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◆◆◆◆◆◆大和型 Jamato Osztály
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<第二次大戦FAQ
(画像掲示板より引用)
「D.B.E.三二型」(2010/10/03)◆ 空き箱で戦艦大和を作ってみた
「R25」◆(2009/10/01) 戦艦大和と グレーチングの関係とは?
●2ちゃんねる
「2ch.軍事板」◆(2001/12/20~) 昭和77年冬公開!「ゴジラvs大和」
回収すべきレス無し
「2ch. 軍事板」◆(2003/03/10~) いまこそ戦艦大和を建造すべき!
レス回収済
「2ch. 軍事板」◆(2003/03/28~) 戦艦武蔵のほうが大和より上か?
レス回収済
「2ch.軍事板」◆(2003/03/29~) マル3計画 大和造らず何造る?
回収すべきレス無し
「2ch.軍事板」◆(2003/04/15~) もし戦艦大和が終戦時に無傷で生き残っていたら
回収すべきレス無し
「2ch. 軍事板」◆(2003/5/31~) M1A2 100両 vs 戦艦大和 1隻 その(2)
ver = 9
レス回収済
「2ch.軍事板」◆(2003/05/30~) 戦艦大和とむらせめ 何隻なら勝負が成立する?
レス回収済
「2ch. 軍事板」◆(2007/07/15~) こんな戦艦武蔵は嫌よ(;´д`)ハァハァ
回収すべきレスなし
「2ch. 軍事板」◆(2010/11/14~) ●うんこ戦艦武蔵
回収すべきレスなし
『戦艦大和』(平間洋一編,講談社選書メチエ,2003.5)
編者は,元海将補で,ちとせ艦長,第31護衛隊司令を歴任し,退官後は防衛大学校教授などを勤めている人.
今までの戦艦大和関係の本は,ともすれば人の視点,これは兵士の視点,提督の視点,技術者の視点,そして趣味者(戦後の軍事評論家も含む)の視点という風に,一点からしか見てないものが多かったが,本書では,それらを総合的に,建造の経緯とその問題点,運用上における問題点,米海軍から見た大和という三つの観点から,「大和」について語っている.
第一章で大和建造の戦略的,戦術的背景が,
第二章でその戦略的,戦術的思想を具象化した際の設計上の問題点について,
第三章でメカニズム関係と,その建造上の問題.
第四章は竣工から比島沖海戦までの活動を,
第五章は沖縄特攻を,
そして第六章で,米海軍の視点から見た大和について米国人の教授が執筆している.
特に第六章は,大和の建造時までは比較的秘密が保たれていたこと,ところが,第一線の軍人が捕虜になった時点で,軍の機密をどんどんと喋り,大和のベールが剥がされてきたこと,更に建造時でも公表される予算額を分析して,大和建造の進捗を探ろうとする米海軍の諜報活動の凄さがかいま見られて,面白そうな書物になっている.
------------眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2003/05/14
青文字:加筆改修部分
『戦艦大和 設計と建造』(松本喜太郎著,ダイヤモンド社,2006.11)
『戦艦大和の遺産』上・下(前間孝則著,講談社+α文庫,2005.11)
『伝承・戦艦大和』(原勝洋著,光人社 (1993/12)
とりあえず戦艦大和の事を知りたいという初心者にはオススメ .
建造の経緯を始め,兵装からメカニックや戦記,戦術まで,大和に関する基本的な事が,一通り載っています.
-------------軍事板,2001/05/21(月)
『夢幻の軍艦大和』(本そういち,講談社)<「くろいあめ,あかいほし」★(2010/04/24) ぼくのかんがえたすごいだいにじせかいたいせん
『大和型戦艦 (超精密3D CGシリーズ)』(松野正樹他制作,双葉社,2007.1)
【質問】
大和計画の変遷を教えられたし.
【回答】
「写真 日本の軍艦Ⅰ(光人社)」によれば,以下の通り.
A-140 10.03.10策定
69,500t,294×41.2×10.4m,31kt,200,000(タービン,以下Tと略)
hp,8,000浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140A 10.04.01策定
68,000t,277×40.4×10.4m,30kt,68,000(ディーゼル,以下Dと略)+140,000T
hp,9,200浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140B 10.04.01策定
60,000t,247×40.4×10.3m,28kt,140,000D
hp,9,200浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140C 10.04.01策定
58,000t,247×40.4×10.2m,26kt,105,000D
hp,9,200浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140D 10.04.01策定
55,000t,247×40.4×10.1m,29kt,140,000D
hp,9,200浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140A1 10.04.01策定
68,000t,277×40.4×10.4m,30kt,68,000D+140,000T
hp,9,200浬/18kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140A2 10.04.01策定
68,000t,277×40.4×10.4m,30kt,68,000D+140,000T
hp,9,200浬/18kt
主砲 前2後2(←○←○ ○→○→) 46cmⅡ×4,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140B1 10.04.01策定
60,000t,247×40.4×10.3m,28kt,140,000D
hp,9,200浬/18kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140B2 10.04.01策定
60,000t,247×40.4×10.3m,28kt,140,000D
hp,9,200浬/18kt
主砲 前2後2(←○←○ ○→○→) 46cmⅡ×4,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140G 10.05.25策定
65,883t,273×37.7×10.4m,28kt,70,000D+70,000T
hp,8,000浬/18kt
主砲 前3(○→○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140G1-A 10.07.30策定
61,600t,245.5×38.9×10.4m,26kt,55,000D+60,000T
hp,6,600浬/16kt
主砲 前3(←○○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~27,000m
A-140G0-A 10.08.14策定
65,450t,268×38.9×10.4m,28kt,70,000D+75,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前3(←○○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140F 10.08.14策定
60,350t,247×38.9×10.4m,27kt,65,000D+65,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→:1番連装) 46cmⅢ×2+Ⅱ×1,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~27,000m
A-140K 10.08.01策定
50,059t,221×36×10.1m,24kt,40,000D+40,000T
hp,6,600浬/16kt
主砲 前3(○→○→○→:1番連装) 40cmⅢ×2+Ⅱ×1,他15.5Ⅲ×3,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対40cm 20,000~27,000m
A-140G2-A 10.08.10策定
63,450t,262×38.9×10.4m,28kt,70,000D+73,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前3(←○○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~27,000m
A-140I 10.07.30策定
65,050t,268×38.9×10.4m,28kt,70,000D+73,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後2(←○←○ ○→○→:1・4番連装) 46cmⅢ×2+Ⅱ×2,他15.5Ⅲ×2,12.7cmⅡ×8,25mmⅡ×12,
防御要綱 対46cm 20,000~27,000m
A-140J0 10.07.30策定
52,000t,242×36.2×10.1m,27.5kt,60,000D+60,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前3(←○○→○→) 40cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×3,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対40cm 18,000~27,000m
A-140J2 10.07.30策定
54,030t,255×38.5×10.2m,29kt,70,000D+65,000T
hp,6,000浬/18kt
主砲 前3(←○○→○→) 40cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×3,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対40cm 18,000~27,000m
A-140J3 10.08.30策定
58,400t,252×38.9×10.4m,28kt,70,000D+65,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後2(←○←○ ○→○→) 40cmⅡ×4,他15.5Ⅲ×3,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,
防御要綱 対40cm 20,000~30,000m
A-140F3 10.10.05策定
61,000t,246×38.9×10.4m,27kt,60,000D+75,000T
hp,4,900浬/16kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,13mmⅣ×2,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140F4 10.10.05策定
62,545t,248×38.9×10.4m,27kt,60,000D+75,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,13mmⅣ×2,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140F5 10.10.策定
65,200t,253×38.9×10.4m,27kt,60,000D+75,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×12,13mmⅣ×2,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
A-140最終案 11.03.策定
68,200t,256×38.9×10.4m,27kt,150,000T
hp,7,200浬/16kt
主砲 前2後1(←○ ○→○→) 46cmⅢ×3,他15.5Ⅲ×4,12.7cmⅡ×6,25mmⅡ×8,13mmⅣ×2,
防御要綱 対46cm 20,000~30,000m
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
もしもの世界の「大和」
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq061219f.jpg
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq061220g.jpg
(画像掲示板より引用)
【質問】
戦艦大和は大蔵省すらも欺いて作られたと聞いたのですが,建造費は別の物で請求されたのでしょうか?
【回答】
表向きは三万五千トンの戦艦を建造するのに必要な予算を要求し,不足分は陽炎型駆逐艦三隻と伊号潜水艦一隻を建造する架空の予算で補いました.
――――――
「第3次補充計画」案の議会への提出の際,実際には排水量6万4000tが予定されていた大和型戦艦は,「4万t級」(建造費1億3384万7000円)と説明された.
これは,議会を通じて大和型戦艦の規模が漏れないように,という海軍当局の工作だった.
しかし,「4万t級」としてしまうと十分な予算が確保できないので,実際には建造しない駆逐艦2隻・潜水艦1隻を余分に予算計上し,大和型2隻の不足分を補った.
大和型戦艦の実際の建造予算は,1億5238万1500円だった(「海軍軍戦備(1)」,p.544).
大正時代の建艦競争時代には,国家予算約15億円に対して主力艦1隻(長門型)約3000万円だったから,主力艦は国家予算の50分の1だったが,大和型戦艦は国家予算約27億円に対して,1隻約1億5000万円であるから,18分の1に当たる.
――――――山田朗著『軍備拡張の近代史』(吉川弘文館,1997/6/1),p.179
松本喜太郎は「大蔵省もごまかす」と書いていますが,福井静夫は,大蔵大臣,次官,主計局長,主計課長などには知らせていたとしてます.
軍事板他
▼ ただし,これにつきまして,「戦史叢書 海軍軍戦備<1>」の当該ページを確認しましたところ,これは「第“3”次補充計画」では無く,「第“4”次補充計画」の数値でした.
従って,この1億5238万1500円という数字は大和型戦艦の建造費には間違いないのですが,これは
110号艦(信濃),
111号艦
の建造費であり,設問が「大和型」では無く「大和」となっている以上,設問に対して正確に答えるならば,
「未成の大和型2隻の話であって,大和の話ではない」
ということになるでしょう.
ちなみに第3次補充計画時点(大和及び武蔵)での予算は,第76帝国議会提出の物価騰貴による予算増加分を含めて計算すると
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/cost1.htm
の(3)計画に赤字で記載の「1億2898万3091円」という数字が正しいように思います.
参考は『戦史叢書 海軍軍戦備<1>』,p.499~500.
名も無き名無し by mail,2008年05月16日 15時13分
青文字:改修部分
▲
建造中の「大和」
(画像掲示板より引用)
【珍説】
〔戦艦大和について〕さらに言えば,これはまぁ,結果論になってしまうかも知れないが,巨大戦艦の建造自体が,戦略的失敗だったのである.
林信吾著『反戦軍事学』(朝日新聞社,2006/12/30),p.95
【事実】
まさしくこれは後付けの理論で,論評するに値しません.
むしろ日本帝国海軍は,他の海軍強国に先駆けて戦艦の建造を中止し,航空母艦を中心とする海軍戦力構造の大転換を始めています.
日本・・・戦艦「武蔵」 1942年8月5日竣工
米国・・・戦艦「ウィスコンシン」 1944年7月1日竣工
英国・・・戦艦「ヴァンガード」 1946年8月9日竣工
仏国・・・戦艦「ジャン・バール」 1956年5月1日竣工
伊国・・・戦艦「ローマ」 1942年6月14日竣工
独国・・・戦艦「ティルピッツ」 1941年2月25日竣工
以上が,各国が最後に作った戦艦の竣工日です.
驚くべき事に,イギリスとフランスは戦後になってからも戦艦を完成させています.
アメリカも戦艦「アイオワ」級の5番艦「イリノイ」,6番艦「ケンタッキー」を建造中止にしたものの,4番艦「ウィスコンシン」まで造りあげています.
ドイツとイタリアは日本よりも早く建造を止めていますが,ドイツは空母への転換ではなく,潜水艦の建造を優先する為,イタリアも同様に空母への転換の為ではなく,1943年には降伏しているので戦艦建造どころでは無かった為(「ローマ」の同型艦「インペロ」に至っては鋼材不足の為に建造中止)です.
日本は太平洋戦争開始(1941年12月8日)と同時にマル四計画の戦艦,110号艦「信濃」と111号艦の建造中止を決定しています.
これは,戦争が始まった以上,既存艦の修理を優先する為で,もし「信濃」の完成(1945~1946年頃を予定)まで戦争が長引いていたら,どうせ日本に勝ち目は無い為,建造を続ける意味が無いからです.
また,開戦前の11月の時点で,マル五計画の戦艦(改大和級1隻と新型51cm砲搭載戦艦2隻)について建造優先順位が大幅に下げられた上に,建造一時見合わせが通達されており,ミッドウェー海戦後の1942年6月30日に改マル五計画が策定され,戦艦建造計画は無くなり,空母20隻の建造を決定する事になります.
これらの日本の動きに対し,アメリカは戦争が始まってからも戦艦の建造を続けています.
既に工事が進んでいたサウス・ダコタ級は,そのまま戦艦として完成させるのが当然としても,アイオワ級は建造中止するなり空母に改装するなり選択肢があった筈です.
完成した戦艦アイオワ級4隻の内,まともな海戦に参加できたのは「アイオワ」と「ニュージャージー」だけで,「ミズーリ」と「ウィスコンシン」は硫黄島や沖縄への対地砲撃ぐらいしか出番はありませんでした.
「イリノイ」の建造中止決定は太平洋戦争終結の3日前,「ケンタッキー」は戦争初期に建造休止,その後再開,休止,再開を繰り返した挙句,最終的な建造中止は1950年のことでした.
戦艦よりも航空機の方が強い,ということが証明されたのは1941年12月10日に行われたマレー沖海戦で,日本海軍陸上攻撃機がイギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈した事によるものです.
真珠湾奇襲は港で身動きの取れない艦を狙ったものであり,空母の大量集中運用という新戦術の効果を知らしめたものの,洋上で戦闘行動中の戦艦に対し航空攻撃が通用するのか,まだ証明されていませんでした.
しかしマレー沖海戦でイギリス海軍の戦艦,特に新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が為す術なく撃沈されてしまった事は各国に衝撃を与え,イギリス首相チャーチルに至っては戦後の回顧録で「戦争中これほどショックを受けたことはなかった」事を明かしています.
つまりそれまで,戦艦に対する航空機優位は証明されていませんでした.
航空攻撃が通用するのではないか,通用するどころか戦艦はもう不要なのではないかとする「推測」は,それよりも以前から唱えられてはいましたが,実戦での「証明」が無かった為に,何処の国も戦艦の建造を止めて空母を優先するという大胆な試みを行いませんでした.
「推測」が正しければ,一方的な戦果を手にする事ができるでしょう,
しかし間違っていたら? 航空攻撃が戦艦に通用しなかったら?
その場で決戦を挑んでいたら,逆にこちらが為す術なく負けてしまいます.
だから,1941年12月10日以前に建造を開始した戦艦に対し,「建造そのものが戦略的失敗」とするのは後世から見た結果論に過ぎません.
それまで戦艦の建造は当たり前の事だったのですから.
そして,その後の各国の戦艦建造に対する動きを見る限り,日本帝国海軍は戦艦の建造を早期に止め,空母への転換を図っており,むしろアメリカの方がダラダラと戦艦建造を続け,イギリスとフランスのように戦後になってからも戦艦を完成させている有様を見ると,何故,戦艦「大和」だけが叩かれるのか分かりません.
大和が叩かれるならアイオワ級も叩かれねばならず,ヴァンガードやジャン・バールに至っては問題外の筈です.
林信吾氏はイギリスに詳しいという触れ込みの筈なのに,戦艦「ヴァンガード」の存在を知らなかったのでしょうか?
ところで,『反戦軍事学』の第二部/中級編(p70~p120)の〔略〕その二「海軍の基礎知識」では,その部分の内容の大半が戦艦の話となっています.
戦艦大和と大艦巨砲主義.果たして今や使われなくなった兵器の説明を詳しく行って,反戦平和派にとって何の意味があるのか疑問です.
そのような事をするくらいなら現在使われてる海上の主力兵器,航空母艦の説明をした方が勉強になるのに,何故,時代遅れな戦艦の話をしたのでしょうか.
それは東部戦線氏の行った書評で,その意図が解説されている通りです.
『イージス艦をけなしている部分がありますが,その直前に長々と旧海軍の戦艦大和の悪口を書いてある.大和のイメージをイージス艦にダブらせて,イージス艦が無能であることを感覚的に印象付けようとする姑息な手口としか言いようがありません』
「反戦軍事学」の著者・林信吾氏は,その三「イージス艦vs.テポドン」でイージス艦を役立たずな高価な兵器と印象付ける為の布石として,その二「海軍の基礎知識」を用意したのです.
<以下,コメント欄>
『虚構戦記研究読本 兵器・戦略編』(北村賢志著,光人社,1999.8)に同じこと書いてたなぁ.
すなわち,
「大艦巨砲主義批判は結果論に過ぎない.
大和級が海戦後に完成したといっても,マレー沖海戦時に大和は公試中で,武蔵も1年前に進水しているのだから,そのまま完成させるしかない.
海戦時期にしても,瑞鶴の完成時期を睨んで決定されているのだから,航空兵力軽視との批判はあたらない.
そもそも,海のものとも山のものとも知れない航空戦力に,自国の命運をかけるのはリスクが大きすぎる.各国の建艦状況がしめすように,むしろ日本が先頭を切って航空兵力への切り替えを進めている」
等々.
えー,これ,初版が1999年8月27日なんですね.
ホホ~イ語氏は,7年も前に論破されてることをネタに本を書いて,「オレはプロだ」と御高説をたれてるわけで,うーん,笑うしかないってこのことか(笑).
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月30日
00:51
マレー沖海戦の勝利自体,かなり運の良い結果だったりします.
日本軍は護衛戦闘機を付けずに陸上攻撃機を出撃させていますが,イギリス極東艦隊に付けられる筈だった護衛戦闘機隊(オーストラリア軍のF2Aバッファロー戦闘機)の発進が遅れ,戦場に到着したのは戦闘終了後.
もし間に合っていたら,護衛のない陸攻隊は駆逐されている筈で,イギリス極東艦隊が健在だったなら,その後の日本陸軍の作戦に大きな影響を与えていた可能性があります.
また,イギリス極東艦隊には本来,空母「インドミタブル」が合流する予定でしたが,開戦前の11月にジャマイカ沖で座礁し,修理の為に間に合わなかった事も大きいです.
もしインドミタブルが居たら,上空直援の戦闘機が確実に居るわけですから,日本軍は戦闘機を陸攻隊の護衛に付けてやらないと,攻撃は確実に失敗します.
Posted by JSF at 2007年03月30日 02:39
大和・武蔵と同じ時期に起工・就役した戦艦って日英米に限っても
起工 就役
KG5世 37/1/1 -40/12/11
POW 37/1/1 -41/3/31
ノースカロライナ 37/10/27-41/4/9
ワシントン 38/6/14 -41/5/15
DOY 37/5/5 -41/11/14
大和 37/11/4 -41/12/26
サウスダコタ 39/7/5 -42/3/20
インディアナ 39/11/20-42/4/30
マサチューセッツ 39/7/20 -42/5/12
アンソン 37/7/20 -42/6/22
武蔵 38/3/29 -42/8/5
アラバマ 40/2/1 -42/8/16
ハウ 37/6/1 -42/8/29
アイオワ 40/6/27 -43/2/22
ニュージャージー 40/9/16 -43/5/23
ウィスコンシン 41/1/25 -44/4/16
ミズーリ 40/6/12 -44/6/11
こんだけの数があるんすけどね.
就役時期もさることながら戦略語るなら,起工時期見れば全く妥当だと思うんですけど.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月30日
03:50
そもそも戦艦が航空機より弱い,というのは40年代初頭の一時的な現象です.
大戦中盤以降,対空火力を激増させて急速に対抗能力を整備した戦艦を葬るには結局,戦艦の建造にかかったのと同程度のリソースを投入して整備した航空戦力が必要になるのです.
戦艦と航空機の力関係を決定づけたのは,投入リソース量よりも汎用性・冗長性の差なんですよ.
戦艦に出来ることの大半は航空機にも出来,戦艦に出来ない数多くのことを航空機が出来るという使い勝手の差が,それ以上の戦艦増強の意味を失わせ,航空戦力整備の流れが決定づけられたのです.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月30日
14:17
上で書いた『虚構戦記(以下ry)』を読み直していたら,ドレッドノート以降の戦艦で当初期待されたほどの活躍をした戦艦はないとの記述がある.
その理由として
・『戦艦』という兵器が極めて高価で,その建造は時間が掛かる国家的大事業になった.
・単なる海軍戦力の次元を離れて,国威・国力と国際的地位を示すものとなった.
(ワシントン・ロンドン両軍縮条約で分かるとおり,現在の核兵器なみに国際政治を左右する要素になってしまった)
・国内的にも,主力戦艦は海軍を象徴する存在となり,その損失は国民全体に同様をあたえかねなかった.
・結果,どの国も戦艦を失うことを恐れた.
つまり,WW2期の戦艦には,単なる「軍事」面だけではなく,「政治」的な要素もあったと指摘されている.
こうなると,巨大戦艦の建造は,百歩譲って軍事的には無用の長物であっても,政治的には極めて重要な意味を持つわけで,政治と戦争が密接に結びついている以上,「無用の長物」「時代遅れ」という指摘は,やはりちょっと違うと思わざるをえない.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月30日
16:00
2chで書き込んだやつだけど
●WW2前後の新戦艦建造数(基準排水量)
日2隻128000トン
米10隻390000トン(アラスカ級含めると12隻448000トン)
英6隻228135トン
独4隻147000トン
仏4隻134306トン
伊3隻(㌧数よくわからん)
●日米開戦時空母保有数
日10隻203750トン
英10隻181275トン
米9隻173636トン
仏1隻22146トン
驚くべき事に,開戦時世界の空母の3分の1が日本海軍所属だった訳だ.
これは覚えておいていい.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年03月31日
18:50
というか,○3計画の時点で空母の数で負けるから優秀商船を徴用した特設空母の研究を始めてるわけで.
○4計画の時の建造方針は
「主力艦勢力の維持を主眼とし戦艦二隻を建造す」
「航空母艦勢力を重視し一隻を増勢す」
「乙級巡洋艦は編成上必要最小限度の兵力維持の為代艦を補充す」
同計画の航空兵力に関する方針は
「海上航空兵力の外基地航空兵力の画期的充実を期すること最も緊要なるを以て陸上航空隊を増設す」
ですぜ.
艦船で増勢されているのは空母1隻の他は駆逐艦と潜水艦です.
日本海軍の構想を無視して船の数を数えても意味ないんです.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年04月03日
20:41
以上,「週刊オブイェクト」,2007年03月29日付より
(加筆および文章の順番の入れ替えあり)
▼ つかな.「艦隊決戦」で勝って相手の戦艦を全て沈めようが,相手に航空機と潜水艦が残ってたら何の決着にもなってないってのが,「大艦巨砲主義」の最大の問題なんだよ.
戦艦が航空機に沈められたとか,そういう事は些細な問題なの.
ドイツやイタリアの戦艦が港から出てこなくても,イギリス本土やマルタ島は干上がりかけた訳だよね.
戦争が始まって分った事というのは,「戦艦ってのは居ても居なくてもどうでも良い存在」だって事.
否定されたのは「対水上艦攻撃を主任務とする水上艦」.
つまり,戦前に建造された全ての戦艦,巡洋艦,駆逐艦という訳だ.
軍事板,2003/03/29
青文字:加筆改修部分
▲
【珍説】
私はたしかに『反戦軍事学』の中で,
「結果論になってしまうかも知れないが,巨大戦艦の建造自体が,戦略的失敗だったのである」
と書きました.
結果論,との批判があり得ることは,著者が一番よく承知しているわけです.
ただ,政治と同様,軍事も結果責任であるわけですから,戦略的失敗だった,との評価に誤りはありません.
ところが,どうでしょう.間抜けのマオー君は,ここに噛みついてきました.
「まさに後付けの論理で,論評に価しない」
と言いながら,その後,各国の戦艦建造のウンチクを並べ始めたのです.
私の論理をなぞっただけで,これがどうして『反戦軍事学』批判になり得たと思うのでしょうか.
【事実】
1941年12月8日まで大艦巨砲主義は紛れも無く世界の常識だった.
JSF氏はその点を指摘しているだけ.
【珍説】
私がヴァンガードを知らないらしい,などと,どこから思いついたのか,理解に苦しみます.
【事実】
貴方が「反戦軍事学」の中でヴァンガード(が,大和より遥かに後の1941年10月に起工された事)に触れなかったから.
知ってて言及しなかったのなら,やはり貴方の理論構築は「為にする」モノでしかない.
【反論】
ヘクター・C・バイウォーターという英国人の作家が,1925年に出版した「THE GREAT PACIFIC WAR」 という小説があります.
邦訳は,ワニノベルズから『太平洋大海戦』,コスミック文庫から『太平洋大戦争』というタイトルにて,それぞれ出版されております.
その中に,こんな一節があります.
「航空機は,運動性と兵器搭載能力が格段に進歩しない限り,これを決戦兵力として投入するのは,無謀だといわなければならない.
(訳注・この本が出版された数年後,1930年代になると,航空機の性能は飛躍的に向上した.
このため晩年のバイウォーターは,この部分の記述について『訂正の必要があるかも知れぬ』
と語っていた)」
ご賢察の通り,この「訳注」を書いたのが,私です.翻訳は清谷信一と共同で為しました.
このワニノベルズ版は,1994年10月に発売されております.
JSFがひけらかして見せた,戦艦に関する知識など,私は13年も前に活字にしていたわけです.
【再反論】
ああ,ならばやはり貴方は,「為にする」論理展開をしていたのですね?
これで林信吾が人間のクズであることが証明されました.
もっともここは2chですから,あくまで「自称:林信吾」でしかありませんけどね.
【珍説】
私が英国に在住していたのは,1983年から10年間で,そのことは著者略歴に明記してあります.
1960年にスクラップにされた戦艦と,いかなる接点があり得ると考えたのでしょうか.
【事実】
では,太平洋戦争の時に存在しなかった男が,戦艦大和の事を語る事すらナンセンスですな.
【質問】
戦艦大和は建造を秘密にされていたの?
【回答】
あんな巨大ものの存在を秘密に出来るはずはありません。
実際、呉の住宅街(山の手)から艤装岸壁で艤装中の大和を見ることが出来ました。
その年に刊行されたジェーン年鑑にも,「日本の新型戦艦」という記事があります。
海軍の欺瞞工作は存在を欺瞞するのではなく、スペックを欺瞞するためのものです.
軍事板
大和建造時は,ドッグの上に上屋を設けて周囲をトタン板で覆い,クレーンの上から網を簾のようにつるして海上から見えないように,更に防諜対策も強化されました.
それでも,1936年4月に港内撮影禁止の咎で,検挙が数名出ていることを地方紙が報じていますから,何か建造しているのは一般市民に分かっていたと思います.
また,呉線の急行列車に憲兵が,周辺の山々に特別憲兵隊が配置されています.
1936年5月には,防諜の重要性に関する講演会の開催,海軍,憲兵隊,呉警察,市役所,郵便局,呉検事局による軍事防諜団が結成されています.
1937年には,住民に呼びかけ,小学校から防諜団を結成したり,芸妓も花園防諜団を結成して市民総出で,防諜に関する啓蒙活動を行っていました.
こうした活動をしているので,「工廠で不沈戦艦を造っている」とか,「とてつもない戦艦を建造している」と言う噂は市民レベルにも浸透していますが,前記のような防諜活動の徹底によって,自分たちはどこまで口にして良いのか,どこから口にするとやばいのか,と言う規範が出来ており,建造しているぞ,以上の話は余所でしない様になっています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
呉付近に列車が通りかかると,よろい戸を閉めさせられる.
ドックの手前に視界を遮断する様,わざとデカイ建物建てたり.
当然工員には箝口令.
存在そのものは秘密じゃありませんでした.
瀬戸内海の漁師達や呉市民などは良く知っています.
(艤装中の大和は呉市街から丸見えでした)
積極的な報道が無かったので,他の地方の一般市民は知らなかったようです.
海軍が行ったのは,存在の秘匿ではなくスペックの秘匿(排水量を小さくしたり,主砲の口径を40㎝と誤魔化したり)です.
秘密を守るため,バナナに偽装している「大和」
(画像掲示板より引用)
【質問】
大和と武蔵は同型艦なのに,呉工廠で建造された大和と,三菱長崎造船所で建造された武蔵とでは,武蔵は大和の約2倍の総工日数がかかっていますがなぜでしょうか?
三菱長崎は建造技術では民間最高とまでいわれていたらしいですし,艦載砲の数が違うといっても,それだけで2倍もの日数の差がつくとは思えません.
【回答】
工程管理などの生産管理の手法が,武蔵と大和では全く異なり,大和の方が相当効率的に建造されたからです.
三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板,2009/02/04(水)
青文字:加筆改修部分
呉工廠の担当士官だった西島亮二少佐が,作業管理を科学的に行ったからだと言われている.
予定の工期よりも半年早く竣工した.
西島少佐は生産合理化の私的研究会に参加してた人で,米国フォード社を参考にしてたらしい.
データ管理にグラフを多用しており,そのグラフは「西島カーブ」なんて呼ばれたそうな.
ほかに,武蔵のほうは途中で設計変更が入ったりしたという事情もある.
詳しくは前間孝則著『戦艦大和誕生』(講談社文庫,1999.12)を参照.
軍事板,2009/02/04(水)
青文字:加筆改修部分
▼ 折しも,ワシントン/ロンドン軍縮条約が昨年末に廃棄された昭和12年11月,呉海軍工廠に於いて「世紀の大事業」と呼ばれた超弩級戦艦「大和」の建造が開始された.
前代未聞の大事業の為に,工数管理や材料の標準統一化など(当時の主任であった西島亮二氏による所が大きい),ブロック建造方法や先行艤装,リベット工法から電気溶接による船体構造への革新的な生産管理法や建造方法が導入された.
上記の建造,生産管理が優秀で先進的だったかを示す数値としては,同じ呉工廠で建造された戦艦長門と,工数で比較することができる.
長門は196万工数,大和の場合は201万工数で,長門建造は20年前であることを考慮しても,長門の排水量の約2倍である大和との工数差は5万工数というのは驚嘆すべきである.
この工数とは,そのまま建造費用に反映される物であり,長門と大和が同程度の建造価格であった事を現している.
御存じかも知れませんが,2番艦の「武蔵」は三菱造船で同じ設計図から建造したものの,大和の2倍という工数と費用がかかった.
これは民間の三菱と軍の呉で生産設備等に差があったことは確かだが,大和建造で取り入れた工法が如何に先進的だったかを示すと同時に,民間への技術供与が行われていなかったなど,発注元の海軍艦政本部の管理能力が行き届いていないということだったのではないかと個人的に考えている.
結局,大和と武蔵の工数比較は行われたという記録は残ってはいるものの,最終的な建造費用は記録が残されていないという有り様である.
武蔵!破れたり!:軍事板,2003/03/30
青文字:加筆改修部分
※何かの文献からの引用のように思われるが,
引用元は確認できなかった(編者)
▲
【質問】
WW2以前の艦艇についての質問です.
大和級1隻の予算で初春級の駆逐艦なら20隻は作れるとどこかで読んだ記憶があります.
改装前の初春級20隻(3連装魚雷発射管3基搭載)と大和級戦艦1隻が戦ったら,どう考えても前者が勝つと思うのですが,当時の海軍に水雷戦隊の優位性を主張する人はいなかったのでしょうか?
【回答】
単体で強さ比べするのは初心者の陥りやすい罠です.
大和級が単体で出撃し,それを駆逐艦20隻で襲撃するという想定は有り得ません.
必ず両者とも大型~小型の艦艇を組み合わせた「艦隊」を組みます.
また,「数を揃える」という発想にした場合,どうがんばってもアメリカに勝てません.
必要なのは「大和型」に勝つ方法ではなく,アメリカに勝つ方法です.
数に頼らない方法に勝機を見いだすための僅かな可能性を,少数精鋭主義に求めざるを得なかったのが,WW2における日本海軍の事情です.
さて,仮にその他の条件(練度等)を全く同じと仮定しましょう.
その場合はどうでしょうか.
これはどう考えても,戦艦1隻のほうが強いでしょう.
戦艦は魚雷1発では沈みませんが,駆逐艦は戦艦の主砲1発で沈みます.
あとは手数と射程距離の問題ですね.
酸素魚雷の射程は2~4万m.
戦艦の主砲の射程も3~4万m.
単純な比較なら同等とも見れますが,無誘導の撃ちっぱなし魚雷はそうは当たりません.
しかも魚雷は微妙な代物で,明後日の方向に行くなんてのが日常茶飯事.
実際は1万m前後で撃たないと命中は期待薄.
遠距離雷撃は公算雷撃で,10~20発かあるいはそれ以上発射し,そのうち1,2発当たれば御の字,と言う感じ.
さらに艦載の魚雷は一発撃ったらそれで終わり.
帝国海軍は次発装填装置を持ていましたが,それでも2回で終わり.
その上,次発魚雷再装填までは結構時間がかかったように記憶しています.
一方,戦艦はどんどん撃ってきます.
2~3分ごとに撃ちまくるから,そうとう分が悪い,と言うか相手になりません.
と言うわけで,夜陰にまぎれて,と言う事がない限り,駆逐艦は戦艦には勝てません.
で,当然ですが,戦艦には取り巻きの駆逐艦がお供につきますから,駆逐艦だけで戦艦を撃破する事は無理です.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
艦砲は魚雷以上に命中率が低いのではないでしょうか?
例えばビスマルク追撃戦では英駆逐艦は1隻も撃沈されていませんし,マリアナ沖海戦でも初月を撃沈するために,米巡洋艦4隻は2時間にわたって1200発の砲弾を消費しています.
当時の艦砲の命中率で,多数の駆逐艦が接近して来た場合に,酸素魚雷の発射地点である距離1万mに到達するまでに果たしてどれだけ阻止できるのだろうか,と疑問に思ったわけです.
仮に20隻のうち半分の10隻に雷撃を許した場合,魚雷90本ですから1割が命中したとしても,片舷に9本被雷すれば炸薬量の大きい九三式酸素魚雷ですから,大和級でも沈没は免れないのではないでしょうか?
【回答】
いや,そちらがもう答え書いているわけで.
>マリアナ沖海戦でも初月を撃沈するために,
>米巡洋艦4隻は2時間にわたって1200発の砲弾を消費しています.
魚雷で1200発なんてあり得ないけど,大砲なら可能なわけです.
数撃ちゃ当たるとなれば,数が確保できる大砲の方が頼りになるわけで.
また,戦艦には主砲だけでなく,副砲も積んでいるのが普通です.
副砲は主に駆逐艦対策で,実際スリガオで扶桑,山城はこれで駆逐艦,魚雷艇を撃退しています(最終的には多勢に無勢でやられていますが).
大和の新造時,両舷に副砲がありましたが,これも相手の水雷戦隊を意識してのものと思います.
それに別に当たらなくても,射点に入れなくすれば十分です.
駆逐艦が敵砲撃下で回避行動をとらずに真っ直ぐ接近したら,たちまち敵砲弾が命中して撃沈されてしまいますから.
だから回避行動をとるのですが,そうすると射点にたどり着けなくなります.
さらに,襲撃時には有利な射点をとらないといけないので,たとえ撃たれるとわかっていても肉薄しなければならず,当然狙う側は照準しやすくなり,命中率が上がる事も期待できます.
戦艦もそれなりに駆逐艦対策は考えているので,そう簡単にはいかないと思います.
まして,相手の艦隊にも駆逐艦や巡洋艦もいますし.
なお,魚雷1割命中というのは日本軍の想定であり,酷い時には15000m以下で合計188本撃って3本しか命中しなかった事もありました.
一方,砲撃の命中率は,理論的にはそんなに低くありません.
http://www.warship.org/new_page_2.htm
にあるように,経験則からも,米海軍の実績からも,標準的な動きをする艦相手に,最大射程で砲撃した場合でも,命中率は0.5%あり,15000m程度であれば,8~15%に達するとされます.
もちろん,理想的な砲撃はなかなか困難ですから,実際の海戦ではもっと悪いデータも出るでしょうし,最大射程が短い砲を併用すれば,トータルの命中率は低下します.
しかし同様に,魚雷の命中率も計算上は仮に1/10であっても,魚雷のジャイロの性能や誤差,発射時の艦の動揺や波浪による誤差,距離の測定誤差や敵速の測定誤差に加えて,実戦での焦りや錯乱が入り込みますから,とても計算通りには行きません.
しかも,砲であれば弾着が早く,どちらにずれたかも分かりますから,素早く修正射を撃てますが,魚雷では着弾まで時間がかかり,しかも外れたことしか分かりません.
さらには魚雷って,海面状況によって使用できないこともありますし,統制雷撃戦と言って戦列を組んで雷撃をしないとそもそも当たりません.
戦列も8隻が限界で遠距離から砲撃を喰らったら簡単に戦列が崩されます.
当たれば大きいのですが,好条件でしか,それも確率的にしか当たらないのが魚雷,と考えた方がよいでしょう.
また,精密機械なので,敵艦と交差しても深度が合わずに衝突しない,しても信管が働かないなど(ry
質問者の想定は,最良の条件で運がよければのタラレバ論でしかありません.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦艦大和とむらさめ,何隻なら勝負が成立する?
過去ログを見るに,重装甲の戦艦と新鋭護衛艦,一隻同士では勝負にならないというのが結論のようですが,では,何隻なら勝負になりますか?
【回答】
質問者と同じことを,真面目に考える人はいるもので,
「戦艦大和を護衛艦の対艦ミサイルで撃沈できるか?」
なんてサイトがあったよ.
http://sus304l.hp.infoseek.co.jp/calcula/yamato_vs_harpoon.htm
ここでは,以下の結論に落ち着いている.
1)
護衛艦搭載の対艦ミサイルでは,戦艦大和の集中防御区画を破ることはできない.
よって,撃沈は難しい.
2)
一方,対艦ミサイルでも,集中防御区画以外の破壊は充分に可能である.
また,命中するたびに,死傷者が発生し,場合によっては火災が発生することもある.
これらにより,艦船の運行・戦闘行動に支障をきたし,命中弾の数や運次第ではあるが,戦闘不能,火災発生→放棄・自沈ということもことも充分にありえる.
ハープーンで動けなくして,魚雷でとどめを刺せば終わりってことだね.
そもそも,速力,レーダ-の性能などからして,大和が「むらせめ」を捕捉するのは困難.
大和は光学観測がメインなわけで.
常に大和の捜索範囲外を「むらさめ」が機動して,どんどん艦対艦ミサイルを叩き込めば,数撃であぼんできないにしても,被害はかなり甚大なものになるかと.
で,ミサイルを撃ち尽くしたら,さっさとむらさめは逃げればよろし.
ただ,接近戦になったら,さすがに現代の護衛艦相手でも,装甲と火力の点から,大和にも勝機がかなりあるかもしれない.
対する「むらさめ」側は,SSM-1Bで225kg半徹甲だっけ?
250kg爆弾を急降下爆撃して命中時速度が700km程度.
ゆえに,飛行速度800kmで当たったとしても,主要装甲部分はなんともならん.
なんで,残存燃料による火災を狙って,出来るだけ近寄ってから発射したいところ.
「大和」の見張り員の見通し距離は,日中で30km程度だろうか.
ここまで水平線に隠れながら近寄る.
ジェット燃料がおそらく2/3は残せるはずだが,燃料容量の公表は無いよね.
夜間ならもっと近寄れるだろうけど,発射光でサーチライト使われると見つかるかもしれない.
瀬戸内海なら霧に隠れられる可能性があるから,「むらせめ」にはありがたいね.
そして,ハープーンもSSM-1Bも終末はアクティブレーダー誘導だから,レーダーエコーのでかいとこに当たるはず.
エコーのでっかいとこっていうと艦橋か煙突かな?
シースキミングモードにしとけば艦橋か煙突周りの水線,ポップアップにすれば直撃か周辺の上甲板に弾着.
水船部防御はかなり厚いんで(仔細はまかせた)かすり傷で終わり.
だが,最上甲板および上部構造物は厚いとこでも90mm(だったと思った)だから抜ける.
つまり,ポップアップしてつっこめば最上甲板は抜けるから,その下で火災発生.
が,防御甲板は抜けない.
主砲の砲塔には被害無しでしょう.
そこで残存燃料と炸薬で火災になってくれれば「むらさめ」優勢になるが,消火されると,なんとも・・・・
残燃料50リットルちょっとじゃ大した火災にはならんので,あとはどうやって消火を妨害するような発射間隔にするか.
同側に複数打ちこむのと,命中位置を分散させるのとどっちが効果的でしょ?
どうせ装甲は抜けないし,艦の前後端の非装甲部分を狙って浸水ってのも難しい.
左右両舷に分散させたほうが消火は辛いかとは思うが,発射位置をとるために攻撃間隔が開くのが難.
弾薬庫に火が回れば沈むけど,その前に注水するだろう.
燃やし足りなければ,艦尾方向から夜間に接近して,アスロックでスクリューか舵の破壊を狙う.
指向できる砲数が少ない方が,まぐれ当たりの可能性少ないし.
煙突の排気越しだから大和が主測距儀使えなくて,ちっとは命中精度落ちるのを期待.
13 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/05/30 22:51 ID:???
ここも大和 VS M1スレと同じに…ならないか.
14 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/05/30 22:56 ID:???
イージス艦とかエイブラムズとか,果てはボブ・サップまで挑戦してくるし,戦艦大和の中の人たちも大変だな.
15 : 名無し三等兵[] 投稿日:03/05/30 23:35 ID:s5EPnpkc [1/1回]
じゃ,ゴジラと戦わせようか.
16 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/05/30 23:38 ID:???
↓「ゴジラvs大和」
http://yasai.2ch.net/army/kako/1008/10088/1008830788.html
17 : 名無し三等兵[sage] 投稿日:03/05/30 23:47 ID:???
思えば軍事板発祥以来,実に様々なモノと大和は対決させられてるんだよなぁ.
関連スレッド集めて「大和百番勝負!」とかできるんじゃないか?(笑
軍事板,2003/05/30~08/08
青文字:加筆改修部分
【質問】
大和の艦橋の防御ってどんなもんよ?
バイタルパート並みの装甲がないなら,ハープーンでぶち抜けないのかな?
【回答】
司令塔の側面装甲は500mm.
軍事板,2003/06/29
青文字:加筆改修部分
大和は司令塔の防御も極めて強力です.
直撃はキツいかもしれないけど.
ついでに,艦橋が全滅すれば戦艦は戦闘力を失うと思ったら大間違い.
主砲だって個別で発砲できる.
精度はガタ落ちですが.
艦橋が全滅しようと,機関部さえ生き残っていれば逃げることが出来る.
撃沈直前でも主砲は火を吐き続けることがある.
戦艦とはそういう軍艦です.
アドミラル大石 ◆xmYaMAtoVI : 軍事板,2003/06/29
青文字:加筆改修部分
【質問】
大和の対空砲火でミサイルが落ちる可能性はどのくらい?
ミサイルとはいえ音速以下だし,大和も一応は電探積んでたんだから.
まぐれ当たりで一発でも落ちれば,8発しか積んでないむらせめにはかなり痛いのでは?
【回答】
対艦ミサイルはシースキマー,つまり,レーダーに探知されにくいように,海面上10mとか超低空で飛んでくる.
海自でも80年代の初めになって,初めて満足にこれを探知できるレーダーが装備されるようになったと聞く.
だから大和の電探では対処できなそうな気がする.
ミサイルの速度は800キロ強ぐらいだったとおもうけど,大和の見張り員がどれぐらいの距離でミサイルを発見できるかがカギかな.
レイテ沖海戦で大和が護衛空母を撃ったときは,見張り員は護衛空母のマストを3万8千mで発見している.
撃ち方始めの下令まで少し時間がかかり,実際に射撃が開始された距離は,3万2千m.
で,この時,艦橋トップの射撃指揮所では,護衛空母が進路を変えて行くのが見えたそうだ.
この事から考えると,当時の軽巡にせまる大きさで,マストが高いむらせめを3万5千mで測的,測距して,砲撃できると考える.
うまくいけば1・2発落とせるかも.
あ,でも最近のミサイルは,命中直前にホップアップとか複雑な動きをするヤツもあるらしい・・・
軍事板,2003/07/30~08/08
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦艦武蔵って何?
【回答】
大和型戦艦の2番艦で,日本海軍が竣工させた最後の戦艦.
「人名由来の命名と勘違いされ易い軍艦」の第一位.
「進水時に浸水被害を生じた民家の数」でも第一位.
1944.10.22,レイテ沖海戦におけるシブヤン海海戦において,米軍機により撃沈されたが,「最も被弾・被雷して沈んだ軍艦」の第一位.
ついでに,第一艦橋への直撃弾で航海部と信号部が全滅し,彼らが付けていた記録類が喪失したため,「戦闘詳報に誤りがある可能性が高い軍艦」の第一位でもある.
mixi, 2015年01月27日19:50
プラモをおとうちゃんにお土産で買って帰ってもらって,大和じゃないから「コレジャナイ!」と子供に泣かれる率No1(当社調べ)
ユズコセウ=サン in mixi,2015年01月27日 20:54
▼ 【反論】
2014年にフィリピンのシブヤン海において,米マイクロソフト創業者・ポール・アレンによって「武蔵」残骸が発見されたが,その映像からは「戦闘詳報」の正確性が明らかになったという.
広島県呉市の市海事博物館「大和ミュージアム」の統括担当,相原謙次によれば,
------------
「艦首の左の錨(いかり)がなくなっていた.
これは米艦載機の攻撃を受けて船体が左に傾いたため,姿勢を立て直すため左側の重い錨(の鎖)を切って落としたという記録通りだった」
------------
------------
また,
「爆弾が艦橋(最上部)の防空指揮所を貫き,艦橋内で爆発したとの記録通りの破口も映像で確認できた」
という.
------------msn産経ニュースより引用
▲
【質問】
戦艦武蔵の経歴は?
【回答】
1938年3月29日,長崎造船所にて,棕櫚(しゅろ)のすだれで隠れて起工.
1940年11月1日,「防空演習」と称して周辺住民の外出を禁じ,隠れて進水.
進水後は日本郵船の大型貨客船「春日丸」の陰に隠れて向島艤装岸壁まで移動し,1942年 8月5日就役.
1943年2月12日,連合艦隊の旗艦となる.
1943年5月17日,金剛・榛名とともに,山本五十六長官の遺骨を乗せてトラック島から横須賀へ帰還.五十六戦死の事実は5/21まで隠される.
1944年5月4日,巡洋艦大淀に連合艦隊旗艦を譲る.
1944年6月15日,大和などと共に,マリアナ沖海戦参加.この海戦の敗北は,大本営発表によって隠される.
1944年10月22日,レイテ沖海戦参加.
1944年10月23日,パラワン水道にて摩耶の乗組員を救助.
1944年10月24日,シブヤン海において,米軍機の雷撃20本・爆弾多数20発以上が命中し沈没.生存者は隔離されて隠され,殆どが日本に戻れないまま戦死.
乗員3300名のうち,日本への生還者は56名.
【参考ページ】
http://6hp.jp/mini.cgi?id=musasi&ak=&pn=2
http://www.ls.kagoshima-u.ac.jp/ronshu/ronshu1/36/ronbun/A03890813-00-000360001.pdf
mixi,2015年02月01日09:08
もう亡くなってしまったけど,近所に住んでたおばさんが子供の頃に,武蔵の進水直後の姿見たそうだよ.
色んな本に書かれてるように,進水式当日は憲兵が海岸線に大勢貼り付いていたらしい.
「絶対に海を見ちゃいかんよ」
って言われたらしいけど,気になるから見たって言ってた.
俺も見たかったなぁ・・・・
【質問 kérdés】
戦艦武蔵建造にあたり,どんな準備がなされたのですか?
【回答 válasz】
1937年(昭和12年)開催の第七〇回帝国議会で予算承認.
同年3月29日,計画名「A140-F6」から大和は第一号艦,武蔵は第二号艦と仮称さる.
同年9月8日,海軍艦政本部から三菱重工業に「A140-F6」を正式発注.
1938年3月29日,三菱重工業長崎造船所において第二号艦建造開始.
それに先立ち,同造船所では1936年,第二船台ガントリークレーン完成.
また,船台自体も山を削るなどして拡張し,艦の重量に耐えられるよう鋼材を打ち込んで船台を補強した.
2017年現在でもこの船台は現存し,海側から見ると「BERTH no2」の文字が読み取れるという.
なお,佐世保海軍工廠でも大和型戦艦を整備するための第7ドック(全長340メートル,幅51メートル)を極秘に完成させており,武蔵はここで推進機(プロペラ)の取り付けなどの艤装(ぎそう)作業を行っている.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://romanship.web.fc2.com/senkan/musashi.html
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201506abattleship-musashi0004
mixi, 2018.1.16
まあ,なぜに(今で言う)前ド級戦艦がほぼ標準化されていたかと言えば,艦を大型化するならドックや港湾機能の拡張をしなければならず,費用面で難しかったからですよね.
素人は戦術を語り,玄人はロジスティクスを語る.
鉄底海峡 in mixi, 2018年01月17日
【質問 kérdés】
「有馬事務所」とは?
Mi az "Arima Iroda"?
【回答 válasz】
機密保持のため,武蔵建造中の長崎造船所につけられた秘匿名称.
艤装員,すなわち建造中の艦乗組員は全員,「有馬事務所」に勤務するよう命じられた.
単に転属命令を受けた者もいれば,武蔵の初代砲術長・永橋爲茂(ためしげ)大佐のように,表向き軍籍を離脱して民間人として「有馬事務所」に勤務した者もいる.
「有馬」の名は,就役後は艦長となる予定の有馬馨大佐が艤装員長を務めていたため.
・士官は艤装員
・下士官・兵は艤装員付
として,この「有馬事務所」に勤めたが,その数300名.
建造中,彼ら以外の海軍将兵が武蔵に入ることは許されなかった.
士官には記章,下士官・兵には一人一人に「警戒隊」と白布に黒く書かれた腕章が手渡された.
腕章を紛失すると大変で,分隊総員で艦内を探し回り,本人は上陸足止めとなった.
また,彼らは顔写真入り名札を首から下げていた.
さらに,彼らは上陸の際,艦のほうを振り向くことさえ禁止されたという.
【参考ページ Referencia Oldal】
佐藤太郎『戦艦武蔵』(河出書房,1967)
http://psycross.com/blog/?p=9596
http://ironna.jp/theme/390
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/03onketsu/O_03_415_1.pdf
mixi, 2018.1.20
【質問 kérdés】
棕櫚(しゅろ)買占め事件とは?
Mi az mesterséges kenderpálma áruhiányta teremtő összevásárlás?
【回答 válasz】
1937年7月頃から長崎を中心に発生した,漁具(魚網等)に使う棕櫚(しゅろ)が何者かに極秘に買い占められ,市場での著しい欠乏と価格の高騰を招いた事件.
吉村昭はこのように著述している.
「初めに棕櫚の繊維が姿を消していることに気づいたのは,有明海沿岸の海苔養殖業者たちであった.
かれらは,海水の冷える頃,つまり九月末から十月はじめにかけて,海中に浮遊している海苔の胞子を附着させるため,浅い海に竹竿を林立させ,そこに棕櫚製の網を海面に水平に張る.
その例年の張りかえを行うために棕櫚の網を注文したのだが,意外にも漁具商には一筋の棕櫚繊維もないことが発見された」
この買占めは有明海だけでなく九州一帯で起こり,さらに四国から紀伊半島南部にかけて広がっていたため,警察が悪質な事件と見て捜査を行ったとされる.
しかしこの買占めを行ったのは実は軍で,戦艦武蔵建造が行われる船台の周囲に,棕櫚(しゅろ)を用いてすだれ状の目隠しを張り巡らせることが目的だった.
この目隠しが船台に張り巡らされると,付近の住民らは「ただならぬことが造船所で起きている」と噂し,建造中の船体を指して「オバケ」「魔物」と呼んだという.
なぜ棕櫚か?
トタン板だけでは,台風などの強風で剥がされ,吹き飛ばされてしまう懸念があったためだった.
板状のものより通風性(隙間)があるほうが風に強い.
しかも棕櫚は雨にも強い.
そして,目隠しは次のようなものになった.
船台の近くから覗きみられることを防ぐために,高さ3m程度まではトタン板を張りめぐらす.
その上にガントリークレーンの鉄骨からスダレ状の棕櫚縄を垂らした.
ただ,棕櫚をただ縄ノレンのように垂らすだけでは透けてしまうので,タテヨコに簾(すだれ)状に編むことにした.
重要な部分は,二重三重に重ね合せた.
棕櫚の所要量は最低でも400tになったという.
ただ,この棕櫚話,ネットを見る限りでは吉村昭の本以外のソースが皆無に等しく,
「単一ソースに頼りきりになるのは危険」
という,情報の扱いに関する一般法則を鑑みるに,一応の用心はしたほうが良いかもしれない.
ちなみに小室直樹は,
「隠すよりは大っぴらに建造したほうが,対日戦争の抑止力となり,日米交渉を有利に進める材料にできたのではないか」
と述べていたりする.
【参考ページ Referencia Oldal】
吉村昭『戦艦武蔵』(新潮社,1966)
http://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2013/10/post-053a.html
http://ch.nicovideo.jp/inosenaoki/blomaga/ar767777
http://blog.goo.ne.jp/kitamitakatta/e/25bd82bc10c758afe4e56fb29cc9fe19
http://takada1948.jp/user_data/knowledge.php
mixi, 2018.1.22
【質問 kérdés】
長崎市営常盤町倉庫について教えてください.
【回答 válasz】
長崎市営常盤町倉庫は,長崎造船所の対岸,大浦海岸にあったアメリカや英国の領事館から,建造中の武蔵の様子が見えないよう遮蔽するために建設された倉庫.
木造2階建.
通称「目隠し倉庫」.
建築は突貫工事で行われ,「武蔵」進水前日の1940年10月31日,「大部ノ屋根及海岸ノ側壁ヲ展張」することで,どうにか進水状況を隠すことができた.
ただ,一説には香港上海銀行長崎支店が,業績低迷によって1931年に業務閉鎖された後,その建物が英国諜報機関によって買収されて諜報拠点として使われていたらしいという話もある.
この建物は長崎造船所を一望できる3階の建物で,もしそうであるのなら目隠し倉庫を建設した意味などなかったということになるのだが…
この倉庫は戦後,大浦縦貫線の街路拡張工事ため,1962/02/20から解体着手.
一方,旧長崎英国領事館(1908年建築)は,国の重要文化財として現存しているという.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.f-makuramoto.com/01-nenpyo/01.nenpyo/1960-1962.s14.html
http://hope12375.blog137.fc2.com/blog-entry-441.html
https://tabinaga.jp/tanken/view.php?hid=20161216114300
大正期の香港上海銀行長崎支店
(こちらより引用)
mixi, 2018.1.28
【質問】
2番艦には,1番艦の不具合を全部検証して,それを反映させることができるだろうから,もしかして武蔵のほうが大和より性能が良かったのでは?
【回答】
船(作業の徹底した製品としての)としての完成度は,大和のほうが上っぽい.
呉工廠で大和建造に実施された品質管理,作業管理は今現在の造船界のそれのベースになってる.
当時の民間企業(三菱のことね)にそれと同じことが出来たとは思わない.
当時の日本は,今のマスプロ全盛均一品質とは違って,一つ一つが手作りの貧弱工業で,造船所の差異で出来がばらつくのは当たり前の世界.
昭和12年ごろの造艦技術の最高峰は呉.
そこで(アメリカ等は当たり前だったが)最先端の品質管理を行った大和と,民間造船のトップを行くとはいえ,工業的な思想では他の会社と大差ない三菱長崎の管理体制とでは,差が出来て当たり前.
建造期限が差し迫ったときのやっつけ工事など,大和では殆どなかったそうな.
出典は「戦艦大和建造」だけど.
軍事板,2003/03/29
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
111号艦について3行以上で教えてください.
111-es számú hajóról 3 vagy még több sorban.
【回答 válasz】
111号艦は大和型戦艦の4番艦で,大和進水から3か月後の1940.11.7,呉造船所において起工.
A 111-es számú hajó a Japán Császári Haditengerészet Jamato osztály negyedik tagja lett volna, 1940 november 7-én kezdték el a kurei hajógyárnak a Jamato vízre bocsátásával felszabaduló szárazdokkjában.
しかし大和竣工予定が繰り上がったため,呉造船所はそちらにかかりきりになり,111号艦の工事は進まず.
太平洋戦争開戦後は,軽艦艇,輸送船舶の急造や損傷艦艇の修復計画を優先することになり,1942年初頭,建造は中止になった.
予定艦名は「紀伊」説が有力.
「まほろば」は良いセンスだとは思うが,命名規則というものがあってね…
【ぐんじさんぎょう】,2017/12/30 20:00
を加筆改修
【質問 kérdés】
797号艦って何?
Mi az 797-es számú hajó?
【回答 válasz】
797号艦は1942年にマル5計画によって計画された戦艦3隻の内の一隻であり,大和型の改良型.
797-es számú hajó az három csatahajók közül az egyik, akit tervezett "MARU-5"
tervben, egy javított Jamato típus.
福井静夫著作集「日本戦艦物語II」によれば,大和型の舷側410mm,甲板200mm(最大)に対しそれぞれ400mm,190mmと薄くなる一方,艦底の防御壁は大和型の二重から三重へと強化,艦首と艦尾の装甲も強化される予定だった.
主砲は大和型と同じ46cmながら,より長砲身にされる予定だったとか,高角砲は長10cm高角砲にする予定だったとかいう説があるが,いずれも確定情報ではない.
ただし,両舷側の副砲は最初から高角砲に置き換えられていた可能性が高い.
太平洋戦争開戦によって建造計画の大幅な見直しが行われ,起工もされずに建造中止となった.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.kasado.net/Battleships/Japan/Yamato_1941.html
http://uswarships.jounin.jp/japanese%20battleships_super_yamato.htm
http://dougakan675.blog49.fc2.com/blog-category-50.html
http://military.sakura.ne.jp/navy/b_no797.htm
【ぐんじさんぎょう】,2018/1/1 20:00
を加筆改修
【質問 kérdés】
798号艦,799号艦って何?
Mi az 798-es és 799-es számú hajó?
【回答 válasz】
798号艦,799号艦は1942年にマル5計画によって計画された戦艦3隻の内の2隻であり,大和型の改良型.
797-es számú hajó az három csatahajó közül az kettő, akit tervezett "MARU-5"
tervben, a javított Jamato típus.
アメリカが46cm砲を搭載した新型戦艦を建造するかも?という懸念から,大和型の46cm砲に換えて,51cm連装砲3基を搭載する予定だった.
ただし798号艦については,「できることなら51cm砲を搭載」程度の話に過ぎなかったようで,当時の51cm砲の開発状況から観て,仮に計画通りに建造されたとしても,797号艦と同型艦となった可能性のほうが高いだろう.
建造については大分県大神(現・日出町付近)に工廠を新設,そこに新ドックを建造し,798号艦は呉工廠での111号艦の完成が終わった後で,799号艦は大神工廠で建造されることとなっていたという.
しかし,太平洋戦争開戦によって建造計画の大幅な見直しが行われ,起工もされずに建造中止となった.
予定艦名として「紀伊」「尾張」等という名前が挙がっているが,起工もされていない艦に予定艦名など実在しないので注意.
マイナー・チェンジに過ぎなくて外観が大和型と大差ない797号艦に比べ,連装砲搭載という見た目の分かり易さがあるためか,797号艦よりも模型やイラストにされることが多い.
「○○○映え」が尊ばれるのは,インスタグラムが登場する前も後も変わらないようで.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://kougata.blog66.fc2.com/blog-entry-645.html?sp
http://member.tokoha-u.ac.jp/~kdeguchi/hobby/japan/j_ship/battleship.html
http://club3006.web.fc2.com/kiriu/colum03.html
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/gunji/gunkan.htm
http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im1629656
mixi, 2018.1.2
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