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「愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記」■広島原爆に限らない「被爆者差別」について
「最近の判決」☆(2010/07/20) 長崎地裁;2人を原爆症認定,賠償は認めず 長崎第2陣訴訟
『岩波写真文庫アーカイヴス 立ち上がるヒロシマ1952』(岩波書店編集部編,岩波書店,2013/7/27)
【質問】
広島長崎は原爆で放射性物質が撒き散らされたのに,なんで何十年も人が住めなくなるってことがなかったのですか?
▼ 原爆の放射能の件なのですが,チェルノブイリ原発事故なんて,今でも強い放射線で,数百年は半径何メートルか立ち入り出来ないと聞きました.
原爆の場合,放射線で数百年危険とか言うことは,なぜないのでしょうか?▲
【回答】
広島や長崎の場合,原爆は空中爆発だった.
そのため半減期の長い,危険な放射性物質は,高空に巻き上げられて薄められた.
一方で残留放射線は,時間とともに指数関数的に減少する.
そういう理由で,長期間にわたる影響は残らない.
ただし地表爆発・地中爆発は長期間にわたって影響が残る.
30年だか50年だか人は住めないとか,草も生えないとか言われてたらしい.
実際はすぐに復興が始まって,今では大きな都市になってるけど.
戦後,残留放射線はかなりの高レベルで残ってたはずだから,それと知らず二次被曝した人も多かっただろう.
年月を経る間に放射性物質は壊変を続け,放射線量は徐々に弱まってきてはいるだろうが…
軍事板,2007/07/08(日)
青文字:加筆改修部分
▼ チェルノブイリとの違いだが,
・チェルノブイリのほうが,放射性物質の量が桁違いに多い(広島の500倍とも800倍とも)
・チェルノブイリで問題なのはむしろ土壌汚染で,短期的な放射線量はそれほど問題ではない.
というのが大きい.
そもそも,吹っ飛んだ4号炉の隣にある1~3号炉は,事故後もずっと動いていたし,人が避難したあとは相当数の動物が同地域で生き残っている.
一方,広島,長崎の残留放射能は,もともとの背景放射能(どこにでも自然にある)に紛れるぐらい減少している.
原因は空中爆発だったので,放射性降下物がとても少なかったから.
Q&A よくある質問 - 放射線影響研究所
なども参照のこと.
【余談】
放射能の被害が出る前に老衰で死ぬだろうということで,チェルノブイリの事故後も現地に住んでいる老人達がいるが,彼らはどうせ汚染の影響が出る前に死ぬからと達観していて,元気に暮らしているのに対し,現地から避難した人は放射能の影響に怯えて暮らしているためか,精神的に参ってしまって,様々な病気に罹っているという話がある.
中国で自然の放射能量が多い地域では,他の地域と比べて寿命が長くなっているという説もあり,放射能=危険という判断は一概には下せない.
(もちろん,微量の場合の話)
軍事板,2007/08/24(金)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
「ノー・モア・ヒロシマ,ノー・モア・ナガサキ」の運動は,どの程度説得力があるのか?
【回答】
残念ながら,海外はもちろん,国内でも有効性が疑われる現状がある.
海外ではしばしば「ノー・モア・ヒロシマ」のスローガンは,自国の核武装を正当化する口実として使われている現実がある.
また,特殊性が強調される点でも嫌悪されることがある.
国内においては,単なる政治運動に堕しており,また,学校教育では感情論に終始していて有効性に乏しい.
***
まずはフランスの例.
唯一の被曝民族である点を強調することが嫌悪されているという.
------------
〔フランスは基本的には親日だが,嫌われる要素としては,〕第2には,日本の特殊性の強調に腹が立つようだ.
一時流行した「日本人論」は,日本人自身が好むもので,これによって,国際社会の中での日本の独自性を理論づけ,国際的義務から逃れる口実にしようとしていると手厳しい.
日本が「普通の国」になれない理由として,私達はよく広島・長崎に触れ,唯一の被曝民族である点を強調するが,これは新左翼にすらあまり歓迎されない.
クレソン元首相に至っては,ドレスデンやワルシャワの莫大な犠牲とどこが違うと言う.
もちろん私達に言わせてもらえば,後遺症の苦しみや核分裂というパンドラの箱を開けた罪という根本的な相違を言いたいのだが.
------------磯村尚徳「日本人はなぜ世界が読めないのか」(朝日出版社,2003/1/31,P.99)
インドの例.
「わぜーよ,日本」といった様子.
------------
日本が米国の核抑止の傘の下にあって国家の安全保障を確保しているのは,日本が核を装備しているのと事実上変わらず,したがって,他国の核開発に異論を唱える立場にはないという意見をとるインド人が多いことに示されている.
------------森本敏 in 『南アジアの安全保障』(日本国際問題研究所編,日本評論社,2005.10.10),p.209
イランの例.
反米のための道具になっているようです.
------------
今年も,日本では終戦記念日が近づいています.
広島と長崎の原爆の日の記念式典の様子は,イランでも毎年報道されていますし,広島と長崎でいかに多くの人が原爆で亡くなったかということはいろいろな場所で語られており,イランの人にとって,日本の地名の中でも「ヒロシマ」と「ナガサキ」はよく知られたものの一つであると言えます.
原子力爆弾が使われると何が起こるのか,それが一瞬のことでは終わらず,何十年もの間被爆した人々を苦しめることになるということをイランの人々に伝えるため,原爆投下や核兵器を持つことを否定するのでしたら,イランでこれほど「ヒロシマ」「ナガサキ」が語られることをうれしく思うのですが,実際にはそうでないように感じられるため,テレビを見ながら複雑な気分を味わうことになります.
私の思い違いかもしれませんし,ひねくれた考え方なのかもしれませんが,イランでは,「アメリカが原爆を投下して日本人を大量に殺したこと」を何よりも非難します.
それ自身は決しておかしなことではないように見えますが,どうしても「アメリカが」という部分が強調されているように思えてならないのです.
つまり,「敵国であるアメリカ」を非難するための道具として「ヒロシマ」「ナガサキ」の名前を利用しているように見えるのです.
アメリカ以外の国が原爆を投下したのだとしたら,イランはこれほどまでにヒロシマやナガサキに関心を持つだろうか?と思わずにいられないこともしばしばです.
〔略〕
そういえば,広島市長などからの核開発に関するメッセージに対して,イラン政府が何か回答を示したというニュースは聞きません.
イラン国内では,「アメリカが原子力爆弾を日本に投下したことは非難されるべき行為である」という言葉は聞きますが,実際に原爆が投下されると何が起こるのか,どうして核兵器の使用に反対しなくてはならないのかという部分はほとんど報道されていないように感じます.
平和運動に取り組むグループなどが,資料写真の展示をイラン国内で行うという取り組みが始まったとは聞いていますが,イランの多くの人は核の危険性についてまだよく知らずにいるように見えます.
「我々もウラン濃縮技術を手に入れた! イランはすばらしい国だ! 万歳!」
という雰囲気があふれているのが実情であり,大学で,被爆の問題について話しても,その意味をほとんど理解できない学生が多く,驚くほどでした.
------------「イランという国で」
新潮新書 「日本はどう報じられているか」によれば,原爆はアラブ世界でかなり政治的に使われているふしがあります.
例えば,原爆映像は湾岸戦争後のイラクで,米の残虐性を訴えるビデオが連日延々流されていた中のクライマックスとして使われていたそうです.
また,ビンラディンの9.11前のインタビューでも,米こそが日本が既に降伏していたのに原爆で一般市民も殺したというようなことを言っていました.
ビンラディンのこの発言は誤りですが,仮に原爆投下が何時だったとしても,原爆で一般人大量殺戮というのが,アメリカに対するジハードを正当化して,アラブ内の反対意見を封じる大きな根拠になっているようです.
また「ノーモア・ヒロシマ」というスローガンも,日本が国力を蓄えて二度と落とされないようにしようとしている,という解釈であるようです.(同じ理屈は,パキスタンの核武装に際して利用されています)
9.11も日本赤軍がナガサキとヒロシマの復讐をしたと言う説が一時かなり信憑性をもって語られていたそうです.
しかも,以下の報告によれば,反核団体の枠を超えて政治団体になっている模様.
まあ,原爆反対運動が分裂した時点から言われていることだが.
------------
平成17年8月6日『広島』
faq14f.jpg
デモ隊の主張.既に反核団体の範疇を超えた政治団体と化しております.
だいたい,シュプレヒコールが
「家賃値上げ反対」<反核? そもそも政治家の責任なのか?
「イラク戦争反対」<戦争はとうに終わっております.
「小泉退陣!」<郵政民営化に反対されると良かろうと思います.
「石原の横暴を止めろ」<東京都でやってください.
「君が代不起立処分撤回」<公務員なら規則に従うように.
という,反核とはおよそ関係ないものが大半という恐ろしいデモ.
しまいには暴走.ゴールの平和資料館の前で大声で歌いながら踊り狂う始末.
世話人は行方不明で止める人がおらず,探し回るデモのスタッフ.
こんなものを8月6日にわざわざやるのは,恥以外のなにものでもないだろう.
こんなものは広島の外に出さないで貰いたい.
〔略〕
faq14f02.jpg
法輪巧の集会もありました.中国共産党の批判をしておりましたが,それは慰霊碑の近くでするものじゃないでしょうと思いつつも,さっきのデモよりは共感できたりするわけで.拷問の写真など置いていましたが,さすが中国共産党と言った内容でした.
人権団体の方々は近付きませんでしたね.
まあ,中国共産党と揉め事起こしたくない気持ちはわかります.
NHKの取材班も,ちょっと見たけどそそくさと立ち去っておられました.
まあ,中国共産党と(以下略
------------寄星座
中学で広島に,高校で沖縄に行った俺が来ましたよ.
〔略〕
ちなみに戦争体験談の語りでかけ,広島の被爆者の御老人は,
「ピカの光が見えた直後,原爆を知っていた軍人は真っ先に逃げ出して助かった」
とか,よく分からない事を言ってました.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年05月24日
14:07:01
>「ピカの光が見えた直後,原爆を知っていた軍人は真っ先に逃げ出して助かった」
無敵の大日本帝国軍人伝説に,また新たな1ページが
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年05月24日
19:25:50
以下の体験談から観るに,学校での「原爆教育」はヒステリックな感情論のレベルにとどまっており,単なるトラウマ・メーカーでしかない.
------------
それは私が小学二年生だったときです.
「シチョーカクキョーシツ」というカーテンを締め切った薄暗い部屋へ,担任に連れて行かれまして,なにやら映画を見せてくれるという.
その映画というのは広島の原爆を扱った記録映画で,不謹慎なのを承知で書けば単なるグロの連続で,10歳にも満たない子供にはあまりにも衝撃的な暴力映画でした.
困ったことにその映画には背景の説明が一切なく,米軍が原爆を投下したこと,日本が戦争中であったことさえ説明されないのです.
もちろん担任も.
映画は「誰のせいなんや~!誰が悪いんや~!」という少女の叫びで終わるのですが,私は突然爆弾が頭の上に振ってくるかもしれないという得体の知れない恐怖に打ちのめされました.
観念的反戦主義者の担任は,まだ真っ白な子供の心に核兵器に対する本能的な嫌悪感を植えつけようとしたのでしょう.
動物実験みたいなものです.
担任の思惑は見事に当たりました.
それからというもの,私は悪夢にうなされるようになりました.
決まって学校の校庭に巨大な火の玉が出現しクラスメートが焼き殺されるという夢です.
未だに同じ夢を見ます.数年に一度のことですが.
私は原爆に関する本を読んで調べることによって恐怖を克服してきました.
この出来事のおかげで軍事に興味を持つようになったようなもので,因果なものです.
------------バグってハニー in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
また江畑謙介は,反核運動の空理空論ぶりを,「ダチョウが地面の穴に首を突っ込んでいるようなものだ」と批判している.
------------
前述の日本核武装論についても,一体どれだけ現実を踏まえた議論が国会やメディア上で行われてきたか.
ただ核兵器はいかん,議論することすらだめだ,知識を持つのも悪だ,というのがこれまでの日本の姿勢ではなかったか.
それはあたかもダチョウが地面の穴に首を突っ込んで,ただひたすら厄災が通り過ぎるのを待つかのごとき状況である.
有事法制もそれを定めなければ日本が非常事態にならないかのような反対論が展開された.
日本が本当に核廃絶を望むなら,核兵器の実体を研究し,現実的で具体的な方策を世界に提示すべきだろう.
------------江畑謙介 in 『中央公論』 2006年12月号
エマニュエル・トッドは,国民感情とは別に世界の現実を直視せよと提言している.
------------
若宮 極めて刺激的な意見ですね.広島の原爆ドームを世界遺産にしたのは核廃絶への願いからです.
核の拒絶は国民的なアイデンティティーで,日本に核武装の選択肢はありません.
トッド 私も日本ではまず広島を訪れた.国民感情はわかるが,世界の現実も直視すべきです.
北朝鮮より大きな構造的難題は,米国と中国という二つの不安定な巨大システム.
著書「帝国以後」でも説明したが,米国は巨額の財政赤字を抱えて衰退しつつあるため,軍事力ですぐ戦争に訴えがちだ.
それが日本の唯一の同盟国なのです.
------------エマニュエル・トッド&若宮啓文論説主幹(対談) in 朝日新聞,2006/10/30
原水爆反対運動の人々は,真摯に耳を傾けるべきだろう.
【質問】
現在の広島の地元民は,上述のような状態の「反核デモ」をどう思っているのですか?
【回答】
地元民としては「冷ややかに眺めている」,というに尽きると思いますねー.
祈る気持ちまで否定する気は毛頭ありませんけども,反核にかこつけて反米反日思想の垂れ流しを「市役所前」や「資料館前」や「慰霊碑前」でやるのはやめていただきたいと思います.
彼らには自覚無いから無理ですけどね.
醒めすぎているかもしれませんが,いい加減「広島=原爆」と結び付けたがる輩にはうんざりしすぎています.
まりう in mixi
ついでに申しますと,同じ被爆都市である広島と長崎でも核に対する温度差が結構あります.
一例を申し上げれば,新聞やテレビに出ている反戦団体は圧倒的に広島の組織が多いです.
長崎にはそういった団体が皆無という訳ではありませんが,広島に比べ運動が盛り上がりにくいようです.
長崎生まれの当方としては,どんなに凄惨であろうが過去の事にいつまでこだわっても仕方ないというのは,小さい時からずっと思ってます.
もう一つ言わせてもらえば,原爆関連の施設を観光資源として考えている事自体,俺は間違ってると思います.
修学旅行で呼び込むにしても,少子化の影響で減ることはあっても増えることはまずないですし,何よりリピーターがまず付きません.
原爆資料館に展示されてるケロイドの模型をまた見に行きたいなどと思う人間は,全く居ないとは言いませんが,まず皆無ではないかと……
愚者 in mixi
地元民としては,あの日周辺はデモ隊が徘徊し,道路が渋滞するので,デモ行進は勘弁してほしいです.
でも,お好み村界隈の店は,アレで潤うんですよねぇ……(w`;
ベタ藤原
【質問】
なんで,広島と長崎で核に対する温度差が出たのですかね?
同じような事象から,後の結果が大きく変わったって事は,どちらかに(もしくは両方に)方向性を位置付けた外的要因があったと思うのですが・・・興味ありますね.
EF63-24 in mixi
【回答】
彼らが運動の旗印としてインパクトの強い方を選んだ,という事ではないでしょうか.
「人類史上最初に原爆を落とされた街」と言う方が字面的にもセンセーショナルですし.
映画「黒い雨」も確か舞台は広島でしたし,「史上初」というような,ある種のブランドに日本人は総じて弱いですからね.
一応ご参考までに.
広島平和記念資料館WEB SITE
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
長崎原爆資料館 Nagasaki Atomic Bomb Museum
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/na-bomb/museum/index.html
温度差云々以前の「意識の違い」が透けて見えるのは,気のせいではないでしょうな.
まりう in mixi
視覚効果の高い建物もあるしね,広島.
消印境澤 in mixi
単に教育の問題です.
長崎の県教委は,問題のある教師を島流しにしました.
長崎県は島の数が日本一の県ですから,離島の学校に送り込んで悪影響を最低限にする事が出来ました.
広島はその手段が使えなかった.
県北部の山奥の学校に流すにしても,そこそこの規模の学校になってしまいますから.
ソースは,知り合いの某高校教師から.
JSF in mixi
: しかし,特化かつ偏重極まる平和教育に一番被害を受けていたのは,むしろ被爆都市の子供達ではないかなと.
自分ですら小学生の頃は
原発=核兵器=あってはならない物
と,今では失笑してしまうような思考コンボが,何の疑いも無く脳内で成立してましたから(苦笑
とはいえ,平和教育に全く疑いを抱いていなかった訳でもありませんでした.
一例を申し上げれば,昔,平和公園に来た米軍関係者(確か司令官)の献花を,山口仙二氏という長崎の代表的な反戦運動家が踏みつけた事件※がありました.
同氏が被爆一世という事実を考慮しても,あれはやりすぎだったと,当時テレビや新聞を見ながら子供心に思ったものです..
……もっとも高校時代,同級生や後輩と一緒に『はだしのゲン』を読みながら図書室で互いに笑いころげていた当方の感想なので,あまり当てにならないかもしれませんが(苦笑
愚者 in mixi
※献花踏みつけ事件を報じた朝日新聞記事を発見しましたので,参考までにベタ張りしておきます.
新聞記事横断検索より
■被爆者ら,献花を踏みつぶす 米艦長に抗議 長崎・平和公園【西部】
1989.09.16 西部夕刊 11頁 1社 写図有 (全1,054字)
「核搭載の疑いがある」として本島等長崎市長らに反対されながら,長崎港に入港した米海軍フリゲート艦ロドニー・M・デイビス(4,100トン)のピーター・G・ロバーツ艦長(42)が16日朝,長崎市役所や県庁を表敬訪問した.
本島市長は
「核を積んでいるかどうか聞き,被爆都市の市民感情を説明する」
という理由で訪問に応じ,午前10時からロ艦長に会ったが,平和公園の献花の同行は断った.
また,正午前に艦長らが同市の平和公園で臨時に置いた台に献花したが,被爆者団体のメンバーがこの花輪を踏みつぶしてしまった.
本島市長は面会の席で同艦が非核3原則を守っているかどうか再三にわたってただしたのに対し,ロ艦長は
「安保条約は守っており,核搭載については否定も肯定もしないのが米側の政策だ」
と繰り返した.
さらにロ艦長は
「市民の核兵器に対する特別な感情はよく理解しているつもりだが,一層,理解を深めるため,平和公園での献花に市長の同行をお願いしたい」
と要請.
しかし,本島市長は
「核疑惑がある限り,私が案内するのは差しひかえたい」
と答えた.
艦長がさらに
「真珠湾での米国の記念式典には日本人も来ることができる.その時の米国人の気持ちも考えて同行してほしい」
と重ねて要請したが,市長は
「感情が許さない」
と断り,30分足らずで面会を終えた.
これに先立つ県庁への訪問に合わせ,同県労評の労組員ら約40人が玄関に座り込んだ.
ロ艦長は午前9時半,「帰れ」の怒声が響くなか,柴田芳男副知事と面会.
同副知事は
「抗議行動は,被爆地の市民感情の表れ.県は日米親善を損なわないよう入港には懸念を表明していた」
と述べ,会見は20分ほどで終わった.
ロ艦長らはこのあと,爆心地近くにある同市松山町の平和公園を,献花のため訪れた.
しかし,平和祈念像の前には長崎原爆被災者協議会の被爆者ら約50人が
「片手で核兵器を運びながら,もう一方の手で花輪をささげることは許されない」
と,日英両語で書いた横断幕などを持って座り込んだ.
このため,艦長は祈念像の前に直接献花するのをあきらめ,像の十数メートル手前に臨時に置いた台の上に花輪を置き,黙とうしてその場を去った.
被爆者らはこの間,
「花輪を持って帰れ」
「人殺し」
と叫び続け,艦長らが去った後,山口仙二・被災協会長ら3人が,台を倒して花輪を踏みつけたため,あたりに白菊の花びらが散った.
浦上警察署は
「公園管理者の長崎市から告訴があれば,器物き棄の疑いで調べることもある」
といい,踏みつぶした人らから事情を聴いている.
非核三原則に拘るのは,別に個人の自由だとしても,そもそもそれが,他人の献花を邪魔していい理由になるのか? それこそ暴力を伴った,自己の思想の他人の押し付けであり,およそ平和主義とは相容れない行動のように思えるのだが.
また,よく揶揄されることだが,米軍に対してはそれほどまでにヒステリックな行動に出ているのに比べ,明白に核ミサイルの照準を日本に向けている中国や,ノドンを持ち,日本に対して好戦的発言を繰り返す北韓(北朝鮮)に対しては,そのようなヒステリックな行動に出た事例を,寡聞にして知らない.
これほど政治的に偏った行動はないように思えるのだが.
>市長は「感情が許さない」と断り
彼の考える反核運動とは,「米国を終生怨め」ということなのだろうか?
そんな非生産的な感情論を振り回すよりは,核拡散の現実のほうに対応したほうがいいと思うのだが.
消印所沢
かの御仁のスタンスが少しばかり分かる記事も見付けました.
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0108/genbaku/91/91rensai.html
の8月6日付を参照
■提 言
良き理解者は,ときに厳しい批評家となる.
「被爆者以外にも加入の道を開いていいのではないか」「なぜ一般戦災者と統一行動を進めないのか」―.こんな辛口の注文が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の機関紙「被団協」(月刊)に掲載されている.
外部の人に被爆者運動への率直な意見を寄せてもらい,運動の発展,組織の活性化につなげようとの狙いでことし四月にスタートした「提言」の欄.執筆者は被爆者との連帯支援を続けている人たちだ.
「被爆者はもっと心を開いて」「”孤高”の闘いで終わらぬために」(提言の見出し)というように,運動体の脱皮を求める声が毎号のように続く.
被爆者だけが会員となる被団協の在り方にも批判が飛ぶ.
「(被爆者と)われわれとの間に越えられない垣か溝のようなものがある」
――「提言」は被団協の閉鎖性,運動の広がりのなさを突く.
■危 惧
五月のある日.長崎市の平和公園そばにある長崎原爆被災者協議会(被災協)事務所.一人の被爆者が被災協会長の山口仙二(60)にこう迫った.
「私はあなた以上に(原爆問題の)継承に命懸けだ.今から始めなければ間に合わない.『提言』を受け入れることはできないのか」
内田保信(62).長崎を訪れる修学旅行生に自らの被爆体験を伝える.「死ぬまで原爆を語り続ける」という内田は年間五十回の「語り部」活動をこなす.
長崎市の被爆者平均年齢は六十二歳を超え,国民の六割が戦争を知らない世代.
内田は「このままでは,被爆者運動は築き上げたすべてを失ってしまう」と危惧(ぐ)する.
■団 結
しかし,山口は内田の訴えに全面的な賛意を示しつつも,被爆者でない者を被団協内部に受け入れることには,やはりためらいを感じざるを得ない.
被爆者運動は「ヒロシマ」「ナガサキ」の原体験から出発している.
被団協の代表委員・伊東壮は「ほかの被爆者団体が分裂していく中で被団協が,思想・信条を超えて一致団結してきたのは被爆の共通体験があったから」と強調する.
山口もまた「団体内で非被爆者の熱意が過ぎて,原発反対だ,何だ,と内部を引っかき回されてはたまらない.被爆者同士でさえ,いろんな考えがあって,被爆体験だけで結び付いている人もいるのに…」と外部との連帯の難しさを打ち明ける.
要するに,被爆者だけで纏まっていたい,というのが本心のようですね.
愚者 by mail
>内田は「このままでは,被爆者運動は築き上げたすべてを失ってしまう」と危惧(ぐ)する.
お気の毒ですが,偏向した政治運動になった時点で手遅れです.
>団体内で非被爆者の熱意が過ぎて,原発反対だ,何だ,と内部を引っかき回されてはたまらない
はて? 原水爆禁止運動が分裂した件を見ても,すでに外部(それも外国)によって内部が引っ掻き回されているように思えるのですが.
消印所沢
【珍説】
>唯一の被爆国なんてのは日本人に自己満足以外何者でもありません.
そんなことはありませんよ.
「唯一の被爆国」は事実ですし,ヒロシマ・ナガサキの経験が,核軍縮を進める一因になったことも間違いありません.
国連軍縮特別総会が始まるまでは,欧米の一般人は核兵器と通常兵器の区別がついていませんでした.
彼らを圧倒した82年のSSDⅡでの被爆者・山口仙二さんの発言などが,世界を変えたのです.
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/peace/voices/no07.html
などをご参考になさってください.
タケル in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
全く論拠になっていません.
挙げていただいたURLには「nipponの被爆者は大変でした」以上のことは読み取れません.
実際に核軍縮に影響を与えたとされる箇所を抜粋し,どのような影響を与えたのかまで論じてください.
日本人の自己満足しか読み取れません.
【珍説】
広島,長崎に原爆を落としたB29は,沖縄で給油しているんです.沖縄の米軍基地がなかったら,原爆投下はなかったんです.
平良夏芽-『魂花時報』第88号
【事実】
広島に原爆を投下したB-29「エノラ・ゲイ」号は沖縄に立ち寄っていません.
長崎に原爆を投下したB-29「ボックス・カー」号は,帰路に沖縄の読谷飛行場に着陸していますが,これは燃料不足による緊急着陸であり,事前に予定していた作戦計画ではありませんでした.
「ボックス・カー」号はテニアンを出撃する直前に,予備タンクの燃料ポンプに故障が見つかり,一部燃料(2000リットル)が使えないまま飛び立ち,屋久島上空で写真偵察機との会合に失敗(40分時間を消耗),
そして第一目標・小倉では雲により目標視認が出来ず,爆撃コースを三回やり直すも失敗(45分経過),
この上さらに燃料系統が故障し,テニアン又は硫黄島への帰還が困難になり,第二目標・長崎を爆撃後に沖縄へ向かいました.
確かに「ボックス・カー」号のスウィーニー機長には
「燃料が足りなくなったら沖縄に降りればいい」
という安心感があったからこそ,残燃料に不安がある中で作戦を続行したということが言えるでしょう.
それでもトラブルが相次いだせいで,「ボックス・カー」号は長崎離脱時の計算では沖縄にすら辿り着けない状況でした.
機長は燃費を節約する航法を行い,ギリギリで読谷飛行場に到達しています.
しかし沖縄の基地が使えないなら使えないで,作戦はやはり実行されていたことには変わりが無かった筈です.
出撃前の故障を重要視していたなら予備機「フルハウス」号に乗り換えていれば良いことですし,屋久島上空で40分も待つ余裕を削ればよいし(作戦計画では20分以上待つことは禁じられていた),小倉で45分も消耗せず早目に長崎に向かうか,小倉でレーダー照準爆撃をしていれば(長崎原爆投下時,原爆管理責任者のアッシュワース中佐が作戦計画で禁じられていたレーダー照準爆撃を指示),燃料を消耗することなくテニアンないし硫黄島へ帰ることが出来ていた筈です.
「沖縄の米軍基地がなかったら,原爆投下はなかった」
等という事は言えません.
「沖縄の米軍基地がなかったら,原爆投下後にボックス・カー号は洋上着水していた」
という事は言えるかもしれませんが・・・燃料不足の中で帰還するためには重い爆弾を落とさなければなりません.
着水する際にも爆弾を抱えたままでは危険です.
1999年にボックスカー乗組員は朝日新聞のインタビューに以下のように証言しています.
――――――
「1万ポンド(約4.5トン)もある原爆を抱えて沖縄まで戻る燃料さえなかった.
海に捨てるぐらいなら,少しでも打撃を与えられる場所に投下したかった.
できるだけ目標に近づくため,命令違反を承知でレーダーを使った」
「広島は教科書どおりにうまくいっていた.
私としては何としても連続成功させたかった.
ワシントンもそれを望んでいたはずだ」
―――フレデリック・アッシュワース原子爆弾担当将校
「開発に20億ドルをかけた原爆を無駄にすれば作戦は大失敗とみなされ,軍法会議にかけられ投獄されるに違いないと思った」
「爆撃手が『アイ・シー・イット(みえる),アイブ・ゴット・イット(やった)』と叫ぶのは確かに聞いたが,真後ろにいた私には何も見えなかった.
別の副操縦士も疑っていた.
当時はこの点を問題にできる状況ではなかった」
―――フレッド・オリビ副操縦士
それまでは
「長崎上空に雲の切れ目が偶然現れ,目視照準爆撃した」
というのが定説でしたが,これを疑問視する証言すら出てきています.
それでなくても乗組員は,投下しなければならないという脅迫観念に取り付かれていたことが見て取れます.
沖縄に基地があろうがなかろうが,原爆は,落とされていたでしょう.
落とした後で洋上着水をする羽目になっても,海に原爆を捨てるよりは,都市に向かって落としていた筈です.
ちなみに今回紹介した平良夏芽牧師は,沖縄県の辺野古で文字通り命を掛けて「阻止行動」を続ける人物.
その派手なパフォーマンスは非暴力行動を通り越して「当たり屋」紛いの代物となり,警察に公務執行妨害で逮捕された事もある御仁です.(事件記事)
どうなのでしょうね,こういう体を張った行動は・・・
「相手が止まってくれる筈だ」という期待が有ればこそなのでしょうが,自重して欲しい所です.
実際にパレスチナで,イスラエル軍のドーザーの前に立ち塞がった活動家の女性を,運転手が気付かずそのまま轢いちゃった痛ましい事故があるので,過信は禁物ですよ.(レイチェル・コリー-Wikipedia)
この牧師さんが2007年1月に大阪で行なった迷演説が,ネット・マガジン『魂花時報』に記載されたのが,一般メディアでは絶対に垂れ流されないであろう,このデマ情報です.
ただそれだけなら捨て置くのですが,これを根拠にあちこちで同内容を主張する輩が出現し,とうとう軍板にまで現れたので,これは放っておけないと思い紹介する事にしました.
この記事へのコメント ↓
だいたい,当時の米軍基地は別に日本に了解を得て設置したわけじゃないし……
あ! 沖縄がなければ沖縄に米軍基地を置けないわけだから……
この人の主張が正しければ,『沖縄が無ければ原爆投下はなかったんだよ!!11!!!!』
Posted by 蒼野青 at 2007年05月31日 08:15:05
>沖縄の米軍基地がなかったら,原爆投下はなかった
仮にこれが事実だとしても,だからどうしたというのかな.
さっぱり、分からんな.
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年06月01日
19:07:43
参考までに,
☆NCCのホームページ☆
http://ncc-j.org/index.html
ちなみに韓国ではカソリックよりプロテスタントの方が多く,日本のプロテスタントはよく韓国で会議をしているそうです.
(他意はありません)
Posted by 名無しT72神信者 at 2007年06月01日
23:04:30
【質問】
「核兵器解体基金」
をみると,日本人僧侶はじめ民間人が核廃棄を政府に迫った事により,(略)核廃棄への第一歩的事実を作った事は間違いないのでは?
【回答】
「核兵器解体基金 」は主にロシアの核ミサイル解体に使われているようですが,これは米露の間の核制限条約によって解体されているものですね.
この核制限条約は冷戦崩壊によるものですが,
>日本人僧侶はじめ民間人が核廃棄を政府に迫った事
が,冷戦崩壊に関与したという事実を見出すことができませんので,ソースをご教示願えれば幸いです.
【珍説】
核問題については,もっと直接的に,唯一の被爆国という立場から核廃絶を訴え続ければ,国際世論は必ず聞く耳を持つ.
林信吾著『反戦軍事学』,p.222
【事実】
必ず聞くとは限りません.
むしろ,逆効果になる可能性すらあります.
別項で述べられているように,
・唯一の被爆国という日本の特殊性の強調が,かえって反感を持たれる
・「そんな悲惨な目に遭わないよう,我々も核武装して核抑止力を持とう」というプロパガンダに使われる
という実態があります.
また,イスラエルやスイス,スウェーデンの核武装論議(イスラエルの場合は国民に広く開かれた議論ではなかったが)の模様を見ていると,そこには専ら自国の国家戦略上の検討があるだけであり,人道上の問題は殆ど一顧だにされていません.
たとえばスウェーデン外交政策研究所が刊行した,スウェーデンの核武装問題に関する論文集『スウェーデンの核兵器問題』(鹿島研究所出版会,1967)では,総ページ数368ページのうち,人道の問題について触れられたのは僅か2ページです.
このことから分かるように,結局のところ,「悲惨さ」だけを訴えてもアンバランスであって意味がなく,「感情」と「論理」の両方に訴えていかねばならないことが分かります.
「唯一の被爆国という立場から」だけではなく,核武装が長期的に見て国益を損じることを証明しなければ,殆どの国家,国民は聞く耳を持たないでしょう.
著者はヒロシマ平和会議創設を提案しています(p.223-224)が,「感情」と「論理」の両方を討議する場としてなら,あるいは有効かもしれません.
もっとも,他の多くの軍縮会議同様,その役割は限定的であって,「核クラブ」をそう簡単に動かせるかのような安易な期待は禁物でしょう.
【質問】
2009/8/6に行われた,田母神俊雄広島講演会に対し,どんな抗議行動が行われたのか?
【回答】
以下,記録映像です.
http://www.nicovideo.jp/allegation/sm7873387
・田母神と呼び捨てにしている
・田母神講演会粉砕と叫んでいる
・機動隊が異常な数出動している
・ファシスト田母神と叫んでいる
・田母神を広島からたたき出せと叫んでいる
・田母神を許さないと叫んでいる
・侵略戦争賛美の田母神をゆるすなと叫んでいる
・叫び,騒いでいる人は,参加者のほんの一部
・「田母神を出せ」と恐喝している人物がいた
・道路交通法に違反している
・改憲を許す国を許すな
・裁判員制度を廃止するぞといっている
・教育の民営化を阻止するぞと叫んでいる
・郵政民営化反対といっている
・日本は侵略国家であるといっている
・労働者の力で麻生を倒せといっている
所感:
ひとことでいえば,閣下の講演会はあくまで口実に過ぎず,ある特定の意図に基づいた政治行動という印象です.
広島のネガティブイメージがまた広がってしまいました.
言論の自由という名の暴力を体験できます.
おきらく軍事研究会,2009.8.10
青文字:加筆改修部分
【質問】
久間防衛大臣の原爆で戦争が終わったというような発言が叩かれていますが,これを叩いてる人は,原爆を使わずに日米英の兵隊や民間人が,長期本土戦で何十万人も犠牲になったほうがよかったと考えてるんでしょうか?
特に日本の戦争を侵略だ,悪だ,という人は,どうしてその悪逆非道な日本を叩き潰した英雄的な国アメリカの戦争をはやく終結させた原爆を非難するのか理解に苦しみます.
【回答】
日本国内の学界の定説は
「降伏したのは原爆が原因じゃないよ,ソ連侵攻が原因だよ」
な訳だ.
原爆によってソ連侵攻が早められた面もある.
だから,「原爆によってソ連の北海道侵攻前に降伏できた」論は無理が出てくる訳だ.
原爆は総合的に見て,日本降伏が早まった一因ではあるだろうが,原爆を直接の原因扱いするアメ公の理屈に乗るとおかしくなる.
そして,「原爆使用を認めない」つー国益にも沿って来る訳だ.
「原爆が原因で降伏が早くなった」論は,中朝韓三国が原爆肯定で好き好んで使う論理でもある.
つまり,自分で認めちまったら,せっかくプロ市民が意図せず欧米の左巻きを抱きこんで来た「被爆国カード」すら無くなっちまう訳だ.
外務省は痛かろう.
だから,特に防衛大臣であればこそ,冷徹に徹するならばこそ,
「原爆によって降伏が早まった」
なんて<俗説>を口にするのはおかしいと思うんだ.
ちなみに「原爆は仕方なかった」発言のルーツは,広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑文であるそうな.
以下引用.
〔略〕
▼たとえば,本島等元長崎市長は,
「日本はアジアに謝罪する必要がある.原爆は仕方なかった」
などと各地の講演会で説いたものだ.
こうした考え方の原点をたどれば,広島市の平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑文に行き着く.
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」.
▼雑賀忠義広島大学教授の考案によるこの碑文は,昭和27年の碑建立当時から,「主語」をめぐって論議を呼んできた.
素直に読めば,原爆投下は,日本人に責任があるということになる.
この碑文をありがたがる人たちに,久間発言を非難する資格はない.
〔略〕
産経新聞,2007/7/2
【参考リンク】
【痛いニュース】 「日本はアジアを侵略し米に戦争しかけた.“原爆しょうがない発言”は罪深いが,一方的に非難できるのか」…朝日新聞 お前が言うな
【質問】
広島・長崎の被爆者が主張していることは一貫して核兵器廃絶ですが,彼等の怒りは原爆を投下したアメリカよりも,寧ろ戦争を起こした日本政府に対しての怒りのほうが強いわけですが,何故でしょうか?
GHQが,被爆者達が今後アメリカに牙を向かないよう教育したのでしょうか?
また日本で核武装論が湧き上がっている現在,広島・長崎の被爆者を中心とした団体が立ち上がり,実体験を踏まえての感情論を展開していますが,例え彼等の意見が的外れな意見だとしても,政治への不信感が蔓延している以上,専門家のそれより国民を惹きつけるものを持っているのは事実だと思います.
私としては日本の国防,国民の生命を第一に考えた場合,何故か被爆者達が反政府組織の類のように思えてなりません.
テレビの議論でも核兵器廃絶という単語を並べるのみで,彼等がそちら側から何らかの援助を受けているような気さえします.
あくまでも個人的な考えですが,この件に関して,国防という面からの皆さんの意見を教えて欲しいです.
【回答】
ん?
原水協をはじめ,被爆者は昔から,原爆投下をしたアメリカに対しても,ハーメルンの笛吹き男の如く壮大な負け戦を繰り広げた日本政府に負けず劣らず,強い怒りを表してるぞ.
ただ単にお前さんが,被爆者の日本政府への抗議の声を,”より強く”印象に留めているだけのじゃねぇのかね?
(アメリカへの被爆者の抗議?
実に当り前のことじゃないか.
だから心に残す必要はあんまりないよね By大脳皮質.
嗚呼,記憶に残るのは日本政府への講義の声ばかりなり)
また,貴方の文章が多種多様な核武装論に関する議論を”感情論”,”的外れ”等と内容を印さずに括っている(特定の政治思想を元に自分の意思で結集した政治結社や組織なら兎も角,非自発的且つ強制的になってしまった被爆者を,思想集団として判断することは不適切だ),不適切な種類分けを行っている,尚且つ,相手方の是の部分に対する認識が乏しい(と自分は判断した)ことから察するに,被爆者に対する一種の認知バイアスに掛っている可能性が高いように見てとれる.
(彼曰く,”何故か被爆者達が反政府組織の類のように思えてなりません.”嗚呼悲しきかな.
一度そう思うとそれを露呈する情報,例えば頭の螺子が外れた反核団体(被爆者の全員がそれに呼応している?わけがない)
とかの頓珍漢な発言ばかりが頭に入って,代わりに否定する情報は頭の片隅行きだ.
んでもって,その偏った情報が(どういうわけか)被爆者と結び付けられる.
結び付けられるのは,その発言した本人とその所属している団体だけなのに!)
まずはゆっくり落ち着いて人さまの,それも色々な人の意見をきちんと最後まで聞き,じっくりと腰を落ち着けて考えていきましょう.
国防という面からの意見?
それは被爆者と言う集団についての?
彼らは先の大戦で,とりわけ多くの犠牲を払った人たちの一部だ.
大事な大事な一国民として彼らの人格,権利は尊重されてしかるべきだし,彼らの貴重な体験やそれに基づく話は,将来を考える上でこの上なく貴重な資産だ.
今や70歳以下のほぼ全ての日本人が,戦争を知らない世代だが,それ以上の世代,特に被爆者には強烈な実体験がある.
その言葉の重みは,似非平和主義者とは比べものにならん.
仮にどこかの団体のテコ入れがあったとしても,それは変わらない.
例えば,うちの近所に従軍経験もある,80過ぎのじいさんがいる.
コテコテの共産党員.
共産党は全く支持しないが,その人の話は真面目に聞くことにしている.
”だからこそ”,彼らの不幸な境遇を不当に利用するもの,彼らの話す”内容”ではなく彼らの処遇,背景をもとに
,彼らを不当に色眼鏡をつけて見る者,そしてそれらの行為を見て見ぬふりでいることを許さない.
安全保障という観点では,単なる感情論をできるだけ排除した議論も行われている.
たまに変なのも出るけど.
(誰とは言わんが)
一方で,感情論だろうが気に食わなかろうが,世論として確かに存在するものがある.
堅苦しく言うなら,現行の核抑止システムは非倫理的である,ということ.
それを正そうと運動するのは,少なくとも”悪”ではないと思う.
ただし,小川和久のように「究極的な核廃絶を目指すなら,ロードマップを示せ」といった批判もある.
戦争・国防板,2009/08/21(金)~08/23(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
オバマ大統領の核軍縮演説ですが,彼が述べた
「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として,米国には行動する道義的責任があります」(在日米大使館による仮訳)
というのは,ヒロシマ・ナガサキに対する謝罪や後悔の言葉なのですか?
【回答】
大礒正美(国際政治学者,シンクタンク大礒事務所代表)によれば,確かにオバマ氏はあの演説で「a
moral responsibility to act」と言ったが,これには謝罪や後悔の意味は全く含まれておらず,だからこそ米国内では,この演説のこの部分は問題にもされていない――謝罪の意味であったなら,即座に大騒ぎになったはずだ――のだという.
この演説の目的は,明らかにイランとテロ勢力に核を持たせない体制作りにあり,この言い回しの真の意味は,いわば「カネの使い方は金持ちしか知らないんだよ」というのと同じなのだと,大礒は述べる.
そればかりか,
「他の国々に核がある限り,我が方の安全と同盟諸国の防衛のために核を持ち続ける」
と宣言し,どうか誤解なきようにと念を押しているという.
反核団体が思い描いているような核廃絶とは,全く意味合いが異なっていることが,この宣言からも分かるだろう.
詳しくは,
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5562/column/latest124.html
を参照されたし.
【質問】
森重昭って誰?
3行以上で教えて!
【回答】
森重昭は広島在住の歴史家.
会社員として働く傍ら,原爆投下で死亡した米軍捕虜などの身元調査に尽力.
2016.5.27,アメリカ大統領としては初となる,広島の平和記念公園へのオバマ大統領の訪問に際して招待を受けた.
* * *
アマチュア歴史家の鑑のような人物である.
1937.3.29生まれ.
1945.8.6,広島の原爆投下の際,爆心地から2.5km離れた,自宅のある己斐町旭山神社前の小さな橋の上で被爆.
当時,夏休みというものはなく,彼は登校途中だった.
8歳だった彼は,爆風に吹き飛ばされ,橋の下の浅い川へ落下した.
「爆風で小川に飛ばされ,気が付いたらきのこ雲の中にいたのです.あまりにも暗くて,10センチメートル前の自分の指先を見ようとしても真っ暗で見えないほどでした」
「炸裂は信じられない強さで,周りの家や,樹木,そこら中にあるものを空に向かって巻上げていったのです.地球が爆発したのかと思ったほどでした」
と彼自身は述べている.
己斐小学校に行くと,被爆者たちで一杯で,医師が来ていた.
その夜は阿鼻叫喚の地獄絵であったが,翌朝は静かになったという.全員が息絶えたのである.
校庭で死体を焼くのも彼は目撃した.
その数は2000を優に超えていたように見えたが,後に広島市が刊行した『広島原爆戦災史』では,その数「800」.
これに疑問を持ったことが,歴史家としての活動のきっかけとなる.
戦後,大学卒業した後,山一證券,日本楽器などに勤務.
その傍ら,40歳を前に決意して,日曜・祝日に地元一軒ずつをまわる聞き取り調査を始めた.
約1000人に話を聞き,死体を正確に数え記録を残した福島住夫の資料に行きつく.
これにより,己斐小では2300体が荼毘にふされたと判明したである.
それより前,彼が38歳の時,終戦間際に米戦闘機が伊陸(いかち)村(現在の山口県柳井市)近くの山に墜落したと近所で耳にした.
彼は墜落現場に行き,現地住民の話を聞いた.
現場ではB-24爆撃機「ロンサム・レディー」号の残骸を目にした.
その後,何年もの研究を通じて,乗組員の詳細や,彼らが広島の憲兵隊司令部に連れて行かれたことを突き止めた.
また,その後に撃ち落とされた米爆撃機の乗組員3人も捕虜に加えられたことも判明.
彼は多くの時間と金銭を費やして,遂に「ロンサム・レディー」号の機長とコンタクトをとることに成功し,メリーランド州の米国州立国会図書館の膨大な資料も含め,山のような資料から,遂に12人の被爆米兵の遺族全員を探し出した.
1999年,森は,12人の被爆米兵捕虜の銅製記念碑を,中国憲兵隊司令部の跡地に建てた.
2012年の広島原爆記念日には,1945年に原爆投下を命じたハリー・トルーマン大統領の孫,クリフトン・トルーマン・ダニエルと一緒にこの記念碑を訪問し,献花をして弔意を表した.
2016年5月,彼の調査活動を追うドキュメンタリー映画が完成.
https://www.youtube.com/watch?v=fflq6vLg1Aw
2016.5.26,オバマ米大統領が広島市の平和記念公園で献花する行事に招待された.
現在は,長崎原爆の犠牲となった英国とオランダ捕虜の遺族の行方を探す調査活動中であるという.
【参考ページ】
http://www.nippon.com/ja/people/e00097/
http://www.asahi.com/articles/ASJ5W36D2J5WUTFK003.html
http://www.us-japandialogueonpows.org/HoroshimaPOW-J.htm
http://ironna.jp/article/3379
https://en.wikipedia.org/wiki/Shigeaki_Mori
【関連リンク】
森重昭『原爆で死んだ米兵秘史』(光人社,2008)
【ぐんじさんぎょう】,2016/05/28 20:00
を加筆改修
【質問】
山岡ミチコって誰?
【回答】
いわゆる「広島の語り部」の一人.
15歳で,進徳高等女子校の3年生在学中,動員学徒として電話局に向かう途中に,爆心地から800mのところで被爆し,重傷.
1955年,広島流川教会の牧師,谷本清や,作家ノーマンカズンズらの支援を受け,渡米して治療.
1979年,母親の死去を契機に,被爆の証言活動を開始.
2005年,ドキュメンタリー映画「マッシュルーム・クラブ」に出演.
2006.8.6 語った後,脳梗塞に倒れる.
2007年 リハビリを受けて,車椅子姿で証言活動再開.
2013.2.2 肺炎のため,82歳で死去.
「反戦のイデオロギーや感情で語ることはなかった」
「戦争や原爆は怖い,かわいそうの印象で終わらせないのが,山岡さんの語りだった.
子供達に,しっかり自分で考えて,ものを言える人になってくださいと必ず伝えた」
と,「週刊新潮」は伝えている.
【参考ページ】
「週刊新潮」 2013.2.21号,p.119
「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ サイト・マップへ