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『少年飛行兵「飛燕」戦闘機隊 弱冠15歳パイロットの青春譜』(三浦泉著,光人社NF文庫,2011.12)
【質問】
『秘めたる空戦』の信憑性はどの程度なのでしょうか?
飛燕スレッドに,
「おそらく半分は架空戦記なんだぞなもし」
などというレスもありました.
例えば会話の細部などは,創作半分であってもおかしくはありませんが,(同書で)空戦前後の無線交信が普通に行われていたように記述されているのに対して,
「?氏の著書では無線は不調だった」
と,今は落ちてしまった?飛燕スレッドに記述があったようです.
こういった,ある程度客観的な判断のできる内容に関して,このスレの皆さんの見解はいかがでしょうか?
【回答】
小説家が,知人の飛燕乗りの手記を参考に書き上げた,事実を織り交ぜた架空戦記と見て良いのでは.
傑作戦記ではあるが,どうも事実とは言いがたい.
主人公の所属している独立飛行第103中隊は,一応実在の部隊なんだが,偵察機部隊で,しかも,昭和17年には改編されて別の名前になっている.
(改編後の名前はちょっと手元に資料がないが,どこかの司令部飛行隊だったかな)
会話に出てくる用語に搭乗員,搭乗割など,海軍の物が多いのも不自然.
他にも部隊の行動など,おかしな点が多く,フィクションと断言して構わないかと.
ニューギニアでキ61で戦われた人の証言では,やっぱ無線機はダメで,整備員のアドバイスが,
「空上がったら無線機蹴り飛ばして壊しちゃえ」
だったってよ(笑)
地上に降りたら
「なんで言う事を聞かなかったぁ!」
って部隊長に怒られるんだが,そこですかさず機付きの整備員が
「xx軍曹の機体の無線機は故障しておりました」
って申告するんだそうな.
まあ腹芸だな(笑)
それで整備員が怒られないぐらい,日本の無線機はダメだったって事だ.
なんか川崎の儀装が悪くて,キ61だけ特に悪かったなんて話も2chでは聞くが,その真偽は知らん.
大戦末期になると,日本軍の航空無線も多少は使える装備になるんだが,これは,戦場が本土上空になって,交換部品が普通に届くようになったことも大きい.
部品がいつ届くかわからず,高温多湿で消耗も早いニューギニアで,あのレベルの交信は無理だろう.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
『秘めたる空戦』ってノンフィクションなのか,フィクションなのか…
部隊名はいろいろ戦後不味いから隠しているのはいいとして,三式戦闘機の無線があんなに聞こえるって話は聞いたことが無い.
本土で空対空でかろうじてって話だが.
【回答】
戦記小説の一つだよ.
豊田譲氏辺りになると実在人物と史実と脚色が混ざるので,どこまでが真実なのか判別に困るが,『秘めたる空戦』は200%仮想戦記と思っていいかと.
だって読んでて爽快で面白いじゃん.
同じニューギニアの飛燕物でも,「7%の運命」読んだら面白い所なんてないぞ(笑)
軍事板,2009/07/15(水)
青文字:加筆改修部分
▼ また,史実と照らして合わせてみると,独飛103中隊は一応実在するが,司偵部隊で,しかも,昭和17年の11月に改編されていて,作中の昭和18~20年には存在しない.
ニューギニア方面で行動していた,3式戦装備の独飛中隊は存在しない.
「搭乗員」(陸軍では「空中勤務者」),「搭乗割」(陸軍では「編組」)など,作中の用語に海軍のものが多い.
そもそも20年4月に,比島から発進した陸軍の特攻機はないようだ.
どう見てもフィクションです.
(ただし,松本氏は飛燕乗りとして実在していて,丸にも飛燕の戦記を自分で寄稿しているようだ.
飛燕乗りとして実戦参加,捕虜になっている所までは事実で,劇画的で面白い部分はフィクションなのかもな)
軍事板,2010/08/01(日)
青文字:加筆改修部分
▲
それにしても,
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BE%E7%80%AC%E5%8B%9D%E5%BD%AC
元海軍機乗りの小説家が,なぜ飛燕の空戦記を書こうとしたのかが不思議.
零戦なら話も作りやすかろうが・・・
陸と海って,作法や習慣が全然違うんで,書きづらいと思うんだけどね.
同じ海軍だといろんなしがらみがあったりして書きづらいとか?
海軍物も何冊か書いてはいるが…….
軍事板,2009/07/15(水)
青文字:加筆改修部分
▼ ちなみに陸軍戦闘機隊の比島戦記では,他にも理解不能な不思議なものがある.
「隼のつばさ 比島最後の隼戦闘隊」も,読んだ人はわかるだろうが,不可解な記述がある.
なぜこんな事を書いているのだろう.
他の部分の記述はしっかりしてるだけに,不思議でならない.
それとも本当にそういう事があったのだろうか?と.
軍事板,2010/08/01(日)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
飛燕は駄作機だったの?
【回答】
そうとも言えません.
飛燕はエンジンさえ満足に動けば傑作機だと思います.
高速の敵機に後ろにつかれても降下で振りきることができた,数少ない日本機です.
ただ重量増大の1型改は速度・上昇とも低下して,F6Fに苦戦しました.
飛燕2型のエンジンは1型のようなやっつけ仕事ではなく,完動品を搭載しているのでちゃんと動きましたが,問題は発動機の数が足りないことでした.
エンジンを1500馬力にアップしたⅡ型改は,優秀で高々度性や急降下は日本一でした.
99機しか生産できなかったのは残念ですが.
飛燕の生産数は2884機(1説には3159機)で日本機としてはかなりの数です.
(海軍は紫電・紫電改,雷電を合わせても2000機以下)
稼働率は低くても,昭和18年6月登場以降,劣勢の隼に変わって,疾風が本格的に数が揃う19年秋までの間,日本陸軍の主力として奮闘した事は評価されていいと思う.
【質問】
三式戦飛燕の機体をドイツに提供し Me109シリーズのエンジンを積んだら 本家Me109以上の性能を発揮できるでしょうか?
【回答】
同等の性能は出せるでしょうが,優越するのは無理でしょう.
三式戦のエンジン以外の部分,特に機体の設計が優秀だと言いたいのだと思いますが,三式戦の総合性能は,Bf109Fと同等と評価されると思います.
航続距離も含めて.
三式戦の量産一号機の完成が1942年8月.
本格的な量産と戦力化は1943年です.
このころのドイツ空軍の主力はDB601Aを装備したF型であり,三式戦の活躍する余地はありません.
さらに,1942年春には,DB605(1475hp)を搭載したBf109G型の生産も始まります.
三式戦はハ40=DB601A(1100hp)ですので,どうやっても優位には立てません.
では,三式戦にDB605を積めば…… という話になりそうですが,DB601Aは重量590kgに対し,DB605は751kgなので,機体強度とバランスを考えると積み替えは難しいです.
さらにまた,ドイツの兵器体系に無い兵器を加えるわけですから,補修部品の確保やパイロットの育成などを含めた手間を考えると,割に合わないと考えるのが,一般的な回答になると思います.
極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
青文字:加筆改修部分
ほぼ同一エンジン機比較
(画像掲示板より引用)
【質問】
マウザー砲を装備した飛燕は,対B-29戦闘で重宝されたんですか?
【回答】
重宝されたようですね.
マウザー砲を装備した一型丙は,時期的にニューギニアへ送られた機体はあまり多くなく,その多くは飛行56戦隊や244戦隊といった,国内の防空戦闘機隊に回されたようです.
そして部隊ではマウザー砲は装填が電動式で,故障も少なく高威力だったことが,高く評価されていました.
ただし,空対空体当たりを目指した震天制空隊の装備した機体では,軽量化のためにマウザー砲は外しています.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
飛燕がB-29に体当たりした瞬間を目撃したって話がありますが,昼間空襲の場合かなりの高度を飛行していたと思うのですが,例えば5000m上空で地上から飛燕だとわかるものなのでしょうか?
【回答】
昼間空襲の場合は,有視界の場合,約3,900~5,000mでの作戦ですが,震天制空隊などの記事は,1945年1~2月頃に人口に膾炙していますので,大抵の人々はあれは飛燕に違いない,となったみたいです.
因みに新鋭機として,飛燕が国のメディアを通じて紹介されたのは,1945年1月の事です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
5式戦の評価は?
【回答】
あらゆる戦闘機に乗った経験があると言われる名パイロット荒蒔氏は,国産機では五式戦に最高点を付けてますね.(外国機ではFW190.)
未熟練者でもたやすく乗りこなせる点で,熟練パイロットの不足した大戦末期にはありがたい機体だった,と渡辺氏も著書「飛燕」の中で書いています.
5式戦は稼働率の高さと信頼性が末期にはなによりも貴重だったのでしょう.
これは隼3型と同じです.
大戦末期の日本の状況を表していますね.
三式戦飛燕の機体は大量生産を考慮した設計となっており,重心バランスの変更に対して非常に応用が利くようになっています.
後に,液冷から空冷エンジンに乗せ替えたとき,大きな変更も無く機体をほぼそのまま使い,五式戦として正式機となりました.
五式戦の投入は敗戦間際であったため活躍期間は短かったのですが,評価の高い機でした.
【質問】
五式戦はP51に相性が良かったと聞いたことがあるけど事実でしょうか?
事実だとしたらその理由も教えて下さい.
【回答】
当時の陸軍戦闘機としては,速度性能,上昇性能,空戦性能,実用性のバランスが良く取れていたので,太平洋戦争末期の本土防空戦に於て,結構活躍しました.
また,B-29が高々度精密爆撃から低高度無差別爆撃に方針を切り替え,自ずと護衛戦闘機も中高度域での護衛が為されるようになった為に,日本戦闘機としては性能が最も出る状態で戦闘が行えたことも大きいか,と.
当時の陸軍戦闘機の中にあって,隼は既に旧式化著しく,鍾馗は機数が足りず,飛燕,疾風は稼働率に問題を抱えている状況では,当時の敵戦闘機の性能に追随でき,尚かつ稼働率が良く,機数が揃えられた五式戦がP-51との空戦にそれなりに活動できたと言うことではないでしょうか.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/06/04(日)
Névtelen őrmester ◆Sgt/Z4fqbE : "2 csatornás" katonai BBS, 2006/06/04
(vasárnap)
青文字:加筆改修部分
Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
一方,「Warbirds」によれば,5式戦が米軍に脅威を与えたという事実は全くないという.
以下引用.
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また,三式戦二型にとってハ112II(金星六〇型系)がハ140に代わって大量供給を望める発動機だったかという点にも注意が必要です.
五式戦の試作機が完成する前に三菱の名古屋発動機製作所は壊滅してしまっています.
静岡に移転したばかりの金星製造設備も十分なポテンシャルが無く,既に大規模な生産を続けている四式戦とハ45(誉二〇系)を代替することなど思いもよらない状況です.
発動機の供給に難があることに関してキ一〇〇と三式戦二型に極端な差は無く,程度の問題といったところです.
さらにハ112II(金星六〇型)には,誉や火星二〇型などの不調で有名な発動機と同じく,水噴射装置という,管制の難しい日本にとって未消化の技術が投入されています.
百式司偵三型などはこのお蔭で可動率を落していますし,キ一〇〇配備にあたっては新たにハ112II用の補用部品を供給せねばならず,その不足のために,陸軍戦闘機隊の中心的存在である明野飛行学校の機体までもが満足に飛行できていません.
明野飛行学校の可動機/保有機数は記録が残されています.
しかも金星には,燃料噴射ポンプと言う生産上の隘路が存在します.
燃料噴射式の金星六〇型を生産拡大するには大量の燃料噴射ポンプの手配が必要なのですが,それは終戦まで生産の隘路であり続けます.
そのために三菱も中島と同じく単体のポンプで済む低圧燃料噴射装置を試作しているのです.
という訳でキ一〇〇の投入は偶然でもなければ実用性と生産見通しの面から手放しで喜べるものではありませんし,米海軍機の空襲によって大損害を蒙り士気低下していた三式戦部隊の機材更新と士気回復――三式戦が対戦闘機戦であまりにも無力であったため――に役立った事は本当ですが,米軍に脅威を与えたという事実は全くありません.
「五式戦」という名称さえ,公式のものかどうか怪しいのですが,一般に伝えられる五式戦闘機に関する逸話の多くは根拠の無い創作に近いものです.
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どちらが正しいと言えるだけの材料を持たないため,両論を併記しておきます.
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