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 【link】

「AJEnglish」◆(2010/12/10)Bomber strikes Pakistan hospital

「Al Jazeera」◆(2011/01/31)Blasts hit northern Pakistan

「BBC」◆(2010/09/17)Karachi shut down after killing of exile Imran Farooq

「Daily Telegraph」◆(2011/01/11)Pakistan frees leader with links to al-Qaeda and Taliban

「Guardian」◆(2010/04/16)Pakistan criticised over Bhutto death

「Guardian」◆(2010/07/28)Pakistan must not be left to export terror, says PM

「Guardian」◆(2010/10/25)Pakistan bomb kills several at Sufi shrine

「Russia Now」◆(2010/12/25)At least 42 killed, over 70 injured in suicide bomb attack in northwest Pakistan

「Russia Now」◆(2010/12/26)Militant attacks in Pakistan

「Russia Now」◆(2010/12/26)Russia explores Al-Qaeda in Dagestan

「Russia Now」◆(2011/04/26)Twelve perish in Pakistani bus torching

「Telegraph News」◆(2010/12/26)Female suicide bomber kills dozens at food centre in Pakistan

「USA TODAY」◆(2010/12/25)Suicide bombing kills 26 in Pakistan

「WP」◆(2010/12/20)Militants destroy 2 NATO tankers in NW Pakistan

「WP」◆(2010/12/24)Pakistan clash kills 11 soldiers, 24 insurgents

「WP」◆(2011/01/04)Police: Pakistani governor killed in gun attack

「WP」◆(2011/05/18)Police say 100 militants attack Pakistani checkpoint, leaving 2 police, 15 militants dead


◆◆◆イラン


 【質問】
 ルホラ・ホメイニ師とテロ組織との関わりは?

 【回答】
 ホメイニ師門下生に多くのテロ組織幹部を「輩出」している.

 1964年11月,国外追放されたホメイニは,トルコに1年間滞在した後,イラク入りした.イラクにはシーア派神学の総本山の聖地ナジャフがある.65-78年の間,彼はそこで亡命生活を送るようになった.
 同地でホメイニは,最高位聖職者ムシン・ハキムや,ムハマド・バクル・サドル※など,シーア派神学最高峰の導師達の知遇を得た上,70年からは自身の講座を開設,各地からやってきた神学生を弟子とした.

 そのときの門下生には,以下の者達がいる.
・イスラーム革命後のイランで過激聖職者を率いたベヘシティやモンタゼリ,
・ムハマド・バクル・ハキム:ムシン・ハキムの息子.現「ダワ党」党首兼反サダム・フセイン組織「イラク・イスラーム革命最高評議会」議長
・ムサ・サドル:ムハマド・バクル・サドルの従兄弟.75年,レバノンで武装組織「アマル」を創設.
・ムハマド・フセイン・ファドララ:「ヒズボラ」宗教指導者.
・アッバス・ムサウィ:「ヒズボラ」書記長

 つまり結果的に,このホメイニ国外追放が,その後のシーア派テロ・ネットワークの基礎を作ったといえる.
 なお,現「ヒズボラ」書記長ハッサン・ナスララは,ホメイニがイランへ帰国した後の門下生だと言われている.

 ※56年に秘密組織「ダワ党」を創設.80年4月,サダム・フセイン政権により処刑さる.

 詳しくは,黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕著「イスラムのテロリスト」(講談社,2001/10/20),p.35-36を参照されたし.


+

 【質問】
 「イスラーム共和党」とは?

 【回答】
 過激イスラーム聖職者の政党.
 黒井文太郎によれば,その誕生から現状まではおおよそ以下の如し.

 ホメイニ政権初期に主導権を握っていた,アボルハッサン・バニサドルらパリ留学生組織のインテリ達から,実力で実権を独占しようと画策.
 彼らは,自らに有利な憲法制定を強行し,ホメイニ信奉者による私兵集団「革命防衛隊」(パスダラン)を操って,他の勢力を排除していった.
 その旗振り役となったのが,イスラーム共和党初代書記長ムハマド・フセイニ・ベヘシティと,専門家会議議長フセイン・アリ・モンタゼリである.

 特に,イスラーム社会主義を標榜する組織「ムジャヒディン・ハルク」(イスラーム聖戦機構)との抗争は,双方に数千人規模の死者を出すまでにエスカレート.
 しかし結局,イスラーム共和党側がムジャヒディン・ハルク側をほぼ潰滅させた.
 ただし,この抗争では,イスラーム共和党側もベヘシティ書記長が爆殺されている.

 ムジャヒディン・ハルク残党はイラクに逃れ,イランへのテロ活動を2001年現在も続けている.

 なお,モンタゼリは当初,ホメイニから後継者に指名されていたが,後にハメネイ現最高指導者との権力闘争に敗北して失脚.コムで南京状態に置かれる.
 ハタミ政権登場後,彼はリベラル派に「転向」してハメネイ派批判を行っている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.33-34,抜粋要約)

 そして誰もいなくなった.


 【質問】
 イラン革命当時,どの程度イスラーム過激原理主義寄りだったの?

 【回答】
 現代はどうか知らないが,ホメイニ体制化のイランでは公共の場で歌を歌うことが禁じられていたらしい.結婚式の際,うかつに人前で歌った親子が投獄されたケースもあったとか.

 前国王のパーレビは古代イラン,特にアケメネス朝ペルシアのキュロス大王を持ち上げていたが,ホメイニ時代に変わってから,キュロスの名を付けたホテルや通りの名は,すべてイスラム関連の名称に改名された.

 民族の英雄とされたキュロスは“悪人”とされてしまう.バビロン捕囚からユダヤ人を解放したのがいけなかったらしい.
 イスラム革命急進派は大王の墓を爆破する計画だったが,さすがのホメイニもこれは許可しなかった.
 当時イランを訪れた作家・陳舜臣の言葉を借りれば
「2,500年前の人物を裁いてどうするつもりか?」

 ちなみに,日本のドラマ「おしん」はイランでも放送され大ヒットされたが,現地のスタッフはその後鞭打ち刑を喰らったのはあまり知られていない.
 曰く,尊敬すべき女性について世論調査したところ,預言者の妻たちを抜いておしんがダントツトップになったが,これはサハーバに対する尊敬が書けている証拠である,と.
 ソースは"bet aramaye"の3面記事掲示板.

(宗教板)


 【質問】
 イランはどう「革命を輸出」しようとしたか?

 【回答】
 「イスラーム宣伝局」を作戦指令部とし,対外工作の母体として「世界イスラーム革命運動機構」を創設.
 各地にオーガナイザーを派遣したようである.
 以下抜粋要約.

 最も力が入れられたのは,レバノンのシーア派を組織化することで,そのため,フセイン・ファドララやアッバス・ムサウィ,ムサ・サドル,マジド・カメルらが送り込まれた.
 他にもペルシャ湾岸地域などにオーガナイザーが送られたようだ.

 そして,
レバノンの「アマル」,
イラクの「ダワ党」,
サウディアラビアの「アラビア半島イスラーム革命機構」,
バハレーンの「バハレーン・イスラーム解放戦線」
といった組織が続々と結成された.

 もっとも,後の2者は組織が発展せず,実質的にイラン→ヒズボラのテロ人脈の「細胞」として存続,現在ではそれぞれ,
「サウディ・ヒズボラ」
「バハレーン・ヒズボラ」
と呼ばれている.

 当時のイラン側の「革命の輸出」指揮システムについては殆ど判明していないが,ほぼ以下のようなことが言われている.
 まず,作戦司令部として機能したのが,イスラーム共和党内に設置された「イスラーム宣伝局」で,ホメイニが本拠地とした,イランの聖地コムの聖職者集団が指導したとされる.
 中心的人物はベヘシティとモンタゼリ,後に国会議長となるメフディ・キャラビ,内相となるアリ・アクバル・モフタシャミらであったようだ.

 イスラーム宣伝局は,対外工作の母体として,「世界イスラーム革命運動機構」を創設.
 前述のような海外の組織を,そこに統括した.
 資金については,革命時の混乱に乗じて旧支配層の資金を接収して作られた「ムスタファザン財団」らが供出した.
 同財団は,革命防衛隊やその傘下の民兵組織「人民義勇軍(バシージ・ムスタファザン)」の創設資金を出した,「イスラーム共和党の金蔵」だった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.37-38)


 【質問】
 イランのテロ支援はシーア派組織だけか?

 【回答】
 イランはスンニー派へも接近しているという.
 以下抜粋要約.

 国際テロの黒幕的存在だったKGBや東欧諸国の情報機関が,消滅もしくは工作活動停止に追い込まれたため,彼らに頼ってきた極左テロや反米系の民族派テロの資金源が消えてしまった.
 また,湾岸戦争に際し,サウディアラビアは米軍を自国内に駐留させたためにイスラーム勢力の非難を浴び,その報復としてサウディはテロ組織への資金援助を停止してしまった.

 それまでの世界のイスラーム・テロは,スンニー派をサウディが,シーア派をイランが支援するという棲み分け構造になっていた.
 サウディは,
「イスラーム社会で聖地守護者として認知され続けたい」
という動機に加え,イランのような強力な情報機関を持たないため,
「自身がテロの標的とならないよう,上納金を納める」
といった側面もあったようだ.
 一部のパレスチナ・ゲリラがサウディから資金を引き出すため,脅迫を常套手段にしていたことは有名である.

 その間隙を衝いて,イランはスンニー派世界へも接近している.
 例えば91年10月には,キャラビ国会議長主催で,「パレスチナ民衆のイスラーム革命と連帯する国際会議」と銘打ったイベントがテヘランで開催されている.
 この時は,ヒズボラを介して既にルートができていたパレスチナ組織「イスラーム聖戦」に加え,「ハマス」「ムスリム同胞団ヨルダン支部」から,果ては左翼組織の「パレスチナ解放人民戦線」(PFLP)までが招待された.
 出席した組織が,それなりの「お土産」を貰ったことは確実である.

 同じような国際会議は,93年2月にも開催されている.
 この時は,リビア,アルジェリア,チュニジア,モロッコ,モーリタニア,アフ【ガ】ーニスタン,トルコ,パキスタン,タジキスタン,フィリピン,タイのイスラーム組織が出席,苦しい財政から総額5億ドルの資金援助供出が決定したと伝えられた.
 ちなみに,この時ヒズボラにも6000万〜8000万ドルの援助が決定されたとの情報が流れたが,実際にヒズボラはその直後から対イスラエル戦の軍事行動を活発化させている.

 こうした資金援助には,イラン保守派の資金源だったムスタファザン財団に加え,イラン=イラク戦争の帰還兵を援助している5つの財団がダミーとなっていた疑いがある.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.67-69)


 【質問】
 ヒズボラとは?

 【回答】
 1982年末,レバノンで結成された武装組織.「ヒズボラ」とは「神の党」の意味.
 以下抜粋要約.

 82年夏,イスラエル軍はレバノンに侵攻.これに対抗してベッカー高原に送り込まれた,イラン革命防衛隊の遠征軍(1500〜3000人)が,その傘下に現地のシーア派民兵を結集したのが始まり.
 その工作に当たったのは,イランのイスラーム共和党中枢だったが,その責任者をアリ・アクバル・モフタシャミが務め,さらにアメリカ大使館占拠学生だったマジド・カメルや,モンタゼリ専門家会議議長の息子ムハマド・モンタゼリらが関わっていたとの情報もある.

 この結集で集まったのは「ダワ党レバノン支部」など少なくとも13組織と言われている.
 だが,その実態はどうやら各地域ごとの有力者グループだったようで,そのため現在に至るまで,私兵連合の性格をヒズボラは残していると見られている.
 中でも最も戦闘力があるとされるのが,現在も事実上のヒズボラ軍事司令官であるフセイン・ムサウィが率いた「イスラミック・アマル」だった.
 これは,ムサ・サドルが75年に創設したシーア派民兵組織「アマル」から,後にイスラーム勢力が排除された際にベッカー高原を拠点に分派した組織である.

 ちなみにアマル分裂直前,サドルはリビアに向かったまま,謎の失踪を遂げている.

 ヒズボラ指導層には,ムハマド・フセイン・ファドララ,フセイン・ムサウィ,ハッサン・ナスララなど,ホメイニ門下生達がずらり並んだ.
 ゲリラ組織としてのヒズボラは,その武力をほぼ全面的にイランからの支援に頼っており,イラン保守派とのパイプの太い人間が,指導部を形成するという図式は,現在も続いている.

 ヒズボラの中でも,過激グループのリーダーとして,特に以下の人物が知られている.

●フセイン・ムサウィ
 1943年生まれ.シーア派民兵組織「アマル」のバールバック(ベッカー高原)司令官だったが,82年に自派を率いて「イスラミック・アマル」を結成.直後にヒズボラ創設に参加.
 ヒズボラ・バールバック司令官という事になっているが,事実上の軍事最高司令官.
 80年代半ばに「イスラーム聖戦機構」名で行った数々のテロの黒幕と言われる.

●スブヒ・トゥファイリ
 元書記長.ナジャフとコムの神学校で学んだイスラーム導師.ヒズボラ宗教指導者層で最も過激なテロ煽動者と言われる.
 98年1月,最高指導評議会から外された事で,自派が蜂起.実力を見せ付けたことで,逆に発言力を増したという説もある.

●ハッサン・サイード・イッザルディン
 80年代,イマド・ムフニエと共に多くの海外テロ工作を指揮.
 94年11月,モサドとCIAによる拉致未遂に遭う.

●イブラヒム・アケル
 シリア情報部に近い.
 海外テロ工作を多数実行.
 フランスでは欠席裁判で終身刑が確定している.

●アブドル・ハジ・ハマディ
 ヒズボラ情報部長.
 フランスでは欠席裁判で終身刑が確定している.

●イマド・ムフニエ
 ヒズボラ軍事部門でテロ実行グループを率いるテロリスト.
 85年6月のTWA機ハイジャックを実行し,その名を知られるようになった.
 他に,特に80年代,「イスラーム聖戦機構」名で実行した数多くのテロ事件を首謀したとされる.
 主なものだけでも,
・83年4月の在ベイルート米大使館爆破(63人死亡),
・同年10月のベイルート駐留米海兵隊兵舎と仏軍司令部への自爆テロ(297人死亡),
・同年12月の在クウェイト米大使館爆破(12人死亡),
・84年9月の在ベイルート米大使館施設への自爆テロ,
・同年12月のクウェイト航空機ハイジャック,
・85年5月のクウェイト首長暗殺未遂,
・89年4月の2度目のクウェイト航空機ハイジャック
など,枚挙に暇がない.
 また,80年代に多発した30人以上のレバノン在留欧米人誘拐の幾つかも,彼が直接指揮したと見られている.

 90年代に入ると,CIAやイスラエル情報部などの追撃を恐れてイランへ逃亡.イラン情報省の警護兵つきでテヘランのホテルに潜伏したと伝えられた.
 個人的にも,当時のイラン情報相アリ・ファラヒヤンや革命防衛隊司令官モフセン・レザイと親交があると言われている.
 90年代はむしろ,イラン情報部の海外テロ機関と完全に連携するようになったようだ.

 ムフニエのテロ部隊が次に動いたとされているのが,94年7月の在ブエノスアイレス・ユダヤ共済会館爆破テロ(96人死亡)である.これは,その2ヶ月前の,ベッカー高原へのイスラエル特殊部隊急襲への報復として行われた.
 同時期,パナマやロンドンでもヒズボラによるテロが相次いだが,いずれも「イラン情報部→ムフニエ」の指揮系統による犯行の可能性が高い.

 なお,94年2月,弟のファド・ムフニエが南ベイルートで爆殺されている.イスラエル情報部による報復攻撃と見られている.

 96年4月,ムフニエは以下のテロリストが,東エルサレムのホテルで爆弾を製造中,爆発事故を起こし,自ら重傷を追った.イスラーム寺院を爆破し,騒擾を起こす計画だったとされる.

 ムフニエの消息が最後に伝えられたのは97年.ヒズボラ警護部隊指揮のため帰国したとされる.
 現在は,ヒズボラ元書記長で宗教指導層の最強硬派,スブヒ・トゥファイリの部隊に合流している可能性が高い.
 ヒズボラが最も世間の耳目を引いたのは,駐留米仏軍などへの自爆攻撃と,特に84〜86年に最高潮に達した在留欧米人誘拐だろう.
 80年代,ヒズボラに誘拐された欧米人は30人以上に及び,内,何人もが処刑されている.
 ヒズボラのテロがようやく沈静化するのは,90年代に入ってからだ.
 それは彼らが平和的になったからではなく,イランから地対地ロケット「カチューシャ」が大量に送られてくるようになったため,活動目標を,より対イスラエル戦にシフトしたからである.

 ただ,それでもテロがなくなったわけではない.
 90年代前半,湾岸戦争に絡むテロがレバノンでも続出したが,ヒズボラもその幾つかに参加していた.
 バハレーンやサウディアラビアで時折発生するシーア派過激派の事件でも,しばしばヒズボラの関与が取り沙汰された.

 ヒズボラのテロ活動は中東地域に限らず,全世界に広がっている.
 例えば1992年2月,ヒズボラ書記長アッバス・ムサウィがレバノン南部でイスラエル特殊部隊により暗殺されると,その報復を翌月,アルゼンチンで実行.在ブエノスアイレス・イスラエル大使館を爆破し,29人を殺害.
 94年5月,ベッカー高原を急襲したイスラエル特殊部隊が,イラン人教官を含む26人を殺害し,ヒズボラ幹部ムスタファ・ジラニ――86年にイスラエル兵を誘拐,イランに引き渡した責任者――を拉致すると,その報復として,同年7月,ブエノスアイレスのユダヤ共済会館に車両爆弾を仕掛け,96人を殺害.
 その翌日にはパナマで,ユダヤ人実業家多数が搭乗する国内線小型シャトル便を自爆テロで爆破し,乗員乗客20人を殺害.その内,ユダヤ人は,米国籍3人を含む12人.
 その一週間後にはロンドンで,イスラエル大使館とユダヤ人慈善団体事務所を車両爆弾で襲撃.

 ユダヤ共済会館爆破については,イラン情報部関係者の亡命により,事件の背景が多少判明している.
 それによると,計画はそもそもイラン政府中枢で決定され,イラン情報省情報部(当時はファラヒヤン長官)が司令部となり,ヒズボラ書記長ハッサン・ナスララと調整の上,イマド・ムフニエの海外テロ部隊が出動した可能性が高いようだ.

 アルゼンチン捜査当局は,実行犯のバックアップで動いたイラン大使館員4人を特定し,さらには,事件に使用された盗難車を調達した地元不良警察官グループなど30人の下請け共犯者を逮捕・起訴したが,まだ実行犯は逮捕されていない.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.38-39, 75-82)


 【質問】
 ヒズボラとマフィアの結びつきは?

 【回答】
 レバノン人移民社会を母体とするレバノン・マフィアが,ヒズボラと結びついているのではないかとする疑惑がある.
 以下抜粋要約.

 南米の事件では,特に疑惑が指摘されたのが,アルゼンチンおよびブラジルとの国境に近いパラグアイのエステ市で,その周囲に形成された移民社会と,そこを母体とするレバノン・マフィアが,ヒズボラの一部と連携しているのではないか,ということだった.

 イスラーム組織とマフィアの組み合わせ自体は,特に驚くことではない.
 そもそもヒズボラが牛耳る,レバノンのベッカー高原は現在,世界有数のヘロイン精製基地であり,間違いなく両者は接点があるからだ.

 南米以外にも,南アフリカ・ケープタウンでも,地元麻薬組織と抗争しているイスラーム系地下組織「パガド」が,ヒズボラと共闘しているとされる.
 やはりそこにも,小規模ながらレバノン人移民社会があり,レバノン・マフィアが形勢されている.
 アフリカ東西両海岸部の幾つかの小さな町でも,ヒズボラが出没することがあるが,それは大抵レバノン・マフィアの拠点とされている土地だ.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.79-80)


 【質問】
 自殺が禁じられているはずのイスラームにおいて,「ヒズボラ」の自爆テロはなぜ誕生したか?

 【回答】
 シーア派に根強い殉教思想の影響だという.
 以下,抜粋要約.

 イランのイスラーム過激派が背後で糸を引くヒズボラは,黒幕の意向に沿って動くことを,当初から求められたといえる.
 そのため,ホメイニ崇拝の思想捜査が徹底して行われ,兵士達には殉教精神が叩き込まれた.
 そして,イスラームの教義で自殺が禁じられていても、シーア派に根強い殉教思想が,それを容認し,神聖的行為として正当化する事になった.

 1983年10月,ベイルート駐留中のアメリカ海兵隊宿舎とフランス軍司令部に,ヒズボラ兵士の運転する自爆トラックが突入,297人もの犠牲者を出すことになった.
 イラン政府や,その息のかかる各国のシーア派過激原理主義者は,こぞってこれを聖なる殉教行為と称えた.アラブの地に「侵略」した異教徒軍に,これだけの被害を与えた自爆攻撃という手法は,その後,ヒズボラ内部で華々しく宣伝・奨励され,多くの自爆テロ予備軍を生み出した.
 この事件は正に,イスラーム・テロの転換点といっていい事件だったと言える.

 同じ頃,イラン西部の戦場では,イラン革命防衛隊の兵士たちが,近代兵器で迫り来るイラク軍に,捨て身の人海戦術を仕掛け,自らの屍の山を築きながら押し返しつつあった.
「神は偉大なり!」
と叫んで死んで言った彼らも,やはり殉教者と呼ばれた.

 結局のところ,イラン中心の殉教の論理は,「ホメイニのための殉教」ということであり,そこから発展したシーア派テロリズムも現実には,「イラン聖職者支援のためのテロリズム」に過ぎなかった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.39-41)


 【質問】
 ラシュディ事件とは?

 【回答】
 著書「悪魔の詩」で神を冒涜した表現を使用したとして,著者のインド系英国人作家サルマン・ラシュディが,ホメイニから死刑宣告を受けた事件.
 以下抜粋要約.

 著書「悪魔の詩」で神を冒涜した表現を使用したとして,著者のインド系英国人作家サルマン・ラシュディに対し,1989年2月,ホメイニが死刑宣告のファトワ(イスラーム法判断)を発布.
 以後,ラシュディは地下潜伏を余儀なくされ,ノルウェーでは,この本を出版しようとした出版社社長が襲撃されて重傷を負い,日本では19917//12,翻訳者,五十嵐一筑波大助教授が大学構内で惨殺されている.
 これが果たしてホメイニの放った暗殺者の手によるものかどうか,真相はいまだに明らかでないが,他に動機もないことから,可能性として極めて高いと考えざるを得ないだろう.

 1994年2月,イランのイスラーム財団「15ホルダド基金」は,ラシュディ殺害に200万ドルの賞金をかけたことを発表.
 97年2月にはそれを250万ドルに引き上げている.

 2001年6月,ハターミー大統領が「ラシュディ事件は終わった」と発言し,イラン政府として事件終結を表明した.
 しかしイスラームのファトワは,宣言した本人にしか撤回の権利がないため(この場合はホメイニ),イスラーム法上は,このファトワは今もなお生きている.
 賞金も取り下げられたわけではない.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕「イスラムのテロリスト」
講談社,2001/10/20,p.60-61)


 【質問】
 イラン国内では,テロリストの訓練は行われているか?

 【回答】
 イランは自国領内にも,海外のテロ組織用秘密訓練基地を建設していたということは,多くの西側メディアが指摘している.
 もちろん,そこを実際に取材したレポートは存在しないため,推測の域を出ないが,「ニューヨーク・タイムズ」始め,比較的信用度の高いメディアのレポートを総合すると,ほぼ以下のような情報がCIA筋からリークされていることが伺える.

 98年時点の情報では,イラン国内にあるテロ訓練所は最低11ヶ所.95〜96年にサウディアラビア駐留米軍を標的に行われた爆弾テロに使用された起爆装置は,このどこかで製造された疑いもある.

 訓練所で最大のものは,コム近郊にあるイマム・アリ基地.サウディアラビア,アルジェリア,エジプト,パレスチナ,ヨルダン,リビア,シリア,トルコなどからのイスラーム過激派を訓練している.
 97年までに5千人以上の若者が軍事訓練を受け,中でも500人程度は自爆テロの訓練も受けたと見られる.
 要員は,当初はコムのイマム・アリ大学の留学生らをオルグしていたようだが,その後は各地の組織から派遣されてくることが多くなったという.
 創設は94年.
 監督者は大統領府情報部で,運営は革命防衛隊特殊部隊「クドス部隊」が担っている.
 創設当時の大統領はラフサンジャニで,大統領府情報部のトップは,ラフサンジャニの親族が務めていたとされる.
 これが事実ならば,このプランにはラフサンジャニ自身が初めから深く関わっていた可能性が,極めて高いと言える.

 メディア報道の中には,
「ラフサンジャニはハト派で,ハメネイはタカ派」
と単純に色分けしているものも少なくないが,ラフサンジャニ大統領時代にも大統領府情報部が関与したとされるテロ事件が相次いだことなどを考えると,それはおそらく正しい認識ではない.

 イマム・アリ基地以外にテロ訓練所として名前が取り沙汰されたのは,
テヘラン郊外のタリク・アル・コド,
テヘラン北東のカズヴィム,
テヘラン北方のマザリシュ,
コム郊外のバヘシュティエ,
ペルセポリス郊外のマルブダシュト,
同バデンガ・ガユウル・アスリ,
アフワズ郊外,
ハマダン郊外,
などである.
 いずれも外界とは完全に遮断されているとされている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.72-74,抜粋要約)


◆◆ムスリム同胞団


 【質問】
 「ムスリム同胞団」はどのような経緯で誕生したか?

 【回答】
 黒井文太郎は以下のように説明している.

 1928年,22歳の教師ハッサン・バンナによってエジプトのイスマイリアで結成.過激原理主義組織の始祖的存在である.
 バンナは,エジプトを支配している英国への聖戦を「イスラーム教徒の義務である」と説き,「イスラーム国家建設」を目標とした.

 それ以前,バンナは大衆的なイスラーム神秘主義組織「タリーカ」に属しており,そのため,ムスリム同胞団は,教義修養よりも「神は偉大なり!」とひたすら叫ぶタリーカの大衆性に,「異教徒は出ていけ!」と叫ぶ反英抵抗運動思想をミックスした物だったと考えることができる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.16-18,抜粋要約)

 その彼らの特質として,大塚和夫は次のような点を指摘している.

 彼〔ハサン・バンナー〕を始め,同胞団の幹部にはウラマーではなく,むしろ19世紀の末以降エジプトで設立された,脱宗教的な高等教育機関の出身者が多かった.
 彼らは,伝統的なイスラーム教育とは一線を画した所で,自らの知的形成を行い,近代的な学問にも明るかった.
 彼らは,「西洋近代的知」との対峙を通してイスラームをいったん相対化した上で,改めて政治的イデオロギーとして選択する「イスラーム主義者」なのであった.

(大塚和夫=社会人類学者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.185)


 【質問】
 ムスリム同胞団は何故組織拡大できたか?

 【回答】
 難解な神学理論には馴染めない大衆にも,神秘主義系組織は浸透し易い.
 同胞団の単純な排他主義は,シンプルであればこそ不満分子の求心力となり得た.

 さらに,第2次大戦が勃発すると,英軍は親ナチス系反英組織「ヤング・エジプト」(通称:緑シャツ隊)を弾圧.
 そのため,同胞団は,唯一の不満者の受け皿として,ますます組織拡大し,近隣アラブ諸国にも浸透.
 大戦終結時には,メンバーは5-7万人に達していたと言われる.

 1941年頃からしばしば弾圧されるようになり,そのため,47年に急進派と穏健派の内部抗争発生.
 熾烈な抗争の結果,バンナ擁する急進派が主導権獲得.組織は更に過激路線へ.

 そんな折,48年5月に第1次中東戦争勃発.
 ムスリム同胞団はメンバー多数が義勇軍として参戦.
 その行動は,アラブ大衆に救世軍的人気を引き起こし,瞬く間にメンバーは百万人近くまで急増.
 バンナは組織中核として約4万人の「青年行動隊」を組織すると共に,自身の私兵として,100-200人程度の秘密武装組織「特別機関(タンズィーム・アル=ハース)」を創設するのだった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.17-18,抜粋要約)


 【質問】
 イスラーム過激原理主義テロ組織の元祖は?

 【回答】
 バンナが創設した,100-200人程度の秘密武装組織「特別機関(タンズィーム・アル=ハース)」が,事実上の元祖.
 当初はバンナ自身の私兵だったが,これがエジプト支配層への組織的攻撃を開始,テロ組織化した.
 1948年12月には,ムスリム同胞団に対する弾圧政策への報復として,マフムード・ヌラクシ首相を暗殺.

 しかし,暗殺の指令者であるバンナは,その報復として49年2月に暗殺される.
 処刑部隊を指揮したのは,当時の首相警護隊長だったと言われている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.18-19,抜粋要約)


 【質問】
 弾圧されていたムスリム同胞団が,突然1951年になぜ合法化されたのか?

 【回答】
 ファルーク国王と,国内ライバル勢力との主導争いの余波.
 国王はその際,政治的戦術として,バンナ暗殺後の新指導者ハッサン・ウスタス・フダイビと手を組んだ.
 そのため,投獄中のメンバーが多数釈放され,同胞団も合法化されて,大衆組織として活動再開することが許されたのだった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.19,抜粋要約)


 【質問】
 クトブ派とは?

 【回答】
 1952年7月,エジプトに,ガマル・アブドル・ナセル中佐率いる「自由将校団」によるクーデターが起きた際,ムスリム同胞団は当初これに協力したが,新政権から同胞団が排除されたことにより対立.
 54年にはそれが表面化し,指導者フタイビらが逮捕され,同胞団指導部は大混乱に陥る.

 そしてその間隙に,一人の急進派中堅幹部が台頭する.
 それが,同胞団機関紙「ダワ(イスラームの呼びかけ,の意味)」編集長だったサイード・クトブ.
 彼は,
「イスラーム回帰に与しない者は,全て抹殺せよ!」
という極端に過激な説を提唱.
 現在でも「クトブ主義者」といえば,イスラーム・テロの最過激派と位置付けられている.

 このムスリム同胞団クトブ派の暗殺者アブドル・ラウーフが,1954年10月,ナセルを銃撃したため,ムスリム同胞団は徹底的弾圧を受けることになる.同胞団は再度,非合法化され,クトブを始めとする約6000人が投獄.
 摘発を逃れたメンバー数千名は国外逃亡(多くはサウディアラビア).
 後に起こったテロ組織の中核は,殆どがこのときの投獄者・逃亡者の中から生まれている.

 ムスリム同胞団は,その後,長い低迷期に入る.
 クトブは64年に釈放されるが,1年後,
「再びナセル暗殺と国家転覆を計画した」
として再逮捕され,さらにその1年後に処刑されたのだった.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.19-21,抜粋要約)


 【質問】
 「イスラーム解放党」とは?

 【回答】
 1952年のナセル政権発足後に,当時のフダイビ指導部に反発して誕生した分派.
 第1次中東戦争時にムスリム同胞団義勇兵達が接触していた,アラブ各国の軍人コネクションに浸透し,エジプトよりも,むしろヨルダンなどを中心に成長.

 54年のナセル暗殺未遂後も,弾圧を逃れた多くの残党が,小規模地下組織を数多く発足させ,それらの殆どがそれぞれ「イスラーム解放党」あるいは「イスラーム解放機構」を自称したが,相互連携も殆どなく,大きな勢力には成長しなかった.

 当時はむしろ,アラブ全体がアラブ民族主義・社会主義の大ブームに沸いており,イスラーム過激原理主義は,時代の主役とはなりえなかったこともある.

 彼らの実力が飛躍的に向上したのは,73年10月の第4次中東戦争直後だった.
 戦争に積極参加した事により,軍内部に支持者を獲得した上,スエズ運が地方から引揚げた武器が多く流れ込んだからだ.
 エジプト陸軍将校の中にも,イスラーム過激原理主義者の細胞が組織された.

 アラブ民族主義も少しずつ色褪せ始め,社会主義にもソ連の覇権主義が,暗い影を落とし始めたことにより,イスラーム過激原理主義自体も息を吹き返したのである.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.22-23,抜粋要約)


 【質問】
 テロ組織「ジハード」とは?

 【回答】
 黒井文太郎によれば,その経過は以下の通り.

 1974年4月,奇妙な「クーデター計画」が起こった.
 ムスリム同胞団出身の過激派が,カイロ軍事工科大学の学生達をオルグして結成した「ムハマドの息子達」と名乗る20人のグループが,同大学に武装して立て篭もり,蜂起の同調者を募ったのである.
 百数十人が同調したものの,銃撃戦の末に鎮圧され,首謀者イブラヒム・サリーヤは絞首刑となった.

 だが,副官格のハッサン・ハラウィは脱獄してアレクサンドリアに逃亡.
 彼が旗揚げした新たな組織が,この「ジハード」である.
 この組織は,クーデター未遂という実績によって過激原理主義者の人気を呼び,メンバーを増やした.

 だが,77年8月に大弾圧を受けると,組織は潰滅状態となる.
 地下に潜伏した残党達はその後,他のムスリム同胞団出身過激派人脈や,過激原理主義系の軍人地下グループなどとの合同・分裂を繰り返したが,79年末,ようやく「ジハード」再結成に至る.
 その最有力派閥は,カイロのスラムを本拠とするムハマド・ファラグのグループだったが,そこに陸軍少尉ハリド・イスランブーリ,軍情報部少佐アブドル・ズマルらが加わったことにより,テロ組織としての潜在力は強化された.

 95年11月には,2台の車両爆弾による自爆テロがパキスタンで発生,エジプト外交官1人を含む15人が殺害された.
 「ジハード」別働隊である「征服の前衛」が,犯行声明を出している.

 96年4月には,年配者のギリシャ人から成るキリスト教徒巡礼観光団200人の一行が,カイロのギザ地区にある宿泊先のホテル・ヨーロッパ前でバスを待っていたところに,1台のバン・タクシーが接近.
 そこから黒い革ジャン姿の男が4人飛び出し,「神は偉大なり!」と叫びながら銃を乱射,一八人を殺害した.
 被害に遭った一行は,エジプトの前にイスラエルを観光しており,そこから陸路でカイロに入っていた.
 また,現場となったホテルは,普段からイスラエル人観光客が多いホテルだった.
 こうしたことから,犯行グループはイスラエル人観光団と誤認した可能性が高いと考えられている.

 97年9月には,カイロ中心部のエジプト考古学博物館前で駐車中の観光バス2台を,テロリスト3人が自動小銃と手榴弾とで襲撃,ドイツ人観光客9人とエジプト人運転手1人を殺害した.
 犯人達は「ジハード」支持者だったが,背後の組織関係は明らかになっていない.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.23-24, 103-105,抜粋要約)


 【質問】
 「ジハード」のイデオロギーは?

 【回答】
 イスラーム地域研究家・宮田律によれば,次のように説明される.
 宮田はイスラームに肩入れする傾向があり,全面的に信頼する事は難しいが,一応,以下に引用する.

 「ジハード(イスラーム・ジハード団)」のイデオロギーが最もよく表現されているのは,アブドル・サラーム・ファラグの著書,「アル・ファリーダ・アル・ガイバ(無視された義務)」であり,その中ではイスラーム教徒の教義の内,最も重要なものは「ジハード」であると述べられている.

 ファラグは,「ジハード」は,その重要性にも関わらず,長年イスラームの聖職者達によって無視され続けてきた,と考える.
 聖職者達は,その重要性に対して知らぬふりをしてきたが,ファラグによれば,新たにイスラームの栄光を構築する道は「ジハード」であり,「ジハード」は,ムスリムを装う政治支配者,聖職者,また非ムスリムに対して行わなければならない.
 ファラグは,ムスリムとはイスラームの法に基づいて生活する者であり,サダートを初めとするエジプトの指導者達はムスリムに該当しないし,また,こうした「似非ムスリム」の支配者達と協力すること自体,不敬虔なことなのである,と訴えた.

( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.82,抜粋要約)


 【質問】
 アブドル・ムネイブ・ムニーブとは?

 【回答】
 通称「ドクトル・ファドル」.
 「ジハード団」の元理論家.
 1993年,イスラーム過激主義に関与したとして逮捕さる.
 獄中で転向.
 2007年夏,釈放.

 彼によれば,獄中のジハード団は
(1) 従来の原則を守り,かたくなに「転向」を拒否する
(2) 「イスラム集団」と同様に「過去の過ち」を認め,政府転覆を唱えないと誓約する
(3) 武装闘争放棄など戦略の見直しを受け入れる用意はあるが,政府がジハード団の政治活動を許可することが条件
(4) サイイド・イマームとその支持者のように理論面で路線転換しつつも,政府支持を打ち出すわけではない
という4つの流れに割れているという.

 【参考ページ】
2008年12月22日10時39分付,産経新聞(by 村上大介)

アブドル・ムネイブ・ムニーブ
産経新聞より引用)


 【質問】
 なぜアンワル・サダト大統領は,ムスリム同胞団の活動を黙認したのか?

 【回答】
 1970年のナセル急死後,ナセル派残党との勢力抗争下にあったサダトが,イスラーム勢力を味方につけるため,非合法ながら活動黙認という政策をとった.
 この黙認政策の下で,同胞団は穏健派と急進派を内包しつつ,国民的規模の組織を再構築.
 その間口の広い「緩やかな大衆組織」という性格は,現在まで受け継がれている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.21,抜粋要約)

 なお,同胞団がエジプトにおいて穏健化したのは,ディリプ・ヒロ著「イスラム原理主義」によれば,正統派イスラーム法学者による獄中メンバーの再教育が行われたからであり,決して自ら性格を変えたわけではない.


 【質問】
 「タクフィル・ワル・ヒジラ」とは?

 【回答】
 1971年に刑務所から釈放された,アシュート出身の元ムスリム同胞団活動家シュクリ・ムスタファがミニヤで結成した組織.
 組織名は「贖罪と聖戦」の意.イスラーム創世記の逸話に発する用語だが,アラブでは一種の信仰スローガンと認知される.

 同組織は,クトブ主義に通じる,
「世俗政権を認める者は全て抹殺すべし」
という極論に則り,無差別テロを推進.
 治安部隊によって潰滅させられるまでの6年間に,数百件ものテロを行い,コプト教徒のみならず,宗教資産相を含む,政府関係者やイスラーム穏健派など多数の人間を殺害した.
 勢力は,当時の「ジハード」などと比べてもかなり大規模で,最盛期で3千〜5千人にも及んだという.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.25,抜粋要約)


 【質問】
 キャンプ・デービット合意に対するイスラーム過激派の反応は?

 【回答】
 1978年9月の同合意でイスラエルとの和平に踏み切ったサダト大統領は,「アラブの裏切り者」として各方面から非難の集中砲火を浴びた.
 エジプト国内でも,イスラーム過激派による反サダト活動が活発化.

 一方,上ナイル地方では,イスラーム教徒とコプト教徒の対立が,大規模暴動に発展.
 サダト政権はイスラーム勢力の一斉摘発に乗り出し,81年9月には,ムスリム同胞団急進派および「イスラーム集団」の活動家ら約4500人を投獄.

 これに対し,81年10月,第4次中東戦争記念軍事パレードに臨んだサダトを,「ジハード」の暗殺者4人が襲撃,殺害に成功する.
 実行犯リーダーは,ハリド・イスランブーリ少尉.
 作戦を首謀したのは「ジハード」のトップ,ムハマド・ファラグと,同ナンバー2のアブドル・ズマル少佐.
 武器調達には,ファラグと関係ある「タクフィル・ワル・ヒジラ」残党人脈が関わっていた.

 また,「イスラーム集団」も,その2日後,騒動に乗じてアシュートで蜂起,町を2日間に渡って占拠したが,結局は鎮圧された.
 この蜂起を工作したのは,「ジハード」のズマル少佐と言われており,両組織は以前から密接な協力関係にあったようだ.イスランブーリ少尉の実兄ムハマド・イスランブーリも,「イスラーム集団」の古参メンバーである.
 しばしば,
「『ジハード』は,軍人や政府内部に浸透するエリート層の地下組織」
であり,
「『イスラーム集団』は,上ナイル地方およびカイロのスラム地区に根を張る武装組織」
という説明がなされている.
 それは,組織の性格としてはほぼ正しいとも言えるが,テロ人脈のレベルで見れば,それほど明確に区分されてはいないようだ.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.25-27,抜粋要約)


 【質問】
 「イスラーム集団」とは?

 【回答】
 イスラーム・テロ中核組織.
 70年代半ば,アシュートの学生組織として発足.

 81年10月,「イスラーム集団」は,サダト暗殺の2日後,騒動に乗じてアシュートで蜂起,町を2日間に渡って占拠したが,結局は鎮圧された.
 この蜂起を工作したのは,「ジハード」のズマル少佐と言われており,両組織は以前から密接な協力関係にあったようだ.イスランブーリ少尉の実兄ムハマド・イスランブーリも,「イスラーム集団」の古参メンバーである.
 しばしば,
「『ジハード』は,軍人や政府内部に浸透するエリート層の地下組織」
であり,
「『イスラーム集団』は,上ナイル地方およびカイロのスラム地区に根を張る武装組織」
という説明がなされている.
 それは,組織の性格としてはほぼ正しいとも言えるが,テロ人脈のレベルで見れば,それほど明確に区分されてはいないようだ.

 その直後の大弾圧により,アフ【ガ】ーニスタンに多くのメンバーが逃れ,「ジハード」メンバーと共に,「ダワ・ワ・シャリア」(イスラームの呼びかけと法)という部隊を組織.
 ソ連軍と交戦すると共に,この部隊はイランと接近.

 その後,スーダン国内のイラン管理下のテロ訓練基地で,多くの「イスラーム集団」メンバーが訓練を受ける.

 ソ連軍撤退後,エジプトに帰還した義勇兵は,国内に残っていた「イスラーム集団」に合流.アフ【ガ】ーン仕込みの攻撃性を爆発させ,無差別テロを展開する.
 特に92年4月〜7月,アシュートで対コプト教徒抗争が劇化したが,その時最も暴れまわったのが,アフ【ガ】ーン帰還兵の「イスラーム集団」軍事副司令官ガマル・フライデーの部隊だったと言われている.

 これに対し,同年8月,エジプト治安部隊がアシュートに入って大弾圧を行った(3600人逮捕)が,その報復として,「イスラーム集団」は新たなテロを開始.
 10月,外国人観光客処刑方針を宣言すると共に,実際にアシュートで観光バスを襲撃,イギリス人1人を射殺したのである.
 以後,観光客襲撃は頻発する.

 同年12月,紛争はカイロに飛び火.
 貧困地区インババで「イスラーム集団」支持者1000人以上が逮捕されたが,この報復合戦がエスカレートし,翌93年1月,上ナイル地方で「イスラーム集団」と治安部隊が全面衝突して,事実上の内戦状態に突入した.

 2月には,カイロの中心街で爆破テロが発生,外国人を含む3人が死亡した.
 首都でも無差別テロが開始され,爆弾テロ・観光客襲撃・要人襲撃はその後,日常化した.

 これに頭を悩ませたエジプト政府は,パキスタンに圧力をかけ,94年3月,ペシャワールからのアラブ人義勇兵追放を約束させる.

 95年6月,エチオピア・アジスアベバでムバラク大統領暗殺未遂事件が起こる.
 OAU総会出席のため,アジスアベバを訪問したムバラク大統領は,待ち伏せていた「イスラーム集団」襲撃チーム11人に襲われ,間一髪で危機を逃れた.
 エチオピア警察の追跡で,犯人の内3人が逮捕されたが,ムスタファ・ハムザ,フセイン・アリウフ,イザト・ヤシンの3人は,スーダン航空機でスーダンへの逃亡に成功した.
 その後の捜査で,犯人グループはスーダンから入国したことが判明,使用された武器もスーダン大使館が準備した疑いが強いとされた.
 ムバラク大統領は「スーダンが黒幕」と声明を発表,スーダン国境に軍を投入した.
 スーダン側は関与を否定.
 イスラエルは独自情報で「黒幕はイラン」と発表したが,イランも否定.
 逃亡した3人の身柄引渡要求に対し,スーダンは「所在が確認できない」と拒否.
 そのため,国連安保理による外交制裁が発動.

 後に,主犯ムスタファ・ハムザらはアフ【ガ】ーニスタンに逃亡していたことが確認されている.外交問題に成ったことで,スーダンに居辛くなったようだ.
 また,スーダン情報部で「イスラーム集団」を担当するムハマド・セラジ大尉が協力したという情報も流れた.

 観光収入激減の自体を重く見たエジプト当局は,「イスラーム集団」のみならず,「ムスリム同胞団」急進派までも含めた,イスラーム過激原理主義徹底取り締まりに乗り出した.
 上ナイル地方に一時は1万人以上の動員力を持っていたという「イスラーム集団」も,獄中の指導者がテロ放棄を宣言するなど,流血回避に動き出した.
 その後,国内でのテロ・武装闘争は沈静化しつつあるが,過激派は新たな戦場を求め,再びアフ【ガ】ーニスタンに戻りつつあるという情報もある.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.27-106,抜粋要約)


 【質問】
 ルクソール事件とは?

 【回答】
 観光客で賑わうルクソールの,ハトシェプスト女王葬祭殿前広場に,武装した「イスラーム集団」テロリスト6人が乱入,日本人観光客10人を含む62人を殺害した事件.
 襲撃グループ・リーダー,メトハト・アブドルラーマンはアフ【ガ】ーン帰還兵.他はアシュートの学生だった.
 テロの使命感に燃えるアフ【ガ】ーン帰還兵が,「イスラーム集団」の本拠地であるアシュート地方で,若者達をオルグし,テロ・チームを編成していると考えられる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.105,抜粋要約)


 【質問】
 なぜエジプトでは若者にイスラーム回帰傾向が顕著なのか?

 【回答】
 若者が精神的に不安定な立場に置かれているためだという.
 エジプトでは失業率は,公式発表でも1割,実際の失業率はそれより大幅に高く,カイロ大を卒業しても就職できない人は3割近くに上るという.
 就職にはコネが必須.
 また,90年頃からは,国営企業民営化がインテリ層や中産階級の没落につながっているという.

 詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.82-83を参照のこと.


 【質問】
 ムスリム同胞団は,子供向けウェブサイトでどのようなプロパガンダを行っているのか?

 【回答】
「アメリカはムスリム世界の支配を熱望している.
 子供たちを殺害することはユダヤ教(の慣習)の一部である」
などと敵意を掻き立てているという.
 以下引用.

エジプトのムスリム同胞団のウエブサイトのホームページ
http://www.ikhwanonline.com
は,子供向けのウエブサイト
http://www.awladnaa.net(「アウラードナー(我々の子供たち)」)
にリンクしている.
 このサイトにはーー異端者一般,とりわけアメリカに対するジハードの賞賛,ユダヤ人がどのようにしてアッラーの預言者25人を殺害したか,ユダヤ人が習慣的に子供たちを殺害しているといったーー相異なる問題に関するさまざまなセクションがある.
 また,他のページには(スペインの)セビリヤとアンダルシアをムスリムの大ホームランドの一部と言うテキストが掲載されている.
 これらテキストは,両地域がムスリムの統治の下で享受した長期間の繁栄について述べている.

 以下は,子供向けのウエブサイトに掲載されたテキストの抜粋である.

 我々の兄弟であるムジャヒディン(ジハード戦士)に殉教を与え,そしてイスラムに勝利をもたらすよう,我々はアッラーに懇願する

子供たちのために
http://www.awladnaa.net
に掲載された記事の中に,ジハードの賞賛がある.
 「一般教養」と言うタイトルがついたページには,「ジハードを戦う預言者」と題する記事がある.
 その記事は「預言者は異端者と偽善者に対してジハードを戦い,彼らにこう警告を与えた.
 お前たちの避難場所は地獄である,
 お前たちの運命はなんと不吉なことか,と」※1

 このサイトにはまた,アフガニスタンとイラクにおける(イスラム過激派などの反米)抵抗運動を賞賛する記事が掲載されている.
 ムスリム世界の様々な地域を概説する「私の大ホームランド」と言うタイトルのセクションはこう述べる.
 アフガニスタンは「現在,ムスリム世界の支配を切望する抑圧的なアメリカの占領下にある.(この占領は)アフガニスタンで始まった.そして,我々の最愛の地イラク(に移った).
 そして,おー見よ,アメリカは現在シリアなどを脅かしている.(ブッシュ米大統領は)ムスリム世界に対する十字軍を宣言した.
 そして,我々の役割は,アッラーの敵に対するジハードに備えることだ」※2

 同サイトはまたイラクについてこう言う.
「現在行われているイラクの抵抗運動は,独立闘争とアメリカの侵略を排除する(闘争の)最も美しい例証である.
 我々はアッラーに以下のことを要望する.
 ムジャヒディンの兄弟が自らの手でアメリカの侵略を排除すること,
 アッラーのための殉教をムジャヒディンにお与えになること,
 イスラムに勝利を与え,ムスリムを強化されること,あらゆるところで我々の兄弟の血をお守りになることだ」※3

ユダヤ人はアッラーの預言者たちを殺した,また子供たちを殺し,イスラム諸国に対して陰謀をめぐらす

 同サイトはジハードと抵抗運動を賞賛する記事を掲載するとともに,反ユダヤ主義にスポットを当てている.
 例えば,「一般教養」のページは,スエズ運河,オレンジ,ホンムス(ひよこ豆の料理),アプリコットといったさまざまなトピックとともにユダヤ人に関する記事を掲載している.
 「あなたは知っていたか」という記事は次のように言う.
「あなたは知っていたか.ユダヤ人がアッラーの預言者25人を殺害したこと,
 また,彼らの暗黒の歴史が殺人と堕落の罪で満たされていることを.
「貴方は知っていたか.犯罪者のユダヤ人がしばしば我々の主の悪口を言い,悪態をついていることを.
 彼らの発言の中に,『アッラーの手は鎖で縛られている(人間に自由に恵みを授けることはできない)』(コーラン5章64節)という発言がある.
 (しかし)アッラーは,これを超越している.
「あなたは知っていたか.ユダヤ人が,我々の最愛の預言者(ムハンマド)の暗殺を何度か図ったが,全能のアッラーは,ユダヤ人の陰謀から預言者を救われたことを.
「あなたは知っていたか.現在世界に広がる堕落と逸脱は,ユダヤ人による活動と計画の結果であることを.
 彼らの関心は,アッラーの道から人々を迷わせ,遠ざけることにある.
「あなたは知っていたか.我々の最愛のパレスチナの地と聖地を占領するユダヤ人が,その他のムスリム諸国家の占領も計画していること,
 ユーフラテス川からナイル川に至る大イスラエルの樹立を計画していること,
 ユダヤ人が我々の最愛の預言者の墓で発掘を計画していることを.
「あなたは知っていたか.ユダヤ人が今日,テロに対する戦争の名目で,イスラムとムスリムに対し全世界を煽動していることを.
 また,ユダヤ人が,イラクとアフガニスタンに対して行ったように,その他のムスリム諸国に対しても陰謀を企てていることを」※4

 また,「メンバー参加」セクションの記事ーータイトルが「子供たちの殺害はユダヤ教の一部」で筆者はマハムード・ナビールMahmoud Nabilーーは,こう主張する.
「(他者を)殺害するユダヤ人の観念ーーまさに祭儀のレベルにまで達したその観念に関し(ユダヤ教の律法)トーラーから証拠を集めること」は可能である.例証はイザヤ書と申命記に示されている.※5
 アンダルシアはイスラムの大ホームランドの一部である
「私の大ホームランド」というセクションは(スペインの)セビリヤとアンダルシアをエジプト,ダマスカス,(エルサレムの)アルアクサー・モスク,イスタンブール,ボスニア・ヘルツェゴビナやモルジブなどとともにムスリム・ホームランドの一部として,こう述べる.
 「アンダルシア」の下
「スペインには現在70万のムスリムが住む.うち,20万人が(スペイン)生まれで,同国籍を有している.
 ムスリムの大半はマドリードやバルセロナやバレンシアななどの大都市に住んでいる.
 スペインには約300のモスクと(ムスリムの)礼拝家屋があり,その三分の一は首都に集中している.
「イスラム文化センターIslamic Cultural Centerは,(スペインの)ムスリムのための,大半の宗教問題に関する権威の主要源と見なされている.
 かつてスペインはイスラムの統治下,長期間の繁栄を享受したが,同センターは現在,同国のムスリムが必要とする多くの主要なサービスを提供している」※6

注:

[1]http://awladnaa.net/madena.php?ID_subject=37&do=show&cat=5

[2]http://awladnaa.net/madena.php?ID_subject=50&do=show&cat=7

[3]http://awladnaa.net/madena.php?ID_subject=51&do=show&cat=7

[4]http://www.awladnaa.net/madena.php?ID_subject=223&do=show&cat=5

[5]http://www.awladnaa.net/madena.php?ID_subject=226&do=show&cat=11.

[6]http://awladnaa.net/madena.php?ID_subject=161&do=show&cat=7

MEMRI,Apr/25/2006


 【質問】
 エジプトの「非常事態法」の問題点は?

 【回答】
 朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.92-93によれば,人権侵害や司法権の逸脱の問題があるという.
 以下引用.

 エジプトでは,81年にサダト大統領がイスラム過激派に暗殺されて以来20年間,非常事態法が解除されていない.
 同法の下では,大統領が治安上必要と判断すれば,刑事訴訟法の手続きを踏まなくても逮捕することが可能だ.
 市民であっても,大統領令によって軍事法廷で裁くことができる.
 裁判官は軍人で,上級審はない.
 過激派の取り締まりに効果を上げているとされる一方,その人権侵害ぶりが大きな問題になっている.
 そしてなにより,政権の意向が裁判の行方に強く影響し,司法の独立がないがしろにされているとの批判が強い.
 〔略〕
 アブセアダ〔ハーフェズ・アブセアダ,NGO「人権のためのエジプト機関」事務長,44〕は言う.
「彼ら〔穏健派〕まで軍事裁判で裁くようなことをすれば,かえって本当のテロリストへの道に追い込むことになる」
 ビンラディンの参謀,アイマン・ザワヒリの場合がそうだった.
 サダト暗殺に関係したとして逮捕され,軍事裁判で懲役3年の判決を受けた.
 当時,彼は暗殺に関与していなかったとされる.
 服役後,国外に活動の拠点を求めざるをえなくなり,ビンラディンに近付いていった.

 【質問】
 2006年のエジプトの選挙で,Muslim Brotherhood――いわゆる「ムスリム同砲団」とよばれるイスラム原理主義組織――が大幅に議席を増やしたが, これをどう考えるか?

 【回答】
 1) Muslim Brotherhoodに関しては,人々は良くも悪くも言わないが,大幅に議席を増やした原因に関しては,ムバラク政権のせいだと言う人が多い.
 つまり
・ムバラクの政治のやり方が悪い.
・もう5期目に入り既に25年も政権の座に居るが,5期目を全うすると何と30年になる.人々はこの長期政権に飽き飽きしており「変化」を望んでいる.
・ムバラクの元では経済が一考に改善されず,失業率は公式には15%程度と言われているが,実際は40%くらいある.高校・大学を出ても職に就けない若者がゴロゴロいる.
・近いうちに「革命が起きるのでは」と言う人も中には居る.

 2) ところで,一応エジプトでも政教は分離されていて,Muslim Brotherhoodは政党ではない.未だ現段階では個人の集まりらしい.
 3) Muslim Brotherhoodは,今回の選挙活動では全国の15%くらいの地域でしか活動しておらず,それにも係わらず25%の議席を得た事は注目されている.
 本格的に全土で活動して,かつクリーンな選挙が行われたならば,Muslim Brotherhoodは80-90%くらいの議席を得たのではないかとの見方も在るようだ.
 4) でもMuslim Brotherhoodに人々が期待しているかと言うと必ずしもそうでは無いようで,要するに現在のNDP (=ムバラク)以外なら誰でも言いと言う感じだ.

おきらく軍事研究会


 【質問】
 ガマル・ムバラクは第二のアサドとなるのだろうか?

 【回答】
 1. ガマルが如何に優秀か判らないが(見た目は良いかも知れないが,未だ政治家としての手腕は未知数と言う人が多い),ムバラクの息子と言う点が多くの人のアレルギーになっている様だ.
 多少は僻みも入っているだろうが,ガマルを語る時に言われる言葉として
「銀のスプーンを銜えて生まれた者に普通の人の気持ちが解かるのか?」
がある.
 2. また,政治家として本当に優秀ならば世襲なんかにこだわるべきでは無い,と見る人が居る事も確か.
 3. ムバラクにはもう飽きた,辞めて欲しい,と言うのは国民の声だと思うが,ではポスト・ムバラクとなると,どこを見渡しても適任者が居ないのが現状(ムバラクが敢えて後継者を育てていないのだから当然と言えば当然なのだが...).
 4. ガマルがムバラクの後継者となる可能性はあるのでは?
 5. 最後に,今後5年間のエジプト政治情勢には目が離せない.
 ムバラクがあと5年の任期を全うしてガマルを後継とするのか?
 或いはガマル以外の者が出てくるのか?
 仮にガマルが後を継いだとしても,本当に彼はやって行けるのか?
 またまたムバラクの任期途中で何か革命が起きるのか?
 エジプトの場合は銃弾によってしか政権は変わらないのかもしれない.
(*取材と私見が一部混ざってしまったところもあります)

おきらく軍事研究会


 【質問】
 ダハブ連続爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 保養地ダハブで2006/4/24夜,連続3件の爆弾テロが発生,ドイツ人三人を含む二十三人が死亡,六十二人が負傷した事件.
 爆弾は遠隔操作型で,シナイ半島に根を張るイスラーム原理主義過激派が組織的にテロを実行した可能性が高まっている.
 エジプトは二十四日と二十五日が休日で,二十五日はシナイ半島がイスラエルから返還された記念日.
 紅海に面するダハブは,美しい海岸とダイビングの名所として知られ,国際的に有名な観光地シャルムエルシェイクに比べて物価が安いことなどから,欧州やイスラエルの若者に人気があるという.

 以下引用.

エジプト・シナイ半島 連続テロ,23人死亡 過去2度,同組織か

 【カイロ=加納洋人】エジプトのシナイ半島南東部の紅海に面する保養地ダハブで二十四日夜,連続三件の爆弾テロがあり,同国内務省によると,外国人三人を含む二十三人が死亡,六十二人が負傷した.
 シナイ半島に根を張るイスラム原理主義過激派が組織的にテロを実行した可能性が高まっている.
 爆発は二十四日午後七時(日本時間二十五日午前二時)すぎ,ダハブ中心部のスーパーマーケットとレストラン二軒の計三カ所でほぼ同時に起きた.自爆テロか遠隔操作による爆発とみられる.
 ダハブは保養地で,エジプト人のほか,ダイビングなどを楽しむ欧米やイスラエルなどからの観光客でにぎわっていた.

 犯行声明などは出ておらず,背後関係は不明だ.
 しかし,シナイ半島では,過去一年半に今回を含め計三カ所の保養地で,いずれもエジプトの国民の祝日かその前後に連続爆弾テロが発生しており,一連のテロは同半島に根を張る同一組織の犯行の可能性が高い.
 〔略〕
 国民の祝日前後に外国人観光客が多数訪れる保養地でテロを起こすことで,エジプト経済に打撃を与え,ムバラク政権に揺さぶりをかける狙いがあるとみられる.

 アラブ紙の中には,一連の爆弾テロは,国際テロ組織アルカーイダ系組織による犯行との見方も出ている.
 だが,エジプト治安当局は,タバとシャルムエルシェイクのテロに関し,アルカーイダ犯行説を否定.シナイ半島に根を張る遊牧民からなるイスラム過激派の犯行と断定し,徹底的な掃討作戦を実施してきた.
 今回,厳しい摘発にもかかわらず,再びテロが発生したことで,シナイ半島に強固なテロ組織が広がっていることが浮き彫りになった.

(産経新聞)-2006年4月26日4時23分

ドイツ人ら外国人を含む二十三人が死亡,約六十人が負傷した.
 〔略〕
 フランス通信(AFP)によると,爆発は二十四日午後七時(日本時間二十五日午前二時)すぎ,ダハブ中心部の繁華街のスーパーマーケットと二カ所のレストランの計三カ所で起きた.エジプト国営テレビは,自爆テロではなく,遠隔操作による爆弾が使われたと伝えた.
 二十五日はシナイ半島がイスラエルから返還された記念日で,イスラム原理主義過激派などによるこの日を狙った計画的な犯行の可能性がある.
 在エジプト日本大使館によると,いまのところ日本人が巻き込まれたという情報はない.
 エジプトは二十四日と二十五日が休日で,ダハブには,エジプト人のほか,ダイビングなどを楽しむためイスラエル人など外国人観光客が訪れ,多くのホテルは満室状態だった.

(産経新聞)-2006年4月25日15時52分

 目撃者の話では現場には煙が立ち込め,遺体が散乱,逃げ惑う観光客らでパニック状態になった.
 イスラエルとの国境も一時閉鎖されたという.犯人の逃亡阻止が目的とみられる.
 〔略〕
 紅海に面するダハブは美しい海岸とダイビングの名所として知られる.
 国際的に有名な観光地シャルムエルシェイクに比べて物価が安いことなどから,欧州やイスラエルの若者に人気がある.

(エルサレム樋口直樹 from 毎日新聞)-2006年4月25日11時50分

現場から搬送される負傷者
(ロイター/Aleksander Rabij)


 【質問】
 ムスリム同胞団内で起きたシーア派問題論争について教えられたし.

 【回答】
 MEMRI,2009/5/21付によれば,ムスリム同胞団の著名な幹部ユースフ・ナダ(Yousef Nada)が,同胞団のウエブサイトに掲載した論説で,シーア派はイスラムにとって異質(の宗派)ではなく,スンニー派4法学派と並ぶ5番目の法学派であると主張し,シーア派とスンニー派の抗争は宗教的ではなく政治的な抗争とし,シーア派とその支持者を中傷するスンニー派ムスリムを非難したのが発端.

 この見解はムスリム同胞団の中で批判され,(同胞団最高指導者である)総ガイドの事務局メンバー,マフムード・ガズラン(Mahmoud Ghazlan)は,ナダの意見はスンニー派の標準的な教義に反し,また,ムスリム同胞団の立場を反映しておらず,彼の個人的意見にすぎない,と反論.
 しかし,この論争に同胞団の総ガイド,ムハンマド・マフディ・アーキフ(Muhammad Mahdi ‘Akef)は,ナダの意見は同胞団の意見とおおむね一致し,また,スンニー派とシーア派の抗争は実際は,宗教的と言うより政治的であると表明した.

 エジプトの週刊誌ルーズ・ユースフ(Roz Al-Yousef)の編集長アブダッラー・カマル(’Abdallah Kamal)は,この論争について,同胞団指導部の,イランとのより密接な,より開かれた関係の理由を準備する試みなのかもしれない,との見解を示しているという.

 詳しくは同ページを参照されたし.


◆◆パキスタン


 【質問】
 JIP(パキスタン・イスラーム協会)とは?

 【回答】
 1941年創設の大衆イスラーム組織.ムスリム同胞団と並び,現代のイスラーム過激原理主義の元祖と言われている.
 アフ【ガ】ーニスタンの同名ゲリラとは別組織.

 47年のパキスタン独立では大きな役割を果たしたが,元来,基本的には政治活動から距離を置いた大衆組織だった.
 主にパキスタン側パンジャブのラホール地方を中心に,数百万の会員を持つといわれている.

 イスラーム協会が一躍政界の黒幕に踊り出たのは,77年のムハマド・ジア・ウル・ハク軍事政権誕生のときだ.極端な強権恐怖政治を行った政権だったが,背後でそれを支えたのがイスラーム協会だった.

 イスラーム協会は,政界では幾つかの支援宗教政党を持つが,議員数などで言えば,さほど大きな勢力ではない.
 力の根源は,ジア・ウル・ハク政権時代に国中に建設させた神学校を核とする,超保守的なイスラーム主義人脈のネットワークと,会員を集中的に送り込んで自らの「牙城」としている軍統合情報局ISIの存在である.

 ISIは,アフ【ガ】ーンでの対ソ・ゲリラ工作の他,対インド謀略戦,特にカシミール・ゲリラの組織化と運用についても,全面的に背後で取り仕切っている.
 他にも,インドア大陸から中央アジアにかけて,ISIが工作したイスラーム勢力は数多く,さらにアメリカ,カナダ,欧州の「インド=パキスタン系イスラーム教徒移民」にさえ触手を伸ばしているとされる.
 例えばアメリカのイスラーム過激派組織「アル・フクラ」は,ISIのダミー組織と言われる.

 イスラーム協会は,それらのISIの秘密工作を通じ,国境を越えた大きな影響力を行使している.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.142-143,抜粋要約)

 1941年,サイイド・アブル・アーラー・マードゥーディにより設立された政党.イスラム復興運動を目指す「近代派」イスラム主義に属する政治団体で,ムスリム同胞団としばしば比較される.
 結成当時,ズィヤーウル・ハク軍事政権側に与する.
 アフ【ガ】ーニスタン紛争では,ISIを通じ,パシュトゥーンの「近代派」イスラム主義者を重点支援した.

(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.32,抜粋要約)


 【質問】
 JUI(イスラーム・ウラマー協会)とは?

 【回答】
 デオバンド系の伝統的宗教指導者ウラマーによる宗教政党.
 デオバンド系とは,1857年のインド大反乱の挫折を踏まえてムスリムへの近代教育を説くアリガール運動に反対し,イスラム護持を掲げてデリー北方,デオバンドに神学校が設立された事に由来する.
 神秘主義は容認するものの,聖者信仰を否定.シーア派を異端とする教令も,かつて出している.
 パキスタンの宗教抗争では,このデオバンド系の武装集団「シバヘ・サハバ」が,シーア派との間で暴力的衝突を繰り返している.

 同党指導者ファズルール・ラフマンは,第2次ブット政権の連立与党に参加.下院外交常設委員会委員長となった.
 このため,パキスタンの外交政策に影響を及ぼすと同時に,パキスタン内務省やISIにも接触できる存在だった.

 アフガニスタンのパシュトゥーン地域におけるスンニー派宗教指導者の多くも,このデオバンド系に所属.
 そして,ラフマンのJUIは,パキスタンとアフガニスタンの国境沿いに数多くの神学校を設立,難民の子弟に無料でイスラム教育を施し,難民キャンプでの支援活動を通じてパシュトゥーン内での支持を拡大していた.
 そして,神学校で熱烈なデオバンド信者になった神学生達を送り出し,タリバンを支援した.
 タリバンによるカンダハル占領の際,多くのJUI傘下の神学校からの神学生達が,パキスタンの国境を越えてタリバンに加わったとされている.

(柴田和重=アフガン・ネットワーク幹事 from 「ポスト・タリバン」,
中公新書,2001/12/20,P.32-33,抜粋要約)


 【質問】
 ヒズブル・ムジャヒディン(イスラーム戦士党)とは?

 【回答】
 黒井文太郎によれば「ISIが全面的に関与する,カシミールのイスラーム・ゲリラ組織.ゲリラ最大勢力」とされている.
 以下は,黒井による,その概要.

 1989年,それまで最も力を入れていたカシミール独立派ゲリラ「ジャム・カシミール解放戦線」支援を停止し,その代わりにカシミールのパキスタン併合を掲げるゲリラとしてISIが創設.
 ISI・イスラーム協会から非常に強いコントロールを受ける.
 司令官はサイード・サラハッディン(本名ムハマド・ユセフ・カーン).
 兵力は1500〜3000と言われるが,パキスタン人,アフ【ガ】ーニスタン人などの外国人兵も多い.アラブ人義勇兵とも関係している.
 テロは軍事部門「アスカリ」が実行.カシミール地方で発生する無差別爆弾テロの過半数が,この組織によるものである.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.145,抜粋要約)

 2000年7月,「ヒズブル・ムジャヒディン」は3ヵ月の一方的停戦を宣言,和平へと歩み寄り始めた.
 しかしその直後から,他のカシミール・ゲリラによるヒンズー教徒住民への無差別テロが激化する.明らかに和平潰しの動きであり,犯人は「ラシュカレ・タイビヤ」と噂された(同組織は否定).
 仮にそれが事実なら,その背後にいるISIの陰謀による可能性が高い(パキスタン政府・軍は関与否定).
 強いライバル関係にある両ゲリラ組織だが,どちらもISIの強い影響下にあるため,
「比較的自立している『ヒズブル・ムジャヒディン』が,勝手に和平を打ち出したことで,その阻止にISIが動いたのでは?」
という見方や,
「ISIの一部がヒズブル・ムジャヒディンを和平路線に向かわせ,イスラーム協会の怒りを買ったのでは?」
という見方などもある.

 いずれにせよ,翌月にはISIの意向に従い,ヒズブル・ムジャヒディンは停戦破棄を宣言,爆弾テロを再開している.

(同,p.147-148,抜粋要約)

 その後,インド軍との交戦により,幹部が殺害されている.

 2005/4/16、インド軍スポークスマンの発表によれば,インド軍はカシミール南部の戦闘で上級司令官2名を含むイスラム系武装勢力7人を殺害。
 殺害された武装勢力のうち2名、Shabir BaduriとGhulam Mohiudinはカシミール最大の武装勢力ヒズブル・ムジャヒディンで多くのインド軍・民間人に対する作戦に関与した上級司令官であったとのこと。
 これに対しヒズブル・ムジャヒディン側からの声明は出ていない。

 これに先立ちインド軍は15日金曜日に強硬派武装組織Al-Badrのゲリラを殺害、最高司令官を含む3名の司令官も殺害された。
 16日にはカシミール内AnantnagとUdhampurの両地区でも武装勢力5人を殺害している。

(AFP, 2005/4/16)


 【質問】
 「ラシュカレ・タイビヤ(純粋な軍隊)」とは?

 【回答】
 ラホール近くのムドゥリケで,パキスタン人を中心に80年にISIが創設.
 CIAに武装化され,アフ【ガ】ーン戦争参加.
 93年よりカシミールで武装闘争を開始するが,アフ【ガ】ーン戦争時代の義勇兵人脈を母体としているため,幹部の殆どはパキスタン人かアフ【ガ】ーニスタン人.
 司令官はハファズ・ムハマド・サイード.
 全世界のイスラーム連帯を掲げる.
 兵力は300〜400と見られている.
 ISIにより訓練され,その強力な影響下にある.ISIの傭兵として,シーク教徒やヒンズー教徒住民の虐殺を行っている.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.145,抜粋要約)


 【質問】
 ハラカト・ウル・ムジャヒディン(イスラーム戦士運動)とは?

 【回答】
 80年代初め,アフ【ガ】ーン戦争に参戦するため,CIAの工作により結成.
 司令官はファズル・ラフマン・ハリル.
 93年10月,ISIの仕掛けにより,他の有力グループと共に連合組織「ハラカト・ウル・アンサル」に参加するが,98年の同組織分裂で名称を戻す.
 兵力は450〜500程度と見られる.
 世界的なイスラーム国家建設を掲げ,ビン・ラーデンと共闘関係にある.
 パキスタンだけでなく,アフ【ガ】ーン国内にも浸透している.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.146,抜粋要約)


 【質問】
 「ムハマドの軍隊」とは?

 【回答】
 1999年12月,カトマンドゥ発ニューデリー行きインディアン航空機がハイジャックされ,ドバイ経由でアフ【ガ】ーニスタン,カンダハールに着陸.
 インドで収監中の「ハラカト・ウル・ムジャヒディン」幹部3人の釈放と引き換えに,乗員乗客は解放された.
 多国籍犯人グループは,ISIの支援を受けたとの疑惑がある.

 釈放されたマウラナ・マスード・アズハルが,アフ【ガ】ーニスタンでビン・ラーデンと会談し,その資金援助を元に2000年3月に創設したと伝えられる新組織が,この「ムハマドの軍隊」.
 兵力は300〜400とされ,カシミールのパキスタン併合を掲げる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.146,抜粋要約)


 【質問】
 「アル・バダル」とは?

 【回答】
 98年,「ヒズブル・ムジャヒディン」内の外国人部隊の一派が分裂して結成.
 司令官はナセル・アフメドとバカト・アスマン.
 パキスタン併合派.
 兵力は40〜50と見られる.
 「ラシュカレ・タイビヤ」と連携する.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.147)

 その後,インド軍との交戦により,幹部が殺害されている.

 2005/4/15、インド軍は強硬派武装組織Al-Badrのゲリラを殺害、最高司令官を含む3名の司令官も殺害された。

(AFP, 2005/4/16)


 【質問】
 アル・ファランとは?

 【回答】
 元「ハラカト・ウル・アンサル」内のテロ組織.アフ【ガ】ーン帰還兵集団と見られる.
 90年代半ば,外国人観光客誘拐・処刑を多数行った.
 兵力は不明だが,せいぜい数十人と見られる.

(黒井文太郎〔『軍事研究』誌アナリスト〕 「イスラムのテロリスト」,
講談社,2001/10/20,p.147)


 【質問】
 イスラーム過激原理主義系マドラサに対し,パキスタンではどんな対策を講じようとしているのか?

 【回答】
 すべて政府に登録させて,近代教育を取り入れさせることを,また,外国人学生を排除することを計画している.
 ただし,2002年1月にもムシャラフ大統領は同様の声明を出しており,これが実行されるかは未知数.

 以下引用.

パキスタン 大統領が新法発令へ 「神学校」の外国人学生を排除

 【バンコク=岩田智雄】パキスタンのムシャラフ大統領は二十九日,ラワルピンディで記者団に対し,テロリストの温床になっているとされるマドラサ(イスラム神学校)について,今年末までにすべて政府に登録させて,近代教育を取り入れさせる新法を近く発令すると言明した.
 同国国営APP通信などによると,新法によりマドラサで過激主義をあおる教育は禁じられ,現在,約千四百人いるとされる外国人学生も国外退去させられるという.
 ムシャラフ大統領は米中枢同時テロ後の二〇〇二年一月にも同様の発表を行っている.しかし,実際には,全国に一万以上あるとされるマドラサはその後も野放し状態にあり,一部は現在も,過激主義教育をしたり軍事訓練をしたりしている.
 大統領は,米中枢同時テロ後は経済やカシミール情勢が不安定だったことなどを挙げて,現在とは完全に異なる環境にあったと指摘し,今回は強い姿勢でマドラサ改革に臨むとの決意を示した.
 貧富の格差が激しい同国にあって,寄付金で運営されるマドラサは,貧困層子弟の教育機関となる一方,アフガニスタンを実効支配したタリバンのメンバーらイスラム原理主義勢力の養成機関の役割も果たしてきた.
 ロンドンの同時爆破テロでも,実行犯の一部がパキスタンのマドラサを訪れていたといわれ,英政府はマドラサの存在に神経をとがらせている.

(産経新聞,2005/7/31)

 また,北西辺境州は独立自治的傾向が強く,中央政府の意向がどこまで反映されるかも未知数.


 【質問】
 アブドラ・メスードとは?

 【回答】
 イスラム過激派有力幹部.
 ターリバーンとも親交あり.
 2007/7/24,パキスタン南西部バルチスタン州にて,治安当局の掃討作戦を受け自殺したと報じられた.

 しかしその後も生存情報はある.
 2009/2/14には,米軍のものと見られる無人航空機が,南ワジリスタンのイスラム武装勢力の訓練施設に2発のミサイル攻撃を加えたという.
 AP通信によると,施設にいたウズベク人とアフガン人など27人以上が死亡.
 パキスタン諜報機関当局者によると,ターリバーンが遺体を搬送などしたという.
 同地区はイスラム武装勢力の指導者で,ブット・パキスタン元首相暗殺事件の首謀者とされるメスード司令官が率いており,爆撃時に同司令官が施設にいたとの情報もある.

 越境ミサイル攻撃は昨年夏ごろから加速し,2008年内には計約30回の攻撃があったとみられる.
 一般住民も巻き込まれて犠牲になった例も多く,パキスタン政府は,アフガン国境を越えたパキスタン内の攻撃は主権侵害だとして抗議している.
 今回の攻撃は米政府のホルブルック特別代表の訪問直後でもあり,パキスタンが攻撃を容認しているとの見方も出ているという.

 【参考ページ】
2007年7月25日8時1分,産経新聞
2009年2月14日17時3分,CNN
2009年2月15日8時3分,産経新聞(田北真樹子)

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産経新聞より引用)


 【質問】
 2005年10月のパキスタン大地震は,過激原理主義勢力にどんな影響を与えたのか?

 【回答】
 インド情報当局によれば,「ヒズブル・ムジャヒディン」の約400人等,過激派メンバー1500人が死亡するなどの被害があったという.
 以下引用.

<パキスタン地震>カシミールの武装組織1500人死亡

 【イスラマバード西尾英之】インド情報当局は15日までに,パキスタン地震でカシミール地方のパキスタン支配地域を拠点とするイスラム武装組織のメンバー約1500人が死亡したとの見方を明らかにした.
 インド有力紙「タイムズ・オブ・インディア」が伝えた.武装組織はインド支配地域側へ越境してテロ活動を繰り返し,印パ和平対話の最大のネックとなってきたが,地震で勢力を弱める可能性もある.
 情報当局によると武装組織「ヒズブル・ムジャヒディン」の約400人が死亡したほか,7月にロンドンで起きた同時爆破事件への関連も指摘されたラシュカレ・タイバ,ジャイシ・モハメドなど主な組織が軒並み被害を受けた模様だ.
 これらの武装組織はパキスタン国内でメンバーを募集.パキスタン側カシミール地方に点在するとされるキャンプで訓練後,カシミールのインド側支配地域に潜入し,インド軍やカシミールのインドからの分離・独立に反対する住民への襲撃を繰り返してきた.
 インド政府は「武装組織をパキスタン軍情報機関が支援している」と非難.01年の米同時多発テロ以降,テロ組織への取り締まりを求める米国の圧力もあってパキスタン軍の支援はほぼ停止したとみられるが,武装組織は現在もテロ活動を続けている.
 今回の地震で被害を受けたパキスタン側のアザド・カシミール州は,武装組織にとって最大の拠点地域.
 一部の武装組織は被災者救援を「ジハード」(聖戦)と規定し,各地で救援活動に乗り出している.
 しかし,自らの拠点も被災しているのは確実で,しばらくテロ活動が低下するのは間違いない.

(毎日新聞,2005/10/15)


 【質問】
 パキスタンの北西辺境州は,どの程度過激原理主義寄りなのか?

 【回答】
 以下のような法案が通るほどに.

【パキスタン】タリバン流の風紀取り締まり案可決=北西辺境州[07/15]

 【ペシャワル(パキスタン)14日】パキスタンの北西辺境州議会で14日,イスラム法に忠実に従うことを義務付ける風紀取り締まり案が可決された.
野党陣営は,隣国アフガニスタンの過激なイスラム原理主義勢力タリバンの前政権に倣った悪法と反発している.

 州議会では宗教政党6党連合の統一活動会議(MMA)が多数を占め,同案が68対34の大差で可決されると,イスラム勢力の議員の間から「神は偉大なり」と叫び声がとどろいた.

 同案は,イスラムの教えに基づく社会浄化に強権を持つ風紀取り締まり当局の新設や,報道管制などを盛り込んでいる.
 タリバンも1996−2000年にアフガンを支配した際,「悪徳と美徳」省を設けてイスラム化を強制,内外の悪評を買った経緯がある.

 野党側は「州史上,最悪の暗黒日.すべてを麻痺させる悪法だ」と反発.レーマン州知事も「施行を阻止するため,あらゆる憲法上の措置を取る」と宣言し,ムシャラフ大統領率いる中央政府も「憲法違反」と反対していた.

 MMAは2002年10月の州議会選で勝利を収め,イスラム法強制を公約.既に男性が女性スポーツ選手のトレーニングを担当したり,試合を見たりすることを禁じ,公務員には1日5回の礼拝を義務付けている.

時事通信,2005/7/15


 【質問】
 ハングー・アーシュラ自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2006/2/9,パキスタン北西部ハングーにて,シーア派の最重要宗教行事「アシュラ」の行進の最中に起きた自爆テロ事件.
 死者22人,負傷者50人以上.
 スンニー派過激原理主義者の犯行と見られる.
 以下引用.

シーア派行事で爆発 パキスタン,22人死亡

 【イスラマバード9日共同】パキスタン北西部ハングーで9日,イスラム教シーア派の最も重要な宗教行事「アシュラ」の行進の最中に爆発があり,地元当局者らによると,22人が死亡,50人以上が負傷した.
 地元警察当局者は自爆テロとの見方を示した.AP通信が伝えた.
 パキスタンでは少数派のシーア派と多数派のスンニ派の宗派対立が激しく,スンニ派によるテロの可能性がある.
 アシュラはイスラム教シーア派の第3代イマーム(指導者)フセインの非業の死を悼む行事.男性が刀で自分の体を傷つけるなどして指導者への共感を表しながら行進,信者の宗教感情が高揚する.
 地元テレビによると,数百人のシーア派信者がモスク(イスラム教礼拝所)から市場に行進してきた際に爆発が起きた.

(共同通信) - 2006年2月9日18時58分

 事件後,怒ったシーア派住民の一部が暴徒化.商店やバスに放火したという.
 〔略〕
 パキスタンではスンニ派が約8割を占めて多数派だが,両派過激派の抗争や相手住民へのテロが相次ぎ,過去10年で2000人以上が死亡している.
 一方,アフガニスタン西部のヘラートでも数百人のシーア派,スンニ派教徒が衝突し,ロイター通信によると,少なくとも5人が死亡した.

(毎日新聞) - 2006年2月9日20時28分

 国内少数派のシーア派と同多数派のスンニ派の対立が激しいパキスタンでは,毎年アシュラの時期に宗派間の衝突が発生.今回もスンニ派によるテロの可能性がある.

(共同通信) - 2006年2月9日20時24分

 地元警察当局によると,爆発発生後,暴徒化したシーア派信者がハングー郊外で乗り合いバスを銃撃,乗客4人が死亡した.

(共同通信) - 2006年2月10日0時28分


 【質問】
 英国によるパキスタンへのテロ対策支援について教えられたし.

 【回答】
 2006/11/19,英ブレア首相とパキスタン・ムシャラフ大統領との会談の際に合意されたもので,マドラサ改革などのための財政支援4億8000万ポンド(約1100億円)が,その内容.
 イスラーム過激原理主義に洗脳するマドラサが存在し,テロリストを生み出す土壌となっているため.
(ただし全てのマドラサが問題あるというわけでは勿論ないので,その点は念のため)
 英国としても,2005年7月に起きた同時爆弾テロの実行犯だったパキスタン系英国人が,パキスタンのマドラサと関係しているなど,利害を共有しているための支援.

 【参考ページ】
2006年11月19日23時0分,時事通信
2006年11月20日8時1分,産経新聞(岩田智雄)


 【質問】
 2007/1/16の南ワジリスタン空爆は,なぜ行われたのか?

 【回答】
 時事通信,2007年1月16日17時0分によると,ワジリスタンにはタリバンの共鳴者が多く,アジトはタリバンやアルカイダの隠れ家だった可能性が指摘されている,という.
 パキスタン軍の発表によれば,この空爆では,南ワジリスタン地区にある武装勢力のアジト5カ所を攻撃,外国人を含む25〜30人を殺害した,と同記事は伝えている.


 【質問】
 イスラマバード国際空港自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2007.2.6,イスラマバード国際空港で,警官の制止を振り切ったタクシーから降りた男が,空港ビルに突入しようとして警官と銃撃戦になりました.
 男は手榴弾を投げた後に,空港駐車場で自爆しています.
 ちなみに同空港で自爆事件が起きたのは初めてのことです.

 ⇒単なる気違いである可能性も否定できませんが,地元テレビは,国内視察を終え,空路同空港に向かっていたアジズ首相を狙ったとの見方を示しています.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)2月12日


 【質問】
 北ワジリスタン・アルカーイダ訓練施設爆発事件とは?

 【回答】
 2007.6.19,アフ【ガ】ーニスタン国境に近いパキスタン部族地域の北ワジリスタン地区で起きた爆発事件.
 パキスタン軍報道官は,現場はアルカーイダの訓練施設だったと発表している,

 フランス通信(AFP)によると,国際テロ組織アルカーイダのメンバーら約30人が死亡した.
 パキスタン軍報道官は,死者30人のうち10〜15人はアラブ人やトルクメン人など外国人だったとしている.

 パキスタンの情報筋はAP通信に,アフ【ガ】ーニスタンから米軍のミサイル3発が着弾したとしているが,軍報道官はパキスタン軍と米軍の関与を否定している.

 【参考ページ】
2007年6月20日16時10分,産経新聞(バンコク 岩田智雄)


 【質問】
 「ラル・マスジード(赤のモスク)」立て篭もり事件とは?

 【回答】
 パキスタンの「赤のモスク」に立て籠もったイスラム過激派が,パキスタン政府治安部隊と交戦した事件.
 2007/7/3〜7/11の間,続いた戦闘により,モスクは制圧された.
 治安部隊兵士11人を含む死者102人.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/1804228.stm
によれば,赤のモスクに立て籠もったイスラム過激派の大部分は旧ムハンマド軍(Army of Mohammed=Jaish-e-Mohammad)要員であったと見られる.
 ムハンマド軍の前身は,インド支配下のカシミールの親パキスタン・ゲリラを支援するために,ある過激な聖職者(Maulana Masood Azhar)によって設立された団体であり,この団体にはパキスタン諜報当局の息がかかっていた.
 この聖職者がインドで逮捕され投獄されたため,この団体は開店休業状態になっていたが,1999年にこの聖職者がハイジャックされたインド航空の乗客との交換で釈放されると,彼は「赤のモスク」を拠点にして,ムハンマド軍を再建.
 このムハンマド軍が2001年12月のニューデリーのインド議会襲撃事件に関与したとの疑いを持ったムシャラフ政権は,翌2002年1月,ムハンマド軍を非合法化し,この聖職者を拘束したという.

 そして
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6897683.stm
によれば,その後もムハンマド軍残党は引き続き赤のモスクを拠点として使い続け,やがて赤のモスクは彼らによって事実上乗っ取られるに至る.
 このモスクの副代表であったガジ師は,パキスタン政府側との交渉で,政府側から提示された条件を飲む用意があったが,旧ムハンマド軍の要員達がこれを許さなかったため,交戦まで事態はエスカレートしたという.

 詳しくは太田述正コラム#1867(2007.7.16)を参照されたし.

 また,共同通信,2007/7/9によれば,治安部隊のモスク内への強行突入が政府によって承認された8日夜の時点では,モスク内には約1000人がおり,子供や女性が「人間の盾」にされていたという.

 さらにパキスタンのローカル紙
‘No full-scale operation approved’
‘Eight top terrorists inside Lal Masjid’
に拠れば,200-500人がいる模様で,そのなかの50-60人が,外国人を含むハードコアの武装派だと政府は見ていたという.

ニュース極東板

 なお,モスク代表は,政府の攻撃に先立つ7/4,女性の服装でモスクから逃れようとしたところを取り押さえられ,逮捕されたという.
(ロイター,2007年7月5日6時35分)
 アジズ師はイスラム女性が全身をまとうブルカを頭からかぶり,モスクから逃げ出したところを兵士らに見つかった,と伝えられている.
(毎日新聞,2007年7月5日10時29分)


 【質問】
 「赤のモスク」代表アブドルアジズと副代表ガジの兄弟は,どんな人物か?

 【回答】
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/6281228.stm
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Rashid_Ghazi
http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Aaziz_Ghazi
によれば,兄アブドルアジズ(Maulana Abdul Aziz)は,父親アブドラシャヒードが赤のモスク代表に任命された6歳の時,イスラマバードに転居.
 公立学校に通った後,カラチにあるパキスタンで一番有名なマドラッサに学んだ.
 1998年,アブドラシャヒードが赤のモスク構内で暗殺されたことから,パキスタン政府によって2代目代表に任命された.
 ところが2005年,アブドルアジズが,アフガニスタン国境のタリバン支援者と戦って戦死したパキスタン政府軍軍人は,戦死したタリバン支援者とは違って殉教者であるとは言えず,彼らに対してはイスラム的葬儀を行ってはならない,というファトワを発したため,パキスタン政府によって解任された.
 しかし政府は,事実上アブドラシャヒードが赤のモスク代表を続けることを黙認していた――と,同ブログにはそう述べられている.

 また,弟ガジ(Abdul Rashid Ghazi.1964〜2007年)は父親の希望に逆らい,普通の人生を送りたいとしてマドラッサ入校に抵抗.
 父親によって無理矢理マドラッサに入れられた後も,マドラッサを脱走.
 またガジは,敬虔なイスラム教徒にはつきもののひげを生やすことを拒み,イスラマバードの共学の有名大学で歴史学(一説には国際関係論)の修士号をとり,教育省に入省.
 一時ユネスコの仕事にも就く.
 コーランを暗唱できる者の称号であるハーフィズ(Hafiz)を用いることも拒否したガジに父親は怒り,兄のアブドルアジズだけを遺言で相続人に指名したという.
 しかし父親暗殺により,ガジは教育省勤務を続けつつも,赤のモスクとその付設マドラッサにおける教育に興味を示すようになり,ひげも生やし始める.
 喜んだ兄のアブドルアジズは,ガジにイスラム教を再び学ぶことを勧め,やがてガジを赤のモスクの副代表にして後継者に指名.
 そして,政府治安部隊との攻防戦において,ガジは,赤のモスクに残って死亡した――という.

 詳しくは元ソース各ページを参照されたし.


 【質問】
 赤のモスク事件において,「人間の盾」は危機感をあおるための誇張だったとの疑いがあるそうですが,

――――――
「人質」は危機あおる誇張 パキスタン政府に疑惑強まる (共同通信)

【イスラマバード12日共同】過激派モスク立てこもり事件で,ムシャラフ政権の事実隠ぺいの疑惑が強まってきた.
 パキスタン政府は,武装グループが女性や子どもを「人間の盾」にしたなどとして治安部隊突入を強行.
 だが,こうした主張は危機感をあおるための誇張だったとの疑いだ.
 地元テレビは独自集計で死者は285人に上る見通しと報じた.
 立てこもった学生側死者数を73人とする政府発表にはメディアが疑問を投げかけている.[ 2007年7月12日18時12分 ]
――――――

 【回答】
 幾らなんでも,この共同の記事は酷すぎ.
 リベラル色の強いBBCでさえ,パキスタンの国内紙の論調を紹介して,政府の行動支持が多数と書いている.

Last Updated: Friday, 6 July 2007, 10:25 GMT 11:25 UK
Press backs tactics at Red Mosque


 パキスタンのローカル新聞を見ても,そういう論調よりはテロ非難のほうが強いように思えるけど.
http://www.dawn.com/2007/07/12/ed.htm
http://www.dawn.com/2007/07/12/index.htm

 インドの報道では,野党のブット前大統領が政府の行動を支持していて,国民も支持なのだと言う.

――――――
Bhutto backs Musharraf on Lal Masjid
Press Trust of India Thursday, July 12, 2007 (Islamabad)


Bhutto said the operation was necessary to contain extremist elements.
野党指導者のブット女史は,オペレーションは過激派を押さえ込むために必要であったと述べた.

In an interview to a private TV channel, the Pakistan People's Party (PPP) leader said a huge majority of the public has supported the action against the extremist seminary, which was fanning terrorism.
民間TVチャネルのインタビューでPPP(パキスタン人民党)の指導者は,大変多くの国民は,過激派の宗教施設を抑えることに賛成していると述べた.
 過激派はテロリズムを広げている.
――――――

ニュース極東板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「赤のモスク」事件に対するアル・カーイダの反応は?

 【回答】
 2007.9.20にアルカーイダのザワヒリが発表したビデオ声明の中で,七月にパキスタン軍が行なった「ラル・マシード」制圧作戦による指導者ガジ師の殺害について,
「パキスタンの卑劣さと背信を露呈した」
と非難,
「ムシャラフ大統領は報復を受けることになる」
と明言しました.

 同日,アルカーイダはウェブサイト上で
「アルカイーダはビンラディン師の言葉で,暴君ムシャラフとその軍に宣戦布告する」
と予告しています.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)9月24日
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 チャウダリー最高裁長官暗殺未遂事件とは?

 【回答】
 2007/7/17夜,イスラマバードの地方裁判所前の広場で開かれた反政府集会の会場で起きた自爆テロ事件.
 爆発は,内務省が「首都に自爆犯が潜伏している」と警告した約1時間後に発生.
 英字紙ネーション,警察当局などによれば,若い男が演説予定の会場の,入場者受付テントの前でオートバイを降り,自爆したという.
 テントは,3月にムシャラフ大統領から職務停止処分を受けたイフティカル・チャウダリー最高裁長官の演説予定会場で,長官を支援するPPP(パキスタン人民党)が設営したもの.
 少なくとも16人死亡,50人負傷.死傷者の多くはPPP関係者だった.

 内務省幹部は民放テレビ局に,「『赤いモスク(イスラム教礼拝所)』が制圧されたことへの報復の可能性を否定出来ない」と語った.
 一方,法曹関係者は「長官暗殺を狙った国軍情報機関の犯行」と主張している.
 警察当局は,党首のブット元首相は同地のモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」への軍の強行突入を全面的に支持していることから,同党を狙った過激派による犯行の可能性もあると見ている.

 イスラマバードでは政府の武力鎮圧に反感を持つ過激派のテロを防ぐため,厳重な警戒体制が敷かれていたが,事件を防ぐことはできなかった.
 現場に居合わせた弁護士の男性(26)は,「警察の警備は甘すぎる」と話した.

 【参照ページ】
2007年7月18日10時26分,毎日新聞(栗田慎一)
2007年7月18日10時30分,読売新聞(佐藤昌宏)
2007年7月18日16時42分,産経新聞(佐藤貴生)


 【質問】
 ラル・マスジード自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2007/7/27,イスラマバードの繁華街にあるアッパラ・マーケットで起こった,自爆テロと見られる事件.
 テロは,同日再開された「ラル・マスジード(赤いモスク)」近くで,イスラム過激派とみられる群集と警官隊との衝突の最中に発生した.
 爆発現場はマーケットの入り口にある警察の検問所.
 目撃者によると,男が警官に近づいた直後に爆発が起きた.
 この検問所は,ろう城事件のさなかに市民らがモスクへ近づかないようにするために設置されていた.
 爆発は近くのレストランも破壊し,食事中の市民らも巻き込まれた.
 AP通信によると警察官7人を含む13人が死亡,70人以上が負傷.
 現場近くの病院職員によると,負傷者数十人が搬送されているとい

 現場近くにあるラル・マスジードではこの日,事件後の修復が終わり,初めての金曜礼拝が予定されており,多くの人が足を運んだ.
 しかし,再開されてまもなく過激派とみられる集団がモスクを占拠.
 フランス通信(AFP)によれば,モスクを占拠した多くはラル・マスジードの元学生だという.
 集団は政府が指名した新指導者を拒否,籠城事件で逮捕された指導者,マウラナ・アブドル・アジズ師の釈放を要求した模様.
 しかしAP通信によれば,爆発があった後に警察がモスクを過激派から奪還し,約50人を逮捕.

 また,モスク周辺では一部が警官隊と衝突,解散命令を無視したのを機に警官隊が催涙弾を発射,群衆が一気に暴徒化した.
 事件後に改築されたモスクは薄いベージュに彩られていたが,群衆は「ムシャラフは犬だ.政権に死を」「殉教者の血に報復を」などと叫びながら,モスクの壁やドームをペンキなどで赤く塗り直し,聖戦の意思を示す黒い旗を掲げて抵抗した.

 【参考ページ】
産経新聞,2007年7月28日8時0分
毎日新聞,2007年7月28日9時46分


 【質問】
 ラワルピンディ・バス連続自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2007/9/4朝のラッシュアワー時に,ラワルピンディの2カ所で爆弾が爆発した事件.
 内務省の発表によると,国防省職員ら合わせて29人が死亡,約70人が負傷.
 爆破されたのは,国防省のスタッフが乗ったバスと,商業地域のバイク.
 最初の爆発は4日午前7時10分ごろ,陸軍本部から約1キロ・メートルの路上で,通勤途中の国防省職員を乗せたバスで発生.
 2発目もほぼ同時に爆発が起きた.
 軍スポークスマンは「どちらもテロリストによる行為で,死傷者は全員パキスタン人だ」と語った.
 警察は,軍関係者が乗ったバスを狙った連続自爆攻撃と断定.
 また,首都イスラマバード市内で,爆弾を取り付けた「自爆ジャケット」所持の男1人が拘束され,警察と軍が関連を調べている.

 犯行声明などは出ていないが,同年7月の政府による「赤いモスク(イスラム教礼拝所)」制圧に反発するイスラム原理主義勢力が,ムシャラフ政権中枢を狙った報復の可能性が高い.
 ラワルピンディには陸軍本部,ムシャラフ大統領の執務施設など政権の中枢機能がある.

 【参照ページ】
2007年9月4日15時47分付,ロイター
2007年9月4日21時28分付,読売新聞
2007年9月5日0時46分付,毎日新聞


 【質問】
 バヌー・バスターミナル自爆テロ事件とは?

 【回答】
 パキスタン北西辺境州バヌーのバスターミナルで2007/9/11,14〜15歳の少年の自爆テロにより,停車していたバスが爆発した事件.
 地元テレビによると乗客ら少なくとも19人が死亡.
 現場はパキスタン軍と武装勢力との激しい戦闘が続いている北ワジリスタン管区の境界近くだという.

 【参照ページ】
2007年9月11日23時19分,毎日新聞


 【質問】
 Tarbela陸軍仮廠舎自爆テロ事件とは?

 【回答】
 パキスタン情報筋によれば,2007/9/13,イスラマバード北東約百キロにあるTarbelaにある陸軍仮廠舎で自爆攻撃が発生しました.
 兵士十六名が死亡,二十五名以上が負傷したそうです.

 十五日,パキスタン警察は自爆犯の首を発見し,身元の洗い出しに努めているそうです.

 ⇒ここには陸軍の対テロ精鋭部隊がおり,施設のなかでも特に高度な防護体制をとっていることで知られていました.

 自爆攻撃は夕食時に行なわれ,死者のほとんどが将校だったそうです.
 自爆犯の目的は,多くの死者が出た「赤いモスク制圧作戦」(七月二十三日)への反撃で,パキスタン陸軍特殊部隊(SSG)所属の精鋭部隊に狙いを絞っていたとのことです.

 なお,この自爆攻撃で仮廠舎の防護システムにも影響が出たそうです.
 爆弾の種類などの詳細については,一切明らかにされていません.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)9月17日

▼ この施設は,9.11テロ事件後に米国支援に転じたのを契機に,パキスタン軍が新設した「対テロ特殊部隊」の駐屯地.
 同部隊は「対テロ・過激派対策」を主な任務としており,アフガーニスタン国境付近での武装勢力掃討作戦を続けており,日常的に武装勢力からの攻撃を受けている.
 また,同部隊はモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」の武力鎮圧も担っており,報復の可能性もあるという.

 さらに,パキスタン情報機関筋によればアル・カーイダが,駐屯地に隣接して駐留する米特殊任務チームに警告を発する意図で行った可能性があるとの見方を強めているという.
 同筋によると,駐屯地には軍事施設群が隣接.一角には米軍特殊部隊と中央情報局(CIA)の関係者で構成する小規模な「緊急展開チーム」が,アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者の捕捉を念頭に駐留を続けているという.

 【参照ページ】
2007年9月14日10時11分,毎日新聞
2007年9月14日10時31分,読売新聞
2007年9月20日3時0分,時事通信


 【質問】
 ラワルピンディ政府施設連続自爆テロとは?

 【回答】
 首都イスラマバード南方のラワルピンディで2007/11/24,軍に対する自爆テロが発生し,兵士少なくとも十六名が死亡しました.

 第一波は情報省ビルに車を突入させて自爆テロを行い,ビルにいた兵士13名を殺害,第二波が三キロほど離れた陸軍検問所で自爆テロを行なっています.
 死者の数については十六名から三十五名と幅がありますが,すべて軍人と三軍統合情報局職員だそうです.

 なお,現地時間25日に,九月に帰国して再追放されたシャリフ元首相がサウジからラホール(パキスタン東部)に帰国する予定ですが,25日21時時点で帰国は確認されていません.
 現地では治安部隊が出動しており,数万人集まると見られている支持者の取り締まりに乗り出しているそうです.
 道路も封鎖されています.

 ⇒サウジは今回の帰国に当たってシャリフ氏を強く後押ししており,アブドラ国王の専用機で帰国する予定です.
 また同国王はラホールで使用するための防弾自動車も提供しています.

 ラワルピンディには陸軍最精鋭の第十軍司令部や三軍統合情報局などがあります.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)11月26日

 なお山田剛(日経新聞,2007/11/24)によれば,軍の司令部や高級軍人の邸宅などが集まるラワルピンディでは,10月末にも同様のテロが起きているという.


 【質問】
 ウル・ハク前宗教相暗殺未遂事件とは?

 【回答】
Bombers die in botched attack 30/12/2007 10:32
によれば,日曜日の早朝,パキスタンのパンジャブ州南部のHaroonabadで,ムシャラフ政権の前宗教大臣であるMohammad Ejaz-ul-Haqの滞在した家から200メートル離れた場所で爆発事件があり,二人の自殺爆弾攻撃犯と見られる男が死亡した.
 警察は自殺攻撃が失敗し事前に爆発を起こしたと見ている.
 ムシャラフ政権の前閣僚では,前内相のAftab Ahmed Khan Sherpaoが,その前の週,自殺爆弾攻撃を受け,50人以上が死亡している.

ニュース極東板


 【質問】
 2008年のパキスタンでは,テロは増えたのか?

 【回答】
 急増した.
 2008年版の国際テロ活動に関する,米国務省の国別報告によれば2008年には,世界平均で前年比18%マイナス(1万1770件)だったのに対し,パキスタンに限っては1839件(2007年は890件)と倍増している.
 死者数も世界平均では30%減少(1万5765人)だったのに対し,パキスタンでは2293人(2007年は1340人)と,これも倍近く増えている.
 自爆テロが増えていることも,死傷者数が増加する要因となっているという.

 【参考ページ】
2009年5月1日17時6分,産経新聞(ワシントン 有元隆志)


 【質問】
 警察幹部葬儀自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2008/2/29,パキスタン北西辺境州スワト地区のミンゴラ市で,テロで犠牲になった警察幹部の葬儀の最中に起きた自爆テロ事件.
 ロイター通信によると,少なくとも38人が死亡,50人以上が負傷したという.
 警察幹部は同日早朝,車で移動中に路肩に仕掛けられた爆弾で死亡した3人のうちの1人.
 夕暮れに営まれた葬儀に500人が参列する中,参列の警察官が棺に向かって敬礼をした瞬間に爆発が起きた.
 犠牲者には警察官多数が含まれているという.
 爆発後には停電が起き,病院に多くの負傷者が運ばれたが,治療活動に支障が起きたという.
 当時,同州はイスラム過激派と政府軍が攻防を繰り広げている最前線であり,警察官への報復テロとみられる.

 【参考ページ】
2008年3月1日11時8分,産経新聞
2008年3月1日16時25分,産経新聞


 【質問】
 ラホール連続爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 2008.3.11,パキスタン東部のラホールで,連邦捜査局(FIA)の支部と,民間人の所有する建物の計2カ所でほぼ同時刻に起きた爆弾テロ事件.
 FIAはテロの主要捜査機関.
 警察によれば,FIAで起きた爆発は強力で,支部のビルは大きく損壊した.
 民間所有の建物は,ラホール北部の高級住宅地区にあり,地元報道によればシャリフ元首相とかかわりのある弁護士の所有物件.
 広告業者が入居していたという.

 内務省の発表では,FIA関係者12人を含む,少なくとも25人が死亡,約170人が負傷した.
 いずれもイスラム過激派による自爆テロとみられる.

 【参考ページ】
2008/03/11-21:58,時事通信


 【質問】
 軍需工場連続自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2008/8/21,イスラマバードの西方約30kmのタキシラ近郊ワーの軍需工場のゲート付近で,2件の自爆テロがほぼ連続して発生した事件.
 2カ所ある門で,徒歩で近づいたとみられる男が自爆したという.
 この工場はパキスタン国内で最大級の兵器工場.
 同国の民放テレビによれば,工員ら約100人が死亡,200人以上が負傷した.
 当時,現場付近は,勤務交代のため作業員らで混雑しており,自爆犯はそこを狙ったとみられる.

 ターリバーンが犯行声明を出している.

 【参考ページ】
2008年8月21日19時37分,時事通信
2008年8月21日20時3分,読売新聞(佐藤昌宏)
2008年8月22日8時0分,産経新聞(菅沢崇)

遺体を運ぶ治安当局者
時事通信より引用)


 【質問】
 アトク商店街爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 2008/8/24,イスラマバードに近いパンジャブ州の町アトクで,CDやビデオの販売,レンタル店が集まる商店街で起きた爆弾テロ.
 現場周辺で,音楽や映画を批判するイスラーム過激原理主義者の脅迫状らしきビラが見つかったという.
 音楽・映画ソフトを扱う店が脅迫を受けるケースは,同州のほかの町でも発生しており,イスラーム過激原理主義勢力が,パキスタン最大州パンジャブに拡大し始めた兆候だとして警戒されている.

 【参考ページ】
2008/09/02-14:05,時事通信

faq02p01b.jpg
時事通信より引用)


 【質問】
 マリオット・ホテル自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2008/9/20夜,イスラマバードの米系ホテル「マリオットホテル」に車両が突入して自爆したテロ事件.
 車が正面ゲート付近で爆発した後,大量の爆発物を積んだ大型トラックが突入を試みたが,トラックはゲート前で制止された.
 ホテルの所有者や目撃者がロイター通信に語った話によると,警備員とテロ犯との間で銃撃戦となり,テロ犯が爆発物に点火,巨大な爆発が起きたという.
 ホテルに設置された防犯カメラの映像では,爆薬を積んだトラックがゲートに突っ込んだが突破できず,警備員らと口論となる模様が映っている.
 警備員が周りの人に逃げるよう促すなどする中,車内で小さな爆発があり,火が車全体に燃え広がった後,映像は突然途切れている.
 より大きな爆発でカメラが破壊されたためという.
 爆発の衝撃で,1km離れた市内の建物のガラスが破壊された.
(後者は産経新聞の数字)
 パキスタンのレーマン・マリク首相顧問(内相代行)は21日記者会見し,ホテルの正面ゲート前の爆発現場には深さ約7m,直径約17mの巨大な穴が出来ていることなどから,使用された爆発物は600kgに上るとの見方を示した.

 爆発は建物から18m離れた場所で起きたものの,破損した調理用のガス管に引火し,ホテルは炎上.
 火災はほぼホテル全体に広がり,逃げ遅れ焼死した人も相当いるとみられる.
 火は21日朝までにほぼ消し止められたが,ホテルはほぼ全焼し,倒壊の危険があるという.
 マリクは会見で,外国人4人を含む53人が死亡,266人が負傷したと発表.
 また,フランス通信(AFP)は,少なくとも60人が死亡したと伝ええた.
 死者には駐パキスタンのチェコ大使の他,米国大使館付き米軍関係者2人,ベトナム人1人が含まれている.
 また,11人の外国人が負傷した.
 さらにデンマークのセキュリティー・サービスによると,同国の派遣団に随行していた要員1人の安否が不明で,死亡したのではないかとみられている.
 米国務省のスタッフ1人も不明となっている.
 一方,日本大使館によれば,ホテル1階にある,イスラマバードで唯一の日本食レストランに当時,邦人客2人がいたが,日本人の料理長に誘導され無事避難したという.

 マリオット・ホテルは5階建て.
 大統領官邸や国会議事堂などの政府施設に近い一角にあり,裕福なパキスタン人の他,外交団や外国人旅行客も利用する高級ホテル.
 当時はラマダン(断食月)中の土曜日の夜ということもあり,食事を楽しむ大勢の家族連れなどでにぎわい,政府や軍の要人も会食していた.
 2007年1月にも自爆テロ事件があり,犯人と警備員の2人が死亡.
 以後は厳重な警戒下にあった.

 爆発が起きたのは,ザルダリ新大統領が上下両院の議員総会で初の施政方針演説を行った数時間後.
 ザルダリ大統領は,2007年12月に暗殺された故ブット元首相の夫で,テロ根絶を訴えていた.
 また,マリクが22日に記者団に明かしたところによれば,ザルダリ大統領やギラニ首相らを招いた夕食会が当日,同ホテルで予定されていたものの,直前になって会場が首相公邸に変更されたという.
 夕食会は国会議長が招待し,キアニ陸軍参謀長ら軍幹部も出席を予定していたという.

 ザルダリ大統領は21日,国営テレビを通じた演説で,
「パキスタンからテロを駆逐する.卑劣な者たちがこれを阻止することはできない」
と強調,テロとの全面対決を宣言した.
 しかし軍に基盤をもたないザルダリ大統領は,イスラム過激派に対して影響力を行使できないとの見方が強く,
「いずれ対テロ戦で見直しを迫られる可能性が高い」(観測筋)
との見方も強まっているという.

 マリク顧問は,犯行は北西部の部族地域出身者で,アル・カーイダとつながりのあるイスラム過激派の仕業との見方を示した.
 あるパキスタン情報機関関係者もロイターに対し,高度な手口からアル・カーイダの犯行との見方を示したという.
 AFP通信は,パキスタン政府高官の話として,国会近くでのテロを予告する情報が,政府に事前に寄せられていたと伝えた.
 また,テロ組織の情報収集,分析を専門とする米企業「インテルセンター」によると,アル・カーイダが,9月17日に公表したビデオの中で,パキスタンの欧米権益に対するテロ攻撃を予告していたという.
 同ビデオではアル・カーイダ幹部ムスタファ・アブ・ヤジドが,
「アフガンでの聖戦に勝つには,パキスタンの傀儡政権や専制的な軍部と戦い,同国と同盟を結ぶ十字軍国家を攻撃しなくてはならない」
と呼びかけていたという.

 今回のテロは,欧米寄りの姿勢をみせるザルダリ大統領に対し「対米協調の断絶を求めて,警告に出たもの」(観測筋)との見方が出ているという.

パキスタン,自爆テロ発生時の映像
時事通信より引用)

炎上するマリオット・ホテル
恐怖に抱き合うホテル従業員
ロイターより引用)

 【参考ページ】
2008年9月21日0時0分,読売新聞(永田和男)
2008年9月21日0時11分,時事通信
2008年9月21日9時14分,ロイター
2008年9月21日12時9分,産経新聞
2008年9月21日20時31分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月21日21時27分,時事通信
2008年9月21日22時43分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月22日1時1分,読売新聞(永田和男)
2008年9月22日9時46分,時事通信
2008年9月22日12時21分,ロイター
2008年9月22日20時37分,時事通信
2008年9月22日20時53分,産経新聞(菅沢崇)
2008年9月22日21時50分,読売新聞(黒瀬悦成)
「tnfuk」:【記事メモ】パキスタン,イスラマバードで自動車爆弾,死者多数


 【質問】
 ジャムルード・モスク自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009/3/27,パキスタン北西部の部族地域カイバル地区の町ジャムルードにあるモスクでの金曜礼拝中,イマーム(導師)が
「アラー,アクバル(神は偉大なり)」
と言ったのと同時に犯人が自爆したとされるテロ事件.
 爆発の衝撃は強烈で,モスクは2つのミナレット(祈りの時を告げるための塔)を残し,2階建ての礼拝所が崩壊,モスク前に止まっていた車も被害を受けたという.

 ロイター通信などによれば,礼拝中の住民48人が死亡し,70人以上が負傷.
 死者はさらに増える可能性があるという.

 住民によると,モスクの隣にある交番に対して,武装勢力による爆破予告があったという.

 現場はアフガニスタンに駐留する外国軍向けの物資輸送路の近くであり,このモスクには,カイバル地区で掃討作戦に参加している部族関係者が頻繁に訪れていたことから,パキスタン当局者は,輸送の安全を確保する目的で反政府武装勢力タリバンなど対して行われている掃討作戦への報復ではないかとみている.

 【参考ページ】
2009年3月27日20時43分,産経新聞(by 田北真樹子)
2009/03/28-00:23,AFP=時事通信

上記時事通信より引用


 【質問】
 パールコンチネンタル・ホテル自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009/6/9夜,ペシャワールの高級ホテル「パールコンチネンタル・ホテル」で起きた,車を使った自爆テロ事件.
 同ホテルは外国人や政府高官が頻繁に利用する,ペシャワールで唯一の5つ星ホテル.
 地元警察によると,犯行には少なくとも2人が関わっており(3人組説も),トラックでホテルの敷地内に侵入し,警備員に銃を乱射してホテルの門を突破した後,自動車爆弾を爆発させたという.
 爆弾は500kgの爆発物を使用していた.
 手口としてはマリオット・ホテル自爆テロ事件と,ほぼ同一.
 ちなみにパールコンチネンタル・ホテルもマリオット・ホテルも,同じ企業グループが経営している.

 警察当局によれば,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の外国人職員2人を含む15人が死亡,北西辺境州政府当局者によれば州政府閣僚を含む75人,AFPによれば57人が負傷したという.
 ロイター通信によれば,死者の外国人は,UNHCRとユニセフに勤務する,ロシア人とフィリピン人.
 外国人では他に英国人,ソマリア人,ドイツ人の3人が負傷.

 ホテルの建物は爆発で損壊し,駐車場でも数十台の車が破壊された.

 犯行声明は出ていないが,英国の専門家は今回の事件が,ターリバーン掃討作戦への報復テロである可能性があると述べている.

 【参考ページ】
2009/6/10 9時28分,ロイター
2009/6/10 10時27分,CNN
2009/6/10 11時29分,読売新聞
2009/6/10 15時38分,産経新聞(イスラマバード=田北真樹子)
2009/6/10 19時31分,読売新聞(イスラマバード=酒井圭吾)
「WP」:Truck Bomb Kills 11, Injures Dozens At Pakistani Hotel

破壊されたホテル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090610-00000006-jijp-int.view-000より引用)

負傷して運ばれる男性
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090610-00000009-jijp-int.view-000より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2009/6/12 22:50
に加筆


 【質問】
 ナイーミ師暗殺事件とは?

 【回答】
 2009/6/12,パキスタン東部の都市ラホールのマドラサで起きた自爆テロ事件.
 イスラーム指導者の校長ら,少なくとも5人が死亡し,8人が負傷した.
 マドラサやモスクにはこの日,金曜礼拝で多くの信徒が集まっていた.
 校長のナイーミ師は,自爆攻撃やイスラム過激原理主義への批判で知られており,今回の事件はターリバーンなどによる暗殺の可能性が高い.

 【参考ページ】
2009年6月12日20時54分,時事通信


 【質問】
 パキスタン海軍本部自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009.12.2,パキスタンの首都イスラマバードにある海軍本部前で起きた,10代半ばとみられる少年による自爆テロ事件.
 少年は徒歩で本部入り口に近づこうとしたところを警備担当者に止められ,警備員が身体検査を始める前,自爆したという.
 コートの下に爆弾を隠していたことが分かった.

 パキスタン政府当局者は,1人が死亡,11人が負傷したと述べた.
 死亡したのは警備員で,負傷者には民間人4人も含まれる.

 海軍司令部には参謀部高官らが勤務し,敷地内には家族も住んでいる.

 【参考ページ】
2009年12月2日19時0分,CNN
2009年12月2日20時0分,産経新聞(ニューデリー 田北真樹子)


 【質問】
 ムザファラバード・モスク自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009.12.27,パキスタン北東部ムザファラバードで起きた自爆テロ事件.
 実行犯はモスクの入口にある検問所で自爆した.
 28日の政府発表によれば,これまでに7人が死亡,81人が負傷したという.
 警察によると,死者のうち3人は警官で,残り4人は民間人.
 負傷者のうち53人は入院した.

 【参考ページ】
2009年12月28日15時57分,CNN


 【質問】
 カラチ・アーシュラ行進自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2009.12.28,パキスタンのカラチで,イスラム教シーア派の宗教行事アシュラに参加して行進する人々の間で発生した自爆テロ事件.
 カラチでは,アシュラに合わせ5万人以上のシーア派信者が街路に繰り出していた.
 行進の最中,大きな爆発音が街中に響いた後,黒煙が立ち上った.
 ロイター通信によれば,爆発発生後,暴徒化した信者の一部が,数人のジャーナリストを襲撃したという.

 ロイター通信によれば,22人が死亡,45人が負傷した.
 市当局者は
「爆発による死者は22人,負傷者は数十人との報告を受けている.
 しかし依然として被害を確認していることろだ」
と語った.

 犯行声明は出ておらず,テロの背景は不明.

 【参考ページ】
2009年12月29日0時4分,ロイター
2009年12月29日0時35分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)


 【質問】
 ラホール軍用車輛車列自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.3.12,パキスタン東部ラホールの市街地で起きた自爆テロ事件,
 爆発物を身に着けた2人組が軍の車列に近づき,ほぼ同時に自爆した.
 地元警察は記者団に対し,
「自爆攻撃が15─20秒の間隔で2回発生した.
 犯人は徒歩でやって来た」
と説明した.

 警察高官によると,軍関係者を含む少なくとも39人が死亡,95人が負傷したという.
 現場近くのモスクでは金曜礼拝が行われる直前で,集まった多くの市民が爆発に巻き込まれた模様.

 【参考ページ】
2010年3月12日18時28分,時事通信
2010年3月13日2時3分,ロイター


 【質問】
 サイドゥシャリフ検問所自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.3.13,パキスタン北西辺境州スワート渓谷サイドゥシャリフで起きた,検問所を狙った自爆テロ.
 サイドゥシャリフは,スワート渓谷最大の都市ミンゴラの近郊に位置する.
 警察関係者によると,実行犯は人力車から降り,治安要員が配置されている検問所に接近.
 制止を聞かず止まらなかったため治安要員が銃を発砲すると,実行犯は自爆した.

 警察関係者によれば,少なくとも13人が死亡,数十人が負傷したという.

 【参考ページ】
2010年3月13日14時42分,CNN


 【質問】
 アワーミー民族党集会自爆テロ事件とは?

 【回答】
 現地警察当局によれば2010.4.5,ペシャワールから北東約80キロの同州ローワーディール地区において,パシュトゥーン族政党,アワーミー民族党(ANP)の会合で起きた,自爆攻撃と思われる爆発事件.
 犯人はANPの会合が行われている政府庁舎の地下に入ろうとしたが,門のところで制止され,自爆したという.

 北西辺境州は近く行われる憲法改正によって州名が変更される予定で,集会は,州名変更の推進派であるANPの支持者らによる祝賀会だった.
 ANPはこれまでも武装勢力の標的になっている.

 病院の医師によると,41人が死亡,80人が負傷した.

 【参考ページ】
2010年4月5日16時44分,ロイター
2010年4月6日1時7分,ロイター
2010年4月6日7時56分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)
2010年4月6日11時33分,CNN


 【質問】
 ペシャワール米国領事館攻撃事件とは?

 【回答】
 2010.4.5,ペシャワール米国領事館近くで起きた,武装集団による攻撃事件.
 攻撃を目撃したペシャワール在住のSiraj Afridiは,ロイターに対し,
「武装集団は車2台に乗っていた.
 そのうち数人は携行式ロケット弾を持っていた.
 武装集団はまず最初に,領事館近くの警備担当者に発砲し,その後爆発が起こった」と
語った.
 また別の目撃者によると,最初の爆発が米国領事館付近で起こり,その後同じ地域で爆発音が2度と,ライフルを発砲する音が聞こえたという.
 さらに,州政府高官が現場で記者団に語ったところでは,武装集団が車2台で乗り付けて検問所近くで1台を爆発させ,もう1台に乗った集団が銃を乱射した.手投げ弾などを使って領事館に押し入ろうとしたという.

 警備担当のパキスタン人2人が死亡し,治安当局との銃撃戦で武装集団の4人が死亡した.
 総領事館によると,米国人の犠牲者はでていないが,建物の一部に被害が出ているものとみられる.

 同日,ターリバーンは犯行を認めた.
 TTPスポークスマン,Azam Tariqは電話でロイターに対し,
「米国人はわれわれの敵だ.
 われわれはペシャワールの米国領事館を攻撃した.
 今後もさらにこのような攻撃を計画している」
と述べた.
 同氏の居場所は明らかになっていない.

 【参考ページ】
2010年4月5日18時54分,ロイター
2010年4月6日1時7分,ロイター
2010年4月6日7時56分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)
2010年4月6日11時33分,CNN


 【質問】
 ダーターダルバール自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.7.1夜,パキスタン東部ラホール中心部にあるスーフィー派イスラームの霊廟「ダーターダルバール」で起きた自爆テロ事件.
 地元からの報道によると,地下にある手洗い場にて,10分間隔で2度の自爆テロがあり,続いて入り口付近で3度目の爆発があったという.
 また,CNN系列のGeoテレビは,2回の爆発は午後11時(現地時間)にほぼ同時に起き,その5分後に霊廟の外で3回目の爆発が起きたと伝えている.
 自爆犯らは10kgの爆発物を身に付け,徒歩で霊廟に現れたという.

 爆発当時は数百人の礼拝者が,霊廟を訪れていたという.
 この霊廟は,イスラム教神秘主義の伝道者をまつっており,木曜の夜には通常以上の信者が夜遅くまで集まる.
 同国で最も神聖な霊廟の一つとされる.

 ラホール市当局者によると,37人が死亡,175人以上が負傷したという.
 また,Geoテレビの報道によると,自爆犯とされる20代と10代後半の2人の男の頭部が発見され,身元が特定されたという.

 犯行声明は出ていない.

 【参考ページ】
2010年7月2日8時36分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)
2010年7月2日9時8分,ロイター
2010年7月2日9時12分,CNN
2010年7月2日15時28分,産経新聞(ニューデリー=田北真樹子)


 【質問】
 マーモンド地区自爆テロ事件とは?

 【回答】
 時事通信・パキスタンの各種報道等を総合すると,

1.パキスタンの北西辺境州マーモンド地区で9日発生した,自爆テロの犠牲者は死者104名に達した.
 死者の数は増加する見込み.
1.昨年10月のペシャワルにおける車爆弾テロで,125名が犠牲になって以降,最悪のテロとなった.
1.反政府武装勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」が犯行声明を出した.
ということです.

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)7月12日(月)


 【質問】
 ラッキマルワト警察署自爆テロ事件について教えてください.

 【回答】
 パキスタン北西部のカイバル・パクトゥントワ州ラッキマルワト(ワジリスタンに近いところ)で2010.9.6早朝,警察署を狙った自動車による自爆テロが発生し,17名が死亡しました.
 爆発の威力が大きく,警察署は崩壊し,周辺の建物も損壊しています.
 「パキスタン・ターリバーン運動(TTP)」が犯行を認めています.

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)9月13日(月)


 【質問】
 パクパタン霊廟爆弾テロ事件とは?

 【回答】
 2010.10.25早朝,パキスタン中部パンジャブ州パクパタンにあるイスラームの聖人の霊廟で,爆弾が爆発した事件.
 警察によると,爆弾は霊廟の入り口付近に仕掛けられていたという.
 2人の男が乗ってきたオートバイに,爆弾が仕掛けられていたとの情報もある.
 多くの人が朝の礼拝に訪れており,礼拝を終えて人々が外に出る際に,爆発が起きたという.

 地元テレビによると6人が死亡,20人が負傷したという.
 犯行声明は出ていないが,同国内ではそのころ,聖人霊廟を狙ったテロが同国内で相次いでいた.

 【参考ページ】
2010.10.25,共同通信


 【質問】
 ダラアダムケール・モスク自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.11.5,パキスタン北部の町ダラアダムケールのモスクで起きた自爆テロ事件.
 攻撃があったダラアダムケールはカイバル・パクトゥンクワ州の州都ペシャワルに近く,同州と部族地域の境界線上にある.
 犯人は1人で,モスクで行われていた金曜礼拝の終了後,人々が建物内から外に出ようとした際,出入り口付近で自爆した.

 爆発当時,モスクには500人ほどが集まっており,AP通信によると,少なくとも50人が死亡し,80人以上が負傷したという.
 地元テレビは,死者は60人以上としている.
 爆発で建物の一部が崩壊し,生き埋めになっている人がいるとの情報もある.

 事件後,「パキスタン・ターリバーン運動(TTP)」が犯行声明を出した.

 【参考ページ】
産経新聞,2010年11月5日(金)21時40分(ニューデリー 田北真樹子)
時事通信,2010年11月5日(金)23時0分


 【質問】
 モハマンド地区政府施設連続自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2010.12.6,パキスタン北西部モハマンド地区で,2件相次いで発生した,政府関連施設を狙った自爆テロ事件.
 反政府勢力の活動に反対する,親政府の地元組織の会合を狙ったもの.
 狙われた会合は地元政府の建物内で開かれており,部族指導者や当局者ら100人以上が集まっていたとみられる.
 モハマンド地区の高官は,自爆攻撃犯は2人で,いずれも民兵組織の制服を着用し,徒歩で攻撃を仕掛けたと説明.
 犯人は2人で,ともにバイクで現場に突入.
 しかし建物内部には入れず,1人目は行政庁舎の中で,2人目は警備員に身柄を拘束される際に,それぞれ爆弾を爆発させたという.

 地元テレビ局のジャーナリスト2人を含む,少なくとも40人が死亡.
 また,病院関係者によると,60人が負傷したという.

 【参考ページ】
ロイター,2010年12月7日(火)12時41分
時事通信,2010年12月6日(月)21時1分


 【質問】
 マルダン軍事訓練施設自爆テロ事件とは?

 【回答】
 2011.2.10,パキスタン北部カイバル・パクトゥンクワ州マルダンで起きた,軍施設を狙った自爆テロ.
 犯人は学生服を着た10代の少年とみられ,歩いて軍施設内に入った.
 軍施設は通常厳しい警備体制が敷かれており,どのように侵入できたかは不明.

 現地からの報道によると,兵士ら31人が死亡,42人が負傷したという.
 ターリバーンがAFP通信に対し犯行を認め,軍の作戦に対する報復だと主張した.

 【参考ページ】
時事通信,2011年2月10日(木)15時57分
産経新聞,2011年2月11日(金)7時57分(ニューデリー 田北真樹子)


◆◆◆◆ブット暗殺

 【質問】
 ベナジール・ブット暗殺事件とは?

 【回答】
 2007/12/27,イスラマバード郊外,ラワルピンディでパキスタン人民党の集会現場にて,同党総裁ベナジール・ブット元首相が立ち去ろうとした際に狙撃され,暗殺された事件.
 ブットは病院に運ばれたが,18:16,まもなく死亡.
 狙撃犯は直後に自爆し,その巻き添えで20人以上が死亡した.
 ブットの直接の死因としては,胸と首を撃たれたためとする説明のほか,パキスタン内務省は,ブットが車内に逃げ込もうとした際にサンルーフの扉で頭を強打したことが死因との説明をしている.
 イスラームでは埋葬遺体の掘り起こしはハラーム(タブー)であるため,再検死は困難.


 【質問】
 ベナジール・ブットとは?

 【回答】
 1953/6/21〜2007/12/27
 パキスタンの政治家.

 パキスタン独立運動の中心人物の一人,ズルフィカール・アリー・ブットの娘.
 1966〜77年,ハーバード大学ラドクリフ・カレッジ,オクスフォード大学レディー・マーガレット・ホール校留学.
 政治学・哲学・経済学修士.
 1977年,オクスフォード卒業後に帰国するが,ハク陸軍参謀長のクーデターによる父親の監禁に伴い,彼女も自宅軟禁に.
 1979年,ズルフィカール・ブット処刑.
 1984年,英国渡航が許可され,亡命.
 英国滞在のまま,PPP(パキスタン人民党)党首に就任.
 1986年に帰国し,民主化回復運動の中心に.
 1988/11/16 総選挙により,PPPは単独与党となり,ブットは首相就任.
 ベナジールは,父親が指向してきた社会主義化路線を否定し,親米英路線の外交を展開.
 1990/8/6,汚職告発により,イスマイル・カーン大統領から首相を解任される.
 同年10月の選挙でPPPは敗北.
 1993/10/19,選挙で勝利し,首相就任.
 1996/11/5,汚職告発により,シャリフ大統領から首相を解任される.
 1997年,ムシャラフ陸軍参謀長による無血クーデター.
 1999年,有罪判決を受けて国外逃亡し,ドバイやロンドンで事実上の亡命生活を送る.
 2002年の選挙では勝利するも,法的口実によって拘束さる.
 2007年10月,ムシャラフ大統領との政権協議で汚職訴追が取り下げられ,帰国.
 同月19日,カラチで自爆テロに遭遇し,支持者ら約140人が死亡.
 2007/12/27,ラワルピンディでテロにより死亡.

 首相在任中は,人気取りのため,自分の息のかかった人々を3年間で20万人も政府に雇用させたり,また,バラマキ政治を行ったという.
 1996年にはパキスタンの税収はGDPの13%だったののに対し,政府支出はGDPの23%にものぼったという(『Far Eastern Economic Review』 1996/12/12)

 また,元CIAのミルト・ベアデンによれば,1989年3月のアフ【ガ】ーニスタン・ムジャヒッディーンによる無謀なジャララバード攻撃は,ブットの指示によるものだという

 さらに,ターリバーン育成・支援もブットは行っているが,後にターリバーンが過激原理主義色を強めるようになると,これと対立している.
 ターリバーンの教条によれば,女性は指導者になってはならないからである.

 なお,弟のムルサダ・ブットは,父親の社会主義路線の理念が継承されていないとして,ベナジールと親交を絶ったが,後に左翼ゲリラとして警察に殺害されている.

 【関連リンク】
『運命の娘 ベナジル・ブット自伝』(ベナジル・ブット著,読売新聞社,1990.5)


 【質問】
 ブットを暗殺させた組織はどこか?

 【回答】
 ブット元首相暗殺事件については,まだその犯行主体を推定しているメディアがありません.
 ブット首相の10月18日の暗殺未遂事件でさえ,カウンターテロリスムのフォーラム(CTBなど)に多くの評論や分析が出されましたが,犯行主体の結論は出ていません.
(以前に何回もあったムシャラフ暗殺計画についても同じようなものです)

 メリーランド大学のカウンターテロリズム研究者の書いている10月のブット暗殺未遂事 件についての,かなり鋭くて,いくらか面白そうなブログ・エントリーがあって↓
The Bhutto Attacks
TheTerrorWonk Tuesday, October 23, 2007


ブット女史は政治的に多くの対立者があり,またタリバンやアルカイダにも敵対しているのだけれど,どういうテロ組織が反抗を行なったにせよ,それはパキスタンのISSとの関係を持っているはずだ,と書いています.

[quote]
However, many Pakistanis, including Bhutto herself, believe that if the Islamists were involved, they did so as cat’s paws for Pakistani intelligence
[/quote]

 ブット女史はこのとき敵対する3人を非難していて,

[quote]
Bhutto goes further and has stated that while she does not hold Pakistan’s President Pervez Musharraf responsible; there are three officials, whom she will
not name,・・・
1)former President Zia ul-Haq (who overthrew and executed her father)
2)retired General Ejaz Shah, the head of the Intelligence Bureau
3)Chaudhru Pervez Ellahi and Chaudhry Shujaat Hussain.
[/quote]

 ついでに,パキスタンのIISやその関連勢力がブット女史に敵対する大きな理由のひとつは,ブット女史がA. Q. Khan博士へのIAEAの調査を許可するといっていて,カーン博士の内部事情が公になればパキスタンの軍部や諜報部で大いに困る人たちがいるからだとか.さらにカーン博士はイランの核開発計画について内部情報を知っている可能性が有り,これ又火薬庫のような話であると.

ANALYSIS-Bhutto death drives Pakistan into "uncharted waters"
によれば,ロンドンのシンクタンク,アジアパシフィック財団のM.J. Gohelは,ブット前首相の暗殺事件の犯人究明は大変困難だろうと述べています.

[quote]

"It's going to be very difficult to establish the truth of who was behind this,"
said M.J. Gohel, the executive director of the Asia-Pacific Foundation, a security and intelligence think-tank in London.  

 〔略〕

"As well as the Taliban and al Qaeda elements, there are many other candidates -- there are elements within the military and elements within the intelligence services, which never had a good relationship with Bhutto.
"There are of course political opponents as well -- she had a lot of enemies within Pakistan as everyone knows."
可能性としては,タリバンやアルカイダ勢力のほかに軍の一部や諜報機関の一部がブット前大統領に対立しているし,それに加えて政治的な対抗勢力もあって,彼女には多くの敵がいた.そのことは誰もが知っている.

[/quote]

 ただし,アル・カーイダが犯行声明を出しているとの情報もあります.

Pakistan: Al-Qaeda claims Bhutto's death
(AKI)アルカイダが犯行声明


Karachi, 27 Dec. (AKI) - (by Syed Saleem Shahzad) - A spokesperson for the al-Qaeda terrorist network has claimed responsibility for the death on Thursday of former Pakistani prime minister Benazir Bhutto.
 ブット前首相の暗殺事件に関してアルカイダの広報官が犯行を認める声明を出した.

“We terminated the most precious American asset which vowed to defeat [the] mujahadeen,” Al-Qaeda’s commander and main spokesperson Mustafa Abu Al-Yazid told Adnkronos International (AKI) in a phone call from an unknown location, speaking in faltering English. Al-Yazid is the main al-Qaeda commander in Afghanistan.
 アルカイダの広報官Mustafa Abu Al-YazidはAKIに電話して「我々はムジャヒディーンの敗退を願うアメリカの最大の資産を殺戮した」と語った.

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ニュース極東板

Al-Qaeda claims Bhutto killing By Syed Saleem Shahzad
(アジアタイムズ)アルカイダがブット元首相の暗殺の犯行を声明


 暗殺事件の直後に,アフガニスタンのアルカイダ指揮官で広報官をかねるMustafa Abu al-Yazidは,アジアタイムズに電話で犯行を認める声明を送った.
「我々はムジャヒディーンの敗退を願うアメリカの,最も貴重な資産を殺戮した」
と述べた.
「これは我々の敵である,ムジャヒディーンとアルカイダへの戦争を宣言している欧米の異教徒に味方する,ブット元首相とムシャラフ大統領に対する最初の大きな勝利である」

 Mustafa Abu al-Yazidによれば犯行グループは,パンジャブ地方の反シーア地下組織の武装派であるLashkar-i-Jhangviが,アルカイダの指令の下に行なった.

 ブット元首相の暗殺は単独の事件ではなくアルカイダのより大きな計画の一部で,今月の初旬からその計画の存在が知られている.
 12月6日にパキスタン諜報部は,武装派の指導者とローカルな宗教権威との電話を盗聴した.
 そのなかでMaulana Asadullah Khalidiの名前があがり,彼は同日逮捕されている.
 この捜索と逮捕に関連して非パキスタン人の武装派の高位指導者が逮捕され,その調査から「アメリカの貴重な資産を消し去る」計画が明らかになった.
 この資産はブット元首相やムシャラフ大統領を含んでいる.

 このアルカイダの計画はパキスタン全土の数百の細胞組織を動員するものといわれ,目標の追跡や連絡を行なって,殺人部隊を送り込む司令部に連絡する.
[...]
 ブット元首相の暗殺事件はアルカイダの「アメリカの資産に対する戦争」の最初の事件であるに過ぎない.
 アルカイダの計画が実行されるなら,パキスタンに更なる混乱と分裂が起こると予想される.

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ニュース極東板

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COUNCIL ON FOREIGN RELATIONS:'Almost Certainly Al Qaeda'
By By Bernard Gwertzman | Newsweek Web Exclusive Dec 27, 2007 | Updated: 2:43 p.m.
(ニューズウイーク)CFRの専門家:ブット暗殺は「ほぼ確実に」アルカイダの犯行


It was almost certainly the work of Al Qaeda or Al Qaeda's Pakistani allies. Al
Qaeda has been trying to kill Ms. Bhutto for decades. She has been the target of
assassination attempts by Al Qaeda before
 この暗殺事件は,ほぼ確実にアルカイダかアルカイダのパキスタン分派の仕業であろう.
 アルカイダは,過去数10年間,ブット前首相の暗殺を計画してきた.
 彼女は前にもアルカイダの暗殺の標的になっている.
 アルカイダの目的はパキスタンの不安定化である.
 非宗教(世俗)政党の分裂や,軍の分裂を狙い,パキスタンがイスラミストによって政権掌握されることを願っている.
 失敗した分裂国家ではアルカイダが成功する可能性が高いことを知っているからだ.
(後略)
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ニュース極東板

 しかしこれも確定情報ではないようです.
 以下引用.

U.S. Checking al Qaeda Claim of Killing Bhutto December 27, 2007 11:47 AM
(ABCニュース)アメリカ諜報部はブット暗殺がアルカイダの犯行との情報をチェック中


 アルカイダのアフガニスタンの指揮官で広報官でもあるMustafa Abu al-Yazidがブット暗殺の犯行を認めたとの情報について,アメリカ諜報部はそれを確認していないがチェック中であるという.
 一部情報によれば,アルカイダのブット暗殺の意思決定は,アルカイダのNo2であるAyman al Zawahriが10月に決めたという.
 ブット前首相はアルカイダに強い批判を行い,ムシャラフ政権の対処が不十分としていた.

"She openly threatened al Qaeda, and she had American support," said ABC News consultant Richard Clarke, the former White House counterterrorism adviser.
"If al Qaeda could try to kill Musharraf twice, it could easily do this," he said.
 ABCニュースのコンサルタントで前のホワイトハウスのカウンタテロリズム・アドバイザーであるRichard Clarkeは
「ブット前首相は公的にアルカイダを非難し,そのことでアメリカの支持を得ていた」という.
「アルカイダはムシャラフを2回暗殺未遂していて,こういう事件はお手の物だ」

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ニュース極東板

▼ 【追記】
■ブット元首相暗殺にISIが関与?

 23日のインドPTI通信は,パキスタン軍情報部所属の複数の将校(大佐・少佐級)とパキスタン情報機
関ISIが,2007年に発生したブット元首相暗殺に関与していた,とする関係者の話を伝えています.

おきらく軍事研究会,平成22年(2010年)12月27日(月)


 【質問】
 イスラーム過激原理主義者には,ブットを暗殺してもメリットはないのではないか?

 【回答】
Assassination in Pakistan Friday, December 28, 2007; Page A20
(ワシントンポスト社説)パキスタンの暗殺事件

という記事によれば,むしろイスラーム過激派が最もこの事件の便益を得る事は確かだという.
 なぜならば,ブット女史はパキスタン国内で世俗的(非宗教的)民主主義の最も強力な提唱者であり,彼女はイスラム武装派と対峙し,ムシャラフ軍事政権の独裁を批判する勇気を持ちあわせていたからだという.

 1月8日に予定されたパキスタンの総選挙では,彼女の指導する穏健派が破綻した政治システムに民主的な勢力を与え,過激派を抑えることが期待されていた,と同紙は述べる.
 彼女の悲劇的な死は政治的混乱と暴力に道を開きアルカイダとタリバンを活性化しかねず,ムシャラフ大統領とパキスタンに残る穏健派勢力が賢明に,素早く動くことが必要であるという.

 以下引用.

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 暗殺事件の捜査と犯人検挙は最優先の課題であろう.
 充分な,また信頼の置ける事件の解明が無ければ,陰謀論が吹き荒れて,ムシャラフ大統領や軍部への非難が高まる可能性がある.
 そうした事態はイスラミストを更に利するだけである.

 FBIは以前にパキスタン政府に協力して成功した事例があり,ブット女史は以前の暗殺未遂の捜査にFBIの協力を求めていた.

 〔略〕

 ムシャラフ大統領は,軍政を復活させることを控えるべきであって,もしそれを行なうならパキスタンの市民社会やメディアを敵に回し,アルカイダの抑止に対しては殆ど役に立たない.
 〔略〕
 1月8日の総選挙の維持は最善のコースである.
 過激派の暴力に対抗するためにも,パキスタンの有権者の多数派が中道勢力の勝利を上げる必要がある.

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ニュース極東板


 【質問】
 暗殺事件当時,ブット元首相の警備は充分と言えたか?

 【回答】
 2010.4.15に出された,国連の独立調査委員会の報告書によれば,不充分であり,適切な警備があれば暗殺は防げたという.
 同報告書は,警備の責任は当時のムシャラフ政権や地元警察にあるとし,いずれも
「ブット氏の差し迫った危険を知りながら,必要な措置を取らなかった」
と指摘している.
 なお,同報告書は,警察が事件捜査を十分行わなかったことについても,
「意図的だと考える」とし,調査がパキスタンの情報機関などに妨害されたことも明らかにしている.

 【参考ページ】
2010/04/16,時事通信


 【質問】
 ブット暗殺事件に対する各国の反応は?

 【回答】
●インド
 パキスタンの政情不安を懸念するとの声明を発表.

●英国
 外務省がミリバンド外務大臣の声明を書面で発表している.
「私は,ラワルピンディでブット元首相が暗殺され,少なくとも15人の人が殺害されたニュースに接し,ひどくショックを受けている.
 ブット元首相は,自分の身に危険が迫っていることを知っていたが,パキスタンが自分を必要としていると確信しており,来年一月におこなわれる選挙のための活動をしていた」

●米国
 国務省のReside報道官はブット暗殺について,ブット暗殺は,政治的和解と民主主義を狂わせようとする過激派がパキスタンに未だ存在していることを示している,と述べている.

●ロシア
 外務省がブット暗殺を強く非難.
 パキスタン当局が選挙期間中に,国の安定を十分図るよう要請した.

おきらく軍事研究会,平成19年(2007年)12月28日


 【質問】
 ブット暗殺後,どのような暴動が起こったか?

 【回答】
 2007年12月27日付,ブルームバーグによれば,同元首相の支持者による抗議の暴動が,南部シンドゥ地方を中心に広がっており,通りではタイヤが燃やされ,商店が放火されたほか,ハイデラバードや,ブット元首相の故郷であるラルカナでは警察署が襲撃されたという.

▼ 12.28には,殺害に怒って暴徒化した住民らの放火や略奪が,全土に拡大した.
 特に元首相の出身地シンド州を抱える南部の治安が急速に悪化,治安部隊が暴徒に発砲した地域もあった.
 ロイター通信などによると,シンド州では数百台の車や多数の店舗が放火され,暴徒が反ムシャラフのスローガンを叫んだ.
 同じく南部のハイデラバードでは銀行25カ所,車両100台が放火され,治安部隊が発砲して5人が負傷した.
 中部ムルタンでは約7000人が銀行7カ所を襲撃,警察署にも投石するなどしたため,警官隊が催涙弾を発射して応戦した.
 このほか南部カラチや首都イスラマバードでも銀行などへの襲撃,放火騒ぎがあり,各地で19人が死亡したもようだ.
12月28日22時55分,産経新聞(バンコク=菅沢崇))▲


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