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<第二次大戦FAQ
(画像掲示板より引用)
『ミッドウェー』(淵田美津雄&奥宮正武著,学研M文庫,2008.7)
『ミッドウェー海戦「運命の5分」の真実』(左近允尚敏著,新人物往来社,2011.6)
読み始め.
実によくまとまっていると思う.
細かな動きが,漏らさず書かれている.
例えば,B-26が南雲機動部隊を雷撃した事は知っていたが,そのB-26の機銃掃射で,赤城に戦死者が出ていた事は知らなかった.
5分間云々に関しては,各書物の引用をして,数ページ触れている.
題名にするには大げさだが,何かインパクトが欲しかったのだろう.
このサイズの本で,海外の著名人・研究家17人のミッドウェー海戦の感想が,一気に読めるのはお得なのでは.
いわば,まとめスレッドみたいな存在だな.
――――――軍事板,2011/07/18(月)
「ワレYouTube発見セリ」:Battle Of Midway - WWII in colour
【質問】
ミッドウェイ作戦は何故立案されたのか?
【回答】
軍令部は,米軍が豪州をベースにして対日反攻に出るのは自明だと考えた.
そこでフィジー,サモアを攻略して米豪遮断作戦を実施しようと計画した.
しかし連合艦隊司令部は,その前に残存米空母機動部隊をミッドウェイ海域に誘引,これを撃滅して,東方からの本土空襲の恐れを排除するのがまず先決だと強硬に主張した.
戦略思想的に見れば,残存米機動部隊の誘引・撃滅は決して見当違いとは言えなかったが,なぜか,作戦計画は次第にミッドウェイ攻略に重心が移され,米空母撃破が主か,島の占領が主か,曖昧な形で実施されることになってしまう.
ちなみに,作戦の具体策は主として連合艦隊司令部の先任参謀,黒島亀人大佐の案出であり,その上位にあった参謀長,宇垣纏少将は蚊帳の外だったという.
詳しくは「世界の艦船」2005年8月号,p.91-93(石渡幸二著述)を参照されたし.
ミッドウェイ島
(画像掲示板より引用)
【質問】
ミッドウェー海戦の敗因は?
【回答】
「これが敗因」と一刀両断に出来る物は有りません.
あらゆる戦闘がそうなのですが,勝敗は様々な要因が絡み合って決まる物なのです.
ミッドウェー海戦においては,戦力比で言えば日本海軍が有利でした.
それが何故負けたかと言えば,
1)
作戦目標が二重であった(二兎を追った)
これが最大の敗因であると言えます.
ミッドウェイ島攻略か,敵機動部隊殲滅か,どちらが主目標かハッキリせず,将兵もよく理解していなかった事があります.
2)
情報管理がズサンで,しかもその為,敵に手の内をすっかり読まれていた事.
奇襲攻撃をミッドウェー島にかけて敵機動部隊を誘き寄せて,待ち伏せした艦隊で撃滅するといった作戦にも関らず,情報管理がズサンで,次の攻撃目標が何処であるか,柱島の芸者まで知っていたとの事.
オマケに暗号まで解読されていたので,待ち伏せをかけるつもりが,逆に待ち伏せを受けてしまいました.
その他,策敵が不十分,主兵力の疲弊,指揮の混乱等々と,他にも様々な要因が複雑に絡み合っているのです.
軍事板,2005/02/19
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェイ作戦の事前のシミュレーションで,ボロクソに負けるのを判定を変えて勝った事にした,ということが何故まかり通ったの?
【回答】
宇垣図演の被弾9発を3発と修正したなんて,実は正確な判断といえるんだよな.
図演ではミッドウェーから飛び立った基地航空隊の爆撃を受け,南雲部隊が9発被弾するという裁定が出たが,確かにこれは多すぎる.
陸上機の水平爆撃が,そんな命中率がいいわけがない.
実際,史実では一発も命中弾は無かった.
それを3発命中としたんだから,妥当な判断じゃないか.
実際は一発も当たる可能性は低いような攻撃で,九発も当たったなんてサイコロが出て,
「この結果は参考にならない」
と判断できるやつがいないほうがヤバイだろ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 最近,中公文庫から秦郁彦編『太平洋戦争のif,絶対不敗は可能だったか?』という本が発売されました.
この本は,いわゆる架空戦記ではなく,本職の歴史研究者たちが太平洋戦争のifについて論じたものです.
その中に大木毅氏の
「海大方式によるハワイ作戦図上演習」
「海大方式によるミッドウェー作戦図上演習」
が掲載されています.
これは,1986年に野村実氏や秦郁彦氏や戸高一成氏といった専門家たちが,史実でも太平洋戦争中に日本海軍が使用した昭和十(1935)年頃の「兵棋演習規則」をベースに,実際に図演(図上演習)を再現して,真珠湾攻撃やミッドウェー作戦をシミュレートした体験談をまとめたものです.
興味深いのは,この図演で日本側司令官をプレイした秦郁彦氏が,史実でミッドウェー海戦前に行われた図演で宇垣纏がやり直しを命じた事件を,肯定するコメントを残していることです.
――――――
また,実際に図演を実行して分かったことだが,海軍の『図演規則』は当時すでに,航空機の進歩などで不合理な側面が出ていたはずで,半年後のミッドウェー図演で宇垣纏がやり直しを号令したのも,理解できるような気がする.
――――――p.125-126
秦氏の指摘するように,図演が作られた1930年代後半は,急速に航空機が発達した時代です.
自分でも秦氏の指摘で驚いたのですが,海軍が図演を製作してからわずか数年たらずで,図演と現実との間に乖離が生じているのです.
モーグリ in FAQ BBS,2010/6/29(火) 20:7
青文字:加筆改修部分
▲
【関連リンク】
「大東亜戦争史を語る会」:図上演習の経緯
【質問】
映画「太平洋の嵐」で,ミッドウェイに出撃していく空母機動部隊に対し,
「がんばれよー!」
と漁船のおっちゃん達が旗を振って声援を送り,艦上の将兵もそれに応えるシーンがあったのですが,軍施設や軍港近辺の住民に対しては,ある程度軍の行動や内情を知られることは止むを得ないとされていたのですか?
【回答】
基本的には秘密.
軍施設に働く者には緘口令が敷かれているし,軍施設周辺だけ列車の窓のブラインドを閉めさせたりして隠すことも多い.
だが,艦の移動やら何やらで,地元の人間はある程度は気付く.
あと,真珠湾の時は秘密が保たれていたが,ミッドウェイの時はかなり漏洩し,多くの民間人がミッドウェイ作戦について事前に知っていたという.
そもそも海軍記念日に堂々と出撃すれば,民間人も旗くらい振るよ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【珍説】
206 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/02/11(木)
00:15:35 ID:TuOf9QTB
>183
>霞ヶ浦の住人様
>ミッドウェイ作戦の時に,日本海軍が戦力を分散させたのは何故なのか,
>わかりません,教えてください.
霞ヶ浦の住人の回答.
将官が,勲章をもらいながら,怪我をしたくなかったからです.
説明.
戦艦部隊は,空母機動部隊の後方500kmを航行していました.
戦艦の速力と主砲の射程距離では,空母機動部隊が戦闘をしていても,何の援護もできません.
「戦力を分散させ」る結果となりました.
戦艦部隊が前を行き,その後方を空母機動部隊が行けば,戦力を集中できました.
ミッドウェー島の滑走路は,戦艦が砲撃するのです.
それを,敵航空機が攻撃してきたら,空母機動部隊の艦上機が助けます.
飛行機には,下士官兵か特務士官,あるいは兵学校出若い士官しか乗っていません.
戦艦には,海軍兵学校,海軍大学校出の将官が沢山乗っています.
彼らが,危険を冒さず,勲章を貰うには,戦艦部隊は,空母機動部隊の後方500kmを航行するのが良かったのです.
【事実】
はっきり言って,何度も論破してる珍説.
南雲艦隊が日没後,27ノットの速力でミッドウエーに接近してる事実を無視した珍説.
ミッドウエーは,日本軍の想定で600海里(実際は750海里)の哨戒圏を持っている以上,高速艦艇で夜間に距離を詰め,日の出と同時に艦載機の空襲圏内におさめないと,先手を取られる可能性が高くなります.
鈍足の戦艦を前に出すと,艦砲射撃のレンジに入るのに1日半かかり,日中空襲受け放題になってします.
そもそも500海里というのは,ミッドウエーの空襲を聞いて,太平洋艦隊主力がミッドウエーの救援に来る時間を計算しての距離なので,作戦構想自体は間違いでは有りません.
軍事板,2010/02/11(木)
青文字:加筆改修部分
【反論】
307 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/02/13(土) 15:53:35 ID:tP7aBOia
>306
>重雷艦をつれて来た,ってのは艦隊決戦(砲雷戦)やる気満々,って事だろ.
霞ヶ浦の住人の回答.
勲章をあげるためです.
説明.
重雷装艦は使い物になりませんでした.
そんな,戦力として使い物にならない艦艇を多数引き連れて,大名行列をしたのです.
そして,貴重な石油を浪費しました.
【再反論】
かすみんは,帝国海軍の対米基本ドクトリンが斬減邀撃戦だった,ってのをガン無視してるだろ.
基本的に優勢な戦力のアメリカ太平洋艦隊戦艦群を,航空機と潜水艦で削り,決戦前夜の一大水雷戦で削りして,ようやくイーブンか一寸有利くらいにしてから殴り合う.
ミッドウェーの時は,真珠湾で沈んだ戦艦群がまだ復旧しとらんから,丁度帝国海軍とアメリカ太平洋艦隊の力関係が逆転していると言える.
こっちが考えている事を向こうも考えているかもしれないとなれば,逆にこちらは斬減されない様にするにはどうすれば良いか,となる訳だろ.
で,当時は鉄砲屋がまだ強かったし,実際戦艦戦力は優勢だった訳だから,自信を持って殴り合いに行ける.
機動部隊は機動部隊同士でやれば良いし,機動部隊の戦力比もこっちが有利と思っていた訳だし.
戦艦群がでて来たら,それこそ斬減邀撃戦(航空機で削り,夜戦で削り)すれば良いわけだから.
大体,500kmなんて巡航16ノットで一昼夜かからん距離だぞ.
夜戦やるにしても殴り合うにしても,ちょうどいい距離だべさ.
軍事板,2010/02/14(日)
青文字:加筆改修部分
【反論】
212 名前: 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. 投稿日: 2010/02/11(木) 01:02:06 ID:TuOf9QTB
〔略〕
霞ヶ浦の回答.
>敵航空機が攻撃してきたら,空母機動部隊の艦上機が助けます.
敵が自分の思った通りに行動すると考える方が異常です.
説明.
戦艦の威力が及ぶ範囲は狭いのです.
だから,前に出さなくてはなりません.
空母は後ろに控えて,戦艦を援護するのです.
戦争では,常に敵の弱点を突こうと考えます.
その敵が,見方の思う通りに行動してくれると考える方が異常なのです.
【再反論】
>霞ヶ浦の回答.
>>敵航空機が攻撃してきたら,空母機動部隊の艦上機が助けます.
>敵が自分の思った通りに行動すると考える方が異常です.
それは,カスミンにそっくり返す言葉.
戦艦の上空に直援機がいるなら,近くに空母がいる証拠と,戦艦を無視して空母に空襲をかけるだけの話.
ニミッツが,スプルーアンスに「空母のみ攻撃しろ」と言ったのは,有名な話.
戦力が限られてる米軍が,バカ正直に戦艦を攻撃するわけないでしょう.
一方,日本軍は当時,
「それをやった(=戦艦を前衛とした)場合,戦力比が大きくなりすぎて,アメリカがミッドウェー防衛を諦めてしまう,
すなわち米艦隊との決戦という,一番やりたかったことができない」
と考えました.
また,
「戦艦群の護衛まで任されたら,機動部隊の行動が掣肘されすぎ,逆にアメリカ軍につけこまれる」
とも考えました.
日本軍がまず空母を出したのは,真っ先に制空権を獲得して,戦艦部隊その他に自由な行動をとらせるためでもあります.
制空権獲得段階では戦艦部隊は,かえって足手まといなのです.
日本軍は,ミッドウェー島に空母1隻分以上の戦力があり,またエンタープライズ・ホーネットの2空母が健在であったことも知っていました.
ヨークタウンの復活は,さすがに計算外でしたが.
南雲部隊の戦力は,これらに全力で当たる必要があり,戦艦の護衛に戦力を割くだけの余裕はありません.
そんな状態で戦艦を前に出しても戦艦か,南雲の空母か,いずれも直衛航空戦力が中途半端になり,どちらかが殺られます.
まずは南雲の自由な手腕で制空権,これが正道であり,当時の日米戦力を考えるなら間違いなく最善手です.
軍事板,2010/02/11(木)
青文字:加筆改修部分
【反論】
>「それをやった(=戦艦を前衛とした)場合,戦力比が大きくなりすぎて,
>アメリカがミッドウェー防衛を諦めてしまう,
> すなわち米艦隊との決戦という,一番やりたかったことができない」
霞ヶ浦の住人の回答.
非常に面白い考えです.
説明.
空母機動部隊はおとりであった.
おとりが強力すぎると,敵が攻撃してこない.
だから,軍事の基本である兵力の集中をしなかったというのですね?
当時の日本軍の考えか,現在の貴殿の考えか,いずれにしても,あほ過ぎます.
【再反論】
ミッドウエー攻略の目的の第1は敵艦隊撃滅.
島の攻略は第2なんだよ.
優先目標を引っ張り出すための作戦なんだよ.
そもそもが,島を襲撃して,太平洋艦隊を引っ張り出し,それを主力で叩くという作戦なのは,ミッドウエー関係の書籍にはどれも説明されてる.
まあ,結局は
「真珠湾から米空母が出るのは,ミッドウェーが攻撃された後」
という前提で立てられた計画なんだよね.
しかも,あわよくばダッチハーバー空襲やアッツ,キスカへの上陸で,一旦は北に釣られるかもしれないという希望的観測まで伴った.
それであれば,ミッドウェーの基地を最初に叩けば,当座の制空権は確保できる.
日没後,機動部隊の高速を利して,ミッドウェーを航空機の作戦行動半径内に収め,早朝一番に飛行場を爆撃して,機能喪失に追い込む.
あとは機動部隊は,敵空母がミッドウェー海域に進出してくるを待ち構える.
ミッドウェー攻略部隊,約1日分後方にいた主力艦隊が進出して支援する.
全然,論理構成に破綻なく,問題は無い.
問題だったのは,
・ミッドウェーの戦力が増強されており,飛行場を叩ききれなかったこと
・叩ききれなかったどころか,ミッドウェーからの航空機が反撃に来たこと
そして,何より,
・3隻の米空母が待ち伏せしていたこと
(まあ,これを言い出したら,珊瑚海で,5航戦が使えなくなり,祥鳳が沈んだ事も誤算だよね.
1,2,5航戦を主隊に龍驤,隼鷹,祥鳳,瑞鳳で,もう1グループ機動部隊を投入できれば・・・って,どう考えても後知恵の夢物語でしかないけど)
「ミッドウェーが機能喪失しなかったらどうするか」
「米空母の進出が早かったらどうするか」
批判するなら,ここんとこを想定していなかった点になるだろ.
これらを想定するのは,難しいことだとは思うけどね.
ニミッツが,暗号を解読できても,
「降り掛かる災厄を,事前に知ったようなもの」,
勝利に対しても,
「幸運だった」
と,後に書いていることも忘れちゃいかんよね.
軍事板,2010/02/11(木)
青文字:加筆改修部分
【反論】
275 名前: 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. 投稿日: 2010/02/13(土) 02:20:14 ID:tP7aBOia
〔略〕
ミッドウェー海戦で,日本海軍が兵力の集中をしていれば,楽に勝てました.
兵力の集中をしなかったから負けたのです.
空母機動部隊の爆弾の換装など,真の原因ではないのです.
主力部隊の配置も,兵力の集中の問題に含まれます.
主力部隊(戦艦群)は遊兵になってしまったのです.
砲の射程距離が短く,艦の速力が遅い戦艦群こそ,前に出すべきでした.
そうすれば,戦力として有効に活用できたのです.
【再反論】
それは,緒戦で空母部隊が壊滅したことによる結果論.
「彼我の状況を加味した戦果・損害の算出判定が面倒だ,敵を圧倒する大兵力を投ずれば勝てるだろ」
と言ってるとしか.
戦艦部隊は,ミッドウエー攻撃後にその知らせを聞いて,出てくると予測した米太平洋艦隊の相手をすることが目的の部隊.
後知恵前提でグダグダいうのは,最低の行為だぞ.
日本海軍の立場だと,戦艦を前に出すと,1昼夜,戦艦を空襲圏内に行動させることになり,すでにマレー沖海戦で,航行中の戦艦すら,撃沈可能と証明されているので,そのような行動はとりつらい.
それと,2個航空戦隊程度の保有機では,2艦隊分の上空援護は,物理的に無理.
で,何度も言われてると思うのだが,史実通りの編成で主力を前方配置した場合は,結果はどうなるの?
米機動部隊は空母以外相手にするなと厳命されてたのなら,艦載機群は戦艦部隊は無視ですよね?
どうなるのかこれまで提示された記憶はありませんが,予想結果は如何に?
軍事板,2010/02/13(土)
青文字:加筆改修部分
【反論】
291 名前: 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. 投稿日: 2010/02/13(土) 08:15:32 ID:tP7aBOia
〔略〕
マリアナ沖海戦では,戦艦群を前に出しています.
説明.
貴殿と違い,日本海軍はミッドウェー海戦の布陣を反省しました.
マリアナ沖海戦では,戦艦群を前にしました.
しかし,戦艦群の指揮官がいつも逃げ腰の栗田提督でした.
結局は,後方に隠れましたが.
とにかく,ミッドウェー海戦で500km後方を行ったのは,異常です.
【再反論】
だからそれは,マリアナ沖海戦がミッドウェイ海戦の前に起こってるのならともかく,その反省と2年間の実戦経験で組まれた陣形だろ.
後知恵なら何とでも言えるよ.
それにマリアナで前衛部隊は,アメリカの攻撃隊に無視され,味方の攻撃隊を誤射してる.
あと,離れた位置の艦隊にCAP送ろうとすれば,無線での位置確認が必須になる.
それも無視してグダグダいうのは,後出しじゃんけん.
それと何度もいうが,500km離れてたのは,「ミッドウェイ攻撃を聞いて大慌てで出撃してくるアメリカ太平洋艦隊」との決戦用.
結果的に遊兵になっただけ.
ミッドウェイの空襲圏内に 1昼夜,脆弱な空母機動部隊を行動させるなんて馬鹿な作戦は,さすがにGFですらとらないよ.
機動部隊は,ミッドウェイの哨戒圏に飛び込むときのタイミングに苦労してるんだぞ.
軍事板,2010/02/13(土)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
>想像でいい加減なことを言うな.
>主力部隊・攻略部隊ともに敵艦掃討,ミッドウェー攻略支援というはっきりとした目的が与えられている.
霞ヶ浦の住人の回答.
>>625を再度掲載します.
>任務は,全般的支援です.
>「米艦隊と艦隊決戦をする」ためではありません.
>ミッドウェー島を砲撃するわけではありません.
>つまり,はっきりした目的は無かったのです.
攻略部隊は,ミッドウェー島の攻略という,はっきりした任務を与えられていました・
主力部隊(戦艦部隊)は,全般的支援という,意味不明な任務でした.
射程の短い大砲を積んだ戦艦が,航続距離の長い飛行機を積んだ空母の,後方,500kmを航行していました.
霞ヶ浦の住人 ◆iOtf3Y3z8I in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【事実】
艦隊決戦をするためです.
主力部隊はミッドウェー攻撃を知った米艦隊が真珠湾を出撃し,ミッドウェー来援に到着する頃に,同様に決戦海面に到着することを想定しています.
日本側の見通しが甘かったという批判なら理解しますが,はっきりした目的がなかったなどとヨタを飛ばすのはやめてください.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
――――――
聯合艦隊第二段作戦第二期兵力部署(部隊,主任務,作戦要領) ※N日を6月7日と予定す
主力部隊(全作戦支援)
1 主隊はN日「ミッドウェー」の北東約600浬に達し付近海面を機宜行動,主として攻略部隊を支援するとともに敵艦隊を捕捉撃滅す
敵艦隊出現せざればN+7日頃現地発内地西部に回航す
2 警戒部隊は主隊と行動を共にし特命によりN日「キスカ」島の南方500浬に達し北方部隊を支援すると共に敵艦隊捕捉撃滅に任じN+7日頃現地発伊勢湾又は陸奥湾方面に回航す
攻略部隊(1 「ミッドウェー」方面攻略 2 敵艦隊撃滅)
1 「キューア」島(N-1日)及び「ミッドウェー」(N日)を攻略すると共に航空基地,潜水艦基地を整備し防備施設を完成す
2 決戦兵力は「ミッドウェー」第一期施設概成(N+7日頃)迄付近海上に機宜行動,敵艦隊の捕捉撃滅に任じ爾後「トラック」に回航し第三期作戦準備を行う
機動部隊(1 「ミッドウェー」方面攻略 2 敵艦隊撃滅)
N-3日以降「ミッドウェー」を空襲し同島攻略を支援し爾後(N+7日頃迄)「ハワイ」群島方面に機宜行動,敵艦隊撃滅に任じ爾後「トラック」に回航し第三期作戦準備を行う
――――――
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
霞ヶ浦の住人の質問(反問).
日本海軍が,その主力部隊(戦艦部隊)を,わざわざ空母機動部隊の後方500kmに位置させた理由は何なのですか?
説明.
「同様に決戦海面に到着することを想定して」,足の速い空母機動部隊を500km前方へ行かせる.
足の遅い主力部隊(戦艦部隊)を500km後方を行かせる理由が,霞ヶ浦の住人に分かりません.
普通の考えでしたら,一緒に行かせるでしょう.
それがだめなら,足の遅い主力部隊(戦艦部隊)を先に行かせます.
霞ヶ浦の住人 ◆iOtf3Y3z8I in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【回答】
500kmという数字の意味をよく考えてください.
遠方に見えてわずか300浬弱.
18ノットの艦隊巡航速度で半日強で追いつける距離です(南雲部隊が同一海面に留まる前提ですが).
これは後方と言えるほど後方ではないのです.
戦略単位として考えるなら,半日強の時間差は部隊間距離として十分にアリです.
繰り返しますが,その見通しが甘かったという批判なら良いですが,理由がないなどとヨタ飛ばさないでください.
そもそも戦略機動力では,南雲部隊も主力部隊も巡航速度は変わりません.
どちらも足は十分に速いのです.
もっとも実際の戦闘においても,日本の戦艦部隊は25ノット前後の高速戦艦部隊であり,空母部隊が30ノットで動いたとしても,その差は5ノットでしかないのですが.
つまりあなたのいう足の速い遅いは,完全な先入観による誤解です.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
機動部隊を先行させたのは,発見される前に奇襲攻撃を行なって,滑走路等基地の攻撃能力を先制して奪うためなんだよ.
日没と同時に全速力で突っ込んで,払暁攻撃という手段は真珠湾攻撃で成功している.
米軍は暗号解読で待ち伏せをしていたため,昼夜の区別なく飛行艇を飛ばして哨戒していたから,結果的には失敗しているというだけ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
霞ヶ浦の住人の質問(反問).
それで,戦艦部隊の存在意義はあったのですか?
霞ヶ浦の住人 ◆iOtf3Y3z8I in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【回答】
あります.
米艦隊は戦艦の出撃も検討しており,南雲艦隊は戦艦以外にも2隻の米空母(ヨークタウンは想定外)と,ミッドウェー航空隊を相手取らねばなりませんから,それに対抗するのには完全に力不足です.
仮に米戦艦が現れないにしても,南雲艦隊の消耗を補うためにはやはり,別の艦隊が必要なことに変わりはありません.
ミッドウェー作戦は,どのみち南雲艦隊だけで完遂できるようなものではないのです.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェイ海戦では,日本海軍は戦艦を前衛にして,敵機の攻撃を吸収すればよかったのでは?
【回答】
まさに,よかったのにな,の結果で終わったと思うよ.
ニミッツは日本の空母を沈められればOKと思っていた.
ニミッツはスプルーアンス,フレッチャーの二人に
「空母以外,目もくれるな.空母を大事に持って帰れ」
と命令してる.
戦艦だけ突出しても,空母の位置の秘匿のために,スプルーアンス,フレッチャーは攻撃隊を出さない可能性が高い.
空母を発見できない場合には,米空母部隊は素直に後退するか,前日に発見済みの,上陸部隊を載せた輸送船団を攻撃してハワイに帰還するだけだろ.
そして,CAPを貼り付け続けない限り,ミッドウェーからの空襲のみで終始してたんじゃないかな.
南雲部隊への攻撃の結果からすれば,防空力の弱い戦艦隊と言っても,そんなに損害は大きくないだろうけど.
でも,確実に第1機動部隊から戦艦隊の上空にCAPを出すように,となるだろう.
そうなれば,今度は第1機動部隊の上空が,その分だけ不安になるよ.
軍事板,2010/02/11(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェイ海戦に出動した米艦隊は,第何艦隊?
【回答】
アメリカ海軍がナンバー艦隊を設置したのは1943年3月で,ミッドウェー海戦時のアメリカ海軍に,第○艦隊というのは存在しない.
第3艦隊は1943年3月,南太平洋部隊の改組によって誕生し,そのときの指揮官はハルゼー大将.
第5艦隊は1944.4.26,中部太平洋軍の改組によって誕生し,そのときの指揮官はスプルーアンス大将.
ただし,艦艇は艦隊に固定配備されてはおらず,たとえば第3艦隊を構成していた艦艇をスプルーアンス提督が指揮するときには,それが第5艦隊と呼称される.
ミッドウェイに出動したのは,
スプルーアンス少将のTF-16(第16任務部隊)
フレッチャー少将のTF-17(第17任務部隊)
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェー海戦での「利根」4号機の索敵に関する問題点を教えてください.
【回答】
海戦当日,何らかの理由で出発が30分送れ(0200出発),この機が米艦隊を発見
(0428発信.但し,重巡利根が旗艦である第八戦隊司令部転電して,空母赤城に届いたのは0500近く),
その50分後に米空母発見の報告が届いた為,
「利根四号機が正常に発進できて,30分早く米空母を発見できていれば……」
といわれているが,第四索敵線(計画では発進位置から方位100度で300海里飛び,そこから直角に左折して側程を60海里飛行,そこでさらに左折して母艦に向かい,索敵しながら帰投するコース)を飛んでいた利根四号機の最初の報告での米艦隊の位置(ミッドウェーより方位10度,距離240海里,針路150度,速力20ノット以上)が誤っており,実際の位置より60〜70浬北にずれており
(日本側がそれに気付いたのは,その後の索敵機(二式艦偵)の報告を受けてからで,発見時刻での発見位置を海図上でプロットしてみると,北側の五番索敵線を飛ぶ筑摩一号機の帰投路の下に入ってしまう計算になったとしている),
しかも受電後の一航艦司令部の判断は,この報告位置をもとになされたのだから,この誤報の影響は重大だったとしている.
この米艦隊の位置がずれていた原因については,利根四号機の乗組員
(機長は偵察員の一等飛行兵曹,操縦員と電信員は一等飛行兵)
がその後,全員戦死しているため,真の理由は不明だが,四号機の行動はこの作戦の明暗を分けたポイントとされ,戦後も研究されている,として,次の様な説を紹介している.
防研戦史叢書「ミッドウェー海戦」:
報告艦位の誤りは搭乗員の航法ミスではなく,作図上の誤りだとしている.
航法には海図ではなく,白紙に線だけを引いた白図を使用するが,出発時に書き込んだミッドウェーの位置が誤って著しく南にずれていたか,発艦位置が誤って大きく北に書き込んだのではないかと推定している
(緯度1度の誤りは60浬の誤差が生じる).
しかしこれでは,発見時刻の説明がつかなくなる為,もう一つの仮説として,もし四号機が帰路で発見したのであれば,予定されていた300海里に進出せず,何らかの理由で往路を短縮し,側程を飛んでから帰投したのだろう,と推測している.
第八戦隊の先任参謀であった土井美二氏:
四号機のコンパスの自差未修正が原因ではないかとしている.
内地出撃直前,訓練時に脚を追った搭載機があり,急いで代替機を取り寄せたが,無線通信機の調整は勿論,コンパスの自差測定もできないまま出撃したが,土井氏の記憶によればそれが利根四号機ではなかったか,としている.
海戦終了後の調整によると,同機のコンパスには東に約10度の自差があったが,搭乗員は自差不明だったので修正せずに飛行した事が明らかになった,としている.
ここで仮説を立て,四号機は出発が30分遅れたのでそれを取り戻す為,巡航速度より30ノット速い150ノット程度の速力を使用して2時間飛行,300海里の進出を果たしたと判断して側程を約30分飛び,そこからさらに左折して帰投コースにのせた頃に,米艦隊を発見したのではないかとしている.
しかし,それでは発見位置が東にずれるため,もう一つの仮説を立て,代替機速力計に誤差があったのではないかとしている.
その為に索敵飛行中,示度の狂いにより実速は130ノットくらいしか出しておらず,往航の実距離が短くなった,としており,さらに自差不明で飛行した為,南へ10度偏位しているコースを予定していたコースと判断し,報告したので発見位置が実際より北に甚だしくずれる事になったのだ,と説明している.
秦郁彦氏が,海上自衛隊幹部学校の「海幹校論評」昭和44年1月号に発表した研究:
磁針の示す偏差量は,地球上の地点や経年によって変化し,当時ミッドウェー近辺では約10度(正確には9度30分)東だった.
そこで機長は索敵コースを,磁針方位に換算済みの90度で与えられ,それを航法図板上に真方位で作図する際,東と西を錯覚し,90度は西へ修正済みの示度,と思い込んで「90−10」の80度を真方位としたのではないか,と推測している.
(この仮定コースだと米艦隊は報告通り,ミッドウェー島から約240海里の地点にある事になる)
以上,いずれの推論もキーとなる仮説をたてて究明に努めているが,一つのキーのみでは全体を明快に解く事ができず,解釈しきれない部分が残る事が難点だとしている.
ただ四号機は,時間的な遅れがあったせいか,あるいはその他の理由からか増速して進出距離をかなり短縮して側程に入り,帰投コースをとった事は確かのようであり,でなければ0428に敵艦隊を発見するはずがないとしている.
(もし四号機が所定のコースを飛んでいたら,往路先端に行き着くのは0400頃,
そこから側程を30分飛び,帰路に入って米艦隊上空付近に達するのは0530前後になってしまうとしている)
また,同機の敵艦隊発見後の戦務が,とやかく非難されている事についても,機長は階級こそ最上級下士官の一等飛行兵曹だったが,海軍に入って僅か4年の21歳の青年であり,しかも前の乗艦の沈没により,出撃一週間前に転勤してきたばかりで,利根にも第八戦隊にもまだ馴染んでおらず,こうした事情を考慮するとき,敵艦隊発見後の彼の接触行動は褒められてもよい,としており,それよりも経験の浅い若年下士官機長を最重要索敵線上に飛ばした事への反省が大事であり,もし飛ばさざるを得ない事情があったのならば,その不運を恨むべきではないか,としている.
余談ではあるが,この時の機長は,渡辺洋二「彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団」(光人社NF文庫)(P204-206)によると芙蓉部隊の一員として沖縄戦を戦っており,米機動部隊索敵任務においてその位置を報告するも撃墜され戦死しており,乗機こそ異なる(この時は彗星艦爆)が「『空母発見』の最重要電を二度も送って,海中に没したのだ.」としている.
【参考ページ】
『海軍航空の基礎知識 ネイバル・エビエーションものしり物語』(雨倉孝之著,光人社NF文庫,2009.10),p..299-306
海軍航空隊の起源である「海軍航空術研究会」の創設から敗戦までの歴史や組織,教育や制度などを纏めた一冊です.
グンジ in mixi,2009年10月11日15:13
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェー海戦についてなのですが,
1 日本機動艦隊から第1次攻撃隊がミッドウェー攻撃に向かう.第2次攻撃隊は対艦兵装で待機.
2 米艦隊は見つからない.第1次攻撃隊から,ミッドウェーに更なる攻撃を加えるべきとの連絡が入る.
第2次攻撃隊を対艦兵装から対地兵装に交換する.
3 交換し終わった頃に米機動艦隊発見の報告が入る.エライコッチャ!
ここまでは分かったのですが,この後,南雲中将が待機中の第2次攻撃隊に対地兵装から対艦兵装への交換を命じています.
一方,山口司令は,対地兵装のままで良いから今すぐ発進させよう,と言っています.
そこで質問なのですが,
1 なぜ,南雲中将は山口司令の進言を退け,対艦兵装への交換を強行したのですか? 交換しているうちに間に合わなくなったらどうしよう,とは考えなかったのでしょうか?
2 1の理由は南雲中将自身の口から語られた事はあったでしょうか?
3 もし,対地兵装のまま即座に攻撃隊を発進させていたら,日本側空母損失と言う大敗を防ぐ可能性は高かったでしょうか?
【回答】
1.
空母航空戦においては航空機の損耗が著しく,仮に先制して敵に有効打を与え得ても,味方の攻撃隊に大きな損害が出る可能性が非常に高い.
従って,攻撃結果が不十分な物でも 第二撃をかけ得るかは不確定.
結局の処,両者の意見の行き着くところは
「初撃でしくじれば,主導権は敵に移る」
という点で一致している.
その上で,南雲はより確実な対艦兵装への換装を,山口はまず一太刀を浴びせて戦機を掴む事を志向したと言う事.
巧遅か拙速かの結果は知っての通りだが,「どちらが正しかったか?」などという話は結果論.
仮に山口の意見を容れて対地装備で攻撃を行なったとしたら,
「あの時,時間をかけてでも対艦装備に換装していたら」
という批判を行なう奴がきっと居るだろう.
全ては後知恵.
2.
南雲自身が戦死してるから不明.
3.
1.を参照.
言い出したらキリがない.
軍事板,2005/09/23(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
有名な,ミッドウェイ海戦で明暗を分けることになった爆弾から魚雷への交換ですが,雷装のために必要な「調停作業」は,具体的にどういう作業をするのでしょうか?
基本的には,速力や深度の設定だと思うのですが,何故そこまで時間が掛かるのかな?,と.設定ダイヤルみたいなものがあって,それをまわせば終了,というイメージがあるので,ちょっと合点が行きません.
【回答】
250kgや500kgの爆弾を取り外し,800kgの魚雷を取り付ける作業をするため,外した爆弾は弾薬庫へしまわなきゃならんし,付けるのは持ってこなきゃならん.
弾薬庫からの揚弾路は各機の側じゃないから,移動も行う必要がある.
以上を攻撃隊の分だけ,概ね人力でやらなきゃならんのよ.
しかも爆弾架や魚雷架は,日本特有の理由(笑)で各機体間で互換性無し.
慎重を要する信管着脱以外にも,こんだけ面倒な作業があったのだから,時間が掛かるのも仕方ない.
なお,調定は魚雷表面の穴からレンチを突っ込んで行う.
剥き出しのダイヤルだと水圧で回りかねないし,蓋構造も外れると抵抗になってちゃんと進まなくなるから.
調定だけで時間を潰した訳じゃないってこった.
軍事板,2006/02/19(日)
青文字:加筆改修部分
▼ そもそも「運命の5分間」なんて,戦史叢書ですら「でたらめ」と記述してる.
巷間の通説を具体的に否定する記述は,それほど多くない戦史叢書で,ここまではっきり言い切るのは,執筆者がよほど腹に据えかねたのだろう.
澤地久枝も,だいぶ前に否定していたが,それさえ「何を今更」ととられていた様だし.
生出寿が指摘していたっけか.
もっとも,バランタイン版日本訳が第二次世界大戦ブックス「ミッドウェイ」として出たときは,“運命の3秒間”って謳ってたけどな.
軍事板,2011/06/13(月)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
ミッドウェー海戦時の南雲艦隊における,直援機運用状況を教えられたし.
【回答】
以下,秋本実氏の「日本軍用機航空戦全史」が基礎資料.
4日午前4時(現地時間午前7時),ミッドウェー島よりの攻撃隊来襲.
直掩34機 赤城9・加賀7・蒼龍9・飛龍7・六空2
第一波攻撃終了直後,約半数が着艦・補給,第二波来襲に応じて可動全機が発艦.
ミッドウェー攻撃隊の帰投零戦隊も防空戦闘に参加.
損害3(飛龍2−児玉飛曹長,酒井二飛曹,赤城1−羽生三飛曹戦死)
第二波攻撃終了後,直衛隊の半数が着艦・補給.
午前6時18分(現地時間午前9時18分),ホーネット発進の雷撃隊15機来襲.
加賀より6機発進,直衛隊約20機に.
赤城より5機,飛龍より7機発進.
エンタープライズ雷撃隊14機来襲.
赤城より3機,蒼龍より3機発進,赤城隊2機が補給のため着艦.
午前7時,加賀・蒼龍隊計9機発進.
蒼龍はさらに3機発進.
この時点で直衛隊は少なくとも,34機以上が上空にあった.
午前7時15分(現地時間午前10時15分),空母機による第二波空襲.
赤城,加賀,蒼龍被弾.
赤城より被弾前に1機発進(味方対空砲火により被弾損傷,飛龍に着艦)
母艦機との戦闘により,損害9
(赤城1−佐野一飛,加賀4−山口特務少尉,平山一飛曹,澤野二飛曹,高橋一飛,蒼龍2−川俣三飛曹,長澤三飛曹,飛龍2−日野一飛曹,徳田一飛曹)
その後,飛龍の直衛隊は午前9時までは5機.
9から10時は13機.
10時以降は8機.
午後0時45分時点で5機.
1時12分,8機を発進させ計13機.
1時40分,SBDの編隊を発見(艦隊側は気づかず)
2時1分,飛龍への攻撃開始.
2時3分,飛龍被弾.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェー海戦の日本空母において,主機関が無事だったにも関わらず,運転が不能になったのは何故か?
【回答】
リスク対策の検討が不十分な結果,片舷のみからしか給気できなかったため,その付近に火災が生じると,熱風が機関部に侵入するようになっていたためだという.
以下引用.
------------
戦前に設計された日本空母は,機械室,缶室など機関部への給気取り入れ孔を煙突の反対舷,すなわち左舷側にのみ設置していた.
このためミッドウェー海戦では,その付近に生じた猛烈な火災の熱風が機関部に侵入し,多くの機関科員を殺傷して,主機関は無事だが運転は不能になった.
この痛烈な戦訓により,各空母には右舷にも給気取り入れ孔が設けられ,左右いずれの舷からも給気が得られるように改正された.
これなどは,平素から空母に起こりうるリスク対策を綿密に検討していれば,予め気付いて改善しておけた事柄である.
そのほか日本の空母には,被害時の消火用動力の確保など,平時に見逃されていた防御に関わる配慮不足の事項が散見され,これが脆弱性を高める結果となっていた.
------------「世界の艦船」2005年4月号,p.90(安部安雄著述)
▼ 飛龍から脱出し漂流後,捕虜となった機関科員の手記を読んだのだが,機関室から上部へと出る通路に積まれていた,米と麦の袋が燃え上がり,行く手を阻まれたとか.
退艦命令直前,艦長命令で救出に赴いた連中も,この火災のおかげで辿り着けず.
あやうく主食に殺されかけたというお話・・・・
軍艦の食料倉庫って狭いのかな.
軍事板,2003/12/10
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
ミッドウェイ海戦で日本は多数の航空機とベテラン・パイロットを失い,結局その穴を埋めることができなかったのがひとつの敗因といわれているが,空母4隻だと飛行機120機にパイロット150人くらい? みんな船と一緒に沈んじゃったのかな?
飛行機はともかく,パイロットは半分くらいは逃げれそうなんだけど・・・
【回答】
搭乗員はミッドウェイ海戦ではそれ程損失はしていません.
ミッドウェイ海戦での搭乗員の戦死は,121人.
艦上戦闘機はパイロット一人で飛ばせるが,爆撃機では二人,攻撃機では三人の搭乗員が必要(いずれも単なる乗客ではなく,長年の訓練を受けた要員なので,おいそれとは養成できない).
むしろ,その後のガダルカナル島をめぐるソロモン海での攻防で消耗してしまい,南太平洋海戦において,真珠湾以来のベテランは殆んどいなくなってしまいました.
軍事板
『鳳翔』索敵機が撮影した空母『飛龍』最期の姿
(うそ)
(本当)
http://nikuman-69gou.iza.ne.jp/blog/entry/150731/
【質問】
太平洋戦争でミッドウェー海戦が戦局を一変させたと誰もがそう言いますが,なんでミッドウェー海戦が戦局を一変させたんでしょうか?
日本側の支店でお願いします.
【回答】
・連戦連勝だった日本海軍の流れを変える初の大敗
・痛恨の空母喪失
・熟練パイロット大量喪失の第一段
搭乗員の喪失は合計113名.
「たった100人」と思う人がいるかもしれないが,これは中型正規空母以下なら1隻に相当し,大型でもかなりの割合を満たす事ができる数だ.
しかも日本海軍は米軍と異なり,パイロット急速補充が困難だったことを忘れてはならない.
ただし,もともと日本側の上層部も,圧倒的に国力の勝るアメリカと長期間の戦争を続ける限り,いつかこの日が来るのはわかっていた.
ミッドウェーで負けたから戦争に負けたというより,ミッドウェーまでに勝ちきれなかったから戦争に負けたといえる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
なんでミッドウェー海戦以後,攻守が逆転したんでしょうか?
日本は空母4隻を失いましたがまだまだ空母保有数や艦艇の数ではアメリカを上回ってたと思います.
空母だけで言うと翔鶴,瑞鶴の正規空母2隻も健在です.
【回答】
4隻の最精鋭の空母を失い,翔鶴も珊瑚海で大損害を受け,すぐに作戦できる状態ではありません.
珊瑚海海戦では被撃墜以外に損傷機多数が処分されてしまい,瑞鶴もミッドウェーに参加などとてもできなかった.
(初期のスケールアヴィエーション誌に掲載された当時の艦攻搭乗員のインタビューに詳しい)
それでも整備が済めば当面は互角に戦える戦力は残ってますし,実際にソロモンでは正面切って戦えてはいます.
ただ,うかつに攻勢に出てミッドウェーのような失敗をやったら,それで日本はお手上げです.
また,圧倒的優勢は崩れてますから,どこかに部隊を出せば隙ができやすく,東京空襲のように電撃的な反攻作戦を行われる可能性もあり,動きにくいです.
ミッドウェーで負けたことで,早期講和の可能性は失われており,攻勢に出る意味も減ってます.
むしろ,占領地を広げるほど隙が出来やすくなり,困ります.
そんなわけで,日本が戦力の整備と持久・迎撃への戦略の修正をしてるうちに,連合軍のほうが攻めてきました.
すなわち攻守入れ替え.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ミッドウェー海戦で日本が勝利(主力空母4隻健在でミッドウェー島を占領)した場合,日本はどこまで進攻することができたでしょうか?
また戦争に勝利することはできたでしょうか?
自分の考えとしてはハワイまでは攻略できて,その場合,アメリカと一応の講和はできたと思ってます.
【回答】
ミッドウエーが限界.というか,ミッドウエーでも限界を超えてる.
ミッドウエー時点でオアフ島には,完全編成の陸軍3個師団が待機中.
さらに航空機500機前後が配備されている.
おまけに太平洋艦隊の戦艦も,すでに7隻まで回復しており,ミッドウエーが陥落すると大西洋から戦艦,空母はすべて回してきかねない.
日本にはそれに対抗できるだけの艦船も,陸軍を輸送する船舶もなかった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
陸軍はミッドウエー海戦の大敗北等の,海軍の失態を把握していたんでしょうか?
【回答】
少なくともミッドウェー海戦の敗北に関しては,直後に陸軍に伝えられています.
戦史叢書「大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和十八年一月まで」p10から引用.
――――――
六月六日午前,軍令部第一課は参謀本部作戦課長以下の来部を求めて,戦況を説明するとともにF・S作戦を延期すべき意見を述べた.その情況は左のとおりであった.
[出典:「井本日誌」 当時,参謀本部第二課部員井本熊男中佐(のち大佐)の業務日誌]
海軍ノ面持沈痛也 山本中佐より「ミッドウェー」方面ノ戦況ヲ説明ス 昨五日ヨリ本日ニカケ航空作戦ヲ実施 戦況不利ニシテ赤城,加賀,蒼龍,飛龍ノ四隻沈没シ 聯合艦隊ハ戦を離脱シテ布哇西方約一千浬ニ集結中也(中略)F・S作戦ハ一時中止 Fハ少クモ二ヶ月延期スルコトトナル(軍令部一課ノ意見)
この敗戦は陸軍部にとっても,まさに青天の霹靂であり,田中作戦部長を
「思いもかけぬ大敗北,太平洋の覇業潰えたり」
と嘆でしめ,杉山参謀総長は暗然として
「永野総長の二年間の保証が破れた.
屈敵の方法を太平洋以外に選ばなければならなくなった」
と述べた.
[出典:「田中新一中将業務日誌」 当時,参謀本部第一部長田中新一少将(のち中将)の業務日誌]
――――――
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
現在,ミッドウェー島は軍事基地として利用されていないと聞きましたが何故でしょうか?
【回答】
厳密にはミッドウェー「諸」島.
あそこは本当に滑走路があるだけの島々で,滑走路も短いから,現代の航空機を運用するには手狭.
日本は同盟国だし,ロシアの極東戦力も低下したし,中国相手ならグアム,沖縄があるから運用価値が低下した為.
あと,ミッドウェイ基地の運用上の問題点としては,嘘みたいな話ですが,アホウドリが多すぎるというのもあったようです.
あの島は海鳥の一大繁殖地なんです.繁殖・抱卵・子育て時期には島中に海鳥だらけになります.
困ったことに,海鳥は基地の敷地だろうと滑走路だろうとお構いなしに巣を造るんですな.
この連中をジェットエンジンに吸い込んだらエンジンが壊れるんで,兵隊さんたちは滑走路上の鳥さん達を保護して基地の外に移動させなけりゃならなかったのです.
2004年1月にも,コンチネンタル航空のB777がエンジン故障で緊急着陸し,現地で無事修理したまでは良かったのですが,離陸するときアホウドリを遠ざけるのに一苦労だったそうな.
で結局,海軍基地として利用したのは1993年までで,その後,野生動物保護区になったようです.
ちょっと前まで観光地として民間企業が管理してたんですが,それも撤退し,現在は鳥類学者と最低限の管理用員しかいないそうです.
詳しくはこちら.
【質問】
ダッチハーバー空襲の被害について教えてください.
【回答】
英語版Wikipediaによれば戦果は,
第一次攻撃
・陸軍兵舎(戦死25),燃料タンク,通信施設に損傷.
第二次攻撃
・燃料タンク炎上.飛行場格納庫,陸軍兵舎など損傷.
・P-40戦闘機4機墜落.ほか航空機10機が地上撃破.
・商船「Northwestern」大破.
人的損害は全部で戦死78人.
負傷者数不明.
軍事板,2010/11/14(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
海軍甲事件って何?
【回答】
連合艦隊司令長官山本五十六大将は,昭和18年4月18日,アメリカ戦闘機の奇襲を受けて戦死した.
これが海軍甲事件と秘称された.
米軍側撮影した太平洋艦隊の秘録フィルムが,テレビなどで映写される際,画面に山本司令長官の乗る一式陸上攻撃機が,アメリカ陸軍戦闘機の攻撃を受けて火を吹く,痛ましい光景が映しだされることがある.
昭和18年4月7日,ソロモン,ニューギニア方面に対する海軍航空兵力による「い」号作戦が開始され,満足すべき結果を得て16日に終了した.
その間,山本長官は,トラック島に在箔連合艦隊旗艦「武蔵」を離れ,「い」号作戦を直接指揮する為,幕僚を従えてラバウル基地に来ていた.
長官は,ブーゲンビル島,ショートランド島の前線基地の将兵の労をねぎらうため,ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地をへて,ショートランド島の近くにあるパラレ島基地に赴く予定を立てた.
その前線視察計画は,艦隊司令部から関係方面に打電された.
当時,その方面は日本海軍も制空権下にあり,飛来する敵機は高高度から単機で偵察行動をするP-38ライトニング程度で,少しの危機感もなかった.
長官らんぽ便乗機は一式陸上攻撃機2機で,一番機に山本長官と幕僚,2番機には参謀長宇垣纏中将ほか幕僚が乗った.
4月18日午前6時,長官機,参謀長機は,6機の零式艦上戦闘機の護衛のもと,ラバウル基地を出発,ブイン基地に向かった.
ブイン到着は8時と予定されていた.
機がブイン基地に近づいたとき,突然,P-38ライトニング16機が長官機と参謀長機を襲い,長官機はジャングルに墜落,参謀長機は海上に不時着した.
長官機の搭乗者は,山本司令長官以下全員戦死.
参謀長機では宇垣参謀長,北村艦隊主計長,主操縦員林浩2飛曹が救助され,他は戦死した.
この奇襲は,戦後,日本海軍の暗号がアメリカ側に解読されていたことによって計画されたことが明らかになった.
軍事板,2003/05/13
青文字:加筆改修部分
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__〉 { (T´ |1:::. \_>、};;_」 { 〉 { | i__1〉 {
'ー‐┘ ! ` ̄''ァ一 、\ ヽ} ←山本五十六 _ゝ_/ ノ ‐┘ ←P−38御一行様
〈` ̄ ̄^`¬ノ .::〔 ̄´ .L__jイ´_ )
1 ヽ .:::レ ヽ, | イ
|_イー-、_;;j|_:. ゝ, | ノ--、
__,,,... -- |. {―――‐フゝ, 〉 -- ...,,,__ ゝ、___ノ二7
_,, -‐ ´ ,r|__ト, 1ニノ ー'´ ` ‐- ,,_ |ーi | l_/
.,'' ´ rー、 └―'rー、 rー、 rー、 '_ 〉 {
. ,;」´ ̄`lー) \ 」´ ̄`lー) \ 」´ ̄`lー) \ 」´ ̄`lー) \'; 'ー‐┘
軍事板,2003/02/24
青文字:加筆改修部分
【質問】
第1次ソロモン海戦(ツラギ沖海戦,連合軍側呼称:サボ島沖海戦)って何?
【回答】
ガダルカナル攻防戦の第1ラウンドで,夜間水上戦闘において日本海軍が完勝した戦いです.
1942/8/7にガ島に上陸した米軍に反応して出撃した,三川軍一中将率いる第8艦隊(巡洋艦)は,8日深夜〜9日未明にかけ,ガダルカナル島対岸のサボ島沖にて米艦隊と交戦,損害が旗艦鳥海が数発の命中弾を受けただけなのに対し,巡4隻撃沈、1隻撃破という戦果を挙げました.
しかし夜明け後の空襲を恐れた三川艦隊は,米軍輸送船団を攻撃することなくラバウルに引き返し,ゆえに米軍上陸部隊に打撃を与えることはできませんでした.
【参考ページ】
http://homepage2.nifty.com/DIG-Japan/term25.htm
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ta/solomon1.html
http://miizu.hp.infoseek.co.jp/kaisensi/soromon1.htm
http://www.netlaputa.ne.jp/~kitsch/ww2/jikoh/soromon1.htm
http://sidenkai21.cocot.jp/m611.html
あれって見事に、大戦に参加した軽巡と重巡の初代がそろってたんだっけか。
あとで米軍関係者かジャーナリストだっけかが、艦艇の製造年月日しらべて「しんじられな〜〜い!」と嘆いてたとかなんとか・・・・^^;
駆逐艦も、古いしなあ・・・^^;
へち in mixi,2008年11月30日 16:56
あそこで早川艦長の意見具申を受け入れたら……
まあタラレバですが.
ただこれで,神タンが調子に乗(ry
島の人 in mixi,2008年12月01日 09:52
ツラギ島
(画像掲示板より引用)
【質問】
第一次ソロモン海戦時,日本海軍の第6戦隊は第1艦隊の所管だったのに,どうして第8艦隊と同一行動を取ったんでしょうか?
【回答】
加古の1次ソロモン海戦戦闘詳報・計画の項に,以下の記述があるので,回答になろうかと….
> 本艦は第6戦隊2番艦として外南洋部隊に属し,第8艦隊司令長官の作戦指揮を受け,リ号研究作戦の支援に任じありしが…(後略
第6戦隊は第1艦隊と分離前進し,ショートランドやクインカロラを拠点としてリ号作戦(陸軍の陸路経由モレスビー後略作戦)の支援・視察を命じられていました.
のちに鳥海を旗艦とする第8艦隊が編制され,ソロモンの最前線に送られたわけですが,任地がほとんどかぶることから,トラックの第1艦隊よりも第8艦隊の指揮下のほうが好都合だとして臨時的に組み込まれたもので,あくまでも所管は第1艦隊です.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/10/23(日)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
真珠湾攻撃の当日,日米開戦の日にアメリカ全潜水艦は専ら日本の戦闘艦を避けて,商船を撃沈するよう指令を受けている.
主目標は戦略物資より日本人の船員船客であったと思われる.病院船・俘虜救恤船・連絡船・学童疎開船に至るまで,徹底して次々と標的にされ,なす術もなかったのだ.
日本海軍は非武装や無防備の相手を攻撃することを潔しとしなかった.
三川艦隊は敵艦を撃滅して帰還の途中,28隻もの輸送船団を傍目にしながら見逃している.武士の情けをかけたのだが,結果は敵に獲物を与えてしまった.
この場合,情けは友軍のためにならなかった.
これはガダルカナルの出来事である.
この直後,日本の輸送船団は一隻残らず撃沈されてしまった.
兵力の差は圧倒的なものとなってしまった.
(三好誠著「戦争プロパガンダの嘘を暴く」,展転社,2005/4/1,p.135)
【事実】
三川艦隊は,米空母機からの攻撃をさけるために転針したに過ぎません.
▼ また,歴史家サミュエル・モリソンによれば,
――――――
この頃〔海戦終盤〕になると,日本艦隊の序列は乱れていた.
各艦が,それぞれにとって最良の態勢で射撃すべく行動していたからである.
三川提督は,彼の全艦の居場所を確実につかんでいなかった.
そこで0228,三川提督は全艦に対し,サボ島北西で艦列をととのえよと命令した.
三川が彼の戦闘計画の第2部を実施し,ほとんど無防備の輸送船団に攻撃をかけようといとしていたことは明らかである.
――――――『モリソンの太平洋海戦史』(Samuel Eliot Morison著,光人社,2003.8.31),p.167
と述べられており,攻撃の意思があった以上,「武士の情けで見逃した」などというのは妄想以外の何物でもないと言えるでしょう.▲
米艦隊を撃滅したとき,既に夜が明けかかっていたからです.
そもそも,三川中将の作戦は,夜襲によって上陸中のアメリカ軍輸送船団を撃破,夜明け前には退却し,アメリカの空母からの攻撃を免れようというものした.
自艦隊には空母がいなかったためです.
ガダルカナルは空爆されており,アメリカ艦隊には空母がいることが明白でした.
(もっとも,このとき米空母は,ラバウルから発進した航空隊約40機と,エンタープライズ,サラトガの戦闘機隊との交戦の結果,これを脅威に感じて戦線から離れておりました.
そのため,その後,三川中将は多くの批判を浴びることになります)
このときの三川中将の判断に,武士道観が影響していなかったかどうかは何とも言えませんが,それが動機でなかったことだけは確かでしょう.
【質問】
サボ島沖海戦について教えてください.
【回答】
1942/10/11深夜から翌日未明にかけ,ガダルカナルへの輸送隊支援のため,ヘンダーソン飛行場砲撃を企図していた日本海軍艦隊(CA×3,DD×2)と,航空偵察によってそれを察知していた米海軍艦隊(CA×2,CL2×2,DD×5)との間で起きた夜戦.
日本艦隊は米艦隊を味方輸送隊と誤認して,米海軍に先手をとられた形となり,結果,初めて夜戦で日本海軍が敗北することとなったが,輸送作戦のほうは成功し,作戦目的を果たしている.
宇垣参謀長は日誌「戦藻録」の中で,米軍が夜戦を挑んでこないだろうと判断したという,第六戦隊司令官五藤少将の慢心を,批判した一文を遺している.
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当時の戦況を仄聞(そくぶん)するに無用心の限り,人を見たら泥棒と思へと同じく,夜間に於(おい)て物を見たら敵と思へと考へなく,一,二番艦集中攻撃を蒙(かうむ )るに至れるもの,殆ど衣笠一艦の戦闘と云ふべし.
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なお,米軍側の呼称では,サボ島沖海戦のことは「Battle
of Cape Esperance エスペランス岬海戦」と呼ばれる.
米軍側の言うサボ島海戦は,日本軍側呼称では第一次ソロモン海戦のことなので注意.
ブラウザ・ゲーム板,2013/11/13(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ワレアオバ ワレアオバ」ってなんですか?
【回答】
1942年のサボ島沖海戦で,日本海軍の巡洋艦部隊はアメリカ軍の巡洋艦部隊を,味方の輸送船と誤認して発光信号を送った.
それに対する返事は徹底的な砲撃で,日本側は司令官重傷(後に死亡)をはじめ,各艦くまなく砲弾を食らって大損害を出した.
その時の日本艦隊の旗艦が巡洋艦「青葉」で,打った信号が「ワレアオバ ワレアオバ」.
補足すると,「ワレアオバ」の信号は,攻撃されてから打ったもの.
攻撃された日本側の司令官は
「味方に撃たれた」
と信じていて,
「味方だから撃つな!」
の意味で
「ワレアオバ」
と打たせ続けた.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第3次ソロモン海戦(1942.11.12-15)における,駆逐艦「夕立」の活躍について教えてください.
【回答】
第3次ソロモン海戦は,ガダルカナルへの艦砲射撃を敢行しようとした日本艦隊と,それを阻止しようとした米艦隊との戦いですが,この第一次夜戦(11/13)において,日本艦隊は闇夜だったため,ガダルカナル砲撃直前に米艦隊と遭遇,乱戦となりました.
『比叡』が探照灯を照らし,米軍艦隊を浮かび上がらせます.
そのとき『夕立』は,まさに背後から一方的に攻撃出来るベストポジションにいることに気づいたのです.
(駆逐艦)● (米巡)○
(比叡)● (米巡)○
(霧島)● (米巡)○ ●(夕立)
(駆逐艦)● (米巡)○
(駆逐艦)● (米巡)○
そこで夕立は,敵艦隊にあえて割って入りました.
距離2000m,『夕立』は軽巡『アトランタ』に向けて魚雷を発射.
これが命中して『アトランタ』は撃沈,
座乗の艦隊次席指揮官ノーマン・スコット少将,戦死.
『夕立』は続いて駆逐艦『バートン』に至近距離から魚雷2本を命中させ,これも轟沈.
さらに駆逐艦『アアロンワード』『カッシン』を,背後から砲撃してこれを大破させた後,軽巡『ジュノー』の艦橋にも砲弾を浴びせ,指揮系統を破壊します.
ただし夕立自体も,敵陣真っ只中にいたわけで,大破・航行不能となってしまったのだけど.
その後,乗員が「五月雨」によって救助された後,「夕立」は放棄.
「五月雨」が「夕立」を砲撃処分しようとしていたところ,米艦隊が現れたため,「五月雨」は退避.
「夕立」は結局,漂流していたところを米艦隊によって沈められた.
米艦隊はかなりの損害を受けたものの,日本艦隊のガダルカナル砲撃を阻止し,続く第二次夜戦(11/15)では,日本艦隊にも「比叡」「霧島」撃沈など大きな損害を与えたほか,日本軍輸送船団も壊滅させ,戦術的に勝利.
これ以降,日本海軍は水上戦闘艦隊と輸送船団によるガダルカナルへの兵站輸送を諦めて,駆逐艦や潜水艦による夜間輸送,いわゆる「鼠輸送」に切り替えることとなった.
ブラウザ・ゲーム板,2013/07/5(金)
青文字:加筆改修部分
▼ ただし,夕立の活躍に関する記述は,戦史に関する本に寄って内容が異なることに注意が必要です.
例えば「学研 金剛型戦艦決定版」という本にある第三次ソロモン海戦の記事では,アトランタに関して
『長良の砲撃(米側)もしくは比叡の主砲(日本側)で司令部が全滅し,その後魚雷が当たった為戦闘力を喪失し離脱』
とあり,当時天津風の艦長だった方が書いた「帝国海軍の最後」では,バートンは天津風が撃沈したとあります.
WDP in FAQ BBS,2015/7/18(土) 17:16
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
第三次ソロモン海戦における,駆逐艦「綾波」の活躍を教えてください.
【回答】
同海戦第2夜戦でのこと.
単艦でサボ島偵察中の「綾波」は,アメリカ艦隊(戦艦2隻,駆逐艦4隻)に遭遇した.
以下,そのときの状況を図解.
(米駆)○
(米駆)○
(米駆)○ ●(綾波) ●●●●(味方・霧島含む)
(米駆)○
(米戦艦)○
(米戦艦)○
▼ 第三水雷戦隊は形勢不利と見て,第二艦隊に合流すべく転進した為,「綾波」が単艦,取り残される形となったが,艦長・作間中佐は退避せず,単艦で水雷突撃を実施,三水戦に気を取られていた米艦隊へ奇襲に成功する.
「綾波」が距離500mから放った魚雷は,駆逐艦「ウォーク」「ベンハム」に命中し,両艦は瞬時に轟沈.
「綾波」が距離500mから放った魚雷は,駆逐艦「ウォーク」「ベンハム」に命中.
「ウォーク」は瞬時に轟沈し,「ベンハム」は大破(後刻,放棄・自沈)
さらに砲撃で駆逐艦「ブレストン」を沈没させ,駆逐艦「グラウィン」も撃破する.▲
しかし「綾波」も被害が大きく,総員退艦.
15日0時10分,大爆発を起こした「綾波」は,救援に駆けつけてきた僚艦「浦波」に見まもられながら,ソロモンの海に姿を消した.
552 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2008/10/13(月) 09:33:50 ID:ICJaokBF0
こないだこんな状況に…
俺…○
暴走族…●
○ ○ ○
○● ○
○○○
○ ○ ○
さすがに命の危険を感じました.
【参考ページ】
http://www.down.ne.jp/ish/ijn/ddhist/fubuki.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/9694/ayanamit.htm
ブラウザ・ゲーム板,2013/07/5(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「プライベートライアン」の元ネタ(?)になった,米海軍での兄弟全滅事件について教えてください.
【回答】
サリバン兄弟事件
第3次ソロモン海戦(1942/11/13)において,巡洋艦ジュノーに乗ってた5人兄弟が,沈没の際に全員戦死.
これに米国世論が沸騰し,大センセーションを起こした.
米海軍では兄弟を別のフネに分けて乗せねばならないっつー規定が出来たぐらいの.
ちなみに,このサリヴァン兄弟にちなんでUSS Sullivans (DDG68)と命名された駆逐艦がある.
青文字:加筆改修部分
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