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「D.B.E. 三二型」(2011/01/22)◆『FF 零式(レイシキ)』を「ゼロシキ」と呼ばないで 田畑Dがコメント
「D.B.E. 三二型」(2011/01/22)◆スクエニ田畑さん「零式の読み方は『レイシキ』です,ゼロシキという読み方は本来存在しないそうです」
「D.B.E 三二型」(2013/03/24)◆埼玉 「ゼロ戦」人気集め展示延長
「Togetter」◆(2012/12/02)2012/12/02 所沢ゼロ戦エンジン起動見学会メモ
「朝目新聞」●やるおと学ぶ零戦 (of 人生VIP職人ブログwww)
『海軍零戦隊撃墜戦記1 昭和18年2月〜7月,ガダルカナル撤退とポートダーウィンでの勝利』(梅本弘著,大日本絵画,2011.10)
超速読.
写真関連,日本側は特に目を見張るような写真無し.
各飛行場のクリアーな写真は珍しいか.
米軍の写真は未見のもの多し.
文章,概ね予想していた通り.
双方の記録を照らし合わせるいつもの本です.
「おっ」と思った記述は,20mm旋回機銃装備の99艦爆.
確定とまでは言わないが,零式水偵で20mm装備のは写真が残っているので,99艦爆で同じことをしていても不思議ではない.
巻末には宮崎監督との対談があり,宮崎監督のご実家が,零戦の部品の組み合わせをする工場をされていたと知る.
常識だったのかな?,これ.
気になったのは,この本にはまえがきもあとがきもないこと.
突然話が始まり,突然終わる.
あって当たり前の物がないと,結構引っかかる.
続巻が出るなら,この点配慮を.
――――――軍事板,2011/09/05(月)
青文字:加筆改修部分
『海軍零戦隊撃墜戦記2 昭和18年8月〜11月,ブイン防空戦と,前期ラバウル防空戦』(梅本弘著,大日本絵画,2013/11)
『海軍零戦隊撃墜戦記3 撃墜166機 ラバウル零戦隊の空戦戦果,全記録』(梅本 弘著,大日本絵画,2014/01)
『最後のゼロファイター 本田稔・元海軍少尉「空戦の記録」』(井上 和彦著,双葉社,2013/12)
『最後の零戦乗り』(原田 要著,宝島社,2013/12)
『坂井三郎「写真大空のサムライ」 新装版』(雑誌「丸」編集部著,潮書房光人社,2013/12)
『蒼空の航跡』(今泉利光述,久山忍著,産経新聞出版,2009.6)
「当事者の記憶を元にライターが書いた本」だけど,零戦本として最近出た本の中じゃ,内容は非常に良かったよ.
アジ歴の史料と事実関係を調べたが,資料抜け・記憶違いや順序違いはあったものの,まぁ誤差の範囲内で確かにフィリピンで零戦乗って迎撃や艦船攻撃に出撃しておられた.
サムライのような無名のエースや歴戦の士官が出てきて,「なんだよ,その仮想戦記みたいな設定は(笑)」と思った部分も,ちゃんと該当する人物がいてびっくり・・・
南中尉,江馬飛曹長,ともに残ってる行動調書に出てくるんだよな.
――――――軍事板,2010/02/11(木)
『祖父たちの零戦』(神立尚紀著,講談社,2010.7)
後半が興味深くて一気に読んでしまった.
どうも主題は後半の4章な気がする.
B-32迎撃戦って,機上戦死出てたんだな.
――――――軍事板,2010/07/28(水)
読了.
いや面白いわ.
真珠湾奇襲前の緊張した雰囲気を和らげようと,春画の個展を開く話は爆笑した.
昔から日本人ってのは(笑
戦後編は日本人の従軍記にありがちな,「生き延びてしまって戦友にすまない」的な雰囲気が漂ってて,ルデルの「急降下爆撃」のアッケラカンとした感覚との違いが印象的.
こういう「割り切れない」気持ちってのは,日本に独特なのかなあ.
敗戦→戦後教育っていう,社会の変化もあるんだろうけど.
-----------------軍事板,2011/11/02(水)
『ゼロ戦の秘密』(クリエイティブ・スイート編著,PHP文庫,2009/3)
――――――
いつもご紹介している平藤清刀さんが,執筆に参加された本を紹介します.
■第1章は,零戦の実戦記録です.
操縦士たちの「戦闘機乗り魂」が余すところなく表現されており,実に面白いですね.
宇垣纏中将の特攻出撃で終わるこの章は,零戦・空戦方面から描いた「コンパクト大東亜戦史」ともいえる内容です.
記述は詳細で,読み手の頭に現場の光景が浮かび上がるようです.
文庫本なのに,ここまで「微に入り細に入った」深い表現がなされていることに少し驚いてます.
おそらくこれは,書き手の「深くて広いリサーチ」と「軍事啓蒙への想い」の賜物でしょう.
さすがは平藤さんと思わせる内容です.
中でも面白かったのは,オーストラリア本土を攻撃した「ダーウィン上空での戦い」でした.
マダガスカルとオーストラリアにわが帝国海軍の潜航艇が上陸したはなしを,ずいぶん以前にマガジンでご紹介しましたが,大東亜戦争時のオーストラリア方面作戦について,戦後日本が知るところは少ない気がします.
この項を通じてひとつ知識を増やしていただきたいですね.
戦争指導の誤りへの批判と,戦場で雄雄しく戦った先輩への誇りの念は立派に共存する.
「両者をともに吸収し,昇華させ,教訓という果実を実らせて具体的に実践する」ことこそが大切なのだ,と改めて感じます.
本章を読んでいると,フィクションを見ているかのような錯覚を覚えますが,すべて事実であることをあわせて銘記しておきます.
■第2章は,零戦を中心とする戦闘機カタログです.
零戦各型,零戦と戦った敵戦闘機,一式陸攻,紫電改の図,スペック,簡単な説明が記されています.
■第3章は零戦の性能と開発にかかわる詳細な説明です.
「空戦性能」と「航続距離」の2つの性能に優れた零戦は,ある時期まで世界一の戦闘機でした.
そのことを技術面から詳しく解説しています.
堀越さんを中核にした当時の開発陣のすばらしさも改めて感じます.
開発に至る経緯も非常に興味深いです.
「無茶な要求をする海軍」に応えた技術陣は,真の開発者魂を持っていたといえましょう.
基本的に専門家というのは,「できない言い訳」をするものですからね.
ブレイクスルーの事例としても非常に興味深いです.
軍事力は国力そのものであることもよくわかりますね.
■第4章は,零戦にかかわった人物列伝です.
次の各氏が紹介されています.
大空のサムライ・坂井中尉,天下の浪人・岩本中尉,若き名パイロット・杉田少尉,エースパイロット・笹井少佐,海軍屈指のエース・西澤中尉,豪傑・杉野兵曹長,名隊長・横山中佐,戦略家・源田大佐,設計チームの中心人物・堀越二郎
■第5章は,零戦をめぐるよもやま話を紹介しています.
Q&A的な位置づけですね.
一般の方でしたら,零戦に関してお持ちの疑問はすべて解決するのではないでしょうか.
実寸大の零戦を見ることができる施設の所在地も紹介されています.
その後は,ブックガイド,映画ガイド,そして参考文献となっています.
■工芸品だった零戦
「零戦は量産に向かない一種の工芸品だった」という言葉が文中に出てきます.
これは実に意義深い言葉ですね.
どこまでも美を追求するわが国民性を示した言葉といえるかもしれません.
零戦は,そのすべてがあまりに美しすぎ,国家が戦に勝つための兵器としては失格だったのかもしれません.
大東亜戦争から国民が汲むべき教訓のひとつかもしれません.
■オススメです
文庫本なのに,零戦に関して事実上完結したこの本.
一冊持っているだけで普通の方なら十分な内容です.
費用対効果が極めて優れた本著を,オススメします.
――――――おきらく軍事研究会,平成21年(2009年)3月18日
『太平洋航空大決戦 零式艦上戦闘機 歴史群像シリーズ』(学研パブリッシング,2012.4)
『台南空戦闘日誌 最強零戦隊330日の全戦歴』(郡 義武著,潮書房光人社,2013/12)
『零式戦闘機』(吉村昭著,新潮文庫; 改版,1978/4/3)
ざーんねん,記述内容に勘違いが多すぎる.
空中分解事故のあたりなど,目を覆わんばかりのトホホぶり.
柳田邦男の「零式戦闘機」と読み比べれば一目瞭然.
ま,航空史小説と,歴史小説の立場の違いといえば,それまでだが.
------------軍事板,2001/11/17
『零戦 老兵の回想』(原田要著,桜の花出版,2011.12)
蒼龍に乗り組み,コロンボを空襲したときの話.
・フルマーは零戦より速い.
・ホーカーハリケーンも速い.
あと,戦後まで生田さんがご存命で,叱咤激励してもらった話が,個人的には好みだった.
あとでその本に出てくるチモール戦について調べたら,空挺部隊の戦死者は30人くらいで意外と少なく,現場で「全滅」と思ってても,数字を詰めると違ってて,戦場での実感というのもなかなか難しいものだと思った.
------------軍事板,2012/01/09(月)
『零戦の誕生』(森史朗著,文春文庫,2005.8)
この板に来る人なら,別に目新しいことは何もないと思う.
――――――軍事板,2010/06/19(土)
かなり前に読んだ.
フラッター問題解決に尽力した松平精技師の写真があるが.凄いイケメンだったのを覚えている.
若い頃の草刈正男をもっと優男にした感じ.
零戦の話は有名なんで,細かくて良い本だと思ったけど,既知の話が多かった.
――――――軍事板,2010/01/08(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「ゼロ戦」って何? 3行で教えて!
【回答】
「ゼロ戦」こと「零式艦上戦闘機」は,太平洋戦争緒戦において,その空を制した優れた戦闘機でした.
しかし後継機の開発が遅れたため,末期になっても使われ続け,初期の優れたパイロットも次第に失われて苦戦することとなりました.
機体やエンジンの違いによる各種形式がありますが,初期の二一型と,後期の五二型が比較的有名です.
零戦各種
(画像掲示板より引用)
【ぐんじさんぎょう】,2013/07/25 20:00
を加筆改修
【質問】
清水政彦『零式艦上戦闘機』ってどう?
従来の説に多く異を唱えてるけど.
【回答】
「零戦は無敵じゃない」スレッドで,
「20mm機関砲の説明で納得できないところがあるけど,良著だ」
って言われてましたよ.
そこのスレッドで新通説と挙げられてるほとんどは,その本に書いてあることですし.
納得できないのは,
・機体表面で爆発してしまうことが多いので,エンジンやパイロットを普通に貫通してれば致命傷を与えられるのに,それが難しい
・どこに当たってもダメージは与えられるが,実は致命傷を与えにくい武器
だと.
軍事板,2011/10/26(水)
青文字:加筆改修部分
【珍説】
「ゼロ戦はパイロットの間でも親しまれていた愛称」というのは誤り.
まず当時の日本人にゼロという言葉がなかった.
それにモロ敵性語,一応部隊番号に英字は使われていたけど,海軍であっても士官以下が外語を使う事はなかった.
軍事マニアなら,ゼロが戦後に始めて日本流布した事は誰でも知っている.
【事実】
公式の呼称は「レイセン」ですが,坂井三郎等パイロット達も,普通に「ゼロセン」と呼んでいたようです.
「まず当時の日本人にゼロという言葉がなかった」というところからして間違いで,大きな図書館で戦前の文芸誌など読めば「ゼロ」は楽に見つかります.
実際,昭和十九年十一月二十三日の朝日新聞にも,『荒鷲等からは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ』とあります.
ちなみに零式観測機も,ほとんどの搭乗員が「ゼロ観」と呼んでいたようです.
(True/False ◆ItgMVQehA6他)
以下引用.
●再刊に寄せて 坂井三郎
最後に,「零戦」の読みについてお断りしておきたい.文中「零戦」と表記しているが,言うまでもなく漢字としての「零」はレイ,であってゼロという読みはできない.
しかし,「零戦」はゼロセンなのである.
もちろん制式採用当初の名称は,「零式艦上戦闘機」(レイシキ・カンジョウ・セントウキ)であり,多くの場合「レイシキセン」あるいは「レイセン」と呼ばれていたのは間違いない.
しかし,空母や陸上部隊において「ゼロセン」の呼び方が使われていたことも事実であるので,ここでは一般的な呼び方として「ゼロセン」を採っている(原題もゼロ・ファイターであり,今や世界共通語でもある).
この呼び方にかんしては,ゼロかレイかと気にする向きもあるようだが,現実には
「両方とも使われていたので,あまり気にする必要はない」
というのが正解ということになるだろう.
http://namiki-shobo.co.jp/war2/tachiyomi/ww2001.htm
「海軍であっても,士官以下が外語を使う事はなかった」についても,例えば,阿川弘之氏はその著書の中で
「士官も下士官も使った日常語では,風呂がバス,ブリキ缶がチンケース,道具箱がギヤボックス,
色々あるけど,いずれにせよ,ことごとくが英語『みたいなもの』だから,戦争中世間に「敵性語廃止」の声が高くなっても,海軍は英語の全廃など到底出来なかった.(講談社刊『海軍こぼれ話』)」と書いておられます.
阿川氏の考え方が海軍のメインだったかどうかはわかりませんが,こういう考え方の人たちがいたことは間違いないでしょう.
軍事板
今から十数年前の夏,偶然にもS根K年氏とお話をする機会が御座いました.
ちょうど「零戦燃ゆ」あたりを読んでいたわたくしが,
「ところで,堀越さんとしてはれーせんの防弾に対して・・・」
とか
「れーせんの沈頭鋲の効果というのは実際のところ?」
とか,うじゃうじゃ質問しておりましたところ,S根氏が急にわたくしの話をさえぎって
「ゼロ戦でいいですよ,ゼロ戦で.私ら,当時からそう呼んでましたから」
と言われましたことを鮮明に覚えております.
ガキんちょが,さかしらぶって,ああだこうだ言うのにうんざりされたのかも知れません.
まあ,造った人の一人がどっちでもいい,と仰るんだからどっちでもいいんでしょう.
なお,海軍軍人の中で源田さんほど設計者の言うことを聞いてくれない人はいなかった,戦訓会議でも普通に喋ればいいのに,大声で威圧的に喋るからヤダった,と笑っておられました.
S根氏も亡くなって3年になりますか.
【質問】
零戦の生産数は?
【回答】
零戦の生産量(昭和19年2月まで)
秋本実氏の「日本軍用機航空戦全史」が基礎資料.
三菱 中島
21型 32型 22型 52型 21型
昭和15年11月 16機
12月 19機
昭和16年 1月 23機
2月 23機
3月 30機
4月 27機
5月 30機
6月 25機
7月 24機
8月 30機
9月 33機
10月 43機
11月 52機
1機
12月 60機
5機
昭和17年 1月 59機
19機
2月 58機
21機
3月 55機
23機
4月 54機
22機
5月 58機
28機
6月 21機 24機
29機
7月 46機
41機
8月 51機
52機
9月 64機
62機
10月 65機
72機
11月 67機
80機
12月 23機 46機
96機
昭和18年 1月
68機 89機
2月
69機 100機
3月
73機 112機
4月
73機 120機
5月
72機 126機
6月
77機 132機
7月
9機 146機
8月
76機 156機
9月
93機 170機
10月
105機 182機
11月
109機 202機
12月
130機 225機
昭和19年 1月
125機 238機
2月
108機 79機
なお,中島では昭和19年2月以降,52型の生産が開始.
その2月の(21+52)の生産量と3月以降の分は,別スレッドにて後日補完してますので後ほど.
零戦月別生産量
三菱 中島
41年 1月 23機 0機
2月 23機 0機
3月 30機 0機
4月 27機 0機
5月 30機 0機
6月 26機 0機
7月 25機 0機
8月 30機 0機
9月 33機 0機
10月 43機 0機
11月 52機 1機
12月 60機 6機
42年 1月 60機 19機
2月 58機 22機
3月 55機 35機
4月 54機 22機
5月 58機 28機
6月 45機 29機
7月 46機 41機
8月 51機 52機
9月 64機 62機
10月 65機 72機
11月 67機 80機
12月 69機 96機
43年 1月 68機 89機
2月 69機 100機
3月 73機 112機
4月 73機 120機
5月 73機 126機
6月 73機 132機
7月 77機 146機
8月 85機 156機
9月 93機 170機
10月 105機 182機
11月 110機 202機
12月 130機 225機
44年 1月 125機 238機
2月 115機 154機
3月 105機 271機
4月 100機 230機
5月 95機 232機
6月 100機 200機
7月 115機 163機
8月 135機 232機
9月 135機 245機
10月 145機 194機
11月 115機 109機
12月 62機 206機
45年 1月 35機 216機
2月 59機 108機
3月 40機 207機
4月 37機 230機
5月 38機 247機
6月 23機 185機
7月 15機 138機
8月 52機 85機
出典は米国戦略爆撃調査団報告書.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
52型以降の三菱製と中島製零戦の区別の仕方が分かりません,
【回答】
水平尾翼下の塗り分けが違う.
主翼後端のラインから水平尾翼の高さまでまで下面色が上がっているのが中島製.
主翼後端のラインから尾輪まで真っ直ぐなラインなのが三菱製.
【質問】
零戦に関することなんですが,よく工場から出荷時に牛車で引いて飛行場まで運んだとの記述を見かけるのですが,これは三菱製,中島製をとわずなのでしょうか?
またそんな事をしなくても工場敷地内に滑走路を,用意しておけば,機体,エンジンの慣らしが終わった段階で部隊へそのまま納品できると思うのですがしなかったのは何か理由があるのでしょうか?
【回答】
牛車を用いたのは三菱の工場だけです.
中島の工場はクルップとかライトの工場を参考に造られています.
ドイツなどでは,防空上の理由で,工場を秘匿することを最優先として,隣接する場所に滑走路は無く,完成機は最終組立所まで鉄道で運ばれ,組立て,試験し,前線に送っています.
【質問】
うちのじいさんは昔,日本海軍のパイロットとして零戦に搭乗してたらしく,零戦は名機だったと話してくれますが,私はわかりません.
零戦はそんなにすごかったのでしょうか?
また,そんな名機を保持していた日本がなぜ戦争に敗けたのでしょうか?
【回答】
世界水準の戦闘機を一機種開発出来ただけで世界大戦に勝てる程,あの戦争は甘くはないのです.
あの時代の航空機の進歩は日進月歩ですが,零戦を生んだ日本には諸外国のその進歩についていけるだけの国力を持たなかったのです.
確かに零戦は登場時こそ「神秘的」と称されるほど,日本機を過小評価していた連合軍側を驚かせるだけの性能を持っていました.
当時の米空軍のパイロットの規定の中に自分の判断で逃げる際の判断の基準のなかに「ゼロと遭遇したときと」というのがあったそうです.
しかし非力なエンジンを極端な軽量化で補った機体は,性能向上の余地が少なく,また日本の国力では零戦のさらなる能力向上やその後継機の出現も果たせませんでした.
太平洋戦争がはじまって緒戦こそは性能的な優位に立てましたが(昭和17年中期ごろまで),連合軍側が緒戦のショック状態から立ち直って組織的な反撃をする頃になると,それまでの無敵神話(これもかなり怪しいのですが)は影を潜め,最初は量で,最後には量と質の両方で零戦は連合軍の戦闘機に圧倒されて,日本の敗北と共に姿を消しました.
性能では,海軍のF4Fで同じくらいの性能に追いつかれそうになって,F6Fで突き放されました.
太平洋戦争を始められたのは零戦があったから・・・とも言われますが,戦争を勝利で終わらせる程の力は,日本の国力と共にあの戦闘機にもありませんでした.
【質問】
戦前の零戦は,どこの何という部隊に所属していたのですか?
【回答】
自動車の中にプリウスだの何だのとモデル名称があるように,零戦も,戦闘機というジャンルの中の一つのモデル名称に過ぎません.
零戦は,正式には零式艦上戦闘機と言いまして,零式が名前.
艦上と言うのは軍艦(空母)で運用する戦闘機,と言う意味です.
ミリタリー用語で戦闘機とは,主に空対空戦闘(相手の飛行機を打ち落とす)を主とする軍用機.
(他にも爆撃する爆撃機,偵察する偵察機,魚雷攻撃する雷撃機などがあります)
ですので,零戦は海軍の空母の戦闘機部隊に配備されています.
昭和14年9月半ばに1号機が海軍に引き渡され,横須賀海軍航空隊の手に.
15年7月半ばに各種の実用試験が終了.
第十二航空隊へ配備,直ちに漢口へ移動し訓練及び試験.
9月に華南の第十四航空隊へ配備,サイゴンへ移動.
その後,各部隊へ配備されたようです.
(さらにその後,零戦は各戦線に行き渡り,陸上の部隊にも配備されました)
軍事板,2003/12/10
青文字:加筆改修部分
空母「瑞鶴」航空隊所属の零戦二一型
251空(基地航空隊)所属の零戦
零戦以外にも,様々な戦闘機があります.これはF4U「コルセア」戦闘機
現代の戦闘機,F-22「ラプター」
(以上,画像掲示板より引用)
【質問】
大戦初期,米軍が「ゼロを見たら逃げろ」みたいなことを指示?していたという話をよく聞くのですが,それを裏付ける米軍の命令書みたいなものが存在するのでしょうか?
調べてみても,ウイリアム・グリーンなど,伝聞みたいなものしか見つからなかったのです.
ヨッチ
【回答】
「逃げろ」ではなく,「格闘を避けろ」の,ソースっぽいものは見つけたけど,英文だと思ったほどヒットしません.
検索の仕方が悪いのか,そんな事実は無いのか……
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/zero/zero1.htm
http://www.aviation-history.com/mitsubishi/zero.html
極東の名無し三等兵
記憶モードで恐縮ですが,1980年代初頭の航空ファン誌に,R.C.ミケシュさんだったかの書いた連載もの,「零戦に対抗する米軍の戦術」みたいな記事があって,その第1回目か2回目かに,ゼロを見たら…と言うのがあったと思います.
最終的に,サッチウェーブとか一撃離脱での空戦を行えと言うマニュアルが出来て…と言うものだったか,と.
しかし,この頃の航空ファンが全部,埋め立て地でゴミの山に埋もれたのは正直痛かったり.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
▼ 冨永謙吾(元防衛庁戦史編纂官,海軍中佐)氏の『米軍の日本海軍航空論評』にある,『二,零戦の評価』では,以下の様に書かれています.
以下引用.
――――――
ダイダリアンが語る零戦の対策
一九七一年(昭和四十六年),米軍の航空機搭乗員の会ダイダリアン(Daedalians)に招待された坂井三郎中尉(昭和八年志願兵,第三十八期操縦練習生)等八名が米側会員から聞いたところによると,
(中略)
空中戦で逃げてよい場面は,零戦に遭遇した時と積乱雲に出くわした時だけである.
――――――
あと,零戦対策については,ヘンリー・キース氏の『生きている零戦』(経済往来社,1978)の要約文によれば,
以下引用――――――
(1),零戦とはドッグファイト(格闘戦)を絶対企てるな.
(2),時速三○○マイル(四八○km)以下では,敵の背後にいる以外,絶対零戦を誘い込むな.
(3),低速で上昇中の零戦には絶対付くな.
――――――
という三項目の絶対禁止事項が,航空部隊に通達されたようです.
▲
【質問】
熟練搭乗員の中には
「1対1なら,相手がF6Fでも零戦は負けん」
と豪語した人もいたそうだけど,実際はどうだったの?
【回答】
そう言った「名人芸」気質に頼る当たりが日本の弱点です.
陸軍も手動式の三八式歩兵銃を
「米軍の自動小銃に比べ連射性能が落ちるが,訓練の行き届いた兵ならそれ程の差はない」
なんて言って使っていました.
東郷さんの言った「一発必中の砲一門は100発1中の砲百門に勝る」と言うのと同じ思想です.
たとえ多少命中率,破壊力が落ちても新人を含め,誰もが簡単に扱って結果が得られる武器,これが理想です.
そう言った意味では22型以降の零戦は,米軍F6F等に劣っていたと言わざるを得ないでしょう.
延伸性の高い13mm機銃が付いていれば,少量の大口径弾を遠距離(無効弾)からばらまいてしまう愚は犯さなかった可能性があります.
しかし,日本は貧乏国だったので,そう言った発想はあっても実現は困難だったでしょう.
陸軍に100式機関短銃が最後まで実用的に行き渡らなかったのと同じです.
【質問】
零戦は,パイロットが乗りこなせるようになるまでに時間のかかる,職人芸を必要とする機体だったのですか?
【回答】
職人芸がどうのはともかく,零戦はその特性を生かせるようになるまでには時間がかかる機体であったのは事実でしょう.
単純に飛ばせるようになるという意味での習熟までの必要時間が短くても,あまり意味はない.戦闘機である限り戦力といえるまでに習熟する必要がある.
つまり,敵を撃墜できるほど上達しないといけない.
その点で格闘戦用機の場合,搭乗員は当然のことながら格闘戦において,自力で敵を撃墜できるレベルまで技術を上げないと戦力とはいえない.
それに対して,一撃離脱用機の場合戦場で「編隊として」戦えるのでベテランパイロットと組めば,そこそこの人でも戦力となりえる.
たしかに,どういう特性の機体であれエース級になるには才能と時間が必要でしょう.
ただ,格闘戦の場合,新米はエース級の人についていくことすらできない.
一撃離脱戦ならば新米はエースについていけばなんとかなる.
そういう意味で,「零戦は習熟するのに時間がかかる機体であった」というのは間違ってないと思いますよ.
一撃離脱専用零戦(嘘)
(画像掲示板より引用)
【質問】
それは,零戦は操縦性が悪かったってこと?
【回答】
いいえ,むしろ練習機からの乗り換えも比較的楽な,操縦性に優れた飛行機でした.
零戦はどんなパイロットが乗ってもそれなりに動く機体だったそうです.
雷電や紫電改のように「恐ろしい,乗りにくい,操縦性が悪い」という評判がでなっかたそうですから,
詳しくは朝日ソノラマの文庫本に雷電について書かれた本がありますので参照にして下さい.
しかし,名パイロットであっても機体の能力以上のことはできません.
空戦方法に一番の問題があったのではないでしょうか.
しかしながら,操縦性がいいというのと格闘戦ができるというのは全くの別問題でしょう.
格闘戦の技能はどう考えても「職人芸」です.
つまり格闘戦に特化した零戦は,やはり職人芸ヒコーキと言わざるを得ないでしょう.
降下限界の低さから一撃離脱戦法に切り替えるのも無理があったでしょうし,やはりパイロットも込みで戦力になる戦闘用の航空機としては問題があると思います.
坂井三郎が言うには
「零戦は,非常に離着陸がやりやすく操縦しやすい機体なので,技量の低いパイロットでも飛ばせた」
これが,Me109 とかだと大変.
日本では非常に扱いにくかったという評判の雷電が,アメリカのテストでは扱いやすく飛ばしやすいと評価されているくらいから, 重くて操縦性の悪いアメリカの機体に比べれば,日本の機体は,とんでもなく操縦しやすかったということだね.
そもそも十二試艦戦の設計要項項目の中にも,「離着陸が容易のこと」と書いてあるし.
【質問】
零戦には弱点はなかったの?
【回答】
零戦の弱点としては……
*武装が貧弱
20mmは初速が遅く携行弾数が少なく,副武装の7.7mmは威力不足.
登場時点で並み,太平洋戦争がはじまった時点では並み以下.
*防弾無し
要求仕様になかったのと非力なエンジンのせいで実施する余裕なし.
*横転性能が悪い
旋回性能を重視して大面積の補助翼を採用した事,主翼の剛性不足により,零戦の最大速度付近では事実上,横転操作が不可能.
(従って零戦の優れた格闘戦能力は低中速域のみ)
*急降下性能が悪い
連合軍機の後ろについてもダイブで逃げられると零戦は追尾できない.
逆に零戦がダイブで不利な状況を脱しようとしてもそれが出来ない.
*無線機が使えない(これは零戦だけではない)
無線は積んでいただノイズばかりで役に立たず,重量軽減の為に降ろし,アンテナをノコギリで切った逸話があり.
単機格闘戦から編隊戦闘に移行した第二次大戦では,空中無線電話の果たす役割は大きい,
日本の場合はこれに逆行している.
上記弱点を補うべく改造型も作られたらが,エンジンの出力増加が伴わず,改造する毎に重くなるばかりで,初期の素晴らしい格闘性能は,後期型になる程失われていきます.
最後には,
「零戦もこんなになったか」
と,生き残りの熟練搭乗員に嘆かれる事になりました.
上記の弱点の他に,軍の格闘戦重視思考が足を引っ張っています.
高速を利して,遠距離から13mm機銃を束にして(6−8丁)弾を撃ち込んでくる米英軍に対し,我が国は格闘戦で相手の後ろについて,20mm機銃を名人芸的に撃ち込んで戦おうとしました.
これでは勝負になりません.
我が国は小回りの利き,小型のエンジンで,防弾,通信等の安全装備を犠牲にしました.
米英軍は高速安定性,大型のエンジン(我が国の倍),搭乗員保護生還性の確保を行いました.
この差に加え,生産性,定期的な休養を与える乗員管理,救難体制の充実などが大きな差となっています.
円錐状の尾部,
これでもかっちゅうくらいある軽め穴等.
軍部に量産コスト(主に人件費)という意識がどれほどあったのかも疑問です.
ちなみに,我が国とアメリカの乗用車の設計思想に似たところがあるような気がします.
最近はそうでもないけど<安全装備.
ただし,零戦の欠点と言われるモノはすべて「ないものねだり」です.
大馬力エンジンもないのに,高速高搭載量重防御は望めません.
陸攻を守るのには随伴する戦闘機が必要で,攻撃機に比べれば戦闘機の「防御」についての要求度は下がります.
高空性能が悪いのは,栄を作った中島のせいですが,オクタン価の低い燃料では圧縮比もブーストも上げられません.与圧室技術もなかったし重いです.
零戦のポイントは「1000馬力エンジンを搭載して極限までの運動生,航続距離,速度(F-4Fより速い),搭載量(20mmx2@`7.7mmx2は立派)」という点です.
2000馬力級の欧米機と比較するのは酷です.
非力なエンジンとそれをおいそれと向上出来ない日本の国力では,「零戦」は,当時の日本が得られる最良の戦闘機でした.
だからといって「それを世界」の戦闘機と比較すると,最良の戦闘機であったかは別問題です.
零戦は日本が生んだ名機ですが,同時に日本の限界を示した機体でもあります.
要するに,こんな感じの華奢な戦闘機ということかと……
(画像掲示板より引用)
【質問】
大戦中,帝国海軍の零戦がダッチハーバーで被弾・墜落し,完全な形で米軍の手に渡ったことがありましたが,当時の敵側の主力機体の完全体を入手したことは,意義や戦局への影響も大きかったのですか?
現代では,敵側に残骸などを鹵獲された場合を考慮し,機密や仕様が解析しづらいよう細工を施している場合もありますか?
【回答】
影響は非常に大きい.
内部を解析することにより,敵側の技術水準がわかり,その後継機の性能予測がしやすくなる.
さらには,ゼロ戦の場合と同じように飛行特性を試験することができ,現場へのアドバイスがやりやすくなる.
現代の残骸からの解析だが,イラク戦のように,わざわざ攻撃隊を差し向けて,墜落機体の処分とかやってる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
零戦四二型って実在したんですか?
【回答】
俺の聞いた話では
「別に『シニ』が縁起が悪いから避けて通った訳ではない」
みたいな事が書いてあったが,どっちにしろ「四二型」が存在したとする資料は今のところ見当たらない.
計画案として42型があったという説もあるらしい.
二一型の武装強化型として,四一型が存在していたとする説も最近はある.
【質問】
零戦の生産の主体が,最もバランスがとれていた22型より,52型に移行していったのはどうしてなんでしょうか?
【回答】
「もっともバランスが取れてた」というのが,嘘だから.
前線からの要求書だと,52型ばかりで,旧型の要求はほとんど無かったそうだ.
戦争後半では,高速で,大火力,急降下制限も緩い52型以降を,どの部隊も要求しています.
坂井さんが活躍したのは21型しかないガタルカナル戦の緒戦まで.
その後,硫黄島での戦闘までろくに戦闘していません.
優勢な頃のイメージが強く残ってたんだろ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 知り合いで北伊ビエッラ在住イタリア人が毛織物関係の仕事で来日中という事で,早朝からまたぞろ靖国神社をアテンドしましたが,当然の様に遊就館では零戦がお出迎え.
この零戦は後期の52型ですが,国立科学博物館の21型に比べてレストアが綺麗に仕上がっているのが目に付きました.
ガラスケースにあるのは,99式20ミリ機銃.
これも改めて見ると,良い程度.
よしぞうmaro' in mixi,2007年12月03日16:20
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
現在 エンジン載せ替え無しで飛べるゼロ戦って存在します?
アメリカにあるって聞いたんですけど.
【回答】
100%当時のままでフライアブルな機体は存在しない
「プレーンズ・オブ・フェイム」の零戦はオリジナル栄エンジンを謳っているが,米航空法に準拠させるためかなりの改造を受けている.
そもそも,セルモーター付きって・・・・
軍事板
【質問】
一度,生で飛行する零戦を見てみたいなあ.
鳩サブレの好きなハトピーおじさん ◆mDvXbT.QV.
in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【回答】
カリフォルニアに渡れば,Planes of Fameと言う博物館の展示機が飛行可能で,時々飛んでいたりしますよ.
何年か前には日本にも来ましたし.
浜松の零戦はフライアブルだとか何とか言われていますね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
海外テレビ板でこんな書き込みをみたんですが,
――――――
620: 2008/12/06 09:42:11 ??? [sage]
「ボーグより優れた知識を持っている=ボーグより強いから同化されない」
という話は成り立たない.
まず数の問題.時に数は質を圧倒する.
現代最強の最新型イージス艦でも,ゼロ戦1万機に襲われれば,あっという間に海の藻屑と化す.
さらに劇場版「叛乱」を見れば分かるが,連邦より高度な知識を有していても,テクノロジーや軍事力を放棄している文明が存在する.
こういう平和主義の高度文明は,遭遇したら最後,あっという間に同化されるだろう.
エルオーリアンがまさにその例.
また,ボーグより高度な文明でまともに戦ったらボーグを退けられるとしても,奇襲攻撃で宇宙船一隻同化されただけで,殆どの技術が吸収され,後は数で勝るボーグに圧倒される可能性がある.
銀河団をワープ10で飛び回り,数億の銀河を支配してる超文明が存在して,そいつらがボーグを気に入って技術提供する可能性だって有るだろう.
知的生物の自由意志が絡んでくる以上は,食物連鎖みたいな単純系では語れないよ.
ボーグに共感して,自ら集合体の一員となる道を選ぶ文明だって居るかもしれないし.
――――――
戦闘機でイージス艦は撃沈できますか?
【回答】
そりゃあ,ゼロ戦が爆弾抱えて戦闘爆撃機として運用するんなら,イージス艦の対処能力を超えた量を投入すれば,撃沈は可能だろうよ.
零戦でも機銃があるから,掃射されれば撃沈はされなくても被害は受けるし,「カミカゼ」で有名な神風特別攻撃をしたとすれば,対艦攻撃能力は皆無ではない.
イージス艦という風に曖昧なくくりではどうとでもいえるけど,実在する艦,例えば海自のこんごうやあたごが零戦一万機と一隻で戦えば,確実に負けるのは間違いない.
結局のところ,戦争というのに数は極めて重要な要素だからね.
(ただし,だからといってイージス艦は役に立たないとかそういうわけじゃなくて,相手に「零戦1万機」とか用意させなきゃ勝てないようにできるのが重要.
より強い兵器,より多数の兵器をそろえるのは金がかかる.
金がかかれば防衛予算は圧迫され,防衛予算は国家予算を圧迫する.
「そこまで金がかかるんじゃ日本と戦うのはやめておこう」
そう思わせる事ができるかどうかが,一番重要な兵器の存在意義.)
現実問題としては,一度にそんな量(一万機とか)を集中運用(燃料・装備・パイロット・飛行場数)できないから,ありえない仮定の話.
机上論としては可能ってだけ.
ついでに言うと,戦闘機側が物量で圧倒できるのにイージス艦側は1隻しか居ないっていうシチュエーションが,不自然すぎてこれまた机上論でしかない.
さらについでに,ゼロ戦1万機なんて物量を用意できる国なら,その工業力と国力で,機数を2千機ぐらいにするかわりに,ゼロ戦より遥かに進歩した戦闘爆撃機か戦闘攻撃機を開発して配備できるわけで,
物量を用意できるって事は,質も相応に高いものを用意できるってことなのよ,究極的にはね.
アメリカなんかがその理想例.
スタートレックは知らないけど,宇宙戦争の場合,数をいくらそろえても技術力の差を越えられない場合も多いのでは?
たとえば現在の地球に,重力も操り光速を超えますよ,という宇宙船が一隻でも攻めてきたら,もう我々は束になっても撃沈できないだろう.
まず地球側に,外部恒星系から飛来してきた異文明の宇宙船を攻撃する手段が殆ど無い
一方,宇宙船は衛星軌道上から地表に一方的に爆撃するだけで,地球を降伏させられるよ.
(地表の直接制圧まではどうかわからないが)
932 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2008/12/17(水) 13:11:08 ID:???
ボーグなら,最初の一発だけしのげばどうにでもなるという超絶設定が.
軍事板
青文字:加筆改修部分
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