c

「WW2別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ

◆◆◆◆歩兵装備
<◆◆◆装備
<◆◆陸戦 目次
<◆太平洋・インド洋方面 目次
<第二次世界大戦FAQ


(画像掲示板より引用)


 【link】

「Togetter」◆(2012/12/02) じいちゃんが戦争の時に使ってたロシア語の教科書が物騒すぎてやばい

旧日本帝国陸海軍軍刀

『銃剣道』(塩原庫三著,アルス,1943)

 とうとうこんな物まで買ってしまいました.
 …このシリーズも奥が深い(笑
faq110814by.jpg
faq110814by2.jpg
faq110814by3.jpg

 こうやって見ると,長い三八式小銃に長いごぼう剣は,まるっきり槍ですね.
 確かに集団で刺突されたら,効果はありそうですが,機関銃の弾幕の前には…(V_V

――――――よしぞう maro' in mixi,2007年12月01日11:06

『小銃拳銃機関銃入門 新装版』(佐山二郎著,光人社NF文庫)


 【質問】
 WW2当時,日本陸軍歩兵師団1個は,標準状態で弾薬を何発持っていたのですか?

 【回答】
 とりあえず,日本の歩兵1人が通常持つ弾薬は,前盒(30発入り)2個と後盒(60発入り)1個で計120発.
 1個師団の歩兵連隊はたいてい3個で,1個連隊の小銃手の数は1264名だから,1時師団でだいたい4000名.
 つまり1個師団の小銃手が通常持っている弾薬だけで48万発.
 この他に軽機関銃などもあり,それらは大量の弾薬を持つし,各員が持つ弾薬の他に,部隊で持っている弾薬もあるから,1個師団があれば30万発どころかその数倍の弾薬を持っている.

軍事板,2009/06/11(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧陸軍の,背嚢・雑嚢の中身について,知りたいのですが.
 武器や弾薬ではなく,一兵士・一軍人がそれぞれ国から支給された装備品です.

 【回答】
 1941年9月の中国戦線での,ある歩兵部隊の装備品の例

携行口糧 甲 4日分
携行口糧 乙 1日分
缶詰       3
食塩       1日分
干魚       1日分
梅干       1日分
被服・日用品
弾薬盒    前2,後1
弾薬実包    120発
鉄帽(ヘルメット)
防毒面
円匙(スコップ)
飯盒
水筒
地下足袋

 その他に携帯天幕や外套を持つことも.

 日用品は洗面具(歯ブラシ,かみそりなど),裁縫道具,包帯包など.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 【参考画像】
日本軍歩兵の平均的な服装と装備
(画像掲示板より引用)


 【質問】
 中国大陸で鹵獲された兵器のうち,日本軍でも用いられた主な陸戦兵器を教えてください.

 【回答】
 中国軍からの軍需物資の鹵獲で喜ばれたのは,チェコ軽機ことZB26だと思われ.
 日本軍の11年式軽機関銃(平均200発で故障する)に比べ,無故障機銃の名をほしいままにした,世界的名機関銃.
 製造設備が鹵獲できたおかげもあって,わざわざ弾薬製造までされる.

 あとは,ドイツ製のPAK37も,ラ式37mm速射砲として愛用された.
 47mm速射砲が配備されるまでの日本軍の対戦車戦の切り札だな.
 94式37mmでは貫通できないチハの装甲を打ち抜ける.

◆yoOjLET6cE in 軍事板●初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 491
(重複スレッド)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 旧帝国陸軍は,ドイツ軍の小火器をライセンス生産しようとはしなかったのでしょうか?
 自主開発に拘らず,MP40とかMG34なんかをライセンスした方が良かったんじゃないかと思うのですが.

 【回答】
 モーゼル・スタンダード・モデル24式とチェコ製の同型銃を1938年に,準制式小銃として試験.結果,8,000挺を輸入しています.
 但し,大陸戦線で使用する場合は,防塵対策が不十分,安全性にイマイチ不安な点があることを挙げています.

 ついでに,License生産をするというのは,それなりにLicense費用が上乗せされ,数を揃えるのには不利になります.
 そのLicenseeがどれくらいかかるか判らないですし….
 ならば,機構だけ模倣して,独自に生産した方が安上がりだったりしますわな.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 大戦頃の話ですが,日本には,手で持って連射できる機関銃のようなものはあったのでしょうか?
 アメリカにはあったようですが.
 また,『プライベートライアン』を見る限り,アメリカの普通の歩兵が持っている銃は,引き金を引くだけで連続で撃てるもので,ドイツ軍のは撃鉄らしきものをいじって撃っていました.
 これは史実に沿うのか,また日本はどうだったのか教えてください.

 【回答】
 アメリカ兵はM1ガーランド小銃で,ガス作動式で,セミ・オートマチックで動きます.
 一方,ドイツ兵はボルト・アクション式で1発ごとに,ボルトを前後に操作して排莢と装填し発射準備をします.

 日本軍には100式短機関銃がありました.
 ドイツのMP-18のコピーです.
 数は少ないようです.
 海軍陸戦隊は,ドイツより購入したMP-18を持っていました.

 旧軍の小銃はボルトアクション式です.
 システムは19世紀のモーゼル銃を参考に,製造しました.
 最初は村田式小銃だったと思います.

一等自営業 :軍事板,2001/03/30(金)
青文字:加筆改修部分

 日本のと言うより,当時の歩兵の持つ小銃は,米国以外のどこの国のも,ボルトアクションという,一発打つたびに手動で弾を装填するタイプのものでした.
 ドイツ,イタリア,イギリス,ソ連,フランスしかりです.

軍事板,2001/03/30(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本が自動小銃や短機関銃を大量に用いなかったのは何故ですか? 怠慢?

 【回答】
 弾薬の消費が激しい自動火器を運用する余裕が無かったからです
 ちゃんと戦術研究によって短機関銃や自動小銃の有効性を認めていましたが,兵站への負担が大きく,全部隊での採用は事実上不可能である,と判断したのです,
 なので怠慢と言う一言で片付けるのは早計に過ぎると思います

 また一部の空挺作戦などで短機関銃を活用し,米軍が短機関銃を装備した部隊には注意せよとの通達が出された程です.

 自動銃と言う全く新しい兵器について,当時の人間は,機関銃のような火力を発揮する自動小銃と言う物を想起したと思います.
 これは現代の自動小銃そのものですが,機関銃と同等の火力を発揮する場合,必要な弾薬は,従来の歩兵小銃との比較で従来の20倍と胸算用した事でしょう.
 自動小銃は連発式の5倍,突撃銃は実に20倍の火力を持つと評価される所以ですし,実際全力で火力を投射するならそれくらいの弾薬消費となります.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 戦前に自動小銃を開発した銅金義一によれば,採用直前に兵器局で次のような遣り取りをしたそうだ.

「手動銃の発射速度は一分間に七発.
 自動銃といっても,全自動ではないんだ.
 半自動ということで,実用発射速度は一分間にせいぜい十一発か十二発にすぎない.
 いくらも違わないんだ」
「それなら,いまさら何もいうことないではないか」
「必要なときに集中発揮が必要なんだ.
 それが自動銃の強みというものだ.
 それくらいのことがわからないでどうする」
「作戦上のことなら,当方が専門家だ.いまさら,あんたの意見などに耳を傾ける必要はない」
どこまでいっても,議論は平行線を辿った.

――――――
 実用発射速度とは,命中させることを考えて設定した数字である.
 たとえ一分間に40から50発といっても,実際には一分間に十一発から十二発しか撃てないのだ.
 問題の製造費に関しては三八式歩兵銃の納入価格が四十五円のとき,自動銃の見積もり価格は六十八円であった.

――――――津野瀬光男著『幻の自動小銃』(光人社NF文庫,2006.5)から引用

 財政的な負担が不採用の大きな理由になったのは確かだけど,弾薬消費に関しては今日の目から見ると些か疑問が有るというところ.
 当時の陸軍は浪費すると思っていたけれどね.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 一応,昭和10年にピダーセン自動小銃をコピーした試作自動小銃・甲を作ってみたりはしています.

 また,日本軍がガーランドを鹵獲すると,それを元に4式自動小銃を開発しましたが,工業力の問題で模造に手間取り,実化に失敗します.
 進駐軍が,完成していた125丁を調査したところ,装填不良があったとか.
 完成していたとしても主力にはなりえなかったでしょう.
 このころには99式の生産すら間に合わなくなっていましたから・・・

モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2008/12/16(火)
青文字:加筆改修部分

 ちなみに,当時の列強諸国の主力小銃はボルト・アクション式で,M1ガーランドを全体に行き渡らせていたアメリカが異常なだけです.
 大陸側では
ソ連軍(モシン・ナガン),
中国軍(Kar98k),
仏軍(ルベルM1886),
英軍(リー・エンフィールド)
と,ボルトアクション装備の軍と交戦していましたので,小銃の面で互角でした.

 ドイツやソ連では,狙撃銃や火力集中のために自動小銃が使われましたが,ドイツのMG34やMG42はベルト式,ソ連のDP28は大容量マガジンで,扱いにくい面があったために,機関銃とボルトアクション式小銃の間を埋める火器が必要とされた面もありました.

 日本軍でも,第一次上海事変の際は軽機は分隊ではなく集中して使用されたことや,十一年式軽機関銃の信頼性の問題から,火力を集中発揮する狙撃銃(マークスマンライフル)として自動小銃が要求されています

軍事板,2008/12/16(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 「小銃 拳銃 機関銃入門」を読んでいると,日本軍の銃器開発では,問題に対して銃本体の改良でなく,新型の弾薬を用いることで対応することにしている場面がしょっちゅう出てきます.

 これは銃本体の改良がすでに手詰まりだったのもあるのかもしれませんが,補給面で問題になるといったことは考慮されなかったのでしょうか?

 読んでいるうちにもう,少し銃開発側でがんばって改良しとけば,弾薬の種類も削減できたんじゃないかな,と思ったのですが,どうでしょう?

 【回答】
 銃自体の改良ができればそれに越したことはないのですが,当時の日本における機械工作技術・冶金技術の水準を考えると,限度があったのも事実.
 誤解を恐れずに言えば,当時は拳銃小銃ですら,一丁一丁手作りの品物でしたし,
 同じ鉄でも,ドイツや米英のものとは品質ががた落ちでした.

 銃の開発史を見ているなら気が付いていると思いますが,日本オリジナルの設計というものは殆どありません.大抵のものが「〜を元とし」「〜をベースに」などと書いてあると思います.
 つまり,コピーだったわけです.
 本国生産の品物がうまく動いているのに,日本で作ったものはうまく動かない.
 そこで「改良」となるわけです.
 工作精度が低く,材質の悪いものであっても作動するようにつじつまを合わせる.
 その一環が弾薬の「改良」です.
 つじつま合わせである関係上,互換性など考慮する余裕がないわけですね.

 また,組織としての問題も大きいでしょう.陸海軍間の意思の疎通が殆ど無い点も,弾薬規格の乱立に拍車をかけています.


 【質問】
 山の中で戦前?の弾丸を拾ったんですが,これって売れますか?
 骨董品としての価値はないですか?

 【回答】
 弾丸が薬莢に嵌まって居て,撃発されていない,所謂実包(実弾)であれば,それは銃刀法で所持が制限されていますので,すぐに警察に届け,提出する事をお勧めします.
 弾丸のみ,或いは薬莢のみであれば,それは問題無く所持可能で,骨董的価値がある事も稀ですがあります.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s in 軍事板,2009/06/17(水)
青文字:加筆改修部分

 小銃だって雷管が生きていたら,戦前のもんだって爆発の可能性がある.
 でもって素人には,信管が生きているかどうかは,爆発させてみないとわからん.
 とりあえず警察に届けろ.
 マジで爆発するかもしれんぞ.

軍事板,2009/06/17(水)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本側の手榴弾の発火方式は,米軍のそれと比較して不利だったと聞きましたが,どの辺りが不利なんでしょうか?

 【回答】
 日本の手榴弾は,安全ピンを抜いた後に撃発板を打撃して,時限信管に着火させていました.
 日本の手榴弾は,スプリングで浮かされてる撃針を,叩くことで押し込んで信管に点火するようになってたからです
 だから叩き方が悪いと点火しない,なんてこともあったようで.

 米国式は投げる安全レバーを握ったままであれば,安全ピンを抜いた状態でも安全に保持出来ました.
 投擲してレバーが外れた時点で,内部の撃鉄が時限信管を打撃し着火する構造に成って居る為, 取り扱いが容易であった事が有利な点と成っています.

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s(黄文字部分)他 in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 支那事変で,日露戦争時に製造された手榴弾が使われた,というのは本当ですか?

 【回答】
 日露戦争時には,現地で急造した手榴弾はありましたが,軍で正式に採用した手榴弾はありませんでした.
 陸軍最初の手榴弾は,大正十年に欧州大戦の戦訓を受けて正式化された十年式手榴弾です.

 ただ,制式名称こそ与えられなかったものの,手榴弾という名称で陸軍の文書には出てきています.
 兵頭二十八氏の著書によれば,明治41年7月の陸軍のマニュアル「手榴弾用法」なるものがあるとか.
 それによると,30gの黄色薬の粉末を棒で突き固めて円筒状に紙で包みニスで防湿塗装した物をつめていました.
 弾殻は鋳鉄で,炸薬の劣化防止の為,外側と内側に漆を塗っていたそうです.
 しかし,着発式で使い勝手が悪く,また,不発も多かったため,歩兵には嫌われて,あまり使われなかったそうです.

 そのため,シナ事変までストックが残っていた,とか.


 【質問】
 陶器製手榴弾について教えられたし.

 【回答】

▼ 〔略〕
 太平洋戦争末期,深刻な鉄不足に陥った日本は鉄を節約するために,さまざまな物を陶器で作りました.
 そうやって作られたモノの一つが,陶器製手榴弾です.

 ってなワケで,

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <  『有田焼の陶器製手榴弾』 Get!
  /JベタJ   \__________


 サイズ的には,手に余る程度.
 肉厚なせいか,意外と重いです.

 さて,どうしましょうか……
 とりあえず,朝夕眺めて,こんなモノまで陶器で作らなければならなかった日本軍の極貧ぶりを嘆きましょうか? (w`;

faq070326hg.jpg
faq070326hg2.jpg

ベタ藤原 in mixi,2007年03月19日21:13

 こんなモノが届いた……

 オークションで狩って,代金振り込んだんだから,届いて当然と云えば,当然なのですが…… (w`;

 太平洋戦争末期,深刻な鉄不足に陥った日本は鉄を節約するために,さまざまな物を陶器で作りました.
 そうやって作られたモノの一つが,陶器製手榴弾です.

 
 ってなワケで,

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <  『信楽焼の陶器製手榴弾』 Get!
  /JベタJ   \__________

 形はアリタ・タイプと同じですが,アリタ・タイプよりも小柄.
 そのぶん軽いです.
 白いアリタ・タイプと違い,薄茶色の陶器の地の色.
 そして,信楽焼の狸を彷彿とさせるような茶色い上薬.

 小さくて,モノが手榴弾なんですが,信楽焼の特徴が良く出ている,ナカナカの逸品だと思います.

 で,コレの中,何か入ってるようで,動かすと,コロコロ音がするんですけどぉ〜 (w`;

 さて,どうしましょうか……
 本当に,どうしましょうか (w`;

faq070324hg.jpg
faq070324hg2.jpg

ベタ藤原 in mixi,2007年03月20日20:49

 こんなものが届いた……

 オークションで狩って,〔以下同文〕

 ってなワケで,

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <  『信楽焼? の陶器製練習用手榴弾』 Get!
  /JベタJ   \__________

 ぱっと見たは黒く金属製のように見えますが,九七式手榴弾と同じ重さに作られた練習用の陶器製手榴弾で,火薬等を入れられるようにはなっていません.
 大きさは手のひらに収まる程度で,形が形なこともあって,壷型の陶器製手榴弾よりも持ちやすいですねぇ……
 でも,練習用……

 備前焼にはこの他にも,パイナップル型の実用型陶器製手榴弾もあるのですが,これは去年11月あたりに 『なんでも鑑定団』 で人間国宝が作った物に16万の値が付いたせいで,ネット上ではバカみたいな値段がついています……

 いくら人間国宝が作ったものでも,16万で手榴弾なんて買わんって! (w`;

 床の間に飾れますか?
 お茶の席で観賞できますか?
 普通の骨董趣味の人に自慢できますか?

 と,云うワケで,現在確認してる陶器製手榴弾は,
・有田
・信楽
・備前
・瀬戸
・京
・波佐見
 の6種類.
 でも,京のオリジナルと,瀬戸,波佐見は見たことなひ……

 果たして,藤原は全種類コンプリートできるのでしょうか? (w`;

 あ,ちなみに,備前のパイナップル型は,大須観音骨董市で200円で売られていた模様〜

 
   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) <  骨董の値段なんてそんなモンよ!
  /JベタJ   \__________  

faq070324hg3.jpg
faq070324hg4.jpg

ベタ藤原 in mixi,2007年03月23日22:01

 こんなモノが届いた……

 オークションで狩って,代金振り込んだんだから,届いて当然と云えば,当然なのですが…… (w`;

 太平洋戦争末期,深刻な鉄不足に陥った日本は鉄を節約するために,さまざまな物を陶器で作りました.
 そうやって作られたモノの一つが,陶器製手榴弾です.


 ってなワケで,

   ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (・(・・)・) < 『二代藤田龍峰作の備前焼手榴弾』 Get!
  /JベタJ   \__________


 タイプ・アリタ,タイプ・シガラキと違い,第二次世界大戦中にアメリカ軍が使っていた,パイナップル型を模した形になっております.
 表面には茶色の上薬がかけられ,タイプ・アリタ,タイプ・シガラキよりも小型. 形が形だけに,丸いタイプ・アリタ,シガラキより持ちやすいですねぇ……

 このパイナップル型の陶器製手榴弾は一個一個を轆轤で回して作ったもので,またアメリカ軍が使っていた手榴弾のように表面にそれっぽく筋が書き込んであります.
 無駄に手が込んでいますねぇ (w`;

 で,備前焼手榴弾の底には数字が書き込んであり,その数字をみれば,誰が作ったものかが分かるようになっています.
 今回入手したモノの底には10の数字.
 これは,岡山県無形文化財保持者,二代藤田龍峰に与えられた番号で,手榴弾の底に10の数字が書かれていれば,二代藤田龍峰が作った証拠になるんですねぇ……

 そこの番号を見れば作者が分かる,って〜のは面白いもんで,人間国宝の山本陶秀作の陶器製手榴弾もあるそうで…… (w`;
 

 いよいよ残る陶器製手榴弾は,

・京
・瀬戸
・筒型練習用

 のあと3つ! (w`;
 

 でも,京と瀬戸は売っているの見たことナシ!

faq070603hg.jpg
faq070603hg2.jpg
faq070603hg3.jpg

ベタ藤原 in mixi,2007年06月02日23:14

備前焼の陶製手榴弾

有田焼の陶製手榴弾

信楽焼(?)の陶製手榴弾

(以上,「ベタ藤原コレクション」より)


 【質問】
 なんか昔,「間違えて膝撃ちして骨折するヤツ続出」みたいな兵器があったそうなんですが,詳しく教えてください.

 【回答】
 それは多分,太平洋戦争時の日本軍の装備兵器である「擲弾筒」のことだと思う.
 地面に底版を押し付けて固定するグレネードランチャー,というか小型迫撃砲だったのだが,Rのついた底版を見て
「これはこの部分を足に押し付けて固定して使うんだな」
と誤解したアメリカ兵が,捕獲したものを誤用し,腿の骨を骨折する重傷者が続出した.

擲弾筒
(画像掲示板より引用)


 【質問】
「日本軍の89式擲弾筒は,腹で反動を受け止める直射行っていた」
というのは本当ですか?
 腿に当てて撃ったら複雑骨折を起こすような反動を,腹で受けたら死ぬのでは?

 【回答】
 八九式重擲弾筒に平射用の射表が用意されていたのは確かで,その上,直射に使うことが確実なタ弾も試作されてたから,現実に直射が行われていたのは間違いない.
 だけど,実際にどうやって直射をしたのかはよくわからない.
 背嚢を前にまわして,腹に当てて撃つなんて記述を,どこかで読んだ気がするが,出所が思い出せない .

 大陸物の戦記で,新米将校が迫撃砲の直接射撃命じたら,「は?」って聞き返されたシーン見た覚えがあるな.
 それで後になって直射のやり方兵隊に教えたら,ウケたとかなんとか…

軍事板,2009/12/29(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日本軍の擲弾筒って,有効な武器だったの?

 【回答】
 日本陸軍はストークス式迫撃砲を採用しなかった.
 弾の補給が続くかどうかの問題ではなかったかと言われている.

 その代わり歩兵砲や山砲を,連隊や大隊に部隊を作って組み込んで支援していた.

 それらの砲の間隙を埋めるように,歩兵が使える間接射撃が擲弾筒で,どのように使ったかは佐々木春隆のNF文庫4冊物を読むといいです.

 ことに桂林の渡河では擲弾筒を,各大隊からまとめて集めて使う話が出てきます.

軍事板
青文字:加筆改修部分

▼ 迫撃砲を全く配備していなかったと取れる表現はまずいかも.
 兵站が弱い日本軍が,命中精度の低い迫撃砲の配備に,熱心で無かったのはそのとおりです.
 迫撃砲(九七式曲射歩兵砲など)自体は開発配備してたので,「配備量が少なかった」程度に留めるのがよろしいかと.

hiiragi in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2010年05月02日 11:57

▼ そもそも97式自体,ストークス迫撃砲とほぼ同じ構造の火砲なんですよ.
 日本は1932年に,ストークス迫撃砲の国内製造権と見本を購入しており,当時から少量を生産しています.
 それが1937年に97式として,制式化されたということです.

 大量生産をしなかった理由としては,1932年当時,すでに92式歩兵砲の生産が決まっており,わざわざ曲射砲を生産するメリットを見出せなかったためだと考えられます.
 92式は,曲射砲と直射砲の二種類の火砲を,一つにまとめようとして開発されたものなので,さらにこの上曲射砲を生産したら,92式の存在意義がなくなってしまいます.

極東の名無し三等兵,「軍事板常見問題 mixi別館」
2010年05月04日 20:17


 【質問】
 太平洋戦争でアメリカの火炎放射器で日本軍が酷い目にあわされたのはよく聞くのですが,日本の火炎放射器 九三式火炎放射器 などの太平洋戦争での活躍を聞いた事が無いので,どなたか教えてください.

 【回答】
 日本の火炎放射器は第一次大戦後,主に工兵が用いる機材として,独仏の方式を混合して試用していましたが,余り発達していませんでした.
 その後,陸軍士官学校でのテストで意外に利用価値があることが分り,独式を参考に火炎放射器を作り上げました.
 但し,これらの火炎放射器は秘密兵器扱いであり,大々的な活躍までに至ってません.

 最初の正式兵器である,九三式火炎放射器は,日華事変で用いられています.

 九五式五号火炎放射器は,マレー戦のスリム戦で用いられました.
 なお,コレヒドール作戦時にも装備されていましたが,実際に使われることはありませんでした.

 百式火炎放射器は,陸軍挺進練習部用に製造されたもので,スマトラのパレンバン製油所攻撃の際に,支援火器として投下されましたが,実際には使用されず,ビルマ作戦,南方島嶼戦の陣地攻撃に使用されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2

faq20j04f.jpg

よしぞうmaro' in mixi,2007年08月11日17:38


 【質問】
 日本軍は戦争初期には火炎放射器を多用しましたが,後期に使用しなかったのはどうしてなんでしょうか?

 【回答】
 大戦後期の日本軍も使用している.

 もともと火炎放射器は陣地攻撃用の兵器なので,日本側が陣地に篭る大戦後期では,多少活躍の頻度は下がったかもしれないが,主に対戦車兵器として工兵隊などが使用している.

 例えば,独立混成第58旅団工兵隊は,火炎放射器15器を装備しており,ルソン島防衛戦初期に,爆薬とあわせて米軍戦車隊を迎撃して,戦果を報じている.
http://www.geocities.jp/bane2161/dokukon58ryodan.htm

 同じくルソン島では,戦車第2師団工兵隊の装甲作業機も,火炎放射器をつんでる.

◆yoOjLET6cE in 軍事板
青文字:加筆改修部分

 あとな,火炎放射器は防衛戦には不向きなんだよ.
 一回放射すると位置が丸分かりになるから,あとはいい的だ.
 そんで1発ボンベに食らえば火達磨になる.
 そんなの陣地に置いとけるか?

◆iqK7ZoWK2. in 軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 太平洋戦争時に米軍は,火炎放射器を有効に用いて,洞穴にいる日本兵や民間人をいぶりだしましたが,日本軍は火炎放射器の攻撃に対する対策を取らなかったんでしょうか?
 狙撃兵に米軍の火炎放射器兵の燃料タンクを狙撃させる事を徹底させる等の対策は,日本軍には無理だったんでしょうか?

 【回答】
 まず,あれは「隠れてるものを燻り出す」為に行っているのではありません.
 物陰に潜んでいるであろう兵員,ゲリラを問答無用で「撃破」する為です.

 物陰,藪,洞窟等,人間が隠れていそうなところには片っ端から,実際に人間が隠れているかどうかの確認などはせずに,徹底的に行われていました.
 尚,火炎放射器と言うと「焼き殺される」イメージですしそういう映像が多いですが,殆どの人は,強力な火焔の燃焼に伴う局所的酸欠(洞窟に行われた場合は殆どこれ)や,周囲の物が燃える事による煙の吸引で死亡しました.

 で,アメリカ軍のマニュアルでは,
「火炎放射器使用時は,最低1名の自動火器を持った者が援護に当たる事」
等,火炎放射器を前線で対人掃討任務に使う際の規約を定めています.
 仮に日本軍が狙撃等で対抗しようとしても,逆撃に遭うのがオチだったでしょう.

 ただし日本軍は,敵将校や指揮官,通信兵等への狙撃は積極的に行い,米軍を相当に悩ませています.
 南方や沖縄では米軍には,
「将校は階級章を付けない事」

「指揮官はマップケースを携行してはならない」
等の狙撃対策指示が出ていました.
 それでもかなりの数の米軍将校が,狙撃で死傷しています.

軍事板,2005/01/24
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 サクラ・ヘルメットとは?

 【回答】
 満州事変のころに,日本陸海軍が使っていたヘルメットの一種で,モデルはフランスのアドリアン・ヘルメット.
 前面のフチが帽子の鍔のようにせり出しており,全体的にやや浅め.
 ヘルメット天頂部には開口部があり,その上にまるで5枚の花びらのような覆いが溶接されていたことから,「桜」ヘルメットと呼ばれるようになったとさ.

【ぐんじさんぎょう】,2008/9/21

faq20j02h.jpg

 写真左は海軍陸戦隊の連絡車.
 グリルカバーと錨&桜の金属章と海軍旗がイカします.

 右は極初期のサクラヘルメットを被った陸軍兵.
 トラックに鈴生りでなんだか物々しい感があります.

よしぞう(maro') in mixi,2006年12月20日01:43

 ひさしの長さがわかりやすいなら,こんな写真もあります.

よしぞう(maro') in mixi,2008年09月20日 22:49


 【質問】
 日本陸軍の制服について質問です.
http://www.geocities.jp/torikai014/jp/sejima1939-DSC00069.JPG
 右胸のMのマークってどういう意味があるんでしょうか?

 【回答】
 兵科などを示す胸章(色で兵科などを区別する).

 昭和13年に制定された「九八式軍衣」は折襟となり,「昭五式軍衣」以前(立襟)に襟に付けていた兵科などを示す襟章(通称「鍬型」)が廃止されたため,M字型の「胸章」を右胸に付けて区別することになった.

 兵科などを示す色は,歩兵【赤】,騎兵【萌黄】,砲兵【黄】,工兵【鳶】,輜重兵【紺】,憲兵【黒】,航空兵【淡紺青】,衛生部【緑】,など.


 【質問】
 最近読んだ架空戦記,「大日本帝国欧州激戦2」(高貫布士著)で,
「文字通り自分の足を使い,前線まで徒歩で行くのが,今までの歩兵の常識だった.
 そこで帝国陸軍では,小隊単位で軍靴を修理できる製靴工を養成して配属していた」
って記述を読んだんですが.
 これまでけっこう,当時の兵士の生活が書かれている本を読んだつもりだったんですが,全然に思い当たらずに,いささかショックを受けているんですよ.
 出典元の本とか思い当たる方,いないですかね?

 【回答】
 激戦場 皇軍うらばなし 藤田 昌雄 (著) かなんかに出てたかな?
 それなりに詳しく出てたはず.

 また,児島襄の「誤算の論理」にも,「靴と刀の誤算」って章で結構触れられてる.
 「歩104物語」ってのをもとに,日本製軍靴の品質の低さが嘆かれている.
 人体工学に合わせた改良が,同時代の米国製とは違ってなされておらず,草鞋に慣れた日本人には当時,サイズの幅が少ないこともあって,上海に派遣された第104連隊は,たちまち落伍者が続出した.
 補給が追いつかないので,軍靴の交換も行われず,行軍が主な中国本土では,あらゆる手段をもってして軍靴の保全を行ったが,それでも足への負担はひどかったようだ.
 更に,物資が不足する大戦末期では,靴の品質も悪化し,「補充兵より靴をよこせ」という声が上がった.
 南方でも同様で,英軍から鹵獲した米国製の靴を見て,従軍した伍長(歩104とは別部隊)は,
「陸軍は靴で敗北したというのが実感です」
と語った.
 要約するとこんな感じ.
 ゴムの地下足袋も夜襲には重宝したけど,ぬかるみでの行軍には適さなかったって書いてある.

(ただ,斥候に出るときとか,ゴム底の地下足袋はよく履いたみたいだね.
 写真見ると,橋梁爆破準備の工兵なども履いている.
 戦時中の国内写真を見ても,警防団とか,教練の学生とか,珍しいところでは捕虜収容所の警備兵も履いてる.
 単に物資不足というだけではなく,日本人がハマって作業するときは,編上靴や長靴よりよほど動きやすかったんじゃないかな.
 誰か書けや,『昭和史に見る地下足袋』(笑))

 あと追加で,当時の陸軍が採用していた靴は,明治38年に採用された軍靴を,縫い合わせ法のみ変えた改45式編上靴っていうやつだったそう.

 わかりにくい文章でスマン.
 この本ぐらいでしか見たことないので,もしかしたら資料に間違いがあるかもしれない.
 ただ,底本が架空戦記なら,作者がこういった実情を見かねて改変した事項なのかもしれない.
 その作者ってたしか,そういう小ネタに詳しい人じゃなかったっけ?
 この本でも靴を破損した兵士たちは,自分で補修していたって書いてあるし.

 一方,佐々木春隆本で,クツの野戦修理部隊が巡回してて,大変助かったという記述がある.

軍事板,2011/08/27(土)〜08/30(火)
青文字:加筆改修部分

 そう言えば,つい最近,『靴作りの文化史 日本の靴と職人』と言う本が出ていました.
 靴なので,余り気にもしていなかったのですが,よく考えると,軍靴というのも立派な西洋靴ですねぇ.
 その辺りの事も触れているかも知れません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 : 軍事板,2011/2011/08/29(月)
青文字:加筆改修部分

 わらじを編んだ話なら良く出てくるよ.
 南方で孤立すると,編上靴は玉砕時に温存して,木の皮をはいだ繊維とかで草鞋編み.

>靴とか服直しとかの生活に密着した技能を持ってた兵隊さん

 横井庄一さんを思い出すよね.

 でも,村で唯一の鍛冶屋が器用なものだから,3回も招集されて最後に戦死.
 鍛冶屋がいないので,農具や馬具が修理できず,大いに困った…といった話もよく聞きますよね.

軍事板,2011/08/27(土)〜08/30(火)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
>日中戦争には鎧兜に身を固めた日本兵がいたお
>写真も残ってるお

 ネタ回答はネタスレで.

 【回答】
 いや,実際あるんだ.
 〔略〕

軍事板
青文字:加筆改修部分

 大分の第47連隊機関銃隊所属の金丸高秋中尉とその甲冑の謎については,こちらの「兵器生活」サイトに詳しく紹介されています.
 未見の方は,どうぞ.
http://www.warbirds.jp/heiki/kanamaru2.htm

よしぞう(maro') in mixi,2006年09月29日 16:40


 【質問】
 太平洋戦争中の日本では竹槍訓練が行われていましたが,その訓練の起源・目的を教えて下さい.
 以前どこかで
「B29等が撃墜された際にパイロットを突く為」
との文章を読んで,なるほどそうかと思っていたのですが,実際に検索してみると,あまりにも
「竹槍でB29を落とそうとしていた」
との発言が多く,実際のところが解りません.

 あと,竹槍の武器としての性能はどの位のものでしょうか?
 制作コストや手間も低く,白兵戦だとスコップに匹敵する程には強そうに見えますが.

 【回答】
 1942年3月7日付の朝日新聞に以下の記事が掲載されています.

------------
 一億は全て武装せよ.
 今日の決戦は要求する.
 前線の将兵のみに戦いを任せて安閑としている時ではない.
 銃後も武装せよ,一億国民は一人残らず「撃ちてし止まむ」突撃に参加しなければならぬ.
 子らも起,女も武装せよ,
 父よ,夫を戦場へ,職場へ送った後,家庭は,郷土は婦女の手によって護られる.
 昨年の夏,村で体育錬成の運動会が催された時,千葉県夷隅郡中根村,五百名のお婆ちゃん,お母さんたちが,竹槍を握って,体操をして見せた.
 やんやの喝采であった.
 それが切っ掛けとなって,銃後の固めはこれで行きましょうとなった.
 他の女たちも率先して猛練習を開始した.
 村長さんが慌てた.
 郷軍分隊長が眼を回した.
 あちらの字から,こちらの里から指導員の分会は引っ張りだことなった.
 体操ではもの足りぬと,竹槍を振るっての銃剣術である.
 昨年の暮れには女子竹槍部隊が立派に編成された.
 女子青年学校の生徒が「えいっ」と呼べば,七十のお婆さんも,炬燵から飛び出して「さあっ」と応じる.
 もんぺに鉢巻,きりっと襷を掛けたのが,この部隊の制服,武装の竹槍は,いずれも背後の山から伐り出したお手製である.
 集合,行進,散会,突撃,全て実戦場を経験した帰還勇士に依って軍隊式にたたき込まれる.
 おなごどもが余りに熱心じゃ,ついつり込まれ男たちも働くわ,働くわ,近頃では田畑の増産目標もぐんぐん上がっとります.
 喧嘩も酒飲みも一ぺんに消えてしまった,と,村長さんは髭をしごきながら,おなごたちの突撃に眼を細くするのである.
------------

 千葉から始まった竹槍部隊の編成は,大日本婦人会の提唱で,1943年2月から各支部で竹槍部隊の編成が始まっています.
 どちらかというと鍛錬のためで,どうしようもないからせめてもの武器として竹槍で自衛しようと言う考えではないか,と思います.
 精神的なものが大きいのではないかと思いますね.

 なお,さる陸軍大将は,
「竹槍3000本あれば,ソ連軍をやっつけて見せる」
と豪語したそうです.

 ちなみに,竹は安価で日本各地で手に入ります.
 真竹の場合は,弾力があって粘性があり,槍の代用に適していました.
 英国のバヨネットと良い勝負ではありますが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/11/05(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 本土決戦では竹槍を主力兵器にしようとしましたが,まだ石での投石のほうがましだったんじゃないでしょうか?
 大体何故,竹槍なんでしょうか?
 竹で弓矢を作るという発想すなかったんでしょうか?

 【回答】
 現代でも弓道をやったことのある方ならわかると思いますが,弓矢というのはそのシンプルな構造に似合わず,兵力としてまともに運用できるようにするには,かなりの鍛錬・修練を必要とします.
 なので「弓矢を民間人に配る」というのは,あまり有効では無いと思います.
(余談ながら,戦国時代において火縄銃が画期的だったのは,威力や射程ではなく,弓矢の修練を積んでいない兵卒でも,火縄銃の習得は比較的容易だったことです)

 ついでに言うと,竹槍訓練の最大の目的は
「一般市民に(まがりにも)武器を渡し,訓練をさせることで,萎えかけた国民の戦意を奮い立たせる」
ことだったので,その意味では一番わかりやすく,素人や女子供でも扱いやすい「槍」という選択肢は,悪くないかと思います.


 【質問】
 日中戦争当時,中国でトンプソン短機関銃が生産されていたというのは本当ですか?
 中国兵がシカゴタイプライター持ってる姿が想像できない.

 【回答】
 基本的に2種類,1921年式Tompson手提機関銃と,1918年式Bergman手提機関銃の二種類が国産化(と言っても無許可国産化ですが)されて,各軍閥で使用されています.
 特に前者は,山西兵工廠にて月産1200挺,重慶兵工廠でも生産されました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/09/28(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 奉公袋って何?

 【回答】
 奉公袋とは旧日本陸軍において,入営または戦地に赴くとき,必需品を入れていった袋.
 B4版ぐらいの大きさで,布製.
 軍隊手牒,勲章,記章,適任証書,軍隊における特業教育に関する証書,召集及び点呼令状,機関銃歩兵砲射撃教販範,その他貯金通帳など応召準備,応召のために必要と認めるものを収容するよう,袋の裏側に記されている.
 また,このほかに「千人針」や,タオル・歯磨き・筆記具など身の回り品,さらには遺髪,爪袋,遺言書封入などが収められたという.
 在郷軍人は,常にこれらを用意しておくのがたしなみとされていた.

 【参考ページ】
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/houkouf.html
http://chie.okigunnji.com/2006/02/11-153803.php
http://tamutamu2011.kuronowish.com/houkoubukuro.htm
http://www.city.yamato.lg.jp/koucho/virtual/ihinbetu/ihin11/houkou.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/boobspinki2/35652424.html
http://www.library.pref.nara.jp/sentai/gallery001/gallery001041.html

【ぐんじさんぎょう】,2011/12/19 20:50
を加筆改修

浜松町のミリタリーコンベンション・Vショーで 〔中略〕 中身入り奉公袋があったので,珍しいと思い,すかさずゲット.

 軍隊の書類関係を入れるこの袋は,別に珍しい物では在りませんが,同一人物の名刺や軍隊手帳,除隊証明書が入っており,これは価値が在ります.

 また,今では見られない「武運長久」や「砲弾除け」お守りが幾つか入っていて,これも興味深いアイテム.
 神社やお寺は,全て兵隊の出身地静岡県のものです.

 そして,日の丸旗と一緒に袋に入っていたのが,このお守りチョッキ.
 腹巻きにした千人針は良く見ますが,こういうチョッキ型のお守りは珍しい.

よしぞう maro' in mixi,2007年12月20日03:48


◆◆◆◆機関銃


 【質問】
 日本陸軍には各分隊に短機関銃,軽機関銃の装備はあったのだろうか?

 【回答】
 日本陸軍の歩兵分隊には分隊あたり一丁の軽機関銃が配備されてましたです.

 短機関銃は一般の歩兵部隊には配備されず,空挺隊のような特別な部隊で使用された例が殆どでした.
 例えば,昭和20年の義烈空挺隊は,総勢120名中,四分の一に当たる30名が100式短機関銃を装備していました.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)


 【質問】
 戦局が怪しくなったことに中部太平洋に派遣された師団の編成を調べていたのですが,大隊の下に機関銃中隊がありませんでした.
 そこで質問なのですが,
1,これは編集者や執筆者のミスではなく,本当に機関銃中隊を持たなかったのですか?
2,本当だとすれば,なぜ機関銃中隊を編成からはずしたのですか?

 【回答】
 機関銃中隊は編成に存在します.
 後方警備部隊でも編成表上にありますし,本土決戦用師団でも存在しています.

 但し,資料にある時点が,派遣された先での編成というものであれば,機関銃中隊の欠落は十分考えられます.
 と言うのも,日本の船舶輸送では,兵士は兵士,装備品は装備品,弾薬は弾薬という形で分けて 輸送していました.
 欧米の場合は,兵士,装備品,弾薬,車輌などが或程度一定の比率で分けられていますが,これには無駄なスペースが出来てしまいます.
 日本の船舶にはそんなに余裕がないので,出来るだけ,単一のものを輸送する傾向にありました.
 で,なるべく,それに関連する人員も乗せるようにしています.

 そんな時に,ある船舶が沈んだらどうなるか.
 例えば,其処に機関銃中隊の装備が搭載されていたら,機関銃中隊諸共装備は失われる訳です.
 フィリピン向け輸送船団ヒ81なんかそう言う典型例ですね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/06(木)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 日中戦争の頃日本軍が使っていた,機関銃のデータと,その弾のデータ教えてください.
 特に重さと,一丁の銃が使えなくなるまで何発くらい撃てたのかを.

 【回答】
 *十一年式軽機関銃
全長:110.0cm   銃身長:44.3cm
装弾数:30発(6個の挿弾子)   重量 :10.3kg
6.5ミリ口径の三八式歩兵銃実包を使用.銃身命数20.000発.
ただし,それ以前に薬莢の焼き付きや装弾不良・排莢不良などの故障が起こる率が高い.

 *三年式機関銃
全長:120.4cm   銃身長:74.2cm
装弾数:30発(保弾板)   重量:54.1kg
6.5ミリ口径の改正三八式普通実包.銃身命数25.000発,機関部寿命約12万発.

 他に,中国軍から捕獲した物も多い.かの有名なZB26軽機関銃とか.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)



 【質問】
 マガジンタイプだとドイツのMG34のような大量火力は発揮できないですかね.
 どれぐらい実弾を携帯していたのでしょう?
 【回答】
 九九式よりも古い十一年式の場合,歩兵で鉄板製の弾薬匣に小銃弾120発,
 それが無い場合は,麻布製の弾薬嚢(本来は弾薬匣を包んで運搬するもの)に小銃弾150発.
 これらは弾薬手が運搬していました.
 自分で携行する場合は麻布製の弾薬盒に小銃弾60発を入れます.

 騎兵の場合は,木製の弾薬箱に360発の小銃弾を収容します.馬一頭につき,これを4箱駄載します.

 射撃に関しては,あくまでも突撃時の支援火器として使用するもので,歩兵に随伴して火力支援を行ないます.
 但し,ドイツのものとは考え方が異なり,面制圧ではなく,拠点制圧として使用していました.
 目標手前400〜500mで5発点射,300mなら3発点射が標準になっていました.

 日本に於いての軽機関銃の使用は,歩兵と共に機関銃手も突撃し,歩兵の突撃に邪魔になる目標を狙い撃ちする為のものです.

 従って,機関銃手が多量の弾薬を携行していたら,歩兵の突撃について行けず,有効な支援が出来ません.(一応,手持ち弾薬は弾薬盒のうち,30発入り前盒を2個ぶら下げ,背部に60発入後盒を持っているので,携帯弾薬定数は120発.これに,軽機関銃弾薬手が金属製の弾薬箱(120〜150発)を抱えると言う形ですが)

 一回の突撃で,数回5発ずつ発砲するとしても半分くらいは手持ち弾薬が残るという計算でしょうか.

 実弾に関してはその生産量が急激に増えた訳でもなく,出来るだけ節約する方向にありました.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 私の爺さんは陸軍の高田58連隊の弾薬班の兵隊で,インパール作戦(インパール戦時は上等兵)に参加したんだけども,弾薬班というのは具体的に何をする兵隊さんなの? 爺さんは馬を引いてたと言っていたが,弾を運ぶだけ?

 【回答】
 良くぞ生き残られましたなぁ……∠(^_^;

 さて弾薬班とは,弾薬の消耗の激しい重・軽機関銃に弾薬を運搬する専門の班です.
 機関銃分隊は8名の人員で構成されてますが,この半数の4人が専門に弾薬を運びます.
 また,機関銃中隊には弾薬小隊があります.
 重機関銃の運搬には馬が用いられており,弾薬運搬にも使われていました.
 戦時には携行分だけでは間に合わないため,弾薬小隊が前線と後方を駆け回って補給を行います.
 弾薬班の兵は小銃を携行せず,銃剣を携帯するのみだったと思います.


 【質問】
 祖父から聞いた話なのですが,旧軍の30年式銃剣は,普段刃がついていないと言うのは本当ですか?
 それと黒塗りとそうでないのがありますが,造られた時期は同じなのでしょうか?

 【回答】
 平時には,破損しないように刃はつけない.出征前に旋盤なんかで刃付けする.

 30年式銃剣は当初は白磨き.大陸戦線ではほぼ白磨き.
 その後昭和14年ごろから段々黒染が基本になり,昭和16年ごろになると全て黒染に.
 これは,敵(米国)の強力な照明装置に対応するため.
 日本陸軍内部でも,白刃のひらめきが敵に畏怖を与える効果があると主張する者もいたそうだが.

剣恒光 ◆yl213OWCWU他

▼ この回答で旋盤という言葉が出ていますが,工作機械としてはその用途に不適当かと・・・
(通常,それは工作対象物が回転してそれにバイトを当てて削る物ではないのかなあ?)
 グラインダー(研削盤???)とかでしたら,話が通じますか(要確認)

bugaisha in FAQ BBS,2009年9月3日(木) 22時5分
青文字:加筆改修部分

旧軍写真の一枚
故郷に送るために完全装備で撮ったものでしょうか.

銃剣突撃
戦前の講談社絵本43「支那事変美談」(昭和12年)より

よしぞうmaro' in mixi,2007年07月15日00:17


 【質問】
 旧日本軍の軍刀って戦場では,便利な刃物として重宝されたのでしょうか?
 それとも将校の威厳を示す象徴としてのみ存在したのでしょうか?
 『きけわだつみのこえ』では,軍刀で現地民の捕虜を斬殺するので.
 密林を行軍する際にも,生い茂る熱帯植物の啓開に役立ちそうです.
 野戦時の料理にも使えそう.

 【回答】
 基本的には「将校の威厳を示すもの」.
 陣頭に立って指揮をする際にの目印になる,という実用的な意味合いはあったし,「近接戦闘用白兵戦武器」としてはそれなりに優秀なものだったけど,近代戦で使うものではなかった.

 にもかかわらず日本軍が軍刀に拘ったのは,世界的な流れだった「近接戦闘用自動火器」(要はサブマシンガンの事)を整備・運用する余裕が国になかったことと,何よりも「刀を持っている=士分(侍)である=エリートである」という思想から抜け出せなかったから.

 ま,下っ端とはいえ侍が作った「近代日本」だったのだから,仕方がない.

 それから「支給」されるもんではなく,自費購入だ.

 尚,軍刀はジャングルを啓開するためには役に立たない.
 すぐに刃こぼれする.
 また,昭和新刀は磁気を帯びていたりするのでコンパスの表示を狂わせ,部隊が遭難したりした例が後を立たない.

 草を刈り払うときはちゃんと鉈や鎌を使った.
 南方で草刈りには使われたこともあるが,現地人の山刀の類のほうがより適当だったようだ.

軍事板,2009/09/08(火)
青文字:加筆改修部分

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 なんで日本には銃剣をつけれる機関銃があるのですか?

 【回答】
 日本陸軍が軽機に銃剣をつけたのは,銃剣を装着することができない11年式では,銃剣突撃時は白兵装備が心もとなくなってしまったから.
 また,相手の顔が見えるほど接近した至近距離での戦闘では,万が一の自体が発生した時に,攻撃手段を完全に失ってしまうとパニックになり,トラブルへの対処が遅くなってしまう.

 「銃口に重りをつけることで命中率増大を狙ったから」という説もある.
 最初から銃口を重くしたのでは携帯のさいに不便です,しかし兵隊なら全員が持っている銃剣を利用すれば一石二鳥,というアイディア.
 戦後に行われた実験でも,その様な効果が有る事は確認されている.
 しかし,
「設計段階において,発射ガスが銃剣と干渉して命中率の低下に繋がらないように研究が行われた」
もしくは,
「設計段階から銃剣を錘として用いる事を想定した」
という様な,当時の資料等があって然るべきだが,その様な資料に触れた記事などは見受けられない.

 また,銃口より噴出したガスが銃剣と干渉して命中率低下を引き起こす事もあった.

 ちなみに自衛隊の64式小銃の銃剣も他国に比べて長く,銃剣の長さを巡っての,幹部達の決闘騒ぎまであった.

軍事板 & 遠吠えするいぬ in mixi支隊(青字部分)

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 旧日本陸軍の機関銃で,給弾機構がベルト式のものが無いのは何故なのでしょう?
 モデルとなった機関銃がホチキス(保弾板式)やシュコダ(弾倉式)で,ベルト式がない,という単純な理由でしょうか?
 或いは日本の工作精度の問題で,ベルト式を使いたくても使えなかったのでしょうか?

 【回答】
 まず真っ先に問題になったのが,弾薬規格が複数存在し,どれかに統一する事から始めなければならなかったという大問題があり,またベルトリンクの製造に必須な鉄板プレス技術が未熟で,これの量産化が困難だったのと,リンク式の機関銃を全面的に運用可能なほどの弾薬の量産の目処がつかなかった為に,低発射速度の従来型機関銃の運用を余儀なくされた,と言う理由がありました.
 理想的だったのは,ドイツのMG系列の量産化だったのですが・・・

三等自営業 ◆LiXVy0DO8s,2007/02/03(土)

 一応,満州国境などの永久陣地用に,「九八式水冷重機関銃」と言うのが実用化されています.
 これは,ヴィッカースに範をとった機関銃で,布ベルトを用いた給弾機構を持っていました.
 この機関銃は量産され,一部は輸出されていますし,航空用機銃などでは,昭和初期からベルト給弾式のヴィッカース式機関銃が量産に移っています.
 これより,製造に技術的問題があったとは考えにくいです.

 ここからは想像に過ぎないのですが,おそらく通常の空冷式機関銃では,ベルト式を用いると冷却が間に合わないのでしょう.
 ドイツのMG42などでは,銃身交換を簡単にすることで,この問題を解決していましたが,日本でその方式を知らなかったか,知っていたとしても製品化に結びつくには時間が足りなかったんでしょう.
 これなら,3年式重機関銃以降使われている空冷の方が,技術的蓄積がある分,使いやすかったんでしょうね.

http://www.warbirds.jp/ansq/41/D2001661.html
も参照してください.


 【質問】
 なぜ日本軍は12.7mm口径の陸上用重機関銃を造らなかったのでしょうか?

 【回答】
 車両に積んだものとしては存在する(九二式13mm機関砲)
 あと,名称こそ「自動砲」だが,対戦車用に開発した九七式20mm自動砲というものもあった.

 どちらも,兵が担いだり分解して持ち運んだりするのが大変なわりには威力が低い,として日本軍は小口径の曲/直射砲の方に力を入れ,大口径機関銃はあまりかえりみられることはなかった.

軍事板

▼ 当時の陸軍では,重機関銃の弾薬は6.5mm×50弾を使用でき,射程距離も2kmあれば十分としていた.
 というわけで三年式機関銃を使用.

 それでも他国の重機関銃と比較すると威力不足で,対空能力も劣ってたんで,7.7mmにした九二式重機関銃が開発される.
 九二式は命中率が高く,評判で,米軍からも極力注意しろと言われたそうだ.
 日本軍にとってはこれが使いやすかったということで,次の一式重機関銃も7.7mmだった.

 まあ,九三式十三粍重機関銃なんてものも一応開発してるけど,日本の当時の重機関銃のドクトリンに適合したのが7.7mmというわけだったから,ということらしい.

軍事板
青文字:加筆改修部分

 一方,米軍の.50口径機関銃は元々は観測気球や小型の飛行船を撃墜するための「対空砲」として開発,装備された.
 しかし実戦投入しても本来の用途に使われることは殆どなく,むしろ「小口径の歩兵砲として」使われることが多かった.
 飛行機が戦争に使われるようになると,本来の対空砲としても活躍し,
「手軽な対空対地両用の支援兵器」
として装備体系に加えられた.

軍事板


 【質問】
 十一年式軽機関銃って何?

 【回答】
 十一年式軽機関銃は,日本陸軍が初めて制式採用した軽機関銃であり,1922年(大正11年)に制式採用された.
 南部麒次郎が設計したもので,1941年までに総数29,000挺が生産され,太平洋戦争でも全戦域で使用された.
 歩兵が装備する小銃と同じ弾帯を使用でき,また,銃床が銃把部に連結しているスタイルが特徴.
 よくジャムったそうだけど……

 【参考ページ】
http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/m_gun/11lmg.htm
http://www.japaneseweapons.com/kikanjyu/ex02/index.htm
http://military.sakura.ne.jp/army/rifle/jp_11lmg.htm
http://gunsight.jp/c/sight-3D%20Type11LMG.htm
http://www1.odn.ne.jp/tobu7757/J_wsd/armydate/weapon/lightmachinegun.htm

faq20j04m11.jpg
(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Japanese_Type_11_LMG_from_1933_book.jpgより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2009/9/25 23:00
に加筆

日本に輸入されたホイペット戦車(上)とルノーFT戦車(下)の着色絵葉書

 11年式軽機関銃を撃つ射手の横で,捕虫網の様な薬莢受けを持つ兵士がいるのが面白い.
 もうカートキャッチャーという発想があったのですね.

よしぞうmaro' in mixi,2007年07月27日01:10


 【質問】
 一式軽機関銃とバリエーションの画像を探しています.
 どちら様かお持ちではないでしょうか?

 【回答】
 ここは見た?
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/type1lm.html

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 92式重機関銃とは?

 【回答】
 皇紀2592年(昭和7年)に採用され,終戦まで使われた,日本陸軍の重機関銃です.
 チェコ製のホチキス機関銃を参考にして,3年式重機関銃(6.5mm弾)を7.7mm弾仕様に変更しました.
 光学照準器(スコープ)を採用していたため,遠距離での命中精度がかなり高く,自衛隊が発足したときに,「92式重機関銃を採用しよう」という声も出たそうです.

【ぐんじさんぎょう】,2008/9/12 20:30

 館山海軍砲術学校の九二式重機関銃の操作/用兵マニュアル

 こういったマニュアルは好きであると買っていますが,240ページの図解付き解説は読みごたえがありました.
 おそらく陸戦隊の訓練に使われた物だと思われますが,陸軍のマニュアルから図版やテキストを流用している様で,先日入手した海軍陸戦参考書の図の兵隊
http://8917.teacup.com/fulmine1944/img/bbs/0000358.jpg
と異なり,これは陸軍服を着用していました.

よしぞう(maro') in mixi,2006年12月20日01:43


 【質問】
 九二式重機関銃っていくらだからって重すぎない?
 他国の同種のものと比べても相当重い.
 何であんなに重くなっちゃったの?

 【回答】
 重機関銃の本来の用途は,堡塁に機関銃を据え付けて,長時間射撃する防御用の目的だったりするので,射撃の安定性と,大きな射程を両立させ,更に長時間射撃を可能にする必要がありました.
 よって,移動については陣地転換の際に行うくらいと考えて,三分割して駄截(馬に載っける)式として,長めの銃身と,長時間射撃を可能にする放熱筒を大きくして冷却効果を増した為に重くなりました.
 …と言っても,MG08とかMaximのそれ,M1919とかと比べると遙かに軽い訳ですが.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2007/08/23(木)
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆軍刀


 【質問】
 帝国陸軍は下士官まで皆軍刀を持っていましたが,あれは日本刀ですよね?
 そうなると,軍全体で装備している日本刀の数はものすごい数になったと思うのですが,どうやってそれだけの日本刀を生産していたんでしょうか?
 日本刀は,そう簡単に作れるものではないと思うのですが・・・.当時の日本にそんなに大量の刀鍛冶の人がいたとも思えませんし・・・.

 それとも見た目が日本刀型なだけで日本刀とはまったく別のものなのでしょうか.

 【回答】
 日本刀というのは間違いと考えた方がいいかもしれません.
 旧軍の九五式軍刀は無垢材を機械的に鍛えられているはず.
 構造的には普通の日本刀よりずっと頑丈で,生産性を考慮した一発焼入れ.
 仕上げは良いとは言えませんが,戦場で使う刀としては非常に洗練されていました

 いくら日本の工業力が低いといって,もそれくらいの数は作る能力はありました.

 刃物は腕のいい職人さんが魂こめて作り上げるものだという考え方が,ちょっといきすぎているかもしれません.軍刀はしょせん軍刀にすぎません.
 美術的価値まで求められる観賞用の名刀と同等に論じられるべき物ではありません.

 余談だが,以下のような話もあることから,旧軍においては

鉄としての材料>日本刀

という価値観だったのかもしれない.

 祖父からボロボロの木刀をもらったんだが,実は偽装した銘刀だった.
 何で木刀に装ってるのかと聞くと
「金属回収から刀を守るため」
と言っていた.他にも,庭に埋めたり,天井裏に隠したりと大変だったらしい.

 ただ,当の金属回収は一度もこなかったそうだが.

(生活板)

faq20j07.jpg
http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/より引用)


 【質問】
 軍刀には刃がついているの?

 【回答】
 ついていたと思われる.

 「旧日本帝国陸海軍軍刀」というサイトに,

 この軍刀身の材料は普通鋼に比して更に軟かい.けれども「撓(しな)ひ鋼」を適當に鍛錬して刃部に用いました.
 これは所謂「甘斬」を主とすると共に刃に耐久力を持たせたい意味であります.
 又棟部は「卸鋼(おろしがね)」の焼が入るか入らぬかと言ふ程度の軟らかいものを適當に鍛錬して用ゐてあります.

http://www.k3.dion.ne.jp/%7ej-gunto/gunto_107.htm

とあるように,最初から刃を入れて出荷していた模様.

 ただし,指揮用として使用された,刃のつけられていない模擬刀身の軍刀「指揮刀」もあった.

 なお,余談だが,銃剣のほうは平時には刃はついておらず,「銃剣刃付け」と言う実戦前の儀式が旧軍には有ったそうな.
 戦時は工場で刃をつけて支給されたそうだが.


 【質問】
 軍刀持てるようになるのって尉官から!?

 【回答】
 下士官刀もある.
 これは曹長に下賜されたものだが,歩兵の下士官では,参謀本部付や永年勤務(6年)で英外居住のベテラン下士官以外はつけなかった.
 砲兵,輜重兵の下士官,憲兵(伍長まで)は常に佩用.
 32年式改軍刀は俗に曹長刀と呼ばれた.
 第二次大戦末期になると,95式軍刀が伍長まで支給された.

軍事板,2005/03/21
青文字:加筆改修部分



 【質問】
 整備兵はスプリング刀持ってなかった?

轟龍 ◆8BJpqEBUCM :軍事板,2005/03/21
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 スプリング刀ってのは,鈴木真哉が書いていたもので,成瀬間次氏の刀工出身の下士官が,自動車のスプリングを材料に作ったという.
 かなり作られたとあるが,どのくらいか分からないし,いずれにしても制式装備じゃない.
 元々は,軍の工場の工員が何も武器を持ってないから作ったそうだが,まぁお目こぼししてくれたんだろう.

軍事板,2005/03/21
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 COD5で旧日本軍が敵役として登場するらしいですが,なんと藪から刀で斬りかかってくるそうです(笑)
 実際の日本軍はそんなアホなことしませんよねぇ?

 【回答】
 別に日本軍でなくても,状況次第では藪から刀で斬りかかることはあるでしょう.
 アホな事かどうかは必要性,必然性で決まります

 旧日本軍について言えば,三十二年式,同改(仮制九一式),九四式,九五式,九八式などの各種日本刀型の軍刀を制定しており,それは終戦まで生産・使用されていました.
 これらの一部は,東南アジアやニューギニア,南方島嶼の各戦場で使用されています.

 日本陸軍の将校の場合,小銃を持たず軍刀と拳銃を装備していたので,小銃を撃つことはありません.
 小銃がなければ銃剣も使えないわけで.
 夜間の浸透攻撃とかであれば,たとえ拳銃を持っていても「音を立てるのを嫌って」軍刀を使うケースはままありました.
 部下の兵は銃剣です.
 軍刀を指揮棒のように使ってましたから,傍からだと日本軍の指揮官は銃を持たず,軍刀を振り回しているように見えるでしょうね.

 島嶼の争奪戦になると,日本軍は補給で苦しめられ食糧弾薬の欠乏は常態化しましたが,
「これ以上,軍隊としての組織を維持できない」
となると,上級司令部に決別電報を打って最後の攻撃をかけました.
 玉砕を目的としたバンザイ突撃です.
 温存した最後の弾薬が使われることもありますが,すぐ使い切ってしまうので結局は兵は銃剣,将校は軍刀で藪から飛び出すことになったでしょう.

「藪から刀で斬りかかってくる」
という事象だけを指すのであれば,日本陸軍では充分ありえた,もしくは実際に行った事です.

軍事板
青文字:加筆改修部分


◆◆◆◆拳銃


 【質問】
 日本陸軍では将校の拳銃は自前だったようですが,拳銃である以上特に制限は無かったのでしょうか?
 また,どの拳銃が持たれる事が多かったのでしょうか?

 【回答】
 一応,将校が購入する拳銃としては,南部式,14年式といった国産自動拳銃が主だったようですが,
前者は威力が足りず,価格が高くて品切れ状態,
後者は大型で重すぎ,しかも価格が高い
と言ったモノでしたので,モーゼル,ブローニング,コルト,ベルグマン,パラベリューム,エキスプレス,ハーリントン,アストラ,ユニオン,ローヤル,スター,シムソン,ダントン,ベラー,コンチネンタル,レジナ,ベアード,ビッカース,デモン,ジュピター,ウェブリー,マンリッヘル,グリセンチ,レキザーなど,東西の拳銃なら何でも購入し,装備していました.
 そのため,兵器部や野戦兵器廠は大変だったそうです. 有名どころは兎も角,それ以外のものは使用に耐えうるか,現品を見て,実包を装填し,検査しないといけなかったりするので.

 基本的には,国産以外なら,ブローニング,コルト,モーゼルが好まれたみたいで,特に大陸ではモーゼルが生産されていたことで,部品の供給も容易で,しかも威力があるため,これが結構好まれたりしています.
 前二者に関しては,航空兵が好んで装備していたようです.
 また,蘭印占領時にルガーが3000丁鹵獲されています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/01/19
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 軍刀の柄が拳銃になっている武器を,日本で作っていたような記憶がありますが,何が目的だったんですか?

 【回答】
 試製軍刀付き拳銃ね.
 騎兵に持たせるとき,二つもよりかさばらない,という発想.
http://www.vesta.dti.ne.jp/~pickles/unchiku/siseikenjuutukiguntou.html

 これ,当時の一時期,儀礼用として各国騎兵の間で流行ったのにも乗っかっているんだよ(笑).
 金銀で装飾された,この手のものは結構ある.
 実用性皆無なんでいまだとバカっぽいけど,第一次大戦前の他国の陸軍だと,貴族様の嗜みとして帯剣求められたりした為,でっち上げられたという話もある.

(画像掲示板より引用)


 【質問】
 明治や大正時代に,拳銃は一般所持が可能なモノだと聞きましたが,これは国などの許可なしに,一般人でも所持可能だったのでしょうか?
 あと外国人が所有可能だったかも知りたいです.

 【回答】
 戦前,特に大正時代から昭和初期には,個人でかなり自由に拳銃が購入できた.
 取り締まる法律はあった(「銃砲火薬類取締法」(明治43年法律第53号))が,実際には「住民票などを提示すれば購入できる」レベルの制限に過ぎなかった.
 昭和10年代だと,大卒初任給が70円の時代に,94式拳銃の値段は80円.

軍事板,2008/08/30(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前の日本国内での拳銃所持は合法だったと聞いていますが,誰でも買うことができたのでしょうか? あるいは何らかの許可制だったのでしょうか?
 または軍人や警察官を除いては,合法ではなかったのでしょうか?

 【回答】
 国家総動員令が施行された昭和14年9月11日以後敗戦まで,銃刀法は事実上の凍結.
 戦前は銃刀法が厳密に適用されなかったので,民間人でも許可を得ずに普通に銃を購入することができたし, 所持している民間人も多かった.
 許可を得ず拳銃を所持していた民間人では,小説家の江戸川乱歩,俳優の榎本健一が有名.


 【質問】
 日本陸軍の将校は,私物拳銃としてブローニングベイビーやM1910等を多く使用していたらしいですが, これらの弾薬補給,特に戦地での弾薬補給はどのようにして行っていたのでしょうか?
 所詮将校の拳銃なんて使うこともあまりないだろうから,補給の要などないのかもしれませんが.

 【回答】
 中国大陸では民間の銃砲店が輸入拳銃とともに弾薬を扱っており,将校が私物で携帯する程度の弾薬なら購入できました.
 ただ,入手の難易はあったようで,例えば生産数の少ない,南部式小型の7mm南部弾などとなると,殆ど入手を期待できなかったようです.


 【質問】
 南部拳銃ってなんか威力が低いそうですが,
(あくまで,外国の大型拳銃に比べてのはなしですが)
理由は使用弾薬にあるのでしょうか?
 それとも銃の構造にあるのでしょうか?

 【回答】
 使用弾薬のサイズが各国の拳銃より小型だから.
 8mm南部弾は一般に中型拳銃のカテゴリになる.
 ドイツの7.65mmパラベラム弾に相当するが,ドイツ軍は威力に不満で一回り大きい9mmパラペラムを開発する.
 これが軍用拳銃の標準になった.
 当時のアメリカはさらに強力な,.45APCを使用するコルト.45を制式にしてたが,これはちょっと強力過ぎたので現代では9mmパラを採用してる.

 こう書くと十四年式拳銃の性能が低いように聞こえるだろうけど,一概にそうでもない.
 威力と比例して反動も強くなるので扱いにくくなるし,拳銃も大型になる.
 拳銃はあくまでも自衛用(自決用)なので,必ずしも威力にこだわる必要は無いわけ.
 グリップ細いから掌が小さい人でも握りやすいし.

モッティ ◆4yqby7RT36 in 軍事板,2009/08/02(日)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 特高警察の所持していた銃も,当時の普通の警察と変わらない状況だったのでしょうか?
 公務を執行する相手がてこずりそうな場合,京都亀岡の大本教本部爆破のように,陸軍と共に出動という事になるのでしょうけど,そういった場合でも銃の携行は無かったのでしょうか?

 【回答】
 特高警察の捜査員は,普通の警官と違い,始めから支給されていました.
 支給されてたのは世界各国の拳銃です.
 制式採用は国産の拳銃だったのですが,軍隊ですら拳銃が不足していたためです.
 でも,小型の自動拳銃は,当時の日本人の体形にぴったりだったようで,戦後GHQが一般警察官にも拳銃を携行させるよう,日本政府に促したところ,国産の拳銃は(南部式等)ことごとくダメを出されましたが,ブローニング等は許されたそうです.
(ローカルでは国産の拳銃を,やむなく使用していたらしい)

軍事板,2001/06/17(日)
青文字:加筆改修部分


目次へ

「WW2別館」トップ・ページへ

「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ