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(画像掲示板より引用)
「D.B.E. 三二型」(2012/09/17)◆戦闘機「烈風」の設計図確認 松本の住民,市に寄贈
「D.B.E 三二型」(2013/03/24)◆<烈風改>幻のゼロ戦後継機…設計図,群馬で発見
「Togetter」◆(2011/03/02) 旧日本軍における『ドゥーエ的制空』から『航空撃滅戦』への移行
「Togetter」◆(2011/04/30)旧陸海軍戦闘機の攻守走の関係について
「Togetter」◆(2011/07/19)零戦とF4Fを比べてみたよ!(おまけ付き)
●書籍
『ki-43 'Oscar' Aces of World War 2』
大日本絵画から発売される,隼のエース本の原版.
ページは全部で96Pで,一式戦の開発,初期不良,南方侵攻作戦がセットで6-17p.
ビルマ戦線が18-53p.
大陸戦線(珍しくAVGとの戦いを含む)が62-72p.
ニューギニア戦が73-83p.
フィリピン戦が84-88p.
ビルマと大陸戦線は,『ビルマ航空戦』と『陸軍戦闘隊撃墜戦記』を知っていれば,ダイジェスト版なのに気付く.
大陸戦線は,独立飛行10中隊の戦いが戦果照合されてるのが珍しいな.
南方侵攻作戦なんかも,意外に知られてない.
ニューギニア戦も戦果照合されてるが,洋書をいくつか読んできた人間には微妙な所だな.
最大の問題は,本土防空戦の戦いが完全に省かれている点.
一部部隊が戦果を挙げたにも関わらず,一切記述なし.
まあ,欲しい人は買えば?って内容.
――――――パトリオットオブザジャパン ◆vgk37B0.Ck in 軍事板,2010/07/09(金)
『海軍戦闘機列伝 私たちは名機をこうして設計開発運用した!』(横山保著,光人社,2012.3)
『海軍戦闘第八一二飛行隊 日本海軍夜間戦闘機隊”芙蓉部隊”異聞』(吉野泰貴著,大日本絵画,2012/11/1)
『海軍予備学生零戦空戦記 ある十三期予備学生の太平洋戦争』(土方敏夫著,光人社NF文庫,2012.1)
『回想の横空夜戦隊 ある予備士官搭乗員のB-29邀撃記』(黒鳥四朗著,光人社,2012.2)
読了.
夜間戦闘機の事も,横空の事も知らなかった,月光乗り士官の回想記.
元々,月光乗りでは有名な方.
予備士官の立場.最初は「役立たずに飯出す必要はない」とさえ言われる.
B-29を初撃墜.
それで周囲が変わる.
そして一夜にして大量撃墜.
冷静に撃墜を重ねて行く.
「20mm6発で落ちた.
次は3発で行きますか」
など.
これだけ落とせているのだから,他の機もさぞや撃墜しているのだろうと帰還.
しかしその時,基地では別の騒ぎが・・・
全軍布告され,扱いが一変し,一番槍ポジションへ.
しかし待機の日々.
哨戒機東海のトラブル.
著者の機転で切り抜ける.
戦後も尾を引く後遺症.
1冊の本として,よくまとまっていました.
ラストには著者,黒鳥氏のあとがき,
渡辺洋二氏のあとがき.
プロではない当事者が,戦争手記を書くことの困難さ,
陸攻乗員が同じように手記を出そうとして,先に旅立たれたことなど.
そう,珍しい写真もあった.
90機作練の後部銃座で写真銃を構えてるという,壮絶マニアックなシチュエーション.
これは他では見た事がない.
------------軍事板,2012/01/12(木)〜01/13(金)
『空戦飛燕対グラマン』(田形竹尾著,光人社文庫,2005.11)
※朝日ソノラマ文庫『飛燕対グラマン』の再刊
この人文章上手いな.
スルスルと引き込まれてラノベ感覚で読めた.
15年間のほとんどにわたって話が書かれているから,初心者には助かった.
飛燕2機でF6Fと戦うシーンは,読み物としてもすごく面白かったけれど,実際この戦闘は米軍側にも残ってるの?
――――――軍事板,2010/07/20(火)
記録はここにあるよ.
http://www.aviationarchaeology.com/src/USN/LLOct44.htm
台湾はFORMOSAな.
――――――軍事板,2010/07/20(火)
『決戦の蒼空へ 日本戦闘機列伝』(渡辺洋二著,文春文庫,2010.7)
短編集,いつもの渡辺本なんだが,今回は取材相手との対談形式を,そのまま書いている事が多いようだ.
珍しく陸・海軍戦闘機特集.
紫電だけでここまで書いてあるのもなかなかない.
紫電がどうにもピリッとしないのは,やはり比島戦のせいもあるとは思うが,同じ技量の搭乗員なら,紫電がカタログ上多少速くても,敵に追いつかれるのは結局同じようだから,慣れていてフルに性能を発揮できる零戦の方がずっと有利だっただろう.
震電で新たな話が聞けたのは良かった.
うわさの域だった不確定事項を,当事者証言できっちり埋めてくれた.
もうこれ以上,当事者の方からの証言はないだろう.
ただし本書では,菅野直機の最後を,348戦闘航空団のP-51に撃墜されたものでは?と,従来通りの推測をしているが,これは最新の研究である『源田の剣』でも書かれている通り,このP-51が撃墜を報じたのは,戦闘701や戦闘407などの紫電改16機のグループとの交戦であって,戦闘301の菅野機の単独行動とはかなり食い違う.
だから『源田の剣』では,P-51が相手だとこだわる必要はないとしている.
また,この日低空で,単機の紫電改を撃墜した記録はない.
よって菅野機はP-51以外の何らかの理由(破損しているし)で未帰還とするのが,現在の研究結果では?
あとがきで,活力的減退で鍾馗の戦記を断念された事なども.
これで文春文庫での出版終了,予定通りなら光人社へ移られるようだ.
あと何冊,渡辺氏の本を読めるのか.
朝日ソノラマの頃から大活躍だった渡辺氏,もう少し話を読ませてください.
――――――軍事板,2010/07/13(火)〜07/17(土)
青文字:加筆改修部分
『攻防 ラバウル航空隊発進篇』(森史朗著,光人社,2004.1)
前言撤回の強制自爆の陸攻の話から,大西瀧治郎少将と柴田武雄中佐の対立についてまで,逸話はいっぱい.
――――――軍事板,2010/06/19(土)
青文字:加筆改修部分
『「紫電改」戦闘機隊サムライ戦記』(「丸」編集部編,光人社,2010.7)
『鍾馗戦闘機隊 帝都防衛の切り札・陸軍飛行第70戦隊写真史』(大日本絵画,2009.1)
『日本海軍戦闘機隊 戦歴と航空隊史話』(秦郁彦&伊沢保穂著,大日本絵画,2010.7)
エース列伝を別巻に収録し,水上戦闘機隊や一部部隊史を追加したのみで,値段は税抜きで4200円.
高過ぎだからさ.
主要戦没者リスト,主要空戦一覧が,ほとんど手を加えられてない.
連合軍機は燃料切れも全部掲載してる割に,日本機は不時着機や全損機体は省かれたままだよ.
特に憤慨したのは,第8章の余裕の南西方面.
確かに第三空はダーウィン上空で3-8月にP-40を不確実も含んで120機以上撃墜し,失ったのは8機に過ぎない.
しかし,対戦した第49戦闘航空群が失ったのは20機未満.
むしろ護衛すべき高雄空の陸攻などが10機以上喪失したのは触れられてない.
後の対スピットファイアに比べ,実戦経験に劣るP-40に苦戦した内容は,戦果照合がされてない.
やる気ないだろ,著者.
――――――パトリオットオブザジャパン ◆vgk37B0.Ck in 軍事板,2010/06/29(火)
『隼のつばさ 比島最後の隼戦闘隊』(宮本郷三著,光人社NF文庫,2001.1)
100円でゲット.
タイトル通り,フィリピンに展開した飛行第30戦隊の1パイロットの回顧録だが,ぶっちゃけ空戦シーンとかは一切なし.
(看板に偽りあり?)
筆者は甲幹で工兵学校に入校してから,航空に転科した士官で,昭和19年夏に戦地の戦闘機隊に着任しているが,技量未熟と判断されて,実際に空戦には参加する機会がなかった.
だから,その内容の多くを占めるのが,比島で米軍の航空機におびえながら,ひたすら地上を逃げ惑う描写.
再編成で一度内地に戻りながら再進出したのはいいが,飛行機にありつけず,味方部隊との合流を目指して,比島をさすらう姿は物悲しい.
結局比島からの脱出に失敗して,敗戦まで残留することになるのだが,翼を失ったパイロットの悲哀が,ひしひしと伝わってきた.
余談だが,突入したはずの敷島隊の関大尉と出会ったと言うのは,いくらなんでも…….
------------軍事板,2012/03/01(木)
【珍説】
『丸』によると,武装,最高速度,防弾装備を含め総合性能を数字にした面白いデータがある.
総合能力零戦21型を100とすると,飛燕72,疾風80,紫電改110となっている.
攻撃力指数をあげても,零戦21型100に対し,飛燕118,疾風118,紫電改144.
疾風を優秀機とするのに,スタイルだけみてはいないだろうか.
【事実】
この数値……アレだね,空前絶後の迷著,三野正洋の『戦闘機対戦闘機』からか.
その表,零戦52型を総合力指数90で3位,P−51を指数77で5位にしてるだろ?
この人,日本兵器の点数を上げるためにあの手この手使うところが涙ぐましい.
性能を指数化するといって馬力で割るとか,重量だけから生産効果を測るとか.
で,指数だからあくまで万能度の目安であって強弱とは関係ないとか言うんだな.
わりと冷静にこういう操作を(ある意味楽しんで)やってるんじゃないかな.
ちなみにこの『攻撃力指数』とかいう大層なシロモノの正体は,
『各機体の装備する機銃,機関砲の口径x門数の合計毎の比』
でしかない.
銃の性能差や装弾数は考慮せず(敢えて考慮しないという姿勢).単なる破壊力の指標にすらなってないと思う.
こんなの真に受けて公の場で発言してたら名誉回復に一生かかるよ.
【質問】
一撃離脱戦法って何ですか?
【回答】
高度の優位から敵の死角に向かって降下,攻撃後はすぐ上昇に移るか,そのまま降下し速度で敵を振り切ってから上昇に移る.
上昇して高度の優位を回復した後,旋回して再び攻撃を繰り返す.
出来る限り高速を維持することが大切であり,敵と同高度で旋回してはならない.
また,編隊空戦では大きな威力を発揮する.
米空軍の場合,レーダーで敵編隊の距離方位高度数を先に探知して,優秀な電波艤装と空中電話で編隊空戦にもちこんで日本機に攻撃をしかけた.
機体性能以上にそれをサポートする運用や装備が優秀だったのが,一撃離脱にもちこめた要因.
日本機の場合,一撃されてからの反撃機動や上からかぶられた場合の回避において格闘戦能力が必要だった.
ろくに連携できない戦闘を余儀なくされた日本機の場合,一撃離脱したら空戦エリアに戻れなくなりそう.
もっとも,零戦でも岩本徹三みたいに一撃離脱でP38をばたばた落していた人もいたし,それにほれ,零戦には,世界最高の相手の上に舞い上がる「悪魔のような」上昇力があった(軽量化のお蔭)わけで,P51だろうがなんだろうが零戦の前で上昇したらおしまいだった.
……って書いてて思い出したけど,サムライ坂井がUSのベテランとの会話で,自分のダイブで逃亡するのを封じるやり方―――追いかける時に少しダイブ気味にしてスピードを稼ぎ相手よりも少し低い高度で追い詰める.相手がダイブに入ればそのまま目の前に来るのでオッケー.上昇して逃げようとすれば,これまた零戦の餌食――を説明したらその相手が絶句して,
「それをされたら自分はやられていた」
と言ったという話を書いていました.
わりと最近(4,5年まえかな?)の文章だったけど.
【質問】
運動性能が優れていた零戦や隼は,相手を撃墜することは一切,考えずに逃げ回るだけだったら,撃墜が非常に難しい戦闘機だったんでしょうか?
【回答】
空戦で最も命中させやすいのは,真後ろからまっすぐ撃ち込み続ける場合.(なのでそれに対し防弾板は操縦席の背面に付いてる)
それ以外の角度だと,射撃が非常に短時間となり,また回避する敵の未来位置を予測して撃つ見越し射撃も技術が必要.
よって零戦や隼のような機体が逃げに徹した場合,その旋回性能に追従できない機体が真後ろに占位するのは困難で,また旋回中はGがかかって銃弾がまっすぐ飛ばず,その点で撃墜が難しいのは事実.
ただし,敵の一番機を攻撃中に後ろから二番機に撃たれたり,死角から奇襲されたり,その長所を生かせない時は無意味.
隼三型に乗っていたあるパイロットは,とにかく見張りをきちんとして奇襲さえ受けなければ墜とされない,と自信を持っていたと語っている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
なぜ日本軍戦闘機隊は挌闘戦にこだわったの?
【回答】
渡辺洋二によれば,
「数も無線機の性能も劣った日本機では,米側と同じ編隊による一撃離脱を真似しても不利は明白である.
とる戦法はロッテ式格闘戦であった.
運動性の良さで敵をとらえ,敵から逃げるのだ.
・・・
軽快性に乏しい4式戦にはこの戦法はむつかしい.
・・・
最適な機体がキ100だった」
その評価,明野で隼を使ってロッテ戦の研究やった時にも同じ結論が出たようですね.
ただ,それが出来るのってベテランだけなんですよ.
大多数の新米搭乗員には,運動性を武器に単機戦闘で生き残るのは難しいです.
結局はベテランなんかは隼三型は信頼性があるけどもう少し火力と速度のある機体が欲しい・・・・そこに5式戦が出てきてあれがベストに思えたんでしょうね.
新米はもうわけも分かんないうちに撃墜されて評価もへったくれもなかったでしょう.
疾風に関しては信頼性と出力低下で,後半は「ただ重いだけ」の戦闘機になってしまったか.
(素質がいい戦闘機なのは間違いないんだけど)
【質問】
WW2以前,日本軍機が挌闘戦をしかけて敗れるということはなかったの?
【回答】
昭和3年に日本3式艦戦3機(鳳翔搭載機)とアメリカの民間人ロバートショート操るボーイングとの空戦で,運動性に勝る3式戦は3機でかかって一発も相手に当てられなかった,という事例がありました.
そのときボーイングが勝っていたのは,速度と上昇力だけでした.
源田実等は,この戦闘から教訓を得ることができなかったのしょう.
【質問】
空戦フラップは手動で動かすの?
【回答】
錘馗の場合には手動操作ではなくてボタン操作.ボタンは操縦桿に在ります.
単に丈夫なフラップ,ではなくて,ちゃんと空戦で使える配慮があります.
隼,錘馗では,空戦フラップを使った場合のエネルギーの損失を嫌って,恐らく殆ど使われていないと思います.
疾風では操縦桿でのフラップ操作は廃止されました.
紫電の場合も「上げ」だけは操縦桿のボタンで操作できる様になっています.
ついでに.
空戦フラップは小回り性能を向上させるでしょうが,運動性のほうは逆に悪化しそうな気がします.
当時でもパワーの裏付けのない機動は通用しなかったと思います.
紫電の場合も失速防止装置として見たほうがよさそうです.
(普通なら失速する様な急旋回でも失速しない)
【質問】
零戦や隼の異常な航続距離ですが,当時の常識は,あれだけの航続距離出すには双発が必要というものでしたし,車やバイクのカタログデータでも一番あてにならないのが燃費です.
飛行機も同じでは?
【回答】
普通,エンジンと機体のマッチングが取れているなら,巡行速度ならびに巡行高度は大体一意に定まります.
後は機体の燃料タンク容量を比べればよろしいかと.
飛行機の場合,車ほど激しい出力変動をしませんから・・・
そして,戦闘時の消費率は巡行の三倍みればいい,と聞いております.
つまり,戦闘30分,は順航で一時間半に相当します.
# 元ネタはさすがに忘れました.
【質問】
坂井三郎の記述の中に,
「紫電改は喜界島までしか行けなかったが,四式は与論まで往復できた」
というくだりがあったのですが,同じようなサイズ同じような重量同じような燃料搭載量でも航続距離が大きく変わることってあるのですか?
【回答】
似たような形でも前面投影面積が大きく違うことはいくらでもあるし,さらに形状抵抗摩擦抵抗,果てはエンジンの性格(同じシリーズのエンジンなら同じ性格とは限らないのはわかってるよな),etc
etc,
いくらでも航続距離に関わる要素はある.
ちなみに,疾風の正規航続距離は1600〜1745キロ(資料によって多少違いあり)だったと思います.
落下タンク装備で最良状態の場合,2500キロでしょうか(これも2000,2168キロというデータもあります.)
一方,紫電は1430km/4000m,改は1730km/3000mとなっている.
第二過荷だと,紫電が2545km,改が2392km.
空気抵抗が少ないため,巡航高度の低い改だが,増槽を付けると,逆により低空ゆえに大きい抵抗を生み出し,紫電に負けてしまうのだろうか.
最後に一言,紫電は局地戦闘機なんだしぃ.
【質問】
坂井氏の著書によると,日本軍では空戦でロール系の技は使わないそうですが,では,日本軍戦闘機ではロールは考慮されなかったの?
【回答】
そうでもないですよ.
天雷の時に「この補助翼を烈風に付けたい」って言われたし,彗星の補助翼が小さ目でロール性能が悪いので夜戦化した時に問題になったり(違ったかな?,銀河の夜戦型の極光だったかもしれない),操縦者の好みもあると思います,
坂井氏に関しては空戦時に「横転操作での射弾回避は邪道」って考えの人だったと思いました.
日本機の中ではロール率が高かったと言われる2式単戦,雷電が日本のパイロットに不評だった事を考えると,ロール方向は安定指向,これが日本人パイロットのスタンダードだったのかもしれませんね.
疾風はなにかと隼と比較されるので,横転性能もその意味ではないかと思いますが.
【質問】
太平洋戦争後半では,速度は遅いが旋回能力で勝る日本軍機は巴戦に入れば有利.
そこで米軍機は巴戦に入らないようにしていたと聞きます.
実際,日本軍機が米軍機を撃墜したようなケースでは,いったいどうやって撃墜したのでしょうか?
日本のエンジンでも性能を発揮できる,低い高度で戦ったのでしょうか?
それとも特殊な機動をして,パワーがないのをカバーしたとか・・・?
【回答】
空中戦は何よりも奇襲で決まります.
また,大戦中盤より日本陸・海軍でも,ロッテ戦法が普及し始めました.
対米軍機戦法として,敵機よりやや高い高度で待ち受け,長機が目標にした敵機に襲い掛かり,僚機はそのままの高度で待機します.
敵機は当然高度を上げて振り切ろうとしますが,僚機が頭を押さえているので高度が取れません.
こうしてそのまま,すり鉢の底に押さえ込むようにして,撃墜まで持っていったそうです.
緩く降下して増速したあと――このとき水平距離は縮む変わりに垂直距離が開く――,引き起こすときに一瞬だけ射界が取れることがあるのです.
相手が戦闘機ならこのときに,相手に回避運動を強いて格闘に誘い込むこともできます.
まあ,相手が機体の能力差をよく知っていたら,そのまま逃げ去ることが殆どですし,隼とマスタングじゃいくらなんでも性能差あり過ぎだとは思いますが.
だが,日本軍は開戦時世界最高水準の技量を持っていた精鋭パイロットを,酷使して次々死なせた.
しかも戦争も後半になってくると,腕の問題以上に機体の性能が開いてしまった.
戦争後期の米軍機は,日本機に比べ速度も速く上昇力も大きく,完全に空中戦の主導権は米機にあった.
たとえ米機のパイロットがヘタレでも,ターボを効かせて高空へ逃げれば,戦闘は避けられてしまう.
そして熟練した(しかもたっぷり休養を取った)パイロットの乗る米機は,格闘戦でも日本機を圧倒した.
軍事板,2002/09/29
青文字:加筆改修部分
【質問】
蓮舫の祖母が,日本軍に戦闘機2機を献納したことがあるって本当?
【回答】
謝蓮舫の祖母・陳杏村は第二次世界大戦中,台湾白河鎮から上海に渡り,上海駐屯の日本軍高官と親密な関係を築き,上海南洋煙草公司の総代理,英米煙草公司総販売など,利益の多い事業の経営権を得たという.
上海では大変有名な女性だったそうで,戦時中,陳杏村は個人名義で,日本軍に戦闘機2機を献納し,それぞれ「杏村1号」,「杏村2号」と命名された.
終戦後,陳杏村は売国罪で起訴されたが,台湾当局の裁判所は当時の社会的事情に迫られた事,国民党の地下工作と関係があった事の理由から,彼女にに無罪を言い渡し,仮釈放となった彼女は台湾に帰った.
ただし,陸軍愛国号献納機調査報告を見る限り,「杏村1号」「杏村2号」という名前のものは見当たらない.
また陳杏村は戦後も,台湾バナナの日本への輸出事業にからんで,日本の政治家への政治工作を行った疑惑が,国会(1966.11.1,農林水産委員会)でとりざたされるなどしているが,真偽は不明.
【参考ページ】
「サーチナ」,2010.6.14
【質問】
日本の水上戦闘機の性能を教えてください.
【回答】
●二式水上戦闘機(昭和17年7月に正式採用)
最高速度 436km/h 上昇限度 9,760m
航続距離 1,778km プロペラ ハミルトン定速3翅
発動機 中島「栄」一二型空冷複列星形14気筒 900〜950馬力×1基
乗員数 1名
武装 7.7ミリ機銃×2,20ミリ機関砲×2,60キロ爆弾×2
●強風(正式採用昭和18年)
最高速度 485km/h(高度6,000m)
上昇限度 10,560m
航続距離 2,000km プロペラ ハミルトン定速3翅
発動機 三菱「火星」一三型空冷複列星形14気筒 1,420〜1,460馬力×1基
乗員数 1名
武装 7.7ミリ機銃×2,20ミリ機関砲×2,30キロ爆弾×2
【質問】
日本陸軍のキ12について教えてください.
【回答】
20mmモーター・キャノンをプロペラ軸内から発射できるイスパノスイザ12Xcrを搭載した試作戦闘機.ドボアチンD-512に似た機体.
中島飛行機がフランス人技師2名を招聘,森重信技師を設計主務者として,昭和11年開発.
低翼単葉,引き込み脚,スプリット・フラップを装備した直線テーパ翼など,進歩的な設計だったが,同時期のキ27,キ28,キ33に比べて旋回性悪く,エンジン国産化の目途も立たなかったことから,不採用に.
要目などは以下を参照されたし.
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki12.htm
キ12
(上述ページより引用)
【質問】
「はやぶさ」について教えてください.
【回答】
1)
動物界脊索動物門鳥綱ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属に分類される鳥類.
2)
隼型水雷艇の1番艇.
フランス海軍の「シクローヌ Cyclone」級水雷艇を原型とし,1900.4.19,ノルマン社において竣工.
日露戦争において,1回旅順港閉塞作戦,日本海海戦に参加し,1919.4.1除籍.
3)
実質的な小型駆逐艦である「鴻 Ohtori」型水雷艇の3番艇.
1936.12.7,横浜船渠にて竣工し,支那事変では中国方面で行動し,太平洋戦争では船団護衛や哨戒活動等に従事.
1944.9.24,ミンドロ島南方にて,航空機からの攻撃により撃沈された.
4)
一式戦闘機「隼」は,九七式戦闘機の後継機として開発された日本陸軍の戦闘機で,試作名称はキ43.
旋回性能において九七戦に劣るため,一度は不採用となったものの,日米開戦が間近に迫ると一転して,1941年,制式採用.
太平洋戦争の陸軍の主力機となり,武装の貧弱さを指摘されたものの,信頼性の高さから5700機以上と日本陸軍機では最も多く生産された.
5)
昭和29年度計画において建造された駆潜艇.
海上自衛隊初のガスタービン搭載艦艇として,主機にディーゼルの他にブースターとしてガスタービンを搭載したCODAG推進艇だった.
そういう実験艇の色合が濃かったため,同型艇はなく,特務艇「ゆうちどり」の老朽化に伴い,1975年,特務艇への改装され,1987年除籍.
6)
1号型ミサイル艇の後継として,2000〜2004年に建造された「はやぶさ」型ミサイル艇の1番艇.
ガスタービンエンジンを備え,2002年に竣工.
2016年現在,舞鶴基地の第2ミサイル艇隊に配属されている.
7)
2003.5.9に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機.
イオン・エンジンの実証試験を行いながら,2005年夏に小惑星「イトカワ」に到達し,その表面を詳しく観測してサンプルを採取.
2010.6.13,地球に大気圏再突入し,地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプル.リターンに世界で初めて成功した.
8)
「ハヤブサ」こと江崎英治(文中敬称略.以下同)はプロレスラーで歌手.
2016.3.3正午頃,くも膜下出血のため死去.
所属事務所「ライトハウス」によると,ハヤブサは3日夜,都内の自宅近くの居酒屋でライブを予定していた.
しかし,店に現れず,心配した店主が4日午前2時ごろ,ハヤブサの自宅を訪ねると,ベットの上ですでに息を引き取っていたという.
ハヤブサは一人暮らしだった.
享年47.
ハヤブサは1968.11.29,熊本県八代市に生まれた.
熊本商科大学(現:熊本学園大学)時代から既に,「肥後ずいき」のリングネームで学生プロレスのリングに上がっていた.
1991年,大学の同期の本田雅史(現:ミスター雁之助)と共に,大仁田厚ひきいるFMWの入団テストを受けて合格.
同年5/5,名古屋国際会議場大会において,アミーゴ・ウルトラと組み,レイ・パンディータ&上野幸秀戦でデビュー.
当時からその甘いマスクは群を抜いていて,彼が付き人を務めていた大仁田厚が嫉妬し,すぐにその役から外させたことは有名な話.
その後,海外遠征し,メキシコのプロレス団体WWAを中心に活動.
1994年,一時帰国してジュニアヘビー級レスラーの祭典「スーパーJカップ」に出場し,獣神サンダー・ライガーと対戦.
関係者,ファン,ライガーからその素質を絶賛され,インディー団体所属であるにも関わらず,全プロレス・ファンに知られる存在となった.
1995.5.5,FMW川崎球場大会において,大仁田厚の引退試合の相手を務め,電流爆破マッチに初挑戦.
大仁田引退後の「新生FMW」において,エースとして活躍.
1996年には肘がパンクしてしまい,手術のため長期離脱となるが,選手不足のため短期間で強行復帰せざるを得ず.
同年10月,みちのくプロレスの両国大会に参戦.
1997年2月,全日本プロレスの小橋健太に挑戦を表明.
それを受けて大仁田厚がジャイアント馬場に直談判し,承諾を得る.
かくして同年4.19,全日「'97チャンピオン・カーニバル」に参戦.
同年末には,人生とともに全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦.
同じく同年末には,FMWと全日本プロレスをまたにかけた活躍が評価され,プロレス大賞で殊勲賞を受賞した.
1999年6月に当時のFMWコミッショナーであった冬木からマスク剥奪勧告を受け,素顔に戻りH(エイチ)と名乗り活動する.
これは膝が限界に達していたためであるらしい.
同年11月に横浜アリーナで行われたFMW10周年記念興行では,2代目ハヤブサを名乗る覆面レスラー(雁之助)と試合.
2000年からは再び「ハヤブサ」に復帰.
また,ハリウッドで製作されたプロレス映画『Backyard Dogs』に,本人役で出演するために渡米.
同年11月,腕の再手術のため,2度目の長期欠場に入った.
2001年5月の川崎球場大会において,マット復帰.
しかし同年10.22の試合中,「ラ・ブファドーラ」という飛び技の失敗により頸椎を損傷.
https://www.youtube.com/watch?v=7cPt3_Do0-w
一瞬気を失った後,意識が戻って彼がまず考えたのは,
「試合中だから動かなくては」
ところが,首から下の感覚がまったくなく,手も足も動かない.
試合を止めてもらい,リングに大の字になったまま
「復帰するまでにちょっと時間がかかるかもしれないけど,帰ってきたいと思う」
と,彼はファンに語りかけた.
そして彼は都内の病院に救急搬送され,集中治療室に.
医師の診断は,
「頸椎を損傷している.3カ月以内に感覚が戻らなければ一生このままの状態が続くことも覚悟してほしい」
にもかかわらず,ハヤブサはプロレス引退をかたくなに拒否し続け,現役復帰を諦めずに懸命のリハビリを開始.
奇跡的に自力で起き上がれるようになり,車椅子生活に.
2002年8月,WMF旗揚げにあたりコミッショナーに就任.
しかし,その後離脱して個人事務所「隼計画」を設立し,GOEMONと共に所属.
まだ歩行が困難な状況ながら,
「諦めなければ夢は終わらない.お楽しみはこれからだ!」
と宣言,あくまでもカムバックを目指した.
2003年,平井堅の「LIFE is...」のPVに出演.
2004年には,2館のみで上映の映画『倍音―ばいおん―』にも出演,歌手のみのや雅彦,GOEMONとTRIPLE FIGHTというトリオを結成し,歌手としてライブハウスやプロレス会場で活動した.
2006年からは舞台俳優としての活動も始め,市川博樹主演の『天野真一物語』『飛行機雲』などに出演.
2009.1.24,自身のプロデュース興行である「ハヤブサ プロデュース フェニックス」を開催.
2014年,「5年後(2019年),レスラーとして再びリングに立つ」と宣言.
この頃,杖を使って約200m歩けるまでに回復していたのだが…
【参考ページ】
http://ameblo.jp/fushichou/
http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/514263/
http://rocketnews24.com/2016/03/04/719498/
http://soraitsu.com/geinou/791/
http://www.sankei.com/life/news/140925/lif1409250024-n1.html
【質問】
隼が日本陸軍戦闘機の主力だったのは,いつからいつまでですか?
【回答】
日米開戦時の陸軍では隼装備の部隊はまだまだ少ないし,逆に「かわせみ部隊」が実戦化してる.
隼が陸軍の主力という思い込みは,実は幻想に近い.
42年までは97式戦闘機が,隼の半数程度生産されており,42年後半〜44年前半までは今度は,鍾馗が隼の半数程度生産されている.
隼は開戦から44年までまで一貫して生産され続けたために,総生産数は歴代二位だが,ある時点での戦力としては「圧倒的な」一位というわけではないのだ.
戦闘機隊全体の半数前後を占めてはいたが,ほとんど零戦という海軍とは事情が違う.
残り半数は97戦やら鍾馗やら飛燕やら,そして疾風やらが占めた.
特に疾風が生産開始して以降は,急速に置き換わっている.
軍事板,2009/10/02(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
本土上空では本来より優速のハズのアメリカ機を,隼のような日本機が振り切る事例には事欠きません.
これは何故ですか?
【回答】
敵は帰りの燃料を満載.さらに帰りの燃料を心配して深追いはできない.
全速で逃げる隼に追い付けなくても無理はありません.
しかも,逃げる側は制限を無視して(命がけだしね),とんでもない高ブーストで疾走した可能性もありそうです.
(速度制限を無視してM3で逃げたMiG25みたいに)
で,実戦では生き残ったほうが勝ち,
重かったから,なんて言い訳は一切通用しません.
だから
「P公よりも(オレの乗った)日本機のほうが速かった」
のも事実です.
もう一点,「最高速度」は空気密度の薄い高空のほうが有利な数字です.
高度7600mで700km/hと高度5500mで600km/hならば,実力の差は100km/hよりずっと小さいと考えるのが妥当と思います.
(こっちは機体の優劣の話)
「最高速度という数字」だけにこだわれば高々度性能重視のほうが有利だからです.※
速度性能についての考察
TAS=CAS/√(1.225/ρ)――多分合ってると思う(汗)――で換算すると
700km/h(7600m)ならばIAS=469km/h
同じIASを5400mで維持すると速度は618km/h(雷電わずかに届かず)
同じIASを5200mで維持すると速度は611km/h(錘馗わずかに届かず)
IASが同じならば,同じ抗力を受けていると考えられるので,700km/h(7600m)と,618km/h(5400m)の機体は速度性能に差がない,とも言えます.
雷電は過給機で2200m分楽をしている事になりますが,逆に速度性能には不利に働く(無理しても全開高度を上げたほうが有利)可能性も大きいので,ここは難しいです.
以上は戦闘機の場合に限ります.
旅客機ならばGSの速いほうが速い飛行機です.
あと,「機体」の評価(空力等々)であって,兵器として云々は別の話しです,念のため.
したがって,600km/h(5600m)と700km/h(7600m)でどっちがスゴイ?という問には簡単には答えられません.
高く飛べるほうが強い,とレギュレーションを決めれば別ですが.
(そうならP47やTa152が世界最強です)
あと,日本がB29相手でふがいなかったのは,高々度戦闘機の欠如であって別に日本の「中高度戦闘機」がだらしなかったワケではないです.
※
低高度の性能を犠牲にすれば全開高度は上げられる.
そして,そうしたほうが「最高速度」には有利.
でも,これは特性であって性能ではない.
フッカー博士の過給機,P47のターボを見ちゃうと負け惜しみかな.(笑)
【質問】
「カタログ値の最大速度が戦闘において余り意味を持たない」のは何故ですか?
【回答】
その理由として,戦闘中は常にカタログ値の最大速度で飛んでいるわけじゃないからです.
戦闘中の速度と高度は目まぐるしく変化します.
ビギナーの人が良く誤解するんですが
「零戦52型は最大速度565キロでP-51Dは703キロだから,零戦はP-51Dに追いつけない」
って単純に考える人がいますが間違いです.
実際には低空でP-47が隼に追いつけなかった例もあります.
P-47やP-38がゼロやオスカーと対戦する時に
「大事なのは高速の維持」
と指導されていますが,高度によって出せる最大速度は変化するし,上昇したり旋回すればやはり速度は変わります.
カタログ値の最大速度が低くても,余剰馬力が高く加速性の良い機体は,カタログ値での最大速度が大幅に勝る機体に対しても格闘戦では速度的にも有利だったりします.
ゲームの中と違って戦闘機ってのは,戦闘中でも常にカタログ値の最大速度で飛んでいるわけじゃない,って事は念頭に置いておくべきです.
(機体のポテンシャルを測る上では,最大速度は意味がないわけじゃないけど)
【質問】
旧陸軍の1式戦”隼”は戦後,フランスに接収されて暫く使用されていたと聞いたことがあるが,詳しく教えて.
【回答】
1945年8月に日本が降伏した際,旧支配者のフランス軍には,まともな飛行機材がありませんでした.
英国や米国から機材が供与されるのも先ですし,フランス本国から戦闘機を運んでくるのも間に合わない,
しかし,1945年8月15日以降,ホーおじさんやNorodom
Sihanoukが其所此所で独立宣言をするので,鎮圧用の兵器や機材を調達する必要がありました.
そこで一時的に日本軍から引き渡された機材を流用しました.
インドシナ駐留の日本軍から引渡を受けた機材は直ちにFrance軍に編入され,一式戦闘機は8機が使用されました.
少なくとも,一式戦二型改の写真が残されています.
この機体は,Phnom Penh駐留のGC1/7に属していた機体です.
眠い人◆gQikaJHtf2,2006/08/21(月)
「隼」マーキング各種
右側上から2番目が,フランス軍仕様
ちなみに同3番目はインドネシア軍仕様
(画像掲示板より引用)
【質問】
日本海軍戦闘機隊が参加した主要空戦の結果は?
【回答】
日本側戦果と敵側記録は基本的に公式記録.
南京攻撃(S12.09.19)
参加兵力 戦×12,艦爆×17,水偵×16
戦果 撃墜33(内不確実6)
損失 艦爆×3+水偵×1
敵側記録 戦果不明,被撃墜11
広東攻撃(S12.09.21)
参加兵力 戦×24,艦爆×24,艦攻×6
戦果 撃墜16(内不確実1)
損失 戦×5
敵側記録 戦果不明,被撃墜11
南京攻撃(S12.10.12)
参加兵力 戦×11,陸攻×9
戦果 撃墜5+撃破2
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
南京攻撃(S12.12.02)
参加兵力 戦×6,艦攻×8
戦果 撃墜13(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果不明,被撃墜10
南昌攻撃(S12.12.09)
参加兵力 戦×8,陸攻×15
戦果 撃墜12+撃破12
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S12.12.22)
参加兵力 戦×12,陸攻×11
戦果 撃墜17(内不確実4)+撃破13
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.02.18)
参加兵力 戦×11,陸攻×15
戦果 撃墜18(内不確実1)+撃破5
損失 戦×4
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.02.25)
参加兵力 戦×18,陸攻×35
戦果 撃墜42(内不確実13)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
広東攻撃(S13.04.13)
参加兵力 戦×6,艦爆×18
戦果 撃墜15(内不確実3)
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.04.29)
参加兵力 戦×28,陸攻×18
戦果 撃墜51(内不確実11)
損失 戦×2+陸攻×2
敵側記録 戦果24,被撃墜13
漢口攻撃(S13.05.31)
参加兵力 戦×35,陸攻×18
戦果 撃墜20(内不確実2)
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.06.26)
参加兵力 戦×28,陸攻×18
戦果 撃墜19(内不確実4)+撃破2
損失 なし
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.04)
参加兵力 戦×23,陸攻×26
戦果 撃墜45(内不確実5)+撃破9
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.16)
参加兵力 戦×15,陸攻×18
戦果 撃墜10+撃破3
損失 なし
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.18)
参加兵力 戦×6,艦爆×14,艦攻×5
戦果 撃墜9(内不確実2)+撃破19
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.08.03)
参加兵力 戦×29,陸攻×18
戦果 撃墜32(内不確実5)+撃破7
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
南雄攻撃(S13.08.30)
参加兵力 戦×6,艦爆×5,艦攻×4
戦果 撃墜17
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
柳州攻撃(S14.12.30)
参加兵力 戦×13
戦果 撃墜14
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
桂林攻撃(S15.01.10)
参加兵力 戦×26,陸攻×27
戦果 撃墜16+撃破9
損失 なし
敵側記録 詳細不明
重慶攻撃(S15.09.13)
参加兵力 戦×13,陸攻×27
戦果 撃墜27
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S15.10.04)
参加兵力 戦×8,陸攻×27
戦果 撃墜6+撃破19
損失 なし
敵側記録 詳細不明
昆明攻撃(S15.10.07)
参加兵力 戦×7,陸攻×27
戦果 撃墜14+撃破4
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S15.10.26)
参加兵力 戦×8
戦果 撃墜10
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S16.03.14)
参加兵力 戦×12,陸攻×10
戦果 撃墜27(内不確実3)+撃破7
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ハワイ攻撃(S16.12.08)
参加兵力 戦×78,艦爆×129,艦攻×143
戦果 撃墜14+撃破450
損失 戦×9,艦爆×15,艦攻×5
敵側記録 喪失計347
ルソン島攻撃(S16.12.08)
参加兵力 戦×89,陸攻×108
戦果 撃墜25(内不確実2)+撃破80
損失 戦×7
敵側記録 被撃墜15〜23,被撃破72〜85
ルソン島攻撃(S16.12.10)
参加兵力 戦×56,陸攻×81
戦果 撃墜43+撃破61
損失 戦×2
敵側記録 被撃墜13
シンガポール攻撃(S17.01.18)
参加兵力 戦×11,陸攻×26
戦果 撃墜15(内不確実5)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
シンガポール攻撃(S17.01.22)
参加兵力 戦×9,陸攻×52
戦果 撃墜12
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
ポートダーウィン攻撃(S17.01.29)
参加兵力 戦×36,艦爆×71,艦攻×81,陸攻×54
戦果 撃墜8+撃破21
損失 戦×1,艦爆×1
敵側記録 被撃墜4,被撃破14
マーシャル迎撃(S17.02.01)
参加兵力 戦×延34
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果5,被撃墜10
スラバヤ攻撃(S17.02.03)
参加兵力 戦×58,陸攻×37
戦果 撃墜48+撃破36
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
バタビア攻撃(S17.02.09)
参加兵力 戦×15,陸攻×17
戦果 撃墜12
損失 なし
敵側記録 詳細不明
スラバヤ攻撃(S17.02.18)
参加兵力 戦×8,陸攻×23
戦果 撃墜9(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
スラバヤ攻撃(S17.02.19)
参加兵力 戦×23,陸攻×18
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
コロンボ攻撃(S17.04.05)
参加兵力 戦×36,艦爆×38,艦攻×53
戦果 撃墜55(内不確実10)
損失 戦×1,艦爆×6
敵側記録 戦果21,被撃墜25
トリンコマリ攻撃(S17.04.09)
参加兵力 戦×38,艦攻×91
戦果 撃墜42(内不確実3)+撃破4
損失 戦×3,艦攻×1
敵側記録 戦果15,被撃墜14
ポートダーウィン攻撃(S17.04.27)
参加兵力 戦×21
戦果 撃墜19(内不確実6)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
珊瑚海海戦(S17.05.08)
参加兵力 攻撃:戦×18,艦爆×33,艦攻×18,直衛:戦×19
戦果 攻撃:撃墜64(内不確実5),直衛:撃墜40(内不確実7)
損失 戦×2,艦爆×9,艦攻×8
敵側記録 戦果不明,被撃墜33
ポートモレスビー攻撃(S17.05.28)
参加兵力 戦×26
戦果 撃墜13(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ミッドウェー島攻撃(S17.06.05)
参加兵力 戦×36,艦爆×36,艦攻×36
戦果 撃墜45
損失 戦×2,艦爆×1,艦攻×1
敵側記録 戦果不明,被撃墜17
ミッドウェー海戦母艦直衛(S17.06.05)
参加兵力 戦×延120
戦果 撃墜90
損失 戦×13
敵側記録 戦果不明,被撃墜76
ガダルカナル攻撃(S17.08.07)
参加兵力 戦×17,艦爆×9,陸攻×27
戦果 撃墜48(内不確実8)
損失 戦×2,艦爆×5,陸攻×5
敵側記録 戦果不明,被撃墜12
ガダルカナル攻撃(S17.08.24)
参加兵力 戦×15,艦攻×6
戦果 撃墜15
損失 戦×1,艦攻×3
敵側記録 戦果16,被撃墜3
第2次ソロモン海戦(S17.08.24)
参加兵力 戦×19,艦爆×54,艦攻×12
戦果 撃墜10(内不確実1)
損失 戦×3,艦爆×21
敵側記録 戦果90,被撃墜不明
ガダルカナル攻撃(S17.08.30)
参加兵力 戦×18
戦果 撃墜10(内不確実4)
損失 戦×7
敵側記録 戦果14,被撃墜4
ガダルカナル攻撃(S17.09.13)
参加兵力 戦×21,陸攻×26
戦果 撃墜17(内不確実2)
損失 戦×4
敵側記録 戦果11,被撃墜5
ガダルカナル沖船団直衛(S17.10.15)
参加兵力 戦×延52
戦果 撃墜32(内不確実9)
損失 戦×2
敵側記録 戦果8,被撃墜7
ガダルカナル攻撃(S17..10.25)
参加兵力 戦×延40
戦果 撃墜10
損失 戦×6
敵側記録 戦果22,被撃墜不明
南太平洋海戦(S17.10.26)
参加兵力 攻撃:戦×延47,艦爆×延59,艦攻×延49,直衛:戦×延51
戦果 撃墜55
損失 攻撃:戦×6,艦爆×31,艦攻×21,直衛:戦×5
敵側記録 戦果不明,被撃墜74
ガダルカナル攻撃(S17.11.11)
参加兵力 戦×44,艦爆×9,陸攻×25
戦果 撃墜25(内不確実5)
損失 戦×2,艦爆×5,陸攻×4
敵側記録 戦果11,被撃墜7
ガダルカナル攻撃(S17.11.12)
参加兵力 戦×30,陸攻×19
戦果 撃墜20(内不確実7)
損失 陸攻×12
敵側記録 戦果5,被撃墜4
ソロモン船団直衛(S17.11.14)
参加兵力 戦×20
戦果 撃墜15(内不確実7)
損失 戦×7
敵側記録 戦果不明,被撃墜8
イサベル島沖海空戦(S18.02.01)
参加兵力 戦×81,艦爆×15
戦果 撃墜28
損失 戦×4,艦爆×5
敵側記録 戦果21,被撃墜8
ガダルカナル沖艦隊直衛(S18.02.04)
参加兵力 戦×22
戦果 撃墜17
損失 戦×3
敵側記録 戦果17,被撃墜10
ブイン迎撃(S18.02.14)
参加兵力 戦×27
戦果 撃墜19
損失 戦×1
敵側記録 戦果3,被撃墜10
ルッセル進攻(S18.04.01)
参加兵力 戦×57
戦果 撃墜47(内不確実7)
損失 戦×9
敵側記録 戦果18,被撃墜6
ガダルカナル島沖攻撃(S18.04.07)
参加兵力 戦×157,艦爆×67
戦果 撃墜41(内不確実13)
損失 戦×12,艦爆×9
敵側記録 戦果28,被撃墜7
オロ湾攻撃(S18.04.11)
参加兵力 戦×71,艦爆×21
戦果 撃墜21(内不確実9)
損失 戦×2,艦爆×4
敵側記録 戦果17,被撃墜不明
ポートモレスビー攻撃(S18.04.12)
参加兵力 戦×124,陸攻×43
戦果 撃墜28(内不確実7)
損失 戦×2,陸攻×6
敵側記録 戦果22,被撃墜2,被撃破15
ミルン湾攻撃(S18.04.14)
参加兵力 戦×129,艦爆×75,陸攻×44
戦果 撃墜45(内不確実9)
損失 戦×1,艦爆×3,陸攻×3
敵側記録 戦果5,被撃墜3
海軍甲事件(S18.04.18)
参加兵力 戦×6,陸攻×2
戦果 撃墜6(内不確実3)
損失 陸攻×2
敵側記録 戦果5,被撃墜1
ポートダーウィン攻撃(S18.05.02)
参加兵力 戦×27,陸攻×18
戦果 撃墜21(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 戦果6,被撃墜13
ルッセル進攻(S18.05.13)
参加兵力 戦×54
戦果 撃墜38(内不確実10)
損失 戦×4
敵側記録 戦果16,被撃墜3
オロ湾攻撃(S18.05.14)
参加兵力 戦×33,陸攻×18
戦果 撃墜21(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 戦果6,被撃墜13
ルッセル進攻(S18.06.07)
参加兵力 戦×81
戦果 撃墜41(内不確実8)
損失 戦×9
敵側記録 戦果23,被撃墜5
ルッセル進攻(S18.06.12)
参加兵力 戦×74
戦果 撃墜33(内不確実8)
損失 戦×6
敵側記録 戦果31,被撃墜6
ルンガ沖航空戦(S18.06.16)
参加兵力 戦×70,艦爆×24
戦果 撃墜32(内不確実5)
損失 戦×15,艦爆×13
敵側記録 戦果80,被撃墜6
レンドバ沖航空戦(S18.06.30)
参加兵力 戦×72,艦爆×8,陸攻×26
戦果 撃墜49(内不確実8)
損失 戦×13,陸攻×17
敵側記録 戦果58,被撃墜17
ブロックスクリーク攻撃(S18.06.30)
参加兵力 戦×27,陸攻×22
戦果 撃墜16(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果8,被撃墜6
ブロックスクリーク攻撃(S18.07.06)
参加兵力 戦×27,陸攻×22
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 陸攻×2
敵側記録 戦果7,被撃墜8
ルビアナ攻撃(S18.07.15)
参加兵力 戦×44,陸攻×8
戦果 撃墜19(内不確実12)
損失 戦×5,陸攻×5
敵側記録 戦果44,被撃墜3
ブイン迎撃(S18.07.17)
参加兵力 戦×46
戦果 撃墜58(内不確実13)
損失 戦×9
敵側記録 戦果48,被撃墜6
ブイン迎撃(S18.08.12)
参加兵力 戦×45
戦果 撃墜33
損失 戦×1,地上撃破×24
敵側記録 詳細不明
ベララベラ攻撃(S18.08.15)
参加兵力 戦×延149,艦爆×延25,艦攻×延11,陸攻×延24
戦果 撃墜29(内不確実9)
損失 戦×9,艦爆×8
敵側記録 戦果44,被撃墜不明
ブロックスクリーク進攻(S18.09.07)
参加兵力 戦×36
戦果 撃墜18(内不確実3)
損失 戦×1
敵側記録 戦果7,被撃墜3
ブイン迎撃(S18.09.14)
参加兵力 戦×延258
戦果 撃墜60(内不確実6)
損失 戦×5,地上撃破×9
敵側記録 詳細不明
クレチン岬攻撃(S18.09.22)
参加兵力 戦×35,陸攻×8
戦果 撃墜14
損失 戦×8,陸攻×6
敵側記録 詳細不明
ウェーキ島迎撃(S18.10.06)
参加兵力 戦×23
戦果 撃墜10
損失 戦×14
敵側記録 戦果不明,被撃墜12
ラバウル迎撃(S18.10.12)
参加兵力 戦×34
戦果 撃墜9
損失 戦×2,地上撃破×12
敵側記録 戦果26(他に地上撃破100),被撃墜5
ブナ攻撃(S18.10.15)
参加兵力 戦×39,艦爆×15
戦果 撃墜14
損失 戦×5,艦爆×14
敵側記録 戦果47,被撃墜1
トロキナ岬攻撃(S18.11.01)
参加兵力 戦×79,艦爆×16,艦攻×9
戦果 撃墜3
損失 戦×23,艦爆×5,艦攻×3
敵側記録 戦果22,被撃墜4
ラバウル迎撃(S18.11.02)
参加兵力 戦×115
戦果 撃墜119(内不確実22)
損失 戦×18
敵側記録 戦果85,被撃墜19
ラバウル迎撃(S18.11.05)
参加兵力 戦×59
戦果 撃墜49(内不確実20)
損失 戦×2
敵側記録 戦果25,被撃墜13
ラバウル迎撃(S18.11.07)
参加兵力 戦×58
戦果 撃墜16
損失 不明
敵側記録 戦果23(他に撃破16),被撃墜5
ラバウル迎撃(S18.11.11)
参加兵力 戦×68
戦果 撃墜71
損失 戦×11
敵側記録 戦果135,被撃墜7
カルカッタ攻撃(S18.12.05)
参加兵力 戦×27,陸攻×9
戦果 撃墜6(内不確実2)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ルオット迎撃(S18.12.05)
参加兵力 戦×53
戦果 撃墜24(内不確実6)
損失 戦×16,地上撃破×15
敵側記録 詳細不明
ラバウル迎撃(S18.12.23)
参加兵力 戦×延99
戦果 撃墜24
損失 戦×6
敵側記録 戦果30,被撃墜3
マーカス岬攻撃(S18.12.26)
参加兵力 戦×63,艦爆×25
戦果 撃墜20(内不確実5)
損失 戦×4,艦爆×13
敵側記録 戦果75,被撃墜7
ラバウル迎撃(S19.01.09)
参加兵力 戦×72
戦果 撃墜33
損失 戦×2
敵側記録 戦果21,被撃墜5
ラバウル迎撃(S19.01.17)
参加兵力 戦×79
戦果 撃墜87
損失 詳細不明
敵側記録 戦果17,被撃墜12
ラバウル迎撃(S19.02.13)
参加兵力 戦×40
戦果 撃墜23(内不確実7)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
トラック迎撃(S19.02.17)
参加兵力 戦×延64
戦果 撃墜31
損失 戦×31,地上撃破×81
敵側記録 戦果56,被撃墜19
ラバウル迎撃(S19.02.19)
参加兵力 戦×36
戦果 撃墜37(内不確実6)
損失 戦×5
敵側記録 戦果23,被撃墜不明
マリアナ迎撃(S19.02.23)
参加兵力 戦×20
戦果 詳細不明
損失 戦×11,地上撃破×30
敵側記録 戦果60,被撃墜6
パラオ迎撃(S19.03.30)
参加兵力 戦×32
戦果 撃墜19(内不確実3)
損失 戦×14
敵側記録 31日分と合計
パラオ迎撃(S19.03.31)
参加兵力 戦×66
戦果 撃墜40(内不確実3)
損失 戦×44
敵側記録 戦果70,被撃墜25
南寧攻撃(S19.04.05)
参加兵力 戦×32
戦果 撃墜9(内不確実2)
損失 戦×9
敵側記録 詳細不明
トラック迎撃(S19.04.30)
参加兵力 戦×54
戦果 撃墜32(内不確実2)
損失 戦×28
敵側記録 戦果59(他に撃破34),被撃墜35
マリアナ迎撃(S19.06.11)
参加兵力 戦×延139
戦果 撃墜9
損失 戦×22
敵側記録 戦果不明,被撃墜11
硫黄島迎撃(S19.06.15)
参加兵力 戦×37
戦果 撃墜4
損失 戦×16
敵側記録 戦果20(他に撃破7),被撃墜2
サイパン沖攻撃(S19.06.15)
参加兵力 戦×11,艦爆×3,陸爆×10
戦果 撃墜2
損失 戦×1,艦爆×1,陸爆×8
敵側記録 詳細不明
サイパン沖攻撃(S19.06.18)
参加兵力 戦×36,爆戦×24,艦爆×2,陸爆×8
戦果 撃墜5
損失 戦×13,爆戦×1,陸爆×7
敵側記録 詳細不明
マリアナ沖海戦(S19.06.19-20)
参加兵力 攻撃:戦×107,爆戦×80,艦爆×89,艦攻×50,直衛:戦×34
戦果 攻撃:撃墜24(内不確実8),直衛:撃墜26(内不確実3)
損失 攻撃:戦×60,爆戦×45,艦爆×56,艦攻×31,直衛:戦×12
敵側記録 グアム迎撃分と合計
グアム迎撃(S19.06.19)
参加兵力 戦×56
戦果 撃墜26(内不確実1)
損失 戦×12
敵側記録 撃墜269,被撃墜29(他に海没73)
硫黄島迎撃(S19.06.24)
参加兵力 戦×59
戦果 撃墜37(内不確実10)
損失 戦×23
敵側記録 戦果29,被撃墜6
硫黄島迎撃(S19.07.03)
参加兵力 戦×延110
戦果 撃墜39(内不確実3)
損失 戦×31
敵側記録 詳細不明
硫黄島迎撃(S19.07.04)
参加兵力 戦×延45
戦果 撃墜26(内不確実1)
損失 戦×12
敵側記録 詳細不明
中部比島迎撃(S19.09.12)
参加兵力 戦×41以上
戦果 撃墜23(内不確実3)
損失 戦×27,地上撃破×30
敵側記録 13日分と合計
中部比島迎撃(S19.09.13)
参加兵力 戦×24
戦果 撃墜7
損失 戦×9
敵側記録 撃墜45(他に撃破36),被撃墜9
マニラ迎撃(S19.09.21)
参加兵力 戦×42
戦果 撃墜27
損失 戦×20,地上撃破×10
敵側記録 撃墜38(他に撃破10),喪失15
台湾沖航空戦(S19.10.12-16)
参加兵力 各種延約650
戦果 撃墜112
損失 各種計312
敵側記録 撃墜破500,喪失71
バリクパパン迎撃(S19.10.14)
参加兵力 不明
戦果 撃墜38
損失 詳細不明
敵側記録 撃墜43,被撃墜7
比島沖攻撃(S19.10.24)
参加兵力 各種延199(内戦×延126)
戦果 撃墜32
損失 各種計67
敵側記録 詳細不明
エンガノ岬沖海戦(S19.10.24)
参加兵力 戦×30,戦爆×19,艦爆×2,艦攻×5
戦果 撃墜8(内不確実1)
損失 詳細不明
敵側記録 詳細不明
比島沖攻撃(S19.10.25)
参加兵力 戦×18,艦爆×28
戦果 撃墜7
損失 各種計10
敵側記録 詳細不明
ルソン島迎撃(S19.10.29)
参加兵力 戦×延142
戦果 撃墜40
損失 戦×21,地上撃破×8
敵側記録 撃墜71,被撃墜11
ルソン島迎撃(S19.11.05)
参加兵力 戦×延82
戦果 撃墜45
損失 戦×32,地上撃破×33
敵側記録 戦果不明,被撃墜25
東日本迎撃(S20.02.16-17)
参加兵力 不明
戦果 撃墜98
損失 計30
敵側記録 撃墜332(他に撃破177),喪失49
東日本迎撃(S20.02.25)
参加兵力 不明
戦果 撃墜10
損失 詳細不明
敵側記録 撃墜25(他に撃破30),被撃墜9
松山上空迎撃(S20.03.19)
参加兵力 戦×70
戦果 撃墜52
損失 戦×16
敵側記録 詳細不明
四国沖神雷部隊攻撃(S20.03.21)
参加兵力 戦×30,陸攻×18
戦果 撃墜7(内不確実3)
損失 戦×10,陸攻×18
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.03)
参加兵力 戦×40
戦果 撃墜17(内不確実6)
損失 戦×8
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.12)
参加兵力 戦×75
戦果 撃墜25
損失 戦×20
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.16)
参加兵力 戦×93
戦果 撃墜23(内不確実1)
損失 戦×17
敵側記録 詳細不明
豊後水道迎撃(S20.07.24)
参加兵力 戦×31
戦果 撃墜19
損失 戦×6
敵側記録 詳細不明
出典は他資料も見てますが,大部分「日本海軍戦闘機隊 酣燈社」に依ります.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本海軍は海軍なのに,なんで局地戦闘機等を開発してるんですか?
【回答】
海軍は中国で,中国の空軍に痛い目に遭いました.
爆撃機の出撃準備中に,敵の航空機がやってきて,爆弾を散蒔いて逃走と言うケースが結構発生したため,強力な武装で,敵爆撃機を撃墜できる高速戦闘機を輸入したのが最初で,当初は,米国からセバスキー戦闘機,
ドイツからHe-112を装備しています.
但し,二機種とも性能が良くなかったので,要地防空用の局地戦闘機を国産で開発することになったわけで.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
旧海軍機は重い20mm防弾を諦めて,そのほかの装備に回したそうですが,アメリカ軍機は基本的に.50口径を最後まで使っていたのだから,多少折り合いをつけて,13mm防弾を施すといった試みはされなかったのでしょうか?
【回答】
砲口馬力って概念があってね.
簡単にいうと米軍の12.7mm×6は,日本の20mm×4を上回る威力があったんだ.
3号銃だったっけ,終戦直前にできたの×4は,さすがに日本が勝ってたみたいだけど.
でもって米軍の防弾鋼鈑が,薄いみたいなことをいってる人がいるけど,当時の米の材料工学はずば抜けていて,日独の20mmならあれで十分だった.
「10mmじゃ薄い」人は,数値だけを追って質を忘れるという誤ちを犯してる.
ちなみに12.7mm機関銃は,元々は第1次世界大戦で,装甲車を撃破するために作られた.
反面,日本やドイツの装備した機関砲は,航空機の薄い外板を破壊するのには効果的だが,貫通力は高くない.
例えばドイツ機が,弾切れを起こすまでP-47を攻撃したが撃墜出来なかったとか,ドイツ機の機関砲がP-51のコックピット周りを銃撃した時,アルミの厚板の表層で炸裂するばかりで貫通しなかったとか,撃つ側の威力も問題になる.
(P-51は短期間で開発したためか,外板を厚くして構造的な強度を増していた)
軍事板,2009/07/05(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本の13ミリ機銃は悲惨だったと聞くけど,どう悲惨だったの?
【回答】
パワーが悲惨.
海軍の機載13×63mmは,Rheinmetall-BorsigのMG-131
電気発火雷管の打撃式雷管バージョンだが,13×99mmの6割程度のエネルギーしかない.
発射速度こそ900rds/minあるものの,初速も8割しかなく,弾重6割.直進性の悪い弾道で,当たっても効かない弾を撃ってたわけで.
13.2×99mm(ブローニング)機載は銃身長が短いし,13.2×99mm(ホチキス)対空は発射速度が遅い.
まあ,20×72mm(エリコン)の初速の悲惨さに比べられるものは少ないが.
で,「日本の13mm機銃」に当てはまりそうなものとして,私が知る範囲では,
13×63mm(海軍機,MG-131の雷管発火バージョン.13mm2式?)
13×99mm(海軍対空火器.ホッチキス製.93式?)
13×99mm(海軍機,ブローニング.13mm3式?)
があるわけで,それぞれ前述の通りです.
【質問】
日本軍はMG151/20をコピー生産できなかったのですか?
【回答】
MG151/20は精密プレス加工を多用した芸術品のような機関砲です.
当時の日本では,砲どころか弾丸さえも製造不可能.
捕獲したアメリカでコピー生産がされたのですが,作動不良が続発しています.
ましてや,日本では・・・
【質問】
日本の航空隊で墜落機から捕獲したブローニングを,零戦や隼に装備した例はなかったんでしょうか?
【回答】
12.7mm M2機関銃は陸軍が参考購入したものをホ-103としてコピーしたが,丸コピーではなく,少々小型の弾薬を使う事にして独自に改設計した.
これが祟ったのか威力不足で,「役に立たない」と激しく不評だった.
海軍はM2をほとんどそのままコピーして,弾薬を13.2mmにした三式
13mm 機銃を開発した.
これは性能もよく好評だったが,開発が終了し量産体制に入った頃には既に,本土が爆撃の危機に晒されていて,充分な数が揃えられないまま終った.
尚,同じようなものを同じ原型から開発したが,陸軍と海軍の間に技術の交流は全くない.
同時に同じようなものを2つ別々に開発してたわけで,リソースの無駄使いもいいところである.
よって,仮に墜落機から回収した機銃を駆り集めても,弾薬が充分に確保できない以上,主兵装としては使えなかっただろう.
あと,海軍は二式13mm機銃というものも開発した.
これはドイツのラインメタルMG131のライセンス生産品だが,電着式(撃針に電気を流してそれによって雷管を作動させて発砲する)の点火機構が,
「電着式は雷管作るの大変だから」
という理由で,普通の衝撃式雷管機構に変更されていた.
結果,オリジナルにあった電気式同調装置が使えなくなったので,戦闘機の機首や胴体部に装備できなくなった上,設計変更の段階で,オリジナルと同じ精度が出せないために,性能が著しく低下.
更に戦時急造が祟って不良続出,少数生産されただけで終わった.
尚この二式13mmは上記2つ(ホ-103/三式)との弾薬の共通性は全くない.
つまり,日本陸海軍は12.7mm(13.2mm/13mm)クラスの航空機用機関銃を3種類,別個に開発していたわけである.
これがリソースの無駄使いでなくてなんであろうか.
【質問】
日本海軍機の「斜め銃」と日本陸軍の「上向き砲」とは同じものなの?
【回答】
「斜め銃」というのは,あくまでも,日本海軍でのみ使われていた用語であり,陸軍では,これを「上向き砲」と呼んでいました.
どちらも20ミリだけど,海軍では20ミリは「機関"銃"」に分類されるのに対し,陸軍では「機関"砲"」に分類されるという違いもあるし,十三試陸上戦闘機(月光)は,機体の上部及び下部に20ミリ「機関"銃"」を2門ずつ装備していたのに対し,陸軍のキ45改は,機体上部にしか「機関"砲"」を装備していなかった.
上向き銃
(画像掲示板より引用)
【質問】
空対空爆撃戦って何ですか?
飛行機に飛行機から爆弾投げるのでしょうか?
【回答】
空対空爆弾を使った迎撃戦闘のこと.
日本陸海軍では,対飛行機用の攻撃兵器として空対空爆弾を保有していました.
海軍には昭和14年に完成した九九式三号爆弾がありました.
総重量30キロの爆弾の中に144個の弾子が詰められており,敵編隊上空でこれを投下すると,時限発火装置により爆発,弾子が散布される親子爆弾でした.
黄燐と鉄片でできた弾子は一発75グラム,傘上に広がって落下し,命中すれば防弾タンクを発火させることが可能でした.
一方陸軍では,ト二弾,ト三弾と言われる空対空爆弾がありましたが,実戦で使えるものではありませんでした.
のちに,「タ弾」と呼ばれる空対空爆弾が陸海軍共通で使用されました.
これは元々陸軍が地上の航空機攻撃用に開発したもので,700グラム(1キロ)の小型の成型炸薬弾をコンテナに仕込み,目標上空で投下,散布して目標を破壊するものでした.
これを対空用に用いるようにしたものです.
実戦では,投下位置の判断が難しく,また機体性能や爆弾の重量のせいで敵機の上方に占位する事が困難なため,戦果はさほど上げられなかったようです.
またドイツ空軍でも同様の戦法を採用しており,Wgr.21空対空ロケット弾を使った空対空戦闘に発展しています.
元ドイツ空軍のハインツ・クノーケによって書かれた戦記「空対空爆撃戦隊」によれば,第11戦闘航空団第U飛行隊第5中隊に所属していたクノーケ中尉は,戦死した同僚が構想していたBf109に爆弾を搭載して米軍機の密集編隊に投下するアイデアを実施すべく,自機に爆弾を搭載して出撃しました.1943年3月のことです.
彼は見事に爆弾でB-17を撃墜することに成功し,その戦果はゲーリングの耳に達しました.
第5中隊長に昇進した彼はさらに研究を続け,中隊は多数の戦果を上げました.
しかし,護衛戦闘機の増大などで爆撃戦法は危険を増し,8月には中隊はロケット弾を使用し始めています.
面白いことに,迎撃された米重爆の方では爆撃戦法に全く気がつかず,損害をロケット弾によるものと見ていたそうです.
名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE :軍事板,2004/08/05
青文字:加筆改修部分
もともとは飛行場襲撃に開発されたものでしたが,B-17などの重爆の撃墜が機銃では困難であるため,空対空で使われていったようです.
構造は「タ弾(成型炸薬弾)」を数十個集束させたもので,投下後に投網のように広がります.
海軍では三号爆弾.爆煙の形から「タコ爆弾」とも呼ばれていました.
また陸軍では単に「タ弾」と呼ばれ2式,3式(共に40mm撒布弾),5式50mm撒布弾がありました.
空対空で使用した場合はほとんど命中が期待できないために,使用例は極僅かです.
本土防空戦では使用されなかったはず.
【質問】
太平洋戦争中に紫電改や米軍機についていた機銃の弾道が落ちることを見越して射撃可能な見越し射撃照準機ですが,どのような構造をしているのでしょうか?
機銃によって,弾道は異なると思いますし,敵との距離とか変数がいろいろとあると思います.
今ならソフト的に解決が可能と思いますが,当時はどのようにしていたのでしょうか?
【回答】
当時,アメリカは3極真空管のマイクロ化を実現していて,少々大きくなるが単純な計算機は作成可能.
戦車にも砲安定装置を採用している.
弾道は直線と見なした上で,方向を求めて照準器に照射する程度の物.
原理的にはジャイロコンパスと同様の方法で一方向を指向させるだけ.
弾道をトレースする訳ではなく機動中に弾丸の飛んでく先の目安が判る程度.
軍事板
【質問】
零戦とスピットファイアは,どのような性能差があったか?
【回答】
零戦とスピットファイアとの性能の比較については,鈴木少佐が戦後次のように回想している(戦史叢書「南西方面海軍作戦,第二段作戦以降」).
「スピットファイアは全くすばらしい飛行機だった.
零戦に比し最大速度,高々度性能で特に優れていた.
最大速度は零戦よりもはるかに速く,特に突っ込んでからのスピードは驚く程だった.
高度は一〇,〇〇〇メートル以上一一,〇〇〇メートルぐらいまで上がったと思う.
わが方は九,〇〇〇〜一〇,〇〇〇メートルがせいぜいで,高々度では空戦性能ががたっと落ちたが,幸い空戦が八,〇〇〇メートル以下であったのでやれた.
先方の戦史(「対日空戦」)には零戦の方が上昇が良いとあるが実際はあまり変わらなかった.
零戦が優れていたのは旋回性能だった.
したがって格闘戦に敵が入ってくれれば自信をもって撃墜できた.
しかし敵もこれは承知していたようで,一撃航過の邀撃が多かった.
当方としては豪州攻撃には飛行時間一,〇〇〇時間以上の者ばかり連れていった」
その後九月まで数回,零戦とスピットファイアの空中戦が展開され,その度に常に零戦が有利な戦いを進めている.
1942/4/5コロンボ上空戦
日本側戦果 イギリス側記録
スピットファイア19機 機種未公表:合計25機喪失
ハリケーン 11機
その他 11機
イギリス側記録
日本側被害
零戦 1機 日本機30機撃墜
99艦爆 6機
1942/4/9トリンコマリ上空戦
日本側戦果 イギリス側記録
スピットファイア39機撃墜 スピットファイア14機喪失
日本側被害 イギリス戦果
零戦4機 日本機25機撃墜
【質問】
「菅野デストロイヤー」さんの紫電改って,簡単に言うとどういう機体なんだ?
町に火をつけるドラゴンを倒すための飛行機じゃないよな?
【回答】
元は水上戦闘機だったのを開発し直して,陸地で使える戦闘機にしたのが「紫電」.
ただ,紫電は中翼機で足が長く離発着の事故が多かったし,発動機を誉に換装したのにサイズは火星のままで視界も悪かった.
これを改善したのが紫電二一型(通称「紫電改」)
「二式水上戦闘機の後継機種欲しくね?」
↓
川西航空機(現・新明和工業)水上戦闘機「強風」開発
↓
「今の戦局を考えると,今更水戦作った所でどうしようもなくね? 性能はイケてるから,フロート取っ払って陸上機にしよう」
↓
局地戦闘機「紫電」開発
↓
「性能はいいけど,フロート取っ払ったら主翼の配置のせいで脚が長くなってしまった.格納するのに作動が不確実だし,離着陸時に前下方視界が…… エンジンが……」
↓
局地戦闘機「紫電改」開発
「速度も航続距離も延びたし,主翼を低翼下して視界不良も主脚の不調も直した.エンジンの直径に合わせて胴体もスリムにしたし,機体の悪い所は徹底的にやり直してやったぜ!(エンジンは相変わらず)」
※紫電改の正式採用は昭和20年1月.
漫画板,2015/01/31(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
よく零戦乗りの談話で,20mmは対戦闘機戦では何の役にも立たなかったとネタにされますが,20mmしか装備していない紫電や紫電改は,なぜ対戦闘機戦でまずまずの戦果を出せたんですか?
【回答】
おそらく,九九式一号と九九式二号の違いです.
九九式二号は重心が長く,弾道低進性が一号中よりも優れていました.
またベルト給弾を採用したことで装弾数も増加しており,一号の「弾が少ない,ションベン弾」という欠点をかなりの程度改善していました.
発射速度の問題は最後までついて回りましたが,防弾が強化された大戦後半の米軍機に対しては,有効な航空兵装だったんではないかと思われます.
また,零戦は7,7mm×2・20mm×2でうまく弾道を合わせられなかったと聞きます.
その点,紫電は長砲身の20ミリ×4で弾道がうまく合ったらしい.
装弾数も1号短砲身が60発だったのに対して,2号長砲身は200発でした.
事実,20o砲は7,7mm,12,7mmの貫通弾に対して炸裂弾でしたから,1発の弾丸で致命傷を負わせることができたようです.
操縦士に当たれば,被弾した部分が吹き飛ぶから即死だったらしいし・・・.怖い怖い・・・.
さらに,機関砲弾も異なりました.
99-1;口径20X72RBエリコンFFのライセンス生産
99-2:口径20X101RBエリコンFFLのライセンス生産
20は弾頭の直径,X以降の数字は薬莢の長さです.
ちなみにこれは,陸軍の20mm機関砲とは互換性がありません.
陸軍の20mm機関砲も数種類あり,20mm機関砲と言う括りなら世界中に100種類以上あります.
【質問】
キ11って何?
【回答】
日本陸軍の九一式戦闘機,九二式戦闘機の後継機として,1934年から中島飛行機において開発が始められた試作戦闘機.
胴体は全金属製モノコック構造,翼は木金混合骨組にジュラルミン板張.
格闘戦を重視する陸軍の方針により,川崎のキ10が次期戦闘機として採用され,キ11は失格となった.
【参考ページ】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD11_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln12/2008/nakajima_AN-1.html
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki11.htm
キ11写真
(http://military.sakura.ne.jp/ac/ki11.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/11/29 20:20
を加筆改修
マイミクさんのご好意で,スバルの航空機カレンダーを入手しました.
小池画伯の素晴らしい筆致のイラストは,一年を始めるに相応しい格調があります.
特に表紙の中島 キ11試作戦闘機改イラストが素晴らしい!
(イラスト:朝日新聞社に払い下げられたキ11)
よしぞうmaro' in mixi,2007年12月15日14:17
青文字:加筆改修部分
【質問】
一式戦闘機三型乙とは?
【回答】
隼を転換生産していた立川飛行機で計画された機体.
一式戦闘機三型甲をベースにしている.
武装は20mm機関砲ホ-5×2だが,ホ-5は三型甲までの武装であった12.7mm機銃ホ-103より,全長が約20cm長いので,エンジンベッドを127mm延長して砲を内臓して本体をカバーで覆い,カウリング上面の発射口も零戦のように抉った形状にして,空気抵抗の減少を図っている.
量産には至らず,試作機のみに止まる.
量産に至らなかった理由について,碇義朗「戦闘機「隼」 昭和の名機その栄光と悲劇」(光人社NF文庫)では機首の延長や機関砲及び弾丸の搭載により重量が増加したが,エンジン出力はそのままだったので性能が全般的に低下した為,計画が中止された,としており,格闘戦能力向上の為に極力軽量化に努めた事が災いし,大馬力エンジンの搭載や主翼への機関砲の搭載ができなかった(どちらも機体強度や主翼の構造の問題から大幅な設計変更が必要),重戦「隼」は誕生しなかったとしている.(P.236)
一方,渡辺洋二「空の技術 設計・生産・戦場の最前線に立つ」(光人社NF文庫)では試作機のテストでは
・機関砲の搭載や機首の延長による機体重量の増加により降下速度が向上.パイロットからは「これ,なかなか突っ込みがいいよ」と高評価を得た
・ベースとなった三型甲では操縦席の後ろに(二型の途中から付加された)防弾鋼板や(三型から付加された)メタノールタンクがあった為,重心点が後方へずれていたが,機首部の重量増加により相殺され,空力的バランスが改善された
・抵抗減少と重量の均衡により,速度テストでは重量が軽い三型甲と「それこそ“甲乙つけがたい”同等の数値」を記録した
・射撃テストでは強度面,プロペラとの同調に異状は生じず,眩しさが気がかりだった発射炎も問題なしだった
と,意外なほどの好成績を示したが,
・既に多量に生産されている三型甲用のエンジン架を無駄にする訳にはいかない
・重量増加により上昇力,上昇限度が三型甲より劣り,B-29邀撃に不利である
といった理由で量産には移行しなかったとしている.
主務設計を務めた高仲技師補の,
「そんなことは最初からわかっており,それでも20mmを欲しがっていたからやらせていたのに,おかしいじゃないか」
との言葉に上司が答えて曰く
「陸さんはいつもそうだよ」.
後に明野教飛師で,実用試験に供されていた三型乙がB-29一機を撃破したとの話を聞いた時,いくらか報われた気持ちになったとか.(P.35-37)
また「空軍大戦略ふぁいてぃんぐういんぐす 日本陸海軍戦闘機編」(イカロス出版)だと
「しかし結局,特攻に回される機体が多くなると予想された事もあり,三型乙は最終的に廃案となる.」(P.117)
としている.
グンジ in mixi,2010年02月28日15:28
【質問】
再製「隼」の現状と行方は?
【回答】
1990年代中期,大戦機コレクター,ダグラス・チャンプリンが,千島列島方面から数機分の「隼」の残骸を収集,それを元にテキサス州フォートワースのテキサス・エアプレーン・ファクトリー(TAF)に再製を発注したもの.
その後,計画遅延,予算超過,再製1号機の事故やにより,アリゾナ州カサグランデのワークショップ,ゴスホーク・リミテッド社に依頼先は変更された.
再製機は,残骸を元に新造した部位と,若干のオリジナルで構成された機体,プラット&ホイットニーR-1830エンジン,ロッキード・ロードスターのプロペラ,DC-3のプロペラ・ハブ,T-33Aの前輪を転用した主脚タイヤなどから成る.
4機が再製の予定.
1号機はオレゴン州ティラモック航空博物館へ,
2号機はワシントン州シアトルのミュージアム・オブ・フライトへ引き渡される予定.
3号機,4号機の行く末は2006年現在,未定.
詳しくは「航空ファン」2006年7月号,p.27を参照されたし.
【質問】
鐘馗はなぜ不評だったの?
【回答】
安定性の問題です.
鐘馗は双発機用のエンジンをそのまま流用したため,トルク差の問題から著しく安定性が低下してしまったのです.
また,離着陸時の安定性の悪さが,97式戦に乗り慣れた搭乗員達に不評でした.
一方,射撃時のスワリは良いとされていました.
【質問】
二式単戦ってビルマとかじゃ,英軍から厄介な奴とか思われたりしたの?
【回答】
本機を装備していた独立飛行47中隊はインドシナ,マレー,ビルマと転戦しました.
これらは侵攻作戦で有り本機の航続力では不向きで1942年5月には内地に帰還しています.
よって,敵に恐れられるほどの活躍をする期間は有りませんでした.
本機が真髄を発揮したのは,日本本土での防空戦等の迎撃戦でした.
不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk in 軍事板,2009/11/24(火)
青文字:加筆改修部分
▼ ビルマ戦線での二式単戦について.
1944年5月7日,パレンバン油田の防空にあたっていた飛行第87戦隊の二式単戦25機
(半数が二型乙.残りは二型丙と40ミリ自動噴進砲装備機だが,このうちどの機種がどの割合だったのかは不明)
と地上勤務者を乗せた輸送機(一式輸送機)3機が,メイクテーラ東飛行場に移動.
実戦経験こそ少ないものの,古参操縦者が多く,燃料の豊富なスマトラで敵の妨害を受ける事無く,数ヶ月間練成に明け暮れてきた同戦隊への評価は高く,大きな戦果が期待されていたとしている.
5月11日,メイクテーラ上空でP-51A24機と空戦.
7機撃墜(確実3,不確実4)を報じるが,4機が撃墜され(3名戦死,1名は落下傘降下で生還),6機が被弾.
二式単戦はP-51より,急降下性能が劣っていると報告.
連合軍側の記録では撃墜15(確実13,不確実2),撃破6で未帰還機は無し.
交戦した日本軍操縦者については,これまで交戦した者よりも技量が低く,戦術的にも特筆すべきものは何もなかったと評価.
5月12日,空襲してきたP-51を邀撃したが,2機が撃墜され,多くが被弾.
空襲後の可動機は10機にまで減少.
連合軍側の記録では撃墜11(確実8,不確実3),撃破6で未帰還機は無し.
今回の操縦者は前回よりも経験を積んでいる様だと報告.
5月13日,P-51,P-38を邀撃し,P-51を7機撃墜と報じたが,1機が撃墜される(落下傘降下で生還).
連合軍側の記録ではP-38が1機,P-51が7機(確実4,不確実3)撃墜と撃破6して3機が被弾したと報じる.
日本軍操縦者は前回よりはよく組織されており,特にスプリットS(降下反転)をよく活用したと評価.
17機の撃墜を報じたが,操縦者5名が戦死しており,高速を至上とする二式単戦は旋回性能が悪く,より高速なP-51にしてみれば扱いやすい相手であり,低速でも並外れて軽快な一式戦の方が,むしろ厄介だったのではないか,としている.
5月21日,第87戦隊はスマトラに帰還.
可動機は7,8機まで減少していたとしている.
(梅本弘「ビルマ航空戦 下」(大日本絵画)P.219-239)
グンジ in mixi,2010年01月02日15:08
▲
【質問】
陸軍機の2式単戦で,40mm装備機って本当にあったんですか?
また,発射速度は毎分何発くらい?
【回答】
鍾馗二型乙に搭載されたホ301ですね.
中央工業が製作したもので,初速240m/sec,携行弾数10発でした.
Palembang,本土防空戦で使用されています.
その弾は,無薬莢自動噴進式,つまりロケット式で,弾丸の中に推進薬を充填し,底部の雷管から点火されると弾底の雷管部周囲にある12個のノズルからガスを噴出して撃ち出されると言うものでした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/12/10
青文字:加筆改修部分
現代の感覚では40mmグレネードという感じの弾です.
通常の推進薬と薬莢はなく,弾体の後部に附属した推進薬室で発生した燃焼ガスで弾体を推進します.
写真を見ると「ジャイロ・ジェットの大型」という言葉が浮かぶのは年寄り.
しかしロケット弾ではない証拠に,推薬は銃身内で焼尽し,反動で機関砲を作動させることができます.
引き換えに銃口初速はグレネード・ランチャー・クラスの246m/秒.
450発/秒の発射速度は悪くないものの,嵩張る弾のために弾倉は10発箱形.つまり,至近距離一航過での射撃しか意味がないというヤクザな武器で,実用的な意味はありませんでした.
ま,実際,普通の航空機関砲並みのサイズと反動に留めることができたという点ではすごい40mmホ301なわけですが,10発箱型弾倉が機関砲自体と同じぐらいのサイズという笑える光景が,これを機載させられたパイロットの悲劇を物語ると言うものです.
ちなみに,2型乙は翼内砲を廃止して,胴体砲のみとした仕様で,ホ301は特別装備(オプション?)だったようです.
軍事板,2004/12/10
青文字:加筆改修部分
【質問】
疾風が戦後アメリカでテストされて凄い性能を出した,という話を良く見るのですが,紫電改や五式戦はテストされなかったのですか?
【回答】
大戦中に捕獲された物と異なり,戦後捕獲された機体の扱いは,かなりぞんざいだったようです.
本国に運ばれた後も,二式大艇や連山など,米国の関心が高かった機体のみ,苦心して整備し,飛行可能状態までもっていったのですが,それも二〜三回飛んだだけでエンジンが不調と成り,飛行テストは断念され,大半の機体は放置され,射撃の的に成って破壊され,その後,大戦の終了後,軍の予算削減に伴い調査部門での調査が不可能と成り,大半がスクラップにされた様です.
(『囚われの日本機秘録』(野原茂著,光人社,2002.12))
紫電改も五式戦も,米国に運ばれた事は確かですが,途中の海上で嵐に遭った時に投棄された可能性も有り,詳細は霧の中です.
紫電改の前々身である強風には,米軍も高い関心を示していた様ですが,紫電改についてはそれ程でも無く,五式戦については前身であった三式戦の評価が芳しく無く(「イタリア戦闘機のデットコピー」)事も有り,あまり高い関心は持っていなかったようです.
真相は,アメリカの公文章館をあたってみるしかないと思います.
軍事板,2006/01/15(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
誉エンジンが駄目なら,なんで海軍は,零戦に代わる次期主力戦闘機を紫電改に決めたの?
【回答】
それは昭和19年の計画.
昭和20年度の,つまり最後の計画では,陸海共用で金星搭載の疾風(キ116)を採用することになってたよ.
言いかえるならば,日本の運用能力では誉搭載疾風も紫電改も駄目だったわけだ.
そういえば雷電の内示が三菱に出されたとき,火星か熱田のどちらを選択することになったとかいう話も.
液冷雷電,見てみたい.
やっぱ故障に泣くんだろうな・・・.
【質問】
紫電改って空戦フラップ以外に傑出した部分ってあるんですか?
【回答】
速度と旋回性能,それに離着陸性能のバランスが良かったと言う事だろうと思う.
計器速430ノットの最終速降下では,海軍で一番速かったはず.
あとは,雷電に比して優れた点は,紫電,紫電改あわせて1400機という生産数かな.
疾風は3000機だけど,三菱/中島と川西では,会社規模が桁違い.
十分生産性の高さを立証していると言えないかな.
一方,当時の雷電の不評振りといったらなかなか凄まじい物が有るよ.
「厚木では毎日のように死人が出た」
なんて話もあるようだし.
他に,艦上運用出来る程の視界の良さ,失速速度の低さ(=離着陸容易).
惜しむらくはエンジンの信頼性と,川西という中規模メーカーゆえの生産数の少なさか.
防弾装備の充実ぶりも評価していいと思います.
自動消化装置までついてます.
【質問】
水曜日に,愛媛県宇和島市に保存されている紫電改を見に行くのですが,紫電改の軍事板的な目のつけどころはどんなところですか?
漠然と見るだけではもったいないですから.
【回答】
あれ,まだあったのですか.
オレ的には,誉エンジンの小ささと整備性の悪さ.
機体の工作精度の荒さ.
あとは,機体の状態.
……あたりをチェックするのが良いかと.
眠い人 ◆ikaJHtf2 :軍事板,2002/09/24
青文字:加筆改修部分
エンジンは機体に搭載されているから,よく見えないですよ.
機体は撃墜されたときの被害と,海水による腐食等で損傷がひどいので,工作精度を観察するのもなかなか難しいような.
機体から取り外されて,展示されている燃料タンクなどは,興味深いかも.
通常は見ることが出来ない部分だから.
軍事板,2002/09/24
青文字:加筆改修部分
愛媛県「紫電改展示館」の紫電改
(画像掲示板より引用)
【質問】
もし烈風が開発されていれば,高度10000mにいるB29を撃ち落とせたでしょうか?
【回答】
零戦でも高高度偵察のB29を撃墜している例はあるので,可能性はなくはない.
また,烈風の翼面積は過剰といえるほどデカイ.
零戦と翼面荷重がほとんど変わらないレベルだったりする.
上昇速度は零戦より遥かに速い仕様がだされているから,完成できれば零戦よりは有利だっただろ.
ただ,それでも高高度性能が不足していたことに代わりはないので,新型高高度戦闘機開発までの繋ぎとして,ターボ搭載型「烈風改」の開発にも着手していた.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
烈風の最大航続距離は4000kmオーバーと聞いたことあるんですが,実際のところどうなんでしょうか?
【回答】
烈風の航続距離なら
http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002948.html
によれば
------------
航続距離 2395km 巡航速度370km/h 燃料1116リットル ;紫電改(増槽400リットル使用時)
航続距離 1715km 巡航速度370km/h 燃料0716リットル ;紫電改
航続距離 4625km 巡航速度370km/h 燃料1560リットル ;烈風(増槽620リットル使用時)
航続距離 2960km 巡航速度370km/h 燃料0940リットル ;烈風
------------
また,
http://military.sakura.ne.jp/ac/sam.htm
によれば,航続距離は1600km.
数値の出典は不明.
もっとも,量産型機は1号機が完成間近のところで終戦を迎えており,仮に実戦投入された場合,実際の数値はどうだったか不明.
工作精度の低下を鑑みるに,計画値や試作機の数値を下回っただろうことは想像に難くない.
軍事板,2005/10/15(土)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ウィキペディアの烈風の項目にある,格納庫で撮られた烈風の有名な写真ですが,説明では三沢基地で撮影とあります.
しかし,同じ写真が松本市のHPにあり,9月29日に松本の神林飛行場で撮影とあります.
どちらが正しいんでしょうか?
【回答】
従来は松本の機体と言われていましたが,三沢基地が正解のようです.
「世界の傑作機No.130 九九式艦上爆撃機」をもしお持ちならば,P30の九九式練爆の,三沢基地で撮られた写真を見てください.
背景に写る骨組みだけの格納庫が,烈風の写真のそれと同一のものだとわかるはずです.
名無し軍曹@携帯 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
三菱のキ83遠距離戦闘機は現存しないそうですが,いつ頃・どのような形で処分されたのか,どなたかご存知でしたら教えてください.
【回答】
1949年5月1日現在の空軍のリストにあったキ-83は,空軍技術情報部隊番号T2-151が1機のみでした.
しかし,NASMの博物館建設に当たったのは当初5名のみで,膨大な数の軍用機(元来は重要機種1機は残す予定だったのですが)を維持管理することが出来ず,小委員会を設けて取捨選択しました.
しかし,日本機に精通している人は入っておらず,キ-100とキ-61の見分けが付かなかったり,百式司偵とキ-46を別の機体としていたり,橘花を取るに足らない機体としていたり….
この流れの中で,キ-21,キ-67,キ-49と共に,キ-83も廃棄リストに入ってしまい,結果,破壊されてしまいました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/09/08(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
キ87って何?
【回答】
日本陸軍四式戦闘機「疾風」(キ84)よりも航続距離が長く,かつ,高高度の戦闘に耐えうる戦闘機として,1942年に中島飛行機で試作開始された戦闘機.
キ84の開発が優先したことと,ターボチャージャー等,新機軸を多く盛り込んだ機体だったため,実機の完成は計画より大幅に遅れて,昭和20年2月になった.
完成したのは,この試作1号機のみであり,しかもエンジンの不調,排気タービンの過熱問題,主脚の動作不具合に悩まされ,5回のテスト飛行を実施しただけで終戦を迎えた.
【参考ページ】
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/cl-pln10/2002cl/Ki87.html
http://www.warbirds.jp/truth/seinou2.html
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/Ki87Spec.html
http://www.hi-ho.ne.jp/nomura1205/fighter_k87.htm
【ぐんじさんぎょう】,2011/08/24 20:30
を加筆改修
【質問】
「幻のB-29迎撃機,45年8月完成…技術はカローラへ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050716i506.htm
この記事で紹介されているキ94のことが知りたいです.
【回答】
とりあえず大まかなところだけ.
http://page.freett.com/zaj17637/11/94.html
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki94.htm
なお,キ94は,不採用になった1型と新設計で試作にこぎつけた2型があり,記事に出てくるのは2型です.
キ94II型
(画像掲示板より引用)
【質問】
他の各国には殆ど見られない水上戦闘機を,日本だけが開発を続けたのは何故なのか?
【回答】
日中戦争での活躍の記憶から,水上機に過大な期待を抱いたためだという.
以下引用.
――――――
日本海軍が水上戦闘機に固執したのには,日中戦争で複葉の95式水上偵察機が中国軍の戦闘機を撃墜し,爆撃も行うなど,高い空戦能力と実用性を示したことが背景にあった.
これに喜んだ日本海軍は,水上観測機や偵察機に過大な期待を抱き,急降下爆撃も可能な水上偵察機の瑞雲や,投棄式フロートと二重反転プロペラで高速性能を追求した紫雲といった奇抜な,あるいは無茶な期待の開発が行われた.
いずれも実用性に乏しく,実際に完成したときには必要性も薄れていたため,開発に要した努力や資源は,実際には浪費されたとも言えるだろう.
――――――「世界の艦船」2005年8月号,p.101(岡部いさく著述)
基地設営能力の低さを鑑み,飛行場設営までの繋ぎ役として,水上機を展開させておく意図もあったように記憶しているが.
母艦上の2式水上戦闘機
(画像掲示板より引用)
【質問】
ぶっちゃけ秋水って戦力になりえたの?
【回答】
おそらく無理.
機体と燃料を生産することが難しかった上,当時の状況では飛行訓練もままならなかっただろうから,ちゃんと離陸して飛ばせるだけの搭乗員が確保できなかっただろう.
また,飛行試験前の段階で,B29は既に夜間低空爆撃に戦術を切り替えている.
(元々の用途としては,高高度且つ高速度の重爆迎撃用)
仮にテストパイロット殺しの状態が改善されたとして,その頃には艦載機やらP51やらが飛び回っている.
ロケット戦闘機は速度差が大きすぎて,対戦闘機戦は不得手であり,離着陸中や滑空中は全く無防備.
モデルになったMe163も,戦果がはっきりしない位だから….
自軍の損害記録と相手方の遭遇報告は有るけど.
日本軍の場合だと,パイロットと機体が確保できたら,「対B-29用有人地対空ミサイル」として使いそうだが……
軍事板,2009/09/29(火)
青文字:加筆改修部分
十九試局地戦闘機「秋水」
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faq110122sy2.jpg
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ゆずこせう in 「軍事板常見問題 mixi別館」,2011年01月22日 19:38
【質問】
友達が,秋水は宇宙へ行けると言ってたんですが,本当ですか?
【回答】
不可能.
バート・ルータンのスペースシップワンは,成層圏で空中発進,マッハ3まで加速して急上昇して,宇宙の最下限である高度100kmになんとか到達する.
それに比べて秋水は,地上から発進して,成層圏まで上がるのが精一杯.音速も超えられない.
それでは絶対に宇宙空間までは飛び上がれない.
なお,この超「秋水」の出所は,天沼俊の漫画『戦空の魂』(集英社)らしい.
【質問】
萱場「かつをどり」ラムジェット近距離戦闘機って何?
【回答】
萱場製作所が計画した,高高度迎撃用の戦闘機.
胴体内には萱場1型ラムジェットエンジン(推力750kg)の他,胴体左右に2基ずつ,落下式の離陸促進ロケット(推力合計7200kg)を搭載し,最大速度は900km/h,実用上昇限度は15000mとなる計画だった.
武装は,翼内の30mm無反動機関砲.
機体の空力特性を確認するための無動力滑空機まで製作されたが,陸軍側のテスト・パイロットがテスト中に事故を起こし,開発は中止となった.
もし萱場製作所の技術者が,ふんだんに予算と資材を使えていたなら,ブローム&フォスのようなことになっていたに違いない.
惜しいな.
【参考ページ】
http://blogs.yahoo.co.jp/yuunagi_dameya/15715442.html
http://www.youtube.com/watch?v=j8qDxhJpdLM
http://strangemecha.blog59.fc2.com/blog-entry-399.html
http://blackboxes.blog50.fc2.com/blog-entry-621.html
【ぐんじさんぎょう】,2011/07/27 20:20
を加筆改修
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