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<第二次世界大戦FAQ
「CNN」:第二次世界大戦で沈んだ旧ソ連の潜水艦,69年ぶりに発見
フィンランド&スウェーデンが沈めた,とされるもの.
「兵士との対話」◆(2012/01/18)ピョートル・フィリッポヴィチ・ルゴフスコイ
>水兵,潜水艦乗組員.黒海艦隊に所属し,戦争前半は潜水艦での出撃を経験,後に基地勤務へ異動となる.
『RAISING OF RED BANNER』
二次大戦ソ連艦艇解説本.
値段の割には網羅度が高く,入手しやすいソ連海軍ものとしてお勧めです.
――――――ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
『SOVIET WARSHIP DEVELOPMENT』
1917-1937のソビエト艦艇解説本.
Conwayだけあって内容は充実してます.
1938以降のvolume.2はどうも出てないっぽい・・・てかこのvolume.1も絶版.
西山洋書にありますが・・・\15000くらいします.
むしろamazonなんかで買った方がずっと安いですね.
――――――ゆうか ◆9a1boPv5wk in 軍事板
【質問 kérdés】
第二次大戦中のソ連海軍の主要艦艇は?
【回答 válasz】
・戦艦
ガングート級(3隻) 全長184.9m 基準排水量23,256t 出力57,000馬力 速力22.7ノット 主砲30.5cm砲12門 装甲厚(舷側225mm,主砲塔前楯203mm)
アルハンゲリスク(1隻) 全長191.0m 基準排水量29,150t 出力40,000馬力 速力23.0ノット 主砲38.1cm砲8門 装甲厚(舷側330mm,主砲塔前楯330mm) ※ロイアル・サブリン(英)を借用
・巡洋艦
スヴェトラーナ級(2隻) 全長158.4m 基準排水量6,830t 出力46,300馬力 速力29.5ノット 主砲13cm砲15門 53.3cm魚雷発射管6門 舷側装甲厚75mm
クラスニイ・カフカズ(1隻) 全長169.5m 基準排水量7,650t 出力55,000馬力 速力29.0ノット 主砲18cm砲4門 53.3cm魚雷発射管12門 舷側装甲厚75mm
キーロフ級(2隻) 全長191.3m 基準排水量7,880t 出力110,000馬力 速力36.0ノット 主砲18cm砲9門 53.3cm魚雷発射管6門 舷側装甲厚50mm
マキシム・ゴルキイ級(4隻) 全長191.4m 基準排水量8,177t 出力129,750馬力 速力36.1ノット 主砲18cm砲9門 53.3cm魚雷発射管6門 舷側装甲厚50mm
ムルマンスク(1隻) 全長169.4m 基準排水量7,050t 出力90,000馬力 速力33.75ノット 主砲15.2cm砲10門 53.3cm魚雷発射管6門 舷側装甲厚76mm ※ミルウォーキー(米)を借用
チャパエフ級(5隻) 全長199.0m 基準排水量10,620t 出力126,500馬力 速力33.5ノット 主砲15.2cm砲12門 53.3cm魚雷発射管6門 舷側装甲厚100mm ※戦後完成
「おーぷん2ちゃん」ブラウザゲーム板,2016/03/15(火)
"nyitott 2 csatornás" böngészős játék BBS, 2016/03/15(kedd)
青文字:加筆改修部分
Kék karakter: retusált vagy átalakított rész
【質問】
ツポレフG-5って何?
【回答】
ツポレフG-5型 Торпедные катера
типа ≪Г-5≫ 魚雷艇は,ツポレフ設計局が設計した魚雷艇のこと.爆撃機ではない.
世界に先駆けて,船体にジュラルミンを使用し,1000馬力エンジン2基で,55ノットで走らせることができた.
排水量16t,533mm魚雷×2.
ただし,海水による腐食に弱かった.
第二次大戦中に300隻あまりが建造され,一部は戦後も使用された.
【参考ページ】
http://imaizumi.cart.fc2.com/ca5/4/p-r-s/
http://cardmodel.blog54.fc2.com/blog-entry-43.html
http://shop.modelship.jp/i-shop/product.pasp?cm_id=179888&cm_large_cd=16&cm_small_cd=8&to=pr
http://www.naval-history.net/PhotoZHinds.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/G-5_class_motor_torpedo_boat
Торпедные катера типа
≪Г-5≫ ? Википедия
http://waralbum.ru/22285/
http://www.torpedoboat.ru/index.php?pageid=g5
画像1
画像2
(画像掲示板より引用)
画像3
(http://www.torpedoboat.ru/index.php?pageid=g5より引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/06/09 20:50
を加筆改修
【質問】
「ウラガーン」級警備艦って何?
【回答】
「ウラガーン Ураган Uragan (ハリケーンの意味)」級こと,計画2警備艦は,Сторожевые
корабли(ストロジェヴウィ・コラブリ)という,1931年にソビエト海軍の構成に始めて組み入れられた艦種の最初のもので,実態は他国海軍の護衛艦,日本海軍の択捉型・御蔵型海防艦に相当した模様.
1926.11.26,ソ連軍事評議会は,水雷艇の代替として,大型艦を航空機や魚雷艇,潜水艦の攻撃から守る,小型艦艇の建造を承認し,翌年8.13からレニングラード造船所で,10.24からニコラエフ造船所で建造が開始された.
艦の前後に半自動化された長砲身4inch単装砲,および小型魚雷を装備し,対潜装備として爆雷を搭載.
また沿岸海軍らしい装備として,爆雷のかわりに機雷を搭載することで,機雷敷設能力を持たせることも可能となっていた.
機関は蒸気タービンを使用しているが,出力はあまり大きくなく,最高速度も20
knot を若干上回る程度であり,航続距離も大きくない.
本級は,より大型の艦艇の陰に隠れ,歴史文献でも殆ど無視されているが,哨戒活動,船団護衛のほか,防空や敵拠点砲撃まで,多岐にわたる活動を行っている.
中でも「プルガ Пурга Purga (吹雪の意味)」は1941~1942年,包囲されたレニングラードへの,貨物100万トン以上の輸送任務,また,ほぼ900万人の避難任務を護衛した.
大井篤著『海上護衛戦』もそうだが,こういう艦艇の活動こそ,忘れられてはいけないと思うんだ.
【参考ページ】
『Soviet Navy at War 1941-1945』(Przemyslav
Budzbon著,Arms and Armour Press)
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_pv-uragan.htm
http://navycollection.narod.ru/library/Mk/other/1983-5_bril/bril.htm
http://krigsmarine.ru/voenno-morskoj-flot/storozhevye-korabli-tipa-uragan.html
http://korabley.net/news/storozhevye_korabli_tipa_uragan_proekta_2_i_sudba_skr_purga/2011-01-14-742
http://www.atrinaflot.narod.ru/81_publications/2008/sf_primor.htm
http://www.istmira.com/orujie-vtoroi-mirovoi-voiny/nadvodnyekorabli/06/su_01/index.html
「ウラガーン」級警備艦写真
「プルガ」写真
(http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_pv-uragan.htmより引用)
「ウラガーン」級警備艦側面図
(http://www.istmira.com/orujie-vtoroi-mirovoi-voiny/nadvodnyekorabli/06/su_01/index.htmlより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/21 20:30
を加筆改修
【質問】
「ヤストレフ」級警備艦って何?
【回答】
ヤストレフ Ястреб/Yastreb 級こと,計画29警備艦は,1937年から建造計画が開始された護衛艦
前級「ウラガーン」級が小型過ぎたことを踏まえて,より大型化し,最高速度や航続距離は駆逐艦なみのものを有していた.
14隻の建造が計画されたが,独ソ戦勃発や,建造優先順などの問題から工事は遅延.
大戦中に完成したのは「ヤストレフ」1隻のみで,半数以上は建造中止,またはドイツ軍によって接収されてスクラップにされた.
戦後,3隻が改良型である計画29K護衛艦として完成し,そのうち1隻はNKVD(KGBの前身)の警備艦となった.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_pv-iastreb.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Yastreb_class_guard_ship
http://sovnavy-ww2.by.ru/patrolboats/typ_yastreb.htm
http://wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/2000_06/02.htm
http://www.atrinaflot.narod.ru/2_mainclassships/06_skr_29/0_29.htm
「ヤストレフ」級2面図
(http://wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/2000_06/02.htmより引用)
「ヤストレフ」級写真
(http://www.atrinaflot.narod.ru/2_mainclassships/06_skr_29/0_29.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/26 20:30
を加筆改修
【質問】
「ブリリアント」級哨戒艇って何?
【回答】
ブリリアント級 Сторожевые корабли
класса "Бриллиант"
/ "Brilliant" Class Patrol Ships
は,「フューガス」型掃海艇をベースにして,1934年から建造が始まった哨戒艇.
同型4隻.
当初はムルマンスク軍港で補給船として使用されていたが,1938年になって海軍籍に編入となり,4インチ砲などを搭載して,沿岸警備に使用されるようになった.
独ソ戦勃発後,本級は爆雷による対潜任務に従事するようになり,沿岸部での哨戒や船団護衛などに従事した.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_pv-brilliant.htm
http://homepages.thm.de/~hg6339/data/ru/minor-crafts/cMC_Brilliant.htm
「ブリリアント」級・2面図
(http://homepages.thm.de/~hg6339/data/ru/minor-crafts/cMC_Brilliant.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/25 20:30
を加筆改修
【質問】
掃海艇「フーガス」級って何?
【回答】
Fugas 級は1930年中期に量産された,艦隊用の鋼製掃海艇です.
基準排水量 441~476t,速力 18 knot,10cm砲×1.
艦尾には機雷敷設用スリップも備えていました.
unknown
▼ 「フーガス Fugas」型掃海艇は,第二次および第3次5ヵ年計画の下,1933年からソ連で建造が始まった,基準排水量433tの中型掃海艇.
独ソ戦までに,計画3型および改良型である53,
53U, 59各型合計して48隻が進水し,戦争終結までに40隻が就役した.
戦争中は武装を強化されて,船団護衛にも投入され,戦争終結まで生き残ったものは半数だけだった.
【参考ページ】
『Soviet Navy at War 1941-1945』(Przemyslav
Budzbon著,Arms and Armour Press)
http://www.navypedia.org/ships/russia/ru_ms_fugas.htm
T-404 Shchit写真
(http://www.navypedia.org/ships/russia/ru_ms_fugas.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/22 20:40
を加筆改修
▲
【質問】
第二次世界大戦中のソ連軍に,旧軍の装甲艇のような河川警備用の艦艇というのはありましたか?
【回答】
ソ連の場合は,
1932年建造のUdarnyi,Aktivnyi,
1934~39年建造のZheleznyakov級の河用砲艦を建造したほか,
42tのType1124BKA,
29tのType1125BKA
の二種類の砲艇が作られました.
前者は,T-28またはT-35の戦車砲塔を2基流用したもの,
後者はT-34/761940年型の砲塔1基を装備したものです.
なお,後者には一部カチューシャが搭載されています.
これらは,1941年の独ソ戦時には,85隻が発注され,68隻が建造中で,1941年8月18日には更に110隻が発注されています.
更に,その後継艇として,MBKが建造されました.
これは,T-34/85の砲塔2基を装備したもの,もしくは一部には10cm砲を搭載したものがあり,1944年から引き渡されました.
全三種の艇は1935~45年までに最低270隻建造され,90隻が失われています.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
ソ連海軍の河川砲艇
(画像掲示板より引用)
【質問】
WWII時の極東ロシア軍のアムール川戦隊の砲艦やモニターの中にキエフで建造されたものがありますが,これってどのように運ばれたのでしょうか?
【回答】
建造する
→水に浮かべる
→試運転
→動いた~
→分解
→パーツごとに貨車に搭載してシベリア鉄道で輸送
→現地到着
→組立
→水に浮かべる
→試運転
→動いた~
→実戦配備
余談モードですが,潜水艦の中には北極海からシベリア海に抜け,太平洋に到達したものもあったそうですし,小型潜水艦の中には,船積みしたものもあったか,と.
河用砲艦の大洋横断と言えば,乾舷1m弱のColombiaの河用砲艦が大西洋を自力航海して回送したと言う話もありましたっけ.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/04/08(土)
青文字:加筆改修部分
余談の余談.
メフメット2世のコンスタンチノープル攻略の折にも,似たようなことが行われている.
以下引用.
------------
オスマン帝国軍の攻撃を恐れたビザンティン軍は,金角湾に船を入れない為に湾口に鎖を張って抵抗します.
オスマン軍は攻めあぐねましたが,彼は前代未聞の作戦でこの難関を乗り越えました.
それは,一夜の内に72隻に及ぶ軍艦をボスポラス海峡側から陸揚げし,ガラタ塔の裏側を回るように陸路,金角湾へ侵入させるというものでした.
http://www.noe-j.co.jp/snt/turk/turk_top.html
------------
イラン前国防相 ◆2ahDXUlKbw :軍事板,2006/04/08(土)
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆駆逐艦
【質問】
オピトヌイって何?
【回答】
オピトヌイ Opitniy こと計画45駆逐艦は,実験的な高速駆逐艦として計画された,ソ連海軍の駆逐艦.
計画7U駆逐艦の船体をベースとし,主機にドイツの高温高圧罐・ワーグナーボイラーを参考に,L・K・ラムジナ(Л.К.Рамзина)教授が設計した,さらに小型化・高出力化したものを採用し,計画では45ノットを目指したが,実際には45ノット程度が最高だった模様.
本型は1934年に開発開始,「オピトヌイ」のみがジダーノフ造船廠で建造され,1941年に就役したが,1949年には退役し,1956年に処分された.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_d-opytnyi.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Opytny_class_destroyer
http://ru.wikipedia.org/wiki/Эскадренные_миноносцы_проекта_45
http://homepages.thm.de/~hg6339/data/ru/destroyers/1935_cdd_opytnyi.htm
http://s11.invisionfree.com/shipbucket/ar/t3046.htm
側面図
(http://homepages.thm.de/~hg6339/data/ru/destroyers/1935_cdd_opytnyi.htmより引用)
カラー側面図
(http://s11.invisionfree.com/shipbucket/ar/t3046.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/11/02 20:20
を加筆改修
【質問】
グネフヌイ級駆逐艦って何?
【回答】
グネフヌイ Gnevny Гневный(="怒りの"の意味)級こと計画7駆逐艦
Лидеры эсминцев проекта
7 は,1930年代初頭にソ連海軍の大規模増強計画により建造された駆逐艦.
イタリアからの技術導入を行ったため,高速性・低凌波性などに,イタリア艦的な特徴が見られ,船首楼式船体や1本にまとめられた大型集合煙突なども,イタリア駆逐艦風なシルエットになっている.
1933年より開発開始,1935年より建造が開始され,30隻が竣工したが,就役後に各種の設計上の欠陥が発覚したため,これを改善した計画7U型(ストロジェヴォイ級)駆逐艦へ建造が移行した.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_d-gnevny.htm
http://ruri.txt-nifty.com/navy/sovietdd2.html
http://ru.wikipedia.org/wiki/Эскадренные_миноносцы_проекта_7
http://army.lv/ru/proekt-7/710/548
http://ussrfleet.1939-45.ru/esm_pr_7.php
グネフヌイ級駆逐艦イラスト
(http://wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/1996_02/より引用)
グネフヌイ級駆逐艦写真
(http://army.lv/ru/proekt-7/710/548より引用)
グネフヌイ級駆逐艦2面図
(http://ussrfleet.1939-45.ru/esm_pr_7.phpより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/08 20:50
を加筆改修
【質問】
ストロジェヴォイ級駆逐艦って何?
【回答】
7U型ことストロジェヴォイ Сторожевой
級は,前級7号計画の発展型として建造された,ソ連海軍の駆逐艦です.
1番艦,ストロジェヴォイは1940年に竣工し,同艦を含む同型艦18隻が建造されました.
第二次大戦中は,輸送船団の護衛や支援物資・人員の輸送,陸上部隊への援護射撃に従事し,生き残った艦は1960年代に全て解役・解体されました.
【参考ページ】
http://www.kasado.net/Destroyers/7U.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/7U%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6(たぶん執筆者はあの人)
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_d-storozhevoy.htm
http://sovnavy-ww2.by.ru/destroyers/typ_7y.htm
http://www.duel.ru/200017/?17_6_3
http://commi.narod.ru/txt/burov/415b.htm
ストロジェヴォイ級駆逐艦側面図
(http://sovnavy-ww2.by.ru/destroyers/typ_7y.htmより引用)
ストロジェヴォイ級駆逐艦側面図(カラー)
(http://www.shipbucket.com/forums/viewtopic.php?f=12&t=855より引用)
ポチ港(現グルジア)に疎開中のソーブラジテルヌイ@7U型
(シア氏ブログより引用)
【質問】
駆逐艦「タシュケント」って何?
【回答】
Tashkentはソ連の大型駆逐艦で,イタリアに発注され,1937年に進水しました.
同型艦なし.
基準排水量 2,893t,計画速力 42 knot,13cm砲×6.
1942年6月,爆撃によりクリミア沖で大破擱坐しました.
【質問】
レニングラード級駆逐艦って何?
【回答】
Leningradは,1933年に進水した,ソ連海軍の大型駆逐艦です.
イタリアやフランスから技術指導を受けた艦で,基準排水量
2,225t,速度 36 knot.
13cm砲を5門,搭載し,水雷戦隊旗艦や強行偵察任務につく予定でした.
unknown
▼ レニングラード Ленинград 級こと計画1駆逐艦(Лидеры
эсминцев проекта 1)は,ロシア革命以後に建造された,ソ連海軍初の駆逐艦.
他国が駆逐隊を率いるための大型(嚮導)駆逐艦の建造を行っていたため,本艦には嚮導艦としての能力を要求され,基準排水量2,000t以上,最大速力40ktとなった.
1932年から1940年にかけて6隻が建造され,製造不良や欠陥箇所が続出したものの,1950年代まで運用された.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_d-leningrad.htm
http://ru.wikipedia.org/wiki/Лидеры_эскадренных_миноносцев_проекта_1
http://ussrfleet.1939-45.ru/lid_pr_1.php
http://army.lv/ru/proekt-1/710/748
http://www.and-kin2008.narod.ru/pr1.html
▲
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/07 20:30
を加筆改修
◆◆◆◆巡洋艦
【質問】
計画22巡洋艦って何?
【回答】
計画22巡洋艦 тяжелого крейсера
проекта 22 は,重巡洋艦「キーロフ級」「マクシム・ゴーリキー級」の建造成功に気を良くしたスターリンが,第一中央造船設計局に,列強の重巡洋艦を凌駕する重巡洋艦の建造を命令したことから検討された,次期巡洋艦計画案の一つ.[1]
艦政当局の設計計画によるもので,基準排水量23,000トン,254mm砲または280mm砲を搭載.[2]
しかし,後に計画は中止となった.[1]
後に,「X型巡洋艦」と「22型巡洋艦」を組み合わせ,列強の重巡洋艦に対抗可能で,単独での通商破壊戦を可能とする巡洋戦艦「計画69型巡洋艦
Крейсера проекта 69」(クロンシュタット級)へと発展した.[1]
【参考ページ】
[1]http://ja.wikipedia.org/wiki/クロンシュタット級重巡洋艦
[2]http://wunderwaffe.narod.ru/Magazine/MK/1995_06/03.htm
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/16 20:00
を加筆改修
【質問】
キーロフ級重巡洋艦って何?
【回答】
キーロフ Киров Kirov 級こと,計画26型巡洋艦 Лёгкие крейсера проекта 26 は,1933年頃にソ連海軍の第二次5ヶ年計画において4隻の建造が認められた巡洋艦.
革命によって優秀な人材の多くが失われていたため,イタリアの援助を受け,同国の軽巡洋艦ライモンド・モンテクッコリ級を参考にして建造された.
1939年に第1艦「キーロフ」が完成したが,第2艦ヴォロシロフ
Ворошилов Voroshilov までで建造はうち切られ,本級の改良型
「マキシム・ゴーリキー」へと発展した.
キーロフの主砲は現在も,サンクト・ペテルブルグに保存されているという.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_hc-kirov.htm
http://it.wikipedia.org/wiki/Classe_Kirov_(incrociatore_1936)
http://ru.wikipedia.org/wiki/Крейсера_проекта_26-бис
http://www.kreiserkirov.ru/press/project26.htm
http://army.lv/ru/proekt-26/istorija/1142/368
「キーロフ」級写真
(http://army.lv/ru/proekt-26/istorija/1142/368より引用)
「キーロフ」級2面図
(http://www.kreiserkirov.ru/press/project26.htmより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/10 20:20
を加筆改修
【質問】
キーロフ級巡洋艦「ヴォロシーロフ」について教えられたし.
【回答】
本艦は,プロジェクト26の2番艦としてA.マルチ名称記念第198ニコラーエフ工廠で建造されました.
1935年10月15日起工
1937年6月28日進水
1940年6月20日就役
本艦は黒海艦隊へ配属され,大祖国戦争に参加しました.
戦後も黒海艦隊に在籍していましたが,
1956年2月17日,艦隊編制から外され,兵装撤去作業を開始しました.
ただし,これは除籍する為では無く,新開発ミサイル兵器のテスト用プラットフォームに改造する為でした.
1959年8月7日,試験船OS-24 (Опытовое
Судно "ОС-24") と改名
1961年12月31日,プロジェクト33試験船への改造工事終了
本船は,まず,艦橋前に,新開発の高射ロケット複合体M-11「シュトルム」ЗРК
М-11 "Шторм"(SA-N-3「ゴブレット」)を搭載し,洋上テストを開始しました.
「シュトルム」は,ソ連・ロシア海軍の第2世代の艦対空ミサイルであり,艦載専用として開発された唯一の対空ミサイルです.
1964年からは,艦尾に,これまた新開発の高射ロケット複合体「オーサM」Оса-М(SA-N-4「ゲッコー」)を搭載し,洋上テストを開始.
こちらも第2世代の艦対空ミサイルですが,エリア防空用の「シュトルム」に対し,「オーサM」は,個艦防空用の短距離対空ミサイルです.
この他,対潜水艦複合体「メテーリ」Противолодочного
Комплекса "Метель"(SS-N-14「サイレックス」)のテストも計画されましたが,実現には至りませんでした.
本船でテストされた「シュトルム」と「オーサM」は,ソ連海軍に正式採用され,数多くの艦艇に搭載されました.
1972年10月6日,浮上兵舎PKZ-19(плавучая
казарма "ПКЗ-19")に種別変更.
1973年3月2日,海軍から除籍されました.
「ヴォロシーロフ」改めOS-24改めPKZ-19は,1975~1976年にセヴァストーポリで解体されました.
「ヴォロシーロフ」写真
OS-24時代の写真
PKZ-19時代の写真
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ~ロシア・ソ連海軍~
2008/6/24(火) 午後 8:15
【質問】
マクシム・ゴーリキー級重巡洋艦って何?
【回答】
マクシム・ゴーリキー Максим Горький
級こと,計画26-bis型巡洋艦は,キーロフ級の改良型.
ソ連海軍の1937年度計画により,キーロフ級に引き続いて2隻の建造が承認され,1938年の第3次5カ年計画で,さらに2隻の建造が追加承認された.
基本兵装や船体形状はキーロフ級と変わらないが,艦橋が三檣楼型から塔型に変更された.
【参考ページ】
http://ru.wikipedia.org/wiki/Максим_Горький_(крейсер)
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_hc-gorky.htm
http://www.kasado.net/Cruisers/Gorky_names.html
http://www.legkiykreyser.ru/legkie-kreysera-1930-h-godov/legkie-kreysera-sssr.html
http://ussrfleet.1939-45.ru/kr_makgor.php
「マクシム・ゴーリキー」
(http://www.legkiykreyser.ru/legkie-kreysera-1930-h-godov/legkie-kreysera-sssr.htmlより引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/12 20:30
を加筆改修
【質問】
巡洋艦「モロトフ」について教えられたし.
【回答】
ソ連海軍の巡洋艦「モロトフ」 Крейсер"Молотов"は,プロジェクト26bis型巡洋艦(マキシム・ゴーリキイ級)としてマルチ名称記念ニコラーエフ工廠で建造
1937年1月14日起工
1939年5月7日進水
1941年6月14日就役,黒海艦隊に配属.
1941年11月~,セヴァストポリ攻防戦参加.
1942年8月3日,イタリア海軍魚雷艇MAS568の雷撃で大破.
建造中のチャパエフ級軽巡洋艦「フルンゼ」のパーツを流用して修理.
1943年末,艦隊に復帰.
1946年,練習巡洋艦.
1956年,「スラヴァ」と改名.
1973年,除籍.
1978年,解体.
下の写真1枚目は,1944年に撮影された巡洋艦「モロトフ」です.
(1941年に撮影された「モロトフ」)
「モロトフ」のカタパルト上に載せられている飛行機は,かの有名なイギリス製の戦闘機スーパーマリン「スピットファイア」です.
スピットファイアは,ソヴィエト連邦にも供与されました.
イギリスでは,貨物船にカタパルトを取り付け,戦闘機を1機だけ搭載する「カムシップ」(カタパルト武装商船)を作りましたが,それに倣ってテストを行なったのでしょうか.
この機体は,機首の排気管の数が3本なので,スピットファイアMk.Vです.
スピットファイアには多数のタイプが有りますが,ソヴィエト連邦軍にはMk.VとMk.IXが供与され,1943年春以降,ソ連邦南部で使用されました.
(写真は,1943年に引き渡されたスピットファイアMk.V)
ソ連に送られたスピットファイアは合計1,331機ですが,他のレンドリース戦闘機(ハリケーン,P-39,P-40)よりも数は少なく,実戦参加時期も遅かった為か,いまいち影が薄いですね.
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ~ロシア・ソ連海軍~
2008/2/22(金) 午後 11:16
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆戦艦
【質問】
第二次大戦時のソ連海軍には,外国からの譲渡艦以外にも戦艦はあったのですか?
【回答】
あった.
第二次大戦勃発時,ガングート級が書類上は4隻,戦力として計算にできる艦としては3隻存在していた.
本級はイタリア戦艦の影響を受けているという.
以下引用.
日露戦争後の海軍再建を目指した1908年計画により,バルト海用に建造されたロシア海軍最初の弩級戦艦.
〔略〕
設計に当たっては,イタリアの造船官ヴィットリオ・クニベルティの提案を相当にとり入れ,これにロシア独自の要求,仕様を折り込んだ※もので,305mm 3連装砲塔の中心線上等間隔配置をはじめとして,当時建造中の伊弩級戦艦ダンテ・アリギエリ Dante Alighieriと多くの点で類似している.
同時期の列強弩級戦艦より優速の23ノットとし,このための機関部重量を賄うため,舷側装甲は若干薄くされており,戦艦と巡洋戦艦の中間的存在と言える.
「『世界の艦船』増刊第35集 ロシア/ソビエト戦艦史」(海人社,1992/12/15),p.86
※砕氷艦首の採用,全副砲の舷側ケースメイト装備(イタリア戦艦は一部連装砲塔),水平甲板型船体の採用,缶室配置や防御要領の相違など,ロシア独自設計による部分も多々あった.
同,p.87
本級は第1次大戦の生き残りだが,第1次大戦では殆ど活躍せず,第二次大戦でも,緒戦時に大損傷を受けたこともあって活動は消極的だった.
以下引用.
船体強度の設計ミスなどにより建造が遅れ,第1次大戦中に完成したがほとんど活躍せず,革命で1隻が戦力的価値を失い,残る3隻がソ連海軍の主力となった.
両大戦間に近代化改装を行って艦容を一変し※2,第二次大戦では大損傷を被ったが生き残り※3,戦後解体された.
――「『世界の艦船』増刊第35集 ロシア/ソビエト戦艦史」(海人社,1992/12/15),p.86
※2 革命後,本艦〔Gangut〕はしばらく放置されていたが,1925年7月,オクチャブルスカヤ・レヴォルチャと改名し(1942年,旧艦名に復す),整備の上,1926年に再就役した.
次いで1931~34年に艦首のクリッパー型化,前檣楼・艦橋構造および後檣と後部構造物の改正・整備,第1煙突を斜め後方に屈曲・誘導化,航空機搭載と3番主砲塔への射出機装備,後檣への揚収クレーン設置,対空兵装強化,重油専焼ボイラーおよびタービン換装などの近代化改装を実施して艦型を一変した.
――同,p.87
なお,航空兵装は1941年撤去された.
――同,p.88
これ〔レーダー・アンテナ〕は第二次大戦終了前後には既に装備されていた.
――同,p.89
※3 1939年11月,ソビエトは突然フィンランドを攻撃し,いわゆる「冬の戦争」が勃発した.
この時唯一の可動艦マラートが出撃し,コイビストを砲撃したが,フィンランド軍の反撃を受け撤退した.
1941年6月末,ナチス・ドイツのソビエト侵攻作戦であるバルバロッサ作戦が発動し,バルト海沿岸の海軍基地は次々にドイツ軍に占領され,ソビエト艦船の動きは完全に封じ込められてしまった.
〔略〕
9月にはレニングラード攻防戦も始まり,ドイツ空軍のスツーカがマラートを撃破した.
こうして第二次大戦中,ソビエト戦艦は戦闘の表舞台に現れないばかりか,その存在さえも失ってしまったのである.
〔略〕
1941年のソビエトは最新のシーパワーを供給する技術力も海軍理論をも欠いていた.
その結果,第二次大戦のソビエト戦艦は,戦歴と言えるものを殆ど残していない.
――同,p.139
〔Gangutは〕レニングラード攻防戦中の1941年9月21日と翌42年4月4日に,ドイツ軍機の爆撃により,かなり損傷したが,その都度復旧され,1944年のレニングラード解放をはじめ,陸軍支援の砲撃作戦を行っている.
――同,p.90
〔マラート Marat は〕1941年9月23日クロンシュタットでドイツ軍機の爆撃により大破着底,戦後浮揚の上,砲術練習艦ヴォルコフとなったが,1953年に解体された.
――同,p.93
もっともマラートはその後も砲塔だけは海面上に出ていたため,レニングラード攻防戦ではドイツ陸軍部隊を砲撃してはいた.
――同,p.139
〔パリスカヤ・コンムナ Parizhkaya Kommunaは〕1942年に旧艦名〔セヴァストーポリ Sevastopol〕に戻った.
1941~42年,黒海で陸上砲撃作戦に従事したが,ドイツ軍機の攻撃で損傷し,黒海での戦闘終了までポチに引き篭もっていた.
――同,p.97
以下のサイト
http://earth.endless.ne.jp/users/mac0115/gangut.html
には,要目や側面図等が掲載されているので,参照されたし.
消印所沢
さて,革命後の大混乱からようやく立ち直り,造船設備が整備されて大型艦建造が可能になってくると,「戦艦だぁい好き!おじさん」でもあったスターリンは,1936年5月になって新戦艦の設計に着手した.
これは23号計画と呼ばれた艦隊建造計画の一部だったが,その計画とはなんと,戦艦15隻,重巡15隻,その他数十隻の大量建造!
しかも,新戦艦ソビエツキーソユーズ3隻の建造にかかった費用は,年間国家予算の1/3.
何を考えてたんだ,スターリン!
軍事板,改
なお,ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦の主砲B-37型50口径40.6cm砲
http://www.navweaps.com/Weapons/WNRussian_16-50_m1937.htm
は,1939~40年に掛けて12門が製造されましたが,以後の製造はストップ.
完成した砲は,レニングラードの陸上砲台に転用されたようです.
ちなみに,同級の主機は,スイスのBBC社製になる予定でした.
独ソ戦争が無かったら,1946年頃には竣工していたと思われ.
(当時,ソ連は,本級の建造期間を60ヶ月と見積もっていたが,実際には,もっと長くなったでしょう)
実際の予定では4隻建造(起工されたのは3隻)する事になっていたので,全艦竣工すれば,1隻は太平洋艦隊に配備されたかも・・・・
「シア・クァンファ」改め「紅月ひかる」 in FAQ BBS
【質問】
戦艦「マラート Marat」とは?
【回答】
ソヴィエト連邦(ソ連)海軍戦艦「マラート」Маратは,ロシア(ソ連)海軍における正式類別は
Линейный корабль(「主力艦」「戦列艦」)
です.
当初はペトロパヴロフスクПетропавловскという名でした.
1909年6月3日,バルチースキー・ザヴォートで起工
1911年5月16日,バルト艦隊編入
1911年8月27日進水
1914年12月4日就役
1921年3月31日,「マラート」と改名.
1928~1931年に掛けて,近代化改装が行われ,外見が変わりました.
1935年1月11日,赤旗バルト艦隊に編入.
大祖国戦争開始後の1941年9月23日,クロンシュタット軍港に停泊中の本艦は,ドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカースJu-87D-1シュトゥーカ(発動機出力1,420馬力,最大速度408km/h,航続距離1,165km,最大爆弾搭載量1,800kg)の攻撃を受け,1トン爆弾が命中,乗員326名が死亡しました.
Ju-87D-1は,発動機出力を強化,爆弾搭載量を大幅に増やし,1000kg爆弾を運用できるようにしたタイプです.
この時,Ju-87に乗っていたのは,かの有名な「爆撃王」ハンス・ウルリッヒ・ルーデルHans-Ulrich
Rudelであり,マラートは,この時に「撃沈」された・・・・・・というコトになっております・・・
そして上の写真1枚目は,1942年に撮影された「撃沈」後の「マラート」ですが・・・
・・・つーか,沈んでいません・・・・・(^^;
2枚目の写真(1937年6月撮影)と比較すると御分かりになるでしょうが,船体は第2主砲塔の前で切断されており,艦橋及びその直後にある第1煙突から前部分が無くなっています.
第2主砲塔から後ろは残っているので,ルーデルが放った1トン爆弾は,ちょうど第1煙突あたりを直撃したようです.
(本人の回想によると,煙突に命中している)
沈んだのは,第1煙突から前部分だけだったようです.
ただ,1トン爆弾が,もうちょっと前か後ろに命中していれば,主砲の弾薬庫に引火,誘爆して轟沈,という事も有り得たので,際どい所だったのは確かです.
良く見ると,第2煙突と後部構造物の間に万国旗が飾られています(^^;
前部分が無くなったマラートでしたが,1941年10月初頭,後部の一部分は修理され,10月31日,フィンランド湾の南沿岸のドイツ軍部隊に向かって305mm主砲を発射,一矢を報いました.
重度の燃料欠乏の為,マラートは4箇所ある主バッテリーの内,2箇所(第3,第4バッテリー)しか使えず,射撃する機会は限られていましたが,それでも翌1942年11月9日まで,定期的にドイツ軍部隊を砲撃しました.
マラートは1941年10月31日に初砲撃を実施した後,11月以降も砲撃を続け,クロンシュタットとレニングラード間の交通路確保の為,305mm主砲による対砲兵制圧射撃を実施しました.
しかしそれは,マラートを「撃沈」したと思っていたドイツ軍の注意を引き付け,反撃を招く事になりました.
1941年12月12日および23日,ドイツ軍は203mm砲でマラートを砲撃,3発が命中,うち2発は甲板を撃ち抜き,艦内部で爆発しました.
12月28日には280mm砲でマラートを砲撃,2発が命中しました.
うち1発は,あと少し着弾がずれていたら,バッテリーと第3主砲弾薬庫を直撃する所でした.
ドイツ軍はマラートへの砲撃を続け,1942年10月25日,3発の305mm砲弾が命中,11月6日,1発の292mm砲弾が命中,1943年10月8日,1発の203mm砲弾が命中.
(つまりドイツ側は,ルーデルが,実はマラートを「撃沈」していなかった事を知っていたわけです)
この為,ソ連側もマラートの補強工事を実施,後部艦橋付近の水平甲板の装甲が強化され,57箇所の区画隔壁間の空所にセメントを流し込みました.
その後,陸上の前線で使用する為,「マラート」の砲兵装,3基の305mm3連装主砲,3基の34口径76mm砲,5基の70口径37mm機関砲,2基のDK機銃,3基のDSHK機銃は1942年末に取り外されました.
「撃沈」された「マラート」は,1943年5月31日,旧名「ペトロパヴロフスク」に復しました.
以後,本艦は,しばらく「海上発電機」として使用されていましたが,大祖国戦争終結から数年後,ようやく本格的な修理と改装に取り掛かり,
1951年9月25日,砲術練習艦として復帰しました.
修理中の1950年11月28日,ヴォルホフВолховと改名されています.
本艦が除籍されたのは,「撃沈」から約12年後の1953年9月4日でした.
「マラート」を攻撃したルーデル氏は,1982年12月18日に死去しました.
おそらくは,戦艦「マラート」を「撃沈」したと信じたまま・・・
ちなみに,ルーデル氏は,西側では,戦艦「マラート」以外にも巡洋艦1隻,駆逐艦1隻を「撃沈」したとされていますが,実際には,この2隻も完全喪失には至っておりません.
ルーデル氏が「撃沈」したとされる「巡洋艦」と「駆逐艦」は,ロシア側の記録を見ると,嚮導駆逐艦ミンスクと駆逐艦ステレグシチーを指しているようですが・・・
嚮導駆逐艦ミンスクは1941年9月22日,クロンシュタットで修理中に航空攻撃を受け沈没したものの,翌1942年浮揚,修理されて同年末に復帰.
駆逐艦ステレグシチーは,1941年9月21日,クロンシュタットで航空攻撃を受け沈没したものの,後に引き揚げられ,修理されて1945年に復帰.
Небесный бытьネベスニィ・ビィチ~ロシア・ソ連海軍~
2008/3/1(土) 午後 11:29
写真3
(画像掲示板より引用)
まあ,後に浮揚されようが,沈没したことに変わりはありませんがね.
【質問】
WWⅡ前にイタリアがソ連に提案したと言われている16インチ砲戦艦について教えて下さい.
【回答】
オブイェークトやなかった,設計番号"UP41"のことだと思います.
1930年代に,ドイツの再軍備に脅威を抱いた「我らが輝ける太陽」スターリン元帥閣下が抱いた,主力艦16隻から成る野心的な建艦計画を決意しました.
しかし,国内にはこの様な大艦を設計する能力が不足しており,海外にそれを求めた結果,GenoaのAnsaldoが注文を受けて(当時,ソ連とイタリアは友好関係にあり,イタリアの設計で,Kirov級巡洋艦,駆逐艦Tallinnなどが建造されていました),設計を行ったのが"UP41"です.
その基本設計は,同社で建造中のLittorio級戦艦に準じ,外観,装甲の張り巡らし方は同じだったりします.
この設計は,第二次大戦でおじゃんになりました.
排水量;42,000~42,672tt(満載時50,000t~50,800t)
寸法:248.9m×35.5m×9.0m
機関:タービン4基,ボイラー8基,4軸 177,500shp
装甲:装甲帯部(335~145mm),バルクヘッド(350~145mm),上甲板(55mm),
主甲板(65mm),砲塔(400~145mm),バーベット部(350mm),副砲塔(180~90mm),
艦橋(335~200mm)
武装:40.6cm三連装砲塔×3(前部2基,後部1基),180mm三連装砲塔×4(主砲塔脇に2基づつ),
100mm連装高角砲×12(平甲板に各6基),
45mm四?連装機関砲×12?,13.2mm連装機関銃×12
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2006/03/15(水)
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦とは?
【回答】
ソヴィエト連邦が1930年代に計画した戦艦・プロジェクト23(23号計画艦)ソヴィエツキー・ソユーズ級は,満載排水量は6万トン以上という巨大戦艦です.
1936年に承認された建艦計画では,戦艦は8隻建造する予定でした.
1936年に承認された艦隊整備計画
・戦艦×8隻
・重巡洋艦×16隻
・軽巡洋艦×20隻
・駆逐艦×145隻
・潜水艦×344隻
しかしこの計画は,実行前の1938年には早くも改訂作業が行われ,上記の数字は「下方修正」される事になりました.
翌1939年,海軍総司令官に就任したばかりのニコライ・クズネツォフ提督が,中心となって作成した改訂艦隊整備計画では,1947年までに,以下の艦艇を建造する事とされました.
1939年に承認された艦隊整備計画
・戦艦×6隻
・重巡洋艦×4隻
・軽巡洋艦×21隻
・駆逐艦×100隻
・潜水艦×201隻
計画立案時には,上記の他に空母×2隻も有ったのですが,スターリンに拒否されました.
ただ,下記で述べるように,未だ「ソヴィエツキー・ソユーズ級15隻建造」を信じている人は多いようです.
なお,「23号計画」(プロジェクト23)を,当時のソ連海軍全体の艦隊整備計画だと思っている人がけっこう居るようですが,あくまでも,ソヴィエツキー・ソユーズ級だけの計画です.
最終的に6隻が建造される事となった「23号計画」戦艦ですが,実際に起工された艦は4隻に留まりました.
そして,ソ独戦争などの影響により,竣工した艦は1隻も有りませんでした.
[ソヴィエツキー・ソユーズСоветский
Союэ]
1938年7月15日,オルジョニキーゼ造船所(現バルチースキィ・ザヴォート)で起工
1941年7月10日工事中止
[ソヴィエツカヤ・ウクライナ Советская
Украина]
1938年10月31日,マルチィ南造船所(現チェルノモルスキィ・ザヴォート)で起工
1941年7月10日工事中止
[ソヴィエツカヤ・ベラルシアСоветская
Белоруссия]
1939年12月21日,モロトフスク造船所(現セヴマシュ・プレドプリャーチェ)で起工
1940年10月19日工事中止
[ソヴィエツカヤ・ロシア Советская
Россия]
1940年3月21日,モロトフスク造船所(現セヴマシュ・プレドプリャーチェ)
で起工
1940年10月19日工事中止
この4隻のうち,ウクライナのニコラーエフで建造されていたソヴィエツカヤ・ウクライナは,1941年のドイツ軍の侵略により,建造していた街自体がドイツ軍に占領され,当然ながら,造船所ごとドイツ軍の手に陥ちてしまいました.
その後,1944年には反攻作戦に出たソ連軍が,ニコラーエフを奪回したのですが,ドイツ軍はニコラーエフから退却する際に,ソヴィエツカヤ・ウクライナを破壊してしまったので,建造再開は不可能になってしまいました.
レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で建造されていたソヴィエツキー・ソユーズは,進水の手前まで工事が進んでいたのですが,ソ連を侵略したドイツ軍は,レニングラードの目前にまで迫り,同艦の装甲板とかは全て剥がされて,他に流用されました.
大祖国戦争終了後,「抜け殻」は1949年に解体されました.
北洋方面のモロトフスク(現セヴェロドヴィンスク)で起工された2隻も,大して工事が進まないうちに建造は中止されました.
と,このように大祖国戦争の影響をモロに受けたソヴィエツキー・ソユーズ級ですが,ソ連海軍は,この4隻を各方面艦隊(バルト,黒海,北方,太平洋)に1隻ずつ配備し,各艦隊の旗艦にするつもりだったようです.
ちなみに,当時,同級の建造期間は,60ヶ月と見積もられていました.
当初の予定通りに4隻とも竣工していれば,ソヴィエツカヤ・ベラルシアかソヴィエツカヤ・ロシアのどちらかが.太平洋艦隊に配備されたでしょうが,当時ソ連は,極東方面にこのような大型艦艇を整備できるドックを有しておらず,配備されたとしても,定期修理のたびに建造元の造船所に回航しなければならなかったでしょう.
[中略]
なお,一部で,本級の建造費が,当時のソ連の「国家予算」の「3割」などと書かれていますが・・・
――――――
120 名前: >116 投稿日: 2000/10/07(土) 10:50
ソビエツキーソユーズ3隻の建造にかかった費用はその年の国家予算の1/3.
しかも6年間で同型艦を15隻建造する予定だった.
何を考えてたんだスターリン!
http://mentai.2ch.net/army/kako/970/970533362.html
――――――
「同型艦を15隻建造」というのは,全くのデタラメですが,建造費用に関して言えば,これは数字のまやかしでしょうね.
確かに,本級の建造費用を総計すれば,当時(1938~1940年あたり)のソ連邦の,「単年度」の国家予算の3割に達したかもしれないが,フツー,艦艇の建造費って,単年度で全て支出しますか?(笑)
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦は,起工から竣工まで60ヶ月(5年)掛かると見積もられていましたが,この5年分の費用を単年度で全て支出するのでしょうか?
しかも,実際に建造された4隻は,1938~1940年に掛けて起工されている.
最終艦の完成が1945年だとして,本級の建造費用は,最低でも,延べ7年に渡って支出される事になる!(笑)
「7年以上に渡る」であろう支出総額と,「単年度」の国家予算を同列に比較する事自体がナンセンスでしょう(^^;
ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課
2007/2/2(金) 午後 9:12
青文字:加筆改修部分
【質問】
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦の主砲を,ソ連は自国で製造することはできなかったのか?
【回答】
ソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦に関して良く言われているのが,「ソ連は,同級の主砲を製造できなかった」という事です.
例えば,
――――――
(超甲巡タカチホ)
>「主砲などは制作の形跡もない」
「浅想ろぐ」
>◎ソ連は,WW2時の戦艦(未成)『ソヴィエツキー・ソユーズ』級の主砲をアメリカから輸入する考えであった.
>自国に大口径砲の製造技術が無いのに自国での建造が計画されたと言う点で,本クラスは戦艦史上に例が無い存在である.
2ちゃんねる軍事板過去ログ「信じられないが,本当だ」
>125 名前: ふぁいるず 投稿日: 2000/10/07(土) 11:30
>>116,120
>更に言えば,40センチ砲の購入をアメリカに断られ,当時条約を結んでいた独にも38センチ砲を断れ・・・・たにも関わらず建造開始.
>しかも,ソビエツカヤ・ウクライナ,ソビエツカヤ・ベルルーシア,ソビエツカヤ・ロシアまでも・・・
>ひょっとしたらキーロフやマキシム・ゴーリキーの18センチ3連装を30門ぐらい装備する超ドキュン巡洋艦計画だったの鴨.
――――――
では,実際にはどうだったのかと言うと・・・
B-37型50口径40.6cm砲
というわけで,実際に「製造」されておりました.
要約すると,B-37型40.6cm砲は,1939~40年に掛けて12門が製造され,完成した砲は,レニングラードの陸上砲台に転用されたようです.
(写真・製造中の40.6cm砲)
砲撃試験を行ってみたら,結果はイマイチだったようで,砲弾発射用の火薬とか散布界などの問題は有ったようですが,この辺りは,テストを繰り返しながら改良していくものです.
しかし戦艦の建造が中止されたのに伴い,砲の開発もストップしたので,改良される機会も無くなった事も考慮すべきでしょう.
ソ連・ロシアの大口径砲の開発は,帝政時代末期の30.5cm砲でストップしており,それから20年以上のブランクを経て,いきなり40.6cm砲を造ったのですから,当初は不具合が続出するのは当然の事.
[中略]
ロシア・ソ連海軍に関しては,軍事専門誌でさえ平気でデタラメ書いているからなあ・・・
だいたい,サンクトペテルブルク市の海軍博物館には,この40.6cm砲の砲弾が展示されているわけだが(^^;
砲弾だけ造って,砲本体は造らなかったとでも?
ただ,本級の構成部品のうち,21万馬力の大出力蒸気タービン機関は,スイスBBC社に発注されました.
ただしこれは,蒸気タービン機関をソ連国内で製造出来なかった為ではなく,当時,ソ連は巡洋艦や駆逐艦用の機関の製造で手一杯であり,蒸気タービン機関が足りなくなる恐れが有った為に,外国に発注したものです.
上記の「超甲巡タカチホ」などで書かれているほど非現実的な計画では無かったんだよね.
少なくとも技術的には.
ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課
2007/2/2(金) 午後 9:12
青文字:加筆改修部分
【質問】
計画24型戦艦って何?
【回答】
1936年5月に成立した艦隊整備計画の下,ソ連海軍が検討した新型戦艦案の一つ.
速度30ノット,航続距離6000マイル,406mm砲×9,130mm砲×24,45mm機銃×48などとなっていた.
結局,24型などは没となり,計画23型(ソビエツキー・ソユーズ級)の建造が承認された.
【参考ページ】
http://ru.wikipedia.org/wiki/Линейные_корабли_проекта_24
http://works.tarefer.ru/16/100157/index.html
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/28 20:50
を加筆改修
二面図
(図No. faq220127bb1~2,引用元不明)
模型
305mm(406mm)主砲-主砲-130mm両用砲-両用砲の砲塔4個の背負い配置となっている
(図No. faq220127bb1~3)
2022.1.27追記
◆◆◆◆潜水艦
【質問】
第二次大戦中のソ連の潜水艦って,どんな物がありますか?
名前だけでもいいので教えて下さい.
【回答】
・1915年竣工のBudnov級Pantiera,
・米国から部品輸入し,1916~23年にかけて建造されたAG級のAG25,Kamanev,Lunakharskiy,Trockiy
が元々ありました.
加えて,1926年度海軍拡張計画で,
・1928~29年竣工のSeriesIが6隻(Dekabrist,Narodovolec,Krasnogvardeyec,Revolucyoner,Spartakovec,Yakobinec),
機雷敷設潜水艦として,
・1931年にSeriesIIが6隻(Leninec,Stalinec,Frunzovec,Garibaldyec,Charist,Karbonariy),
・1935~36年にSeriesXIが6隻(Voroshilovec,Dzherzhinec,Kirovec,L10,L11,L12),
・1937~38年にSeriesXIIIが7隻(L13~19),
・その改良型SeriesXIIIbisが6隻(L20~25).
沿岸用潜水艦として
・SeriesIIIが1930~31年に4隻(Shch301~304),
・1933~35年にSeriesVが19隻(Shch101~112,305~311),
・改良型のSeriesVbisが1934年に12隻(Shch113~121,201~203),
・更に改良型のSeriesVbis-2が1935年に9隻(Shch122~125,204~208).
・新型のSeriesXが1935~37年に19隻(Shch126~141,209~215,317~324,401~404,421~422,424),
・改良型のSeriesXbisが1939~47年に20隻(一部未竣工,工事中断有り;Shch135~138,216,405~411,以後は戦後竣工か工事中止/412~419).
航洋潜水艦のSeriesXIVが1934年に3隻(Pravda,Zvesda,Iskra).
小型潜水艦の
・SeriesVIが1933~34年に30隻(M1~28,M51~52),
・SeriesVIbisが1934~35年に18隻(M53~56,M71~86),
・SeriesXIIが1936~37年に3隻(M87~90),
・SeriesXIIbisが1937~41年に43隻(M30~36,M57~62,M91~122),
・SeriesXVが1940年と戦後竣工で14隻(M200~213).
中型潜水艦の
・SeriesIXが1935年に3隻(S1~3),
・SeriesIXbisが1936~47年に44隻(S4~24,31~37,45,51~57,101~108/23~24,36~37は戦後竣工,36~37,105~108までは未起工か破壊).
試験用潜水艦M400.
大型潜水艦として,
・SeriesXIVが1938~41年に12隻(K1~3,K21~23,K51~56).
他に
・Latviaから接収艦としてRonis,Spidola,
・Estoniaからの接収艦としてKalev,Lembit.
・英国から貸与されたものとして,U級のV1~V4.
・Romaniaからの賠償艦として,S3,S4,TS4.
これらが第二次大戦中のものです
眠い人 ◆gQikaJHtf2 :軍事板,2004/10/15
青文字:加筆改修部分
【質問】
第二次大戦時のソ連潜水艦隊は,どの程度戦局に寄与できたのか?
【回答】
第二次大戦前,ソ連首脳部は潜水艦および航空機を海軍の主力兵器と考えていた.
太平洋艦隊の潜水艦部隊は1932年に,
北方艦隊の潜水艦部隊は1933年に
それぞれ初めて創設された.いずれも旅団編成だった.
しかし,大戦では何ら寄与することができなかったどころか,
現役艦267隻の内,出撃艦は170隻のみ.
その内,
沈没81隻,
自沈8隻,
技術的な理由による退役8隻
など,惨澹たる有り様だったという.
詳しくは「世界の艦船」2005年7月号,p.80
& 84(A. V. Polutov著述)を参照されたし.
【質問】
第二次大戦において,ソ連海軍潜水艦は何故活躍できなかったのか?
【回答】
連続潜航時間,潜航深度,潜航秒時など,あらゆる面でドイツ潜水艦に劣り,ソナーを初めとする兵装は粗末で,教育システムの不備から人材が不足し,海軍には戦術や戦法に関する理論がなかったため.
詳しくは「世界の艦船」2005年7月号,p.80(A.
V. Polutov著述)を参照されたし.
【質問】
「D」型潜水艦って何?
【回答】
海軍力低下のため,艦艇新造の必要性を感じたソ連海軍首脳部が,1923年に新型潜水艦の開発を独断で(革命軍事評議会の承認を得ずに)決定した,ソ連海軍としては初の潜水艦.
1927年より,イタリアの援助の下,建造が始まり,船体はイタリアから輸入した図面を参照し,発動機はドイツ共和国のMAN社より輸入した鉄道用ディーゼルエンジンを参考とした.
533mm魚雷発射管×8,100mm対空機銃,45mm対空機銃各1.同型艦6隻.
しかし不具合が多く,旧式かつ沿岸用の小型潜水艦ということもあって,第二次大戦ではあまり活躍できなかった.
【参考ページ】
『Soviet Navy at War 1941-1945』(Przemyslav
Budzbon著,Arms and Armour Press)
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_s-d.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Dekabrist_class_submarine
http://ru.wikipedia.org/wiki/Подводные_лодки_серии_I_≪Декабрист≫
http://www.redstar.ru/2007/03/07_03/4_05.html
http://www.russianmuseums.info/M155
http://steelnavy.com/Combrig%20D2.htm
http://www.encspb.ru/en/article.php?kod=2804034369
D型潜水艦の写真
(http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_s-d.htmより引用)
現存するD型
(http://www.encspb.ru/en/bigimage.php?kod=2803994683より引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/23 20:20
を加筆改修
【質問】
潜水艦L型って何?
【回答】
1929年から24隻が建造されたソ連潜水艦です.
英国のL型潜水艦の発展型で,水中排水量 989t,水中速力
14 knot.
魚雷発射管6門を備えていました.
【質問】
潜水艦M-5型って何?
【回答】
1944~50年頃にかけて約70隻建造されたソ連潜水艦です.
1933年から建造されていたM型の最終改良型であり,水中排水量
350t,水中速力 13knot.
魚雷発射管×2を備えていました.
【質問】
潜水艦S型って何?
【回答】
戦前から1947年にかけて建造されたソ連潜水艦です.
ドイツ潜水艦1A型をモデルとして設計され,独ソ戦勃発時には38隻が就役していました.
水中排水量 786t,水中速力 19.5 knot,魚雷発射管×6.
【質問】
「Щ」型潜水艦って何?
【回答】
Щ(SC)型は,1930.1.23にソ連革命軍事評議会によって建造が決定され,1930年代初頭から順次建造された,ソ連海軍の小型潜水艦.
沿岸防御だけでなく,通商破壊や偵察なども任務の範疇となったため,航続距離を伸ばされている.
まず試作型としてIIIシリーズ4隻が建造され,引き続きVシリーズ(司令塔前後に機銃座を設けた),
Xシリーズ(司令塔が流線型となった.ただしX-bisでは艦橋形状は元に戻り,前部機銃座が上甲板へ移動した)と,改良を加えられながら建造されていった.
【参考ページ】
http://military.sakura.ne.jp/navy3/ur_s-sch.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Shchuka_class_submarine
http://ru.wikipedia.org/wiki/Подводные_лодки_типа_≪Щука≫
http://silentseawolvesmsw.devhub.com/blog/463965-shchuka-class-submarine/
Щ型潜水艦側面図
(http://silentseawolvesmsw.devhub.com/blog/463965-shchuka-class-submarine/より引用)
(写真)Щ-301(серии III)
(http://ru.wikipedia.org/wiki/Подводные_лодки_типа_≪Щука≫より引用)
【ぐんじさんぎょう】,2011/10/24 20:00
を加筆改修
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