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 【link】

日本陸軍空母史

「ワレYouTube発見セリ」:Essex Aircraft Carrier

「ワレYouTube発見セリ」:Casablanca Aircraft Carrier

「ワレYouTube発見セリ」:Lexington Aircraft Carrier

「ワレYouTube発見セリ」:Yorktown Aircraft Carrier


◆◆◆総記


 【質問】
 旧日本海軍において「艦」 と「艇」の違い,境目とは何でしょうか?

 【回答】
 「艦」と「艇」を分ける明確な基準はありません.
 最小の「艦」は,佐久間艇長で有名な第6号潜水艦(大正8年に潜水艇を潜水艦に改称).全長22m強・排水量60t弱.
 最大の「艇」は元セニャーウィンの見島.全長79m,排水量5000t弱.
 日露戦争後に量産した駆逐「艦」を大正末にそのまま掃海「艇」に流用したこともあり,サイズは基準ではないです.

第6号潜水艦カット・モデル(画像引用元:あれこれそれ調査団

 任務が同じで「艦」と「艇」が対応して違いが見られるのは
・駆逐艦と水雷艇(境界は600t)
・敷設艦と敷設艇(とはいえ規定なし.最小敷設艦八重山は1100t,最大敷設艇神島は770tで大きく違う)
・潜水母艦と潜水艦母艇(これも規定なし.潜水艦母艇の運用は近海に限定された巡洋艦崩れの老朽艦).大正8年に潜水艇はすべて潜水艦に改称され,潜水艇に留め置かれたものは1隻もなく,明確な区別があるとはいえません.
・「特務艦」と「特務艇」:
 特務艦は実戦には参加せず,後方支援を行うもので,戦闘時は沈まないよう逃げるか祈るか….
 特務艇は沿岸部や軍港に限定されますが,戦闘となれば射撃に機雷敷設に爆雷投射に突撃していく戦闘用の船です.

 砲艦と砲艇,海防艦と海防艇は任務そのものが明確に違うので,同列には扱えません.
 「砲艇」は日華事変時には実在しました.「砲艦」では進入できないクリークや池でパトロールや機銃掃射などを行うもので,類別表には記載されない「雑役船」扱いです.
 「海防艇」は終戦に間に合わなかった幻の類別で,「海防艦」が船団護衛をするのとまったく違い,こちらは回天運搬船でした.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

 なお,艦艇の区別は中国の秦〜三国時代の頃には確立していたようです.
 『艦』:形が監獄に似ているから艦.
 『艇』:2人乗り程度の小型の船.

 『板』:板.


 【質問】
 戦艦みたいな主力艦には熟練兵が多数集まったってことですか?
 大和,武蔵は精鋭のあつまりなんですかね?

 【回答】
 海軍に入った新兵はまず各鎮守府の「海兵団」なる教育機関に入れられます.
 そこで基礎訓練を受けつつ適正・資質・能力・人柄をチエックされて,各艦・機関に配属されます.
 戦艦のような主力艦には優秀な人材が割り振られますし,GF旗艦なら最優秀な人間が集められます.

 ベテランも同様です.
 児玉譲著『戦艦大和』に出て来る主砲方位盤射手(主砲の引き金を引く人)は日本海軍最高の名人(日向の主砲方位盤射手で戦技会で日本一になった人)が選ばれていますね.


呉海兵団兵舎(現・海上自衛隊呉教育隊資料館)
画像引用元:Joyful Hiroshima


 【質問】
 旧海軍の軍艦は「大和」(奈良県),武蔵(埼玉+東京)等,地名が多いですが,陸軍の師団のようにその地域出身者が多かったりするんでしょうか? もちろん士官は別でしょうが.

 【回答】
 軍艦の戸籍と水兵さんの戸籍が一致すれば,そんなチャンスはあります.

 旧海軍の艦艇は,各鎮守府に配当されます.
 大和は呉鎮守府,武蔵は横須賀鎮守府だったかと.

 鎮守府はそれぞれ召集できる都道府県が決まっています.
横須賀…北海道・山形以外の東北・関東・東海・山梨・長野
呉…京都滋賀を除く近畿・中国
佐世保…四国・九州
舞鶴…京都・滋賀・北陸・山形

ということで,たまたま大和に奈良県人,武蔵に埼玉県人が乗れるわけですが,長門は横須賀鎮守府なので,山口県人は乗れません.
 陸奥も佐世保鎮守府なので,岩手県人は乗れません(ま,陸奥は横鎮に転籍したんですが).

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)


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 【質問】
 太平洋戦争時の日本海軍の観測員の視力はすごいと聞いたんですが,どれくらいすごいんですか?(視力はいくらか?何kmぐらいまで見えたのか?)

 【回答】
 日本海軍の駆逐艦は夜襲を得意としたので,見張員には高い夜間視力が求められた.
 目を闇に慣らすため,見張員は昼間は赤い照明だけをつけた控え室にこもり,ビタミンD錠剤(暗視ビタミンと呼ぶ)を服用したりヤツメウナギの蒲焼を食べたりした.
 本当かどうか知らないが,優れた見張員は視力が4.0あったとか夜間30,000m先の艦影を見つけることができたという話がある.


 【質問】
 戦間期に日本艦艇の問題が,友鶴事件や第四艦隊事件で明らかになっていますが,欧米ではこの手の問題は起こらなかったのでしょうか?

 【回答】
 ぱっと思い出すのは,1899年にイギリスで進水した駆逐艦コブラ(HMS Cobra)が,回航中の1901年9月18日に荒天に遭遇し,中央部が折れて沈没した事件.

(名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)

 第四艦隊事件の時に発覚したように,重量軽減の為に主構造を強度不足を起こすような,軽量化みたいな無茶は流石にやらなかったけど,過剰武装による復元力の低下は結構問題になっている.
 アメリカでは対空機銃を増設して復元力の低下を招き,太平洋戦争で台風による被害を出しているし,ドイツに関しては復元力の低下を是正する為に,補助艦の多くが戦時中の一番大切な時期をドッグで過ごすことになっている.

<米海軍TFの台風による主な損害>

昭和19年12月17日
 損傷・戦艦4空母2軽空母2護衛空母4重巡3軽巡4駆逐艦以下17
 航空機142

昭和20年6月5日 
 沈没・駆逐艦3
 損傷・軽空母4護衛空母4軽巡1駆逐艦以下12
 航空機146


 【質問】
 戦前から戦中の日本海軍は,損傷艦の曳航をどの程度実行していたんでしょうか?

 【回答】
●成功例

 18年4月3日,ソロモンで空襲大破した青葉を川内がカビエン−トラック間で曳航.

 さらに青葉はもう一度
 19年10月21日,マニラに到着する寸前に被雷し航行不能になり,鬼怒がマニラ港まで届けてます.

 18年9月12日,被雷大破した知床をルオットから佐世保まで曳航(担当艦失念),帰路に再度被雷したものの佐世保まで何とか生還.

 18年9月24日,トラックから帰還中の大鷹が父島沖で被雷,同行中の冲鷹が横須賀まで曳航.

●失敗例

 17年5月11日,ブカ島沖で被雷した沖島をラバウルへ睦月が曳航するも,バック牽引のため機雷投下口から出火爆沈.

 19年10月4日,ビートンからスラバヤへ厳島を曳航中の若鷹が被雷大破.さらに取り残された厳島も7日に被雷戦没.

 19年10月24日,フィリピン海戦中に落伍した千代田の曳航を五十鈴が再三試みたものの,敵機に阻まれ断念,回避運動中に見失い,千代田は砲戦戦没.

 実行はしているのですが,うまくいくケース,いかないケースは,時の運とやっぱり技能に左右されますね

鷂 ◆Kr61cmWkkQ


 【質問】
 日本海軍とラムネの関係について教えて下さい.
 消火器用の炭酸ガスにノズルをつけて,瓶のシロップに炭酸水を注ぎ込むというのは,あちこちの艦でやっていたようですが,何故か,大和と間宮の専売特許みたいに言われています.
 大和のラムネ製造機と,小艦のラムネの差って,機械工業とマニュファクチャの差ですか?

 【回答】
 日本の場合,この手の娯楽装備は私物で,建造時に造船所から贈与されたり,酒保が積立貯金したり士官が寄付したりして購入されていた.
 昭和初期の夏季大演習の報告で,間宮の艦長が,本艦に無いのは任務上問題だと主張.
 これを受け,巡洋艦以上の艦と潜水母艦と給糧艦は標準搭載が決まり,既に私物で搭載してたのは管理換えになった.
 だから間宮のラムネ製造機は,公式に新規搭載された最初のものになり,最初からラムネ搭載を前提に建造された艦は大和とかの時期が最初になる.

 ちなみに,米国専売特許みたいなアイスクリーム製造機だが,重巡衣笠は新造時に造船所からの寄贈で搭載していた.


 【質問】
 白黒写真一枚を見ただけで「これは大和だ」とか「これは武蔵だ」とか見分けている人がいますが ,皆さんはどこを見て大和,武蔵や長門,陸奥や金剛,比叡などの同型艦を見分けているのでしょうか?
 自分は大和と長門を見分けることすらあやしいのですが……

 【回答】
 軍艦は量産されているものであっても,造船所や建造時期の違いから「一品モノ」なので,細部に違いがあるのです.
 造船所が違えば個々の部品を製造している地元メーカーが異なるわけで.
 また,建造期間が長いため,前艦の実績が取り入れられて微妙に改正が加えられるためでもあります.

 具体的な相違点はそれぞれの艦級を調べてくださいとしかいいようがないです.
 光人社「写真 日本の軍艦」なんかで,個艦の識別ポイントの解説なんかが載ってます.

 また,新発見の(orあまり紹介されない)写真を見せられた場合,前後の状態が判っていると,それとの比較や造船所のクセで判ったりする.
 写真を眺めていると,なんとなく見分けるコツが判ってくる.

 さらにマニアの場合,残っている旧海軍艦艇写真の数が限られてるので,その写真そのものを覚えていて判別していることが多いかと.

軍事板

識別方法の一例


◆◆◆艦船装備


 【質問】
 旭日旗と軍艦旗はどう違うの?

 【回答】
 旭日旗と軍艦旗の違いですが,海軍旗章条例や後継の海軍旗章令を当たってみると,まったく「旭日旗」という文言はありませんでした.
 つまり法的には「軍艦旗」と呼ぶべきもので,「旭日旗」は通称にすぎません.

 言い換えれば,「国旗」と「日の丸」「日章旗」との関係です.まあ同じものですけど….

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)


 【質問】
 艦首の菊の御紋には何種類かあったりするんですか?

 【回答】
 その通り,いくつかバリエーションがあります.
 よく見慣れた正面向きの御紋章は八八艦隊計画艦から採用されています.
 衝角を撤去した筑波から日向までの明治末〜大正中期のクリッパー艦首艦の御紋章は下向き.それ以前の鋼鉄艦は,艦首の形にあわせてV字に折り曲げた御紋章をつけています.
 初期の吉野・高砂・高雄みたいに唐草文様の飾りレリーフをまとうものもあります.
 浪速・高千穂に代表される古式艦や,満州・韓崎・姉川などロシア鹵獲艦,鳥羽など河用砲艦の場合は,2個1対の御紋章を,左右両舷の先端に向かい合わせに取り付けています.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

 菊の紋章についての規定は,海軍省の艦船造修規則に定められてまして,材質はチーク材に金箔,但し河川用艦は金属製も可.
 サイズは
戦艦 1200mm
航空母艦,水上機母艦,潜水母艦 1200,1000,800mmのうち船体に合うもの
巡洋艦 800,600mm
施設艦,砲艦 600,450mm
とされています
 但し,サイズはきっちりでなくても良く可也自由度が認められていたようです.
 また,金箔は大戦前あたりから不足したため,銅系金属箔で代用されていましたが,大和型は最後まで純金箔が使用されています.


 【質問】
 日本海軍の対水上レーダー導入の状況は?

 【回答】
 第2次大戦時,日本海軍のレーダー開発は米海軍に大きく遅れていた.

 「海軍技術研究所」(日本経済新聞社)によれば,戦艦「日向」に搭載された『二号二型』電探の試作品『一〇三号』は1942年6月,ミッドウェー開戦直前に実戦さながらのテストを受けた.
 それまで対水上レーダーの開発はやってなかった様子.

 しかし,結果は不採用.
 だが,結論が出たのはミッドウェー作戦直前だったので撤去するヒマが無く,戦艦「日向」は『一〇三号』を装備したまま出撃.
(「日向」が搭載していたのは『二号二型』電探の試作品『一〇三号』のみ.『二号一型』電探を装備していたのは戦艦『伊勢』.21号は主に対空捜索用,22号は対水上捜索用)

 ミッドウェー海戦で南雲機動部隊は壊滅,その後方にいた「日向」を含む主力艦隊には「作戦中止,即時反転」が命ぜられたが,天候不良,通信の不達などにより撤退は収集がつかないほど混乱し,これにより重巡「最上」と「三隈」は衝突事故をおこし,「最上」は大破「三隈」は沈没した.
 この悪天候の中「日向」に装備された『一〇三号』は三五km先までの艦船が確認でき,他の艦と衝突することもなく無事に撤収できた.
 「日向」艦長の松田大佐は,内地に帰還後
「『一〇三号』が無かったら,撤退は混乱を極め,最悪の事態になった.そういう意味でも対水上レーダーは絶対的に必要」
と軍令部や艦政本部を説いて回り,これに自信を持った電探の製作者も艦政本部に強く働きかけるが,艦政本部は
「武人の蕃用に耐えない玩具のような兵器の研究はまかり成らん」
といって,耳を貸そうとはしなかった.

 『一〇三号』が不採用になった理由は
「容積過大」
「重量過大」
「飛行機を探知できない」
「微調整が難しい」
「武人の蛮用に耐えない」

 しかし技術者の言を借りれば,対空と対水上レーダーを兼ねるのは難しい.たとえ出来たとしても,性能的に各個の専門レーダーより大幅に劣るモノとなってしまう.
 微調整が難しいのは,「改良が許可された後」にある程度改善されている.しかしミッドウェーの直後の時は,改良すら許可されてない
 「武人の蛮用に耐えない」からというのは,レーダーに対する軍の認識不足.
 軍は「武人の蛮用に耐えられる」と言う意味で,「一メートルの高さから落としても壊れないモノを作れ」と言った.
 レーダーは当時の最新技術で作られた精密機器.現在で言えば,プラズマテレビとかパソコンみたいなモンで,それを「一メートルの高さから落としたら」,どこか壊れるに決まっている……
 軍の認識不足には,技術者の人もさんざん腹を立てている.

 ちなみに当時のアメリカの艦艇は,レーダー機器の設置してある部屋のドアには見張りの兵を置いて,玄人以外には触らせないようにしていた.
 レーダーを精密機器として扱い,「一メートルの高さから落としても壊れないモノを作れ」なんて戯れ言は言わず,「より高性能なモノを作れ」と言った.

 そのうち,サボ島沖夜戦(エスペランス岬海戦)・第三次ソロモン海戦(ガタルカナル海戦)で米艦のレーダー射撃により,日本海軍は大打撃を被った.
 戦艦2隻,重巡2隻を喪失し,その他多数の艦艇が損傷したとあって,軍令部と艦政本部は,ようやくレーダーの重要性を認識し始めた.遅せえよ…….

 こうして昭和一七年も終わる頃,ようやく対水上レーダーの開発が認められたが,海防艦や駆潜艇などの小艦艇に装備する対潜水艦用に限ると言う条件付きだった.
 研究者やその機関は失望の色を表しながらも『一〇三号』の改良に着手し,『二号二型』を製作する.
 これはある程度使える見通しがついたので,量産された.

 昭和一九年,『二号二型』は受信部分に改良され『二号二型改一』として重巡「愛宕」に装備され,マリアナ海戦に参加した.
 これが威力を発揮し,「愛宕」を含む第二艦隊はマリアナ海戦において,前衛を務めたにもかかわらず,新型電探の意外な活躍により(他の要因もありますが)ほぼ無傷の状態だった.「愛宕」の電探オペレーターが優秀で艦隊の前衛において,敵の動静をいち早く察知し,それを各艦に知らせたからだった.

 この報告を聞いた軍令部は,艦政本部に対し『二号二型改一』を一ヶ月以内にすべての艦に装備するように命令する.
 この『二号二型改一』は,更に受信機を改良され『二号二型改二』として,昭和十九年九月に量産に入った.

 このころ,新型水上射撃用電探『三号二型』の試作品が完成し,良好な性能を示すが,艦隊主力が最後の決戦に備えるためにシンガポールに集結していたため,装備は見送られ,結局この電探は陸上用に転用されて六十台程度が作られたに過ぎず,水上射撃に使用されることはなかった.
 また,『三号二型』と平行して開発が進められていた小型軽量の水上射撃用電探『三号一型』,『三号三型』は,重量軽減の作業が予想以上に難航し,試作品完成は昭和二十年にずれ込み,未使用のまま終戦となった.

(極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in FAQ BBS)


 【質問】
 米海軍航空隊の急降下爆撃機乗りや雷撃機乗りは,日本艦隊の対空砲火の弾幕の濃さなど,どのように感じていたのでしょうか?

 【回答】
 第二次ソロモン海戦に参加し,翔鶴を攻撃したSBDのパイロットの回想では,
「敵空母からの対空砲火は激しかったが,大口径砲は照準が甘く,小口径に方が正確に撃ってきた」
とのこと.
 また,摩耶を攻撃した別のパイロットの回想でも,
「対空砲火は大口径,小口径とも激しかったが,射程が短く余り脅威とならなかった」
 しかし,第10偵察飛行隊の電信員の回想では,
「対空砲火はとても激しく,我々が海面から15〜30mにまで急降下し,東に向かって高速で離脱しても止まなかった.
 戦艦(利根のこと)が我々に向かって主砲を撃ち始め,近くに着弾したら大きな水柱でやられてしまうかもしれなかった.
 回避運動を続けたが近くに打ち込まれ危うかった.驚いたことにこの対空砲火は我々が24km離れ,敵の艦橋が水平線下に消えるまで続いた」
と述べており,艦長や艦の熟練度によって変わってくる様です.

 一方,雷撃機の場合は,マリアナ海戦に参加し,飛鷹に魚雷を当てたTBFパイロットの回想では,
「対空砲火はとても激しく,撃たれまいと私は出来る限りの回避行動をしました」
とあり,レイテ沖で武蔵と大和に攻撃を行った雷撃飛行隊長の回想でも,
「高速で敵に向かう最中に浴びた対空砲火は猛烈でした.戦艦は主砲さえ撃ってきました.
 私はこの戦術を,戦前に乗り組んでいた初代ヨークタウンにいた頃から知っていましたから,驚きはしませんでしたが,やっぱり目玉が飛び出しそうになりますよ」
と述べています.
 レイテの頃になると,日本海軍の艦も対空砲火が増強されたので,結構激しい砲火を浴びるようになったみたいですね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 旧日本海軍が実用化したカタパルトの性能について教えてください.

 【回答】
「呉式一号一型」全長19メートル,動力は圧搾空気,最大発射重量は2トン
「呉式二号一型」全長19メートル,射出重量2t,射出速度:秒速28メートル
「呉式二号三型」全長19.4メートル,軌条幅1メートル,射出重量3トン,射出速度:秒速28メートル
「呉式二号五型」全長19.4メートル,軌条幅1.2メートル,射出重量4トン


 【質問】
 夜間水上砲戦におけるレーダーの存在価値を示したと言われる「サボ島沖海戦」で,日本側は米艦隊を見方の輸送船と誤認し,発光信号を打ったら照明弾と徹底的な砲撃で返された・・・という有名な話がありますが,夜間水上戦で照明弾を使う場合には,どうやって照明弾を上げたのですか?
 巡洋艦の主砲弾に「照明弾」という弾種があったのですか?
 それとも,高角砲等の副砲から照明弾を上げたのでしょうか?
 はたまた,照明弾専用の(普通の弾種を発射できない)「照明弾砲」のようなものがあったのでしょうか?

 もう一つ,照明弾,というものはどのくらいの間,どれくらいの光量があるものなのでしょうか?
 発射される砲の口径や弾の大きさによって違うのだとは思いますが,「歩兵支援用ならこんなもの」で,「水上砲戦用ならこのくらい」というような基準・・・のようなものがあったのであれば,お教え下さい.

 【回答】
 戦記物読んでると,駆逐艦の5吋砲が多いですね>照明弾
 アメリカさんは大きい艦の副砲も5吋がおおいから,5吋照明弾がポピュラーだったのかな.
 戦艦や巡洋艦の主砲のサイズのがあったのかどうかは,わかりません.

 三川艦隊殴りこみのときは,艦載水偵が上手に敵を浮かび上がらせたはず.
 つまり,艦隊からみて敵の向こうへ照明弾投下,弾は落下傘降下.

 陸の場合は迫撃砲が主だと思います.
 もちろん,普通の砲でも可能のはず.
 歩兵用には信号拳銃使用のもあったはずです.

 時間はいろいろあります.
 航空機投下は高度によりますし,砲弾タイプは角度にもよるし.
 あまり高度が高すぎると、地上は明るくないですし.
 ただし当然ながら,時間(燃焼時間)はそれぞれ上限があるみたいです.

 明るさは,弾種(口径)によりますし,弾がいまどれくらいの高度かにもよります.
 1例をあげると,自衛隊の120迫撃砲であげた弾が地上100米くらいまで落下してきたときは,東京ドームの中くらいの明るさになります.

http://hana.oheya.jp/fuji2002/yakan2.html
を参考にしてください.


◆◆◆◆機関部関連

 【質問】
 先日読んだ本の中に,軍艦の燃料が石油になった時点で,日本海軍の勝利の可能性は著しく低くなった(自給ができないから)というような感じで書かれていました.
 時代の流れとして,軍艦の燃料が石炭から石油に代わったのは仕方なかったのでしょうか? ボイラー・エンジンならば,石炭を燃料にしたままでもよくなかったんでしょうか?

 【回答】
 軍艦には高速・大馬力・大航続距離が要求されます(同じ理由で,現在の軍艦はディーゼルやガスタービンです).
 これらの要求を無視できれば石炭の使用を続けることは可能だったでしょう.
 実際,戦中戦後にはまだまだ石炭船は普通に走っていました(大半が民間,それも沿岸航海用の小型船でしたが).

 石炭と重油では,燃やしたときの熱量が全く違うのです.単純にいって重油の方がパワーがでる.
 のみならず,搭載燃料量が重油の方が格段に増やせる.石炭船の頃は,甲板にまで石炭を山積みすることがよくありました.それでも足りなかった.

 また,石炭の完全国内自給が可能かというとそれも不可能.
 日本製の石炭は海外(イギリスなど)の石炭と比べ,熱量が低い.つまり品質が悪いのです.
 加えて国内産出量も十分ではない.日露戦争の時すら,海外で大量の石炭買い付けに奔走しています.
 太平洋戦争の需要を満たすことなど到底不可能でしょう.


 【質問】
 よく,日本海軍の造機能力は貧弱貧弱と言われますが,艦本式などのボイラーやタービンは民間工場ではまったく作られていなかったのでしょうか?
 駆逐艦作りまくった浦賀船渠とか,藤永田造船など,ああいった民間造船所は船体を建造するだけで,機関などはもよりの海軍工廠から供給される,とかいうものだったのでしょうか?

 【回答】
 艦本式では無い,カーチス式,パーソンズ式のタービンやボイラーは民間造機工場,例えば三菱神戸,長崎などでも製造されています.
 しかし海軍用の造機に関しては,資材は投入したものの,大規模工場で敗戦までに本格的に能力を発揮したものはありませんでした.

 商船の主機は徐々に,経済性の観点からディーゼルへと転換され,民間造船所付属の造機工場は,ディーゼル機関製造が主になりつつありました.
 ただ,その製造には高度な技術と多量の工作機械を要するため,造機能力の向上には至っていません(大型船舶用内燃機関は潜水艦用に,小型船舶用内燃機関は,戦車,航空機,上陸用舟艇,作戦用舟艇への供給が主でした.)

 また,タービン翼に充当する特殊鋼の生産量は多くなく,更にこれを航空機,軍艦,兵器などに充当したので,民間には余り供給されませんでした.
 缶についても,その材料となるべき,缶板は,日鉄八幡の第二圧延工場が殆ど唯一の生産工場であり,量的に制約を受けています.
 このため,民間には余り供給されず,缶の生産についても,缶板の使用量の少ない水管缶への移行を余儀なくされています.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 第二次大戦時の艦船の燃費について教えてください.
 燃料(重油でしたっけ?)1トンあたり何海里進んだのでしょうか?
 それと,満載で何トンぐらい燃料をつめるのでしょうか?

 艦種,航行速度,搭載量などで条件が変わるでしょうから,いくつか例を挙げてください.

 【回答】
 燃料の消費量は速度の二乗三乗に比例すると言うことです.
 例えば,原速ならば12ktsで航行するところ,戦闘状態では第四戦速の24ktsと言った速度で航行しているのが常態であれば,燃料消費量は増えます.
 また,巡航タービンを使用せずに航行するのも常態化していたようです.

 例えば,金剛の場合,12Ktsで平時の巡航タービン運転で航続距離15,100海里ですが,18Ktsでは9,300海里になり,全速30ktsでは全主軸4軸運転で3,000海里.
 ちなみに,巡航タービン運転と全4軸運転では燃料消費量に1:2の差があります.
 この金剛の重油積載量は,6,279tです.

 ちなみに,このほかの軍艦では,長良,球磨,加賀が,原速(12kts)との対時間比燃料消費量では,24ktsなら凡そ5倍強,32Ktsで凡そ17倍に達し,川内では,24ktsなら凡そ5倍弱,32ktsで14.5倍,天龍,赤城,夕張では,24ktsなら凡そ5倍,31ktで11.5倍,蒼龍では,24ktsで4倍,32ktsで11倍,34ktsで17倍弱に達します.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


◆◆◆◆魚雷

 【質問】
 すいません,日本駆逐艦の53センチ魚雷と61センチ魚雷についての質問です.
 調べても53センチ魚雷の資料が分からないので,簡単に性能を教えてください.
(古いからでしょうか.61センチは把握してます)
 もう1つ,駆逐艦の53センチ魚雷に「酸素魚雷」があったかどうかもお願いします.

 【回答】
 四四式:直径53.3cm 全長6.7m 重量1,325kg 炸薬160kg 雷速/射程27kts/10,000m,35kts/7,000m,36kts/8,500m 空気式
 六年式:直径53.3cm 全長6.8m 重量1,432kg 炸薬203kg 雷速/射程27kts/15,500m,31kts/10,500m,38kts/10,000m 空気式
 八年式二号:直径53.3cm 全長6.4m 重量2,362kg 炸薬346kgg 雷速/射程28kts/20,000m,33kts/15,000m,38kts/10,000m 空気式
 八九式:直径53.3cm 全長7.2m 重量1,668kg 炸薬300kg 雷速/射程36kts/10,000m,43kts/6,200m,45kts/5,000m 空気式

 駆逐艦用に酸素魚雷はありません.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 何で酸素魚雷は廃れてしまったのでしょうか?
 魚雷自体は今でも潜水艦などの主力兵装として使われているのに.

 【回答】
 艦対艦攻撃兵装としての超長射程魚雷の必要性がなくなったから.
 あと,誘導魚雷が当たり前になったので,「航跡が見えないから狙われてるのがわからず,回避が難しい」というメリットに意味がなくなってしまった.

 さらに,魚雷から酸素が漏れて(潜水艦の場合)艦内に充満したら非常に危険です.僅かな火花でも大爆発がおきるから.
 対艦用ならミサイルのほうが便利で安全.
 母艦のソナーの探知範囲では対潜水艦用としても意味が無いのです.


 【質問】
 日本海軍の魚雷の積み込み作業はどのように行われるのか?

 【回答】
 魚雷は積み込まれた後に魚雷発射管・次発装填装置・予備魚雷の格納場所に運ばれますが,これらが露天甲板上に無い場合は,船体側面や上部構造物の開口部から搬入されます.
 積み込まれた魚雷は,天井や甲板上の軌条に沿って所定の位置まで移動します.

 重巡は露天甲板下に魚雷発射管を装備したものが多いですが,上に書いた通り側面の開口部などから積み込みました.
 魚雷発射管のある開口部からやその脇に開口部を設け,魚雷の搬入口とした場合もありますし,上部構造物の前面や後面の通路から積み込む場合もありました.
 側面の写真を見ると,開口部の直ぐ傍に魚雷積み込み用のダビットが付いているのが見えることもあります.


 【質問】
 第2次大戦頃の日本海軍艦艇に搭載されていた魚雷発射管について質問です.
 この魚雷発射管は海戦中,全部艦内から操作出来たのでしょうか?
 それとも魚雷員が甲板に出て,発射管の周りで操作していたのでしょうか?

 【回答】
 旧式戦艦についていた固定式の魚雷発射管なら艦内から操作−むしろ艦内からしか操作出来ない−しますが,駆逐艦等についている旋回式の魚雷発射管は,基本的に艦内から操作出来ません.
 ですから,魚雷発射管に操作する兵隊さんがついて旋回や発射,次発装填の操作を行います.

 しかし,戦闘の最中に兵員が暴露したままだと危険ですから,大砲と同じように砲塔のような形で覆い(シールド)をつけました.

 模型写真で申し訳ないが

http://www.tamiya.com/waterline/31401.htm

 駆逐艦の煙突の後ろにあるのが覆いのついていない魚雷発射管で

http://www.tamiya.com/waterline/31409.htm

こっちのには覆いがついてるでしょ.

 魚雷発射管については
http://www.asahi-net.or.jp/~zq9j-hys/navy1.htm
の水雷関係を参考にして下さい.

 また「図解・海軍水雷戦隊」と言う本には

魚雷のプラットホーム/魚雷の原理/初期の魚雷/九〇式魚雷/九三式魚雷/その他の魚雷/魚雷発射管の変遷/魚雷発射管の構造/魚雷戦指揮装置/魚雷の生産/諸外国の魚雷

と言う形で詳しくのっているようなので,詳しく知りたければ買うか立ち読みを.


 【質問】
 TVドラマ「終戦のローレライ」にて
"アメリカ海軍の魚雷の故障頻度の高さには定評があり,発射した自艦に戻ってきて艦を破壊した例もある"
という記述がありましたが,そのようなソースはありますか?

 【回答】
 ある.

 米海軍潜水艦「タング」は昭和19年10月25日厦門沖で ,「松本丸」に対し,浮上して魚雷2本を発射した. 
 そのうち1本の魚雷が不良品で左へ旋回,左舷側の波の上を チャプチャプ跳ねながら約50メートルの旋回半径の半円を描いて,発射20秒後,「タング」の艦尾にドッカン.
 「タング」は轟沈した. 

 開戦初期の米軍魚雷は,深度調定装置に誤作動が多く,船の下を通りぬけてしまう例が多発した.
 船体の磁気を感知して爆発するタイプの魚雷では,不発や逆に敏感すぎて離れた場所で爆発することも多かったようだ.
 なかなか改善されなかったが,さすがに大戦後半にはうまく動作するようになった.

 ちなみにアインシュタインは戦時中,海軍兵器開発局の顧問として,不発の多かった魚雷の改善について幾つか提案を行っている.


◆◆◆◆搭載砲

 【質問】
 旧日本海軍の使っていた砲弾は,本当に魚雷のように直進するのでしょうか?
 そして効果はあったのでしょうか?

 【回答】
 その砲弾は,九一式徹甲弾という名称.水中弾効果を最大限発揮できるような仕組みを施した弾,

 これは,軍縮条約で未完成のまま廃艦となった戦艦土佐を標的として砲撃実験を行った際,水中に落下した砲弾の一部が水中を進んで喫水線下に命中した,このデータをもとに開発された.
 砲弾頭部が魚雷のように丸まっており,そこに円錐形の風防が被せてあった.

 海面に衝突すると風防が壊れ,その後砲弾は水中をごく浅い角度で海中を進み(魚雷の様に水平に進む訳では無い),敵艦の喫水線下を貫通後爆発する.
 進む距離は砲弾直径の200倍と言われている.46cm砲弾なら90m程度.
 これにより近弾(砲撃側から見て敵艦の手前に着弾すること)の場合でも,浸水などの損害を与えることが期待された.

 ただし距離や角度に条件がある.全射程で水中弾効果が得られる訳ではない.
 水中弾効果が発生しやすい距離は18000から20000m付近,これが決戦距離を決める上において結構大きな要素になったそうな.
 実戦において目に見える効果が確認できた例はない.
 ソロモン方面での海戦の被害を調査したアメリカ側は,「日本側の徹甲弾の能力は低い」と評価している.

軍事板

 ところで本来の徹甲弾は,錐で装甲をぶち破り,中で爆破させるものですが,肝腎の水上部への着弾は,風帽がじゃまで信管が遅く,装甲を破る本来の使命を果たせていません.
 これは霧島等と撃ち合ったサウスダコタやボイスの被害分析の結果,判明しているもので,サウスダコタを機能不全にしたのは霧島の榴弾1発であり,巡洋艦の徹甲弾はほとんど無効だったとか.
 あと,注目すべきは,ボイスに1発だけ水中で命中した不発弾があり,命中精度は悪いが,下手をすれば危険と見なされて,水中防御増強の口実となっています.
 あえて徹甲弾の効果があったといえるのは,フィリピン海戦におけるガンビアベイの撃沈ですが,それも傾斜状態の船腹に至近弾効果を与えたに過ぎないとも予想されています.

 要は,ボイスにかすり傷,ガンビアベイのリンチ中にたまたまヒットしたということで.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)


 【質問】
 亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡は現在どうなっているのか?

 【回答】
 そこは,噂に聞く,旧海軍重要施設.

 ネットで行き方を探ると,
「山道を30分歩く」
「道がわかりにくい」
「私有地の横を抜ける」
「入り口のトンネルが水没する」
 と,とにかく大変な場所にあるらしい……

 〔略〕

 マピオンのお陰でなんとか目的地付近まで行き,そこで運よく見つけた案内板 (地面に刺さった小さな木の板) を辿っり,私有地入り口付近の空き地に車を止めて,目的地への突入を開始!
 帰りのことを考えると,ちょっとウツになりそうな坂道を下り,崖と壁の間の細い道を通って,試射場入り口の 「水没する」 と云う噂のトンネルへ.
 トンネル内は多少ぬかるんでいたものの,難なく通過.

 そして,目の前に青い海に突き出た船着場が目に入ってきました.

 ここにも手作りの看板があり,それに従って烹炊所,井戸,事務所,検速所,地下弾薬破採試験槽を見学したのですが,どこも草と木に囲まれていて,ちょ〜っと近づきにくい状態でした. 
 井戸の中にはカエルが居るようで 「ゲコゲコ」 と鳴き声が聞こえ 「夜に来たら絶対ビビルよなぁ〜」 と寄星蟲さんと話したりしていました.
 で,検速所付近には蛇さんが居たし……
 いきなり誰も居ない所でガサガサ音がするんで 「うぁ! なんじゃい!」 とビビリましたわ (w`;

 1時間ばかり試射場跡に居たのですが,GW中にも関わらず,私達二人以外誰も来ず (来るかい!) 岬の先に釣り人が一人居るぐらいで,とても静で,海を見ながらぼ〜っとするにはいい場所だと思いました.

 いい場所ですが…… 遠いわなぁ〜 (w`;

亀ヶ首旧海軍工廠大砲試射場跡




同烹炊所


同事務所

ベタ藤原 in mixi,2007年04月30日22:06


◆◆◆◆◆3式弾関連

 【質問】
 現在三式対空弾があったら有効だと思ったのですが,ミサイルの飽和攻撃の初期対処に効果があると思いますか?
 例えば海面を飛翔しているとして,砲の仰角から難しくても,そこは改善したら,ピンポイントで個別迎撃よりも面で制圧できたほうが,初期段階では有効ではないのでしょうか?
 また,現在の射撃技術と連動させたら,航空機に対してもそれなりに効果があると思うのですが・・
 まあ,その場合,大口径のほうが有効だろうから,現在の艦船では難しいでしょうけど.
 実際,5インチ砲弾の対空射撃性能はどの程度でしょうか?

 【回答】
 君の言いたいことが良くわからんが,3インチだろうが5インチだろうが,対空用の砲弾には近接信管がついてるだろうし,わざわざ三式弾を復活させる理由は無いんじゃないかね.
 対艦ミサイルの飽和攻撃に対して有効とかいっても,ぎっしりスクラムを組んで飛んでくるわけでもないし,一石二鳥,三鳥を狙うのは無理というもの.
 航空機も5インチ砲の射程内に飛び込む必要は(対艦ミサイルを使うならば)無いわけだし.
 で,結論,「三式弾は必要なし」

 三式弾は実戦では殆んど戦果を挙げていません.
 例えば,シブヤン海空海戦では,米軍機259機に対して,戦艦5隻,巡洋艦7隻からなる艦隊が,三式弾も使用した対空砲火を行いましたが,18機しか撃墜出来ませんでした.
 その中で三式弾による物は,さらに一部に成るので,多くてせいぜい5〜6機程度でしょう.

 菊水作戦の時も同様で,米軍機386機に対して,撃墜出来たのは,わずか10機に過ぎません.
 大和の海上特攻作戦時の天候は雲が低く垂れ込めており,その雲間から敵機が降下して攻撃してきました.
 三式弾は距離二万メートルで最も有効となるため,全く役に立たなかったのです.
 この作戦中大和が主砲を撃ったのはわずか三回,本格的な攻撃が始まってから対空砲火として発射されたのは,そのうち一回だけ.

 三式弾がその威力を示したのは,ガダルカナルのヘンダーソン飛行場を金剛が砲撃してときぐらいではないでしょうか.

 主砲のような大口径砲は発射速度が遅く,砲塔の旋回にも時間がかかる為,航空機のような高速で俊敏な目標に対しては狙いが付けづらいのです.
 三式弾は砲弾の内部に焼夷弾をたくさんつめたもので,発射後一定距離に達すると散開し広範囲に広がるというものです.
 敵機が遠距離で編隊を組んでいる時に一網打尽とか,或いは攻撃位置を占位しようとする敵機への牽制用として用いられる弾丸でした.
 近距離でチョコマカ動く敵機を撃墜するのには使えませんでした.
 それよりも,主砲発射時の爆風により,機銃や高角砲による対空砲火を阻害するデメリットの方が大きかったとの見方が,最近では主流です.

 実際は米海軍が採ったように,連射の効く小中口径砲弾による弾幕の方が,遥かに効果が高い事は,珊瑚海海戦や南太平洋海戦でも明らかです(ちなみにVT信管は未登場です).


 【質問】
 ネット上では「飛行機を一撃で落とす事は出来ない」などと酷評される三式弾ですが,戦記などを読んでいくと(特にレイテ沖海戦の小沢艦隊に所属していた人が),敵機の一群が壊滅した旨証言があります・・・
 またマリアナ沖海戦で長門が主砲で雷撃機を吹き飛ばしたと言う話もあり,恐らくこれも三式弾だと思うのですが.
 ネット上の冷静な分析と,戦記などに書かれている三式弾の威力のギャップの理由とは何なのでしょうか?

 【回答】
 その手の話は,相当割引して聞く必要があります.
 「まず当たらない」ものが「珍しく当たった」からこそ人の記憶にも残るし本にも書かれる,ということでしょう.「当たらなかった」情景は忘れられてるか意図的に飛ばされてるだけ.

 「宝くじで一億円当たった人がいる」のは事実ですが,「殆どの宝くじ購入者は一億円など当たらない」ことは注目もされないしメディア等に書かれもしない.
 当たりクジをいつどこで買ったか克明に覚えている人は多いが,よっぽどの人でなければ外れたクジをどこでいつ買ったのか思い出したりはしないのと同じことです.

 また,末期の日本軍の中の人の技量低下はそれは酷いもので,敵機が急に旋回したのを見て「撃墜」「撃破」などと,景気の良い報告をする例が多かったのです.

 レイテ沖海戦では,「武蔵」は三式弾の発射により,機銃員多数が殉職,高射装置(対空射撃の管制装置)も故障続出という事態を引き起こしており,むしろ使わない方がマシだったと言えると思います.


 【質問】
 3式弾は(餓島艦砲射撃)当時何と呼ばれていたのでしょうか?

 【回答】
 機密漏洩防止のため「通常弾」と呼んだ旨,「海軍砲術史」に記載されています.
 三式弾のひとつ前の零式榴弾もさかのぼって「零式通常弾」と呼んでおり,いわば榴弾・榴霰弾を「通常弾」と呼んで,「徹甲弾」と区別していたようです.

 実際,金剛・榛名に続いてヘンダーソンを砲撃した時の鳥海・摩耶の戦闘詳報にも「通常弾」使用と記載があり,フィリピン沖海戦時の長門戦闘詳報にも「三式通常弾」の記述があります.
(ただし大和・武蔵の詳報では「三式焼霰弾」と表記してあります)

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)


◆◆◆建艦関連

 【質問】
 旧海軍の○一,○二……計画について質問です.
 それぞれの計画の具体的な整備内容を教えてもらえないでしょうか?
 ○一計画が巡洋艦が4隻,駆逐艦が12隻,潜水艦が9隻であり,○三計画が戦艦2,空母2といった主力艦関連のことならば判るのですが,それ以外の補助艦艇や航空部隊の増強については今一つ分かりません.
 どうかよろしくお願いします.

 【回答】
●第1次海軍補充計画(昭和6年度)

 ・乙巡洋艦4隻=最上・三隈・鈴谷・熊野
 ・敷設艦2隻=沖島のみ
 ・砲艦大1隻/小1隻=却下
 ・駆逐艦12隻=初春型(6)+白露型(6)
 ・水雷艇4隻=千鳥型
 ・潜水艦9隻=海大型(8)+巡潜型(1)
 ・中型潜水艦/700t(呂33級) 2隻
 ・掃海艇6隻=第13号型
 ・敷設艦/5,000t(沖島)   1隻
 ・敷設艇3隻=夏島型
 ・内戦航空隊3=呉空・大湊空・佐伯空

○1計画追加
 ・潜水艦母艦/8,500t(大鯨) 1隻   ・駆潜艇/300t(1号級)   2隻

●第2次海軍補充計画(昭和9年度)
 ・航空母艦2隻=蒼龍・飛龍
 ・乙巡洋艦2隻=利根・筑摩
 ・水上機母艦3隻=千歳・千代田・瑞穂
 ・敷設艦大1/小1/急設網艦1=却下
 ・砲艦大2/小2隻=却下
 ・駆逐艦14隻=白露型(4)+朝潮型(10)
 ・水雷艇8隻=鴻型
 ・水雷艇中 8隻(建造中止)
 ・潜水艦4隻=海大型(2)+巡潜型(2)
 ・中型潜水艦/700t(呂33級)  2隻
 ・駆潜艇大1隻(前年度の3隻新造計画の残工事=第3号)/小3隻=第51〜53号
 ・工作艦1隻=明石
 ・給油艦2隻=潜水母艦剣埼・高崎
 ・外戦航空隊3=木更津空・鹿屋空・横浜空
 ・内戦航空隊2=舞鶴空・鎮海空

●第3次海軍補充計画(昭和12年度)
・戦艦2隻=大和・武蔵
・航空母艦2隻=翔鶴・瑞鶴
・敷設艦大1/中1/急設網艦2=水上機母艦日進/津軽/初鷹・蒼鷹
・砲艦大2隻=伏見・宇治/小2隻=伏見・隅田
・駆逐艦15隻=陽炎型
・潜水艦13隻=甲型(2)+乙型(6)+丙型(5)
・海防艦4隻=占守型
・掃海艇6隻=第7号型
・駆潜艇9隻=第4号型
・敷設艇5隻=測天型
・給兵艦1隻=樫野
・測量艦1隻=筑紫
・外戦航空隊=高雄空・千歳空・美幌空・元山空・東港空
・内戦航空隊=父島空

○3計画追加
 ・練習艦/6,000t(香取級)    2隻
 ・給糧艦/10,000t(伊良湖)  1隻

●第4次海軍補充計画
・戦艦2隻=未完成(信濃・111号)
・航空母艦1隻=大鳳
・乙巡洋艦6隻=阿賀野・能代・矢矧・酒匂・大淀(仁淀は未着工)
・水上機母艦1隻=秋津洲
・急設網艦1=若鷹
・駆逐艦22隻=陽炎型(3)+夕雲型(12)+秋月型(6)+島風型(1)
・潜水艦25隻=甲型(1)+乙型(14)+海大型(10)
・掃海艇6隻=第19号型
・駆潜艇4隻=第13号型
・敷設艇10隻=測天型(最終艇「諸島」は未着工)
・給油艦1隻=洲埼
・給糧艦2隻=野埼・杵埼
・電纜敷設艇4隻=初島型
・魚雷艇6隻=第1号型
 ・練習艦/6,000t(香椎)     1隻

〇四追加(臨時軍事費雑船)
 ・電纜敷設艇/1,600t(初島級) 4隻
 ・冷凍船小/600t(野埼)     1隻
 ・冷凍船中/900t(杵埼) 1隻
 ・魚雷艇/20t(1号級)      6隻

●○臨(第一次)
 ・駆潜艇/440t(17号級) 7隻

●○臨(第二次)
 ・潜水艦中/1,000t(呂35級) 9隻
 ・潜水艦小/500t(呂14級) 9隻
 ・練習艦/6,000t(未建造)   1隻
 ・給油艦(揮発)中/8,000t(足摺級) 2隻
 ・給油艦(揮発)小/8,000t(高崎級) 4隻
 ・駆潜艇/440t(14号級) 16隻

●○臨(第二次軍雑船分)
 ・給糧艦(冷凍)/900t(杵埼級)3隻
 ・掃海特務艇/215t(1号級) 6隻
 ・敷設特務艇/280t(1号級)4隻

●○急(17年度臨軍予算分)
 ・空母/17,150t(雲龍)  1隻
 ・巡洋艦甲/12,000t(伊吹) 2隻
 ・駆逐艦甲/2,000t(夕雲級) 12隻
 ・駆逐艦乙/2,700t(秋月級)  3隻
 ・潜水艦乙・丙/2,200t(伊40/46級) 9隻
 ・潜水艦中/1,000t(呂44級) 9隻
 ・潜水艦小/500t(呂109級)  9隻
 ・飛行艇母艦(改秋津洲)   1隻
 ・海防艦甲/900t(択捉・御蔵級)17隻
 ・敷設艇/720t(改平島級)   2隻
 ・掃海艇/600t(19号級)   15隻
 ・駆潜艇/440t(13号級)    16隻
 ・掃海特務艇/200t(1号級) 14隻
 ・駆潜特務艇(木)/100t(1号級) 70隻
 ・魚雷艇甲/80t(10号級) 4隻
 ・給油艦/18,000t(風早級)  3隻

●○急(18年度臨軍予算分)
 ・駆逐艦甲/2,000t(未成)  4隻
 ・駆逐艦乙/2,700t(秋月級)  7隻
 ・潜水艦丙/2,200t(未成) 3隻
 ・潜水艦中/1,000t(呂56級) 3隻
 ・海防艦甲/900t(御蔵・鵜来級)13隻
 ・敷設艇/720t(未成) 12隻
 ・掃海艇/600t(19号級)   13隻
 ・駆潜艇/440t(13号級)    4隻
 ・掃海特務艇/200t(1号級) 2隻
 ・駆潜特務艇(木)/100t(1号級) 30隻
 ・魚雷艇甲/80t(10号級)14隻
 ・給油艦/18,000t(未成)  1隻

●○追
 ・標的艦/1,000t(波勝)   1隻
 ・潜水艦甲/2,400t(伊12,13) 2隻
 ・潜水艦乙・丙/2,200t(伊52級)12隻
 ・潜水艦中(未成)     15隻
 ・潜水艦補給/2,700t(伊351級) 3隻

●〇五
 ・戦艦/64,000t(改大和級)  1隻
 ・戦艦/64,000t(新型)  2隻
 ・空母/30,100t(新型)  1隻
 ・空母/17,100t(新型)     1隻
 ・超甲巡/33,000t(新型) 2隻
 ・巡洋艦乙/8,500t(新型) 5隻
 ・巡洋艦小/5,800t(新型)   4隻
 ・駆逐艦甲/2,570t(島風級) 16隻
 ・駆逐艦乙/2,980t(改秋月級)1隻
 ・潜水艦甲/2,490t(伊9級) 2隻
 ・潜水艦乙/2,200t(伊15級) 8隻
 ・潜水艦丙/2,260t(伊46級) 4隻
 ・潜水艦海大/1,600t(伊176級) 10隻
 ・潜水艦中/970t(呂35級) 9隻
 ・潜水艦小/500t(呂100級) 9隻
 ・潜水艦補給/2,840t(伊351級) 3隻
 ・潜水艦特/3,430t(伊400) 1隻
 ・水上機母艦/13,500t(改日進級) 2隻
 ・飛行艇母艦大/11,000t(新型) 1隻
 ・飛行艇母艦小/3,300t(新型) 6隻
 ・敷設艦乙/4,100t(津軽級) 2隻
 ・急設網艦/1,650t(若鷹級)1隻
 ・海防艦/855t(改占守級) 4隻
 ・敷設艇/720t(改平島級)  8隻
 ・掃海艇/650t(19号級) 10隻
 ・駆潜艇/440t(13号級) 9隻
 ・駆潜艇/700t(新型)     9隻
 ・砲艦甲/1,860t(新型)  1隻
 ・砲艦乙/310t(伏見級) 2隻
 ・潜水母艦/13,100t(新型)  2隻
 ・給油艦/20,000t(風早級) 3隻
 ・給糧艦/9,600t(伊良湖級) 1隻
 ・工作艦/10,630t(明石級)  2隻
 ・測量艦/1,400t(筑紫級) 1隻
 ・砕氷艦/6,800t(新型)  1隻

●改〇五
 ・空母/17,400t(改飛龍級)  15隻※
 ・空母/30,360t(改大鳳級) 5隻
 ・飛行艇母艦/4,650t(秋津洲級) 3隻
 ・潜水母艦/12,500t(新型)  3隻
 ・巡洋艦乙/8,520t(新型)  2隻
 ・急設網艦/1,600t(若鷹級) 1隻
 ・駆逐艦甲/2,077t(夕雲級) 8隻
 ・駆逐艦乙/2,701t(秋月級)23隻
 ・潜水艦甲/2,490t(伊9級) 6隻
 ・潜水艦乙/2,280t(伊15級) 32隻
 ・潜水艦丙/2,260t(伊46級)40隻
 ・潜水艦中/970t(呂35級) 43隻
 ・潜水艦特/3,430t(伊400) 18隻
 ・海防艦/940t(鵜来級) 34隻
 ・掃海艇/650t(19号級) 36隻
 ・駆潜艇/440t(13号級) 30隻
 ・給糧艦大/9,720t(伊良湖級) 1隻
 ・給糧艦中/5,300t(新型) 2隻
 ・給糧艦小/960t(早埼級) 7隻
 ・給油艦/18,300t(風早級か新型)15隻
 ・標的艦/2,560t(大浜級) 5隻
 ・工作艦/10,000t(明石級)  2隻
 ・測量艦/1,400t(筑紫級) 1隻
 ・砕氷艦/7,040t(新型)  1隻
 ・敷設艇/720t(改平島級) 12隻
 ・魚雷艇甲/75t(10号級) 18隻

●○戦(19年度臨軍)
 ・海防艦丙 66隻
 ・海防艦丁 48隻
 ・一等輸送艦 22隻
 ・二等輸送艦 63隻
 ・駆潜特務艇 100隻
 ・哨戒特務艇 62隻
 魚雷艇 1,540隻

●○戦(20年度臨軍)
 ・駆逐艦丁 8隻
 ・潜水艦丁 7隻
 ・潜水艦高速大 23隻
 ・潜水艦輸送小 12隻
 ・海防艦甲(改乙) 21隻
 ・海防艦丙 66隻
 ・海防艦丁 95隻
 ・一等輸送艦 24隻
 ・二等輸送艦 40隻
 ・哨戒特務艇 208隻

●○戦(その他)
 ・海防艇甲(鋼) 20隻
 ・海防艇乙(木) 60隻
 ・敷設艦 2隻
 ・敷設艇 9隻
 ・駆逐艦丁  12隻
 ・給油艦     4隻
 ・潜水艦高速小 79隻

 なお,○6計画については,「太平洋戦争と石油」P.152にある,「海軍軍戦備記録(第一次整理)」によれば,やると決まったモノの詳細が不明です.
 そもそも,○5計画自体が擦った揉んだの挙げ句決まったモノですから.
 一応,○6計画自体の艦艇数は,197隻,80数万トンという数字が残っています.

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ & 眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 戦史叢書によれば,マル6計画は次のようになっている.

戦艦4隻
超巡洋艦4隻(おそらく超甲型巡洋艦)
航空母艦3隻(『海鷲の航跡』の別冊付録によれば大鳳型)
巡洋艦12隻(『未完成名鑑』によれば内1隻は810号艦型)
駆逐艦32隻
潜水艦67隻
その他75隻
実用飛行隊68隊

(ぬるぽ in FAQ BBS)

 ただ,
「海軍は○5計画が15年いっぱい費やしても決定に至らず,16年5〜6月ようやく概案を経て10月商議された訳であるが,(中略)確固たる見通しもないまま,○5および○6計画は受諾された訳で,当面実施に移すことは不可能であったのである」(海軍軍戦備記録(第一次整理))
と述べているので,これが確定ではないと思いますが….

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ & 眠い人 ◆gQikaJHtf2)

 ※ただし,戦史叢書によれば,
三○二号艦型5隻
改三○二号艦型9隻)

(ぬるぽ in FAQ BBS)

 なお,コーエーの「未完成艦隊」にも,E計画建造艦艇のある程度の情報が掲載されていますが,これはソースとしてまったく意味がありません.
 あの本,伝えられている「甲巡10隻」などという数字に,著者の適当かつ身勝手な妄想を割り振っただけで,
「○○の理由から××何隻,△△何隻と予想」
などと書中にも書いてます.
 数あるコーエー本の中でも黒歴史に分類すべき毒電波本です.

 例えば,こちらの紹介文を.
http://www.gamecity.ne.jp/media/book/military/mikankan.htm
>諸元そのものが決まらなかった計画艦艇も,
編成上必要と思われる艦を配置し,艦名も含めて具現化!

 要するに,著者が作為的に決めている,と言ってるんです.

 今のところ,E計画艦の要目らしきものは,ほぼ全て遠藤昭氏がソース元です.

ゆうか in FAQ BBS


 【質問】
 日本海軍は各建造計画に基き,どのような編成を考えていたのか?

 【回答】
 以前調べたものを紹介しましょう.
 出典は防衛庁戦史研究室,帝国海軍戦時編成案です.

●B計画完成時
昭和16年度戦時編成案(昭和10年2月策定)

第1艦隊
 第1戦隊    長門・陸奥
 第2戦隊    伊勢・日向・扶桑・山城
 第5戦隊    妙高・那智・足柄・羽黒
 第6戦隊    青葉・衣笠・加古・古鷹
 第1水雷戦隊 川内・駆逐艦16
 第3水雷戦隊 阿武隈・駆逐艦16
 第1航空戦隊 龍驤・鳳翔・駆逐艦2
 第5航空戦隊 特空母3(秩父丸,浅間丸,龍田丸),駆逐艦2
 艦隊附属    B敷設艦・千歳・千代田 ※特殊艦

第2艦隊
 第3戦隊    B戦艦2 ※重高速戦艦
 第4戦隊    榛名・霧島・金剛・比叡 ※比叡はB計画で改装・現役復帰
 第7戦隊    鳥海・高雄・摩耶・愛宕
 第8戦隊    利根・筑摩・B甲巡2 ※利根・筑摩はB計画で8インチ砲艦に改装
 第9戦隊    最上・三隈・鈴谷・熊野 ※全艦B計画で8インチ砲艦に改装
 第2水雷戦隊 神通・駆逐艦16
 第4水雷戦隊 那珂・駆逐艦16(内14はB計画艦)
 第2航空戦隊 赤城・加賀・駆逐艦2 ※駆逐艦はB計画で航続力延長改装を施した旧式艦
 第3航空戦隊 蒼龍・飛龍・駆逐艦2
 第4航空戦隊 B航母2・駆逐艦2
 第6航空戦隊 特空母3(大鯨・剣崎・高崎)・駆逐艦2 ※駆逐艦はB計画で航続力延長改装を施した旧式艦

第3艦隊
 第11戦隊   長良・名取・木曾
 第12戦隊   厳島・八重山
 第13戦隊   砲艦6・B海防艦2・二等駆逐艦3(B計画で改装)
 第5水雷戦隊 夕張・駆逐艦12
 第5潜水戦隊 長鯨・巡潜3・機雷潜4・海大2
 第7航空戦隊 瑞穂・千代田・千歳 ※千代田・千歳は状況に応じて改装・第1艦隊に配属
 第8航空戦隊 特水母6
 第1根拠地隊 B駆潜艇5・B掃海艇6他
 第2根拠地隊 朝日(工作艦)他
 艦隊附属 第11航空隊

第4艦隊
 第14戦隊   多摩・北上
 第6水雷戦隊 大井・駆逐艦4・水雷艇8
 第6潜水戦隊 迅鯨・海大3・呂号4
 第9航空戦隊 神威・特水母5
 第15戦隊   沖島・特敷2
 第16戦隊   特巡4
 第3根拠地隊 第3航空隊他(パラオ方面)
 第4根拠地隊 春日・第4航空隊他(トラック方面)
 第5根拠地隊 第5航空隊他(サイパン方面)
 艦隊附属    第12航空隊(パガン)・第13航空隊(マーシャル)

連合艦隊附属
 第1潜水戦隊 由良 ※由良はB計画で航続力延長・搭載機増の改装を施す
  B潜甲・巡潜5・B巡潜4
  B潜甲・B巡潜9
 第2潜水戦隊
  五十鈴・海大9
  鬼怒・海大9
 明石・特工3
 給油艦9・剣崎・高崎・特給油(民間より高速船徴用)
 間宮・特給糧4
 知床

駐満海軍部隊
 砲艇兼敷設艇2・砲艇兼掃海艇2

●C計画完成時
昭和19年度戦時編成案(昭和13年10月策定)

第1艦隊
 第1戦隊    C戦艦2・B戦艦2
 第2戦隊    長門・陸奥
 第3戦隊    扶桑・山城・伊勢・日向
 第9戦隊    青葉・衣笠・加古・古鷹
 第10戦隊   北上・大井・木曾
 第1水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦16
 第3水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦14
  特水雷母1
 第1航空戦隊 赤城・加賀・駆逐艦2
 第6航空戦隊 特空母3・駆逐艦2
 第7航空戦隊 特空母3
 艦隊附属    鳳翔・大鯨・天龍・龍田・駆逐艦1

第2艦隊
 第4戦隊    金剛・比叡・榛名・霧島
 第5戦隊    高雄・愛宕・摩耶・鳥海
 第6戦隊    妙高・羽黒・那智・足柄
 第7戦隊    最上・三隈・鈴谷・熊野
 第8戦隊    利根・筑摩
 第2水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦15(内4はC計画艦)
 第4水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦16(C12・D4)
  特水雷母1
 第2航空戦隊 蒼龍・飛龍・C駆乙2
 第3航空戦隊 B空母2・C空母1・C駆乙3
 第4航空戦隊 剣崎・高崎・駆逐艦2
 艦隊附属    龍驤・C駆乙1

第3艦隊
 第11戦隊   砲艦11・二等駆逐艦5
  第1砲艇隊  砲艇16
  第2砲艇隊  砲艇16
  第3砲艇隊  砲艇16
 第12戦隊   長良・由良・名取・五十鈴
 第13戦隊   津軽・八重山・特敷1
 第5水雷戦隊 神通・駆逐艦16
  特水雷母1
 第5潜水戦隊 多摩・迅鯨・機雷潜4・海大3・呂号2
 第5航空戦隊 神威・特水母5
 第1根拠地隊
 第2根拠地隊

第4艦隊
 第14戦隊   川内・鬼怒
 第15戦隊   沖島・厳島・特敷1
 第16戦隊   特巡6
 第6水雷戦隊 那珂・駆逐艦16
  特水雷母1
 第4潜水戦隊 C練巡1・海大9
 第3根拠地隊
 第4根拠地隊
 第5根拠地隊
 第6根拠地隊
 艦隊附属    特設監視艇(甲)18

第5艦隊
 第17戦隊   球磨・夕張
 第18戦隊   特巡2・特水母2
 第19戦隊   特巡2・特水母2
 第20戦隊   特巡2・特水母2
 第21戦隊   占守・国後・八丈・宮古
 第7根拠地隊
 艦隊附属    海大3・特設監視艇(甲)27

第6艦隊
 第1潜水戦隊 C巡丙1・香取・長鯨
  伊10・第1潜水隊(巡潜3)・第2潜水隊(巡潜3)・第3潜水隊(巡潜2・C巡潜1)
  伊11・第15潜水隊(C巡潜3)・第16潜水隊(C巡潜3)・第17潜水隊(C巡潜3)
 第2潜水戦隊 C巡丙1・鹿島・特潜母1
  伊9・第5潜水隊(巡潜3)・(巡潜2・C巡潜1)・(C巡潜3)
  伊8・第11潜水隊(海大2・C海大1)・第12潜水隊(海大3)・第20潜水隊(海大3)

基地航空艦隊
 第1基地航空隊 松島空・香取空・特航運2
 第2基地航空隊 豊橋空・横浜空・特航運2
 第5基地航空隊 美幌空・千歳空・三沢空・特航運3

連合艦隊附属
 第3潜水戦隊  阿武隈・伊7・(C海大3)・(C海大3)・(C海大3)
 第22戦隊    千歳・千代田・日進
 第23戦隊    特巡4
 第3基地航空隊 高雄空・新竹空・特航運2
 第4基地航空隊 鹿屋空・特設空1・C飛母1・特航運3
 第6基地航空隊 台南空・特設空1・特航運4
 第7基地航空隊 元山空・松江空・特航運2
 瑞穂・摂津・明石・特工3

●E計画完成時(両洋艦隊計画対応前)
昭和25年度戦時編成案(昭和13年10月策定)

第1艦隊
 第1戦隊    E戦艦2・D戦艦2
 第2戦隊    C戦艦2・B戦艦2
 第3戦隊    長門・陸奥
 第4戦隊    扶桑・山城・伊勢・日向
 第12戦隊   D巡乙4
 第13戦隊   D巡乙4
 第1水雷戦隊 E巡乙1・C駆逐艦16
 第3水雷戦隊 E巡乙1・駆逐艦16(内8はD計画艦)
  特水雷母1
 第1航空戦隊 赤城・加賀・C駆乙4
 第6航空戦隊 特空母2・駆逐艦2
 第7航空戦隊 特空母3
 艦隊附属    大鯨・駆逐艦1

第2艦隊
 第5戦隊    比叡・霧島
 第6戦隊    E巡甲4
 第7戦隊    E巡甲4
 第8戦隊    利根・筑摩・D巡甲2
 第9戦隊    高雄・愛宕・摩耶・鳥海
 第10戦隊   最上・三隈・鈴谷・熊野
 第2水雷戦隊 E巡乙1・E駆逐艦16
 第4水雷戦隊 E巡乙1・D駆逐艦16
  特水雷母1
 第2航空戦隊 D空母2・D駆乙4
 第3航空戦隊 C空母1・B空母2・E駆乙6
 第4航空戦隊 蒼龍・飛龍・D駆乙4
 第5航空戦隊 剣崎・高崎・駆逐艦2
 艦隊附属    龍驤・C駆乙2

第3艦隊
 第14戦隊   金剛・榛名
 第15戦隊   妙高・羽黒・那智・足柄
 第11戦隊   砲艦11(内2はD計画艦,3はE計画艦)
  第1砲艇隊  砲艇16
 第16戦隊   津軽・八重山・D敷設1
 第5水雷戦隊 C巡乙1・B駆逐艦15・E駆逐艦1
 第5潜水戦隊 C練巡1・C巡乙1・海大4・呂号2
 第8航空戦隊 D水母1・特水母5
 第1根拠地隊
 第2根拠地隊
 上海特別陸戦隊

第4艦隊
 第17戦隊   青葉・衣笠・C巡乙1
 第18戦隊   沖島・厳島・E敷設1
 第19戦隊   特巡6
 第20戦隊   D海防4
 第6水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦16
  特水雷母1
 第6潜水戦隊 D練巡1・E巡乙1
  伊7・(海大1・C海大1・E海大1)・(E海大3)・(海大3)
 第3根拠地隊
 第4根拠地隊
 第5根拠地隊
 第6根拠地隊
 艦隊附属    特設監視艇(甲)18

第5艦隊
 第21戦隊   加古・古鷹
 第22戦隊   特巡2・特水母2
 第23戦隊   特巡2・特水母2
 第24戦隊   特巡2・特水母2
 第25戦隊   占守・国後・八丈・宮古
 第7根拠地隊
 艦隊附属    特設監視艇(甲)27

第6艦隊
 第1潜水戦隊 C巡丙1・香取・特潜母1
  伊10・第1潜水隊(巡潜3)・第2潜水隊(巡潜3)・第3潜水隊(巡潜2・C巡潜1)
  伊11・第15潜水隊(C巡潜3)・第16潜水隊(C巡潜3)・第17潜水隊(C巡潜3)
 第2潜水戦隊 C巡丙1・鹿島・特潜母1
  伊9・第5潜水隊(巡潜3)・(C巡潜3)・(C巡潜1・D巡潜1・E巡潜1)
  D潜甲1・(D巡潜3)・(D巡潜3)・(D巡潜3)

基地航空艦隊
 第1基地航空隊 松島空・香取空・特航運2
 第2基地航空隊 豊橋空・横浜空・特航運2
 第5基地航空隊 美幌空・千歳空・三沢空・特航運3

連合艦隊附属
 第3潜水戦隊  C練巡1・E巡乙1・C潜甲1・C海大9
 第4潜水戦隊  D練巡1・E巡乙1・伊7・D海大9
 第26戦隊    千歳・千代田・日進
 第27戦隊    特巡4
 第3基地航空隊 高雄空・新竹空・特航運2
 第4基地航空隊 鹿屋空・特設空1・C飛母1・D飛母3・特航運1
 第6基地航空隊 台南空・特設空1・特航運4
 第7基地航空隊 元山空・松江空・特航運2
 瑞穂・E水母1・摂津・明石・D工1・特工2

●B〜E計画に基づく戦時編成案
昭和22年度戦時編成案(昭和16年2月策定)

連合艦隊直属
 第1戦隊    D戦艦3・D駆乙4

第1艦隊
 第2戦隊    C戦艦2・B戦艦2・D駆乙4
 第3戦隊    長門・陸奥
 第4戦隊    扶桑・山城・伊勢・日向
 第11戦隊   加古・古鷹
 第12戦隊   D巡乙4
 第1水雷戦隊 神通・B駆逐艦15
 第3水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦16
  特水雷母1
 第5航空戦隊 瑞鳳・祥鳳・駆逐艦2

第2艦隊
 第5戦隊    金剛・比叡・榛名・霧島
 第6戦隊    D超甲巡2
 第7戦隊    利根・筑摩
 第8戦隊    高雄・愛宕・摩耶・鳥海
 第9戦隊    最上・三隈・鈴谷・熊野
 第10戦隊   D巡乙(小)4
 第2水雷戦隊 D巡乙1・D駆逐艦16
 第4水雷戦隊 C巡乙1・C駆逐艦16
  特水雷母1

第3艦隊
 第13戦隊   羽黒・夕張
 第16戦隊   津軽・沖島・D敷設2
 第5水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦14
 第5潜水戦隊 由良・海大2・D海大1・呂号2
 第8航空戦隊 瑞穂・D水母2
 第1根拠地隊
 第2根拠地隊

第4艦隊
 第17戦隊   青葉・衣笠
 第18戦隊   厳島・八重山・特敷2
 第19戦隊   特巡4
 第20戦隊   D海防4
 第6水雷戦隊 C巡乙1・駆逐艦12
  特水雷母1
 第6潜水戦隊 五十鈴・伊7・海大9・特潜母1
 第9潜水戦隊 川内・D潜小18・特潜母1
 第9航空戦隊 特水母3
 第3根拠地隊
 第4根拠地隊
 第5根拠地隊
 第6根拠地隊
 艦隊附属    特設監視艇(甲)18

第5艦隊
 第21戦隊   妙高・D海防1
 第22戦隊   特巡2・特水母2
 第23戦隊   特巡2・特水母2
 第24戦隊   特巡2・特水母2
 第25戦隊   占守・国後・八丈・宮古
 第7根拠地隊
 艦隊附属    D砕氷1・特設監視艇(甲)27

第6艦隊
 香取・特水母2
 第1潜水戦隊 C巡丙1・特潜母1
  伊11・(巡潜3)・(巡潜3)・(巡潜3)
  D潜甲1・(巡潜3)・(巡潜3)・(巡潜3)
 第2潜水戦隊 C巡丙1・特潜母2
  伊10・(巡潜3)・(巡潜3)・(巡潜1・D巡潜2)
  D潜甲1・(D巡潜3)・(D巡潜3)・(D巡潜3) ・D巡潜1

第1航空艦隊
 第1航空戦隊 赤城・加賀・C駆乙3
 第2航空戦隊 D空母2・D駆乙4
 第3航空戦隊 C空母1・翔鶴・瑞鶴・D駆乙4
 第4航空戦隊 蒼龍・飛龍・C駆乙3
 第6航空戦隊 龍驤・特空母2・駆逐艦3
 第8航空戦隊 特空母3・駆逐艦3

第11航空艦隊
 第21航空戦隊 D航空隊(敷香)・美幌空・特設空1
 第22航空戦隊 千歳空・三沢空・特設空1
 第23航空戦隊 豊橋空・美保空・特設空1
 第24航空戦隊 松島空・元山空
 第25航空戦隊 鹿屋空・特設空1
 艦隊附属     特航運10

第12航空艦隊
 第31航空戦隊 横浜空・D航空隊(琵琶湖)・特設空1
 第32航空戦隊 D航空隊(浜名湖)・三河湾空・特設空1
 第33航空戦隊 D航空隊(内海西部)・特設空1
 第34航空戦隊 D航空隊(内海東部)・D航空隊(宍道湖)・特設空1
 第35航空戦隊 D航空隊(本州沿岸)・特設空1
 艦隊附属     飛母大1・小3・特航運4

第13航空艦隊
 第26航空戦隊 新竹空・特設空1
 第27航空戦隊 高雄空・特設空1
 第28航空戦隊 D航空隊(上海)・D航空隊(黄流)・特設空1
 第36航空戦隊 東港空・D航空隊(淡水)・特設空1
 第37航空戦隊 D航空隊(小海)・特設空1
 第41航空戦隊 台南空・D航空隊(台東)・特設空1
 艦隊附属     飛母小2・特航運3

第14航空艦隊
 第29航空戦隊 D航空隊(サイパン陸)・D航空隊(パラオ陸)
 第38航空戦隊 D航空隊(サイパン水)・D航空隊(パラオ水)・特設空1
 第39航空戦隊 D航空隊(トラック陸)・D航空隊(トラック水)・D航空隊(ポナペ)・特設空1
 艦隊附属     飛母中1・小1・特航運1

連合艦隊附属
 第3潜水戦隊 鹿島・D潜母1
  伊9・海大9
 第4潜水戦隊 D練巡1・D潜母1
  伊8・D海大9
 第7潜水戦隊 大鯨 D潜中9
 第8潜水戦隊 阿武隈・D潜中9・特潜母1
 第26戦隊   千歳・千代田・日進
 第27戦隊   特巡4
 第7航空戦隊 特空母2・駆逐艦2
 明石・D工2・摂津・白沙・D潜補3・特工2・特水母2



支那方面艦隊

第1遣支艦隊
 第30戦隊 砲艦6(内1はD計画艦)
  砲艇隊1(特砲艇4)
 艦隊附属  漢口方面特別根拠地隊(砲艇隊1を含む)
         九江基地隊(砲艇隊1を含む)
         第1病院

第2遣支艦隊
 第31戦隊 那智・駆逐隊1
  砲艇隊1(砲艇中9・小9)
 艦隊附属  海南島連合根拠地隊
          海口方面根拠地隊
          三亞方面根拠地隊
          第21水雷隊(水雷艇4)
         広東方面特別根拠地隊(砲艇隊1を含む)
         履門方面特別根拠地隊(砲艇隊1を含む)
         D砲艦1・宇治

第3遣支艦隊
 第32戦隊 香椎・駆逐隊1
 艦隊附属  青島方面根拠地隊(砲艇隊1を含む)
         青島空

支那方面艦隊附属
 上海方面根拠地隊 駆逐隊1・上海港務部・砲艇隊2
 上海海軍特別陸戦隊
 南京基地隊(砲艇隊1を含む)
 舟山島基地隊(砲艇隊1を含む)
 D砲艦1・特水母1・病院船1

 んで,上記編成案の基になった保有兵力概要が以下(昭和13年10月,軍令部第1課策定).

      S19     S25    C  D  E
戦艦   14(7)   18(10)  2   2   2 ※()内は艦齢超過艦.以下同じ
空母    9(1)   10(2)   1   2   0
重巡   18(0)   28(8)   0   2   8
軽巡   23(13)  21(0)   6   8   7
駆逐艦 115(35) 121(25) 16  24  17
駆(乙)   6      20      6   8   6
潜水艦  72(17)  77(6)  25  21   5 ※D(甲2・乙丙10・海大9),E(乙丙1・海大4)
水母    5       5      0   1   1
潜母    5       3      0   0   0 ※大鯨・剣崎・高崎を含む
敷設艦   5       7      0   1   1
海防艦   6      10      0   4   0 ※旧式2隻を含む
砲艦大   3       3      0   0   1
砲艦中   6       6      0   2   2
砲艦小   2       2      0   0   0
水雷艇  12      12      0   0   0
掃海艇  21      30      6   6   6
敷設艇  20      32     10   6   8
駆潜艇  19      36      4   9   8
工作艦   1       2      0   1   0
測量艦   2       4      0   1   1
飛艇母   1       4      1   3   0 ※飛行艇母艦
急設網   4       6      1   1   1 ※急設網艦.白鷹を含む
砕氷艦   1       2      0   1   0 ※購入予定艦を含む
練習艦   3       4      1   1   0
標的艦   1       0      0   0   0
運送艦  16      16      1   1   2

 昭和13年という時期をご覧いただけばおわかりのように,両洋艦隊計画前の整備計画案です.

ゆうか in FAQ BBS


 【質問】
 戦前の日本の軍艦の鋼鈑はどこが製作していたのでしょうか? 海軍工廠でしょうか?
 民間(日本製鋼など)では作られていなかったのでしょうか?

 海軍の鋼鈑,砲や砲弾が(戦後の調査でも)まずまずの評価だったのに,陸軍の戦車の鋼鈑や砲弾があまりにお粗末なのはなぜなのか疑問に思ったので・・
 海軍=少量生産,陸軍=量産を前提,というのが原因なのかなとも推定したのですが.

 【回答】
 海軍の鋼鈑については,従来は装甲板,砲身砲架用鋼材を呉海軍工廠で生産していました.
 ちなみに,陸軍も第一次大戦までは,呉海軍工廠から大口径砲用素材を調達しています.

 艦艇建造用普通鋼材,即ち厚板や,ボイラー用鋼鈑に関しては,八幡製鉄所が一手に引き受けていましたが,後に室蘭製鉄所も参画しています.

 その後,日本製鋼所がVickers-Armstrongの出資で設立されると,砲身用鋼材,砲架用鍛鋼,鋳鋼品については呉海軍工廠製鋼部から,日本製鋼所に移され,呉海軍工廠製鋼部は,装甲板を専門に扱う製鋼所となっていきました.
 ちなみに,現在でも日本製鋼所室蘭製作所は自衛隊向け兵器用特殊鋼を全て生産しています.
 また,陸軍向けの砲身砲架用鋼鈑も一部は日本製鋼所で作られています.

 後,陸軍の鉄帽用鋼鈑は,大同製鋼星崎工場,後に尼崎工場,機関銃身鍛造は大同製鋼築地工場,その他陸軍向け装甲板は,大同製鋼で製作されたものも多いです.

眠い人 ◆gQikaJHtf2


 【質問】
 友鶴・第4艦隊事件までの日本海軍艦艇は,なぜトップ・ヘビー傾向にあったのか?

 【回答】
 凌波性と居住性を必要最小限に止めたことで成立していた平賀式設計技法の上に,兵装のさらなる強化,居住性の向上,船体乾舷増大による凌波性の改善などを行う藤本式設計が重なり,さらに艇の完成時排水量が,設計値より数〜10数%超過する現象が起こって,それらがいずれも重心上昇を招く結果となったためだという.
 以下引用.

 昭和期の日本艦艇技術は,大正末期における平賀造船官による巡洋艦設計の手法を出発点にしている.
 その要点は,長さ幅比が大きい(細長い)が計量な船体を実現し,浮いた重量を戦闘能力の強化に当てたことにある.
 重巡妙高型がその代表的な艦で,独創性に富んだ日本の軍艦としての優秀性を示した.
 しかし,軽量船体を得るため低乾舷で,凌波性と居住性を必要最小限に止めたことで成立したといえよう.

 昭和一桁の年代に藤本造船艦が設計した艦艇には,兵装のさらなる強化,居住性の向上,船体乾舷増大による凌波性の改善などが行われた.
 空母龍驤,蒼龍,巡洋艦最上型,駆逐艦特型,初春型などが,その代表艦である.
 前述の諸改正はいずれも重心の上昇を招くものである.
 その上,大正後期の平賀設計艦以来,日本艦艇の完成時排水量が,設計値より数〜10数%超過する好ましからぬ現象が続き,藤本設計艦ではこれが一層の重心上昇に作用した.

 前記の諸改善は,船体強度の見直し,適正化による軽量構造の実現と,船体幅の増加による高重心での復原力確保などの技術手法を用いた設計で達成された.
 しかし,造船技術上の許容限度を踏み越えてしまった設計があって,友鶴,第4艦隊事故が起きた.
 その結果,従来の設計手法からの脱却・新発展を目指した「近代的な」藤本設計は,復原性能,船体強度などを初めとして全面見直しを余儀なくされた.
 藤本設計艦に対する性能改善と航続建造艦の設計変更は,平賀式設計のフィロソフィーに基いて実施され,昭和9年以降,再び「古典的な」設計手法が復活した.

「世界の艦船」2005年8月号,p.94-95(安部康雄著述)


 【質問】
 平賀譲が電気溶接を基礎研究含めて全面的に禁止したってのは本当ですか?
 第4艦隊事件とかの絡みで電気溶接の見直しをしていたのは知っていますが,海軍での電気容積の排斥はそこまでひどいものだったのでしょうか?

 第4艦隊事件も藤本一人の責任にして終わらせてるっぽい(三角波に突っ込ませる演習自体間違いという声は上がらなかったのだろうか?)し,あの頃から日本海軍には自浄能力がなかったのでしょうか?

 【回答】
 海軍の組織論については,回答者の主観の相違もあるので,余り触れません.
(とは言え,伏見宮軍令部長とその後任の面々が組織的に硬直したものを作り上げてしまった感は否めませんが)

 溶接に関しては,全面的な禁止をしていません.
 1935年10月21日に組織された臨時艦艇性能改善調査委員会での結論は,艦の「重要部(船体とか艦橋など艦の主要構造部)」に対する溶接の禁止であって,全面禁止ではありませんでした.
 ですので,応力の掛からない部分についての溶接の使用は許されています.

 但し,そう言った状況なので,発展は一時的に停滞し,戦後の米国の調査では,米国に比べて8年間遅れていると言われたり,1949年に当時の通産省が出した『我が国鉱工業技術の現状』には,世界に30年遅れを取っていると書かれています.

 溶接に関しての研究は,1936年に既に赤崎繁海軍大佐が「赤崎式溶接法」という自動溶接法を編み出していますし,これは後に「新赤崎式溶接法」に発展しています.
 また,呉海軍工廠でも1930年代後半から辻影雄技師が中心となり,「呉船式溶接法」を作っていますし,民間でも三菱長崎造船所でも自動溶接機械を試作していました.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 【質問】
「応力のかからない部分のみ溶接可」
という方針はいつ頃まで維持されていたんでしょうか?
 潜高だの松だの海防艦だのが登場するまでは鋲接主流だったような気もするし,あるいは大戦中もこの方針は維持されていたってことなのでしょうか?
 【回答】
 戦時標準船建造などでブロック建造が大々的に行われるようになるまでは,その傾向が強かったようです(但し,民間船ではそう言う束縛は無いので,比較的自由に建造できました).

 但し,その戦時標準船についても,設計で熔接を使用する比率は全体の接合場所の30%程度であり,全面熔接まで至っていません.
 戦時標準船で,熔接の取り入れ比率が大きかったのは,2E,2ET,4ETくらいの近海用くらいでした.

 また,熔接棒は戦時急造であっても,最初はその規格の心線が日本で製造されておらず,鋲材を便宜使用していたりしています.
 熔接方法についても,大口径棒の6粍棒〜9粍棒による半自動熔接が大手造船所に採用されたのみで,米国の様な,ユニオンメルト等による全自動熔接は,生産が徹底した単一船型でなかったこと,ユニオンメルト使用技術が未熟だったこと,鋼材の加工についても,手動ガス切断を主とした状況では,ユニオンメルトをはじめとする全自動熔接採用の前提条件である幾何学的正確さの鋼材縁の加工を行うことが出来ないと言った要因があり,採用が出来ませんでした(結局,三菱長崎のそれは試用で終わっています)

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 電気溶接禁止により,どんな不利益が生じたか?

 【回答】
 防御上の不利益があったという.
 以下引用.

 電気溶接は船体構造の重量軽減効果だけでなく,被害時に漏水を生じにくく,被弾,被雷の爆発で鋲飛散による損傷がないなど防御面での利点があるが,この点に関する認識が希薄で電気溶接再使用が遅れ,防御上の不利益が生じたものと思われる.

「世界の艦船」2005年8月号,p.97(安部康雄著述)


 【質問】
 第二次大戦中,アメリカは毎週空母を作っていたっていうけど,どんなもんだったの?

 【回答】
 日米の軍艦生産量・・・

1942年
日:戦艦1,空母2,軽空母2,護衛空母2,駆逐艦10
米:戦艦4,空母1,護衛空母11,軽巡7,駆逐艦81

1943年
日:軽空母1,護衛空母2,軽巡3,駆逐艦12,海防艦15
米:戦艦2,空母6,軽空母9,護衛空母24,重巡4,軽巡8,駆逐艦125,護衛駆逐艦236

1944年
日:空母5,軽空母1,軽巡1,駆逐艦24,海防艦101
米:戦艦2,大巡2,空母7,護衛空母33,重巡1,軽巡11,駆逐艦73,護衛駆逐艦182

1945年8月まで
日:駆逐艦15,海防艦51
米:空母3,護衛空母8,重巡6,軽巡5,駆逐艦56,護衛駆逐艦5

 43年の駆逐艦・護衛駆逐艦なんかほとんど日産1隻ペースです・・・

 カサブランカ級空母は戦時標準型貨物船の設計をベースにブロック工法を採用して建造された.

 通常船を建造する時は,造船台に船の背骨となる竜骨を据え,そこから船体を作り上げていく.
 そのため,建造開始から進水までのあいだ,場合によっては数年その船が造船台を占有することになる.

 これがブロック工法の場合,船をいくつかのブロックに分けて工場内で建造し,最後に造船台でブロックを組み合わせて進水可能な状態にする.
 複数の船のブロックを並行して作ることができ,1隻が造船台を占有する期間も短くてすむので,1年で50隻の大量生産が可能となった.いわばプレハブ構造の家を建てるようなもの.
 カサブランカ級空母は1番艦の起工から竣工までは8ヶ月かかったが,ノウハウの蓄積により19番艦のガンビアベイは6ヶ月で竣工している.

 なお1番艦の進水式での命名はエレノア・ルーズベルト大統領夫人が行ったが,数が多かったため,後の艦には現場監督の奥さんが名づけたものもある.


 【質問】
 日本海軍では,起工されていない艦にも艦名はついていたの?

 【回答】
 図面上の艦には命名は為されません.
 それが形になって初めて,候補艦名という形で具体化され,二種類が選ばれ,海軍大臣(天皇陛下の代理)の裁可を経て,艦名が決まり,実際に進水式の時に命名されます.
 それまでは,仮称xxxx号艦とか呼ばれます.

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

 船の名前は進水式と同時に行われる命名式で発表されるので,それに間に合うように決めればいいわけで,せいぜい起工式の頃に候補がいくつか挙がっている段階です.

(鷂携帯版 ◆53cmjHPmWw)


◆◆◆戦後処理


 【質問】
 先日の産経新聞で台湾出身の「元日本兵」の特集があったんですが,その中で,国民党軍では,日本からの賠償艦34隻の保守や運用も台湾出身兵が行っていたとの記事があったのですが、日本からの賠償艦について教えてください.

 【回答】
 駆逐艦では、
峯風級の波風、陽炎級の雪風、秋月級の宵月、松級の楓、杉、橘級の初芽、蔦

 海防艦では、
択捉級の隠岐、対馬、鵜来級の四阪、御蔵級の屋代、1号級の81号、85号、205号、107号、67号、215号、40号、14号、194号、118号、198号、104号、192号。

 砲艦は熱田、多々良.
 駆潜艇は28号級の49号、1号級の220号、223号、7号級の9号.
 敷設艇は夏島級黒島.平島級の済州
 旧イタリア艦の敷設艦興津.
 掃海特務艇1号級の4号、14号、19号.
 河用砲艦の旧イタリア艦の鳴海、日本製の鳥羽、安宅、勢多、二見、伏島、墨田、旧ポルトガル艦の舞子、橋立級の宇治.
 二等輸送艦103号級の172号、

 以上が引き渡されました。

 このうち、隠岐、四阪、海防艦81号、85号、14号、194号、118号、198号、河用砲艦の全て、駆潜艇220号、223号、掃海特務艇4号、14号は後に中華人民共和国に寝返ったり、捕獲されたりしています。

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 戦後アメリカは長門を水爆の実験体にしましたが,イギリスなどの他の連合国に持っていかれた日本海軍の軍艦などはあるでしょうか?

 【回答】
ソ連

 駆逐艦春月:
 TSL-64と改名されて、武装をソ連式に改め、1959年まで現役、1965年まで標的艦。
 最後は対艦ミサイルの実艦的となって沈没(ちなみに、1959年の状態はレーダーを魚雷発射管の位置に装備、後部の武装を撤去してヘリコプター発着甲板が設けられていた。

 他にも、駆逐艦、海防艦、敷設艦初島、駆潜艇28号、輸送艦など結構多数が引き渡されていますが、引き渡し後の動静は不明。

英国
 駆逐艦夏月始め多くの小艦艇が引き渡されましたが、いずれも日本もしくはシンガポールで解体。
 敷設艦若鷹のみ、Laburnamと改名され、マレー連邦の海軍義勇予備員の宿泊艦兼練習艦としてシンガポールに繋留。

米国
 駆逐艦花月のみDD-934のハルナンバーが供され、各種実験に使用されましたが、残りは、長門、酒匂、伊201、伊203始め各種艦艇は実艦的か解体。

中華民国
 駆逐艦波風は1949年に台湾に行き、1960年除籍。
 駆逐艦雪風を丹陽と改名して、1959年に武装を米国式に改め、1971年まで使用。
 駆逐艦宵月も同様で、1963年除籍。
 駆逐艦楓、杉、初芽、蔦は1950〜60年代まで現役。
 海防艦17隻のうち、8隻は中華人民共和国海軍へ。
 砲艦2隻のうち、1隻は中華人民共和国海軍へ。
 駆潜艇4隻のうち、2隻が中華人民共和国海軍へ。
 掃海艇5隻のうち、3隻が中華人民共和国海軍へ。
 河用砲艦10隻のうち、全部が中華人民共和国海軍へ。
 二等輸送艦103号は、台湾へ逃れ、1955年に座礁。
 敷設艦済州は、1949年に台湾に逃れ、1953年にフリゲートに改造され、1964年除籍。

中華人民共和国
 海防艦隠岐は、1953年に武装をソ連式に改め、フリゲートに類別され、南方艦隊に配属。
 海防艦四阪は1960〜70年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。
 丁型海防艦2隻は、東方と北方艦隊に配属。
 砲艦橋立は、1950年代に武装をソ連式に改め、東方艦隊に配属。 
 いずれも、1980年代まで多数が現役でした。

眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板


 【質問】
 ビキニ環礁では長門が実験で持って行かれたようですが,一発目では沈まなかったと聞きました.
 一発目を食らったときの長門ってどんな状況だったんですか? 装甲はべこべこだったんでしょうか?

 【回答】
 一発目(A実験)は空中爆発なんで,上部構造物に若干の被害があった程度です.
 ちなみに,爆心から250mしか離れていなかった「酒匂」は,艦橋より後ろの上部構造物がほぼ吹き飛ばされています.

名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板

終戦時の長門


 【質問】
 長門が原爆実験に使われたとき穴を開けられたというのは本当ですか?

 【回答】
 長門はB実験(水中爆発)の際に左舷後方に亀裂が生じて,そこから浸水して5度傾斜しました.
 このために,ツリムを取るため右舷艦首部を切り開いて浸水させ,傾斜を復旧させようと試みています.


 【質問】
 終戦時に残っていた艦艇を,浮揚改修して「大型護衛艦」にすることは可能だったでしょうか?
 そうしていれば,今頃
「榛名,第9次改装終了.ついにイージスシステム搭載」とか
「伊勢・日向の艦載機,AV-8からF-35へ変更」
などという,心躍る報道が行われていたかも……

 【回答】
 帝國海軍の大型艦は,終戦時にはみな「浮かぶスクラップ」と化していたので,どれも修理するにはあまりにも金と手間がかかりすぎるものだったでしょう.例え米軍が保有を許してくれたとしても.

 榛名も伊勢も日向もみな空襲で大破して着底し,写真を見ると解りますが到底,軍艦として使える状態ではありませんでした.
 長門も空襲で破損した上に機関が故障しており,マトモに使える状態にするには,海自の予算が数年分くらいは必要だったかと.

旧海軍駆逐艦の内,戦後唯一,海上自衛隊で再就役した「わかば」


 【質問】
 戦後,呉海軍工廠はどうなったのか?

 【回答】
 戦艦大和ですが,呉海軍工廠の造船ドックで竣工しました.
 このドックは第二次大戦後,播磨造船所が貸与を受け,呉分工場として船の修理に使用されました.
 因みに朝鮮戦争時には,年間178隻の船を修理していたそうです.

 1951年8月,ニューヨークに本社を置き,バージニア州ノーフォークに主工場を持つNational Bulk Carrier Ltd.(NBC)がこの呉の15万トンドックに目を付けました.
 この頃,エネルギー革命に伴う大型タンカーブームを予想した訳です.
 そして,NBCはこのドックを播磨造船所から借り受け,NBC呉造船部を創立し,そこの従業員660名共々移籍させて,大型船の建造を開始しました.
 1952年1月,早くも第1船ペトロ・クレ,38,021重量トンを進水させました.
 以後も続々と大型船を建造し,1956年には,85,515重量トンの当時世界最大のタンカー,ユニバース・リーダーを送り出しています.
 こうして米国資本の下,呉造船所は大型船建造のノウハウを蓄積していった訳です.

 1962年9月,NBCは呉造船所を播磨造船所に返還します.
 そして播磨造船所は1966年,呉造船所を国から正式に払下げを受けると同時に,40万トン建造可能の第2建造ドック建設の許可を取り,1971年9月に世界第3位の372,698重量トンの日石丸を進水させ,更に80万トン建造可能の第3建造ドックにより,1973年484,337重量トンの日精丸を進水させています.

 こうした船の大型化は,油田やガス田から石油,ガスを消費地に運ぶ際,長距離をパイプラインで運ぶ事が可能になったのも一因です.
 生産地から大型船が着岸出来る港までパイプラインを結ぶ事によって,原料積出港から消費地の港まで,迂回することなく,直接輸送することが可能となりました.
 特に,パナマやスエズと言った運河を通る必要が無くなった為,船を思い切って大型化出来る様になり,大量輸送によるコスト削減が可能となります.

 これに伴い,日本でもエネルギー革命が起こり,従来の水力や国内石炭による発電の競争力が無くなったり,硫黄鉱山も石油から脱硫して得る硫黄の方がコストが安いので,次々に閉山していくことになります.

 更に,大型船の建造方法は,戦時標準船の大量建造で培われたブロック方式,即ち,船首と船尾を除いて幾つかのブロックに分割して標準化し,陸上で組立てたブロックをドックに運び接合して造船する方法が一般的になりました.
 エンジン,制御,居住空間と言った区画は全て船尾に一体化され,船首部と共に独立して組立てることで建造時間を短縮し,建造原価を切り下げることに成功しました.

 例えば,1964年建造の89,962重量トンの田島丸は,船台工事期間を従来の半分の66日に短縮,全建造期間を5ヶ月にしました.
 20年前の苦闘から見ると偉い違いです.
 また,大和建造にはホ鋲が615万本以上消費されましたが,戦後の造船技術は接合に全熔接を使用し,鋲接合は皆無となりました.
 船型も運河通過条件を考慮しなくても良いので,幅と深さの制限が無くなり,幅広で深く短船体の寸胴型が標準となりました.
 因みに,この寸胴型の船体は播磨造船の社員で,後に日本電電公社総裁となり,リクルートでその座を追われた真藤恒氏によって発案され,英語で,"Shinto-Senkei"とか"Keizai-Senkei"と呼ばれています.

 造船業は1944年に記録した169万トンを,1956年に越え,1969年には930万トンを記録し,全世界造船量1,931万トンの内,48%を占めました.
 造船業が潤うと言う事は,その原材料である厚板生産が必要となります.
 製鉄業は原料搬入が有利な臨海部に工場を構え,1980年に粗鋼生産で米国を追い抜きました.
 炉内容積3,000m^3の高炉数は1975年に15基あり,2位ソ連の6基を遙かに引き離しました.
 また,製鋼の核となる上吹き転炉数も1975年に98基と,2位米国の79基を引き離し,転炉鋼生産率も82.5%で,高級鋼材や高級鋼板を用いる自動車の成長に寄与することになりました.

 臨海製鉄所は,大型船の接岸が可能な埠頭を持ち,原料源の豪州依存は,運河サイズを超えた大型船による原料輸送を可能としました.
 例えば,コークスは従来,米国東岸のハンプトンローズ積の強粘結炭を導入していました.
 これは,東海岸から運んでくるので,パナマ運河を通らねば成らず,船型が限られていたのですが,豪州からの輸入には10万トン級の鉱石船が利用可能となりましたし,鉄鉱石も10〜20万トン級の嵩高船型が使用された鉱石船でブラジルから輸入,しかもこの場合は喜望峰回りとすることで運賃軽減に成功し,直接原価のみ成らず,複数の競合原料源を用意する事になり,日本の鉄鋼業の競争力改善に寄与することになります.

 とは言え,今は原料高騰の時代.
 ブラジルの鉄鉱石にしても,豪州の粘結炭にしても,原料のコストは50〜90%増となってきました.
 また,石油の高騰に伴う運賃の高止まりもあって,今,再びこうしたメーカーには厳しい時代が来ようとしていますね.

眠い人 ◆gQikaJHtf2,2008/07/07 21:52


 【質問】
 元海軍だった祖父の遺品に海軍短刀が発見されたのですが,警察に届け出たときに、没収されない方法はありますか?

 【回答】
 海軍短刀と言いましても,
・日本刀と同じように鍛えた物
・ナイフと同じように油焼(油で焼き入れ)したもの
・ただの鉄を素延べして油焼したもの
・当時の最新技術の不錆鋼(ステンレス)製の物
・素延べ油焼にクロームメッキを掛けた物
などが有ります。

 日本刀と同じように鍛え、焼き入れした物は美術品として登録がとれます。
 それ以外は違法な刀剣として切断(15cm以下に)されます。
 没収されることは有りません。保有権の放棄を勧められることは有りますが。

 実際は黙って保管しとくのが良いと思いますがね※。遺品であるし、美術品とは認められなくても資料的価値はありますし。
 その内,銃刀法が改正されるのを,期待して待ちましょう(まず無理だと思うが)

(剣恒光 ◆YR1Hskt.M.)

 ※異論が出そうな記述であるが…….


 【質問】
 太平洋戦争時の数少ない現存艦だった「こじま」は,少なくない反対の中、解体されてしまいましたが,解体の原因は何でしょうか?
 千葉県の公式の発表では、老朽化に伴う危険や消防法にひっかかる等になってはいますが、やはり旧海軍艦艇という事がネックになり,保存されなかったんでしょうか?

 【回答】
 「こじま」の前身は,海防艦「志賀」.
 戦後,海上保安庁の練習船「こじま」となった後,除籍後は千葉市に払い下げられ団地内に宿泊施設となっていたが、解体。

 「こじま」解体についての経緯はここに。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki/kojima/siga.html
 典型的なお役所仕事的対応ってことみたいだな。

 昔、近所に住んでた者だけれども,「こじま」は経年劣化と錆でもうボロボロだったよ、
 固定はされてたけど、喫水線あたりに錆で穴ぼこ開いてたし。
 やっぱり金がネックだと思う。

晩年の「こじま」.確かにボロボロやね……


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