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『鍾馗戦闘機隊 帝都防衛の切り札・陸軍飛行第70戦隊写真史』(大日本絵画,2009.1)
【珍説】
『丸』によると,武装,最高速度,防弾装備を含め総合性能を数字にした面白いデータがある.
総合能力零戦21型を100とすると,飛燕72,疾風80,紫電改110となっている.
攻撃力指数をあげても,零戦21型100に対し,飛燕118,疾風118,紫電改144.
疾風を優秀機とするのに,スタイルだけみてはいないだろうか.
【事実】
この数値……アレだね,空前絶後の迷著,三野正洋の『戦闘機対戦闘機』からか.
その表,零戦52型を総合力指数90で3位,P−51を指数77で5位にしてるだろ?
この人,日本兵器の点数を上げるためにあの手この手使うところが涙ぐましい.
性能を指数化するといって馬力で割るとか,重量だけから生産効果を測るとか.
で,指数だからあくまで万能度の目安であって強弱とは関係ないとか言うんだな.
わりと冷静にこういう操作を(ある意味楽しんで)やってるんじゃないかな.
ちなみにこの『攻撃力指数』とかいう大層なシロモノの正体は,
『各機体の装備する機銃,機関砲の口径x門数の合計毎の比』
でしかない.
銃の性能差や装弾数は考慮せず(敢えて考慮しないという姿勢).単なる破壊力の指標にすらなってないと思う.
こんなの真に受けて公の場で発言してたら名誉回復に一生かかるよ.
【質問】
一撃離脱戦法って何ですか?
【回答】
高度の優位から敵の死角に向かって降下,攻撃後はすぐ上昇に移るか,そのまま降下し速度で敵を振り切ってから上昇に移る.
上昇して高度の優位を回復した後,旋回して再び攻撃を繰り返す.
出来る限り高速を維持することが大切であり,敵と同高度で旋回してはならない.
また,編隊空戦では大きな威力を発揮する.
米空軍の場合,レーダーで敵編隊の距離方位高度数を先に探知して,優秀な電波艤装と空中電話で編隊空戦にもちこんで日本機に攻撃をしかけた.
機体性能以上にそれをサポートする運用や装備が優秀だったのが,一撃離脱にもちこめた要因.
日本機の場合,一撃されてからの反撃機動や上からかぶられた場合の回避において格闘戦能力が必要だった.
ろくに連携できない戦闘を余儀なくされた日本機の場合,一撃離脱したら空戦エリアに戻れなくなりそう.
もっとも,零戦でも岩本徹三みたいに一撃離脱でP38をばたばた落していた人もいたし,それにほれ,零戦には,世界最高の相手の上に舞い上がる「悪魔のような」上昇力があった(軽量化のお蔭)わけで,P51だろうがなんだろうが零戦の前で上昇したらおしまいだった.
……って書いてて思い出したけど,サムライ坂井がUSのベテランとの会話で,自分のダイブで逃亡するのを封じるやり方―――追いかける時に少しダイブ気味にしてスピードを稼ぎ相手よりも少し低い高度で追い詰める.相手がダイブに入ればそのまま目の前に来るのでオッケー.上昇して逃げようとすれば,これまた零戦の餌食――を説明したらその相手が絶句して,
「それをされたら自分はやられていた」
と言ったという話を書いていました.
わりと最近(4,5年まえかな?)の文章だったけど.
【質問】
運動性能が優れていた零戦や隼は,相手を撃墜することは一切,考えずに逃げ回るだけだったら,撃墜が非常に難しい戦闘機だったんでしょうか?
【回答】
空戦で最も命中させやすいのは,真後ろからまっすぐ撃ち込み続ける場合.(なのでそれに対し防弾板は操縦席の背面に付いてる)
それ以外の角度だと,射撃が非常に短時間となり,また回避する敵の未来位置を予測して撃つ見越し射撃も技術が必要.
よって零戦や隼のような機体が逃げに徹した場合,その旋回性能に追従できない機体が真後ろに占位するのは困難で,また旋回中はGがかかって銃弾がまっすぐ飛ばず,その点で撃墜が難しいのは事実.
ただし,敵の一番機を攻撃中に後ろから二番機に撃たれたり,死角から奇襲されたり,その長所を生かせない時は無意味.
隼三型に乗っていたあるパイロットは,とにかく見張りをきちんとして奇襲さえ受けなければ墜とされない,と自信を持っていたと語っている.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
なぜ日本軍戦闘機隊は挌闘戦にこだわったの?
【回答】
渡辺洋二によれば,
「数も無線機の性能も劣った日本機では,米側と同じ編隊による一撃離脱を真似しても不利は明白である.
とる戦法はロッテ式格闘戦であった.
運動性の良さで敵をとらえ,敵から逃げるのだ.
・・・
軽快性に乏しい4式戦にはこの戦法はむつかしい.
・・・
最適な機体がキ100だった」
その評価,明野で隼を使ってロッテ戦の研究やった時にも同じ結論が出たようですね.
ただ,それが出来るのってベテランだけなんですよ.
大多数の新米搭乗員には,運動性を武器に単機戦闘で生き残るのは難しいです.
結局はベテランなんかは隼三型は信頼性があるけどもう少し火力と速度のある機体が欲しい・・・・そこに5式戦が出てきてあれがベストに思えたんでしょうね.
新米はもうわけも分かんないうちに撃墜されて評価もへったくれもなかったでしょう.
疾風に関しては信頼性と出力低下で,後半は「ただ重いだけ」の戦闘機になってしまったか.
(素質がいい戦闘機なのは間違いないんだけど)
【質問】
WW2以前,日本軍機が挌闘戦をしかけて敗れるということはなかったの?
【回答】
昭和3年に日本3式艦戦3機(鳳翔搭載機)とアメリカの民間人ロバートショート操るボーイングとの空戦で,運動性に勝る3式戦は3機でかかって一発も相手に当てられなかった,という事例がありました.
そのときボーイングが勝っていたのは,速度と上昇力だけでした.
源田実等は,この戦闘から教訓を得ることができなかったのしょう.
【質問】
空戦フラップは手動で動かすの?
【回答】
錘馗の場合には手動操作ではなくてボタン操作.ボタンは操縦桿に在ります.
単に丈夫なフラップ,ではなくて,ちゃんと空戦で使える配慮があります.
隼,錘馗では,空戦フラップを使った場合のエネルギーの損失を嫌って,恐らく殆ど使われていないと思います.
疾風では操縦桿でのフラップ操作は廃止されました.
紫電の場合も「上げ」だけは操縦桿のボタンで操作できる様になっています.
ついでに.
空戦フラップは小回り性能を向上させるでしょうが,運動性のほうは逆に悪化しそうな気がします.
当時でもパワーの裏付けのない機動は通用しなかったと思います.
紫電の場合も失速防止装置として見たほうがよさそうです.
(普通なら失速する様な急旋回でも失速しない)
【質問】
零戦や隼の異常な航続距離ですが,当時の常識は,あれだけの航続距離出すには双発が必要というものでしたし,車やバイクのカタログデータでも一番あてにならないのが燃費です.
飛行機も同じでは?
【回答】
普通,エンジンと機体のマッチングが取れているなら,巡行速度ならびに巡行高度は大体一意に定まります.
後は機体の燃料タンク容量を比べればよろしいかと.
飛行機の場合,車ほど激しい出力変動をしませんから・・・
そして,戦闘時の消費率は巡行の三倍みればいい,と聞いております.
つまり,戦闘30分,は順航で一時間半に相当します.
# 元ネタはさすがに忘れました.
【質問】
坂井三郎の記述の中に,
「紫電改は喜界島までしか行けなかったが,四式は与論まで往復できた」
というくだりがあったのですが,同じようなサイズ同じような重量同じような燃料搭載量でも航続距離が大きく変わることってあるのですか?
【回答】
似たような形でも前面投影面積が大きく違うことはいくらでもあるし,さらに形状抵抗摩擦抵抗,果てはエンジンの性格(同じシリーズのエンジンなら同じ性格とは限らないのはわかってるよな),etc
etc,
いくらでも航続距離に関わる要素はある.
ちなみに,疾風の正規航続距離は1600〜1745キロ(資料によって多少違いあり)だったと思います.
落下タンク装備で最良状態の場合,2500キロでしょうか(これも2000,2168キロというデータもあります.)
一方,紫電は1430km/4000m,改は1730km/3000mとなっている.
第二過荷だと,紫電が2545km,改が2392km.
空気抵抗が少ないため,巡航高度の低い改だが,増槽を付けると,逆により低空ゆえに大きい抵抗を生み出し,紫電に負けてしまうのだろうか.
最後に一言,紫電は局地戦闘機なんだしぃ.
【質問】
坂井氏の著書によると,日本軍では空戦でロール系の技は使わないそうですが,では,日本軍戦闘機ではロールは考慮されなかったの?
【回答】
そうでもないですよ.
天雷の時に「この補助翼を烈風に付けたい」って言われたし,彗星の補助翼が小さ目でロール性能が悪いので夜戦化した時に問題になったり(違ったかな?,銀河の夜戦型の極光だったかもしれない),操縦者の好みもあると思います,
坂井氏に関しては空戦時に「横転操作での射弾回避は邪道」って考えの人だったと思いました.
日本機の中ではロール率が高かったと言われる2式単戦,雷電が日本のパイロットに不評だった事を考えると,ロール方向は安定指向,これが日本人パイロットのスタンダードだったのかもしれませんね.
疾風はなにかと隼と比較されるので,横転性能もその意味ではないかと思いますが.
【質問】
日本の水上戦闘機の性能を教えてください.
【回答】
●二式水上戦闘機(昭和17年7月に正式採用)
最高速度 436km/h 上昇限度 9,760m
航続距離 1,778km プロペラ ハミルトン定速3翅
発動機 中島「栄」一二型空冷複列星形14気筒 900〜950馬力×1基
乗員数 1名
武装 7.7ミリ機銃×2,20ミリ機関砲×2,60キロ爆弾×2
●強風(正式採用昭和18年)
最高速度 485km/h(高度6,000m)
上昇限度 10,560m
航続距離 2,000km プロペラ ハミルトン定速3翅
発動機 三菱「火星」一三型空冷複列星形14気筒 1,420〜1,460馬力×1基
乗員数 1名
武装 7.7ミリ機銃×2,20ミリ機関砲×2,30キロ爆弾×2
【質問】
日本陸軍のキ12について教えてください.
【回答】
20mmモーター・キャノンをプロペラ軸内から発射できるイスパノスイザ12Xcrを搭載した試作戦闘機.ドボアチンD-512に似た機体.
中島飛行機がフランス人技師2名を招聘,森重信技師を設計主務者として,昭和11年開発.
低翼単葉,引き込み脚,スプリット・フラップを装備した直線テーパ翼など,進歩的な設計だったが,同時期のキ27,キ28,キ33に比べて旋回性悪く,エンジン国産化の目途も立たなかったことから,不採用に.
要目などは以下を参照されたし.
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki12.htm
キ12

【質問】
本土上空では本来より優速のハズのアメリカ機を,隼のような日本機が振り切る事例には事欠きません.
これは何故ですか?
【回答】
敵は帰りの燃料を満載.さらに帰りの燃料を心配して深追いはできない.
全速で逃げる隼に追い付けなくても無理はありません.
しかも,逃げる側は制限を無視して(命がけだしね),とんでもない高ブーストで疾走した可能性もありそうです.
(速度制限を無視してM3で逃げたMiG25みたいに)
で,実戦では生き残ったほうが勝ち,
重かったから,なんて言い訳は一切通用しません.
だから
「P公よりも(オレの乗った)日本機のほうが速かった」
のも事実です.
もう一点,「最高速度」は空気密度の薄い高空のほうが有利な数字です.
高度7600mで700km/hと高度5500mで600km/hならば,実力の差は100km/hよりずっと小さいと考えるのが妥当と思います.
(こっちは機体の優劣の話)
「最高速度という数字」だけにこだわれば高々度性能重視のほうが有利だからです.※
速度性能についての考察
TAS=CAS/√(1.225/ρ)――多分合ってると思う(汗)――で換算すると
700km/h(7600m)ならばIAS=469km/h
同じIASを5400mで維持すると速度は618km/h(雷電わずかに届かず)
同じIASを5200mで維持すると速度は611km/h(錘馗わずかに届かず)
IASが同じならば,同じ抗力を受けていると考えられるので,700km/h(7600m)と,618km/h(5400m)の機体は速度性能に差がない,とも言えます.
雷電は過給機で2200m分楽をしている事になりますが,逆に速度性能には不利に働く(無理しても全開高度を上げたほうが有利)可能性も大きいので,ここは難しいです.
以上は戦闘機の場合に限ります.
旅客機ならばGSの速いほうが速い飛行機です.
あと,「機体」の評価(空力等々)であって,兵器として云々は別の話しです,念のため.
したがって,600km/h(5600m)と700km/h(7600m)でどっちがスゴイ?という問には簡単には答えられません.
高く飛べるほうが強い,とレギュレーションを決めれば別ですが.
(そうならP47やTa152が世界最強です)
あと,日本がB29相手でふがいなかったのは,高々度戦闘機の欠如であって別に日本の「中高度戦闘機」がだらしなかったワケではないです.
※
低高度の性能を犠牲にすれば全開高度は上げられる.
そして,そうしたほうが「最高速度」には有利.
でも,これは特性であって性能ではない.
フッカー博士の過給機,P47のターボを見ちゃうと負け惜しみかな.(笑)
【質問】
「カタログ値の最大速度が戦闘において余り意味を持たない」のは何故ですか?
【回答】
その理由として,戦闘中は常にカタログ値の最大速度で飛んでいるわけじゃないからです.
戦闘中の速度と高度は目まぐるしく変化します.
ビギナーの人が良く誤解するんですが
「零戦52型は最大速度565キロでP-51Dは703キロだから,零戦はP-51Dに追いつけない」
って単純に考える人がいますが間違いです.
実際には低空でP-47が隼に追いつけなかった例もあります.
P-47やP-38がゼロやオスカーと対戦する時に
「大事なのは高速の維持」
と指導されていますが,高度によって出せる最大速度は変化するし,上昇したり旋回すればやはり速度は変わります.
カタログ値の最大速度が低くても,余剰馬力が高く加速性の良い機体は,カタログ値での最大速度が大幅に勝る機体に対しても格闘戦では速度的にも有利だったりします.
ゲームの中と違って戦闘機ってのは,戦闘中でも常にカタログ値の最大速度で飛んでいるわけじゃない,って事は念頭に置いておくべきです.
(機体のポテンシャルを測る上では,最大速度は意味がないわけじゃないけど)
【質問】
旧陸軍の1式戦”隼”は戦後,フランスに接収されて暫く使用されていたと聞いたことがあるが,詳しく教えて.
【回答】
1945年8月に日本が降伏した際,旧支配者のフランス軍には,まともな飛行機材がありませんでした.
英国や米国から機材が供与されるのも先ですし,フランス本国から戦闘機を運んでくるのも間に合わない,
しかし,1945年8月15日以降,ホーおじさんやNorodom
Sihanoukが其所此所で独立宣言をするので,鎮圧用の兵器や機材を調達する必要がありました.
そこで一時的に日本軍から引き渡された機材を流用しました.
インドシナ駐留の日本軍から引渡を受けた機材は直ちにFrance軍に編入され,一式戦闘機は8機が使用されました.
少なくとも,一式戦二型改の写真が残されています.
この機体は,Phnom Penh駐留のGC1/7に属していた機体です.
眠い人◆gQikaJHtf2,2006/08/21(月)
「隼」マーキング各種
右側上から2番目が,フランス軍仕様
ちなみに同3番目はインドネシア軍仕様

【質問】
日本海軍戦闘機隊が参加した主要空戦の結果は?
【回答】
日本側戦果と敵側記録は基本的に公式記録.
南京攻撃(S12.09.19)
参加兵力 戦×12、艦爆×17、水偵×16
戦果 撃墜33(内不確実6)
損失 艦爆×3+水偵×1
敵側記録 戦果不明、被撃墜11
広東攻撃(S12.09.21)
参加兵力 戦×24、艦爆×24、艦攻×6
戦果 撃墜16(内不確実1)
損失 戦×5
敵側記録 戦果不明、被撃墜11
南京攻撃(S12.10.12)
参加兵力 戦×11、陸攻×9
戦果 撃墜5+撃破2
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
南京攻撃(S12.12.02)
参加兵力 戦×6、艦攻×8
戦果 撃墜13(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果不明、被撃墜10
南昌攻撃(S12.12.09)
参加兵力 戦×8、陸攻×15
戦果 撃墜12+撃破12
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S12.12.22)
参加兵力 戦×12、陸攻×11
戦果 撃墜17(内不確実4)+撃破13
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.02.18)
参加兵力 戦×11、陸攻×15
戦果 撃墜18(内不確実1)+撃破5
損失 戦×4
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.02.25)
参加兵力 戦×18、陸攻×35
戦果 撃墜42(内不確実13)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
広東攻撃(S13.04.13)
参加兵力 戦×6、艦爆×18
戦果 撃墜15(内不確実3)
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.04.29)
参加兵力 戦×28、陸攻×18
戦果 撃墜51(内不確実11)
損失 戦×2+陸攻×2
敵側記録 戦果24、被撃墜13
漢口攻撃(S13.05.31)
参加兵力 戦×35、陸攻×18
戦果 撃墜20(内不確実2)
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.06.26)
参加兵力 戦×28、陸攻×18
戦果 撃墜19(内不確実4)+撃破2
損失 なし
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.04)
参加兵力 戦×23、陸攻×26
戦果 撃墜45(内不確実5)+撃破9
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.16)
参加兵力 戦×15、陸攻×18
戦果 撃墜10+撃破3
損失 なし
敵側記録 詳細不明
南昌攻撃(S13.07.18)
参加兵力 戦×6、艦爆×14、艦攻×5
戦果 撃墜9(内不確実2)+撃破19
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
漢口攻撃(S13.08.03)
参加兵力 戦×29、陸攻×18
戦果 撃墜32(内不確実5)+撃破7
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
南雄攻撃(S13.08.30)
参加兵力 戦×6、艦爆×5、艦攻×4
戦果 撃墜17
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
柳州攻撃(S14.12.30)
参加兵力 戦×13
戦果 撃墜14
損失 戦×1
敵側記録 詳細不明
桂林攻撃(S15.01.10)
参加兵力 戦×26、陸攻×27
戦果 撃墜16+撃破9
損失 なし
敵側記録 詳細不明
重慶攻撃(S15.09.13)
参加兵力 戦×13、陸攻×27
戦果 撃墜27
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S15.10.04)
参加兵力 戦×8、陸攻×27
戦果 撃墜6+撃破19
損失 なし
敵側記録 詳細不明
昆明攻撃(S15.10.07)
参加兵力 戦×7、陸攻×27
戦果 撃墜14+撃破4
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S15.10.26)
参加兵力 戦×8
戦果 撃墜10
損失 なし
敵側記録 詳細不明
成都攻撃(S16.03.14)
参加兵力 戦×12、陸攻×10
戦果 撃墜27(内不確実3)+撃破7
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ハワイ攻撃(S16.12.08)
参加兵力 戦×78、艦爆×129、艦攻×143
戦果 撃墜14+撃破450
損失 戦×9、艦爆×15、艦攻×5
敵側記録 喪失計347
ルソン島攻撃(S16.12.08)
参加兵力 戦×89、陸攻×108
戦果 撃墜25(内不確実2)+撃破80
損失 戦×7
敵側記録 被撃墜15〜23、被撃破72〜85
ルソン島攻撃(S16.12.10)
参加兵力 戦×56、陸攻×81
戦果 撃墜43+撃破61
損失 戦×2
敵側記録 被撃墜13
シンガポール攻撃(S17.01.18)
参加兵力 戦×11、陸攻×26
戦果 撃墜15(内不確実5)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
シンガポール攻撃(S17.01.22)
参加兵力 戦×9、陸攻×52
戦果 撃墜12
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
ポートダーウィン攻撃(S17.01.29)
参加兵力 戦×36、艦爆×71、艦攻×81、陸攻×54
戦果 撃墜8+撃破21
損失 戦×1、艦爆×1
敵側記録 被撃墜4、被撃破14
マーシャル迎撃(S17.02.01)
参加兵力 戦×延34
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果5、被撃墜10
スラバヤ攻撃(S17.02.03)
参加兵力 戦×58、陸攻×37
戦果 撃墜48+撃破36
損失 戦×3
敵側記録 詳細不明
バタビア攻撃(S17.02.09)
参加兵力 戦×15、陸攻×17
戦果 撃墜12
損失 なし
敵側記録 詳細不明
スラバヤ攻撃(S17.02.18)
参加兵力 戦×8、陸攻×23
戦果 撃墜9(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
スラバヤ攻撃(S17.02.19)
参加兵力 戦×23、陸攻×18
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
コロンボ攻撃(S17.04.05)
参加兵力 戦×36、艦爆×38、艦攻×53
戦果 撃墜55(内不確実10)
損失 戦×1、艦爆×6
敵側記録 戦果21、被撃墜25
トリンコマリ攻撃(S17.04.09)
参加兵力 戦×38、艦攻×91
戦果 撃墜42(内不確実3)+撃破4
損失 戦×3、艦攻×1
敵側記録 戦果15、被撃墜14
ポートダーウィン攻撃(S17.04.27)
参加兵力 戦×21
戦果 撃墜19(内不確実6)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
珊瑚海海戦(S17.05.08)
参加兵力 攻撃:戦×18、艦爆×33、艦攻×18、直衛:戦×19
戦果 攻撃:撃墜64(内不確実5)、直衛:撃墜40(内不確実7)
損失 戦×2、艦爆×9、艦攻×8
敵側記録 戦果不明、被撃墜33
ポートモレスビー攻撃(S17.05.28)
参加兵力 戦×26
戦果 撃墜13(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ミッドウェー島攻撃(S17.06.05)
参加兵力 戦×36、艦爆×36、艦攻×36
戦果 撃墜45
損失 戦×2、艦爆×1、艦攻×1
敵側記録 戦果不明、被撃墜17
ミッドウェー海戦母艦直衛(S17.06.05)
参加兵力 戦×延120
戦果 撃墜90
損失 戦×13
敵側記録 戦果不明、被撃墜76
ガダルカナル攻撃(S17.08.07)
参加兵力 戦×17、艦爆×9、陸攻×27
戦果 撃墜48(内不確実8)
損失 戦×2、艦爆×5、陸攻×5
敵側記録 戦果不明、被撃墜12
ガダルカナル攻撃(S17.08.24)
参加兵力 戦×15、艦攻×6
戦果 撃墜15
損失 戦×1、艦攻×3
敵側記録 戦果16、被撃墜3
第2次ソロモン海戦(S17.08.24)
参加兵力 戦×19、艦爆×54、艦攻×12
戦果 撃墜10(内不確実1)
損失 戦×3、艦爆×21
敵側記録 戦果90、被撃墜不明
3704.Re: 【マリアナ】零戦は無敵じゃない19型【戦爆】
より
名前:ゆうか ◆9a1boPv5wk 日付:5月15日(金)
21時2分
ガダルカナル攻撃(S17.08.30)
参加兵力 戦×18
戦果 撃墜10(内不確実4)
損失 戦×7
敵側記録 戦果14、被撃墜4
ガダルカナル攻撃(S17.09.13)
参加兵力 戦×21、陸攻×26
戦果 撃墜17(内不確実2)
損失 戦×4
敵側記録 戦果11、被撃墜5
ガダルカナル沖船団直衛(S17.10.15)
参加兵力 戦×延52
戦果 撃墜32(内不確実9)
損失 戦×2
敵側記録 戦果8、被撃墜7
ガダルカナル攻撃(S17..10.25)
参加兵力 戦×延40
戦果 撃墜10
損失 戦×6
敵側記録 戦果22、被撃墜不明
南太平洋海戦(S17.10.26)
参加兵力 攻撃:戦×延47、艦爆×延59、艦攻×延49、直衛:戦×延51
戦果 撃墜55
損失 攻撃:戦×6、艦爆×31、艦攻×21、直衛:戦×5
敵側記録 戦果不明、被撃墜74
ガダルカナル攻撃(S17.11.11)
参加兵力 戦×44、艦爆×9、陸攻×25
戦果 撃墜25(内不確実5)
損失 戦×2、艦爆×5、陸攻×4
敵側記録 戦果11、被撃墜7
ガダルカナル攻撃(S17.11.12)
参加兵力 戦×30、陸攻×19
戦果 撃墜20(内不確実7)
損失 陸攻×12
敵側記録 戦果5、被撃墜4
ソロモン船団直衛(S17.11.14)
参加兵力 戦×20
戦果 撃墜15(内不確実7)
損失 戦×7
敵側記録 戦果不明、被撃墜8
イサベル島沖海空戦(S18.02.01)
参加兵力 戦×81、艦爆×15
戦果 撃墜28
損失 戦×4、艦爆×5
敵側記録 戦果21、被撃墜8
ガダルカナル沖艦隊直衛(S18.02.04)
参加兵力 戦×22
戦果 撃墜17
損失 戦×3
敵側記録 戦果17、被撃墜10
ブイン迎撃(S18.02.14)
参加兵力 戦×27
戦果 撃墜19
損失 戦×1
敵側記録 戦果3、被撃墜10
ルッセル進攻(S18.04.01)
参加兵力 戦×57
戦果 撃墜47(内不確実7)
損失 戦×9
敵側記録 戦果18、被撃墜6
ガダルカナル島沖攻撃(S18.04.07)
参加兵力 戦×157、艦爆×67
戦果 撃墜41(内不確実13)
損失 戦×12、艦爆×9
敵側記録 戦果28、被撃墜7
オロ湾攻撃(S18.04.11)
参加兵力 戦×71、艦爆×21
戦果 撃墜21(内不確実9)
損失 戦×2、艦爆×4
敵側記録 戦果17、被撃墜不明
ポートモレスビー攻撃(S18.04.12)
参加兵力 戦×124、陸攻×43
戦果 撃墜28(内不確実7)
損失 戦×2、陸攻×6
敵側記録 戦果22、被撃墜2、被撃破15
ミルン湾攻撃(S18.04.14)
参加兵力 戦×129、艦爆×75、陸攻×44
戦果 撃墜45(内不確実9)
損失 戦×1、艦爆×3、陸攻×3
敵側記録 戦果5、被撃墜3
海軍甲事件(S18.04.18)
参加兵力 戦×6、陸攻×2
戦果 撃墜6(内不確実3)
損失 陸攻×2
敵側記録 戦果5、被撃墜1
ポートダーウィン攻撃(S18.05.02)
参加兵力 戦×27、陸攻×18
戦果 撃墜21(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 戦果6、被撃墜13
ルッセル進攻(S18.05.13)
参加兵力 戦×54
戦果 撃墜38(内不確実10)
損失 戦×4
敵側記録 戦果16、被撃墜3
オロ湾攻撃(S18.05.14)
参加兵力 戦×33、陸攻×18
戦果 撃墜21(内不確実4)
損失 なし
敵側記録 戦果6、被撃墜13
ルッセル進攻(S18.06.07)
参加兵力 戦×81
戦果 撃墜41(内不確実8)
損失 戦×9
敵側記録 戦果23、被撃墜5
ルッセル進攻(S18.06.12)
参加兵力 戦×74
戦果 撃墜33(内不確実8)
損失 戦×6
敵側記録 戦果31、被撃墜6
ルンガ沖航空戦(S18.06.16)
参加兵力 戦×70、艦爆×24
戦果 撃墜32(内不確実5)
損失 戦×15、艦爆×13
敵側記録 戦果80、被撃墜6
レンドバ沖航空戦(S18.06.30)
参加兵力 戦×72、艦爆×8、陸攻×26
戦果 撃墜49(内不確実8)
損失 戦×13、陸攻×17
敵側記録 戦果58、被撃墜17
ブロックスクリーク攻撃(S18.06.30)
参加兵力 戦×27、陸攻×22
戦果 撃墜16(内不確実3)
損失 なし
敵側記録 戦果8、被撃墜6
ブロックスクリーク攻撃(S18.07.06)
参加兵力 戦×27、陸攻×22
戦果 撃墜17(内不確実3)
損失 陸攻×2
敵側記録 戦果7、被撃墜8
ルビアナ攻撃(S18.07.15)
参加兵力 戦×44、陸攻×8
戦果 撃墜19(内不確実12)
損失 戦×5、陸攻×5
敵側記録 戦果44、被撃墜3
ブイン迎撃(S18.07.17)
参加兵力 戦×46
戦果 撃墜58(内不確実13)
損失 戦×9
敵側記録 戦果48、被撃墜6
ブイン迎撃(S18.08.12)
参加兵力 戦×45
戦果 撃墜33
損失 戦×1、地上撃破×24
敵側記録 詳細不明
ベララベラ攻撃(S18.08.15)
参加兵力 戦×延149、艦爆×延25、艦攻×延11、陸攻×延24
戦果 撃墜29(内不確実9)
損失 戦×9、艦爆×8
敵側記録 戦果44、被撃墜不明
ブロックスクリーク進攻(S18.09.07)
参加兵力 戦×36
戦果 撃墜18(内不確実3)
損失 戦×1
敵側記録 戦果7、被撃墜3
ブイン迎撃(S18.09.14)
参加兵力 戦×延258
戦果 撃墜60(内不確実6)
損失 戦×5、地上撃破×9
敵側記録 詳細不明
クレチン岬攻撃(S18.09.22)
参加兵力 戦×35、陸攻×8
戦果 撃墜14
損失 戦×8、陸攻×6
敵側記録 詳細不明
ウェーキ島迎撃(S18.10.06)
参加兵力 戦×23
戦果 撃墜10
損失 戦×14
敵側記録 戦果不明、被撃墜12
ラバウル迎撃(S18.10.12)
参加兵力 戦×34
戦果 撃墜9
損失 戦×2、地上撃破×12
敵側記録 戦果26(他に地上撃破100)、被撃墜5
ブナ攻撃(S18.10.15)
参加兵力 戦×39、艦爆×15
戦果 撃墜14
損失 戦×5、艦爆×14
敵側記録 戦果47、被撃墜1
トロキナ岬攻撃(S18.11.01)
参加兵力 戦×79、艦爆×16、艦攻×9
戦果 撃墜3
損失 戦×23、艦爆×5、艦攻×3
敵側記録 戦果22、被撃墜4
ラバウル迎撃(S18.11.02)
参加兵力 戦×115
戦果 撃墜119(内不確実22)
損失 戦×18
敵側記録 戦果85、被撃墜19
ラバウル迎撃(S18.11.05)
参加兵力 戦×59
戦果 撃墜49(内不確実20)
損失 戦×2
敵側記録 戦果25、被撃墜13
ラバウル迎撃(S18.11.07)
参加兵力 戦×58
戦果 撃墜16
損失 不明
敵側記録 戦果23(他に撃破16)、被撃墜5
ラバウル迎撃(S18.11.11)
参加兵力 戦×68
戦果 撃墜71
損失 戦×11
敵側記録 戦果135、被撃墜7
カルカッタ攻撃(S18.12.05)
参加兵力 戦×27、陸攻×9
戦果 撃墜6(内不確実2)
損失 なし
敵側記録 詳細不明
ルオット迎撃(S18.12.05)
参加兵力 戦×53
戦果 撃墜24(内不確実6)
損失 戦×16、地上撃破×15
敵側記録 詳細不明
ラバウル迎撃(S18.12.23)
参加兵力 戦×延99
戦果 撃墜24
損失 戦×6
敵側記録 戦果30、被撃墜3
マーカス岬攻撃(S18.12.26)
参加兵力 戦×63、艦爆×25
戦果 撃墜20(内不確実5)
損失 戦×4、艦爆×13
敵側記録 戦果75、被撃墜7
ラバウル迎撃(S19.01.09)
参加兵力 戦×72
戦果 撃墜33
損失 戦×2
敵側記録 戦果21、被撃墜5
ラバウル迎撃(S19.01.17)
参加兵力 戦×79
戦果 撃墜87
損失 詳細不明
敵側記録 戦果17、被撃墜12
ラバウル迎撃(S19.02.13)
参加兵力 戦×40
戦果 撃墜23(内不確実7)
損失 戦×2
敵側記録 詳細不明
トラック迎撃(S19.02.17)
参加兵力 戦×延64
戦果 撃墜31
損失 戦×31、地上撃破×81
敵側記録 戦果56、被撃墜19
ラバウル迎撃(S19.02.19)
参加兵力 戦×36
戦果 撃墜37(内不確実6)
損失 戦×5
敵側記録 戦果23、被撃墜不明
マリアナ迎撃(S19.02.23)
参加兵力 戦×20
戦果 詳細不明
損失 戦×11、地上撃破×30
敵側記録 戦果60、被撃墜6
パラオ迎撃(S19.03.30)
参加兵力 戦×32
戦果 撃墜19(内不確実3)
損失 戦×14
敵側記録 31日分と合計
パラオ迎撃(S19.03.31)
参加兵力 戦×66
戦果 撃墜40(内不確実3)
損失 戦×44
敵側記録 戦果70、被撃墜25
南寧攻撃(S19.04.05)
参加兵力 戦×32
戦果 撃墜9(内不確実2)
損失 戦×9
敵側記録 詳細不明
トラック迎撃(S19.04.30)
参加兵力 戦×54
戦果 撃墜32(内不確実2)
損失 戦×28
敵側記録 戦果59(他に撃破34)、被撃墜35
マリアナ迎撃(S19.06.11)
参加兵力 戦×延139
戦果 撃墜9
損失 戦×22
敵側記録 戦果不明、被撃墜11
硫黄島迎撃(S19.06.15)
参加兵力 戦×37
戦果 撃墜4
損失 戦×16
敵側記録 戦果20(他に撃破7)、被撃墜2
サイパン沖攻撃(S19.06.15)
参加兵力 戦×11、艦爆×3、陸爆×10
戦果 撃墜2
損失 戦×1、艦爆×1、陸爆×8
敵側記録 詳細不明
サイパン沖攻撃(S19.06.18)
参加兵力 戦×36、爆戦×24、艦爆×2、陸爆×8
戦果 撃墜5
損失 戦×13、爆戦×1、陸爆×7
敵側記録 詳細不明
マリアナ沖海戦(S19.06.19-20)
参加兵力 攻撃:戦×107、爆戦×80、艦爆×89、艦攻×50、直衛:戦×34
戦果 攻撃:撃墜24(内不確実8)、直衛:撃墜26(内不確実3)
損失 攻撃:戦×60、爆戦×45、艦爆×56、艦攻×31、直衛:戦×12
敵側記録 グアム迎撃分と合計
グアム迎撃(S19.06.19)
参加兵力 戦×56
戦果 撃墜26(内不確実1)
損失 戦×12
敵側記録 撃墜269、被撃墜29(他に海没73)
硫黄島迎撃(S19.06.24)
参加兵力 戦×59
戦果 撃墜37(内不確実10)
損失 戦×23
敵側記録 戦果29、被撃墜6
硫黄島迎撃(S19.07.03)
参加兵力 戦×延110
戦果 撃墜39(内不確実3)
損失 戦×31
敵側記録 詳細不明
硫黄島迎撃(S19.07.04)
参加兵力 戦×延45
戦果 撃墜26(内不確実1)
損失 戦×12
敵側記録 詳細不明
中部比島迎撃(S19.09.12)
参加兵力 戦×41以上
戦果 撃墜23(内不確実3)
損失 戦×27、地上撃破×30
敵側記録 13日分と合計
中部比島迎撃(S19.09.13)
参加兵力 戦×24
戦果 撃墜7
損失 戦×9
敵側記録 撃墜45(他に撃破36)、被撃墜9
マニラ迎撃(S19.09.21)
参加兵力 戦×42
戦果 撃墜27
損失 戦×20、地上撃破×10
敵側記録 撃墜38(他に撃破10)、喪失15
台湾沖航空戦(S19.10.12-16)
参加兵力 各種延約650
戦果 撃墜112
損失 各種計312
敵側記録 撃墜破500、喪失71
バリクパパン迎撃(S19.10.14)
参加兵力 不明
戦果 撃墜38
損失 詳細不明
敵側記録 撃墜43、被撃墜7
比島沖攻撃(S19.10.24)
参加兵力 各種延199(内戦×延126)
戦果 撃墜32
損失 各種計67
敵側記録 詳細不明
エンガノ岬沖海戦(S19.10.24)
参加兵力 戦×30、戦爆×19、艦爆×2、艦攻×5
戦果 撃墜8(内不確実1)
損失 詳細不明
敵側記録 詳細不明
比島沖攻撃(S19.10.25)
参加兵力 戦×18、艦爆×28
戦果 撃墜7
損失 各種計10
敵側記録 詳細不明
ルソン島迎撃(S19.10.29)
参加兵力 戦×延142
戦果 撃墜40
損失 戦×21、地上撃破×8
敵側記録 撃墜71、被撃墜11
ルソン島迎撃(S19.11.05)
参加兵力 戦×延82
戦果 撃墜45
損失 戦×32、地上撃破×33
敵側記録 戦果不明、被撃墜25
東日本迎撃(S20.02.16-17)
参加兵力 不明
戦果 撃墜98
損失 計30
敵側記録 撃墜332(他に撃破177)、喪失49
東日本迎撃(S20.02.25)
参加兵力 不明
戦果 撃墜10
損失 詳細不明
敵側記録 撃墜25(他に撃破30)、被撃墜9
松山上空迎撃(S20.03.19)
参加兵力 戦×70
戦果 撃墜52
損失 戦×16
敵側記録 詳細不明
四国沖神雷部隊攻撃(S20.03.21)
参加兵力 戦×30、陸攻×18
戦果 撃墜7(内不確実3)
損失 戦×10、陸攻×18
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.03)
参加兵力 戦×40
戦果 撃墜17(内不確実6)
損失 戦×8
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.12)
参加兵力 戦×75
戦果 撃墜25
損失 戦×20
敵側記録 詳細不明
沖縄特攻制空戦闘(S20.04.16)
参加兵力 戦×93
戦果 撃墜23(内不確実1)
損失 戦×17
敵側記録 詳細不明
豊後水道迎撃(S20.07.24)
参加兵力 戦×31
戦果 撃墜19
損失 戦×6
敵側記録 詳細不明
出典は他資料も見てますが、大部分「日本海軍戦闘機隊 酣燈社」に依ります.
ゆうか ◆9a1boPv5wk in FAQ BBS
青文字:加筆改修部分
【質問】
九六艦戦の2号2型で,「密封式の風防の評判が悪くてじきに廃止された」と色んなところに書いてあります.それについて質問です.
(1) まるで風防がないのは寒くてやってられないと思うのですが,パイロットたちが風防を嫌った理由は何ですか?
(2) そのわりに,12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが,これはなぜでしょうか?
【回答】
1,視界が悪くなるから.当時の日本のキャノピーは枠が多い.
2,坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい.でも,開放式では速度が出ないので密閉式とされた.
軍事板
イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも,密閉式にしたのに,半密閉式に変更したりしています.
曰く,風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと,計器の信頼性が低かったので),また,視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く,中から外を見たら,湾曲して見えたりする.外界が見えないのは戦闘機としては致命的),開放式に慣れていたパイロットが多かった.
……と言うことで,風防は嫌われました.
12試艦戦の場合は,最大速度が上がっていましたから,風防を装備しないと,自分の身が危ないと言うことがあります.
後,風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし….
ちなみに,ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか,出現当初,密閉式風防が嫌われて開放式に変更しましたが,50km/h速度が低下したそうです.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
秋本実氏の『日本軍用機航空戦全史』第一巻(グリーンアロー出版社,1994.12),九六式艦上戦闘機の項を読んでいて,気になったことがあったので質問させてください.
昭和13年8月に九六艦戦二号二型が制式採用になっているらしいのですが,生産型は昭和12年8月には二号二型の第一号機が完成しているとなっています.
これはどう考えれば良いのでしょうか? 単なる誤植でしょうか?
それとも,二号二型はすでに昭和12年8月段階で生産開始されていて,制式採用が後追いになった,とみるべきなのでしょうか?
毛無し珍毛ボー&bow ◆nCOdVecG1w
【回答】
日本のお役所仕事というヤツではないかと思います.
量産75号機以降が2号2型となり,これは1937年8月から量産されました.
但し,正式採用は1938年8月19日です.
ちなみに,2号1型の場合も,正式採用は,2号2型が製造されていた1937年9月15日です.
海軍艦艇でも,沈没してから除籍されるまで1年くらいは掛かってますので,それくらいのtime-lagがあるので,多分,量産化と正式採用のtime-lagが発生したと言う意味で良いと思います.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
96式3号艦戦とは?
【回答】
エンジンを,20mmモーター・カノン付きのイスパノスイザ12Xcrs液冷V型12気筒エンジン(最大出力610馬力)を装備した実験機.
モーター・カノンのテストが目的.
プロペラはラチエ3翅固定ピッチ.
製作数2機.
日華事変勃発により,エンジンを寿3型に換装,部隊へ配属された.
なお,戦前にこの3号艦戦のソリッド模型が発売されたことがあったというが,戦後はもちろん,こんな弩マイナー機のプラモデルはガレージ・キット以外発売されていない.
【参考文献】
『図解・軍用機シリーズ16 九六艦戦/零観』(雑誌「丸」編集部編,光人社,2001.3)
written by 堀越二郎(うそ)

(画像掲示板より.原出典不明)
【質問】
日本海軍は海軍なのに,なんで局地戦闘機等を開発してるんですか?
【回答】
海軍は中国で,中国の空軍に痛い目に遭いました.
爆撃機の出撃準備中に,敵の航空機がやってきて,爆弾を散蒔いて逃走と言うケースが結構発生したため,強力な武装で,敵爆撃機を撃墜できる高速戦闘機を輸入したのが最初で,当初は,米国からセバスキー戦闘機,
ドイツからHe-112を装備しています.
但し,二機種とも性能が良くなかったので,要地防空用の局地戦闘機を国産で開発することになったわけで.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
日本の13ミリ機銃は悲惨だったと聞くけど,どう悲惨だったの?
【回答】
パワーが悲惨.
海軍の機載13×63mmは,Rheinmetall-BorsigのMG-131
電気発火雷管の打撃式雷管バージョンだが,13×99mmの6割程度のエネルギーしかない.
発射速度こそ900rds/minあるものの,初速も8割しかなく,弾重6割.直進性の悪い弾道で,当たっても効かない弾を撃ってたわけで.
13.2×99mm(ブローニング)機載は銃身長が短いし,13.2×99mm(ホチキス)対空は発射速度が遅い.
まあ,20×72mm(エリコン)の初速の悲惨さに比べられるものは少ないが.
で,「日本の13mm機銃」に当てはまりそうなものとして,私が知る範囲では,
13×63mm(海軍機,MG-131の雷管発火バージョン.13mm2式?)
13×99mm(海軍対空火器.ホッチキス製.93式?)
13×99mm(海軍機,ブローニング.13mm3式?)
があるわけで,それぞれ前述の通りです.
【質問】
日本軍はMG151/20をコピー生産できなかったのですか?
【回答】
MG151/20は精密プレス加工を多用した芸術品のような機関砲です.
当時の日本では,砲どころか弾丸さえも製造不可能.
捕獲したアメリカでコピー生産がされたのですが,作動不良が続発しています.
ましてや,日本では・・・
【質問】
日本海軍機の「斜め銃」と日本陸軍の「上向き砲」とは同じものなの?
【回答】
「斜め銃」というのは,あくまでも,日本海軍でのみ使われていた用語であり,陸軍では,これを「上向き砲」と呼んでいました.
どちらも20ミリだけど,海軍では20ミリは「機関"銃"」に分類されるのに対し,陸軍では「機関"砲"」に分類されるという違いもあるし,十三試陸上戦闘機(月光)は,機体の上部及び下部に20ミリ「機関"銃"」を2門ずつ装備していたのに対し,陸軍のキ45改は,機体上部にしか「機関"砲"」を装備していなかった.
上向き銃

【質問】
空対空爆撃戦って何ですか?
飛行機に飛行機から爆弾投げるのでしょうか?
【回答】
空対空爆弾を使った迎撃戦闘のこと.
日本陸海軍では,対飛行機用の攻撃兵器として空対空爆弾を保有していました.
海軍には昭和14年に完成した九九式三号爆弾がありました.
総重量30キロの爆弾の中に144個の弾子が詰められており,敵編隊上空でこれを投下すると,時限発火装置により爆発,弾子が散布される親子爆弾でした.
黄燐と鉄片でできた弾子は一発75グラム,傘上に広がって落下し,命中すれば防弾タンクを発火させることが可能でした.
一方陸軍では,ト二弾,ト三弾と言われる空対空爆弾がありましたが,実戦で使えるものではありませんでした.
のちに,「タ弾」と呼ばれる空対空爆弾が陸海軍共通で使用されました.
これは元々陸軍が地上の航空機攻撃用に開発したもので,700グラム(1キロ)の小型の成型炸薬弾をコンテナに仕込み,目標上空で投下,散布して目標を破壊するものでした.
これを対空用に用いるようにしたものです.
実戦では,投下位置の判断が難しく,また機体性能や爆弾の重量のせいで敵機の上方に占位する事が困難なため,戦果はさほど上げられなかったようです.
またドイツ空軍でも同様の戦法を採用しており,Wgr.21空対空ロケット弾を使った空対空戦闘に発展しています.
元ドイツ空軍のハインツ・クノーケによって書かれた戦記「空対空爆撃戦隊」によれば,第11戦闘航空団第U飛行隊第5中隊に所属していたクノーケ中尉は,戦死した同僚が構想していたBf109に爆弾を搭載して米軍機の密集編隊に投下するアイデアを実施すべく,自機に爆弾を搭載して出撃しました.1943年3月のことです.
彼は見事に爆弾でB-17を撃墜することに成功し,その戦果はゲーリングの耳に達しました.
第5中隊長に昇進した彼はさらに研究を続け,中隊は多数の戦果を上げました.
しかし,護衛戦闘機の増大などで爆撃戦法は危険を増し,8月には中隊はロケット弾を使用し始めています.
面白いことに,迎撃された米重爆の方では爆撃戦法に全く気がつかず,損害をロケット弾によるものと見ていたそうです.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
もともとは飛行場襲撃に開発されたものでしたが,B-17などの重爆の撃墜が機銃では困難であるため,空対空で使われていったようです.
構造は「タ弾(成型炸薬弾)」を数十個集束させたもので,投下後に投網のように広がります.
海軍では三号爆弾.爆煙の形から「タコ爆弾」とも呼ばれていました.
また陸軍では単に「タ弾」と呼ばれ2式,3式(共に40mm撒布弾),5式50mm撒布弾がありました.
空対空で使用した場合はほとんど命中が期待できないために,使用例は極僅かです.
本土防空戦では使用されなかったはず.
【質問】
太平洋戦争中に紫電改や米軍機についていた機銃の弾道が落ちることを見越して射撃可能な見越し射撃照準機ですが,どのような構造をしているのでしょうか?
機銃によって,弾道は異なると思いますし,敵との距離とか変数がいろいろとあると思います.
今ならソフト的に解決が可能と思いますが,当時はどのようにしていたのでしょうか?
【回答】
当時,アメリカは3極真空管のマイクロ化を実現していて,少々大きくなるが単純な計算機は作成可能.
戦車にも砲安定装置を採用している.
弾道は直線と見なした上で,方向を求めて照準器に照射する程度の物.
原理的にはジャイロコンパスと同様の方法で一方向を指向させるだけ.
弾道をトレースする訳ではなく機動中に弾丸の飛んでく先の目安が判る程度.
軍事板
【質問】
零戦とスピットファイアは,どのような性能差があったか?
【回答】
零戦とスピットファイアとの性能の比較については,鈴木少佐が戦後次のように回想している(戦史叢書「南西方面海軍作戦,第二段作戦以降」).
「スピットファイアは全くすばらしい飛行機だった.
零戦に比し最大速度,高々度性能で特に優れていた.
最大速度は零戦よりもはるかに速く,特に突っ込んでからのスピードは驚く程だった.
高度は一〇,〇〇〇メートル以上一一,〇〇〇メートルぐらいまで上がったと思う.
わが方は九,〇〇〇〜一〇,〇〇〇メートルがせいぜいで,高々度では空戦性能ががたっと落ちたが,幸い空戦が八,〇〇〇メートル以下であったのでやれた.
先方の戦史(「対日空戦」)には零戦の方が上昇が良いとあるが実際はあまり変わらなかった.
零戦が優れていたのは旋回性能だった.
したがって格闘戦に敵が入ってくれれば自信をもって撃墜できた.
しかし敵もこれは承知していたようで,一撃航過の邀撃が多かった.
当方としては豪州攻撃には飛行時間一,〇〇〇時間以上の者ばかり連れていった」
その後九月まで数回,零戦とスピットファイアの空中戦が展開され,その度に常に零戦が有利な戦いを進めている.
1942/4/5コロンボ上空戦
日本側戦果 イギリス側記録
スピットファイア19機 機種未公表:合計25機喪失
ハリケーン 11機
その他 11機
イギリス側記録
日本側被害
零戦 1機 日本機30機撃墜
99艦爆 6機
1942/4/9トリンコマリ上空戦
日本側戦果 イギリス側記録
スピットファイア39機撃墜 スピットファイア14機喪失
日本側被害 イギリス戦果
零戦4機 日本機25機撃墜
【質問】
よく零戦乗りの談話で,20mmは対戦闘機戦では何の役にも立たなかったとネタにされますが,20mmしか装備していない紫電や紫電改は,なぜ対戦闘機戦でまずまずの戦果を出せたんですか?
【回答】
おそらく,九九式一号と九九式二号の違いです.
九九式二号は重心が長く,弾道低進性が一号中よりも優れていました.
またベルト給弾を採用したことで装弾数も増加しており,一号の「弾が少ない,ションベン弾」という欠点をかなりの程度改善していました.
発射速度の問題は最後までついて回りましたが,防弾が強化された大戦後半の米軍機に対しては,有効な航空兵装だったんではないかと思われます.
また,零戦は7,7mm×2・20mm×2でうまく弾道を合わせられなかったと聞きます.
その点,紫電は長砲身の20ミリ×4で弾道がうまく合ったらしい.
装弾数も1号短砲身が60発だったのに対して,2号長砲身は200発でした.
事実,20o砲は7,7mm,12,7mmの貫通弾に対して炸裂弾でしたから,1発の弾丸で致命傷を負わせることができたようです.
操縦士に当たれば,被弾した部分が吹き飛ぶから即死だったらしいし・・・.怖い怖い・・・.
さらに,機関砲弾も異なりました.
99-1;口径20X72RBエリコンFFのライセンス生産
99-2:口径20X101RBエリコンFFLのライセンス生産
20は弾頭の直径,X以降の数字は薬莢の長さです.
ちなみにこれは,陸軍の20mm機関砲とは互換性がありません.
陸軍の20mm機関砲も数種類あり,20mm機関砲と言う括りなら世界中に100種類以上あります.
【質問】
この写真なんですが,どこの国のどういうシチュエーションなんでしょうか?
というか数多すぎるけど合成写真?

【回答】
ケータイで見てるんで確かなことは言えないが,九五戦ではなかろうか.
場所は満州でもちろん合成.
10機ぐらいの隊列を何回か重ねてあるんではなかったかな.
戦前の日本の優れた合成技術を示す写真の好例として有名なものではないかと思う.
80年代始めの『ワールドフォトプレス』に,日独の合成写真を扱ったムックがある.
で,どんなシチュエーションかといえば,当時は日中戦争の真っ只中で,従軍した兵士らのお土産用に,現地やら戦争の模様やらを記録した写真貼を売っていた.
その中の一枚で,
「わが軍はこんなに優勢です」
って言いたいための合成なんだ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
再製「隼」の現状と行方は?
【回答】
1990年代中期,大戦機コレクター,ダグラス・チャンプリンが,千島列島方面から数機分の「隼」の残骸を収集,それを元にテキサス州フォートワースのテキサス・エアプレーン・ファクトリー(TAF)に再製を発注したもの.
その後,計画遅延,予算超過,再製1号機の事故やにより,アリゾナ州カサグランデのワークショップ,ゴスホーク・リミテッド社に依頼先は変更された.
再製機は,残骸を元に新造した部位と,若干のオリジナルで構成された機体,プラット&ホイットニーR-1830エンジン,ロッキード・ロードスターのプロペラ,DC-3のプロペラ・ハブ,T-33Aの前輪を転用した主脚タイヤなどから成る.
4機が再製の予定.
1号機はオレゴン州ティラモック航空博物館へ,
2号機はワシントン州シアトルのミュージアム・オブ・フライトへ引き渡される予定.
3号機,4号機の行く末は2006年現在,未定.
詳しくは「航空ファン」2006年7月号,p.27を参照されたし.
【質問】
鐘馗はなぜ不評だったの?
【回答】
安定性の問題です.
鐘馗は双発機用のエンジンをそのまま流用したため,トルク差の問題から著しく安定性が低下してしまったのです.
また,離着陸時の安定性の悪さが,97式戦に乗り慣れた搭乗員達に不評でした.
一方,射撃時のスワリは良いとされていました.
【質問】
二式単戦ってビルマとかじゃ,英軍から厄介な奴とか思われたりしたの?
【回答】
本機を装備していた独立飛行47中隊はインドシナ,マレー,ビルマと転戦しました.
これらは侵攻作戦で有り本機の航続力では不向きで1942年5月には内地に帰還しています.
よって,敵に恐れられるほどの活躍をする期間は有りませんでした.
本機が真髄を発揮したのは,日本本土での防空戦等の迎撃戦でした.
不動産屋のオッチャン ◆UMCByHJxYk in 軍事板,2009/11/24(火)
青文字:加筆改修部分
▼ ビルマ戦線での二式単戦について.
1944年5月7日,パレンバン油田の防空にあたっていた飛行第87戦隊の二式単戦25機
(半数が二型乙.残りは二型丙と40ミリ自動噴進砲装備機だが,このうちどの機種がどの割合だったのかは不明)
と地上勤務者を乗せた輸送機(一式輸送機)3機が,メイクテーラ東飛行場に移動.
実戦経験こそ少ないものの,古参操縦者が多く,燃料の豊富なスマトラで敵の妨害を受ける事無く,数ヶ月間練成に明け暮れてきた同戦隊への評価は高く,大きな戦果が期待されていたとしている.
5月11日,メイクテーラ上空でP-51A24機と空戦.
7機撃墜(確実3,不確実4)を報じるが,4機が撃墜され(3名戦死,1名は落下傘降下で生還),6機が被弾.
二式単戦はP-51より,急降下性能が劣っていると報告.
連合軍側の記録では撃墜15(確実13,不確実2),撃破6で未帰還機は無し.
交戦した日本軍操縦者については,これまで交戦した者よりも技量が低く,戦術的にも特筆すべきものは何もなかったと評価.
5月12日,空襲してきたP-51を邀撃したが,2機が撃墜され,多くが被弾.
空襲後の可動機は10機にまで減少.
連合軍側の記録では撃墜11(確実8,不確実3),撃破6で未帰還機は無し.
今回の操縦者は前回よりも経験を積んでいる様だと報告.
5月13日,P-51,P-38を邀撃し,P-51を7機撃墜と報じたが,1機が撃墜される(落下傘降下で生還).
連合軍側の記録ではP-38が1機,P-51が7機(確実4,不確実3)撃墜と撃破6して3機が被弾したと報じる.
日本軍操縦者は前回よりはよく組織されており,特にスプリットS(降下反転)をよく活用したと評価.
17機の撃墜を報じたが,操縦者5名が戦死しており,高速を至上とする二式単戦は旋回性能が悪く,より高速なP-51にしてみれば扱いやすい相手であり,低速でも並外れて軽快な一式戦の方が,むしろ厄介だったのではないか,としている.
5月21日,第87戦隊はスマトラに帰還.
可動機は7,8機まで減少していたとしている.
(梅本弘「ビルマ航空戦 下」(大日本絵画)P.219-239)
グンジ in mixi,2010年01月02日15:08
▲
【質問】
陸軍機の2式単戦で,40mm装備機って本当にあったんですか?
また,発射速度は毎分何発くらい?
【回答】
鍾馗二型乙に搭載されたホ301ですね.
中央工業が製作したもので,初速240m/sec,携行弾数10発でした.
Palembang,本土防空戦で使用されています.
ホ301の40mm弾は,現代の感覚では40mmグレネードという感じの弾です.
通常の推進薬と薬莢はなく,弾体の後部に附属した推進薬室で発生した燃焼ガスで弾体を推進します.写真を見ると「ジャイロ・ジェットの大型」という言葉が浮かぶのは年寄り.
しかしロケット弾ではない証拠に,推薬は銃身内で焼尽し,反動で機関砲を作動させることができます.
引き換えに銃口初速はグレネード・ランチャー・クラスの246m/秒.
450発/秒の発射速度は悪くないものの,嵩張る弾のために弾倉は10発箱形.つまり,至近距離一航過での射撃しか意味がないというヤクザな武器で,実用的な意味はありませんでした.
ま,実際,普通の航空機関砲並みのサイズと反動に留めることができたという点ではすごい40mmホ301なわけですが,10発箱型弾倉が機関砲自体と同じぐらいのサイズという笑える光景が,これを機載させられたパイロットの悲劇を物語ると言うものです.
ちなみに,2型乙は翼内砲を廃止して,胴体砲のみとした仕様で,ホ301は特別装備(オプション?)だったようです.
(眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板他)
【質問】
「秘めたる空戦」の信憑性はどの程度なのでしょうか?
飛燕スレッドに,
「おそらく半分は架空戦記なんだぞなもし」
などというレスもありました.
例えば会話の細部などは,創作半分であってもおかしくはありませんが,(同書で)空戦前後の無線交信が普通に行われていたように記述されているのに対して,
「?氏の著書では無線は不調だった」
と,今は落ちてしまった?飛燕スレッドに記述があったようです.
こういった,ある程度客観的な判断のできる内容に関して,このスレの皆さんの見解はいかがでしょうか?
【回答】
小説家が,知人の飛燕乗りの手記を参考に書き上げた,事実を織り交ぜた架空戦記と見て良いのでは.
傑作戦記ではあるが,どうも事実とは言いがたい.
主人公の所属している独立飛行第103中隊は,一応実在の部隊なんだが,偵察機部隊で,しかも,昭和17年には改編されて別の名前になっている.
(改編後の名前はちょっと手元に資料がないが,どこかの司令部飛行隊だったかな)
会話に出てくる用語に搭乗員,搭乗割など,海軍の物が多いのも不自然.
他にも部隊の行動など,おかしな点が多く,フィクションと断言して構わないかと.
ニューギニアでキ61で戦われた人の証言では,やっぱ無線機はダメで,整備員のアドバイスが,
「空上がったら無線機蹴り飛ばして壊しちゃえ」
だったってよ(笑)
地上に降りたら
「なんで言う事を聞かなかったぁ!」
って部隊長に怒られるんだが,そこですかさず機付きの整備員が
「xx軍曹の機体の無線機は故障しておりました」
って申告するんだそうな.
まあ腹芸だな(笑)
それで整備員が怒られないぐらい,日本の無線機はダメだったって事だ.
なんか川崎の儀装が悪くて,キ61だけ特に悪かったなんて話も2chでは聞くが,その真偽は知らん.
大戦末期になると,日本軍の航空無線も多少は使える装備になるんだが,これは,戦場が本土上空になって,交換部品が普通に届くようになったことも大きい.
部品がいつ届くかわからず,高温多湿で消耗も早いニューギニアで,あのレベルの交信は無理だろう.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
飛燕は駄作機だったの?
【回答】
そうとも言えません.
飛燕はエンジンさえ満足に動けば傑作機だと思います.
高速の敵機に後ろにつかれても降下で振りきることができた,数少ない日本機です.
ただ重量増大の1型改は速度・上昇とも低下して,F6Fに苦戦しました.
飛燕2型のエンジンは1型のようなやっつけ仕事ではなく,完動品を搭載しているのでちゃんと動きましたが,問題は発動機の数が足りないことでした.
エンジンを1500馬力にアップしたU型改は,優秀で高々度性や急降下は日本一でした.
99機しか生産できなかったのは残念ですが.
飛燕の生産数は2884機(1説には3159機)で日本機としてはかなりの数です.
(海軍は紫電・紫電改,雷電を合わせても2000機以下)
稼働率は低くても,昭和18年6月登場以降,劣勢の隼に変わって,疾風が本格的に数が揃う19年秋までの間,日本陸軍の主力として奮闘した事は評価されていいと思う.
【質問】
三式戦飛燕の機体をドイツに提供し Me109シリーズのエンジンを積んだら 本家Me109以上の性能を発揮できるでしょうか?
【回答】
同等の性能は出せるでしょうが,優越するのは無理でしょう.
三式戦のエンジン以外の部分,特に機体の設計が優秀だと言いたいのだと思いますが,三式戦の総合性能は,Bf109Fと同等と評価されると思います.
航続距離も含めて.
三式戦の量産一号機の完成が1942年8月.
本格的な量産と戦力化は1943年です.
このころのドイツ空軍の主力はDB601Aを装備したF型であり,三式戦の活躍する余地はありません.
さらに,1942年春には,DB605(1475hp)を搭載したBf109G型の生産も始まります.
三式戦はハ40=DB601A(1100hp)ですので,どうやっても優位には立てません.
では,三式戦にDB605を積めば…… という話になりそうですが,DB601Aは重量590kgに対し,DB605は751kgなので,機体強度とバランスを考えると積み替えは難しいです.
さらにまた,ドイツの兵器体系に無い兵器を加えるわけですから,補修部品の確保やパイロットの育成などを含めた手間を考えると,割に合わないと考えるのが,一般的な回答になると思います.
極東の名無し三等兵 in 「軍事板常見問題 mixi支隊」
青文字:加筆改修部分
ほぼ同一エンジン機比較

(画像掲示板より引用)
【質問】
飛燕がB-29に体当たりした瞬間を目撃したって話がありますが,昼間空襲の場合かなりの高度を飛行していたと思うのですが,例えば5000m上空で地上から飛燕だとわかるものなのでしょうか?
【回答】
昼間空襲の場合は,有視界の場合,約3,900〜5,000mでの作戦ですが,震天制空隊などの記事は,1945年1〜2月頃に人口に膾炙していますので,大抵の人々はあれは飛燕に違いない,となったみたいです.
因みに新鋭機として,飛燕が国のメディアを通じて紹介されたのは,1945年1月の事です.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
疾風は防弾性はなかったの?
【回答】
昭和48年初版の文林堂『世界の傑作機 疾風』によれば,疾風は防弾ゴム張りタンクのみ,しかも主翼前縁の着脱式タンクは防弾なしです.
また別冊『丸』でも,ムスタングの12.7ミリ弾に対して疾風の防弾タンクが有効だった,という22戦隊のコメントがありました.
異論もあって「無かった」説もあります.
(丸メカは「無かった」説をとってますね)
ただ,同時期の中島の隼2型でさえ軽度の防弾タンクとなっていましたから,疾風でやっていないのはおかしいとの意見もあります.
これは私のあくまで個人的な想像ですが,捕獲された疾風が米軍テスト時に撤去された可能性があると思います.
疾風の米軍のテストは確かに驚異的な高性能でした(時速689キロ)が,そのときの全備重量は3.6トン程度(日本での正規は3.75〜3.89トン)だったようです.
【質問】
疾風U型?について教えてください.
【回答】
疾風U型と言うべきキ84N(P?)ではハ44(2450馬力)に換装,設計が終わったところで終戦となりました.
ハ44は誉より10cm大きいのですが,Ki84の図面から判断するに,同機のエンジン・カウルは誉の直径ぎりぎりです.
これをハ44に合わせたとすると,おたまじゃくしみたいになるでしょう.
また,ハ44疾風は主翼面積22.5(T型は21.0)でプロペラの長さは3.1から3.5にと,それぞれ大きくなっています.
最大速度は685km/hを予定したそうですが,末期の諸状況から察するに,そこまで成功できるとはとても思えません.
また,誉搭載のクリーンな機首で雷電より視界が悪い(by
米陸軍戦後調査),とされた疾風の事.さらに視界が悪くなりはしないでしょうか.
【質問】
陸軍の飛行第47戦隊において,四式戦・疾風の高可動率を達成した整備部門の長・刈谷大尉について知りたいのですが,詳しい資料はないでしょうか?
【回答】
丸の「図解・軍用機シリーズ7 疾風/九七重爆/二式大艇」
には刈谷大尉の書いた文が,4ページほどではあるが載ってるよ.
また,『世界の傑作機No16鍾馗』には,8ページに渡って手記が載ってます.
要は,飛行機の故障は常に致命的ですから,壊れてから修理するのではなく,壊れやすい部分のチェクリストを作って点検,
点火プラグは80時間交換,
部品の修理はなるべくせずに新品と交換,
重労働のエンジン交換は,専門部隊を作って通常整備に支障を来たさないようにする,
稼働率が良かった小隊は月ごとに表彰する,
などなど.
単独の著書としては,
「日本陸軍試作機物語」 刈谷正意
刈谷大尉が自分が扱った機体について書いてます.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
疾風ってP51と互角に戦える戦闘機ですか?
仮に戦えなかったとしたら,どんな日本軍機が互角にP51と戦えますか?
【回答】
元陸軍航空審査部員の荒蒔少佐によると,疾風とP51ではまずまず互角に戦えたものの,やや分が悪かったとのこと.
しかし五式戦なら十分互角に戦えたようです.
これは五式戦の上昇力がかなり良かったことが一因としています.
(ただし,疾風のエンジンがカタログ通りの出力が出ていなかったことや,P51が五式戦の戦いやすい低中高度で戦闘を行っていたことを考慮に入れていますが)
基本的に米軍は編隊空戦なので,1vs1はまず無い.
整備レベルで疾風が十分に整備されて熟練パイロットが搭乗すれば,機数が互角のP-51相手に対等に戦えるだろう.
しかし,ほとんどの疾風が整備不十分なまま戦場におもむいたのも史実.
本土上空あたりの戦いでは,常に損害が酷く,精鋭の343空でも損害比1:1がせいぜい.
その他の航空部隊は,「駆逐されていた」という表現が似合うほど.
米軍と日本軍の航空戦で互角だったのはガダルカナル初期〜中期あたりまで,それ以降は圧倒的敗北.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE他)
【質問】
5式戦の評価は?
【回答】
あらゆる戦闘機に乗った経験があると言われる名パイロット荒蒔氏は,国産機では五式戦に最高点を付けてますね.(外国機ではFW190.)
未熟練者でもたやすく乗りこなせる点で,熟練パイロットの不足した大戦末期にはありがたい機体だった,と渡辺氏も著書「飛燕」の中で書いています.
5式戦は稼働率の高さと信頼性が末期にはなによりも貴重だったのでしょう.
これは隼3型と同じです.
大戦末期の日本の状況を表していますね.
三式戦飛燕の機体は大量生産を考慮した設計となっており,重心バランスの変更に対して非常に応用が利くようになっています.
後に,液冷から空冷エンジンに乗せ替えたとき,大きな変更も無く機体をほぼそのまま使い,五式戦として正式機となりました.
五式戦の投入は敗戦間際であったため活躍期間は短かったのですが,評価の高い機でした.
【質問】
五式戦はP51に相性が良かったと聞いたことがあるけど事実でしょうか?
事実だとしたらその理由も教えて下さい.
【回答】
当時の陸軍戦闘機としては,速度性能,上昇性能,空戦性能,実用性のバランスが良く取れていたので,太平洋戦争末期の本土防空戦に於て,結構活躍しました.
また,B-29が高々度精密爆撃から低高度無差別爆撃に方針を切り替え,自ずと護衛戦闘機も中高度域での護衛が為されるようになった為に,日本戦闘機としては性能が最も出る状態で戦闘が行えたことも大きいか,と.
当時の陸軍戦闘機の中にあって,隼は既に旧式化著しく,鍾馗は機数が足りず,飛燕,疾風は稼働率に問題を抱えている状況では,当時の敵戦闘機の性能に追随でき,尚かつ稼働率が良く,機数が揃えられた五式戦がP-51との空戦にそれなりに活動できたと言うことではないでしょうか.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
一方,「Warbirds」によれば,5式戦が米軍に脅威を与えたという事実は全くないという.
以下引用.
また,三式戦二型にとってハ112II(金星六〇型系)がハ140に代わって大量供給を望める発動機だったかという点にも注意が必要です.五式戦の試作機が完成する前に三菱の名古屋発動機製作所は壊滅してしまっています.
静岡に移転したばかりの金星製造設備も十分なポテンシャルが無く,既に大規模な生産を続けている四式戦とハ45(誉二〇系)を代替することなど思いもよらない状況です.
発動機の供給に難があることに関してキ一〇〇と三式戦二型に極端な差は無く,程度の問題といったところです.
さらにハ112II(金星六〇型)には,誉や火星二〇型などの不調で有名な発動機と同じく,水噴射装置という,管制の難しい日本にとって未消化の技術が投入されています.
百式司偵三型などはこのお蔭で可動率を落していますし,キ一〇〇配備にあたっては新たにハ112II用の補用部品を供給せねばならず,その不足のために,陸軍戦闘機隊の中心的存在である明野飛行学校の機体までもが満足に飛行できていません.明野飛行学校の可動機/保有機数は記録が残されています.
しかも金星には,燃料噴射ポンプと言う生産上の隘路が存在します.燃料噴射式の金星六〇型を生産拡大するには大量の燃料噴射ポンプの手配が必要なのですが,それは終戦まで生産の隘路であり続けます.
そのために三菱も中島と同じく単体のポンプで済む低圧燃料噴射装置を試作しているのです.
という訳でキ一〇〇の投入は偶然でもなければ実用性と生産見通しの面から手放しで喜べるものではありませんし,米海軍機の空襲によって大損害を蒙り士気低下していた三式戦部隊の機材更新と士気回復――三式戦が対戦闘機戦であまりにも無力であったため――に役立った事は本当ですが,米軍に脅威を与えたという事実は全くありません.
「五式戦」という名称さえ,公式のものかどうか怪しいのですが,一般に伝えられる五式戦闘機に関する逸話の多くは根拠の無い創作に近いものです.
どちらが正しいと言えるだけの材料を持たないため,両論を併記しておきます.
【質問】
疾風が戦後アメリカでテストされて凄い性能を出した,という話を良く見るのですが,紫電改や五式戦はテストされなかったのですか?
【回答】
大戦中に捕獲された物と異なり,戦後捕獲された機体の扱いは,かなりぞんざいだったようです.
本国に運ばれた後も,二式大艇や連山など,米国の関心が高かった機体のみ,苦心して整備し,飛行可能状態までもっていったのですが,それも二〜三回飛んだだけでエンジンが不調と成り,飛行テストは断念され,大半の機体は放置され,射撃の的に成って破壊され,その後,大戦の終了後,軍の予算削減に伴い調査部門での調査が不可能と成り,大半がスクラップにされた様です.
(『囚われの日本機秘録』(野原茂著,光人社,2002.12))
紫電改も五式戦も,米国に運ばれた事は確かですが,途中の海上で嵐に遭った時に投棄された可能性も有り,詳細は霧の中です.
紫電改の前々身である強風には,米軍も高い関心を示していた様ですが,紫電改についてはそれ程でも無く,五式戦については前身であった三式戦の評価が芳しく無く(「イタリア戦闘機のデットコピー」)事も有り,あまり高い関心は持っていなかったようです.
真相は,アメリカの公文章館をあたってみるしかないと思います.
軍事板
【質問】
誉エンジンが駄目なら,なんで海軍は,零戦に代わる次期主力戦闘機を紫電改に決めたの?
【回答】
それは昭和19年の計画.
昭和20年度の,つまり最後の計画では,陸海共用で金星搭載の疾風(キ116)を採用することになってたよ.
言いかえるならば,日本の運用能力では誉搭載疾風も紫電改も駄目だったわけだ.
そういえば雷電の内示が三菱に出されたとき,火星か熱田のどちらを選択することになったとかいう話も.
液冷雷電,見てみたい.
やっぱ故障に泣くんだろうな・・・.
【質問】
紫電改って空戦フラップ以外に傑出した部分ってあるんですか?
【回答】
速度と旋回性能,それに離着陸性能のバランスが良かったと言う事だろうと思う.
計器速430ノットの最終速降下では,海軍で一番速かったはず.
あとは,雷電に比して優れた点は,紫電,紫電改あわせて1400機という生産数かな.
疾風は3000機だけど,三菱/中島と川西では,会社規模が桁違い.
十分生産性の高さを立証していると言えないかな.
一方,当時の雷電の不評振りといったらなかなか凄まじい物が有るよ.
「厚木では毎日のように死人が出た」
なんて話もあるようだし.
他に,艦上運用出来る程の視界の良さ,失速速度の低さ(=離着陸容易).
惜しむらくはエンジンの信頼性と,川西という中規模メーカーゆえの生産数の少なさか.
防弾装備の充実ぶりも評価していいと思います.
自動消化装置までついてます.
【質問】
もし烈風が開発されていれば,高度10000mにいるB29を撃ち落とせたでしょうか?
【回答】
零戦でも高高度偵察のB29を撃墜している例はあるので,可能性はなくはない.
また,烈風の翼面積は過剰といえるほどデカイ.
零戦と翼面荷重がほとんど変わらないレベルだったりする.
上昇速度は零戦より遥かに速い仕様がだされているから,完成できれば零戦よりは有利だっただろ.
ただ,それでも高高度性能が不足していたことに代わりはないので,新型高高度戦闘機開発までの繋ぎとして,ターボ搭載型「烈風改」の開発にも着手していた.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
烈風の最大航続距離は4000kmオーバーと聞いたことあるんですが,実際のところどうなんでしょうか?
【回答】
烈風の航続距離なら
http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002948.html
によれば
航続距離 2395km 巡航速度370km/h 燃料1116リットル ;紫電改(増槽400リットル使用時)
航続距離 1715km 巡航速度370km/h 燃料0716リットル ;紫電改
航続距離 4625km 巡航速度370km/h 燃料1560リットル ;烈風(増槽620リットル使用時)
航続距離 2960km 巡航速度370km/h 燃料0940リットル ;烈風
【質問】
三菱のキ83遠距離戦闘機は現存しないそうですが,いつ頃・どのような形で処分されたのか,どなたかご存知でしたら教えてください.
【回答】
1949年5月1日現在の空軍のリストにあったキ-83は,空軍技術情報部隊番号T2-151が1機のみでした.
しかし,NASMの博物館建設に当たったのは当初5名のみで,膨大な数の軍用機(元来は重要機種1機は残す予定だったのですが)を維持管理することが出来ず,小委員会を設けて取捨選択しました.
しかし,日本機に精通している人は入っておらず,キ-100とキ-61の見分けが付かなかったり,百式司偵とキ-46を別の機体としていたり,橘花を取るに足らない機体としていたり….
この流れの中で,キ-21,キ-67,キ-49と共に,キ-83も廃棄リストに入ってしまい,結果,破壊されてしまいました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
「幻のB29迎撃機,45年8月完成…技術はカローラへ」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050716i506.htm
この記事で紹介されているキ94のことが知りたいです.
【回答】
とりあえず大まかなところだけ.
http://page.freett.com/zaj17637/11/94.html
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki94.htm
なお,キ94は,不採用になった1型と新設計で試作にこぎつけた2型があり,記事に出てくるのは2型です.
キ94II型

【質問】
他の各国には殆ど見られない水上戦闘機を,日本だけが開発を続けたのは何故なのか?
【回答】
日中戦争での活躍の記憶から,水上機に過大な期待を抱いたためだという.
以下引用.
――――――
日本海軍が水上戦闘機に固執したのには,日中戦争で複葉の95式水上偵察機が中国軍の戦闘機を撃墜し,爆撃も行うなど,高い空戦能力と実用性を示したことが背景にあった.
これに喜んだ日本海軍は,水上観測機や偵察機に過大な期待を抱き,急降下爆撃も可能な水上偵察機の瑞雲や,投棄式フロートと二重反転プロペラで高速性能を追求した紫雲といった奇抜な,あるいは無茶な期待の開発が行われた.
いずれも実用性に乏しく,実際に完成したときには必要性も薄れていたため,開発に要した努力や資源は,実際には浪費されたとも言えるだろう.
――――――「世界の艦船」2005年8月号,p.101(岡部いさく著述)
基地設営能力の低さを鑑み,飛行場設営までの繋ぎ役として,水上機を展開させておく意図もあったように記憶しているが.
母艦艦上の2式水上戦闘機

【質問】
帝国海軍局地戦闘機震電についてお尋ねします.
試験飛行の時の話を読むと,カウンタートルクで右に傾いて大変だったとか,先尾翼の扱いが神経質で機首が上がったり下がったりだったとか,なんか飛ばすのもやっとみたいな感じもします.
エンジンがどうこうと言うのはおいておいて,ぶっちゃけ当時の技術水準で,モノになる機体だったのでしょうか?
特異な形体や優れたスペックなど,夢のある飛行機で好きなのですが,書いてあるのを見るとどうだったのかなー,と思わんでもないので.
【回答】
この機体自体は2回の試験飛行しかしていません.
カウンタートルクについては,補助翼を自動的に操作して,最適な状態に持って行く機械的な仕組みを導入してクリアする予定でした.
数回の試験飛行では,その辺りの調整はまだ出来ていないでしょうし,機械としての熟成は未だ未だだったと言えるでしょう.
一応,空力的には縮小型のモータグライダーを製作して,検証をしているので,機体としての方向性は問題ないはずです.
また,追加する2号機の投入で試験が進めば,より熟成が進んでいた事が考えられます.
これが進むか否かは,結局,燃料状況と制空権の状況次第でしょうがね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2007/09/08(土)
【質問】
かの有名な「震電」について,
「あの機体形状で空冷星型エンジンじゃ,絶対にエンジンが冷えない」
と言う考察をよく見かけます.
まず,これは正しいでしょうか?
そして,空冷星型ではダメなら,エンジンを液冷のものに換装する事は可能であったんでしょうか?
【回答】
「あの機体形状で」というのは,エンジンを機体後部に搭載したってことではなく,胴体側面に斜めに切ったインレットを設けたことを指す.
境界層により流入量が不足した.
試験結果を受けて,量産型では斜めカットは止める構想だったが,境界層分離板をつけなければ問題は解決しなかったろう.
>エンジンを液冷のものに換装
それ,まんまスエーデンのサーブj21になる.
こっちも液冷エンジンだけど冷却に苦労している.
液冷エンジンといっても冷却機の配置に気を使うからな.
それと飛燕に使ったハ140(DB601Aの国産型)だと,1350馬力(1速で)しか出ないので,馬力不足だぞ.
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
日本の試作戦闘機「震電」をジェット化する,というネタがよく架空戦記でありますが,これって本当に可能なのでしょうか?
いくら震電がレシプロ機離れしたスタイルだからといって,エンジンを積み替えてはいOK,なんて訳にはいかないと思うのですが・・・.
それとも,実際に開発段階でジェット化の計画でも,あったのでしょうか?
【回答】
あの機体のエンジンを積み替えてジェット推進にするのは無理.
震電の形を保ちつつジェットにする事は,不可能ではないが,再設計と同じになる.
とりあえず30mmは配置を変更しないとMiG-9のような有様になる.
また,終戦時のジェットエンジンの水準では,単発では推力不足.双発にしなければならないため,大幅な機体設計変更が必要
ただ,ネ130を積んでジェット化する震電改って計画はあった.
当然ながら,いろんなことがものすごく,奇跡的にうまく行ったら出来るかもしんない,ってレベルだけど.
ただサーブJ21Rなんてもんがあるから,出来たかもしれない感が強くなるってことだろ.
(もっとも,J21Rは同じような形態のバンパイアと比較する限り,ものすっげえ無理してインテークを増設してる.
J21Rが思ったより速度出なかったのって,あの空気取り入れ口が抵抗になってるんじゃないか?ってぐらいの無理矢理感.
だからスウェーデンはJ21Rの生産を少数で生産打ち切り,バンパイアを導入した)
震電


【質問】
『紺碧の艦隊』の蒼莱のような,57mm機関砲2個つけた戦闘機って,製造することは可能なのですか?
A-10Cの30mmガトリングでも,反動がかなりきついですよね?
重量もあるし,まともに起動できないとも思うのですが・・・.
フィクションの中のゲテモノ(エースコンバットの超戦闘機と同類)として見ておいた方がよいのでしょうか?
【回答】
使い物になるかどうかは別だか,飛行機として成立可能かどうかは,機体と機関砲のサイズ次第.
そもそも57mm級の機関砲と一口に言っても,実際はピンキリ.
対戦車攻撃に使えるような長砲身高初速のもの(MK214やモリンズ砲等)は,重量が弾抜き本体だけで490〜800kg超になる.
重さだけ見ればスカイレーダー並の機体なら余裕で載るが,撃って反動に耐えられるかどうかは別.
一方,対重爆専用の低初速のものでいいなら,例えばMK112は275kg,MK115は180kg,ホ401は150kg,ホ3057に至っては100kgしかない.
Ju87Gはこれより重い37mm砲を2門搭載していたし,ホ3057※は震電の本来の武装より軽い低初速だから,反動の問題も小さくなる上,MK115に限れば無反動機関砲だ.
このクラスの砲なら,単発機でも2門搭載は難しくないはずだ.
ペーパープランでは,ドイツはB25クラスの機体に,MK112を5門と75mm機関砲1門搭載を計画していた.
ただ,「空対空戦では彼我は接近するし,機関砲弾の炸裂は初速の低くさを補って余りある」というドイツ側の主張は,BoBで否定されている.
大口径砲は携行弾数も少ないし.
現実ならロケット砲でいいじゃんと思う.
※ ホ3157という砲も別に存在していて,こちらは450kgもある.
軍事板,2009/08/27(木)
青文字:加筆改修部分
▼ ちなみにあれは,OVA版の誤記で,本当は”57口径30mm機関砲”の間違いらしいのですが.
OOM-7大佐 in FAQ BBS,2009年10月11日(日)
12時49分
青文字:加筆改修部分
▲
▼ 【反論】
>あれはOVA版の誤記で,本当は”57口径30mm機関砲”の間違いらしいのですが.
どこからの情報かわかりませんが,何か勘違いされているものと思われます.
今,手元に無いのですが,自分の記憶では原作でも確かに57ミリ機関砲でしたよ.
原作で直前にあった,史実の震電の解説と混ざってませんか?
yms in FAQ BBS,2009年11月2日(月) 22時41分
青文字:加筆改修部分
▲
▼ 2巻p.96ですね.
確かに57mmと表記されています.
『紺碧の艦隊』の描写や設定の正確さ,現実的さはさて置き,蒼莱の武装は57mm機関砲で間違いないです.

MHK in 「軍事板常見問題 mixi別館」
2009年12月06日 02:40
▲
【質問】
友達が,秋水は宇宙へ行けると言ってたんですが本当ですか?
【回答】
不可能.
バート・ルータンのスペースシップワンは,成層圏で空中発進,マッハ3まで加速して急上昇して,宇宙の最下限である高度100kmになんとか到達する.
それに比べて秋水は,地上から発進して,成層圏まで上がるのが精一杯.音速も超えられない.
それでは絶対に宇宙空間までは飛び上がれない.
なお,この超「秋水」の出所は,天沼俊の漫画『戦空の魂』(集英社)らしい.
◆◆◆◆◆雷電
【質問】
以前から渡辺洋二著の局地戦闘機『雷電』を読んでみたいと思っていたのですが,近くに軍オタに優しい規模の大きな本屋はないので,アマゾンで通販しようと検索してみたところ,同タイトルの書籍が幾つもあったのですが,内容は基本的に同じものなんでしょうか?
この中からどれを選べは良いのでしょうか?
【回答】
一番最近に出たのが文春文庫収録のもので,これが今のところ最新版です〔2005.7刊〕.
最初の第二次大戦ブックスのそれが250枚だったのから,朝日ソノラマ文庫に入る際に順次改訂,訂正し,文春文庫収録の際に更に更正,増補,改訂を行っていて,この段階で500枚に達しています.
作者の後書きではこの文春版が最終版としていますね.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
【質問】
実際のところ,雷電のカウリングと延長軸のおかげで,どれだけ抵抗減少になったか疑問なんですが.
【回答】
あれは空技廠の空力研究による「紡錘形理論」を採用した為で,胴体全体の形状を紡錘形にする事に意味があったのです.
延長軸と絞ったカウリングの採用はその為です.
ぶったぎったら,らぶん紫電のレザーバック版の様なイメージになったでしょう.
それと機首を絞っても正面面積自体は減りませんし,肝心の紡錘形理論はプロペラ後流の圧縮性を考慮すると意味がないそうです.
(雷電は機首にプロペラが無ければ抵抗減少に最適な形状だそうですから)
むしろFw190は,鍾馗の様に細く絞った方が良いそうです.
【質問】
雷電は視界が極めて不良であったという話はよく聞きますが,実はゼロより悪いだけで,実際は視界良好(除く離着陸)という説もありますね.
本当の所どうだったのでしょう?
飛行姿勢の関係もありますし,難しいです.
【回答】
前方・側方視界については疾風よりは良好だったようです.
(米軍レポートに依る)
問題なのは後方・下方についてでしょう.
下方視界不良については言うまでもないとして,後方視界不良は極めて不評でした.
当時の熟練搭乗員からも「零戦並に向上を」とのクレームがついていますね.
このため大型キャノピー搭載の31型が試作されています.極少数ですが.
空気抵抗減少のため紡錘型カウリングを採用したのが,この視界不良の原因です.
これは設計思想の混乱ゆえの問題だと思います.
速度重視の設計によって当初から視界の悪さはの余儀なくされていたのに,
「視界は多少悪くても良い」
のか
「速度優先ながら視界確保は重視」
なのか実は曖昧なまま開発が進めらていました.
で,前記のクレームが出るに及び,空力的に不利なキャノピーの拡大を強いられることになります.
【質問】
雷電の生産数が少なかったのは何故ですか?
【回答】
堀越技師の話より抜粋.
「生産に入ってから,視界問題のため生産を減らす命令が出されたり,反対に増す命令が出されたりして,本機の生産はしばしばぐらついた.
生産計画の変更のために,三菱の戦闘機生産線は大混乱に陥り,本機だけでなく零戦の生産にも能率低下を招いた.」
開発の遅れもあったでしょうが,現場の混乱が生産機数の減少を招いたと言えるでしょう.
また,軍部の酷使がたたって堀越技師を始め多くの技師が倒れ,完成が遅くなった点も否めません.
1939/9 試作要求,
1940夏 曽根技師倒れる,
1940秋 堀越技師倒れる
1942/2 高橋技師が引き継ぎ試作機完成,初飛行
1942/4 脚設計担当の加藤技師が肺炎で死亡
1942/9 馬力不足のため水メタノール噴射機を設置,仮制式化
1943/6 帆足大尉の試作機墜落,原因究明に3ヶ月かかる
1943/9 量産開始
1944/1 11型制式化
雷電(写真中央)

【質問】
父親が子供のときに工場で働かされて雷電とかいう飛行機作ってたらしいんですが,飛ばすときに10機中7機は離陸する時バランス悪くてすぐ落っこちたとか言ってたんですが,飛ばないなんてことあるんですか?
【回答】
雷電は三菱重工の他に座間にあった高座海軍工廠でも生産が行われていたのですが,台湾の少年工を動員して生産が行われていたため,とにかく出来上がりが悪かったとか.
雷電はもともと操縦が非常に難しい戦闘機と言われていたのでなおさらです.
名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板
【質問】
302空の雷電が,敵戦闘機を見ると空中退避したのは何故ですか?
【回答】
対戦闘機:一式戦,四式戦,五式戦,零戦,紫電,紫電改
対爆撃機:二式単戦,二式複戦,三式戦,雷電,月光
という使い分けがあって,対爆撃機用の戦闘機が本命(爆撃機)を相手にするために,あえて敵戦闘機を避けるのはよくやったこと.無駄な消耗を避けられる.
30mm斜銃を積んだ雷電に空戦はやらせられない.
ただし完全に回避したわけじゃない,
一部のベテランは雷電で対戦闘機戦闘はやっている,ただし数例.
空中退避命令も完全な退避ではなくて,適当に高度をとってから引き返して優位であれば攻撃をしかける消極的迎撃方法をとったて話が,渡辺洋二氏の『雷電』の中にある.
もっとも,戦闘機とやりあった302空のパイロットは
「いっこうに引き返す気配がないので勝手に引き返した」
って渡辺氏の取材に対して答えてますけど.
▼ なお,小型機交戦制限命令は,陸海軍あるいは部隊によって差がありました.
渡辺洋二氏著「飛燕」にはそのへんが詳しく書かれています.
もちろん343空の奮戦は,あの時期において特筆に値すると思いますが.
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