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(作・野上武志)
【質問】
統帥権って何?
【回答】
統帥権というものは軍隊の作戦,指揮,用兵に関しての権限のことです.
これを軍令と言いますが,これは帝国憲法11条によって国務大臣の補弼事項の外にありました(統帥権の独立)
.対し憲法17条によって軍の編成,常備兵額は内閣の補弼事項でした.
これを軍政と言いますが,その軍令と軍政の区分が必ずしも明確ではありませんでしたので,内閣と軍部で権限争いが頻発したわけです.
たとえば満州事変の際にも,独走する軍部の行動を内閣が制限しようとしたのに対し,軍部が
「軍令は統帥権の独立によって内閣の補弼事項ではない,
よって内閣の指図はうける必要はない」
と統帥権の独立を持ち出して反発したという経緯があります.
in mixi
(レス者不明のため,連絡不能のまま掲載しています)
【質問】
満州事変以後大日本帝国降伏以前において,天皇が大元帥として奉勅命令をだして陸海軍を統帥する場合の手続きを教えて下さい.
また,どのような場合に奉勅命令が必要だったのでしょうか?
【回答】
天皇の統帥権には,
国防計画に関する事項,
作戦計画に関する事項,
平時に於ける陸海軍兵力の使用に関する事項,
戦時に於ける陸海軍兵力の使用,即ち,作戦・運用に関する事項,
軍隊及び軍人の訓練・懲罰・内部組織に関する事項
が含まれます.
これらの統帥権を行使するのは,帷幄の機関,即ち,参謀総長,軍令部総長,陸海軍大臣の上奏に基づき行なわれるものとされています.
上奏を行なうのは,あくまでも,「事の軍機軍令に係り奏上するもの」で,これらは,「陸軍大臣,海軍大臣より内閣総理大臣に報告すべきもの」なのですが,屡々,この部分は忘れ去られています.
帷幄上奏に基づき勅定されるのが軍令で,手続き的には,参謀本部,軍令部,または陸海軍省で作成したものを,参謀総長,軍令部総長,陸海軍大臣が天皇に上奏し,天皇が親署の後,御璽を鈐し,主任の陸軍大臣,海軍大臣が年月日を記入し,これに副署します.
これで成立する訳です.
本来は,これを公布する際には,内閣総理大臣への報告が必要ですが,先述のように屡々無視されています.
また,公布は,公示を必要としない場合もありますが,公示が必要な場合は,上諭を付し,官報に記載します.
ちなみに,2.26事件の様なクーデター等で行なわれた戒厳大権,戦時,内乱勃発時に行なわれる非常大権については,これは統帥権の埒外になります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/09/27
青文字:加筆改修部分
親署と御璽
(画像掲示板より引用)
ちなみに,こんな話も.
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/gunji/ikariage.htm
より.
終戦直後の8月17日に,海上護衛司令部参謀の大井篤が,麾下の海上護衛部隊にアメリカ軍への降伏電報を打った後に,軍令部作戦部員の柴勝男にいちゃもんを付けられた時の会話.
柴:「大井君,あんな電報を打つとは何だッ.まだ負けとらん」
大井:「いや,天皇陛下はちゃんと詔書を出された」
柴:「天皇陛下は,あいつは臆病だから出したけど,われわれの上には大元帥閣下がいるんだ!」
大井:「違う! 大元帥閣下は天皇陛下の家来なんだ!」
……ちなみに,天皇陛下と大元帥閣下は,役職名が違うだけで同一人物です(苦笑)
【質問】
家永教授の説に
「奉勅命令は,国務大臣の副署がなく,天皇は統帥権の行使に関しては無答責でなく,その責任は免れない」
という趣旨のものがあると,引用で見たのですが,誤りでしょうか?
【回答】
そのあたりについては近年,研究の進展が著しく,家永説はすでにいささか古くなりつつあります.
新しい動向を知りたい場合には,
『青年君主昭和天皇と元老西園寺』(永井和)京都大学学術出版会, 2003.7
『天皇の政治史―睦仁・嘉仁・裕仁の時代』(安田 浩)青木書店, 1998.5
『昭和天皇とその時代』(升味準之輔)山川出版社, 1998.5
などがあります.
特に永井の著書には,家永説に対する批判が収められていたと記憶しています.
軍事板,2004/09/27
青文字:加筆改修部分
【質問】
「平時における兵力の使用」とはなんでしょうか? 見ようによっては,論理矛盾なんですが・・・
【回答】
これは,
・国内の反乱に対する場合,
・徒党を組み兵器により国家に反抗する場合,
・国外に於ける国家または国民の利益を防衛するために必要な場合,
・戒厳の場合
が挙げられます.
米騒動の時や関東大震災の時の軍隊出動などが,これに当たります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/09/27
青文字:加筆改修部分
【質問】
天皇は軍の最高司令官というのは,第2次大戦当時,名目上だけのことだったの?
【回答】
明治憲法に
第4条 天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行う
第11条 天皇は陸海軍を統帥す
第13条 天皇は戦を宣し和を講し及諸般の条約を締結す
といった記載があるのだから,天皇は部外者になれるわけはありません.
また,天皇の位置づけ上,内務大臣は天皇に戦況などを逐一上奏していたし,陸海軍を統帥する天皇がそれに対して意見を述べるのもありふれたことで,天皇は内政及び外交それに戦争遂行に密接に関わっていました.
それに
「祚 天祐ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ……」
に始まる開戦の詔勅は現代語しか理解できない人には難文でも,現代語に直されたものを読むと天皇の身勝手さが透けて見えてきます.
資料は
http://dokushin.hp.infoseek.co.jp/ten-6.htm
にありますが,前半部は以下のようになっています.
--------------------------
神霊の加護を受けて,万世一系の皇位を受け継いでいる大日本帝国の天皇であるわたしは,はっきりと忠誠勇武なお前たち臣民に告げる.
わたしは今ここに米国と英国に対して宣戦を布告する.わたしの陸海将兵は全力を奮って戦争に従事し,わたしの役人たちは職務に精励して奉公の実を尽くし,わたしの臣民たちは一億一心となって戦争の目的を達成するのに後悔が残らないように励んでほしい.
そもそも東アジアの安定を確保して世界平和に貢献することは偉大な明治天皇,その後継者の大正天皇がお作りになった深い計りごとであって,わたしが常に心掛けているところであり,そして列国との交際を大切にし,すべての国と共に繁栄を享受することは,わが国が常に他国との交際における重要なこととしてきたところである.
今不幸にして米英両国と戦端をひらくことになったについては誠に止むを得ないものがあったのである.
どうしてこれがわたしの志に根ざすものであろうか.
--------------------------
もっとも,天皇自身が戦争遂行への自己の影響力を最小限に留めようとしていた様子は伺える.
天皇機関説事件の際,天皇が本庄繁侍従武官長に言った
「美濃部説の通りではないか.自分は天皇機関説で良い」
という言葉も伝わっている.
戦争期間中,天皇が自己の意思を貫徹したのはただ一度,終戦を決断したときであるという説もある.
なお,天皇問題は見解が分かれ易く,本項も折りに触れて修正・追記される可能性があるので,その点は留意されたし.
【質問】
「東條内閣時代の日本軍の総責任者は東條英機である」というのは事実なのですか?
涼月 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
青文字:加筆改修部分
【回答】
これは間違いじゃないかなぁ.
法的には天皇に統帥権があるわけだし,実際の権限は天皇を輔弼する参謀総長や軍令部総長に有るわけだし.
東條は一時,陸軍大臣と参謀総長をも兼務していたけど,それでも海軍については全く手出しできなかった.
法的にも実質的にも「日本軍」の総責任者とは言えないと思います.
但し陸相と参謀総長を兼務していた時期については,「陸軍の」事実上の総責任者であったとは言えると思いますが.
【質問】
旧日本軍の陸・海軍大臣は誰が選出してるの?
確か首相には任命権or指名権がないんですよね.
天皇が任命してるってのはわかりますが,実際に天皇が選んでるってわけじゃないでしょ?
【回答】
陸軍の場合は,大正13年,後任陸軍大臣は三長官(陸軍大臣・参謀総長・教育総監)一致の推薦を必要とすると言う,「陸軍省参謀本部教育総監部業務担任規程」という内部規定に基づき,大臣を選出します.
ちなみに,大臣がその職を執行し得ない時(敗戦時の東久邇宮内閣)は,次官が三長官会議に参加します.
ただ,この時は,土肥原教育総監を陸軍大臣に推しますが,首相の意志で,下村定北支那方面軍司令官になりました.
三長官の意向と言っても,無統制時代(1930年代)には,内部的に省部(陸軍省・参謀本部)中堅将校の意向・人気・鼻息に左右されていますし,それ以外の時代でも,陸軍次官,人事局長の進言,情報,軍の長老である,皇族,元帥,軍事参議官などの大将クラスの意向も無関係ではありません.
ちなみに,東条陸相の場合は,陸軍次官と参謀次長の談合で決定しています.
海軍の場合は,前任海軍大臣の専権事項です.
但し,1932年以降は,伏見宮博恭海軍軍令部長の同意,1941年の辞任後も元帥たる彼の同意を得なければ,海軍大臣の推挙は出来ませんでした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/07/21
青文字:加筆改修部分
【質問】
「3長官」とは?
【回答】
陸海軍省それぞれの最高ポスト.
以下引用.
------------
●三長官
陸軍の三長官は参謀総長,陸軍大臣,教育総監,海軍の三長官は軍令部総長,海軍大臣,連合艦隊長官のことで,軍人となったからには誰でも渇望する軍の最高ポストであった.
昭和一二年(一九三七)一月二十五日,組閣の待命を配した宇垣一成は,わずか五日で組閣を拝辞しなければならなかった.これは陸軍を代表する三長官が陸相を推薦しなかったからで,昭和一五年(一九四〇)七月一六日,宰相米内光政が総辞職に至ったのも畑俊六陛相の単独辞任と,その後任が得られなかったからで,これも陸軍三長宮の大きな影響力によるものであった.
戦争末期,小磯国昭首相は戦争指導体制を強化するため,現役復帰と陸相兼任の希望を陸軍に申し入れたが,三長宮の拒絶拒絶により辞表を奉呈している.(中略)
海軍では,ふつう次期海相の推薦は,海軍大臣が次官にも相談することなく推薦するのが恒例であったというが,東条内閣の海相推薦については,海相より次官に諮られ,次官,次長,軍務局長,人事局長,軍令部長らの協議によって豊田副武が推されたが,東條の強い反対にあって島田繁太郎を召すことになり,海相につづいて軍令部長が島田大将と会談してようやく受諾を得て決定したと言う.(後略)
------------北村恒信著「戦時用語の基礎知識」,光人社NF文庫
軍事板,2006/02/08(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧陸海軍省の高級副官は,具体的に何をする職ですか?
今で言う官房長みたいなもの?
【回答】
大臣官房に於いては下の事務を掌る
一,機密に属する事項
二,大臣の官印及び省印の管理に関する事項
三,軍令の原本の保管に関する事項
四,記録の編集及び翻訳に関する事項
五,公文書類に関する事項
六,図書保管に関する事項
七,陸軍文庫に関する事項
八,軍旗及び靖国神社に関する事項
九,省属判任文官の人事に関する事項
十,省内の風紀に関する事項
十一,印刷に関する事項
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/rikugunsyou/mtop.html
【質問】
陸軍省や海軍省には,現代の防衛庁事務官のような文民官僚はいなかったのですか?
【回答】
陸軍省の場合,政務次官,参与官などの政務官を置いていました.
但し,統帥事項には関与できません.
また,大臣以下主要ポストは武官(法務中将が設置されるまでの法務局長を除く)です.
とは言え,大臣,次官は文官の身分も持ちます.
大臣は大将または中将,次官は中将(名目上少将でも可),局長は中将か少将,課長は大佐または中佐です.
下っ端の方ですと,普通文官,教官,技術官(後に技術将校),法務官(後に法務部将校),監獄官,通訳官などがあります.
海軍省の場合も同様に政務官がいますが,軍機軍令には関与出来ません.
大臣以下の主要ポストは武官で,大臣,次官は文官の身分を同時に持ちます.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/05/06(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
現在,警察→防衛庁や防衛庁→警察のような出向がありますが,旧軍もそんな制度はあったんですか?
【回答】
省庁の官吏は文官任用令の拘束を受けます.
従って,文官登用試験に合格していて,高等官待遇で,数年の経験があれば,別の官庁でその人を必要とする限りに於いて,別官庁,例えば内務省に出仕することは可能です.
但し,あくまでも,これは陸軍省とか海軍省に勤務する官吏の話で,現役軍人がそのまま出向して別の職務に就くことは,2.26事件以後にならないと出て来なかったかと記憶しています.
平時の場合は,普通の軍人がそのまま別官庁に出向することは,まず制度上出来ません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/09/14(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧日本軍で,士官と将校の違いって何でしょうか?
【回答】
辞典的にはこういう意味.
・士官:国に武術的な面から仕える官吏
・将校:国家元首に代わって軍隊を指揮(将)し,国家元首に専門的な指導を与える(校)事を受け持つ者
すなわち,
・士官は,少尉以上の階級を持つ軍人の総称.
・将校は,部隊のリーダーとして兵たちの指揮をとる士官を指す呼称.
少尉以上なら士官.部下を持っていれば将校です(もちろん士官でもある).
ただし,帝國海軍で「将校」と呼ばれるのは兵科と機関科の士官のみ.
それ以外の科の士官は「将校相当官」と呼ばれた.
例えば機関中尉と主計大尉であれば,機関中尉のほうが序列は上になる.
機関科は大正4年から「将校」.
もっとも指揮の優先権は階級にかかわらず兵科にあるけど.
昭和17年に機関科が兵科に統合され,昭和19年の制度改正で,指揮権に関して表面上は兵科将校と変わらなくなってる.
問題があったのは,長期間機関科将校としてのみ勤務してきた人達の中身.
陸軍の場合も兵科が将校で,軍医,獣医,主計,軍楽などが将校相当官であり,彼らは士官.
また,旧帝國海軍には「特務士官」という人達がいた.
兵卒から叩き上げて尉官になった人達で,砲術や雷術などの特殊技能を持っている人達.
この人達は,階級は尉官や佐官でも,指揮序列に組みこまれていないので指揮権がなく(例えば艦の生き残りが特務少佐と兵科中尉だった場合,兵科中尉にしか艦の指揮を代行する権利はない),特務士官は「士官」であっても「将校」ではない,ということになる.
しかし昭和17年になると,必要あるときは将校・特務士官関係なしに階級の上下で指揮できる特例が認められている.
さらに,昭和19年には一部の小型艦で同階級でも優先的に指揮できるという特例が認められた.
なお,兵科士官でも部下を持っていない場合がある.飛行隊など士官ばかりで編成された部隊などでは,部下なしの士官が多かった.
【質問】
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun35.html
によると
「注・特務士官は昭和17年11月1日以後,特務の文字がとれる.」
と記されていますが,呼称等で実務面で真性士官と混同,語釈等の不都合はなかったのでしょうか?
【回答】
先ず,特務士官の数は,昭和の初めで1000名,太平洋戦争でも6000名程度しかいません.
(ちなみに,1930~35年で所謂将校は5000名,1942年で17000名です.)
連合軍もわざわざ待遇を分ける必要を認めていません.
従って,少尉なら少尉の待遇を以て接します.
ちなみに,ドイツ帝国海軍の場合も,機関将校は中流階級で尚かつ専門学校を出た者が殆どで,上流階級で高等教育を受けた士官とは明確に異なっていました.
また,海軍部内では,特務士官は「将校」扱いではありませんので,混同することはありません.
その進級は,准士官のうち,海兵・海軍機関学校・海軍軍医学校・海軍経理学校の選修科学生課程(1年半)を経た者,または准士官経験5年以上で技倆抜群の者から抜擢されます.
正規の課程みたく,海兵・海軍機関学校を正規に卒業した訳ではありませんので,容易に見分けられます.
大抵の場合,彼等の学歴は高等小学校卒業ですが,6年以上も現役士官から差を付けられています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
【質問】
旧軍における技術士官は,「軍人ではあっても戦闘員」ではないと言う認識でOKですか?
【回答】
陸軍の場合は,砲工科技術将校を以て構成しています.
即ち,彼等は兵科将校としての役割を持っています.
従って,戦闘員の扱いになります.
海軍の場合は,造船,造機,造兵の各科を統合したもので,彼等は,将校相当官に位置づけられます.
従って,兵科将校ではありません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/04/19(水)
álmos ember :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/19(szerda)
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【質問】
旧軍には「技官」という職種があったらしいのですが,技術士官との相違は何なのでしょうか?
【回答】
「技官」は,軍属で軍人ではありません.
あくまでも,軍人以外で,本人の意思によって職業として陸海軍に勤務する者であり,文官,雇員,傭人に分けられますが,技術官は文官扱いです.
その待遇はピンキリで,親任官待遇,つまり大将相当から,兵卒待遇まで様々ありました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/04/19(水)
álmos ember :"2 csatornás" katonai BBS, 2006/04/19(szerda)
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Kék karaktert: retusált vagy átalakított rész
【質問】
「陸士・海兵を出れば,卒業と同時に少尉になる」↓のですか?
――――――
志願しても,たたき上げでは,下士官と呼ばれる,軍曹かせいぜい曹長くらいまでしか進級できなかったが,前述した陸士・海兵を出れば,卒業と同時に少尉になる.
――――――林信吾「「戦争」に強くなる本」p.37
【回答】
陸軍の場合,士官学校卒業後数ヶ月(最低でも三ヶ月)は見習士官を経験しないと少尉にはなれません.
海軍でも兵学校卒業後は少尉候補生として,一年半から一年は練習艦などで練習航海や実地訓練を経験しなければ,少尉には任官させてもらえません.
大戦中は練習航海が不可能なため,隊付き見習などに短縮されていますが,それでも少尉に進級するまで半年から一年はかかります.
陸士・海兵卒業直後に少尉任官なんて無茶苦茶です.
それに本サイトでも別項にありますが,下士官でも優秀な兵士は士官に昇進できます.
【質問】
軍人の転籍や昇進なども,一般企業と同じく一年に一度か二度,締めや年度頭に有ったりするのでしょうか?
一次~二次頃の戦時中の日本軍でお願いします.
【回答】
海軍の場合は,大正八年海軍考課規則(達第82号)などに代表される様に,きちんと人事考課表を作成して,それを年1回提出して,それを元に昇進を決める形になります.
被考課者は佐官から1等兵までで,1人1葉の甲表と,部下全員を比較して記す乙表の2種類からなり,
「考課表調整ノ任ニ在ル諸官ハ常ニ部下ノ才幹,性行及技能等ノ察知ニ努メ必要ナル資料ヲ整備シ何時ニテモ其ノ考課表ヲ調整シ得ル準備アルヲ要ス」
とされています.
今の人事考課と同じく,本人記入の部分と調整官記入の部分からなり,調整官記入欄はテンプレが無く,全てを自分の言葉で書かねばなりませんでした.
よって,調整官(上司)も被考課者の全てに知悉し,表現力や語彙力が要求されました.
調整官は,艦船の場合は士官以上,候補生は副長,下士官兵は分隊長で高等官でないと作成出来ませんでした.
戦時とかだとその限りにはありませんが,平時の場合は,年に1回の昇進という形になったりしています.
因みに,陸軍にも同様な考課表がありましたが,本人記入欄は無く,海軍よりも簡易でした.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
映画のプライベート・ライアンで隊長のミラー大尉は最初から将校だったようですが,〔略〕,うちのじいさんも教員だったのですが,師範学校出は将校の資格がとれたけど,制度が変わったとかで2等兵で入隊したそうです.
戦前の日本もそういう制度はあったんですか?
昔,商船学校をでると予備少尉になれたと,商船学校出の人から聞いたことはありますが.
【回答】
以前の日本にはあったか?という質問に対しては,各国にあるような予備役将校過程の一環としてあったという答えになる.
師範学校卒業生は優遇されていて,短期間の兵役を経て予備将校になることができた.
支那事変の頃は2等兵で入隊だけど,師範学校卒なら幹部候補生を経て,将校への道が開かれていた.
戦争が激化して,下級将校下士官が不足してきた19年には,いきなり伍長になってほどなく少尉様になれるようになった.
これは陸軍の方ね.
海軍の方は師範学校出身者徴兵といって,昇進が早かった.
ちなみに商船学校は,はじめから海軍の予備役士官学校としての機能があったので,卒業と同時に予備士官になれた.
まあ,学歴や職歴を無視して徴兵する傾向が強かった旧軍でも,特別扱いはあった,ということで.
モッティ ◆uSDglizB3o in 軍事板,2008/09/01(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本軍には普通の階級の他に,技術少将とか造機少将とかがいたんでしょうか?
【回答】
いました.
旧海軍の場合は,兵科と機関科に属する士官を将校と呼び,それ以外の科に属する士官は将校相当官と言う形になっており,兵科将校より一段低く見られていました.
旧陸軍の技術少将と言った技術科の士官は,兵科に属するので,将校となります.
陸軍でも兵科以外の経理部,衛生部,獣医部,軍楽部の士官は将校相当官と呼ばれており,厳密な意味での将校ではありません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/02/23(木)
青文字:加筆改修部分
帝国陸海軍では,少尉以上の階級について,「将校」と「将校相当官」の2つのカテゴリーに分けていました.
軍隊の指揮については,将校相当官より将校が優先されるとか,服装や装具の細かな違いとか,待遇に関する細かい区別(むしろ差別)はいろいろあったのですが,ここには書ききれないので省略.
詳しいことは軍制に関する本を調べてください.
技術○○や造機○○というのは,将校相当官の階級です.
もっとも海軍の場合,この両者が同時に存在したことはなく,もともと造兵科,造船科,造機科,水路科に別れていたものを,昭和17年11月1日の階級制度改定で,すべて技術科に統合したものです.
陸軍には技術科はありましたが,造機科はありませんでした.
また,陸軍が技術科の将校相当官を技術部将校に改めたのは,昭和15年の改正の時以降です.
ただし,陸軍の技術部は兵科には含まれず,工兵,砲兵の一部が技術将校的役割を果たしていました.表向きは飽くまで砲兵○○,工兵○○です.
なお,上記内容はかなり大雑把です.
兵科将校以外については陸軍と海軍で制度が違う上,時代によってもかなりの変化があります.
以下,海軍における変遷.
大正4年12月2日改正
将校相当官の機関官は機関将校に
大正9年4月1日改正
・機関将校は機関科将校に改称
大正13年12月20日改定
・将官の機関○○は兵科と同様の海軍○○に改称
昭和17年11月1日改定
・兵科将校と機関科将校を併せて,単に将校と改称
・それを受けて佐官以下の機関○○も海軍○○に改称
軍事板,2006/02/23(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
「大将」「少将」は「将」を「しょう」って読むのに,「中将」だけは「ちゅうじょう」って濁って読むのはどうして?
「少将」の場合は連濁しないのに,「中将」の場合はどうして連濁するの?
あと,軍隊の階級って,どうして「大」「中」「少」の3つなのでしょう?
「大」「中」「小」あるいは「多」「中」「少」なら分かるのですが.
【回答】
「大」「中」「少」なのは,明治の初めに日本式軍制を定めたとき,律令制度を手本にしたからです.
特に近衛府の官職名がそのまま「大将」「中将」「少将」となっていますが,そのほかにも「大納言」と「少納言」,「大輔」と「少輔」など「大」と「少」が対になっているものは多いです.
「ちゅうじょう」と読む理由については,日本史板か言語学板で聞くべき内容と思いますが,日本語の音読みで連濁が起こる場合は,一般的に直前の漢字がもともと鼻音([ng][n][m]のいずれか)で終わっていた場合です.
「大将(たいしゃう)」「中将(ちゅうじゃう)」「少将(せうしゃう)」の「大」「中」「少」は,現代日本語の発音だといずれも母音で終わるように見えます.
しかし,中国語や韓国語での発音を考えれば明らかなように,実は「中」だけはもともと音節末子音[ng]を伴っていました.
そのため「中将」の場合だけ「将」が濁るのです.
・「大」:北京語[da4]・広東語[daai6]・韓国語[dae],
・「中」:北京語[zhong1]・広東語[jung1]・韓国語[jung],
・「少」:北京語[shao3]・広東語[siu2]・韓国語[so]
なお,漢字音の音節末に来る3鼻音([ng][n][m])は,日本でも平安中期頃までは区別が意識されていました.
この当時の3鼻音の仮名表記では,[-ng]は「~う」または「~い」,[-n]は「~ぬ」または「~に」,[-m]は「~む」または「~み」,となっているのが一般的です.
しかし時代が下ると,[-ng]は普通の母音としての「~う」「~い」と区別がなくなり,また[-n]と[-m]も互いに発音上の区別が曖昧になって「~ん」に統一されていきます.
このためか,中世以後にできた比較的新しい単語だと,もともと鼻音で終わっていた漢字のあとでも連濁が起こっていない場合も出てきます.
軍事板,2005/01/17
青文字:加筆改修部分
【質問】
大佐」「大尉」の「大」は何と読むんですか? 「だい」? 「たい」?
【回答】
陸軍では「たいい」「たいさ」ですが,海軍では「だいい」「だいさ」と読みます.
これは,明治維新の頃の日本においては言葉の壁の問題(方言)が非常に大きかったため,軍隊内で通じる言葉遣いを作り上げる必要があったからです.
(だから「~であります」のような長州方言が残ったんですねぇ~
)
この「大尉」「大佐」の読み方も同様で,それまでみんながてんでバラバラに読んでいたのを,陸が「たい」,海が「だい」と統一した読み方を決めたわけです.
陸軍と海軍で何で読み方が違うかは・・・
はい,みなさんの想像通り例によって例のごとく対立してたんですねぇ~
莫迦ですねぇ~
たまたま「軍事研究」という専門雑誌の2007年1月号が送られてきたので目を通すと,「軍事用語のミニ知識」欄に,今月の用語として「海軍大佐,1等海佐」が解説されていた.
詳しくは「軍事研究誌」をご一読願いたいが,「日本軍の階級呼称は合理的…陸海空ともに大佐(一佐)」とある.
「1870年(明治3年)に兵部省が定めた陸海軍軍人の同格の階級呼称は共通であり,たとえば陸海軍共に大将,中将,少将,大佐,中佐,少佐,大尉,中尉,少尉と呼ぶ.
ただし発音が僅かに異なる部分があり,大尉の『大』は,陸軍では『たい』,海軍では『だい』である.
正式には陸軍大佐,海軍大佐となるが,部隊勤務,社交などの場では大佐で通用する.
いずれにせよ陸軍,海軍の階級呼称が全く異なる西欧の制度よりは,まことに合理的である」
とあるが確かにそう思える.
軍事板?
【質問】
日本語の軍隊の階級名で,准尉や准将があるのに「准佐」がないのは何故なんでしょうか?
【回答】
たしかに日本語だが,日本の軍隊の階級には准将はないからな.
あくまでも訳語だ.英語のBrigadier General対応.
准尉もWarrant Officerの訳語だな.
したがって,准佐がないのは簡単.そんな階級は外国にもないから.
さて,昔の軍隊では平民は下士官兵にすぎず,士官(少尉以上)は貴族しかなれなかった.
そのため,平民出身者で功績があり士官に昇進させる必要があったときに,「尉官に准ずる」って意味で准尉という階級ができた.(英語では"Warrant
Officer".「士官権限のある」くらいの意味)
准将はちょっと意味が違って,「旅団長」という意味の"Brigadier"を訳したときに造られた言葉.
旅団を率いるのだから佐官でもあるまいという程度のノリ.
ちなみに自衛隊では,准尉は定年間近の古参陸曹が名誉的に昇任する階級.
古株中の古株であり,経験豊富でなくてはならない存在なんだけど,士官になる事を選択しないで曹階級に留まっている人なんで,そういう扱いになる.
軍事板
【質問】
三等兵は実在しない階級なのでしょうか?
それとも,二等兵がヘマをしたら三等兵に降格させられるのでしょうか?
【回答】
三等兵という階級は,陸軍では大正末か昭和初めの軍縮時代に廃止され,従来の一等兵が「上等兵」に,二等兵が「一等兵」に,三等兵が「二等兵」に変更されました.
これは,当時の鉄道省が客車の「三等車」を廃止したことが引き金となって,劇場や映画館から次々に「三等席」が姿を消していたことが遠因と言われています.
海軍では昭和17年11月の改正で「三等兵」「四等兵」が廃止され,陸軍と同じく二等兵からになりました.
つまり,昭和17年10月までは海軍には「四等水兵」が居ました.
ちなみに一昔前,「海軍四等水兵」の遺族から特別弔慰金の請求が出たが,受けた県庁に
「二等兵が一番下なんだから『四等水兵』なんているわけねえじゃん(嘲)」
って却下されて,いろいろあって厚生大臣宛てに手紙を書いたら,厚生省の担当課に回されて,担当課で調べるまで厚生省でも誰も「海軍四等水兵」なんてものが本当にいたと知らなかった,ってことがあったとかなかったとか.
【質問】
「兵卒」っていうのは,どこかの兵学校を卒業した兵士のことを言うんでしょうか?
【回答】
明治の終わり頃までの軍制では,兵の階級は,
上等兵~一等卒~二等卒
となっていました.
つまり,「兵」と「卒」の総称で,「兵卒」です.
もともとは古代中国の兵制からくる呼称で,卒は兵より1ランク下に位置づけられていたのです.
【質問】
軍での出世は,他の官庁・公共機関に比べて早いほうだったの? 遅いほうだったの?
【回答】
官等昇進は官吏や大学教授に比べるとずっと遅くなります.
従って,同年齢で比較すると,甚だ低いことになります.
例えば,同年齢で,官吏で課長(高等官三等で年収3,360円),大学教授(高等官五等で年収1,220円+
職務棒800円以内)に対し,軍人は大尉(高等官六等で年収1,900円)です.
特に陸士陸大(海大でも同じ)の人間からすると,東大卒高等文官試験合格者と同じくらい,もしくは頭脳優秀なのに,なぜ,という不満がありました.
敗戦時の内閣書記官長だった迫水久常の回想で,
「敗戦時は内閣書記官長でしたが,内閣書記官長は中将相当官なんだ.
ところが,私と同い年の人が陸軍では大佐.軍務局の軍事課長という陸軍の中枢の人が,『何だって君が中将で,俺が大佐なんだ』と言って非常に怒っていた」
という話があります.
ちなみに軍人の場合は,満20歳で高等官である少尉になり,24歳で普通ならば中尉に任官します.
官吏の場合は,24歳でも判任官が少なくありません.
大学の場合も判任官(助手)が長かったりします.
しかし官吏や大学教授は高等官に任官すると,それ以降昇進は急カーブとなり,軍人を忽ち追い抜くことになります.
但し,文官の勅任官就任は,大卒高文合格者のうち,半分以下.
軍人の勅任官就任は,陸大卒の場合は,80%に上ります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
日本軍では学校を出てないと出世できなかったの?
【回答】
海軍の場合,兵学校を出ていないと,どう頑張っても確か少佐止まり.
しかも兵学校出とは,ガンルームへの出入りなんかで区別されたようです.
陸軍の場合,兵卒から上級将校への道もあり,現に二等兵から大将まで上がった例もあるようです.
一般的には海軍の方がリベラルだと思われがちかもしれませんが,英海軍の階級社会を持ちこんだような所もあり,そういった意味では陸軍の方がチャンスはあったようです.
【質問】
先日,父から,祖父が軍人だったことを初めて聞かされました.
下っ端から少尉にまでなった凄い人なんだと,父は興奮気味に話してましたが,どのくらい凄いのかちょっと分かりかねます.
実際,凄いことなんでしょうか?
【回答】
兵卒
⇒平均以上なら下士官適任証を受けて再召集時に下士官
⇒成績優秀なら試験を受けて士官
だから,兵から少尉まで昇進するということは,兵学校(士官学校)でにとっての将官昇進に匹敵するすごいことです.
そもそも下士官で退役しても,在郷軍人会では顔役になれるくらいなので,少尉で退役しているのでしたら,近郷の在郷軍人会でも有名人になれるくらいです.
たとえば坂井三郎なんざ,兵で入隊して,躁錬で銀時計をもらってのポツダム中尉だから,下からのたたき上げの中じゃ, とんでもない化け物だぞ.
また,芙蓉部隊にいた小川次雄海軍大尉は,三等水兵から十何年と軍隊にいて,大尉にまで昇進している.
◆pL17LXXELo(黄文字部分) in 軍事板,2008/08/26(火)
青文字:加筆改修部分
【質問】
大叔父はビルマで戦病死したのですが,大叔父の眠る町営墓地の戦死者の墓標には「判任官二等」となっています.
他の人とは階級が違うので不思議に思うのですが,鉄道省で技師をしていたのと関係があるのでしょうか?
【回答】
判任官は,大権の委任に基づき,行政官庁に於いて任ずるものです.
下士官も判任官ですし,警察官も警部,警部補,消防士は判任官です.
このほかの官吏では,属,技手,考証官補,外務書記生,警務官補,神宮司庁伶人,裁判所書記,看守長,帝大助手,文部省直轄学校助教授,二等郵便局長などがあります.
恐らく,判任官待遇として軍属で徴用され(可能性としては泰麺鉄道建設関係でしょうか),死亡したのであれば,その官名で墓誌が書かれる可能性がありますね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2005/11/10(木)
青文字:加筆改修部分
「判任官」や「奏任官」というのは軍の階級ではなく,官吏としての身分の高さを示す職階です.
これにより,階級制度が異なる組織の官吏の間でも,どちらが上級者か判断することができます.
大叔父様のお墓に軍の階級が明記されていない理由は分かりませんし,あるいは終戦直後の混乱によるのかもしれません.
ただ,もしかすると,大叔父様は正規の軍人としてではなく,軍に雇用された技師や通訳などの「軍属」として従軍されたのかも知れません.
軍属も,軍での待遇を決定するために「判任官二等相当」などのランク付けを受けましたので,それが大叔父様の戦死後に誤って伝えられた可能性はあります.
海軍軍人の場合,下のサイト
http://homepage2.nifty.com/nishidah/mr95.htm
によれば「上等兵曹」(下士官の上級者)が「判任官二等」に当たります.
それによって陸軍の軍属の場合を推定すれば,おそらく「曹長」に相当されるランクの方かと思われます.
軍事板,2005/11/10(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧軍の,いわゆる「偉いさん」というのは東北出身者が多いような気がしないでもないような感じがするような気もしないでもない今日この頃ですが,なんでですか?
【回答】
「偉いさん」という言葉がどこらへんを指しているのか,よくワカランがとりあえず・・・・
「下士官~叩き上げの中隊長」くらいに東北出身者が多いのは,北の田舎は当時産業が未発達で貧乏な上に子供が多かったから.
農家の次男三男にとって,期限付きの徴兵ではなく軍隊へ就職(任官)するってことは,就職の重要な選択肢でもあった.
一方大阪あたりだと,普通なら連隊で自己生産出来るはずの下士官が足らない(希望者が少ない,その上すぐに辞めてしまう).
いくらでも就職口はあったからね.
だいたい下士官の給料より,ほかの実業のほうが稼げるってのもある.
よって下士官の余ってる地方から足らない都市部へ,下士官を引っ張ってきて勤めさせていた.
ズーズー弁に苦労したらしいよ.周りも,本人達も^^;
へち ◆kK77XB6/ug in 軍事板
青文字:加筆改修部分
また,戦前,地方の勉強は出来るが金のない者が教育受けようと思ったら,国の金で勉強できる陸士・海兵・師範学校に行くのが一般的.
自分の親父は長野の貧農,母親は佐賀の食いっぱぐれた武家の出だが,それぞれ海兵・師範学校に進んでる.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
軍人で「閣下」という尊称をつけて呼んでいいのは将官以上ですか?
【回答】
戦前の日本のことだと考えて解説する.
「閣下」という敬称は勅任官,つまり親任官及び高等官一等,高等官二等に対して用いるもの.
旧軍の階級でいえば大将,中将,少将がこれに当る.
だから将官に対して用いるものといっても間違いではないけれど,将官だから閣下をつけるわけではなく,勅任官だから閣下を付けて呼ぶ.
現代でも,外国の軍人を呼ぶときに,これに倣って将官に閣下を付けることがなくもない.
軍事板
青文字:加筆改修部分
上:「閣下」,下:「そこのおっさん」
(画像掲示板より引用)
【質問】
戦前の旧軍将官って,お金持ちだったの?
【回答】
大卒初任給が6~70円の時代に,500円以上もらっているので,かなりの高給取り.
http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml
によると,昭和8年は大工の手間賃が2円,教員の初任給が50円だから,1円=2000円で計算してみると年収1320万になる.
あと,士官学校に進むには,中卒の学歴が必要で,戦前は中学の学費を出せるのは,それなりに裕福な家庭に限られていたので,もともと実家が中流以上の出身者が多い.
ただし,将校の軍服や軍刀・拳銃などの装備は自前だし,将官クラスになれば冠婚葬祭などでの出費も多く,それほど贅沢が出来たわけでもない.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 「貧乏少尉にヤリクリ中尉,ヤットコ大尉」という言葉もある.
軍の社会的尊敬度が今よりはるかに戦った明治時代だって,軍人を志望する華族の子弟は大して多くなかったことなんぞ,
小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書)
でも読めば一目瞭然.
「退役士官」という地位は,戦前の日本でも尊敬されるようなものではなかった.
でもって,進んで軍に参加しようという気持ちにはなれなかった.
士官学校というものが,貧乏でも優秀であれば入学できエリートコースに乗れるものであるが,それが逆に
「士官学校は貧乏人の行くところ」
というイメージを作り,旧制高校などのエリートとの乖離を生んだ面がある.
(参考:『学歴・階級・軍隊 高学歴兵士たちの憂鬱な日常』)
軍事板,2010/01/10(日)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
瀬島龍三は大本営海軍部参謀も兼務したそうですが,陸海軍の参謀を兼務することは,普通にあったのですか?
【回答】
大本営では,陸軍部参謀と海軍部参謀の兼任が相互に発令されているが,実質的には名目だけであり,陸軍部参謀が海軍部(軍令部)で勤務したり,海軍部参謀が陸軍部(参謀本部)で勤務するということはほとんどなかった.
開戦時(昭和16年12月)における大本営陸軍参謀部の兼任発令状況
※ 陸:海軍部参謀を兼任する陸軍部参謀,海:陸軍部参謀を兼務する海軍部参謀
第一部第二課【作戦】定員18名
陸 服部卓四郎大佐(課長),櫛田正夫中佐
海 富岡定俊大佐(作戦課長),小野田捨次郎中佐,神 重徳中佐(作戦班長),檜野武良少佐
第一部第四課【防衛】定員6名
陸 吉武安正大佐(課長)
海 高崎能彦中佐
第三部第十課【船舶】定員5名
海 西川 亨中佐
第三部第十一課【通信】定員4名
陸 吉川 猛中佐
第二十班【戦争指導】定員7名
陸 有末 次大佐(班長),種村佐孝中佐
海 小野田捨次郎中佐
軍事板,2007/08/13(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
旧陸海軍の予備役軍人(将官)の人がいますが,どのような生活をしていたのですか?
政府や軍に関係しない人は,官位等が与えられ,恩給で悠々と生活していたんでしょうか?
それとも民間企業とかで顧問等になっていたんでしょか?
【回答】
人生色々♪.
将官まで勤め上げた人なら,余程のことがない限り,基本的には,何処かの軍需関係の企業や軍関係の外郭団体,その他でも地方公共団体が拾い上げてくれます.
今の何処ぞの国の公務員と同じだと….
例えば,55歳の大佐(兵科の場合)であれば,少将に進級することが無ければ,現役から退くことになります.
現役のままでも,補職の命令がなければ待命となります.
待命と言うのは,俸給は支払われますが,職がない状態です.
待命期間は1年で,この間に補職が為されないと,休職となります.
この間に就職活動とかする訳で.
休職期間は2年で,これが過ぎると予備役に編入されます.
そして,現役定限年齢に達した日の翌3月31日に後備役に編入されます.
後備役の期間は6年で,それを過ぎると退役になります(1941年以降は予備役6年で後備役は無くなる).
なお,待命~休職は人によってまちまちで,この手続きを経ずに本人の願いによる場合,あるいは健康状態や,人事上の都合で,直接予備役編入という場合もありました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
地元の広報誌に記載されていた「むかし話」で,“尊敬されていた町医者の先生は軍医でもあったので,拝賀式などでは軍刀を下げて挨拶に立った”とありました.
そこで疑問なのですが,兵役が終わり,除隊した人は,公式に軍服が着用できたのでしょうか?
【回答】
別に軍人を辞めるわけじゃありません.予備役に編入されるだけです.
それに軍医なら士官な訳でして,予備役年限はなく終身服役です.
旧日本軍の場合,下士官兵なら現役終了後,予備役・後備役・国民兵役ときて,
これらが終了した後に御役ごめんとなって軍人としての身分を失います.
准士官以上の場合は,現役終了後に予備役・後備役(後に廃止)の後に退役ですが,終身服役で不祥事を起こさない限り死ぬまで軍人としての身分を失うことはないので,現役軍人ではなくても一応軍人といえるとおもいますが,世間的に見ればよほどの有名人や郷里の英雄といったところでないと,やはり軍人ではないでしょう.
ただし,元帥のみは死ぬまで現役でした.
自衛隊ではこれらと大きく異なり,即応予備自衛官や予備自衛官は少し違うみたいですが,
それ以外は元自衛官であっても自衛官であるとは到底言えず,制服を着て外出すると,趣味のコスプレ自衛官と同じ罪に問われるそうです.
【質問】
死んだら二階級特進になるという事ですが,たとえば陸軍大将など現時点(大東亜戦争)で最高位の人の場合,どうなるのですか?
【回答】
旧日本軍の場合,二階級特進は佐官までです.(アメリカは将官でもアリ)
戦死したら特進というのは誤解で,卓越した武功を立て全軍布告に値すると認められた場合のみ適用されます.
かの「爆弾三勇士」が二階級特進したのをキッカケに制度化され,時代が下って玉砕戦が始まると,二階級特進が多数適用されるようになりました.
ということで,死んだら二階級特進というのは絶対のルールではないので,これを守るために階級を創設することもありません.
軍事板
【質問】
戦死者二階級特進の慣例が定着したのは実はごく最近で,直接のきっかけは神風特攻隊だったと聞いたのですが,あれは日本独自の慣習で,外国の軍隊等には見られないものなのですか?
【回答】
「二階級特進」の史実での最初の例は,昭和7年の上海事変での陸軍「肉弾三勇士」からだそうです.
それ以前の兵や下士官の死後一階級特進は,日露戦争の頃からではないかと言われています.
その他の有名な二階級特進には,真珠湾攻撃で戦死した特殊潜航艇搭乗員9名「九軍神」がありますね.
神風特攻隊で戦死したパイロットには,一律二階級特進が与えられています.
ただし,この際でも通常の戦死は,一階級特進にとどまっています.
言われてみれば確かに,海外では死後特進の話は聞かないですね.
名無し軍曹:軍事板,2003/05/14
青文字:加筆改修部分
「肉弾三勇士」
(画像掲示板より引用)
【質問】
うちの爺さん,戦争が終わっても昇進しなかったんだけど……?
【回答】
「ポツダム昇進」というのは,終戦後(=ポツダム宣言受諾後)も復員せずに戦後処理をする旧軍の人間に,米軍が便宜的に部内限りでの権限を与えていたことを指している.
別に終戦によって一律に昇級が行われた訳じゃありません.
緒戦時に英軍からの鹵獲食糧を「チャーチル給養」と呼んだりしたのと同じ言い回し.
軍事板
▼ もっとも以下のエピソードを見る限りでは,「ポツダム少尉」という言葉は比較的ポピュラーだった模様.
――――――
東ベルリンに滞在していて,ある日,ポツダムの離宮を見に行った.
〔女優の波乃〕久里子が
「ああ,ポツダム少尉のポツダムなのね」
と言ったのがおかしかった.
「ポツダム宣言のポツダムですね」
では,ちっともおもしろくない.
こういうのを,ぼくは名言というのだ.
――――――『役者の伝説』(戸板康二著,駸々堂出版,1983.12.25),p.198
したがって,全員昇進したかのように勘違いする人がいても,それも無理はないのではないかと.▲
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