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<第二次世界大戦FAQ
【質問】
第二次世界大戦中の刑事犯は,刑務所で何をしていたのでしょうか?
彼らは徴兵は免れるわけですよね.
結果的にラッキー!という人もいたはずですが,それを狙って悪事をした人はいないのでしょうか?
【回答】
刑務所内勤労動員.
炭鉱労働は1930年代に廃止されたそうだが,戦争末期は炭鉱や農作業,さらには東京大空襲後に死体の片付けをやらされたり.
食糧増産の為の労務者隊としてトラック諸島へ派遣された例も.
徴兵忌避には平和主義的信仰または信条にもとづく良心的兵役拒否と,単に兵役に就くのが嫌だという徴兵忌避とがあり,日本では前者は日露戦争以来,徴兵を拒否して懲役に服する道を選ぶキリスト教徒が,少数出現している.
非合法の徴兵忌避で多かったのは,徴兵検査を受けずに逃亡し所在不明となることであったが,約18年間発見されずに逃亡し続けなければならなかった.
時効前に発見されれば,刑事罰と優先的徴兵という二重の罰を科せられた.
徴兵検査に合格しないための詐病・自傷も多かった.
これは発覚すれば,兵役法により3年以下の懲役が科せられた.
つまり,徴兵忌避すれば,どのみち刑務所に行くことになるので,死の危険がある戦時で無い限り,徴兵逃れのために刑務所に行くことには,殆どメリットはなかった.
日本史板,2003/06/25
青文字:加筆改修部分
以下は,戦争当時,服役していた人の証言.
勤労動員で工場へ派遣され,高射砲の砲弾の弾薬箱を作っていたという.
------------
昭和14年.国をあげての臨戦体制に突入した.
囚人も一部,軍需工場へ狩りだされ,アオテン(囚人組)に軍手をはめ,ゲートルを巻き,地下足袋姿で奉仕した.
刑務所内にいるときはジャンパー式の,着流しのアオテンがユニフォームである.
作業内容は高射砲の弾薬箱の製作,軍服の被服いっさいを扱う洋裁工場での労働,軍靴の製造.そして所内における食糧の自給自足などが主なものであった.
戦時色を反映して,看守長を中隊長ドノと呼ぶようになったのもこのころからである.
中隊長の服装は帽子に金線が一本はいる.
肩章も銀の四角い縁取りの真ん中に一本,線がはいっていてサクラの紋章が2つつく.
看守は紋章一つである.
1中隊は約300人の囚人によって編成されていた.
〔略〕
もっとも,わたしは弾薬箱作りではなく,できあがった弾薬箱をかついでトロッコへ積みこむ仕事である.
その仕事はわたし一人でやる.
比較的自由のきく仕事で,他の囚人からみればかなりのんきなものだ.
この仕事には余禄があった.
弾薬箱を納入する業者は,はやくトロッコへ箱を積み込んでもらおうと,わたしにタバコを内緒でふるまってくれる.
むろん,タバコは受刑者には厳禁されている.
小さな吸い殻一本でも,タバコを持ってきた者は神様扱いにされるほど貴重なものであった.
ぞうりの下にめし粒をつけ,それに吸い殻をくっつけて房内に運んだり,またひどいのになると,尻の穴に隠して持ちこんだりする者さえあった.
業者がそっと差し出す何本かのタバコを,わたしは一瞥していった.
「どうせくれるんなら,みんなが吸えるだけくれたらどうや」
タバコは大量に手にはいった.
それをみんなに分配して,回し喫(の)みをする.
「みんなゆきわたったか」
「おお」
一人ひとり,みんなうまそうにふかぶかと吸い込む.
看守が血相変えてすっ飛んできた.
「だれだ! タバコを持ち込んだやつは」
「わいや」
タバコの持込みは,独居房10日間の懲罰がふつうである.
わたしが名乗りでて立ちあがると,ほかの囚人たちも黙っていなかった.一人が,
「わいもタバコを吸ったんや」
と同罪を申しでると,
「わいも」
「わいもや」
と,つぎからつぎへと不適にも名乗りでて,看守は狼狽の極に達した.
わたしを罰するとなると,囚人全員を罰さねばならぬ.
だいいち囚人全員を隔離する独居房などあるはずがない.
突貫作業には支障をきたし,看守としての職務の怠慢にもつながる.
看守はあわてて囚人たちの説得に右往左往し,そして,地団駄踏んでくやしがった.
そんなことが,ささやかな喝采をもって囚人たちに迎えられたのである.
------------田岡一雄著『山口組三代目 田岡一雄自伝』(徳間書店,2006.10),p.125-127
【珍説】
「徴兵を回避するための懲役志願は」いなかっただろうと,霞ヶ浦の住人は想像します.
説明.
徴兵逃れはありました.
その方法も多数ありました.
しかし,「懲役志願は」霞ヶ浦の住人は聞いたことがありません.
兵役逃れを記した本にも記載されていませんでした.
軽犯罪で短期の懲役は,すぐに出所して徴兵されます.
重犯罪で長期の懲役は,戦争が終わってからも出所できません.
一生を棒に振ることになります.
なお,受刑者による労務部隊が編成され外地に派遣されました.
受刑者だから必ずしも安全というわけではありませんでした.
下記,ウィキペディアの兵役逃れの2 手段を参照ください.
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BD%B9%E9%80%83%E3%82%8C
下記,ウィキペディアの日本本土空襲を参照ください.
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html
【事実】
>「徴兵を回避するための懲役志願は」いなかっただろうと,霞ヶ浦の住人は想像します.
また想像ですか.
>軽犯罪で短期の懲役は,すぐに出所して徴兵されます.
えー,犯罪白書には再犯率の推移の説明において,
「刑務所出所後3月未満で再入所する者の比率は,戦時中に高かった」
とあります.
「すぐ出所して徴兵」される「前に」,また刑務所に行く人間がいたことを示すわけで,前提が崩れます.
さらにいえば,戦局が悪化して以降,受刑者数は上昇に転じています.
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq06j20c.jpg
(http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004027e.jpgより引用)
そしてこれ.
(http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004032e.jpgより引用)
昭和15年以降「初めて刑務所に入る」という人間が急増しています.
入所する人間の70%とか80%が初めての懲役刑となるのは,戦局の悪化と戦後の混乱の時期のみの現象であり,ポピュラーでもない,自慢にもならないが,手段の一つと見るだけの傍証となります.
>重犯罪で長期の懲役は,戦争が終わってからも出所できません.
>一生を棒に振ることになります.
出所できないことを「一生を棒に振る」とするなら,それもまちがい.
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq06j20c03.jpg
(http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004031e.jpgより引用)
5年以上の懲役の比率は5%以下,戦時下で急増したのは3年以下,5年以下の懲役刑です.
罪状で一番多いのは窃盗で,強盗や殺人は減少しています.
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq06j20c04.jpg
(http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/30/image/image/h004029e.jpgより引用)
ふみ in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
軍に召集されなかった人には,どんな人がいますか?
【回答】
旧日本陸軍に於いて,召集を担当するのは,各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です.この連隊区司令部で,参謀本部,陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき,該当者を召集令状を作成します.
これは,充員召集令状と言い,前年度に作成し,予め警察署に保管,動員令が下令されると発行するものです.
また,中央とは別に,その地区を管轄とする師団から,戦死,戦傷,戦病などの要員で人員の不足があった場合,管轄地域で召集令状を発行しました.
これを,臨時召集令状と言い,師団毎に随時作成されています.
比率から言えば,日中戦争勃発後,後者の令状が多く発行されています.
この発行の基礎資料になったのが,各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です.
これには軍隊の経歴,召集回数,健康程度,家族関係,思想関係,治癒見込(病気の場合)などが記述され,このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入,役種に兵役種類が記入され,更に特・分業,特有の技能が記入されています.
充員召集令状を発行する場合,特・分業,特有の技能に注目し,中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度,任務の軽重なども勘案して,召集を決定します.
他に,体格等位,健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます.
海軍の場合は,更に思想関係も重要視されたようです.
さて,召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると,召集対象外となり,召集令状は来ることがありませんでした.
これには甲,乙と二つの区分があり,甲は絶対召集しない人,乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です.
この召集延期の制度は昭和2年から開始され,制度が年ごとに拡大していっています.
ちなみに,この規定は,陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです.
例えば,1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです.
1. 侍従,侍医,東宮傅育官,皇宮警察官吏,皇宮警察部消防夫
2. 陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者,及び特種の雇用人,工員にして必要欠くべからざる者
3. 鉄道又は通信業務に従事し,必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4. 船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5. 民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6. 国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7. 陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8. 都道府県,地方事務所,警察署,市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9. 帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中,必要なる者,並びに外地最高司令官,朝鮮台湾軍管区司令官
10. 帝国議会の議員
11. 国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12. 上記の外,国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして,必要欠くべからざる者
つまり,一般人は輸送,通信関係の職員,陸軍大臣指定工場技術者,兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ,教師も一部が召集対象から外れています.
また工場の熟練労働者も対象となっています.
但し,工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為,工場幹部の親戚が事務屋として入っていて,召集延期者として選出させた事例もあります.
この場合は,発覚すると即座に召集されるようになっていました.
1944年からは,臨時召集延期制度が始まります.
これは,航空機工場,特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機,飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって,召集を延期されています.
また,これ以外の航空機生産従事者,交通関係従事者,鉱山技師,炭坑夫,造船関係従事者,特攻兵器製造従事者は,例え徴兵検査で入営することが決まっていても,一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています.
この制度も1944年から開始されています.
これより先,1943年3月からは,既に入営した人で,軍需生産に必要な人でなおかつ,「軍の統率,団結,軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し,職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました.
また,本土の食糧不足が深刻化していた1945年には,根刮ぎ動員があった反面,「召集要考慮制度」というもので,軍需生産だけでなく,農林水産業従事者も対象にしています.
これらの総数がどれくらいあったかと言うと,召集延期制度が,1941年には10万人程度だったのが,1945年には85万人,臨時召集延期制度は不明,入営延期制度は,1944年で20万人,1945年で6万人,特別召集解除制度は1943〜45年で4.3万人,召集要考慮制度は160万人が対象となっています.
戦時中の在郷軍人数は約500万人,召集要考慮制度を除くと,総数で115万人以上に上っています.
また,充員召集計画で召集令状を発行されていたのに,その充員召集計画自体が取りやめとなった為,結果的に召集されなかった人も多かったようです.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
合法的徴兵忌避としては,以下のような方法があった.
・ 初期の徴兵令は,戸主とその後継者,代人料を払った者,外国在住者などを免役としたため.名目だけの養子縁組,代人料支払,外国渡航などの方法.
・ 北海道,沖縄県は日清戦争(1894‐95)後まで徴兵令が施行されなかったので,本籍地をこれらの地方に移す方法.
・ 朝鮮植民地化(1910)後数年は,朝鮮移住者に対する徴兵令違反の裁判権がなかったことを利用する方法
・ 兵役義務を事実上短期間で終わらせるための特権的制度,中等学校以上の卒業生に対する1年志願兵=幹部候補生制,師範学校卒業生に対する短期現役兵制(6週間現役兵,1年現役兵)の利用
日本史板,2003/06/25
青文字:加筆改修部分
うちの母方の祖父.福井出身で戦争当時大阪にいた.
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた.
(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)
休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り,薬を配って換わりに越前米をもらう.
↓
福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る.
↓
米を売ってお金に換えて大阪に戻る.
と,いうのを延々とやっていたそうです.
【質問】
不正な徴兵逃れは全くできなかったの?
【回答】
其処はそれ,極めて日本的なナァナァの世界ですから,その辺の徴兵逃れはやろうと思えば何とでも成ります.
検査するのは同じ街の医者ですから,その人が知り合いであれば,工作は容易いことです.
徴兵されても,即日帰郷,以後召集に適せずの烙印を押される場合もありました.この場合は,それなりの金がそれなりの要路に渡っていますが….
また,徴兵検査直前に醤油を飲むなど各種の欺瞞工作は行われていました.
各市町村には,徴兵係が一名専任で置かれており,彼と懇意の場合は,徴兵を免れる場合もあったようですし,会社勤めで,事務屋をしていた人が,徴兵を逃れる為に,工場勤務と偽っていたケースもあります.
但し,徴兵逃れが発覚した場合の罪は重く,即刻召集,最前線送りというケースか,その代わりに常磐炭坑などの炭坑で炭坑夫となるケースがあります.
また,本人ばかりでなく,市町村長,徴兵係も連帯責任と言うことで懲戒処分を受ける場合もありますので,徴兵係は,滅多に徴兵逃れの片棒を担ぐことはありませんでした.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2)
・昭和3年,まだ戦前で贅沢な徴兵検査をしていた時,視力が悪かったじいちゃんは乙種合格となり,入隊せずに済んだ.
「まあ仕方なかんべや」
と,検査後駅前の喫茶店でマターリとコーヒーをすすっていたところ,隣の席の二人が,
「いかにして検査を誤魔化して不合格になったか」を得意げに話し合ってた
その二人が帰り際精算していたところ,近くのテーブル席にいた背広姿の4人組が立ち上がって近づき ,憲兵手帳を見せて,二人と肩を組んで無言で連れ去っていった 徴兵忌避者防止のため張り込みをやっていたらしい
その二人が連れ去られたあと,店内のあちこちの席にいた同じく検査帰りの数人が真っ青になって,いそいそと逃げ出すように帰っていったとか.
・わたしの祖父もしょうゆ一気飲みで徴兵を免れたそうです.昭和58年まで生きてました.
その息子(私の伯父)が特攻隊に志願しようとしたときは,無理やり病院押し込み手術を受けさせて阻止したらしいです.
このころは病気でなくても手術することができたんでしょか?
・うちの爺ちゃんは徴兵されて帰ってきたんだけれど,徴兵される前は兵隊の床屋をやったり,自分で脚の骨を折ったりして,何とか免れようとしていたそうだ.
うちは武家の家系だったから,爺ちゃんの親父,つまり俺の曾爺ちゃんに
「他の子は皆戦争に行った.何故長男のお前が行かんのだ」
と言われたけれど,爺ちゃんの方は
「船の燃料もない国が勝てると思うのか,兵隊の少ない国が勝てるのか,ボケ」
と逆ギレ.その後すぐ陸軍に徴兵されてしまったんだが.
【質問】
徴兵逃れは昔からありますが,偽病を見抜くにはどんな訓練をしたんですか?
【回答】
1921年の『軍事警察雑誌』第15巻第3号に,「徴兵忌避の予防について」と言う論文があります.
これによると,徴兵忌避の方法としては,
1. 強度の眼鏡を使用し近視眼となるもの
2. 全く故障無き眼を近視の如く訴ふるもの
3. 眼に刺激性のものを入れ,眼球を充血せしむるもの
4. 前夜睡眠を為さずして他に眼病あるが如く訴ふるもの
5. 耳穴に奥深く豆類を挿入したるもの
6. 鼓膜に鳥の羽類のものを付着せしめ聴力の故障を起こさしむるもの
7. 強き刺激性の食物を採りて耳鳴りを起こさしめ故障あるが如く訴ふるもの
8. 歯を故意に抜き取るもの
9. 醤油の類を大量に飲み心臓の鼓動を高くし心臓其他の疾病あるが如く訴ふるもの
10.受検二三日前より絶食し身体を衰弱せしむるもの
11.指を切断するもの
12.肛門に漆を塗り痔疾の如く訴ふるもの
13.神仏に徴兵を免る可く祈願するもの
が挙げられており,13以外はチェック出来ます.
他にも,1928年の『徴兵検査研究録』では,
1. 卵黄を外聴道内に注入し,化膿性中耳炎を疑はしめしもの
2. 角膜を刺傷または火傷せしめて角膜翳を作為せるもの
3. 魚鱗を角膜に貼して角膜翳を作為せるもの
4. 右示指を故意に長時間伸展位若は屈曲位に緊迫し置き該指の萎縮,強剛を作為せしもの
と具体的な症例を引いて,詐病の見破り方法を軍医に教えています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/08/20(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧軍の徴兵時の身体検査について質問です.
視覚・色覚で異常があった場合は徴兵免除されたんでしょうか?
【回答】
平時を除けば,徴兵免除はされません.
甲種合格は難しいでしょうが,視力さえあれば,第一乙種もしくは第二乙種で合格したでしょう.
視力が著しく低くとも,片目の矯正視力が0.3以上であれば丙種合格ですし,片耳が聞こえなくとも第二乙種になり,両耳の著しい難聴でも丙種合格となります.
徴兵の場合,丙種合格までは少なくとも第二国民兵役に服し,免除は為されません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本軍の場合,どれくらい視力が悪いと徴兵を免れることができたのでしょうか?
裸眼視力が悪くても,矯正視力がある程度あれば徴兵されたのでしょうか?
【回答】
甲種では,各眼の裸眼視力0.6(後に0.3となり,かつ矯正視力0.8以上を可とする)以上を合格としています.
つまり,逆に言えば,各眼裸眼視力0.6(後に0.3,矯正視力0.8)未満の者は身体壮健でも,甲種合格から外れました.
太平洋戦争進展に於ける,兵力の枯渇で,緩和されるまでは,視力に関しては以下のようになります.
第一乙種:矯正視力0.8以上0.5未満
第二乙種:矯正視力0.5以上0.8未満
第三乙種:矯正視力0.3以上
丙種:どちらか一方でも良い方の目の矯正視力0.3以上
丁種:矯正視力0.3未満
なお,一眼が見えなくても他眼視力0.3以上であれば第三乙種に認定されます.
丁種は兵役原簿には載りません.
視力1.0で甲種合格者,それ以外は乙〜丙種合格者となり,兵役原簿に載ります.
平時の際は兵役原簿の甲種合格者の中から優先して現役兵として徴集されます.
徴兵は丁種以外で行われるので,回答としては,両眼とも矯正視力0.3未満「以外の人」の場合は徴兵されると言うことになります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2(黄文字部分)他 :軍事板,2006/03/04(土)
青文字:加筆改修部分
平時ならば,甲種合格者が多すぎて徴兵できない状態になるので,視力が足りない乙2種まで徴収する余裕はありません.
しかし戦時になると,甲種・やや病弱の乙1種だけでは足りないので,乙2種合格者も赤紙をもらいました.
当然ながら,目をよく使う騎兵にはなれません.
力仕事の砲兵や工兵,物資管理と物資輸送を担当する輜重兵によく配当されました.
ぶっちゃけ,大戦末期には実質的に不合格の丙種合格者もしょっぴかれたわけで,目さえ健康なら甲種をもらえた乙2種では,徴兵逃れはできませなんだ.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2006/03/04(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
先の大戦中,日本国内の民間人が,戦争や徴兵から逃れるために,国外に脱出することはできましたか?
【回答】
徴兵から逃れるのは難しいですが,満州,中国,フィリピン,東南アジア地域,南洋諸島に移民として渡る事は可能でした.
それでも,戦禍は逃れられたかと言えば疑問符は付きますが….
後,特殊な事例ですが,豪州北部海域では真珠貝を採取する船の乗組員の大多数は日本人でした.
彼等は豪州領の島に渡っており,此処で12月8日を迎え,民間人捕虜第1号として敗戦まで豪州本土で過ごしています.
また,移民でも,日英,日米交換船で帰還した人々の中には,途中,シンガポールやフィリピンなどで下船し,通訳や現地で就職した人もいます.
それから,一部の人々の場合は,満州からシベリア鉄道を経由し,ノボシビルスクで途中下車,カスピ海を南下してタシケントから西に向かい,カスピ海を渡り,バクーに至り,トルコに至る経路で欧州に渡っています.
この経路は屡々用いられ,留学生も外交官や軍人とチームを組んで利用しています.
と言う事で,民間人でも外国に行けないと言う訳ではありません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
なお,東京都の場合,税金を二百七十円納付すると兵役免除となった時期があった.
1873年から1883年までの10年間.
また,徴兵事務手続きの関係で,転居を繰り返して赤紙の発行を最初からやり直させて,逃れるという手が使えていた時期がある.
その後,転居の場合は発行された赤紙が,転居先へと追いかけていくよう手続きが変わり,この手は
使えなくなったそうだ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
弾除け・徴兵逃れの信仰は,いつから始まったか?
【回答】
幕末,農兵組織の編成が始まると,早くも「諸難除け・鉄砲事故無し」を期待したと考えられる勧請が行われている.
また,明治18年の徴兵制度改正以降,代人制廃止,養子の口が狭くなるといったことのために,検査合格者は現役兵選抜のためのクジにはずれることに一縷の望みをかけるようになり,ここに徴兵逃れを神仏に祈る風が急速に広まった.
詳細は,「弾除け・徴兵逃れとしての龍爪信仰」というサイトに詳しい.
【質問】
先の大戦で,アメリカの大学生は,先を争って軍に志願したと聞きました.
それに対して,日本では,徴兵されたり死ぬ確率が低い理系の学部,特に医学部や医学専門学校が大人気になったと聞きました.
なぜ,このような差が出たんでしょうか?
【回答】
どちらもひとつの側面を切り出した話にすぎず単純な比較はできないと思います.
日本の学徒出陣したり特攻に加わった学生の手記など読むと,悲壮な覚悟を読み取れますよ.
ただし,要因と考えられるものを列挙するならば,
・米は徴兵される前に,志願者に対する特典が大きかった.
バンドオブブラザーズ等を読む限り,ある程度入隊したい場所を選べたようだ
・米は高学歴者を適材適所と優遇していたが,日本は理系学部以外はわりと一律に扱った.
日本にも一応幹部候補生制度はあったもの,対象が中学生以上と,最高学府の大学に見合ったものとは言いがたかった
当時の日本の大学生はかなりのエリートであり,家族の期待を背負ってるので,簡単には死ねなかっただろう.
・アメリカの富裕層にはノブリス・オブリージュの伝統があった.
たとえば政治家は,従軍経験が無いと選挙で不利である
・アメリカは,すでに大陸で中国と戦っていた日本に比べて,戦争に疲れていなかった.
モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 戦前,高学歴者は進んで軍隊に協力しようと考えなかった.
「退役士官」という地位は,戦前の日本でも尊敬されるようなものではなかった.
そのため,進んで軍に参加しようという気持ちにはなれなかった.
また,士官学校というものは,貧乏でも優秀であれば入学できエリートコースに乗れるものであるが,それが逆に「士官学校は貧乏人の行くところ」というイメージを作り,旧制高校などのエリートとの乖離を生んだ面がある.
(参考:学歴・階級・軍隊 ?―高学歴兵士たちの憂鬱な日常)
もっとも,東大法学部でROTC取った連中が省部を牛耳って,正規の士官学校卒業生はドサ回りってのも,それはそれで問題があると思うぞ.
(マルコス時代のフィリピン国軍が,そんな感じだったとか)
軍事板,2010/01/10(日)
青文字:加筆改修部分
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