c
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ
◆◆◆◆◆潜水艦
<◆◆◆◆艦船
<◆◆◆装備
<◆◆海軍 目次
<◆太平洋・インド洋方面 目次
<第二次大戦FAQ
(画像掲示板より引用)
「神保町系オタオタ日記」■(2008-03-23)[図書館] 伊号潜水艦帰還せり
『あゝ伊号潜水艦』(板倉光馬著,光人社NF文庫,2009.10)
ベーリング海の巨大昆布にヨダレたらした俺は,馬鹿ですかそうですね.
戦闘機からの爆弾投下で,攻撃機を迎撃するってのは,ドイツ空軍もやってた気がする.
――――――軍事板,2011/04/15(金)
めったに敵を撃沈しない潜水艦の本なのに面白い.
撃沈するだけが潜水艦ではないんだよな.
-------------軍事板,2012/01/03(火)
これ,出だしがいきなりパニックのシーンで,グイグイ引き込まれた.
こういう,冒頭にインパクトの強い場面を持ってくるっていう構成は,ディーン・R・クーンツが「ベストセラー小説の書き方」で薦めてた手法で,昔のハリウッド映画でも良く使ってる手堅い方法なんだ.
ベテラン編集者と著者の,優れたチームワークの成果だと思う.
同じく編集の妙が光るのが,ジョセフ・F・エンライトの「信濃!」.
信濃とアーチャー・フィッシュを交互に描くってだけなんだけど,潜水艦物の醍醐味である「読みあい」の緊張感ビンビン.
-------------軍事板,2012/01/03(火)
『伊号艦長潜航記』(荒木浅吉著,光人社NF文庫,2005.10)
太平洋戦争を潜水艦乗りとして戦った著者が,戦前の潜水艦部隊の様子から大戦末期の輸送作戦までを纏めた海戦記.
著者は戦前に潜水艦乗りとなり,開戦を伊24潜航海長として迎え,以降伊176潜(水雷長兼先任将校),呂56(艦長),伊363(艦長)と乗り継いでいます.(終戦時は伊352潜の艤装員長)
真珠湾攻撃,輸送作戦の他,戦前の潜水艦に対する海軍の一般的な認識
(「潜水艦が軍艦ならば,潜望鏡に花が咲く」「潜水艦が軍艦ならば,蝶々とんぼも鳥のうち」P.13)
や,日本海軍の潜水艦作戦の問題点の指摘などもあり,面白くオススメできる一冊です.
――――――グンジ in mixi,2008年07月20日17:34
『伊号潜水艦 生死紙一重の深海に展開された稀有なる世界!』(荒木 浅吉著,潮書房光人社,2013.4)
『回想の伊号潜水艦戦 真珠湾から回天特攻まで』(鳥巣建之助著,潮書房光人社NF文庫,2013.2)
『海竜と回天 〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ36』(学研,2002.5)
この本は,海龍と回天について解説した本です.
内容自体は大変参考になります.
問題は,またもや 「奥本剛」 なる人物が執筆している事.
フェリーの船長との事ですが,転覆させるんじゃないかと恐れられている自称研究家です.
回天隊員が遺書を用意して出撃するのに,我々は奥本船長のフェリーに,遺書を用意して乗船しなければならないのです.
こんな人物に取り上げられる回天隊員の事を思うと,涙が止まりません.
桜と錨様が,
「奥本氏は隊員の方々を冒涜している.
これでは隊員の方々が浮かばれない」
と憤慨されていましたが,私も全面的に賛成です.
――――――軍事板,2011/09/26(月)
青文字:加筆改修部分
この書評↑に名前が出ている「桜と錨」様は,ご自身のブログ等において,書評内の発言をはっきりと否定されております.
「桜と錨の気ままなブログ」◆(2010/04/09)HN 「のと」 なる人物
”のと”(岩見浩造)による中傷文について
――――――銑鉄 in FAQ BBS,2011/11/17(木) 11:5
青文字:加筆改修部分
お知らせいただきありがとうございます.
ブログを拝見させていただきましたが,上記「書評」は,いわゆるコピペのようですね.
よって,この「書評」は信頼できないものと見なし,打ち消し線による全削除とさせていただきます.
――――――消印所沢(サイト管理人),2011/12/04
『潜水艦作戦 鉄の棺と酸素魚雷に一命を託した深海の死闘』(板倉 光馬著,潮書房光人社,2013/11)
『〈貴重写真で見る〉日本潜水艦総覧 歴史群像パーフェクトファイル』(勝目純也著,学研パブリッシング,2011.8)
副題に「貴重写真で見る」とある通り,未見の写真が多数含まれていて,なかなか興味深い.
運貨筒の写真は,確かに貴重だと思う.
日本の潜水艦通史としてよくまとまっているし,いわゆるハンドブックとして手に取りやすい一冊に仕上がっていると思う.
-----------------軍事板,2011/10/04(火)
『深海の使者』(吉村昭著,文春文庫; 新装版,2011/03/10)
ドイツと日本を潜水艦が行き来していたなんて,まったく知らなかったので驚きました.
喜望峰を越えてのドイツまでの道のり,さぞかし苦難だったろうと想像しながら読み,胸苦しくなりましたです.
ぜひ,映画化してほしい.
------------軍事板,2001/07/14(土)
『神龍特別攻撃隊 潜水空母搭載「晴嵐」操縦員の手記』(高橋一雄著,光人社文庫,2009.5)
『潜水艦 アルス文化叢書6』
faq110720sb.jpg
小銃射撃本と同様に,ポケットブックながら豊富な写真で,日本とドイツの潜水艦やその運用を解説しており,前半部のドイツUボート写真は,内部の様子が判る物も多く,貴重な資料でした.
faq110720sb2.jpg
しかし何よりも驚いたのが,当時は非常に秘匿要求が高かった日本の潜水艦写真,得に内部写真が多く掲載されている点.
faq110720sb3.jpg
faq110720sb4.jpg
faq110720sb5.jpg
faq110720sb6.jpg
まあ,だいぶ修正されているのでしょうが,それにしても良く載せたものです.
恐るべし,アルス文化叢書シリーズ!
これはまだ他も調べねば(笑
――――――よしぞうmaro' in mixi,2007年11月28日03:14
『潜水艦関係者名簿』(潜水艦関係者名簿委員会)
昭和55年の編纂だし,御存命の方は少ないでしょうが,特攻関係で 「生存者」 のお名前が相当掲載されてるのは,実にありがたく.
――――――ゆうか ◆u8WC078ef5ch in 軍事板,2010/09/23(木)
『潜水艦作戦 鉄の棺と酸素魚雷に一命を託した深海の死闘』(板倉光馬著,潮書房光人社,2013/10)
『潜水艦の死闘 彼らは海面下で戦った』(エドウィン・グレイ著,光人社,1997.10)
日本のシーレーンをぶっ壊してくれたアメリカ潜水艦側から見た戦記.
同視点で書かれた書籍は,翻訳されたものが少ない.
これと,「潜水艦戦争―1939-1945/レオンス・ペイヤール」,「第二次世界大戦ブックス アメリカ潜水艦隊―“鋼鉄の鮫”太平洋を制す」くらいしか読んだことが無い.
この3冊の中では一番いい.
――――――軍事板,2010/06/12(土)
青文字:加筆改修部分
『鉄の棺 最後の日本潜水艦』(齋藤寛著,光人社NF文庫,2004.10)
潜水艦に軍医として乗り組んだ人の体験記.
閉所恐怖症の人は読むのを止めたほうがいいくらいの臨場感.
内容を思い返すだけで息苦しくなる.
潜水艦戦に興味あるならオススメ.
――――――軍事板,2010/06/12(土)
長時間潜り過ぎて艦内の二酸化炭素濃度が上昇し,乗員皆へろへろになってる描写とかがすごい.
上昇してハッチ開けたら,ネズミも一緒に風に当たりに来たとか.
そして汚い(笑)
当時の潜水艦の生活,攻撃されたときの緊張感を知るにはいい本.
以前ここでも薦められたような気がする.
――――――軍事板,2010/06/12(土)
日本海軍潜水艦伊56の軍医長が,捷一号作戦と,回天特攻隊金剛隊によるアドミラルティ攻撃作戦の作戦を記した海戦記.
過酷な潜水艦での生活と戦況が余す事無く記されています.
読んでて印象に残った事の一つは潜水艦内部の過酷な環境.
〔略〕
読んだ感想として,映画「Uボート」に近いかな,と感じました.
過酷で劣悪な潜水艦内部の環境.
潜航中に攻撃を受けた時の状況.
潜水艦乗員の独特な気心の知れた家族的な雰囲気.
この本に関して言う事は,「四の五の言わず,絶対読め!」,この一言に尽きます.
(あまり好きな表現ではないのですが)
――――――グンジ in mixi,2008年07月13日17:17
『日米潜水艦戦』(橋本以行著,光人社文庫,2004.1)
著者は大東亜戦争開戦当時はハワイに特殊潜航艇を抱えて出撃した潜水艦の副長でした.
自身の戦歴と重ねて戦争中の日本海軍の潜水艦戦を描いています.
ちなみに終戦直前に,テニアンへ原爆を運搬した後の米重巡を撃沈したのも同氏で,その模様が最終章に書かれています.
――――――Siila in おきらく軍事研究会,平成20年(2008年)6月16日
『日本海軍の潜水艦パーフェクトガイド』(学研,2005.4)
いいですねー.
個艦ごとの戦時中の行動の要点がまとめてあって,こういう本が欲しかったというそのものです.
もう少し増量してほしい気もしますが,今までの潜水艦本は時系列でまとめた物がほとんどだったので,定番本になりますね,これは.
――――――軍事板,2010/09/24(金)
【質問】
太平洋戦争当時に伊号という潜水艦がありますが,本当に60年以上も前に潜水艦があったんでしょうか?
当時の潜水艦は日本から潜っていくんですか?
あた何メートルくらいまで潜れるんでしょうか?〔原文ママ〕
浸水とか事故は多かったんですか?
魚雷の精度は低かったらしいんですが.
【回答】
あった.
潜水艦は100年以上前から存在していて,第1次世界大戦の頃には既に実用兵器になっている.
原子力潜水艦が開発される前の潜水艦は,基本は水上航行で,戦闘時などのみ潜航.
最大潜航深度は100メートル前後のものが多い.
太平洋戦争の頃だと,事故で失われた潜水艦はそれほど多くはない.
魚雷の精度って何を聞きたいのかわからんが,現代のような誘導魚雷は,当時の日本には存在しない.
ドイツなどでは実用化されていたが.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本海軍における潜水艦の区分がよく解りません.
【回答】
大雑把に言うと
*伊(イ)号(巡洋潜水艦(巡潜),一等潜水艦:
水上速力が高く長大な航続力を持ち,高い外洋航行能力のある大型の潜水艦,艦隊攻撃/索敵用
*呂(ロ)号,二等潜水艦:
主に沿岸から近海域で通商破壊を主目的にする,中型の潜水艦.
速力,航続能力共におしなべて普通(世界的に見れば)
日本海軍は対艦隊戦を重視して,巡潜をメインにしたので補助戦力扱い.
*波号,3等潜水艦:
沿岸防衛・哨戒用の小型潜水艦.
日本海軍はやはり重視しなかったので,補助戦力扱い.
日本海軍の潜水艦の任務は,とにかく太平洋を越えて日本近海にやってくる敵艦隊(ぶっちゃけて言うならアメリカ)を発見,攻撃することで,そのことだけを考えて潜水艦戦力を整備し,呂号と波号は「その他」扱いなので分類も相当に適当.
基本的には排水量1000トン以上で伊号,以下で呂号になるが,そもそもの設計思想が違うので,「排水量で区分」されてる,という考え方はあまり適切とは言えない.
たとえば海大型(海軍式大型潜水艦)は,要するに後の巡潜のこと.排水量1000トン以上の遠海用潜水艦.
これに対し,潜高型(潜水高速型)は水中速力の向上を主眼にした潜水艦のことで,これは排水量や任務とは別の区分.というか,設計思想.
伊呂波で分けるなら伊号クラス(潜高大型)と波号クラス(潜高小型)があった.
軍事板,2009/07/19(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
伊185とか伊201とか… どういう基準で数字は割り振られていたのですか?
【回答】
1919年3月に以下のように類別されます.
一等:水上排水量1,000t以上
二等:水上排水量1,000t未満500t以上
三等:水上排水量500t未満 で,1923年11月以来,一等を伊号,二等を呂号,三等を波号と称していました.
この間,1934年に二,三等を統合し,1,000t未満を二等潜水艦としていますが,
その後,小型潜水艦が建造されたので,波101,波201の各潜水艦は,二等潜水艦のまま波号が割り当てられていました.
次に命名ですが,1923年11月の番号付与の際,以下のように決められています.
伊1以降:巡洋潜水艦 伊21以降:機雷敷設型潜水艦
伊51以降:海大型潜水艦
呂1以降:Fiat型潜水艦 呂11以降:海中型潜水艦
呂51以降:VickersL型潜水艦
でもって,伊15や伊16潜水艦が多数建造されて,21号を突破したので,1938年に,
伊21~24潜水艦は,伊121~124と改番され,数年後にはそれが50番を突破した
ので,伊50番代の海大型は,100を付加して,150番となっています.
更に伊15着工時は,伊8潜水艦まで着工済みで,これには旗艦設備を有していたため,
伊9以降を旗艦設備を持つ潜水艦とし,別の大型潜水艦は,伊15から番号を与え,伊14
まで行き着くと,今度は,伊1が亡失されていたので,再び伊1から命名したりもしています.
また,伊15以降の奇数番艦を乙型,偶数番艦を丙型として建造するとか,無茶苦茶ですわな.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/04(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
伊号潜水艦の名の「伊」という呼称に何か理由はあるのでしょうか?
【回答】
イロハのイ.
大正八年に潜水艇が潜水艦に変更になると同時に,
一等 1000トン以上(水上排水量)
二等 500トン以上1000トン未満(水上排水量)
三等 500トン未満(水上排水量)
と区分された.
この後,
一等潜水艦は竣工時から全て伊○○
二等潜水艦は大正十三年に全て呂○○に変更
三等潜水艦は大正十二年に全て波○○に変更
となっている.
つまり大きさの順番に,イ,ロ,ハ,となっている.
ただし,三等潜水艦は全波号潜水艦の退役にともない,昭和六年に廃止されているから,太平洋戦争末期に登場した波号は,全て二等潜水艦に類別されることになる.
【質問】
伊33とかで「3」関係の数字が嫌われてたって聞いたんだけど,それって海軍全体で? それとも潜水艦部隊に限ったこと?
【回答】
潜水艦特有の現象.
潜水艦では3と6が不吉といわれる.
第6潜水艇に始まり,第43号,呂60,呂66,伊63,伊61,伊33…と,とにかく衝突や座礁や漏水など,まとうでない最後を遂げている.
ちなみに伊33は,2度の事故で2度沈んだ最も不幸な船.
もっとも,公試運転で沈んじゃった第70号もあるので,所詮はジンクス.
ちなみに海防艦を眺めてみたのですが,特に3のつく海防艦が悲惨な目にあってるわけでもありません.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ
【質問】
伊33号潜水艦の沈没事故について教えてください.
【回答】
193 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/05/11
17:21 ID:???
時は昭和19年6月12日,伊予灘沖で潜行訓練中の潜水
艦伊33号は吸気弁の故障から真っ逆さまに水深60メート
ルの海底に沈んでしまったんだ.
乗員100余名が必死に復旧作業に取りかかったものの
事態は好転せず,ついに和田艦長は脱出を命じ,60メー
トルの海底でハッチを開けざるを得なかったんだな.
結局,脱出に成功して生還できたのはわずかに2名,艦長
以下102名の船員は艦と命運を共にしてしまったんだな.
\_________ ___________/
|/
__ ____
/o_⊥ ⊥:__ヽ
川´ヮ`). (∀T )∩゛
と⌒ っ っ ∩,∩ ⌒つ
194 : 泣ける話 2/3[sage] 投稿日:03/05/11
17:22 ID:???
昭和28年の夏,9年ぶりに伊33号は引き上げられたが
引き上げられた艦の全部魚雷発射室は浸水しておらず,
そこには9年前と変わらぬ兵士の遺体が低温のため残さ
ていたんだな.
これを見た生き残りの兵曹が
「おい,起きろ! 総員起こしだ!」
と9年前と変わらぬ姿の戦友の頬を叩いたんだそうだな.
\_________ ___________/
|/
__ ____
/o_⊥ ⊥:__ヽ
川´.`). (∀T )∩゛
と⌒ っ っ ∩,∩ ⌒つ
195 : 泣ける話 3/3[sage] 投稿日:03/05/11
17:23 ID:???
最後に船内から2通の遺書が発見されているんだな.
「訓練にて死するは誠に残念なり.しかし今はあらゆる努
力をなしたれども刻々浸水するのみ.最後までがんばる.
帝國海軍の発展を祈る.我死するとも悔ゆることなし.」
「午後四時四十五分,O分隊士号令の下に皇居遥拝.
君が代.万歳三唱.」
・・・・・・・・・海に生きる軍人の鏡もな.
\_________ ___________/
|/
ウワーン_ ____
/o_⊥ ⊥:__ヽ
川°´o`)° (∀T )∩゛
と⌒ っ っ ∩,∩ ⌒つ
軍事板,2003/05/11
青文字:加筆改修部分
【質問】
太平洋戦争で日本海軍の潜水艦隊が通商破壊戦を行っていましたが,連合軍の戦略に何らかの影響を与えたのでしょうか?
また影響を与えなかったとすれば,何が日本軍の間違いだったのでしょうか?
【回答】
開戦から1年弱ほど仮装巡洋艦まで投入して,インド洋でそれなりの成果を上げている.※
そんでもって,インド洋に1個潜水艦隊規模を投入しての大々的な通商破壊作戦を行おうとして準備中に,ガタルカナルでの戦いが起こり,潜水艦がほとんどソロモン海に投入された.
それでも細々と1個潜水戦隊規模で通商破壊を行ってたのだが,連合軍の戦略に影響を与える程度の損害を与えることが出来なかった.
結局のところ,通商破壊を行うにしろ,太平洋には通商路がほとんど存在せず,前線の兵站への攻撃が関の山だが,日本軍の方針として,商船よりも軍艦,それも大物狙いを優先した戦略方針に間違いがあったとしか.
まあインド洋で大規模な通商破壊をやれれば,また違った展開になるだろうけど,その際でも潜水艦の損害が
激増して,先細りになったであろうけどね.
また,日本の伊号潜水艦は艦隊決戦用の潜水艦で,ドイツのUボートシリーズの様に通商破壊に適した潜水艦ではなかった.
※ 兵力誘引という,通商破壊作戦本来の意義から考えれば,「それなりの成果」という見方には疑問の余地もある.
▼
映画「轟沈」(昭和19年)にもなった南方インド洋での潜水艦による通商破壊作戦のレポートと,同映画の広告
どちらも『アサヒグラフ』より
faq39j02s08i.jpg
faq39j02s08i02.jpg
faq39j02s08i03.jpg
よしぞうmaro' in mixi,2007年06月13日14:56
▲
【質問】
ドイツやアメリカは大量の潜水艦を使って通商破壊戦を繰り広げ,イギリスの海上輸送を一時的に不可能にさせ,日本軍の輸送船を撃沈し物資輸送を半分ほど麻痺させました.
一方,日本軍の潜水艦は,敵の主力艦隊に出来るだけ痛手を負わさせる事が主任務ということになっていたので,通商破壊戦には少し関心がなかったようで,大量の潜水艦をアメリカ艦船を沈めるために使われてしまいました.
潜水艦 の使い方とその予防をおろそかにしたがために,太平洋戦線の慢性的な物資不足が発生し,決定的な物量の差が出てしまったのではないでしょうか?
【回答】
アメリカの通商路は北米大陸沿岸と西海岸~ハワイにしかなく,日本から通商破壊を仕掛けるには距離がありすぎて,非常に効率が悪い.
日本が見習うのは,ドイツの通商破壊でなく同じ島国であるイギリスの対潜作戦のほう.
軍事板
青文字:加筆改修部分
付け加えると,第一次大戦後早い段階で通商破壊の是非は検討されてますが,そういう「攻撃する通商路ねーじゃん」でさっさと諦められてます.
しかし艦隊襲撃の困難さは,海大型が完成型に達した昭和14年頃には皮肉にもすでに認識されており,潜水艦戦略の抜本的見直しが行われてはじめたところで開戦を迎えたタイミングです.
つまり日本潜水艦陣は旧来の戦略が効率的ではないことを認識しつつも,新たな戦略を未だ構築しきれない,非常に中途半端な状態で戦争に突入したのです.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
学研ムック「日米潜水艦」に書かれていることと矛盾すると思われますが,どのようなところから「中途半端な状態」と評価されるのでしょうか?
昭和15年の段階で軍令部は艦隊決戦への投入を断念し,その運用方針をロンドン条約以前のものに回帰した,と記述されており,これを中途半端と呼んでいいのか疑問を覚えます.
また,開戦直前に着手した○追計画の眼目が,
「積極的に通商破壊戦を展開,潜水艦搭載機による要地爆撃で米国世論を刺激し 決戦を誘引する」
と,はっきりと示されているにもかかわらず,これを「中途半端」というのでしょうか?
日本海軍は旧来の戦略の過ちを認め,新戦略を構築した上で,それに適した戦力整備に着手した途上で開戦を迎えたように思われるのですが,中途半端と判断された資料など示していただけないでしょうか?
【回答】
潜水艦史とか海軍軍戦備とか日本海軍潜水艦史とか,その辺を読み込めば.
後は防衛研究所の史料(訓練所見とか潜水艦隊の戦技研究とか)もありますが.
もっとも,事実に対する解釈の相違というのもあるでしょう.
昭和14年時点で潜水艦側の見解は一言でいって,
「敵艦隊発見でさえ運まかせ,まして攻撃など」
とボロクソです.
一方で軍令部の運用方針には,未だに潜水艦の決戦投入がうたわれてるんですね,これが.
てかそれしかなかったというか・・・
「困難だがやらねばならぬ」が偽らざるところですか.
後○追計画の眼目ですが,正直言って当の海軍があまりあてにしてません.
というより,決戦時期を主導できないことこそが漸減戦略最大の弱点であることは,策定当初からの大問題でして,結局開戦まで海軍はその「決め手」を持つに至らなかったんです.
ま,中途半端と判断してるのは,昭和16年度時点に至ってなお潜水艦隊の想定任務について,アレはダメ,コレもダメ・・・と,有効性を否定しまくってる(つまり有効と認めうる段階まで戦略を構築しきってない)のが,上記戦技研究なんかから読み取れるからです.
通商破壊は前述の通り攻撃場所がない.
要地偵察は敵戦闘機に食われる,
艦隊攻撃は敵に振り切られるし警戒厳重・・・
利点より欠点を強調する描写がやたらと目立ちます.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【珍説】
日本海軍は,その潜水艦の全勢力をかけて,通商破壊戦をすべきでした.
説明.
ドイツ海軍がそれを懇願したからです.
ドイツは日本の同盟国です.
日本はドイツの勝利に希望を託して,対アメリカ,イギリス戦に突入しました.
ドイツの勝利はいつに,通商破壊戦にかかっていました.
通商活動を破壊すれば,イギリスに勝てたのです.
ドイツ海軍が相手をする輸送船や護衛艦に区別があるわけではありませんでした.
インド洋や太平洋で日本潜水艦が撃沈する,または護送船団を組ませて輸送効率を低下させた戦果は,そのまドイツ海軍の戦果ともなったのです.
日本はドイツの勝利のため,ひいては日本の勝利のために,その潜水艦の全勢力を通商破壊戦に向けるべきでした.
「木を見て森を見てない」日本人の悪癖によって,それをしなかったのです.
【事実】
それ,その当時の状況を無視した典型的な後知恵で,それをやってもなお足りません.
日本海軍の潜水艦保有量は史実だと常時60隻弱.
そのうち、20隻は老朽潜水艦で,実戦投入が不可.
残りを投入するとしても作戦海域展開中1/3,作戦海域に向かってるのが1/3,帰投中が1/3とすると,広大なインド洋に常時展開できるのは3個戦隊12隻が関の山.
それに対し,インド洋でのイギリス側の通商路は,日本が本格的に参戦するころには,北アフリカでのドイツ軍は守勢になっており、,1943年以降は投入するだけのメリットすらあまりありません.
さらに,連合軍側は被害がかさむようだと,船舶はアフリカ大陸沿いや,中東の陸沿いの航路を使用することにより,航空機の援護下でかなり安全に航行できます.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
アメリカ西海岸沖で行われた,日本海軍潜水艦による通商破壊作戦について教えてください.
【回答】
太平洋戦争開戦時の真珠湾近辺での哨戒後に,第6艦隊の一部,伊9.10.15.17.19.21.23.25.26の9隻にて先遣支隊を編成し,12/27まで通商破壊戦を実施.
成果は撃沈または着底5隻,大破5隻.計6万4669トン.
12月20日頃より作戦開始.
21日 『エミディオ』号撃沈(タンカー,6912総トン) 伊17 雷撃による
『アグィワールド』号大破擱座(タンカー,6771総トン) 伊23 砲撃による
22日 『モンテベロ』号撃沈(タンカー,8272総トン) 伊21 雷撃による
23日 『H・M・ストーレイ』号撃破(タンカー,1万0763総トン) 伊19 魚雷1本命中
『アイダホ』号撃破(タンカー,6418総トン) 伊21 雷撃による
24日 『ラリー・ドヘニイ』号撃破(タンカー,7038総トン) 伊17 魚雷1本と砲撃による
25日 『アブサロカ』号撃破(貨物船,5695総トン) 伊19 雷撃による
『ドロシー・フィリップス』号撃破擱座(客船,2119総トン) 伊23 砲撃による
28日 『コネチカット』号撃沈(タンカー,8684総トン) 伊25 雷撃による
残燃料の関係で各艦共23~27日頃までに帰投行動に入っており,わずか10日足らずの作戦期間だった.
通商破壊戦においては1回の出撃,1ヶ月前後の作戦期間(戦場に到着して以降帰投に移るまで)で,1隻の潜水艦が3隻も撃沈破すれば大戦果と評価される.
そんな中,9隻がわずか10日でこれだけの戦果を挙げたのは,十分に作戦成功と判断された.
なお,作戦期間中に西海岸各地に砲撃を試みたが,連合艦隊司令部より一旦命じられたものが撤回・延期された.
これは砲撃期間がクリスマスにかかるために避けられたとされる.
以上『日本潜水艦戦史』(図書出版社)より.
また,歴史群像07年10月号の89ページ「伊号潜水艦,米本土を砲撃せよ」によれば,12/22に
「米大西洋艦隊の戦艦2~3隻がパナマ運河を通過し太平洋を北上中」
と大本営海軍部から情報があり,伊9,17,25の3隻はこれの捕捉に向かっている.
開戦前に事前配備できたからこその,一度きりの凱歌だけどな.
こんな遠すぎる通商路は以後,二度と狙えなかった.
あまりに距離がありすぎて,十分な数を派遣できなかったからだ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
伊19号潜水艦
(画像掲示板より引用.もしかして模型の箱絵?)
【質問】
貴殿は上記を「大戦果」と解釈なさるのですね?
〔略〕
ちなみに,1942年1~4月の間に,ドイツ海軍のUボートは,アメリカ近海にて,『太鼓の響き(Paukenschlag)作戦』を決行,115万tの戦果もおさめています.
これを割り算しますと,ほぼ1日1万トンになります.
しかも,撃沈のみです.
霞ヶ浦の住人 ◆WdKJPq1xgk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【回答】
大戦果です.
1942年1~4月のUボート1隻・1日当たりの撃沈戦果ですが
1月 231トン/日・隻(洋上出撃42隻)
2月 296トン/日・隻(50隻)
3月 341トン/日・隻(48隻)
4月 284トン/日・隻(49隻)
にしかなりません.
その1日1万トンという数字は,50隻近いUボートが総がかりでようやく挙げた戦果なのですよ.
ついでに言うとUボートの場合,保有量の概ね5~6割が試験や訓練に回っており,前線任務は全体の4割前後.
実際に洋上に出撃しているのは,さらにその半分です.
42年1~4月の在籍Uボート数は
1月 262隻 内前線任務 91隻 洋上出撃42隻
2月 276隻 内前線任務101隻 洋上出撃50隻
3月 288隻 内前線任務111隻 洋上出撃48隻
4月 302隻 内前線任務119隻 洋上出撃49隻
となります.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【反論】
617 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/03/21(日) 18:34:01 ID:gq2hwpWL
[中略]
霞ヶ浦の住人の回答.
「5隻撃沈」は,「大戦果」ではありません!
【再反論】
1週間9隻の戦果としては大戦果です.
21日 『エミディオ』号撃沈(タンカー,6912総トン) 伊17 雷撃による
『アグィワールド』号大破擱座(タンカー,6771総トン) 伊23 砲撃による
22日 『モンテベロ』号撃沈(タンカー,8272総トン) 伊21 雷撃による
23日 『H・M・ストーレイ』号撃破(タンカー,1万0763総トン) 伊19 魚雷1本命中
『アイダホ』号撃破(タンカー,6418総トン) 伊21 雷撃による
24日 『ラリー・ドヘニイ』号撃破(タンカー,7038総トン) 伊17 魚雷1本と砲撃による
25日 『アブサロカ』号撃破(貨物船,5695総トン) 伊19 雷撃による
『ドロシー・フィリップス』号撃破擱座(客船,2119総トン) 伊23 砲撃による
28日 『コネチカット』号撃沈(タンカー,8684総トン) 伊25 雷撃による
以上,
『日本潜水艦戦史』(図書出版社)
より.
ちなみにこれは戦後,日米双方の記録をつきあわせて確定した戦果.
戦時中は(当たり前だが,)もっと過大な報告があがってる.
撃破は当然撃沈扱いだし,小型船も大型に見えてるし.
むしろ2隻に1隻が戦果を挙げたってのは,西海岸がどんだけ豊かな狩場だったかの証明以外の何物でもありませんが?
あんたが未練がましく拘る,42年1-4月のUボートの戦果は,1隻・1日当たりだと2~300トンにしかならず,実際に戦果にありついたUボートは,3隻に1隻,4隻に1隻でしかなかったわけだが?
狩の時間帯に敵が警戒してて,攻撃のチャンスがなかったり,目標を攻撃する優位なポジションをうまくとれなかったり,いろいろ要因があるから,そうそう撃沈できるわけじゃないのだよ.
それを考えれば,日本の潜水艦の半数が戦果に恵まれたってのは,すごいことなの.
たとえば1942年1月に出撃していたUボートは,延42隻.
それで挙げた戦果は56隻30万トン,
1隻・1日当たり231トン.
よく考えてみような.
56隻を撃沈するために,42隻が洋上にいた.
仮に出撃と帰投で,半数が戦列外だったとしても,20隻ほど.
てことは,1ヶ月で1隻が3隻撃沈.
つまり,1隻のUボートがあげる戦果は,10日に1隻,てことだ.
この計算をUボートにあてはめたら,9隻1週間で確率的には5~6隻.
そう考えれば伊号が,上述の撃沈破を記録したってのが,どんだけのことかわかるだろ?
軍事板,2010/03/21(日)
青文字:加筆改修部分
【反論】
651 :霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk. :2010/03/21(日) 20:08:14 ID:gq2hwpWL
>ゆうか氏の出した資料によると,その延べ42隻は,前線に移動中もしくは帰投>中で作戦を行っってたのは
>91隻だね.
> 在籍 前線 後方 出撃 戦果
>1942/01 262隻 91隻 171隻 42隻 231t/隻・日 (56隻 301,224t)
>前線=ロリアンなんかに配備された数
>後方=本国とかバルト海で試験・訓練にあけくれてる数
>だから前線配備中出撃してない数は,基地に戻ってメンテ・休養中.
霞ヶ浦の住人の回答.
前線91隻 + 後方 171隻 = 在籍 262隻です.
前線91隻中の,42隻が出撃中でした.
そのうち,10隻前後がアメリカ近海で,太鼓の響き作戦を実施していたと想像します.
【再反論】
ゆうか氏の出した資料によると,その延べ42隻は,前線に移動中もしくは帰投中.
作戦を行っってたのは91隻だね.
> 在籍 前線 後方 出撃 戦果
>1942/01 262隻 91隻 171隻 42隻 231t/隻・日 (56隻 301,224t)
英文wikiに該当作戦の説明があったので,蛇足とは思うが貼っておく.
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Drumbeat
軍事板,2010/03/21(日)
青文字:加筆改修部分
その91隻ですが,
23隻が地中海配備(地中海にいる,という意味で,作戦海域に向かっているものと作戦海域より帰投中のものを含みます)
3隻が母港より地中海に向け出撃中.
6隻がジブラルタル西方つまり大西洋側で哨戒中.
4隻がノルウェーで作戦行動中.
22隻が大西洋で行動中(出撃中並びに帰投中を含む)
33隻は母港で整備中
となります.
そしてパウケンシュラーク(ティンパニーの響き)ですが,第一フェイズとしてU123,U109,U130,U125,U66の5隻が参加します.
彼女らは前月18日より順次出撃し,1月13日をもって作戦開始.
2月28日までの作戦期間中に,計27隻17万トンを屠ります.
次いで交替要員であるU103,U106,U107が到着し,計11隻7万7千トンを撃沈.
さらにU87,U582,U135,U552,U203,U86,U754がニューファンドランド近辺に展開しますが,天候に恵まれず,6隻1万3千トンの戦果に留まります.
戦果が貧弱なため,ここでの作戦は打ち切られ,増援のU575,U76を含む作戦グループは南下して,ニューヨークまで下がってきます.
これらと別に,1月中旬よりU67,U156,U502,U129,U161がカリブ海で作戦を開始.
さらに3月には,先の「ティンパニー」グループが再び出張り,U123,U124,U552,U203,U160が作戦開始.
3月15日~4月11日の作戦期間中に,28隻18万トンを撃沈します.
で,ですが.
この海域,イタリア潜水艦も行動してます.
2月25日から3月23日までの1ヶ月で,タッツォーリ・フィンツィ・モロジーニの3隻が,フロリダ~メキシコ湾にかけて暴れ回り,15隻9万トン+α(少なくとも2隻)を撃沈してます.
4ヶ月115万トンの戦果の中に,実はイタリアが挙げたものが1割ほど含まれているってことです.
総括しますが,パウケンシュラーク参加の5隻のUボートは,ざっと50日かけて27隻を撃沈します.
Uボート1隻が,ほぼ10日に1隻のペースで,商船を撃沈していたということです.
これと,日本が西海岸で挙げた戦果を比較しますと,9隻が8日で4隻撃沈2隻擱座で6隻の戦果を挙げます.
つまり,伊号が挙げた戦果は,パウケンシュラークのUボートに全く引けをとらない撃沈ペースだったのです.
大西洋と太平洋の差はあまりに大きく,日本が対米通商破壊戦を行えたのは,この一度きりだったのですが,戦果そのものは,最盛期のUボートとほぼ同等のものでした.
ゆうか ◆u8WC078ef5ch :軍事板,2010/03/21(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
太平洋戦争中,日本の潜水艦はドイツに何隻派遣されましたか?
【回答】
5隻.
第一次:伊号第三〇潜水艦(艦長遠藤忍海軍中佐)…1942年(昭和17年)8月6日,フランス・ロリアン入港.復路の10月13日,シンガポール港にて自軍の機雷に触れ沈没.※
第一次:伊号第三〇潜水艦(艦長遠藤忍海軍中佐)…1942年(昭和17年)8月6日,フランス・ロリアン入港.復路の10月13日,シンガポール港にて触雷沈没.
第二次:伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐)…1943年(昭和18年)8月31日,フランス・ブレスト入港.12月21日,呉に帰港.
第三次:伊号第三四潜水艦(艦長入江達海軍中佐)…1943年(昭和18年)11月13日,往路マラッカ海峡にて英潜水艦トーラスによって撃沈さる.
第四次:伊号第二九潜水艦(艦長木梨鷹一海軍中佐)…1944年(昭和19年)3月11日,フランス・ロリアン入港.復路の7月26日,バシー海峡にて米潜水艦ソードフィッシュによって撃沈さる.
第五次:伊号第五二潜水艦(艦長宇野亀雄海軍中佐)…1944年(昭和19年)6月24日,往路大西洋にて米護衛空母ボーグ艦載機によって撃沈さる.
【参考ページ】
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~ikasas/radar/jprdf08.htm
http://ncode.syosetu.com/n1203g/novel.html
http://harunazy.hp.infoseek.co.jp/sensuisi/3w15.htm
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jnec/rondan-jyouhou.htm
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4792/ihachi1.html
【ぐんじさんぎょう】,2009/6/15 21:00
に加筆
※「英軍敷設の機雷に接触」が多いけど.
――――――
同年10月中旬,約2か月3万キロの苦難の航海の末シンガポールに到着,補給を受けた伊号30潜水艦は日本に向けシンガポール港を出港,無事任務を果たしたかにみえたが,不幸にも出港の際,同港外東3カイリの地点で英海軍敷設の機雷に触れ沈没.
しかし乗員の大部分は救助され,相当量の貴重品も揚収することが出来た.
http://harunazy.hp.infoseek.co.jp/sensuisi/3w15.htm
――――――
――――――
10月13日 シンガポール港沖でイギリス軍の敷設した機雷にふれ沈没(戦死,13名)
救助される
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ae/shinob.html
――――――
――――――
この触雷の原因は,機雷を除去した安全な航路が変更されていたにも関わらず,遣独作戦中に変更された暗号による暗号文でこの航路変更が伝えられていたため,イ30がこのことを把握していなかったことによるという
『消えた潜水艦イ52』
――――――Wikipedia
しまだ in mixi,2009年06月15日 12:26
これは以前,イタリアの研究家から送られた当時のグラフ雑誌『L'Illustrazione italiana』(1942年10月4日号)写真と同じ物.
フランスに到着した伊30潜水艦の搭乗員を歓迎するドイツ海軍将兵の写真で,同じ物が日本にも配信されていた事が良く判ります.
よしぞうmaro' in mixi,2007年06月13日14:56
【質問】
日本潜水艦が大戦中従事した任務の内訳は?
【回答】
飛行機を用いた偵察 計56回
東・中部太平洋方面 7回,南太平洋方面 33回,北太平洋方面 6回,インド洋方面 10回
他,米本土爆撃 2回
潜航偵察 計90回
東・中部太平洋方面 17回,南太平洋方面 41回,北太平洋方面 17回,インド洋方面 15回
砲撃 計30回
東太平洋方面 19回,南太平洋方面 10回,インド洋方面 1回
潜水艦輸送
南東方面 234回(喪失10隻),中部太平洋方面 45回(喪失8隻),北東方面 46回(喪失3隻),南西方面 8回(喪失1隻)
対航空機燃料補給
K作戦(フレンチフリゲート礁) 伊15,伊19各1回
ガ島奪回作戦(インディスペンサブル礁) 伊15,伊26,伊121,伊122にて約30日間
インド洋(マルダイブ諸島) 伊261回
救難 計14回
南東方面 13回,中部太平洋方面 1回
他,訪独任務等.
出典は確か・・・「日本潜水艦戦史」だったかな?
ゆうか ◆9a1boPv5wk
【質問】
日本潜水艦の戦果の内訳は?
【回答】
対艦艇戦果
太平洋方面
撃沈 空母2,護衛空母1,重巡1,軽巡1,駆逐艦5,潜水艦2
撃破 空母2,戦艦1,重巡1,軽巡1,駆逐艦2
インド洋方面
撃沈 潜水艦1
撃破 戦艦1
対船舶戦果
太平洋方面
撃沈 59隻 29万3924トン
撃破 33隻 20万5953トン
インド洋方面
撃沈 120隻 60万8228トン
撃破 16隻 9万5947トン
出典は確か・・・「日本潜水艦戦史」だったかな?
ゆうか ◆9a1boPv5wk
【質問】
日本潜水艦による輸送作戦の実情は?
【回答】
『伊号艦長潜航記』(荒木浅吉著,光人社NF文庫,2005.10)によれば,ガダルカナル戦以降,著者は幾度となく潜水艦輸送作戦に従事しており,伊176潜でのニューギニア輸送作戦では空襲により,艦長を含めた多数の死傷者が出て,艦自体にも重大な損傷を被っています.
この時,機銃弾による破口(直径2~6センチ)を塞ぐのに標準の応急用円材を削って木栓を作り,しかも穴の数が多い為,今後の為にとっておいた円材を残し使い果たしてしまいます.
(この戦訓から,後日機銃弾の破口に適した応急用円材が規定された)(P.130~160)
潜水艦輸送作戦について潜水艦乗員は厳しい戦局を認識し,
「弾丸だ弾丸だと血に染む友に,海の底から弾丸運び」(P.114)
と地味な輸送作戦に従事しています.
しかし著者は
「作戦の邪道であり,拙劣な作戦指導の尻ぬぐいであって,戦争放棄ではないかと怒りさえ覚えた」(P.183)
そうです.
もっとも戦後になると
「どうせダメな戦争なら,多くの孤立した将兵に生きる希望と勇気をあたえ,その生還に寄与することができたのは,神の導きだったのかも知れない.」(P.183)
と変化してます.
グンジ in mixi,2008年07月20日17:34
【質問】
潜水艦を補給作戦に投入したのは愚行だったか?
【回答】
必ずしもそうとは言い切れない.
昭和18年以降,日本潜水艦がいくら待ち伏せしても,敵艦と遭遇できずに帰ってくる例が多かったという.
詳しくは,木俣滋郎著「日本潜水艦戦史」(図書出版社,1993/8/15),p.868を参照されたし.
【質問】
潜水艦による輸送は,どのような手順で行われたのか?
【回答】
輸送物資を実際に受け取った側による記述があるが,それによれば,
(1) 潜水艦,沖合いまで接近.もちろん深夜.
(2) 潜水艦,陸上の友軍に合図を送る.
(3) 地上部隊,合図のあった沖合いまで泳ぐ.
(4) 潜水艦,ドラム缶を5本づつ鎖で緊結して海上に流す.
(5) 地上部隊,浮遊するドラム缶をキャッチ.
(6) 地上部隊,海岸までドラム缶を引っ張って泳いでいく.
(7) 陸揚げ.
という段取りだったという.
以下引用.
[quote]
既に窮乏を極めているガソリン輸送について20年1月に潜水艦によるアパリへの搬入計画に基づいてバンバン地区兵站監部の青木少佐直接指揮で自動車廠で受けることになり,森直一技術軍曹は同少佐の指揮の下に阿部上等兵と共に貨車6両を指揮して一路アパリに向け出発した.
〔略〕
アパリの海岸で日没まで待機して友軍の潜水艦からの合図を待った.
翌11日の深夜,潜水艦からの合図あり,ドラム缶を5本づつ鎖で緊結して海上に流し,我々はそのドラム缶の浮遊する沖合いまで泳いでいって海岸まで引いて揚げるのである.
何回同じことをやったか,必死の作業が続いた.
いつのまにか上空にはグラマン戦闘機が飛来して機銃掃射を開始した.
潜水艦は作業が終わるといつのまにか帰った.
このドラム缶を貨車に積込み急ぎカサブランカに引揚げた.
なおこの潜水艦はドラム缶放出後,第4項空軍のパイロットを乗せて帰る予定だったが,それは実施されず,パイロットはアパリ,カサブランカに残っていた.
[/quote]
―――伊東晋 in 『比島に散った野戦自動車廠の記録』(比島派遣野戦自動車廠戦友会,開発社,1989/8/15),p.124
このやり方の問題点としては,
(a) 潜水艦の物資搭載能力が低い.
(b) ほとんどが人力作業なので,ドラム缶回収に時間がかかり,その間に空襲を受ける可能性も高くなる.
といったところか.
たとえ輸送専用潜水艦を大量建造したところで,(b)のような要因から急場凌ぎ以上のものにはならなかっただろう.
【質問】
帝国海軍には,ドイツ海軍のミルヒの様な補給潜水艦はなかったのでしょうか?
ないとしたら,広大な太平洋を戦線とするのに建造しなかった理由は,何だったんでしょうか?
【回答】
補給用潜水艦としては厳密な意味ではありません.
但し,飛行艇に対する補給用として,潜補型の伊351型2隻,
前線部隊に対する補給用として,丁型の伊361型12隻,丁型改の伊373型2隻を建造しています.
これらは所謂,輸送用潜水艦です.
乳牛のような補給用潜水艦が造られなかったのは,そもそも,伊号潜水艦自体が,極めて大きく,燃料や弾薬の補充を必要としなかったこと,また,任務自体も通商破壊ではなく,偵察任務と軍艦攻撃主体の為,魚雷をボカスカ発射する機会に恵まれなかったこと,更に手近な場所に補給基地があったので,独立した形で補給部隊を置く必要がなかったことが挙げられるでしょう.
眠い人◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
昭和16年に公開された「潜水艦一号物語」なんですが,セリフが
「メ~ンタ~ンクブロ~」
とか
「ベ~ント開け~」
とか,すごく悠長な感じで言ってるのですが,これは何故?
【回答】
各種弁やハッチの操作指示は,聞こえやすいように注意してやってるということだね.
なにしろ,聞き間違いで操作に不手際があると,艦が一気に浸水してそのまま浮上できないようなことが,普通に起こりうるからね.
【質問】
ある番組で,映画「ローレライ」で役所氏が長髪な事が問題視されていました.
配役の階級での長髪は実際の所,時代考証として問題なのでしょうか?
【回答】
海軍は戦争末期まで長髪には寛容だし.
海軍大臣自ら長髪だよ.
冗談はともあれ,潜水艦の艦内は狭いから,頭の保護の為にも,長髪であるのは別に変ではない.
昭和16年に公開された「潜水艦一号物語」では,髪形は士官クラスはみんな長髪.
零戦の撃墜王岩本徹三氏が新しい機体を受領する時に内地の基地に戻ったら,そこの参謀に
「頭を坊主にしろ」
って言われたらしい.
しかし,上官とはいえ,他部隊の者に命令される筋合いはないので,無視したそうだ.
昭和19年に士官も坊主にするように通達が出されたそうだが,高級士官や歴戦の特務士官などの中には無視して伸ばしている者が結構いたらしい.
【質問】
日本潜水艦内部の環境は?
【回答】
『鉄の棺』(齋藤寛著,光人社NF文庫,2004.10)によれば,過酷な環境にあったようで,入港中や戦場に向かう途中でも
・第二種軍服(夏用の白い軍服)が艦内を歩いただけで油まみれになる.(P.26)
・艦内に多くの鼠が住み着いており,荷物を引き出しの中に入れようとしたら中に糞が多数落ちてた.
(看護長(衛星兵曹)に駆除を提案したら,「沈む時には一蓮托生だから殺せません」と言われた)(P.35,36)
・艦内は極めて狭く,両手を安心して伸ばせない.
(先任将校曰くこれでもまだマシで,出撃時には倉庫から溢れた缶詰が床に並べられる為,凸凹になって天井も低くなるとか)(P.40)
・艦内は極めて高温多湿(出航して二,三日で生糧品が腐り始め(P.92),
人間魚雷回天を搭載して出撃した際には回天が錆び始めた(P.246))
等といった状態.
これが戦闘時になると急激に悪化.
伊56潜が米空母を撃沈した時
(手持ちの本の中にこの戦果に該当する記録は無し.
著者は戦闘詳報は実際に書きたい事と比べて
「あまりにも小さい事と思われた」(あとがき)
として行っていない),
護衛駆逐艦に追い回され五十時間以上の潜航を余儀無くされた時(P.111~150)には
・艦内の炭酸ガス濃度,温度が急激に上昇.
電動機室の配電盤やその他電気関係の熱などによる物で,不要電燈の消灯を行っても発令所
(人数が多く,計器のゲージ面を電燈で照らしている)
では38度.
電動機室(両側の配電盤からの輻射熱による)では45度に達し,最終的にはそれぞれ42度,50度以上に達した.
・乗員は当然汗塗れとなり,脱水症状や鬱熱,炭酸ガス中毒で次々と倒れる.
(各区画ともヤカンに用意した水は既に飲み尽くしており,タンクから飲料水を汲み上げるにはポンプを動ず,音がうるさい為に使えなかった.
またこの時,攻撃前に十分な量の水を準備する余裕もなかった.
どれだけ拭っても汗は出続け,その内に経験した事のない「塩辛い汗」が出だし,しまいには汗腺が疲れ切って汗の量が少なくなった.
更に咽喉を潤す為にサイダーを飲んだら,サイダーの臭いの汗が出てきた.
この経験から金剛隊の時には,各区画別に多くのヤカン,チンケースを用意し,水(食塩を0.3パーセントの割合で混入)を準備した(P.266))
・疲労も極度に達し,当直交替も二時間毎から一時間に,三十分にと短くなっていく.
等という状況.
これに対して酸素の放出や重要配置,患者に空気清浄缶
(防毒面から伸びたホースが苛性ソーダの入った缶と繋がっている)
を使用させる等の対策をとっていますが,酸素の放出効果は一時的なものでしかなく,また空気清浄缶の化学反応で缶が高温を発し,とても持ち歩けるものではなかったそうです.
そして五十時間以上に及ぶ潜航の末,敵艦を振り切った伊56潜は浮上.
通風機を作動させ,艦内に海面からの「甘い冷たい」新鮮な空気を送り込みます.
鼠も五匹が一列に並んで,新鮮な空気を吸っていたとか.
「鼠もさぞ苦しかったろう.鼠の髭が風でブルブルと動いている.お互いに体をぴったりとくっつけて」
ちなみに同書の著者は,金剛隊作戦の後,軍医科士官による研究会の席上で,
・潜水艦環境を研究しても潜水艦戦力増強には繋がらず,設計段階から始めなければならない事
(計器の取付位置の改善や艦内照明を蛍光灯への変更,炭酸ガス除去装置の解決,強力無音冷却機や酸素供給源の研究など)
・用兵者が潜水艦の使用方法を根本から見直す事
・乗員の新陳代謝を速やかに行う事
・高温高湿環境下では食塩の適当なる供給を監督する方が大事である事
を提言したという.(P.299)
グンジ in mixi,2008年07月13日17:17
【質問】
戦後,米軍から供与されたガトー級に乗り込んだ旧軍の潜水艦乗りが,居住区を見て,自分達が勝てなかった理由がよく解ったと言ったと以前読んだ本にあったのですが,潜水艦の居住性にも差があったのですか?
【回答】
米海軍の潜水艦は,まず艦内の温度を快適に保てる強力なエアコンがあったのが大きいです.
寝台のスペースは,米海軍の潜水艦も日本海軍の潜水艦もあまり変わらなかったのですが,兵員食堂を設けてくつろいだ食事や休息,集会などにも使用可能でした.
また,充実した厨房設備や大型冷蔵庫を持ち,24時間いつでもコーヒーや冷却飲料が飲み放題.
真水の使用量も大きく,シャワーも艦に二ヶ所設置され航海中に使用可能.
さらには洗濯機まで設けられていました.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板,2007/09/15(土)
【質問】
大戦中の潜水艦の乗組員達,どうやって体を清潔にしたの?
もしかして,乗組員達および潜水艦内部はすごくくさかった?
【回答】
言葉では言い表せないほどすさまじい臭いだったのではないでしょうか.
戦前の日本潜水艦では,艦内はまるで蒸し風呂のような高温多湿で,しかも潜航中に空気清浄剤を使用すると,それの発熱のためにさらに艦内の温度は上昇します.
後期には冷房設備も設けられるようになりましたが,電力節減のために使用は限定されていました.
艦内での真水の使用は限定されているので,風呂どころか洗濯すら出来ません.
タオルで体をこするとぼろぼろと垢が落ちてくるありさま.
そのタオルをすすごうにも,干すことすら出来ず(艦内がとてつもなく湿気が高いため),結局黒いまま….
ということで結局,着の身着のままで服も体も垢だらけになります.
稲葉通宗著『海底十一万浬』に,インド洋作戦時,乗組員にシャワー浴を許可した旨の記述がありますので,「室」かどうかはともかく,シャワー設備自体はあったようですが…….
さらに困ったことに,潜航中はトイレが使用できません.
艦外への排出が困難だったからです.
設計上は,潜航中でも排出は可能でした.
ただし,潜水深度が深くなると水圧の為に艦外への排出が非常に困難でした.
初期の潜水艦の便所は使用後に手動ポンプで排出するものでしたが,これは潜行すると水圧で使用不能になりました.
L型二等潜水艦において,高圧空気で排出する方法が試行されましたが,バルブの操作が複雑で,便が逆流するハプニングが続いたので取りやめになります.
そして海大型一等潜水艦から,電動ポンプで排出する方法が取られるようになりました.
しかし,これも潜航深度三十メートルまでが使用限界で,しかも湿気で故障が続出して使用できないこともしばしばでした.
このために深々度潜航中は使用しないのが普通で,各部に空缶を置いて用を足すようになっていました.
戦闘中ともなると,爆雷の衝撃やら急激なアップ/ダウントリムのため,それが転がり回って
糞尿まみれということも….
他方,米潜水艦ではやや事情は違い,小さいながらもシャワー室はもちろん,洗濯設備なども設けられており,多少はマシだったようです.
使用できるかどうかは別として.
以上,ソースは
『どん亀艦長青春記』(板倉光馬著,光人社NF文庫,1995.2)
『潜水艦気質よもやま物語』(槇幸著,光人社NF文庫,2004.2)
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/01/11
&名無し三等兵 in FAQ BBS(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分
Uボートでは長期航海する場合,食糧(パンやらジャガイモやら)を隙間という隙間に詰め込んで出航する.
時間が経つと,それが湿気でカビたり傷んだりで艦内は臭気ふんぷんだった.
体臭くらい気にしてられないって感じだったようだ.
映画「Uボート」には軍医がアルコールをしみこませたガーゼを乗組員に配って回るシーンがある.
これで腋の下をぬぐって少しでも体臭を抑えようってことだった.
軍事板,2005/01/11
青文字:加筆改修部分
【質問】
潜水艦乗組員だけの特別な食事はあったのか?
【回答】
『鉄の棺』(齋藤寛著,光人社NF文庫,2004.10),P.80~84によれば,高温特殊環境にある潜水艦乗員の体力維持の為として,一日にバターを六十グラムの摂取とビタミン錠(ビタミンB,Cを高単位に含有)の服用が命ぜられていたという.
またこの他にも各人に一瓶ずつマヨネーズが配給されていた.
しかし一部の者を除いては,仕方無しにバターを食べてる様な状態の為,なかなか量が減らず(バターは各兵員室にに分けて食べるよう配給していた),マヨネーズも中身を捨てて瓶を歯磨き粉入れする者もいたり.著者はビタミンB入り精白米(水を入れれば直ぐに炊け(今で言う所の無洗米か?),必要量のビタミンBが含まれている)にバターを入れて炊いた飯を出して見た所,当初は甘くつるつるとなめっこい,と評判が良かったが,次第に残飯量が多くなり(バターが満腹感を早く起こす為ではないか,と考察している),しまいには下痢を起こす者も.
この措置は独潜水艦乗員がペナンに寄港した際,日本側が疲労の極みにあるであろう乗員のために静養する準備を整えていたところ,逆にテニスなどをやり始めた事から,その原因を調べたところ,艦内生活は変わらなかったものの,食事が高脂肪食である事と,食後には十分な果実が出てた事から,潜水艦乗員の体力維持の鍵は高脂肪食とビタミンである,と判断された為だとか.
結局,伊56潜では高脂肪食は中止され,バター入り飯も一日おきに昼食のみで出すようになってます.
グンジ in mixi,2008年07月13日17:17
【質問】
日本潜水艦の原因別喪失数を教えられたし.
【回答】
事故 2隻
原因不明 24隻
水上艦の攻撃によるもの 67隻
攻撃手段別
爆雷による 42隻
爆雷&ヘッジホッグによる 4隻
ヘッジホッグによる 12隻
砲撃による 2隻
雷撃による 1隻
その他 6隻
被発見手段
レーダーによる 36隻,
ソナーによる 19隻,
飛行機による 4隻,
視認による 2隻,
その他 6隻
潜水艦の攻撃によるもの 17隻
うちレーダーにより発見されたもの 5隻
飛行機の攻撃によるもの 10隻
触雷 3隻
出典は確か・・・「日本潜水艦戦史」だったかな?
ゆうか ◆9a1boPv5wk
青文字:加筆改修部分
【質問】
太平洋戦争の日本潜水艦は,かなりの数が敵護衛艦にやられていますがなんでですか?
浮上しているところをレーダーで探知されてというのは想像つきますが,そもそも敵駆逐艦にそんなに出会うようなものとは思えないので.
【回答】
日本海軍での潜水艦運用方法が硬直化していたからです.
日本では艦隊決戦の前哨戦として,あらかじめ定められた配備線に沿って展開し,主力艦隊の交戦前に少しでも敵艦隊を沈めるという目的のために潜水艦を整備していました.
つまり,司令部からの指示によって動き,単独での独立した行動は行わないわけです.
ですので,事前に潜水艦と司令部の交信から配備パターンを読まれ,護衛艦に次々と撃沈されるという悲劇がごろごろ出ています.
米護衛駆逐艦DE-635イングランドがソロモン方面で1944年5月19日から13日間で実に6隻もの日本潜水艦を撃沈したのが,その際たるものではないでしょうか.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
また,当時の日本の潜水艦は工作が悪くてとてもうるさかったので,ソナーで一発探知できた.
その辺り,潜水艦の艦長クラスは十分承知していて,特に新造艦を受け取る際にはタンクに木屑や工具が残っていないか神経質に調べたけど,それでも取り除けないのがいっぱいあって,思わぬときに騒音を発して敵に発見されちゃったりする.
当時のドイツ海軍も日本の潜水艦のうるささにびっくり,なんて記録もある
で,旧ソ連の退役大将の回想では90年代までの海自の潜水艦も,ソ連の基準でさえ許されないほどうるさかったそうだよ.
軍事板
【質問】
ネットで調べてみたところ,日本海軍の誤攻撃の一つに「伊25がソ連潜水艦L16撃沈」がありました.
これは本当なのでしょうか?
【回答】
本当です.
撃沈されたのはソ連のレーニネッツ級のシリーズXIに属するL-16でした.
ソ連では1942年に,欧州戦線の戦況悪化を受け,6隻の潜水艦を太平洋艦隊から北方艦隊に配置を移すことになりました.
6隻は太平洋を横断し,パナマ運河を抜けるためにアメリカ西海岸沖800キロを航行中,その1隻であるL-16が偶然伊-25に補足されて撃沈されたのです.
残りの潜水艦は無事パナマ運河を抜け,1943年5月に北方艦隊に到着しました.
伊-25が撃沈した潜水艦がソ連潜水艦であったことは,戦後の調査で判明したことです.
余談ですが,回航された6隻のソ連潜水艦のうちL-16はアメリカ沿岸で失われましたが,到着直前のバレンツ海で更に2隻(S-54,S-55)が失われており,無事到着したのは3隻のみでした.
到着した3隻は大戦を生き延びています.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE : 軍事板,2006/02/15(水)
青文字:加筆改修部分
ただ,簡単にいうと戦争中,交戦海域をうろうろしてる中立国の船は,民間のだろうが軍のだろうが臨検だ捕されても文句はいえないし,抵抗すれば撃沈されてもしょうがない(国際法的に合法).
そこでこれを避けるため,中立国艦船であることを示す標識をつけていたはずです.http://homepage.mac.com/yokohama_toukai/f3salon/salon61.htm
の例で行くと,
船腹に国籍マークが大書されています.それでも間違いはあるもので,1942年5月16日に伊29がソ連船Uelenをオーストラリア沖で砲撃により損傷させ,7月1日に伊16がスウェーデン船Eknarenを,10月11日に伊25がソ連の潜水艦L16を,それぞれ雷撃により撃沈しています.
アメリカの場合は資料がなくて分からないのですが,最初から無制限潜水艦戦を実施していますから(この点を,日本が抗議しなかったのが理解できません),多少の間違いがあっても不思議はないと思います(阿波丸の撃沈は,その一例でしょう).
軍事板,2006/02/15(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「紺碧の艦隊」に出てくるような巨大潜水艦は,あの当時に本当にあったら戦力として有効でしょうか?
【回答】
同小説に出て来る潜水艦は,満載排水量八万トン.航空機や海底戦車も搭載できる代物.
そんなデカイ船は,対潜捜索機によって簡単に発見され,カタリナかB24のいいスコア稼ぎになるでしょう(失笑).
秘匿性に問題あり.
100mくらい潜っても航跡が海面に出てたりして.
浮上する時も大変だしね.
制空権を取っていれば問題ないかもしれませんが,それなら根本的に潜る必要がない.
そんな意味の無い船の費用を負担させられる後世世界の人達が哀れでなりません.
帝国議会は何故,こんな予算の無駄を告発しないのか?
【質問】
日本に機雷敷設用潜水艦はあったんでしょうか?
あったとしたら,アメリカ西海岸に機雷を敷設したんでしょうか?
【回答】
伊号21(後121)号型が4隻ありました.
原型は,第1次大戦時のドイツ潜水艦U117型のO1で,それをそのまま技術導入して建造された型です.
但し,老朽化で機雷敷設も殆ど行わず,補給用潜水艦とか訓練用潜水艦で終わっています
眠い人◆gQikaJHtf2
青文字:加筆改修部分
【質問】
映画「ローレライ」に出てくるイ507って実在したの?
艦橋に二連装砲が付いているようだが,Uボートにこんな艦あったっけ?
【回答】
イ507はこのフランス潜水艦がモデル
http://hush.gooside.com/name/s/Su/Surcouf.html
ただ,昭和20年末ならもう米軍は,哨戒機から投下出来る音響ブイや音響誘導魚雷まで実戦投入してたわけで,こんな図体の潜水艦の出る幕じゃなかったと思われるのだが.
原作ではMAD装備のPB4Y-2や音響追尾魚雷装備のガトー級が伊507と交戦しているが,何故か攻撃が当たらないし(苦笑).
【質問】
第二次大戦中に,イタリアが実戦配備した人間魚雷SLC級の様な,生還できるタイプの物は開発しなかったんでしょうか?
回天よりも簡単にできそうなんですが.
【回答】
もともとは甲標的から回天に至るまで,「建前としては」生還を期し,脱出も考慮されている.
しかしながら,仮に乗員が脱出したところで収容が困難であることや,「生還を期さず戦果を挙げる」極めて乱暴に言えばムード的な盛り上がりがあり,結果として特攻兵器になっている.
軍事板
【質問】
映画「ローレライ」は,監督自ら「ファンタジー」と広言しているのだから,考証がどんなにデタラメでも問題ないのではないか?
【回答】
ファンタジーは,空想とはいえ作中世界の設定に凝りまくるのが身上なジャンルなので,単に考証がいい加減なのをファンタジーと言って誤魔化すのは不可.
つーか,嘘は嘘でもつまらない嘘なので不可.
あるべき終戦の形とか,戦後日本を語る上でとか,歴史色をアピールする.
戦時史にうとい評論家を巻き込んであおる.
けど,別のところではファンタジーだって断る.小声で.
この宣伝のしかたが「デタラメだけど,うとい人は感動するからOK」というスタンスを表してる.
なにより,うとい人が大半だって見なしてる.事実だけど.
金返せって思った人も可哀想だけど,実は感動しちゃう人が最大の被害者.
某SF作家はシナリオの不味さを以下のように指摘している.
僕が一番ひっかかったのは,あのラストバトル.
監督が
「本当は艦隊はあんなに密集しない」
と発言したのを聞いた時には,
「ああ,ヴィジュアル・イメージを優先させたんだなあ」
と納得したんですが…….
そうじゃなくて,ストーリー上の都合かよ!
あんなに密集してなかったら,あんな大混乱になってないよ!
なんか七色星団の決戦を見るような,とても信じられない御都合主義.
おまけに,その前にも同じことをやってて,二番煎じだし.一回だけだったらまだしも,二回はだめだろ.
つまりですね,アメリカ海軍は常識的に絶対やっちゃいけないことをやったために自滅してるんですよ.
あれじゃ,ローレライ・システムが強いというより,単にアメリカ海軍が無能なだけに見えるんですけど?
いや,御都合主義や荒唐無稽がすべて悪いわけじゃないんです.面白い嘘なら許せるんです.
僕の大好きな架空戦記映画『青島要塞爆撃命令』のラストなんか,むちゃくちゃに荒唐無稽な御都合主義なんだけど,あまりにもすごすぎる嘘だから許せる.
『ローレライ』の嘘はつまらないから許せない.
過去の潜水艦ものの名作,『眼下の敵』や『サブマリン707』,あるいは大石英司の小説などは,いずれも敵と味方が同じぐらい有能に描かれていました.
互いに相手の姿が見えない状態でのかけひきが,潜水艦ものの醍醐味なんだけど,『ローレライ』にはそれが決定的に欠けています.
燃える展開にするためには,有能なライバル・キャラが必要だったんじゃないでしょうか.
あと,ラストは壮絶に爆沈していただきたかったです.
その方が泣けただろうし.どっちみち,あの状況で逃げられっこないんだから.
なんだかんだ言っても,途中までは充分に楽しめたのは事実です.それだけに,クライマックスが手抜きなのは(技術的にではなくプロット的に)困ってしまいます.
なんか,フルコース料理でスープや前菜に舌鼓打ってたら,メインディッシュがインスタント・ラーメンだった……という感じ.
インスタント・ラーメンもいいけど,こういう場で出して欲しくなかったなあ.
――山本弘 in 「山本弘のSF秘密基地」・掲示板(No.23879)
※なお,2007年8月15日現在,掲示板は閉鎖中
……という,ご都合主義もここに極まれり,といった感じのシナリオだったりする.
なにはともあれこんな形でシュルクーフが世に広まってしまうなんて…
「姿はオモシロいけど結局ルックスだけで活躍しませんでした」
っていう,いかにもフランス艦的一生が好きだったのだが…
簡単にシュルクーフの名を出す事がなんだか恥ずかしくなります.
- 305 :名無し三等兵 :05/03/12 16:47:44 ID:???
カルフールも「店内は面白い構造だけど,結局客がこなくて売れませんでした」っていう,いかにもフランス店的一生だった.
【質問】
戦前の日本の潜水艦建造能力って高かったんですか?
【回答】
一長一短.
艦隊型潜水艦という建艦思想から速力や航続力に優れる潜水艦が多かった.
偵察機を搭載する大型潜水艦や,無音で深度を保つ自動懸吊装置という新機軸も特徴.
長期の作戦でも士気が落ちないように居住性が考慮され,他国の潜水艦と比べても居住環境は良好だったという.
短所は防音措置が十分施されていないことや,建艦とは別問題だがレーダー等の電子装備ではアメリカに劣った.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦前の日本海軍は水中高速潜水艦の試作を行っていますが,なぜか放棄してますよね.
やっぱり伊号などの潜水艦を重視したのでしょうか?
【回答】
戦前放棄したのは,実用的な水中高速潜水艦は,まだ技術的に無理っぽい,ということからです.
その価値を認めていなかったわけではないですが,お説のとおり,大航続力で長期作戦行動の可能な伊号(巡潜)の方が優先されるべきと考えられたため一旦休止,と相成りました.
しかしながら,水中高速潜水艦自体の価値は海軍も認めていて,常々造りたいなぁ,とは思っていたようです.
それで精いっぱい背伸びして作ったのが「潜高」型です.
海軍はこの水中高速潜水艦に相当な期待をしていたようで,在来型の艦隊潜水艦である「中型」とか,構想だけはあった「潜戊」とかを途中放棄して,艦隊潜水艦は全部これにする,という決定を下しています.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
伊13って何?
3行で教えて!
Mi az I-13?
Kérem, mondja meg a három sorban.
【回答 válasz】
1944年12月16日竣工した,伊13号型潜水艦の1番艦.
本来は伊9号型の5番艦となるはずだったが,建造中の1943年後半に,建造隻数が削減された伊400型潜水艦を補うため設計変更された.
トラックへの輸送作戦のため,1945年7月11日,大湊を出港したが,7月16日,米海軍の攻撃により撃沈された.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.naniwa-navy.com/senki-1-i13i14-takamatu.html
http://連合艦隊ww2.jp/warship06004.htm
http://dougakan675.blog49.fc2.com/blog-entry-180.html
【ぐんじさんぎょう】,2017/5/20 20:00
を加筆改修
【質問 kérdés】
伊13型潜水艦とは?
Mi az AM típus tengeralattjáró?
【回答 válasz】
「晴嵐」水上攻撃機を搭載可能とした潜水艦.
最初,伊9型(巡潜甲型)の同型艦として建造を計画
↓
複雑な構造の二号10型ディーゼルエンジンの生産が追いつかず,製造が簡単な22号10型ディーゼルに変更(伊12型,すなわち巡潜甲型改一)
↓
伊400型潜水艦の計画縮小に伴い,その代替として「晴嵐」2機を搭載可能なよう,建造途中の伊12型を仕様変更.
これが伊13型,すなわち巡潜甲型改二.
飛行機格納庫,射出機,クレーンなどが追加され,このままではトップヘビーとなるので,バルジが装着された.
1番艦:伊号第十三潜水艦(伊13)
2番艦:伊号第十四潜水艦(伊14)
3番艦:伊号第十五潜水艦(伊15Ⅱ)
4番艦:伊号第一潜水艦(伊1Ⅱ)
の4隻が起工されたが,竣工したのは伊13~14のみ.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://連合艦隊ww2.jp/warship06004.htm
http://www.combinedfleet.com/type_am.htm
http://www.navypedia.org/ships/japan/jap_ss_am.htm
mixi, 2017.5.22
【質問 kérdés】
伊13型潜水艦の性能は?
Milyen teljesítmény volt a Típus AM tengeralattjáró ?
【回答 válasz】
排水量
基準:2,620トン
常備:3,603トン
水中:4,762トン
全長 113.70m
全幅 11.70m
吃水 5.89m
機関
水上:艦本式22号10型ディーゼル2基2軸 4,400馬力
水中:電気モーター 600馬力
速力
水上:16.75kt
水中:5.5kt
航続距離
水上:16ktで21,000海里(38,892km)
水中:3ktで60海里(111km)
燃料 軽油180t
乗員 108名 (114名とするサイトもあり)
兵装
40口径14cm単装砲1門
25mm3連装機銃2基
同単装1挺
533mm魚雷発射管 艦首6門
魚雷12本
「晴嵐」水上攻撃機2機
四式一号一〇型射出機 1基
安全潜航深度:100m
電探 13号
同型艦
1番艦:伊号第十三潜水艦(伊13)
2番艦:伊号第十四潜水艦(伊14)
3番艦:伊号第十五潜水艦(伊15Ⅱ)
4番艦:伊号第一潜水艦(伊1Ⅱ)
【参考ページ Referencia Oldal】
http://連合艦隊ww2.jp/warship06004.htm
http://www.combinedfleet.com/type_am.htm
http://www.navypedia.org/ships/japan/jap_ss_am.htm
mixi, 2017.5.21
【質問】
戦中に開発された日本の潜水艦が,今ある戦略原潜の開発のヒントになったって本当ですか?
以下の話は本当ですか?
――――――
潜水艦を使った戦略攻撃という発想は,もともと伊400型潜水艦がオリジナル.
現在の潜水艦は伊400型の特殊爆撃機をSRBMに置き換えただけ.
また技術的にも複殻構造という発想が,潜水艦の大型化を促進した.
つまり伊400がなければ今日,タイフーン型のような潜水艦は現れなかったか,現れるのがもっと遅くなっていただろう.
――――――
【回答】
その説はほとんど妄想に近いので,人前で口にしないほうがよい.
・イ400は潜水艦の戦略的運用の始祖である =間違い
・イ400は潜水艦による航空兵器運用の始祖である =間違い
・イ400は潜水艦による要地攻撃の始祖である =間違い
・イ400は二重複殻構造潜水艦の始祖である =間違い
・イ400はレギュラス潜水艦の直接的先祖である =まあ合ってるんじゃない
正直なところ憶測レベルの話で
「参考にしたんじゃないか.多分したと思う,したんじゃないかな? ま,ちょっと贔屓目に妄想するぐらい良いだろ」
程度のノリで「戦略原潜の原型」と書かれることが多い.
一応,戦後のソ連が潜水艦を作る際に賠償艦として入手した伊号潜水艦の技術を参考にした・・・・という話も有るが(「K-19」角川文庫.艦長による告発本の方.同名で映画のノヴェライズ版が出てるので注意),そもそもソ連には伊400型は引き渡されて無いしな.
wikipediaの「潜水艦発射弾道ミサイル」のこの記述
>第二次世界大戦の末期,ナチス・ドイツは射程の短いA4/V2弾道ミサイルを
>防水キャニスターに収めてUボートで曳航し,北米沿岸から発射してアメリカ国内を
>攻撃する計画を持っていた.
>防水キャニスターは上部がミサイル格納庫,下部がミサイル燃料タンクとなっており,
>必要に応じてUボート共に潜航が可能だった.この計画は実現前に終戦となった.
>弾道ミサイルが開発されたばかりのこの時期に,すでに潜水艦の隠密性を利用して
>弾道ミサイルをもって敵地を急襲するアイデアが検討されていたことになる.
を信用するならば,伊400が仮に存在しなかったとしても,潜水艦を利用した戦略攻撃という発想は恐らく誕生しただろうし,今現在の戦略型原潜に直接影響を与えた,とする見方は難しいと思う.
伊400がそうした戦略型原潜の開発のヒントになった,という話は多分,米軍初の巡航ミサイル潜水艦であるグレイバック級の設計案の内に,伊400に酷似したものがあった,という話に尾ひれがついたもの.
http://www5e.biglobe.ne.jp/~vandy-1/ssg.htm
本当に伊400がグレイバック級へ影響を与えたかどうかは俺の知識ではわからない.
実際に採用された設計は伊400とは異なるもののようだし.
その辺の経緯は,グレイバック級の開発経緯等を詳しく調べた方がよいかも.
伊400
伊400の「戦略カタパルト」(笑)
(画像掲示板より引用)
【質問】
伊400に搭載されてた双眼鏡は,どのくらい遠くまで見えるのですか?
【回答】
「てつのくじら館」では唯一の旧軍物の展示かもしれない,伊400に搭載されてた双眼鏡では……
下中央の写真の遠くに見える 「くにさき」 が,右の写真のように見える!
レンズも明るいし,隣の初代 「くろしお」 (元は大戦中の米潜)のものより性能良いかもです.
faq39b06g.jpg
faq39b06g02.jpg
faq39b06g03.jpg
ベタ藤原 in mixi,2007年04月14日21:39
【質問】
下記2点のことに関連して質問します.
(1) 外国人が作った模型で,イ400型潜水艦の作例を最近見たことがあるのですが,その写真では晴嵐が銀色に塗装され,米軍の☆マークが入ってました
(どのような考証でそのようにしたのか,詳細はよくわかりません)
(2) たしか,イ401の乗員の証言ではウルシーに向かっている途中で終戦となり,本国へ帰る途中で晴嵐をすべて海に投棄してきたということでした
以上2点をなんとなくつなぎあわせると,これは晴嵐の国籍欺瞞塗装がバレないようにするために,捨ててきたという解釈は有りなのかなと思ってしまうのですが,詳しい方教えてください.
(ちなみに晴嵐を米軍塗装にすると,ほんとに米機に見えてしまいます)
【回答】
特殊攻撃機「晴嵐」は,終戦後に愛知飛行機の工場にあった予備機が,アメリカに引き渡されている.
これは現在は,修復作業の後に,スミソニアン博物館が保管している.
晴嵐が「謎の機体」ではないのはこのおかげ.
米軍に引き渡されて調査されてた時は,米軍マークが入っていた.
まぁ,その模型は「作戦時には米軍機に偽装していた」という話を再現しただけだろう.
晴嵐は機密兵器の扱いだったので処分されてしまったが,潜水艦ごと処分する(乗組員は退艦する予定だったが事実上「帰ってくるな」というのと同義)計画もあった.
実行はされなかったけど.
軍事板,2010/02/20(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
呂500潜水艦について3行で教えてください.
【回答】
技術交流の一環としてドイツから日本に無償譲渡された潜水艦で,元はIXC型潜水艦 U-511.
1943.5.10,乗員の他に,東京へ向かうドイツ大使やベルリン駐在日独伊三国同盟の軍事委員の野村直邦海軍中将,ドイツ人科学者や技術者を乗せ,ロリアンを出港,喜望峰回りで日本に回航された.
同年9.16,日本海軍籍となって「呂号第五百潜水艦」と命名されたが,実戦には投入されず,訓練目標として使用された.
1946.4.30,米軍によって若狭湾で海没処分されている.
【参考ページ】
『「世界の艦船」増刊 日本潜水艦史』(海人社,1993)
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/15a-zoukou_sub.html
【ぐんじさんぎょう】,2016/06/03 20:00
を加筆改修
◆◆◆◆◆◆マルゆ艇
【質問】
なぜ陸軍は自前で潜水艦を建造しようと考えたのか?
【回答】
ラエやガダルカナルへの陸軍将兵に対する食糧輸送で,潜水艦が犠牲となっていたため,「海軍に迷惑をかけてはいけない」という気持ちが,陸軍参謀本部を動かしたという.
船舶担当の第7陸軍技術研究所(東京・大久保)に昭和18年3月,輸送用小型潜水艦の設計・施策の命令が下ったが,その際,次のような方針があったという.
(1) 製作にあたり,海軍に迷惑をかけぬこと
(2) 商船の建造に忙しい造船所には頼まぬこと
(3) 昭和18年9月までに20隻を作ること
(4) 特定海面でのみ使用し,操縦が簡単なこと
(塩見文作著「陸戦兵器総覧」,日本兵器工業会編)
詳しくは,木俣滋郎著「日本潜水艦戦史」(図書出版社,1993/8/15),p.716を参照されたし.
【質問】
陸軍が潜水艦を保有したのは日本だけか?
【回答】
否.
また,陸軍が潜水艦を保有したのも日本が最初ではない.
19世紀の南部連合陸軍は,潜水艇「ホラス・L・ハンリー」を保有し,あまつさえ,敵スループを沈めてすらいる.
しかし,その後,逃走中に沈没.
但し,この艇の沈没はこれが最初ではなく,それまでに二度沈没し,溺死者を出している.
これがため,海軍はこの艇を嫌い,陸軍が後に引き取ったのである.
【質問】
潜水艦建造経験のまったくなかった日本陸軍が,なぜ一応のものを造ることができたのか?
【回答】
一説には,造船所から図面貸与があったという.
しかし最終的には,海軍の協力を得ている.
以下引用.
------------
陸軍は孤立無援で未経験の潜水艦の建造に着手したが,一説には潜水艦メーカーの三菱神戸造船所が,タイ国の小型潜水艦シンサムッダ(370t)を昭和12年に建造したときの図面を貸与したとも言う.
しかし,やがて壁にぶつかり,陸軍省の技術陣が設計図を携えて軍令部,大本営参謀(潜水艦担当)と艦政本部の造船官とを東京に訪ねてきた.
話を聞いた海軍側が,
「そんな計画がおありでしたら,最初から海軍に相談されたらよかったのに……」
と言った.
すると陸軍技術陣は,
「実は陸軍大臣,東條英機大将から
『海軍に相談すると,きっと反対されるから,黙って極秘でやれ!』
と言われたものですから……」
と頭を掻いたという(「潜水艦隊」井浦祥二郎).
〔略〕
確かに潜水艦は,浮力や傾斜,潜航の問題上,普通の船の数倍も面倒で厄介なものだったから,長年の経験が必要だったのである.
------------木俣滋郎著「日本潜水艦戦史」(図書出版社,1993/8/15),p.716
確かにマルゆ艇のシルエットは,「シンサムッダ」を彷彿とさせないこともない.
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ