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◆◆軍隊生活
<◆軍事組織全般
アジア・太平洋方面 目次
第2次世界大戦


 【質問】
 日本で「自分は〜であります」みたいな軍隊口調って,いつ頃から使われ始めたのですか?

 【回答】
 明治33年に出版された「国民必携 陸軍一斑」(いわゆる軍隊マニュアル本)の中で既に,軍隊内独自の言い回し”兵語”についての記述が存在する.(岩波「日本の軍隊」より)
 かなり早い時期に成立していたのは確かなようだが,正確な成立年代は不明.
 テレビもラジオも無い社会の中で全国的な組織を作っていく過程で,独自の用語や言い回しが成立・発展していったらしい


 【質問】
 銃剣道について質問ですが,元はフランス人が戸山学校に講師?として指導したのが始まり,というのを聞いたのですが,ホントでしょうか?

 【回答】
 剣道4段の俺が答えてやる.

 銃剣道は,日本の槍術を源流とした武道です.
 フランス人が教えたというのは,「甲野善紀」のなんかの本の影響.
 銃剣がフランス経由できたからそういうって話.その場合は「銃剣術」
 陸軍は当初フランスをお手本にしてたので,銃剣術もフランス式だった.
 だが,西南戦争なんかやってみると,これがあまり役に立たない.
 戸山学校などでは,こっそり日本の槍術を取り入れた日本式銃剣術を研究.陸軍のお手本がドイツに変ったのを機に,これが採用された.
 軍では「銃剣術」であったが,学校等では武道「銃剣道」として広がり,戦後はこの武道としての銃剣道が残った,ということ.

 銃剣道は槍術と考えた方がいいでしょう.異論はあるかもしれませんが.
 小噺になるが,銃剣道と銃剣術の違いには因縁がある.
 陸軍内で,剣道と銃剣術の最強論議が起こり,京都武徳会道場で陸軍主催の異種格闘技戦が行われた.
 20戦くらいして,結果は銃剣術の圧勝.
 其の時の銃剣術代表者は,槍術を嗜んでる人が多く(ここまでソースはある),「道」として日本文化として取り込みプライドを保ったと見られる(推測).
 打突部位からして一緒だから,槍術の一種として考えて問題ないかと.


 【質問】
 ラグビーって戦前の日本軍では人気あったの?

 【回答】
 闘球のことかな.

 日本軍では人気のあるスポーツとは言えないと思います.
 日本国内で行われた闘球大会は,関東大学試合が早大,慶大,東大,立大,明大の五校でしか行われていません.
 他に全国専門学校大会があり,これには明大専門,松山高商,函館水産,神戸商船,台北高商,慶大予科,西南学院,東北大医専,同高商,天理外語の9校しか試合をしていません.
 うち,神戸商船は不戦敗になっています(1943年).

 全国中等学校大会では,松坂商,脇町中,函館商,崇徳中,同志社中,福岡中,慶応普通科,神戸二中,天王寺中の9校とこちらも少なく,社会人に至っては,東西一般人対抗しかありませんから,競技人口は今に比べても恐ろしく少ないと思います.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 ただ,陸軍軍人であった秩父宮様は,ことのほかラグビーがお好きで,戦前からラグビー観戦を楽しまれることが度々でした.
 秩父宮様のラグビー好きに由来して,秩父宮の名を冠したラグビー場が造営されたましたが,この土地は元々青山練兵場の跡地の一部です.
 陸軍自体がラグビーに熱心であったとは思えませんが,まんざらラグビーと無縁という訳ではありません


 【質問】
 日本軍のシェル・ショック対策と,シェル・ショックにかかった者に対する治療はどのような物だったのでしょうか?

 【回答】
 第一次世界大戦で戦争神経症の患者が多数発生していたことから,陸軍でもある程度は戦争神経症を認識していました.
 しかし,建前として神経症は臆病者が罹る病気だとして,皇軍には神経症はないという論理がまかり通っていました.
 実際には,戦闘時にたまたま神経症が発生することもあるかもしれないとして,「戦時神経症」と呼び変えて対処を行っています.

 日中戦争が始まって間もなくすると,神経症による患者は大量に発生し始めました.
 そこで,昭和13年に千葉県市川にあった国府台陸軍病院を拡張して,千数百人を収容できる精神病院を建設し,そこに患者をすべて集めて治療に当たりました.
 しかし戦争の拡大と共に患者は増え続け,また爆撃のために患者を一箇所に集めるのが困難になったため,昭和20年には京都と大分に精神病院を設けています.

 後送された戦病者のうちに精神疾患者のしめる割合は,昭和13年には1.62%でしたが,この割合は年々上がっていき,昭和17年には9.89%にまでなっています.

名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE

 なお,ある社会学研究では,天皇やヒトラーへの忠誠,明確な戦争目的(大東亜共栄圏の建設やアジア解放,あるいは東方生存圏の確立)などを与えられた枢軸側の兵士は,「民主主義の防衛」という曖昧な目標しか提示されなかった米英連合軍の兵士に比べ,ショック・シェル(というか戦争神経症全般)の罹患率が有意で低かった,という結果だったと聞いたことがある.


 【質問】
 兵士などに対する保険は掛ける事ができたのでしょうか?

 【回答】
 徴兵保険,戦争死亡傷害保険というのはありました.
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/hoken.html

 徴兵保険でボロ儲けした,富国生命という会社もあります.
 ちなみに同社は,靖国神社にある日露戦役戦勝記念のレリーフのスポンサー.

 また,太平洋戦争中徴用された船舶が喪失した場合,海上危険(衝突,座礁,沈没など)の要因によっては,保険金が支払われる場合がありました.

 敵国に撃沈されたと明確に判断の付く場合(これを戦争危険と言い,乗組員の証言,同行船舶乗組員の証言などで判断)は,保険が掛けてあっても,保険金ではなく,軍から補償金が支払われます.

一方,単独行動中に行方不明になったとか,操舵員のミスで座礁したとか,衝突したなどといった場合,保険会社が調査の上,海軍当局と協議し,潜水艦などに依るか否かと判断して,それが敵の軍事行動による滅失の場合は,軍当局から補償金が,普通海上危難の場合は,保険会社から保険金が支払われます.

 これは徴用船舶,民間船舶でも同じでしたが,民間船舶の場合は軍が補償金を支払うケースは余りありませんでした(海軍の護衛下で船団航行中に喪われた場合がこれに相当する).
 また,海軍徴用船舶の場合は,普通海上危険によっても分損の場合の修繕費用は海軍が負担したのに対し,陸軍徴用船舶の場合は,分損,全損とも普通海上危険では保険会社の支払いとなりました.

 但し,軍の補償金は保険金額よりも一般的に低く,普通海上危険にして貰おうと画策した船主もいたようです.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2)


 【質問】
 除隊後に訓練・戦闘が原因による死亡は,公務死扱いでしょうか?
 それとも司法判断によるのですか?

 また,彼らは靖国神社に合祀されたのですか?

 【回答】
 死亡の原因が当該訓練・戦闘による受傷・罹病であれば公務死亡です.
 基本的には恩給・弔慰金等を遺族が請求する段になって,それまでの記録や死亡診断書の記載等から裁定することになります.
 公務死と認められなかった場合に不服があれば司法の場に出ることもあるでしょうが.

 靖国合祀については,昭和30年代くらいまでは,行政機関が戦没者と認定した者(死亡を公務によるものと認めた者)について,名簿を靖国神社に提供していた事実があった,とされています.
 これらの者は基本的に合祀されたと思われます.
 現在では,公務死による恩給・弔慰金等の支給を認める行政機関からの通知を遺族が示す等すれば,靖国神社が合祀してくれるのではないでしょうか.

軍事板


 【質問】
 訓練中の事故・死亡は戦時・平時問わずに「公務」扱いでしょうか?

 【回答】
 基本的には軍人・軍属等の勤務に関連する受傷・罹病による死亡は,公務死亡と見なすとか同視する,という制度に,少なくとも戦没者遺族援護行政の運用ではなっています.
(当時は公務とされなかったものでも,戦後の法改正で戦没者として見なされたりするようになっているものがあります)

軍事板


 【質問】
 軍人さんが亡くなった場合,遺族に恩給が出ますが, それは,亡くなってすぐに出るものなんでしょうか?
 戦争中に恩給をもらって生活するということはあったのでしょうか?

 【回答】
 該当者の死亡確定後,1942年までは地方長官,1942年11月以降は市町村長への申請によって,
・在職三年以上ならば,遺族に扶助料として,公務中の死亡なら普通恩給の10分の8,
・それ以外なら10分の5
が支給されますが,その在職年限に達せざるに死亡した場合は,一時扶助料となります.
 その金額は一時恩給と同額,即ち,死亡当時の棒給月額に在職数を乗じた額が一度だけ支給されます.

 このほか,徴兵保険というのがあり,死亡の場合は保険会社から掛け金が支給されるものもあります.
 今の富国生命が,その徴兵保険で大きくなった会社です.

 いずれにしても,1942年までは地方長官決裁ですから,申請してもその支給までは暫く掛りますし,恩給だけで生活するのは,半農半漁の自給自足が可能な人なら何とかなるでしょうが,それ以外の人は,家族の為に再婚するか,自分自身が働きに出るかしないといけませんでした.

 一時扶助料は文字通り一時金だけですしね.

眠い人◆gQikaJHtf2


 【質問】
 「ホタルの墓」を観て疑問に思ったのですが,海軍高官の子息・子女が遺族補償もなく,野垂れ死にというシチュエーションはありえたのでしょうか?
 13歳や4歳の子どもに,父の名を使って,軍に救援を仰ごうという合理的な判断は難しいかもしれませんが.

 【回答】
 それこそまさに「創作だから」としか.
 一般的にはありえんと思います.

 海軍大佐というのは,国家の海洋戦略の屋台骨となる様な艦船の艦長だったり,将の直下でとある部署や機関を統括する重要人物だったりするのが普通です.
 多くの部下を擁し,経験豊富で,相応の実力を示さないとなれません.
 中央に勤務していても,将軍達から一目置かれる地位として扱われますし,相応の実力と働きぶりを求められます.

 いわば現場の超一流か中央の一流で,佐官の最上級であり,すぐ上は将軍閣下であり,一般の兵にとっては雲の上の存在です.
 自宅には多くの部下や関係者が通ってたのが普通ですし,軍組織のみならず地元でも立派な名士として扱われる程の立場です.
 というか,そこらの地元の名士では頭が上がりません.

 wikipediaには,原作との相違も含めて詳しく書かれています.

軍事板
青文字:加筆改修部分


 【質問】
 戦前昭和期の軍人恩給って大体いくらですか?

 【回答】

△普通恩給
  … 一定年限に達して退職した軍人と准軍人に賜る一般的な恩給。
    准士官以上は在職13年以上14年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。
    14年以上は、1年増す毎に退職前の棒給年額の150分の1に相当する金額を加算。
    下士官以下は、在職12年以上13年未満に対し、退職前棒給年額の150分の50に相当する金額。
    13年以上は、1年増す毎に下士官は7円、兵は6円を加算。
△増加恩給
  … 公務中に傷病を受け、不具廃疾となった場合に軍人、准軍人に加算。
    なお、准軍人とは、陸軍の見習士官、海軍の海軍候補生など。
△傷病年金
  … 公務中に永続性の傷痍、疾病罹患により、不具廃疾に至らなくとも、これが原因で3年以内に退職
    した者、または下士官以下退職後3年以内にこれがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。
△傷病賜金
  … 下士官以下公傷、病にて傷病年金を受ける程度でなくても、これが為退職、または退職後1年以内に
    これがため一種以上の兵役を免ぜられた時に支給。
    支給額は最大660円、最低120円で16項目に区分される。
△一時恩給
  … 在職准士官以下3年、下士官2年以上で恩給を受ける年限に達せずして退職した者に支給され、金額
    は退職当時の棒給月額に在職数を乗じた額。
△扶助料
  … 戦闘または戦闘に準ずべき公務で死亡した者の遺族には、普通恩給の金額、普通公務にて死亡した者
    の遺族には、普通恩給の10分の8、その他は10分の5を支給。
△一時扶助料
  … 在職3年以上で恩給を受ける年限に達せずして在職中死亡した者の遺族に支給され、支給基準は一時恩給と同様。

 ちなみに1943年当時の士官、准士官の年棒は以下の通り。

大将:6600円、中将:5800円、少将5000円
大佐:4150円、中佐:3220円、少佐:2330円
大尉:一等(海軍は一級以下同じ):1900円、二等:1650円、三等1470円
陸軍軍楽大尉:一等:2150円、二等:1900円、三等:1750円
海軍特務大尉:一級:2070円、二級:1191円
中尉:一等(海軍は一級以下同じ)1130円、二等:1020円
陸軍軍楽中尉:一等:1540円、二等:1390円
海軍特務中尉:一級:1740円、二級:1630円
少尉:850円
陸軍軍楽少尉:一等:1240円、二等:1130円
海軍特務少尉:一級:1470円、二級:1368円
海軍各科少尉候補生:670
准士官(陸軍):一等960円、二等:900円
准士官(海軍):一級:1220円、二級:1150円、三級:1043円、四級:930円

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 蛇足.
 恩給法における公務扶助料は,軍人等が戦病死した場合に,その軍人等によって生計を維持し,または生計をともにしていた配偶者を先順位者として,続いて未成年の子,父母等の順序で支給されることになっています.
 従って支給額は個々によって違います.

 その他には金杯と,知事から労いの紙切れ一枚.

シチュー砲 ◆STEW.ibjrE in 軍事板


 【質問】
 「戦傷病者戦没者遺族等援護法」って何?

 【回答】
 軍人を含めて同法による弔慰金の支給対象となった戦没者等について
公務扶助料・遺族年金等の戦没者等の公務死を支給理由とする年金給付を受ける者がない場合
(単純に言えば,戦没者の妻,父母(祖父母),未成年の子がない場合),
その他の戦没者等の三親等以内の親族に給付された,「戦没者等の遺族に対する特別弔慰金」.

 ちなみに支給時期と額は,

S40 3万円(通称・特別弔慰金い号)
S50 20万円(通称・第2回特別弔慰金)
S60 30万円(通称・第4回特別弔慰金)
H7 40万円(通称・第6回特別弔慰金)
H17 40万円(通称・第8回特別弔慰金)

となっており,このほか各回の支給時点で年金権者がいたために対象とならなかったが,その後に死亡等で年金権者が失権した戦没者の遺族との均衡をはかるため,

S47 3万円(通称・特別弔慰金ろ号)
S54 12万円(通称・第3回特別弔慰金)
H1 18万円(通称・第5回特別弔慰金)
H11 24万円(通称・第7回特別弔慰金)

の特例給付がある.

 本則の特別弔慰金(い号及び偶数回)は10年償還の国債をもって給付される.
 特例給付のほうは,ろ号特弔は10年償還の国債,奇数回のは前回の本則の特弔の償還期限とあわせた年数(6年償還)の国債をもって給付される.

軍事板


 【質問】
 旧日本軍の将官クラスと下士官クラスの恩給と遺族年金って,どのくらい差があったのですか?

 【回答】
 恩給は,在職年数とその間の俸給額によって支給額が決まる,現在の厚生年金に近いシステムになっています.
 ですから,階級によらず個人の経歴によって額は違います,というのが建前ですが,今日では軍人恩給については,在職年数と俸給額から算出される支給額が最低保障額を下回るために,最低保障額までゲタを履かせて支給されている例が大半のようです.
 この最低保障額は階級によって決められているようで,最新のデータが手元にないのですが,2004年度末では,大佐が年額300万程度,兵が60万程度のようです.
 将官はみんな死んでしまいました.

軍事板


 【質問】
 3年ぐらい前の国会答弁の一節で,
「現在,軍人恩給を受け取っている生存者のうち最高階級は大佐である」
という話が出たそうですが,この話は本当ですか?

 【回答】
 事実.
 国会会議録の該当部分は以下の通り.

平成17年3月16日 参議院予算委員会

○又市征治君(社民党)
(前略)
 そこで,まず実務的な問題で事務方にお伺いしますが,一つは,拉致被害者に対する給付金は月額幾らか.
二つ目に,残留孤児は一回限りの支度金になっていますけれども,これは幾らになっているのか.
三つ目に,軍人恩給の最高の階級と最低の階級のこの支給額はどういうことになっているのか.
この三つをお伺いします.

[政府参考人の答弁2人分 略]

○政府参考人(総務省人事・恩給局長)
 恩給の関係につきまして,私の方から御報告いたします.
 平成十六年三月末現在で軍人の,旧軍人の普通恩給で,一番高いグレードで現存されておる大佐の方でございます.
 これが,平均の年額で二百八十五万余ということでございます.一番低い平均年額といいますと,当然,兵になるわけでございますが,兵の場合は五十九万三千円余という形の数字になっております.

 なお,この大佐が「誰か」ということは公開されていない.

軍事板


 【質問】
 第2次大戦中・後,日本では本当は戦死していない将兵の家族に対し,その将兵の戦死通知が届けられてしまう事態が何件かあったと聞きます.

 それに関して質問なのですが,誰がどう間違えて,どの様な手違いで死亡確認していない人の戦死通知を出してしまう事になったのでしょうか?
 確実に死亡したと確認できない人はずっと行方不明扱いにままで,行方不明者が死亡認定されるには何年も待たなければならないはずだったと思いましたが.

 【回答】
 日本はアメリカ側から通知されない限り,戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」からも分かるとおり,原則として捕虜になることは認められません.
 ですから玉砕した島嶼は言うに及ばず,撃沈された船の乗員などで行方不明になった,あるいは捕虜になった将兵は,戦死認定がなされます.
 また,戦陣訓から分かるとおり,捕虜となった日本人もまた捕虜として生きていることを日本の家族に知られたくありませんでした.
 そのため偽名を使うことも多く,多くの人が戦後,復員船に乗って帰っています.
 ですから,何件ではなく数千件の単位でそのような誤った戦死通知が届いています.

 おそらくあなたの親族の方に聞けばそのような話があったと聞くことができるのではないでしょうか?


 【質問】
 戦死していたと思われていた兵士の生存確認された場合,その間に支給された遺族年金や弔慰金などは返還しなければならないのでしょうか?

 【回答】
 本来は支給される理由のないものですから,不当利得として返還するのが「原則」です.
 しかし,恩給は詳しく知りませんが,援護法(及び特別弔慰金支給法)による遺族年金・弔慰金・特別弔慰金については,遅滞なく届け出る限りにおいて,返還を免除することができる規定があります.

軍事板


 【質問】
 太平洋戦争時,米軍が日本兵の頭蓋骨をお土産にしたそうですが,祟りや呪いについてはどう考えていたんでしょう?
 日本兵は米国兵の頭蓋骨をお土産にしたりはしなかったんですか?

 【回答】
 テキサスにあるサープラスショップのオヤジの自慢は,ジイチャンが大平洋戦争のおみやげに買ってきた(広島かどうか不明)日本兵のドクロ.店の看板になってる.
 呪いなど,考えたこともないだろう.

 1944.5.24付のLife誌には,「頭蓋骨を眺めながら前線のボーイフレンドに手紙を書く若い女性」と言うキャプションの付いた写真が掲載されたり(送り主は,海軍大尉,受取人はアリゾナ州に住むナタリーという20歳の女性だったそうな),ウォルター上院議員が大統領に贈った贈り物の中に,日本兵の脚の骨で作ったペーパーナイフを送ったという記事が新聞に掲載されたりしましたが,前者には非難の投書が殺到したそうです.

 ちなみに,南方戦線から帰還する際,Hawaiiの税関では,人骨を持っていないかどうかのチェックを行なっています.

 日本兵の場合は,お土産というか,食糧ですな.

(眠い人 ◆gQikaJHtf2他)


 【質問】
 日本軍内部の「業界用語」について教えられたし.

 【回答】
 司馬遼太郎著『歴史と視点』(新潮文庫,1992)によれば,以下のようなものがあった.

突撃一番:避妊用のゴム製品

柄付螺廻し(エツキラマワシ):ドライバー(ねじ回し).

物干場(ブッカンバ):洗濯物を乾かす場所.

噴射旋盤:アクセラレータ(アクセルのことな.)

軍事板


 【質問】
 旧日本軍の場合,人種差別反対を掲げてアジア開放を謳っていたこともあり,軍隊内部でも身分差別はなく,武家出身者も非差別部落出身者も区別することなく,同じ部隊に配属され
「武士もエタもここでは同じだ!同じ戦友だ!」
と教えていたと思っていたのですが,これは間違いなのでしょうか?
 それとも本当なのでしょうか?
 他板でこのことを主張すると,左翼な人達からバカ呼ばわりされました・・・

 【回答】
 例外はあるかもしれないが,おおむね平等に扱われる.
 というのも,下手に差別したり陰湿な嫌がらせしたりすると,戦闘中に後ろから弾が飛んでくるから.
 朝鮮出身者も,正規軍人であれば平等に扱われたようだ.
(ただ,反乱の可能性があるとして,労働力として軍属で連れて行った朝鮮人労働者をひとまとめにして隔離した事例はある)

「身分差別など,星の数とメシの数にくらべたら,ずっと小さかった」
とするのが正しい言い方か.
 これらは軍隊という組織の性格に起因することであって
「人種差別反対を掲げてアジア放を謳っていた」
ことに理由を持ってくるのは間違いだと思う.

軍事板

▼ 以下は台湾出身兵の証言.
 これも「日本軍に人種差別はなかった」というニュアンスである.

――――――
 とにかく軍隊の中では嫌な思い出は一つとしてなかった.
 台湾出身だからといじめを受けたことも,嫌がらせを受けたこともない.
 逆に中隊長から他の人より可愛がられた記憶が強い.

――――――李登輝 in 『SAPIO』 2005/8/24-9/27号,p.8

▼ ただし,被差別部落の旧軍兵士に関して,彼らが部隊内で結束・団結し,私的制裁などに報復したこと,旧軍でも彼らを警戒監視していたことなど,下記の体験記に載っています.
『モリトシの兵隊物語』(森利著,青村出版社,1988.4)

†さくや† in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
青文字:加筆改修部分

 ※なお,本サイトは軍事関連分野を考察するサイトであってその必要上,上記表現をしているものであり,差別する意図をもって上記表現を用いているのではないことを,あらかじめお断りしておきます.

 【質問】
 恩賜(おんし)のタバコって何?

 【回答】
 天皇から配られる記念タバコ.
 約8cm四方のケースに入っており,ケースには「御賜」と印刷されている.戦後は「賜」のみ.
 タバコは7cmほどで,その一本一本に菊紋が印刷されている.

 1934年から,兵士や勲章受章者,皇居を清掃する勤労奉仕団などに配られるようになった.
 ただし明治時代の1877年には,西南戦争の傷病兵に対し,皇后らがタバコを支給した事実もある.
 戦時中には前線の兵士に配布.
 年間1000万本以上が作られ,1944年には製造数2800万本.(占領地インドネシアはタバコの産地でもあるから,そのせいもあるのかも)

 戦後も叙勲者,皇室警備や清掃奉仕者,地方訪問の関係者らに,配布.
 また,天皇誕生日には宮内庁職員らにタバコ20本と酒1本,おつまみが配られていたが,喫煙率の低下によって「タバコを貰っても嬉しくない」という人が増えたため,,2000年からたばことおつまみの代わりに,菊紋を焼き付けたお菓子に変更された.

 ただし接待用としては製造は続いている模様.

 なお,
「恩賜の煙草は,喫煙率を拡大させ,日露戦争調達のためのタバコ税収入増加を狙って始められた」
という説もネットには見られるが,上記のような時系列から考えると,その可能性は低いのではないかと.

消印所沢


 俺ももらったよ.恩賜のタバコ.
 警視庁行った時(捕まったんじゃないよ)に,案内してくれた捜査員からなんだけど.
 警視庁内部の売店で売ってるという話もあるよ.
 中身はセブンスターで,まだもう一箱あるよ.

 自衛隊も災害出動から帰ると,支給されるって聞いた事あるけど・・・・どうなんでしょ?

自営業 in 軍事板

 以前,恩賜のタバコを吸う機会がございましたので,吸った感想を.
 ウィキペディアでは「非常に辛口」とありましたが,私の感想は「非常に不思議な味」.同じく吸ったことのある知合いに聞いても同じ感想でした.

(以下,「ソースは2ちゃん(軍事板?)」で,かつ過去ログも調べられなかったので聞き流して頂ければ)
 どうやら恩賜のタバコは国内産の葉のみを使用し,賜った方々がある程度保存して吸うことができるようにするために,香料などの混ぜ物は一才入っていないため,そのような味になるのだとのこと.

ぎんなんそう in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

恩賜の煙草

(うそ)


◆◆◆慰安婦関連


 【序】
 2ch.軍事板も本サイトも,基本的には慰安婦問題は興味の対象外.
 ときどき軍板に紛れ込む「お客様」向けに,本サイトでは,かなりの信頼度をもって事実とされることだけを記載する.
 また,諜報分野の中のプロパガンダ工作に相当する部分は,諜報FAQで扱う.
 訂正要求に関しても,かなりの信頼度をもって事実と考えられるソース以外は門前払いとする.本多勝一だの東中野だの岩波だの展転社だのは論外.
 議論したけりゃ,相手してくれる人を自分で探して,そちらでやるように.本サイトも,そしておそらくは軍事板も,慰安婦問題に関する議論は好まない.


 【link】

 なお,リンク先の記述を全て支持するとは限らないので念のため.
 ここでは両論併記を基本方針とし,その方針に従ってリンクを拡充する予定.

JOG:「従軍慰安婦」問題
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html


 【質問】
 日本軍の性病対策は?

 【回答】
 抗生物質はない時代だったので,原始的な治療法が主体.
 性病は軍隊にとって大敵だったので,定期検診や,風呂などでの患者隔離などの対策がとられたという.

 以下引用.

 〔略〕
 戦争末期,私の通っていた中学校は陸軍の兵舎になっていた.
 大勢の兵士の為に校庭の一角に作られていたのが風呂場である.
 建物は将校用と下士官兵の入るものとに別けられていた.
 2,3度覗いた事があるが,兵隊の入る建物の方は広い湯船が大小二つに分けられており,洗い桶にもはっきりと性病患者用の「文字」があったのを覚えている.

 淋病などは湯の温度が低いと伝染する恐れがあるし,淋菌が目に入ると失明する.
 集団疎開していた女児が温泉の浴場で淋病に感染し社会問題になった事もあった.

 軍の中に性病患者がどれ位の割合でいたのか知らないが,決して少なくはなかったのであろう.
 中でも数が多いのは淋病で,初期は痛みが酷く,歩く事が出来ない場合もあるという.

 世界の軍隊が恐れていたのは性病の蔓延だった.
 ドイツなどはその為に軍が直接慰安婦の管理に当っている.

 日本でも内地の遊郭の近所には必ず性病科の医院が有って,専門医が女性達の定期検診に当っていた.
 戦地ではそういう施設は無いからその役割は軍医が担う.
 軍の関わりはその為である.

 軍にとって性病は直接戦力に響く重要な問題だ.
 ここで注意して頂きたいのは,当時の医療水準である.
 今の医学を基に考えてはいけない.
 抗生物質の無い時代,淋病の特効薬は唯一サルファー剤であったが高価で量も少なく,もっと原始的な治療法が主体であった.
 治療中の兵隊などは役に立たない.

 性病は軍にとって大敵なのである.
 性病検査の模様も聞いた事がある.(抱腹絶倒モノだが,些か品位に欠けるので割愛する)
 感染している事が分かると
「貴様! 予防しなかったのか」
と衛生兵に2,3発殴られ,それで終りだったとか.
 その点はアッサリしていたらしい.

「国民年金の花柳な生活」,2007/06/29
※「おきらく軍事研究会」に転載されたもの

 棟田博氏の『陸軍よもやま物語』(光人社,1993.5)には,平時の陸軍における性病への対応が書いてありました.
 それによると,軍隊内で,負傷は3つにランク分けされていて
一等傷 公務における負傷
二等傷 通常の内科系疾病
三等傷 性病
ということで,性病に罹患すると悲惨な目に遭うみたいです.
 具体的には,
特務曹長にどやされる,
営倉入り(2〜3週),
出身の市町村長に連絡,
連隊週報に実名報道(相手方の娼妓の源氏名,遊廓名も),
休日にかぎってなぜか衛兵勤務
などなど.
 営内には「突撃一番」の自販機があって,地方にくらべると安価であったとか.
 また,遊廓近辺には憲兵がいることがあり,所持品検査をされた上,「突撃一番」がないと追い返されたりしたそうです.

hdk in FAQ BBS

「突撃一番」

 もっとも,日本軍の戦地の医療水準は低かったので,対策にも限度があっただろうことは,想像に難くない.


 【質問】
 当時の売春観は?

 【回答】
 それについては以下のような証言がある.

----------------
「で,徴兵検査はどうでした」
「わたしなんかはそれまで堅くしてたもんですから,
『検査に行くのに女を知らないのは恥だ』
とか,
『大人じゃねえか,女を知らねえなんてみっともねえ』
とか楽屋で言われたんです.
 芸人ばかりじゃない,職人だってなんだって,みんなそれが気風でしたよ.
 ですから,兵隊検査が近くなると,みんな遊びに行くんです.
 色気づいてきたし,金で済むことなんですから.
 そのころは1円でしたね.前座の2日分の給金で行ける.
 ですから,世帯を持っていないときは,赤線へ行ったほうが,安いし,手っ取り早いんです」

 普通は検査前まで堅くしていて,女遊びは検査後だろうと思っていたから,この点を林家正蔵師匠に伺ってみたら,
「いや,そうじゃないんです.
 わたしなんぞは横根を切って直ぐ検査でしたが,検査官に
『君は金鵄勲章をつけとるね』
と言われましたよ」
と説明してくださったから,私の思い違いか,山手と下町の気風の差か,そのどちらかなのだろう.

――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-71
----------------

〔古今亭今輔談〕「それにしても,赤線を無くしたッてことは,これは罪なことですよ.本当に悪いことです.
 あれはあったほうがいいんです.
 今,痴漢だなんて騒ぐのは,赤線がなくなったからです.
 ですから,女を保護するためにも,あれはなくちゃいけない.
 あれがなくなってから,うんと料金が高くなったんでしょう.
 ですから,可哀相ですよ,今の男は.真面目で気の弱い人ほど可哀相です.
 市川房枝なんてお婆さんは罪を作りましたねえ.
 オリンピックの前に,『公娼があるのは日本だけで,野蛮だ』とか言ったんでしょう.
 外国はみんな私娼なんですってね.
 昔のように,千束町だの,玉の井だけでも残しておけば良かったんです.
 それが風俗取り締まりで先にやられちゃった.
 群馬県なんかは,赤線てものは明治の時代になかったんです.
 誰かが廃娼運動をやったんですね.
 その代わり,高崎へ行っても,前橋へ行っても,どこへ行ったって,千束町みたいな所がありましたよ.
 ですから,公娼でなくったって,私娼は置かなきゃならないものなんです.
 今は検黴(けんばい)も何もないから危険だけど,昔は組合があって,衛星思想が発達してたから,梅毒になんかはならない.
 今のほうが余計に危ないんじゃないですか.ああいう病気は昔より増えてるんじゃないですかねえ.
 それにつけても,あのお婆さんは悪いお婆さんです.そうでしょう.だって……」

 日頃謹厳実直な今輔さんが,いつもの真面目な調子でこの話をする.
 一度だけではない.少なくとも3度聞いている.
 〔略〕

 この部分を『劇と新小説』誌に発表したとき,大田区に住む,作家の清水三郎氏から次のような文面の葉書を頂戴したから,これを転載しておく.
 赤線復活論は,世の常の男たちの意見を代表したものでしょう.
 (中略)
 あの問題につき,その当時たまたま市川房枝女史宅で対決したことがありますが,そのときの話で,
「売春は構わんと思うんですよ.
 ただ,それを国家で公認しているような制度が問題でしてね.
 まあ,その中間搾取制度の国家公認がね.
 こんなことをやってる国は日本だけなんで,これがあると国連加入資格に引っかかることなんです.
 私娼まで撤廃しろなんて言ってるわけではないんで,搾取がなく,個人の自由意思なら仕方ありませんねえ」

 このことを知らぬ人間が多く,ただ狭い視野や憤懣感情で言っていると思うのです.
 市川房枝女史も私娼まで撲滅せよと申した分からず屋でないことを余事乍(なが)ら弁明しておきます.
 右の通りであるが,今輔さんの言うことにも一面の真理があるように思う.

――山口正二著『聞書き五代目古今亭今輔』(青蛙房(せいあぼう),2003/7/5),p.70-73

>日頃謹厳実直な
人物の証言であるという部分に留意.
 つまり,当時の意識では罪悪でもなんでもなかったことが分かる.


 【質問】
 従軍慰安婦は何人いたのか?

 【回答】
 日本の学者は,日本大学の秦郁彦教授が2万人説,中央大学の吉見義明教授が5〜20万人説をとっている.
 一方,中国の蘇智良教授は中国人だけで20万人としているが,この数字は荒唐無稽.

 詳しくは,秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999.6)を参照されたし.


 【質問】
 従軍慰安婦の出身別構成は? 

 【回答】
 秦郁彦教授によれは,
約70%が日本人,
約20%が朝鮮半島出身者,
約10%が中国出身者.

 詳しくは,秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999.6)を参照されたし.


 【質問】
 軍が女性に売春を強制したってホント?

 【回答】
 板違い.

 軍が直接売春婦を雇用した例はありません.
 戦地での風紀の乱れや性病蔓延などを防ぐために,日本や朝鮮などの売春業者が募集をかけて戦地までの便宜を図っただけ.
 日本でも赤線地帯から何人も行ってます.

軍事板

 〔略〕 日本軍が組織的に一般人を拉致して,強制的に売春婦にするという犯罪はいっさい無かったということだ.
 そういう証拠はいっさい出てきていないのだ.

 たまに韓国のニュースなどで,日本軍が梅毒検査など売春婦の健康管理をしたことを「証拠があった」などと書くものがあるが,拉致して強制的に売春婦とした証拠にはならない.
 ――――軍隊内の規律の乱れによる個別の犯罪と,日本軍全体として行っていない事は明確に分けなければならない.

 (2007年に)マイク・ホンダ氏が連れてきた3人の証言のうち,韓国人2人は当時16歳という年齢からみて,自ら売春に応募したとは思えない.売春組織に親に売られた女性であると思われる.

 当時,日本軍は,日本兵が性の処理の相手を現地調達しないように,プロの売春組織を引き連れて移動したが,戦闘中なので売春婦の命を守る必要があり,日本兵に病気が移らないようにとの配慮から,売春婦の健康の管理をしたが,売春婦の募集や運営はプロの売春組織が受け持っていた.

 マイク・ホンダ氏の連れてきた韓国人の場合,日本女性だと言えと売春組織が無理矢理彼女にウソをつかせて朝鮮語を使うと殴ったようだ.
 日本軍が殴ったというが,16歳なので売春組織の人間と軍人の区別がついていなかったようだ.

 実際に売春婦の応募をした人の証言もある.
 希望者殺到で強制連行などありえなかったそうだ.
 慰安婦とは,今風にいえば援助交際希望者であって,いずれも本人の自由意志である.
 自由意志どころか強烈な願望であったそうだ.

 朝鮮半島では,貧乏な朝鮮人の親が,娘に何の説明もしないまま,日本軍に随いて歩くプロの売春組織に売春婦として売り飛ばした場合もあったのだろう.

 自称“元慰安婦”の韓国人,李容洙,金君子の場合は,電気拷問を受けたとか日本軍が小さな刃物で体を少しずつ切りつけ,服を激しく破り,コンドームも使わず跳びかかってきたとか,言うことがかなり誇張されていて,全て事実かどうかは疑わしい.
 話を作っているように思う.
 日本の軍人が,16歳の少女に電気拷問などするだろうか? 小さな刃物で体を少しずつ切りつけるだろうか?
 100%そのまま信じることは難しい.
 〔略〕

≪ WEB 熱線 第836号 ≫2007/03/12_Mon

 秦郁彦教授も「日本軍によって強制連行された」という話を否定している.
 同氏にによれは,兵士による女性の誘拐や強姦は違法行為であり,発覚すれば罰せられた.
 また,業者が誘拐まがいのことをしないように日本軍は指導していた.
 なお,慰安婦は高額の給料をもらっていた.

 詳しくは,秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』(新潮選書,1999.6)を参照されたし.

 この問題の元凶,朝日新聞も,2007年の社説では,

 どのようにして慰安婦を集め,戦地に送り,管理したのか.その実態は地域や時代によって異なる.
 しかし,全体としては,植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ,日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない.
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

……と,かつて「軍が連行した」というキャンペーンを派手にやっていたのに比べると,大きく後退している.
 「連れて行った」のは誰なのかという肝心の問題を曖昧にしたまま,
「そんなことは枝葉だから,とにかく謝れ」
という主張に変わっている.

 こういう説教よりも,かつて自分たちが書いた記事が事実にもとづいていたのかどうかを検証するのが先だろう.

軍事板?

「軍による強制はあった」
とする証言もあるそうだが,その信憑性は疑問視されており,また,
「なかった」
とする側の証言や,強制を否定する米陸軍調査報告書もあるという.

 以下,引用.

 慰安婦問題について書いてきた私の記事を読んで,ということで投書をいただきました.
 関東軍の軍人だったという方からです.
 産経新聞東京本社気付けで,ワシントンの私あてに転送されてきました.

 書簡は便箋5枚にペンでの手書き,きちんと明確な記述でした.
 内容はご自分の満洲時代の体験と観察から述べる限り,日本軍が現地の女性を強制的にさらって,売春をさせることなど,まったくなかった,という趣旨です.

 東京都下にお住まいの上野力さんという方です.
 上野さんのお手紙の記述のいくつかの部分を以下に紹介します.
 上野さんにワシントンからお電話をして,お手紙の一部を公表することの許可をいただいたうえです.
 紹介部分は原文のままです.
 現在の規準では避けるべきという表現や用語もあるかも知れません.
 明らかに公開が不適切な言葉は伏字にしました.

「私は大正7年生まれ,昭和14年兵,乙幹の下士官,5年兵,東京外大卒行,関東軍軍人でした」

「日本軍人が無知な○○女性をだまして,慰安婦にしたのではない.
 帝国軍人が工場,学校へ行き,○○人女性を強制拉致したら,必ず大暴動になっただろう.
 (そんな強制徴用をしたら)聖戦完遂不可能になった」

「慰安所は牡丹江にありました.
 経営者○○人,客は下士官兵,ときに開拓団少年.
 私服憲兵の巡視あり.
 旧市街の満洲人××屋は下士官兵の立ち入り禁止」

「私の経験したこと.
 昭和18年某月某日に登楼.
 慰安婦ではない自称16歳女性,
 軍曹の私に対して,まじめな顔をして
『兵隊さん,司令部へ行って,慰安婦の許可をもらってきて下さい.そうしたら,あなたはわたしの最初の処女客,タダでサービスするわよ』
と言うので,私は
『キミは女中であって,慰安婦でない.慰安所の女中だが,処女のまま結婚すべきだ』
と言うと,
『わたしはおカネがほしい,慰安婦になりたいです.16歳だから18歳だと言って,許可をもらってください』
と言いました」
「私は
『ぼくは軍曹だから司令部へ行き,頼んでもダメだ.処女のまま結婚するべきだ』
といさめると,
『処女であるより,慰安婦になって,おカネがほしい.お父さんに農地を買ってあげるための孝行です』
と言う.
『ダメだ.その考えはまちがっている.18になっても慰安婦になってはならない』
と訓戒しました.そしたら
『兵隊さん,わたしの気持ち知らない,もういいです』
と言って,去ってしまった」

「昭和19年,満洲某地で登楼したとき,敵娼(あいかた)の慰安婦はこう言った.
『兵隊さん,わたし○○人にだまされた.軍隊の工場で被服を作る仕事をすると言われて来たら,慰安所だった.客を取れと言うので,断ると,<お前には莫大な前渡金をお前の父に渡してある,それを返せばすぐ帰宅させる>と言う』
 これが実情だ」
 〔略〕

「古森義久イザ!」,2007/03/19/13:07

 慰安婦問題についての貴重な証言を受け取りました.
 陸士,陸大卒,歩兵連隊中隊長,南方総軍参謀,大本営参謀などを歴任した高橋正二氏の発言です.
 戦後は明治薬科大学理事長などを務めた高橋氏は93歳ですが,健在で,つい数日前にも世田谷郷土大学で一時間以上の講演をされています.

 その高橋氏から「いわゆる従軍慰安婦について」というレポートを共通の知人を介して拝受しました.
 高橋氏ご本人がその内容を私のブログで紹介してもよいと言われたので,その要点を以下に記します.

「戦争間,従軍記者,従軍報道班,従軍作家,従軍看護婦等は存在しましたが,いわゆる『従軍慰安婦』なるものは絶対にありませんでした.
 ましてや『強制連行』云々は絶無であったことを強調しておきます.

 いわゆる『従軍慰安婦』なる造語も戦後,出現したものであり,戦時中,現地に『慰安婦』が存在したことは事実であります.
 その理由は現地住民を犯さないこと,性病を防ぐこと,それに防諜の立場からであり,いわゆる慰安婦は公娼制度の延長線であり,それぞれ民間人との契約によるものでありました.

 平時において,これらの事柄は警察が取り締っておりましたが,戦時中の現地においては軍が前述の理由で取り締り,かつ慰安婦を保護していたのであります」
 〔略〕

「古森義久イザ!」,2007/04/17 13:42

「民間が慰安婦集め」 米軍調査「日本軍は利益得ず」

 【ワシントン=古森義久】戦時の日本軍の慰安婦に関して,日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった.
 報告書は,この業者が朝鮮で商業利益を目的に慰安婦の徴募に直接あたっていたことを示し,現在の米側の一部の「日本軍が女性を組織的に強制徴用していた」という主張とは異なる当時の実態を明らかにしている.

 報告書は米国陸軍の戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成された.
 「前線地区での日本軍売春宿」と題され,同年8月にビルマ(現ミャンマー)北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている.
 この経営者は,日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった.
 この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し,日米両国の研究者などの間で参照されてきたが,経営者だけについての報告書は公開の場で論じられることが少なかった.

 報告書によると,経営者は朝鮮のソウルで妻とともに食堂を開き,ある程度の利益を得ていたが,景気が悪くなり,新たに収入を得る機会の追求としてソウルの日本軍司令部に慰安婦を朝鮮からビルマに連れていくことの許可を求めた.
 この種の提案は朝鮮在住のほかの日本人ビジネスマンたちにも軍から伝えられていたという.
 同経営者の慰安婦集めについては「彼は22人の朝鮮女性に対し個々の性格,外見,年齢による区分で1人あたり300円から1000円の金をまずその家族たちに支払い,取得した.
 22人の女性は年齢19歳から31歳までで,経営者の占有する資産となった.
 日本軍は(この取得から)利益は得ていない.
 ソウルの日本軍司令部は同経営者に対し,(ビルマまでの)ほかの日本軍各司令部あてに輸送,配給,医療手当などの必要な援助を与えることを認めた書簡を与えた」
と記している.

 このように報告書では,この慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ,経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され,「日本軍が女性たちを組織的に強制徴用して性的奴隷化した」というような米国議会の決議案の解釈や表現とはまったく異なる事情を伝えている.

 報告書によると,この日本人経営者は妻や22人の朝鮮女性とともに1942年7月10日に釜山を船でたち,台湾,シンガポール経由で同8月20日にビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)に到着した.
 女性たちはその後,北部のミッチナ(当時の日本側の呼称はミイトキーナ)地区の日本軍歩兵114連隊用の慰安所に送られたという.

産経新聞,2007/5/12

 〔略〕
 〔上記新聞記事にて言及されている〕文書の原文の冒頭部分を紹介しておきます.
A JAPANESE ARMY BROTHEL IN THE FORWARD AREA.

Note: The following is derived from interrogation at C.S.D.I.C.(I) of M.739, and from O.W.I. Interrogation at Ledo Base Stockade of 20 Korean “comfort girls”,

Report dated 21 Sept. 1944.

M.739, his wife and sister-in-law had made some money as restaurant keepers in Keijo, Korea, but their trade declining they looked for an opportunity to make more money and applied to Army H.Q. in Keijo for permission to take “comfort girls” from Korea to Burma. According to P.W. the suggestion originated from Army
H.Q. and was passed to a number of similar Japanese “business men” in Korea.

M.739 purchased 22 Korean girls, paying their families from 300 to 1,000 according to the personality , looks and age of the girl. These 22 girls were of ages from 19?31. They became the sole property of P.W. and the Army made no profits from them. H.Q. Korea Army gave him a letter addressed to all military H.Q. of the Japanese Army, requesting them to furnish any assistance he might require, transport, rations, medical attention, etc.

Leaving his sister-in-law to carry on the restaurant, M.739 and his wife, with their 22 girls, embarked at Fusan on 10 July 1942 in a group of 703 girls, all Korean, and some 90 Japanese men and women, all of them of the same base sort as himself.

They sailed on a 4,000 ton passenger ship in a convoy of 7 ships. Free passage Tickets were provided by Army H.Q., but P.W. paid for all meals during the voyages.

They called at Formosa, where 22 other girls bound for Singapore were taken on board, and at Singapore where they transferred to another ship, arriving at Rangoon on 20 Aug 1942.

At Rangoon they were divided into groups of 20?30 girls in each and dispersed to various parts of Burma, each group being attached to various regiments, units or formations, so that each had its own brothel (s).

「古森義久イザ!」,2007/05/14 22:59

米軍も慰安婦を「雇用」とみていたーー米陸軍文書から

 慰安婦問題での続報です.
 詳細は産経新聞5月18日付朝刊の私の記事に載っています.
 慰安婦は日本の民間業者と女性たちの間の「契約」に基づく「雇用」であるーーという認識が米陸軍の調査報告書にありました.英語の原文を書いておきましょう.

Every "comfort girl" was employed on the following contract conditions.

 カギは「employed」と「contract」という言葉です.
 「雇われていた」「雇用されていた」 そして「契約」に基づいて,というわけです.
 そのあとに「契約条件」の説明として以下のような記述があります.

She received 50% of her own gross takings, and was provided with free passage, free food and free medical treatment.

 ここには「強制徴用」とか「奴隷化」という言葉はまったく出てきません.
 この文書は日米双方の一部研究者たちの間では以前から知られてきたそうですが,ほとんど無視されてきました.
 〔略〕

 以下は産経新聞記事の紹介です.
慰安婦「契約の下で雇用」 米陸軍報告書,大戦時に作成

 【ワシントン=古森義久】日本軍の慰安婦に関して戦時中に調査に当たった米国陸軍の報告書に女性たちは民間業者に「一定の契約条件の下に雇用されていた」と明記されていることが判明した.
 同報告書は「日本軍による女性の組織的な強制徴用」という現在の米側一部の非難とはまったく異なる当時の認識を明示した.

 「前線地区での日本軍売春宿」と題された同報告書は,米陸軍戦争情報局心理戦争班により第二次大戦中の1944年9月に作成され,米軍の「南東アジア翻訳尋問センター」の同年11月付の尋問報告に盛りこまれていた.
 73年に解禁され,近年も日米の一部研究者の間で知られてきた.

 当時の朝鮮のソウルで金銭と引き換えに徴募され,ビルマ北部のミッチナ(当時の日本側呼称ミイトキーナ)地区の「キョウエイ」という名の慰安所で日本軍将兵に性を提供していた旧朝鮮人女性20人と同慰安所経営者の41歳の日本人男性が米軍の捕虜となった.
 同報告書はこの男性の尋問を主に作成されたという.
 同報告書は「すべての『慰安婦』は以下のような契約条件の下に雇用されていた」と明記し,女性たちが基本的には商業ベースで「契約」に基づき,「雇われて」いたという認識を示している.

 同報告書はその契約条件について次のように記していた.
「個々の慰安婦はその総売り上げの50%を受け取り,無料の移動,食糧,医療を与えられた.移動と医療は軍から供与され,食糧は慰安所経営者が軍の支援を得て,購入していた」
「経営者たちは衣類,日常必需品,さらにはぜいたく品を法外な値段で慰安婦たちに売りつけ,利益をあげていた」
「慰安婦の女性がその家族に支払われた金額を利子付きで返済できるようになれば,朝鮮への無料の帰還の便宜を与えられ,自由の身になったとみなされることになっていた.だが戦争の状況のために,このグループの女性はだれも帰国を許されなかった」
「この日本人が経営した慰安所では女性1人の2カ月の総売り上げは最大1500円,最小300円程度だった.個々の女性は経営者に毎月,最低150円は払わねばならなかった」

 以上のように,この報告書は慰安婦の「雇用」や「契約条件」を明記するとともに,慰安婦だった女性は一定の借金を返せば,自由の身になれるという仕組みも存在したことを記し,「軍の強制徴用」とか「性的奴隷化」とは異なる認識を当時の米軍当局が有していたことを証している.

「古森義久イザ!」,2007/05/18/23:21

私たちの仲間でも,戦争が終わってから
「将来の日本というものは,もう自分たちにとっては,希望も未来もない」
と思った青年達が多くて,戦争に生き残った者がかなり自殺をしました.
 私たちの連隊でも,八月の十八日ぐらいでしたか,敗戦が通知されて,それから約一ヶ月間,毎晩毎晩,あちらこちらで,手榴弾の音が「ダーン」と.自爆です.自殺するわけですね.
 昔の日本の武士というのは
「われわれ武人は何のかんばせあって,再び故郷にかえらん」
という,そういった恥とか,気骨を持っていました.
 そうしたものをわれわれもまた受け継いでいたのです.それが自殺をしていく一つの考えになったわけです.

 そこで,当時,光機関という諜報機関出身の北辺邦雄という連隊長,これが,太っ腹の人で「こら,いかん」ということになったのです.
「この若者達を殺したらいかん.それには,百の説法するより,女だ」
というわけで,連隊の中に,いわゆる慰安婦を連れて来ました.
 そして,わら,むしろかこいで「ピー屋」という遊郭を作ったのです.「やれーっ」というわけです.
 長い間,戦争で何もかも殺伐となっていたのが,そのむしろ囲いで女を抱いたとたんに,生きることを考えましたね.
 それほどせっぱつまった,ギリギリのところを,ちょうど二十三,四歳で経験してきたということです.

――『松下政経塾講話録』(松下政経塾編,PHP文庫,1985年7月15日),P66-67から引用

 塚本幸一(女性下着メーカー「ワコール」の創業者)氏の講話です.
 別頁に「タイで終戦となった」とあるので,タイでの出来事と思われます.

 今だったら「あの上場企業社長が慰安婦を抱いていた!」なんて見出しでマスメディアが大騒ぎするでしょうねえ・・・

ラッキーマン in 「軍事板常見問題 mixi支隊」

 でもって,仮に慰安婦が「強制」だったのなら,なんで終戦と共に逃げ出していなかったんでしょうねえ?

 なお,最近では拉致問題に際し,この「強制連行」なる作り話を持ち出して,「日本も過去に拉致を行っているから云々」などと,問題を相殺しようとする言動が,北韓のみならず,一部の日本人の中にさえあるので要注意.
 詳しくは拉致問題FAQページを参照されたし.

当時の募集ポスター
比較的高給であることが分かる


 【質問】
 吉田清治証言とは?

 【回答】
 日本軍が済州島で女性を慰安婦として強制連行したという主旨の証言.
 秦郁彦らの調査で虚偽だと立証されているという.

 以下引用.

 〔略〕
 吉田氏〔元日本軍憲兵・吉田清治〕は同書〔『私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行』〕の中で,自分が済州島で日本軍兵士とともに地元の若い女性たち数百人を「慰安婦狩り」として無理やりに連行したという体験を述べていた.
 この「吉田証言」は朝日新聞などによっても大きく報道されたが,その後,歴史家の秦郁彦氏らの調査などで 虚構だったことが立証された.
 〔略〕

産経新聞,2007/4/13


 【質問】
 インドネシアにおけるオランダ人女性のケースについては?

 【回答】
 オランダ人のジャン・ラフ・オハーンと他のオランダ人女性たちの場合は,本当に日本の軍人に▼(個人的に)▲レイプされたようで,こういうことは軍規の乱れた軍の内部では実際に起こったのだと思う.

 インドネシアでは,イギリス軍が美しいオランダ人女性の捕虜たちを,毎晩レイプしていたという日本兵の証言がある.
 アチェで,現地の女性をレイプした日本兵が,アチェ人に斧で頭をたたき割られたのを見たという日本兵の証言もある.

 ▼どこにでも個別の犯罪は起こり得る.
 戦争になるといつも,女性が勝者の餌食となってレイプされている.
 イタリアでは,トルコ軍がイタリア女性をレイプしたそうだ.
 ベトナムでは韓国軍がベトナム人女性をレイプして,大勢の韓国人ハーフの赤ん坊が産まれたそうだ.
 恐ろしい思い出があるので,今でもベトナム人は韓国人が大嫌いなのだそうだ.
 沖縄では,アメリカ兵が沖縄女性をレイプしたり殺害したりした.

 また,これはタブーであまり日本人は口にしないのだが,支那では戦争の時,朝鮮半島出身の日本人が,いつも真っ先に現地女性をレイプしたそうだ.
 戦後GHQは,路地裏で,また産院で,日本女性を襲ってレイプしたり殺害したりした.
 ――――満洲でも,日本軍は現地女性を拉致してレイプしたそうだ.
 見ていた日本人の子供の証言もある.
 ▼軍規が乱れると人は個別に罪を犯すのだ.

 またソ連は,突然日ソ不可侵条約を破って満洲に攻め込んで来たとき,子供たちの目の前で母親を大勢で犯したそうだ.
 多くの日本女性がソ連軍人にレイプされたり殺されたりしたのだ.
 いくら日本女性が顔に墨を塗って,髪を剃ってボウズ頭にしても,ロシア人に捕まってレイプされたそうだ.

≪ WEB 熱線 第836号 ≫2007/03/12_Mon

 ただし,証言者の一人,ジャン・ラフ・オハーンについては不審点もあるという.
 以下引用.

対日非難は蒸し返し…オランダ女性の事例 末端将兵の行為すでに厳刑

 【ワシントン=古森義久】米国議会の一部やニューヨーク・タイムズが「慰安婦」非難で日本軍の強制徴用の最大例として強調するオランダ人女性のケースは実際には日本軍上層部の方針に逆らった末端の将兵が勝手に連行し,その違法行為が発覚してすぐ日本軍自身により停止されていた事実が明らかとなった.
 しかもこの違法の性的徴用の責任者たちは,戦後の軍事裁判で死刑を含む厳刑に処されており,今回の日本非難はすでに責任のとられた案件の蒸し返しとなっている.

 8日付のニューヨーク・タイムズは日本の慰安婦問題を安倍晋三首相がそのすべてを否定したかのような表現でまた報じたが,そのなかでオランダ人の元慰安婦だったというジャン・ラフ・オハーンさん(84)の
「インドネシアの抑留所にいた1944年,日本軍の将校に連行され,慰安所で性行為を強要された」
という証言をとくに強調した.
 同紙はオハーンさんの2月15日の米下院外交委員会公聴会での証言を引用しており,
「日本政府からの公式の謝罪が最重要」
と述べたとして,日本軍が組織的に総数20万人もの女性を強制徴用したという糾弾の最大の根拠としている.

 ところが慰安婦問題に詳しい日米関係筋などによると,オハーンさんは戦後すぐにオランダ当局がインドネシアで開いた軍法会議で裁いた「スマラン慰安所事件」の有力証人で,その証言などにより,上層部の方針に違反してオランダ女性を連行して,慰安所に入れた日本軍の将校と軍属計11人が48年3月に有罪を宣告され,死刑や懲役20年という厳罰を受けた.
 オハーンさんは同公聴会で日本側が責任をとることを求めたが,責任者は60年近く前にすでに罰せられたわけだ.

 日本政府には批判的な立場から慰安婦問題を研究した吉見義明氏も,著書「従軍慰安婦」のなかでオランダ政府の報告書などを根拠にスマラン慰安所事件の詳細を記述している.
 同記述では,オハーンさんらオランダ女性を連行したのはジャワの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部将校で,
(1)軍司令部は慰安所では自由意思の者だけ雇うようはっきり指示していたが,同将校たちはその指示を無視した
(2)連行された女性の父のオランダ人が,日本軍上層部に強制的な連行と売春の事実を報告したところ,すぐにその訴えが認められ,現地の第16軍司令部はスマラン慰安所を即時,閉鎖させた
(3)同慰安所が存在したのは2カ月だった
(4)主犯格とされた将校は戦後,日本に帰っていたが,オランダ側の追及を知り,軍法会議の終了前に自殺した−などという点が明記されている.

「ステージ発風」,2007/03/10/23:23付に転載


 【質問】
 スマラン慰安所事件は軍人個人の犯罪?

 【回答】
 主導したといわれるのは能崎清次中将(当時は少将).
 これほどの階級の人らが行っていたのに,兵の個人的なものとするのは,少し無理があるでしょう.
 おまけに,日本軍によって処罰されておらず,逆に昇進〔1945年3月,第152師団長に就任〕までしていますし・・・
 何となく,牟田口などを連想しますが.

ヨッチ in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分

 ただし,事件を起こしたのが「幹部候補生隊」なる,大尉から中将までの人員で構成された部隊である以上,関係者の階級が高いのは必然という見方も,低い確率ながらできるでしょう.
 また,処分がなかったことについては,単なる事なかれ主義である可能性も,僅かながら残っているでしょう.
 旧軍の事勿れ主義体質については,今更言うまでもないでしょう.


 【質問】
 河野談話は,軍が強制的に売春婦をやらせた事実を認めたものじゃないの?

 【回答】
  〔略〕
 その経緯については,当時の官房長官であった加藤紘一,河野洋平の両氏,そして内閣官房副長官として歴代内閣を支えた石原信雄氏の証言をもとに,櫻井よしこさんが文藝春秋(1997年4月号)に詳細にまとめられています.
 そのなかで石原氏は,こう証言されています.
「私共は資料があるといえばどこにでも飛んでいって調査しました.
 各省庁に資料提出を求め,その他にも国立国会図書館,アメリカの公文書館,様々な研究機関も,八方手を尽くしました.
 警察関係の各所にも求めました.
 けれども,韓国側が気にしている強制的に徴用したというのが,文書ではどうしてもないわけですよ.」
「当時,彼女たちの名誉が回復されるという事で強制性を認めたんです.」
(櫻井「強制性はいわば善意で認めたのですか?」)
「そうです.両国関係に配慮してそうしたわけです.」

DEADRISINGer@パパ in mixi

 参議院予算委員会でも,当時の内閣外政審議室長平林博氏が
「軍による強制性を標す資料は一切発見されなかった」
と答えており,河野談話は訂正されている.
 河野談話は証言の裏付けを行わないうちに発表されてしまったと,国会答弁で言明済み.
 河野談話は裏付け調査無しとハッキリと明言されています.

140-参-予算委員会-8号 平成09年03月12日

○小山孝雄君 お配りしております資料をごらんいただきたいと思いますが,この
「朝鮮人強制連行」という見出しが入って,写真が入って,その下の段の真ん中辺に「警察官や役人が土足で家に上がり,寝ている男を家から連れ出すこともありました.
 抵抗する者は木刀でなぐりつけ,泣きさけびながらトラックに追いすがる妻子を上からけりつけたともいわれます.」
と,わずかこのページの中でこれだけのことが書かれております.
 外政審議室にお尋ねいたしますが,つぶさに政府資料等々,平成四年,五年当時,お調べいただいたようでございますが,こういうことが日常茶飯行われていたんでしょうか.

○政府委員(平林博君) 内閣外政審議室長の平林でございます.
 今の強制連行につきましてでございますが,私の方で調査いたしましたのはいわゆる従軍慰安婦の関係でございますが,従軍慰安婦に関する限りは強制連行を直接示すような政府資料というものは発見されませんでした.
 その他,先生の今御指摘の問題,朝鮮人の強制労働等につきましては我々が行った調査の対象外でございますので,答弁は関係省庁にゆだねたいと思います.
(中略)

○小山孝雄君 お隣の韓国でも今年度,この三月から新学期が始まっているようでございますけれども,歴史教科書に,あそこは国定教科書でありますから一つであります,
 慰安婦の問題について記述が入ったと,こう聞いておりますが,外務省は手に入れていらっしゃいますか.

○政府委員(加藤良三君) 九七年三月から使用される韓国の中学校それから高校用の国定歴史教科書,いわゆる従軍慰安婦に関しまして,これは日本語の翻訳でございますけれども,次のような記述があると承知いたしております.
 まず,中学校の教科書でございますが,
「女性までも挺身隊という名でひいていかれ,日本軍の慰,安婦として犠牲にもなった.」.
 次は高等学校の教科書でございますが,
「女性たちまで挺身隊という名でひいていかれ,日本軍の慰安婦として犠牲にもなった.」.
 以上でございます.

○小山孝雄君 私が調べて皆様に配付したのと同じでございますけれども,ここではもうまさに挺身隊というのと慰安婦とイコールに受け取られるわけであります.
 外政審議室にお尋ねしますが,そういう制度でありましたか,調査した結果.

○政府委員(平林博君) 慰安婦と女子挺身隊とは全く異なるものでございます.
 女子挺身隊の方は日本の制度として存在しましたが,慰安婦というものは政府ないし軍の制度として存在したということでは,法令に基づく制度ということでございますが,ないのではないかと理解しております.
 韓国の教科書に今外務省から紹介しましたような記述がございまして,そういう記述にあったような例があるいは当時あったかもしれませんが,今申し上げましたように,女子挺身隊と慰安婦が混同され,これが一般化された形で読む人に受け取られるということがないようにというふうに考えたいと思います.

○小山孝雄君 今御答弁ありましたように全く別のものでありまして,こういったことが混同して韓国の少国民に教えられるということは,これは問題だと思います.外務大臣,この訂正方を申し入れいたしますか.

○政府委員(加藤良三君) 韓国との関係におきましては,今御指摘のような問題もあるわけでございますが,これを全体として未来志向の関係に持っていくという点をも踏まえまして,いろいろな分野において非常に緊密な対話というものが行われている状況にございます.そのような視点を踏まえて,御指摘の問題につきましても,我が方の考え方というものは韓国の方にも周知させるように努力しているつもりでございます.

○小山孝雄君 努力しているつもりって,この問題について訂正を申し入れしないんですか.

○政府委員(加藤良三君) 従軍慰安婦問題に関する我が国の調査結果とか認識というものについては韓国側に外交ルートを通じて通報してきているということでございまして,このような対話というものを今後も引き続き行ってまいりたいと考えております.

○小山孝雄君 外務省組織令第二十四条三項には何と書いてありますか.

○政府委員(加藤良三君) まことに申しわけございません.ちょっと組織令を手元に持っておりません.

○小山孝雄君 「外国の教育資料等における日本に関する事項の調査及び是正に関すること.」と,こう明記されております.間違いないですか.

○政府委員(加藤良三君) 今読み上げていただきましたところ,確認はできませんけれども,そのようなことかと存じます.

○小山孝雄君 外務大臣,海外広報課の事務として明記されております.訂正まで入っておりますから,きっちりと申し入れをするようにお願いを申し上げます.いかがですか.

○国務大臣(池田行彦君) 私どもといたしましても,海外のそういう教科書等に関する情報等につきまして収集に努めておりまして,また我が国といたしましてそういった記述が正しいものになるようにいろいろな場で話し合いをしている次第でございまして,そういったところで今後とも適切に対応してまいりたいと思います.

○小山孝雄君 ちゃんとした法令にもこうやってあるわけですから,訂正まで,収集するだけじゃだめですよ.
 それに基づいて,かつてはちよんまげを結った,そして日本刀を腰に差した侍が家電の山に埋もれて生活しているような,そんな記述もあったわけでありますから,きっちりとこの組織令の業務を守って訂正申し入れまでしていただきたいと思います.
 もう一度お答えください.

○国務大臣(池田行彦君) 先ほど御答弁申し上げましたとおり,私どもとして果たすべき役割を適切に果たしてまいりたい,こう考える次第でございます.

○小山孝雄君 重ねて要請しておきます.
 そこで,先ほど外政審議室長から答弁もございましたが,もう一度お尋ねをいたします.
 一月三十日の本委員会で,片山委員の質問に対しまして,政府のこれまでの慰安婦問題に関する調査では慰安婦の強制連行はなかったという答弁をされましたけれども,もう一度外政審議室に確認をいたします.

○政府委員(平林博君) お答え申し上げてきておりますのは,政府の発見した資料の中に軍や官憲による慰安婦の強制連行を直接示すような記述は見出せなかった,こういうことでございまして,その点は確認させていただきます.

○小山孝雄君 そうしますと,ジャーナリストの櫻井よしこさんに社団法人神奈川人権センターというところから抗議がありまして,櫻井さんが,強制連行の事実はなかった,また慰安婦として働いていた人たちに対する同性としての同情の念を本当にあらわしながら,事実はなかったということを私は思いますということを言論活動で申されたら,そこに神奈川人権センターが抗議を申し入れて二つの講演会が中止されたという事実が報じられております.
 人権センターがそういう申し入れをするとはいかがなものかと思いますが,これはまさしく人権に関する問題だ,言論封圧だと私は思いますが,これは人権問題でありますので法務大臣に所感をお尋ねいたします.

○国務大臣(松浦功君) お答えを申し上げます.
 事実関係がどういうことであったか私どもにも十分確認されておりませんので,十分調査をいたします.
 その上で,人権擁護という観点から措置すべき問題があるとすれば,当然のこととして法務省として活動することにいたします.

(中略)

○小山孝雄君 さきに戻りまして,再び外務省にお尋ねいたします.
 韓国の教科書の訂正の申し入れの問題,韓国政府がまとめました従軍慰安婦実態調査中間報告の中にはっきりと,
「このような女性動員の趣旨は基本的に慰安婦調達とは性格を異にするものと思料される.」
「女子勤労挺身隊と慰安婦は基本的に関係がなく,また,国民学生勤労挺身隊も慰安婦とは無関係である.」
と,このように記述されております.
 そういうことで,韓国政府の認めるところでもありますので,教科書に正しくお書きいただくように訂正の申し入れをなさっていただきますよう再度お尋ねをいたします.

○国務大臣(池田行彦君) 今,委員御指摘の韓国側の調査というのは一九九二年七月の調査報告書だと思いますが,この報告書はかなり長いものでございまして,いろいろなことが書いてございます.こういうふうに見られるとか,こういうふうに推定されるとか,そういう記述があちらこちらあるわけでございます.
 ただ,そういった中で,勤労挺身隊と慰安婦の関係につきましては,これは「無関係である.」ということを記述しております.しかし,その「無関係である.」というところに続きまして,「但し,都市や日本の工場で韓国女性を詐術的方法や人狩りの手法または工場管理者の協力で慰安婦にひつばられていったケースがあったものと見られる.」という記述もあるところでございます.
 また,その後に続けて,
「またこの中にもともと女子勤労挺身隊員や国民学校挺身隊員であった人が含まれていた可能性はある.」
ということでございますが,こういったふうな記述というものが韓国側の報告書の内容になっている.
 いずれにいたしましても,そういったことも踏まえまして,先ほど御答弁申し上げましたように,適切に対応してまいりたい,こう考える次第でございます.

○小山孝雄君 ケースがあったとかあるいは可能性があるということとそうだというのとは別でありますので,その点も十分踏まえて韓国政府と折衝を願いたいと思うわけでございます.
 次に進みますが,外政審議室にお尋ねいたします.
 先ほど慰安婦の強制連行はなかった,政府の資料から見出せなかったということを御答弁になりましたけれども,どうしてそういうことを平成五年八月四日の調査結果を報告するときに記入しなかったんでしょうか,
 あるいは発表しなかったんでしょうか.
 それどころか,報告書には「業者らが或いは甘言を弄し,或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く,更に,官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた.」と,ここまで書いております.それはなぜですか.

○政府委員(平林博君) 平成五年八月の調査結果におきましては,個々の出典とか参考にした文献,証言等を個別に言及しておりません.
 実態として,今まで申し上げましたように,政府の発見した資料の中には強制連行を直接示す記述は見当たらなかったのでございますが,その他各種の証言集における記述でございますとか韓国における証言聴取とか,その他種々総合的にやった調査の結果に基づきまして全体として判断した結果,一定の強制性を認めた上であのような文言になったということでございます.

○小山孝雄君 全体としてというのでは本当によろしくない.
 例えば,午前中,本委員会に入る前に科技庁長官から東海村の動燃の事業所での爆発事故の経緯説明がありましたけれども,こうしたことは一つ一つ真相を常に明らかにして進んでいくということが大事だと思います.
 再び外政審議室長にお尋ねしますが,政府の報告書の中で,調査資料の中で強制連行があったと判断したもとの資料は何でしょうか.

○政府委員(平林博君) 政府の発見しました資料の中からは軍ないし官憲による強制連行の記述,そういうものはございませんでした.
 今申し上げておりますのは,ほかの証言,資料等も含めまして総合的に強制的な要素があったということを申し上げている次第でございます.

○小山孝雄君 ここに報告書の写しを持っております.私がここに持っておりますので,どれがどれで,どれが公開されて,どれが非公開なのか,明らかにしてください.

○政府委員(平林博君) 今,先生のお持ちの資料の中には,日本の関係省庁,それから国立国会図書館,アメリカの国立公文書館等のほかに,関係者からの聞き取り先,あるいは参考としたその他の国の内外の文書及び出版物が並べられておると思うんですが,このうち公開していないものは関係者からの聞き取りだけでございまして,その他はすべて公開をしている次第でございます.

○小山孝雄君 参考とした国内外の文書は全部公開でしょうか.

○政府委員(平林博君) 原則として今おっしゃったとおりでございますが,韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会というのがございますが,ここの資料だけは内部資料だということで渡されておりますので,これは例外的に非公開ということになっております.

○小山孝雄君 そうしますと,我が日本国の各行政機関,それから国立国会図書館,国立公文書館,そして米国国立公文書館から出たものは全部公開されている.
 そこには強制連行を直接示す資料はなかったということが確認された.
 そうすると,残りは関係者からの聞き取り調査です.
 すなわち,元従軍慰安婦を中心とした関係者からの聞き取り調査は明らかにされていない.
 それから,参考文献の中に太平洋戦争犠牲者遺族会等韓国の遺族会がまとめた元慰安婦の証言集,これが非公開ということですね.

○政府委員(平林博君) そのとおりでございます.

○小山孝雄君 その証言集の裏づけはとっておりますか.

○政府委員(平林博君) お答え申し上げます.
 個々の証言を裏づける調査を行ったかという御趣旨でございましたら,それは行っておりません.
 個々の方々,これは元従軍慰安婦もおりますし,元慰安婦もおりますし,それから軍人さんたちのあれもございますが,それの証言を得た上で個々の裏づけ調査をしたということはございません.

JSF in mixi


 【珍説】
元慰安婦の宋神道さんの裁判で,東京高裁は2000年11月30日,強制的に売春婦をやらされた事実を認めた.

「控訴人らは,その意思に反して慰安所経営者との従軍慰安婦の雇用契約を締結することを強いられ,隷属的雇用関係の下で,慰安所経営者と旧日本軍の管理の下で,日常的に長期にわたり旧日本軍人に対する強制的売春を強いられていたものであると認められるから,当時の公娼制度を前提として考慮しても,慰安所経営者と旧日本軍人の個々の行為の中には,控訴人らの従軍慰安行為の強制につき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認される.」

判決文の全文は以下の通り.
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/zainichi_hanketsu_kou.html

SODA in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)

 【事実】
 その判決文から抜粋.

1 従軍慰安婦の設置運営は,戦地での旧日本軍兵士管理の一環として行われたものであって,慰安所における慰安行為ないし売春行為に旧日本軍の公権的監督が日常的に及んでいたとまでは認められず,旧日本軍と慰安所経営者との間には慰安所を軍が専属的かつ継続的に利用する専属的営業利用契約に相当するいわゆる下請的継続的契約関係があったと推測される.

 ぜんぜん違うように見えるけど?

 そもそも「控訴棄却」な判決に何が言いたいんだか.

Cpt.hige in mixi

「強制的に売春をやらせた」のが「業者」であって「軍」ではないって事でしょう.

あぶ4 in mixi

 他にも戦後に裁判に持ち込まれた事例は何度かあるのですが,全く立証されず,「強制的に売春婦をやらせた」事実は認められませんでした.文玉珠や金学順の証言では「親に売り飛ばされて売春宿に入った」とありますし.

JSF in mixi

宋 神道(ソン シンド)さん

−−引用開始−−
 数え16歳のとき,母親によって結婚をさせられるが,式の日の夜に逃げ出し,家を出る.
 「戦地に行って御国のために働けばひとりでも生きていける」と騙され,中国中部の武昌へ.
 「世界館」という慰安所で兵隊の「慰安」を強要された.
−−引用終了−−

 宋さんを騙した(儲かると言って,売春行為に勧誘した)のが,日本軍なのか,現地の売春業者なのかどちらなのでしょうか?

 その見解について,在日韓国人三世のブログも紹介します.

−−引用開始−−
 読んでみて思ったが,大事な部分がすっぱり抜け落ちている.
 「誰に」騙され,「誰に」強要されたのか,そここそが従軍慰安婦問題の最大の論点だったはずである.
 なぜ「日本軍によって」と書かなかったのだろうか.
 書かなければ嘘ではない,というのは残念ながら真実だが,その代わりに印象操作というレッテルを貼られる.

 この従軍慰安婦問題というのは,旧日本軍による慰安行為の強要や,連行による慰安婦の確保があった確たる証拠がなく進んできた.
 資料がない,証拠がない,証言のみがあるという状況だ.
 証言は裏づけが無ければ説得力を持たない.
 なんとなく可哀想というイメージを利用され,従軍慰安婦という言葉だけが一人歩きしてきたのだ.
 それは強制連行と同じロジックである.

 当時の,60年以上も前の時代背景を考えると,まだ娘を売るということが行われていた時代である.
 売春が合法であった時代である.
 慰安という商売をすることで何とか生計を立てるしか無かった女性もいただろう.
 それらは現代の常識や法律で裁かれるべきではない.

 論点は日本軍による強制性があったか否かである.
 お金を出して女性を買っていたのであればそれは合法的行為であり,当時の戦争犯罪ですらないし,現代に訴訟を起こされる謂れのない行為である.
 無論,慰安婦は生活のための仕事であり,本心ではやりたくなかった女性もいただろう.
 しかしそれはその時代時代の悲劇のひとつであり,国家に責任を擦り付けるべきことではない.
−−引用終了−−

 〔略〕 参考までに他の意見のサイトも紹介します
http://www.ii-park.net/~imzapanese/rekisi/ianfu.htm
 簡潔に要約します.
・当時,強制的に徴用されたのは「女子挺身隊」
・ただし「女子挺身隊」は売春ではなく,工場で労働
・日本軍対象の売春は「日本軍」ではなく「民間業者」が行った
・売春婦は「民間業者」に金のため身を売った(親に売られた),もしくは「民間業者」に騙された
・「日本軍」が強制的に売春婦を集めた事実はない
・「朝日新聞」は「従軍慰安婦」の捏造大キャンペーンを行った

nokan2000-民間防衛 in mixi


 【質問】
 従軍慰安婦問題が教科書に載ることについて,日本の教育現場ではどのような弊害が起きているのか?

 【回答】
 安直な,誤解を与えるような説明が蔓延り,かえって真実を歪めている点で問題がある模様.
 以下引用.

 〔略〕
 この〔従軍慰安婦の〕部分を教師は如何教えたのだろうか.
 慰安婦の「お仕事」は高校で教えられる様な内容ではない.

 その点,慰安婦が強制連行されて一箇所に監禁され,性的暴行を受けたと加害者と被害者を対比して説明する方が簡単で明快である.
 手抜き授業には適している.

 しかし,本当に歴史を学ぶ為には戦前の公娼制度や廓についても知らなくてはならない.
 更には女衒や前借金による人身売買についても学ぶ必要がある.

 その上で日本軍と「慰安婦」の関係を調べ,何故そういうものが出来たのか,世界各国の軍隊は性をどの様に扱って来たかという事まで勉強して,はじめて一つの単位になる筈だ.

 そんな勉強をしている暇があったらもっと他の事を学べと言いたい所だが,行きがかり上そうなる.

 本来は娘を売るほど疲弊した農村の実態や娼妓一人ひとりの生い立ち,環境は如何だったか.時代背景は如何だったか.娼妓に身を落とした女性を通じて社会を見るのが授業というものである.

 私の若い頃は未だ赤線のある時代だったが,彼女達の身の上を知って深く同情し,私は一度も赤線に足を向けなかった.
 授業をする以上,そこまでやらなければ慰安婦など記述する必要はない.

 私がこの問題に関心を持つ様になったのは昨年2月だ.朝日新聞が特集で慰安婦問題を取り上げ,「慰安婦」が性的暴行を受けたと解説しているのを読んだからである.
 恐らく若い記者だろうが当時の公娼制度すら頭に無いのだ.
 素人娘を相手に何処かの大学の運動部員が乱暴したというイメージしか湧かないのであろう.

『第2次大戦当時,日本軍に連行され集団で性暴行にあい,強制的な堕胎,電気拷問などの蛮行を受けた被害者はブッシュ大統領でもなく米国国民でもない,韓国や中国などアジアの女性20万人だ』
 これは朝鮮日報の記事だが,韓国の「慰安婦」に対する認識はこの様なものである.
 これと同じ認識を日本の記者が持っているのだから驚く.

 ところがその被害者である筈の女性の一人は日本の敗戦で解放された時,家が2,3軒買えるほどの貯金を持っていたのである.
 彼女達は少なくとも「商品」であった.
 商品に電気拷問をかける理由がない.
 〔略〕

「国民年金の花柳な生活」,2007/06/29
※「おきらく軍事研究会」に転載されたもの

 「いい国作ろう,鎌倉幕府」のようなものである.

 それにしても,「正しい歴史認識を」を主張している連中が,上述のような弊害について何も指摘しないのは,実に不思議でなりませんな.


 【質問】
 「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」とは?

 【回答】
 表向き(非現実的な)反戦平和を掲げる市民団体の一つ.
 しかし,不審を持たれても仕方ないような内実を内包している模様.

 公式サイトでは,会の主旨は以下のように述べられている.

http://www.space-yui.com/seisaku.html
 平和・憲法  暴力,戦争,軍隊につながるすべてに反対し,平和憲法を守り抜く.
 国際交流を積極的に進め,市民の「安全保障」を創り出す.
----------------

 そして同じく公式サイトでは,その責任者について

http://www.space-yui.com/koudoseimei01-9.htm
共同代表 高里鈴代,糸数慶子

と紹介されている.
 この人たちはいったいどんな人物なのか?

(1) 高里鈴代の巻

 以下のサイトによれば,慰安婦問題に熱心な人である模様.

(a)
http://www.space-yui.com/purofiru.htm
著 書  
『沖縄のおんなたち 女性の人権と基地・軍隊』(明石書店 1996)
そのほかに,那覇女性史『なは・女のあしあと』に「強制従軍『慰安婦』」
戦後の「特飲街の形成」
「基地と売買春」など執筆
論文多数

1997年「土井たか子人権賞」受賞
(b)
http://www.jlp.net/news/980615b.html
 高里鈴代氏は,「調査の結果,沖縄には百三十カ所以上の慰安所があったことが分かった.一九四四年三月に日本の最南端の領土を守る防衛部隊が編成され,その中心になった部隊が,中国から慰安婦を連れて沖縄にやってきた.だから,沖縄の慰安所も,全体の政策とつながって設置された.そして沖縄はなんの断絶もなく,日本軍のつくった慰安所から,米軍が強姦を始め,そして米軍が使用する売春宿がつくられていく場所となった.今回のこの取り組みは,慢性病のように続いている沖縄の状況ともつながっていくことが大事だと思う」と,報告と問題提起を行った.

(c)
http://yeoseong.korea-htr.com/jyoseihoutei/seimei.htm
日本の植民地主義の歴史責任を明らかにし,戦後賠償に基づく日朝関係の正常化を求めるアピール

 アジアの近現代史は,帝国日本の国家暴力によって,アジアの人々の生命や生活が破壊され,個人の尊厳が踏みにじられた時代でしたが,日本政府はその歴史的責任を隠蔽し続けてきました.その国家暴力がいかにおぞましいものであったかは,1990年代にカムアウトした日本軍性奴隷制の被害女性たちによって明らかにされました.心身に刻みつけられたトラウマ記憶を証言する被害女性たちの訴えにもかかわらず,日本政府はその告発を依然として無視し続けており,その意味で国家暴力は継続しています.

 また,あの悪名高い「女性国際戦犯法廷」の関係者の一人でもあるという.
http://www.interq.or.jp/world/mado/himitu/kougi2.txt


 信憑性不明だが,上記リンク中に名前が出てくるバウネットは,朝鮮総連との繋がりがあるとの指摘も.
http://www.nomusan.com/~essay/essay_16_chuche10.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019559&tid=kldabaafaa5ffe9aldbj&sid=552019559&mid=1118

(2) 糸数慶子の巻

 こっちの人は元参院議員なんだけど,御本人のサイトやブログによれば,こちらもなぜか慰安婦問題にやたら熱心.
 以下引用.

(a)
2006年度 糸数けいこの国会活動報告

3月29日 (水)
7度目の提出―「慰安婦問題解決促進」法案
 3月29日,民主・共産・社民の3党と無所属議員(発議者=岡崎トミ子・円より子・千葉景子・和田ひろ子・喜名昌吉〈以上民主〉・吉川春子〈共産〉・福島瑞穂〈社民〉・糸数慶子〈無所属〉議員)が参議院に「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を共同で提出しました.

(b)
うみないび

反ヤスクニで大結集−日本全国,韓国,台湾から

 8月11〜15日,沖縄の反靖国の団体,韓国,台湾の皆さん,日本の平和遺族会の団体などが「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」を行いました.

 そしてやっぱり,北韓(北朝鮮)との関係も取り沙汰されていたりする.
 しかもこちらは,高里に比べれば確度の高い傍証つき.

 以下引用.

季報・随想集

 〔略〕
 〔2007年沖縄県知事選において,〕一方,糸数陣営は人選のもたつきと,中道勢力と左翼の主導権争いが終盤まで続いた.
 しかも糸数氏は,経済より「普天間基地を含む米軍基地県外撤去」というイデオロギーを前面に押し出した事が敗因となった.
 その中で選対本部長で,社大党党首の島袋宗康氏が注目を引いた.
 彼が全国チュチェ思想普及会の役員で熱烈な北朝鮮シンパである事は県内外でつとに知られている.
 彼らの選挙ポスターに「沖縄差別撤廃」というものがあったが,昭和47年の沖縄返還時,このような勢力が県内を跋扈し,経済を大混乱させた事を彷彿させられた.
 〔略〕

 なんだかどちらも,平和運動とは程遠いことをやっているような.

 いくら過去の日本の行いを叱責しても,それが反戦平和に繋がるとはとても思えないし.
 そればかりか,慰安婦の強制性はほぼ否定されているわけで,にも関わらずそれを執拗に連呼するということは,不審がられて当然のような気がする.

 ところが,こんな人たちの書いていることを,疑いもせずに引用している人がいる.
 小林よしのりという漫画家.
 『SAPIO』2005/4/27号,p.64欄外において,

----------------
 このページの引用文献は,「沖縄・米兵による女性への性犯罪」(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)です.ここに挙げたのは強姦事件だけ.
----------------

と書き,戦後,沖縄で起きたとされる米軍による強姦事件を,同じページで列挙している.
 あれほど慰安婦問題では,「軍の強制はあった」派を罵っていた小林が,その「軍の強制はあった」派の言葉を米軍に関してだけは鵜呑みにしているのだから驚きです.
 「反米のためならなんでもアリ」という姿勢は感心しませんね.

 強姦事件があっただろうことは否定しませんが,慰安婦問題ですでに明らかなように,この手の人たちというのは,論を事実より優先させる傾向があり(猪瀬直樹)ますから,『沖縄・米兵による女性への性犯罪』においても誇張や捏造による水増しを疑うのが当然でしょうに.
 もし仮に
「鵜呑みにはしていない」
とでもあれば,クロス・チェックに使った,客観的と考えられる文献も併記すべきですし,そもそも,客観的と考えられる文献から引用すれば済む話ですね.

糸数慶子画像(webアーカイブから引用)


◆◆◆食事関連


 【質問】
 旧日本軍経験者の手記では,兵隊は軍の給食だけでは物足りず,いつも腹をすかせていたように書いてありました.大戦中のあらゆるものが不足していた時期でなく,大正から昭和初期の平和な時代でも同様に兵は腹をすかせていたようです.
「一膳飯とは情けなや,仏様じゃあるまいし・・・」
みたいな愚痴が書かれてありました.

 そこで質問なのですが,平和な時代においても給食が充分な量でなかったのは何故でしょうか?
 平時からすでに食糧難だったのか,それとも兵のハングリー精神を養う為にあえて飢えさせていたのか.

 単なる食糧難かと思いましたが,農村から徴兵された兵の
「農村にいた時は質はともかくとして,量が不足した事は無く腹一杯食べられた.兵隊になって食料の少なさに驚いた」
みたいな意見もあったのでどうなんだろうと思いました.

 【回答】
 「軍隊調理法」というテキストがあり,太平洋戦争以前はなら一定以上の食料水準が確保されていたらしい.
 それによると米は一人一日六合,一汁一菜が基本とあります.これが維持されていたようです.
 一食につき米は二合となり,これは大きめの茶碗一杯半ですから,当時の地方の食事よりは量が多いです.
 カロリーの目安として,4400K(海軍)というのもありますし,現代人が普通に生活してたら太るくらいの量はあった筈です.

 では何故か?と考えるに・・・

1)世代 現代でも学生くらいの世代はよく食う.

2)仕事 重労働で気も休まるひまがない

3)食事形態 落ちついて消化吸収が好く食える状態ではない.

4)柵の中なので,食い気に走り勝ち
 これは心理的なものなのですが,核シェルター等に入れられてしまうと,ひたすら食い気に走る人が多いとか.プロスポーツ選手がキャンプ中は,食事が一番の楽しみと言うのとかに近いかも.

5)調理法が一般家庭と異なる
 伝染病を恐れて,圧力釜等を多用する等一般家庭の調理法とは違う.

6)定量ではない
 米と麦を半々にして炊くのだが,心情的に米を多くしてしまう.そのため麦が余り,検査の前日廃棄してたと某海軍出身者が書いてました(高橋猛「海軍めしたき物語」,新潮社).
 定量から多少の誤差はあったはずです.

7)都会人と地方人との間の価値観の大きな差.
 当時の農村は現代に比べ,流通が未発達であったため,おかずの種類が少なかった.
 で,ビタミンを所要量摂取するために,大量の米を食べる必要があったわけです.(米には多種類のビタミンが含まれるが,微量なため) で,『一升飯』なんてことばがあったくらい,大量の米を食べてた人たちから見れば,ちょっとくらい茶碗が大きくても,軍隊の食事量は全然物足りないわけで.
 もちろん,地方や農家によっても差はあります.

 まあ一番大きいのは個人差かも.東北の貧農出身者にとっては,軍の食事は
「味はまあまあだけど,盛はよかったな」
と思えるくらいだった,という話もあります..


 【質問】
 羊羹と日本軍の関わりは?

 【回答】
 大東亜戦争中,羊羹は民間では贅沢品とされ,あまり流通していなかった.
 だが,軍向けには嗜好品として作られていた他,戦後も売られていた「ゴムの皮に包まれ,どこかを噛むとくるりと皮がむけて,一口で食べられる球状の羊羹」が,もともとは航空兵の飛行食として開発されたものであったため,優先的に原材料が回され,全体としてみれば,むしろ羊羹の生産は平時より盛んであった.

(軍事板)


 【質問】
 旧海軍の話なのですが,兵士が自前の食料を基地内に持ち込む事は禁止だったようです.
 ある兵士が,外出中にお菓子買ってそれをポケットに入れて持ち込もうとしたら,警衛所の兵に見つかってしかられたとか.

 そこで質問なのですが,なぜ私物食料の持ち込みは禁止だったのでしょうか?
 なまものなら食中毒予防かもしれないですが,保存の利くものもいけなかったみたいです.
 また,私物食料持ち込み禁止されていたのは兵だけで,下士官・士官は持ち込んでも良かったのでしょうか?

 【回答】
 陸海軍を問わず,外部から食糧を持ち込むことは原則として禁止.
 理由は仰るとおり,食中毒の発生及び病原菌の持ち込みを防止するため.
 保存の利くものも禁止だったが,それも理由は同じ.
 もっとも,当時の食品加工技術では保存が利くと言っても,たかが知れているとは思うが..

 例外は家族が面会に来たときで,この時は家族のもってきた弁当などを面会所で食べることは黙認されていた(認められていたわけではない).
 また,士官クラスになると多少は持ち込みをしていたようだが,保存設備があるわけではないので,持ち込んだその日のうちに消費できるものしか持ち込まなかった模様.


 【質問】
 日本軍は,大陸などに展開する師団の中に自活班を置いて糧食やらを自弁していたようですが,この自活班の編成にさいして,どんな用意がされてたのでしょうか?

 南方に展開する部隊の兵隊向けに「ジャングルで食べられる野草」パンフレットが配布された,と聞いて,師団バラバラじゃなくて,じつはかなり大掛かりなものだったのかな,と疑問に感じました.

 【回答】
 情報に関しては,大本営陸軍部で編纂された所謂「戦訓報」,「戦訓速報」によって,各部隊の有効な経験を各方面の部隊に展開するようにしています.
 例えば,「戦訓速報」第二号には,南方第一線から南方への転用部隊に対する教育訓練についての提言で,大まかな情報が寄せられていますし,戦訓報第十四号では,無煙竈の作り方について満州の部隊で研究した結果を公開しています.
 また,「現地自活(衣糧)の勝利」と言うマニュアルが陸軍省経理局衣糧課で編纂されて各部隊に配布されました.
 これは,随時追加,改訂が成されています.
 これをベースに南方軍は独自に「南方地域現地自活教本」を編纂し主要部隊に配布しています.

 但し,兵要地誌については,陸軍の研究は後手に回っており(本格研究は1943年以降),現地に行って初めて,これが必要とされるケースが多かったわけで.

眠い人◆gQikaJHtf2

自活班

(うそ)


 【質問】
 本当に日本軍は人肉を食べたのか?

 【回答】
 日本軍は人肉を食料としていたという逸話は各地に結構残ってる.
 有名な「味方は食うな」という命令が出たのはニューギニア戦線で,1944年12月,第18軍司令官から
「連合軍の屍肉を食うことは許すが,友軍の屍肉の場合は処罰する」
旨の軍令が発せられ,違反した4名の兵が処刑されたというのが日本軍記録に残っており,1946.12.11の東京裁判でも有罪となった.

軍事板

 以下は体験談より.

[quote]

 第2次世界大戦中,フィリピン戦線では約50万人の日本兵が戦死し,その多くは餓死だったと言われる.
 〔ダイエー創業者の〕中内氏は,人肉食いの噂もつきまとうその地獄の戦場から奇跡的に生還した過去を持っている.
 インタビューするたび,中内氏は国家への不信を語り,靖国神社には戦友に申し訳なくて近づくことができないと言って,怯えた表情を浮かべた.
 統制経済に真っ向から刃向かい,価格決定権をメーカーの手から消費者側に奪い返す「流通革命」を呼号したのも,ロジスティックス(兵站)という発想をまったく欠いたまま,一兵卒の自分を戦場に丸裸のまま「棄民」した国家的なるものへの反逆だった.

 〔略〕

 10年前の阪神淡路大震災で,中内ダイエーはフェリー,タンクローリー,大型トラック,ヘリコプターなど,同社が持つロジスティックスのすべてを動員して,被災地神戸の救援に向かった.
 手を拱(こまね)くばかりの日本政府の対応の遅さとは対照的な迅速さだった.

 〔略〕

 ダイエーの原点となったフィリピンの戦場について尋ねたとき,中内氏は奇妙な質問をして私を困惑させた.
「戦争でいちばん恐ろしいものは何だと思います?」
 私は平和ボケを丸出しにして,「敵の鉄砲の弾じゃないんですか」と答えた.
 すると中内氏は思わぬことを言った.
「いや,そうじゃない.隣の日本兵がいちばん恐ろしかった」
 それを聞いた瞬間,人肉食いの噂が生々しいリアリティをもって迫ってきた.
 中内氏はさらに率直に,
「眠るといつ隣の日本兵に殺されるかと思って,眠れなかった」
とも言った.

[/quote]
―――佐野眞一 in 『文藝春秋』2005年11月号,p.132

[quote]

 〔1945年1月下旬,〕やっとの思いでマニラに帰り,マニラ東方山地に逐次撤退したが,この日本軍に対しナパーム弾で焼土作戦〔原文ママ〕に出たため,日本軍は山岳地帯に追い込まれ,食糧が極度に不足し,ついには日本兵が日本兵を射殺して,その肉を食う光景を目撃した.

[/quote]
―――高橋馨 in 『比島に散った野戦自動車廠の記録』(比島派遣野戦自動車廠戦友会,開発社,1989/8/15),p.253


 【質問】
 よく,旧日本軍の餓死の話を聞きますが,ぶっちゃけ人間は,水と塩があれば1月は生きますし,まわりは全部海でしょ?孤島
 何であんなにアホみたいに餓死するのかよくわかりません.
 なんで海水飲まないんですか?
 ひょっとして知らなかった?

 【回答】
 人間は体内の塩分濃度を調節する能力に乏しいので,塩水を常飲して水分を補給すると体が耐えられない.
 腎臓を始め内蔵に重大な疾患が出る.

 また,餓えている時に塩分濃度の濃い水を飲むと,渇水感が酷くなる.
 程度によっては発狂することも.

 南方に取り残されて食糧と水の不足に苦しんだ人たちの中には,海水を煮詰めて塩を作り,蒸留して真水を作ることにチャレンジして,それで命をつないだ人もいたとか.

軍事板

 この質問者に賛成というわけでは有りませんが参考までに.

 アラン・ボンバール本人が行った漂流実験の結果等から,水ないし魚(海)を搾った液体で海水を薄めた物でも健康で精神力さえしっかりしていれば,生き延びることが出来る可能性が有る事が示されていると思います.
http://homepage2.nifty.com/MLRI/new_page_6.htm
の6.もご覧ください.
 なお,食糧不足な時点で,〔健康で,という〕前提条件が崩れてますよね.

部外者 in FAQ BBS

 反面,その手の海難事故が起こったとき,遭難者の90%は三日以内に死ぬって推定が出てます.
 水や食料の欠乏ではなく,『絶望』が死因だそうです.
 ソースは『大西洋漂流76日間』(スティーヴン・キャラハン著,早川書房,1999.5).

極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS

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    レ' ム-''´lヽ、  _,,./! ゙ヾ!__ヽ!    ヽ´ヽ、ヽ
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        /| _,,.-/´  ;; .,,,-!  ヽ、 ヽ、 | | ! l


 【質問】
 第一次大戦での日本で捕虜生活を送ったとドイツ兵捕虜によって,日本にパンケーキ等の西洋の食べ物が現代も其の味を伝えているように,日本兵が駐留した南方で,お寿司や赤飯,梅干等の日本的な食べ物遺産は,現地に残っているのでしょうか?

 【回答】
 たとえば,タイに駐留してた部隊の話
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1813822
が伝わっています.

 あと,陸路でポートモレスビーを攻略すべく上陸した日本陸軍から鯖缶&ご飯を貰ったパプアニューギアでは, 「サバ缶ライス」として現地でごちそうとなっている,という新聞記事を読んだ覚えが.
 皮肉にも,サバは目の前の海で採れるのに,缶詰工場がないため,日本から輸入しているそうで.サバ缶輸入の最大手国になったり.

軍事板


 【質問】
 旧軍は戦闘地域でも白米を主食にしていたと聞いたのですが,そこで餅とかの支給はなかったのでしょうか?
 餅は保存性も利くし,火を通せば食べられるようになり,米を炊く時のように水も要らないし,少量でも満腹感があるので戦闘糧食としては理想的だと思うのですが,どうでしょう?

 【回答】
 増加食や加給品として「餅の素」が製作されています.
 信州などで古くから食べられていた「氷餅」がルーツのインスタント粉末餅です.
 氷餅とは,冬季,搗きたての餅を軒下にぶら下げて凍結・乾燥させたもの(高野豆腐と同じような製法)で,湯で戻して食べます.

 もち米の粉を煮て型に流し固めたものを使う方法もあり,「餅の素」はこの製法だと思います.

 民間で流通しているような餅は,祝い事のときなどでは支給される事もあったが,通常の糧食としては餅は使われない.
 餅は内部に大量の水分を持っているため,かびやすく,炊飯前の米と比べて保存性が著しく劣るため.
 また火を通さないと食べられないため,乾パンのような即応性がないし,乾燥して内部の水分が抜けると焼いても柔らかくならない.

 簡単に言えば,
「買い置きしてるお米.
 正月に飾った鏡餅.
 日持ちするのはどっちでしょう?」
ということ.

 まあ,今は真空パックとか色々加工された餅が主流なので,鏡餅がカラフルにカビることを知らない人が多いのでしょう.
 そういう餅しか知らないと,「餅は保存が利く」と誤認識するのでしょう.
 あれは現在の技術で色々しているからカビないのであって,餅は本来カビやすく,保存食には不向きです.

軍事板


 【質問】
 食糧不足解消のため,戦地にさつまいもの種を大量に送って自活させれば,兵士が飢えることもなかったのでは?

 【回答】
 サツマイモは確かに救荒食物ですが,どこでも適当に育てられるもんでもないです.
 というか農作物作るのがそんなに簡単でないというのは,植生自体は割と豊かなインドやフィリピンが食糧自給に苦労したことを考えても分かるかと.

 また,赤道直下の熱帯地域では,サツマイモやジャガイモは虫に食われてすぐに駄目になっちゃうんだよね.
 タロイモ類は青酸化合物を含んでるから虫も食えないので生き残った.
 タロイモを食用にできるのは人間だけ.
 人間なら道具を使ってデンプンだけを取り出せるからね.

軍事板


 【質問】
 せっかく日本人は刺身を食べられるのに,南方で補給が途絶えた部隊は,魚を釣らなかったの?

 【回答】
 魚を獲ったり釣ったりした人は沢山いた.
 でも,日本とは全然生息してる魚の種類が違うので,どれが食べられる魚なのかよく解らず,毒のある魚に当たって死ぬ人が続出した.

 手榴弾や砲弾を使ったバクダン漁(水中に爆発物を投げ込んで爆圧で気絶して浮いてくる魚を捕まえる)も熱心に行われたが,やっぱり「食べていい魚と駄目な魚」の区別がよくつかず,やっぱり当たって死ぬ人が続出した.

 また,昼間海に出ると,よく通りすがりの米軍機に銃撃されることになった.
 いわゆる飛び石作戦で,直接的な侵攻なしで放置された地域も,海岸沿いは,船舶による補給の遮断を目的とする哨戒が行われていて,発見されると攻撃されるので,海岸線にさえおちおち出ることが出来なかった場合があるという.
 そういった哨戒や攻撃は,間断なく延々と継続したわけではないが,レーダー等で事前に確実に察知することができなかったのだから,当然,のんびり釣りとかをしているゆとりなど存在しないのが普通としか考えられない.

 とある人の手記には,たった一つ残った手榴弾を巡って
「バクダン漁をするか自爆自決用に温存するか」
で揉めて殺し合いになった,という何とも言えない話がある.

軍事板

 まあ,軍艦で釣りは行われることがあるが

 【質問】
 何で旧日本軍は,自活用に「食べられる魚」図鑑や「食べられる植物」図鑑を用意できなかったんでしょうか?

 あらかじめは無理としても,南方で3年も戦っていれば,こういうものの必要性とか分かるんじゃ?

 【回答】
 大量の将兵を自活させるためには,将兵の大半を漁労・採集などに従事させる必要がある.
 軍隊の本来の目的は戦闘なのだから,自活のために多大な労力を割くのは本末転倒.

 末期のラバウルは,畑を開墾したりして自給自足生活を送っているけれど, これは同地が連合軍から事実上無視されていて,戦闘らしい戦闘がなかったから可能だったことで.

 現地で手に入る食料に関する研究をするくらいなら,内地から十分な食料を送る算段をする方が効果的.

 史実の日本軍がどちらもできなかったのは,また別の問題.

 さらにいうと,そんな本があっても30万人を超える兵力を養えるほど,魚や植物を現地で確保できるわけがない.
 そんな物が都合良くあちこちに生えていているものではないし,生えていても,大人数ではすぐに食い尽くしてしまうのが落ち.
 他のどこかに生えていても,密林ではまともに入り込めない.
 そういった地域で,サツマイモの苗がもたらされて一息ついたという話はある.
 ラバウルでの自活の状況を調べろ.

 さらにまた,上述のように,釣りができるほど海岸が安全というわけでもなかった.

 ただ,その辺は本土決戦に備えた「自活の方法」や「食糧不足を凌ぐ工夫」としてかえりみられることになり,
「これを全国民が実践することにならなくてよかった・・・」
ということになった.
 今みたいにアウトドアがブームになる前の「災害・遭難時の手引き」みたいな本には,明らかにこの戦争末期の本土決戦に備えた自活法が元ネタになってるものが結構ある.

 あと,日本陸軍はずっと満州でソビエト軍と戦うことだけを考えて軍を整備して来たので,南方で戦うことを戦争が始まるまでほとんど想定していなかった.
 「携行糧食」の研究にしても,まず第一に求められたのは「凍らないこと」だったりしていて,南方は視界外想定外だったというのが本当のところ.

軍事板


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