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◆◆アル・カーイダ※FAQ
<テロリズムFAQ目次
※ 正則アラビア語からの転写では
「al-Qâ'idah (正確には^ではなく,aの上に横棒.以下同)」

オサマ・ビン・ラーディン演説集
MEMRI TV Clip No.1002「カーイダの指導者オサマ・ビンラーディンが新しい音声録音で,米国における新た襲撃を脅す」(2006年1月19日)
MEMRI TV Clip No.989「スーダンにおけるオサマ・ビンラーディンの資料映像」(2006年1月)
MEMRI Special Dispatch No.838 「オサマ・ビンラーディンは言う:『今日,抗争が存在する.一方の側はアメリカの指導の下にある異端世界であり,他方の側はムジャーヒディン(聖戦士)を前衛とするイスラム・ネーションである』(2004年12月30日)
MEMRI Special Dispatch No.837 「オサマ・ビンラーディンがイラク人民に言う.イラクとパレスチナ自治政府(PA)選挙への参加は禁じられる:パレスチナとイラクのジハードはイラク人やパレスチナ人だけでなく,全てのムスリム国居住者の義務である:ザルカウィはイラクのアルカーイダの司令官である」(2004年12月30日)
MEMRI TV Clip No.419 「オサマ・ビンラーディンが新しい音声テープで言う.治安と平和の欠如は,サウジアラビア政府に責任がある」(2004年12月16日)
MEMRI Special Alert No.14 「オサマ・ビンラーディンのテープは,米国を脅す」(2004年11月1日)
MEMRI TV Clip No.312 「2004年米国選挙の前夜に行われたオサマ・ビンラーディンの演説」(2004年10月29日)
MEMRI Special Dispatch No.695 「オサマ・ビンラーディンの演説は欧州に平和条約を提示.(一方)『(カーイダは)米国との戦いはあくまでも続ける』と言う」(2004年4月14日)
MEMRI Special Dispatch No.539 「新しいビンラーディンの演説」(2003年7月18日)
MEMRI Special Alert No.9 「ビンラーディンからのメッセージ」(2003年3月17日)
MEMRI Special Dispatch No.476 「ビンラーディンの犠牲祭の説教」(2003年3月5日)
「tufuk」:【特集:航空機爆破計画裁判結果 5】常に変化する「アルカイダ」の形(ガーディアン,ジェイソン・バーク)
『オサマ・ビン・ラディン発言』(ブルース・ローレンス編,河出書房新社,2006.8) ビンラディンの発言記録
『正体』(保坂修司著,朝日新聞社,2001.12)
『ビンラディン』(ヨセフ・ボダンスキー著,毎日新聞社,2001.11)
◆◆◆総記・組織
+
【質問】
ウサーマ・ビン・ラーディン※とはどんな人物か?
【回答】
細部では色々な異説があるが,おおよそは次のようなところである.
宮田律および中村覚の文章から引用する.
1957年もしくは58年,サウディアラビアのリアドの生まれ.
イエメン出身の父親,ムハンマド・ビン・ラーディンは建築業者として,メッカやメディナといった宗教施設の建設に携わり,莫大な富を築いた人物です.
大勢の妻を持った父親には52人の子供がおり,オサマは18男※.
オサマ自身にも妻が4人,子供が13人いるといわれています.
ビン・ラーディンは暗殺の危険もあって極力外部との接触を避けており,その素顔はなかなか伝わってきません.
ビン・ラーディンに直接インタビューした経験を持つパキスタン人記者によれば,彼は
「非常に物静かでシャイ.
あまり話さないが,話す時には印象的な言葉を吐く,強い宗教的信条の持ち主.
非常にカリスマ性がある」
とのことです.
宮田律〔中東現代政治専門家〕 from 『「新しい戦争」を知るための60のQ&A』
(新潮社,2001/11/15),P.72
※ 中村覚は,「何番目かは不明」としている.
ビン・ラーディン財閥は,ウサーマの父親ムハンマド(1966-68年の間に没)が,イエメンのハドラマウトからサウディ西部のヒジャーズに移住してきた後に,息子達と作り上げた.
ウサーマの父親ムハンマドには,52〜54人の息子がいた.
ウサーマが何番目の子息だったかは,諸説があり,不明.
(中村覚=サウディアラビア学者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.112)
ウサーマは,サウディアラビアの大財閥,ビン・ラーディン財閥の創始者ムハンマドの子息で,2億ドルから3億ドルの資産を所有しているといわれている.
現在に至るまでの彼の活動は,その資産,あるいは,その後の事業活動や義援金によって得た資金によって賄われているとも言われるが,はっきりしたことは分からない.
彼は,サウディのアブドゥルアズィーズ大学経済学部を卒業した.
その後,1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると,10数日後にはアフガニスタンを支援するためにパキスタンへ到着し,以後,反ソ・ジハードの支援を開始した.
ウサーマの活動は,武装闘争に参加しただけではなく,アラブ地域の若者を義勇兵として募り,アフガニスタンへ派遣するという方法で反ソ・ジハードに貢献した点で特徴的だった.
彼は,アラブ世界のさまざまな地域から若者をアラブ義勇兵※へリクルートする組織を設立した.
そして,アフガニスタン・パキスタン国境の村の近くに,ゲリラ要請のためのキャンプを設立した※2.
また,ゲリラのために,カブール郊外15マイルの地点まで続くトンネルを掘り,その中に病院や武器庫を作った※3.
※ 「アフガンへのアラブ義勇兵」という意味で,アラビア語では,
「アフガン・アラブ Afghân al-Arabî(正確には^ではなく,母音の上に横棒.以下同)」
という語を使っている.
※2 1998年8月に米軍が爆撃したキャンプは6ヶ所と言われるが,最も多く伝える報道では,ビン・ラーディンは16ヶ所のキャンプを持っていた,という.
Al-Watan al-'Arabî no.989, 16 Feb.1996, p.37
※3 Mujahid Usamah Bin Ladin Talks Exclusively to "NIDA'UL ISLAM" about The New Power Keg in The Middle East.
http://www.webstorage.com/~azzam/html/usamah_bin_ladin.html (27 Aug. 1998)
(中村覚=サウディアラビア学者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.93)
※ 正則アラビア語からの転写では
「ウサーマ・ビン・ラーディン Usâma b. Lâdin(正確には^ではなく,aの上に横棒)」
と発音される.
なお言うまでもなく,これらの情報も「有力説」であるに過ぎず,正確にどうかは未知の部分も当然あると推察される.
+
【質問】
ビン・ラーディンはなぜテロリストと見なされるのか?
【回答】
これについては,サウディアラビア学者・中村覚が,面白い見方をしている.
すなわち,テロリストと見なすかどうかは,観察者のスタンスによって変化するという,ある意味,量子力学的な見解である.
ウサーマをテロリストとみなすか否かは,ウサーマが本質的にどんな人間であるかという点にではなく,ウサーマについて語る者の価値観に依存する.
ウサーマの発言が力を持った歴史的な背景を重視すれば,彼は英雄である.
ウサーマの人格を重視すれば,彼は思想家というよりも煽動家である.
現在の国家体制や国際政治体制の現状維持を重視する者や,彼のネットワークの活動によって被害を受けた者にとっては,彼は紛れもなくテロリストである.
( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.108)
ただ,これには,
「ウサーマにとって『敵』であり,その破壊活動によって被害が出ると予想される対象にとっては」どうなのか?の考察が抜けている.
【質問】
ビン=ラーデンは現在どこにいるのか?
【回答】
'03年上旬,「週刊プレイボーイ」誌上に載ったインタビューにおいて,ビン=ラーデン研究者ボダンスキーは,
「パキスタンの過激原理主義勢力に匿われている」
と苦々しげに述べています.
(軍事板)
また,ニューズウィーク誌のサミ・ユサフザイは,「アフガニスタンとパキスタンの国境に広がる山岳地帯の洞窟を,転々と移動している」と述べています.
以下引用.
タリバン兵によると,最近のビンラディンは新しい場所に移動するたび,野営地の周辺に地雷と爆弾を埋めるよう命じている.一つには自分の身を守るためだが,逃げ場がなくなったらすぐに「殉教」し,遺体を跡形もなく吹き飛ばすためでもある.
ザビフラ名乗るタリバン幹部の一人によると,ビンラディンは敵に捕まるぐらいなら,「喜んで殉教する」と腹心に語っているらしい.
だが元同志によれば,ビンラディンは危機感をつのらせている可能性が高い.ハマト司令官と名乗るかつての戦友は,ビンラディンはフセインの拘束を受けて,身辺警護を強化したはずだと語る.
アフガン駐留米軍の捜索部隊は先日,イラクの捜索部隊とともに「タスクフォース121」に統合された.本誌が得た情報によれば,イラクで「お尋ね者」の追跡に使われたコンピュータソフトが,ビンラディンの人脈の分析にも利用されているという.
このソフトはアメリカのi2社が開発した「アナリスツ・ノートブック」だ.電話の通話記録などを手がかりに,膨大なデータの山を役立つ情報に変えることができるという.2000年に蔓延したラブレターウイルスを作ったフィリピン人ハッカーの特定にも使われたと,i2の広報担当者チャック・イゾは話す.
ザビフラによれば,ビンラディンは最近,米軍とニアミスをしていた.ビンラディンが護衛を引き連れて山道を歩いていると,頭上に米軍機が飛来.一行はあわてて茂みに身を隠したという.米兵は彼らに気づかなかったらしい.
数カ月前,南部のウルズガン州でオマルと遭遇したのに,米軍とアフガン政府軍は気づかなかったと語るのは,アサドゥラ・ザラファトと名乗るタリバン戦闘員だ.
このときオマル一行は,午後の礼拝のためにモスク(イスラム礼拝所)に立ち寄っていた.そこへ,米兵とアフガン兵を乗せた車両数台が乗りつけた.アフガン兵が礼拝をするためだった.オマルは部下に武器を隠しておとなしくしているよう命じ,アフガン兵と一緒に礼拝したという.
ビンラディンといえども,いつかどこかでヘマをしでかす可能性はある.逃亡生活が長引けば,どんなに強靱な人間も消耗する.
アブドゥラと名乗るイスラムゲリラは,03年2月にアフガン北東部のクナル州まで,病気のビンラディンのために薬を届けたことがあるという.「とても弱々しくみえた」と,アブドゥラは言う.「彼は同じ場所に長くとどまらない.居所を突き止められることを恐れて,夜間や悪天候の中を移動することも多い」
悪天候が続いて風邪をこじらせ,一晩だけ長く同じ場所に滞在する――そのとき,アメリカ本土に対する史上最悪の武力攻撃を実行した責任を問われている男は,一巻の終わりを迎えるのかもしれない.
サミ・ユサフザイ(ペシャワル) & マイケル・ハーシュ(ワシントン)
from ニューズウィーク日本版
2003年12月31日/2004年1月7日号 P.36
その後も,アルカーイダがパキスタンに隠れ家を持っているとの報道は,しばしば現れている.
以下引用.
――――――
アルカーイダ パキスタンに幹部隠れ家?
ネグロポンテ米国家情報長官は11日,上院情報委員会に提出した書面で,国際テロ組織アルカーイダ幹部の「安全な隠れ家」が,パキスタン国内にあるとの見方を明らかにした.
同長官はパキスタンを「アルカーイダの重要な避難場所」と位置づけ,同幹部らが隠れ家から中東,北アフリカ,欧州の下部組織に広がる組織網を維持していると指摘した.
そのうえでアルカーイダは,引き続き米本土などへの攻撃を計画するなど「米国の権益の重大な脅威である」として,隠れ家などの壊滅を図る重要性を強調した.(ワシントン 有元隆志)
――――――2007年1月13日8時0分,産経新聞
――――――
米高官はこれまで,アルカイダ幹部の潜伏先に関して,アフガニスタンとパキスタンの国境沿いの山岳地帯ではないかとしていたが,ネグロポンテ長官はこの日の証言で,パキスタンに隠れ家があると明確に指摘しており,新たな情報を入手した可能性もある.
――――――2007年1月12日11時0分,時事通信
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訓練キャンプ再構築図る=パキスタンでアルカイダ−米情報長官
2007年2月28日10時1分,時事通信
【ワシントン27日時事】マコネル米国家情報長官は27日,上院軍事委員会の公聴会で,国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者らがパキスタン北西部の辺境地域で訓練キャンプの再構築を図っていると述べ,強い憂慮を表明した.
長官によれば,アルカイダが訓練キャンプを置こうとしているのはパキスタン政府の支配が及ばない部族地域.
ビンラディン容疑者のほか,ナンバー2のアイマン・ザワヒリ容疑者もこの地域に潜伏しているという.
米政府高官がアルカイダ幹部の潜伏場所に言及するのは異例で,具体的な情報を入手した可能性もある.
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パキスタンの過激原理主義勢力がアル・カーイダを庇っていない,と考える方が現状ではむしろ不自然だろう.
【質問】
アル・カーイダはインターネットをどう利用しているか?
【回答】
武装組織の宣伝工作を担っているとされるのが、アブマイサラという謎の人物。
いま、アブマイサラ名入りの無修正映像が、ネット上にはんらんしている。
米紙ワシントン・ポストによると、アブマイサラは9月ごろから、米シリコンバレーで開発された「ユー・センド・イット」というシステムを利用し始めた。
このシステムでは利用者は、無料かつ匿名で、動画など1GBまでの大容量ファイルをサーバーに記憶させることができる。
同時に、ファイルの存在を、指定した相手にメールで知らせることもできる。
関心を持ったメール指定先がダウンロードすれば、映像の“保管庫”となり、無数のウェブサイトが利用される結果を招いた。
この,最初の発信元を特定されることなく、大容量ファイルを、瞬時に、広範囲にばらまけるシステムが,当局が映像の出所を絞り込めない要因となっている。
【質問】
ムスリムの間で,ビン・ラーディンはどの程度支持されているのか?
【回答】
決して大きいわけではありません,と宮田律〔中東現代政治専門家〕は述べる.彼によれば,世界の大多数のムスリムが,ビン・ラーディンのイメージによってイスラーム教が定着することに迷惑しているのも間違いない,という.
以下引用.
エジプトを例にとれば,イスラーム過激派「イスラーム集団」のメンバーと支持者は,合わせて5万人とされています.エジプトの人口は約6千万ですから,割合で言えば0.1%にも満たないほど.
エジプトは富が一部の特権階級に集中しているため,意外にもイスラーム世界で最も貧しい国の一つとされている.
そうした社会矛盾もあって,イスラーム過激派の活動が極めて活発な国となっています.
そのエジプトでさえ,過激派に対する支持は,微微たるものでしかないというわけです.
しかし,ビン・ラーディンを始めとする「イスラームの脅威」に気をとられるあまり,貧困や独裁,さらには米国への根強い不信感といったイスラーム世界の現状を,今後も見過ごしていくと,サダム・フセインを例にとるまでもなく,ビン・ラーディンへの支持が急上昇するということもないとは言い切れません.
( from 「『新しい戦争』を知るための60のQ&A」,新潮社,
2001/11/15,P.90-92,抜粋要約)
また,以下の記事によれば,最近では更に共感度が低下しているという.
ビンラディン容疑者に不信 イスラム圏で“テロ離れ”
【ワシントン14日共同】国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者への信頼度が,イスラム圏の一部の国で大幅に落ち込んだことが14日,米世論調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査で分かった.
調査は,ロンドン同時テロが起きる前の4−6月に行われたが,自爆テロなど一般市民を標的にした攻撃への共感度も減少,イスラム圏で“テロ離れ”が起きていることを示した.
調査結果によると,ビンラディン容疑者を「大いに」または「ある程度」信頼するとの答えは,レバノンでわずか2%,トルコでも7%.2年前の調査では,それぞれ14%と15%で,信頼度が急低下した.
モロッコは26%,インドネシアは35%だったが,2年前に比べると,どちらも半分近くに減った.
【質問】
アル・カーイダは何処で若者を勧誘するのか?
【回答】
主にモスクで行われる.
過激派メンバーは各地のモスクを訪れては,
「ここのモスクの指導者は間違っている.
自分はイスラームについて,彼より正しい知識を持っている」
などと言葉巧みに説いて信用させ,仲間に誘い込む.
過激派を排除できるかどうかは,モスクの指導者にかかっている.
優秀で熱心な指導者がいれば,過激派の誘いには誰も耳を傾けない,と言われている.
また,モスクと共に過激派が勧誘の場として使うのが,実は刑務所であり,それは,
「収監されている犯罪者の多くは,実際は精神的に脆い寂しがり屋で,話し相手を求めているんです.
そんな心理を,イスラーム過激派の連中は実によく知っている」ためであるという.
彼らは受刑者にさり気なく近付き,悩みを聞いてやる素振りを見せ,次第に宗教に導く.
フランスの元服役囚の証言によれば,
「近く戦いが始まる.十字軍の時代が再来する」
「ユダヤ人が作る番組があるから,テレビを見てはならない」
「全ての悪はユダヤ人によって引き起こされている」
などとささやきかけ,刑務所内には過激原理主義のテキストやカセット・テープが出回っているという.
詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.111〜を参照のこと.
【質問】
アル・カーイダは核テロを計画しているか?
【回答】
・国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長の発言
・パキスタンで「核開発の父」と呼ばれるアブドル・カーン博士と接触していた可能性を示唆する情報
・英国高官の発言
から考えてその可能性は高いと推測される.
***
まず,エルバラダイの発言だが,これはノルウェーのTVのインタビューに答えてのものである.
以下,引用.
ノルウェーの民間テレビ局TV2は9日、国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長の発言として、アルカイダなどの過激派が核兵器の入手方法を模索していたと伝えた。
事務局長はウィーンで行われたインタビューで、過激派が「核兵器など大量破壊兵器の入手を積極的に検討していた」と述べた。
同局のウェブサイトは、証拠がアフガニスタンで発見されたとする事務局長の発言を伝えている。
ロイター通信(リンク切れ)
ただし,その証拠がどのようなものなのかは,報道では明らかになっていない.
また,パキスタンで「核開発の父」と呼ばれるアブドル・カーン博士と接触していた可能性もあるという.
以下引用.
パキスタンの核開発の父と接触か=アルカイダ第3の幹部−米誌
【ニューヨーク11日時事】12日発売の米誌タイム最新号は,3月にパキスタンで逮捕されたテロ組織アルカイダの第3の最高幹部ハリド・シェイク・モハメド容疑者が,パキスタンで「核開発の父」と呼ばれるアブドル・カーン博士と接触していた可能性を示す情報を米情報機関がつかんでいると報じた.
ただし,米国諜報機関の情報収集は,パキスタンにおいては長年ISI任せだったために劣化しており,その情報は必ずしも正確とは言えない.
一方2006年11月には,英国政府高官も,それを裏付けるような発言をしている.
アルカイダ,西側攻撃のため核技術の取得目指している=英政府高官
[ロンドン 13日 ロイター] 英政府高官は,記者団に対し,アルカイダが核関連技術の取得を目指していると述べた.その技術とは,英国など西側を攻撃するための核関連機器の使用に関するものという.
同高官は「材料や技術を取得しようという意図がある」としている.
以上の情報から総合的に判断して,アル・カーイダが核テロを計画している可能性は高いと言っていいだろう.
【質問】
ドイツにおけるアルカーイダの活動状況は?
【回答】
2005/1/23に西部マインツなどで逮捕された,アルカイダのメンバーとみられるドイツ市民権をもつイラク人モハメド・K容疑者(29)は、自爆テロの要員として,リビア出身でドイツ市民権を持つパレスチナ人
ヤセル・S容疑者(31)を雇い、イラクで自爆テロを起こさせる計画をたてていたという。
また、アルカイダの活動指揮を作るため、ヤセル・S容疑者に80万ユーロ(約1億円)の生命保険をかけ、同容疑者が交通死亡事故に巻き込まれたとウソの申告をして保険金を詐取しようとした疑いがもたれている。
また,ウラン入手も企てていたという.
【質問】
パレスチナにおけるアルカーイダの活動は?
【回答】
従来,アル・カーイダはパレスチナには殆ど関心を向けていなかった.
彼らの関心は専らサウディアラビアと,それを支援するアメリカに向いていたからである.
ビン・ラーディンのブレーンであるザワヒリには,パレスチナ問題に付いての知識はなかったものと考えられる.
しかし2006年前後になって,レバノンおよびパレスチナへの進出を図りつつある.
動きとしては以下のようなものが見られる.
2006年9月23日,ネグロポンテ米国情報長官が,アルカイダのレバノン進出に懸念を表明.スンニ派系の同組織はレバノン進出を宣言しているが,シーア派のヒズボラとは仲が悪いと見られている.(Y)
2006年10月8日,ガザの難民キャンプで,アルカイダ系グループがインターネットカフェに放火.自分たちの道徳基準に従わない連中は殺すと警告した.アルカイダは3週間前にも自治政府高官ら5人を殺害している.(Y)
2006年10月4日,アルカイダのガザ支部と名乗る組織が5分のビデオを公開.現在の指導部はユダヤ人とクリスチャンの手先だとして「裏切り者は殺す」と宣言.ビデオに登場する人物は正体不明.(P)
2006年12月14日,イスラエル人の若者に人気があるインドのゴアで,アルカイダがテロを計画中か.政府は滞在者に即時帰国を呼びかけ.(P)
上記,短信ニュースについては,http://www.zion-jpn.or.jp/p0404.htmより引用
[情報源略号表]
P=エルサレム・ポスト http://www.jpost.co.il/
H=ハアレツ http://www.haaretz.com/
7=アルツ7 http://www.israelnationalnews.com/
I=イスラエル・トゥデイ http://www.harvesttime.tv/israel_today/
Y=イディオット・アハロノット http://www.ynetnews.com/
【質問】
サウディアラビアでのアル・カーイダの現状は?
【回答】
報道によれば,メンバー400〜500を逮捕,サレハ・アウフィなどの指導者の殺害にも成功している.
現在でも摘発は続いており,同国でアル・カーイダは衰退しているという.
一方,さほど大規模なテロは発生しておらず,封じ込めには成功しているといえる.
ただ,こうした摘発は,アル・カーイダが一つの新興宗教のごときものになっている現状では,あまり根本的な解決にはならない.
穏健派イマームによる教化や,社会問題の解決が,「根治治療」のためには必要だろう.
***
報道によれば,メンバー400〜500を逮捕,同国でアル・カーイダは衰退しているという.
以下引用.
米シンクタンク、戦略国際研究センター(CSIS)の報告によれば,サウジアラビア治安当局は2004年末までに、アルカイダ系の過激派メンバー400―500人を殺害または逮捕し、同国でアルカイダの勢力は衰退しているという.
しかし、CSISは、アフガニスタンやイラクに潜むサウディ人アル・カーイダ・メンバーが帰国する可能性もあるため、サウディアラビアは依然「テロとの戦いにおいて危機的な情勢」にあり、この状況は数年は続きそうだとしている。
同報告によると、サウジに今も残るアルカイダメンバーは約250人。組織は5つのグループに分かれていたが、昨年末までに、4グループが壊滅した。
2005年7月には,国営サウジ通信は、サウジアラビア治安部隊が、リヤドで銃撃戦の末、
アル・カイーダネットワークのひとり、ハヤリ氏(モロッコ国籍)を射殺したと発表。
同氏は爆弾のプロで、サウジ内務省が最重要容疑者として6/28に指名手配し
た36名の筆頭にあげられていた人物。
2005/08/18には,アル・カーイダのサウディ国内指導者殺害に成功している.
以下引用.
アル・カーイダ国内指導者を殺害=サウジ治安当局
アラブ首長国連邦(UAE)の衛星テレビ「アル・アラビーヤ」によると,サウジアラビア治安当局は18日,首都リヤド,イスラム教聖地メディナの両市内各所でイスラム過激派の一斉摘発を実施した.
リヤドで過激派4人を殺害したほか,メディナで発生した銃撃戦では,国際テロ組織アル・カーイダの在サウジ組織指導者と目され,当局が過激派の最重要人物の一人として手配していたサレハ・アウフィ容疑者が死亡した.
今月初め,ファハド前国王の死去を受けアブドラ国王が即位して以降,初の大規模過激派摘発作戦で,治安当局は「戦果」を挙げた形だが,アル・カーイダも別の指導者が直ちに後を継ぐと見られ,戦いはなお続きそうだ.
メンバー摘発も続いている.
サウジのテロ組織系勢力摘発,3か月で136人逮捕
【カイロ=柳沢亨之】サウジアラビア内務省は2日,同国営通信を通じ,過去3か月間にわたる国際テロ組織アル・カーイダ系武装勢力摘発作戦で,計136人を逮捕したことを明らかにした.
国内での自爆テロ計画や武装要員の出入国支援などに関与していた疑いが持たれている.
逮捕者のうち21人は外国人.
10月下旬に首都リヤドや石油施設の多い東部州で一斉に行った最大作戦で逮捕した計44人は,若者を「複数の海外紛争地」に送り込む組織を結成していた.
同月中旬の作戦で逮捕した16人は,外国で訓練した要員を国内に潜入させる活動に関与していたという.
容疑者の名前や国籍などは明らかにされていないが,外国人の拘束者については,サウジ国内での攻撃を実施させるため,巡礼者を装ってメンバーらに国外で訓練を受けさせていた疑いなどがあるとしている.
ただ,こうした摘発はもぐらたたきのようなもので,アル・カーイダが一つの新興宗教のごときものになっている現状では,あまり根本的な解決にはならない.
それよりも,逮捕後の囚人への扱いが気になるところ.
エジプトのような,穏健派法学者による教育を行うことが望ましいのだが…….
【質問】
「アル・イッティハード・アル・イスラミ」(AIAI)とは?
【回答】
国際テロ組織,アルカーイダと関係があるとされるソマリアのイスラム原理主義組織.
2002年にケニアで起きたイスラエル人に対する同時テロに関与した可能性も指摘されている.
【質問】
南米にはアル・カーイダの拠点はあるのか?
【回答】
あります.
パラグアイとブラジル・アルゼンチンの国境地帯には約3万名のアラブ系移民の居住地が点在しており,95年ごろアルカイーダのビンラディン氏が滞在していたとされています.
米は同時多発テロ以降,この地域での麻薬・武器取引
がイスラーム過激派国際テロ組織の資金源になっているとの見方を強めており,
パラグアイ治安当局の能力向上,関連情報共有を計っていく考えのようです.
FBIのモラー長官は,07年に米大使館内にFBI事務所を設置することでパラグアイ政府と合意しています.
また,7月より米・パラグアイ軍は合同 軍事訓練を実施しています.
【質問】
英国におけるアル・カーイダの活動状況は?
【回答】
報道によれば,100〜200人のアル・カーイダのテロリストがいるという.
勧誘されたイスラーム教徒の英国人が,アフガーニスタンで教練を受けているとの報道もある.
また,アル・カーイダは化学兵器テロなど多くのを計画していたが,阻止されたという未確認情報もある.
***
報道によれば,100〜200人のアル・カーイダのテロリストがいるという.
以下引用.
2005年1月まで在職したスティーブンズ前ロンドン警視庁警視総監が,2005/3/6付の英日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドに寄稿した文章によれば,
「ビンラディンに訓練されたテロリスト少なくとも100人が英国内にいる。
200人近くいる可能性もある」
という.
スティーブンズは、反テロ法違反容疑で拘束中のイスラム系外国人らについて、
「アルカイダの精神的指導者だ」
と主張。
自宅軟禁制度などを盛り込み、議会審議中の新しい対テロ対策法案を早期に成立させるべきだと訴えている。
実際,海外に植民地を多く持っていた関係から,英国には多くのイスラーム教徒がおり,彼らを過激原理主義勢力が勧誘するのは難しいことではない.
そうして勧誘されたイスラーム教徒の英国人が,アフガーニスタンで教練を受けているとの報道もある.
以下引用.
英国人ら12人にテロ教練=西側での組織網構築が狙い−アルカイダ
【ニューヨーク17日時事】18日発売予定の米誌ニューズウィーク最新号は,アフガニスタンに隣接するパキスタンの部族地域で,国際テロ組織アルカイダが英国人ら20代の西側の若者12人に軍事教練を施していると伝えた.アフガン南東部ガズニ州のイスラム原理主義勢力タリバン幹部の話として報じた.
この幹部は同誌に,今年に入り約5週間にわたって,ノルウェー人2人,英国人9人,オーストラリア人1人の計12人の教練を手助けしたと証言.
12人は宗教的な思想教育を受けたほか,手製爆弾の製造・使用法,「聖戦」遂行を他人に説得する方法などをたたき込まれたという.
同幹部は,「英語を話す同胞」と呼ばれる西側出身の工作員は「極めて貴重」と指摘.12人も,各自の出身国でアルカイダの地下組織網のまとめ役として活動し,自爆テロの実行犯にはならないと指摘した.
若いイスラム系英国人が自爆攻撃を実行するための訓練を受けており,当局は約1600人を監視しているという.
ロンドン同時多発テロでも,そうした訓練を受けた英国人が自爆犯の中にいるとされており,この報道の信憑性は比較的高い.
また,アル・カーイダは化学兵器テロなど多くのを計画していたが,阻止された,とする報道もある.
以下引用.
英で化学兵器テロ阻止か アルカイダ計画と英紙
【ロンドン21日共同】21日付の英紙サンデー・タイムズは,国際テロ組織アルカイダが昨年,英国の閣僚や国会議員らを標的に毒ガスの化学兵器などを使ったテロを企てたが,治安機関が未然に阻止したと報じた.
同紙が入手した警察の内部文書から明らかになった.
テロ計画は,英国とパキスタンで拘束したテロ容疑者のパソコン内の暗号化された電子メールから判明.
サリンなどの毒ガスや放射性物質をまき散らす「汚い爆弾」で,英下院や地下鉄を狙っていたという.
警察や英情報局保安部(MI5)は,テロの準備としてビデオ撮影などをしていたアルカイダメンバーを突き止め,計画阻止に成功した.
だがロンドンでは7月,地下鉄やバスを狙った同時テロが2度にわたって発生.
内部文書は,国会議事堂が自爆テロにさらされる危険は依然高いと強調した.
MI5長官が公表,英国内で大規模テロ計画約30件
【ロンドン=本間圭一】英国家保安部(MI5)のエライザ・マニンガムブラ長官は9日夜,ロンドン市内で講演し,英国内で現在,大規模なテロ計画が約30件に上ることを明らかにした.
MI5がテロ計画の概要を公表するのは極めて異例.
長官によると,英国内に存在するテロ組織やネットワークは約200.約1600人が監視下に置かれ,その大半が国際テロ組織アル・カーイダの指揮下にあるという.
長官は「テロ組織に共感を抱いている人が過激化するケースが増えている」と警告している.
化学兵器テロは,オウム事件のおり,「化学兵器の保守管理が大変で,効率が悪い」という指摘もあった一方,2007年に入ってからイラクで実際に塩素ガス・テロが起きたという報道もあり,現在のところ,真偽は不明というしかない.
なお,ロンドン同時多発テロについては別項にて詳述.
【質問】
「アラビア・イスラム改革運動」とは?
【回答】
サウジアラビアに対する反体制組織.ロンドンを拠点とする.
指導者はサード・ファギハ.
同組織は,より厳格なイスラム国家の樹立を目指しているとされ、ファギハは国際テロ組織アルカイダと繋がりがあるとも指摘されている。
2004/12/16には,ファギハの呼び掛けにより,首都リヤドと西部ジッダでデモが行われ,これに対して司法当局は2005/1/13、逮捕した21人のうち15人に対し、6−1月の禁固刑と、1人当たり最大250回のむち打ち刑を宣告.
AP通信によると、15人のうち1人は女性。
政治的なデモでの逮捕者へのむち打ち刑は異例という。
以上,ソースはニッカンスポーツ,2005/1/14だが,元ソースはAP通信か?
◆◆◆思想
【質問】
ビン・ラーディンは,どんな世界を望んでいるのか?
【回答】
中村覚の言葉を信じるならば,子供じみた救世主出現伝説にビン・ラーディンは影響されている,という.
事実,具体的なビジョンは彼は何も持っていない.
ウサーマの父ムハンマドは,マフディー(救世主)が現れて,彼に導かれたイスラームが世界を支配し,かつての栄光を取り戻すだろうと40年もの間,信じ,待ち続けていた,という※.
ウサーマ自身も幼い頃からその影響を受けていたようである.
※ "Islamabad Pakistan, 18 May 1997"
(中村覚=サウディアラビア学者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.97)
ウサーマは,民主主義体制はムスリムにとって利益とならないと考えている.
それを以下のように表現した.
「イスラームでは,『諮問(Shûrâ)』が重要であるが,『諮問』は,敬虔な賢人が支配者とならない限り,実現しない.
議会は反イスラーム的な法を制定し,ラムジー・ユースフのような人物を米国へ引き渡す※.
私の4人の息子は,米国の指示により,サウディアラビアで投獄された……民主主義は,ムスリムにとって何ら良い事がない※2」
「あなたの理想とするイスラーム国家とは,どのようなものか?」
というインタビューに答え,ビン・ラーディンは,
「イスラーム国家を樹立すれば,ムスリムは幸せになれる」
とだけ答えた※3.
以上の2つのウサーマの回答から伺えるのは,樹立すべき具体的なイスラーム国家のビジョンの話となると,饒舌さが失われるということである.
ウサーマは,ビジョンを描けるタイプのリーダーではなく,むしろ破壊を唱導する先導家としての性格を強く持っているように思われる.
ウサーマは,世界のムスリムが手を結び,強力で敬虔なウンマを建設できることを夢見ている.
「ラフサンジャーニー,フセイン,カッザフィー,アサドらの反米主義者をどう思いますか?」
という質問を受けたときには,次のように述べている.
「ムスリムは,彼らを統合し,敬虔なカリフを作ることができるような指導者を必要としている.敬虔なカリフは,アフガニスタンから現れるだろう」※4
さらに,イランとターリバーンの関係の緊張に関しては,米国への対抗のため,関係改善を訴え,以下のように述べた.
「米国は,イランとターリバーンの共通の敵であり,いつか両者の関係は改善するだろう.
私(ウサーマ)は,世界のムスリムが,ターリバーンを支援することを訴えたい.
アフガニスタン,パキスタン,イランと中国(のムスリム)が合体すれば,米国もインドも敵ではなくなる……来世紀は,ムスリムの世紀となるであろう」※5
ウサーマは,ターリバーンが,世界のムスリムを統合して導いていく,ムスリム世界の再生の旗手になるだろうと期待している.
この辺りのウサーマの世界観となると,世界の多数のムスリムが受け入れるような世界観ではないだろう.ターリバーンは,世界の多くのムスリムにとっても,「異端」と感じるような教義の適用を主張しているからだ.
また,現在の中東諸国体制・国際政治情勢をターリバーンがリードすることは,まったく夢物語である.
この点からも,ウサーマがイスラーム主義者を越えて広くムスリムにアピールしうる可能性は,ウサーマの反米論が多くのムスリムに受け入れられ易い点〔だけ〕である,と確認できるだろう.
※ パキスタン政府によって身柄拘束された後,ニューヨークのワールド・トレード・センター爆破に関する容疑で,米国にて裁判を受け,無期懲役に服役中.
※2, 4-5 "Islamabad Pakistan, 18 May 1997"
※3 Independent, 20 Nov. 1996
(同 p.97-98)
そんな中,唯一の具体的なビジョンといえるのが,「打倒サウド王家,打倒アメリカ」であるという.
以下引用.
こうした事件に関わっている組織〔アル・カーイダ〕の最終目的は,サウジアラビアの現体制を転覆して,さらに保守的なイスラム政府を樹立することだと,大半のアナリストは見ている.
サウジアラビアの反体制派は,石油収入による莫大な富と西側との繋がりで腐敗したサウド王家は,もはや統治者とは見なされず,したがって革命が必要だと主張している.
彼らは腐敗の一例として,サウジアラビアがイスラエルに対し,また聖なるイスラムの地に異教徒の石油業界関係者と兵士が存在することに対しても,明確な反対姿勢を取っていないことを挙げる.
こうした不正義を正すためには,ジハードすなわち聖戦によって現体制を追放するしかなく,さらに現体制の後ろ盾であるアメリカも,ジハードの標的であらねばならないのだという.
たいていの場合,こうした見方は仲間内の会話,あるいは私的な宗教的集まりで口にされるに留まっている(サウジアラビアではオープンな政治論議は許されておらず,反政府思想の持ち主と見なされれば,逮捕・投獄される).
それでも,〔過激〕原理主義勢力内のごく少数派ながら存在力の大きい一団が,基地や政府機関への攻撃など強硬な行動を支持している.
「過激派の論理では,彼らが政府の正統制を否定すれば,政府は異端だという『事実』になる」と,サウジアラビアのジャーナリスト,ジャマル・ハショギは説明する.
「そして,『異端の政府』であると宣言した瞬間,彼らはそれと闘う権利があると確信する」
Michael T. Klare著「世界資源戦争」(廣済堂出版,2002/1/7),P.114-115
なお,M. T. Klareは「平和と世界安全保障に関する5大学研究プログラム」理事
要するに,ビン・ラーディンとは,サウド王家とアメリカさえ倒せばなんとかなると思っている,「いい歳をして,いつまでもマンガチックな夢想を持ち続けているトッチャン坊や」であると言えよう.
そんなのを擁護する奴が,日本にも僅かだがいる(例:西部邁)なんて,そいつら正気とは思えないんだが.
【質問】
ビン・ラーディンが「敵」と認識している対象は?
【回答】
イスラーム教徒以外は全部敵!ってな御様子.
以下,根拠.
ウサーマが支援したアフガン義勇兵の活動が広い範囲で展開されたということは,ウサーマの想定する敵が,「キリスト教徒」「ヒンズー教徒」「ムスリムの独裁政権」と非常に多岐に渡ることを示している.
アラブ義勇兵達が,反ソ・ジハードの終了後も戦い続けた理由を知るため,ウサーマ〔の解釈〕による現代のムスリムの状況を引用する.
「ユダヤ教徒とキリスト教徒の結束した敵意によってムスリムが攻撃され,パレスチナ,イラク,レバノン,タジキスタン,ビルマ,カシミール,フィリピン,ソマリア,エルトリア,チェチェン,ボスニア・ヘルツェゴビナで流されたムスリムの血が,最も安い血と成り下がってしまったことは,隠すことができない…」※
ウサーマは,ムスリムは世界の各地でキリスト教徒やユダヤ教徒によって抑圧を受け続けている,と考えている.
※ビン・ラーディンの声明(1996年8月22日付)
(中村覚=サウディアラビア学者 from 「だれでもわかるイスラーム」,
河出書房新社,2001/12/31, P.94)
さらに,アル・カーイダの影響下にあった頃のターリバーンのやり方を見ると,
「俺様解釈のイスラームに逆らう奴らも敵だ!」
といった感じでシーア派などを迫害していたことから,ビン・ラーディンの「敵」とはぶっちゃけ,
「俺様の考えに合わない奴ら全部」
ということになりそうだ.
つーことは,地球人口の99%が「敵」に該当しそう.♪私もあなたもみんな「敵」.
【珍説】
テロ行為は復讐であっても決して許されるものではない.
だが,アメリカ人にとってムスリムは虫けらだというビン・ラーディンの叫びには,耳を傾ける必要がある.
かつてイスラエル人とパレスチナ人が捕虜交換されるときには,1人対数十人という,人間の生命の「不等価交換」が平然と行われたこともあった.
(臼杵陽 from 「ポストコロニアリズム」,作品社,2001/11/25,P.166,抜粋要約)
【回答】
この不均衡は,
「たとえ死体であっても,仲間の救出にはイスラエル軍は全力を尽くす」
という性格の足元を見た,パレスチナ・ゲリラ側の交換比率吊り上げの結果なのだが…….
【質問】
ビン・ラーディンに過激ジハード思想を植え付けたのは誰か?
【回答】
エジプトのイスラーム過激派メンバー達だと考えられている.
例えば,イスラーム地域研究家の宮田律は,次のように述べている.
もとよりビンラディンなど80年代にアフガニスタンでソ連軍と戦ったアラブ義勇兵たちには,「反米」や「反イスラエル」などの目標はなかった.
そこに「ジハード」や「殉教」などの概念を植え付けたのは,エジプトのイスラーム過激派のメンバー達だった.
1993年に起きたニューヨーク世界貿易センター爆破事件の犯行の教令を出したとされるオマル・アブデアル・ラフマーン師も,1980年代中期からアフガニスタンに出入りし,「ジハード」の概念を説いていった.
ソ連軍に対して「ジハード」を説くエジプトのイスラーム過激派は,米国の好感を得るものだったことは間違いなく,米国はラフマーン師に「グリーン・カード」を与えたりしている.
( from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.83)
米国の外交施策が「場当たり的」と批判される所以である.
【質問】
「ムハンマドのフィクフ」とは?
【回答】
内容は不明だが,アル・カーイダのメンバーだけに通じる教義である可能性が高いという.
なお,「フィクフ」は通常「イスラーム法学」と訳される.
詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.96を参照のこと.
【珍説】
平等主義で,快楽否定で,大国の侵略には武装闘争も辞さぬ構え…
なんだこりゃ,アメリカが今,戦ってる相手に似てるじゃないか!
〔ビン・ラーディンの顔と,AK突撃銃やRPGを構えるアラブ人達の絵〕
(小林よしのり from SAPIO 2004/2/25号,p.66)
【事実】
アル・カーイダが事実上ターリバーンを乗っ取っていた頃の,アフガーニスタンにおけるターリバーンの政策を観察すれば,あるいはスーダン政府の現在の政策を見ればすぐに分かることですが,小林の見方はアル・カーイダについて何も知らないに等しいようです.
まず,アル・カーイダは平等主義ではありません.
末期のターリバーン政権を見れば分かるように,ほぼオマル独裁に等しい状態でした.翼賛的な評議会しかなく,しかもメンバーは殆どパシュトゥン人でした.
また,彼らにとって異端と見られたシーア派は酷く迫害されていました.
スーダンのバシール政権も独裁を行っていますし,民兵を使い,ダルフールで虐殺を行っているのは広く知られた事実です.
さらに,「コーラ買ってこい」の一件からも分かりますように,黒人差別すら存在するようです.
ビン・ラーディンが敵としているのは,大国の侵略というわけでもありません.
別項に示すように,彼がこうだと見なす範疇に納まるイスラーム教徒以外は,全て敵だというのが彼の姿勢です.それは大国アメリカだろうが,そうでないジャマイカだろうが変わりません.
実際,アル・カーイダ「イラク支店」のザルカウィ・グループは,小国フィリピンの人間だろうが,イスラーム国イラクのシーア派だろうが殺しまくっておりますし,「スーダン支店」がダルフールで虐殺しているのは同じイスラーム教徒です.
総じて小林のこの見解は,ビン・ラーディンを美化し過ぎですな.
◆◆◆構成幹部
【質問】
ハイサム・アル・イエメニとは?
【回答】
アル・カーイダ幹部.米ABCテレビによれば,パキスタン軍が今年5月初旬に逮捕した,アルカイダのナンバー3で活動指揮面の最高幹部とみられるリビア人のアブ・ファラジ・リビ容疑者の後継候補だったという.
2005年5月,CIAによって殺害さる.
以下引用.
米国がアフガニスタン周辺で実行している国際テロ組織アルカイダの掃討作戦で,米中央情報局(CIA)の無人偵察・攻撃機「プレデター」が5月初旬,パキスタン内でアルカイダ幹部の潜伏を発見し,ミサイル攻撃で殺害したことが13日分かった.複数の米政府筋が明らかにした.
殺害したのはハイサム・アル・イエメニ幹部で,CIAなどが長期間にわたって動向を追っていた.
アルカイダ最高指導者,オサマ・ビンラディン容疑者の隠れ場所が判明する可能性もあることから,CIAは同幹部の拘束などを抑えていたが,潜伏する可能性が出てきて,殺害を決めたという.
CIAはこの事実について論評を避けている.
パキスタン政府は,殺害がパキスタン側で起きたことを否定した.
殺害は,米ABCテレビが最初に報道.現場は,パキスタン,アフガン国境付近としている.
【質問】
アル・ジンダニとは?
【回答】
Abd Al-Majid Al-Zindaniはイエメンのイスラーム法学者で,アル・カーイダ・シンパ.
現在,アル・イマン・イスラム大学(Al-ImanIslamic
University)学長.
彼の引き渡し問題を巡り,イエメンと米国の間で国際問題となっている.
以下引用.
アル・ジンダニは,2004年2月以来国連とアメリカのテロ資金援助者リストにのせられており,アメリカ政府は,「オサマ・ビン・ラーデンに忠誠を誓い,アル・カイーダを支援する人物」として,引渡しを求めている※1.
アメリカ政府は,2006年2月正式にアル・ジンダニの逮捕を求め,更にイエーメンの大統領サーレハ(Ali Abdullah Saleh)を批判した.
2005年12月メッカで開催されたOIC(イスラム会議機構)首脳会議への正式代表団に,本人を加えたのは国連決議に違反するとして批判したのである※2.
※1
http://www.treas.gov/press/releases/js1190.htm
※2
http://www.arabnews.com/?page=4§ion=0&article=78287&d=24&m=2&y=2006,
2006年2月24日現在で,イエーメンはアル・ジンダニの引渡しを拒否している.
或るイエーメン政府高官は「何が起きても我々は彼をアメリカに引渡さない.引渡しは,我々の憲法に違反する」と語った由である.
【質問】
アブ・ジェイトとは?
【回答】
クウェート出身のアル・カーイダ幹部.チェチェンで活動していたが,2005/2に殺害されたという.
以下引用.
ロシア公安警察「連邦保安局」FSBによると、アブ・ジェイトはクウェート出身で、アフガニスタンでテロ訓練を受けた。
露国外での活動歴は不明だが、イングーシでは、アル・カーイダのネットワークを通じて国外から送られてくるテロ資金を、同地に潜伏するチェチェン武装勢力に分配する役目を果たしてきた。
同勢力による、昨年6月のイングーシ内務省襲撃に参加したほか、同9月の北オセチヤ共和国での学校占拠事件を首謀した1人とも見られている。
しかし2005/2/16,露南部、イングーシ共和国の村の民家に潜伏しているところを,FSBの急襲作戦を受け,他の要員2人と共に死亡したという。
【質問】
イマドエディン・バラカトとは?
【回答】
スペインでのアル・カーイダの纏め役だったと目される人物.
シリア,アレッポ生まれ.
2001年11月,逮捕さる.
詳しくは朝日新聞アタ取材班著「テロリストの軌跡 モハメド・アタを追う」(草思社,2002/4/25)p.139-143を参照のこと.
【質問】
サアド・ビンラディンとは?
【回答】
ウサマ・ビンラーディンの息子.アルカーイダ・メンバーと見られる.
米国のアフガニスタン攻撃後にイラン当局によって拘束.
2006/7/28,釈放.ヒズボラ支援に向かったという.
以下引用.
<ビンラディン息子>イランで釈放,ヒズボラ支援に向かう?
【ウィーン会川晴之】イラン当局に拘束されていた国際テロ組織アルカイダの指導者,ウサマ・ビンラディン容疑者の息子が釈放され,イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラ支援のためレバノン・シリア国境に向かったと独日刊紙ウェルト(電子版)が2日伝えた.
同紙は情報機関から得た情報として伝えた.
それによると,釈放されたのはサアド・ビンラディン氏.7月28日にイラン指導部の親衛隊に当たる革命防衛隊により身柄を解放され,イスラエルと交戦を続けるヒズボラを支援するグループ結成を担う役割を託されたという.
同じくイラン当局に拘束されていたアルカイダ構成員数人が同行したと伝えた.
同氏は,米国のアフガニスタン攻撃後にイラン当局に拘束され,革命防衛隊が監視に当たっていた.
イランのハラジ外相(当時)は04年1月「アルカイダの構成員12人を拘束した」と述べたが,氏名は公表していない.
12人の中にサアド氏が含まれるとの見方もあるが,確認されていない.
イスラエルは,イスラム教シーア派が多数派を占めるイランが,ヒズボラに武器や資金などを援助していると非難している.
確定した情報とは言えないので,続報を待ちたい.
【質問】
オマル・ファルークとは?
【回答】
オサマ・ビン・ラーディンの側近とされる.
東南アジアでのテロ活動を担当し,インドネシアの「ジェマア・イスラミア」との連携役だったと見られている.
2002年,インドネシアで逮捕.
2005年にアフガーニスタンの収容所から脱走.
2006/9/25,バスラの隠れ家で,英軍との交戦により死亡.
以下引用.
ビンラーディンの側近,英軍が射殺…イラク南部
【カイロ=長谷川由紀】イラク駐留英軍は25日,国際テロ組織アル・カーイダを率いるウサマ・ビンラーディンの側近が潜んでいた同国南部バスラの隠れ家を急襲,交戦の末,側近を射殺した.
同軍報道官が明らかにした.
射殺されたのは,オマル・ファルーク容疑者.
米当局は,同容疑者が東南アジアでのテロ活動を担当し,インドネシア・バリ島の爆弾テロに関与したとされるテロ組織ジェマア・イスラミア(JI)との連携役を務めていたとみている.
在イラク英軍,アルカイダ幹部を射殺
[バグダッド 25日 ロイター] 在イラク英軍は25日,アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の側近メンバーの1人で,2005年にアフガニスタンの収容所から脱走していたオマル・ファルク容疑者を殺害したと述べた.
英軍のバーブリッジ報道官は,25日未明にイラク第2の都市バスラを英軍兵士約200人が捜索し,同容疑者が拘束に抵抗したため射殺したとしている.
米国は同容疑者をアルカイダの東南アジアでの実働部隊のリーダー的人物と捉えていた.
同容疑者は2002年にインドネシアで逮捕された後,昨年脱走するまではアフガニスタンのカブールにある米軍の収容所に拘束されていた.
【質問】
アブ・ファラジ・ファルジとは?
【回答】
ハリド・シェイク・ムハンマド逮捕後のアル・カーイダのナンバー3とされる.
以下は読売新聞による解説.
同容疑者は、リビア出身で、2003年12月の2度にわたるムシャラフ・パキスタン大統領暗殺未遂事件を首謀したとされる。
また、米国内での新たなテロ計画を立案していたと言われており、パキスタン政府は、最重要人物として、2000万ルピー(約3500万円)の懸賞金をかけて行方を追っていた。
同容疑者は、米同時テロの立案者とされるアル・カーイダ最高幹部ハリド・シェイク・ムハンマド容疑者が,2003年3月にパキスタン当局により逮捕された後、ウサマ・ビンラーディン、副官のアイマン・ザワヒリに次ぐアル・カーイダナンバー3の地位に就いたと見られている。
以来、パキスタン国内での対テロ作戦を統括していたとされる。
しかし2005/5/4,ファルジはパキスタン治安当局によって逮捕.
同紙によれば,「詳しい逮捕場所や逮捕日時は明らかにされていないが、情報省当局者によると、同国の治安当局者が、アフガニスタン国境に近い部族地域内で数人の仲間といるところを数日前に拘束したという」
なお,以下の記事では,ファルジの顔写真も掲載されている.
Pakistan seizes 'al Qaeda No. 3'
http://edition.cnn.com/2005/WORLD/asiapcf/05/04/pakistan.arrest/index.html
【質問】
以下の記事のように,逮捕されたアル・リビーは別人との話もあるが?
「アルカイダのナンバー3を逮捕」は間違い?
ブッシュはアル・リビ容疑者を「最高幹部」「アルカイダネットワークのまとめ役で最高計画者の1人」と呼んだ. コンドリーザ・ライス国務長官は同容疑者を「非常に重要な人物」と語った.
しかし,ワシントンとイスラマバードで湧き上がった歓喜の声は,欧州のテロ専門家をおおいに驚かせている.専門家によれば,拘束されたリビア人はFBIの最高レベル手配リストには掲載されておらず,米国務省の掲げる『賞金』リストにも存在しなかったという.
一方で,別のリビア人はFBI手配リストに掲載されている.
その人物,アナス・アル・リビー容疑者は,1998年の在東アフリカ米大使館爆破事件の容疑で手配されており,米国捜査当局者は二人を混同していると見られる.
当サンデー・タイムズ紙がFBIテロ対策局に,今回拘束された人物について照会したところ,FBIの担当者からは別のアル・リビー容疑者の資料が送付されてきた.
...
ビン・ラディンと以前親交があり,現在英国に住む或る人物は笑いながら答えた.
「彼(ファラジ・アル・リビ容疑者)について憶えている事といえば,コーヒーを入れたりコピーをとったりしてた事ですね」
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2005/05/post_8961.html
拘束されたアルカイダ幹部,身元誤認か
Captured Al-Qaeda kingpin is case of 'mistaken identity'
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,2089-1602568,00.html
【回答】
逮捕後,パキスタン軍は,
「リビ容疑者の供述内容を得て,アルカイダ掃討作戦を続行して」(CNN, 2005/5/14)
おり,CIAによる,別のアル・カーイダ幹部暗殺にも成功している点から見て,その記事のほうが誤認ではないかと考えられる.
◆◆◆日本関連
【質問】
歴史的に見て,なぜ日本はイスラーム国家とはならなかったのか?
【回答】
日本周辺の文明圏がイスラームをブロックしたため,日本へのイスラーム伝播が阻まれた.
以下,ソース.
さて,イスラームは7世紀に開始されたセム系一神教の分派であるが,時代を経るに従って急速に膨張してゆく.
そして,今に見るイスラーム版図が形成されたわけであるが,その過程でどうしても切り崩せなかった文明圏が幾つかある.中華文明,インド文明,西欧キリスト教文明などである.
そしてこれが直接のネックになって,日本への伝播が阻止されたのだ.
まず,北方に位置する中国ルートは巨大な中華文明に遮られ,東漸を阻まれた.
中国のイスラームが最も盛況を極めたのは,大元ウルス(フビライ治下のモンゴル帝国)の時代であり,それこそ無数の移民団と商人団が行き来するが,その後の明・清代に激しい弾圧を受けるに至り(イスラーム神秘主義教団たるジャーフリーア派の反乱や鎮圧など),フロンティアに生息するマイノリティーに転落してゆく.
現在の新彊ウイグル自治区(東トルキスターン)に見られるムスリムの存在は,そうした残滓に他ならない.
一方,インド・ルートは,10世紀に始まる北インドの侵攻以来,イスラーム王朝が続いてゆき,現在でも東西にムスリム国家(バングラデシュとパキスタン)を抱えているが,ヒンドゥーの牙城を切り崩せたとはとうてい言えない.
おそらく後世の史家がインドのイスラームを見た場合,ヒンドゥーとの競合を勝ち切れなかったと総括するはずである.
インドは依然,神々の共存する多神教世界(非イスラーム世界)なのである.
さて,南方ルートのイスラームは,東南アジアの島伝いに教線を伸ばしてゆくが,スールー諸島からフィリピンに達した時期がちょうど大航海時代(マゼラン来航以降)に当たっており,当地でのキリスト教との競合に敗れ去り,ミンダナオに封じ込められる形となった.
現在に見るフィリピン中央政府と(キリスト教徒)とムスリム反政府勢力(モロ解放戦線)の戦いは,その延長線上にあるのである.
逆に言えば,ここでイスラームが勝っておれば,キリスト教に代わり日本上陸を果たしており,かのフランシスコ・ザビエルに代わりムスリムのウラマー(律法学者)が登場し,その後に起こった島原の乱もムスリムの手によって担われていたかもしれない.
が,これらは歴史上のifでしかなく,結局その上陸は明治以降に持ち越されることになった.
日本人がイスラームを,どこか遠くの奇妙な教えと捉えるのは,こうした歴史的交流の希薄さにも依っている.
(小滝透 from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.153-154)
ただ,2ch世界史板によれば,この見解に全く異論がない,ということではない模様.
【質問】
日本にイスラームが上陸したのはいつ頃か?
【回答】
明治時代.
ただし,アジア的ロマンチシズムや右翼と結びついた国策的なものが殆どだった.
以下,ソース.
だが,明治期にようやく日本上陸を果たしたイスラームは,海外で入信した日本人ムスリムや来日した外国人ムスリムの手によって布教活動が開始されるが,この地の布教に苦戦する.
そもそも,日本人はイスラームに宗教的関心を示さなかった.
むろん,日本人ムスリムの草分けともいうべき偉丈夫も幾多現れ,また,近代日本の発展に心惹かれた親日ムスリムも訪れてはいるものの,いかんせん馴染みが全くないために,日本人信者の獲得は限られたものにしかならなかった.
いや,せっかく入信した者も,宗教的理解が少なく,アジア的ロマンチシズムや国策がらみの入信が殆どだった.
それは,当時の日本人キリスト教徒が,強烈な西欧思考を目指すのと極めて好対照をなしている.
具体的には,キリスト教徒が左翼(社会主義やリベラリズム)に傾斜するのと対照的に,右翼と結びつくのである.
かの大川周明がコーランを訳し,頭山満が東京モスク建設に尽力した事実は,そのことを端的に示している.
この現象がいかに奇形であったかは,熱烈な皇道主義者であった林銑十郎(陸軍大臣や内閣総理大臣を歴任)が,大日本回教協会会長を務めていたことからも伺える.
林は皇室を崇拝すること極めて篤く,皇居遥拝を欠かさなかったということだが,それでは一つであるべきキブラ(遥拝方向)が2つ(皇居とメッカ)になり,イスラームの教えと根本的に矛盾する.
しかもそれを平然とやっていたところに,日本人ムスリムの無邪気な誤解があったのだ.
ちなみに,このような事例は日本イスラーム界にはごまんとある.
いやそれは,今でも変わらぬ問題なのだ.
だが,そうした事情にも関わらず,林が大日本回教協会会長を務めていたということは,当時のイスラームが完全に国策上の対象として見られていたことを示している.戦前日本のイスラームは,列強のパワー・ゲームの中における一つの外交カード(政治勢力)として捉えられていたのである.
(小滝透 from 「だれでもわかるイスラーム」,河出書房新社,2001/12/31, P.154-155)
【質問】
アルカーイダは日本でどのようなネットワークを組織していたか?
【回答】
これまでの様々な報道によれば,アルジェリア系フランス人リオネル・デュモンが中心となり,十数人の外国人と接触していたことが分かっている.
デュモンは、アルカイダの後方支援部門に所属.1996年の先進国首脳会議(リヨン・サミット)に絡んだ爆弾テロ未遂事件などで国際刑事警察機構(ICPO)から手配.2003年12月にドイツで逮捕された.
日本とドイツの捜査当局によれば,彼は2002年7月に偽造旅券で日本に入国、1年以上にわたり新潟市内に潜伏.出入国を繰り返し,日本に住む十数人の外国人と頻繁に連絡を取っていたという.
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=SBS&PG=STORY&NGID=main&NWID=2004051801005876
デュモン逮捕後,8人が入管難民法違反などで逮捕され,内,4人が同罪で起訴された.
・バングラデシュ国籍の無職アフメド・ファイシャル(26)=埼玉県川口市=,1997年1月に韓国から船で密入国
・バングラデシュ国籍の会社員モハメド・モクタール ・フセイン(29)=埼玉県川口市、バングラデシュから偽造旅券を使い航空機で不法入国
・マリ国籍の職業不詳カネ・ヤヤ(41)=東京都新宿区=
・インド国籍のサイアード・ナシール・サイアード・ガファール(32)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040615-00000148-kyodo-soci
& 読売新聞 2004/6/16
しかし逮捕者の一人,バングラデシュ国籍の会社社長イスラム・モハメッド・ヒムについては,検察が出した結論は「アルカイダとは無関係」。
ヒムは法人登記に虚偽の記載をした容疑で神奈川県警に逮捕され、さらに不法就労を助長した容疑で警視庁に再逮捕。
共同通信を含むメディアは,捜査当局の見方を基に,「アルカイダとの関連性」を報道したが、最初の逮捕容疑は起訴猶予、再逮捕容疑は罰金30万円。
43日間拘置されたヒムは,翌05年3月中旬、都内で共同通信のインタビューに応じ,
「警察とメディアに人生をめちゃくちゃにされた。元通りに戻してほしい」
と訴えた。
(でも,違法なことをしていたことには違いないんだが……)
なお,週刊新潮によれば,デュモンが接触した人間の中には,日本人女性も一人含まれているという.この女性は逮捕はされていない.
【質問】
リオネル・デュモンはどんな人物なのか?
【回答】
生粋のフランス人.
フランスでは有名なテロリストの一人.
理想主義者からテロリストへ,というよくあるパターンの人物.
以下引用.
実はデュモンはフランスでは有名なテロリストの1人だ.
デュモンは仏北部の小さな町・ルーベで9人きょうだいの末っ子として,1971年1月29日に生まれた.
父親は大型冷凍トラックの運転手.母親は主婦.
日本では何故か「アルジェリア系フランス人」との報道もあったが,名前からも知られるように生粋のフランス人である.
〔略〕
デュモン一家は,日曜日には教会に行く,ごく普通のカトリック教徒.
大学入学資格試験にも合格しており,「知識層」に属する.
少年時代に関し,姉は
「不公平を嫌い,理想主義で夢見がちだった」
と述べているが,そんなデュモンの転機は大学1年の時,兵役でソマリアでの人道支援活動に従事した時と言われる.
そこで見た飢餓などの体験と,帰途立ち寄ったトルコやベトナムでの異国経験から,この感じ易い「理想主義者」は帰国後,「苦しんでいる人を助けなくては」とか「フランスでの行動」をしきりに口にするようになる.
地元のモスクにも出入りし,ついに改宗する.
予備判事は,
「フランスなど欧州でイスラム過激派が進める改宗運動を警戒している」という.
事実,「この数年,欧州北部や東部で改宗者が多く出た」とも.
しかも,「改宗者は現状不満者が多いだけに,改宗後は極めて過激になり易い」というわけだ.
94年には紛争の真っ最中のボスニアに行く.
そこには当時,ロシア正教のセルビアとカトリックのクロアチアを相手に「聖戦(ジハード)」を叫ぶイスラム原理主義過激派が集結していた.
デュモンは当初,人道支援団体に属していたと見られるが,その後,志願部隊に入隊する.
〔略〕
デュモンも95年に帰国し,テロ網の資金稼ぎのために故郷の仏北部中心にスーパーをロケット砲などを使って連続襲撃し,「ルーベのギャング団」と恐れられるようになる.
捜査当局が彼らの真の狙いに気付いたのは6年4月の先進7カ国閣僚会議・爆弾テロ未遂事件である.会議にはシラク大統領が冒頭演説で出席したため,一大事になるところだった.
デュモンはボスニアに逃れたが,97年4月に同地で逮捕.
20年の禁固刑で服役したが,99年5月に仲間の協力で脱走した.
以後,03年暮れの逮捕まで約4年間,「逃亡者生活」が続いたわけだ.
山口昌子=産経新聞パリ支局長 in SAPIO 2004/12/8号,p.22-23
ちょっと前なら,こういう手合いは極左テロリストになっていたものだが,今やイスラーム過激原理主義のほうがそちらよりも魅力があるようだ.
【質問】
リオネル・デュモンは,どのようなテロに関与してきたか?
【回答】
対テロ捜査に通じた東南アジアの治安筋によれば,ロンドン・ヒースロー空港爆破テロ計画に準主犯格として関与していたとされる.
同容疑者の日本潜伏も、空港テロなどの資金調達が主目的だったと考えられている.
空港爆破計画の全容およびデュモン容疑者の関与は、
2003年10月に英国警察に逮捕されたアル・カーイダ構成員のジャマイカ系英国人、アンドリュー・ロウ容疑者の供述で判明。
英国当局は、供述内容を、東南アジアの治安当局に伝えた。
この治安筋が明かした供述内容によれば、デュモン容疑者とロウ容疑者は、アル・カーイダ幹部からの指令を受け、
2003年3月に迫撃装置を使ってヒースロー空港の管制塔や滑走路、旅客機を攻撃する計画を立案。
デュモン容疑者は2002年7月から日本に渡って資金調達を進めつつ、少なくとも2回マレーシアに赴き、ロウ容疑者と協議した。
事前にテロの兆候を察知した英治安当局が、2003年2月から空港周辺で厳戒態勢を敷いたため、犯行は未遂に終わった。
計画が頓挫したのを受け、デュモン容疑者は2003年9月に日本を出国。同年12月にドイツのミュンヘンで逮捕され、今年5月に仏当局に身柄を引き渡された。
【質問】
日本にアル・カーイダの拠点を作ろうとしたのは,デュモンだけか?
【回答】
警視庁によれば,他にも,パキスタン系の組織もそれを画策したことがあるという.
以下引用.
イスラム過激派 パキスタン人,日本支部を画策 警視庁が捜査
15年に入国,接触
アルカーイダやロンドン同時テロとの関係が指摘されるパキスタンのイスラム過激派テロ組織のメンバーが,日本支部設立を目的に極秘入国していたことが二十九日,警視庁公安部の調べで分かった.
産経新聞が入手した警視庁の内部捜査資料にも,「支部設立を目的として来日」と明記されている.
イスラム過激派の組織網構築の動きが日本国内で確認されたのは初めて.
米中枢同時テロから五年となる節目の年を前に,政府も国際テロ対策の抜本的な見直しを迫られそうだ.
問題のテロ組織は,「シパヘサハバ・パキスタン」(SSP).
捜査資料や調べでは,男は一九七〇年代生まれで三十歳代のパキスタン人.
警視庁は,イスラム・コミュニティーやモスク(イスラム教寺院)への捜査の過程で,情報提供者である「協力者」から
「SSPのメンバーが支部設立のため来日した」
とするテロリスト情報を得た.
出入国管理記録を照会したところ,この男が平成十五年,宗教活動のビザで出入国し,礼拝中などに
「SSPの支部設立を目的に来日した」
と発言していた事実を確認した.
男は都内を拠点に首都圏のモスクに顔を出していたほか,技能の在留資格で入国して横浜市内に住んでいた貿易業の男(27)=パキスタン国籍=や都内の元製本会社勤務の男(40)=同=らと,駅構内などでひそかに接触していたという.
警視庁はこのうち,都内の男を入管難民法違反(不法滞在)容疑で逮捕するとともに,関係者の行動監視を続けて,日本でのSSPのネットワーク解明を進めている.
捜査は,国際テロを専門とする公安部外事三課が担当.都内の都銀支店に開設された,男が関係する五つの口座についての捜査の概要は,警察庁警備局にも報告されている.
パキスタンには,ロンドン同時テロの実行犯が昨年から今年にかけて出入国.
SSPはパキスタン国内で数々のテロに関与し,ロンドン同時テロの実行犯との接触も疑われており,ムシャラフ大統領は,ロンドン同時テロ直後の演説でSSPを名指しで批判していた.
パキスタン政府は二〇〇二年一月,SSPを非合法化し,事務所の閉鎖と資産凍結の措置をとっており,米国務省も〇三年四月,SSPを「テロ組織」に指定している.
◇
■現地でテロ要員勧誘
ロンドンやバリ島など世界にイスラム系のテロが拡散する中,日本でもイスラム過激派組織が支部設立を画策していた.
警察当局は
「日本のイスラム・コミュニティーからテロリストをリクルートしようという動きでは」
と警戒を強めている.
これまで警察当局が想定していたのは,米中枢同時テロのようにテロリストが入国し行うテロ.
サッカーの日韓ワールドカップ(W杯)直後の平成十四年七月から十五年九月,アルカーイダ幹部のリオネル・デュモン被告が滞在,別のイスラム組織のメンバーと群馬県で同居していた事実は,警察にも衝撃を与えた.
だが,米中枢同時テロの主犯格でアルカーイダのナンバー3だったハリド・シェイク・モハメド被告は,米捜査当局に
「日韓W杯を狙いテロを計画したが,日本には『インフラ』(支援網)がなく,断念した」
と供述.
「日本人へのテロはイラクなど国外の可能性が高い」(警察幹部)
との見方が大勢だった.
ところが,警視庁の二年以上におよぶ極秘捜査で,イスラム過激派によるテロ支援網の構築にもつながる動きが日本国内で初めて確認された.
〔略〕
◇
【用語解説】シパヘサハバ・パキスタン(SSP)
パキスタンで活動するイスラム教スンニ派の過激派テロ組織.80年代に設立.
パンジャブ州ではシーア派との宗派間対立でテロを繰り返している.
アフガニスタンにあったアルカーイダの軍事キャンプで訓練した戦闘員を多数抱え,分派組織「ラシュカル・イ・ジャンビ」(LJ)はアルカーイダを支援しているとされる.
LJは99年1月,爆弾で当時のシャリフ首相の暗殺未遂事件を起こし,警察官ら4人を殺害した.
【珍説】
日本でも自作自演のテロが起きる(小野寺光一)
http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/107397978.html?page=13
【事実】
>この世界最強の米軍が「本来」守っている日本において
>本来は日本ではテロは起きない.
>しかし日本でテロが成功してしまう組織がたった二つある.
>それは米○か,モ○ドが実行するときである.
“米国か,モサドが実行するときである”ですか?
しかし,イスラエルの情報機関のモサドが9・11テロの黒幕だというのは,アメリカの反ユダヤ主義者(ネオナチを含む)が広めている大嘘らしいのです.
>そしてブッシュはホワイトハウスにはいなかった.
>近くの小学校にいってメリーさんの羊を読んでいた.
世界貿易センタービルに一機目の飛行機が体当たりしたとき,ブッシュ大統領はフロリダ州サラソタという町のブッカー小学校に到着したところでしたよ.
この人,勘違いと妄想で頭がいっぱいなのでは?
【珍説】
<予行演習か?>
先日,東京で山手線等が突然ストップして,同時に中央線がストップした.朝のラッシュ時に,「同時」に行われた.
このことをよく考えてもらいたい.
変電所の火災と,信号機のトラブルが「同時に」起こって山手線と中央線が「同時に」ストップするわけがない.
しかも変電所の火災部分といわれる箇所は,12月の点検時には異常がなかったという.
おそらく,本当に「異常がなかった」のだ.
その点検以降に何らかの存在が手を加えたのではないか?
<日本における同時多発テロの予行演習か?>
つまり,これは私の推測であるが,「同時多発テロ」を日本にて行おうとするある組織がさまざまな予行演習をしているのではないか?
【事実】
この人,推測というより妄想で物事を考えているよ.
変電所の火災及び信号機故障が,なぜテロの予行演習なのか?
変電所の火災なんて以前にもあった.
たしか1994年の12月だと思いましたが,新宿で変電所の火災があったときはもっと酷かった.
山手線,中央線,埼京線の電車が6割ほどしか運行できず,どの電車も満員で凄かった.
当時,東京の専門学校生だった私も,満員電車地獄を味わいました.
その後,変電所の火災など関係ないオウム真理教の起こした地下鉄サリン事件というテロが起きましたよ.
陰謀論者って...
もう,いかに無関係な二つの事柄をむりやりこじつけるかを商売にしている人たちですよね....
脱力....