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軍艦大鯨進水記念 お猪口
(画像掲示板より引用)
『日本海軍艦載兵器大図鑑』(山本義秀+吉原幹也編・著,K.K.ベストセラーズ,2002)
口絵のCGはさておき,各砲塔,機関砲塔,機関銃,魚雷発射管のイラストが結構精緻に書かれている.
あと,戦艦の主砲旋回角度とか,主砲の爆風圧力曲線とかの線図.
九四式方位盤,九二式射撃盤,発砲電路,40センチ主砲方針製造順序とかが載ってました.
また,タイの海防艦トンブリ,フリゲート艦メクロンの2隻の日本製軍艦の,砲填兵器の現在の状態を示す写真も貴重.
砲塔などの図面はCADを用いて描かれており,解説の分量は適度で,装備艦のデータもきちんと纏められている.
------------ 眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2002/08/24
青文字:加筆改修部分
【質問】
旭日旗と軍艦旗はどう違うの?
【回答】
旭日旗と軍艦旗の違いですが,海軍旗章条例や後継の海軍旗章令を当たってみると,まったく「旭日旗」という文言はありませんでした.
つまり法的には「軍艦旗」と呼ぶべきもので,「旭日旗」は通称にすぎません.
言い換えれば,「国旗」と「日の丸」「日章旗」との関係です.まあ同じものですけど….
(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)
【質問】
艦首の菊の御紋には何種類かあったりするんですか?
【回答】
その通り,いくつかバリエーションがあります.
よく見慣れた正面向きの御紋章は八八艦隊計画艦から採用されています.
衝角を撤去した筑波から日向までの明治末~大正中期のクリッパー艦首艦の御紋章は下向き.それ以前の鋼鉄艦は,艦首の形にあわせてV字に折り曲げた御紋章をつけています.
初期の吉野・高砂・高雄みたいに唐草文様の飾りレリーフをまとうものもあります.
浪速・高千穂に代表される古式艦や,満州・韓崎・姉川などロシア鹵獲艦,鳥羽など河用砲艦の場合は,2個1対の御紋章を,左右両舷の先端に向かい合わせに取り付けています.
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/10/27(木)
青文字:加筆改修部分
菊の紋章についての規定は,海軍省の艦船造修規則に定められてまして,材質はチーク材に金箔,但し河川用艦は金属製も可.
サイズは
戦艦 1200mm
航空母艦,水上機母艦,潜水母艦 1200,1000,800mmのうち船体に合うもの
巡洋艦 800,600mm
施設艦,砲艦 600,450mm
とされています
但し,サイズはきっちりでなくても良く可也自由度が認められていたようです.
また,金箔は大戦前あたりから不足したため,銅系金属箔で代用されていましたが,大和型は最後まで純金箔が使用されています.
軍事板,2005/10/27(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦中,日本海軍は艦船の迷彩塗装を行っていたのでしょうか?
意味合いが違いますが,ドイツ海軍はシルエットを別の戦艦に似せようとしていたと思いますが.
【回答】
日本海軍では第二次世界大戦前から,演習などで実験的な迷彩塗装は行われていましたが,終戦まで迷彩・偽装に関する組織的研究は行われず,専門の人員も置かれませんでした.
しかし,幾つかの艦では自発的・実験的に迷彩塗装を行う例があったようです.
1942年4月就役の水上機母艦「秋津洲」には,艦長黛大佐の発案で,前後に艦首波を描いた船体全体の迷彩例があります.
同じ年の6月にはシンガポールで,福井技術少佐が特設水上機母艦「相良丸」に淡灰色船体に濃灰色の帯を描き,艦尾を濃青色という迷彩を施しました.
後者は特に艦側からの評判が良かったそうです.
また,北太平洋のアリューシャン作戦に参加した第五艦隊の艦船には,迷彩を施していた写真があります.
1943年7月のキスカ島撤退作戦にあたり,軽巡「木曽」艦長長川井大佐が,同艦の3本煙突の1本を白に塗る事を提案しています.
この煙突を白く塗るという迷彩は,アメリカ海軍の「メジャー6」迷彩と同じ手法で,アメリカ側に見抜かれても
「迷彩塗装を施したオマハ級では?」
と言う疑念を抱かせる事も目的の1つだったとされています.
また,同艦には船体長を欺瞞する迷彩も施されていました.
戦争末期の1944年には空母の迷彩実験が行われ,比島沖海戦などで米軍が撮影した日本空母の中には,迷彩塗装を施した姿が見受けられます.
空母の飛行甲板の迷彩には,「大変効果的である」と言うアメリカ側の評価があります.
(当の施した日本側では,それほど効果があるとは考えられていませんでした)
なお,海軍省制定の「艦艇造修規則」には,艦艇の塗色について,その仕様が細かく規定されていますが,第156条には
「戦時,事変等ニ際シ必要アルトキハ艦船外部ノ著色ヲ適宜変更スルコトヲ得,著色ヲ変更シタルトキハ所属長官之ヲ海軍大臣ニ報告スベシ」
とあります.
この表現であれば,艦船は作戦上の理由があれば,自由に迷彩塗装を施す事が可能で,その事実を上司の鎮守府長官または艦隊司令長官にのみ報告すればよいので,一時的な迷彩塗装の自由は艦長にあります.
しかし,1939年にこの規定は全面改訂されて秘文書となり,有事の塗色変更の権限は所属長官に限られ,制度上は艦長裁量の塗色変更は禁止されてしまいました.
この事も,日本海軍において迷彩塗装が余り大々的に用いられなかった理由の一つかと思われます.
軍事板,2006/04/12(水)
"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/12(szerda)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
▼ 日本の軍艦及び外国艦の迷彩塗装ですが,模型を作らないのになぜか購入した,モデルアート刊『軍艦の塗装』という本が参考になるかもしれません.
>ドイツ海軍はシルエットを別の戦艦に似せようとしていたと思いますが.
『軍艦の塗装』によれば,
>例としては1941年の「ライン演習」作戦に参加した戦艦ビスマルクや重巡プリンツ・オイゲン.同時期の巡戦グナイゼナウ,軽巡のエムデン,ニュールンベルグなどが列記できる.
>なお,各艦とも艦首や艦尾はダークグレーで塗装し,基本色との境目が艦首尾であるかのように航走波を白でペイントしているが(p.78)
ドイツ海軍の戦艦を含む大型艦は,小さな別の軍艦に見せるための塗装を施していました.
(バルティック・スキーム(迷彩)と呼ばれ,主にバルト海で作戦行動する大型艦に施されたので,全ての大型艦がこの塗装をしていたわけではありません)
90式改 in FAQ BBS,2013/12/28(土) 21:7
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
大戦時の海軍艦艇の対空機関銃について質問です.
ほとんどの艦艇の機関銃は空冷式です.
海が近いからすぐに水は補給できるし,重くはなりますが,固定式の対空機関銃なので機動性が要求されるわけではないのに,どうして水冷式が採用されなかったのですか?
【回答】
初期のものには水冷のものもある.
アメリカの艦艇に搭載されてた12.7mm機関銃は,水冷式が主だ.
海に浮かんでる艦艇と言えども,冷却用の真水の確保は大変だ.
海水でいいなら,その辺から汲めばいいけど,そういうわけには行かないからね.
海水では,まぁ,錆びるわな.
それに不純物(この場合は海水に含まれる塩分とかミネラルとか)が多い水は,冷却水に向いてない.
そして,対空機関銃は陸上の機関銃のように長時間撃ち続けないから,水冷にするほどの冷却能力は,必要としてない,というのもある.
大和,というか日本海軍の場合,対空機銃としてポピュラーだった25㎜機銃は,フランスのホチキス社製のものが元・・・というか殆ど丸コピーなのだが,元は25㎜対戦車砲(つか,対戦車ライフルだな)で単発式だったものを,強引に連発式にしたものなので,連射に対する耐久性が低かった.
弾倉の容量が少ないので銃身冷却が必要なほど連続射撃出来ないので,そういう意味でも水冷式の機構は必要ない.
現場では,銃の性能など無視して連射しまくり,赤く焼けた銃身に海水汲んでぶっ掛けた・・・という話もあったりするけど.
軍事板,2010/02/13(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本海軍の短8cm高角砲と40mm機銃の,初速と毎分の発射弾数を教えてください.
また,これらの砲を海防艦の12cm砲と交換したら,対空対潜の効果は向上したと思いますか?
【回答】
四十口径三年式八糎高角砲なら,初速676m/sec,1門当り18発/min,最大射高6,300mになります.
毘式四十粍単装機銃なら,初速600m/sec,1門当り120発/minで,最大射高3,980mです.
占守型に搭載されていたような,四十五口径三年式十二糎砲であれば,初速は845m/secですが,これは平射砲であり,対空用には意味を為しません.
御蔵型以降に搭載されていた,四十五口径十年式十二糎高角砲は,初速825m/sec,1門当り10発/min,最大射高9,700mになります.
こちらは,一発当りの破壊力は大きいですが,発射速度は寧ろ落ちます.
更に,重量は八糎が3tで済むのに対して,十二糎は10tと3倍以上になります.
そう言う意味では,小型艦艇にこれを載せるのは,苦労があるかと思います.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/06/06(水)
【質問】
7,7mm機銃て,実際は何て名前?
【回答】
正式名称は「九二式七粍七機銃」.
また,留式7.7mm機銃とも呼ばれた.
「留」は「ルイス」の「ル」.
原型はルイス軽機関銃で,日本海軍ではこれを輸入またはライセンス生産していた.
太平洋戦争に参加した駆逐艦の中では,峯風型の後期建造艦~特II型初期の艦に搭載されていた.
その威力だが,陸で兵隊さんを300mのレンジで薙ぎ倒す分には全く十分.
問題は,速い航空機に対しては,余程のラッキーショットでもない限りは無力だったこと.
軽い弾は射程も短いので,いくら連射速くても射程短かったら,敵機は航空魚雷やら爆弾投下して悠々と母艦に帰ってしまう.
しかも7.7mmじゃ,装甲板しっかりしてた米軍機には,当たり所よくないと致命傷を与えられんかったらしい.
そのため漸次,毘(ヴィッカース)式12.7mm機銃や,九三式13mm機銃に換装されていった.
【参考ページ】
『丸スペシャル特別増刊号 軍艦メカ4 日本の駆逐艦』(潮書房,1982)
留式7.7mm機銃(線画)
(こちらより引用)
ブラウザ・ゲーム板,2013/07/04(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本海軍の艦艇が搭載していた十三粍機銃なるものの,性能,装弾方法などをお教えください.
元となった外国産機銃などはあるのでしょうか?
【回答】
元々,フランスのオチキス社製の13.2mm機関銃で,3名で操作します.
重量は単装で215kg,最大俯仰速度+80~-5度,射撃速度300発/分,初速800m/sec,弾量50g,最大射高4,150m.
発射方式はガス圧で,25mmの縮小版になります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2006/06/21(水)
【質問】
『軍艦武蔵』(手塚正巳著,新潮文庫,2009.8)を読んでて疑問に思ったのですが,25ミリ機銃の従動照準装置なるものがでてきますが,これで3基の25ミリ3連装機銃を統制射撃していたのでしょうか?
合計9門の統制射撃だとすると,敵機にとっては相当な脅威になると考えます.
故障が多かったそうですが,実際有効だったのかご教授頂けませんか?
【回答】
25mm機銃の3連装タイプは,銃座の旋回と銃の上げ下げを別々の人間に操作させていたので,目標指示に対する指揮官と操作員の思い違いなどから,操作性に難があった.
このため,実際は全て一人で操作する単装の方が,効果があったと言う(歴史群像シリーズより).
歴史群像といえば何年か前の号で,天一号を米軍の視点で特集していたが,25ミリは意外と脅威であったと書かれており,興味深かった.
軍事板,2009/06/20(土)
青文字:加筆改修部分
あまり動かさずに,ひたすら担当エリアとしてあてがわれた空域のみ射つ分には,弾量がものを言うために,三連装を重宝する意見もあります.
というか単装と三連装どちらを重視するかは,個々の艦長の意向がかなり反映されているようで,同型艦ですら装備状況には相当な差があります.
光人社「写真 日本の軍艦」などを見ればわかりますが,金剛と榛名の装備状況の違いはその顕著な代表例です.
ゆうかin職場 ◆u8WC078ef5ch in 軍事板,2009/06/20(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
12cm30連装墳進砲とやらは,砲撃もできるでしょうか?
【回答】
墳進砲は対空兵器です・・・
12糎二八連装墳進砲(後に三〇連装に改良)は,実は砲ではなく,四式焼霰弾を28発纏めて発射するするための架台です.
(焼霰(しょうさん)弾とは,ロケット式焼霰弾のことで,略して「ロサ」弾とも呼ばれました)
要するにロケット・ランチャーです.
マリアナ沖海戦の戦訓により,急ぎ開発されたため,架台は25mm3連装機銃のものを流用,射撃指揮装置も既存の九五式機銃射撃指揮装置を使っています.
着火すると1.1秒燃焼し飛翔,5.5秒後(1,050m)もしくは8秒後(1,500mか1,700m)に爆発し,60個の焼霰弾子をまき散らしました.
敵艦に命中しても,人員殺傷程度しか期待できませんが,航空機ならまあ十分でしょう.
しかし,一度発射すると,発射炎の高熱の中で再装填せねばならず,2分から4分ほど時間がかかるという欠点がありました.
また,有効射程も1,500mほどだったため,威嚇以上の効果は望めませんでした.
さらに,連続して撃つと砲身が湾曲して撃てなくなくなる,あまり早くから撃つと白煙で25mm機銃の照準の邪魔になる,時限信管が作動するタイミングも難しいなど,数々の問題を抱えていました.
【参考ページ】
http://nihonkaigun.ikaduchi.com/heisou/hou.html
http://momo120.blog69.fc2.com/blog-entry-676.html
12cm Incendiary Rocket
(こちらより引用)
ブラウザ・ゲーム板,2013/06/25(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ら号装置」の使用目的について教えてください.
舟艇用探雷器,と言うのはわかったのですけれど,これは機雷避けのための装置なのでしょうか?
一部のウェブサイトでは,魚群探知機みたいなソナーだから潜水艦攻撃用だよ,と言う説明もあったのですが,どちらが本当なのでしょう?
【回答】
陸軍が沖電気に開発を委託した小型の水中探信儀(今で言うアクティブソナー).
小型船舶に搭載する事を主目的として開発されたため,小型ではあったが非常に低性能だった.
海中の状態がいい理想的な条件下で,探知距離およそ500mというのだから,その低性能ぶりもわかるだろう.
同種の大型探信儀にス号があるが,こちらも条件が良くても2000m程度だった.
ラ号の使用目的だが,そもそもソナーというのはさまざまな目的に使用される.
対潜任務や機雷探索から海底地図の作成や魚群探査まで,軍事民生を問わないのが現状だ.
ただしラ号はあまりにも性能が低かったため,上陸時の機雷探査ぐらいにしか役立たなかった.
が,ス号と組み合わせて運用する事により,対潜任務(特に敵潜水艦の囲い込み)に応用可能という実験結果も残ってはいる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本海軍の対水上レーダー導入の状況は?
【回答】
第二次大戦時,日本海軍のレーダー開発は米海軍に大きく遅れていた.
「海軍技術研究所」(日本経済新聞社)によれば,戦艦「日向」に搭載された『二号二型』電探の試作品『一〇三号』は1942年6月,ミッドウェー開戦直前に実戦さながらのテストを受けた.
それまで対水上レーダーの開発はやってなかった様子.
しかし,結果は不採用.
だが,結論が出たのはミッドウェー作戦直前だったので撤去するヒマが無く,戦艦「日向」は『一〇三号』を装備したまま出撃.
(「日向」が搭載していたのは『二号二型』電探の試作品『一〇三号』のみ.『二号一型』電探を装備していたのは戦艦『伊勢』.21号は主に対空捜索用,22号は対水上捜索用)
ミッドウェー海戦で南雲機動部隊は壊滅,その後方にいた「日向」を含む主力艦隊には「作戦中止,即時反転」が命ぜられたが,天候不良,通信の不達などにより撤退は収集がつかないほど混乱し,これにより重巡「最上」と「三隈」は衝突事故をおこし,「最上」は大破「三隈」は沈没した.
この悪天候の中「日向」に装備された『一〇三号』は三五km先までの艦船が確認でき,他の艦と衝突することもなく無事に撤収できた.
「日向」艦長の松田大佐は,内地に帰還後
「『一〇三号』が無かったら,撤退は混乱を極め,最悪の事態になった.そういう意味でも対水上レーダーは絶対的に必要」
と軍令部や艦政本部を説いて回り,これに自信を持った電探の製作者も艦政本部に強く働きかけるが,艦政本部は
「武人の蕃用に耐えない玩具のような兵器の研究はまかり成らん」
といって,耳を貸そうとはしなかった.
『一〇三号』が不採用になった理由は
「容積過大」
「重量過大」
「飛行機を探知できない」
「微調整が難しい」
「武人の蛮用に耐えない」
しかし技術者の言を借りれば,対空と対水上レーダーを兼ねるのは難しい.たとえ出来たとしても,性能的に各個の専門レーダーより大幅に劣るモノとなってしまう.
微調整が難しいのは,「改良が許可された後」にある程度改善されている.しかしミッドウェーの直後の時は,改良すら許可されてない
「武人の蛮用に耐えない」からというのは,レーダーに対する軍の認識不足.
軍は「武人の蛮用に耐えられる」と言う意味で,「一メートルの高さから落としても壊れないモノを作れ」と言った.
レーダーは当時の最新技術で作られた精密機器.現在で言えば,プラズマテレビとかパソコンみたいなモンで,それを「一メートルの高さから落としたら」,どこか壊れるに決まっている……
軍の認識不足には,技術者の人もさんざん腹を立てている.
ちなみに当時のアメリカの艦艇は,レーダー機器の設置してある部屋のドアには見張りの兵を置いて,玄人以外には触らせないようにしていた.
レーダーを精密機器として扱い,「一メートルの高さから落としても壊れないモノを作れ」なんて戯れ言は言わず,「より高性能なモノを作れ」と言った.
そのうち,サボ島沖夜戦(エスペランス岬海戦)・第三次ソロモン海戦(ガタルカナル海戦)で米艦のレーダー射撃により,日本海軍は大打撃を被った.
戦艦2隻,重巡2隻を喪失し,その他多数の艦艇が損傷したとあって,軍令部と艦政本部は,ようやくレーダーの重要性を認識し始めた.遅せえよ…….
こうして昭和一七年も終わる頃,ようやく対水上レーダーの開発が認められたが,海防艦や駆潜艇などの小艦艇に装備する対潜水艦用に限ると言う条件付きだった.
研究者やその機関は失望の色を表しながらも『一〇三号』の改良に着手し,『二号二型』を製作する.
これはある程度使える見通しがついたので,量産された.
昭和一九年,『二号二型』は受信部分に改良され『二号二型改一』として重巡「愛宕」に装備され,マリアナ海戦に参加した.
これが威力を発揮し,「愛宕」を含む第二艦隊はマリアナ海戦において,前衛を務めたにもかかわらず,新型電探の意外な活躍により(他の要因もありますが)ほぼ無傷の状態だった.「愛宕」の電探オペレーターが優秀で艦隊の前衛において,敵の動静をいち早く察知し,それを各艦に知らせたからだった.
この報告を聞いた軍令部は,艦政本部に対し『二号二型改一』を一ヶ月以内にすべての艦に装備するように命令する.
この『二号二型改一』は,更に受信機を改良され『二号二型改二』として,昭和十九年九月に量産に入った.
このころ,新型水上射撃用電探『三号二型』の試作品が完成し,良好な性能を示すが,艦隊主力が最後の決戦に備えるためにシンガポールに集結していたため,装備は見送られ,結局この電探は陸上用に転用されて六十台程度が作られたに過ぎず,水上射撃に使用されることはなかった.
また,『三号二型』と平行して開発が進められていた小型軽量の水上射撃用電探『三号一型』,『三号三型』は,重量軽減の作業が予想以上に難航し,試作品完成は昭和二十年にずれ込み,未使用のまま終戦となった.
(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)
【質問】
21号電探は,対艦砲撃の射撃管制には使えなかったの?
【回答】
現代の常識では,「対空電探」と対水上レーダーとは普通別物.
しかし日本海軍にとっては,太平洋戦争中はまだレーダー開発の黎明期にあって,二式二号電波探信儀一型(略称は,二号一型電探,21号電探など)の対水上レーダー転用も行われた.
『戦艦「大和」開発物語』に,電探の話題があったのを思い出して引っ張り出してみたが,武蔵,大和の電探に携わっていた技術少佐の記述によれば,2号1型は,装備した時,80km離れた水偵を捕捉したらしい.
その後,砲術長から「砲撃時測距を出来ないか?」と尋ねられ,受信機を改造.
この結果,昭和17年?10月28日の実弾射撃訓練時に,距離4万4000m離れた標的曳航艦の扶桑(もしくは標的)を捕らえる事に成功している.
(なお,この後の砲撃の衝撃で,ものの見事に壊れた模様)
ただ,太平洋戦争時の日本海軍の艦艇に積まれてた22号電探などは,FCSに連結されてなかったから,水上電探であっても,現代的な意味での射撃管制はしてなかったっつーことになる.
ブラウザ・ゲーム板,2013/06/25(火)
青文字:加筆改修部分
▼ 【反論】
松野正樹によれば,2号1型レーダーは,海面捜索には適しておらず,「条件によっては対水上にも使えた」程度だった模様.
以下引用.
------------
1.5m波という波長だったため,基本的には海面を捜索するのに適しておらず,主に対空用に使用された.
その範囲は編隊なら100km,単機なら70kmと言われたが,壊れ易かったため,その機能を完全に使い切ることも少なかったという.
また,条件によっては対水上用にも使えたというが,レーダーによる管制射撃ができるほどではなかった.
------------松野正樹『史上初!超精密「3D CG」再現 戦艦大和』(双葉社,2001),p.107
▲
【質問】
米海軍航空隊の急降下爆撃機乗りや雷撃機乗りは,日本艦隊の対空砲火の弾幕の濃さなど,どのように感じていたのでしょうか?
【回答】
第二次ソロモン海戦に参加し,翔鶴を攻撃したSBDのパイロットの回想では,
「敵空母からの対空砲火は激しかったが,大口径砲は照準が甘く,小口径に方が正確に撃ってきた」
とのこと.
また,摩耶を攻撃した別のパイロットの回想でも,
「対空砲火は大口径,小口径とも激しかったが,射程が短く余り脅威とならなかった」
しかし,第10偵察飛行隊の電信員の回想では,
「対空砲火はとても激しく,我々が海面から15~30mにまで急降下し,東に向かって高速で離脱しても止まなかった.
戦艦(利根のこと)が我々に向かって主砲を撃ち始め,近くに着弾したら大きな水柱でやられてしまうかもしれなかった.
回避運動を続けたが近くに打ち込まれ危うかった.驚いたことにこの対空砲火は我々が24km離れ,敵の艦橋が水平線下に消えるまで続いた」
と述べており,艦長や艦の熟練度によって変わってくる様です.
一方,雷撃機の場合は,マリアナ海戦に参加し,飛鷹に魚雷を当てたTBFパイロットの回想では,
「対空砲火はとても激しく,撃たれまいと私は出来る限りの回避行動をしました」
とあり,レイテ沖で武蔵と大和に攻撃を行った雷撃飛行隊長の回想でも,
「高速で敵に向かう最中に浴びた対空砲火は猛烈でした.戦艦は主砲さえ撃ってきました.
私はこの戦術を,戦前に乗り組んでいた初代ヨークタウンにいた頃から知っていましたから,驚きはしませんでしたが,やっぱり目玉が飛び出しそうになりますよ」
と述べています.
レイテの頃になると,日本海軍の艦も対空砲火が増強されたので,結構激しい砲火を浴びるようになったみたいですね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/02/24(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本海軍が実用化したカタパルトの性能について教えてください.
【回答】
「呉式一号一型」全長19メートル,動力は圧搾空気,最大発射重量は2トン
「呉式二号一型」全長19メートル,射出重量2t,射出速度:秒速28メートル
「呉式二号三型」全長19.4メートル,軌条幅1メートル,射出重量3トン,射出速度:秒速28メートル
「呉式二号五型」全長19.4メートル,軌条幅1.2メートル,射出重量4トン
【質問】
艦船に搭載してある木製の箪笥や物入れには,桐の木が使用されているんでしょうか?
【回答】
日本の伝統的な船箪笥のことなら,桐は使われている.
ただし引出しや内箱など,内部の仕様.
外装はケヤキが多かったと思う.
キリは木材の中でも,難燃性,断熱性,水密性に優れるんですよ.
しかも比重が小さく,軽量.
なので,軍艦の水密区画に独立したヴォイドを確保するために,キリのタンス(箱)を詰め込んだなんてこともあったという話を聞いたことがあります.
大和とか.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 【余談】
俺の爺様が海軍で衛生兵をやってたときの話.
あるとき,激しい海戦があって,艦は沈まなかったが,戦友が目の前で弾け飛んだり,甲板にでっかい穴が空いたりで,それはもう酷い有様だったらしい.
その後,幾日か経ち,掃除やらお清めやらが落ち着いてきたころ,爺様が自分の箪笥の引出しを開けると,誰かの指がごろっとでてきた.
なんでも艦に弾が当たると,その衝撃で引出しががらっと空き,次の瞬間ぱっと閉まる.
その一瞬の間に,バラバラになった体の一部がはいってしまう.ということがよくあるらしい.
爺様はその指をよく清め,海へ葬った.
ところがだ,次の日,引出しをあけると,またあの指が入っている.
驚いた爺様は必死になって引出しを掃除し,同じように海へと葬った.
が,次の日も指は入っていた.
爺様は怖くなって,それ以来,引出しを開けることはできなかった.
爺様はいまでも,引出しを開けたひょうしにその指のことを思い出し,同時に亡くなっていった戦友たちのことを思い出すそうです.
オカルト板
(「tigerbutter」:太平洋戦争中の不思議な・怖い話より孫引き)
▲
【質問】
夜間水上砲戦におけるレーダーの存在価値を示したと言われる「サボ島沖海戦」で,日本側は米艦隊を見方の輸送船と誤認し,発光信号を打ったら照明弾と徹底的な砲撃で返された・・・という有名な話がありますが,夜間水上戦で照明弾を使う場合には,どうやって照明弾を上げたのですか?
巡洋艦の主砲弾に「照明弾」という弾種があったのですか?
それとも,高角砲等の副砲から照明弾を上げたのでしょうか?
はたまた,照明弾専用の(普通の弾種を発射できない)「照明弾砲」のようなものがあったのでしょうか?
もう一つ,照明弾,というものはどのくらいの間,どれくらいの光量があるものなのでしょうか?
発射される砲の口径や弾の大きさによって違うのだとは思いますが,「歩兵支援用ならこんなもの」で,「水上砲戦用ならこのくらい」というような基準・・・のようなものがあったのであれば,お教え下さい.
【回答】
戦記物読んでると,駆逐艦の5吋砲が多いですね>照明弾
アメリカさんは大きい艦の副砲も5吋がおおいから,5吋照明弾がポピュラーだったのかな.
戦艦や巡洋艦の主砲のサイズのがあったのかどうかは,わかりません.
三川艦隊殴りこみのときは,艦載水偵が上手に敵を浮かび上がらせたはず.
つまり,艦隊からみて敵の向こうへ照明弾投下,弾は落下傘降下.
陸の場合は迫撃砲が主だと思います.
もちろん,普通の砲でも可能のはず.
歩兵用には信号拳銃使用のもあったはずです.
時間はいろいろあります.
航空機投下は高度によりますし,砲弾タイプは角度にもよるし.
あまり高度が高すぎると、地上は明るくないですし.
ただし当然ながら,時間(燃焼時間)はそれぞれ上限があるみたいです.
明るさは,弾種(口径)によりますし,弾がいまどれくらいの高度かにもよります.
1例をあげると,自衛隊の120迫撃砲であげた弾が地上100米くらいまで落下してきたときは,東京ドームの中くらいの明るさになります.
http://hana.oheya.jp/fuji2002/yakan2.html
を参考にしてください.
◆◆◆◆◆◆機関
【質問】
第二次世界大戦中の日本の大型艦って蒸気タービンを機関としてる.
なのに燃料がねえから作戦行動がとれないっておかしくないですか?
蒸気機関って石炭と水で動くはずなんで,石炭は日本で取れるんで問題ないんじゃないですか?
【回答】
それは石炭燃焼缶の場合だろ.
海軍のフネは重油燃焼缶だったので,大規模な改造が必要.
石炭を動力源にするか,重油を動力源にするかで,同じ蒸気タービンと言えど,出力や特性が全然違ってくる.
フェラーリ持ってきて,アルコールでも動くんじゃね?って言うのと一緒.
石油は液体なのでポンプで圧力を掛ければボイラー内に入っていくが,石炭は固体なので人が投げ込まねばならない.
また,石油はバーナーを奥まで伸ばせるのでボイラーの厚みを大きく出来るが,石炭だと人の投げ込める距離以上は無意味なので厚く出来ない.
その分,大型化できず数を揃えなければならなくなる.
このため石油が世界中の港の多くて入手できるようになると,石炭専焼ボイラーや混焼ボイラーは廃れ,重油専焼ボイラーが主流となる.
たとえば蒸気機関だって,確かに燃料は選ばないが,それは構造が単純だから,可燃物を釜に入れればとりあえず燃えるだけであって,蒸気を発生させるのに必要な燃料を投入しなければ,燃費の問題で逆に非効率になったり,出力不足で動きませんなんてことも普通だ.
極端な話,石炭の変わりに木炭とか紙とかで蒸気機関動力船を動かせなんて,どれだけ燃料積むんだよ?ってことになるし.
さらに,日本国内で取れる石炭はあまり質が良くない.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
先日読んだ本の中に,軍艦の燃料が石油になった時点で,日本海軍の勝利の可能性は著しく低くなった(自給ができないから)というような感じで書かれていました.
時代の流れとして,軍艦の燃料が石炭から石油に代わったのは仕方なかったのでしょうか? ボイラー・エンジンならば,石炭を燃料にしたままでもよくなかったんでしょうか?
【回答】
軍艦には高速・大馬力・大航続距離が要求されます(同じ理由で,現在の軍艦はディーゼルやガスタービンです).
これらの要求を無視できれば石炭の使用を続けることは可能だったでしょう.
実際,戦中戦後にはまだまだ石炭船は普通に走っていました(大半が民間,それも沿岸航海用の小型船でしたが).
石炭と重油では,燃やしたときの熱量が全く違うのです.単純にいって重油の方がパワーがでる.
のみならず,搭載燃料量が重油の方が格段に増やせる.石炭船の頃は,甲板にまで石炭を山積みすることがよくありました.それでも足りなかった.
また,石炭の完全国内自給が可能かというとそれも不可能.
日本製の石炭は海外(イギリスなど)の石炭と比べ,熱量が低い.つまり品質が悪いのです.
加えて国内産出量も十分ではない.日露戦争の時すら,海外で大量の石炭買い付けに奔走しています.
太平洋戦争の需要を満たすことなど到底不可能でしょう.
【質問】
日本海軍のディーゼル技術に問題はあったの?
【回答】
ありました.
と言うか,当時は
「試験モデルを作って,テストして,少し部品をいじって,またテストして……」って具合で,ものすごくエンジン開発に時間がかかる訳で.
なおかつ,ディーゼルの開発経験の問題で,ガソリンエンジンよりさらに時間がかかる物だった訳です.
なお,自前で建艦出来る国なら,潜水艦や魚雷艇などでディーゼルを開発した経験なら,割合に各国やってます.
ですが,とても苦労するし,設計に失敗した時のリスクは同型艦の軍艦を部分解体しなきゃならないので,相当に高い訳です.
たとえば潜水母艦「大鯨」は初の大型ディーゼル搭載艦だったけど,トラブル続出で空母「龍鳳」への改造時に,タービンに換装されています.
その後,試験的に導入した水上機母艦瑞穂でも不具合が続き,物にできないうちに開戦となったので,大型艦に取り入れなかっただけです.
あの大和ですら,ディーゼル導入の話がありましたが,熟成不足で流れています.
ちなみに氷川丸のディーゼル機関は,輸入品です.
軍事板,2009/07/05(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
よく,日本海軍の造機能力は貧弱貧弱と言われますが,艦本式などのボイラーやタービンは民間工場ではまったく作られていなかったのでしょうか?
駆逐艦作りまくった浦賀船渠とか,藤永田造船など,ああいった民間造船所は船体を建造するだけで,機関などはもよりの海軍工廠から供給される,とかいうものだったのでしょうか?
【回答】
艦本式では無い,カーチス式,パーソンズ式のタービンやボイラーは民間造機工場,例えば三菱神戸,長崎などでも製造されています.
しかし海軍用の造機に関しては,資材は投入したものの,大規模工場で敗戦までに本格的に能力を発揮したものはありませんでした.
商船の主機は徐々に,経済性の観点からディーゼルへと転換され,民間造船所付属の造機工場は,ディーゼル機関製造が主になりつつありました.
ただ,その製造には高度な技術と多量の工作機械を要するため,造機能力の向上には至っていません.
(大型船舶用内燃機関は潜水艦用に,小型船舶用内燃機関は,戦車,航空機,上陸用舟艇,作戦用舟艇への供給が主でした.)
また,タービン翼に充当する特殊鋼の生産量は多くなく,更にこれを航空機,軍艦,兵器などに充当したので,民間には余り供給されませんでした.
缶についても,その材料となるべき,缶板は,日鉄八幡の第二圧延工場が殆ど唯一の生産工場であり,量的に制約を受けています.
このため,民間には余り供給されず,缶の生産についても,缶板の使用量の少ない水管缶への移行を余儀なくされています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/09/05
青文字:加筆改修部分
【質問】
大東亜戦争の時代 20ノット程度の戦闘艦は艦隊決戦に役に立つでしょうか?
具体的には日本の駆逐艦がもし20ノット程度だったら,艦隊戦に使えるでしょうか?
海防艦に魚雷を積んで,艦隊決戦に転用できないのかと思っての質問です.
【回答】
無理.
攻撃目標の敵戦艦が20ノットくらいで航行できるから,速度差が小さくて,接近するまでに防御砲火や護衛の駆逐艦に食われる.
水雷艇や松型駆逐艦の30ノット弱あたりが最低限欲しい.
軍事板
青文字:加筆改修部分
米国の低速戦艦でも最高速力21kts/hですね.
つまり,後方から追いつこうと思っても,低速戦艦ですら追いつくことが出来ません.
アイオワ級などになればほぼ追いつくことが不可能です.
逆に射程内にあれば,低速であると言う事は,それだけ弾着の範囲が狭まりますから良い的になります.
しかも低速ですと,機動性も悪くなりますから,魚雷戦に持ち込むことが困難.
となると,幾ら海防艦に魚雷を積んだとしても余り意味がありませんね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦時の艦船の燃費について教えてください.
燃料(重油でしたっけ?)1トンあたり何海里進んだのでしょうか?
それと,満載で何トンぐらい燃料をつめるのでしょうか?
艦種,航行速度,搭載量などで条件が変わるでしょうから,いくつか例を挙げてください.
【回答】
燃料の消費量は速度の二乗三乗に比例すると言うことです.
例えば,原速ならば12ktsで航行するところ,戦闘状態では第四戦速の24ktsと言った速度で航行しているのが常態であれば,燃料消費量は増えます.
また,巡航タービンを使用せずに航行するのも常態化していたようです.
例えば,金剛の場合,12Ktsで平時の巡航タービン運転で航続距離15,100海里ですが,18Ktsでは9,300海里になり,全速30ktsでは全主軸4軸運転で3,000海里.
ちなみに,巡航タービン運転と全4軸運転では燃料消費量に1:2の差があります.
この金剛の重油積載量は,6,279tです.
ちなみに,このほかの軍艦では,長良,球磨,加賀が,原速(12kts)との対時間比燃料消費量では,24ktsなら凡そ5倍強,32Ktsで凡そ17倍に達し,川内では,24ktsなら凡そ5倍弱,32ktsで14.5倍,天龍,赤城,夕張では,24ktsなら凡そ5倍,31ktで11.5倍,蒼龍では,24ktsで4倍,32ktsで11倍,34ktsで17倍弱に達します.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/07/30
青文字:加筆改修部分
ちなみに↓のサイト
http://homepage2.nifty.com/nishidah/s_index.htm
に,搭載燃料と航続距離について書かれているので,逆算して調べてみては?
軍事板,2004/07/30
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆◆◆搭載砲
【質問】
旧日本海軍の使っていた砲弾は,本当に魚雷のように直進するのでしょうか?
そして効果はあったのでしょうか?
【回答】
その砲弾は,九一式徹甲弾という名称.水中弾効果を最大限発揮できるような仕組みを施した弾,
これは,軍縮条約で未完成のまま廃艦となった戦艦土佐を標的として砲撃実験を行った際,水中に落下した砲弾の一部が水中を進んで喫水線下に命中した,このデータをもとに開発された.
砲弾頭部が魚雷のように丸まっており,そこに円錐形の風防が被せてあった.
海面に衝突すると風防が壊れ,その後砲弾は水中をごく浅い角度で海中を進み(魚雷の様に水平に進む訳では無い),敵艦の喫水線下を貫通後爆発する.
進む距離は砲弾直径の200倍と言われている.46cm砲弾なら90m程度.
これにより近弾(砲撃側から見て敵艦の手前に着弾すること)の場合でも,浸水などの損害を与えることが期待された.
ただし距離や角度に条件がある.全射程で水中弾効果が得られる訳ではない.
水中弾効果が発生しやすい距離は18000から20000m付近,これが決戦距離を決める上において結構大きな要素になったそうな.
実戦において目に見える効果が確認できた例はない.
ソロモン方面での海戦の被害を調査したアメリカ側は,「日本側の徹甲弾の能力は低い」と評価している.
軍事板他
(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)
【質問】
「艦これ」というゲームって言うか,艦についての質問なんだけど,艦砲の後ろについてるよくわからない部分
http://dl1.getuploader.com/g/kancolloda2/13439/kancolloda2_13439.jpg
(赤丸の部分),何ですか?
【回答】
砲塔用の測距儀.
赤丸二つつけた所と,それをつなぐ部分を合わせた全部がそれ.
測距儀とは,距離を測る光学式の装置.
大和のにもついてるから,大和の手法のメカニズムを,動画で説明してる動画の中でも紹介されてて,分かり易げ.
http://www.youtube.com/watch?v=vjrdtB-RJIw
http://www.youtube.com/watch?v=uGai1Wz04q4
2/2の4:20くらいから描写されてる.
砲塔に付いてる測距儀は,あくまで非常時用で.艦橋の上に載っている測距儀を,普段は使う.
いくら遠くが見える望遠鏡でも,水平線の向こうは見えないからね.
高いところに付いているのがメイン.
測距儀と計算システムの向上で,交戦距離が伸びて.遠くを見るために測距儀を高いところに付けて…という改造をしていった結果が,山城扶桑の不格好な艦橋だが.
明治時代の日本海海戦時,戦艦三笠の測距儀はこちら.
http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/images/mikasa_kankyo.gif
後ろの方で人が覗いている横棒がそれ.
太平洋戦争では後半から,アメリカはレーダーを使って距離を測るようになり,艦砲用測距儀は廃れた.
ブラウザ・ゲーム板,2013/10/03(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
50口径三年式14cm砲って何?
【回答】
とある日本海軍の艦載砲.
伊勢型戦艦や長門型戦艦の副砲として,また,天龍型軽巡洋艦や5500トン型軽巡洋艦等の主砲として,さらには海岸砲台の砲としても使われた.
初期の6インチ砲(毘式50口径6インチ砲や41式50口径15cm単装砲など)を更新するために開発されたが,人力装填で長時間連続発射することを可能とするため,より軽量な砲として作られた.
そのため,一発あたりの打撃力は15cm砲より低下したが,一方で射撃速度は向上し,また最大射程もほとんど変わらなかった.
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/50%E5%8F%A3%E5%BE%84%E4%B8%89%E5%B9%B4%E5%BC%8F14cm%E7%A0%B2
http://www52.tok2.com/home/BByamato/heisou.html
http://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/gun_db/t3_14cm_ng.htm(写真も)
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki0/singa/singa.html
faq39j05g14.jpg
faq39j05g14b.jpg
(こちらより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2010/06/22 21:00
を加筆改修
鉄底海峡 in 「軍事板常見問題 mixi別館」
2010年05月22日 16:15
青文字:加筆改修部分
【質問】
亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡は現在どうなっているのか?
【回答】
そこは,噂に聞く,旧海軍重要施設.
ネットで行き方を探ると,
「山道を30分歩く」
「道がわかりにくい」
「私有地の横を抜ける」
「入り口のトンネルが水没する」
と,とにかく大変な場所にあるらしい……
〔略〕
マピオンのお陰でなんとか目的地付近まで行き,そこで運よく見つけた案内板 (地面に刺さった小さな木の板) を辿っり,私有地入り口付近の空き地に車を止めて,目的地への突入を開始!
帰りのことを考えると,ちょっとウツになりそうな坂道を下り,崖と壁の間の細い道を通って,試射場入り口の 「水没する」 と云う噂のトンネルへ.
トンネル内は多少ぬかるんでいたものの,難なく通過.
そして,目の前に青い海に突き出た船着場が目に入ってきました.
ここにも手作りの看板があり,それに従って烹炊所,井戸,事務所,検速所,地下弾薬破採試験槽を見学したのですが,どこも草と木に囲まれていて,ちょ~っと近づきにくい状態でした.
井戸の中にはカエルが居るようで 「ゲコゲコ」 と鳴き声が聞こえ 「夜に来たら絶対ビビルよなぁ~」 と寄星蟲さんと話したりしていました.
で,検速所付近には蛇さんが居たし……
いきなり誰も居ない所でガサガサ音がするんで 「うぁ! なんじゃい!」 とビビリましたわ (w`;
1時間ばかり試射場跡に居たのですが,GW中にも関わらず,私達二人以外誰も来ず (来るかい!) 岬の先に釣り人が一人居るぐらいで,とても静で,海を見ながらぼ~っとするにはいい場所だと思いました.
いい場所ですが…… 遠いわなぁ~ (w`;
亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡
faq39b07b.jpg
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同烹炊所
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同事務所
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ベタ藤原 in mixi,2007年04月30日22:06
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ベタ藤原 in mixi,2011年06月21日21:58
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◆◆◆◆◆◆三式弾
【質問】
三式弾の性能は?
【回答】
データは36cm(14インチ)砲用の三式通常弾改1についてだが,基本的な事はこれで分かると思う.
ソースは歴史群像Vol.21「金剛型戦艦」,解説は「日本一の大砲屋」国本康文氏だ.
特に重要な起爆距離,散開角度,子弾子の燃焼時間・温度が載っているのが有り難い.
------------
36cm(14インチ)砲の三式通常弾改1は,全長1,200mm,重量622㎏.
可燃性ゴムが充填された直径25mmx長さ70mmの弾子を480個内蔵しており,時限信管によって弾子が前方に放出されると,15度の角度で弾子が散開しながら約3000度で5秒間燃焼する.
36cm砲の三式通常弾改1は危害半径が152メートルもあった.
------------
同書に実験写真があるが,三式弾の子弾子は花火の様に円形に広がるのでは無い事に注意.
真横から見てアサガオの様にラッパ状に広がる.
------------
弾子放出後,0.5秒後に弾殻は炸裂し,3㎏以上の破片3個,以下同じ意味で1㎏32個,0.5㎏34個,0.2㎏89個等,併せて1,820個もの破片をまき散らす大威力の対空弾であった.
------------
実験写真に付属しているデータによると.
1枚目:初速820m/s 仰角9.00度,調定秒時(放出秒時)4.5秒(5.17秒)
2枚目:初速886m/s 仰角17.00度,調定秒時(放出秒時)7.0秒(7.66秒)
ちなみに長門型の40cm砲三式弾では,子弾子の数は735個.
大和型の46cm砲用の子弾子数は不明.
調べれば出てくるかもしれないけど,かったるいから嫌.
少なくともアトランタは,36cm三式弾が元で沈んだが,このときの交戦距離は2000~4000らしい.
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/5sensi4.htm
軍事板,2003/6/4
青文字:加筆改修部分
【質問】
現在三式対空弾があったら有効だと思ったのですが,ミサイルの飽和攻撃の初期対処に効果があると思いますか?
例えば海面を飛翔しているとして,砲の仰角から難しくても,そこは改善したら,ピンポイントで個別迎撃よりも面で制圧できたほうが,初期段階では有効ではないのでしょうか?
また,現在の射撃技術と連動させたら,航空機に対してもそれなりに効果があると思うのですが・・
まあ,その場合,大口径のほうが有効だろうから,現在の艦船では難しいでしょうけど.
実際,5インチ砲弾の対空射撃性能はどの程度でしょうか?
【回答】
君の言いたいことが良くわからんが,3インチだろうが5インチだろうが,対空用の砲弾には近接信管がついてるだろうし,わざわざ三式弾を復活させる理由は無いんじゃないかね.
対艦ミサイルの飽和攻撃に対して有効とかいっても,ぎっしりスクラムを組んで飛んでくるわけでもないし,一石二鳥,三鳥を狙うのは無理というもの.
航空機も5インチ砲の射程内に飛び込む必要は(対艦ミサイルを使うならば)無いわけだし.
で,結論,「三式弾は必要なし」
三式弾は実戦では殆んど戦果を挙げていません.
例えば,シブヤン海空海戦では,米軍機259機に対して,戦艦5隻,巡洋艦7隻からなる艦隊が,三式弾も使用した対空砲火を行いましたが,18機しか撃墜出来ませんでした.
その中で三式弾による物は,さらに一部に成るので,多くてせいぜい5~6機程度でしょう.
菊水作戦の時も同様で,米軍機386機に対して,撃墜出来たのは,わずか10機に過ぎません.
大和の海上特攻作戦時の天候は雲が低く垂れ込めており,その雲間から敵機が降下して攻撃してきました.
三式弾は距離二万メートルで最も有効となるため,全く役に立たなかったのです.
この作戦中大和が主砲を撃ったのはわずか三回,本格的な攻撃が始まってから対空砲火として発射されたのは,そのうち一回だけ.
三式弾がその威力を示したのは,ガダルカナルのヘンダーソン飛行場を金剛が砲撃してときぐらいではないでしょうか.
主砲のような大口径砲は発射速度が遅く,砲塔の旋回にも時間がかかる為,航空機のような高速で俊敏な目標に対しては狙いが付けづらいのです.
三式弾は砲弾の内部に焼夷弾をたくさんつめたもので,発射後一定距離に達すると散開し広範囲に広がるというものです.
敵機が遠距離で編隊を組んでいる時に一網打尽とか,或いは攻撃位置を占位しようとする敵機への牽制用として用いられる弾丸でした.
近距離でチョコマカ動く敵機を撃墜するのには使えませんでした.
それよりも,主砲発射時の爆風により,機銃や高角砲による対空砲火を阻害するデメリットの方が大きかったとの見方が,最近では主流です.
実際は米海軍が採ったように,連射の効く小中口径砲弾による弾幕の方が,遥かに効果が高い事は,珊瑚海海戦や南太平洋海戦でも明らかです(ちなみにVT信管は未登場です).
【質問】
ネット上では「飛行機を一撃で落とす事は出来ない」などと酷評される三式弾ですが,戦記などを読んでいくと(特にレイテ沖海戦の小沢艦隊に所属していた人が),敵機の一群が壊滅した旨証言があります・・・
またマリアナ沖海戦で長門が主砲で雷撃機を吹き飛ばしたと言う話もあり,恐らくこれも三式弾だと思うのですが.
ネット上の冷静な分析と,戦記などに書かれている三式弾の威力のギャップの理由とは何なのでしょうか?
【回答】
その手の話は,相当割引して聞く必要があります.
「まず当たらない」ものが「珍しく当たった」からこそ人の記憶にも残るし本にも書かれる,ということでしょう.「当たらなかった」情景は忘れられてるか意図的に飛ばされてるだけ.
「宝くじで一億円当たった人がいる」のは事実ですが,「殆どの宝くじ購入者は一億円など当たらない」ことは注目もされないしメディア等に書かれもしない.
当たりクジをいつどこで買ったか克明に覚えている人は多いが,よっぽどの人でなければ外れたクジをどこでいつ買ったのか思い出したりはしないのと同じことです.
また,末期の日本軍の中の人の技量低下はそれは酷いもので,敵機が急に旋回したのを見て「撃墜」「撃破」などと,景気の良い報告をする例が多かったのです.
レイテ沖海戦では,「武蔵」は三式弾の発射により,機銃員多数が殉職,高射装置(対空射撃の管制装置)も故障続出という事態を引き起こしており,むしろ使わない方がマシだったと言えると思います.
【質問】
3式弾は(餓島艦砲射撃)当時,何と呼ばれていたのでしょうか?
【回答】
機密漏洩防止のため「通常弾」と呼んだ旨,「海軍砲術史」に記載されています.
三式弾のひとつ前の零式榴弾もさかのぼって「零式通常弾」と呼んでおり,いわば榴弾・榴霰弾を「通常弾」と呼んで,「徹甲弾」と区別していたようです.
実際,金剛・榛名に続いてヘンダーソンを砲撃した時の鳥海・摩耶の戦闘詳報にも「通常弾」使用と記載があり,フィリピン沖海戦時の長門戦闘詳報にも「三式通常弾」の記述があります.
(ただし大和・武蔵の詳報では「三式焼霰弾」と表記してあります)
鷂 ◆Kr61cmWkkQ :軍事板,2005/04/05(火)
青文字:加筆改修部分
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