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 【質問】
 戦前・戦時中の「日本は,公序良俗に反する借金漬けによる管理売春を認め」
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-1227.html
ていたのですか?

 【回答】
 吉見義明はそのように主張している.
 彼によれば,
・性の売買を自由意思で行っているという見せかけを作るため,内地において「娼妓(しょうき)取締規則」を日本政府は作ったが,事実上,娼妓による「自由廃業」は困難だった
・当時の識者や神奈川県議会も,「公娼制度は人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする,事実上の奴隷制度である」と指摘している
・加えて,軍「慰安婦」制度では,見せかけ上の「自由廃業」の規定すらなく,外出も制限されていた
という.
 詳しくは
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.42-45
を参照されたし.

 この点は,秦郁彦もほぼ同意見である.
 彼によれば
・欧州の近代的公娼制をモデルとして日本政府は公娼制度を作ったが,実際には娼妓による廃業は難しい上,新たな正業に就くのも容易ではなかった
・仮に廃業できたとしても,大審院の判例によれば,前借金の契約自体は有効とされたので,借金返済ができない女性は,元の境遇に戻らざるを得なかった
・朝鮮半島では,李朝末期まで存続した「妓生(キーセン)」制度の影響で,売春婦たちの待遇は内地に比べてさらに劣悪だった
・廃業の自由や外出の自由について言えば,看護婦も一般兵士も同じように制限されていた.この点は,現在のサラリーマンも変わらない.
という.
 詳しくは
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.27-59,395
を参照されたし.

2016.5.7


 【質問 kérdés】
 当時だって女性を性奴隷として扱ったらアウトだったんじゃ?
Az illegális, hogy kezeltek nőket, mint a szexuális rabszolgákat szintén ebben az időben is?

 【回答 válasz】
 倫理的にはアウト.
 決して褒められる行為では無い.
Etikusan rossz.
Sohasem dicséretes történet.


 当時の日本の国内法でも,女性を性奴隷扱いすることは違法だったが,この法律はザル法だった.
Abban az időben a japán nemzeti jogban is az illegális, hogy kezeltek nőket, mint a szexuális rabszolgákat szintén, de a jog tele kiskapuk.
 1900年(明治33年)10月施行された「娼妓取締規則」では,娼妓の自由廃業が認められていたが,吉見義明によれば,そのような規定があることを娼妓自身は知らず,また,仮に知ったとしても,それを実行に移すことはまず不可能だったという.
 なぜなら,自由廃業をするには警察に届けなければならなかったが,業者などに妨害されるため,届けを出すことは困難だったからだ.
 支援者の援助を受けるなどして運よく警察に届けを出し,それが受理されたとしても,業者から前借金返還を求める訴訟を起こされる可能性が非常に高かった.
 前借金を娼妓稼働(買春)によって返金させる契約は本来,民法第90条が言う公序良俗に反するので無効のはずだったが,裁判所はこの契約を,形式的に娼妓稼業契約と金銭貸借上の契約とに分け,前者は違法だが後者は有効だとして,前借金返還を命じる判決を出した(1902年大審院判決)ため,借金返済ができない娼妓は,やむなく遊郭に拘束され続けることになった.
 これが全体として無効だとする最高裁判決が出るのは,戦後から10年も経った1955年のことになる.

 また,「居住の自由」「先客の自由」「外出の自由」「休業の自由」なども業者によって事実上奪われていた.
 内務省は1933年,「外出の自由」を認めるよう業者に指示し,許可制は「外出の自由があるとは言えない」と注意したが,吉見によればこれが順守されていたとは言えないという.


 こうした事実は当時から指摘されており,たとえば1924年1月に早稲田大学教授・安倍磯雄らが提出した「公娼制度廃止請願書」は
「公娼制度は事実上戦慄すべき人身売買と惨憺たる奴隷制度を伴ふて免(まぬが)る能はざる悪制度也」
と述べている.
 また,神奈川県会(=県議会)も1930年12月の決議において,
「公娼制度は人身売買と自由拘束の二大害悪を内容とする事実上の奴隷制度である」
と述べているという.

 秦郁彦もこの点では主張を同じくしている.
 秦によれば,内務省も国レベルでの公娼廃止を考慮したと言われるが,政治家を押し立てた業者の抵抗に屈したという.
 彼らは全国の貸座敷業者1万1千人に檄を飛ばし,35年2月に東京で大会を開き,
「我らの死活問題たるに止まらず,実に国家隆替の分かるる所あり」
と決議.
 流行の国体明徴運動に引っ掛け,
「内務省がかようなる国法無視の挙に出ようとするが如きは言語道断ではないか.
 公娼はわが国体に立脚して,神の御威光の下に定められたる制度である」
といきまいた業者連は明治神宮に詣で,宮城を遥拝して天皇陛下万歳を三唱したという.


 古代豪族から昨今の野党に到るまで,無理筋を通すのに天皇を利用しようとする傾向は,この國には普遍的に見られる模様.

 【参考ページ Referencia Oldal】
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2014),p.42-44
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.27-39

軍事板,2017/12/28(木)
"5 csatornás" katonai BBS, 2017/12/28(csütörtök)

青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész


 【質問 kérdés】
 未成年の売春婦は,軍慰安婦以外にも大日本帝国社会に普遍的にいたの?

 【回答 válasz】
 日本どころか世界中で普遍的に存在した.

 日本は1925年 ( 大正15年 ) に「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」に加盟し,未成年者の売春を日本本国で禁止した.
 ただし吉見義明によれば,日本政府は同条約を植民地の朝鮮・台湾や租借地には適用しない方針をとっていたため,表面上は条約違背では無いように見えるが,それは朝鮮や台湾や租借地では,民間の売春施設での未成年売春の取り締まり義務が無かったというだけで,日本軍の軍医が定期健診していて日本軍が利用している実態から,公的に朝鮮人の父親による未成年の少女の身売りを容認していた.
(したがって,実質的には国際法違背と考えられる)

 事実,漢口兵站司令部の副官で,軍慰安所係長であった山田清吉大尉(着任当時は少尉)が,当時のノートなどに基いて戦後に書いた記録によれば,日本内地から来た軍慰安婦は,だいたい娼妓・芸妓・売春経歴のある女給などの前歴のある,20~28歳の女性が多かったが,朝鮮から来た者は,
「[売春の]前歴も無く,年齢も18, 19の若い妓が多かった」
という.

 また,秦郁彦によれば,そもそも「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」自体がザル法に過ぎず,日本を含む世界各国において,根絶からは程遠かったという.
 国際連盟婦女児童売買禁止委員会による追跡調査によれば,成果はあまり上がっておらず,1937年の実態調査では,イギリス,オランダ,イタリア,フランス,アルゼンチン,カナダなどで,依然として14~20歳の未成年者が,娼婦の1~2割を占めていた.

 なお,1916年に朝鮮総督府が性病防圧を主眼として施行した「貸座敷娼妓取締規則」によれば,年齢下限は17歳となっていた.
 また,台湾では年齢下限は16歳だったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
吉見義明『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波書店,2010),p.25, 31-33
秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社,1999),p.31-45

浅見真規 ◆Xy1SDuGQ6I :軍事板,2017/07/29(土)
Aszami Maszanori ◆Xy1SDuGQ6I : "2 csatornás" katonai BBS, 2017/07/29(szombat)

青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész


 【質問】
 当時の日本の売春観は?

 【回答】
 それについては以下のような証言がある.

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「で,徴兵検査はどうでした」
「わたしなんかはそれまで堅くしてたもんですから,
『検査に行くのに女を知らないのは恥だ』
とか,
『大人じゃねえか,女を知らねえなんてみっともねえ』
とか楽屋で言われたんです.
 芸人ばかりじゃない,職人だってなんだって,みんなそれが気風でしたよ.
 ですから,兵隊検査が近くなると,みんな遊びに行くんです.
 色気づいてきたし,金で済むことなんですから.
 そのころは1円でしたね.前座の2日分の給金で行ける.
 ですから,世帯を持っていないときは,赤線へ行ったほうが,安いし,手っ取り早いんです」

 普通は検査前まで堅くしていて,女遊びは検査後だろうと思っていたから,この点を林家正蔵師匠に伺ってみたら,
「いや,そうじゃないんです.
 わたしなんぞは横根を切って直ぐ検査でしたが,検査官に
『君は金鵄勲章をつけとるね』
と言われましたよ」
と説明してくださったから,私の思い違いか,山手と下町の気風の差か,そのどちらかなのだろう.

――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-71
----------------
〔古今亭今輔談〕「それにしても,赤線を無くしたッてことは,これは罪なことですよ.本当に悪いことです.
 あれはあったほうがいいんです.
 今,痴漢だなんて騒ぐのは,赤線がなくなったからです.
 ですから,女を保護するためにも,あれはなくちゃいけない.
 あれがなくなってから,うんと料金が高くなったんでしょう.
 ですから,可哀相ですよ,今の男は.真面目で気の弱い人ほど可哀相です.
 市川房枝なんてお婆さんは罪を作りましたねえ.
 オリンピックの前に,『公娼があるのは日本だけで,野蛮だ』とか言ったんでしょう.
 外国はみんな私娼なんですってね.
 昔のように,千束町だの,玉の井だけでも残しておけば良かったんです.
 それが風俗取り締まりで先にやられちゃった.
 群馬県なんかは,赤線てものは明治の時代になかったんです.
 誰かが廃娼運動をやったんですね.
 その代わり,高崎へ行っても,前橋へ行っても,どこへ行ったって,千束町みたいな所がありましたよ.
 ですから,公娼でなくったって,私娼は置かなきゃならないものなんです.
 今は検黴(けんばい)も何もないから危険だけど,昔は組合があって,衛星思想が発達してたから,梅毒になんかはならない.
 今のほうが余計に危ないんじゃないですか.ああいう病気は昔より増えてるんじゃないですかねえ.
 それにつけても,あのお婆さんは悪いお婆さんです.そうでしょう.だって……」

 日頃謹厳実直な今輔さんが,いつもの真面目な調子でこの話をする.
 一度だけではない.少なくとも3度聞いている.
 〔略〕

 この部分を『劇と新小説』誌に発表したとき,大田区に住む,作家の清水三郎氏から次のような文面の葉書を頂戴したから,これを転載しておく.
 赤線復活論は,世の常の男たちの意見を代表したものでしょう.
 (中略)
 あの問題につき,その当時たまたま市川房枝女史宅で対決したことがありますが,そのときの話で,
「売春は構わんと思うんですよ.
 ただ,それを国家で公認しているような制度が問題でしてね.
 まあ,その中間搾取制度の国家公認がね.
 こんなことをやってる国は日本だけなんで,これがあると国連加入資格に引っかかることなんです.
 私娼まで撤廃しろなんて言ってるわけではないんで,搾取がなく,個人の自由意思なら仕方ありませんねえ」

 このことを知らぬ人間が多く,ただ狭い視野や憤懣感情で言っていると思うのです.
 市川房枝女史も私娼まで撲滅せよと申した分からず屋でないことを余事乍(なが)ら弁明しておきます.
 右の通りであるが,今輔さんの言うことにも一面の真理があるように思う.

――――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-73

>日頃謹厳実直な
人物の証言であるという部分に留意.
 つまり,当時の意識では罪悪でもなんでもなかったことが分かる.


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