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【質問】
疾風は防弾性はなかったの?
【回答】
昭和48年初版の文林堂『世界の傑作機 疾風』によれば,疾風は防弾ゴム張りタンクのみ,しかも主翼前縁の着脱式タンクは防弾なしです.
また別冊『丸』でも,ムスタングの12.7ミリ弾に対して疾風の防弾タンクが有効だった,という22戦隊のコメントがありました.
異論もあって「無かった」説もあります.
(丸メカは「無かった」説をとってますね)
ただ,同時期の中島の隼2型でさえ軽度の防弾タンクとなっていましたから,疾風でやっていないのはおかしいとの意見もあります.
これは私のあくまで個人的な想像ですが,捕獲された疾風が米軍テスト時に撤去された可能性があると思います.
疾風の米軍のテストは確かに驚異的な高性能でした(時速689キロ)が,そのときの全備重量は3.6トン程度(日本での正規は3.75〜3.89トン)だったようです.
【質問】
疾風U型?について教えてください.
【回答】
疾風U型と言うべきキ84N(P?)ではハ44(2450馬力)に換装,設計が終わったところで終戦となりました.
ハ44は誉より10cm大きいのですが,Ki84の図面から判断するに,同機のエンジン・カウルは誉の直径ぎりぎりです.
これをハ44に合わせたとすると,おたまじゃくしみたいになるでしょう.
また,ハ44疾風は主翼面積22.5(T型は21.0)でプロペラの長さは3.1から3.5にと,それぞれ大きくなっています.
最大速度は685km/hを予定したそうですが,末期の諸状況から察するに,そこまで成功できるとはとても思えません.
また,誉搭載のクリーンな機首で雷電より視界が悪い(by
米陸軍戦後調査),とされた疾風の事.さらに視界が悪くなりはしないでしょうか.
【質問】
陸軍の飛行第47戦隊において,四式戦・疾風の高可動率を達成した整備部門の長・刈谷大尉について知りたいのですが,詳しい資料はないでしょうか?
【回答】
丸の「図解・軍用機シリーズ7 疾風/九七重爆/二式大艇」
には刈谷大尉の書いた文が,4ページほどではあるが載ってるよ.
また,『世界の傑作機No16鍾馗』には,8ページに渡って手記が載ってます.
要は,飛行機の故障は常に致命的ですから,壊れてから修理するのではなく,壊れ易い部分のチェクリストを作って点検,
点火プラグは80時間交換,
部品の修理はなるべくせずに新品と交換,
重労働のエンジン交換は,専門部隊を作って通常整備に支障を来たさないようにする,
稼働率が良かった小隊は月ごとに表彰する,
などなど.
単独の著書としては,
「日本陸軍試作機物語」 刈谷正意
刈谷大尉が自分が扱った機体について書いてます.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
疾風ってP51と互角に戦える戦闘機ですか?
仮に戦えなかったとしたら,どんな日本軍機が互角にP51と戦えますか?
一対一,そして当時のレベルでの一般的な整備状況でお願いします.
【回答】
元陸軍航空審査部員の荒蒔少佐によると,疾風とP51ではまずまず互角に戦えたものの,やや分が悪かったとのこと.
しかし五式戦なら十分互角に戦えたようです.
これは五式戦の上昇力がかなり良かったことが一因としています.
(ただし,疾風のエンジンがカタログ通りの出力が出ていなかったことや,P51が五式戦の戦い易い低中高度で戦闘を行っていたことを考慮に入れていますが)
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2005/04/29(金)
青文字:加筆改修部分
ただし,基本的に米軍は編隊空戦なので,1vs1はまず無い.
整備レベルで疾風が十分に整備されて熟練パイロットが搭乗すれば,機数が互角のP-51相手に対等に戦えるだろう.
しかし,殆どの疾風が整備不十分なまま戦場におもむいたのも史実.
本土上空あたりの戦いでは,常に損害が酷く,精鋭の343空でも損害比1:1がせいぜい.
その他の航空部隊は,「駆逐されていた」という表現が似合うほど.
米軍と日本軍の航空戦で互角だったのはガダルカナル初期〜中期あたりまで,それ以降は圧倒的敗北.
つか,戦闘機の性能でスペックなんてあまり意味がない.
前線の航空隊レベルでどれだけの速度が出るか,エンジントラブルはどの程度の確率で出るか,稼働率は何割かの方が遙かに重要.
そして疾風の稼働率は糞だったわけで.
軍事板,2005/04/29(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
よく「疾風を戦後,米軍が高オクタン・ガソリンを使って計測した結果,速度が大幅に上昇した」と言う発言を見かけますが,本当ですか?
ガソリンを変えるだけで速度が上がるとは思えないんですが.
【回答】
きちんとした整備,高品質なプラグ,上質なオイル,100オクタンのガソリンを用いた上で,運転時間の短いエンジンを載せれば,それなりの結果は出る.
元来,誉系統は100オクタンのガソリンで一番性能が出るように作られているので.
まず,当時の日本のガソリンは粗悪だった.
昔のガソリンはアルキレーション法で精製していなかったので,採掘した石油の質や添加剤で質がまちまち.
日本の場合,大東亜戦争末期の混乱だけが理由ではなく,精製技術そのものにも問題があり,開戦直前の頃でも,最も良質の航空ガソリンで92オクタン.普通のガソリンはオクタン価が90以下の低質品.
同時期の米軍航空ガソリンは,すでに100オクタンを超えていた.
因みにオクタン価100以上のガソリンは鉛以外の添加剤を加えて理論上その数値を実現したもの.鉛だけの場合は100までしかいかない.シェルの旧ハイオクはオクタン価95程度だったらしい.
そしてオクタン価が低いと,ブースト落として実効圧縮比を下げないとデトネーションする.
栄21型の場合,
オクタン価92の場合,離昇時ブースト300mmHg 実効圧縮比10.04 出力1130ps
オクタン価87の場合,ブースト上限は75mmHg
実効圧縮比 7.83(推定の出力866ps)
また,当時の日本はモービル製エンジン・オイルのコピーをしていたが,質は良くなかったようだ.
オイルの質が悪いと,冷却が悪くなり,筒温が上がったりフリクションが増えたりする.
ぶっちゃけ,モータリゼーション後進国で,インフラが全然無かったと.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)
▼ 亡くなった伯父が「銀河」に通信士として乗っていました.
鹿屋から沖縄に偵察にいく場合,100オクタンのガスを予備タンク(?)に入れておき,「そろそろ敵の制空圏内かな?」というところでそのタンクに切り替えていたそうです.
2〜3度コルセアに追われたそうですが,その100オクタンガス+緩降下+雲隠れで逃げ切ったそうです.
100オクタンガスで飛ぶと,全く別の飛行機になったように軽快だったと言っていました.
▲
▼ ただし,疾風の米軍のテストは確かに驚異的な高性能でした(時速689キロ)が,そのときの全備重量は3.6トン程度(日本での正規は3.75〜3.89トン)だったようです.
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【質問】
日本に現存している四式戦闘機「疾風」は,飛行可能な状態で譲り受けたはずなのに,なぜ飛べなくなってしまったのか?
【回答】
知覧の疾風については,ウィキペディアにこんな記事があります.私の方では真偽は分かりませんが.
嵐山美術館で展示されるうちに部品の盗難が相次ぎ,さらには機体の腐食やエンジンの破損も進み,現在は全く飛行不可能な状態となってしまっている.
機体を日本へ譲渡したドン・ライキンスはこの状況を聞いて譲渡したことを深く悔いたという.
こういうのを読むと日本では本当にお寒い状況だと感じます.
アメリカでは第二次大戦の戦闘機等が展示されてるだけでなく,フライアブルな機体がローカル空港にあって,自家用機操縦免許があれば操縦も出来ます.
例えば私が訓練していたフロリダの空港では,P-51が1時間40万円くらいだったと思います.
あと数年前,Aviation Weekのストリーミング放送でMe262が飛んでましたね.
Fabius(KT) in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
それ以前に嵐山へ移送する際の都合で,富士重工の連中が桁材をぶった切ってしまって飛べなくなった,という噂が根強くありますが….
一応この件に関しては,富士重工関係者から
「飛行機のプロ,しかもウチで造った奴にそんな事する訳ない」
という意見で強く否定された事を追記しておきます.
直接の担当者から聞いた正式ソースでは当然無いんですが…※
富士重工工場内とかにもT-2は保存されていたり,同じグループということで,スバル販売の敷地にT-2最終生産機が保存されてたり,現在はかなり保管には気を使ってると思うほうなんすけどね.
考えられるのは,嵐山側から運送費をケチる為にとにかく小さく切り刻めと強く指示された,とか,二度と飛行出来ないように という条件が上から来てた,とか,そんな事も有りえるかと思ったりしますが(想像ですが).
知覧の飛燕も終戦時は飛行可能だった可能性が高いのに,その後の引きずりまわしで飛べなくなった可能性大ですからねぇ.
※富士重関係者が切断なんかしてないと反論している記事は,「Warbirds」にもある.
ただ,アメリカならマシか?と言われると,必ずしもそうじゃないんですよね.意外だけど.
例えば,件の二式大艇の保管状況ですが,当初はノーフォーク基地にモスボール状態で保管され,常に艇内に乾燥空気を送り込み,艇に干渉することは禁じられていました.
しかし,いつしか管理が甘くなり,最終的に出入りが自由になってしまい,日本に来る直前の状態で,計器類の多くが盗難の為に紛失,子供の遊び場となった艇内にはコーラの空き缶が転がり,一部のガラスは破損,落書きなども見られたとのこと.
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