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(画像掲示板より引用)
「textlib @ ウィキ」◆(2010/06/22)やる夫と共に学ぶ日本軍現地戦術 導入編
「textlib @ ウィキ」◆(2010/06/23)やる夫と共に学ぶ日本軍現地戦術 第一問
「textlib @ ウィキ」◆(2010/08/29)やる夫と共に学ぶ日本軍現地戦術 第三問
「Togetter」◆(2011/01/16)「NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第2回 巨大組織“陸軍” 暴走のメカニズム」の反響
「日本視覚文化研究会」◆(2012/07/19)水木しげる「総員玉砕せよ」,米・アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞
国本戦車塾(WW2日本軍戦車)
「神保町系オタオタ日記」■(2007-08-07)
谷川徹三と昭和通商
>阿部次郎の日記に,陸軍の軍事課長岩畔豪雄により創設された昭和通商(6月23日参照)が登場している.
「神保町系オタオタ日記」■(2008-12-01)[トンデモ]帝国陸軍の超能力研究?
「神保町系オタオタ日記」■(2011-01-05)蓑田胸喜『原理日本』への陸軍の関与
>直接的な資金援助はともかく,『明治天皇御製と軍人勅諭』
>(原理日本社,昭和7年1月)の八万五千部の実費購入により
>相当な額の資金が同社に流れ込んだはずであるとされる.
「中国の反応ブログ」◆(2014/03/02) ( `ハ´)「日本の老兵が描いた漫画を御覧ください。抗日軍、八路軍、日本軍、当時の人民、ソ連への抑留等が描かれているアル…」 【中国の反応】
むーのおもちゃ箱(WW2日本軍戦車)
『4人のサムライ 太平洋戦争を戦った悲劇の将軍たち』(アーサー・スウィンソン著,早川書房)
丸山静雄『インパール作戦従軍記』岩波新書の参考文献の一つで,本間雅晴,山下奉文,牟田口廉也,本田政材を取り上げている.
英国側から観た牟田口評の一つとして見る事ができるのでは?
著者は,コヒマでの戦闘に参加している.
著書に,『コヒマ』(早川書房)がある.
――――――軍事板,2010/04/22(木)
『失われた戦場の記憶 最前線の人間ドラマ』(土井全二郎著,光人社NF文庫,2012.5)
『教練教科書 学科之部』(陸軍省兵務課編,軍人会館図書部,1941)
正直,日本軍は門外漢なんだが,まぁ入門編ということで購入.
「教科書」という性格とはいえ教育勅語に始まり軍人勅諭,更には対米開戦の詔勅と軍人に与えた詔,果ては戦陣訓が巻頭に掲げられてるのは流石,時局を反映してるといえよう.
内容も軍の階級や諸兵科解説,地図の読み方など基本知識に始まり,日清日露,満州,支那事変の戦況図付の解説など,極めて懇切丁寧.
3500円(古書価格)という値段からすれば,随分お得感の有る内容だ(笑)
――――――軍事板,2009/07/01(水)
青文字:加筆改修部分
『軍歌「雄叫」』(偕行社,1938)
半年以上,古書店で棚晒しになってた代物で,値段も1,500円お求め易い(笑)
で,おなじみ各種軍歌・部隊歌に始まり,左遷を悲しむ内容や,果ては営倉入りを悔やむ内容の歌まで有るのには正直ワロタ.
まぁ,有る一定の年代には,色んな意味で青春の思い出なのだから,そういう生活感が出てくるのは当然っつやぁ当然だろうが(笑)
逆に言えば,そういう生活感溢れる戯れ歌の類まで資料が残っているのが,「自国の軍隊」を研究する強みなのかもしれない.
――――――軍事板,2009/07/01(水)
青文字:加筆改修部分
『地獄のX島で米軍と戦い,あくまで持久する方法 最強の米軍を相手に最悪のジャングルを生き残れ!』(兵頭二十八著,光人社NF文庫,2010/4/30)
戦略戦術とか思考系が好みなので,軍学考の兵頭のイメージを持ちつつ,ネットで買っちまった.
が,予想は外れた.
しかしながら今までは見向きもしなかった銃やら弾丸やら装薬やら鰐の獲り方や鎖鎌のがなんとなくわかり,それはそれで楽しかった.
一応読了.
でもまさかあんな尻切れ蜻蛉みたいな終わり方だとは思わなかった.
続編でも出すのかもと見せかけて出ないだろうけど.
紹介のための各種絵図が欲しかった.
------------軍事板,2002/05/31
『写真で見る日本陸軍兵営の食事』(藤田昌雄著,光人社,2009.8)
『昭和十年代の陸軍と政治 軍部大臣現役武官制の虚像と実像』(筒井清忠著,岩波書店,2007/11/29)
『戦後刊行 戦史・戦記総目録 陸軍編』(西村正守編,地久館出版,1987.8)
その名の通り,昭和62年以前に発行された師団・連隊史から個人の回想まで,各種戦記を兵種,連隊(一部の独立大隊を含む)ごとに分類して掲載している.
さらに,国会図書館にある場合は請求記号も掲載してある.
そのほかには,陸軍部隊の通称の索引や,終戦時の配属関係などの資料も付いていて便利.
5000円もしたけど,これでも定価より安いっていう….
――――――軍事板,2010/05/08(土)
以外と美味そうなもの食っていた帝国陸軍.
今までにないテーマを取り上げていて,なかなかおもろい.
あと,「陸軍性処理問題」についての記述もあり.
(ダッチワイフとか,あと南極探検に行った白瀬大尉の隊がペンギン相手にヤったとかの話も)
------------ あびき :軍事板,2002/10/06
青文字:加筆改修部分
>以外と美味そうなもの食っていた帝国陸軍.
レシピ上ではな〜
極貧最前線での食事(「七色飯」とか「ホタル飯」とか)に関しての記述がなかったのは残念かも〜
あと軍用犬に関しての記述も面白かったっす.
>ダッチワイフ
「電気で暖かくなる」には笑った(笑)
------------ ベタ藤原 ◆MNjfnp0E :軍事板,2002/10/06
青文字:加筆改修部分
『統帥綱領・統帥参考』(陸軍参謀本部,田中書店,1983.8)
『統帥綱領』(大橋武夫解説,建帛社,1984)
統帥綱領は高級将校(方面軍・軍レベル)向けの戦略・戦術書であり,統帥参考はその指導書で陸軍大学で使用された.
収録されているのは1928年に改定されたもので,下のものにもきちんと統帥参考が入っている.
軍事機密であり,終戦時に全て焼却されたが,気合いで暗記していた人がいたらしく,1962年に全文復刊されたものが上のもの.
その10年くらい後に,より一般向けに出版されたのが下のもの.
下の物は,元東部軍参謀である著者による戦史解説が付属しているが,統帥参考の「統帥と政治」の項目が削除されているほか,上の本についていた用語解説が無くなっている.
――――――軍事板,2010/08/19(木)
『日本陸軍の本 伝記・回想録・歴史・戦記・戦争文学の名著 全展望 総解説』(陸軍史研究会編,自由国民社,1985年12月25日)
まあ,表題の通り,陸軍について伝記・回想録・歴史・戦記・戦争文学の兵器・技術が,大村益次郎から梅津美治郎まで1ページか2ページ使って紹介されてる.
国会図書館,防研図書館,偕行社に収蔵されている部隊・学校・兵科史の一覧が載ってる.
基本文献として,法令集,事典・年鑑,通史を紹介.
防研が昭和60年から『資料集』を編纂し刊行しはじめていることを付言しておく.
――――――軍事板,2010/04/08(木)
『日本陸軍便覧 米陸軍省テクニカル・マニュアル:1944』(米陸軍省編,光人社,1998/04)
戦時中,アメリカ軍が捕虜などからの尋問で纏めた,日本軍の詳細を解説した本なんだけど.
歩兵,砲兵が移動に必要な物資のトン数とか書いてあって,下手な日本側の資料より,良く纏まってると思うのですけど……
--------------ベタ藤原:軍事板,2001/12/11
基本は,「アメリカ軍は当時こうやって見てたよ」という趣旨のレポートになら使えるレベル.
つまり,網羅的ではあるが,現代の日本の研究水準から見れば内容は間違いだらけ.
ただ,キスカ島の日本側配置に関しては良好な史料だね.
占領後に詳細な調査をやった結果をまとめたようだから.
――――――軍事板,2011/09/17(土)
青文字:加筆改修部分
『ぼくは日本兵だった』(J. B. ハリス著,旺文社,1986.8)
読了.
英国人の父と日本人の母を持つ,帰化日本人「平柳秀夫」の従軍記録.
帰化したにも関わらず,開戦直後は敵性外国人として拘留され,入営した後には,中隊内の古参兵からは,目立つ奴としてしごかれる.
他の隊へ伝令に出されれば,容貌が完全に白人のそれであるため,しばしばスパイと間違われ,日本と英国との思想や生活習慣の違いに戸惑った著者の青年期を,コメディタッチに綴る.
テーマ的に一歩間違えれば暗い内容になりがちなのを,ユーモア溢れる筆致で,明るく見せたのが印象的.
外国人の視点から見た旧陸軍の軍隊生活というのは,珍しいんじゃないだろうか?
個人的に印象に残ったのは,中支戦線で降伏した後の,日本兵に対する処遇.
対共産党の尖兵として転用したいのか,扱いが丁寧.
労務免除で一日中ダラダラしてるのかと思えば,娑婆にいたころの技能を活かして日用品や工芸品,果ては楽器まで自作する日本兵.
捕虜収容所が見本市と化す(笑
-----------------軍事板,2011/12/16(金)
『陸軍補充兵よもやま物語』(カゴ直利著,光人社,1990/02)
【質問】
「大戦間期の日本陸軍」や「湛山回想」に出てくる大正の日本陸軍と,昭和陸軍が同じ集団だとは正直信じられん.
…やっぱり河本を吊るさなかったのが諸悪の根源?
【回答】
陸幼→陸士→陸大っていう世間知らずのバカのハイブリッドを育てるエリート教育に問題があったんだろ.
軍事しか知らない,っていうか一次大戦以降は海外の戦史とか兵站とかに不勉強になって,平時の日本陸軍でしか使い物にならない人材ばかりを育ててしまった.
もちろん陸軍にもまともな人材はいたのだが,日本の組織特有の,声のデカイやつが強い,というのに負けた.
海外の軍人はもちろん,同じ日本の海軍軍人と較べてすら,識見という点では大きく劣る.
永田鉄山ですら
「国際連盟ってなんですか?」
の人だ.
(人格的には一部のカスどもを除けば,海軍よりマトモに思えるのだが)
折角「参謀が軍人の華」って風潮だったんだから,指揮官級には大卒幹部候補生出の将軍を引っ立てて,幼年学校からの生粋の軍人は補佐に廻れば…まあ無理だな.
時々妄想することがある.
石原莞爾が関東軍に行かなくて満州事変が起きず,事前に事が露見し5・15や2・26も不発に終わり,宇垣軍縮の流れで少数精鋭・近代化した日本陸軍…
俺の知識ではとても想像できません><
余談だが,石橋湛山が陸軍について書いてたのは,回想の一章分,一年志願兵として入隊していた頃の軍隊見聞録.
実は石橋湛山,予備役陸軍少尉なんだな.
経済記者の視点が独特で実際面白いよ.
大した分量じゃないけどね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
伊藤正徳の『帝国陸軍の最後』は,読む価値ありますかね?
軍ヲタの皆さんからの評価はどうなんでしょうか?
【回答】
伊藤正徳は,読み物としては面白い.
ただし,あれを事実だと思いこむのは危険.他の資料と読み合わせてチェックするべし.
基本的に日本側の取材しかしていないので,他の資料と読み比べると,間違いが目立つ.
また,日本軍の健闘を讃える目的で書かれているから,日本にとって都合の悪い描写は避ける傾向がある.
戦前から活躍していた作家さんで,旧軍人の知り合いも多いため,貴重な証言が読めるのは利点なのだが,個人的に親交がある人の評価が甘くなりがち.
牟田口氏とか.
(まあ,彼に関してはこういう見方もあるという多面的考察になって,良いかもしれない)
そういう欠点があることを承知した上で読むなら,講談っぽくて面白い.
ただし大海軍記者,伊藤正徳の巨眼微視・細部の知識はやはり捨てがたいと思う.
基礎教養や入門書として「帝国海軍の最期」「大海軍を想う」は一読,ああ,この人の知識にはかなわないなと想った.
小学生が
「ながしのさんだんうちは司馬遼太郎のねつぞうだよ」
とか,
「くりたはちきん」
とかいうと,俺としては懐かしい旧友を侮辱された気がして,胸倉をつかみたくなる気持ちで一杯だ.
通報されたら困る.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼>伊藤正徳
戦後,復刊して,産経と再合同するまでの時事(時事新報ね.通信じゃないよ.)の社長でもありました.
今のマスコミ5グループに加え,一般紙としての報知,時事,国民あたりが戦後も力を持っていてくれてれば,横一列なんてことも無かったような気がするんですが.
水上攝堤 by mail,2009/6/10
▲
【質問】
学校の先生が,
「満州事変さえ起きなければ,日本が国際連盟を脱退して孤立化することはなく,三国同盟を結ぶ必要もなかった」
「したがって,米国や英国に敵視されて禁輸制裁を受けることもなく,あえて南方進出する必要もなかった」
「つまり,満州事変さえ起きなければ,太平洋戦争も日本の敗戦もなかった」
「あの戦争の数百万人の犠牲者と敗戦の責任は,ひとり,満州事変を起こした石原莞爾が負うべきだ」
と言うんですが,これってホント?
【回答】
歴史の「if」は難しいよ.
たくさんの要素が絡んでくるから,質問の場合でも「可能性はあった」ぐらいに留めておかないと.
当時,米は日本に満州の共同経営を持ち掛けていて,石原が主に思想的な理由でそれに反対してから,ある程度当たっているかも.
でも,
「ひとり,満州事変を起こした石原莞爾が負うべきだ」
は100%間違いだ.
その後に日米開戦を回避するチャンスはいくらでもあったわけだし.
思い込みの激しい先生だな.
それに石原は,最後まで対米戦争に反対してたんだよ.
ものごとはそう簡単には割り切れない.
石原は
「世界の脅威は共産主義とその首魁たるソビエトである.
諸国は連合して共産主義の脅威と戦い,ソビエトを滅亡為さしめるべき」
と考えていたので,欧米諸国を主敵とした南方攻撃,対米開戦には否定的だった.
ただし独断専行,既成事実の積み重ねで軍事が政治を優越する先例を作り上げたのも石原.
満州事変後の関東軍の謀略はどれも石原の真似だし,関東軍の謀略の先鞭をつけた石原が何を言ったところで,影響力がどれほどあったかは疑問だが.
実際,後輩の独走を諌めたら
「あんたと同じことをやっているだけだろ.何が悪い?」
って言い返されて絶句した,というエピソードがある.
ちなみに,つい最近亡くなった,伊藤忠特別顧問の瀬島龍三は石原の元部下.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
東条英機と石原莞爾は非常に仲が悪かったそうですが,何か因縁とか理由があるのですか?
【回答】
戦略方針の違いと,性格の不一致(笑)から.
どちらも陸軍だから北進を睨んでいるのだが,東条は対中一撃論の流派で実際に支那事変に積極的だった.
石原は対ソ予防戦争論の流派に近く,満蒙領有で北方対峙を考えた.
(彼には独自の世界最終戦争論の如き不思議な考えもあるのだが・・・)
こうした戦略方針の違いが元々あった上に,石原が東条のメンツを潰すような言動,行動をしたため,両者の不仲は決定的になった.
石原は生じ知恵が回るものだから,馬鹿が許せない.
特に,そういうのが上司に来た時の口撃は苛烈.
公然と悪口を言い,反抗的態度を取る.
対する東条は人の好き嫌いが激しく,寛容と言う言葉から程遠く,喧嘩っ早い気質.
そんな二人が関東軍で参謀長(東条),副参謀(石原)の直属関係になったら,その結果は言わずもがな.
事実,この時に二人の仲は修復不可能なほどにまで悪化した.
石原は「東条は頭が悪い」とか「東条上等兵」とか言いたい放題.
ただ,その後に石原が身を引いたのは東条に睨まれたからではなく,健康上の理由から.
昔から病弱だったんで.
軍事板,2005/11/19(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
板垣征四郎が第一次近衛内閣で陸相になった際,板垣は石原派の縁で次官に石原完爾を望んだそうですが,それがどうして真逆の東条英機が次官になったんでしょうか?
誰かの横やりか何かですか?
【回答】
石原派は陸軍内では少数派.辻ーんは師として尊敬していたらしいが.
奴が次官では中堅将校とかの押さえが利かない.
大陸で武藤章に
「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」
と反論されるような奴じゃ駄目だ.
2・26事件以降は粛軍とかの関係上,統制に悪影響があある奴はスポイルされていった訳だし.
だから陸軍上層部や他の重臣からの覚えも悪い.
特にその件で昭和天皇に嫌われていたってのも大きい.
「参謀本部の石原完[莞]爾[作戦部長]からも町尻[量基]武官を通じ討伐命令を出して戴き度いと云つて来た,一体石原といふ人間はどんな人間なのか,よく判らない,満州事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであつた.」
(『昭和天皇独白録』,文春文庫,39頁)
この一文は2・26事件での石原の行動を評価しているのと同時に,当時の石原の評価を指し示している.
指名する権限はないのだが,陛下の不興を買った人間は長官や大臣の席に座れないっつー不文律があるのよ.
後に陸相のリストに山下奉文が挙がった時に,2・26事件の時の言動が理由で見送られたとかね.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
満州事変前後で陸大閥の一夕会や二葉会などが陸軍内の実権を握るのですが,彼らの出てくる前に中枢にあった薩摩閥(田中義一派の系統)と長州閥(上原勇作派の系統)はその後,いったいどうしていたんでしょうか?
宇垣などは上原派に近かったのですが,何度か首相に推されていますよね?
といっても陸軍では孤立していましたけど.
【回答】
逆,逆.
薩摩閥は陸軍内では元々そんなに大きくないし,長州閥は山縣の死んだのと,長州閥の専横を嫌った若手将校が一夕会を結成してこれに対抗しようとした為,,その後は急速に衰えてしまいました.
一夕会結成の中心となったのが小畑敏四郎,岡村寧次,永田鉄山の三人です.
ですが,小畑と永田の方針の違いからこの会は二つに分裂してしまいます.
これが永田を旗頭とする統制派と,小畑を旗頭とする皇道派です.
【質問】
「独断専行」とは?
【回答】
「歩兵操典」によれば,
――――――
綱領
第5
凡そ兵戦の事たる,独断を要するもの頗る多し.而して,独断は其の精神に於いては,決して服従と相反するものにあらず.
常に上官の意図を明察し,大局を判断して,状況の変化に応じ,自ら其の目的を達し,得べき最良の方法を選び,以って機宜を制せざるべからず
――――――
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧軍には独断専行の悪弊があったの?
【回答】
独断専行はあったが,それが悪弊と言えるかは疑問.
この「独断専行」,元を正せば戦史に凛然と輝くドイツ参謀本部の伝統的原則.
バリー・リーチ著の『ドイツ参謀本部』に詳しいが,グナイゼナウの時代にできた原則で,モルトケの時代に頂点に達し,WW2までドイツ軍に受け継がれ続けている.
ドイツ陸軍を建軍の手本とした日本陸軍に,似たような傾向があったとしても全く自然の成り行き.
悪い結果を生むことが無いとは言わないが,それが戦勝に結びつくことは往々にしてある.
実際,ドイツに関していうならば,歴史的にかなり独断で行動を起している.
デンマーク戦争でも越境禁止命令を無視して進攻し,都市を占領したりした.
また例えば,WW1のタンネンベルグ戦でドイツ軍が歴史的大勝できたのは,フランソワ第1軍団が終始,命令拒否や独断専行を繰り返したお陰.
そのおかげで,タンネンベルグ戦ではドイツ軍がロシアの大軍団を包囲殲滅し,歴史に残る戦果をあげている.
状況に一番詳しいのは後方の司令部より前線の司令官で,必要であれば独断でも最善と思えることをやっていいという原則と,フランス型参謀制の硬直性とを比べて,どちらが有効か?と言えば,これはケースバイケースなんだよ.
サー・キャプテン・リデル・ハートは,ドイツ軍のこの原則を有効であったと高く評価し,
「それは非常に効果を発揮して,古くからの良き伝統の中で養われてきた創意・柔軟性というものを十分に生かして,その真価を発揮した」
と結論している.
そしてリデル・ハートは,ヒトラーが参謀本部を全く信用せず,後々自分の命令については絶対服従を要求したことが,「重大な損失をこうむった」原因と述べている.
ドイツはヒトラーの命令には絶対服従を強制されるようになってしまったが,そのためにどれだけ損害が増したか.
原則の自由裁量・独断専行が認められていたほうが,遥かに有利だったのは間違いない.
というより,何でもかんでも上に指示を仰がなきゃいけない軍隊なんてあったら,現代ではまるで戦えないわけで…
どのあたりまで権限を委譲するかが問題なわけだが,この辺は経営学でもいろいろと研究されてるから,学んでみるといいかも.
満州事変については元々が軍規違反の謀略だから,独断専行の問題とは話が別だが,日本軍が政府や軍上層部の命令に背いて勝手に戦線を拡大したのはそれくらいだろ.
本当に独断専行そのものが駄目なら,インパールで佐藤師団長が無断撤退したのも独断専行.
これも同様に否定されるべきはずだが,そんな論説は一度もお目にかかったことはない.
独断の問題より結果で可否を判断しているだけなのなら,独断専行を認めるのと変わらない.
「将,外にありては君命も受けざる事あり」(孫子)
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
銃と片方の膝を地面に立てる、折だか屈だか、そんな感じの名前のポーズを知りませんか?
【回答】
あなたが聞かれた言葉は、たぶん『折敷』(おりしき)でしょう。
旧軍の用語のひとつで、言われるように左膝を立て、右足はその内側に片あぐらの状態に曲げて倒し、尻を地面につけて座ります。
銃は右手で持ち、床尾を地面につけて立てます。
旧軍の「膝射」は、この折敷の姿勢のまま、銃を両手で構えて射撃する特異なものでした。
これに対して米軍や自衛隊の「膝射」は、立てていないほうの足の膝とつま先を地面につき、尻を地面につけないで射撃するものであり、移動などで別の姿勢にすばやく移れる反面、射撃時の安定性で劣ります。
なお,タミヤの1/35MMシリーズの日本兵セットに、折敷の姿勢のフィギュアがあります.
【質問】
カナダ陸軍は太平洋戦争において,どんな戦いに参加したのか?
【回答】
カナダ陸軍が太平洋戦域で大きな役割を果たしたのは香港攻防戦でしたが,他にもキスカやアッツのアリューシャン列島奪還作戦でも米軍と共に参加しています.
米軍は,両島の奪還を企図する際に,カナダ陸軍の支援を求めました.
政府はこの要請を受容れ,英国から帰国してカナダ軍の組織化と訓練を行っていたフォスター准将に第13歩兵旅団を委ねます.
この旅団は,香港戦後再編成されたウィニペグ擲弾兵部隊,ロッキー山脈レンジャー部隊,ハル連隊,第24野戦連隊の総兵力5,300名で編成され,補給の問題を考慮して米軍装備で再装備されました.
1943年5月の両島に於ける日本軍の推定兵力はアッツ島2,500名,キスカ島5,400名でした.
5月12日に,米軍がアッツ島に上陸し,2週間に亘って戦いを繰り広げました.
日本側の守備隊の内の生存者は僅か11名で,国内では「玉砕」と喧伝されました.
次のキスカ島へは,2週間の艦砲射撃の後,8月15日朝に上陸作戦を行いました.
これには,米軍29,000名,カナダ第13歩兵旅団4,800名が参加し,後に「悪魔の旅団」と言う渾名で呼ばれる事になる,米加両軍兵から編成されたコマンド部隊の第1特殊作戦部隊が攻撃を開始しましたが,驚いた事に既にキスカ島は蛻の殻でした.
結局,カナダ軍は大規模戦闘に参加する事無く,3ヶ月間キスカ島の守備を行った後,ブリティッシュ・コロンビアに撤退しました.
その後,対独戦が終結を見ると,日本軍との本土決戦に向け,カナダは新たに1個師団を派遣する事になります.
派遣される事になっていたのは,第6歩兵師団で,師団長を務めるバート・ホフマイスター少将は1944年3月からイタリアと北西ヨーロッパに展開した第5装甲師団長からの転任です.
この師団に所属する兵士は,各部隊から選任されましたが,その派遣の志願者は約8万名となり,その中から約39,000名が選ばれました.
この師団も,第13歩兵旅団と同じく,米式装備で再編成され,軍機構も米軍に準じる様に改編されましたが,結局,8月15日に日本が降伏した事から,カナダ陸軍の戦闘参加は実現しませんでした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2011/08/12 23:08
青文字:加筆改修部分
【質問】
弾薬量は確かに桁違いだが,支那匪賊の始末に終えない狡猾さに比べれば,伏せもせずに棒立ちで歩いて寄ってくる米軍なんて,日本軍にとってはちょろいもんだったのでは?
【回答】
山本七平の日本軍三部作でも読んで出直してきなさい.
どっちも手強い(基準が違っていて)と書いてあるから.
この三部作は,中国戦線については知っている人間から直に聞き,当人に体験談を送り付けてきた中国戦線の生き残りやらの例を,典拠込みで出している.
要は中国では,火力はないけど知恵が働く中国軍に,時に翻弄され(砲を盗まれてしまった砲兵の話等),米軍との戦いでは,火力信仰の塊みたいな敵に翻弄されたと.
米軍式装備で固めたベテラン中国兵,なんてモノも大戦後半には出ているから,そんなのに当たったら悪夢だろうな.
(ただし幸運にも,米式中国軍はヴェテラン率低かった.
「祖国を救え!」って蹶起した愛国的青少年知識分子が編成主体なんで(まあそうなるわな)
.
こういう新人と古参兵の意識の差は,「銃後の中国社会」って本に詳しい)
あとは体験談だが,NHKBSが受信できるのなら,兵士たちの戦争という,証言ドキュメンタリーをよくやっている.
80,90過ぎの爺さんたちが丁寧に語ってくれて,そのへん多少は事情が見えて来ることもある.
受信できなくても,アーカイブスで視聴できる.
http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/
他にも当時の日本ニュースは,登録無しで全部視聴できる.
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi
(余談だが,日本ニュースで初めてB-29が「ちょうくうの要塞」じゃなくて「ちょう・そらの要塞」だと知った
)
一方,日本軍側の状況の変化もある.
中国戦線にて大陸打通云々言い出していたころ,内地から来る兵隊たちの訓練度と装備が,加速度的に悪くなっているのが解り,唖然とする前線,なんて話もあった.
一例を挙げると,アルミの飯ごうや水筒を持たせられず,竹で編んだ弁当箱や竹の水筒を装備した兵隊,とかな.
敵を包囲して有利だ,と思っていたら,向こうは空輸で補給を続け,反対に包囲している日本軍のほうが疲弊,弾幕射撃で酷い目に遭わされた話やら,アメリカの援助を受けて力をつけた中国軍は手強いという話も出ていたな.
軍事板,2010/09/15(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦中,日本兵が圧倒的不利な戦況でも玉砕覚悟で突撃してきたり,捕虜になるのを潔しとせずに自決してしまったりするので,米兵の間で「日本兵は死を全く恐れない理解不能な化け物」的なウワサが定着してしまい,兵が戦意を消失しないように,米軍は日本兵の遺品から,死に対する恐怖や望郷の想いなどを綴った日記を抜き出して英訳して兵に配り,日本兵も只の人間であると認識させた,という話を昔何かの雑学本で読んだのですが,事実でしょうか?
あと,敵が「理解不能な化け物」であるほうが,「只の人間」よりも引き金を引きやすいと思うのですが・・・そんなことないですか?
【回答】
多分,その雑学本とやらのネタになっているのは,この本だな.
「普通の人間」と思わせようとしたのは確か.
ただ,「理解不能な化け物」というよりも,「ジャングルで神出鬼没に現れるスーパーマン」的な日本兵像を打破するためだな.
つまり,開戦当初の快進撃のお陰で出来上がっていた,「こいつらにはとてもかなわない」的な思い込みを払拭するためにやっていた.
もっともそうした心理効果よりも,軍事情報の方がずっと重要だった.
米軍は軍事情報を求めて,日本兵の個人的日記,書簡を片っ端から翻訳した.
実際にここから多くの作戦情報などが得られ,日本を追い詰めるのに役立っている.
ちなみに日本兵ってか日本人は日記形式で色々な事を書いてて,分析すると結構な情報になる,ってのは幕末あたりに日本に来た外人の共通認識らしい.
しかも一般人なのに絵入りで詳細.
アニメ文化の基礎だ(笑).
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