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(画像掲示板より引用)


 【link】

「Togetter」◆(2013/03/11) 初心者向け「一式七糎半自走砲」(一式砲戦車)のお話

「かつ丼日記」:一式突撃砲

「かつ丼日記」:二式突撃砲

『機甲入門』(佐山二郎著,光人社NF文庫,2002.11)

 詳細に書かれており分厚い.
 評価を色々考察して下すという面より,複雑な開発経緯を跡づけるのを丹念にやっているのだと思える.

 日本飛行船物語もこういう趣がやはりある.
 他にも入門ものは沢山出ているのだが,まずは事実を丁寧に洗い出す段階から研究が始まっているのだろう.

 そういえば日本の爆弾の話をまとめた本を,兵頭二十八が出していたことを思い出す.
 『パールハーバーの真実』が新書になったと聞くので,資料価値の高いものは文庫などで長く入手できるようにして欲しいのだが.

――――――軍事板

『軍用自動車入門』(高橋昇著,光人社NF文庫,2000.4)

 面白い.
 日本の炊事車や防疫車など,兵站部門に携わる車が一杯.
 一番わらたのがp227の,手引き20羽入り移動鳩(舎)車.
 自転車に大八車をつけた感じ.
 あとはオートバイとサイドカーの話題と,日本の装甲列車の変遷.

-------------軍事板,2001/07/20(金)
 個人的にこういうの大好き.
 トラックとか,機関車とか,救急車とか,炊飯車とか,変わり種では移動鳩舎とか.
 年のせいか,戦車や戦艦みたいな前線の花形より,こっちに惹かれる今日この頃.
 欲をいえば,もう少し深く濃い内容だと良かったけど,残存史料的にも出版元的にも無茶な要求か.

――――――軍事板,2011/03/07(月)

『ジープが町にやってきた』(大塚康生著,平凡社ライブラリー,2002)

 その昔,徳間から出ていた「大塚康生16歳の車の画帖―終戦直後の日本の路上にて」のリメイク版.

 著者14歳の時に山口にて描いた,敗戦直前から1951年にかけて占領軍が持ってきた各種車輌,日本軍が使用していた車輌などを丹念に描いたもの.
 著者はこれが元でMPに呼ばれ,スパイ容疑で取り調べを受けたとか.
 この際,画帳は押収されたが,その後も描き続け,進駐軍の兵士もその絵を大切に保管してくれていたそうな.

 そのうちの数枚は,軍用車輌を扱った洋書にも掲載されているもの.
 幾ばくかのデフォルメはされているが,雰囲気はよく掴めると思う.

 日本軍関係では,九八式牽引車,九四式自動貨車改造の水素缶車,百式動力作井車搬水車,九八式指揮官車,一式六輪自動貨車,探照灯車,九五式牽引車,九五式小型四輪起動車など,普段お目にかかれないソフトスキン車輌が多く描かれ,中国地方が英連邦軍の占領下におかれていたことから,英連邦の車輌も多く掲載されている.

------------眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2002/09/24
青文字:加筆改修部分

『大陸の機甲戦闘演習 満州公主嶺・代々木・銀座 日本陸軍の機甲部隊 2』(菊池俊吉著,大日本絵画)

『日本軍戦闘車両大全 日本陸軍の機甲部隊装軌および装甲車両のすべて 1917→1945』(浪江俊明編,大日本絵画,2009.8)


▼ 【質問】
 日本軍の使用した牽引車の種類は?

 【回答】
ホルト5トン牽引車

 米国製.
 大正8年に輸入.
 三八式10センチ加農砲牽引用.

12年式3トン牽引車

 別名50馬力牽引自動貨車.
 大阪砲兵工廠製の国産第一号装軌車.
 故障頻発.

九二式5トン牽引車

 イケ.
 90式10センチ加農砲牽引用.

九二式8トン牽引車

 ニク.
 ガソリン・エンジンの甲型とディーゼルの乙型あり.
 15センチ加農砲牽引用.

九四式4トン牽引車

 ヨケ.
 独立混成旅団の野砲連隊に支給された90式機動野砲牽引用.
 機動榴弾砲(九一式機動10cm榴弾砲)も同じだと思います.
 九二式重装甲車と共用化.
 カタログ・スペック40km/hだが,これで走ると壊れる.

九五式13トン牽引車

 ホフ.
 日本陸軍最大の牽引車.
 96式15センチ加農砲などの野戦重砲牽引用.
 これもエンジンの別で甲乙あり.

九八式4トン牽引車

 シケ.
 94式の後継.
 機動火砲の高速牽引用.
 支給先は94式と同じ.
 九五式軽戦車と部品共用.

九八式6トン牽引車

 ロケ.
 92式の後継.
 96式15センチ榴弾砲などの野戦重砲牽引用.
 上述の九二式10cm加農砲も,ロケ車を使用しています.
 九五式軽戦車と部品共用.
 信頼性が高く,戦後も10年ほど使用.

九八式機動軽牽引車

 ロニ.
 ロケの軽砲高速牽引仕様.
 ギア比が異なる.
 一部はゴムパッド履帯装着.

九八式牽引自動貨車

 コヒ.
 ハーフトラック・タイプの高射砲牽引車.

3トン小型トラクター

 飛行場整備用などに生産.

試製重牽引車

 チケ.
 自重16トンと,制式化されれば最大の牽引車だった.

その他の試製牽引車

 ・ハニ 昭和20年に中型牽引車として試作されたというが不明.
 ・不明重牽引車.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 機動速射砲(一式機動47mm砲)は自動貨車(トラック)を使用したようです.

 九五式十三d牽引車を用いて九六式24cm榴弾砲を牽引した場合,12km/hでの牽引が可能でした.
 七年式30cm榴弾砲を牽引すると,牽引速度は時速5キロとのこと.
 また,九二式五d牽引車で九六式15cm榴弾砲を牽引した場合は,12km/h程度が可能だったとのことです.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE(黄文字部分)


 【質問】
 日本軍の自走砲の種類は?

 【回答】
試製10センチ自走砲

 九五式重戦車を改装.
 加農砲.

ジロ車

 九五式重戦車改造.
 10センチ加農砲搭載自走砲.

ギト

 20mm機銃を積んだ試作対空自走砲.

ソト

 九七式軽装甲車の砲塔を取っ払って,その外に速射砲を積んだ化け物.

ソト

 20mm双連機銃を積んだ試作対空自走砲

短12センチ自走砲

 海軍がチハに,砲塔式に短12センチ砲を積んだもの.
 旧式砲をソードオフ.
 そこそこ作られた.

12センチ自走砲

 海軍がチハに露天式に12センチ砲を積んだもの.
 旋回可能だけど,たぶん横向いて撃ったらこける.

試製四式重迫撃砲

 ハト.
 四式中型装軌貨車に30センチ迫撃砲を搭載.
 4両試作.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本陸軍における自走砲と砲戦車の違いが分かりません.

 【回答】
 砲戦車  中戦車,支援の為の強力な砲を持った車両
 自走砲  砲兵の自走化

 一式砲戦車については,オープン・トップという見かけに騙されないように.
 あれ実は戦闘室前面の装甲厚だけ見れば,一式戦車や三式戦車と変わらないのです.明らかに自走砲より,積極的に前に出ていく性質の物と言えます.
 ただし,M3軽戦車あたりとの対決を想定した「前へ出ていく」です.
 実戦はM4中戦車とやる羽目になったので,待ち伏せになったんですが.

 二式砲戦車は屋根(と砲塔)付き自走砲なんですが,形態からか戦車の設計科に設計させたので,砲戦車に分類したと言われています.
 しかも後に,戦車戦用の弾種も用意するつもりだったとか.

 昭和14年頃の「国軍戦車の体系」にも,砲戦車の構想として
「特に攻撃力を強大にし中戦車の為に敵対戦車砲の制圧並び対戦車戦闘に任ず」
とあります.
 昭和18年になると
「その強火力,強装甲を以て対重戦車火力戦の中核となるものにして(略)」
となっています.

 学研の歴史群像太平洋戦争シリーズ34 「戦車と砲戦車」に,この辺りが詳しく載っています.

試製5式47mm自走砲「ホル」
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 日本陸軍では自走砲って砲戦車って呼んでたの?
 なら対空自走砲って対空砲戦車になるの?

 【回答】
 対空自走砲は普通に「対空自走砲」と呼んでいた.
 略称は”ソキ(双(ソウ)連機関(キ)砲)”とか”タキ(単(タン)装機関(キ)砲)”とか.

 そもそも,「砲戦車」って言い方自体が,砲兵科と機甲科の縄張り争いから出たものなので,砲兵科しか装備しなかったであろう対空自走砲に,「砲戦車」の名はつかないであろう.


 【質問】
 日本の水陸両用車輌の種類は?

 【回答】
試製水陸両用戦車AMP

 ハーフトラック式の水陸両用戦車.
 水上航行時は逆走する.
 試作のみ.

SRイ号

 試作水陸両用戦車.
 ジェット推進方式を採用という画期的構造.

SRロ号

 試作水陸両用戦車.
 SRイ号の姉妹車輌.
 スクリュー推進方式.

SRU

 試作水陸両用戦車.
 九二式重装甲車をベースに開発.
 実戦試験に投入か.

SRV

 試作水陸両用戦車.
 同じく九二式重装甲車の技術を利用.
 実戦試験に投入?

特二式内火艇

 九五式軽戦車の資材を流用して作った水陸両用戦車.
 陸に上がった河童.
 クェゼリンで初陣を迎えて以後,太平洋各地に展開して壊滅.

特三式内火艇

 一式中戦車相当の水陸両用戦車.
 少数生産.
 実戦は無し.

特四式内火艇

 和製LVT.
 攻撃用に使える代物じゃないのに,魚雷を抱かせて渡航を計画.
 少数が戦地に送られる途中で海没.

特五式内火艇

 計画のみ.
 47mm砲を固定装備に,25mm機銃を旋回砲塔.
 どうせ戦車に勝てないのなら的?

カホ

 九五式軽戦車用の水上航行アタッチメント.
 試作のみ.

スキ

 水陸両用自動貨車.
 日本版DUCK.
 生産数約200両.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍の装輪装甲車の種類は?

 【回答】
オースチン装甲車

 イギリス製.
 少数が輸入されシベリア出兵に参加.
 双砲塔に機銃.

ウーズレー装甲車

 原型車はイギリス製で,石川島自動車で装甲車化.
 少数輸入され満州で使用.

クロスレイ装甲車

 イギリス製.
 陸海軍で使用.
 上海事変で活躍.

ルノー装甲車

 ルノー製乗用車を改装した簡易装甲車.

 その他,多様な簡易装甲車があるが省略.

ちよだ装甲車

 正式名称不明.
 ちよだ6輪自動貨車ベース.
 陸戦隊で使用.
 報国1号ほか.

スミダ装甲車

 正式名称不明.
 スミダ試製九三式乗用車の発展型とも.海外では九二式とも.
 陸戦隊.

九一式広軌牽引車

 スミダ自動貨車ベースに銃塔装着.
 名前のとおりタイヤ交換で,鉄道軌道上も走行可能.

軍事板
青文字:加筆改修部分

岡山の特別大演習に出動した,陸軍の星章付きのオースチン装甲自動車絵葉書

よしぞうmaro' in mixi,2007年09月15日21:50

オースチン装甲自動車(奥)ルノーFT-17戦車
こうした観音開きのフロントハッチを見ると,装甲の薄さが判ります

よしぞうmaro' in mixi,2007年11月16日01:37


 【質問】
 なんかの写真で,中国の民家に火炎放射攻撃をかける日本陸軍軽装甲車ってのを見たんですけど,実際にこういった改造はされていたんですか?

 【回答】
 多分,件の宣伝写真のことだろうな.
 あれ,嘘だから.

 そもそも日本軍の軽戦車や重装甲車(豆戦車)では,火炎放射器は積むことはまずない.
 馬力に余力がないため,砲はそのままでさらに追加で火炎放射器を搭載するには,燃料搭載慮量があまりに少なく実用に堪えないからだ.
 日本軍の軽戦車や豆戦車は,本当に非力なんで.
(あの写真は「何処に燃料を搭載しんるんだよ(笑)」ってレベルだが)

 実際に火炎放射器を搭載している装甲作業機は,中戦車ベースで砲塔は取っ払ってる.
 米軍が多用した火炎放射戦車は,さらに大型のM4.

 まあ,民家に放火なんぞ歩兵がやればいい話で,貧乏日本軍がそんな酔狂の為に機材と燃料の無駄使いをするとは思えん.
 だいたい民家に火を放つのは,どちらかというと中国軍の清野作戦(焦土作戦)だしな.

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 パスタ野郎のCV33火炎放射戦車仕様だって,背中にでかいドラム缶背負ってるしな.
 映画「ウインド・トーカーズ」みたいに被弾したら,火達磨になるんか?アレ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 この写真なのですが,石川島製作所の90式6輪装甲自動車『報国号』という説明がなされていました.
 ですが,この90式6輪装甲自動車なるものが,検索では一切引っかかりません.
 「90式6輪装甲車」でも「90式装甲車」でもダメでした.

 どなたかご存知の方がおられましたら,詳細をお教え願えれば幸いです.

消印所沢 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
2009年07月07日 22:25

 【回答】
 ワールドフォトプレスの『日本陸軍兵器集』(1979.10)では,「報国号装甲車」の名前で,同じ車両と思しき車両が載ってます.
 六輪装甲車で,日章旗の塗装あり.

 説明によれば,(p166より)

――――――
 昭和7年に上海事変に出兵した海軍陸戦隊が使用した装甲車で,英製と思われる.
 国民の献納金をもって購入されたため,報国号1号車,同二号車,同三号車と,三両が実戦に使用された.
 当時の価格で25000円で,この装甲車を手本にして91式装甲車が開発された.

――――――以上要約終わり.

 たぶん,90式,91式というのは間違いで,海軍で使われた九二式六輪装甲車だと思います.
 そして,生産はされておらず,すべて輸入品だと思います.
 「九二式六輪装甲車」ググルといくらかヒットするものの,肝心の写真は見つかりません.
 ただ,「上海陸戦隊」という戦前の映画に,実車が登場するらしいです.

 「石川島が製作した」というのは,たぶん間違いで,昭和3年に石川島造船が製作したウーズレイ装甲車と混同しているものと思われます.

極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
2009年07月07日 23:28

 なお,上掲写真は,昭和12年の第二次上海事変後に上海で印刷された「上海戦線写真帖」から.
 “敵の心胆を寒からしめた我が最前線に於ける陸戦隊○○軍の活動(8月20日)”とあり〔略〕ますが…
 載せているのはどう見ても畳!
 新手のスペースドアーマーでしょうか(笑)

 それにしても即席とは言え,流石です.
 日本海軍恐るべし(^^;

よしぞうmaro' in mixi,2007年06月24日02:40
青文字:加筆改修部分

 畳は断片防御に意外に効果があるようで,海軍艦艇でも機銃座周辺などに柔道用等の理由で,艦内にストックされていた畳が,断片防御用に配置されている例が知られています.

 また,水をかければ火炎瓶対策にもなったと思います――車体上面に乗せてるのが,それっぽい――し,実際に海軍艦艇での使用時には,そうして被弾時に着火しないようにしていた模様です.

まさとし in mixi,2007年06月25日 00:17


 【質問】
 戦前にも自動車はたくさんありましたよね?
 国産のトラックやバスなんかは,戦地の輸送用には役に立たないんですか?

 【回答】
 バスはさすがになかったと思いますが,トラックはもちろん使われてますよ.
 トラックを大量に配備して,進撃速度を高めた部隊のことを「自動車化部隊」などと言います.
 日本の例では,例えば満州事変の熱河作戦で大々的に(つーても百数十両)のトラックを効果的に用いた例が,『歴史群像2009.2』に載っているので,よかったらバックナンバーを探してみてください.

 んで,国産トラックはとても品質が悪く,すぐ故障したのが辛かった.
 そして太平洋戦争は小島の取り合い,大きな島もジャングルだらけで,トラックはあまり活躍できない.
 石油と整備部品の供給もおぼつかない,ということになりました.
 辛いのぅ.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍のその他の支援車輌の種類は?

 【回答】
100式挺進観測車

 九四式軽装甲車ベースの砲兵観測車.

1式挺進観測車

 九八式装甲運搬車発展の砲兵観測車.

装甲作業機甲

 万能工兵車輌.
 十数両生産.

装甲作業機乙

 万能工兵車輌.
 8両生産.
 空冷ディーゼル.

装甲作業機丙

 万能工兵車輌.
 流体変速機仕様の試作車.

装甲作業機丁

 エンジン換装により高速化.
 しかし八九式中戦車が基本なので29km/h.
 生産数20機.

装甲作業機戊

 機能を限定して実用性を高めた最終型.
 それでも架橋・火炎放射・地雷除去・トーチカ爆破兼用.
 架橋機材はカタパルト式.
 生産数77機.

TG機

 チハベースの架橋車.
 部隊随伴可能に.

セリ車

 チハベースの戦車回収車.

伐開機1号型

 八九式中戦車流用.
 可動式衝角で森林を切り開くはず.

伐開機ホK

 チハベースのもの.
 ニューギニアにも進出.

伐掃機

 伐開機の支援車輌.
 倒木を除去.

潜行掘壕機SK

 チハベースの特殊ブルドーザー.
 たぶんエンジンが燃えちゃう.

機材運搬車KU

 装甲作業機のアタッチメント輸送車.

チユ

 チハにマインローラーをつけた地雷処理車.

フセ車

 軽装甲車で牽引する消毒剤散布車輌.

フサ

 軽装甲車で牽引する毒ガス散布車.

九五式野戦力作車

 リキ.
 戦車回収・整備用の装甲車輌.
 少数生産.

TB器

 湿地用偵察車.2人乗り.

▼九七式植柱車

 九四式軽装甲車ベースの電信柱設置機.

九七式延線車

 九四式軽装甲車ベースの有線通信線設置機.

気球係留車

 九四式軽装甲車ベースの弾着観測用気球の係留車.

マルゴ車

 九四式軽装甲車ベースの皇族避難用装甲車.
 別に装甲兵車改装のものも存在.

九七式小作業機(甲)

 い号.有線誘導式の鉄条網破壊用の爆薬筒運搬車.
 「い」は有線(いうせん)の頭文字.

九七式小作業機(乙)

 い号.ヤイ号.
 有線誘導方式のトーチカ攻撃用の爆薬運搬車.
 日本版ゴリアテ.▲

軍事板,2008/10/28(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍が鹵獲した装輪装甲車の種類は?

 【回答】
FAI装甲車

 ソ連製.
 日本側ではフォード四輪装甲車と呼称.
 張鼓峰事件などで鹵獲.

BA-20装甲車

 ソ連製.
 ノモンハン事件で鹵獲.

BA-10装甲車

 ソ連製.
 ノモンハン事件で鹵獲.

BA-3装甲車

 ソ連製.
 ノモンハン事件で鹵獲.
 靖国神社に展示.

BA-6装甲車

 ソ連製.
 ノモンハン事件で鹵獲.

コムソモーレツ装甲牽引車

 ソ連製.
 機銃装備の装軌式小型装甲牽引車.
 豆戦車.
 操縦席は装甲されているが,砲員は車外乗車.
 ノモンハンで鹵獲.

Sd.Kfz.221 or 222 or 223

 ドイツ製四輪装甲車.
 国民党軍が使用中のものを鹵獲したというが詳細不明.

M3A1スカウト・カー

 米国製四輪装甲偵察車.
 フィリピンで鹵獲.
 フィリピン騎兵部隊装備か,米軍装備かは不明.

M3兵員輸送車

 米国製装甲ハーフトラック.
 フィリピンで鹵獲.

M3対戦車自走砲

 M3兵員輸送車をベースにした対戦車自走砲.
 試作車名称T12.
 フィリピンで鹵獲され,フィリピンの守備隊がルソン防衛戦で使用.

マーモン・ヘリントン装甲車

 米国製装輪装甲車.
 蘭印軍および英軍から多数鹵獲.
 日本軍のほかインド国民軍に供給.

ダイムラー・ランチェスター・マーク2装甲車

 イギリス製6輪装甲車.
 マレー作戦で鹵獲.

ダイムラー・スカウトカー・ディンゴ

 イギリス製の四輪装甲偵察車.
 英軍のほか蘭軍からも鹵獲か.

その他:オランダ軍の現地改造装甲車OVAERVALWAGENいろいろ
・シボレー四輪大型装甲車
・ブラート四輪装甲車(下のAA)

 鹵獲後,現地の守備隊で使用.
                             ___
     ___    .___,,__             |__☆_|__
    __|__☆___ヾ  ./_☆_ヾ.  ,,,,,,,  ___,,,,,___  /」^Д^)ノ
     (O∀O了  (,^ワ^)ノ,/☆ヾ γ___☆_ヾ _|___|_
    ⊂  ⊂ )  (⊃___/メ(゚∀゚)ノ∩ `ワ´>ノ\___ヾ
     ( (  )___と_)_)/  |  (__/__/__________/_  
         し し| ̄       O--つ/    白 | 丘百/((==ヾ
      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\  ___\
  ___,,,,,___   ___,,,,,,_    __,,,__   .___.[ ● ]  \ \ ● \\
 γ___☆_ヾ γ___☆_ヾ  /_☆_ヾ  |-∞-|        \  ̄ ̄ ̄  \
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 (__//iiii\__//iiiiiiiii|___/,ノiiii丶| Y ,ノiiii/  ヾヾ.|    /  /
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 (__)_)iiii(__)_)iiiiiiiiiし`Jiiiiiiiiiiiiし`Jiiiiiiヽ__///iiiiiiiヽ__///

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦後,軍用車輌を改造して作られた民生用車輌には,どんなものがあるの?

 【回答】
更正戦車
 戦後に戦車を改装してブルドーザーにしたもの.
 チハベースや九七式軽装甲車ベースなどある.

警視庁装甲車
 チハの砲塔を撤去するなどして製作された装甲車.

チハ改造クレーン
 チハの足回りを流用して製造されたクレーン作業車.
 横浜港で昭和30年代まで活躍.

雪上バス
 ハ号軽戦車を改装した雪上車で,客車を牽引.

試製装軌自動貨車TC
 九二式重装甲車の足回りを流用して試作された.

軍事板
青文字:加筆改修部分
(写真は画像掲示板より引用)


 【質問】
 旧日本軍が使っていたバイクは,どんなものがありますか?
 陸・海・憲兵等,どのものでもいいです.

 【回答】
 我が国で軍用バイクが初めてテストされたのは大正3年9月.
 アメリカ製インディアン単気筒4馬力のモデルが,そのモデルです.
 陸軍ではこのテストの結果をもとにして,大正4年にドグラスとトライアンフのモデルをテストし,自動二輪車の伝令用としての有用性を確認しています.
 この後にハーレー・ダビットソン,ヘンダーソンなどのモデルを含めてテストした結果,陸軍はハーレー・ダビットソンの本格採用に踏み切りました.
 日本内燃機で組み立てられた1930年型のモデルは,軍に採用されて93式自動二輪車となっています.

 このころからハーレー・ダビットソンは日本国内に支店を設立し,三共と共同して昭和8年から,日本での製造に取り掛かりました.
 そしてハーレー1934年型の国産型が製造されて「陸王」の最初のモデルとなり,陸軍ではこれを陸軍制式95式自動二輪車として採用しました.
 このハーレー・ダビットソンと三共の合弁会社は,昭和11年に三共内燃機,さらに昭和12年に陸王内燃機と社名を変更しています.
 この陸王のモデルに側車起動装置を付けて,後輪・側車の二輪駆動にしたのが97式側車付自動二輪車で,陸海軍の代表的なモデルとして陸王内燃機のほかに,東洋工業,岡本工業,日本内燃機などで製造されました.

 これより先,昭和5年には日本自動車KK(後の日本内燃機)がBMWをサンプルにした,水平対向2サイクル1500CCのオートバイを作り,これが92式軍用側車として採用されています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板,2009/06/06(土)
青文字:加筆改修部分

▼ まとまった数の旧軍バイク,トラック写真を入手したので,今日はバイク写真の方をご紹介.

 この97式側車付き自動二輪の写真の出所は同じ所で,ほぼ同じ昭和18年頃に撮られている皇紀2602年の日付等が散見出来ますが,まだこの時期に立ち襟服を着ているのは大陸の部隊だからでしょうか?

 今見ても陸王ベースの車体はがっしりしていて,軍用バイクの風格が漂いますね.
 オイルタンクのラインやサイドカーのデザインは,見ていて飽きない味があります.
 こういうデザインは今の乗り物から失われて久しいので,また復活して欲しいものです.

faq110106bk.jpg
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よしぞうmaro' in mixi,2007年11月06日17:24


 【質問】
 戦前日本のバイク事情について教えられたし.

 【回答】

 米国のバイクと言えば,Harley-Davidsonが有名です.
 このバイクは,1903年に初号機が作られました.
 もう一方の雄であるIndianが1901年ですから,少し後になります.

 日本にこれが輸入されたのは,1917年のことで,大倉商事が手がけました.
 ちなみに,Indianは,1909年に二葉屋によって輸入されたのが最初で,官庁を中心にこちらが優勢でしたが,1925年頃に逆転し,以後,Harleyが優位を保ちます.
 輸入元は,大倉商事から日本自動車に移りますが,関東大震災で店舗を再建している内に興東貿易と言う会社に移りました.

 この興東貿易と言う会社は,三共製薬の子会社で,薬品輸入を主とする貿易会社でしたが,余技でバイクの輸入を手がけた様です.
 ついでに,三共の創立者,塩原又策氏が進取の気性に富んだ実業家だったことも影響しているかも知れません.

 その後,1931年にハーレー・ダビッドソン・モーターサイクル株式会社を設立し,重役の永井信二郎氏が米国の本社と国産化の交渉を行い,1933年に品川工場を建設,1935年に国産第一号を完成させます.
 そして,1936年には社名が三共,ブランド名が陸王となった訳です.

 ちなみに,この会社の社長には塩原又策氏の息子禎三氏が就任.
 先ほどの重役永井信二郎氏は塩原氏の女婿で,専務に昇格して実質的経営者となります.
 この会社は,塩原又策氏が女婿の実績作りの為に設立したとも言われていますが,真偽のほどは定かではありません.
 また,「陸王」と言うブランド名は,永井氏が慶応卒のスポーツマンであったことから,慶応義塾の応援歌から採ったものだそうです.

 1937年には社名をブランド名と統一する陸王内燃機となり,軍用バイクや警察用バイクを多数製作します.

 永井氏は,太平洋戦争が始まると共に開始された陸軍の横槍に耐えきれずに解職され,代わって,理研空気機械の元社長,町田哲二郎氏が社長となります.
 1943年には,軍用バイクの月産は90台に上りますが,その工場は,Harleyの工場から一括購入したもので,米国式の量産機械であり,図面管理も合理的な方式だったそうです.
 但し,規模はバイクの生産だけにそんなに大きくなく,場所は三共の工場の川を越えた山側で,品川八ツ山の山手線のカーブの側にあり,工作機械は50台ほど,製品の80%は外注に依存し,組み立て工場も完成サイドカーが5台程入ると一杯というものでした.
 1945年でも月産50台を保ち,何とか戦争を生き延びますが,敗戦に伴い,専務も設計主任も退社し,陸軍からの天下りもどんどん退職したため,官庁のHarleyを修理する程度しか活動しない,ほぼ名目上だけの存在となります.

 おまけに,バイクなんてのは,ガソリン統制で松根油何十%を混入しなければならないと言う規制がありました.
 その後,何とか車輌工業も持ち直しますが,1950年代前半は「5台メーカー」と言う会社が乱立します.

 このため1949年に一度倒産し,1950年に昭和飛行機が事業を引継ぎ,陸王モーターサイクルとして再出発します.
 こうしたこともあって陸王の大衆品への進出は遅れ,漸く1953年に陸王が出した新型は,Harleyとは似ても似つかぬ4サイクルOHV単気筒350cc,シャフト駆動方式で,サスペンションは前輪テレスコピック,後輪スイングアームになっており,これと言った特徴のない代物.

 結局,余り売れることなく,「5台メーカー」と新興メーカーの競争に敗れ,白バイ程度の需要は細々とありましたが,1960年には寂しく倒産し,市場から消え去ったりします.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年05月12日
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 九七式側車付自動二輪車って何?

 【回答】
 1937年,すなわち皇紀2597年制式の日本陸軍のサイドカー.
 米国ハーレーダビッドソン社の製品の民生用ライセンス生産品であった,三共内燃機製の車両「陸王」に改良を加えたもので,不整地走行性能を向上させるために単車(陸王)本体だけでなく,側車の車輪も駆動する,世界初の二輪駆動式サイドカーであるのが特徴.
 陸軍のみならず海軍陸戦隊も本車を採用,支那事変,大東亜戦争等での諸戦線,および内地での伝令,斥候,輸送に幅広く使用された.

 【参考ページ】
http://muwsan.hp.infoseek.co.jp/photo-rikuoh.htm
http://nabeck.web.fc2.com/rikuou.htm
http://waltermodel.com/?pid=11983539
http://www.hozen.org/bbs/19/7154/
http://0ash.sakura.ne.jp/bike/archives/2005/12/post_206.html

【ぐんじさんぎょう】,2009/9/6 21:00
に加筆

旧軍写真の一枚

よしぞうmaro' in mixi,2007年07月15日00:17

faq110106bk4.jpg
faq110106bk5.jpg

よしぞうmaro' in mixi,2007年11月06日17:24


 【質問】
 九七式側車付自動二輪車の性能緒元を教えてください.

 【回答】
重量 500 Kg
全長 2.7 m
全幅 1.7 m
高さ 1.2 m
発動機 ガソリン・エンジン,1274cc,24 HP
(英ウィキペディアでは25 hp)
変速 前進3,後進1
速度 70 km/h

 【参考ページ】
http://en.wikipedia.org/wiki/Type_97_Motorcycle
http://www3.plala.or.jp/takihome/bike.htm
type-97-motorcycle-2 - BlueprintBox.com

九七式側車付自動二輪車
type-97-motorcycle-2 - BlueprintBox.comより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2011/01/14 20:50
を加筆改修

満州事変当時の漫画絵葉書入手
ハーレータイプに装甲板を急造した当時写真のままを描いたもので,結構正確なイラストで驚かされました

よしぞうmaro' in mixi,2007年11月06日17:24


 【質問】
 くろがね四起って何?

 【回答】
 「くろがね四起」こと,九五式小型乗用車は,昭和11〜20年の10年間にわたり,陸海軍の主力小型乗用車として使用された,軍用小型4輪駆動車.
 「くろがね」は,日本内燃機のオート三輪車ブランドとして著名だった「くろがね」にちなむ.
 当初は偵察・連絡用のオートバイに代わるものとして使われ,2人乗りだったが,その後の改修で,エンジンが1200ccから1400ccにアップし,座席は4席になった.

 自衛隊の87式偵察警戒車の,遠い先祖?

 【参考ページ】
http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki8/jidousha/jidousha.html
http://ss-bass.oops.jp/kuro2.html
http://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?&key=100110011111&APage=12
http://waltermodel.com/?pid=11983539
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/toyotaAK10.htm

九五式小型乗用車
http://homepage3.nifty.com/ki43/heiki8/jidousha/jidousha.htmlより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2011/07/26 20:20
を加筆改修

 連休中に静岡で行われていたのがタミヤフェア.
 私は行けませんでしたが,マイミクのロアさんがレポートにもありましたが,販売の目玉の一つが,限定発売の1/48「95式小型乗用車くろがね四起」のキット.

 これは!!!!
 なんと,タミヤが日本軍ソフトスキンを!!!!
 いやー,長生きはするものです(^^;

 そこでロアさんに無理を言って,1個購入をお願いしていたのが,早くも届きました.
 今回はどうもお手数をお掛けしました.
 それにしても田宮社長の直筆サイン入り,ホワイトパッケージが素晴らしい!!

 そしてキットを見て驚いたのですが,曲線や逆テーパーの多いコロッとした実車の雰囲気を良く再現している事.

 マウスの様なお尻もプリティー(笑

 ナンバープレートのみならず,ちゃんとグリルに付ける海軍用車輌用の錨マークか,陸軍用に☆を入れる円形プレートも,エッチングパーツで入っていて驚かされました,
 いや,これは限定で出したら勿体無いでしょう.

 それにしても,これは勿体無くて,ちょっと手をだしづらいですね…
 そしてその内に,1/35でも出して欲しい物です.
 やはり日本軍ソフトスキンは,日本のメーカーに出して貰わないと!
 期待(妄想?)は膨らみます(笑

よしぞうmaro' in mixi,2007年11月28日03:14

こちらは海外メーカーの「くろがね四起」の模型キット
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 日本軍は開戦直後にブルドーザーの存在を知り,陸,海軍が開発を発注したけれども,結局試作で終わったとありました.
 ブルドーザーの何が難しいんでしょうか?
 それとも,ただ単に軽視されてただけでしょうか?

 【回答】
 一応,戦前に朝鮮や満州にCaterpillarのBulldozerが少数が輸入されて,建築現場で使われていましたし,1940年頃から陸軍が小松に命じて試作をしていたので,全く存在を知らなかったと言う訳ではありません.
 但し,北満湿地帯での道路建設用機械と認識してしまったため,これは使えないと早々に試作を中止してしまいました.
 南方での飛行場設営に思いが至らなかった訳で.

 そして,次いで海軍が南方基地設置用建設機械として,ブルドーザーを同じく小松に発注しました.
 こうして作られた小松一型は,牽引車に油圧式ドーザーを付けた代物で,本格的なものでもなく,最初に作られた試作と増加試作6両はアッツ島に送られましたが,到着後に守備隊が玉砕して行方不明になりました.

 次いで,陸軍が航空基地整備用ブルドーザーの試作を小松に指令(また此処でも陸海軍の対立弊害が出てくるわけで)し,小松は今度は1940年に試作した陸軍向け試作車を基に,海軍のものと同じ手法で,ブルドーザーを試作しました.
 しかし,これは効率が悪く,米国のものに比べると劣っていたので,Caterpillarを参考に,よりブルドーザーらしくしたのが1944年の試作車です.
 但し,資源不足で,1両しかできませんでした.

 特に日本では油圧のシーリングの問題が大きく,なかなか油圧式ドーザーを動かすのに苦労したみたいです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/01/13(金)
青文字:加筆改修部分

▼ ちなみにコマツ・テクノセンタ(静岡県)に展示されている現存機は,戦中フィリピンで稼働し,終戦後,米国の接収で海中に投棄されたが,のちに引き揚げられ,オーストラリアの農場で使用されていたものです.
http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_018.html
 つまり海に投棄して,引き上げて戦後20年ぐらいは使える実用性はありました

 あとは,メーカーごとの差や個体差がありますが メンテナンスや燃料の問題が大きいです.
 何よりも,現地に送る途中での海没(本体や・パーツや操縦者・燃料・潤滑油)があり,あまり役に立てることができなかったというのがあります.
 光文社文庫『技術兵の日米戦争』(タイトルうろ覚えなので間違っていたら陳謝)あたりに,ある程度の記述があったような.

 【関連リンク】
http://www.kenki.jp/museum/bulldozer/bull1930-04.html

軍事板
青文字:加筆改修部分

小松1型均土機
http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_018.htmlより引用)


 【質問】
 「伐開機」って何?

 【回答】
 装軌車輌の前部に衝角を装着して樹木を押し倒しかき分けて進むという代物です.
 「伐掃車」と言う伐開機が切り開いた道の倒木や根っこを片付ける車輌とセットで使用します.
 本来は細長い通路を開設するための機材で,ビアク島に送られました.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

※ 以前,似たような項目をどこかに載せたはずだが行方不明.


 【質問】
 ▼↓は日本軍の試作戦車らしいのですが,この戦車についての情報を教えてください.
 日本軍の無線操縦車輌について教えてください.

 【回答】
「長山号」ないし「ナガヤマ号」
1930年に長山大尉と言う人が個人的に発明したもの.
 車体はフォードソン農耕用トラクターを改造したもので,後部の耕地車輪を履帯の起動輪として用いた.
 車体はボイラー用鋼鈑で覆われ,操縦席の上にキューポラが付いていた.
 操縦席は,前線までの輸送の為のもの.
 陣地前で人が降りて,無線に切り替える.
 車体に爆薬を装備し,無人で敵トーチカに突入して爆薬を設置して帰ってくる為の車輌.

 要目;
全幅2.18m,
全長5.75m,
全高2.56m,
全備重量13トン.
V型ディーゼル・エンジン120馬力,
装甲厚10〜17mm.

http://www.interq.or.jp/sun/mm-kas/neta/neta-motomu.htm
http://japan.greyfalcon.us/NAGAYAMA.htm
http://blog.modernmechanix.com/2008/01/31/no-men-in-radio-operated-tank/

ナガヤマ号
(ttp://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/japan/Jap-Fordson-IonFonosch_small.jpgより引用)

 【回答】
 無線操縦車K-2.

 1934年に陸軍科学研究所第一部が,無線誘導で八九式戦車を動かすのに成功.
 その実験結果を基に,K-2と称したものを作り上げた.

 残念ながら,こうしたものを生産するよりも人の命の方が安いので,試作品止まり.
●K-2
 八九式中戦車を無人化したもの.
 1934年に陸軍科学研究所第一部が,無線誘導で動かすのに成功.

●K-3
 K-2の実績を基に作った車輌.
 有線(いうせん)誘導の97式小作業機「い号」を大きくしたような平べったい車輌で,運転席前面のところだけ防盾が立ってる.

参考:い号
http://mailer.fsu.edu/~akirk/tanks/japan/type97-miniengineering-yigo.jpg

 無線操縦型量産されなかったが,有線操縦式の「い号」は制式化されて量産.
 これの運用を専門にした独立工兵第27連隊に集中配備されてる.
 やたらに人命軽視を強調して,旧軍を馬鹿にするのは良くない.

 なお,似たようなのだとドイツ軍のゴリアテがあるのは御承知の通り.

軍事板,2010/02/15(月)
鮫島 in FAQ BBS,2010/3/6(土)(黄文字部分)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本の海軍陸戦隊が装備していた「機銃車」ってなんですか?
 上海事変頃のは,各種の装輪装甲車のことみたいですけれど,太平洋戦争中に出てくるのも,同じものなんでしょうか?

 【回答】
 「機銃車」は装輪装甲車の事ではなく,海軍が陸軍に続いて購入した,Vickers Armstrong Carden-Loyd Mk.VIbのことで,これは,「カ式機銃車」と呼ばれていました.
 太平洋戦争初期にも,この車輌は使われていますので,同じものと言えるでしょう.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 戦時中までの御料車について教えてください.

 【回答】
 天皇家が最初に使った御料車は,1912年製ディムラーリムジンだったそうです.
 1号御料車は,当時の英国国王KingGeorgeVの御料車と同型.
 但し,皇室の色である溜色に塗装し,側面に十六花弁の菊の御紋章を付けたのもこれから始まっています.

 このほかに2号御料車として,同じくディムラーのランドレー,これはちょっと小型ですが,天皇以外の皇族と外国からの賓客送迎用である貴賓車にはメルセデスのランドレー,お付きの人が乗る臣下車にはディムラーランドレーとフィアットランドレー2台,それに運搬車としてフィアット2台が購入されました.
 ちなみに,これらを購入したのは,「鯰」こと大倉喜八郎だったりします.

 1921年には木造ボディの車体は老朽化して,第3号,第4号御料車として,当時世界的に高級車としての名声を高めていた,1920年型ロールス・ロイスシルヴァー・ゴーストで,シャシーの価格は2,100ポンド(当時のオースチン・セブンが120ポンド)に,フーパー社でリムジンボディを架装しています.
 このボディーが実に,2,425ポンドとシャシーより高かったり.
 これは主に大正天皇の御料車として用いられましたが,御座所から段差無しに乗り降りできるよう,シートとルーフを日本で改造したそうです.

 ところが,1923年の虎ノ門事件の結果,余りにも御上が無防備だと言うことで,この御料車に装甲板を付けることとなり,米国から板厚2mmの防弾鋼鈑を購入し,試作としてピアースアロウに取り付けてみたのですが,重量増で役に立たず,沙汰止みになり,1931年から1935年に掛けて7台が輸入されたメルセデス・Bベンツ770グローサー(1932年型4台,1934年型3台)に取って代わられました.

 ちなみに,初代のディムラーは1932年,二代目のロールス・ロイスは1933年頃解体されますが,ロールス・ロイスのエンジンは,宮中吹上御所の緊急用水揚げポンプの動力源として戦争中も長らく使用されています.
 また,ラジエター,ホイールは解体業者の手を経て民間に流れ,とある自動車マニアが保有していたそうです.
 余談ですが,このラジエター,戦後,米海軍士官がグアムから持ち込んだ1926年型ロールス・ロイスを,銀座のドイツ料理屋ケテルスが購入したのですが,グアムで使っている時に塩害でラジエターがいかれ,代わりのものとして白羽の矢が立ったのが,元御料車のラジエターだったりします.

 さて,三代目御料車のメルセデスは余りにも有名ですが,この同型車は,天皇家を始め,Hindenburg大統領,Sweden国王,Egypt国王,Bulgaria国王,Yugoslaviaの摂政,亡命中のKaiser WillhelmII世,作曲家Richard Straussなどがご愛用の世界で117台しかない貴重なクルマだそうで.
 量産されたのは1938年のW150/150II以降なので,このモデル,W07/W07Kは本当にPremiereなものでした.

 天皇家の御料車のそれは,Supercharger無しエンジンに,4段型ギアボックスのもので,同型車の中には,ルーツ製Super chargerを取り付けたエンジンに,ギアボックスはマイバッハ製6段(高低3段ずつ切り替えられる)のものもあるのですが,日本の路上では無用の長物と考えられたのでしょう.
 ボディはジンデルフィンゲン工場製プルマン・リムジンで,リア・コンパートメントの内装は宮内庁支給の京都の西陣織でしつらえられています.
 7台のうち2台は,陸軍工廠で,10mの至近距離から発射された機関銃弾に耐えることが可能な厚さ5mm以上の装甲板を,ボディパネル,ドアは元より,ボンネットパネルまで張り巡らしていました.
 最も徹底的に成された車輌は,路面に敷設された地雷が爆発しても耐えられる様に強化され,床板は勿論,エンジン下部にも防弾鋼鈑が張られています.
 更にガラスは厚みが優に15mmを超える防弾ガラスで覆われ,こうして重量は,標準的な770が2.7tになるのに対し,強化型は4.7tと戦車か装甲車かと言うくらいまで増加しました.
 この重量に耐えるタイヤは,当初はContinentalを使っていたのですが,それが無くなると横浜ゴムに試作の命令が下り,4tの重量に耐え,釘を踏んでもパンクしないため,超肉厚カーカスと布入りシーラントを内張したチューブを用いた,特殊タイヤが開発され24本が納入されています.

 このメルセデスは,空襲で焼失した1台を除き,残りは1969年まで使用されています.
 後に2台は,富谷龍一氏の手によって,住江製作所がランドレーに改造し,全国行幸に使われましたが,その後この2台は部品取り用に解体され,1970年代初期に1932年型の最後の1台が解体,1971年にはダイムラー・ベンツからの要請で,1934年型が1台寄贈されていますが,未だ2台は宮内庁の車庫に眠っているそうです.

 ちなみに,戦前はボディの溜色塗装は皇室専用色で,他のクルマに塗装するのを禁じられたのだとか.

 また,戦争末期には,溜色のメルセデスは機銃掃射の的になるとの懸念から,三井本家が黒塗りの1937年型メルセデス500Nニュルンベルク・リムジンを献上し,これは内親王用などに使われていました.
 ちなみに,この三井本家のメルセデスは,1936年,右翼によるテロが頻発していた当時,当時の総帥八郎右衛門の身を案じた三井家が特にドイツから輸入した装甲板付きのものだったり.

 この他,非公式用の車輌としては,1920年に最初のディムラーリムジンが2台,第7,8号貴賓車として使用され始め,1921年には1920年型ディムラーオープンツアラーを1台購入しました.
 1922年に裕仁親王の答礼で,PrinceofWalesが来日した際には,その為だけに,ロールス・ロイスから1920年型シルヴァーゴーストオープンツアラーを輸入しました.
(時代は下り,1975年にエリザベスII世女王が来日した際に,パレードに用いられたのは,キャデラック…orz)
 実は,このオープンツアラーは,英国皇太子の来日には間に合わず,この貴賓車は,裕仁親王が国内や台湾に出かけられたときに使われていたそうです.
 で,このクルマ,1925年に民間に払い下げられ,所有者を転々とし,オリジナルボディーは失われていますが,現存しているそうです.
 1940年代の法律上の所有者は,ビルマ国カチン政府という訳のわからない代物で,その代表者名は日本女性だったとか.

 お付きの人が乗る臣下車としては,まず,米国製のピアース・アロウの各モデルが使われていました.
 今は消滅していますが,1920年代まで,米国の最高級車として君臨し,T型が300ドルの頃,4,850〜6,300ドルもしています.
 また,ボディは箱型と幌型の二種類が用意され,季節によって載せ替えることもしていたようです.

 ピアース・アロウが倒産し,消滅してからは,官公庁御用達のパッカード・スーパーエイト・リムジンが主に使われる様になります.
 これは,1950年代まで使われ続けましたが,1960年代にメルセデス300シリーズに置き換えられ,国産車の充実と共に,トヨタセンチュリーとか日産プレジデントが主流となっています.

眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi

これも御料車(?)
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 ヒトラーが昭和天皇にったベンツって,戦後どうなったんですか?

 【回答】
 Hitlerが送った訳ではなくて,1932年製が4台と1934年製のものが3台.
 このうち2台は,陸軍工廠で装甲車化されている.

 うち,1台は赤坂離宮にて空襲のため焼失.
 生き残った6台の内,2台はランドレーに改造され,全国巡幸に使用された後,お蔵入りし,他の4台を維持するための部品取り用に保管され,解体.
 4台のうち,1932年製の1台は1970年代初期に解体.
 1934年製1台は,本家に返されて,StuttgartにあるBenzの自動車博物館に,白色のKaiser Wilhelm II世 の使用したそれと共に展示され,残り2台は宮内庁で保管されている.

 ちなみに戦時中,空襲で避難される天皇のため,三井家が1937年型500Nを寄贈している.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2007/03/14(水)

 ちなみに昔,「なるほどザ・ワールド」というTV番組に,
「アメリカの農家のおっさんが自家用車にしてる」
という話が出てたが,眠い人さんが参考にしたのと同じ資料を読む限り,昭和天皇のメルセデスは,シュトゥットガルトの1台を除いて門外不出.
 明らかにこれはパチモンか,そうでないにしても昭和天皇は乗っていないと思われ.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE,2007/03/14(水)


 【質問】
 戦後しばらくの間一世を風靡したオート三輪(三輪車)ですが,戦前,もしくは戦中に日本軍は制式採用してなかったのでしょうか?
 なかなか使い勝手が良さそうだ,と思ったのですが,やっぱり路外性能がしょぼいからダメだったのでしょうか.

 【回答】
 準軍用,あるいは非公式なものとの扱いでした.

 戦前はオートバイのエンジンを輸入し,そのエンジンを用いて車体を作り上げるものが主流でした.
 普及し始めたのは1925年頃からで,大阪東区のウエルビー商会が製造したウエルビー号から始まりました.
 その後,3年で2社しかなかったメーカーが35社に迄増えています.

 こうして市場が拡大していったのですが,所詮オートバイの亜種的な存在でした.
 しかし,チェーンドライブ・片後輪駆動・バックギア無しでは使いづらく,シャフトを用いた後輪2輪駆動,バックギア付の機種が市場に出回り,初期のオートバイ亜種は駆逐されます.
 これらは非常に高い技術を要するもので,弱小の企業では太刀打ちできません.

 次いで,輸入のバイク用エンジンに代って,水冷の国産エンジンが登場します.
 特に発動機製造(今のダイハツ)が嚆矢となり,次いで東洋工業(今のマツダ)がそれに続きます.
 1933年のオート三輪登録台数は12,000台で小型車全体の保有台数の凡そ40%,その後,1937年には15,000台にまで達します.
 購買力の小さな農業人口が80%を超えているような国で,この数字ですから十分に大きな生産台数だと思います.
 ちなみに,車輌価格は1台当り700円〜1,500円で,平均価格が1,000円.
 この時代,フォードが2,800円です.
 シェア的には,発動機製造が30〜35%程度,東洋工業が20〜25%と,両社で市場の半分以上を占有し,残りを日本内燃機(くろがね),陸王内燃機,旭内燃機,帝国製鋲,水野鉄工所,兵庫モータースが団栗の背比べをしていました.

 しかし,以後は戦時体制に組み込まれ,生産台数は減少しました.
 ただ,軍事用は例外で,陸海軍共に内地や南方では重宝されています.
 とは言え,野戦に於ける耐久性,不整地走行能力,機構的トラブルの問題と被弾時の措置に研究の要有りとして,いずれも準軍用,あるいは非公式なものとの扱いでした.

 戦時中は,前述の発動機製造,東洋工業,日本内燃機が指定工場となり,軍需,官需用にオート三輪を製造しており,他にも沢山の海千山千の群小メーカーが製造しています.
 日本内燃機のニューエラ号は後に一式として制式化されており,水運搬車も作られました.

 蛇足ですが,東洋工業は,松田製作所,日本兵器製造を興した松田重治郎・恒次親子が中心となった会社で,1920年に前身の東洋コルク工業に重治郎が取締役として迎えられ,翌年,社長となって実権を握ります.
 この会社は,瓶の栓や,氷で冷やす冷蔵港の断熱材としてのコルクを製造していました.

 1927年,コルク製造から機械事業に打って出て行こうと社名を東洋工業に変更します.
 この転換で,海軍から兵器製造の発注があり,また,各企業に加工機械を売り込んでそれらが採用されます.
 同時に,機械技術の当時の最高峰として考えられていた自動車製造に乗り出しますが,身の丈を考え,まずは,1926年にトーヨーコーギョー号を言うオートバイを作り,30台ほど生産します.
 次いで,島津楢造氏を迎え,自社製エンジンを開発し,それを搭載したオート三輪を生産し始めます.
 ただ,販売チャネルが無かったので,三菱商事と組んで,国内や国外に打って出ます.
 ブラジルの軍に採用されたのはマツダ号です.

 ついでに,マツダランプは,マツダ,東洋工業とは無関係です.
 こちらのほうは,東芝の前身の一つの会社が作っていた電球のブランド名だったか,と.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/11/20
青文字:加筆改修部分

▼ 代休日は朝から所沢古書市を回り,その後カミさんと待ち合わせて美術展をハシゴした挙げ句に,地元へ戻ってシネコンへ.
 今日はここで,映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を鑑賞.
 〔略〕
 もう売り切れたのか,近所のシネコンにはあまりグッズはありませんでしたが,アラーキーさんも紹介していたボールペンのミゼット3輪がありました.
 この出来が余りに良くて早速購入.
faq110206tr.jpg
faq110206tr2.jpg
faq110206tr3.jpg

 いやー,この錆び感の塗装処理とデフォルムが良いですね.
 このままミゼットだけでも飾りモノとして欲しい所です(^^;

よしぞう in mixi,2007年11月09日02:32


 【質問】
 日本に徴用可能な自動車は何台あったのか?

 【回答】
 1935年10月末日現在の「全国自動車・自動自転車集計表」と言う統計があったり.
 陸軍省が調査したもので,何故,陸軍省かというと,万一の有事の際,自動車を徴発して軍用に充てなければならないからで,これは,年度の自動車徴発規程の基礎資料となるものです.

 で,これによると,1935年の日本の自動車の台数は….

四人乗乗用車   :営業用/316台,自家用/1,173台
五〜七人乗乗用車 :営業用/44,785台,自家用/5,323台
八人乗以上    :営業用/21,214台,自家用/104台
1t積未満トラック :営業用/783台,自家用/689台
1〜1.5t積トラック:営業用/6,464台,自家用/885台
1.5〜2t積トラック :営業用/22,900台,自家用/3,098台
2t積以上トラック :営業用/9,837台,自家用/864台
小型自動車・貨物自動車:営業用/276台,自家用/3,412台
自動自転車    :営業用,自家用合わせて16,684台

 ちなみに,小型自動車・貨物自動車は,ダットサンとかAustinの事,自動自転車は,バイク,サイドカー,三輪車の事です.
 このほか,全国にタンクローリーが214台,患者輸送自動車が57台ありました.

 この資料には官庁用とか消防自動車は含んでいませんが,全国,つまり,内地,朝鮮,台湾,関東州,南洋諸島含めて,日本全土にある自動車の数は総数130,517台.
 で,その大部分が,Ford,Chevroletの組立外車です.
 内地では,東京府が28,875台,名古屋を含んだ愛知,岐阜,静岡の東海三県で11,313台,北海道,樺太,千島で3,567台だったりします.

 流石にこれでは拙いと思ったのか,自動車製造事業法によって国産車を育成し,1941年には年間2万台の生産量を誇るまでになっています.

 ちなみに,自動車製造事業法が制定されても,横浜Fordに関しては生き残っており,1937〜40年に掛けて自動車製造事業法の枠外で,7,800台のFordが生産され,満州に移出,日産の満州に於ける系列会社であった,満州同和自動車で同社製自動車として売られました.
 特に,1940年のトラック1,200台は,そのまま関東軍に納品されたりしています.

 でもって,この自動車を製造する際の部品で足りなくなったものは,独ソ開戦まで,ドイツ・フォードからシベリア鉄道経由で手に入れていて,本国のフォードは何ら関わりが無かった様です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi

国産バス
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 戦後日本の四輪駆動車は,ジープが最初というのは本当か?

 【回答】
 戦後,日本の四輪駆動車は,警察予備隊に納入するために開発された,中日本重工のJeepと,トヨタ自動車のトヨタジープ,日産自動車の日産パトロールの三種がありました.

 これらは何れもJeepタイプ…と言うか中日本重工のはJeepそのもの…の車輌で,不整地走行性は十二分にありましたが,居住性とかそう言った部分については,二の次にされていました.
 元来が軍用車ですから,そう言った面に配慮は余り為されなかった訳で.

 流石に,民間に売られる際には,幌だけではなく,鋼板でキャビンを作る場合もあった訳ですが,それとても,遣っ付け仕事レベルで,一般の乗用車に比べると格段の差が出ていました.

 さて,東北電力は,雪深い土地に発電施設,送電施設のある電力会社です.
 その高圧送電線は山の中に架設され,冬の山の中の道は,四輪駆動車でしか通えない道でした.
 しかし,其処で使っているJeepはキャンバスボディの代物で,冬に使うには相当に寒く,乗心地も悪く,尚かつ,夏季には普通の車で送電線監視が出来るので,車庫に眠ったままで稼働率が悪いのに担当者が悩んでいました.
 現場からは,快適で年間を通して使用できる雪道に強い車を調達できないか,と言う要求が常に出されていました.

 その頃,東北電力の営業車に,スバル1000が用いられていました.
 国産初のFF車として,前輪に力が掛かるため,比較的雪道に強い営業車として重宝がられていました.

 …と言うことは,これを四輪駆動車に改造すれば,Jeepの代りに年中使える営業車として使用できるのではないか?
 こう考えたスタッフが経営陣に提案し,駄目元で,宮城スバルに持ち込み,宮城スバルでは社内の技術陣に聞いてみることにしました.

 その社内のサービス部には偶然,自衛隊の車輌整備部門で軍用の四輪駆動車を整備し尽くした神様の様なエンジニアがいたのです.
 彼は,それを聞くと,即座に図面を引き始め,計算の結果,改造が可能であると言う結論に達するや,中古のスバル1000バンをベースに,前代未聞のディーラー製作四駆の試作を始めました.

 エンジンは四輪駆動ではよりパワーを食うであろうから,と,オリジナルのエンジンを降ろして,ff-1用の1100ccに換装し,プロペラシャフトとかデフユニットは,各社の小型車のそれを数種採寸した結果,日産ブルーバード用のものを取り外して,改造車に取り付け,試作車を作り上げました.
 とは言え,素人工作の悲しさ,最初のテストでは前輪と後輪が逆回転してしまったそうです.
 そんなこんなで,社内で試験の後,東北電力に引き渡し,10ヶ月の間,試用して貰いました.
 その結果,雪道走行の走破性は抜群で,Jeepに匹敵すると言う評価を得ました.

 但し,所詮は改造車,プロペラシャフトが室内に貫通するように剥き出しで通って居るような車輌で,とても公道を大手を振って走れるような代物ではありませんでした.

 其処で,一大決心をした宮城スバルは本社に対し,試作車を添えてスバル1000の四輪駆動モデルの開発を進言したのです.

 本社から三鷹と太田の技術サイドに照会した結果,ユーザーの声として,「雪道,悪路に極めて強い」と言うものがあり,エンジニアの間からも,「四輪駆動にするのも面白いなぁ」という声が雑談レベルではありましたが,出ていた事もあり,商品化は可能という結論が出ました.

 斯うして乗用車ベースのパートタイム四輪駆動車として,スバルff-1/1300Gのバンを開発することになりました.

 1971年の東京モーターショーの富士重工商用車ブースには,その試作車が展示され,注目を集めました.
 試作車は4台が作られ,各種試験を経た後,増加試作車が「改」車検で販売されることになります.
 5台は最初に評価した東北電力,1台は長野県飯山農協向け,1台が長野県白馬村向けになっており,1972年には防衛庁が業務車として特殊用途または運用試験用に1台納入されたそうです.
 但し,この防衛庁向けはどうなったのか,定かではありません.

 結局,スバル1000ベースの四輪駆動車は改造車も含めて13台で量産は完了し,本格的な四輪駆動バンは,後継車のレオーネで実現することになりました.

 この事例は,ユーザのニーズを如何に汲み取るか,それを如何に反映させるかと言う示唆的な内容だと思います.
 トヨタ自動車が,自社の車が売れないと言うのを分析するとか言う話がありましたが,結局はユーザのニーズを上手く汲み取れないからではないか,と思ってみたりする訳です.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年06月04日23:01


 【質問】
 この装甲車の車種を教えてください.
 撮影時期・場所は昭和12〜14年頃の上海.
 「仏租界の仏軍装甲車」と裏書がありました.
 フランス軍ということで,パナールやルノー,オチキスなど,あれこれ画像を検索してみたのですが,これといったものが見当たりません.
よろしくお願いします.

 【回答】
 ここ
http://www.network54.com/Forum/330333/thread/1113139749/another+unknown+Chinese+armoured+car
で議論されていますが,
「現地改造されたもので,おそらくFord Model BBがベースだろう」
という話になっているような.

system ◆system65t. 軍事板,2014/03/09(日)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆◆メカニズム


 【質問】
 太平洋戦争中の日本の車両用ディーゼル,ガソリンエンジンの技術はどの程度のものだったんですか?

 【回答】
 ガソリンエンジンに関しては,外国製の模倣が主です.

 例えば豊田はシボレーのエンジンを解体して模倣したものですし,日産はグラハム・ページの生産設備一切を購入していました.
(因みに,戦後でも,GMやフォード車のエンジンが故障したら,トヨタか日産の工場に行けば,取り敢ず合う部品があるから急場凌ぎに役に立つとまで言われています)
 ダットサンも,フランスのベンジャミンと言う小型車のエンジンの模倣です.
 東京自動車工業(いすゞ)のエンジンは,源流を辿れば英国のウーズレーに辿り着きます.

 ディーゼルに関しては,その最初は三菱がスイスのザウラーから技術導入したものですし,日本ディゼル工業(鐘淵ディーゼル,後の日産ディーゼル)は,ドイツのユンカースから技術導入しており,そのエンジンをライセンス生産しています.

 新潟鐵工所のディーゼルは内火艇用の転用で,性能は劣っていました.
 新潟鐵工所のものは,後に鉄道車両用になりましたが,国鉄時代も使われ続け,化石化しており,後に分割民営化して大量の馘首が出た時,再就職に非常に難儀したそうです.

 ヂーゼル自動車工業(後のいすゞ)のディーゼルは,試行錯誤を重ねた結果,水冷式予燃焼室式のエンジンを試作し,外国製のものに劣らない性能を示しています.
 また,池貝鉄工所(後に小松製作所に吸収される)の製品も,渦流室式で,小型ディーゼルとしての性能は充分でした.

 但し,これらのエンジン量産体制に関してはお寒い限りだったりしますが….

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前か戦中,統制型ディーゼルエンジン(一式戦車?)を潜水艦?でドイツに輸出した,とか.
 数量等判りませんが,それほど技術的なものに見るべきものがあったのでしょうか?

 【回答】
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta021a.htm
によれば,見るべきものはなかった模様.
 以下引用.

 統制型ディーゼルエンジン(一式戦車用)
 ドイツに潜水艦で輸出されましたが...
 日本の精密工業の水準がばれないようにヤスリ仕上げの無い部品を選別するのに苦労したそうで...
 とても自慢できるようなものではありませんでした.

 【質問】
 戦前日本は,ガソリンエンジンに関しては外国製の模倣から抜けきれなかったが,ディーゼルエンジンでは一部世界レベルの開発能力を持つ企業もあったという事でしょうか?
 同時期に陸軍が中心となって開発していた統制エンジンは,余り良く出来た物では無かったと聞きますが,やはりディーゼルエンジンでも世界水準とはそれなりの開きがあったんでしょうか?

 【回答】
 と言うか,ディーゼルエンジンでは独自に発展する余地が有った,と言う事です.
 つまり,欧米の自動車に今からガソリンエンジンで太刀打ち出来はしないし,コスト的に太刀打ち出来ない.
 一方でディーゼルエンジンは欧米でも発展途上であるが故に,日本が追いつく事は強ち不可能ではないと言う考えで各社が技術を競っていました.

 ディーゼルエンジン開発の際,ベンツの予燃焼室式,MANの空気室式,クルップの空冷水平対向予燃焼室式,オーベルヘンスリーの蓄熱渦流室式,英国のドルマン・リカードの渦流室式を購入してテストしましたが,MAN以外のディーゼルには日本の技術者はさして感心していません.

 製品を開発する際,当初は海外製品の模倣から始めますが,ほどなく,その考えでは成立しないことが判明し,予燃焼室式のエンジンを開発しています.
 ここから発展したエンジンは,非常に堅牢且つ静粛で,陸軍向けの試作車輌に搭載したテストでは,試験官の「出発用意!」と言う号令でエンジンを掛けて待機していた所,試験官から,「おい,エンジンを掛けろ!」と怒鳴られたと言う逸話もあります.

 因みに,予燃焼室式のエンジンは,本家であるドイツでも幾つか試作されていますが,本家ドイツでも統制型ディーゼルは,MAN空気室式が採用され,予燃焼室式のエンジンであるヘンシェルやフンボルトドイツ(KHD)は,大した性能ではなかったと言えます.

 で,陸軍の統制式発動機に関しては,「武人の蛮用」に耐えなければ成りませんでした.

 その統制式発動機開発前に,いすゞではDA20を開発していますが,これは,最大出力時の平均有効圧が5.802kg/cm^2と,戦時期の空冷ディーゼル中ずば抜けて高い値となっています.
 これは完全に限界設計状態だった為,次の統制式DB50では,燃費に劣るものの,騒音も低く,出力が高く,機械的信頼性に富み,作りやすく,修理しやすい,日本の国情に良く合ったエンジンになりました.

 特に,信頼性については非常に重視され,三菱の直噴式がトラブる様な,噴射ノズルにゴミが溜まろうが,噴口部が溶損しようが,兎に角運転は可能でした.
 又,日本の粗悪な燃料でも充分に運転出来ています.
 総じて,余り攻め込んだ設計は為されず,車輌,即ち,人員が生きて還ってくる信頼性を重視した設計でしたので,ある面では非常に甘いものでした.

 統制式発動機はまた,空冷であり非常に大きなものでしたので,戦後は,より小さな4気筒又は6気筒の水冷式ディーゼルエンジンが利用されています.
 但し,予燃焼室式の機構そのものは,殆ど改良されることなく,半世紀続いたGMのグレイマリン・ディーゼルと同様に,船舶用も含め44年間に渡って生産されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦時中,車輌に使われた代用燃料について教えてください.

 【回答】
 1940年の物資不足の頃から,色々な代用品が出現しました.
 食べ物なんかもそうですし,工業製品たる客車だって,貨車に乗客を乗せた代用客車というのがあったり,教員資格のない,代用教員と言うのがいたり….

 当然,「ガソリン一滴は血の一滴」なんてスローガンが叫ばれて,ガソリンの消費を抑えようと,色々工夫しています.
 例えば,1939年1〜3月の西成線(今の大阪環状線西回り+桜島線で当時は非電化)では,平日1,400リットル,休日1,100リットルのガソリンが消費されていましたが,空燃比を希薄化したり,今のバスでも行われているアイドル・カット運転(これを手動で行った),その機関停止時に気化器からOverflowする燃料の回収,動車元空気だめへの空気充填を車庫で行う,変速操作運転の技能向上,2両編成の場合は,1両のみ機関を動かし,他の車輌は付随車とするなどを実施し,486リットルもの燃料を節約しています.

 後,陸軍が中心となって,ガソリンに酒精を混入する実験が行われました.
 が,酒精と言うのは,農産物(芋類)から採取されるものを主体としていた為,芋類の主流である甘藷の価格が高すぎたのが原因で,一旦頓挫し,1937年に復活し,4月に酒精専売法が施行されると共に,法律第39号「揮発油及アルコール混用法」が施行され,航空用以外の民需用ガソリンはエタノール混入ガソリンとしなければならない,と定められました(ちなみに世界で15番目).
 これは,石油資源節約,航空用ガソリンの確保を目的としたためで,酒精の経済性は,ガソリン1に対し,軽油0.53,木炭1.22,薪0.94,天然ガス,都市ガス各0.72,アセチレンガス1.7,電気0.57に対し,酒精15.5と桁違いに悪かったりします.

 しかし,これとて,エタノール生産が間に合わ(ぉぃ…)に,段階的に施行されることになり,1938年5月にガソリン総量の25%に5%,9月に25%に10%混入,1939年4月に50%に10%,10月からは70%に10%,1940年1月より全ガソリンに10%,11月以降15%,1941年には20%に引上げという施策計画が採られています.
 実際には,酒精増産の進展で,1940年1月に15%混入が実施され,1942年2月からは,トラック用燃料として,7府県で単体酒精を使用するに至っています.
 ところが,戦線の急拡大で,今度は医療用アルコール需要が急増し,燃料用に回すことが出来なくなり,1943年にこの「揮発油及アルコール混用法」は廃止されてしまいました.

 では,ガソリンに変わる代用燃料とはどんなものがあったか?ですが,まず,発生炉ガス,これは木炭,薪,石炭を炉内で不完全燃焼させ,発生した一酸化炭素,窒素主成分のガスを燃料とするもので,木炭車というのが,それですね.
 ちなみに,石炭利用の場合,国内炭では灰が冷えて蜂の巣状に固まる現象が多発したため,灰の融点が高い,山西省陽泉産出の陽泉炭に限定されています.
 これ以外の石炭状物質としては,コークス,コーライト.

 次いで,メタノールで,これは南大東島,台湾などでの砂糖黍搬出用,台湾総督府交通局鉄道部で使用例があります.
 混入については,先述の通り.

 後はカーバイトによるアセチレンガスで,トラック,三井鉱山神岡軌道などの産業用機関車に使用されました.

 天然ガスについては,秋田の横荘,新潟の長岡,千葉の小湊,九十九里,滋賀の江若などで使用されています.
 いずれも天然ガス田の産出地近辺でしか使用されず,燃料費的にも高価であり,ボンベなどの補給にも苦労しました.

 さて,今までの炉は,バス・トラック用のものを内燃動車に転用したので,当然,大型車になると性能が不足する訳で,大型車には専用の炉を開発することになりました.
 これは淡路島にあった淡路鉄道(今の淡路交通)が作ったもので,淡鉄式と呼ばれ,今までの2倍の容量を持つものでした.
 性能的には,全線23.4kmを走ると,ガソリン動車の時間40.5分,表定速度34.2km/hに対し,46.5分,30.2km/hと矢張り落ち込んでいます.
 ちなみに,往復の燃料消費は木炭50kgで,燃料費はガソリンに比べ30%増.
 炉の耐用年数は短く設置費は2,165円,特に発生炉下部燃焼室は2年保つかどうか,と言われていました.

 さて,その間,国鉄はどうだったのかと言いますと,1938年以降,白土式で木炭,コークスを,梁瀬(今のヤナセ自動車)式で,天然ガス,液化ガス,ガソリン・メタノール混用など各種の方法が試行錯誤されていますが,官尊民卑の倣いで,例によって民間の技術は採用されることなく,世界的にも例を見ない,蒸気機関車の燃焼後に煙突から排出される産業廃棄物,「シンダ」というものを採用します.
 「シンダ」自体は炭素が主成分で,蒸気機関車から無尽蔵に出る(年間5万トン発生)ものですから,それを回収する機構を製作すれば,原料はタダで手に入った訳です.
 しかし,これは全内燃動車に普及することなく(そりゃ,国鉄は蒸気機関車を運用していたのだから,必要になれば,蒸気機関車に動車を牽引させれば良いわけで),100輛程度の改造に終わりました.

 今まではガソリン動車の話でしたが,ディーゼルの代燃化は結局戦後まで持ち越しとなりました.
 ディーゼルの代燃化については,重油と天然ガス併用,代燃ガスを圧縮し,死点寸前に少量の重油を吹き込む重油着火方式,圧縮比を下げ,発火プラグで爆発させる電気着火方式がありましたが,これらは,「どう見てもディーゼルエンジンではありません.本当に(以下略」なものでした.
 後,食用油も実験しましたが,コスト高だったり.

 ちなみに,こうした国鉄の官尊民卑ぶりについては,例えば,ディーゼルエンジンにしても陸軍が中心となって開発した,当時としては優秀な設計であった予燃焼式の統制式発動機を使用せず(戦後の一時期,非電化私鉄のガソリン動車にはそれから発達したいすゞのDA系に載せ替えられましたが,国鉄は中々それを採用しなかったり),独自技術に拘った結果,新潟鉄工の海軍内火艇やそれから発展した51号魚雷艇発動機を基にした,扱いの難しい直噴式の発動機を発展(と言うか退化)させ,これは実に国鉄末期まで半世紀以上これを引き摺っています.

 JR移行後,これらの機関を搭載していたディーゼルカーは,経済性の悪さから一斉にエンジンを載せ替えたり,軽量の新型車に置き換えられたりして,残滓を一掃しつつある訳で.

 また,こうした機関を採用していた非電化私鉄の整備掛が,廃止のために,バス会社やトラック会社などの整備工場に転職しようにも,技術ベースが戦前のものなので,一笑に付されると言う笑えない話があったりします.

今回の参考文献:
 「内燃動車発達史」下巻
 「ある鉄道事故の構図」
 「鉄道車輌工業と自動車工業」など

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi



 【質問】
 トラクターのエンジン部分が機関車に換装されたということですか?

消印所沢 in mixi,2007年03月04日00:04

 【回答】
 Oui!
 大量生産されたT型Fordのエンジンは,成る程機構も簡単だったのですが,変速機が特殊で,運転に技術を要したため,武人の蛮用に耐えず,内燃動車にも余り使われませんでした.
 後に,1927年から生産を開始したA型Fordのエンジンで漸くまともな変速機が付いたので,軽量小型の軽便鉄道用内燃動車や,建設現場用内燃機関車の動力に使われましたが,それまでは,Fordsonのトラクタエンジンを輸入して動力に用いていたりします.

 ちなみに,1932年からA型に次いでB型のエンジンに切り替わり,1933年から輸出専用のC型エンジンとなり,1935年まで生産された訳ですが,生産が短期間だった割に,単純な機構であったが故に,これらのエンジンは多数が鉄道車輌用に使用されています.
 また,B型のエンジンは,日本でCopyされ「聖」と言う名称で生産もされました.

 更に,廃車になった自動車から取り外され,整備されて再使用されたエンジンも多く,戦後の産業用機関車でもこの手の機関を搭載したものが生産されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年03月04日09:24


 【質問】
 すいません,今Blogで小説書いてるんですが,どなたか,アメリカ軍のジープで一般的に戦後にMPが乗っていた車種とその排気量,エンジン形式,出来ればピストンの直径とストロークをご存知の方おられましたら教えて下さい .
 検索はしてみたのですが,意外なほど情報が少なく,お手上げです.
 日本軍の装甲車輌で,その車種のピストンと交換部品になりうるピストンをもっているかもしれない車輌を教えていただければなおいいのですが,解らなくてもこちらは自力でソレっぽい嘘をつける車輌を探してみようとは思っております .

 【回答】
 Willis MBに関しては資料が出てきませんでしたが,戦後すぐのCJ-3Bなら,ボア79.4mm×ストローク111.1mmです.
 これは,水冷4気筒で排気量2,199cc.弁配置SV方式で,60馬力を発揮しています.
 基本的に戦時中の型やFord GPWも同じだったはずです.

 日本の装甲車輌や軍用車輌はおしなべて,百式統制型発動機です.
 Willis MB/Ford GPWとは違い,Dieselですから互換性はありません.
 ちなみに,このエンジンのボアは120mm,ストロークは160mmで,2000回転で120馬力の予燃焼室式Dieselです.

 豊田のものでは,A型エンジンはChevroletの直列6気筒エンジンのほぼそのままのコピーです.
 それでも3000cc程度になっています.
 手元にあるのは,改良型B型エンジンの資料ですが,ほぼ同じとすると,ボア84.1mm×ストローク101.6mm.排気量3,386ccの水冷直列6気筒OHV方式で,85馬力でした.
 GM製のJeep型車輌は無いので,もしこういう車輌を使うのならば,Jeepではなくそれより一回り大きなDodgeのWeapon Careerが豊田のエンジン部品が使えるかもしれません.

 日産のものは,Graham-Pageのトラック用を移植したもので,NA型の場合,ボアは82.5mm×ストローク114.3mm.
 排気量3,670ccの水冷直列6気筒SV方式で85馬力を出しました.
 これも同様に,DodgeのWeapon Careerならエンジン部品が使えるかもしれません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/05/20(金)
青文字:加筆改修部分

 探したいなら,図書館なんかで「図説・四輪駆動車」を借りるといいと思うよ.
 米軍のジープの他に日本のくろがね四起も紹介されている.

軍事板,2005/05/20(金)
青文字:加筆改修部分


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