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◆◆◆真珠湾攻撃以降
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太平洋・インド洋方面 目次
<第2次大戦FAQ

映画「トラトラトラ」より

(画像掲示板より引用)


 【link】

「2ch.軍事板」◆(2001/03/16) ガッチリハワイを占領していたら
 回収すべきレス無し

「2ch.軍事板」◆(2002/06/27) 名スレ復活、ガッチリハワイで早期に講和
回収すべきレス無し

「2ch.軍事板」◆(2013/02/05) 【ガッチリ太郎】ハワイ攻略作戦【がっかり次郎】
回収すべきレス無し

Net Bunker」(2010/10/11)◆『真珠湾攻撃』の様子が撮影されている写真

「エルエル」◆父の死後に発見したパールハーバーアタックの遺物

『幕僚たちの真珠湾』(波多野澄雄著,吉川弘文館,2013/5/8)

『モデルアート臨時増刊号 真珠湾攻撃隊』(渡辺徹著,モデルアート社,2000.11)

 真珠湾関係の資料を集めた1冊です.
 真珠湾攻撃に関する計画書の抜粋が書いてあったり,鹿児島湾における真珠湾攻撃の事前訓練の飛行経路図なんかが掲載されてあったりします.

 で,圧巻なのが,真珠湾攻撃に参加したパイロット,偵察員,電信員と,その後どこで戦死したかを書いた一覧でしょう.
 意外とミッドウェーでの戦死者が少ないかと……

------------ベタ藤原 ◆94Ls6/3E :軍事板,2002/02/24
青文字:加筆改修部分

 【質問】
 なぜ大艦巨砲主義は開戦の主役になれなかったのか?
 日本海軍はなぜ開戦の主役に航空機を据えたのか?

 【回答】
 漸減邀撃構想が成り立たなくなったため.

 「漸減邀撃」作戦構想は,基本的には「待ち」の作戦である.敵(アメリカ)がハワイから主力部隊を出動させ,日本近海に迫ってこなければ,作戦は発動できないのである.
 もし,アメリカ側が直ちに出撃してこず,戦力増強に専念したらどうなるのか.
 1941年7月の南部仏印進駐への報復として,アメリカからの石油輸入を止められた日本としては,待てば待つほど石油備蓄は減少し,とりわけ,艦隊を停泊させておくだけで膨大な石油を消費する海軍にしてみれば,一日待てばそれだけ艦隊が動かしにくくなるのである.
 したがって,米艦隊来攻をじっくり「待つ」事はできない.

 そのため日本海軍は,「漸減」作戦をさらに積極化して,海上航空戦力を全面的に頼り,日本側からハワイを叩くということに走らざるをえなくなったのである.

 しかし,日本海軍では大艦巨砲主義と航空主兵論が分離したまま,双方が独自の構想の下に戦争に突入したため,第1航空艦隊は,艦艇の巨砲の力に頼らない点で確かに画期的ではあったが,戦艦・巡洋艦などは含まず,戦略単位としては中途半端で,特に防御力は極めて脆弱だった.

  詳しくは,山田朗著「軍備拡張の近代史」(吉川弘文館,1997/6/1),p.193-194を参照されたし.

真珠湾攻撃の機動部隊航跡図
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 真珠湾奇襲の際,連合艦隊は何で一旦択捉に集まってから,ハワイを目指したんですか?
 敵の目を避けるため?

 【回答】
 それもある.
 現にヒトカップ湾周辺の住民は湾への立ち入りを制限されてる.
 1941年11月20日に海防艦「国後」が単冠湾に入港し,「あらゆる船舶の入出航を禁止」した.
 これには住民が使用する漁船も含まれた.
 もっともこの時期は,漁に出る時期ではないが.
 住民には灯火管制と,無駄な外出を控えるように呼びかけたし,単冠湾を見下ろし可能な場所への立ち入り制限があった.

 ただ最大の理由は,ハワイへ北方航路を使用して航海するために艦隊が集結するに際し,艦隊すべてを収容できる泊地能力があり,人目がなく,北方航路を利用するのに距離が短いという条件で選ばれた.

軍事板
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 霞ヶ浦の住人の確認.
 「ヒトカップ湾周辺の住民は湾への立ち入りを制限されて」いないんですね?

 説明.
 立ち入り禁止にしようにも,そこに住んでいたのですから.

霞ヶ浦の住人 ◆WdKJPq1xgk in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 単冠湾を地図で見て考えれば,人が住んでいるところが限られていて,季節的に屋外での活動が困難な時期であり,規制するにはポイントさえ抑えればいいということがわかると思うが.
 もし,一時期の中国清王朝の,片足でも海に入れるなという海禁政策みたいなものを想像しているなら,あなたに常識が欠けているだけです.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 なぜ米軍は,真珠湾攻撃を防ぐことができなかったの?

 【回答】
 奇襲で損害を受けたのは,ハワイの司令部が本国から,日本に対する警戒や防衛方針をはっきりした指示で貰えず,手が打てなかったから.
 だからこそ責任とって更迭された司令も,後に怠慢ではなかったと名誉回復されてる.

 米軍の中にはマーチン少将,ベリンジャー少将,ファーシング大佐など,
「日本が空母によって真珠湾を奇襲攻撃する」
という危険を極めて具体的に指摘して警鐘を鳴らしていた者もいた
 しかし作戦部長のハロルド・スタークは
「日本海軍の軍備・編成からいって,そのような可能性が存在するとは思われない」
という意見をキンメルにやっているんで,少しも顧みられることはなかった.

 さらに遡ってみれば,ハルノートに関する,当時の日本人の怒りの琴線というか限界点を理解できなかった米英の,知日派の少なさからくる小さな外交ミスの累積って見る事も出来るけどね.
 同様に日本も米英を理解できてなかったし.

 相手の文化や民族性や,何に触れたら相手が怒るかってのを理解できないで,外交や戦後統治でミスるアメリカの悪癖は,現在も続いているけどね…

軍事板
青文字:加筆改修部分

攻撃開始時の米艦艇の位置
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 真珠湾攻撃まで,米海軍は空母の威力を全く気付かずにいたのか?

 【回答】
 全く,というわけではない.
 1921年のミッチェル准将の爆撃実験の他,1929年1月の「フリート・プロブレムW」演習等で空母の威力が確かめられていたという.
 以下引用.

――――――
 1929年1月の「フリート・プロブレムW」演習では,それぞれ空母を含む2つの部隊が対抗で,パナマ運河の模擬攻防を行った.
 攻撃側の空母サラトガ Saratoga CV-3 は夜間に高速でパナマ運河から220キロほどの攻撃発進位置へ進出,夜明けと共にマーチンT4M雷撃機17機を始めとする攻撃隊を発進させた.
 これらの攻撃隊は,空母レキシントン Lexington CV-2 や陸上基地の陸軍戦闘機からも全く妨害を受けないまま,パナマ運河上空に到達,閘門を「破壊」し,飛行場を「使用不能」とする戦果を挙げた.
 空母の機動力と飛行機の迅速性と行動範囲が,大規模で決定的な奇襲を可能とすることが証明されたのである.
 攻撃側の「損失」は,エンジン不調で陸上基地に着陸した雷撃機4機と,期間中に燃料不足となり,洋上に不時着水したボーイングF3B戦闘機1機だけであった.
 この不時着水機も乗員は救助されている.

 同様の演習はその後も繰り返され,空母からのT4M雷撃機部隊は,ハワイのパール・ハーバー基地への奇襲攻撃にも成功している.

――――――「世界の艦船」2005年4月号,p.77-78(岡部いさく著述)

 したがって,真珠湾攻撃がなければ米海軍は戦艦を主力としたままだっただろうという,よくある仮想戦記的見解は,必ずしも正しいとは言えない.

消印所沢

▼ 真珠湾攻撃が無くたって,アメリカはすでに機動部隊を運用してた.
 というより,港湾の艦隊に対して航空機が有効なのを証明したのは,真珠湾攻撃よりタラント空襲の方が先だと思う.
 戦闘行動中の艦艇に対しても,航空機が有効な打撃を与えられることを証明したのは,マレー沖海戦.
 しかし,「日本がやらないと米が気づかない」と仮定するのは,あまりに米軍を馬鹿にした見方だと思う.
 米は余力で十分な航空部隊を編成できる国であり,すぐに実戦で航空機の優位性を発見してたはず.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2009/04/15(水)
青文字:加筆改修部分

 ちなみに第1次大戦の情勢しだいでは,ソッピース・クック40機3波をもって,ヴィルヘルムスハーフェンを襲うという作戦が実行されていたかもしれないそうだ.
 言いだしっぺはビーティ,嫌がる海軍省を無視して,雷撃機の供給を決めたのはチャーチルとフィッシャー.

軍事板,2009/04/15(水)
青文字:加筆改修部分

空母「サラトガ」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 真珠湾攻撃は航空に関してさっぱりな南雲が指揮を執りましたが,後輩の小沢が序列で無理なら,日露の児玉みたいに上からもって来る事はできなかったのでしょうか?

 【回答】
 割とスルーされがちですが,南雲の同期に塚原ニ四三中将がいました.
 彼は,1921年に横須賀航空隊付として航空畑に転じて以降,航空教育と部隊勤務を歴任した,
 小沢以上の航空のスペシャリストです.

 ですが,彼は支那事変において左腕を失う重傷を負ってしまいました.
 これにより艦隊勤務は無理と判断され以来,彼は基地航空司令等の陸上勤務に回されます.
 片腕損失と言ったら本来はまず予備役行きでしょうが,それでもなお現役に留まったのは,いかに彼が航空分野で必要とされたかお分かりになると思います.

 負傷が無ければ,真珠湾攻撃の指揮を執ったのはまず塚原でしょう.
 南雲はあくまでもピンチヒッターです.

 上から持ってくるってのは,終戦まで序列にこだわった海軍には無理でしょうね.
 「後輩が先輩を指揮するのは厳禁」,って暗黙の了解があったので.
 それ故に塚原も終戦末期に,小沢が連合艦隊司令に任命される際に,序列の関係から横鎮長官を辞めてますから.

ue ◆WomMV0C2P. in 軍事板,2007/06/27(水)


 【質問】
 なぜ南雲は,新鋭の翔鶴・瑞鶴を旗艦にしなかったの?
 当然,航空隊は赤城・加賀から母艦変えでね.
 戦艦戦隊や重巡戦隊とかだと新鋭艦が旗艦になるパターンが多いのに.
1航戦―翔鶴・瑞鶴
2航戦―赤城・加賀
3航戦―飛龍・蒼龍
となるのが自然かと.

 【回答】
 竣工順じゃなくて編成順,母艦直属じゃなくて母艦固有だ.
 意味が違うぞ.
 日本の艦載航空隊は母艦の固有編成.
 従って,中の人だけお手軽に引っ越したりできんのだよ.

 そして戦隊なんかの番号は,基本的に編成した順に振っていく.
 翔鶴・瑞鶴を一航戦にしたかったら,まず現行の戦隊を解かなければならない.
 海軍も役所だから,現場の判断だけで勝手に編制や旗艦を変更することはできない.
 「帳簿上」の事務手続きが必要.
 開戦時に質問者のような編成とするためには,戦時編制の改訂(天皇の裁可)が必要になる.
 1航戦(赤城・加賀・第7駆逐隊)・2航戦(飛龍・蒼龍・第23駆逐隊)・5航戦(翔鶴・瑞鶴・秋雲・朧)だけでなく,3航戦(鳳翔・瑞鳳・三日月・汐風)が所属する第1艦隊の編制も変更しなければならない.
 書類作業がえらい事になって,出師準備に悪影響を与えそうだぞ.

 事実,レイテ沖海戦の前に第2艦隊司令部が,旗艦を愛宕(第4戦隊)から大和(第1戦隊)に変更したと希望したが,軍令部や海軍省から
「第2艦隊の司令部(司令長官)は,第4戦隊の司令部(司令官)を兼務しているし,夜戦の指揮をするためには重巡を旗艦にするべきだ」
との意見が出され,実現しなかった.
(パラワン水道で愛宕が沈んだため,結果的に要望は実現したが,そのためにサマール沖で…)

 航空隊に関しては,
・赤城飛行隊:赤城では熟練,翔鶴では要訓練
・翔鶴飛行隊:翔鶴でも赤城でも要訓練
 だから,引っ越しするのは全体の練度を落とすことになる

 それに,赤城に慣れきった熟練の方が,翔鶴に慣れるのに時間が掛かりかねん.
 熟練搭乗者だって,新空母に移ったら,その空母に合わせて訓練せにゃならんからな.

 開戦に秒読み始めてる時点で実現できそうな事じゃないな.

 結論:どーにもならん(時間を掛けるメリットが無い)

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾攻撃の時,ハワイに向かって来る日本軍航空部隊をハワイの米軍レーダーが捉えておきながら,そのレーダー担当者が「本土から飛来する予定になっている編隊だろう.」と誤認して見過ごしてしまったという話.

1 本当の話でしょうか?
2 もし,レーダーに捕らえた時すぐに警報を出していたら,日本航空隊の真珠湾上空到達までに米軍航空隊を
  スクランブル発進させるとか,対空戦闘用意するだけの時間的余裕があったでしょうか?
3 1が本当だとすれば,誤認して見過ごしたレーダー担当者のその後はどうなったのでしょうか?
  軍法会議で極刑に問われたか,あるいはこのレーダー施設も爆撃されて死傷したかだと思うのですが.

 【回答】
1.
 本当の話

2.
 当時の真珠湾の警戒・連絡態勢を考えると疑問.
 例えば駆逐艦ウォードの特殊潜行艇発見の報告を受けて,当直待機艦の駆逐艦モナガンに潜水艦捜索命令が届くまで1時間近くかかっている.

3.
 詳細は不明だが,軍法会議にはかけられてない.
 レーダーの対象を味方と誤認したのはミスではあっても,軍法に触れる行為ではない.


 【質問】
 「トラトラトラ」ってあるじゃないですか
 あれはどちらかといえば作戦成功や,敵機撃墜の時とかに使う歓喜の言葉ですよね?
 「ニイタカヤマノボレ」というのは真珠湾攻撃のときの作戦開始合図のメッセージですよね?
 うちの高校の先生がトラトラトラが攻撃の合図だといっているんですが・・・

 【回答】
 「ニイタカヤマノボレ1208」は,開戦日を伝える暗号文です.

 「トラトラトラ」の意味は「奇襲攻撃成功」「我 奇襲ニ 成功セリ」です.
 「ト」は突撃,「ラ」は無線のモールス符号が同じアルファベットの「S」を指します.
 これで「トS」となり「突撃サクシーデット(成功)」の頭文字です.

 ソースは世界文化社「連合艦隊ー南雲機動部隊編ー」です.

 時系列順で語ると
 (1) 「トツレ(突撃準備隊形作れの意)」の打電のかわりに信号弾を打ち上げる(注1)
 (2) 信号弾の打ち上げで手違いがあり,攻撃が予定通りにいかなくなった(注2)ので,「トトト……(突撃)」を打電.
 (3) この後,奇襲攻撃成功を意味する「トラトラトラ……」を打電.

(注1:
 通常の海戦では信号弾ではなく「トツレ(突撃準備隊形作れの意)」の打電が行われ,突撃準備隊形を作ります.
 注2:
 予定では奇襲成功の場合1発,奇襲不成功で強襲となったの場合2発,信号弾を打ち上げることになっていました.
 強襲とは,敵に反撃の兆候が有った場合のことと解釈していいと思います.
 奇襲では敵の迎撃機の心配が無いので,最も攻撃効果が上がるように,雷撃→水平爆撃→陸上爆撃・銃撃の順の予定でした.
 強襲の場合は,まず敵の迎撃戦闘機を封じなければならないので,陸上(飛行場)爆撃・銃撃→雷撃→水平爆撃となります)

 ハワイ上空で攻撃隊指揮官の淵田中佐は奇襲と判断し,信号弾を1発打ち上げます.
 しかし,上空警戒中の零戦隊指揮官の板谷少佐はこれを見落としてしまいます.
 戦闘機隊は突撃準備動作を取らず,攻撃隊はどんどん真珠湾に近づいていく.
 淵田中佐はやむなく,もう1発信号弾を打ち上げます.
 今度は板谷少佐はこれを視認し,突撃準備隊形を作りました.
 ところが,これを「信号弾2発=強襲」と誤認した人がいました.急降下爆撃隊指揮官の高橋少佐です.
 高橋少佐は急遽,強襲攻撃に移り,敵飛行場に向かって降下を始めました.
 こうして,訓練に訓練を重ねた攻撃計画は大きく狂ってしまい,淵田中佐はやむなく「トトト…(突撃)」を打電しましたのです.

 ソースは,光人社NF文庫「海戦辞典」,世界文化社「連合艦隊ー南雲機動部隊編ー」,別冊歴史読本「日本海軍艦隊総覧」です.

(極東の名無し三等兵 in FAQ BBS)


 【質問】
 真珠湾攻撃よりも先に連合軍への攻撃が行われた戦闘があるというのは本当ですか?

 【回答】
 コタバル上陸作戦のほうが,時間的には先に行われています.
 以下引用.

――――――
「〔コタバル上陸部隊の〕侘美支隊長は淡路山丸の船橋で,船長,高級副官,上陸用舟艇の操作の責任者である独立工兵連隊長などと,上陸成功の無電を待ち侘びていた.
 〔略〕
 2時20分,1隻の舟艇がやっと戻ってきた.侘美支隊長は,その艇長の報告を元に,
『八ヒ0130第1回上陸成功す,〔略〕』
と軍司令部に打電した.
 午前1時30分(日本時間)は真珠湾奇襲攻撃開始よりも1時間50分早かった.〔略〕
(もっとも,防衛庁戦史室編集の『マレー侵攻作戦』では,侘美支隊長のこの報告を承知の上で,他の資料も勘案して,コタバル上陸時刻を午前2時15分としてある)」

――――――(森山康平著「秘蔵写真で知る近代日本の戦歴8 マレー・シンガポール作戦」,フットワーク出版,'91,P.55-56)

 しばしば,「真珠湾で先に日本潜水艇が攻撃されたから,奇襲攻撃ではない」などと詭弁を述べる人がいるが,その詭弁自体,無知の産物だということ.


+

 【質問】
 米軍が先に日本艦を撃沈していたという,このサイトは信憑性があるものなのでしょうか?
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/pearl_harbor.html
 もし本当だとしたら,先制攻撃をしかけたのはアメリカというこになり,歴史の教科書は間違っていることになりますが,どうなんでしょうか?

 【回答】
 真珠湾攻撃の前に,アメリカ海軍の駆逐艦が日本の特殊潜航艇を撃沈したのは事実です.
 ただし,他国の領海内で,潜水艦が潜航したまま航行するのは国際法上,戦闘行為と見なされます.
 従って,米軍の行為は単なる「正当防衛」であり,先制攻撃を仕掛けたのは日本であるという事実は動きません.
 当時の技術では潜水艦の潜航は攻撃時に限られており(通常は浮上して航行する),それで外国の領海内をウロウロしてたら撃沈されて当然です.不審船事件みたいなもんですな.
 また,大西洋では米船が独潜水艦の攻撃を受けていたことも勘案すべきでしょう.

 それに,真珠湾攻撃の数時間前に英領マレーのコタバルで既に戦闘が始まっております.
 ちなみに日本は英国に宣戦布告しとりませんです.遅れたどころの話じゃないわけで.

 念の為,伊−1〜402と呂−31〜117まで調べましたが,開戦前の交戦による喪失艦はありませんでした.
 伊−70が12月10日にエンタープライズの艦載機の攻撃で撃沈されてます(ハワイ諸島モロカイ島ハラワ岬北東(23度50分N 155度35分E).コレより前は見当たらなかったです.(添削よろしく

 これに関する公式レポート.
http://www.history.navy.mil/docs/wwii/pearl/ph97.htm

 なお,質問者が引用しているHPですが,例えば以下の記述にも見られるように,戦史に対する誤認識があるようです.

「その後,『飛虎隊』は,日本陸軍が新たに「ゼロ戦」(三菱零式艦上戦闘機)
── 米軍が「ゼロ・ファイター」(Zero Fighter)として恐れた高性能戦闘機を支那戦線に投入した事で壊滅」
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/flying_tigers.html

 情報源とするには問題があるのではないかと思われます.


 【質問】
 真珠湾攻撃に参加した日本潜水艦の状況は?

 【回答】
 『伊号艦長潜航記』(荒木浅吉著,光人社NF文庫,2005.10),P.54〜81によれば,この作戦では伊24潜は湾内に侵入する特殊潜航艇(酒巻少尉,稲葉一曹搭乗)を搭載していますが,この特殊潜航艇がこの段階では故障の多い未完成の兵器で,真珠湾に向かってる最中でも
・特殊潜航艇に充電してもアースの為,まったく無効になってしまう(熱風乾燥用電線を特殊潜航艇のキャプタイヤー線に接続,館内の管制盤室から艦橋を通して漸く充電可能に)
・伊24潜か深く沈下してしまう事故が発生し,その際特殊潜航艇の発射管下部の魚雷が浸水の為に交換が必要に
・ジャイロコンパスが故障し,修理が出来ず
など不具合,故障が多発.出発直前の著者の激励に対し,酒巻少尉は「生きて帰れといわれても,それは無理でしょう」と答えたとか.

 真珠湾作戦後,捕虜になってしまった酒巻少尉を除く特殊潜航艇の乗員九名が軍神として顕彰された事に,著者は違和感を覚え,特攻作戦に大きな疑問を抱く様になったとか.
(連合艦隊の黒島亀人先任参謀の事を「異常な特攻マニア」と批判しています)

 また伊24潜自体も竣工後の就役慣熟訓練を省略して特殊潜航艇の搭載工事,出撃となった為,こちらも様々な不具合,ミスが連発.
・浮上直前に主排水ポンプが利かず,哨戒長に無断で迎水を注水した為,急速に沈降
・13センチ双眼鏡が浸水しているため,乾燥分解を行い,八時間かけて完成させる
・魚雷発射管の上部連管の耐圧弁不良の為,一番管の前扉が開閉不能
・潜航中に沈下を始め排水もメインタンクブローも利かず,三人がかりで固く締まっていた排水弁を開き,事なきを得る(排水ポンプをかけるときに無断で3トンの迎水行った事と,空気手が排水弁から海水が垂れ落ちてるのを見て善意で増締したのが原因)
・浮上したら艦が左20度に傾き完全に排水できず,金氏弁を閉めてから調べてみたら7・8番ベント弁に材木が挟まっていた
・深度30で潜航中に艦が揺れるので日没後に浮上しようとメインtランクブローしたら艦が右に傾いた(右中央ベント弁に材木が挟まっていた)

グンジ in mixi,2008年07月20日17:34


 【質問】
 真珠湾作戦の航空攻撃が始まるのに先立って,甲標的が真珠湾入り口で,米駆逐艦に発見され,砲撃まで受けたと言う話を聞いて驚きました.
 それについて検索すると,当然駆逐艦は太平洋艦隊司令部に打電して,警報を出した.
 この時点で航空攻撃開始まで,充分時間があった.
 しかし司令部員の誤解と形式主義により,その電報は司令部の机の上で無駄に止まってしまい,艦隊司令官の下に届いたのは日本航空隊が攻撃を開始する直前で,警報は役に立たなかった,とのことでした.
 この米軍側の不手際,誤解と形式主義とは,何だったのでしょうか?

 【回答】
 米国は日本軍がフィリピン侵攻作戦を取るとの考えから,これに対抗する作戦として,西太平洋での対日決戦を想定した「レインボー計画」を採択していました.
 これによれば,日米開戦と同時に太平洋艦隊は真珠湾を出撃し,マーシャル諸島へ侵攻する手はずになっていました.

 ここからが形式主義と呼ばれた部分なのですが,太平洋艦隊司令部では真珠湾への奇襲の可能性は低いと考えており,キンメル太平洋艦隊長官は,マーシャル諸島侵攻作戦のための準備と訓練のほうが重要と考えて,索敵のための哨戒を軽視していたようです.
 さらに,陸上の防衛はショート陸軍大将,湾内の防衛はブロック海軍少将の担当となっており,責任の所在が分かれたことや,1940年以降に太平洋艦隊がワシントンから対日戦の危機情報を4回も受け取っており,いわゆる「狼少年」と同じ状態になって,警報を信用しなくなった事などがあったと言われています.
 特に4回目の警報は,ハル・ノートを日本に提示した11月26日に出されており,十日以上経って危機感が緩んでいた,と考えた方がいいようです.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2003/09/19
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾に投入された甲標的のうち,今も発見されていないものがあるって本当ですか?

 【回答】
 おっしゃる通り,真珠湾に投入された5隻の甲標的のうち,発見されたのは4隻のみです.

*岩佐直治大尉艇:引き揚げ後遺体と共にそのまま地中に埋められる.

*酒巻和男少尉艇:海岸で座礁し鹵獲後戰意昂揚のため全米を巡業.
             現在は"The National Museum of the Pacific War"内のニミッツ博物館に展示.

*広尾 章少尉艇:1960年に真珠湾外で発見後日本に返還.現在は江田島に.

*古野繁実中尉艇:1992年に艇尾部分の残骸を発見.

ということで,横山正治中尉艇はいまだ発見されていません.

 なお,近年甲標的は湾内で雷撃に成功していたという説があり,それに答えるべく,「ナショナルジオグラフィックTV」が2000年11月に湾内を捜索しましたが,この際も横山艇と思われる残骸は発見できませんでした.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/04/29(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
最近,
「ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に知っていた.
 ただ,日本と戦争する口実が欲しかったから放置した.
…と,いうことが最近の研究で分かった.これは最早一般的な定説だ」
みたいなこと言う方をたまに見かけるのですが,これって本当の話ですか?

 【回答】
 二重に違います.

 まずその説は終戦直後から,1946年ごろの米雑誌に既に掲載されていますし,「最近の研究」では,ルーズベルトら米政府首脳は,日本がまずフィリピンを攻撃するものと踏んで警戒していたことが,ますます明確になってきています.

 「放置」説のそもそもは,ルーズベルトの四選を阻むために対立候補が流そうとしたデマが,独り立ちしたものといわれています.
 これを数年前に,ロバート・スティネットなる人物が,米海軍の新たな公開文書から新証拠を発見したとして,「真珠湾の真実」と言う本にまとめたため,改めて日本で話題になったものです.
 しかしその内容は,秦郁彦氏編著の「検証・真珠湾の謎と真実」で,あっさりと論破されています.

 ルーズベルトは自叙伝を残す間もなく急死し,彼が何を知っていたかは完全に謎です.
 真珠湾に攻撃がある可能性を示唆されていたことはありえますが,開戦の糸口にするため,あえて放置したとの考えは,その被害の大きさからして考えにくいと言うのが,常識的な回答だと思います.

 ちなみに90年ごろのロシアでは,「真珠湾攻撃を企画し,日本海軍に吹き込んだのは,旧ソ連軍参謀本部である」という説が,爆発的に広まっていました.

軍事板,2003/09/19
青文字:加筆改修部分

 講談社選書メチエの「真珠湾<奇襲>論争」(須藤真志著,2004.8)という本を買ってください.
 如何にトンデモが蔓延っているか,それを如何に論破するか,色々面白いことが書かれています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

▼ ただし保坂正康は,「先に手を打たせたかった」という点までは事実だろうとしている.
 ただ留意点として,「した」のは日本だということ.
 一歩進んで(?),ルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていたとか,コミンテルンの陰謀が〜とか言い始めるとダメダメ.

Q. 日本はルーズベルトの罠にはまり真珠湾攻撃を決行した?

秦郁彦
「(いわゆるルーズベルト陰謀説は)ミステリー小説のたぐいで,学問的にはまったく相手にされていない」

保坂正康
「米国が日本に先手を打たせたかったというのは事実だろう.
(中略)
 (だがしかし)政府や大本営が米国を見誤った『甘さ』のほうが問題だ.
 日本が正しくてはめられた,などという論は無責任だ」

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 わが愛しのクライン孝子さんの日記に,こんなことが書かれていたので,僕はすっかり嬉しくなりました.
「至急転送し,ご回覧願います」
とありますので,微力ながら協力します.
 ちなみに落合さんは,例の論文でタモさんと最優秀賞を争った方だそうです.

――――――
■2010/01/10 (日) 1

「スターリンの国際戦略から見る大東亜戦争と日本人の課題」 
http://www3.plala.or.jp/tkyokinken/ 
著者落合道夫先生より

<<平成22年1月9日
各位

 落合道夫

ソ連の崩壊で米ソから貴重な情報が公開され,
戦後の反日歴史観が見直されています.

しかし最近,歴史をゆがめ日本人を外国に隷属させようとする
悪だくみが見られます.

こうした状況で本情報は日本人全体にとって非常に重要と
考えます.

ぜひ友人,知人に至急転送しご回覧願います.

********************************************************

米国務省の公文書公開「真珠湾は奇襲ではなかった」

東京近代史研究所 代表 落合道夫

1.事実:

米国ウィスコンシン大学の国務省外交文書図書館で戦前
の駐日大使グルーの国務省あての公電が公開されている.

この中に日本の真珠湾攻撃の
十ケ月前の1941年1月27日に日本軍の真珠湾攻撃計画を
国務省のハル長官に報告したものがある.

その内容は,
「米大使館員が入手した情報によると日米関係が難しく
なった場合,日本軍が総力をあげて真珠湾を攻撃する計画が
あるという.
驚くべきことであるが,東京の日本人を含む複数の外交筋から
の情報なので急ぎ報告する」というものである.

これで長年の日本近代史の大きな疑問がひとつ解けたことに
なる.

■2010/01/10 (日) 2

2.意義:

1)反日宣伝からの解放:日本人は戦後占領軍と左翼に長く
真珠湾攻撃が卑怯であるという誤った贖罪感を埋め込まれてきた.
しかしこれで解放された.
ルーズベルトは明らかに日本の反撃計画を知っていた.
その上で対日貿易封鎖をおこない過酷な対日要求ハルノートを
出してきたのである.

2)歴史の真実:

それでは日本の攻撃を挑発したルーズベルト大統領の狙いは
何だったのか.
それは言われているように,欧州大戦への参戦契機づくりと
満州を狙う邪魔もの日本の排除のためと考えるのが
合理的であろう.
これで東京裁判史観は誤っていることがわかった.
必然的に日本に戦争責任がない新しい近代史観が必要になって
きた.

3)なぜ国務省は公開するのか:

現在の米政府が戦前のルーズベルト外交の対日陰謀の
重要証拠文書を公開しているのは,
米国の極東政策が戦前とはガラリと変わったからである.
戦前の日米は満州を争う競争者だった.
しかし今は共通の敵を持つ同盟国である.

そこで米国は極東の要となる自由主義国家日本を再建したいと
考え,そのために日本人の時代遅れの敗戦ボケからの覚醒を  
待っているのであろう.

3.日本人の対応:

1)周知:左翼は真珠湾事件を日本人をだます材料に使って
きたので,この情報を隠ぺいしようとするはずである.
そこで愛国者は大至急このメールを転載回覧し日本中に
この史実を周知していただきたい.

2)靖国神社や護国神社はこの情報の常時掲示をお願いしたい.

3)歴史教科書へ盛り込む:生徒が誤った歴史教育を受けて
いるので,文科省はすぐに教科書の補正資料として印刷し
生徒に配布すべきである.

4.本米国公文書情報へのアクセス方法は以下の通りである.

1)グルーの電報の元のファイル:
米国ウィスコンシン大学 外交文書図書館

2)ここのSearchのところにGrewと入力すると,
グルーの電報のリストが出てくる.(Gは大文字)

3)問題電報は133ページにある.
公文書番号は711.94/1935である.

以上 >>
――――――

ぴぴ,2010年01月10日 19:04

 【回答】
 よく見つけてくるものですなあ.

 ところで,ルーズベルト政権ってのは,クロスチェックしていない情報をそのまま鵜呑みにするような政権だったんですかね?
 高々電報一通で,当時の常識をひっくり返すとは思えませんが.

ゆきかぜまる,2010年01月10日 19:26

 本論はともかくとして,Wikipediaだと,

――――――
 1941年1月,山本は第11航空艦隊参謀長であった大西瀧治郎少将に対して
「真珠湾を航空攻撃できないか」
と航空攻撃計画の作戦立案を依頼した.
 当時数少ない,海軍将官きっての航空通の1人であった大西は,ある程度骨子を作った後,2月に第1航空戦隊の参謀であった源田実中佐に,山本の意向を伝えた.
――――――

って書いてますね.
 これが本当だとすると,
(真珠湾攻撃作戦自体の実行決定までは,さらに紆余曲折あって,この段階では海のものとも山のものともつかぬものだったようですが)
思いついた段階で外に漏れてる「奇襲計画」ってことになりますね(汗.

HASU,2010年01月10日 21:46

 記憶とちょっと手元の資料読んだ感じだと,及川海軍大臣に「やるなら開戦劈頭真珠湾をやらないといかん」みたい書簡を送ったのが,16年1月だったはず.

 「山本五十六はフリーメーソンでアメリカとグルダッタンダヨ!!! 」じゃなければ無理,

島の人,2010年01月10日 22:18

 第一次世界大戦中にはすでに英海軍が,航空母艦によるドイツ海軍根拠地攻撃を構想していたり,1940年11月11日にはタラント空襲が行われていたり,当時の日本が南進政策をとっていて,開戦ともなれば海軍力を南方地帯の制圧に振り向けなければならないことから,従来の迎撃構想に依らない米太平洋艦隊への対処を考えなくてはならない以上,実は当時でも,情報さえあれば推測がつくような戦術なんじゃないかとぼんやり思ったりします.

 まぁ,確たる根拠があるわけではない雑感なんですが.

ガ・チャー・de・畜生,2010年01月10日 22:36

 んじゃ,その公電を訳してみようか.

原文

――――――
A member of the Embassy was told by my colleague that from many quarters, including a Japanese one, he had heard that a surprise mass attack on Pearl Harbor was planned by the Japanese military forces,in case of "trouble" between Japan and United States; that the attack would involve the use of all the Japanese military facilities.
My colleague said that he was prompted to pass this on because it had come to him from many sources, although the paln seemed fantastic.
――――――

 意訳.

――――――
 私の同僚の大使館員の一人が,複数の出所からの情報だと聞かされた話によれば,日本とアメリカの間に,トラブルが発生した場合に,真珠湾に対する大規模な奇襲攻撃が日本軍によって計画されており,その攻撃には,日本のすべての軍事的設備を使用するだろう.
 私の同僚は,この話が複数の情報源から来ているので,すぐに報告すべきだといったが,その計画はfantasticに見えた.

(fantastic:空想的な, 気まぐれな; 根拠のない; 妙な; 途方もない)
――――――

 感想.
 つまり,グルー大使が「fantastic」と評す程度の情報ってことですね.

極東の名無し三等兵,2010年01月11日 00:01

>各位

 12月8日ならまだしも,1カ月と1日遅れでこんな手垢のついたもんを見つけてくるセンスが素敵です.

 グルーに報告した大使館員はクロッカー一等書記官で,クロッカーにそれを話したのがシュライバー・ペルー公使だそうですね.
(検証・真珠湾の謎と真実,PHP研究所)

 んで
>現在の米政府が戦前のルーズベルト外交の対日陰謀の
>重要証拠文書を公開しているのは,
>米国の極東政策が戦前とはガラリと変わったからである.
>戦前の日米は満州を争う競争者だった.
>しかし今は共通の敵を持つ同盟国である.

 ・・・ああ,NASAの公開情報から,人類が月に行ってない証拠を暴き出すというアレですね.

 どういうトンデモさんが食いつくのか,今後も見守っていきたいと思います.

ぴぴ,2010年01月11日 08:55

以上,「軍事板常見問題 mixi別館」より

▼ 忙しくて全編をまだ見ていないんですが.

 グルー公電を大発見してしまった落合さんの市民講座のようです.
http://www.youtube.com/results?search_query=tkyokinken&amp;aq=f

 この辺が気に入りました.
http://www.youtube.com/watch?v=BENLVEZtNO4
(2分40秒ごろ,行進曲軍艦が大音量で鳴るので注意)

 3分あたりでグルー公電のことも出てきます.

 妙な略語を使い回すあたりが,とても素敵です.

ぴぴ in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年03月21日,16:49
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 どうして真珠湾で日本軍は,石油タンクと港湾設備を破壊しなかったんですか?
 ニミッツ提督も「アレを攻撃されてたらやばかった」みたいなことを書いてるのに.
 日本軍にはもう弾がなかったんですか?

 【回答】
 地上施設を破壊するには一旦戻って爆弾を搭載する必要があり,それを何度も繰り返さなければ確実な損害を与えることができない.
 となれば米軍の航空部隊に反撃する時間を与え,機動部隊の航空戦力が大きく減耗する危険性があった.
 一旦減耗した航空戦力の回復,特にパイロットの養成には時間がかかり,その間にもし敵の反撃があれば対抗できない.
 機動部隊と熟練パイロットは一枚しかない切り札ですから,序盤の牽制である真珠湾でそこまで踏み切れない.
 また,真珠湾にいなかった空母に奇襲攻撃をかけられるという危惧もあった.
 よって,最優先目標の真珠湾に停泊する艦艇の壊滅によって作戦目的は果たせたとしてさっさと引き揚げた.

 石油タンクに関しては,日本側は米軍が地上タンクではなく破壊の難しい地下タンクに石油を保管していたと思っていたという説もある.
 また,一言に破壊といってもそう簡単な仕事でもない.
 その後の戦いでも日米ともに,散発的な空襲では各地敵地上施設の機能を停止させることがなかなかできなかった.結構がんばって回復しちゃうのよ.
 それに,主に船舶用の重油なんで,かなり派手に火を付けないと引火しない.天ぷら油が加熱しないと燃えない様に.

軍事板

 そもそも,日本空母機動部隊は,空襲を阻止する能力が薄弱であることを自覚していたので,一撃離脱戦術しかやりようがなかったという.

 以下引用.

――――――
 この戦闘で日本空母部隊は,〔略〕,残存する基地航空機と所在不明のアメリカ空母からの反撃を恐れ,一撃を加えた後,直ちに反転して戦場を去った.
 このとき,日本空母部隊は対空警戒レーダーを持たなかった上,艦戦比(全搭載機に対する艦戦の比率)が29%に過ぎず,その戦闘機の大半を攻撃機の援護に当てたため,防空用として30機あまりを控置しているのみで,空襲を阻止する能力が薄弱であることを自覚していた.

 このような攻撃力と防御力の極端なアンバランスが,開戦痔の日米空母部隊に共通する弱点で,強靭な戦力を持つ対陸上基地戦闘では "Hit and Run"(一撃離脱戦術)を採るのが原則だった.
 後年指摘される,反復攻撃による軍港施設の破壊を実施できる段階ではなかったのである.

――――――「世界の艦船」2005年4月号,p.82(中川務著述)

 【質問】
 さて,最近,本屋で「軍事研究」とか,「丸」とかの軍事関係の雑誌を読むようになったのですが,先日読んだ雑誌の記事に真珠湾攻撃のことが書かれていました.
 攻撃のとき,戦艦を狙ったが,石油備蓄タンクには目もくれず爆撃したと.
 もし,備蓄タンクを爆撃したら燃料不足で,太平洋戦争は結果が変わったのではないかと.
 歴史にIFはないですが,米軍の大量の燃料を使い物にならなくできたら,あの戦争の結果は変わったのでしょうか?

 【回答】
 結論から言えば,ほとんど変わらなかったと思います.
 さる本によれば,当時の真珠湾の石油備蓄タンクの備蓄量は450万バレルだそうです.
 すごい数字と思うでしょうが,キロリットルに換算すると71.5万kl.
 これは当時の日本の石油備蓄量約800万KL(約600日分)の8.9%に過ぎません.
(ちなみに当時の日本の年間消費量は,年間約500万KLだそうな.)

 しかも当時,真珠湾の石油タンクは実は空だった
(地上にあるのは偽装タンクで,地下のタンクに備蓄していた)
ので,爆撃してもまったく意味が無かったという話もあります.
 すべての燃料を使い物にならなくするなんて,できない相談でしょうね.

軍事板,2002/11/10
青文字:加筆改修部分

 【反論】
 あ,それはむしろ日本側が言ってる話.
(この頃,日本はタンクの地下化を急速に進めていた)
 アメリカは,なぜ日本が燃料タンク攻撃しなかったのか,不思議で仕方なかったらしい.

 でも,真珠湾を出撃拠点にできない状況が当分続けば,アメリカの反攻は相応に遅れたでしょうね.
 ただし遅れるだけ.
 本土で量産されている空母や戦艦の数が減るわけじゃなし.

ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板,2002/11/10
青文字:加筆改修部分

▼ 参考までに.

 日本側が言っている事とのことですが,34〜35年前にハワイに行ったときに,現地の日系人(2.5世:2世と3世の間に生まれた人)で保険関係の仕事をしていたらしい人ですが,その人は地下タンク云々の件を話して,わかっていたためなのかなあなどと言っていました.
(観光客と接点が多いようですので,ゆうか様のあげらておられる系統の話を日本人から聞いた話が入っている可能性もあるため,エビデンスにはなりませんけど)

bugaisha in FAQ BBS,2011/1/13(木) 12:2
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾攻撃で南雲機動部隊が,第3次攻撃隊を出して,真珠湾の燃料タンク,ドック施設を破壊することは可能だったでしょうか?
 真珠湾の燃料タンクやドック施設を破壊してたら,アメリカ太平洋艦隊はかなりのハンディを背負ったと思います.
 船を修理するのにも本土まで曳航しなきゃならなくなったと思いますし,ハワイで燃料補給もできなくなってましたしね,

 【回答】
 既に第2次攻撃隊の時点でかなりの損害を出しているので,第3次攻撃隊を編成して攻撃を実行したところで,どれだけの成果が得られたのか,と考えると正直怪しいところ.
 第1次攻撃終了後,稼働機は300機を割っており,また,煙がたちのぼり湾内の視界が攻撃に支障をきたす位になってるのに,検討したこともない燃料タンク,工廠設備を攻撃しても無意味,戦果不十分になるだけ.
 仮に第3次攻撃隊を出していたとしても,結果第1機動部隊の航空戦力は壊滅的打撃を受けてしまい,後々の作戦に影響が出た可能性が高い.
 無理矢理かき集めた操縦員を無駄に消耗し,その後の戦いに悪影響を与えるだけ.
 結局,大局は変わらないと思う.

 真珠湾攻撃の失敗は,何より機動部隊を攻撃し損ねて,米太平洋艦隊の「使える戦力」を残してしまったこと(それが空母機動部隊だったということはあまり問題ではない).
 作戦の最重要戦略目的だった「米太平洋艦隊の無力化」に実は失敗してしまったということで,その時点で他に何をやっていようと,その失敗はフォロー出来ない.

 そもそも真珠湾攻撃は南方作戦を行ってる間,アメリカ太平洋艦隊にちょっかいを出されないための足止め作戦と認識すべき.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 学研のMOOK「歴史群像太平洋戦史シリーズ28 日VS米徹底分析陸海軍基地」に,当時のオアフ島の写真が掲載されていますが,オイルタンクはどれも1つづつ堰堤で区切られ,オイル漏れや,火災事故で有縛しにくいように建設されています.
 また,そのタンクが多数存在するので,こちらを攻撃すると仮定して,艦攻,艦爆を各小隊に1つ割り当てても,タンクの数のほうが多く,つぶしきれるかは疑問です.
 また,タンクを十分破壊できても,ハワイ諸島には,ハワイ島の港湾,ラハイナ泊地などが存在するため,そちらへタンカーを回し,日本軍がトラックで行ったように,重油タンクの代用を勤めさせることも可能なので,史実以上の効果は得られないと思われます.

かつあめ in FAQ BBS,2011/1/16(日) 19:21
青文字:加筆改修部分


 【珍説】
245 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/01/07(木) 17:51:34 ID:jyecPQEp
>196
>194
>パールハーバーの燃料補給タンクを破壊しなかったのが問題

>ほとんど関係ない.
>どっちにしろ真珠湾の艦艇は半年以上行動不能になってたわけで,
>艦艇の燃料があろうがなかろうがたいした影響はない.
>でもって半年あればアメリカはタンクを修理しそれに満タンの燃料を補給する事>くらいお茶の子さいさい

霞ヶ浦の住人の回答.
大いに「関係」あります.

説明.
真珠湾攻撃を受けずに生き残ったアメリカ空母は,破壊されなかった燃料タンクから補給を受けて,東京空襲やその他の日本軍への攻撃を実行しました.
その対抗策として,ミッドウェー海戦が起きました.

アメリカの国力を無限と思ってはなりません.
ガタルカナルなどでは,捕獲した日本軍の物資が役立ちました.
物資を準備して,長距離を運ぶのは大変なのです.

 【事実】
 いや実際に関係ない.
 アメリカとしては,空母と巡洋艦戦力が健在なので,たとえ燃料タンクが破壊されても,代替設備を建設する間,ハワイ諸島の他の泊地,港湾を利用して,そこにアメリカの豊富なタンカーを回し,燃料タンク代わりにするだけなので,あまり意味がない.

 また,そもそも南雲艦隊が抱えていった爆弾の総量を考えても,一部は破壊できても全部の破壊は無理.
 何せ,破壊の検討をしたことが無いので,効果的な爆撃コースや目標の選定が出来ない.
 さらに言うと,第一次攻撃第一波,第2波で湾内が黒煙に覆われ,爆撃目標確認が困難.

軍事板,2010/01/07(木)
青文字:加筆改修部分



 【質問】
823 名前: 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. 投稿日: 2010/01/10(日) 15:49:26 ID:dQYYsxtj
>247
>いや実際に関係ない.
>アメリカとしては,空母と巡洋艦戦力が健在なので,たとえ燃料タンクが破壊されても
>代替設備を建設する間,ハワイ諸島の他の泊地,港湾を利用して,そこにアメリカの
>豊富なタンカーを回し,燃料タンク代わりにするだけなので,あまり意味がない.
>またそもそも南雲艦隊が抱えていった爆弾の総量を考えても一部は破壊できても全部の>破壊は無理.
>何せ,破壊の検討をしたことが無いので,効果的な爆撃コースや目標の選定が出来ない.
>さらに言うと第一次攻撃第一波,第2波で湾内が黒煙で爆撃目標確認が困難.

霞ヶ浦の住人の回答.
「これが破壊されていれば,艦隊は本土西岸へ後退せざるをえなかったあろう」.

説明.
上記は,提督ニミッツ (1979年) [古書] (-) E.B.ポッター (著), 南郷 洋一郎 (翻訳)の一節です.
原著の発行元は,アメリカ海軍協会です.
著者は,アメリカ海軍兵学校歴史学部教授です.
いわば,アメリカ海軍の公式見解です.

第二次世界大戦に参戦直後のアメリカでは,タンカーが不足していました.
ドイツ海軍のUボートが,アメリカ近海でタンカーを主目標とした,太鼓の響き作戦を実行したからです.

 【回答】
 この理屈だったら,英軍から評価されてる牟田口は名将だった,ってことになるな.

 それは,タンクすべてと港湾設備すべて破壊された場合だろ.
 実際に破壊できる意志と能力を南雲艦隊が持ってなかった以上,さらに戦後,仮定を最悪の場合した,想定にすぎない.
 アメリカ海軍が対日戦の主導権を捨てる選択をする
 真珠湾攻撃で沸騰する世論の中で,「勇気ある決断」ですな.
 現実に,戦時のあの場合だと,政府の方からもあれだけの損害だと,後退は許可されない可能性のほうが高い.

 タンカーの不足ってのは,艦隊随伴可能な速力をもつ船のことじゃね?
 これは確かに開戦前に数隻しかなかったはず.
 非常事態ということになれば,商用のタンカーでも,貨物船のドラム缶輸送してでも真珠湾維持するだろ.
 こんな簡単に撤退してくれる海軍ならガダルカナルで追い落とせたわな.

 もひとつ.
 基地の石油タンク攻撃,って簡単に言うけど,ゲームじゃないんだから,2次攻撃隊だけで450万バーレル分を一気に燃やし尽くすなんてできないよ.
 重油は火が付きにくい上,それぞれのタンクは防災措置が取られてるわけで,1個1個のタンクを狙って爆撃せにゃならん.
 そら,何十分の1かの確率で誘爆が誘爆を重ねて,ってなことはあるかもしれんが.

 防災責任者は常に最悪のケースを考えなきゃならないから,その確率がごく低くても見過ごすことは許されない.
 それと同じで,ニミッツとすれば最悪のケースを想定するんだけど,その可能性は極めて低かったはずだよ.

 大体,真珠湾クラスの海軍根拠地が一回の空襲で完全に機能を停止した例なんて,日本側ですらないじゃないか.

 だいたいニミッツの回顧録は,「こうなりゃやばかった」ってばっか.
 ミッドウェーも,事前に日本の作戦判明しても,「避けられない天災を知ったようなもの」とか書いとるわけだし.

軍事板,2010/01/10(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日米開戦時,なぜ米海軍は真珠湾に戦艦を停泊させたままにしたのか分かりません.

 【回答】
 戦艦を沈められる可能性など露ほども考えていなかったから.

11月24日にホワイトハウスで大統領と軍首脳による会議が行なわれているが,その内容は,スターク作戦部長が太平洋艦隊司令部に送った手紙によると
「時局の重大さから,日本がいつ奇襲にでても驚くには当たらず,様々な角度から検討して,比島に対する攻撃が最も脅威である.
 その可能性は指摘されているが,私としては蘭印,ビルマルートへの攻撃を想定している」
というもの.
 また11月28日に米太平洋艦隊司令部では,航空部隊の配置についての協議がなされているが,その際にオアフ島に日本軍の攻撃がありえるかというキンメル長官の質問に対し,マリモックス作戦参謀は
「その可能性は皆無です」
と断言している.

 従ってアメリカとしては,どこかに日本軍の奇襲があっにせよ,真珠湾は安全だと判断していたのは疑いの余地がない.

 また,早急に育成の不可能な戦艦乗組員をスケープゴートにするのは,合理主義的な彼らの思考とは懸絶しており,米陰謀設は珍説だと思われる.

軍事板,2010/03/10(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾攻撃時,湾内に米空母がいなかったのは,米海軍が攻撃を察知していて,事前に逃がしていたんじゃないの?

 【回答】
 空母を本気で逃がすつもりならメインランド方面に全速力で逃がすはずだ.
 ハワイ近海でのうのうと遊弋してたら,策敵線に引っかかる可能性が高い.
 個々の空母が開戦時,非常に護衛艦の少ない状態で運用されているので,日本艦隊が空母総出でエアアタックかますなんてことは,当時の米軍の戦理では考えられなかった状況だと見ていい.

軍事板,2010/03/10(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦争初期にまず米海軍の空母を全て沈没させて,太平洋の制海空権を取ってしまえば,太平洋では敵無しではありませんか?
 空母の敵は空母だから,米空母が居なくなれば怖いものなし!
 大和や武蔵と言った戦艦も容易に使える・・・!のではないのでしょうか?

 【回答】
 米空母を全滅させるには,日本海軍もそれに準じた被害を受けることになりますよ.
 日本海海戦のようなパーフェクトゲームはありえません.
 日本はそこで受けた損害を戦時中に回復することは出来ませんが,米国の場合はフルに生産力を使って,場合によっては月一隻の割合で正規空母を量産したりできます.
 加えて,航空機の生産数も日本の数倍です.

 また,太平洋を取った時点で,日本の戦力は完全に摩耗していますが,米国は資源が国内で自給自足が出来るので,戦力を生産しそこから押し返してくるでしょうね.

 さらに,米海軍がいわゆる「決戦」に乗ってきてくれるという保証はないのです.
 徹底的に決戦を回避し,戦力を蓄えて一気に反撃ということも出来ますね.
 当時の空母は防御面では非常に弱いものです.
 この点について,日米ともに開戦以前に十分に認識しており,それぞれが可能な限り手を尽くしていましたが,実際のところは,艦のダメージ・コントロール,護衛艦艇の防空能力といった,ある種,間接的な面の差でアメリカ側が優位にあったといえるでしょう.
 日本海軍も,艦隊防空の指揮系統や方法論といった,ソフト面にも多いに改善の余地があるにも関わらず,その発想が無く,たとえあっても「海軍の伝統」という強固無比な障害物が…

 というわけで日米の機動部隊同士が殴り合った場合,「数があるから勝てる」という物ではありません.相手の空母を沈めたはいいがこちらは満身創痍,ということも考えられます.

 仮に艦自体は無傷でも,艦載機とパイロットの損耗は日本にとってはそれこそ一会戦すれば回復に三ヶ月単位で時間がかかるレベルでした.
 二直制を導入しようにも当時,日本にはそれだけのリソースは存在しません.

 それにまた,潜水艦はどうするんです?
 日本海軍の対潜作戦能力の貧弱さを,知らないわけではありますまい?
 装甲甲板に多重防禦を極めた設計にしたのに,潜水艦にあっさり沈められた大鳳をお忘れですか?
 どんなに機動部隊が活躍しようと,戦艦部隊が無敵の威力を振るおうと,潜水艦に通商路を破壊されてはどうにもなりません.
 潜水艦に補給ラインを切断されまくる状態だと,日本海軍の攻勢限界ラインは中部太平洋あたりまで縮小するでしょうな.

 さらに,戦艦の数でも米海軍は日本海軍を上回っています.
 個艦戦闘能力の差はあれど,やっぱり戦力で劣ってることに変わりは無いんじゃないでしょうか.


 【質問】
 戦後のキッド級駆逐艦の名前の由来は?

 【回答】
 日本海軍の真珠湾攻撃時,第1戦艦戦隊司令官として戦艦アリゾナ Arizona BB-39 艦上にあったアイザック・キャンベル・キッド少将にちなんだもの.
 同少将は当日海上にあった最先任者で,艦橋に直撃弾が命中して戦死するまで,艦上で対空戦の指揮を取った.

 以上,ソースは「世界の艦船」2005年4月号,p.172より.


 【質問】
 真珠湾攻撃が完全な奇襲にもかかわらず,日本海軍の損害が

空襲部隊:未帰還機29機 損傷74機 戦死55

となっていますが,これほどの損害を受けたのは何故ですか?

 【回答】
 第2波攻撃隊は奇襲ではありません(^^;
 君がその数字を引いてきた,ネタもとのHPを良く見てごらん.
 第2波攻撃隊が全体の三分の二の被害を出しているのが分かるっしょ.

 また,いくら完全な奇襲でも,初撃で全ての拠点を潰せなければ,反撃を受けるのは当たり前.
 さらに,急降下爆撃は対空射点から見た角速度が小さいので的になりやすく落とされやすい.

 当時、真珠湾には駆逐艦だけでも30隻在泊しています.
 米軍の駆逐艦の主砲は対空対艦両用砲であるため,1隻あたり3から5門程度の高角砲,ざっと100門近くの高角砲で迎撃できる計算になります.
 はっきり言って,奇襲とはいえ,あの程度の損害ですんだのが奇跡です.


 【質問】
 真珠湾攻撃の際,民間人が日本軍に殺されたのは事実ですか?

 【回答】
 『モリソンの太平洋海戦史』(Samuel Eliot Morison著,光人社,2003.8.31),p.89によれば,民間人の死者は約70人.
 以下引用.

――――――
 彼らの大部分は,たまたま陸軍飛行場に居合わせた人々だが,ホノルルでは海軍の対空砲弾の幾つかが落下し,混乱にまぎれて信管が切られなかったため,街頭で爆発する事故が起き,その犠牲になった者もある.
――――――

 巻き添えが出ていないかどうかは不明.
 ただし,当日真珠湾及び周辺の地域で発生した巻き添え被害のほとんどは,米海軍艦艇や高射砲/対空機銃が見境無しにぶっ放した弾の流れ弾.

 艦名は忘れたが,低空飛行する日本軍機を対空機銃水平撃ちしてた脇の艦に銃撃されて上部構造物くまなく”縫われた”駆逐艦があったりと,米軍は流れ弾で相当の被害を出している.

 でもそれらは皆,被害報告で「日本軍機の銃撃」とか「日本軍機の爆撃」として処理されてるので,本当にどこまで日本軍機に攻撃されて被害が出たのかは,今だに不明なまま.

青文字:加筆改修部分


 【質問】
 なんで,真珠湾攻撃の時,第三次攻撃をしなかったの?

 【回答】
 映画 『山本五十六』 でも真珠湾攻撃の時に第三次攻撃をしなかったのか,ウダウダ云ってましたが……

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <    無理です!
  /JベタJ   \__________

 
 先ず,押さえておきたいのが,第二次攻撃隊の収容が終了した時刻と,ハワイ近辺の日没時間です.

 第二次攻撃隊の収容が概ね終了した時刻は,現地時刻13時30分頃.
 淵田による戦果報告が行われたのもこの頃だったようです.

 ハワイ近辺の日没時間は概ね18時頃.
 
 日本の機動部隊はハワイ北方に居た為,機動部隊の居る海域の日没はもうちょっと早かったかもしれません.

 色々調べてみたけど,当時の日本海軍航空隊パイロットは夜間着艦が出来ない,というか,そもそも訓練をしていないようなのですよ.

 三次攻撃隊を出すとして,その収容は最低でも日没前に行わなければならないし,二次攻撃隊の収容中に三次攻撃隊を発艦させることは出来ないから,機動部隊に残された時間は4時間少々.

 機動部隊から真珠湾まで,往復おおよそ4〜5時間かかっているので……
 
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <   タイム・スケジュール的にギリギリだわなぁ……
  /JベタJ   \__________

 再出撃の整備をしていたら間に合いそうにない第二次攻撃で使った機体を諦め,先に収容している第一次攻撃隊機のみで攻撃をかけるとしても,問題になるのは兵装でして,第一次攻撃隊機は収容後,真珠湾から脱出し,反撃してくる米艦隊の撃退を想定して,艦攻には魚雷を,艦爆には対艦爆弾を搭載していたようなのですよ……

 つまり,第三次攻撃をするとなると,これらの兵装を対地上用に転換をしなければなくなる……

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・U <   ナニ? そのミッドウェー!
  /JベタJ   \__________

 と云う事になるのです.

 
 源田の話では,日本時間12時頃,現地時間16時半頃に第三次攻撃の発艦が可能だった,と云うのですが,そうなると攻撃隊の帰還はど〜しても夜間となり,夜間飛行による帰投困難や,着艦失敗による被害続出で,開戦初日で機動部隊の航空隊は

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・U <   めでたく壊滅!
  /JベタJ   \__________

 と云うコトになるでしょう……


 無理だよなぁ……
 逆に 「第三次攻撃をしろ!」 と云う方が異常だ.

べた藤原 in mixi,2012年01月02日21:24


 【質問】
 真珠湾攻撃において,もし第3次攻撃をかけるとすると,相当程度の反撃が予想されるとのことですが,一次と二次で,防空戦闘機と地対空艦対空火器を相当潰したんじゃないんですか?

 【回答】
 「エンタープライズ」が生き残っている.
 残り稼動機も少なくなっているのに,直援と攻撃の二手に航空機を割くのは危険.
 ヘタするとどっちつかずになって,攻撃隊はハワイ上空で全機討ち死に,機動部隊の方も航空攻撃で甚大な損害を受けてしまう.
 常識的な指揮官なら敵地のど真ん中で,十分な作戦機が確保できない以上,アレ以上の攻撃は中止して当然.

 というか当時の航空攻撃は,一撃必殺なところがある.
 第一撃で相当消耗するから,そこである程度決めないといけない.
 第二,第三と送っても機体数が減少してるから,最早たいした戦果は望めないんだ.

軍事板,2009/07/26(日)
青文字:加筆改修部分

▼ 空襲後,真珠湾はまだかなりの戦力を残しています.
 戦艦メリーランドはまだ戦闘能力を残していましたし,重巡2,軽巡3,駆逐艦26が,破壊を免れています.
 戦闘機もまた,60機程度が損害を受けずに残ってます.
 また,陸軍の4個高射砲連隊3in高射砲90門以上,他にも多数の機銃が健在でした.

 真珠湾攻撃隊が第三次攻撃を行うのであれば,損傷判定,再整備再武装等に時間を要し,ざっと4〜5時間かかります.
 真珠湾まで片道2時間なので,第三次攻撃が真珠湾に達するのは14〜15時頃になるでしょう.

 奇襲となった第一次,第二次攻撃でさえ未帰還29,損傷74という痛手を受けました.
 白昼堂々と,気の立っている真珠湾に突入する第三次攻撃(疲れてます)には,更なる損失が出るでしょう.
 攻撃開始後,攻撃に2時間,復路で2時間として,攻撃隊の帰着は18〜19時.
 日が沈んでいる上に,搭乗員は12時間の連続勤務で疲労困憊です.
 敵根拠地付近でサーチライトをぶん回して,攻撃隊の収容&誘導などできるわけも無く,さらに多くの機体が帰還できずに失われるでしょう.

 出撃250として,未帰還100(合計損失130程度)は十分考えられる数値で,それによる搭乗員の損失(搭乗員損失合計250程度)は,日本にとって回復不能の痛手となるでしょう.

極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」,2009年08月01日 00:45
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾攻撃の際,何故日本軍は上陸をしなかったんですか?
 ハワイを先に押さえておけば,何かと(戦略・政治で)便利だっただろうし.
 単に日本軍に能力が無かっただけ?

 【回答】
 格納庫にドラム缶を山積みしてハワイに辿り着くのが精一杯なのに,その上に上陸部隊とその装備を載せる輸送船が付いたら,とてもじゃないがハワイまで辿り着けない.
 艦隊の足が遅くなるので発見され,奇襲が前提のこの作戦の根底が覆される可能性が高い.
 更には,真珠湾周辺には16in要塞砲等の防護施設が多くあり,戦艦であっても迂闊に近づけるものではない.
 この状況では上陸作戦など,机上の空論にすらならない.
 そして,それほどの危険な作戦を陸軍に頼み込んでも,首を縦に振る可能性は低い.

 真珠湾攻撃ですら当時は投機的と言われたくらい.アレは殆ど奇跡に値するほどの戦果.

軍事板

 石油の話をしてあげます.

 まず備蓄の量です.

陸軍 海軍 民需
貯油 120万t 650万t 70万t 840万t

 そして開戦前の需要予想量です

陸軍 海軍 民需
第一年 100万t 280万t 140万t 520万t
第二年 90万t 270万t 140万t 500万t
第三年 85万t 250万t 140万t 475万t

総計1,495万t

 でもって実際の実消費量

陸軍 海軍 民需
第一年 92万t 485万t 248万t 825万t
第二年 81万t 428万t 153万t 662万t
第三年 67万t 318万t 83万t 468万t

総計1,955万t

 南方石油を抑えた時の供給予想量です

南方 国産 人造石油
第一年 30万t 25万t 30万t 85万t
第二年 200万t 20万t 40万t 260万t
第三年 450万t 30万t 50万t 530万t

総計1,715万t

 実際の南方からの実供給量です.

南方 国産 人造石油
第一年 149万t 26万t 24万t 199万t
第二年 265万t 27万t 27万t 319万t
第三年 106万t 25万t 22万t 153万t

総計1,511万t

 現実の,南方からの石油供給量は,第一段作戦の予想を超えた成功で多かったにも関わらず,実消費量は予想を遙かに超えて,1年目で国内備蓄をたちまちにすり減らして,開戦1年目の終わりで既に実在庫が214万tと開戦時の1/4になっているのがわかると思います.
 海軍の消費が非常に多いのは,MI作戦での大盤振る舞いがかなり影響している訳です.
 ガ島攻防戦で日本の有力な戦艦群がトラックから殆ど動けなかったのも,この油不足が一因です.
 この在庫量で昭和17年にもう一回,MI作戦を超える大遠征であるハワイ作戦をやる余裕があったとは,とても思えません.

軍事板

 少し目先を変えた話をしましょう.
 日本の船舶保有量をご存知ですか?

 まず,開戦時の日本の船舶保有量は約630万トン.
 それを陸軍用・海軍用・民需用に分け,それぞれ,約220万,約180万,約240万トンとしていました.
 本来なら,当時の国内需要(これは軍需産業も含みます)には約300万トン必要ですが,マレー作戦等が終わる第一段階までは約240万トンでしのぐ,としていました.
 事実,第一段階作戦終了後には約110万トンを民需に振り分け,約350万トンとしています.
 出典は大井篤の「海上護衛戦」,調査したのは米国戦略爆撃調査団です.

 で,ハワイ攻略作戦ではどのくらいの船舶を使用する必要があるか,考えたことがありますか?
 仮にハワイ攻略作戦を,真珠湾攻撃の1年後,昭和17年末としましょう.
 この時点で日本は,約24万トンの商船を新たに竣工していますが,発生しないはずのソロモンでの消耗を計算に入れなかったとしても,約80万トンの損害を出してます.
 つまり,約300万トン程度です
(17年の10〜11月は,それまでの平均値分を引いています.
 同時にこれは沈没数で,修理や整備の必要があるものは算定に入れてません).

 開戦当時のハワイには,たしか二個歩兵師団がいたと記憶しています(部隊名忘れた^^;).
 仮にその後,ハワイ防衛部隊が増強されなかったとしても,日本軍上陸部隊は意図的に甘く見て,「攻守三倍の法則」から六個師団が必要になります.
(実際には「上陸戦五倍の法則」を用いたかった^^;).
 六個師団の兵員・装備装備を輸送するには,一個師団当たり20万トンとして約120万トンが必要となります.
 それと海軍部隊用船舶が,航続距離や作戦範囲の拡大等から第一段階時の二倍として360万トン
(海上護衛などで広範囲に対潜哨戒をする必要がありますから).
 この時点で約480万トン.……すでにマイナスですよ.

 この状態がいつまで持つでしょう?
 作戦準備から考えれば,どう考えても3ヶ月は必要です.
 3ヶ月もこれをやったら,国内の産業が崩壊しますよ.
 もちろん,前線には武器・弾薬は届きません.

ばばぼん♪ in 軍事板

 開戦前に大量にハワイに日本人を移民させて,ほどよく行政を牛耳った後で,クーデターを起こし,同時に日本海軍がそれを支援,とかやったほうが,まだ実現性がありそうな気が…….
 つーか,それを実際にやってハワイ王国を潰したのが米国.


 【質問】
 日本軍による「ハワイ攻略計画」って実際にあったの?

 【回答】
 私もそれっぽいもの研究が海軍主導で行われた,というのを何かで読んだ覚えがあるんだけど,陸軍がまともに相手にしなかったんで研究自体が流れた,という記述だった記憶があります.
(何で読んだかは記憶の彼方^^;).

ばばぼん♪ in 軍事板

 戦後の座談会(昭和31年)の記録を読み直したのですが,大本営海軍部作戦部長だった富岡定俊氏の話としてフィジー,サモアをとって米豪遮断をやった後にミッドウェーをやるって話は確かに出てくるのです(それを山本が先にやりたいと言い出した),
 ただ,ハワイ占領の話までは出てこないんですけど・・

 ついでに,海軍としての戦争終結の考えを富岡氏が証言しているんで書いておきますが,ハワイを占領してアメリカ本土へ脅威を与えるなんて話は出てこないんですよ.
 彼曰く,「早きにおいてあれをする」なんて曖昧な表現していますが,つまり「戦争をやめる」これを「早きにおいてする」,思想としては,ハワイでも南方でも南東方面でも相手に出来るだけ大きな打撃を与えていく.
 そしてまず覇権を握る.この覇権を握ったところで妥協したらいい・・・
 なんとも具体性に欠ける終戦案ですが,とにかくこんな思想が最高戦争指導方針として当時は書類に明記してあったと語っています.

 それで第一段作戦で南方資源を抑えた後は,次に覇権を握る目的として第二段作戦としてやりたかったのはフィジー,サモアでの米豪分断であったと・・・

軍事板

▼ 「ハワイ攻略作戦」については,「戦史叢書 大本営海軍部・連合艦隊<2」p.307〜323,402,403に渡り ,実際にかなり検討がなされたようなことが記載されております.
 もしご興味あるようでしたら,当該ページに一度目を通して頂ければと思います.

名も無き名無し by massage,2008年05月16日 15時13分


 【質問】
 開戦直後,ハワイ攻略案は何故発案されたのか?

 【回答】
 開戦後,日本海軍が連合軍を凌駕したことで,海軍の中に,敵勢力の回復前に有利な戦勢を利用し,広域の戦略態勢をできるだけ固めると共に,戦争終末促進を図るため積極的な作戦を進めようとする空気が強くなったためだという.

 また,山本五十六個人としては,徹底した積極作戦によって短期戦に徹しようという戦争指導方針を抱いており,さらに山本は空母の価値を高く評価し,ハワイ作戦で撃ち漏らした米空母が,日本本土を空襲することを恐れていたという.
 そのため,開戦翌日の1941/12/9には,山本は幕僚に対し,ハワイ攻略とセイロン攻略の研究を命じたという.

 詳しくは『戦史叢書 大本営海軍部・連合艦隊 2』(朝雲新聞社,1975)を参照されたし.


 【質問】
 日本軍の真珠湾奇襲時,ハワイの沿岸砲はどんくらいあったんでしょうか?
 奇襲前のお話でもご存知でしたらお願いします,

 【回答】
 学研の『歴史群像』07年6月号の記事「オアフ島要塞」を見るのがよいかと.
 日本の戦艦長門の主砲に相当する16インチ砲台2箇所が,オアフ島全域をカバーしていた.

陸軍(ハワイ沿岸砲兵隊:要塞重砲兵連隊4個,高射砲連隊4個)
 16インチ砲(4)
 旧式16インチ砲(2)
 旧式12インチ砲(4)
 旧式12インチ臼砲(12)
 8インチ砲(16)
 旧式6インチ砲(4)
 移動式3インチ高射砲(60)
 固定式3インチ高射砲(26)
 1.5インチ砲(20)
 0.5インチ機銃(113)

海兵隊
5インチ砲(4)
3インチ高角砲(8)
0.5インチ機銃(20)
0.3インチ機銃(16)

 以上,戦史叢書「ハワイ作戦」から転載.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 1941年時点で配備されていたと思われるのは,以下の通り.
 ほぼ戦史叢書の数字と同じですが,若干のずれ,また記載の無い機動火砲もあり.

オアフ島ホノルル地区
・14インチ砲:2
・12インチ臼砲:12
・8インチ砲:2
・6インチ砲:2
・5インチ以下:2

オアフ島パールハーバー地区
・16インチ砲:4
・12インチ砲:4
・12インチ臼砲:8
・8インチ砲:4
・6インチ砲:2
・5インチ以下:7

オアフ島カネオヘビーチ及び北岸
・8インチ砲:8

機動沿岸砲
・240mm榴弾砲:12?―既設の砲台に展開して沿岸砲として使用.
・155mm榴弾砲:不明―既設の砲台に展開して沿岸砲として使用.

 参考
http://www.cdsg.org/hawaii.htmほか

◆yoOjLET6cE in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 真珠湾攻撃後,ショート陸軍中将はどうなったんですか?

 【回答】
 ショート中将はあのあと,降格された上で退役させられました.
 その後はマスコミに叩かれ,脅迫状や嫌がらせの手紙なども大量に送りつけられたようです.
 1949年に亡くなり,遺族は名誉回復に奔走したそうです.

 その後,キンメルとショートには真珠湾攻撃に関する情報が故意に伝えられず,彼らはスケープゴートにされたに過ぎない,との観方が強まりました.
 これを受けて1999年になってようやく,キンメルとショートを無罪とすることが上院で議決され,名誉回復が果たされました.


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