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「ワレYouTube発見セリ」:Okinawa, april 1945 WWII (Historical fact) 日本 沖繩 沖繩島戰役
「ワレYouTube発見セリ」:アメリカからみた【沖縄上陸作戦】第二次世界大戦
『沖縄 日米最後の戦闘』(米国陸軍省編,光人社NF文庫,2006.8)
『沖縄県民斯ク戦エリ 太田實海軍中将一家の昭和史』(田村洋三著,講談社,1997.7)
『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』(田村洋三著,中公文庫,2006.7)
『特攻に殉ず 地方気象台の沖縄戦』(田村洋三著,中央公論新社,2004.6)
『ざわわざわわの沖縄戦 サトウキビ畑の慟哭』(田村洋三著,光人社,2006.5)
【質問】
小林よしのり先生の沖縄論読んだ者ですが,軍板ではよしりんの評判悪くてびっくりです.
この沖縄論ってどうなんでしょうか?
あと,沖縄戦や沖縄の基地問題で良書があったら教えてください.
【回答】
とりあえず,その本は読んでいないので評価は保留(多分,毎度の事ながら,軍板では一笑に付されるレベルではないかと推定).
沖縄戦についてなら,概観を見るなら,光人社NF文庫の米国陸軍省編『沖縄 日米最後の戦闘』(2006.8)がお奨め.
但し,翻訳レベルはいまいちなので,その辺はさっ引いて考えるがよろし.
人間の話なら,田村洋三の一連の著作がお奨め.
講談社から『沖縄県民斯ク戦エリ 太田實海軍中将一家の昭和史』(1997.7),
中央公論新社から『特攻に殉ず 地方気象台の沖縄戦』(2004.6),
中央公論新社文庫『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』(2006.7),
光人社『ざわわざわわの沖縄戦 サトウキビ畑の慟哭』(2006.5)とか.
一応,このチョイスも賛否両論あると思うので,一つの視点と言うことで.
後,ちょっと沖縄から外れますが,奄美諸島なら,南方新社から出ている前橋松造著『金十丸,奄美の英雄伝説』(2004.8)が面白いですね.
基地問題はNHKの沖縄がまとめた『’隣人’の素顔』がお勧めです.というかこれしか読んだことがないのですけども,冷静な書き方で好感をもてます.
できるだけ多数の部隊を網羅しており,空軍,海軍,陸軍特殊部隊,海兵隊と扱っていますし,兵站関係もきちんと抑えています.
【質問】
第二次大戦末期の沖縄戦について質問です.
1944年10月,米軍がフィリピンに上陸した事により,沖縄の第32軍から第9師団と中迫撃砲2個大隊が抽出されましたが,これは戦略的合理性から見てどうでしょうか?
また,これにあたって大本営と第32軍が揉めた形跡はありますか?
【回答】
第9師団の転用は比島に抽出された在台湾部隊の穴埋めの為で,当時の台湾に対する脅威度というのは異論,各論様々です.
32軍から見た場合,第9師団は最精鋭部隊で引き抜かれることに対して,沖縄の防衛不可能もしくは全軍の比島への移動を主張し,大本営と対立しています.
最終的に第9師団は引き抜かれ,代用の部隊として84師団が当てられますが,海上輸送困難の為,派遣は中止されます.
結果として2/3の戦力となった32軍は,全島防衛を諦め,嘉手納地区飛行場の放棄に繋がります.
【質問】
旧帝國軍も九十九里と予想していたら,沖縄に上陸したじゃないですか.あれは単に裏をかいただけ?
【回答】
アメリカによる沖縄攻略は,45年11月に予定されていたオリンピック作戦(九州上陸)に備えての地ならしの意味を持っていました.
また,46年には九十九里浜での上陸作戦であるコロネット作戦が計画されていました.
直接九十九里浜に対する上陸作戦が行われなかった理由は,アメリカ側の日本の抵抗力に対する過大評価があったようです.
帝国陸軍としては本土防衛の戦力不足を痛感していましたし,ソロモン,中部太平洋,ニューギニアにおけるアメリカの大胆な作戦遂行を考え合わせれば,帝国陸軍があのような予想をしたのも納得のいくことだと思います.
【質問】
沖縄県知事,泉守紀は逃げたって本当?
【回答】
今週から『沖縄の島守 内務官僚かく戦えり』(田村洋三著,中公文庫)と言う本を読んでいました.
〔略〕
この本は,最後の官選沖縄県知事である島田叡氏と,警察部長の荒井退造氏の沖縄への赴任からその死に至るまでの軌跡を描いた本です.
〔略〕
前知事(Iとなっていたけれど,泉守紀だね),内政部長の臆病さ加減と,対照的に与えられた任務を愚直に進行していく,島田知事,荒井警察部長との対比が非常に明確に書かれている.
しかも,前知事と内政部長は,著者からは間接的にではあるが,思い切りこき下ろされていたり.
こういう泥臭い著述をそのままやっているのがついつい引き込まれるところなのかもしれない.
ちなみに,前二者は両方とも戦後を全うして,前知事が1984年,内政部長に到っては2001年まで「のうのうと」生きていたそうな.
更に,前知事については,第32軍の無謀な命令に逆らった,官僚の鏡とかで顕彰しようと言う動きもあるとか.
実際には,長参謀長が,沖縄県民を極力疎開させて10万人程度にまで減らそうという計画をしたのを悉く妨害したり,県庁を空襲が怖いからと無理矢理あちこち移転して,正常な県政を妨害するなど,軍としても何とか住民を避難させて,地上戦に於ける住民の犠牲を最小限に減らそうと腐心した施策を悉く妨害され,最終的に牛島司令官が赫怒し,沖縄県に戒厳令を敷いて,知事の権限を取り上げようとしたほどのことをしたり.
この時期に県外疎開が円滑に行かなかったのが,後の沖縄戦での住民巻き添えの伏線になっている.
最初は,期待を持っていた県民も,余りの阿呆ぶりに辟易して最後には誰も言うことを聞かなかった.
最終的には,あちこち工作した挙げ句,逃げるように本土に帰って,香川県知事に就任したそうな.ま,命は誰だって惜しいわな.
もし,日本が1945年8月に降伏していなくて,本土上陸作戦が行われていたとしたら,彼等はどうしたんでしょうかね.
逃げ場が無い時に,覚悟して開き直れるのか,それとも,命乞いをしてでも生きようとするのか.
今の世の中でも,勇ましいことを言って,世論の喝采を浴びている人もいるわけですが,いざ,極限の状況に追い込まれて,果たして不言実行をするだけの根性があるんでしょうかね.
いや,私も気をつけなければ.
眠い人◆gQikaJHtf2 in mixi
第26代沖縄県知事,泉守紀については,『鉄の暴風』(沖縄タイムス社編,1995)を始めとする多くの沖縄戦に関する本で
「沖縄戦が目の前に迫ると,中央で各方面に工作し香川県知事に転任し,逃げるようにして沖縄を去った」
として悪名高い第26代沖縄県知事,泉守紀なのですが,私としては 「各方面に工作した」 結果が香川県知事転任に繋がったかは,非常に懐疑的だったりします.
軍からの要請を聞かない泉知事に対し不満を持っていた32軍は,軍令官統裁の参謀会議で,行政権を軍が掌握する戒厳令の布告を検討しています.
また,大本営参謀にも,県知事と現地軍との不仲は把握しており,その不満は県知事の任命権を持つ内務省に向けられていました.
一方,内務省では今後行われるであろう本土決戦の中でも,行政権を確保することに腐心しており,その為には知事の軍への協力が必要不可欠とされていました.
そこで,打開策として出されたのが,泉知事の転任,事実上の更迭であった,と私は考えます.
私は泉知事を弁護するワケではありません.
自分が果たすべき責務を放り投げて防空壕に潜ったり,大蔵省幹部である兄に転任工作を依頼する手紙を書いたり,軍に反対するだけで対案は出さなかったり,日記で軍に対する不満をタラタラ書いたりと,決して褒められるような人間ではないです.
ただ 「各方面への工作が功を奏して,転任した」 というのに懐疑的なだけです.
まぁ 「各方面の工作」 よりも,各方面上層部の高度な判断と考えた方が,合理的に説明がつくんですけどね.
まぁ,それだけのことなんですけどね (w`;
とりあえず 『鉄の暴風』 が行方不明…… orz
処分したんだっけ?
誰かにあげたんだっけ? (w`;
ベタ藤原 in mixi,2006年10月31日
【珍説】
日本「本土」の人間は沖縄戦で沖縄を捨て石にしたと言われているという点で,あるいは在日米軍基地の75%を沖縄に押しつけているという点で,もっと沖縄に想いを致すべきであるとは思っています.
Dandy J in mixi
(軍事学的考察上の必要性に鑑み,
引用権の範囲内で引用しています)
【事実】
捨て石にする気なら玉砕を許さず1日でも降伏の日を先延ばしさせ,持久戦をやらせるよ.
君,軍事上の何を指して「捨て石」といっているわけ?
結果的に救えなかったから?
ではアッツ島とキスカ島の違いはどうなる?
ちなみにアメリカ軍は太平洋戦争で「飛び石」作戦を行っている.
この辺の違いは理解出来てますか?
>在日米軍基地の75%を沖縄に押しつけているという点で
最前線に基地が集中するのは当たり前の事.
「押しつけ」ではなく必然.
言っておくが,在日米軍がいなければそこには自衛隊が収まるだけだから.
【珍説】
打ち掛かっていった方は3百万人も殺された.待ち受けていた方は8万人ほどの犠牲で終わった.
最大の戦場は硫黄島.その次は沖縄だったのだ.この2戦場はアメリカがしかけたもので,必ずしも必要ではなかった.
三好誠著『戦争プロパガンダの嘘を暴く』,展転社,2005/4/1,p.24
原爆の威力を,外傷だけでなく遺伝子の問題などまで調べるには人体実験が不可欠だった.
原爆の実用試験は,交戦中でなければ実施できない.本土決戦を先送りにして時間稼ぎの戦場を保全する必要があった.
フィリピンを取り戻すと,本土侵攻には何の障害もなく,北九州か大阪か,関東地方の何れもが射程に入る.それでは戦争終結が早くなり過ぎる.
沖縄戦は時間稼ぎの暇潰しだったのである.
三好誠著『戦争プロパガンダの嘘を暴く』,展転社,2005/4/1,p.112-113,抜粋要約)
【事実】
上述のように,沖縄戦にはちゃんとした意味があります.
また,戦後,米軍は自国兵士を実験台にして各種核実験をおこなっているわけですが.
【珍説】
沖縄戦で無防備だった場所 2005年06月27日 21時24分51秒 (kimdongsung)
この前のニュース23で沖縄戦でひとりも戦争被害者を出さなかった話がありました.
たしか,前島という地名だったと思います.
そこの住民は,兵隊がいなければ,敵も攻撃しないという信念で日本軍の駐屯を拒絶したのです.
皇民化教育で,軍と民は運命を共にするということが義務付けられていた時に,大人たちは大変な決意をして,不服従を貫きました.
米軍が上陸し,島中を見て回って日本軍がいないことがわかると,「この島には砲撃を加えないし,捕虜もとらない.安心していつものとおり生活をしなさい」と言って引き揚げたんだそうです.
この前島は無防備だったおかげで,悲惨な集団自決なども全くありませんでした.
防衛のためと称して,いたずらに基地を作ったり,有事法制を整備するよりも,
平和をつくる努力が大切なんだと思いました.
【事実】
まぁ,なんつーか一向に思考回路が進化しないですね.
とりあえずその前島の位置でも確認してみましょうか.

無防備と言うより無視と表現した方が適切かも知れませんね.
見れば分かりますが,地理的にこれと言って特徴のない島です.
例えば同じ慶良間諸島でも,隣りの座間味島や渡嘉敷島は,一般的に地形が急峻で飛行場の設定は不可能であるが,諸島が環状になっているので,内海は波浪を防ぐのに好適な泊地を形成している為,艦船の補給や修理用の泊地としては最適.
逆に反対側を見れば,沖縄本島から10kmと離れていない神山島は砲兵陣地に利用できる――米軍の野戦重砲である155mm加農砲M2「ロングトム」なら射程23km――ので,まぁ言ってみれば前島はエアーポケットのような島です.
実際に米軍の沖縄侵攻は3月26日の慶良間諸島上陸から始まり,本島上陸前日の3月31日0800には神山島――日本側配兵なし――に上陸を開始.
夕刻には同島に砲兵二個大隊――155mm加農砲24門――を推進し,那覇・小禄方面を射程に収めると共に射撃――この神山島の砲兵陣地は,首里に司令部を置き主抵抗線を形成している第32軍にとっては非常に目障りであった為,度々夜襲をかけている――を開始します.
そして運命の4月1日の沖縄本島上陸を迎えるわけです.
左巻きの人達といい,小林よしのり(後述)といい,政治目的で戦史さえも捻じ曲げようとする連中にはうんざりです…….
【質問】
沖縄戦での日本の戦車隊の活動を教えてください.(みさこ
◆ZYEMgbhZg2)
【回答】
沖縄戦に参加した戦車部隊は戦車第二十七連隊です.
宮古島に分派された1個中隊を除く三個中隊・九七式中戦車25輌と九五式軽戦車14輌が,第二十四師団に派遣され,五月初旬の第三十二軍の反撃作戦に参加しています.
しかし残念ながら,米第七十七師団のM4戦車を伴う反撃で,連隊は装備戦車の三分の二を喪失してしまいます.
生き残った戦車は,首里の北西で,車体を土に埋めて陣地の拠点として使用され,五月末まで陣地を確保することに成功しています.
連隊は,この功績に対して軍司令官より感状を授与されました.
(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)
【質問】
日本軍が沖縄で住民を虐殺したと言うのは捏造ですか?
【回答】
話せば長くなるし,サイトもいろいろある.
問題は軍としての組織がいつ瓦解したのかという点にあると思われ.
日本「軍」が,作戦として住民を虐殺したり,そのような命令を出した例はない.
しかし,沖縄戦後半の南部における掃討戦の段階で,住民と敗残兵の混在する中で,敗残兵が住民を殺害に追いやった事例は見受けられる.
慶良間諸島海上特攻部隊の例もそれに近い(この事件についてもいろいろ資料はあるのだけども,どれも微妙な線だと思う).
また,隣組的な社会拘束力で自決を強要したものや,スパイ狩り等はあったと聞く.
ひとつの事例を紹介します.本島でなく,久米島守備隊の話ですが.
6月13日
米軍,偵察上陸.島民3人を拉致し情報収集.うち1人は連れ去られる途中に自決.
6月15日
久米島守備隊の指揮官が「米軍がまいたビラを拾って持っているものはスパイとみなして銃殺する」と同島民に対して布告.
6月26日
米軍上陸,連れ去った二人を久米島にて解放.
6月27日
米軍の降伏勧告を持って日本軍を訪れた島民を,利敵行為をしたとして銃殺.
なおこの島民と同棲していた女性は,後日に自殺.
6月29日
開放された二人の家族と区長,警防団長,あわせて9人をスパイ容疑で日本軍が殺害.
9人は銃剣でメッタ刺しにされた後,家に火をつけて焼かれた.
なお一人は中学生だった.
8月15日
終戦
8月18日
米軍の降伏勧告の取次ぎをしていた同島出身の降伏軍人とその妻子,あわせて3人が殺害される.
子供は1歳2ヶ月だった.
三人の遺体は家とともに焼かれた.
8月20日
朝鮮出身の島民とその家族,合わせて7人がスパイ容疑で殺害される.
うちわけは,朝鮮出身の夫,同島出身の妻,長男10歳,長女7歳,次男5歳,次女2歳,生後数ヶ月の乳幼児.
以上,島に在住する20名が日本軍に殺害された.
うち,4人は5歳以下の子供だった.
軍法会議,裁判などは行われなかった.
あえて実名は伏せるが,殺害を命令した日本軍指揮官は,この事実を認めている.
言ってしまえば,わずか5歳以下の子供にスパイ行為などできるわけがないので,これは指揮官の独断で行った虐殺だと考えられる.
ソースは「沖縄の日本軍 久米島虐殺の記録」「沖縄住民虐殺」ほか琉大付属図書館所蔵の資料.
なお,これらの本には指揮官の実名と共に,そのインタビュー記録が載っている.
余談ながら,米軍捕虜になった経験のある,英語の喋れる士官いたガマでは,一人の死傷者も出さずに投降できたそうだ.
将来敵対する可能性のある国の言語は学んでおいて損はないかもね.
(極東の名無し三等兵 in FAQ BBS他)
一番有名なのは,渡嘉敷島の集団自決ですが,沖縄タイムスが編集した1950年の「鉄の暴風」が最初に触れ,その後,それが子引き,孫引きで定着したのが始まりです.
曾野綾子がその辺を調べて,1973年に「ある神話の背景」という本を出しています.
さて,問題になるかならないかですが,例えば,渡嘉敷島の事例では,確かに集団自決が行われています.
しかし,その集団自決は,軍の命令ではなく,村長や防衛隊員辺りから誰からともなく,「自決命令」を聞いて,自決したものであったことが最近の研究で判明しています.
これが「軍の命令だった」と言われるようになったのは,1955年頃,日本政府の援護法適用の際,「『軍の要請』で戦闘に参加し,戦死した」形式を取らないと,補償の適用除外となってしまうことが判ったため,生き残りの住民に島の長老が偽証するよう要請したと言う話です.
全部が全部この様な事例ではないと思いますが,一部にはこういう形で伝えられたものもあります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板

【質問】
沖縄の抗議集会での事について,軍が集団自決を強要したのではなく,現地の軍人が住民に自決を迫った場合もあったと,認識していたのですが,私のこの認識は間違っていたのですか?
それとも,新証拠などが出てきたのでしょうか?
【回答】
その認識で結構.
要は解釈の問題.
現地で血迷った一軍人の命令の責任を,軍全体に押し付けようとしているのが問題なわけで.
しかし教科書的な記述としては,「軍の命令で集団自決」というのは間違いとまではいえない.
少なくとも「軍人」の命令や強制の下で自決した事例はあるのだから.
▼ ちなみに秦郁彦は
「平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見にかかる調査審議について」(PDFファイル)
P70 資料(33) において,命令系統的に軍命は出来ないとの見解を示している.
命令系統図 P74 資料(37)参照
詳しい解説は,P65 資料(28) にあるとおり.
兵事主任は駐在所巡査と同列に「連絡係」としての役割を担う.
正規の「軍の命令」は出せる状態に無かったから,当然「軍命」を伝える事は出来ない.ってのがたてまえ.
もっとも直接言わなくても,
「いざというときには日本人として恥ずかしくないように行動すべし」
とか言ったら,当時としては自決せよの命令と捉えるような気がする.
あくまでも推測に過ぎないが.
▲
【質問】
沖縄戦の集団自決問題だが,地元住民の証言がある以上,「軍命令によるものだった」とすべきなのでは?
【回答】
2007/11/12付,「kojii.net」によれば,証言者に悪意も作為もない場合でも,証言の内容には「事実」と「推定」が混ざる可能性があるという点に注意すべきであり,それゆえに目撃証言はあくまで材料のひとつとして,それ以外の材料とも突き合わせる必要があるし,目撃証言もできるだけ多く集めて照合する方がいいのだという.
また,(仮に現場の軍人による命令があったのだとしても)
それが当事者による独断専行なのか,上の方からの命令によるものなのか.後者だとしたら,中隊・大隊・聯隊・師団,あるいは第
32 軍のうちのどこからか,はたまたその上の大本営レベルからのものなのか.といったところまでは,現地に居合わせた住民には知る術もない以上,具体的な命令書があったかどうかの調べを徹底的にやって,「軍命令」という曖昧な言葉の定義付けをきちんとした時点で初めて,「軍命令による集団自決の有無」を論じられるだろうという.
そして,それを抜きにして「地元住民の証言」だけを絶対不可侵の存在として扱うのは,「事実を追究する姿勢」としては問題があると述べている.
詳しくは同ブログを参照されたし.
【質問】
沖縄戦で一般人は何人死んだの? 日本軍が殺した数と,米軍が殺した数では,どっちが多いの?
【回答】
地元の人間だ.
客観的なことだけを言わせてもらう.
沖縄戦で一般人が何人死んだか,現在でもわかっていない.
日米共に,それが民間人であると知りながら殺したという証言は多数存在する.
米兵が一般市民とわかって殺した事例は,殺害数こそ少ないが公式資料として存在する.
一般人を殺した数は,米軍の方が多いだろう.砲弾消費量を調べれば判る.
市民の犠牲の多くは,首里戦線が突破され,日本軍の指揮系統が混乱した後に生じている.
従って,正確な数は知る由もない.
赤ん坊を絞め殺したという話はあるけど,俺が探した限りでは証言などの一次資料としては確認できなかった.
方言に関しては,以下のような命令が20年4月9日付けで出されている.
「爾今 軍人軍属ヲ問ハズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」
終戦後に,壕の中に隠れている日本兵に降伏勧告に行った一般人を殺した事例は存在する.
ちなみに,降伏勧告に行った(事前に捕虜になっていた)日本兵を殺した事例もまた存在する.
(田村洋三著「沖縄県民斯ク戦ヘリ」――講談社,1997.7――参照のこと)
また,沖縄の戸籍は当てにならない,ってのは業界では定説.
戦前のは戦災で焼失して戦後に再製しているので,弔慰金目当てに,存在もしなかった人の戸籍が相当数でっち上げられている(日本軍に壕を提供させられて追い出されて死にました,なんて申し立てがされている),とか,
一族全滅したのは誰も再製を申し立てないから存在しないことになったまま,とかいろいろ.
【質問】
沖縄戦で民間人の被害が多かったのはどうしてですか?
軍に自決を強要されたとか,本土防衛のために時間稼ぎをしてたからだ,って説を聞きますが,それってホント?
【回答】
民間人の被害が多かった一番の原因は,戦場に設定されている地域において住民の避難が殆どなされなかったこと.
政府としては老人や子供を中心に九州への疎開を計画し,一部は実行されたが,「対馬丸の悲劇」に代表される米軍の攻撃等で殆ど進まなかったとか.
また,前県知事の泉守紀が沖縄戦直前に本土に逃亡した所為,後任の嶋田叡が来るまで,避難活動は混乱をきたして停滞した.
こうして,戦闘開始時には戦闘区域に多くの民間人が取り残されており,戦火に巻き込まれた.
米軍に圧迫され,沖縄南部の収容陣地(5万程度を収容可)に,32軍の残骸と民間人が混在.
大本営は降伏を認めないし,時間稼ぎが目的なわけだから,軍民共に最後まで抵抗して米軍の攻撃を受けてしまった.
また,多くの成人男性は現地にて徴兵・徴用されたために,軍隊と行動して戦死すると言うことも・・・.
>軍に自決を強要されたとか,
戦闘地域における混乱において,そういう事態もあったかもしれません.
また,日本軍の内,混乱して血迷った連中が住民殺害なども起こしていますが,米軍により殺害された人口に比べれば比較になりません.
>本土防衛のために時間稼ぎをしてたからだ
それは明確に軍(政府)の方針でありました.
ただそれが,民間人の死傷を増大させた主因ではなりません.
(ドカン・オオカミ ◆s6tJH5.VuA)
【質問】
どうして旧日本軍は沖縄で民間人と行動を共にしてたんですか?
食い扶持は増えるし,動きは遅くなるし,女子供はうるさいし,アメリカ側も狙うメリットはないんだから,どっかにほっといておくか,さっさと戦闘が始まる前に疎開させていた方がいいと思うんですが,
自決に軍の強制があったかどうかはまったく別の問題として,何らかのメリットがあったんでしょうか?
【回答】
軍は疎開を積極的に進めていた.
でも,沖縄からの疎開は政府命令と云うより,奨励.
強制力はなかったのよ〜.
で,中々疎開が進まなかったんで,県が考えた「みんな! 子供を疎開させよう!」キャンペーンの第一弾が 『対馬丸』だったのよ.
官製キャンペーンだったもんで,『対馬丸』に乗っていたのは警察職員,県職員等の子供が多かったんですわ.
だがよりにもよって,その一番手の対馬丸が撃沈されたこと(疎開船で撃沈されたのは,実はこれが最初で最後)や,軍への信頼により疎開の機運が盛り上がらなかったことで,風雲急を告げる頃にはもはや間に合わなくなっていた.
資料を当たればわかるのだが,初期〜中盤頃の疎開船は乗船率が半分以下なんてのもザラだった.
つまり,民間人は自発的に残っていたのだ.
軍は疎開させたかったのだが,なかなか民間人が応じなかったため間に合わなくなり,やむを得ず軍に組み込んだのが実状.
軍事板
&ベタ藤原 in mixi,2007年11月09日 20:32(緑文字部分)
【質問】
沖縄戦について質問です.
読谷村史の集団自決に関する証言で以下のような記述があります.
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec03/cont00/docu129.htm
『米軍の上陸を目のあたりにしたその日,南洋(サイパン)帰りの二人が初めて「自決」を口にした.焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けようとした.』
サイパン島での住民の自決を目撃した人間が,1945年4月の沖縄に存在することは可能なのでしょうか?
サイパン周辺は米軍に包囲され,逃げることの出来ない状態だったと聞きましたが.
【回答】
普通に考えれば,サイパン戦を経験した民間人が沖縄に帰りつくことは考えにくい.
この手の町村史は一次資料,貴重な証言であるのは間違いないが,「皆が耳にした噂,デマ」も脚色なしに書いていると自分で言い聞かせて読むべし.
ただし,沖縄は南洋信託委任統治領やハワイ,アメリカ本土に移民,帰国した人間が他府県に比べて多かった事などから,それらの帰還者が自分のいた地区,地域の情報に敏感になっており,自決や鬼畜米英の残虐行為に関する情報に通じていた可能性はある.
あくまで噂レベルでの情報通でしかないので,兵隊から漏れてくる話などが誇張していく傾向があった.
また,アメリカ帰り(フィリピンなども含む)や英語を話せる連中は潜在的スパイとみなされる風潮もあり,積極的に皇国臣民として振舞わざるを得ないところがあったので,自決とかを自分から口にした可能性もある.
【質問】
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070714/toland01
>地上部隊を率いたバックナー陸軍中将の戦死後,米軍の規律が
>崩壊し,ナチスより非道い残虐行為を米軍が行ったとされています.
とあるが,S.B.バックナー米軍中将の死が米軍の沖縄戦での残虐行為を招いた,というのは本当か?
【回答】
「ナチスより非道い残虐行為」 が何を指すのか良くわからないので,なんとも云いようがないのですが,米兵が日本民間人をレイプした,って事件は4月の段階でもうあるワケでして……
>バックナーを殺されて逆ギレのアメリカ兵
バックナー中将が戦死した真栄里の隣接部落である国吉では,6月19日頃に部落内に居て,米軍の投降勧告に応じて出てきた男性達が処刑されると云う事件が発生している.
これは 「報復攻撃」 的な意図があった,とされています.
>沖縄戦担当司令官の交替にともない,指揮の方法
>(戦闘のしかた)が少し変わった
この3日後に,米軍は日本軍の組織的抵抗が終了したと判断し 「沖縄の占領」 を発表します.
この頃から米軍の戦術目的が 「日本軍の壊滅」 から 「日本兵の掃討」 に変化したとみていいでしょう.
「沖縄戦担当司令官の交替にともない,指揮の方法が少し変わった」
のではなく
「日本軍の組織的抵抗が終了したため,指揮の方法が変わった」
と見るのが妥当だと思います.
規定路線と云えば,規定路線なのかも〜
その他……,
「ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』第5巻「摩文仁の洞穴」のテキストをあれこれ考えながら引用してみるよ(2)」
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070715/toland02
>お前その牛島司令官の微笑を見たのか
八原博通 (八原大佐) の手記 『沖縄決戦』 に同様の記述あり.
長に関しては記述なし.
>牛島と長との,「標的」に関するやりとりの記録・証言.
『沖縄決戦』 には記述なし.
>バックナーの死の状況に関する,他の記録・証言.
松田定雄氏による,小野一等兵による狙撃説があり.
米軍が唱える砲撃説があるが,私としては,砲撃ならば 「戦死した者がバックナーだけ,負傷者なし」 と云うのが,ど〜も腑に落ちない.
沖縄県平和記念資料館のQ&Aには,
Q7 1945年6月18日に亡くなったバックナー中将の死因については,砲撃によるものと,狙撃による説があるが,どの説が正しいのか?
A7 アメリカ軍側と日本軍側の証言をもとにした上原正稔さんのレポート(2002年 6月 琉球新報)の信憑性が高く,砲撃説が正しいと思われると,あるのですが,その 『上原正稔さんのレポート』 がネット上になく,読めないので,なんとも言えず.
>ガス(毒ガス?)なんて使ったのかな.
使っていない.
ガマ等に篭る,日本兵や一般市民をガマ等から燻り出す目的で,黄燐手榴弾や催涙弾,煙幕弾を使用していますが,毒ガスは使っていません.
(黄燐手榴弾を密室空間で使えば,酸素不足になるんだけどねぇ……)
「ジョン・トーランド『大日本帝国の興亡』第5巻「摩文仁の洞穴」のテキストをあれこれ考えながら引用してみるよ(2)」
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070716/toland03
>「もしきみが死んだら,沖縄の戦いについて真相を知っている者は
>誰もいなくなる.一時の恥を受けて,これに耐えてくれ.
>軍司令官の命令だ」
『沖縄決戦』の摩文仁司令部内の記述にその趣旨に合うような記述なし.
「沖縄戦の実相を大本営に伝える為に参謀を沖縄から脱出させる」と云うのは,摩文仁以前に決まっていた様子.
ちゅか,調べるのに2時間はかかったんで,愛・蔵太さんに会うようなことがあれば,
∧_∧/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・(・・)・) < カツカレーでも奢ってもらいたい気分です!
/JベタJ\__________
ベタ藤原 in mixi,2007年07月18日20:20
【質問】
『白旗の少女』の話は実話?
【回答】
沖縄戦の実話として 『白旗の少女』 と云う話があります.
概略を話すと,
『当時六歳の比嘉富子さんが,兄姉弟と首里から南部へ逃げるうちに兄は銃弾を浴びて死亡,姉弟ともはぐれて一人になってしまった.
ちょこちょこ動き回るため日本兵からも危険視され
「お前が生きているとこちらが危ない」
と,何度も退避壕から追い出され,逃げ回る内に,両手両足のない老人と目の不自由な老女の夫婦が居る壕へまたま飛び込んだ.
ある日,
「もう戦争は終わったから出てきなさい」
という,投降を勧告する米軍の呼びかけが突然聞こえてきた.
するとその老夫婦は,どうしても外に出たがらない比嘉さんをなだめすかし,老人の褌を切り裂いて作った白い三角旗を持たせて壕から送り出したのだそうだ.
その後の老夫婦の消息は比嘉さんにもまったくわからない』
と云うモノです.
この話がおかしい……
沖縄戦に従軍した軍医の話によると,
●両腕を失えば負傷者はほとんど助からなかった.
※出血が酷くて死ぬ.
※南部の戦場では民間人を治療する暇がなかった.
※片腕を失った兵士を助けることが出来ず,注射を打って殺した.
※3日もすれば蛆がわいて100%死ぬ.
んで,その元軍医さんの話.
「当時の南部の軍人達は米軍に降伏する場合には,沖縄の子供たちやお年寄りに白い旗をもたして出ていかした.
ならば助かる.
誰しもがそのようにしていた.
私たちも沖縄の子供に白いシャツを引きちぎって旗にして渡し,その後について降伏した一員なんだ」
あと,こういう話もあるのですが……
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「洞窟の外で泣いている女の子を見たことがある.背中に爆薬が仕掛けてあった.
数十メートルほど後方に,日本兵の姿が見えた.日本軍は,このように子供をブービートラップ(仕掛け爆弾)として使うことが多かったという.
米兵は子供を見ると,必ず駆けていって助ける.
日本軍はそれを知っていて,敵をおびき寄せる手段として子供を利用したのだという.
マックの記憶では,その子供は無事救出された」
フランク・マック(イリノイ州シートン在住)
第六海兵師団第二二連隊衛生兵
『沖縄戦 米兵は何を見たか 50年後の証言』(吉田健正著,彩流社,1996.8),P.164
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コレも上の元軍医さんが話された事象 (子供に白旗を持たせ,その後について降伏する) を,米兵が誤解してたのでは?〜〜と思わなくもなかったりします.
『白旗の少女』を実話とするには,なんだかなぁ〜〜と云う気がしないでもないです.
ベタ藤原 in mixi,2007年07月17日22:16
私は「白旗の少女」を読んでないのでなんとも言えませんが,同書にはこんな下りがあるそうで.
【聞き書き】平和こそ最高の遺産
中村文子<58>白旗の少女−連載
西日本新聞2006.04.11 朝刊 6頁
〔略〕
富子さんは,砲弾が飛び交う戦場を逃げ惑ううちに,いつの間にか家族とはぐれてしまいました.
あちこち歩き回り,見つけたガマ(自然壕(ごう))に一人で入りました.
するとネズミが芋を運んできて,富子さんを見ると芋を置いて逃げてしまったというのです.
富子さんはその芋にかじりつきました.
〔略〕
・・・重ねて書きますが,白旗の少女は読んでません.
でも,7歳児の記憶(しかも戦場)ですので許してやってください.
【質問】
『白旗の少女』の後ろに付いていた二人の日本兵ですが
「後方の日本兵は少女を盾に投降したものではありません」
とキャプション付の写真を見た事が二度あるのですが……?
たぶん二人がご存命中にその写真を見て連絡したのではないでしょうか?
確かカメラと活動写真の二つで撮られて,女の子自身は銃器だと思い,殺されるなら手を振ろうと思ったと書いてあったような...
【回答】
比嘉富子が,一人で言ってるだけ.
後ろに写っている日本兵の氏名等は不明だし,再会した,連絡があった等の話を(私は)聞かない.
比嘉女史の証言以外で 『後方の日本兵は少女を盾に投降したものではありません』 と云う事が証明できれば反論はないのですが……
>http://www3.ocn.ne.jp/~mahoroba/sirahata.htm
このページの一番目二番目の写真 (これは映像フィルムから落としたものらしい) を見ればわかりますが,カメラに背を向けた (つまり,カメラを持つ米兵から遠ざかる) 日本兵が存在します.
つまり,この写真 (と映像フィルムは)
『切羽詰って,白旗を持って降伏する少女』
の写真でもなければ,
『子供を先頭にして米軍に降伏する日本兵』
の写真でもないような気がします.
ベタ藤原 by mail,2007年08月17日 21時04分
【質問】
沖縄の密林に入る時に,ハブ対策に事前に血清を打つ場面がテレビでありましたが,免疫血清は事前に打っても意味ないんじゃないでしょうか?
【回答】
ハブの毒は「溶血毒」といってたんぱく質を破壊する酵素が主成分なので,事前に血清打っても毒の作用を防ぐことは出来ない.
ただし,異物を体内に流し込まれることによる急性ショックを緩和する作用はある.
人けのないところでハブに噛まれてショック症状を起こしたら確実に死んでしまうので,そういう意味では効果はあるが,結局毒そのものを中和はできないので,アレルギーで死亡する可能性や,噛まれた後に打つ血清が効かなくなる事とかを考えると,事前に蛇毒血清を打つのは無意味な行為.
なにより,血清は蛇の種類によってそれぞれ違うものが必要になる.別種の毒に対してはかえって有害になる恐れもありますから,何種類もの有毒生物が潜むジャングルに入るに際して事前に使えるような血清などありません..
また,どの蛇に噛まれるのかも解らないのに全種類の血清打ったりは出来ない(ちうか,そんなことしたら危険)ので,そういう対策は取れません.
ちなみに日本の毒蛇だと,マムシは出血毒主体だが神経毒も.
毒の強さ自体はハブ以上だが,体が小さく毒の絶対量が少ないため,死亡例は少なく,0.1%程度.
ヤマカガシは血液そのものに作用し,凝固作用を奪う.
毒の強さでは日本最強.万一噛まれたら極めて危険.
ハブは体が大きいため,注入される毒の量が多いことが危険.
また性質がとにかく攻撃的.
【質問】
沖縄戦などの持久戦でも,軍医は白衣を着て看護隊員は看護婦服を着るものなのですか?
数ヶ月に及ぶ戦闘では,手術用のエプロンなどの意味がなくなってしまうのではと思ったんですが.
【回答】
軍医も看護兵も野戦病院では野戦服を着る.
もちろんその上から手術用エプロンとかをつけて医療行為を行う.
物資が欠乏してきてもできる限りにおいて医療行為はする.
「手術用手袋とエプロンのストックが尽きたので手術はもうやれない」
なんてことは言わない.つーか言えないだろ.
沖縄戦の末期になるともう
「消毒用アルコールがないので度数の高い酒で代用.
それすらも欠乏したので,消毒なしでも手足を切るときは切る」
という悲惨な状況になっていたりした.
勿論,麻酔薬やモルヒネなんぞはとうに尽きているのは言うまでもない.
「軍医の武器,それは注射器とメスだ.
戦闘が始まった後の軍医の武器は骨切り鋸とモルヒネだ.
軍医の最後の武器は拳銃だ.
・・・ただし敵に向かっては撃たないが」
という言葉があったり.
沖縄戦のエピソードとして,動員されて看護婦になり,末期には看護婦の仕事は「外科壕」という名のただの洞窟にろくな敷物もせずにただ寝かせているだけの重傷者の,替えがないため汚れ切ってる包帯の隙間から染み出してくる膿を取ってやったり,傷口に湧く蛆を取ってやることくらいしか出来ることがなくなってしまった,というものがあったりする.
沖縄南部の有名な戦跡である「ひめゆりの塔」の近くに,今でもこの「外科壕」(という名のただの洞窟に)が残っているので,沖縄に行く機会があったら足を運んでみるといい.
覗くと,なんつーかこう,やりきれない気分になるぞ.
【質問】
沖縄戦に関する話が,イデオロギーによるバイアスがかかり易いのは何故?
【回答】
〔略〕
死については,欧米人は「復活の日」だか「最後の審判」だかの日に,死んだ者も生き返ると言う概念を持っていますから,抜け殻たる死体については余り執着しません.
が,日本人は,結構最期の地で,魂を鎮めたいと言う考えがあるみたいで,異郷に果てたとしても,最期の地での供養をしたがります.
勿論,遺骨を持ち帰って先祖代々の墓に納めると言うのも必要です.
同じように沖縄の人々についても,それは言えます.
彼等の方が,肉親が何処で果てたかと言うのを知りたいという欲求が強いようです.
勿論,本土扱いされた日本で唯一地上戦が行われ,多数の人々が亡くなったからと言うのもあるのかもしれません.
また,埋葬地からは遺骨は収集しても,霊魂は其処に残されるので,きちんと現地で招魂の儀式を行わなければならないとか.
その沖縄の地上戦についてですが,今月は2冊ほど文庫本が出ています.
今年は戦後61年目なのに….
去年じゃなく,今年なんですね.
片や,軍事面から沖縄戦を見た,米陸軍省編「沖縄 日米最後の戦闘」(光人社NF文庫),もう片方は,民政の立場から沖縄戦を見た,田村洋三著「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」(中公文庫)です.
恥ずかしながら,ガキの頃は,御多分に洩れず,「日本軍マンセー厨」で,日本軍の暗黒面や負け戦については,「あーあーあー聞こえない」としてたのですが,最近は,年取った所為でしょうか,負け戦についての本もきちんと読むようになり….
それは兎も角,後者にも書かれていますが,沖縄に関する本というのは,最初が軍人,それも偉いさんの視点で書いた本が出てきて,それを批判する形で,民の面からどうだったのか,その辺を扱った本が出てきます.
此処で当時の風潮だった軍部・官僚は須く悪である,と言う風潮を醸し出したのが,一部の文化人.
彼等は,民の面の悲劇的な部分だけを殊更取り出して,人口に膾炙させ,誤った沖縄戦の歴史観を本土の人間に植え付けた訳で.
そして,その歴史観に反発する形で本土の人々の一部は,沖縄の人々を攻撃し,それに沖縄の人々が反撃,かくして沖縄戦研究は,泥沼にのめり込み,長くまともに研究出来ない状態が続きました.
その後,日米両国の公刊戦史によって,それなりに鳥瞰した視点で沖縄戦が語られるようになり,琉球政府自身も,沖縄県史を編纂することで,やっとイデオロギーに左右されたり,主観に左右されない第三者的視点から,沖縄戦の検証作業が行われるようになった訳ですが,それが緒に就いたのがやっと1980年代末頃で,多くの関係者は物故し,今では,人々の証言を得ることが非常に難しくなっています.
歴史を研究すること,特に近現代史の研究については,生きている人に対する取材という研究方法が採れる半面,その扱いを十分に検討しなければ,却って研究を阻害しかねないと言う可能性が出てきます.
また,折角証言を得たとしても,その保管方法が悪いと,下手をすれば全く埋もれてしまう訳で….
結局,余計な臆測ばかりが先行して,資料的価値無しと言うことに成りかねない.
結構,資料の扱いというのは注意して扱わないといけませんね.
…と,最初の話とは,随分ずれてしまった様な気が(汗.
眠い人◆gQikaJHtf2
【質問】
このような↓県民運動で歴史教科書の沖縄戦の内容を変更させようという試みは,許容されていいものなのですか?
去る3月30日,文部科学省は,平成20年度から使用される高等学校教科書の検定結果を公表したが,沖縄戦における「集団自決」の記述について,「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」との検定意見を付し,日本軍による命令・強制・誘導等の表現を削除・修正させている.
その理由として同省は,「日本軍の命令があったか明らかではない」ことや,「最近の研究成果で軍命はなかったという説がある」ことなどを挙げているが,〔略〕沖縄県議会での2度の意見書決議,41の市町村議会すべての意見書決議へと結びつき,さらには県内地方4団体や民間団体が相次いで文部科学省へ要請するなど,県民が一丸となって取り組む結果となった.
これに対し,文部科学省は「教科用図書検定調査審議会が決定することであり,理解していただきたい」との回答に終始し,検定意見の撤回と「集団自決」に関する記述の回復を拒否し続けている.
〔略〕
平成19年9月29日
9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会実行委員会
【回答】
歴史研究に対する冒涜でしかね〜だろ〜! コレは!!
あ〜たねぇ!
『県民の総意』 で,歴史上の事象の解釈が決まるのなら,歴史を研究する意味なんてね〜よ!
『県民の総意』 で歴史がバンバン決まっちゃうんなら,何が事実で何が虚構かを,ボロボロに成りかけの本を読んで,その内容を他の本の内容と突合せて内容の吟味をする必要は無くなるんだから……
歴史上の事象の解釈に一つに対し,否を唱えるならば,証言,証拠を集め,それの裏をとり,誰の目から見ても否定の仕様がない 『事実』 をもって,唱えなければならないでしょう.
『県民の総意』 などではなく.
ベタ藤原 in mixi,2007年10月02日13:33
『軍の命令』 だとか 『強制集団死』 とかで賑やかな沖縄戦関係ですが,みなさまいかがお過ごしでしょうか?
最近,カレー分が不足している藤原さんです.
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・(・・)・) < カレー喰いてぇ〜
/JベタJ \__________
今日の仕事中,藤原さんは考えたのです.
★そにょ(1)
沖縄戦における 『強制集団死』 が日本軍の命令によって行われたとした場合 『強制集団死』 に失敗した人は,理由の如何を問わず 『命令違反』 となるワケですわな.
となると 『強制集団死』 に失敗した人を,軍は 『命令違反』 として,処分せにゃならんコトになるワケでしょ?
で,実際に 『強制集団死』 に失敗した人を 『命令違反』 として,処分したケースはあったのでしょうかねぇ……
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・(・・)・) < ちなみに,私は知らない.
/JベタJ \__________
そのようなケースを知っている人が居れば,教えて頂きたいものです.
★そにょ(2)
歴史学に於いて 『オーラル・ヒストリー』 まぁ 『証言』 と云うモノは,証言者の記憶違いや事実誤認があると,事実を歪めかねないがゆえに 『証言』 の内容を,ただ無批判に歴史資料とするワケにはいかないのです.
『証言』 を歴史資料として採用する為には 『証言』 の内容が事実に立脚しているかどうかを 『検証』 しなければならないワケです.
で,沖縄戦関係でそれをやると,
「私たちのオジーオバーが嘘をついていると言いたいのか!」
と云われてしまふ……
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・(・・)・U < 鬱だ〜〜〜〜!!
/JベタJ \__________
へこむ……
へこむなぁ〜 (w`;
あ〜 あと,
「仕事中に何を考えとるんない! ちゃんと仕事しろ!」
とか,そういう突っ込み禁止! (w`;
ベタ藤原 in mixi,2007年11月02日20:42
この抗議集会がやっていることは,戦時中の「鬼畜米英」などの「空気」作りと大差ないじゃないか,という批判もある.
以下引用.
沖縄の集団自決問題にしても,単純に肯定する人,単純に否定する人,資料を積み上げて検証する人,といろいろな立ち位置がある.
そういったものを無視して,
「軍の命令により強制的な自決があったのだ」
という話を否定しづらい "空気" を作り出すのって,いいことなんだろうか.
重要なのは「何があったかを検証すること」であって,「過去の言説を維持し続けること」ではないはずなのだけれど.
検証した結果として過去の言説を維持するなら,それはいいんだから.
サイパンのバンザイクリフの例,あるいは捕虜になるのを拒否した日本兵の話などを併せて考えると,「鬼畜米英」というキャンペーン,あるいは交戦規則やジュネーブ条約の規定に関する周知徹底を怠り,「敵に捕まってはならない」という話だけを一人歩きさせた "空気" があり,それがあまたの悲劇につながったのだと思う.
そうした "空気" の一人歩きと,(ベクトルが違うとはいえ) 現在のさまざまな "空気" と,何が違うんだろう.
また,「おおや日記」,2007/10/5付では,
「こういう手法が許されるとするならば,例えば直近の民意とやらで,多数派政党によって『大東亜戦争は聖戦だったと教科書に書こう決議案』を可決された場合,その結果を受け入れるのか?
こちらは真実であちらは虚偽だ,と言う人もいるだろうが,真実など誰にでも見えるように道端に転がっていたりはしない.主張する当人にとっては,どれも『真実』」
という旨の指摘をしている.
電話などして聞いてみると面白いかもしれない.
余談だが,集会参加者「11万」という数についても,疑問の声が沸き起こっている.
沖縄県民大会参加者「約1万8000人」 自民歴史教育議連
産経新聞,2007.10.17 11:44
自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬元文部科学相)は17日,〔略〕検定撤回を求めた沖縄県民大会の参加者数(主催者発表11万人)が,実際には約1万8000人だったとする調査結果も報告された.
〔略〕
沖縄県民大会の参加者数の調査は,都内の警備会社が,9月30日付「琉球新報」掲載の航空写真を拡大し,1人ずつ数え上げたもの.
その結果,参加者は視認可能部分で1万8179人,建物や木陰に隠れている人数を推定しても1万9000〜2万人に過ぎないことが判明した.
参加者数をめぐっては日本会議熊本が,同様に琉球新報の写真をもとに1万3037人だったとする調査をまとめている.
また,沖縄県警は4万人程度との見解を示しており,主催者発表の11万人という数字が誇大である可能性がさらに高まったといえる.
そもそも,思想の左右に関係なく,政治集会での「主催者発表」が当てにならないことは,よく知られた話.
むしろそんな数字を,ぬけぬけと報道してしまうほうがどうかしている.
ブログ「The Show Must Go On」,2007年10月04日付では,イベント屋としての視点から,やはり参加人数は水増しされているのではないかと指摘している.
以下引用.
会場はどれ位の広さ?
どうやら会場自体は25,000uくらいあるようなのですが,ここに11万人を突っ込むと,一人当たり約0.23uとなります.
会場となった公園全体に人を入れた場合です.
通路も何も考えていません.
既に恐ろしいことが起きそうな予感がします.
イベント屋が考える大人一人当たりの占有面積
私の場合,展示会のフロアのスペースを計算する時の大人の占有面積は肩幅80cm x 胸の厚み50cm = 0.4u を基本的なサイズとして考えています.
また,例えばパイプ椅子の場合には横幅60cm x (椅子の奥行き60cm+間隔10cmで)70cm = 0.42uを基準にすることが多くあります.
乱暴に計算すると,立っていようが座っていようが,人は0.4u程度の面積を占めることになります.
しかるに 0.23uの空間では50cm X 45cmくらいしかありません.
満員電車状態です.
膝を曲げることも出来ません.
膝を曲げるスペースだけ考えた場合(これまた乱暴ですが)会場の面積が倍あれば物理的に11万人入れることは可能かもしれませんが,ラッシュの通勤電車の車内のような混雑状態で11万人が存在する場所というのは暴動が起きてもおかしくない状況のような気がします.
会場敷地の利用状況の仮定と収容人数見積もり
それに対して実際の大会の写真を見ると,中央に大きな空スペースがあり,講演者が演壇の上で落ち着いて話をしています.
取材陣のためのスペースも必要ですし,そのほかに通路やら何やらのスペースが必要ですので,(重ね重ね乱暴ですが)単純に来場者のためのスペースを全体25,000uの半分ちょっとの13,000uくらいと考えた場合,一人当たりの占有スペースを前述のように0.4uとして,約13,000u ÷ 0.4u = 32,000人がある意味当日の収容限界じゃないかという気がします.
かたや警察や消防は,場所としての収容限界を経験上知っていますから,催事の許可を申請する時点で不用意に多すぎる参加人数を書き込んでいると,催事の開催許可そのものが降りないですね.
警備計画云々とか以前の話です.
素直に考えて11万人は言いすぎのような気がします.
〔略〕
まぁ,こういう集会や大会ではよくある話ですけど.
上記ブログは,著者自身の経験から具体的に数字まで挙げて説明しており,疑う余地は少ないと推測される.
それにしても,
>まぁ,こういう集会や大会ではよくある話ですけど.
……「よくある」んだ.やっぱり.
ふかし過ぎだろ(笑)

【珍説】
我々が決して忘れてはならないのは,米軍の沖縄上陸の前に,それこそ「鉄の暴風」と形容されるような艦砲射撃と空襲があったことだ!
昭和19年10月10日の那覇市空襲だけでも住民500名の死傷者が出ている.
民間人を殺傷する「無差別爆撃」!
これがそもそも米軍による「国際法」違反であり,住民を「集団自決」=「玉砕」にまで追い込んだ原因なのである!
米軍は昭和19年11月1日から都市空襲を本格化させ,昭和20年3月10日には,東京大空襲で10万人を殺戮している.
〔略〕
「衝撃と畏怖」作戦による無差別殺戮!
この「国際法」違反の行為によって,地上にいた民間人が
「米軍が上陸してきたら皆殺しにされる」
と思い込むのは当然のことだ.
政府もサイパン玉砕の悲劇を認識していたから,沖縄県民の避難について検討し,昭和19年7月中に台湾へ2万人,九州へ8万人,疎開させることを決定していた.
だが,県民の郷土愛や,軍への信頼感が強く,疎開作業が進まない.
その上,8月22日に疎開のために学童800名を乗せ,那覇から出航した輸送船「対馬丸」が…
米潜水艦の魚雷で撃沈されてしまった!
わずかに生き残った人々によってこの事実が県民に知れ渡ると 人々は衝撃を受け,以後の疎開は,また滞ってしまった.
それでも沖縄戦当時,人口60万人の内,20万人は台湾と本土に疎開して,40万人の住民が島内に残っていたらしい.
当時の日本人には軍民共に「国際法」の知識が乏しかったなどと責められはしない.
何しろ今の日本人を見れば,保守系知識人ですら「国際法」の知識がなく,そんなものは役に立たんと主張しているくらいではないか!
〔この文章直下に,岡崎久彦・中西輝政の似顔絵〕
「鬼畜米英」は戦意高揚のプロパガンダかもしれない.
だが決して嘘ではなかった.
女・子供・老人に至るまでを上陸前に,既に殺している.
この恐怖が,住民に「集団自決」=「玉砕」を決意させる絶望感にまで追いやったことを忘れてはならない!
「犯人捜し」なら,まずアメリカだと言うことを忘れるな!
(小林よしのり「戦争論」3,p.122-124)
【事実】
まず第1に,「集団自決」=「玉砕」ではない.玉砕は部隊が敵陣へ突入して全滅したことを意味するものであり,民間人の集団自決はこれに含まれない.
第2に,無防備都市を宣言していない都市への爆撃は,国際法上,許された行為であり,あからさまに民間人を狙った東京大空襲のようなものはともかく,民間人が殺傷されただけでは国際法違反とはにわかには断定できない.
このことは小林自身が重慶爆撃に関して述べた際に,小林が主張してきたはずのものだが,いつ変節したのか?
「アメリカの爆撃は汚い爆撃だが,日本の爆撃は綺麗な爆撃」
とでも言うつもりなのか?(笑)
第3に,対馬丸事件は,疎開が停滞した要因の一つに過ぎない.
前県知事の泉守紀が沖縄戦直前に本土に逃亡した所為,後任の嶋田叡が来るまで,避難活動が混乱をきたして停滞したという事情もあった.
第4に,
>「米軍が上陸してきたら皆殺しにされる」
>と思い込むのは当然のことだ.
と述べられているが,小林言うところの「『衝撃と畏怖』作戦による無差別殺戮!!」を沖縄県人が知っていたかは非常に疑わしい.
東京大空襲当時,毎日新聞は2ページ建ての朝刊のみの発行だった.
空襲の翌3月11日の1面トップ記事は「皇軍 仏印を単独防衛」の見出し.インドシナの防衛から現地当局を排除するという大本営発表を報じている.
大空襲は,1面の左側に「B29 百卅(130)機,帝都夜襲」の4段見出しだった.
まず大本営発表として,市街地が空襲を受けて火災が発生したが朝までに鎮火し,15機を撃墜した,と記している.
写真には「的確なわが防空砲火に夜空を焦がして墜落するB29」との説明が付いている.
社説や関連記事は,こうした空襲は予想されたものであり,今こそ国民が戦い抜かねばならない,というトーンで貫かれている.
「焔(ほのお)の試練 戦友愛で結べ」と題した記事には,
「『断じて仇(かたき)を討つ,この恨みを果たさずしては死んでも死にきれぬ』.
一人残らずの都民がこう心に誓った」
という一節がある.
一連の記事は死亡者数など被害程度に一切触れていない.「死者」「犠牲者」といった言葉もなく,「罹災(りさい)者」「被害者」という表現が使われている.
当時,報道機関は強い言論統制下にあった.
では,口コミの可能性はどうか?
東京大空襲が3月10日で,米軍沖縄上陸が4月1日だから,仮に口コミで東京大空襲の実情を知っていたとするならば,軍や政府による報道統制と米軍による南西諸島方面の海上封鎖という二大障害を押しのけ,3週間で沖縄県民に知れ渡るほど,当時の口コミによる情報伝達力は強かったと想定する必要が有るが,どう考えても無理.
せいぜい,埼玉や千葉といった東京近郊住人たちが,被災者や疎開者たち,さらに東京方面の空が赤く焼けて見えた等等の情報から,ひそひそ話で「報道より酷いかも」と囁き合ってた程度と思われるが.
第5に,岡崎久彦や中西輝政が「そんなものは役に立たんと主張している」というのは,「正論」誌での2人の対談を小林が誤読しだだけの代物.
したがって,
>今の日本人を見れば,保守系知識人ですら「国際法」の知識がなく
は事実無根.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
「戦陣訓」も,捕虜になるくらいなら死を,という無謀な考えを民間人にまで植え付けたかもしれない.
だが,それも米軍の「衝撃と畏怖」作戦に追い詰められた者達の,最後の抵抗だった!
(崖から飛び降りる,もんぺ姿の女性の絵)
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.124)
【ツッコミ】
なんで集団自決を小林は「抵抗」の範疇に入れているのか,さっぱり分かりません.
沖縄における集団自決は,逃げ場を失ってどうにもならないという絶望感から行われたもので,抗議の自殺などといったものとは全くの別物です.
以下引用.
守ってもらえるはずの軍はないまま,山中などに隠れた日本兵の抵抗は続き,そのような戦場に放り出された住民たちは,逃げ場もなく,投降して捕虜になることもできませんでした.(鬼畜米英と教えこまれ,捕虜になったら何をされるか分からないといわれていたため)
そのため,日本軍より支給された手榴弾を使い,家族親戚で集団自決をしたり,支給された毒薬を飲み自殺を図ったりしました.また,崖から飛び降り自殺をして,多くの人々が尊い命を絶ちました.
沖縄戦で死亡した総数のうち,6月23日以降に死亡した人たちは,かなりの数にのぼると言われています.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
そうとも!
そのくらいの「抵抗の意思」「戦意」を持たなければ,圧倒的な軍事力にものを言わせる米軍に,一体,何で対抗できたというのか!?
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.124)
【ツッコミ】
いくら民間人が「抵抗の意思」「戦意」を持っても,正規の軍隊に対抗するには力不足なわけで.
しかも,イラク戦争後のイラクのように,イラク正規軍が残した兵器や密輸された兵器が大量にある状況ならいざ知らず,竹槍程度しかない状況では,下手に「抵抗の意思」「戦意」を持って立ち向かうと,殆ど相手に損害を与える事はできずに,一方的に殺戮されることになります.
インドネシア独立戦争初期やアフ【ガ】ーニスタン紛争初期がその典型ですな.
また,民間人が武器を持って抵抗する事は,国際法に抵触します.
このことは小林自身,戦争論1において,中国の便意兵※を例に出して述べていたはずなのですが…….
それに,戦争論3のほかのページでは国際法が大事だと叫んでいた小林が,ここでは国際法に違反するような行為を賛美しているのですから,矛盾も甚だしいと言えます.
※ 「便衣兵」の誤記.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
さっさと降伏しちまえばいいと言う者は,ベトナム戦争での抵抗の民にも,そう言うのか?
パレスチナの抵抗の民にも,さっさと巨大な力には屈伏せよと言うつもりなのか?
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.124)
【ツッコミ】
降伏するも何も,上述のように,民間人が勝手に戦闘に参加してはいけないのですが.
また,沖縄の民間人犠牲者は,別に米軍に向かっていって殺られたのではなく,県知事が逃亡するような混乱の中,軍人についていって戦闘の巻き添えになったり,逃げ場を失って自殺するなどしたものです.
だから,戦意など無関係なのですが.
そのことは,小林自身,石破茂防衛庁長官(当時)との対談の中で,長官に教えてもらったことだったはずですが.また健忘症ですか?石破 〔略〕
〔有事法制で〕大事なのは,武力攻撃予測事態の時点で政府が対処方針を決め,例えば福岡県民はこの辺に避難せよというように,民間人が戦場にいないようにする対策が打てるようにしたことです.
太平洋戦争で,沖縄であんなに人が死んだのは,兵隊さんについていけば大丈夫だといって,軍と民間人が一緒に行動したからです.
小林 どこどこに避難しろという指令が知事に行って,それが県民に伝わる仕組みになっているわけですか.
石破 どういう仕組みになるかはまだ検討中で,「国民保護法制はこれから」と言っているのはそういう意味です.
ただ,大原則は,有事の際に民間人が戦場にいてはいけないと明確にすることだと思う.
〔略〕(from "SAPIO" 2003/6/25号,p.8-9)
ちなみに,この対談は戦争論3出版より前に行われておりますが,小林戦争論3の世界においては,この対談は「なかったこと」になっているのでしょうか?
ぜひ答を伺いたいものです.
それに,仮に抵抗するとしても,竹槍で敵軍に突撃するだけが抵抗ではありません.
民間人には民間人にできる範囲での抵抗運動があります.第2次大戦でのオランダ本国での例などを調べてみることをお勧めします.
要は,引き金を引くだけが抵抗運動ではない,ということです.
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
日本人も,当時のアジアの植民地の民のように,白人に屈従する精神を持っておくべきだったと,言うのだろうか?
戦力の根本は「戦意」である.
当時,欧米列強から好き放題に侵蝕されていたアジア人に最も欠けていたもの…
だが日本人にだけ備わっていたもの…
それが「戦意」であった!〔強調,原文ママ〕
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.124-125)
【ツッコミ】
なんで話がそこまで飛躍してしまうのか分かりませんな.
別項で述べているように,沖縄における民間人の被害は,彼らが米軍に抵抗運動しようとしたためのものではありませんし,アジアは別に屈従していたわけでもなく,抵抗運動は続いていました.
戦争論3の別ページで,「白人は遺伝子レベルで残酷」と,人種差別意識丸出しの主張をしている小林ですが,ここでは「アジア人には戦意が欠けていた」「白人に屈従していた」と,アジア人蔑視もやっちゃっているわけで,呆れるしかありませんな.
そのうち,「日本人は世界に冠たる優等民族!」などと小林は言い出しそうな勢いですな(笑).
【小林主体思想】(別名:マルチ・スタンダード)
その「戦意」は激烈なものであり,神風特攻を生み,玉砕を生んだ.
(小林よしのり「戦争論」3,2003/7, p.125)
【ツッコミ】
神風特攻がそうかはともかく――特攻攻撃の始まりを考えると,これも素直には頷けない話ですが.むしろ自己犠牲精神の発露と見たほうが自然に思えます――玉砕は別に戦意の有無は関係ありません.
制海権を米軍に奪われ,輸送船団を送ることがなくて補給や増援を送ることも撤退することもできず,島に孤立した地上部隊が,米軍の攻撃に遭い,どうにもならなくなった挙げ句に最後の突撃を敢行して全滅すれば,それがすなわち「玉砕」と呼称される状態になります.
つまり,全滅を他の言葉に言い換えただけの言葉が「玉砕」でして,そこに「戦意」が介在する余地は,最後の突撃敢行以外にはありません.
【質問】
沖縄の怖い話を教えてください.
【回答】
本来はオカルト板に書くような話だんだけど……
沖縄では6月23日(日本軍の組織的戦闘が終了した日)が慰霊の日と呼ばれ,休日になってる.
で,その日,ガイドさんに連れられて,ある洞窟(戦時中200人くらい死んでる)を見に行った.
ていうか,洞窟にもぐってみようと,懐中電灯と軍手長靴作業服の完全武装.
ガイドさんは
「今日は慰霊の日だよ.止めた方がいい.亡くなられた方を冒涜するのは良くない」
って言ったんだけど,
(こいつ,いい歳して,おばけ信じてるのかww)
と思っていたので取り合わなかった.
結局,俺が押し切ってガイドさんと二人でガマへ.
時間は日没前で,ガマのある森の中は,暗い上にジメジメしていかにも出そうな雰囲気.
で,洞窟に入った途端,急に何かを感じた.
後頭部から肩,肩甲骨の下あたりにかけて,ふわりとした感触.
最初はクモの巣に引っかかったのだと思ったのだが,何度も振り払っても取れない.
だんだん嫌な予感がしてきた.
落ち着いて考えると,後ろから抱きつかれた感じに似ている.
ガイドさんの方を見たら,目が合った.
「なんか,嫌な感じ,しない?」
と聞かれる.
「……うん」
と答える.
「じゃ,これ以上行くの止めない?」
異論がないのでコクンと頷いて,あとは逃げるようにその場を離れた.
駐車場に戻ってから,服が冷や汗でぐっしょりと濡れているのに初めて気付いた.
このことを,後で知り合いの霊能力者に相談したところ,
「それは,背後霊か守護霊があなたを守ろうとして後ろから抱きしめたか,何も聞こえないように耳をふさいだのだろう」
と答えた.
次いで,お互いにつながりの無い,霊感のある友人二人に尋ねたところ,まったく同じ答が返ってきた.
クロスチェックの意味で,そいつらを一人ずつ同じ心霊スポットに連れて行って,どこに霊が居るか尋ねたところ,三人から同じ答えが返ってきた.
(主に三ヶ所に霊が居る.ここの霊が一番危険.ここは大丈夫.あそこは霊の溜まり場になっている,等)
というわけで「おばけ」を信じるようになりました.
いやほんと,今思い出しても,あの得体の知れない圧迫感と存在感は,「恐ろしい」としか言いようがない.
『おばけ』の存在は,人間と動物を隔てる明確な境界なのではないだろうか?
人間は運よく想像力をさずかり,科学や芸術を発展させて,万物の霊長を僭称するに至った.
一方,動物の第六感などは人間よりずっと優れているが,気の毒なことに「おばけ」を思い描いて,これを畏怖するような想像力を持つには至らなかった.
そのおかげで,動物学的に見てずっと劣っている人間風情に,畜生呼ばわりされる運命となった.
だから,おばけの類をあざ笑う人は,イヌ,ネコ並みといって良いかもしれない
――という主旨の事を近藤紘一が書いている(「妻と娘の国へ行った特派員」文春文庫,P175)が,読んで,おもわず「う〜む」と唸ってしまった.
ちなみに沖縄では,観光地として整備されている洞窟陣地跡でも,ちょっと掘っただけで小さな遺骨がたくさん出てきます.少なくとも数年前はそうでした.
遺骨自体細かすぎる上に,土砂に埋まっているので,すべて回収するのが不可能なんです.
綺麗に整備されている墓地より,よほど迫力があります.
極東の名無し三等兵◆5cYGBbCsjQ in 2nd FAQ BBS
今日の昼に地元のFMラジオに投稿されていたネタを紹介しましょう.
投稿者はバスガイドさんで,その日も普段通りに小禄の海軍壕でガイドをしていたそうです.
下士官室(ラジオのパーソナリティーは「げしかんしつ」と読んだ)で説明していると,視界に部屋の隅でうずくまった男の人が見えたそうです.
驚いて周りを見渡すと当然なにもなし.
仕事なのでそのままガイドを続けたそうです.
すると今度は,説明している自分の脇に靴が見えてきた(視界に入ってきた),
目の前にいる観光客を数えてみると,人数は全員いる.
怖かったがやはり仕事なので説明を続けていてガイドが
「昭和20年6月16日,太田実少将以下4千名がここで壮絶な最期を遂げました・・・」
観光客「ああ,今日だね・・・」
そう,その日はまさにまさに6月16日でした・・・
ハッと気付くと靴は消えていた,
しかしガイドが見た靴は,観光客の靴ではない泥にまみえた靴だったことを・・・
一応,この島はあちこちに¨います¨
島の人 in mixi,2007年06月15日03:49
私の県ってあちこち゛出るらしき所゛があるみたいで,南部の某地区では四車線の真ん中を゛行軍゛してたそうです.