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 【link】


 【質問】
 九六式艦上戦闘機について,3行で教えてください.

 【回答】
 「九六艦戦」こと九六式艦上戦闘機は,1937年に制式採用された,日本海軍初の全金属製単葉戦闘機.
 三菱航空機と中島飛行機の2社の試作競作の結果,三菱のものが採用されたのだが,このときの試作機が,『風立ちぬ』にも登場する「九試単戦」である.
 太平洋戦争開戦時には,既に二線級となっていたが,後継機である零戦の生産が間に合わなかったため,一部の部隊では1942年4月頃まで使われた.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/07 20:00
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 【質問】
 九六艦戦を生み出すきっかけとなった「航空技術自立計画」について教えてください.

 【回答】
 海軍軍縮条約で,主力艦保有量を大幅に制限された日本海軍は,これを補うため,制限対象外の航空兵力の充実を図ることを決めた.
 しかし,肝心の基礎航空技術は,欧米に比べて立ち遅れていた.
 そこで昭和5年頃,海軍航空本部によって立案されたのが「航空技術自立計画」である.
 これは外国依存の航空機開発から脱却し,日本の航空機開発技術を高める為,民間各社に試作機の開発を命じ,長期的に技術力を高めていこうとする計画であった.
 その中には,当時航空本部技術部長であった山本五十六少将もいた.
 この自立計画の下に,昭和七年度海軍軍用機試作計画,所謂七試計画がスタート.
 「艦戦」「艦攻」「双発艦攻」「三座水偵」「大型陸攻」の試作命令を発することになり,海軍機製作の指定工場となっていた三菱航空機には,艦上戦闘機(艦戦)の試作指示が出されたのだった.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)
http://www.rikkyo.ac.jp/eco/pdf/2009_award_for_excellence_a.pdf
http://sakurasakujapan.web.fc2.com/main03/bookisbn9784167240011/isbn9784167240011.html
http://nire.fool.jp/nagai/newnagai/nagap/naggp001/nagap073/nagap073.html

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/08 20:00
を加筆改修


 【質問】
 七試艦戦って何?

 【回答】
 七試艦戦こと七試艦上戦闘機は,「航空技術自立計画」の一環で,九〇式艦上戦闘機の後継機開発のため,昭和7年,三菱航空機と中島飛行機に,日本海軍が試作を指示した航空機.
 「三菱七試艦上戦闘機」には「A3M1」、「中島七試艦上戦闘機」には「A3N1」の略符号が与えられた.
 中島は,同社設計のパラソル翼単葉の陸軍九一式戦闘機を,海軍の要求仕様に沿って改設計したものを提示.
 一方,三菱は堀越二郎を設計主務者とし,金属製低翼単葉構造という当時としては新しい機体を開発した.
 しかし野心的なアイディアに,経験や技術が伴わず,飛行機として未熟であっただけでなく,性能的にも海軍の要求を満たすものではなかった.
 また,試作機2機はどちらも事故で失われている.

 結局,野心的過ぎた三菱機,保守的過ぎた中島機の,どちらも採用されることなく,試作のみに終わり,海軍では旧式化した 九〇式艦上戦闘機を改良した九五式艦上戦闘機を急遽採用する,一時しのぎをおこなっている.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)
http://military.sakura.ne.jp/ac/a3x.htm

A3M1写真
(こちらより引用)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/09 20:00
を加筆改修


 【質問】
 『風立ちぬ』のポスターに写ってる飛行機は何ですか?

 【回答】
 九試単座戦闘機(略称;九試単戦)と言って1935年(昭和10年)に完成した,試作飛行機.
 試作指示を出したのは日本海軍で,これは立ち遅れていた基礎航空技術を確立するための,日本海軍の「航空自立計画」の一環だった.
 三菱航空機と中島飛行機の両社によってそれぞれ試作機が完成したが,審査の結果,堀越二郎技師設計による三菱機が採用された.
 九試単戦はその後の改修を経て,九六式艦上戦闘機となる.
 日本海軍初の全金属単葉戦闘機であり,
「それまでは外国機のコピーの域を出なかった国産機が,一躍世界水準を超えることになったエポックメイキングな機体である」
と評価されており,堀越技師自身の言葉によれば,次の零式艦上戦闘機,ゼロ戦の開発のための基礎技術は,全てこの機に盛り込まれていたという.

 【参考文献】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)

軍事板,2013/07/12(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 九試単戦に盛られた新機軸は,どのようなものだったのか?

 【回答】
・沈頭鋲の採用
・皿子ねじ用鋲止めナットの採用
・片持ち式低翼単葉の採用
・片持ち式一本脚の採用

 詳細については,別項にて解説する予定.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/10 20:00
を加筆改修


 【質問】
 九試単戦と九六艦戦との違いは?

 【回答】
 九試単戦1号機のみ,逆ガル・タイプの主翼を採用していたが,2号機以降〜九六艦戦は,翼を水平に改め,上反角を変更した他,スプリット・フラップも追加した.
 また,1号機では,操縦席後方の頭当てと,垂直尾翼前方のヒレとが分離していたが,2号機以降では,頭当てがそのままヒレに繋がる形に改められた.
 さらに,九試単戦ではエンジン選定に悩み,1号機が寿5型(600hp),2号機が寿3型(715hp),3〜5号機が光1型(800hp)と試行錯誤したが,結局九六式1号艦戦では寿2型改(460hp)が採用されている.
 2号機以降に比べると,主翼前縁付け根から前方の機首部が長くなった.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/11 20:00
を加筆改修


 【質問】
 九六艦戦のヴァリエーションは?

 【回答】
・九試単座戦闘機
 6機製作.
 各機ごとに細かな違いあり.

・九六式1号(A5M1)
 最初の量産型.

・九六式2号1型(A5M2a)
 エンジンを寿3型(600hp)に換装し,機首が短くなる.
 カウリング後端付近の機首上面に,空気取り入れ口2個が突出.
 37号機以降は,主翼に捻り下げ.
 後期型では,頭当ての後方にあった,引き込み式のロールバーが廃止され,代わりに,頭当てからヒレに繋がるフェアリングの高さが増大.
 増槽追加.

・九六式1号改(A5M1a)
 2号1型を改造し,翼内にエリコンFF 20mm機銃を2丁追加した実験機.

・九六式2号2型(A5M2b)
 胴体が太くなり,カウリングはカウルフラップつきとなる.
 機首上面の空気取り入れ口は,カウリング内に移される.
 脚支柱が短くなる.
 後方へスライドして動く,密閉式風防を採用(前期型)したものの,空戦時に後方視界が悪いなど不評のため,再び開放型に(後期型)
(開放型風防の形状は,何種かあり)

・九六式3号(A5M3)
 イスパノスイザ12Xers 液冷V型12気筒エンジン(610hp)を搭載した実験機.

・九六式4号(A5M4)
 最終生産型.
 エンジンを寿41型に換装.
 前方風防の形も,再び改良.

・十五試練習用戦闘機(A5M4-K)
 九六式4号を複座化.

・二式練習用戦闘機(A5M4-K)
 十五試練習用戦闘機を制式採用したもの.

・九六式練習用戦闘機(A5M4-K)
 九六式4号の一部を改造したもの.

・雪上用ソリをつけた実験機

・キ-18
 九試単戦の陸軍仕様.
 寿5型 空冷9気筒エンジン 600HPを搭載.
 不採用.

・キ-33
 九五式戦闘機の後継機として陸軍から試作指示された際に,三菱が製作したキ-18改良型機.
 ハ1甲 空冷9気筒エンジン 620HPに換装.
 不採用.

 【参考ページ】
大木主計編『丸メカニック28 九六式艦上戦闘機』(潮書房,1981年)

【ぐんじさんぎょう】,2013/08/12 20:00
を加筆改修


 【質問】
 九六艦戦の2号2型で,
「密封式の風防の評判が悪くて,じきに廃止された」
と,色んなところに書いてあります.
 それについて質問です.

 (1) まるで風防がないのは寒くてやってられないと思うのですが,パイロットたちが風防を嫌った理由は何ですか?
 (2) そのわりに,12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが,これはなぜでしょうか?

 【回答】
 1,視界が悪くなるから.当時の日本のキャノピーは枠が多い.
 2,坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい.
 でも,開放式では速度が出ないので密閉式とされた.

軍事板,2005/10/28(金)
青文字:加筆改修部分

 イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも,密閉式にしたのに,半密閉式に変更したりしています.
 曰く,風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと,計器の信頼性が低かったので),また,視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く,中から外を見たら,湾曲して見えたりする.外界が見えないのは戦闘機としては致命的),開放式に慣れていたパイロットが多かった.
……と言うことで,風防は嫌われました.

 12試艦戦の場合は,最大速度が上がっていましたから,風防を装備しないと,自分の身が危ないと言うことがあります.
 後,風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし….

 ちなみに,ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか,出現当初,密閉式風防が嫌われて開放式に変更しましたが,50km/h速度が低下したそうです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/10/28(金)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 秋本実氏の『日本軍用機航空戦全史』第一巻(グリーンアロー出版社,1994.12),九六式艦上戦闘機の項を読んでいて,気になったことがあったので質問させてください.
 昭和13年8月に九六艦戦二号二型が制式採用になっているらしいのですが,生産型は昭和12年8月には二号二型の第一号機が完成しているとなっています.
 これはどう考えれば良いのでしょうか? 単なる誤植でしょうか? 
 それとも,二号二型はすでに昭和12年8月段階で生産開始されていて,制式採用が後追いになった,とみるべきなのでしょうか?

毛無し珍毛ボー&bow ◆nCOdVecG1w :軍事板,2005/12/10(土)
青文字:加筆改修部分

 【回答】
 日本のお役所仕事というヤツではないかと思います.

 量産75号機以降が2号2型となり,これは1937年8月から量産されました.
 但し,正式採用は1938年8月19日です.
 ちなみに,2号1型の場合も,正式採用は,2号2型が製造されていた1937年9月15日です.

 海軍艦艇でも,沈没してから除籍されるまで1年くらいは掛かってますので,それくらいのtime-lagがあるので,多分,量産化と正式採用のtime-lagが発生したと言う意味で良いと思います.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/12/10(土)
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 96式3号艦戦とは?

 【回答】
 エンジンを,20mmモーター・カノン付きのイスパノスイザ12Xcrs液冷V型12気筒エンジン(最大出力610馬力)を装備した実験機.
 モーター・カノンのテストが目的.
 プロペラはラチエ3翅固定ピッチ.
 製作数2機.
 日華事変勃発により,エンジンを寿3型に換装,部隊へ配属された.

 なお,戦前にこの3号艦戦のソリッド模型が発売されたことがあったというが,戦後はもちろん,こんな弩マイナー機のプラモデルはガレージ・キット以外発売されていない.

 【参考文献】
『図解・軍用機シリーズ16 九六艦戦/零観』(雑誌「丸」編集部編,光人社,2001.3)

written by 堀越二郎(うそ)

(画像掲示板より引用.原出典不明)


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