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「Togetter」◆(2013/07/20) まるまんちぇーだ氏の御祖父様の太平洋戦争〜米海軍パイロットの呉軍港空襲と大和攻撃〜

「泳ぐやる夫シアター」◆(2012/04/08)坊ノ岬沖海戦にやる夫達は参加するようです 前編


 【質問】
 大和出撃は特攻ではなかったのでは?

 燃料は備蓄に余裕の無い中,本土と沖縄を何往復もできるだけの量を積んでいたし,上陸した際に備えて軍資金まで用意していた.
 海軍は必ず沈むとは考えていなかった.

 もちろん敵艦載機の攻撃を受ければ,戦闘機の直援のない戦艦はひとたまりもないのはわかっていたが,当時の艦載機は基本的に雨天や夜間には作戦できないという欠点もあって,大和の出撃は梅雨時の天候不順な時期を見計らって行われている.
 危険な昼間は雨天で空襲を交わし,あとは夜間を利用して目的地にまで到着するといった計画.
 同じように雨天を狙って航空機をかわす作戦はドイツがラインの守り作戦でやっている.
 実際に大和が沈んだ日に前後して同じ海域で雨が降っていた記録もあり,運が良ければ沖縄まで辿り着けた可能性も0ではなかった.

 そして呉空襲など米軍機による基地空襲が活発化していた時期でもあり,何もせずただ軍港に引篭もっていても沈められた可能性があった点にも留意するべき.
 いずれにせよ何もしなければ,運がよくてもドイツ大海艦隊の一斉自沈のような結果になるわけで,それなら見込みは薄くとも大きな戦果をあげる可能性のある作戦に投入したほうがマシという判断もできる.

 【回答】
 特攻です.
 事実を捻じ曲げないように.
 以下,戦闘詳報(当時の公式戦闘記録報告書)より.

>二水戦機密特第二九号號 昭和二十年四月十日 天一號作戦海上特攻隊

 ・・はい,当時のGFでも大和の艦隊を特攻隊と呼んでおりましたけど,何か?

 そもそも上層部には,燃料を最初からそれだけの量を積ませる予定なんてなかった.

――――――
 湾内に碇泊し,徒らに敵機の襲撃を待つより,日本海軍の名誉にかけその最後を飾らしむる為,軍艦大和を沖縄に突入せしむる作戦がG・F(聯合艦隊)首脳部にて立案され,軍令部と協議せらる.
 軍令部は現在国内の燃料貯油極度に減少し,物資輸送の船舶の護衛艦の燃料も充分と云い難き状況にある.
 又,敵の制空圏下の艦隊行動は,たとえ沖縄に突入し得たりとするもその生還は期し難い,
 強いて本作戦を行う場合に於ても,燃料は片道分しか渡せないとの強硬意見である.
 早速GFに於いては,作戦会議を開かれ本作戦実施の可否につき真剣なる討議が行なわれる.
 若手参謀の多くは
「本作戦の成果等に関する論議は暫く措くとしても,たとえ生還の算少なしとは云え,燃料を片道しか与えないとは武人の情に非ず」
とて反対意見を述べたるも,GF首脳部は本作戦決行に決す.

(機関参謀・小林儀作大佐)
――――――

 ・・・で,結局は現場の方の責任で,で帳簿外重油(重油タンクの底にある,メーターに表れない,存在し無いことになってる分)をかき集めて,
「緊急搭載で積み過ぎた余分を油パージに吸い取ろうとしたが,出撃に間に合わずその儘にした」
という言い訳で,往復分搭載したというのが真実だそうな.

 この話を見ても,「沖縄突入が成功しても帰還が難しい」という見解であることは明白だろ.
 その後も生きて帰れる,沖縄を救えると想定しての往復燃料じゃないだろ?
 特攻とは成功すれば必ず死ぬ作戦のことで,生き残る可能性を認めた時点で特攻ではない.
 仮に沖縄に到達できたところで,沖縄占領阻止または本土への生還不可能なら,それは特攻以外の何なの?

 余談だが,「片道燃料ではなかった」というのは,40年くらい昔の子供向けの書籍(秋田書店・刊写真で見る太平洋戦争シリーズ『大和と武蔵』)にすら明記されているくらいの常識.

 さらに余談だが,大本営は沖縄陥落必至なんて,最初から考えていたわけではない.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大和特攻(1945/4/6/1600〜)のきっかけになったと言われる,陛下の「海軍にフネはないのか?」のお言葉がありますよね.
 これは普通の質問を神大佐が拡大解釈したものですか?
 それとも陛下の意思なんですか?

 【回答】
 昭和帝は特攻で戦果大,との報告に,
「軍艦ではなく飛行機で大戦果,という事だが,海軍にはもう艦はないのか?
 それほどまでに帝国は追い詰められているのか?」
と質問したが,これは
「はい,もう帝国は駄目です.
 講和するしかありません」
という回答を海軍首脳から導き出したかったようだ.

 それに対して海軍首脳陣は,
「いえ,まだ海軍には戦艦大和をはじめ主力艦が多数残存しております.
 これらによって米軍に一太刀を浴びせ,戦局を挽回して御覧にいれます」
と答えた.

 んでもって,
「天皇陛下にあのように言われてしまったぞ!
 このままでは海軍のメンツが潰れる!
 約束もしちゃったし,大和には出撃してもらわないと.
(あっさり沈められて終わりだろうけど)」
ということで大和の出撃が決まってしまった.

 神重徳はその辺の事情は全て隠して,
「陛下がこのように言われた以上,やらないという選択肢はありまっしぇん」
と関係者を説得(脅迫)して回っていた.

 もっとも,神さんって,サイパン戦の時に大和・武蔵の海上特攻案を言い出してるんだよね.
「浅瀬に乗り上げさせて,砲台の代わりにする」
とか・・・.
 もともと本人やりたかったんじゃないかと,思わないでもない.

軍事板,2005/01/27
青文字:加筆改修部分

▼ 当の艦隊のほうは瀬戸内海にて,米軍機相手の対空砲台になるつもりで偽装だの機関砲増設だのをやっていたので,艦隊運動の訓練なんかやってない.
 「特攻させるのなら最初から訓練させろボケ」ってな状況で,ある駆逐艦では,空席だった砲術長に着任した士官が,実は大砲を撃った経験が無いというほど,現場は混乱していたという.▲


 【質問】
 大和の沖縄特攻の作戦名を調べたら,「菊水一号作戦」と 「天一号作戦」の二つが出てくるのですが,どちらが正しいのですか?

▼ 【回答】
 よく誤解されますが,菊水一号と大和特攻は,直接的な関連はありません.
 というか,連動した2つの別作戦,と理解した方が良いです.

 戦史叢書102「陸海軍年表 附 兵語・用語の解」から引用.

――――――
菊水作戦(海軍)
:沖縄周辺の敵艦船等に対する海軍航空部隊の特攻作戦(昭和20年4月以降実施,第1次〜第10号)

天号作戦(海軍)
:東支那海周辺・南西諸島方面の航空作戦(昭和20年3月計画発令)

天号航空作戦(陸軍)
:東支那海周辺における陸軍航空作戦.天1号 - 沖縄方面,天2号 - 台湾方面,天3号 - 南支沿岸方面,天4号 - 海南島方面(昭和20年3月計画発令)
――――――

ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板,2008/11/02(日)
青文字:加筆改修部分

 両方の作戦は目的は同じで,手段が違うものです.
 「菊水作戦」は,「海軍作成の『沖縄防衛のための水上艦特攻作戦』」.大和はその第一陣なので,1号ナンバーがつきます.

 「天号作戦」は,「陸海軍作成の『絶対防衛圏死守のための全特攻作戦』」.
 沖縄は1号,台湾は2号,華南は3号,仏印は4号とエリアが区分されており,大和は1号エリアの特攻を実施したので,1号ナンバーがつきます.

 乱暴に言うと,菊水作戦は天号作戦の一部に取り込めます.

鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/06/21(火)
青文字:加筆改修部分

 そして大和特攻は元々,「天号作戦」にも「菊水作戦」にも組み込まれていなかったのですが,上述項目のような理由により,「天一號作戦海上特攻隊」(1945.4.10付,戦闘詳報より)として出撃したものです.

 詳しくは
「ワタ艦」:連斬 戦艦大和
を参照してください.


 【珍説】
 天一号作戦(沖縄特攻)は「片道燃料」

小林よしのり著「戦争論」3,P267

片道分の燃料だけ積み,強引に沖縄の海岸に乗り上げて砲台とし,その,陸軍の7個師団分に相当するとされた火力で,押し寄せてくる米軍を迎え撃とう,という「作戦」だったが,

林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.94

 【事実】
 天号作戦は,大井大佐が強硬に反対した大和の沖縄突入ですが,この際,軍令部は片道しか燃料を供給出来ないと言う強硬意見を述べ,連合艦隊首脳部もこれを是認します.
 以下引用.

「補給命令では片道分の重油搭載」
でありましたが,実際には,実際にはタンク底の重油在庫5万キロリットルを集め,
「緊急搭載で積み過ぎた余分を油Bargeに吸い取ろうとしたが,出撃に間に合わずその儘にした」
という,如何にも日本的な臨機応変さ(皮肉な意味での)で,大和に4000キロリットルなど,艦隊全部に1万500キロリットルが余計に搭載され,大和は重油を満載(6,300t)して出撃しています.

――小林儀作「沖縄特攻艦隊の燃料」 from 「日本海軍燃料史」下巻988〜989頁

 しかも,小林の漫画では,艦隊でなくて大和のみのような表現だし(一コマ目で小さく僚艦が描いてあるが,文は・・・・・)

(キルロイ ◆dtIofpVHHg)

 さてさて,沖縄特攻の際大和以下艦隊に補給された重油は4000トン(大井篤著海上護衛線参照)
 で,菊水一号作戦に参加した艦艇とその重油搭載量及び航続距離は
戦艦大和     16ktで7200浬   重油搭載量(満載)6400t
軽巡洋艦矢矧   18ktで6000浬   重油搭載量(満載)1420t

「陽炎」型駆逐艦 
磯風,浜風,雪風 18ktで8000浬   重油搭載量(満載)622t
駆逐艦初霜    14ktで4000浬   重油搭載量(満載)458t
駆逐艦朝霜    18ktで5000浬   重油搭載量(満載)600t
駆逐艦霞     18ktで3800浬   重油搭載量(満載)580t

「秋月」型駆逐艦 
冬月,涼月    18ktで8000浬   重油搭載量(満載)1080t

 大和以下海上特攻隊十隻が燃料を満載した場合の重油総量は13412t
 充足率は三割弱と言ったところだね.
 で,大和の航続距離は約13000キロメートル
 充足率三割と計算しても3900キロメートルだから,一応呉・沖縄の往復は可能だね.あくまで「巡航速度」試算だけどね.
 それに
「海上護衛総隊向けの7000tの重油の内4000tを大和を特攻させる為に使う」
という意味合いでの4000tだから,実際の充足率はもう少し高いね.※

 ※上述の「沖縄特攻艦隊の燃料」参照

軍事板

水上特攻作戦に参加した全艦艇
(画像掲示板より引用)


 【質問】
「大和の水上特攻で無駄になった重油は無い.他に使えるフネは無かったのだから」
という説を開陳している人がおりますが,実際問題,大和特攻に使った重油を他の船(海防艦?とか)に使えてたら,何かイイことがあったのでしょうか?

 【回答】
 輸送船団護衛部隊に回したほうが有益だったでしょう.

「7000トンの重油が3000トンに減らされるとなると,これは一大事である.北支航路の護衛計画はご破算である.
 まして,朝鮮海峡の対潜哨戒はろくなことはできなくなる」

「この際,4000トンという重油があれば,大陸からの物資輸送は活発に行われ,また,日本海への敵潜の侵入を食い止めるのに大いに役立つのに,大和隊に使う4000トンは,一体,日本に何をもたらすのだろう」

 どちらも大井篤「海上護衛戦」の記述です.


 【質問】
 大和特攻時点で,米雷撃機,急降下爆撃機のすべてがTBM/TBFに更新されていたの?
 あと,全部艦載機ですかね?

 【回答】
 高速空母機動部隊のVT(雷撃飛行隊)については,43年末には全てアベンジャー系列に転換されてる.
 何せミッドウェイの時点で実戦参加してる機体だし.

>あと,全部艦載機ですかね?
 VMTB(海兵隊の雷撃飛行隊)もアベンジャー系装備してる.


 【質問】
 大和を攻撃した航空機の半分近くが戦闘機だったみたいだけど,ただ機銃掃射しただけ?

 【回答】
 F4Uは爆弾を積んでいた.
 つか,太平洋戦線でのF4Uはごくわずかな例外を除いて,ほとんどが戦闘爆撃機,いや攻撃機として使われとったといっても過言ではない.

米軍機が上空から撮影した大和
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦艦大和が沖縄に向かう際に,米軍の航空機に襲われた時,大和は何機ほど撃墜したのでしょうか?

 【回答】
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/data/bohno.html
によれば
被撃墜 10機
着艦後放棄 5機
海上墜落 5機
損傷 20機

 艦隊全体の戦果だから,対空砲の割合から言って大和の戦果はこの半分くらいか.

 レイテ沖で小澤艦隊(上空直援アリ・大艦隊・晴れ)で落としたのが15機くらいだから,驚異的な善戦と言って良いぞ,マジで.

軍事板,2005/11/06(日)
青文字:加筆改修部分

特攻時の陣形
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 大和のプラモデルを作ったときには対空機関銃の多さにめげそうになったんですが,大和特攻時,あれだけの対空機銃でも有効な弾幕は張れなかったんですか?

 【回答】
 そもそも対空射撃は,特に当時のそれは純粋な確率論に近かったんだよ.
 航空機は常に高速で動いているし弾丸の速度も有限だ.
 対空砲の向きを変えるのも制限が多い.
 だから,一定のエリアをできる限り弾幕で満たしておいて,敵のパイロットの行動を阻害する.
 その上で当たって落ちてくれたらうれしーなー,と.

 だけど空は広いから,どんなに沢山弾を撃っても空間を満たすには遠く及ばない.
 それに時限信管ではあらかじめ狙った高度以外では直撃しないと落とせない.

 アメリカはこの問題にVT信管という新兵器を用いて対処したが,日本でそれをやれというのは無理な話だった.

 大和の場合,簡単に,発射速度120発の25mm機関砲が200基,大和を囲む半球状の空間を均一に掃射するとする.
 初速は900m/秒なので,単純計算で半径900mの空間内の25mm砲弾密度は50×50×25mに一発となる.
 実際には機関砲は敵機の方向に指向するので密度が上がるが,同時に120発/分を持続できるわけでもない.
 また,周辺に近づくと命中確率は距離の自乗に比例して減少する.

 敵機の有効部位に弾が当たる確率はかなり低いことが何となくわかると思う.

 また日本海軍の場合,12.7cm高角砲と25mm機銃の間を埋める40mmボフォースのような機関砲が無かった.
 なので,その二つの高射兵器の間にカバーしきれないギャップが生まれてしまった.
 高角砲は追従しきれないし(加えて時限信管),機銃は数と命中率の割りに威力が低いのが仇になった.

 そもそも九六式二十五粍高角機銃自体,現場から威力が弱いという不満が出ていた.
 実際,大和攻撃に参加した多数の米軍機が被弾していたが,対空兵器の中で一番数の多い25mm機銃(改装でハリネズミみたいに増設した奴ね)は,威力の点で弱い部分が有り,撃墜に至る損害を与えられないことも多かった.
 破片云々って言うのは高角砲の話で,25mmは直撃でしか意味なかった.
 対空射撃自体は熾烈で正確であったと評価されている.

 しかも日本海軍の対空機銃は,照準装置が人手頼りの原始的なものであったため,敵機に追従しにくかった.
 カミカゼに悩まされた米軍の射撃指揮装置はジャイロ式の自動照準で,素早くリード射撃ができた.
 それでも米軍には大きな被害が出たわけで,当時の対空火器にはどうしても限界があった.

 なお,3連装の25oなんかは一度に3つから撃っているのではなく,順に撃っている(装填のため)のであなたが思っているよりは弾幕は薄い.

 さらに威力云々に加え当時の機銃は手動で動かしていることも張れなかった(張れ続けれなかった)原因のひとつ.
 要するに爆弾が当たると機械や人が使えなくなるし,仮に直撃でなくても破片や衝撃で作業が邪魔される(煙も含む)→弾幕が途切れる(薄くなる)→次の飛行機が攻撃しに来る→(ryという連鎖が始まってしまう .
 ……というふうに時間がたつにつれ,当初に比べ有効な弾幕は張れなくなっていった.

軍事板
青文字:加筆改修部分

3連装25mm機銃
(映画「男たちの大和」で使われた原寸大模型)

「大和」の対空機銃群(模型)

(いずれも画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦艦大和を沖縄に特攻させる前に,沖縄に停泊させておかなかったのは何故なんでしょうか?

 【回答】
 質問がおかしいんじゃねー?
「米軍が侵攻してくる前に,沖縄に派遣しておかなかったのは何故ですか?」
と聞きたいのか?

 質問意図がその意味だとして.
 その時は「沖縄に派遣する時」に,沖縄に向かう途中で沈められるだけの事.
 既に日本近海の制海権を失っていた日本海軍にとって,内海の本拠地から出撃するのは自殺行為.

 また,沖縄本島は,島にある大きな湾(大型艦が何隻も停泊できるような)は,ダイレクトに外洋に面しているので,艦を長期間停泊させておくのには向かない.
 攻撃されやすいし嵐は来るし.
 おまけに珊瑚礁沿岸なので遠浅で,海底を掘り下げないと使い辛く,艦隊泊地としての整備が進んでなかった.

 中城湾にあった泊地なら,マリアナ攻略部隊の撤収先に使われたりしている.

 それに,もし仮に早期に海軍戦力を沖縄・九州方面に集中していれば,米軍は悠々とコロネット作戦を遂行して,後年,おまいさんは
「首都圏を放置して米軍なんか居ない南の島で何してた?」
って疑問を抱いた事だろう.
 あるいは千島ルートで侵攻して,北海道上陸って第3の作戦もあり得たし・・.

 現実問題として,オリンピック作戦発動を確認するまでは手の打ちようがなかった.

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 アニメンタリー「決断」というアニメの最終回で,米艦隊の司令官,確かフレッチャーと言ったと思います)が ,若い頃会った東郷元帥へのお礼(相撲で後輩が先輩に勝つ事の意)の意味で,沖縄に出撃した大和を戦艦による艦隊決戦で撃沈すると命令を下したが,その後大和が進路変更したため戦艦による追撃が間に合わなくなり ,航空攻撃で撃沈したというエピソードが描写されたのですが,これは実際にあったエピソードなのでしょうか?

 【回答】
 それは色々なエピソードが混ざっているな.
 若い頃,東郷元帥に会っていて,東郷元帥の後輩達と戦えるのは光栄だ,と言ったのはニミッツ.
(ちなみに,スプルーアンスも士官候補生時代に戦艦「ミネソタ」に乗り込み,グレートホワイトフリートで日本に来た折,ガーデン・パーティーで東郷に会っている.
 ただ,文字通り「会っただけ」であって,ニミッツのような感銘は受けなかったようだ)


 大和を沈めたのは,スプルアンス大将にYou take themと命令されたミッチャー中将の第58機動部隊.
 当初,スプルアンスはミッチャーに大和部隊を引き付けて南下するように命じ,合わせて第54機動部隊司令官のデヨー少将に戦闘準備を下令した.
 第54機動部隊は,沖縄侵攻作戦では上陸支援の艦砲射撃部隊として任務を果たしてきたが,スプルアンスはこの旧式戦艦部隊に「艦隊決戦の最後のチャンス」を与えようとした.
 命令を受けたデヨーは戦艦6,巡洋艦7,駆逐艦21の部隊で大和部隊を待ち受けた.
 しかし四月七日の旗艦テネシーにおいての参謀会議で,大和に主砲の射程でアウトレンジされる可能性があること,日本艦隊が突破に成功し米輸送船団への攻撃が可能であるとも予想されたが,明確な解決策が見出されなかった.
 これらの理由に加えて日本艦隊が佐世保に回航して取り逃がしてしまう可能性,第58機動部隊が攻撃できる位置にある唯一の兵力であったことから,最終的にスプルアンスは航空攻撃を決定した.

軍事板,2005/06/30(木)
名無し13 in FAQ BBS・改(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分

 ※実は最終回は川上監督と巨人軍の話だったかと.
(最近ネットで諸般の事情らしい事を知りましたが,当時激しく違和感を感じたものです)

 どうやらDVDが出ていて,それでは初回のTV放送時での最終話がカットされているそうです.
 ですのでDVDしか知らないと,大和の話を最終回と思ってしまうかもしれません.

部外者 in FAQ BBS


 【質問】
 戦艦「大和」は,どのような最期を迎えたのですか?

 【回答】
 1945/4/7,米海軍艦載機,計390機の攻撃を受け,撃沈された.

12:32 米軍機,急降下爆撃を開始.
12:45 魚雷1本,左舷に命中.
13:34 米雷撃機,左50度から6本の魚雷を投下,3本命中.
13:44 魚雷2本が左舷に命中,大和は左に傾いたが,ここで注排水システムが作動,平衡を取り戻す.
 しかしその直後,3本の魚雷が大和に命中.
 再び傾いた大和の注排水システムは,限界に達し,バランスを取り戻すことはできなかった.
14:17 またも魚雷が左舷中央部に命中,大和は傾斜が大きくなった.
 長官は,特攻作戦中止命令を下し,長官室に入って内側から鍵をかけた.
14:22 大和は横転,大爆発を起こし,沈没した.生存者269名,戦死者3063名.

 現在,東シナ海長崎県福江市男女群島南176km,北緯30度43分,東経128度04分,水深345mのところに,横転状態の残骸が見られる.

 【参考ページ】
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/yamato/sub_yamato.html
http://dankai.akimasa21.net/fwd3/yamato01
http://dankai.akimasa21.net/fwd3/yamato

海底における「大和」の状態(195kb)
(画像掲示板より引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/09/06 20:00
を加筆改修


 【神話】
 大和は片側に集中攻撃を受けて沈んだ.

 【事実】
 この話は最近否定された.

 原勝洋 (著)「真相・戦艦大和ノ最期」にて,米国公文書館等で機密指定解除された写真や資料,攻撃記録や生存者の証言などを付き合わせた結果,片舷集中攻撃の指示は出ておらず,攻撃結果もそれに則したものだったとの事.


 【質問】
 戦艦「大和」の本を読んでいたら,傾斜復旧のための注水がタンク注水の限度に達したので,機械室および缶室に注水した,とありましたが,ここには通常,人は乗ってないのですか?
 乗ってるのなら注水前に避難するんですか?

 【回答】
 機関科の人間がいる.
 注水するときにはもちろん退避するんだが,……何らかの事情で難しいときは中の人に犠牲になってもらう事もままある.
 考えられるのはまず,「最早退避が不可能な時」
 損傷食らった影響で,退避通路が通行不可能になってる場合だろうね.
 助けようとしても助けようが無いし余裕が無いので,どのみち犠牲になってもらうしかない.

 もしくは「退避が間に合わない時」
 やはり損傷くらって,乗員の完全退避が完了するまで待ってると,艦そのものが沈没しちゃうので全員助からなくなるような時, 避難完了していない乗員は仕方なく見捨て,全艦の保持を優先する.

 ま,船体の何処の区画であろうと,こういう事は起こりえる.
 応急で浸水区画閉鎖していったら,たまたま取り残されて孤立,脱出できなくなった区画に生き残りが居たけれど,誰にも気づかれずに死んでいった…とか,後になって判明することもある.

 実際,注水ではないが、空母飛竜の場合、機関長以下の機関員が機関部に残ったまま,自沈処分で巻雲から魚雷を撃たれてる.

 艦が沈まないよう自分ごと浸水区画を閉鎖して,無事ドックにたどり着いたら,中で自殺していたという例もあった.

 これは日本軍に限ったことじゃなく,時間がない時はどこの軍でもそういう措置を取らざるを得ない.

 全員の脱出が完了したかどうか,艦内は全く無人になってるかとか細かく点検できる余裕のある状況下で無い限り,確認が取れず,置き去りにしてしまうなんてことは枢軸連合問わずどこでも発生した.
 爆撃などをうけて損傷してる場合,死体ごと吹っ飛んでしまったので,死んだのか生きてて先に海に飛び込み脱出したのかどうか周りの誰も確認できず,脱出後に溺れ死んだのかどうかもわからないって行方不明扱いだけど実質戦死って兵士はかなりいるし,退避命令を出し忘れたり,命令出したけど伝達ミスで届かなかったりで,取り残されたりなんて事も結構起こる.

 戦闘中および沈没寸前で脱出の混乱の中で,全員の脱出したかの確認や,脱出者完了者の点呼なんてのは完全には無理.

軍事板


 【質問】
 大和は,沖縄の浅瀬で砲弾を撃ち尽くした後は,乗員全員で陸戦隊となって米兵と戦闘する予定だったそうですが,その際の武器装備の類は,艦内に用意してあったのでしょうか?
 それとも,沖縄守備隊から提供される計画だったのですか?
 最近読んだ本に,乗員が沖縄上陸後に生活用品などを購買するための現金数億円を,大和に準備して出撃したそうなので,買い物する前にまず米兵をやっつけるための銃とか積んでたんですか?

 【回答】
 元々戦艦はじめ軍艦には,艦内から陸戦隊を臨時に編成するため,ある程度の陸戦装備は積んであるけどね.
 大和出撃の際は,ほぼ乗組員全員分,用意して艦内に積み込んで出撃した.

 ちなみに,ソロモン戦の時に比叡と霧島にガ島砲撃を命じた際,戦隊司令部の側が陸上砲撃を渋るので,「これは命令」って」強要したら,
「そこまで言われるのであれば,座礁したら乗組員全員陸兵となって闘う覚悟で出撃しましょう.
 ひいては,全員分の陸戦装備を用意していただきたい!
 それでなければ,部下にこのような危険な命令は出せません!」
とキレられて,仕方ないので戦艦2隻分の乗組員の陸戦装備を集めてくるのに手間がかかり,出撃のスケジュールが遅れた,というエピソードがあったり.

軍事板,2010/02/14(日)
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 本当?
 どんな軍隊でもそんな司令官,普通は更迭されると思うが・・・

 【回答】
「戦艦で陸上砲撃なんか絶対に嫌です.出撃なんかしません」
と言い張ったら,さすがに更送されたと思うが,
「自分の意見を言い張る」
くらいだと,そこまでは流石にいかない.

 それに,日本海軍は特にこの携行が強かったけど,
「現場に総司令部の意思を,当然のこと≠ニして強要できない」
のはよくあることなので.

 たとえば,アメリカでは名将といわれる田中頼三だが,指示に反して危険な時は平気で作戦を中断するため,司令部から派遣されてきた参謀に
「リスクを避けて戦える状況ではありません」
と,必死の説得をされたりしている.

 余裕のある時は慎重策でいいが,燃料の残りを計算しながらギリギリのやりくりをしているため,中断によって無駄に消費される分が深刻だったという.

軍事板,2010/02/14(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 わが愛しのクライン孝子さん(どう愛しいかはともかく)に寄せられたメールで
「戦艦大和は歯ブラシ50万人分,月経帯(メンスバンド)15万人分などを搭載して沖縄に向かった」
との話を読みました.

 原典は,昭和58年8月20日発行中央公論増刊「歴史と人物」(太平洋戦争終戦秘話)に,海軍大尉待遇嘱託でシオノギ製薬元原料課農水産係長兼特需原料係長だった市橋立彦氏の話らしい.
http://www.melma.com/backnumber_108241_4026679/

 それを恵隆之介が今年3月の「やすくに」で紹介した,との由.

 可燃物を徹底的に下ろして,床のリノリウムまで削って出撃した大和がですよ,歯ブラシだの,美顔クリームだの,メンスバンドだのを搭載していきますかね?
 これはネタなんでしょうか?
 ちょっとオカルトじみてぞっとしたんですが.

軍事板
ぴぴ in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 【回答】
 う〜ん,1945年の時点で既に月経帯なんか無くて,庶民は布団の中の綿とか,着物の端切れそんなものを使っていたと言う記述があった記憶があるので,そもそも月経帯が15万人分も集められるのかと言うと頗る疑問が….
 繊維工場なんかも,1944年の時点で悉く軍需工場とかに転換しているので,新規生産するにしても,原料が無かったりしますし.

 歯ブラシに関しては,1943年から資生堂では現地自活と称し,中国や朝鮮では現地で原料を入手して,生産するようになっていますし,国内向けも窮屈になっています.
 バニシングクリーム,化粧水,粉白粉,口紅,ヘアオイルについては,女子挺身隊向けに特別配給されるものとして,僅かながら資材の配給があって其を元に生産しています.
(因みに,バニシングクリームの原料は,抹香鯨油,葡萄糖,山葡萄の蔓,夏蜜柑の皮)

 でもって1945年頃に,資生堂は政府から特別に原材料や容器の特配を受け,高級化粧品・香水・ローションを製造しています.
 当然市販品ではなく,この生産は厳重に秘匿された為,社内でも様々な憶測を生み,曰く,ソ連に講和斡旋をお願いする為のソ連高官夫人に贈呈するとか言うものまであったりしたので,もしかしたら,その話が何処かでねじ曲がって市橋氏の耳に達したのではないかと思います.

 この化粧品は,実際には中国大陸向けの輸出用で,戦略物資を買い付ける際,見返りの物資として,金額が張り,量が小さく,簡単に輸送出来る品で,日本製品らしくないものと言う事で外務省,大東亜省,海軍省の連絡会議で生産が決定され,資生堂の委託加工が行われたものです.
 実際には,政府が関与しても原料の入手が困難で,製品の完納は1945年の7月になっていますから,これからも推して知るべしか,と思います.

(参考資料:『社史に見る太平洋戦争』(井上ひさし編,新潮社,1995.8)PP.445〜447)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

>ぴぴ殿

 私が読んだ『沖縄戦こぼれ話』(浜松昭著,月刊沖縄社,1990.6)にも同じ話がありました.

――――――
 昭和20年3月に市橋氏は
「本日より一週間以内に,歯磨,歯ブラシを各五十万人分,美顔クリーム二十五万人分,メンスバンド十五万人分を調達するためにO大尉に協力せよ.理由は言えない.ただちにかかれ」
と命令され,なんとか集めて梅田駅から十数輛の貨車に積み込んで深夜,出発した(らしい).
 行き先は,O大尉も「多分,呉方面だろう」ということしか分からなかった.

 四月八日,戦艦大和が沈没したことを知った.
 O大尉が悲痛な顔をして言った.
「市橋君,あの四品目は大和に積んだそうだが,沖縄県民のために残念なことをした,本当にご苦労だった」

――――――(P114〜P117)

とあります.

 まあ眠い人殿の指摘通り,当時はそんな物資はないでしょうね.

 大和乗員が沖縄に上陸した時の為に現地生活費は支給されてましたから,案外なんか沖縄県民向けのモノはあったりして.

島の人 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」


 【質問】
 大和の特攻はほぼ無駄死に?

 【回答】
 大和特攻は絶望的な戦況の中で
「港で身動きできずに沈められるくらいなら,出撃させてしまおう」
という美意識や,昭和天皇の嘆きに対してその場を取り繕った海軍の面子によるもので,戦略的にも戦術的にも何の益ももたらさなかった.

 航空特攻にはまだ「敵迎撃の最後の手段」という意味があったが,大和はほんとに戦って最後を飾るという意味しか無い.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 陸軍や航空隊が玉砕や特攻で帝国に文字通り命を捧げてるのに連合艦隊だけが座して死を待つわけにはいかないというメンツと,せめて敵に一矢報いたいという感情かな.
 もちろんそれを支えたのは,「戦場で散ることで有終の美を飾る」っていう価値観.

 ちなみに戦死をもって人生を完成させるという考え方は武士道独特のものではなく,欧州の騎士道や貴族の価値観にも見られる.
 大和特攻と同じような話に,第一次世界大戦末期のドイツ外洋艦隊の例がある.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 大和特攻が無謀な作戦であることは,軍上層部も認識していたのですか?

 【回答】
 Yes.
 現場の人間がすでにして,無為な特攻であることを証言しています.

 以下の文は大井篤『海上護衛戦』より.

――――――――――――――――――――――――――――
「しかし,沖縄に行って46センチ砲を撃ちまくると力んでみても,そんなところにつくまでに撃沈されてしまうにきまっているじゃないですか」

「その公算も大いにあるんですが,ねらいはほかにもあるらしいんです.
 航空部隊にばかり特攻をやらせて,水上部隊が手をこまねいてみているわけにはいかないという気持ちが,大いにあるようです.
 それでこういう訓示が,電報で出されることになっています.
短いから全部読んでみましょう」
というからきいてみると,そのなかに
『……ここに海上特攻隊を編成し,壮烈無比の突入作戦を命じたるは,帝国海軍力をこの一戦に結集し,光輝ある帝国海軍水上部隊の伝統を発揚すると共に,その栄光を後世に伝えんとするに外ならず』
という句が出てきた.
 しかも,これが訓示全文の要点になっている.

 護衛参謀(大井)は,先程から,むかっ腹が立って仕様がなかったのが,この文句をきいてカッとなった.
「国をあげての戦争に,水上部隊の伝統が何だ.
 水上部隊の栄光が何だ.
 馬鹿野郎」
 そうどなりつけるように言って,ガチャンと受話器をかけた.
 そう言った当人には「馬鹿野郎」と言ってしまったことも後悔させられたが,そういうよりほかには言いようのない,連合艦隊の人たちの頭のおき方が情けなく感ぜられた.
 彼は長い間,連合艦隊主義の行き過ぎが,日本を毒していると考えてきたのが,いま,その連合艦隊主義の毒素のありかを,ハッキリと,つき止めたような気がした.
――――――――――――――――――――――――――――

……とまあ,海軍の自己満足,悪く言えばオナニーのための作戦だったのは,当時から明らかでした.

 また,
>『……ここに海上特攻隊を編成し,壮烈無比の突入作戦を命じたるは,帝国海軍力をこの一戦に結集し,
>光輝ある帝国海軍水上部隊の伝統を発揚すると共に,その栄光を後世に伝えんとするに外ならず』

については,第二艦隊にも同じような説明をして猛反発を食らっています.
「制空権もなしに辿りつけるか,バカ」
と.
 第2艦隊司令長官の伊藤整一中将は
「制空権・制海権もなしの出撃は,沖縄に到達すべくもなく,それを承知の上で,七千人の部下を犬死させる訳にはいかない」
と反対しています.
「我々は命は惜しまぬ.
 だが帝国海軍の名を惜しむ.
 連合艦隊の最後の一戦が自殺行であることは,絶対に我慢がならぬ」
と発言したのは,駆逐艦「朝霜」艦長・杉原与四郎中佐.

 しかし,結局は駆逐艦長たちも
「いままで不利な戦は散々してきた.
 爆弾魚雷をかいくぐってひとっ走りしてくればいい.
 沖縄が困っているんだ,出ないという法はない」
で腹を括り,未曾有の水上特攻となりました.

軍事板,2010/02/15(月)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 坊の岬沖海戦における戦艦大和の生存者を教えられたし.

 【回答】
大佐 能村次郎(副長・防御指揮官)

中佐 黒田吉郎(砲術長)

少佐 清水芳人(副砲長)

主計少佐 堀井正(戦闘記録指揮官)

大尉 江本義男(測的長),渡辺英昌(高射指揮官),村田元輝(方位盤射手),家田政六(方位盤旋回手)

中尉 国本鎮雄(防御指揮官),渡辺志郎(見張長),松本繁太郎(機銃群指揮官)

少尉 鎌田利雄(機銃群指揮官),吉田満(電測士),細田久一(高角砲発令所長)

上曹 竹重忠治,八木逸男,城本素雄,赤沢高士,山本武雄,
    土宣英雄,小川優,後藤虎義,青木栄,藤沢一彦,
    真鍋広太郎,石田直義,音田虎雄,吉村糾,坂本一郎,
    中村正助,和川義信,真野才吉,上甲一智,山本光男,
    岸本輝夫,浜本留一,前島正象,笹村朋智,増原民一,
    西弘正,森田又男

一曹 粟田義明,滝本保男,湯浅克己,西部音治,中井光三,
    原田新次,橋爪楠夫,坪井平二,広岡通典,小野内建三,
    塩見勝,西粗安蔵,伊丹稔,中島武士,表専之助,
    岩本正男,井高義雄,高橋弘,木之上繁美,畠山周一

二曹 青戸喜美,井中巌,塚本高夫,長塚未,大平慎三,
    仁科忠夫,松井里海,大川光男,戸田計男,坂口安男,
    岸新太郎,宮本岩三,日熊清一,成田信雄,渡辺夏夫,
    小山理,井手添松男,木村邦夫,入江一雄,森岡未一,
    小野和夫,細谷太郎,高橋実,山中光男,一矢守,
    沖翠,高見誠一,辻野芳夫,鬼頭光吉,本多浅雄

水長 亀山利一,重本彦一,疇地哲,川瀬寅雄,樋口頼男,
    八田豊作,中西文男,前田忠夫,松田守生,杉谷鹿夫,
    光永彦一,岩田好一,酒井二郎,木村鎌蔵,北川茂,
    坂本隆治,大村兵三,橋本正美,神田実,八杉康夫,
    中道豊,野村一男,高地俊次,石原尚,大江正男,
    松田(名不詳),野呂昭二,桝田歳夫,和田崎夫,東川敏一,
    鈴木二郎,中具文雄,甲野明,角谷源治,西中織三,
    下戸輝己,渡辺正信,上田利治,梅本桂,西田広次,
    小林健,谷本清,金築正守,田村克美,小西博,
    丹波清,福地正夫,鶴谷遊健,江島清正,上西武夫,
    中浜万助,徳重正義,多田千代吉,徳野竜雄,青山睦司,
    泉本富生,伊藤信隆,山口基之助,吉田英俊,東野良数,
    尻田秀則,中村瑞穂

上水 山田明光,迫本勇,中井明,藤岡忠夫,小林昌信,
    竹田明,山田完治,内木善高,細川秋司,竹島好夫,
    松村義雄,高橋春生,大高康善,伊藤二郎,生駒浩久,
    沢和浄,九山章一,牧野義美,奥村昭二,間屋口良一,
    山根五郎,森英二,玉置恭,宮田喜彦,藤田照夫,
    北谷高,上田和彦,中島銀三,大野徳夫,畑中正孝,
    大西広,辰井政美,吉見正雄,正木雄荘

一水 秋山平,早川久良,天笠博,藤原岩男,中島繁俊,
    金川忠夫,平井豪,和田清市,中田晴男,田中幸造,
    石原豊,河野幸男,寺田宏,武川修,塩見実,
    大谷広己,堀重信,山根稿次郎,魚田末喜,小林昌信,
    藤田照夫,石原豊,金藤光夫,壇上時敏,仲谷千代二郎

一機曹 常深福治

二機曹 糸川重明,古本助登

機長   永棟保,林文雄

上工曹 坂東貞昌,西原勇,脇本広志

工兵長 福本一広,宮崎省吾,中村孝次

一工曹 竹根清,中根清

二工曹 横豊吉,籔茂雄,鎗尾清,竹根邑一,前官正一,
      森川時己,新谷年男,竹本昭夫,峠秀明,山下忠義,
      岡本秀隆

上主   鶴見直一,松宮三喜雄,中本正春

一主曹 金光政明

二主曹 丸野正八

主長   小森敬一

 以上242名.
 生存者総数は276名ですから,後34名の方の氏名が不詳です.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)の中で,救助艇の船べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を軍刀で斬(き)っ たと書かれているが,これは本当なのか?

 【回答】
 当時の指揮官は「事実無根だ」と証言している.
 以下,引用.

 『戦艦大和ノ最期』は昭和二十年四月,沖縄に向けて出撃する大和に海軍少尉として乗り組み,奇跡的に生還した吉田満氏(昭和五十四年九月十七日,五十六歳で死去)が作戦の一部始終を実体験に基づいて書き残した戦記文学.

 この中で,大和沈没後に駆逐艦「初霜」の救助艇に救われた砲術士の目撃談として,救助艇が満杯となり,なおも多くの漂流者(兵士)が船べりをつかんだため,指揮官らが「用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ,犇(ひし)メク腕ヲ,手首ヨリバッサ,バッサト斬リ捨テ,マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス」と記述していた.

 これに対し,初霜の通信士で救助艇の指揮官を務めた松井一彦さん(80)は
「初霜は現場付近にいたが,巡洋艦矢矧(やはぎ)の救助にあたり,大和の救助はしていない」とした上で,「別の救助艇の話であっても,軍刀で手首を斬るなど考えられない」と反論.
 その理由として
(1)海軍士官が軍刀を常時携行することはなく,まして救助艇には持ち込まない
(2)救助艇は狭くてバランスが悪い上,重油で滑りやすく,軍刀などは扱えない
(3)救助時には敵機の再攻撃もなく,漂流者が先を争って助けを求める状況ではなかった
――と指摘した.

 松井さんは昭和四十二年,『戦艦大和ノ最期』が再出版されると知って吉田氏に手紙を送り,
「あまりにも事実を歪曲(わいきょく)するもの」
と削除を要請した.吉田氏からは
「次の出版の機会に削除するかどうか,充分判断し決断したい」
との返書が届いたが,手首斬りの記述は変更されなかった.

 松井さんはこれまで,
「海軍士官なので言い訳めいたことはしたくなかった」
とし,旧軍関係者以外に当時の様子を語ったり,吉田氏との手紙のやり取りを公表することはなかった.
 しかし,朝日新聞が四月七日付の天声人語で,同著の手首斬りの記述を史実のように取り上げたため,
「戦後六十年を機に事実関係をはっきりさせたい」
として産経新聞の取材を受けた.

 戦前戦中の旧日本軍の行為をめぐっては,残虐性を強調するような信憑(しんぴょう)性のない話が史実として独り歩きするケースも少なくない.沖縄戦の際には旧日本軍の命令により離島で集団自決が行われたと長く信じられ,教科書に掲載されることもあったが,最近の調査で「軍命令はなかった」との説が有力になっている.
 松井さんは
「戦後,旧軍の行為が非人道的に誇張されるケースが多く,手首斬りの話はその典型的な例だ.
 しかし私が知る限り,当時の軍人にもヒューマニティーがあった」
と話している.

(産経新聞,2005/6/20)


 【珍説】
 〔略〕
明治以来,日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は,人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と,伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが,そのいきつくところとして,太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが,もっともあくどい仕打ちは,戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う.

 〔略〕

 さて,そこへ大和が攻め込んできて,世界最大最強といわれたその主砲四十六a砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか.
 想像しただけで瞑目するばかりである.
 おそらく,大和は偵察機による誘導もないので,沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう.
 その弾は日米軍ばかりではなく,住民をも打ち砕いたであろう.
 住民の犠牲者は,更に多数に上り,三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと,恐れる.

 だが,大和は,米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で,沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく,四月七日に,三千人の乗組員とともに撃沈された.

 〔略〕
 あっ,よかった.
 戦艦大和が,沖縄のはるか北方の海に沈められてよかった.
 そう言えば,日本国民の多くは激怒するだろうし,やはり琉球人は日本人ではないと,その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない.

 沖縄人が,戦艦大和によりさらに多数を殺され,島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば,それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった.

 〔略〕

沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれいたかし記」より抜粋
(資料提供 島の人in mixi)


※著作権上の理由により,本サイトでは紙面画像を表示できません.
該当新聞の縮刷版等でお確かめください.
このコラムは,信じられないが実在する.

 【事実】
 第二艦隊の水上特攻作戦(天一号作戦)は,航空特攻による菊水作戦と呼応して 行われました.
 その目的は,敵水上艦艇と輸送船団を撃滅することです.
 それは,GF電令作第六○七号として,記録にも残っています.
http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/siryou/gf603.html

 1945年4月5日1500:連合艦隊司令長官(GF)電令作第607号発令
1,帝国海軍部隊および第6航空軍は6日以降全力をあげて沖縄周辺敵艦船を攻撃せんとす.
2,陸軍第8飛行師団は協力攻撃を実施,第32軍は7日より総攻撃を開始し,敵上陸部隊の掃滅を企図す.
3,海上特攻隊は7日黎明時豊後水道出撃,8日黎明時沖縄西方海面に突入,敵水上艦艇ならびに輸送船団を攻撃撃滅すべし.

 何処にも「陸上の米軍を艦砲射撃にて攻撃する」とは言っていませんよね.
 まぁ,裏の目的として,航空機特攻の側面を支援する意味での囮艦隊という面もありましたが.少なくとも,後年言われているような,
「浅瀬に乗り上げて砲台と化し云々」
は,「できたら いいなぁ」程度の妄想であって,沈められずに沖縄近海まで辿り着ければ奇跡だと,まともな軍人なら思っていたはずです.

 さらに,
「大和は偵察機による誘導もないので,沖縄中南部の平地に巨大な砲弾を所かまわずに打ち込んだであろう」
については,言うべき言葉もありません.
 日本海軍を狂人の集団と思っているのでしょうか?
 確かに観測機の使用は絶望的でしょうが,いれい氏は,戦艦の大砲はどうやって狙いを付けていると思っているのでしょうか?
 艦橋のトップには15.5m測距儀がありますし,各砲塔にもそれぞれ測距儀が装備されていることは,巷に溢れている戦艦大和本には,必ず載っているのですが.

新所沢の三等兵◆Uk

 〔そもそも,艦砲射撃の最の観測の問題は,〕地上に友軍陸軍の弾着観測班を置けば解決する話じゃないか.

JSF

 それと,沖縄戦の推移に対する認識が間違っている.
 沖縄戦で,南部に戦線が移動したのは首里陥落の後.
 大和到達予定時には戦場は中部であり,住民が避難している南部に攻撃しそうもないことぐらい分からなかったのか.

ポポフ

 人を叩くのは最近は自粛するようにしているのですが,とりあえず,沖縄へ打ち込まれた艦砲射撃の投射量を計算してみた.

16in  4411
14in 16046
12in 2700
8in 32180
6in 46020
5in 432008
5in榴 66653  計 約600000発

 計算すると投射重量は概ね36000tになります.
 〔略〕
 これに大和の最大投射量,1.5t×900=1350t を足したところで,1.0375倍になるだけです.
 ……ほとんど誤差といって差し支えないですね.

 ちなみに上記表は〔米艦隊の〕艦砲射撃だけの数値.〔アメリカ〕陸軍の砲兵隊を加えれば,数倍に跳ね上がると思う.
(例えば,第10軍砲兵師団だけで,各種176万発を消費している)

極東の名無し三等兵

 この大和潜水艦撃沈説は一体何処が出所なんだろう
 少なくとも1996年発行の沖縄平和ガイドブックみたいなアレな人が書いた本で,「大和は潜水艦に撃沈された」って書いてあるんだよね.
 もしかして航空機による雷撃を知らないんだろうか? 雷撃=潜水艦みたいな短絡思考か?

沖縄県歴史教育者協議会編『平和のためのガイドブック』(あけぼの出版社,1995年4月初版発行 96年12月3版発行(俺の手元) )
P155図版内
「戦艦大和も片道燃料で特攻出撃したが,坊之岬沖で敵の潜水艦に撃沈された」

 この本,他にも色々香ばしいんだよね.
 根拠なしで
「住民の死者は15万人を上回った」(P156)
(通説は10万人のはず)
とか
「(集団自決他の住民被害は)天皇の軍隊(引用者注:日本軍の事)がそもそも日本住民ではなく,天皇制・国体を護るための軍隊という性格をもっていたからである」(P152)
みたいな意味の分からない記述が.

たれ

 「沖縄の軍艦化」というフレーズから現在の米軍基地へイメージ的に繋げようという魂胆が見え見えですね.
 よくもまあ,こんなのを顔出しで語れるもんです.
 「沖縄タイムスに理なし」の証拠として永久保存されるべきでしょう.

Tono

以上,「軍事板常見問題 mixi支隊」より

 さて,沖縄戦での日本側の死者数は,軍民合わせて約20万人とされています.

 それがなんと,いれい氏によると大和が砲撃したら民間人だけで死者30万人に跳ね上がるそうです.
 一体それ,どんな波動砲ですか?
 まぁ,沖縄近海のアメリカ艦隊を全て打ち破って沖縄本島に到達するには,『超戦艦"ヤマト"出撃ス!』くらいじゃないと無理でしょうけれど.

 それに,沖縄では大和が潜水艦によって撃沈されたと信じられているんですか?
 こういう反戦運動向けの本に誤記があった場合,それを見るのは皆,軍事についての素人ばかりですから誰も間違いに気付きません.
 以前,ナパーム弾とクラスター爆弾を取り違えて理解している人を見つけましたが,やはりそれも反戦運動の活動報告書に記載されていた間違いが元で,大勢が勘違いしていた〔という〕事態でした.

 こういう場合,外部から指摘してやる必要が出てきます.
 今もまた,その時なのだと思います.
 菊水作戦に対する批判はこれまで数あれど,ここまでデタラメで斜め上を行っている記述は過去に例がありません.


この記事へのコメント ↓


 弾頭のエネルギってのはその運動エネルギと中に詰まってる爆薬のエネルギに分けられると思うので,とりあえず,

砲口初速×砲口初速×弾頭質量÷2 + 爆薬による化学なエネルギ

で総エネルギをだせばもすこし好感がもてますよ.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月20日 08:29:01


 何が問題かって,この手の軍事的間違いは,指摘しても訂正し無い所にあるんだよね.何処もかしこも.
 だからそれを読んだ人には,間違った知識が蓄積されて行くという・・・

Posted by TYPE 774 at 2007年04月20日 08:29:16


 戦艦1隻を奇跡的にようやく送り届けて,なんで無差別砲撃なんつー無駄なことをやらせにゃならんのか….
 一生かけて宝くじ買い続けて,ようやく一等が出たら灯油かけて燃やしちゃうようなもんじゃないか.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月20日 12:56:26


 え〜,追い打ちな上にあくまで参考記録なのですが…

 室蘭市は戦艦アイオワ,ミズーリ,ウィスコンシン3隻(+随伴艦)に800発以上艦砲射撃を受けて被害は死者393〜436名,重傷者164名,15名不明,被災者8227名だったのですが….

 もっとも,「製鉄工場などを狙ったが,市街地に被害が及び」などと前置きも加えた上で,「軍人は数に入っていないから正式な数は不明」とか「強制連行された朝鮮人や中国人は〔略〕」という枕詞が入るのですが.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月20日 21:19:19


>さて,そこへ大和が攻め込んできて,世界最大最強と
>いわれたその主砲四十六a砲塔九門が一斉に火を吹くと
>沖縄はどうなっただろうか.
 〔略〕
>住民の犠牲者は,更に多数に上り,三十万人(当時の
>人口の半分)にも達したのではないかと,恐れる.
-----

 これが後の世に言う,超戦艦大和である.
 その砲火力は民間人20万人を吹き飛ばすもので,広島型原子爆弾以上の破壊力を秘めている.

 アメリカ軍はこの荒れ狂う大和による暴風雨のような惨劇を目の当たりにし,アイオワ級戦艦の為にMK.23を開発した.
 これはW23核弾頭を内蔵する戦艦用の核砲弾で,全力射撃時には沿岸部を焦土と化す事が出来る,禁断の最終兵器.
 砲撃後,海兵隊をアトミックソルジャーとして送り込む.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月20日 18:02:55


 沖縄でローカル新聞が大勢力を保持してるのは,お悔やみ欄(だったか行事欄だったかお知らせ欄だったか)の充実ぶりに起因するらしい.
 別に新聞なんか読まないけど,ラテ欄とチラシのために新聞取ってる人も居るし,
 沖縄の人もまともに記事なんか読んでないんじゃない?

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月21日 07:40:25


 地方紙のお悔やみ欄の充実ぶりはバカにできない.

 先年,婆さんが亡くなったときに,葬儀は親戚とごくごく近しい関係者の内輪だけで済ませた.
 ところが葬儀当日.葬儀も終わって一息ついたあたりから10人くらい,さらに翌日には20人くらいの焼香があった.
 死亡広告を出してないのになぜ?と思ったら,その9分9厘まではお悔やみ欄を見た人だった.
 全県ベースで出されている地方紙なんだが,2ページほど市版のページがあり,そこに葬儀当日の朝刊のお悔やみ欄には婆さんの名前が出ていた.

 それと合わせて,生まれた子供の名前とか,結婚した人らの名前が出てんだよね.
 こういうの,市役所の届けをチェックして,漏れなく載せてるんだろうな.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月21日 09:11:13


>お悔やみ欄(だったか行事欄だったかお知らせ欄だったか)の
>充実ぶりに起因するらしい.

 道新の強みも同じ.

Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月21日 10:54:54


 くっそ!!
 言わせろ!!
 私は沖縄出身の沖縄在住沖縄人だ! 私は沖縄にずっと住んでる.

 正直,大和の話も特攻隊の話も授業でも習わなかったし,友達も家族や親戚近所もだれも話してない.
 だから私はなんの先入観も無く,大和のことについて調べた(いや,十分に反戦教育を受けていたが).
 それでも私は,大和に感謝したいと思ってる.
 結局は沖縄まで来れなかったけど,でも,死ぬと分かっていても沖縄まで来てくれようとしてくれた大和と乗組員にすごく感謝してる.
 沖縄で特攻隊と大和の慰霊祭をやるべきだとも思ってる.
 沖縄タイムスも琉球新報も左翼新聞,そして,沖縄には左翼以外の報道機関が存在しない.
 でも,私や私の周りのように,ちゃんと知ってる人がいると言いたい.
 沖縄人=左翼,ではない.沖縄の若い世代も気付き始めている.
 こんな新聞で沖縄の意志を読み取らないでくれ.
 ってか読み取ってる人もいないが^^;
 とにかく,沖縄の報道を信じるな.
 政治的な話は大体嘘だったり偏向報道だから.
 沖縄人でも大和に感謝してる.
 何度も言うけど,大和と大和の乗組員に私はとても感謝している.

Posted by sowjun at 2007年04月21日 23:27:50

「週刊オブイェクト」,2007年04月20日


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