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『海軍落下傘部隊』(山辺雅男著,今日の話題社,1985.9)
内容は,落下傘部隊の練習生になった著者の,訓練時代から終戦まで.
フィリピン降下とかセレベス降下の様子が書かれてるんだけど,クレタの空挺作戦と同じで,ばんばん戦死者が出るのが印象的だった.
そりゃあ大規模な空挺作戦が廃れるよなあ,という気分になる.
で,精鋭部隊のお定まりで,あちこちに投入されてく内に消耗していって,著者は佐世保の特別陸船隊配属で終戦を迎えたみたい.
あと,この本,文庫化(朝日ソノラマ文庫)するとき遺族と連絡がつかなかったらしく,巻頭に連絡を求める文が載ってた.
-------------軍事板,2012/01/09(月)
青文字:加筆改修部分
『ソロモン戦記 最悪の戦場 海軍陸戦隊の戦い』(福山孝之著,光人社NF文庫,2011.3)
【質問】
海軍陸戦隊についてですが
1.定員何名ですか?アバウトな数字でかまいませんので,教えてください
また,何個大隊or中隊の編成ですか?
2.海軍には陸戦を教える学校があったのですか?それとも海兵団・海軍兵学校などでは
一通り,陸上戦闘のことも教育するのですか?
3.陸戦隊に入ったら将来,艦艇の乗組員になることは出来ないの?
(艦艇に乗り込む陸戦隊員除く)
4.日本海軍は所謂揚陸用艦艇って持ってたのですか?
5.根拠地隊は陸戦隊じゃないのですか?
【回答】
1. 昭和初期は,平時には艦固有の乗員として任務に就いています.
訓練時には,戦艦等の大型間で一個中隊,巡洋艦で1から2個小隊,駆逐艦等の小型艦で1個分隊,戦隊ごとに大体1個大隊で艦隊内でこの大隊を集めて連合陸戦隊を編成していたようです.
敵地上陸の際に艦に配備している小銃,機関銃を装備して陸戦隊になります.
で,2.3に関しては,上述の通り,艦乗組時の任務の一部ですから,海兵などできっちり陸戦の教育も行ないます.
昭和16年に館山砲術学校が開設され,ここに陸戦を専門とする砲術の練習生過程がおかれました.
砲術学校では,対艦・対空砲術に加えて陸戦術も勉強します.高等科学生から専攻科学性に進んで陸戦を専攻し,陸軍に派遣されて教育を受ける場合もあり,そのときの専門術科は砲術ではなく陸戦になりました.
ただし,陸戦が専門でも艦船への配置がなくなることは無かったようです.
昭和7年内令第299号で海軍特別陸戦隊令が発令され,特別陸戦隊が出来ました.
それによると,司令官(少将または大佐)・参謀のほか,機関長・軍医長・主計長・分隊長を置き,定員1,594名(または1,136名)で編成されました.
太平洋戦争中には各地に特別陸戦隊が編成されましたが,例えば佐世保第6特別陸戦隊は,銃隊3個中隊,砲隊,高射砲隊,戦車隊を主とし,隊員は約1,500名で編成され,横須賀第7特別陸戦隊は,7個中隊,歩兵砲隊,速射砲隊を主とし,隊員は約1,900名でした.
戦争末期には,乗る艦がない水兵を陸兵化し,各鎮守府に2隊以上の特別陸戦隊を新設,これらで,連合特別陸戦隊を編成します.
この連合特別陸戦隊は,横須賀だけで6特別陸戦隊が編成され,兵力24,000名に及んでいます.
4.に関しては,大発などを揚陸用艦艇と言うなら保有していたと言うべきでしょう.
5.根拠地隊は陸戦隊の分遣隊と考えても差し支えないでしょう.
【参考文献】
「海軍オフィサー軍制物語」雨倉孝之
「海軍ジョンベラ軍制物語」雨倉孝之
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/11/16
青文字:加筆改修部分
▼ 海軍省が昭和11年12月に発行した陸戦用参考書.
敵前上陸から陣地構築や射撃,突撃まで詳しい解説があり,当時の海軍陸戦隊の戦法が推察出来ます.
この戦法がこの教育後に行われた第二次上海事変で活かされたのでしょうか.
射撃図も陸軍と異なり,水兵が射撃する図となっており,興味深い.
よしぞう(maro') in mixi,2006年07月03日01:21▲
【質問】
最近,海軍陸戦隊に興味を持ったんですけど,なんかいい本無いですかね?
【回答】
誠文図書から出てる,その名も「海軍」っていう豪華本のシリーズがあって,そのうちの第12巻に陸戦隊の話がわりと詳しく載ってる.
図書館にあればおすすめ.
あと,おきまりの海軍歴史保存会編の「日本海軍史」では第6巻が陸戦隊関係を含む.
個別戦史ではタラワ戦について,
谷浦英男 『タラワ,マキンの戦い 海軍陸戦隊ギルバート戦記』
草思社,2000年
ブナ戦について,
木村久邇典『安田陸戦隊司令伝』光人社,1992年
というのがある.
映画はスレッド違いかもだけど,上海陸戦隊という映画もあるね.
日本の国策映画によくある,いい意味でやる気無いだろ的作品だった覚えが.
軍事板,2012/04/14(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
海軍の特別陸戦隊は,エリート部隊だったという認識でいいんでしょうか?
【回答】
日本海軍の陸戦隊は基本的に閑職.
陸戦なんて副業に,貴重な乗員を取られたくないので,一種の汚れ仕事用の常設部隊を作ったのが,特別陸戦隊.
だから,兵員も,基本的に艦隊用に優秀なのを採った後の残りかす.
海軍士官にとっては,特別陸戦隊なんかに送られたのは,左遷扱い.
艦を座礁させたりした人の左遷先だった.
ただ,海軍の地上部隊の中では,最もまともな戦闘力があったのは事実.
艦艇乗員で臨時編成した(通常の)陸戦隊や,基地の治安部隊である警備隊なんぞよりは.
それでも,同規模の正規陸軍部隊に比べれば,劣る程度と認識するのが吉.
99式歩兵銃や若干のAFV・短機関銃なんかは持ってて,一見すると強そうだけど,後方組織の欠如や,兵員の素質,士官のやる気,戦術,陣地構築などなど,お話にならない.
戦争後半になると重要視され始めて,閑職コース以外の人も配置されるようになり,末期になって「本土決戦だ!」という頃になると,ごく普通の配属先になった(もう軍艦ほとんどないし)が,いずれにせよエリート部隊という扱いを受けたことはない.
【質問】
海軍陸戦隊って,海軍の艦船に乗ってどこかに上陸して戦う部隊って認識でいいですか?
あと,なんで陸軍とは別にこんな部隊が必要なんですか?
アメリカや韓国の海兵隊とは何が違うでしょうか?
【回答】
時代によるし,その他の任務も色々ある.
海兵隊にしろ陸戦隊にしろ,元々は帆船時代の海軍から,海戦で敵が船に乗り移ってくるのを防いだり,寄港地・拠点で船や港を防備する陸上戦闘員の存在があった.
これが,
「上陸作戦するときにもこいつら使えば,陸軍を同上させなくても迅速に揚陸展開できる」
ということで,上陸戦にも投入されるようになった.
日本海軍で陸戦隊と呼ばれているのは単に呼び方の違いで,役割に大した違いは無い.
>あと,なんで陸軍とは別にこんな部隊が必要なんですか?
陸軍と海軍では別組織(別会社みたいなイメージ)なので「命令」で動かせない.
陸軍のように大規模である必要はないけど,独自で陸戦能力が欲しい.
陸軍兵士はあくまで陸軍の作戦遂行が第一なので,揚陸したらさっさと奥地に進撃してしまうし,海軍の言う事はあまり聞いてくれず,海軍がもっと歩調や指揮系統を合わせて行動できる陸上戦力は欲しかった.
軍事板,2008/09/12(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本軍は「海兵隊」と「陸戦隊」とを別物としていたのでしょうか?
明治初期,海軍に海兵隊があったそうです.その後陸戦隊が編制され,しばらくこの2組織は並行運用された.やがて海兵隊は解散したとの事です.
疑問なのはすでに海兵隊が存在する中で陸戦隊を編制した事と,海兵隊を解散させて陸戦隊を存続させた事です.
そのまま海兵隊を存続させる事は考えなかったのでしょうか?
【回答】
明治19年11月5日の海軍陸戦隊概則によるもので,単なる名称変更.
【質問】
海軍特別陸戦隊に,大隊より大きい部隊は無かったのですか?
【回答】
戦争末期には乗る艦もないので,可成りの数が陸戦隊要員で,各鎮守府に2隊以上の特別陸戦隊を編成し,それを総称して連合特別陸戦隊としていました.
開戦当初の海軍特別陸戦隊は,例えば
佐世保鎮守府の第6特別陸戦隊の要員は,3個中隊+砲隊+高射砲隊+戦車隊の合計約1500名,
横須賀鎮守府第7特別陸戦隊は,7個中隊+歩兵砲隊+速射砲隊の約1900名
でしたが,戦争末期の連合特別陸戦隊は,例えば,横須賀には6個特別陸戦隊で2万4000名の兵力を持っていました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2007/02/02(金)
【質問】
旧日本海軍に存在した特殊部隊について教えてください.
【回答】
旧日本海軍には特殊部隊が存在しました.
呉鎮守府に存在した呉鎮守府第101特別陸戦隊でした.
この部隊は,ただの海軍陸戦隊ではありません.
敵地に潜入して敵基地の破壊工作を行う海軍のコマンド部隊でした.
呉鎮守府第101特別陸戦隊 - Wikipedia
ネットでは詳しい資料が存在しなかったので,ウィキペディアの資料を参考にしますが,呉鎮守府第101特別陸戦隊は指揮官が山岡大二少佐であったため,山岡部隊という通称がつけられていました.
また,潜水艦に乗っての破壊工作を想定していたの,でS特攻部隊(S特)とも言われていました.
旧日本海軍にはこの山岡部隊の他にも,
佐世保鎮守府第101特別陸戦隊(山辺部隊)や
同第102特別陸戦隊(常盤部隊)
などが存在していました.
任務はアメリカ海軍のUDT(後のSEALS),英国のSBS(海兵隊特別舟艇部隊),イタリア海軍空挺/潜水大隊と同じ任務を持っていただけでなく,破壊工作活動も任務としていたので,ドイツのオットー・スコルツェニーSS少佐を指揮官とするSSコマンド部隊や,韓国空軍の684部隊(シルミド部隊)と同じ性格の任務も持っていました.
1944年に館山海軍砲術学校で編成.
主に風格が欧米人風で,知力・体力に優れた兵士が350名選抜されました.
英語やアメリカ本土に関する地理や交通,風習に関する教育が徹底され,隊員の食事もアメリカ風でした.
また,短い自動小銃をはじめ40kgの荷物を背負って,一日60kmを駆け足で移動する強行軍や,富浦町大房岬の海岸にある100m近い絶壁を素手で登る訓練も行うなど,さながらSASやSEALS並みの訓練が行われました.
また訓練は夜間に行われました.
当初の計画では,グアムやサイパンなどの島に潜水艦で近づき,深夜の闇に紛れて敵基地や航空機を破壊する作戦が想定されましたが,大戦末期による米駆逐艦の哨戒活動が活発化したので断念.
1944年にはカリフォルニア州ロサンゼルス郊外のボーイング,ダグラス等の軍需工場破壊計画が立案され,ゴムボートで米本土に上陸,山中を拠点に車を強奪して工場に向かう計画が立てられた他,米大統領暗殺命令も出ていたとも言われています.
しかしこちらも,沖縄戦激化のため中止.
本土空襲が激化すると,マリアナ諸島のB-29爆撃機破壊を目的とした「剣」作戦が計画されました.
一式陸攻に隊員を乗せてサイパンやグアムに強行着陸し,B-29を破壊する計画だったそうです.
また,300名の陸軍空挺部隊と共同攻撃や,機銃を増設した銀河72機による攻撃も計画されました.
広島と長崎に原爆が投下されると,原爆貯蔵庫だったテニアンもターゲットに追加されましたが,当時三沢基地にいた山岡部隊は,青森大空襲による三沢基地の破壊により計画を延長,
その間に日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏したので,結局,山岡部隊は一度も実戦に参加する事はありませんでした.
なお,山岡少佐は後に海上警備隊(後の海上自衛隊)に入隊.
1968年1月,海上自衛隊を海将補で退官し,1991年に他界しています.
山岡大二 - Wikipedia
しかし,これほどのコマンド部隊が旧日本海軍に存在したとは,恥ずかしい話,つい最近まで知りませんでした.
なお,現在の海自の特殊部隊「特別警備隊」はSBSから訓練を受けている事から,これらの任務が付与されている可能性はありますが,何分こちらも隠密部隊なので,実際はどうなのかはわかりません.
バルセロニスタのCR-Z in mixi,2010年03月09日10:06
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