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◆◆◆◆食事総記
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<WW2 FAQ
(画像掲示板より引用)
【質問】
旧日本軍経験者の手記では,兵隊は軍の給食だけでは物足りず,いつも腹をすかせていたように書いてありました.大戦中のあらゆるものが不足していた時期でなく,大正から昭和初期の平和な時代でも同様に兵は腹をすかせていたようです.
「一膳飯とは情けなや,仏様じゃあるまいし・・・」
みたいな愚痴が書かれてありました.
そこで質問なのですが,平和な時代においても給食が充分な量でなかったのは何故でしょうか?
平時からすでに食糧難だったのか,それとも兵のハングリー精神を養う為にあえて飢えさせていたのか.
単なる食糧難かと思いましたが,農村から徴兵された兵の
「農村にいた時は質はともかくとして,量が不足した事は無く腹一杯食べられた.兵隊になって食料の少なさに驚いた」
みたいな意見もあったのでどうなんだろうと思いました.
【回答】
「軍隊調理法」というテキストがあり,太平洋戦争以前はなら一定以上の食料水準が確保されていたらしい.
それによると米は一人一日六合,一汁一菜が基本とあります.これが維持されていたようです.
一食につき米は二合となり,これは大きめの茶碗一杯半ですから,当時の地方の食事よりは量が多いです.
カロリーの目安として,4400K(海軍)というのもありますし,現代人が普通に生活してたら太るくらいの量はあった筈です.
では何故か?と考えるに・・・
1)世代 現代でも学生くらいの世代はよく食う.
2)仕事 重労働で気も休まるひまがない
3)食事形態 落ちついて消化吸収が好く食える状態ではない.
4)柵の中なので,食い気に走り勝ち
これは心理的なものなのですが,核シェルター等に入れられてしまうと,ひたすら食い気に走る人が多いとか.プロスポーツ選手がキャンプ中は,食事が一番の楽しみと言うのとかに近いかも.
5)調理法が一般家庭と異なる
伝染病を恐れて,圧力釜等を多用する等一般家庭の調理法とは違う.
6)定量ではない
米と麦を半々にして炊くのだが,心情的に米を多くしてしまう.そのため麦が余り,検査の前日廃棄してたと某海軍出身者が書いてました(高橋猛「海軍めしたき物語」,新潮社).
定量から多少の誤差はあったはずです.
7)都会人と地方人との間の価値観の大きな差.
当時の農村は現代に比べ,流通が未発達であったため,おかずの種類が少なかった.
で,ビタミンを所要量摂取するために,大量の米を食べる必要があったわけです.(米には多種類のビタミンが含まれるが,微量なため) で,『一升飯』なんてことばがあったくらい,大量の米を食べてた人たちから見れば,ちょっとくらい茶碗が大きくても,軍隊の食事量は全然物足りないわけで.
もちろん,地方や農家によっても差はあります.
まあ一番大きいのは個人差かも.東北の貧農出身者にとっては,軍の食事は
「味はまあまあだけど,盛はよかったな」
と思えるくらいだった,という話もあります..
【質問】
旧軍においては,前線でも,将校と下士官兵とでは食事の内容は差別されていたんですか?
食い物の恨み,みたいな事件は多発しなかったんですか?
【回答】
陸軍では食事は基本的に将校も下士官も同じものを食う.
もちろん従兵に個人的に調達させたりもするので,全く同じだったとは言わないが.
海軍は将校と下士官兵では,明確に食事に違いがあったそうだ.
そこらへんの恨み節は坂井三郎の著作に出てくる.
(食事の質の差を恨んで士官搭乗員の飯をかっぱらったりしたとか)
戦時中から戦後直後にかけ,食糧などの物資の隠匿をしていたのは,戦場には出ない,もっと上層部の連中.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
脱線気味なこの流れなら聞ける…
グルメ板で聞こうか迷ったのですが…
旧軍の有名な牛飯を家でたまに作るのですが,味が染み易いサイズに葱や牛蒡を切ると,ご飯と混ぜたときにどうしても存在感が小さくなってしまいます.
具体的にいうと,ぐちゃーってなってしまい,見た目もしょぼくなります.
そこで質問なのですが,ご飯と混ぜた時にも,葱や牛蒡の存在感をしっかり残すには何センチ位でどれくらいの時間煮た方が良いのですか?
遠吠えするいぬ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
2009年06月21日 21:58
【回答】
「ミリメシ」に載っていた写真からの目測では,ネギの長さは,太さの1~1.5倍程度でした.
その他注意する点として,
まず,ご飯は硬めに炊いてますか?
ご飯の水分が多いと,後でベチャッとなりますので,水を減らして硬くすると良いです.
牛の大和煮そのものも,水分を減らすと良いと思います.
あとたぶん,材料を最初から全部入れていませんか?
これだとネギを煮すぎてしまいます.
「ミリメシ」によれば,ネギを入れるのは牛肉と牛蒡を煮たあとの,一番最後です.
たぶん,ネギを煮過ぎずに味を染込ませるのは,無理だと思います.
濃い味が好きなら,さらに水を少なめにすると良いと思います.
あと,元が陸軍の飯なので,牛蒡やネギを煮る時間は,それほど長くないと思いますよ.
最終的に個人の嗜好の問題なので,がんばってみて下さい.
極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
2009年06月21日 23:22
青文字:加筆改修部分
【質問】
羊羹と日本軍の関わりは?
【回答】
大東亜戦争中,羊羹は民間では贅沢品とされ,あまり流通していなかった.
だが,軍向けには嗜好品として作られていた他,戦後も売られていた「ゴムの皮に包まれ,どこかを噛むとくるりと皮がむけて,一口で食べられる球状の羊羹」が,もともとは航空兵の飛行食として開発されたものであったため,優先的に原材料が回され,全体としてみれば,むしろ羊羹の生産は平時より盛んであった.
【質問】
旧海軍の話なのですが,兵士が自前の食料を基地内に持ち込む事は禁止だったようです.
ある兵士が,外出中にお菓子買ってそれをポケットに入れて持ち込もうとしたら,警衛所の兵に見つかってしかられたとか.
そこで質問なのですが,なぜ私物食料の持ち込みは禁止だったのでしょうか?
なまものなら食中毒予防かもしれないですが,保存の利くものもいけなかったみたいです.
また,私物食料持ち込み禁止されていたのは兵だけで,下士官・士官は持ち込んでも良かったのでしょうか?
【回答】
陸海軍を問わず,外部から食糧を持ち込むことは原則として禁止.
理由は仰るとおり,食中毒の発生及び病原菌の持ち込みを防止するため.
保存の利くものも禁止だったが,それも理由は同じ.
もっとも,当時の食品加工技術では保存が利くと言っても,たかが知れているとは思うが..
例外は家族が面会に来たときで,この時は家族のもってきた弁当などを面会所で食べることは黙認されていた(認められていたわけではない).
また,士官クラスになると多少は持ち込みをしていたようだが,保存設備があるわけではないので,持ち込んだその日のうちに消費できるものしか持ち込まなかった模様.
【質問】
先の大戦で,補給が途切れた皇軍は,しばしば畑を作ったりして自給自足を行っていましたが,作物は何を作ったり,獲物は何をとったりしていたんですか?
南方だとヤムイモ,タロ芋,キャッサバなんかを,アリューシャンではシロクマやアザラシを想像しますが.
【回答】
ソロモン,ニューギニア,ラバウル等の南洋の海軍部隊で過ごされた方の戦記等に目を通すと,最も植えられていたのは甘藷,つまりサツマイモです.
サツマイモは栽培が簡単で味もよく,しかもその蔓や葉でビタミン補給が出来たこともあり,海軍部隊では早くから主食として,その栽培と普及に努めていたようです.
カボチャもその育てやすさから,多く植えられていました.
その他に主食とされたのは高粱やキャッサバなどです.
また,栽培に余裕が出てくるとトマト,スイカ,キュウリ,トウモロコシなども植えられるようになっていきます.
ただし,大根等の根菜は南方では花が咲かず,全く栽培できなかったそうです.
名無し軍曹@携帯 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本軍は,大陸などに展開する師団の中に自活班を置いて糧食やらを自弁していたようですが,この自活班の編成にさいして,どんな用意がされてたのでしょうか?
南方に展開する部隊の兵隊向けに「ジャングルで食べられる野草」パンフレットが配布された,と聞いて,師団バラバラじゃなくて,じつはかなり大掛かりなものだったのかな,と疑問に感じました.
【回答】
情報に関しては,大本営陸軍部で編纂された所謂「戦訓報」,「戦訓速報」によって,各部隊の有効な経験を各方面の部隊に展開するようにしています.
例えば,「戦訓速報」第二号には,南方第一線から南方への転用部隊に対する教育訓練についての提言で,大まかな情報が寄せられていますし,戦訓報第十四号では,無煙竈の作り方について満州の部隊で研究した結果を公開しています.
また,「現地自活(衣糧)の勝利」と言うマニュアルが陸軍省経理局衣糧課で編纂されて各部隊に配布されました.
これは,随時追加,改訂が成されています.
これをベースに南方軍は独自に「南方地域現地自活教本」を編纂し主要部隊に配布しています.
但し,兵要地誌については,陸軍の研究は後手に回っており(本格研究は1943年以降),現地に行って初めて,これが必要とされるケースが多かったわけで.
眠い人◆gQikaJHtf2
自活班
(画像掲示板より引用)
【質問】
戦前のドイツ軍にはトサツ中隊なる食肉部隊があったそうですが,日本軍にもそういうのあったのでしょうか?
【回答】
ちょっと「あった」とも「なかった」とも断定できる資料が見つからなかったが,とりあえず日本陸軍の装備の中に屠殺用の屠獣器という解体用具一式はあった.
11名の作業員で1日に15頭の家畜を解体できたという.
また,戦争が激化すると,師団経理部の隷下に師団経理勤務隊が設けられ,「現地自活」として野菜などの栽培と共に養豚も行われた,
当然,育てた豚は解体して食糧にするのだから,師団経理勤務隊の中に屠殺の部隊(または班)はあったと思われる.
ただ,養豚自体が全ての師団で行われる正規の軍務ではないので,屠殺部隊もあくまで一時的・その師団だけの部隊と思われる.
大隊には大隊付きの炊事班がいて,大抵は初年兵か最下級の仕事.
食材が集まらないと近くに行って徴発.
トサツは基本的に先輩が教えてくれる.
気持ちは悪いが決して難しくはない.
日本のトサツ部隊というのは「生き物係に命じマース」ぐらいの臨時の話だと思う.
たぶんだけど,初年兵に回されたんだろうなと想像する.
嫌な仕事だし.炊事班同様ね.
ドイツにおいては屠殺は日本よりも身近なのもであり,農家などでは自分たちで豚を解体し,色々な種類のソーセージなどを作っている(日本人が魚をさばくのと似たような感覚か)
そういう文化の違いが屠殺部隊の常備の有無に繋がっているものと思われる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
ソーセージと軍隊
(画像掲示板より引用)
【質問】
本当に日本軍は人肉を食べたのか?
【回答】
日本軍は人肉を食料としていたという逸話は各地に結構残ってる.
有名な「味方は食うな」という命令が出たのはニューギニア戦線で,1944年12月,第18軍司令官から
「連合軍の屍肉を食うことは許すが,友軍の屍肉の場合は処罰する」
旨の軍令が発せられ,違反した4名の兵が処刑されたというのが日本軍記録に残っており,1946.12.11の東京裁判でも有罪となった.
以下は体験談より.
[quote]
第2次世界大戦中,フィリピン戦線では約50万人の日本兵が戦死し,その多くは餓死だったと言われる.
〔ダイエー創業者の〕中内氏は,人肉食いの噂もつきまとうその地獄の戦場から奇跡的に生還した過去を持っている.
インタビューするたび,中内氏は国家への不信を語り,靖国神社には戦友に申し訳なくて近づくことができないと言って,怯えた表情を浮かべた.
統制経済に真っ向から刃向かい,価格決定権をメーカーの手から消費者側に奪い返す「流通革命」を呼号したのも,ロジスティックス(兵站)という発想をまったく欠いたまま,一兵卒の自分を戦場に丸裸のまま「棄民」した国家的なるものへの反逆だった.
〔略〕
10年前の阪神淡路大震災で,中内ダイエーはフェリー,タンクローリー,大型トラック,ヘリコプターなど,同社が持つロジスティックスのすべてを動員して,被災地神戸の救援に向かった.
手を拱(こまね)くばかりの日本政府の対応の遅さとは対照的な迅速さだった.
〔略〕
ダイエーの原点となったフィリピンの戦場について尋ねたとき,中内氏は奇妙な質問をして私を困惑させた.
「戦争でいちばん恐ろしいものは何だと思います?」
私は平和ボケを丸出しにして,「敵の鉄砲の弾じゃないんですか」と答えた.
すると中内氏は思わぬことを言った.
「いや,そうじゃない.隣の日本兵がいちばん恐ろしかった」
それを聞いた瞬間,人肉食いの噂が生々しいリアリティをもって迫ってきた.
中内氏はさらに率直に,
「眠るといつ隣の日本兵に殺されるかと思って,眠れなかった」
とも言った.
[/quote]
―――佐野眞一 in 『文藝春秋』2005年11月号,p.132
▼
[quote]
〔1945年1月下旬,〕やっとの思いでマニラに帰り,マニラ東方山地に逐次撤退したが,この日本軍に対しナパーム弾で焼土作戦〔原文ママ〕に出たため,日本軍は山岳地帯に追い込まれ,食糧が極度に不足し,ついには日本兵が日本兵を射殺して,その肉を食う光景を目撃した.
[/quote]
―――高橋馨 in 『比島に散った野戦自動車廠の記録』(比島派遣野戦自動車廠戦友会,開発社,1989/8/15),p.253
▲
▼『ニューギニア東部最前線』(石塚卓三著,叢文社,1981.8)
では正直に,「ニューギニア戦線で私は人肉食べました」と告白している.
一口目は吐いたが,2口3口と食べるうちに,世にもいえない美味に思えてきたとのこと.
また,その前には,人間の肉を食った兵隊を,現行犯で見つけている.
その兵は銃殺刑にされているが,そのときにその肉の色をみていたので,人肉であると気づいたとのこと.
軍事板,2011/01/27(木)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
よく,旧日本軍の餓死の話を聞きますが,ぶっちゃけ人間は,水と塩があれば1月は生きますし,まわりは全部海でしょ?,孤島
何であんなにアホみたいに餓死するのかよくわかりません.
なんで海水飲まないんですか?
ひょっとして知らなかった?
【回答】
人間は体内の塩分濃度を調節する能力に乏しいので,塩水を常飲して水分を補給すると体が耐えられない.
腎臓を始め内蔵に重大な疾患が出る.
また,餓えている時に塩分濃度の濃い水を飲むと,渇水感が酷くなる.
程度によっては発狂することも.
南方に取り残されて食糧と水の不足に苦しんだ人たちの中には,海水を煮詰めて塩を作り,蒸留して真水を作ることにチャレンジして,それで命をつないだ人もいたとか.
この質問者に賛成というわけでは有りませんが参考までに.
アラン・ボンバール本人が行った漂流実験の結果等から,水ないし魚(海)を搾った液体で海水を薄めた物でも健康で精神力さえしっかりしていれば,生き延びることが出来る可能性が有る事が示されていると思います.
http://homepage2.nifty.com/MLRI/new_page_6.htm
の6.もご覧ください.
なお,食糧不足な時点で,〔健康で,という〕前提条件が崩れてますよね.
反面,その手の海難事故が起こったとき,遭難者の90%は三日以内に死ぬって推定が出てます.
水や食料の欠乏ではなく,『絶望』が死因だそうです.
ソースは『大西洋漂流76日間』(スティーヴン・キャラハン著,早川書房,1999.5).
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS
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【質問】
第一次大戦での日本で捕虜生活を送ったとドイツ兵捕虜によって,日本にパンケーキ等の西洋の食べ物が現代も其の味を伝えているように,日本兵が駐留した南方で,お寿司や赤飯,梅干等の日本的な食べ物遺産は,現地に残っているのでしょうか?
【回答】
たとえば,タイに駐留してた部隊の話
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1813822
が伝わっています.
あと,陸路でポートモレスビーを攻略すべく上陸した日本陸軍から鯖缶&ご飯を貰ったパプアニューギアでは,
「サバ缶ライス」として現地でごちそうとなっている,という新聞記事を読んだ覚えが.
皮肉にも,サバは目の前の海で採れるのに,缶詰工場がないため,日本から輸入しているそうで.サバ缶輸入の最大手国になったり.
軍事板
【質問】
旧軍は戦闘地域でも白米を主食にしていたと聞いたのですが,そこで餅とかの支給はなかったのでしょうか?
餅は保存性も利くし,火を通せば食べられるようになり,米を炊く時のように水も要らないし,少量でも満腹感があるので戦闘糧食としては理想的だと思うのですが,どうでしょう?
【回答】
増加食や加給品として「餅の素」が製作されています.
信州などで古くから食べられていた「氷餅」がルーツのインスタント粉末餅です.
氷餅とは,冬季,搗きたての餅を軒下にぶら下げて凍結・乾燥させたもの(高野豆腐と同じような製法)で,湯で戻して食べます.
もち米の粉を煮て型に流し固めたものを使う方法もあり,「餅の素」はこの製法だと思います.
民間で流通しているような餅は,祝い事のときなどでは支給される事もあったが,通常の糧食としては餅は使われない.
餅は内部に大量の水分を持っているため,かびやすく,炊飯前の米と比べて保存性が著しく劣るため.
また火を通さないと食べられないため,乾パンのような即応性がないし,乾燥して内部の水分が抜けると焼いても柔らかくならない.
簡単に言えば,
「買い置きしてるお米.
正月に飾った鏡餅.
日持ちするのはどっちでしょう?」
ということ.
まあ,今は真空パックとか色々加工された餅が主流なので,鏡餅がカラフルにカビることを知らない人が多いのでしょう.
そういう餅しか知らないと,「餅は保存が利く」と誤認識するのでしょう.
あれは現在の技術で色々しているからカビないのであって,餅は本来カビやすく,保存食には不向きです.
軍事板
【質問】
食糧不足解消のため,戦地にさつまいもの種を大量に送って自活させれば,兵士が飢えることもなかったのでは?
【回答】
サツマイモは確かに救荒食物ですが,どこでも適当に育てられるもんでもないです.
というか農作物作るのがそんなに簡単でないというのは,植生自体は割と豊かなインドやフィリピンが食糧自給に苦労したことを考えても分かるかと.
また,赤道直下の熱帯地域では,サツマイモやジャガイモは虫に食われてすぐに駄目になっちゃうんだよね.
タロイモ類は青酸化合物を含んでるから虫も食えないので生き残った.
タロイモを食用にできるのは人間だけ.
人間なら道具を使ってデンプンだけを取り出せるからね.
【質問】
せっかく日本人は刺身を食べられるのに,南方で補給が途絶えた部隊は,魚を釣らなかったの?
【回答】
魚を獲ったり釣ったりした人は沢山いた.
でも,日本とは全然生息してる魚の種類が違うので,どれが食べられる魚なのかよく解らず,毒のある魚に当たって死ぬ人が続出した.
手榴弾や砲弾を使ったバクダン漁(水中に爆発物を投げ込んで爆圧で気絶して浮いてくる魚を捕まえる)も熱心に行われたが,やっぱり「食べていい魚と駄目な魚」の区別がよくつかず,やっぱり当たって死ぬ人が続出した.
また,昼間海に出ると,よく通りすがりの米軍機に銃撃されることになった.
いわゆる飛び石作戦で,直接的な侵攻なしで放置された地域も,海岸沿いは,船舶による補給の遮断を目的とする哨戒が行われていて,発見されると攻撃されるので,海岸線にさえおちおち出ることが出来なかった場合があるという.
そういった哨戒や攻撃は,間断なく延々と継続したわけではないが,レーダー等で事前に確実に察知することができなかったのだから,当然,のんびり釣りとかをしているゆとりなど存在しないのが普通としか考えられない.
とある人の手記には,たった一つ残った手榴弾を巡って
「バクダン漁をするか自爆自決用に温存するか」
で揉めて殺し合いになった,という何とも言えない話がある.
▼ そもそも魚釣り程度では,4桁5桁の兵隊を養うのに全然足らない.
ガダルカナルのネズミ輸送では,潜水艦が15トン運んで,1000人分で1か月の食料弾薬と言ってたらしいが.
規定だと陸軍は1日で米6合に肉と魚で200グラム,野菜500グラム(乾燥野菜で150グラム)で3500キロカロリー.
1000人当たりなら月30トン,最盛期で1万数千人がいたから,毎月500トンは必要になる.
それも清潔な水が現地で無制限に使える前提で.
ちなみに,現代の15トン未満の小型底引き網漁船で年間漁獲量が40トン程度.
アメリカ海兵隊が1942年11月に上陸したときは,人員6000名と装備弾薬食料で3万トンを揚陸している.▲
ふみ ◆Y.QUKJBduY :軍事板,2020/01/26(日)~01/27(月)
Fumi ◆Y.QUKJBduY : "5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/26(vasárnap)
- 01/27(hétfő)
青文字:加筆改修部分
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▼ 第一,漁をする船が作れない.
銃剣をナイフ扱いするのは何故か御法度だしな.▲
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
▼ あとさ…1万人規模を養う漁獲を得るだけの網,作れる?
技術的にも材料的にも分量的にも,漁村出身者からしたらマジで机上の空論なんだけど.▲
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
▼ 1万年前くらいの狩猟採集生活をしていた時代の人口密度は,「人が生きていた場所で」1人/km2くらいです.
これは川や海などで魚や貝などのタンパク質を採取することも含みます.
とうぜん食べれるものはすべて食べていました.
10000人の人間が生きていくためには10000km2必要です.
仮に正方形の土地があるとすれば100km×100kmの土地が必要です.
ここまで広いと普段は基地に寝泊まりして,朝になると出かけていって夜は基地に帰る,など出来ません.
広く散らばってそこで狩猟採集生活をすることになります.
となると戦争など出来ませんね.
沖に出て魚を採る,というのもあまり現実的ではないです.
「海だったら魚がたくさんいるだろう」
と思うのは間違いで,暖かいところではあまり良い漁場がないのですが,まあおいておきましょう.
1日のタンパク質の推奨量は60gくらい.
魚は100gあたり15%~20%くらいのタンパク質を含みます.
仮に南方で100gあたり20%のタンパク質の魚しか取れないと仮定して,一人あたり300gの魚が必要です.
可食部は70パーセントくらいですが,贅沢は言えません頭も骨もすべて食べることとします.
となると,1万人で3トンの漁獲量が必要です.
これを毎日は無理です.
現代はソナーや魚群探知機を使って暖流と寒流の混じり合う豊富な漁場まで行って効率よく漁が出来ますが,昔だと漁師の経験と勘だよりの効率の悪いものでした.
重要なことは,「1万人を養える土地ならすでに1万人住んでいる」ということです.
たとえばアラスカのイヌイットはなぜあんなところに住んでいるのだろうと思いますが,答えは簡単「住めるから住んでいる」です.
人間は生きていける場所で最適化して生存していきますので,日本軍が到着した時点で1万人狩猟採集生活して住んでいないなら,そこは1万人が狩猟採集で生活できる場所ではないのです.▲
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
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【反論 kifogás】
生きるためなら3500カロリーも必要ない.
その半分で十分事足りる.
それとも,現地の動植物,魚類は全て捕り尽くしてしまったとでも?
たった1万の兵でそんなことはあり得ない.
勿論漁に出れば無限の資源が手に入るし,ジャングルには,根や新芽が食べられる植物は沢山生えてるし,ヘビやカエルはご馳走,昆虫や土に潜む幼虫だって食べられる.
これらを全て捕り尽くしたと?
【再反論 Surrebuttal】
一,
火が使えない.
煙ですぐに探知され攻撃されるから.
火が使えないと大半の食材が安全に食べられない上,消化にエネルギーを要するため余計にカロリーを必要とする.
ちなみに,火というものは想像以上に遠方から見えるもので,海の上ではタバコ一本の火が1海里も2海里も先から見えるほど.
二,
水が悪い.
一と連動するが,生水が大敵なのは今の海外旅行でも常識.
あっという間に腹を下し,摂れる栄養も摂れなくなる.
三,
海岸が使えない.
米軍の警戒を縫って,わずかな人数,わずかな時間しか海岸に出られなかった.
(南方では定期便が外した爆弾により丁度ダイナマイト漁になっている海域に回収に向かったところ,次の臨時便で一網打尽にされたケースも多々ある)
日本軍の輸送船は当然海岸からしか補給できないし,そもそもジャングルで食える食材もほとんどは海岸付近でしか取れなかった.
まずもって消化に良いものを食えなかったのが決定的で,兵たちは即座に体調を崩し,そのためにますます栄養を取れなくなる悪循環に陥った.
ニューギニア戦線で軍医が調査したところ,兵たちのカロリー摂取量はなんと一千カロリーちょいまで激減していたことがわかっている.
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
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地面に二つの穴を掘って,ロケットストーブ効果で煙を減らすことは知られているが,そこはジャングルという環境が立ちはだかる.
掘れないんだよマジで.
根っこが縦横無尽に張り巡らされてるから.
タコツボ一つ掘るのに無茶苦茶労力使うことが戦記にも残されてる.
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
四,
人間が食べるように改良された野菜と違い,自然の植物は大なり小なり毒性を持つ物が多い.
ジャングルでその辺の葉っぱとか果物とか食ってれば生きていけるというものでは決してない.
人間が食べられると確認できた少数の植物が,「山菜」として珍重されてるんだ.
種類もごく少ないし.
また,南方のジャングルと日本では植生がぜんぜん違うし,どれが食べられる植物か確認されてもいない.
飛び石作戦で終戦まで孤立した島では,補給が途切れたので,とにかく食べられる植物を探したが全然足らず,敵機による爆撃の跡に何故か生える通称「爆弾キノコ」を,毒があるかどうかもわからないが,一人が犠牲になって食べてみて,結果無事だったので皆が一斉に採りに行った,なんて話もある.
自生しているタロイモなんか全然少ない上に,タロイモにも毒があるのは多いし,キャッサバは有毒だ.
水に晒して毒抜きして初めて食えるんだよ.
ヤマイモのむかごは天ぷらにすると旨いけど,灰汁が強くて天ぷら以外では食えない.
天ぷらでもたくさん食べるとひどい目に遭う.
山菜も灰汁だらけで,まともに食べられる様にするには大量の水を必要とする.
タラの芽等の例外もあるけど,カロリーとしては極めて僅かな為,軍隊の糧食としては不適当.
結果,原住民の畑から盗んで「ニホンヘイ,ドロボー」と罵られた,という話もある.
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
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だいたい,畑や水田みたいな目立つもの作ったら,それ自体が攻撃目標になるわ.
>生きるためなら3500カロリーも必要ない
日本軍はガダルカナルに「生きるため」に来たのではなく戦争しに来た.
南の果てで3500キロカロリー食わせて兵隊のガタイを維持することができない時点で大問題なんだよ.
パラオ本島守備隊の食事は,コメが1合に乾パン100グラム,あとはカボチャとか魚が数十グラムで1日1100キロカロリーだったそうだ.
半分で「十分足りる」どころか,1/3も賄えてないのが事実であり現実だ.
結果,戦没した軍人230万のうち,140万が餓死あるいは飢えによる戦病死なわけだ.
ふみ ◆Y.QUKJBduY : 軍事板,2020/01/27(月)
Fumi ◆Y.QUKJBduY : "5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
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更に,摂取カロリー2000キロ未満じゃ,風土病に対する抵抗力が足りず,すぐ感染発症し重篤化する.
満足な薬も無く衛生的な飲料水にも事欠く環境では,免疫力だけが頼り.
で,免疫力なんかつまるところ発熱によるウイルス殺しなんだから,満足な食事出来なきゃどんなに勤勉な細胞さんでも働けない.
軍事板,2020/01/27(月)
"5 csatornás" katonai BBS, 2020/01/27(hétfő)
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【質問】
何で旧日本軍は,自活用に「食べられる魚」図鑑や「食べられる植物」図鑑を用意できなかったんでしょうか?
あらかじめは無理としても,南方で3年も戦っていれば,こういうものの必要性とか分かるんじゃ?
【回答】
大量の将兵を自活させるためには,将兵の大半を漁労・採集などに従事させる必要がある.
軍隊の本来の目的は戦闘なのだから,自活のために多大な労力を割くのは本末転倒.
末期のラバウルは,畑を開墾したりして自給自足生活を送っているけれど, これは同地が連合軍から事実上無視されていて,戦闘らしい戦闘がなかったから可能だったことで.
現地で手に入る食料に関する研究をするくらいなら,内地から十分な食料を送る算段をする方が効果的.
史実の日本軍がどちらもできなかったのは,また別の問題.
さらにいうと,そんな本があっても30万人を超える兵力を養えるほど,魚や植物を現地で確保できるわけがない.
そんな物が都合良くあちこちに生えていているものではないし,生えていても,大人数ではすぐに食い尽くしてしまうのが落ち.
他のどこかに生えていても,密林ではまともに入り込めない.
そういった地域で,サツマイモの苗がもたらされて一息ついたという話はある.
ラバウルでの自活の状況を調べろ.
さらにまた,上述のように,釣りができるほど海岸が安全というわけでもなかった.
ただ,その辺は本土決戦に備えた「自活の方法」や「食糧不足を凌ぐ工夫」としてかえりみられることになり,
「これを全国民が実践することにならなくてよかった・・・」
ということになった.
今みたいにアウトドアがブームになる前の「災害・遭難時の手引き」みたいな本には,明らかにこの戦争末期の本土決戦に備えた自活法が元ネタになってるものが結構ある.
あと,日本陸軍はずっと満州でソビエト軍と戦うことだけを考えて軍を整備して来たので,南方で戦うことを戦争が始まるまでほとんど想定していなかった.
「携行糧食」の研究にしても,まず第一に求められたのは「凍らないこと」だったりしていて,南方は視界外想定外だったというのが本当のところ.
【質問】
先の大戦の末期,国民はかなり窮乏した食糧事情になっていましたが,国内の軍部隊に対しては,国民よりは少しはましな食糧が供されていたんですか?
【回答】
それこそ,経理部の腕の見せ所になります.
例えば,末期に編成された寄せ集め師団は,経理部が貧弱だった為,周辺の住民よりも食生活が貧弱で,何時も腹を空かせていたので,周辺の住民達が彼等を哀れんで,食物を恵んだと言う記録が残っています.
一方,従来からある古参師団の場合は,経理部にもそれなりの人物がいたので,八方手を尽くして,例えば,釜石に魚の干物があると聞けば飛んでいって仕入れてきたり,新潟に米が滞留していると聞けば,軍の特権を利用して,その米を輸送し,別の場所で売り捌いて,その場所で売っている食べ物を購入したり,あるいは南方に送る予定で,倉庫に眠っていた砂糖や醤油などを伝手を使って接収したりして,兵士に配給量以上の飯を食べさせたりしています.
因みに,この師団の経理部の部長さんは,戦後,渋谷のロシア料理店のオーナー経営者に収まったりしています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
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