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「MURAJIの戯れ言so-net blog版」◆(2010/08/17)厚生労働省の戦没者認定聞き取り資料
朝風(戦争体験記)
「朝目新聞」●あなたのおじい様の戦争体験をおしえて (of にくろぐ.)
「朝目新聞」●お前らの爺ちゃん戦争中なにしてた? (of イフカルト)
「朝目新聞」●戦争が起きていなかったら日本はどうなっていたのか (of ちょっとアレなニュース)
「朝目新聞」●体験者に聞く太平洋戦争(第二次世界大戦) (of 肉汁が溢れ出ています)
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ごちゃまぜ歴史写真(相互リンク)
「神速(´・ω・)VIP」:スイーツ(笑)だらけの太平洋戦争
「神保町系オタオタ日記」■(2009-06-22)[図書館]北京近代科学図書館員菊池租
大陸での文化工作
「それにつけても金のほしさよ」◆(2011/01/10)やる夫で学ぶ昭和天皇 前編
●書籍
『おかあさんの木』(大川悦夫著,ポプラ社,2005.10)
最近の某作家でやらかしたポプラ社ですが,児童向けには良い本を出しています.
今手元にあるのが,「おかあさんの木」です.
私が小6の時に,教科書で読んだタイトル作品の他に,火のなかの声,ぞうとにんげん等が登載されています.
新書版で570円ですから,非常にリーズナブルです.
息子7人を兵隊に取られ,ただ一人,五郎だけがビルマ戦線から帰国した時,既におかあさんは息絶えていました.
その悲しみを追体験するのに,戦記読者である自分が共感せずして,一体誰が共感するのか!と,原点に返る本です.
――――――ZII ◆RPvijAGt7k :軍事板,2011/02/23(水)
『戒厳 その歴史とシステム』(北博昭著,朝日新聞出版,2010.2)
日本の戒厳制度の改正と,背後の思想についての本.
一言で戒厳令といっても,時代によって中身が変化してるというのを類型論で語ってる.
著者は,日本の戦前軍事法についての貴重な研究者.
なお,先行研究としては,大江志乃夫『戒厳令』(1978)というのが岩波新書に入ってる.
――――――軍事板,2010/03/14(日)
『清沢洌 外交評論の運命』(北岡伸一著,中公新書,2004.7)
>石橋湛山と並んで戦前期における最も優れた自由主義的言論人といわれた清沢洌(きよし)の評伝
『決戦下のユートピア』(荒俣宏著,文春文庫,1999.8)
要するに,戦争中の日常を,当時の資料を基に描いているわけだが.記憶のままにトピックを書き出すと
・ビールの泡はビールか否かで裁判沙汰に
・兵士向け結婚相談所の内幕.
愛があれば腕の1本や2本無くても……という娘と,娘の結婚相手に兵隊を選びたくない母親.
・村を挙げての節約で戦時国債を買い込む
・子供向け将来兵器コンテスト.優勝はドリル戦車.
しかし,専門家から容赦ない突込みが入る.
その他色々.
------軍事板,2012/01/17(火)
『作家と戦争』(森史朗著,新潮選書,2009.7)
すごい内容です.
吉村昭・城山三郎両氏の作家人生をまとめている本です.
この森さんという人はなぜこうも戦史が書けるのだろう?と不思議に思っていたのですが,城山氏,吉村昭氏と関係が深かったのですね.
実に多くの戦記の題名が出てくるので,これから読んでみたい,これもまだ未読だと思わせる面白い本です.
これ1冊で,何冊もの戦記を読んだような気にもなります.
「指揮官と特攻」の話など興味深かったです.
既読の戦記ではフィクションかな?と思っていた「逃亡」が,とりあえずフィクション認定はされていないのと,他には戦艦武蔵の戦記がどういった経緯で突然出されたのか,詳述されています.
森氏には今後も海軍戦史の執筆を続けて欲しい.
――――――軍事板,2009/12/22(火)〜12/23(水)
『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』(土屋礼子著,吉川弘文館,2011.12)
『大日本帝国の領事館建築』(田中重光著,相模書房,2007.10)
中国や朝鮮,満洲に於ける外交公館24カ所の建設過程や,その狙い,建築家登用の経過,利用技術について解説した本.
近代建築史からすっぽり抜け落ちている,海外に於ける日本人建築家の作品について,その間隙を埋めるものと言える.
―――眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年11月24日20:27
『太平洋戦争図書目録45/94』(日外アソシエーツ,1995.7)
戦後50年間に日本国内で刊行された,太平洋戦争に関する図書14,200点を集録
『太平洋戦争図書目録1995-2004』(日外アソシエーツ,2005.8)
1995〜2004年に国内で刊行された,太平洋戦争に関する図書の目録
『太平洋戦争,七つの謎 官僚と軍隊と日本人』(保坂正康著,角川書店,2009.12)
太平洋戦争に関して,あまり取り上げられてこなかった項目を,日本軍関係のノンフィクションで著名な著者が取り上げて,トピックごとに講演録をまとめた本.
概説書ではないので注意が必要.
今までなかなか取り上げられてこなかった論点,例えばシベリア抑留者による集団訴訟の経過や,特攻隊員が突入時恨み事を言っていた,といったようなことが取り上げられており,恥ずかしながらこうした事を知らなかった身としては,大変興味深い.
また,著者の経験に即した官僚論にも,一見の価値はある.
しかし一方で,感情がやや先走ってしまっている部分もある.
例えば著者は,終戦時における開戦の認識を,東條首相兼陸相兼内相,東郷外相,嶋田海相で比較しているが,引用されている記述が東條のみ終戦直前(1945年8月初頭)で,他の2人は終戦後数年して書かれたものであるというのは,不公平であろう.
また,講演録の編集なので,非常に読みやすいが,一方で章ごとに少々齟齬がある部分もある.
あと,高射砲は地上を射撃するものではない….
しかし全体としてみれば,新書らしく大変読みやすく,太平洋戦争の概要を知った上で,もう少し突っ込んだ議論を読みたいという場合には最適だろう.
――――――軍事板,2010/11/03(水)
『大日本帝国の興亡』(ジョン・トーランド著,早川文庫,1984.7)
『帝国ホテル厨房物語』(村上信夫著,日経ビジネス人文庫,2004.7)
元帝国ホテル総料理長の自伝.
中国戦線〜占領下での,料理に関する話は面白かったな.
中国戦線
→作戦前夜,兵士に美味いものを食わせたいと,カレーを作る
→参謀が怒鳴り込んできて,こっそり耳打ち.「後で俺にも食わせろ(ニヤリ」
シベリア
→粗末な食材をやりくりして美味くしようと工夫してたら,あやうくソ連軍士官付のコックとして連れていかれそうになる
占領下
→GHQでコックやってたら,年代物のワインの価値が分からない士官か,「司令部地下に古くさい酒があったんで,好きに使って構わん」
→年代物のワインを,山のように料理に使っちまった
――――――軍事板,2010/12/30(木)
青文字:加筆改修部分
『同盟国タイと駐屯日本軍 「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』(吉川利治著,雄山閣,2010.11)
前に購入報告したときに,「書評頼む」と言われてた本だが,ようやく読んだよ.
著者は大阪外大出で,京大東南アジア研究センターにもいた学者さん.
タイで客員教授をしていた時期もあり,最期も2009年にタイで亡くなった方.
本書は書き下ろしじゃなくて,論文4本を再編集したもの.
第1章が,ピブーン視点での対日外交全般の整理.
第2章が,タイ駐屯軍について主に中村明人回想からまとめたもの.
第3章が,戦時中のタイ米の取引について.
第4章が,対日連絡機関の活動について.
出典は脚注式ではなく,巻末文献リスト.
主にタイ語だけどな(笑
タイの公文書館にある一次史料をたっぷり使ってて,例えば閣議でピブンがした,日本を警戒するような発言とかいくつか引用されてる.
シュムレア事件とかパーゴーン事件みたいな,日本軍との紛争事案についても,わりと詳しく書かれてて,勉強になった.
独立国のプライドを大事にせんといかんと感じさせる.
個人的に一番おもしろかったのは,第3章.
米の輸出先を失って困ったり,逆に大戦後半になると買占めで高騰しちゃったり.
米の量の数字自体が,不確定な部分があって,もうちょっと研究の余地がある感じでもある.
-----------------軍事板,2011/12/20(火)
『満洲・重い鎖』(多田茂治著,弦書房,2009.7)書評−−牛島春子にとっての満洲国とは何だったのか <浦辺登
『「満州国」見聞記』(ハインリッヒ・シュネー 著 )書評――第二次世界大戦を考察し,背景として読む見聞記<浦辺登
『満州事変と政党政治 軍部と政党の激闘』(川田稔著,講談社,2010.9)
『容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別』(ジョン・ダワー著,平凡社,2001.12)
本書は,太平洋戦争における差別問題を論じる上で,良くも悪くも避けては通れない研究である.
ダワーは公文書を基調とする古典的な実証研究に代え,新聞記事,映画,ポスター等を分析することで,大戦中の日米両国民が描いていたプロパガンダ・イメージそのものを描き出した.
こうした著者の姿勢に実証性の不足やある種の恣意性,もっと露骨にといえば思想の偏向を感じる向きは少なくないだろう.
また,本書で挙げられた日米双方の残虐行為について,その一つ一つを精査することなく,手当たり次第に列挙している,という批判も出来るだろう.
しかし,本書が日米双方の過失を(双方に厳しいという意味で)平等に追求できたのは,ダワーが保守思想とはいかなる意味でも無縁の――率直に言えばリベラル・レフトな――人間だったからこそだろう.
とりわけ,二次大戦で生まれた「敵としての日本人イメージ」が,冷戦の始まりと共に,元同盟国として賞賛されていたはずの中国人・ロシア人に転化されていく過程は,ベトナム戦争に激しく反対し,9・11以降の愛国主義に懸念を示してきた著者の面目躍如といって良い.
戦史研究や外交政策の分析では描けなかった(もしくは,意図的にタブー視してきた)戦争の一側面に,本書は文字通り「容赦なく」切り込んだのであり,その意味においてダワーの業績は,欠点を補って余りあるものだといえよう.
後,付け加えるとすれば,著者の問題意識の背後には,常に現代への視点があるということか.
ベトナム戦争(というより冷戦)についてもそうだが,本書の初版(1986年)が出版された背景には,バブル経済下の日米貿易戦争があった.
そして,改訂版(2001年)が出版される直前には,同時多発テロが起こっている.
真珠湾攻撃直後と9・11直後,それぞれにおける愛国主義の対比と相似.
大戦中の日系人差別から学んだ,テロリストとイスラム/アラブとの分離という「歴史の教訓」と,未だに残る「敵」のステレオタイプ化.
イスラム原理主義過激派と,戦時期日本の対比と相似.
これらに対するダワーの分析には当然異論があるだろうが,それを置くとしても,「全ての歴史は現代史である」という言葉が示すように,現在への視点と切り離された歴史の研究は存在しないのだという事を,改めて感じさせられる.
まあ,未来の為に生かす以外の歴史の使い方って,趣味以外にないもんな.
ここは趣味の為に使ってる人が多そうだが(笑)
(いや,嫌味でなくね)
面白そうな本だけど,個人的にWW1の米国参戦前の「敵に対する意識」の研究なんかも欲しいところだったな…
いや,主題から外れきってるから仕方ないけどね.
――――――軍事板,2009/10/13(火)〜10/14(水)
【質問】
「先の大戦」を語るとき,その名称について,日本史板では紛糾します.
大東亜戦争・太平洋戦争・第二次世界大戦・十五年戦争…(順不同)…色々有りますが,軍事的見地からはどのような名称が相応しいのでしょうか?
他の板の話題を持ち込む事で,気を悪くされる方もいるかもしれませんが,ご意見,宜しくお願いいたします.
(日本史板住人)
【回答】
帝国の正式名称は大東亜戦争しかない.
中国とは宣戦布告無き戦争ゆえ,12月8日以前は紛争扱いの事変になる.
12月8日以降は連合軍に属しているので,終戦の詔勅にも
「米・英・支・蘇に対し無条件降伏を受託する旨通告せしめたり」(文面の正確性は自信無し)
と記載される事になる.
本来,日本では,「大東亜戦争」と呼んでいたのだから,常識的には『大東亜戦争』と呼ぶのが正しいのだろう.
しかし,それでは戦争の実体を指し示していない.日米海軍は‘東亜の覇権’を争ったのではなく,“太平洋の覇権”を争ったのだから(アリューシャンからオーストラリア・セイロンまで).ミッドウェイやガダルカナル,フィリピンなど,大いに教訓とすべき戦いが漏れてしまう.
しかしまた,太平洋戦争っていうのも米国の概念であって,それには中国大陸における,日本と中国の戦争は含んでない.
そのため当時も,戦争の呼称については異論が唱えられてもいる.
生田悖著「日本陸軍史」(教育社,1980/2)より
昭和十六年十二月十二日,今次大戦の呼称を閣議で正式に決定の上,情報局から次のように発表した.
「今次の対米英戦は,支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す,大東亜戦争と称するは,大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして,戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず」
呼称決定に当たり,海軍側から「太平洋戦争」「対米英戦争」の提案があった.
今次の戦争は対米英戦争であり,従って主戦場は太平洋であり,そこで決定的に戦い,全国力,戦力を傾注しようとする,海軍の強い決意の表明であった.(P199-200)
他の呼称としては,
第2次大戦:ドイツのポーランド侵攻から日本降伏まで.欧州戦線と太平洋戦線を統合した見方.
15年戦争:日中戦争から日本降伏まで.日中戦争と太平洋戦争を統合した見方.
そういえば左巻きの人達は太平洋戦争のことを「アジア・太平洋戦争」と呼ぶキャンペーンをしています.あまり普及してませんが,いくつかの教科書で採用されています.
その呼称を使うべきだという理由は,
「太平洋戦争はアジアの民衆の抵抗によって日本が負けたからだ・・・」
と.
中国の教科書そのまんまの主張なんですけどね.
ウィキペディアより
近年では,この戦争をアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されているが,この呼称は侵略戦争としての側面を徒に強調するという批判がある.
〜中略〜
日本共産党では,盧溝橋事件に始まる日中戦争も含めて「15年戦争」と呼んでいる.
ワタシとしては,帝国海軍に敬意を表する意味でも,むしろ「太平洋戦争」と呼ぶべきだと声を大にして言いたい(笑)
(軍事板,JSF, 夏光華(シア・クァンファ) & 名無し四等兵 in FAQ BBS)
- 京都人的「こないだの負けいくさ」は「応仁の乱」
※なお,本サイトにおいては基本的には「第2次大戦」を使用.戦域によっては,「大東亜戦争」「太平洋戦争」「こないだの負けいくさ」を使い分ける.
【質問】
先の大戦中,日本国内の民間人が,戦争や徴兵から逃れるために,国外に脱出することはできましたか?
【回答】
徴兵から逃れるのは難しいですが,満州,中国,フィリピン,東南アジア地域,南洋諸島に移民として渡る事は可能でした.
それでも,戦禍は逃れられたかと言えば疑問符は付きますが….
後,特殊な事例ですが,豪州北部海域では真珠貝を採取する船の乗組員の大多数は日本人でした.
彼等は豪州領の島に渡っており,此処で12月8日を迎え,民間人捕虜第1号として敗戦まで豪州本土で過ごしています.
また,移民でも,日英,日米交換船で帰還した人々の中には,途中,シンガポールやフィリピンなどで下船し,通訳や現地で就職した人もいます.
それから,一部の人々の場合は,満州からシベリア鉄道を経由し,ノボシビルスクで途中下車,カスピ海を南下してタシケントから西に向かい,カスピ海を渡り,バクーに至り,トルコに至る経路で欧州に渡っています.
この経路は屡々用いられ,留学生も外交官や軍人とチームを組んで利用しています.
と言う事で,民間人でも外国に行けないと言う訳ではありません.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
なお,東京都の場合,税金を二百七十円納付すると兵役免除となった時期があった.
1873年から1883年までの10年間.
また,徴兵事務手続きの関係で,転居を繰り返して赤紙の発行を最初からやり直させて,逃れるという手が使えていた時期がある.
その後,転居の場合は発行された赤紙が,転居先へと追いかけていくよう手続きが変わり,この手は
使えなくなったそうだ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
1930年代くらいの話なのですが,ヨーロッパから日本まで,航路,海路,陸路(シベリア鉄道?)ではそれぞれどれ位かかっていたのでしょうか?
最速記録的なものではなく,兵隊や外交官や民間人が普通に移動してという仮定でお願いします.
【回答】
空路の場合は,例えばニッポン号だと,1939年10月12日午前7時38分にローマのリットリオ飛行場を発って,ロードス島,バスラ,カラチ,カルカッタ,バンコク,台北を経由して,10月20日午後1時50分に日本の羽田飛行場
に帰還しています.
海路の場合は,イタリアのナポリから発った伏見丸の場合だと,1940年5月31日に同地を発って,7月7日午前8時に神戸港に入港しています.
平均的には,神戸〜ナポリの間は32〜38日,ナポリ〜ロンドンは8〜11日,マルセイユ〜ロンドンだと6〜9日を要しました.
アントワープやハンブルクへも延航する場合もありましたが,この航路は旅客を原則として乗せていません.
地中海航路ではなく,世界一周航路の場合は,更に時間が掛かった為,余り用いられていません.
陸路の場合は約2週間前後で,東京からモスクワへ赴くことが出来ます.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
シベリア鉄道時代のメーテル
(画像掲示板より引用)
【質問】
あのチョビ髭メガネ(東條英機)には愛想が尽きました.
日本から出て行くにはどうしたらいいですか?
【回答】
残念ながら日本の周辺は,海に囲まれています.
が,日本から出るルートとしては,幾つかあります.
まず,北.
樺太に渡って,日本側警備兵の隙を見て,国境に走って下さい.
不法入国で逮捕されるかもしれませんが,運が良ければ,脱出することは可能です.
ただ,強制送還もしくは収容所の露となることは覚悟してください.
正規ルートならば,日本とソ連の間は1945年8月までは中立状態ですので,ソ連への渡航ビザさえあれば,満州里からソ連に入ってカムチャツカ辺りを通って,北ルートで米国に渡ることは可能です.
とは言え,途中で消え去る可能性もありますが.
中国大陸に渡ることさえ出来れば,後の脱出経路は自由です.
西に向かって進めば,新疆省に出ることも出来ますし,蘭州まで行けば,上手くすれば航空便を捕まえることが出来るかもしれません.
そうすれば重慶に渡って,インド経由で外の世界に出ることも可能です.
1941年なら,香港に渡って其処から南方へと言うことも出来ます.
但し,途中で日本人と分かれば,ただでは済まない可能性もありますし,航空便の場合は,途中で撃墜されても文句を言わないでください.
また,重慶で空爆死することもありますから,サイレンの回数には気をつけてください.
2回目のサイレンで防空壕に逃れられなければ,動いてはいけません.
動くと監視兵に射殺されます.
南方なら,仏領印度支那に抜けるかタイに抜けさえすれば,後はご自由に.
1941年以前なら蘭印という選択肢もあります.
1942年以降なら,外国人に成り済まして下さい.
上手くいけば交換船に乗って,安全地帯に逃げることが可能です.
後,南洋諸島に渡れば,ほら,船を使えば,グアムまではほんの少し.
或いは,アラフラ海で操業する真珠貝採取船に乗り込むのも良いかもしれません.
こんなところですかね.
眠い人◆gQikaJHtf2,2006/10/22(日)
【質問】
アメリカの戦中プロパガンダに出てくる,丸ぶち眼鏡と細目に出っ歯とチョビ髭の日本人って,ヒットラーとムッソリーニに並べて出てくるところを見ると,指導者(東条か天皇)と思われますが,日本人全体のイメージを擬人化した様にも見えます.
果たして特定の個人なのか,日本人全体なのかどちらなんでしょうか?
【回答】
両方です.
片やナチの先棒を担ぐ軍国日本の象徴,片やそれを操る(とされていた)指導者.大抵の日本人は出っ歯,ひしゃげた鼻,つり上がった目,高い頬骨で顔を描かれ,独伊ソ(1941年6月まではソ連もあちら側と思われていた)に比べると,殊更に小人として描かれています.
特定の個人となると,先ず1941年12月22日には,Timeの表紙が山本五十六中将でした.
但し彼の顔は,尖った耳,険しい目,意志を示す厚い唇で描かれていて,凡そ本人に似ても似つかぬもの.
あと,Colliersと言う雑誌の表紙には,昭和天皇をカリカチュアにした作品が良く出て来ます.
こうした作品を描いたのは,ポーランド系ユダヤ人の画家であるArther
Szykと言う人物で,彼はヒトラー憎さの余り,それに協力する者全てを人非人として描いたのでした.
彼の作品は1941年12月以降,米国民がその憤怒を現わしたものとして絶賛され,各地で巡回展示などが行われています.
尤も,そうした風潮を冷ややかに批判していた人々もいた訳ですが.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
↓これって本当? 一体誰がそんなこと言ったの?
> 第2次大戦では米国は,東京大空襲で一気に日本側の民間人8万3000人を殺し,広島への原爆投下では一瞬にして8万人を殺したように,日本人一般への人道上の配慮はまったくなく,米側では日本民族全体の絶滅さえ提案されていた
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070226/usa070226001.htm
【回答】
本当.
海軍のH.L.ペンス(Pence)大佐が1943年5月に国務省で開かれた戦後の日本の取り扱いを話し合う会議での発言.
ネットでは根拠もなく,ウィリアム・リーヒ元帥の発言としている者もいるので要注意.
産経の記事はクリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」で描かれている日本人像と,戦時中のアメリカ国民の激烈な差別感情を対比させたワシントン・ポストの保守派コラムニスト,ジョージ・ウィル(George
F. Will)の論考を紹介したものです.
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/02/24/AR2007022401147_pf.html
ハルゼーもかなりキていたことも紹介されています.
「殺せ!殺せ!ジャップをもっと殺せ!」(基地の掲示板に掲げれれた標語.ハルゼーが現代に生きていれば2ちゃんで嫌日厨になっていたことでしょう)
「我々は太平洋中で連中を溺れさせ焼き殺す.連中を焼き殺すのは溺れ死にさせるのと同じくらい愉快だ」
「日本民族はメスザルと中国の極悪人が交尾して生まれた」(由来は中国の諺)
それ以外に民間では西海岸のレストランでの
「当店ではもれなくラットとジャップに毒を盛ります」
というサインも紹介されています.
バグってハニー by mail
【珍説】
なあんだ,アメ公もユダヤ人を絶滅させようとしていたナチと変わんねえじゃん.
やっぱり太平洋戦争は,混血化によって日本民族を消滅させる具体的な方法を普段から考えていたルーズベルトの陰謀!
【回答】
それは短絡的な考え方です.
ルーズベルトに関してもソース出してください.
ペンスの発言の元ネタは元ハーバード大学の入江昭教授(歴史学)の著書Power and Cultureです.
入江教授は同書の中で,ペンスの発言は他の出席者から決して同意されることはなく,戦後の日本に対してペンスの主張とは逆に,日米協同のために日本を再生する方針が確認されたことも指摘しています.
その目的を達成するために米国は究極の武力(原爆)を日本に対して用いたことや.上記発言は日本人に対する当時の差別意識を反映していることは確かですが,米国の政策決定の過程においてこのような過激な発言が人道上の見地から反論されずに済んだわけではありません.
これは戦後の占領政策を見れば明らかだと思います.
米国の政策が単に人種から来る偏見で決まっていなかった別の例として,黄渦論というアジア人に対する蔑視があったにもかかわらず,その主要なターゲットである中国人の蒋介石政権を,ルーズベルトが熱心に支援していたことからも挙げられると思います.
ちなみに敵国人に敵愾心を燃やしていたのは,日本も例外ではありません.
「鬼畜米英」という標語はまさにそれですし,それ以外に戦中の日本で見られた,米国人に対する珍妙な偏見の例を以下に示します.
「主婦之友」という雑誌名には非常に似つかわしくない記事です.
狂気の「ぶち殺せ!」標語
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/tondemo/tondemo01.htm
「野獣民族アメリカ」の恐怖
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/tondemo/tondemo02.htm
バグってハニー by mail
【質問】
産経の記事の中の「日本軍を人間的に描いた4本の映画」とやらを知りたいですね.
【回答】
1940年以来,WWIIを描いた英語映画は600本以上作られたそうですが,その中で日本軍を人間的に描いた映画は4本しかないそうです.
デビッド・リーン「戦場にかける橋」(1957)(早川雪洲)
ジョン・ブアマン「太平洋の地獄」(1968)(三船敏郎)
フィル・カールソン「戦場よ永遠に」(1960)
コーネル・ワイルド「ビーチレッド戦記」(1967)(小山源喜)
他に,ドイツ兵を公平に描いた映画としては,エドワード・ドミトリク「若き獅子たち」(1958)
選んだ人は,やはりWPの映画批評家スティーブン・ハンター(Stephen Hunter).
バグってハニー by mail
【質問】
ジョセフ・グルーって誰?
【回答】
ジョセフ・クラーク・グルー Joseph Clark
Grew(1880〜1965)は,日米開戦時の駐日アメリカ大使.
知日派として知られ,日本の財界に強力なパイプを持ち,日本の原爆投下と本土決戦回避に尽力した.
終戦直前に国務次官を辞職して隠退し,1965(昭和40)年,84歳で没した.
【参考ページ】
http://ww1.m78.com/question/grew.html
http://www.c20.jp/p/grew_j.html
http://www.geocities.jp/kimkaz_labo/joseph.html
http://www.grew-bancroft.or.jp/#/1
(http://ww1.m78.com/question/grew.htmlより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/08/21 20:30
を加筆改修
日本財界と密接な関係を結んで,戦後,原子炉売り込みを成功させたといったエピソードを伝えるサイトもあるが,以下のようなエピソードを見る限り,財界との関係ばかり協調されるのも,どうかと思う.
――――――
ワシントンでは,シロタの友人グルーがアメリカ外交を統括する国務次官になっていた.
〔略〕五月の東京空襲を知って,グルーは大きな衝撃を受けたといわれる.
日本がすべて焼け野原になって,戦争が終わってもどんな意味があるのか.
「もはや一刻の猶予もならない」
部下にグルーは叫んだ.日本との終戦に向かって踏み出すべきときだった.
日本の現代史は不運の連続だったが,決定的な時期に,朝吹文子やシロタやそのほかの人々が築いた日本の美しい世界を知っていたグルーが,アメリカ外交の責任者だったことは幸運だった.
――――――山本尚志著『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』(毎日新聞社,2004.11.20),p.218-219
(なお,九電の森山文彦によれば,黎明期の日本の原発開発は,世界各国の技術を試すべく,米国製炉の他にも,英国製やカナダ製も積極導入したというから,「グルーが米国製炉をプッシュして……」などという記述自体の信憑性にも,疑問符がつく)
【質問】
日本では戦争に関してどのような保険をかけることができたのですか?
【回答】
1941年12月16日,政府は戦争保険臨時措置法を公布し,陸上戦争保険を取り扱う様に定めます.
これは,一般火災保険の目的である建物と付属物,一定場所の動産,運送品,車輌,航空機,船舶の陸上戦争危険に備えたもので,後に,不足設備以外の工作物,例えば起重機,ガスタンク,溶鉱炉なども対象になりました.
これらが戦闘行為に基づく火災や損壊の場合に保険金が支払われるのですが,この契約は,被保険者が保険料を添えて保険会社に申し込んだ時に成立し,保険会社側の同意は不要でしたここれでは,保険会社は積極的にならないかもしれませんが,戦争保険の収支に損失があった場合は,政府による補填で賄い,経費の一部は政府が負担するものとし,保険会社の負担を軽減しています.
又,保険金の支払は原則即時払いではなく,支払延期することになっており,大蔵省の許可がある場合のみ,一部を即時払いにすると言う,保険会社有利の商品でした.
1942年1月に,運送品1000円に対し1円,倉庫保管品は,不特定物で1ヶ月1000円につき0.8円,それ以外は6ヶ月4円となっておりましたが,空襲が身近で無かった為,その申し込みや支払は少なく,更に任意加入制と保険金支払延期制度が利用者の嫌気を誘っていました.
そこで,1944年2月15日に戦時特殊損害保険法が公布されます.
これは,戦争保険の任意加入制も残しつつ,火災保険契約をすると強制付帯となったのが変更点です.
また,支払限度を超える保険金については,企業整備資金措置法により特殊預金乃至特殊金銭信託となりますが,即時払いとしては被保険者に3000円が支払われる様になっています.
但し,敗戦直前にはこれが5000円に引き上げられました.
一方で,保険料は普通物件の場合で,1年間1000円に付き2円となっています.
更に,この戦争保険の特徴としては,地震保険も付帯することにありました.
即ち,火災保険を契約すると,漏れなく戦争保険,地震保険が付いていた訳です.
この地震保険制度は,何も新しいものではなく,1934年の岡田内閣の時に既に国営地震保険制度要綱を整備していたのですが,実施されておらず,この時代になって,人心安定策の一つとして日の目を見た訳です.
戦争による人的被害については,徴兵保険は昔から有りましたが,一般国民対象としては,1943年3月にやっと,国家的な保険制度として,戦争死亡傷害保険法が公布されて確立します.
保険者は生命保険会社と損害保険会社で,損失填補については,戦争保険の場合とほぼ同様.
保険金額の最高限度額は5000円でした.
1944年12月6日,空襲の被害が拡大すると,大蔵省の指示で,東京とその近辺に於ける保険金支払が簡易化されることになります.
従来の保険金請求手続と査定をするのは,非常事態に対処しきれなくなった訳です.
更に1945年に入ると,保険会社の支払事務は多忙を極めたため,区役所から連絡のあった全焼地域の被保険者には,保険証券の提示だけで直ちに保険金が支払われる様になりました.
この手続きは,次第に地方都市にも適用される様になります.
こうして,陸上戦争保険の保険収支は悪化の一途を辿り,1942年1月から1946年8月の強制付帯停止までの収入は6.4億円だったのに対し,支払は1942年12月から1947年3月31日までの間,実に463億円に達する大赤字となっていました.
ちなみに,海上戦争保険の支払はこれに比べると10数億のレベルですから,お話になりません.
地震保険も保険料収入1.1億に対し,支払は2.4億,これは東海地震での支払が多数を占めていました.
また,戦争死亡傷害保険も,当初3年間は黒字でしたが,1945年12月までの保険料収入1.6億円に対し,1948年10月末までの支払保険金は7.7億に達しています.
何れも大赤字状態だったりするのですが,現金支払はそのうちの一部だった為,戦後の高率のインフレと封鎖預金のお陰で,契約者の方が損害を被る形になったりします.
生保やら損保やらの不払いの系譜って,もしかして,この辺から始まって居るんじゃないか,と思ってみたりして(苦笑.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2007年04月15日21:44
【質問】
戦前の法律とか勅令,軍令,軍法について調べたいのですが(概要や,できれば実際の内容も),どういう資料がありますか?
法務省の刊行物とかで,そういうのを網羅した本があったりするのでしょうか?
一次資料で全然構いません.
戦前の文語体は読むのが大変ですが,読めなくもない…と思います.
【回答】
法令原文を網羅した資料はない.
うち,法律や勅令の条文については,アジア歴史資料センターのウェブサイトで相当数は読める.
ただし,まとまった条文になってるのは,最初の立法時のものだけなので,改正があった場合,改正後の六法などの法令集の旧版を入手するか,「9条3項の『犬』の後に『及び猫』を加える」みたいな差分を,自分で補正して追っていくしかない.
日本の軍法の場合,「陸軍刑法」「陸軍軍法会議法」など法律で規定されているものが多いから,原文は上の方法でわりと入手できると思う.
海軍の法務関係は,海軍歴史保存会編「日本海軍史 第6巻」(第一法規,1995年)に,いくらか記載があったはず.
戦前の軍法関係の教科書も使える.
湯原綱「陸軍刑法講義」(大学書房,1926年)とか.
戦後の本だと花園一郎「軍法会議」(新人物往来社,1974年)というのがあるようだが未見.
あと,実例として5・15事件や2・26事件の本でもいろいろ出てるから,そこも手掛かりにはなるかも.
あと,戦後の研究者だと北博昭が,軍法関係で著作が多い.
軍事板,2010/01/08(金)
青文字:加筆改修部分
▼ 参考にどうぞ.
『法規分類大全45〜53巻 兵制門』
幕末から明治初期の法令.
原書房から復刊されてる.
『陸軍成規類聚』
法令規則が改正されるごとに差し替えていたようだ.
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/heerundstaat/view/20091021/1256101904
↑によると最近復刻されたらしい.
復刊されたのはこれ
『陸軍成規類聚』研究資料
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000010645496/jpn
復刻前の巻数と内容は
○第一巻=索引.類別総目次.第一類(憲法・皇室).第二類(官制)
○第二巻=第三類(兵役「兵役招集」・補充).第四類(官等・分限・補任・名簿).第五類(賞典・恩給・救恤).第六類(服務・休暇)
○第三巻=第七類(会計・経理)
○第四巻=第八類(教育・検閲・演習).第九類(儀礼・婚姻).第十類(服制・徽章)第十一類(兵器)
○第五巻=第十二類(衛生・醫事).第十三類(馬政).第十四類(運輸・通信).第十五類(警保・徴発).
○第六巻=第十六類(刑罰・監獄).第十七類(文書・報告).附録.
各類におさめられているのは,陸軍に関する法律,勅令,軍令,省令,訓令,達,告示,陸普,そのほか内閣・各省・総督府・から陸軍に関係あるものを収録.
『法令全書』
慶応三年から各年ごと各官,省の令達を編纂したもの.
陸軍関係の法令は,勅令,軍令および陸軍省(兵部省)の部におさめられている.
ウィキペディアから↓
――――――
1912年(明治45年)7月までの法令全書の画像は,国立国会図書館が近代デジタルライブラリーで開示している.
明治時代に発行された分は『明治年間法令全書』,大正時代に発行された分は『大正年間法令全書』,1926年(昭和元年)12月25日から1947年(昭和22年)までに発行された分は『昭和年間法令全書』としてそれぞれ復刻版が原書房から出版されている.
―――――
あと,検索してたらこんなものがあった.
『兵事法令事務要録』(昭和16年 内務省地方局行政課 編 良書普及會)
他に,ここから廃止法令とかで検索できるかも
日本-法令資料
http://rnavi.ndl.go.jp/politics/entry/Japan-horei.php
軍事板,2010/04/08(木)
青文字:加筆改修部分
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【質問】
領事警察とは?
【回答】
1876年,日本と朝鮮は江華島事件の結果,日朝修好条規を締結します.
この条約は日本が朝鮮の清国からの自主独立,釜山,仁川,元山の開港,ソウルに公使館,各地に領事館の設置,日本人に対する領事裁判権や無関税特権と言った,当時,日本が欧米から押しつけられていたのと同じ不平等条約でした.
その第十条には,「日本国人民朝鮮国指定の各国に在留中,若し罪科を犯し韓国人民に交渉する事件は日本国館員の審断に帰すべし」として,領事裁判権を規定していました.
しかし,朝鮮と日本との間の人の往来が活発になるにつれて,事件も数多く起き,領事館の人員だけでは対応出来ず,1880年3月,近藤真鋤釜山領事から領事警察の要員確保の上申があり,これが許可されて釜山領事館に最初の領事館警察が設置されます.
以降,韓国各地へ領事館設置を進めていきますが,1904年の日露戦争勃発に伴い,後背地としての朝鮮の重要性は増し,2月に日韓議定書を締結して韓国側が日本の軍事上必要な地域を提供する事となりました.
更に8月には第一次日韓協約を締結して韓国の外交案件に介入,1905年には韓国の外交案件一切を掌握する第二次日韓協約を締結してソウルに統監府を設置.
これにより,外交施設は領事館やその警察は,各開港場に設置されていた理事庁に移管されします.
更に1907年7月には第三次日韓協約を締結して韓国皇帝を退位させ,内政権も完全に掌握した後,1910年8月には「日韓併合ニ関スル条約」によって,完全に日本の植民地となってしまい,今までの領事警察は廃止されました.
話は前後しますが,1904年になると,今度は満洲地域に領事館警察が設置されます.
これは,明治期の指導者達は,満洲地域を元々は植民地と捉えていなかったからとされています.
この為,占領した地域には領事館の設置が為されます.
しかし,朝鮮を勢力下に置いてからは,この地域にも日本人が多数進出し,営口に領事館警察が最初に設置されます.
以後,奉天,安東,遼陽など領事館が設置されていく毎に,其の内部機構として領事館警察が設置されました.
この地域の領事館警察は,1932年の満州国成立に伴い,間島,吉林,北満州地方の領事館を除き,それまでの領事館警察は廃止され,それに代わって関東庁の警察官が配置され,1937年12月1日には,残りの領事館警察も,領事警察官1,300名諸共,満州国に委譲される事になりました.
中国の領事館警察は,清仏戦争の影響を懸念して,上海の要路確保,取締りの為に,1884年に同地に設置されたのが最初です.
其の後,1896年4月の下関条約によって,天津,芝罘,蘇州,杭州,沙市,重慶,厦門などの各地に領事館が開設され,7月に北京で締結された日清商航海条約により,領事裁判権,協定関税,最恵国待遇を得て,欧米並みの不平等条約の締結に成功した事から,設置されることになりました.
これらの領事警察権の根拠法令は,1899年の法律第70号「領事官の職務に関する制」の第13条に規定している「領事館は,領事館員又は警察官をして検事,裁判所書記の職務を行う事」と,第14条の「領事館は,領事館員又は警察官吏をして執達吏の職務を行う事」としており,何れも領事官主導での裁判の執行を義務付けています.
こうした領事館警察は,1937年の日中戦争勃発で一旦天津と上海に集結しますが,治安取締りよりも,占領地の宣撫工作員として領事館警察の要員を拡充する必要が生じ,主に華北に手厚く要員を配置することになります.
其の後,太平洋戦争勃発によって,占領地の保護取締りが軍の手に委ねられ,減少していく事になっていきます.
そして,最終的に領事館警察は軍に吸収され,使命を終えた訳です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in mixi,2008年01月01日21:46
【質問】
もし皇族の子弟を学校でいじめたりしたら,戦前なら死刑ですか?
【回答】
不敬罪ってのがあって.
カスミンじゃないけどwikiが見やすいんで貼っとく.
http://ja.wikipedia.org/wiki/不敬罪
ただし不敬罪自身は,禁固刑および罰金が規定されるのみだ.
だから死刑はありえない.
実質的にはそんなこと戦前にする奴がいるとは思えないし,居たとしたら刑罰ではない,罰・一族郎党村八分とかにされるだろうな.
軍事板,2010/03/09(火)
青文字:加筆改修部分
▼ そもそも,皇太子・皇太孫は幼児期から,武官などのお付きがしっかりガードしています.
兄弟姉妹の直宮もそう.
原則,彼らは幼児期から,母である皇后や側室から引き離されて育てられましたので...
だからいじめること自体が不可能です.
ご学友も厳選されていますから,喧嘩がこじれることもありません.
宮家はもう少し緩いかもしれませんが,基本的に同じだと思われます.
その警備をかいくぐっていじめるのは,もはやテロでしょう(笑)
ただ,明治元勲の意向もあり,皇太子・皇太孫が柔弱にならないよう,また,明治以前の皇室の男子が幼児期に,女官らによって後宮に引きこもり状態で育てられ,夭逝が多いこともあって,スパルタ教育の方針で養育されたようです.
昭和帝など葉山の離宮での海水浴で,容赦なく相撲で海の中に放り出されたとか(笑)
だから,ごく親しい学友などと揉め事があっても,周囲に泣きついたとも思えません.
成長してからの昭和帝の三直宮も,繰り返し同級と同じようにあつかえと要望しています.
それでもさすがに鉄拳制裁はなく(笑),侍従武官が目を光らせていたようです.
そういえば確か,今の皇太子から御学友制度なくなったんでしたっけ.
愛子様,おかわいそう...
閻魔咲夜 in FAQ BBS,2010/4/12(月)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
1941年の皇居移転案について教えられたし.
【回答】
松代へは皇居を始め,政府や大本営も移転すると言う遷都計画でした.
この計画よりも以前に,1941年春,宮内省で計画された皇居移転案がありました.
時代背景としては,欧州で世界大戦が開始された事が挙げられます.
当時は,日本も中国との泥沼の戦争に踏み込み,米英から様々な圧力を受けていて,その上で世界大戦ともなれば,独と同盟を結んでいた日本は早晩,米英相手に大戦の渦中に巻き込まれる事になり,そうなると,ロンドンの様に,空襲は必至の情勢.
空襲になれば,最初の目標となるのが,東京のど真ん中にある皇居であろうから,玉体をお守りする為にも,皇居を移転しなければならない,と考えた訳です.
もう一つ,経済発展に伴い,東京の空気が汚れてきたと言う点がありました.
東京の環境悪化で,玉体に影響が出る事は避けなければならない.
この点からも,東京の周辺で,何処か適地があれば,皇居を移した方が良いと言う意見も出ていました.
当初の計画では八王子方面でしたが,宮内省とは別に内務省でも皇居移転を検討していた人もいました.
こちらは,内務省で都市計画を担当していた石川栄耀工学博士が,私的意見として,宮内省内匠寮に提案しました.
内匠寮は今の宮内庁管理部で,皇居の宮殿其の他の建築物の保管,監守,建築,土木に関する事項を管理する役所で,1947年に主馬寮と合併して管理部となりました.
それは扨措き,彼の案では,以下の通りになります.
1. 東京近郊に大離宮を新設する.
2. 離宮というのは名目で,実質は本皇居とし,従来の皇居は単に政治向きの宮殿として存続する.
3. 現皇居が不適なのは,十分な防空施設を行う事が困難である事.
4. 膨大な商工業都市の真ん中,混濁の大気の中にあっては,皇統を万世に伝えるのに不適当.
5. 新宮殿候補地として極めて的確な場所に東京都南多摩郡鶴川村(現在の町田市)がある.
彼に依れば,離宮用地として数百万坪を国費で購い,離宮と現皇居の間約30kmは高架か地下の専用道路で結ぶ事になっていました.
宮内省も同じ事を内部で考えていたので,我が意を得たり,とばかりに,鶴川村に適地を求め,調査を開始しました.
因みにその地は,現在の小田急柿生の西北であり,何時しかこの計画は「柿生離宮」と呼ばれる事になります.
石川の推した柿生離宮の候補地は,南多摩郡鶴川村西生田と桜ヶ丘の間にある丘陵地帯でした.
宮内省内匠寮管理課長だった池田秀吉が,石川と共にこの地を幾度となく視察しました.
地形と言い,環境と言い,その地は理想に近い所であり,此処に離宮を建設する計画を練って,時の宮内大臣,松平恒雄に案を示し,計画の実現を迫りました.
松平宮相は,当初は皇居の移転と言うだけに,その計画遂行には慎重で,始めは話にも乗らなかったのですが,池田や石川は,松平宮相を説き伏せ,ともかく現地視察をすることになりました.
1941年4月16日,松平宮相と秘書官の筧素彦,池田,私服の護衛4名の極めて小規模な一団を視察団に,現地に向けて出発しました.
その日は水曜日であり,時の宮相が視察すると言う事が地元に漏れない様,細心の注意を払って一般の人目に付かない週の中日を選ぶという慎重さでした.
因みに松平宮相は,秩父宮殿下の岳父に当る人ですから,当時でもマスコミ界に顔が知れ渡っていました.
一行は隠密裏に事を運ぶ為,ハイキング姿の軽装と言う出で立ちでした.
もし皇居がこの地に移ってくるのならば,結果によっては莫大な土地買収を齎し,その影響も大きい訳で.
現地踏査はその日の夕刻まで行われ,全員が「候補地として申し分ない」と言う印象を持ちました.
歴史にifは禁物ですが,もし,皇居が柿生にあったとすればどうなっていたか,本土決戦の話が具体化したか,松代大本営は何処まで本気で考えられたのか,ちょっと興味のある所です.
しかしながら,半年に渡って検討された計画は,結局,松平宮相の「あれは見合わすよ」と言う宣告があって,画餅に帰しました.
当時も既に資材などで窮屈な状態であり,多方面に影響の出るであろう離宮建設は,松平宮相としても相当な覚悟が要った事でしょうが,当時の状態からして,其処までの覚悟を持てなかったのであろうと考えられています.
結果的に,宮内省内部で検討されてきた柿生離宮案は,放棄されました.
以後,宮内省が皇居を移転する事を検討する事はありませんでしたが,今度は陸軍の側が軍事上の要請から,勝手に暴走することになります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2,2008/08/10 21:25
【質問】
戦前の高等官なのですが,現在の国Iのようなものだと認識しています.
例えば帝大を出て高文に受かり,大蔵省とか内務省で高等官として採用された場合,最初はどのような立場でどのような部署に付けられるのでしょうか?
現代であれば,昇進速度はともかく最初は平からでしょうが,戦前は採用時から明確に高等官であり,他の判任官とかと待遇が違ったわけですよね?
いきなり係長とか課長補佐とかに補任されたのでしょうか?
【回答】
一応,高文の合格は,官界昇進の不可欠の必要条件ではありますが,十分条件ではありません.
1921年11月に合格した216名中187名が官庁に採用となり,敗戦前に退官しましたが,東大卒は137名,その他の大学卒が26名,専門学校,中学校,小学校,警察講習所,逓信管理練習所修了者も24名おり,そのうち,勅任官に昇進したのはそれぞれ70名,10名,2名となっています.
即ち,高文に合格したとしても,圧倒的に優位ではなく,東大を出て奏任官止まり(課長クラス以下)が半数以下という世界です.
で,此処は軍事板なので,陸軍将校と比べるてみます.
1920年東大卒の官吏A氏の場合,1935年には商工省工務局長となり,官等は高等官二等になります.
1920年東大卒の大学教授B氏の場合は,1935年には東大法学部教授で,官等は高等官二等になります.
最後に,1917年に陸士を卒業して,1925年に陸大を卒業した軍人C氏は,陸軍砲兵少佐参謀本部部員ですが,高等官五等にしかなりません.
但し,軍人の場合は,満20歳そこそこで高等官たる少尉になり,24歳で中尉に昇進しますが,高文合格の官吏でも,24歳では判任官のままです.
大学の場合は,判任官の期間が可成り長い訳です.
しかし,高等官になりさえすれば,その官等昇進は急カーブで上り,軍人の官等を追い越します.
とは言え,大学卒高文合格者で勅任官になれるのは,半分以下であるのに対し,陸大卒は80%が勅任官になります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ ところで,質問者は
「現代であれば,昇進速度はともかく最初は平からでしょうが」
と書いていますが,入省当初に主任,4年後に係長になるはずです.
これは主に初任給を,行政職俸給表(一)の3級にしていることの結果で(II種は2級スタート),実態としてはコピー取りなどの丁稚作業からはじめるわけですが.
なお,I種で警察庁に入った場合初任が警部補,1年で警部に昇任するはずです.
一般の警察官採用の人と比べると,まあチートですな.
おおや in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
▲
◆◆書籍総記
【質問】
『失敗の本質』読みたいんですけど,戦争について何も知識ないです.
事前に何読んだらいいですか?
【回答】
失敗の本質 - Wikipedia
まずWikipediaで,各章の題材になってる作戦と太平洋戦争,第2次大戦全般についてざっと目を通しておく.
「失敗の本質」を読み始めて,分からない事があればまた検索.
特定の何かに興味が湧いたら,読後各項目に挙げられている参考文献に手を出してみると,更に理解が深まる.
太平洋戦争のおおざっぱな展開と,日本軍の組織構造くらい知っておけばいいと思う.
部隊編制とか階級なんかで気になるところがあれば,辞書でも引くか,ググれば足りる.
あとは太平洋戦争の主要戦場が書かれた地図を手元に置いておくと,便利.
ググれば出る.
戦前にノモンハン事件
真珠湾攻撃
→南方作戦(東南アジア占領)
→ミッドウェー海戦
→ガダルカナル
→インパール作戦
→マリアナ沖海戦・サイパン陥落
→レイテ沖海戦
→フィリピン・硫黄島・沖縄陥落
→東京大空襲・原爆・ソ連参戦
日本軍は,陸軍と海軍が並立.
空軍は無い.
陸軍の中枢は参謀本部,海軍は軍令部で,大本営ってのはこの2つの連絡会議みたいなもん.
連合艦隊ってのは,海軍の実戦部隊ほとんど全部握ってる主力部隊.
陸軍の部隊の単位は,軍>師団>連隊>大隊>中隊>小隊が基本.
支隊ってのは,臨時にいくつかの部隊を寄せ集めて作った部隊.
参謀ってのは,司令官の相談役.
あとは軍事用語よりも,組織論の用語がカタカナ語でわかりにくい所があるか(笑)
軍事板,2010/11/08(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
今手に入りやすい本だと,できのいい太平洋戦争入門書って何かね?
せいぜい上下2冊の800ページ以下くらいで,開戦経緯から触れてて,地図とかが多いの.
中学校の社会の授業くらいの基礎知識で理解できそうなもので.
自分は,吉田俊男の「四人の連合艦隊司令長官」から入った口なんだが.
【回答】
中公新書/文庫の児島襄『太平洋戦争(上・下)』とか.
40年前の本だし細部には「?」という部分はあるけど,大枠把握にはいいのかもとは思う.
知識はないけど関心はある,という後輩に,もののためしで薦めてみたことはあるが,悪くない感じだった.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
太平洋戦争と日中戦争の良書教えて.
【回答】
太平洋戦争研究会の『図説日中戦争』(河出書房新社,2000.1)は,古典的な通説ベースの入門書で悪くない.
タイトル通り地図とか写真が多くて,地理的な面でわかりにくい大陸戦線を知る上で良い.
影の薄い1941年から1943年あたりの作戦も,一通り押えてある.
政治史的な意味では,やっぱり『日中十五年戦争史 なぜ戦争は長期化したか』(大杉一雄著,中公新書,1999.8)だと思う.
『日中戦争の軍事的展開』は,共同研究を良く纏めていると思う.
物語風なのがお好みなら,こんなのもある.
伊藤正徳『連合艦隊の栄光』『帝国陸軍の最後』
児島襄『日中戦争』
どちらの著者も,これ以外に何冊も関連作品がある.
併せて読むとなお良し.
軍事板,2010/06/11(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ふとした事で購入した半藤 一利著「ノモンハンの夏」を読み,今まであまり触れることの無かった戦史戦記ものに興味を持ちました.
今は堀栄三著「大本営参謀の情報戦記」を読んでいます.
同じようなジャンルの本で,これは読んどけ!というオススメ作品があったら,教えてください.
よろしくお願いします.
太平洋戦争ものはもとより,独ソ戦に関して,良いものがあれば,特にお願いいたします.
【回答】
新刊で手に入るものなら光人社NF文庫
http://www.kojinsha.co.jp/book01.html
学研M文庫
http://gakken-publishing.jp/m-bunko/cul.html
の中で興味を持った物をどうぞ.
絶版でもまだ手軽に古本がある分野では,朝日ソノラマ文庫全巻(ここはほぼ全部ハズレ無し)
中でもお勧めは……
・情報戦争/実松譲
光人社NFの日米情報戦が最新?巻末資料がなくなってるが.海軍側の情報戦の話
・日本陸軍「戦訓」の研究-大東亜戦争期「戦訓報」の分析/白井
明雄
陸軍が戦訓をどう分析していて,どう活用していたかの話
・情報敗戦―太平洋戦史に見る組織と情報戦略/谷光
太郎
色々なエピソードを羅列したような本.さほど細かいことは書いてない.
・私も或る日,赤紙一枚で―ある応召暗号兵の記録/太田
俊夫
古い本だが,陸軍暗号の仕組みについて話がある
個人の回想なので,史実との違いも散見される
・情報戦に完敗した日本―陸軍暗号"神話"の崩壊/岩島
久夫
「私も或る日,赤紙」で陸軍暗号神話が書かれているが,そうじゃないんだよという内容
・太平洋戦争 暗号作戦―アメリカ太平洋艦隊情報参謀の証言(上下)/エドウィン・トーマス
レートン
アメリカも情報戦には苦労していますってのが分かる
・ノモンハンの真実 日ソ戦車戦の実相/古是
三春
陸軍による戦車による夜間襲撃戦闘の詳細を書いた本
・悪魔的作戦参謀辻政信―稀代の風雲児の罪と罰/生出
寿
絶対悪が背広着た存在といわれた人んついて書かれた本
・ガダルカナル戦記/亀井宏
陸軍の戦記関係では自分としては最高の本だと思っている
・詳解 日本陸軍作戦要務令/熊谷 直
陸軍の資料として
軍事板,2010/03/08(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
キスカの奇跡やらダンピールの悲劇,戦艦扶桑と山城の最期など,心にくる逸話が載ってる本を探しています
.
なにかオススメなどがありましたらぜひ教えていただきたいです.
【回答】
>心にくる逸話
もともと日本人はそういうの大好きなんで戦記や従軍記,体験記なんかを片っ端から読めば
いくらでもご要望のエピソードを見つけられる筈.
割とメジャーな所なら
『大空のサムライ』
『秘めたる空戦』
『彗星夜襲隊』
『雪風ハ沈マズ』
『勇者の海 空母瑞鶴の生涯』
海戦ものがいいのでしたら,土井全二郎著『撃沈された船員たちの記録』をお勧めします.
旧題『ダンピールの海』で,ダンピール海峡の悲劇をはじめ,戦時中の商船員側の話です.
全滅するだろうと予想される船団でも,とりあえずやってみようで出航とか,
ぐっときます.
戦記ものとは違いますが,護衛総隊の参謀が書いた,大井『海上護衛戦』もおすすめですね.
船団護衛用の貴重な燃料を大和特攻に使われての,
「何が水上部隊の栄光だ,馬鹿野郎」
の名台詞は有名でしょう.
同書は大和特攻のくだりが有名だけど,台湾沖航空戦で子飼いの901空をすり潰された時の野村長官の言葉も印象深い.
「こんなにやられてしまったのか.
これではもう護衛はできんね.
君,一体,これからどうすればいいんだ?」
同じく前線部隊に振り回されてひどい目を見るってパターンだけど,「馬鹿野郎」と違って怒りのもってきどころに困って,嘆息してる感じが大和特攻以上にくるものがある.
他に
『艦長たちの太平洋戦争』
『艦長たちの太平洋戦争(続編)』
とかいかが?
文庫1冊で何十篇ものドラマチックな海戦が当事者の談話で詳しく綴られています.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
何故日本では,先の大戦に関する将官クラスの人物の回想録が,他国に比べて少ないでのしょうか?
佐官クラス以下,特に兵卒だった人物のそれは,無数に出てますが.
【回答】
機密が絡んでくること,言い訳に聞こえてしまうこと,余命の短かった人もいること,語る手段がなかったこと(本書くの下手とか)
,…色々あるんじゃないかな.
さらに,敗者があーだこーだ言っても清くないって思うからじゃないの?
戦後の軍事アレルギーもあって,回想録を出しても叩かれたり……
そもそも日本は偉い人が回顧録を書くって習慣が無いのも,一つ影響してるかもね.
その代わり,誰でも日記をつけてるけど.
だから欧州の偉い人は,半ば義務的に回顧録を出版する.
あと,日本では1960年代に戦記ブームがあったんだが,この時期に将官で回顧録を書けるほど元気な人が,残って無かったのもあるかもね.
短い雑誌記事程度なら,そこそこ出てるけど.
代わりに,この時期は中堅士官が元気で,その人たちの書いた本が多く出てる.
その後,戦時中に若かった人が晩年に入った時,つまり1970年代末から1980年代に自分史出版ブームが来て,ここで日記をもとにした,下級将兵の戦中回顧録が相当数出てるんじゃないかな.
日本は回顧録より,死後の伝記が多い気がする.
○○伝記刊行会(編)みたいな形で,意外とマイナーな人も出てる印象.
たとえば今村均陸軍大将は,本人の回顧録も出版されているが,やたらに伝記が多い.
一方,ドイツの場合は,非ナチな事を証明する自己弁護と,NATOへの就職活動という側面もあった.
また,国防軍は悪くないって主張のために,組織的に書いてた.
『国防軍潔白神話の生成』 にその辺のことは書いてあったと思う.
あと,同じ敗戦国ドイツは出世が早かったから,将官の回想録が多いってのもありそうだ.
でもまあ,回想録については文化の違いが大きい気がするよ.
欧州だと,昔の人も回想録をたくさん出してるしな.
回想録を書いた日本の元将官だと,遠藤三郎陸軍中将がいるな.
自伝「日中十五年戦争と私」の副題が「国賊・赤い将軍と人は言う」.
ノモンハン事件後の損害復旧とか,航空軍需部門とか,そういう日本の限界を見てきちゃったから,日本は近代戦をできる国ではありませんという結論に行ったという.
重慶無差別爆撃に反対して,海軍と対立した話なんかが書いてあって,面白かった.
軍事板,2012/02/24(金)
青文字:加筆改修部分
【質問】
『決定版 太平洋戦争』というのは信頼できる本でしょうか?
1800円位するため,なかなか手が出ないので,教えて下さい.
【回答】
信頼に値するかは,記事によりので一概には難しいです.
ただ,そのシリーズそれなりの調査の上で書かれた記事が多いですので,資料的には便利です.
考察に関しては,そうそう絶対の答えを見つけるのは至難ですので,そこはお手軽に他人を信頼せずに,自分で資料を読み,知識をつけ,自分で判断すべき事項かと.
よって,他人の判断に頼りきるという行動は,あまり良く思われない場合が多いです.
なお,毎日の食費を削ってでも本を買う人間も多いので,1800で高いとか言ってると,
「何を甘えてるのか!」
と思われる事もありますので.
正直,あのシリーズはコストパフォーマンスに優れ,安い部類の書籍ですので...
(シリーズとはいえ,1冊1週間分の昼食を抜けばいいだけの話)
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2009/11/30(月)
青文字:加筆改修部分
ただ,『決定版 太平洋戦争』シリーズの新刊を読んでみたんだが,森本忠夫の書いてる部分が何だかなぁ…な感じだった.
そりゃね,日本とアメリカの生産力が隔絶してて覆しようもなかったのは事実だし,生産面での合理化が不十分すぎたってのも事実なんだけど,そのアメリカの生産力が全部,日本に向けられてるかのような書き方をするのって,正直どうなのよ.
アメリカにとっての主戦線はあくまで欧州で,そこにリソースの3/4以上をぶち込んでも,なお太平洋方面で優勢に立てた,という事こそ書かれるべきなのに,そこら辺を完全スルーして,
「アメリカの生産力凄い,日本はこれだけで全然足りない」
の一点張りで話を進めるのって,はっきり言って稚拙な書き方だと思う.
『マクロ経済学からみた太平洋戦争』というタイトルの本まで出してる人なんだから,「日本とアメリカの生産力には差がありすぎましたね」的な,誰でも知ってる話で終わるんじゃなくて,もっと緻密な分析すべきなんじゃないの,と.
軍事板,2009/12/27(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
大日本帝国,大東亜戦争等を肯定している本で,おすすめのものを教えてください.
【回答】
河上徹太郎ほか『近代の超克』(冨山房,1979年)
が一番面白い気がする.
新品入手可能.
同時代(1943年)に日本のやっている戦争を積極的に意義付けようとして
「日本は大東亜戦争をやっている,
しかるに近代=植民地主義の欧米支配の時代を超克したんだ」
という結論を導き出すあたりは,単純に面白いし,太平洋戦争を考える上では無視できない指摘だと思う.
ただ,座談会の再録なのでややタルい.
同じ結論を出すものとして
高山岩男『世界史の哲学』(こぶし書房,2001年/原著1942年)
が.
あとの本は肯定しているというか,当時の行動を理解尊重している本で面白いものだけど
井上寿一『アジア主義を問いなおす』(ちくま新書,2005年)
波多野澄雄『太平洋戦争とアジア外交』(東京大学出版会,1996年)
がある.
井上は,日本が1938年に「東亜新秩序」を訴えたのを,中国のナショナリズムを尊重した形で戦争を続けるギリギリの選択として,波多野は戦時下のアジア外交を描いて,1943年の大東亜会議が,連合国の唱える大西洋憲章に対抗する大義名分を戦争に付与するために,日本が四苦八苦した結果として描いている.
結論は日本のひとりよがりを批判してるけど,下手な肯定論よりは面白い.
波多野本はやや入手困難.
クリストファー・ソーン『太平洋戦争とは何だったのか』(普及版,草思社,2005年)
も,太平洋戦争の長い眼で見た意義は,白人優越主義の相対化や脱植民地化にインパクトを与えたことだよね,と論じてる.
別に変な「親日派」じゃなくて,きちんとした実証研究もしてきた人だから信頼できる.
訳文が死んでるけど.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
『第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から』
『日英同盟』
って電波本なんですか?
例の幕僚長の論文の参考文献になったり,コミンテルンがどうのこうの書いてあるらしいんですが.
【回答】
「第二次〜」は別に電波と言うようなものではない.
著者も序文で「コミンテルンを加味した視点が,多少は新しい視点を提供できるのではないか」と書いているけど,このレベルだから安心して読めばいい.
印象としては現有の史料を使っての推理という感じかな.
首をかしげるものでもなかった.
この本のメインはあくまで,海軍を視点としての日独関係の考察だからね.
自分で電波かどうかを判定したかったら,とりあえずは当該論文の趣旨に沿いつつ,挙げられている参考文献を一通り漁ってみるといい.
そうすれば一応自分なりの結論が出るでしょ.
「日英同盟」のほうは出版社柄か,実用的というか「これからの日本はこうすべき」的な色合いが強いので,受け入れられない人がいるかも.
内容は「第一次世界大戦と日本海軍」を凝縮し,新たな視点を加えたコンパクト版のようなもの.
なのでどうせなら,「第一次〜」をまず読んでからのほうがいいと思う.
英国との関係を主軸に,日本近代史をざっと解説している.
英国との同盟の締結から解消までの流れと,その機能についての分かり易い解説は良い.
そこから日米安保体制や中国問題にまで手を伸ばしているので,新書の限界か,ギリギリ詰め込んだという感じはするが.
「大日本帝国の生存戦略」あたりと合わせて読むとよいかもね.
つーか平間さんの論文は結構読んだけど,研究に関しては別に変な人じゃないぞ.
コミンテルン云々の部分は1章しか割いてない.(勿論他の章にも登場はするが)
それに別に取り立てて突飛でもないというか,思わず目を見張るということはない.
米国内の共産主義者の動向も,当の米国人が非常に優れた研究を出しているので,同上.
コミンテルンうんたらが気になるなら手始めに,村田陽一や波多野乾一,岩村登志夫,加藤哲郎,Harvey
Klehr,John Earl Haynesの有名どころから読んでみたら?
そしてNDC分類319.3のロシア関係の文献を選別してひたすら目を通すとか.
また英文やキリル文字文献も当然駆使すべき.
圧倒的にこちらに頼ることになるけどね.
エリツィン政権以降かなり自由な研究ができるようになったとは言え,邦訳されているものは少ないからな.
「齢を重ね,学会などとの関係も希薄になりましたので,意を決して「閉ざされた言語空間」から脱して私の信ずる歴史を書きました」
とあるので,よほど過激なことを書いたのかと思ったが,本論に関してはそうでもない.
中川八洋さんとかと比べたら常識論の範疇.(参考文献には入っていたが)
海軍を主軸とした考察をメインに据え(インド洋における作戦や,技術交換等も含む),日独両国の動きに米英ソ中(特にソ連邦)の動向を加味して,日独の関係を多角的に分析している.
日独の接近から同盟締結に至るまで,大戦中の同盟の機能などがよくわかる.
大戦中のソ連邦との関係や,それを通じた和平工作に関する考察も,よく纏まっている.
独逸との提携について軍事面での情報を得たい,同盟を下敷きにして2次大戦を読み直したいと言う人にはかなりの良書.
最後の章における外務省本省に対する批判も,短いけれど個人的には有益だった.
先の戦争のこととなると,どうしても海軍や陸軍の批判に汲々としがちだから・・・
ただし,知識のバックボーンが無い人には突飛に,或いは何のことか分からない可能性もある.
敢えて言うなら,近衛の周辺のことは予め調べたほうがよいかもね.
ただ平間さんは実証的な研究をされる方だし,当てずっぽうで謀略だ陰謀だという人ではないので,そこらを頭において読んで貰えればいいんじゃないかと.
仮に電波判定しても,それ以外の部分だけでも十二分に元は取れる.
全体からすれば,コミンテルンに関する部分は,ほんの少しだから.
案ずるより読むが易しですよ.
図書館で借りれば無料だし.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 【追記】
平間教授に関する上のレスを見て安心していたら,こんなものが…
http://kakutatakaheri.blog73.fc2.com/blog-entry-869.html
ナカテルと一緒になって陰謀論…
嘘だ,嘘だと言ってくれよ,先生…
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
加藤陽子の『それでも,日本人は「戦争」を選んだ』を読んだ方いますか?
感想を聞きたいのですが宜しいでしょうか.
【回答】
解釈論になるから,微妙な書物なのはしようがないだろう.
結局,その時にリアルに存在した人でないと,その時の時勢は分からないと思う.
俺は祖父母が明治生まれだったので,
「ABCD包囲網からハルノートに到るまでの日米交渉の閉塞感は最悪だった.
真珠湾攻撃のラヂオ放送(大本営発表と思われる)を聞いたときの開放感といったらなかった」
みたいな話を,散々聞かされて育ったんだよ.
父母が昭和一桁だったので,「戦時中は芋畑を作らされて」とか「代用教員に行かされて」とかいう話も,同時に聞かされたんだけどさ.
まあ,読んで損のない本だとは思う.
個人的に面白かったのは,松岡洋右の余り知られていない一面に関する紹介の部分.
軍事板,2009/10/18(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
吉田裕の著作はどう?
【回答】
岩波新書の吉田裕本は全て読んでおきたい.
『昭和天皇の終戦史』
『日本の軍隊』
『アジア・太平洋戦争〈日本近現代史 6〉』
岩波現代文庫に入っている『日本人の戦争観』は,少し???って感じだけど.
吉田裕は旧軍の制度的な部分なら,わりとまともだったが,戦闘とか戦争犯罪など前線に近い部分を語るには,どうも基礎的な知識が欠けてると感じる.
軍事板,2009/11/18(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
吉村昭の太平洋戦争関連の作品は,参考文献として使えるのでしょうか?
ノンフィクション小説という,紛らわしい分類がされてるので.
【回答】
少し前のスレッドでも,吉村昭が参考文献どうのとか言ってる人がいたけど,
「参考文献として使えるのでしょうか?」
ってのが最近流行ってるの?
最近,こればっかり.
去年は「読む価値があるのでしょうか?」だったよね.
その本を読んで参考になったら,既に参考文献なんですが.
で,書いてある事が真実かどうかなんて,もう誰にもわからないし.
吉村昭について限って言うと,戦艦武蔵・海軍乙事件,深海の使者,関東大震災,いずれも素晴らしい本だと思いますよ.
吉村昭はエッセイもたくさん出版されていて,それぞれの題材の取材時の苦労談や,本編には載っていない事も書いているので,詳しく知りたければエッセイ集もせっせと図書館で借りる必要があります.
……と,ほぼ同じ事を以前のスレに書いて,二度目.
参考文献云々が,「ソースとして提示できるのか?」という意味あいなら,そういう意味ではアウト.
人名については変えてあるみたいだし,その他にも手が入っていてもおかしくはありません.
そして,どこなのか判然としません.
吉村氏のは,小説と小説を書くための取材記の二パターンがあります.
「戦艦武蔵」と「戦艦武蔵ノート」のように.
「陸奥爆沈」のように後者しかないものもりますが.
後,氏の作品の場合,フィクション部分では登場人物を仮名にしてあるケースが多いように思います.
「光る壁画」でも,実名で書かれている東大関係者部分や開発の部分は史実.
主人公である「オリオン光学」の方の私生活に関わる部分は,完全なフィクションというようになっていますし.
基本的に戦争を書いたものでは,多くの証言者に直接取材できていますので,ほぼ証言者の証言どおりに進みます.
沖縄戦だったかで,いわゆる完全なフィクション小説を書かれていますが,これは沖縄戦で生き残った女性に取材した後に書いた小説だと,あとがきに書いています.
それ以前の昔の時代の小説では,さすがにフィクションな部分がありますが,それでも古い本を収集してよく書いています.
読者から,「今度出た本の何々は当時ではありえません」という手紙が来ていたそうですが,考証の根拠になった資料メモを送っていたそうな.
これもエッセイ集に・・・(吉村昭はエッセイ集まで読まないといけない作家)
知らない事件を学ぶ最初の道具としては,非常に素晴らしいと思います.
ついでに書いておくと,最近熱いのが森史朗氏.
この人は元編集者で,城山三郎・吉村昭の作家人生に関する本まで出している.
非常に重く分厚い本ばかりなので,文庫化され次第コンプリートすると良い.
42 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2010/02/21(日) 01:18:38 ID:???
吉村さんの作品で,伊33号潜内部から遺書が出てきた話が好きだなあ.
水枕の中に沢山の遺書が入ってた.
43 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2010/02/21(日) 01:28:15 ID:???
水枕?
本来の用途とは真逆に,防水嚢として使われたの?
45 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2010/02/21(日) 01:44:36 ID:???
そうです.
機関室の配管に縛り付けてあった水枕を開けたら,乗組員の事故経過報告と遺書が沢山出てきました.
「万年筆の旅」という短編集に入ってます.
軍事板,2010/02/21(日)
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦史叢書は,どうして大戦直後ではなく,かなり経ってから刊行されたんですか?
証言者が亡くなってからでは,正確な記録を作るのは困難だと思いますが?
【回答】
戦史叢書第1巻「マレー進攻作戦」の序より.
――――――
戦史室が創設されて十年,ここにようやく,その成果の一部を逐次刊行する運びとなった.
刊行は,自衛隊の教育,または研究の資とすることを主目的とし,かねて,一般の利用についても配慮したものである.
終戦時において,大量の資料の消滅と散逸をきたし,そのうえ,戦史室の開設までに十年間の空白を生じたため,戦史編さんの困難さは,既往内外のそれと比して,筆舌に尽くしがたいものがあった.
ただ,幸いにも,関係方面の理解と,多数歴戦者各位の熱誠あふれる協力とによってこの刊行を実現しえたものであり,ここにあらためて,深く謝意を表する次第である.
記述にあたっては,紙面の都合などで割愛したものも少なくない.
また,今後さらに,新たな資料の収集によって,加筆修正を必要とするものがあることも予想される.
ひきつづいて,部内外の協力と叱正を懇願してやまない.
本書は,戦史編さん官不破博の執筆にかかるものである.
なお,本書記述の内容に関する責任は,戦史室長と執筆者のみにあることを特に付言する.
昭和四十一年六月
防衛庁戦史室長 西浦 進
――――――
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
戦史叢書が全面改訂されるという話を聞いたんだが,詳しいやついね??
【回答】
ググッたらこんな情報が出てきた.
――――――
防衛庁防衛研究所は,太平洋戦争までの作戦などを記録した「戦史叢書」(102巻)を全面改訂することを決めた.
現在,改訂準備のための資料編さんを進めており,約10年後には1巻目を出したいという.
本だけでなく,CD―ROM化し,コンピューターグラフィックス(CG)を使った動画を入れるなど,利用しやすい工夫もする方針だ.
新事実を盛り込み,分量も1・5倍ほどに膨らむことになりそうだ.
〔略〕
叢書の資料収集,執筆には主に旧日本軍の関係者らが当たった.
終戦とともに,軍にあった公文書などの多くは焼却処分されたが,残された資料や,旧軍関係者らからの聞き取り調査などをもとにまとめられた.
だが,完成後事実関係の間違いや誤植が1000か所以上指摘され,新事実や追加すべき項目なども見つかった.
さらに「専門家でなくても読める本に」という要望もあり,同研究所で全面改訂を検討してきた.
今後5年程度かけて新叢書の概要を決めるが,CD―ROM版では,中高校生でも理解できるようにCGや図表を多用,必要な部分をすぐに検索できるようにする考えだ.
また,海外の資料などをもとに,米軍側の作戦や行動,戦後の安全保障についても,叢書に盛り込む方針という.
――――――2003/8/12 読売新聞
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 現在のほぼ5割増しかそれ以上のボリュームになるそうな.
1.5倍だと個人じゃ収容不可能な故,ROM化される.
収容スペースほとんど食わない.
ただ,味気ないのは認める.
当時と比べて,確実に需要はないだろうに・・・
ほんとに全巻発行までもつのか・・・?
また,事業のための資料収集はずるずるやってるものの,改訂にあたって大元帥の戦争指導をどう書くかが問題となり,頓挫していると聞いた.
(関わらないところは進めてるみたいだが)
ソースは確実だが明かせない系のものなので,話し半分に聞いてくれれば.
軍事板
青文字:加筆改修部分
▲
▼ なお,防研は戦史叢書完結後の史料公開と,研究の進展を踏まえて,開戦経緯から戦後の講和までを対象とした,太平洋戦争の概説書を全3巻の予定で,平成26年度に第1巻を出すのを目標に刊行準備してるようだよ.
戦史研究年報 第13号
活動報告(平成21年)
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/201003/18.pdf
扱う期間の長さやテーマの多さを考えると,3巻で収まるかどうか微妙だけど.
軍事板,2010/05/22(土)
青文字:加筆改修部分
▲
320 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 00:01:54
ID:???
>「専門家でなくても読める本に」
ちょっと怖い改訂されませんように.
>戦後の安全保障について
これは叢書には要らない部分な気がする.
321 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 00:02:14
ID:???
>「専門家でなくても読める本に」
全巻合わせて,数万円に抑えてくれるのか?
322 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 00:05:30
ID:???
>「専門家でなくても読める本に」
萌えキャラを使ってみますた(これじゃ萌えられねーんだよ!)
>戦後の安全保障について
現在の自衛隊としての政治的な立場,要求の表明の場として使います.
だったら悪夢だな(笑)
324 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 00:30:50
ID:???
一ヶ月に一冊くらいのペースで出るなら買ってもいいかも.
337 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 09:38:00
ID:???
昔のはそのままで,子供向けの戦史叢書を別に作ればいいだけなんじゃないかと…
まあ,子供向けの戦史叢書って何だ,ってのはあるけど.
「マンガ・戦史叢書」…?
日米両軍の司令軍を全員女性化?
338 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 09:39:48
ID:???
子供向け…×
大きなお友達向け…○
339 名前: ぼぼばん♭ ◆gdH1Km1a0U [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 09:46:34
ID:???
>>337
学研の学習マンガとかの勢いで作ればいいんじゃないかと.
340 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 09:46:56
ID:???
平易に書くって程度の意味じゃなかろうか.
公刊戦史でも『湾岸戦争 砂漠の嵐作戦』ぐらいなら中高生でも読めるだろう.
ってか読んだ記憶がある.
325 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 00:36:29
ID:???
週刊「戦史叢書」
今,年間予約すると特製バインダーがついてきます.
♪でぃあごすてぃーに
326 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 01:25:43
ID:???
>>325
ちょっと欲しいかもしれん(笑)
327 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 01:31:41
ID:???
分冊百科だと項目がばらばらに刊行されちまうな.
333 :ZII ◆RPvijAGt7k :2009/01/17(土) 03:03:20 ID:???
分冊百科はレベルが低いですからねぇ….
ワールドウエポンは冊子DVD共にそこそこ満足させてくれましたが,後の軍事系のはスカスカでしたもん.
あれに560円は出せませんよ.
おまけに保存性が悪い.
何年かしたらゴミになるような体裁に,合計何万も突っ込む気には到底なれませんよ.
341 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 10:29:47
ID:???
>>325
初回のみ数百円で,次回から数千円(笑)
342 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 10:30:54
ID:???
栗田ターンキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
ジンギスカン作戦(笑)
とかなると確かに読みやすいかも知れないが,権威は薄れるな.
343 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 11:01:31
ID:???
権威が薄れるってレベルじゃねーぞ!
344 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 11:03:48
ID:???
しかし,そういうものを普段読まない人にとっては,重厚な権威は読もうという気の妨げにしかならないからな.
ある程度親しさを持たせるのは良いかもしれない.
ただ,防衛省はもうちょっと絵師を選べ.
345 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 11:15:06
ID:???
ここはぜひとも一等自営業閣下に.
346 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2009/01/17(土) 11:19:42
ID:???
それだと一般人に親しくない(笑)
軍事板
青文字:加筆改修部分
▼ 【追記】
「改訂はない」説も出てきている.
>戦史叢書が全面的に改訂されるという噂があるのだが,
>実際のところはそのような話は現在ないという防衛研修所の方の話を聞いたので,
>今後もこのような大作は当分編纂されることはないであろう.
http://blogs.yahoo.co.jp/skylinegtrr33jp/29733496.html
飛ばし記事説も.
>当の防衛省防衛研究所戦史部は,
>この読売報道よりあとの時期に,戦史叢書の改訂版や要約版の発行について,
>戦史部の能力・組織・時間的に多くの困難があるとしています.
>通達(注3)でも,戦史叢書の補完も触れられてはいるものの,
>具体的な改訂版発行の話までにはなっていません.
http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/blog-entry-273.html
軍事板,2009/12/19(土)
青文字:加筆改修部分
▲
▼ 【追記】
301 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 14:07:13.31
ID:???
防研 研究成果生かし「太平洋戦争史」
日中戦争から講和条約まで 新資料で再検証
3年後から順次刊行
http://www.asagumo-news.com/news/201202/120209/12020904.html
304 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 16:19:35.03
ID:???
>>301
結局,戦史叢書の改定ではなくて,コレになっちゃったのかな?
タイトルも微妙だなぁ.
305 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 16:33:05.54
ID:???
>>301
戦史叢書では「大東亜戦争」の呼称を採っていたのにな.
>>戦争を指導した大本営や上級部隊の意思決定や動向に焦点を当てて検証したい
『戦史叢書』では殆んど触られていない兵站や衛生,情報戦も取り上げて欲しかったな.
307 :Lans ◆xHvvunznRc :2012/02/13(月)
17:00:31.46 ID:???
だから,戦争指導重視で,戦史叢書とは重複しないって,前から書いてたやん.
308 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 17:40:08.48
ID:???
いや,戦史叢書でも,兵站や衛生,情報戦はほとんど取り上げられてないから,取り上げても重複しないよ.
306 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 16:53:55.69
ID:???
>>305
長門,五十鈴に乗ってた祖父も,普通に「大東亜戦争」と言っていた.
当時の政府が命名した呼称にすべきと思う.
312 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:51:21.29
ID:???
>>306
著しく実態から乖離していなければ,人口に膾炙した名称でいいんじゃないかな.
日露戦争を,正式に「明治三十七乃至八年戦役」と呼ぶべきだという人は,少ないと思うし.
309 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 17:40:25.67
ID:???
戦争の名称なんかどうでも良い.
重要なのは中身.
310 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 17:47:11.27
ID:???
「日本人が
絶対勝てない相手に
成り行きで戦争して負けました」
>中身
3行ですんでしまうがな…
311 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:06:12.47
ID:???
そんな事言ったら世界史だって,
「人間が
色々あって
今も戦争しています」
で終わってしまう…
314 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:53:14.33
ID:???
「賢く戦えば
戦争に
勝てます」
クラウゼヴィッツを3行でまとめてみました.
315 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:54:22.00
ID:???
「勝てる相手と
戦えば
勝てます」
孫子を3行で(ry
316 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:56:48.09
ID:???
「大日本帝国を
批判する奴,
みなサヨク」
戦争論(小林版)を(ry
317 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 18:57:57.33
ID:???
「すべては
海軍の無理解が悪い.
バカヤロー」
「海上護衛戦」を(ry
318 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:02:20.03
ID:???
「遠征して
反撃をしりぞけて
戦後処理もしてきた」
「ガリア戦記」(ry
319 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:05:47.23
ID:???
古典的名著を三行で語るスレッドはここですか?
320 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:07:27.83
ID:???
「来た.
見た.
勝った」
「3行で」の元ネタはカエサルだったのか.
328 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 20:21:11.56
ID:???
>>320
「来た,見た,買うたの喜多商店」
昔の関西ローカルCM思い出したわ.
322 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:11:41.68
ID:???
「腹が
減っては
いくさはできぬ」
「補給戦」(ry
323 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:37:44.58
ID:???
「グルーシー,
何時になったら
来るのやら」
「セント=ヘレナ覚書」(ry
324 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:38:07.70
ID:???
「決勝点,
兵力つぎ込め
できるだけ」
ジョミニ.
325 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:52:39.48
ID:???
「思えば
遠くに
来たもんだ」
「アナバシス」(ry
326 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 19:54:25.82
ID:???
「戦争に
行ったら嫁(予定)に
逃げられた」
「ジューコフ元帥回想録」(ry
327 :名無し三等兵:2012/02/13(月) 20:20:42.58
ID:???
「国体はゴジされたぞ.
朕はタラフク食ってるぞ.
ナンジ人民飢えて死ね」
(ry
329 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :2012/02/13(月)
21:00:01.93 ID:???
何その『帝国戦争標語集』
軍事板,2012/02/13(月)
青文字:加筆改修部分
▲
【質問】
戦史叢書は改訂版刊行開始まで,買い控えたほうが良いでしょうか?
【回答】
2003年時点で「約10年後に第1巻を刊行したい」ですから,後5年待たねばなりません.
全巻刊行までは15〜20年でしょうか.
毎月1冊ペースでも100冊以上あるのだし.
なので必要な分を見繕って,入手しておいた方が何かと役立つでしょう.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
◆◆政治状況
【質問】
戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが,実際はどうなんでしょう?
【回答】
「立憲君主制」だったか,という意味においては,少なくとも日中戦争前に関してはイエス.
日中戦争より後に関しては,形骸化していった,とするのが教科書的な見方.
◇ ◇ ◇
まず,民主主義は,本来は「主義」(-ism)ではありません.
体制概念(-cracy)であり,君主制(政),独裁制(政),貴族制(政),寡頭制(政),民主制(政)…といった具合に,主権者は誰であるかということを示す概念であって,自由主義(-ism)というイデオロギーとは別物です.
国民の意志に従って政治が行われるという形式が制度上保証されていれば,民主主義と呼ぶことに問題ありません.
自由主義であり,君主制(立憲君主制)というのは,十分に成立します.共産主義であっても,実質は独裁制であっても,形式上は民主制というのも,十分に成立します.思想・良心の自由が保障されているかどうかはまた別の問題なんです.
すなわち,Democracyは,民主制,民主政治と訳すのが正しく,「民主主義」というのは厳密に言えば,「誤訳」なんです.簡単に言ってしまえば,「民主主義」というのは,何者かが作った「日本だけのイデオロギー」と言っても過言ではないのです.
例えば,共和制をrepablic,そのの支持者をrepablicanと英語では言いますが,決してrepablism(共和主義),repablist(共和主義者)とは言わない.
民主制の支持者をDemocratと英語では言いますが,決してDemocratism(民主主義),Democratist(民主主義者)とは言わない.
イデオロギー概念ではないものに「主義」を適用するのは,非情に困った間違いなんです.厳密に政治学的・行政学的に言えば.
さらに言うならば,多くの君主制国家は,日本で言う「民主主義的」,あるいは正しく「自由主義的」であっても,民主制ではない.「立憲君主制」であります.イギリスのごとくに,如何に普通選挙による議会(特に,英国の場合は下院)の権能が強かろうが,立憲君主制であるという事実は変えようがありません.
これに加え,「戦前の日本」という言葉も非常に誤解を生みやすい用語ではないのかな,と私は考えます.
日本は大日本帝国憲法制定以来,国家制度の根本を変更してはいませんが,大正から昭和前期の日本と,日中戦争以後の日本は,議会・法制度の運用や政治勢力の分布の点から見ても,本当に同じ国家か,と思うほど違います.「戦前」とはいつのことを指すのか,という点にも留意された方がよろしいかと.
さて,以上の二点に注意しないと,戦前日本の「民主主義」に関しては語りにくい,という点をふまえて話を進めます.
今までの議論で,単純に「民主主義国家であったか」という問いは誤解を生むので,「選挙で選ばれる議会を通して,国民の意見が政治に影響をかなりの程度与えうる」「立憲君主制」であったのか,という具合に質問を読み替えれば,少なくとも日中戦争前に関しては明らかにイエスです.
大石眞等は,大日本帝国憲法の条文は,君主の権限を制限し,議会の力を認めた,英国同様の立憲君主制だったとする論調です.英国で議会法が出来,立憲体制が確立したのは20世紀に入ってからですから,それも踏まえているのかもしれません(ドイツには議会に予算審議権などなく,行政の力が圧倒的に強いのに対し,日本は英国に近く,議会を通さないと予算が下りません)
同時にドイツ風の(俗に言う外見的立憲主義)に傾いた点も示しています.
議会に予算審議権があり,これを通して議会が政治的影響力を増加させていったことを理論的に示したのが,坂野潤治氏の「明治憲法体制の確立」です.
逆の論調もあります.著者は忘れましたが,岩波の比較憲法論の本だったと思います.法律の留保などにも言及し,むしろドイツよりも民権が抑えられている事を強調しています.
その後いわゆる大正デモクラシーの時期を迎え,日本にも衆議院で多数を占める政党が内閣を構成するという時代が訪れます.その背景には,原敬(写真左)や浜口雄幸といった政党政治家がイギリス風の立憲君主制を指向し,ある程度実現させつつあったとするものに,伊藤之雄氏や川田侃氏の研究があります.
以上より,世界恐慌・満州事変の時点までは,当時の立憲君主国として十分に合格点に近いのではないか,と私は考えます.
さて,その後昭和恐慌をへて,政党に対する民衆の支持は失われていきます.
その結果,対外侵略による恐慌の脱出を指向する軍部の影響力が高まり,政治的自由は失われ,議会を通して国民が政治に対する影響を与えることもなくなっていく,とするのが教科書的な見方でしょうか.
不敬罪や治安維持法,治安警察法,讒謗律,新聞紙条例,特高警察,集会条例,内務省のマスコミ検閲その他もろもろも,反共政策の流れの中で強化され,特に1927年の3・15検挙後は,逮捕者の中に,当時のエリート層である帝大生などの多数の学生が含まれていたことに政府は衝撃を受け(例えば田中義一首相=写真右=は,「共産党事件の発生に対し,私は国体の精神と,君臣の分議とに鑑み,実に驚懼措く所を知らない」と声明を発表している),治安維持法を死刑法にすることや,特高警察の拡大や思想係検事の増員などが図られます.
戦前の日本の風潮は「軍部万歳,赤は死ね」でしたから,上に列挙した法律や政策は,「日本人の全体意志(そんなものがあるとすれば,ですが)」に適うものだったと言えるでしょうが,治安維持法は1935年以後,合法的であった思想・運動にも適用され,宗教弾圧にも利用されはじめます.
例えば,36年のコム・アカデミー事件や38年の唯物論研究会事件では学問研究が犯罪視され,1936年の人民戦線派検挙事件と37‐38年の人民戦線事件では取り締まるべき結社がないのに検挙が行われました.
1935年から39年にかけては,皇道大本教,ひとのみち教団,天理本道教などの新興宗教や新興仏教青年同盟,キリスト教の灯台社が弾圧されました.
さらに41年には,経済新体制をめぐる支配層内の抗争の解決策として,企画院の官僚の弾圧にさえ利用されました(企画院事件).
開戦直前〜戦中の大政翼賛会になると,民主制はもう本当に形式だけになってしまいます.
ただ,この点に関しては,戦時中でも議会を基盤とする既成政党勢力がかなりの政治的影響力を保ち続けたとする,古川隆久氏の「戦時議会」という研究も近年出ました.
また,戦時下においては,アメリカでは,戦時中は軍事費は事実上,フリーパス,その上予算の八割取っていたり,英国では非常大権法と言われる,国民の財産や命すらを国王に捧げる法律ができたりと,どこの国でも程度の差はあれ,同じようなことはあり,これらを踏まえれば,別に日本だけが特異だったとは思われません.
(即死回避板&日本史板)
(画像引用元:参議院)
【質問】
第二次大戦直前〜戦中の大日本帝国の内閣はどのように選ばれてましたっけ?
【回答】
元々,内閣総理大臣は元老によって選定されていた.
で,第二次大戦の前までには元老が西園寺公望だけになっちゃったので,重臣会議というものができて,ここで首相を選定することになった.
国民の意思の影響はあったか,となると,ゼロではないんじゃないかな.限りなくゼロに近いとはしても.
ちなみに,東條英機を首相に選んだのは当時の天皇側近たち.
東條は戦争バカで陸軍内で力を持っていたが,天皇への忠誠心も強かった.
そこで東條を首相にして,天皇から戦争反対を意志を伝えられれば,東條が陸軍の主戦派を押さえてくれるであろう,という期待があった.
【質問】
今読んでる本に,当たり前のように
「1930〜1945年の日本はファシズム時代で軍国主義である」
と断言して書いてあるのですが,本当ですか?
【回答】
とりあえず,ファシズムについてwikiの記述
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
で,
「日本にファシズムありや?無しや?」
ってのは,色んな思想の人が考えては頭狂いそうになってた思想.
例えば丸山真男は,ヨーロッパ・ファシズムの定義が日本になかなか当てはまらんので,日本風ファシズムを考えようとして,入院しちゃったりしてるし,江藤淳は天皇の空状態を説明しようとして,それが後年,突発発狂を彼の持病にしたという因果.
司馬っちの「魔法の杖」※に至っては,とても「なるほど」と言える思想じゃない(思想家じゃないから良いけど).
でも,あの時代は確かに軍国主義だった.
少ない時で国家予算の3割を,多いときで九割近くを軍事予算に突っ込む程度には軍国主義だった.
高速道路網を整備しようとした洋行帰りの内務官僚が興亜院に転属させられた上満州でぬっ殺されるなど,立派に寡頭政だし.
本場物の軍国主義やファシズムに比べるとぬるいけどね.
※司馬の辻政信批判の中にある言葉.
「近代国家の高級軍人で,しかも統帥権という魔法の杖をもっている人間が,戦車の知識が全くないんですよ」
【質問】
日本国家社会党って何?
【回答】
社会民衆党から脱党した赤松克麿(かつまろ)派を中心とする国家社会主義政党で,1932年(昭和7)5月29日結成.
結党大会では「一君万民の国民精神に基き搾取なき新日本の建設を期す」を綱領に掲げ,その後「新満州国承認・国民生活窮乏打開国民大会」,五・一五事件減刑運動,農村救済運動などに取り組んだ.
日本労働同盟,日本農民組合山梨県連,日本中小商工連盟,日本国民文化同盟などを組織基盤とし,同年末には100余支部,1万7822名を擁したが,党勢は32年秋をピークに後退した.
【参考ページ】
http://100.yahoo.co.jp/detail/日本国家社会党
http://100.yahoo.co.jp/detail/平野力三
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本社会主義研究所
www7.plala.or.jp/nsjap/rekishi.html
www7.plala.or.jp/nsjap/black100.html
http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/ISBN978-4-409-52057-4.htm
【ぐんじさんぎょう】,2010/04/01 22:25
を加筆改修
日本労働同盟が採用したナチススタイルの組合旗.
黒字に赤丸を染め出し,その中を逆さ卍で白抜きしたそうですが,写真では真ん中の赤丸が判りませんね(笑)
よしぞうmaro' in mixi,2007年09月09日00:43
【質問】
「反軍演説」とは?
【回答】
1940/2/2,衆院本会議において民政党の「爆弾男」,斉藤隆夫議員が,政府の日中戦争処理方針について
「聖戦,東洋永遠の平和とか称しているが,みんな空虚な偽善だ」
と追及した演説.
逆に軍当局と親軍派から
「聖戦を冒涜した」
と攻撃され,3/7に斉藤は議員を除名された.
除名に賛成した議員296,棄権121,欠席23,反対7.
社会大衆党(浅沼稲次郎も賛成票を投じた)では除名に反対した議員を,党から除名したほどだったという.
詳しくは『興行界の顔役』(猪野健治著,ちくま文庫,2004.9.10),p.466を参照されたし.
【質問】
天皇崇拝が戦前・戦中の日本のファシズムをもたらしたのですか?
【回答】
明治以前の天皇崇拝のほうが,明治以降とは比べ物にならないほど高度な政治的意味を持っておりました.それは倒幕思想につながる危険を胚胎していたからです.
(宝暦事件・明和事件・尊号一件・生田万の乱・大塩平八郎の乱,他多数)
〔なお,〕現在も皇統譜は神武天皇を記載しております.
国家の政策として神武天皇を肯定しています.
〔戦前と〕何ら変わりません.
実のところ,神武天皇の存在について懐疑的な見方は,江戸時代から存在しました.
昭和天皇が幼少のみぎりお使いになられた歴史教科書には「伝説」である旨がきちんと記されています.
僕あたりから言わせれば19世紀の実証主義科学の限界なんですが(笑).
おっしゃりたい旨は文部省の安物パンフである「國體の本義」であり,戦時の国民学校教科書の記述−要するに昭和12年以降−あの二二六の真崎が文部大臣−革新官僚の作文−のことでしょう.2666年のうち8年のことでしかありません.
〔略〕
以上つらつらと考えるに,過剰反応としか言いようがありません.
天皇がファシズムに利用されることもあれば,革命を準備することも,自由や平等や太平を担保することもある.
その折々の世論の最大勢力を注視すればいいんです.天皇じゃない.
僕に言わせれば「天皇=ファシズム」という刷り込みが不思議ですね.
フランコは王政とそり合わなかったし,ムッソリーニもファシスト党も王政に見放されて,王抜きで亡命政権を建てる.
ファシズムと君主制は違うんですな.
大政翼賛会なんて綱領すらない団体ですし,日本の全体主義なんて結局,ファシズムと呼んだらファッショが泣くような似て非なるものとしか思えません.
国家による統制社会は虫酸が走るほど嫌いな僕です――だから共産主義が一番嫌い――が,天皇を担いだ共産主義も天皇を担いだ自由主義も共に存在し得ると思います.
【質問】
宮城遥拝は戦時中,必ず行われていたの?
【回答】
Yes.
宮城遥拝は朝鮮半島および植民地向けに“発明”された儀式だが,戦中じゃ本土の日本人にも広まっていた.
おれの親父は船乗りだったが,毎朝船長の主導で宮城遥拝をやったと話していた.
国民学校(戦時中における小学校)でも毎朝,全体朝会の折,必ず皇居に向かって深深とお辞儀した.
確認可能なソースとしてはアレだが,昭和40年代ぐらいまでに作られた戦争映画には宮城遥拝のシーンがわりとよく出てくる.
戦争映画ではないが,映画『馬鹿が戦車でやって来る』にも宮城遥拝シーンがあったはずだ.
ちなみに現在では,これに代わって憲法9条遥拝をやっている連中がいる.
ベクトルが違うだけで,やっていることの本質は変わらない.
軍事板
戦前の講談社絵本43「支那事変美談」(昭和12年)より
よしぞうmaro' in mixi,2007年07月15日00:17
【質問】
戦前日本でも,退役職業軍人が議会にはいるなんて事は結構あったはずだから,もっとつっこんだ軍事論議ってできたはずなんだよなあ.
徴兵で兵隊いった人だって,議員の中にもたくさん居たはずだし,選挙区にだって兵隊帰りの人や現役の将兵が居たはず.
不思議.
なぞ.
どうして?
【回答】
軍隊は完全な階級社会です.
帝国陸軍で言いますと,陸士・陸大出の軍刀組が最高の地位にいました.
当時の社会で,絶対的なエリートでした.
相対的エリートの現在の東大なぞとは,たぶん,比べようもないくらい信頼されていた権威者でした.
その上,天皇陛下の直属の股肱であります.
軍官僚内部からは批判は出来ても,退役軍人の議員程度では歯が立たなかったのでしょう.
その意味では,真の意味での「国民軍」ではなかった,残念ながら,そう思います.
当時の国民は,現在より軍事常識が豊富にあったでしょう.
でも,それ以上に,というよりそれ故に,帝国陸海軍を純粋・純朴に信頼しておったのでしょう.
憎むべきは,「天皇陛下の無謬性」を「軍高級官僚の無謬性」に移し替えた詐術者達です,
私は,仲間の軍人を“軍紳”に祭り上げた現役の軍官僚と,軽薄なマスコミが責を負うべき者達だと思っています.
憂える事に現在もなお,高級官僚達の「身内意識第一主義」は変わらず,無責任なマスコミは相変わらず横行しています.
【質問】
「統帥権の独立」は文民統制を否定するものだったの?
【回答】
文民統制は統帥権の独立と対をなす制度で,いわばコインの両面.
開戦講和及び予算人事は政治の仕事というのが文民統制.
戦術は指揮官の専権事項,政治家といえども口出し厳禁というのが統帥権の独立.
どちらも専門家にまかせなさいということで,本来は同じ事を表す.
戦時中の日本では東条が首相と総長を兼任し,通説とは逆に政治と統帥権の区別がなくなった.これはむしろ統帥権の独立の否定と呼ぶべきもの.
もっともそれだけではなく,山縣が陸軍大臣の権限を総長に移した事や大臣現役武官制も問題だった.
英国では逆にチャーチルが作戦に口出しして大失敗.何万もの兵が危機に陥った.
まあ専門家の意見を聞くのが一番ということです.
というと東条は軍事の専門家じゃねーかとお思いでしょうが,首相を兼任した事により戦理を捻じ曲げインパール作戦を始めたように,軍人を首相にすれば良いわけではありません.
あくまで政治は政治の立場で,軍事は軍事でと言うのが重要.
だから統帥権の独立のためには軍人は政治に距離をおくべき,これが軍人勅諭の精神なんです.
むしろ軍人が首相や政治家になるのは歓迎すべからざる事なんですね.
政治家になった軍人はしばしば指揮を誤っていますから.
最後にどうしても対立した時は政治が優先します.それは人事権の発動によります.
国民が選んだのは政治家ですから.
もっともこれは民主制ではと言うことで本当に正しいかどうかは別です.
政治が軍事に優先した結果滅びた国や政権もあります.
そもそもナチスは軍部独裁じゃありませんでしたし・・・
ナチスとは正反対に,政治が戦備を怠った例は近代では稀です.日本みたいに平和主義者が蔓延る国の方が例外ですから.
ですので戦備を怠っても平気だという理由にはなりません.
フィリピンをみればわかる通り,離島を奪われるなんて事はしょっちゅうですし.
【質問】
戦前,日本で戒厳令が発令された事例はいくつあるのでしょうか?
またそれ以外にも,治安協力のために軍が出動した事例はどれほどあるのですか?
【回答】
前者は日比谷焼き討ち事件,関東大震災と2・26事件.
後者は米騒動.
なお,いわゆる戒厳には大日本帝国憲法では軍事戒厳と行政戒厳があります.
前者は戒厳令に基づく戒厳を指し,後者は戦時ではない緊急時に,憲法8条による緊急勅令によって布告する戒厳です.
http://www.iris.dti.ne.jp/~rgsem/mlaw1.html
【質問】
小説『紺碧の艦隊』みたいに,改革のためのクーデターを起こすことは実際問題として可能だったの?
【回答】
まず不可能.
軍国主義の戦前とはいえ,民主制は確固として存在していた.
本来,首相は天皇から任命されなければならない.
したがって,あの小説のように大高を首相にしたいなら,
国難に付き天皇より大高首相就任の勅令下る
↓
大高内閣は軍改革,青年将校や保守派のクーデター
↓
鎮圧して粛軍,憲法改正により統帥権を明文化
↓
アメリカ開戦
とならなければならない.
当時,議会も天皇も認めた内閣を武力打倒するのは許されない.
こんな事すれば,仮に天皇が信頼してどんな事を言っても,大高内閣なんて,国民は天皇を脅して作った内閣と思われる.
そんな内閣に改革など誰も認めんよ
・・まあ,スターリン張りの粛清をやれば出来るかもな.
【質問】
戦前日本では,軍部が大臣を出さないという手段により,安易に政権を潰す事ができたそうですが,これは軍部に限らず,他の省庁でも,やろうと思えば可能でしたか?
【回答】
協力内閣運動の際の,安達謙蔵内相の例などが想定されているんですかね.
第二次若槻内閣(民政党)です.
安達は,軍部の支持を受けた政友会との大連立内閣(協力内閣)を組織すべきだと考えたのですが,幣原・井上などの反対を受けて,最終的には若槻首相がその構想を拒否します.
これに対して安達は,閣議への出席を拒否,帝国憲法では大臣の任免権が首相にないので,解任することもできず,閣議は全員一致制なので,安達抜きで行政を進めることもできず,追い込まれた若槻内閣は総辞職しました.
確かにこの手は全大臣が使えるのですが,現役武官制によって大臣の進退を軍部がコントロールできる軍部大臣とは異なり,他の省庁では大臣の任用資格が限定されておらず,政党政治家が多く任命されていましたから,各省の官僚団が(軍部と同様に)この手段を使えたとは言えないだろうと思います.
また,首相が
「大臣は病気だ」
と言い張って臨時代理でも任命してもらえばそれまで,という気もします.
単独上奏権を使って天皇に直接辞表を奉呈し,後任を(現役武官制を盾に)出さないという,確実な手法が使えたのはやはり軍部だけだ,としておくのがよいかと思います.
おおや in FAQ BBS,2010/1/14(木) 14:10
青文字:加筆改修部分
【質問】
若槻礼次郎って誰?
【回答】
若槻礼次郎(1866〜1949)は,松江藩生まれの政治家.
東京大学仏法学科を首席で卒業後,大蔵省入省し,その後,政治家に転身.
昭和5年,首席全権大使としてロンドン軍縮会議に出席し,軍縮条約を結んだが,会議においては,その海軍知識の該博さから「文官提督(civil
admiral)」と渾名されるほどだったという.
日米開戦のときには「現下の情勢で開戦するのは憂慮に堪えない」と反対.
また,和平派の一人として東条内閣を倒閣し,終戦工作にも関わった.
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