブーアナン Abderrahman Bouanane(写真1)
 当時22歳のモロッコ人で,事件の前の年にフィンランドに入国し,難民申請の手続き中でした.

 刺された10人の内,8人が女性.
 さらに,犯行の際,「アッラー・アクバル!」と叫んでいたという目撃者証言も出てきました.
 しかもこの事件の前日には,スペインのマドリードでやはりイスラーム過激原理主義者がテロを起こしています.
 この事件も,女性の人権を大きく制限する立場をとる,イスラーム過激原理主義組織の犯行なのでしょうか?

 フィンランド警察は,モロッコ当局に犯人の身元を照会しました.
 アブデルハク・キアメ Abdelhak Khiame はAFP,モロッコ反テロ情報機関の捜査官です.
 彼は問い合わせに対し,AFPの持っている,テロと繋がりのある人物のリストの中に,ブーアナンの名は無いと回答しました.
 また,フィンランド警察自身が持っている要監視者リスト350人の中にも,ブーアナンは入っていませんでした.
 どうやら難民申請を出す前から潜在的テロリストだったわけではなさそうです.

 犯行の際,「アッラー・アクバル!」と叫んでいたという目撃者証言についても調べられました.
 すると,犯人が叫んだ言葉ではないと分かりました.
「VAROKAA! ヴァロカー!」
 これはフィンランド語で「危ない!」という意味の言葉です.
 勇敢な人物が犯人を追いかけながら発した警告の叫び声が,聞き間違えられたものだったのです.

 これは,そのときの実際の映像です.
https://www.youtube.com/watch?v=Mw_nlr5pZEI

 さらに,ブーアナンが以前にも他の場所でのテロを計画していたことも分かりました.
 その計画を見る限り,女性だけを狙っていたものでもなさそうです.
 被害者が殆ど女性だったのは,ただの偶然でした.

 警察は犯人の背後関係も調べます.
 すると,ブーアナンが過激化したのは,フィンランドにやってきた後であることが分かってきました.
 難民収容センターの人の証言によれば,ブーアナンが過激な言動を見せるようになったのは2017年1月になってからだというのです.
 その頃から彼は,ダーイシュに入る方法を聞き回るようになったり,
「ムスリムを間違った方向に導くキリスト教徒を殺すべきだ」
と発言するようになりました.
 さらには薬物もしようしていました.
 フィンランド国内に,過激思想を教唆し,テロリストを援助する人間がいたようです.

 フィンランド捜査当局は,事件当時23際のズフリディン・ラシドフ Zuhriddin Rashidov (写真2)を国際指名手配しました.
 ラシドフはウズベキスタンの生まれですが,フィンランドの市民権を取得しています.
 他にモロッコ出身の人間4人が拘束されましたが,後にいずれも釈放されました.

 フィンランで始めて起きたイスラーム過激原理主義テロに,フィンランド社会には衝撃が走ります.

 翌日,事件のあった広場では,被害者に対する追悼のために人々が集まりました.
 事件現場には花やキャンドルがたむけられます.

 しかし,集まったのは追悼の人々だけではありませんでした.
「フィンランド・ファースト!」
「外国人はここから出て行け!」
「移民を認めるフィンランド人も出て行け!」
 外国人排斥を訴えるレイシストも集まってきたのです.

 彼らに対し,人種差別を反対するフィンランド人や外国人は,レイシストの前に立ちはだかって壁を作り,人種差別のデモンストレーションを行います.
 中指を立て,レイシスト達のマイク付きの演説へ背を向け,人種差別の反対を示しました.
 追悼しに来た人たちも,この壁に加わります.
 事件現場は緊張状態に包まれました.

 一方,フィンランド当局は事件を受け,首都ヘルシンキの空港や鉄道各駅の警備を強化しました.
 おりしも議会では,捜査当局にネットを含む大衆監視の広範な権限を与えようとする,憲法改正議論の最中でした.

 そのネットの掲示板には,こんな書き込みが見られました.

> それまでみんなこの国はターゲットになっていないと言って,大半の人間が,テロを起こすために必要なのはたった一人の人間だってことに気付いていなかった.
> http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/8952381.html

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.visitfinland.com/ja/kiji/touruku/
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM19H55_Z10C17A8EA1000/
http://www.news24.jp/articles/2017/08/20/10370214.html
http://www.sankei.com/world/news/170819/wor1708190028-n1.html
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-08-20/OV07OB6K50XS01
http://suomi-isshoissho.com/turku-finland-sad-8736
https://mainichi.jp/articles/20170820/k00/00m/030/096000c
http://www.captainjack.jp/entry/turku-terrorism
http://www.bbc.com/news/world-europe-41010530
https://www.is.fi/kotimaa/art-2000005344339.html
http://www.expressen.se/nyheter/brottscentralen/zuhriddin-rashidov-jagas-for-terrordadet-i-abo/ ※写真1~2引用元
https://www.youtube.com/watch?v=cf79hpWMni0
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/8952381.html
http://www.reuters.com/article/us-finland-security/finland-aims-to-fast-track-new-intelligence-laws-to-avert-terrorism-idUSKBN17L213

【ぐんじさんぎょう】,2017/9/30 20:00
を加筆改修


 【質問 kérdés】
 2015年「タリス」襲撃事件について,「きかんしゃトーマス」ふうに教えてください.

 【回答 válasz】

https://www.youtube.com/watch?v=bfopezvN_P8

 タリスは,とても足が速い列車だ.
 フランス・ベルギー・オランダ・ドイツの間を,時速300kmで走っている.
 トーマスのような機関車たちには,全然追いつけない.
 赤いスリムなボディが,タリスの自慢だった.

 2015年8月21日のこと.
 タリスはいつものように,乗客を乗せてアムステルダムを出発していた.
 乗客は554人.
 いろんな国の人々が,乗っていた.

 ところが.
 トイレの中で変な物音が,した.
 銃の弾を装填する音のように,聞こえた.
 タリスは不思議に思った.

 不思議に思ったのは,乗客の一人も同じだった.
 そのフランス人乗客は,たまたま,トイレに通りかかり,その音を聞いた.
 フランス人は,トイレのドアを開いた.

 トイレの中にはモロッコ人のがアユーブ・エル=カッザニが,いた.
 彼はAKMアサルトライフルを持ち,弾倉を9つ,身につけていた.
 他に拳銃,火焔瓶やナイフなども,あった.

 フランス人乗客はアユーブを取り押さえようと,した.
 2人はもみ合いに,なった.
 もう一人のフランス人乗客Mark Moogalianがそれに,加わった.
 アユーブは彼を,撃った.
 Mark Moogalian は肩を撃たれた.

 アユーブは客車に,押し入った.
 彼はAKMを乱射しようと,した.
 だが銃は撃てなかった.
 弾詰まりを起こしたのだった.
 彼はそれを直すことは,できなかった.
 彼は銃に不慣れだった.

 タリスは,ほっとした.

 でも,まだアユーブは他の武器も持っている.
 危険が去ったわけでは,なかった.

 そのときアメリカ人乗客3人組が,アユーブに,とびかかった.
 そのうち2人は,休暇中の軍人だった.
 アユーブはナイフで抵抗した.
 軍人の一人,スペンサー・ストーンは親指を切断,された.

 でも,もう一人の軍人アレク・スカラトスはアユーブから銃を,取り上げた.
 さらに英国人乗客とフランス人電車運転士が加勢して,アユーブを抑え込んだ.

 ストーンは重傷のMoogalianの止血を,した.
 タリスは急遽最寄りのアラス駅に,停車した.
 Moogalianはリールの大学病院に搬送,された.
 ストーンも病院で治療を,受けた.

 アユーブ・エル=カッザニはスペインやフランスの当局からマークされて,いた.
 モロッコ北部の生まれだったが,子供の頃に父親に連れられてスペインに移住して,いた.
 過激派のモスクに出入りし,麻薬取引にも関与して,いた.

 事件の後,ベルギー当局は国際鉄道の駅のパトロールを増やし,手荷物検査も増員した.
 タリスに乗るための検査は,少し,厳しくなった.
 トーマスたち機関車にタリスが自慢することも,少し,少なくなった.

 このお話の出演は,
トーマス

タリス
でした.

Twitter, 2018.3.10


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