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◆◆海軍
<◆大西洋・地中海方面 目次
<第2次世界大戦FAQ
Battleships Carriers and all other Warships(諸国海軍,リンク切れ)
『氷海のウラヌス』(赤城毅著)
モチーフから登場人物の設定まで,すべてが,どこかで読んだ本や,いつか見た映画のいいとこどり.
パッチワークさながらの物語では,人物の心理描写も戦闘シーンも,食い足らない出来にならざるを得ない.
何より気になるのが,やたら多用される日本語単語への,ドイツ原語のルビ.
作者は留学経験を持つドイツ近代史の研究者らしいが,知識のひけらかしもたいがいにせいや.
読みにくいこと,極まりない.
また,当時,ドイツは過酸化水素を用いた高速魚雷を開発,電池魚雷も7000m届いて,40knotクラスのタイプを実用化しつつあった.
そこへ酸素魚雷が,日本のお土産?
無意味であろう.
無意味すぎてどうにもならない根本的問題点が全体を拘束,技術が判る者から見たら噴飯モノの作品となっている.
――――――軍事板,2010/11/14(日)
青文字:加筆改修部分
「ワレYouTube発見セリ」:Carrier Operations
「ワレYouTube発見セリ」:War in the Atlantic
◆◆総記
【質問】
光栄の『第2次大戦海戦事典』を読んで以来,航空機よりも艦船にwktkするようになってしまった.
特に欧州の海戦とか.
歴史や政治から軍事に興味を持つようになったのに,なんか道を踏み外し始めているような気がする….
【回答】
おお,欧州海戦に興味とわ,うれしいかぎり!同志よ.
さあ,
サンケイ赤本「壮烈!ドイツ艦隊」
早川書房「海戦」ドナルド・マッキンタイア
早川文庫「U・ボート」「Uボートコマンダー」「イギリス潜水艦隊の死闘(上下)」
「バレンツ海海戦」「戦艦ビスマルクの最期」「駆逐艦キーリング」「女王陛下のユリシーズ」
「ラプラタ沖海戦」「ポケット戦艦」「高速戦艦脱出せよ!」「ティルピッツを撃沈せよ」「潜水艦戦争1939-1945(上下)」
「船団指揮官」「殊勲の駆逐艦」「戦艦レヴァイアサン」「巨大戦艦ビスマルク」
朝日ソノラマ「ドイツ海軍戦記」「第2次大戦海戦小史」「撃沈戦記1~4」
光人社NF文庫「死闘の海」「護衛空母入門」「輸送船入門」「戦時商船隊」「戦う民間船」「悲劇の輸送船」
「ドイツ海軍入門」「Uボート入門」
創元推理文庫「眼下の敵」
フジ出版「非情の海」「三隻の護送船」「呪われた海」
を探す作業に入るんだ!今すぐ!!
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板
青文字:加筆改修部分
個人的な好みから言うと,『ドイツ海軍入門』を外して『ヒトラーの戦艦』と入れかえて,ダグラス・リーマン物の『巡洋戦艦リライアント』と『大西洋,謎の艦影』を追加する.
後者は訳がアレだし,リーマンはパターンだけど(笑)
あと,『ドイツ海軍戦記』と『呪われた海』は同じ作者で,全く同じじゃないけど結構ネタ被ってる,ってのも教えておいてあげると親切かもしれないと思うんだ.
(積んであったバルバロッサの下に目を通しながら)
軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
大西洋の戦いを連合国視点で書いてものでは,どんな本がおすすめ?
【回答】
ロジャー・ヒル著『死闘の駆逐艦』
PQ17→ペデスタル→イタリア上陸→ノルマンディー→終戦後失業→沖仲仕という経歴を持つ英海軍少佐(正規)で駆逐艦艦長だった人の回想.
『海戦 連合軍対ヒトラー』まっきんたいあ「早川書房)
雰囲気だけなら以下もおすすめ
(船団護衛モノの海戦小説は良いのがいっぱい)
『非情の海』もんさらっと(フジ出版/再販:至誠堂)
『三隻の護送艦』もんさらっと(フジ出版)
『女王陛下のユリシーズ号』まくりーん(ハヤカワ)
『駆逐艦キーリング』ふぉれすたー(ハヤカワ)
『船団司令官』まかっちゃん(ハヤカワ)
『巡洋戦艦リライアント』りーまん(ハヤカワ)
『キャメロンの海戦〈1〉炎の駆逐艦』まかっちゃん(ハヤカワ)
軍事板ではユリシーズが鉄板の人気ですが,わたしはあえてキーリング派である事を表明します.
ユリシーズも好きですが,ちょっとお腹いっぱいの感があるので(笑)
まあ,最期が超燃えというのは文句ありませんが(笑)
大英帝国ばんじゃーい.
Lans ◆xHvvunznRc in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分
う~ん,あたしゃ,リーマン派だな.
そう言えば,ハーフハイドは結局中途半端に終わった様な.
後,ナポレオン戦争を扱ったシリーズも,エジプトに渡ったところで尻切れトンボだし.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分
中学生時にすべて読破した私に,隙はなかった(笑)
ゆうか ◆u8WC078ef5ch in 軍事板,2010/05/03(月)
青文字:加筆改修部分
【質問】
英ソ海軍協定の内容を教えられたし.
【回答】
一,ソ連は1936年ロンドンにて締結せられた新海軍条約の質的制限及び建艦通報条項を受諾す.
二,ソ連は主力艦2隻,甲級巡洋艦7隻の建造権を確保す.ただし甲級巡洋艦の備砲口径は6インチとなす.
三,ソ連は新ロンドン条約の不建造地帯を受諾し,甲級巡洋艦7隻以外に
8000t以上17500tの艦艇を建造せず.
四,日本が右の新条約(第2次ロンドン条約のこと)に参加しない限り,ソ連はその極東艦隊の排水量,備砲口径その他につき
何等制限を受けず.ただしソ連は新協定の質的制限を超過する艦艇を極東から欧州に回航せず.
出典は・・・忘れた(苦笑
多分,戦史叢書とかその辺りだったと思うけど.
【質問】
戦時中の客船航路はどうしていたのでしょうか?
朝鮮や満州への客船航路は運行されていたのでしょうか?
英米客船航路も護送船団に組み込まれていたのでしょうか?
【回答】
青函連絡船は1940年10月10日以後,客貨便4便,貨物便8便で合計12往復.
1943年3月以後は1日14往復で夜間航行まで行っています.
1944年4月以後は客貨便が4往復に削減され,貨物が14往復に増やされました.
更に1日21往復まで増やされましたが,1945年には第5青函丸が沈没,第9青函丸沈没で1日13往復に落ち込み,7月14~15日の空襲により,第7,第8青函丸以外の連絡船が撃沈され,以後は1日6往復も難しくなります.
関釜連絡船は,1939年7月に1日3往復(夜間便1往復)の旅客便と2往復プラス臨時便の運行が行われていました.
1941年4月には貨物便は新型船就航で1往復に集約されました.
1942年11月からは便数はそのままですが,時刻が変更となり,1943年7月からは博多~釜山航路が補助航路として1往復開設されます.
以後,時刻などは変更されませんが,10月に崑崙丸が撃沈され,1945年4月には興安丸が触雷,新羅丸,金剛丸が運行不能や撃沈され,6月20日以後は,関釜,博釜の両航路とも事実上運航停止となります.
稚泊連絡船は1941年12月以降,1往復が維持されていたものの1945年8月にソ連軍が侵攻した為,8月23日までに宗谷丸が3往復し,24日に航路が閉鎖されました.
その他の外洋航路は船がないので,次第に縮小され,1945年以後は全く運行されていません.
因みに米国や英国の場合は,護送船団ではなく,独航船で運行することが多かったりしています.
また,米国では人員輸送用に戦時標準船形の客船を建造し,師団を一気に輸送したりしています.
後,スウェーデンとドイツなどのバルト海航路,ポルトガルやスペイン本国と自国植民地の航路は連合国や枢軸国の了承の下,運航されています.
この場合,船腹に大きく中立国の国旗を描き,夜間も灯火を赤々と付けた形での航行です.
こうした経路で,英国や米国から引き揚げた日本の外交官が,欧州に赴任するケースもあったりしました.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
独航とはつまり,英米や米仏といった民間人用の大西洋客船航路はWW2中も中断されなかったという認識でよろしいのでしょうか?
また,上記の船でUボートに撃沈されたことはあったのでしょうか?
【回答】
あ,書き方悪かったですね.
民間人用の客船航路としては,既に閉鎖されています.
米国から英国などに行く民間人は,政府とか産業関係の人々が多く,民間人は軍属とかにでも成らない限り,行くことが出来ません.
大戦後期では,そう言った人々は航空機(C-54やランカストリアンなど)での輸送も行われたりしていますが.
なお,中立国から交戦国に行く航路は一応生きています.
日本が太平洋戦争に参戦していない時代,英国やイタリアから日本に向けて航海する航路は維持出来ていました.
1940年11月に最後の日英航路の船舶が運航されています.
また例えば,1941年まではスウェーデンから米国に行く航路がありますが,亡命者達の需要には全く応えられません.
スウェーデンでは数千人の亡命者に対し,数隻の船に数席の客席しかない状態でした.
南米なら少しだけ余裕はありましたが,それでもプラチナチケットであることには変り有りません.
連合国の船で,独航船で撃沈されたのは,U32に撃沈されたエンプレス・オブ・ブリテンが最大の船ですね.
1940年にFw-200によって損傷を受け,その後,連絡を受けたU32が3本の魚雷で沈めたのがあります.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
WW2で連合国並びに中立国が喪失した船舶の推移を教えられたし.
【回答】
レオンス=ペイヤール「大西洋戦争」を出典として
北大西洋 南大西洋 イギリス周辺 その他 合計
1939年9月 10万4829トン( 19隻),
5051トン( 1隻), 8万4965トン(33隻),
0トン( 0隻),19万4845トン(53隻)
1939年10月 11万0619トン( 18隻), 2万2368トン( 4隻),16万3368トン(24隻),
0トン( 0隻),19万6355トン(46隻)
1939年11月 1万7895トン( 6隻),
0トン( 0隻),15万6374トン(44隻),
0トン( 0隻),17万4269トン(50隻)
1939年12月 1万5852トン( 4隻), 2万1964トン( 3隻),15万2952トン(65隻),
0トン( 0隻),19万0768トン(72隻)
1940年1月 3万5970トン( 9隻),
0トン( 0隻),17万8536トン(65隻),
0トン( 0隻),21万4506トン( 73隻)
1940年2月 7万4759トン( 17隻),
0トン( 0隻),15万2161トン(46隻),
0トン( 0隻),22万6920トン( 63隻)
1940年3月 1万1215トン( 2隻),
0トン( 0隻), 9万5794トン(43隻),
0トン( 0隻),10万7009トン( 45隻)
1940年4月 2万4570トン( 4隻),
0トン( 0隻),13万3648トン(54隻),
0トン( 0隻),15万8218トン( 58隻)
1940年5月 4万9087トン( 9隻),
6199トン( 1隻),23万0607トン(90隻),
2568トン( 1隻),28万8461トン(101隻)
1940年6月 29万6529トン( 53隻),
0トン( 0隻),20万8924トン(77隻), 8万0043トン( 10隻),58万5496トン(140隻)
1940年7月 14万1474トン( 28隻), 3万1269トン( 6隻),19万2331トン(67隻), 2万1839トン( 4隻),38万6913トン(105隻)
1940年8月 19万0048トン( 39隻),
0トン( 0隻),16万2956トン(45隻), 4万4225トン( 8隻),39万7229トン( 92隻)
1940年9月 25万4553トン( 52隻), 1万7801トン( 1隻),13万1150トン(39隻), 4万5117トン( 8隻),44万8621トン(100隻)
1940年10月 28万6644トン( 56隻),
0トン( 0隻),13万1620トン(43隻), 2万4721トン( 4隻),44万2985トン(103隻)
1940年11月 20万1341トン( 38隻),
0トン( 0隻), 9万2713トン(48隻), 9万1661トン( 11隻),38万5715トン( 97隻)
1940年12月 23万9304トン( 42隻),
0トン( 0隻), 8万3308トン(34隻), 2万6956トン( 6隻),34万9568トン( 82隻)
1941年1月 21万4382トン( 42隻), 5万8585トン(17隻), 3万6975トン(15隻), 1万0298トン( 2隻),32万0240トン( 76隻)
1941年2月 31万7378トン( 69隻),
0トン( 0隻), 5万1381トン(26隻), 3万4634トン( 7隻),40万3393トン(102隻)
1941年3月 36万4689トン( 63隻),
0トン( 0隻),15万2862トン(73隻), 1万2155トン( 3隻),52万9706トン(139隻)
1941年4月 26万0451トン( 45隻), 2万1807トン( 3隻), 9万9031トン(40隻),30万6612トン(107隻),68万7901トン(195隻)
1941年5月 32万4550トン( 58隻), 1万1339トン( 2隻),10万0655トン(99隻), 7万4498トン( 20隻),51万1042トン(139隻)
1941年6月 31万8740トン( 68隻), 1万0134トン( 2隻), 8万6381トン(34隻), 1万6770トン( 5隻),43万2025トン(109隻)
1941年7月 9万7813トン( 23隻),
0トン( 0隻), 1万5265トン(18隻),
7897トン( 2隻),12万0975トン( 43隻)
1941年8月 8万3661トン( 25隻),
0トン( 0隻), 1万9791トン(11隻), 2万7238トン( 5隻),13万0699トン( 41隻)
1941年9月 18万4593トン( 51隻), 1万5526トン( 2隻), 5万4779トン(18隻), 3万1091トン( 8隻),28万5942トン( 84隻)
1941年10月 15万4593トン( 32隻),
5297トン( 1隻), 3万5996トン(12隻), 2万2403トン( 6隻),21万8289トン( 51隻)
1941年11月 5万0215トン( 10隻),
4953トン( 1隻), 3万0332トン(20隻), 1万9140トン( 4隻),10万4640トン( 35隻)
1941年12月 5万0682トン( 10隻),
6275トン( 1隻), 5万6845トン(19隻),46万9904トン(255隻),58万3706トン(285隻)
1942年1月 27万6795トン( 48隻),
0トン( 0隻), 1万9341トン(14隻),12万3771トン( 44隻),41万9907トン(106隻)
1942年2月 42万9891トン( 73隻),
0トン( 0隻), 1万1098トン( 5隻),23万8643トン( 76隻),67万9632トン(154隻)
1942年3月 53万4064トン( 95隻), 1万3125トン( 3隻), 1万5147トン( 8隻),27万1828トン(167隻),83万4164トン(273隻)
1942年4月 39万1044トン( 66隻), 4万8177トン( 8隻), 5万4589トン(14隻),18万0647トン( 44隻),67万4457トン(132隻)
1942年5月 57万6350トン(120隻),
9081トン( 2隻), 5万9396トン(14隻), 6万0223トン( 15隻),70万5050トン(151隻)
1942年6月 62万3545トン(124隻), 2万6287トン( 4隻),
2655トン( 5隻),18万1709トン( 40隻),83万4196トン(173隻)
1942年7月 48万6965トン( 98隻), 2万3972トン( 3隻), 2万2557トン( 9隻), 8万4619トン( 18隻),61万8113トン(128隻)
1942年8月 50万8426トン( 96隻), 3万5494トン(10隻),
トン( 0隻),11万7213トン( 17隻),66万1133トン(123隻)
1942年9月 47万3585トン( 95隻), 5万7797トン( 7隻),
1892トン( 1隻), 3万4053トン( 11隻),56万7327トン(114隻)
1942年10月 39万9715トン( 62隻),14万8142トン(20隻), 1万2733トン( 6隻), 7万7243トン( 13隻),63万7833トン(101隻)
1942年11月 50万8707トン( 83隻), 5万8662トン(10隻),
6363トン( 5隻),23万4022トン( 36隻),80万7754トン(134隻)
1942年12月 26万2135トン( 46隻), 4万3496トン( 8隻),
9114トン(10隻), 3万6386トン( 11隻),35万1131トン( 75隻)
1943年1月 17万2691トン( 27隻), 1万5819トン( 4隻), 1万6116トン( 3隻), 5万6733トン( 16隻),26万1359トン( 50隻)
1943年2月 23万8625トン( 46隻),
4925トン( 2隻), 2万1656トン( 4隻), 8万7856トン( 21隻),40万3062トン( 73隻)
1943年3月 47万6349トン( 82隻),
884トン( 2隻), 6万1462トン( 8隻),15万4694トン( 28隻),69万3389トン(120隻)
1943年4月 23万5478トン( 39隻),
9926トン( 5隻), 7129トン( 1隻), 9万2147トン( 19隻),34万4680トン( 64隻)
1943年5月 16万3507トン( 34隻),
1568トン( 1隻), 4万0523トン( 6隻), 9万3830トン( 17隻),29万9428トン( 58隻)
1943年6月 1万8379トン( 4隻),
149トン( 1隻), 1万1587トン( 3隻), 9万3710トン( 20隻),12万3825トン( 28隻)
1943年7月 12万3327トン( 18隻),
72トン( 1隻), 6万4478トン(11隻),17万7521トン( 31隻),36万5398トン( 61隻)
1943年8月 1万0186トン( 2隻),
19トン( 1隻), 1万5368トン( 2隻), 9万4228トン( 20隻),11万9801トン( 25隻)
1943年9月 4万3775トン( 8隻),
0トン( 0隻), 1万0770トン( 3隻),10万1874トン( 18隻),15万6419トン( 29隻)
1943年10月 5万6422トン( 12隻),
0トン( 0隻), 4663トン( 1隻), 7万8776トン( 16隻),13万9861トン( 29隻)
1943年11月 2万3077トン( 6隻), 1万3036トン( 7隻),
4573トン( 1隻),10万3705トン( 15隻),14万4391トン( 29隻)
1943年12月 4万7785トン( 7隻),
6086トン( 1隻), 0トン( 0隻),11万4653トン( 23隻),16万8524トン( 31隻)
1944年1月 3万6065トン( 5隻),
0トン( 0隻), 6944トン( 3隻), 8万7626トン( 13隻),13万0635トン( 26隻)
1944年2月 1万2577トン( 2隻),
0トン( 0隻), 4051トン( 3隻),10万0227トン( 18隻),11万6855トン( 23隻)
1944年3月 3万6867トン( 7隻),
4695トン( 1隻), 0トン( 0隻),11万6398トン( 17隻),15万6398トン( 25隻)
1944年4月 3万4224トン( 5隻), 1万3539トン( 2隻),
468トン( 1隻), 3万4141トン( 5隻), 8万2372トン( 13隻)
1944年5月 0トン( 0隻), 1万7277トン( 3隻),
0トン( 0隻), 1万0020トン( 2隻), 2万7297トン( 5隻)
1944年6月 4294トン( 2隻),
3268トン( 1隻), 7万5166トン(19隻), 2万1356トン( 4隻),10万4084トン( 26隻)
1944年7月 1万5480トン( 2隻), 1万4062トン( 2隻), 1万9038トン( 8隻), 3万0176トン( 5隻), 7万8756トン( 17隻)
1944年8月 5685トン( 1隻),
0トン( 0隻), 5万4834トン(12隻), 5万7785トン( 10隻),11万8304トン( 23隻)
1944年9月 1万6535トン( 3隻),
0トン( 0隻), 2万1163トン( 3隻),
7107トン( 2隻), 4万4805トン( 8隻)
1944年10月 0トン( 0隻),
0トン( 0隻), 1722トン( 2隻),
9946トン( 2隻), 1万1668トン( 4隻)
1944年11月 7828トン( 3隻),
0トン( 0隻), 8880トン( 3隻), 2万1272トン( 3隻), 3万7980トン( 9隻)
1944年12月 5458トン( 1隻),
0トン( 0隻), 8万5639トン(18隻), 4万3816トン( 7隻),13万4913トン( 26隻)
1945年1月 2万9168トン( 5隻),
0トン( 0隻), 4万6553トン(12隻),
7176トン( 1隻), 8万2897トン( 18隻)
1945年2月 3万2453トン( 5隻),
7136トン( 1隻), 4万8551トン(19隻),
7176トン( 1隻), 9万5316トン( 26隻)
1945年3月 2万3684トン( 3隻),
3656トン( 1隻), 8万3864トン(23隻),
0トン( 0隻),11万1204トン( 27隻)
1945年4月 3万2071トン( 5隻),
0トン( 0隻), 4万9619トン(14隻), 2万2822トン( 3隻),10万4512トン( 22隻)
1945年5月 5353トン( 1隻),
0トン( 0隻), 4669トン( 2隻),
7176トン( 1隻), 1万7198トン( 4隻)
1945年6月 0トン( 0隻),
0トン( 0隻), 0トン( 0隻), 1万8615トン( 2隻), 1万8615トン( 2隻)
1945年7月 0トン( 0隻),
0トン( 0隻), 39トン( 2隻),
7198トン( 1隻), 7237トン( 3隻)
1945年8月 0トン( 0隻),
0トン( 0隻), 36トン( 1隻),
1806トン( 2隻), 1842トン( 3隻)
ゆうか ◆9a1boPv5wk
【質問】
WW2における船舶喪失推移を,原因別にて教えられたし.
【回答】
レオンス=ペイヤール「大西洋戦争」を出典として
1939年
潜水艦 42万1156トン(114隻)
飛行機 2949トン( 10隻)
機雷 26万2542トン( 78隻)
軍艦 6万1337トン( 15隻)
襲撃艦 0トン( 0隻)
その他 7253トン( 4隻)
合計 75万6237トン(221隻)
1940年
潜水艦 218万6158トン(471隻)
飛行機 58万0074トン(192隻)
機雷 50万9889トン(201隻)
軍艦 9万6986トン( 17隻)
襲撃艦 36万6644トン( 54隻)
その他 25万1890トン(124隻)
合計 399万1641トン(1059隻)
1941年
潜水艦 217万1754トン(432隻)
飛行機 101万7422トン(371隻)
機雷 23万0842トン(111隻)
軍艦 20万1823トン( 40隻)
襲撃艦 22万6527トン( 44隻)
その他 48万0190トン(301隻)
合計 432万8558トン(1299隻)
1942年
潜水艦 626万6215トン(1160隻)
飛行機 70万0020トン(146隻)
機雷 10万4588トン( 51隻)
軍艦 13万0461トン( 31隻)
襲撃艦 19万4625トン( 30隻)
その他 39万4788トン(246隻)
合計 779万0697トン(1664隻)
1943年
潜水艦 258万6905トン(463隻)
飛行機 42万4411トン( 76隻)
機雷 10万8658トン( 37隻)
軍艦 0トン( 0隻)
襲撃艦 4万1848トン( 5隻)
その他 5万8315トン( 16隻)
合計 322万0137トン(597隻)
1944年
潜水艦 77万3327トン(132隻)
飛行機 12万0656トン( 19隻)
機雷 9万5855トン( 28隻)
軍艦 7840トン( 1隻)
襲撃艦 0トン( 0隻)
その他 4万7951トン( 25隻)
合計 104万5629トン(205隻)
1945年
潜水艦 28万1716トン( 56隻)
飛行機 4万4351トン( 6隻)
機雷 9万3663トン( 28隻)
軍艦 0トン( 0隻)
襲撃艦 0トン( 0隻)
その他 1万9091トン( 15隻)
合計 43万8821トン(105隻)
ゆうか ◆9a1boPv5wk
【質問】
ドイツ海軍とソ連海軍の水上艦が交戦した例はないんですか?
【回答】
1941年6月27日に駆逐艦ストロジェヴォイが魚雷艇S31と交戦し,魚雷1本を受け艦首を失う.
1941年7月27日,駆逐艦スメルイが魚雷艇S54と交戦し,雷撃で撃沈.
▼1943年1月,駆逐艦トビリシとバクーが敷設艦スカゲラックと掃海艇2隻と短時間交戦.
1943年1月,ヴァドソー沖海戦(別項参照)▲
といった例がある.
眠い人 ◆gQikaJHtf2 in 軍事板
青文字:加筆改修部分
【質問】
ドイツ軍のポーランド侵攻時,ポーランド海軍はどんなことをしていたのですか?
【回答】
その前の1939.11.18には,英ポ海軍協定が結ばれていた.
これは,乗員の階級や軍規などはそのまま維持されるものの,ポーランド海軍艦艇は英軍の指揮下に入るというものだった.
そしてドイツ軍がデンマークやノルウェーに侵攻すると,ポーランド艦艇の主力は英海軍と合流し,開戦後には潜水艦も脱出してきて,自由ポーランド海軍を編成することとなった.
山崎『ポーランド電撃戦』,p266-267より.
――――――
ポーランド海軍は,総員三一〇〇人の将兵と,駆逐艦四隻と潜水艦五隻,掃海艇六隻,機雷敷設艦一隻などで構成されていたが,大型の主力艦(戦艦や巡洋艦)を持たず,ドイツ海軍に正面から水上戦を挑む能力を有してはいなかった.
そして,保有する四隻の駆逐艦のうち,フランス製のブルザ(嵐)と,国産のグロム(雷光)およびヴリスカヴィツァ(電光)の三隻は,開戦直前の八月三十日に,英海軍と合流するためにグディニアを出港し,デンマーク海峡へと向かっていた.
ポーランド海軍は,ドイツ海軍に緒戦で撃滅されるのを避けるため,最も重要な艦(駆逐艦)の大半をイギリスに逃がすという,苦渋の決断を強いられていた>のである.
――――――
また,Wikipediaの「ペキン作戦」の項目にはこう書かれている.
――――――
ペキン作戦はポーランド海軍の駆逐艦3隻をイギリスへ脱出させるという作戦である.
ドイツとの戦争になった場合,バルト海にいては容易にドイツ軍によって沈められてしまうと思われることからこの作戦が立案された.
ドイツ軍によるポーランド侵攻の直前に駆逐艦ブルザ,ブリスカヴィカ,グロムの3隻がポーランドを離れ,イギリスへ無事に着いた.
3隻の駆逐艦は1939年8月30日の14時15分>にポーランドを離れた.
――――――
軍事板,2010/04/22(木)
青文字:加筆改修部分
【質問】
CVやDDみたいな艦記号は,アメリカ以外では使われていなかったのですか?
【回答】
隻数の少ないドイツはもとより,英国,日本でも一部の艦にしかそうした艦種記号は適用されていません.
英国の場合は,集団機動する駆逐艦にHとかDと言う記号と番号が振られていました.
日本の場合も,略号として或る程度使っていた様ですが,一般的ではありませんでした.
英国については,戦後に復活し,空母は,R+数字,巡洋艦がC+数字,駆逐艦がD+数字,フリゲートがF+数字,
潜水艦がS+数字,敷設艦がN+数字,掃海艦艇がM+数字,哨戒艦艇がP+数字,揚陸艦艇がL+数字,その他,A,K,Yなどが特務艦に割り当てられています.
但し,数字については,適当に振っているので,例えば,R05はInvincibleに適用されていたのですが,これは元々Eagleに割り当てられたものだったりします.
眠い人 ◆gQikaJHtf2
【質問】
第二次世界大戦時のソ連海軍について質問です.
WW2のソ連陸軍や空軍の活躍は有名ですが,一方で海軍が活躍したという話は聞きません.
そこで聞きたいのですが,当時のソ連海軍の規模や参加した戦いについて教えてください.
【回答】
https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_Navy#World_War_II:_The_Great_Patriotic_War
によれば,開戦時のソ連海軍兵力は以下の通り.
The composition of the Soviet fleets in 1941 included:[7]
3 aged battleships,
7 cruisers (including 4 modern Kirov-class heavy cruisers),
59 destroyer-leaders and squadron-destroyers (including 46 modern Type 7 and Type 7U destroyers),
218 submarines,
269 torpedo boats,
22 patrol vessels,
88 minesweepers,
77 submarine-hunters,
and a range of other smaller vessels.
第二次大戦時には艦隊の主力はバルト海と黒海に置かれていたが,バルト海の艦隊は独ソ戦開戦時にエストニアのタリンからクロンシュタット軍港に,空爆で大きな損害を出しながら退避し,以後レニングラード封鎖によってほとんど活動していない.
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6)
黒海の艦隊も,母港にしていたセバストポリからカフカスに退避する際に,やはり爆撃により大損害を出している.
これらの大損害によりスターリンは大型艦艇の運行に大きな制限を加え,第二次大戦時のソ連海軍の活動は非常に丁重なもので,乗員をソ連版海兵隊である「海軍歩兵」に組み込むといった形で戦っていた.
大戦末期には潜水艦の活動が活発化し,1945年4月にはバルト海で避難民を乗せた客船ヴィルヘルム・グストロフ号を撃沈しており,一万人近い犠牲者を出した史上最悪の海難事故として歴史に残っている.
他には艦砲射撃で対地援護ぐらいはしていてたようではある.
軍事板,2015/11/03(火)
青文字:加筆改修部分
◆◆◆◆ルーマニア海軍
【質問 kérdés】
ルーマニア海軍の艦艇を教えてください.
Kérem, mondja a román haditengerészet hajóiról.
【回答 válasz】
ルーマニアはイタリア製の小型偵察巡洋艦Marasti級を二隻(マラシュティ,マラシェシュティ)保有していました.
実質は駆逐艦だけどね.
後は
・イタリア製のRegele Ferdinand級駆逐艦が2隻(レヂェーレ・フェルディナンド,レヂーナ・マリーア)
・機雷敷設艦1隻(アミラル・ムルヂェスク).
・元客船で水上機母艦,のちに機雷敷設艦となった「レジエレ・カロル」
・旧オーストリア=ハンガリー海軍の74T型水雷艇「シュボル」
・ドイツ供与の魚雷艇4隻(1~4号)
・1943年にイタリアから鹵獲したMAS型魚雷艇7隻
・イタリア製潜水艦1隻(デルフィヌル)
・大戦中に竣工した国産潜水艦「レキヌル」「マルスィヌル」
・1943年に鹵獲したイタリア海軍の潜航艇CB型5隻(1~4号,6号)
等とそこそこ有力.
眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/06/30
青文字:加筆改修部分 2019.11.25
さて,ルーマニアの国内にはタニューヴ(ドナウ)河が流れている.
かなりの大河なのと,隣国マジャルにも有力な河川艦隊があったので,ルーマニアは対抗上,相当有力な河川艦隊を有していた.
Monitor(Monitoare)は4クラス,8隻保有している.
このうち3隻は旧二重帝国から接収した物.
まずは,1915年竣工のBucovina.
これは,旧名をSavaと言い,541tと大型だった.
武装は,12cm45口径連装砲を前部に1門,同じく前部に12cm10口径榴弾砲を並列にCupola砲塔に装備,
これに加えて,後部には66mm連射高射砲塔を備え,中間に47mm砲2門,機銃6丁を持つ.
当然,砲はシュコダ製である.
これだけ大型なので,勿論装甲があり,50~25mmの装甲を持っていた.
同じ排水量ながら,計画年度が少し早いのがBasarabia(旧名Inn).
12cm10口径榴弾砲は3門となり,後部にも装備し,高射砲は無く,機関銃は9丁に増強されている.
もう一隻が,1904年竣工のArdeal(旧名Temes).
この艦名はルーマニア語で言う,Transylvaniaらしい.
排水量443t,武装は,12cm35口径連装砲1門,8.8cm高角砲1門,47mm砲2門と機関銃2丁.
1916年に改造されている.
最後は国産艦で,Ion C, Bratianu,Mihail Kogalniceanu,Alexandru Lavovari,Lascar
Catagiu の4隻が,1907~08年にオーストリアで竣工している.
排水量は670t,12cm35口径単装砲を前方に並列に2門,後部に1門有し,76mm高射砲1門をデッキに備え,47mm砲2門と機関銃2丁を有していた.
これらはいずれも19世紀のルーマニアの政治家だとか.
なお,「ミハイル・コガルニセアヌ」は沿岸部でも作戦可能だった.
掉尾を飾るのは河川用哨戒艇で,1913~14年竣工の二重帝国海軍82号,83号魚雷艇が,Naluca,Smeulとして,海上から河川上に河岸を換えている.
とは言え,流石に魚雷発射管は撤去してますが.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.m.wikipedia.org/wiki/List_of_main_Romanian_Navy_warships_of_World_War_II
https://www.naval-encyclopedia.com/ww2/romanian-navy
https://www.worldwar2.ro/organizare/?article=25
https://www.navy.ro/despre/organizare/flotila_56/istoric_en.php
眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2003/02/21
青文字:加筆改修部分 2019.11.25
>Ardeal級砲艦
コレでつか?
http://www.hszk.bme.hu/~vb021/temes-eng.html
向こうの分類ではモニター扱いなのですね
軍事板,2003/02/23
青文字:加筆改修部分 2019.11.25
https://www.youtube.com/watch?v=ECKDKNNMPic
【質問 kérdés】
ルーマニア海軍もあまり積極的に動かずに,船団の護衛任務等を中心に活動していたようですが,ソ連の潜水艦を沈めたりもしているから,一応はそれなりに仕事を果たしたといっていいのでしょうか?
【回答 válasz】
果たしたと言える.
一見不活発に見えるのが,黒海において敵となるソ連海軍が温存策をとったためで,主力艦級同士の海戦は一度(コンスタンツァ襲撃戦,1941.6.26)しか起こっていない.
(もっともルーマニア側も最新鋭駆逐艦2隻については,コンスタンツァ軍港防衛のため温存策をとったが)
他は船団護衛や機雷戦,揚陸作戦が主だった.
機雷戦は特に大きな戦果を挙げ,ソ連海軍潜水艦11~12隻を沈めたと見られている.
一方,ルーマニア海軍側も機雷で魚雷艇2隻を失っているが.
作戦規模として最も大きなものは1944年4~5月のクリミア撤退戦で,ルーマニアの駆逐艦・偵察巡洋艦全てが船団護衛に参加.
ドイツ・ルーマニア両海軍は3万人を輸送し,この作戦によりルーマニア海軍司令官ホリャ・マチェラリウ少将は騎士鉄十字章を授与されている.
軍事板,2002/07/06
青文字:加筆改修部分, 2019.11.28
【質問 kérdés】
アミラル・ムルヂェスク級機雷敷設艦兼護衛艦について教えてください.
Kérem, mondja meg Amiral Murgescu osztály aknaréteg és kísérőhajóról.
【回答 válasz】
1938~39年にかけて起工されたルーマニア海軍の機雷敷設艦兼護衛艦.
1938年8月1日,アミラル・ムルヂェスク起工.
1939年にはチェタテ・アルバ Cetatea Albă が起工されたが,この2番艦は早い段階で建造中止となり,ドイツのブローム・ウント・ヴォス造船所に移管.
1940年に竣工している.
竣工後どうなったかは,google検索レベルでは判明しなかった.
3~4番艦は起工前に建造中止.
結局,1番艦だけが就役し,第二次世界大戦に参加.
黒海沿岸防衛のため,昨今話題のズミイヌイ島周辺も含めて,他の機雷敷設艦と共に機雷敷設を行ったほか,船団護衛に従事.
この機雷によってソ連海軍のキーロフ級軽巡洋艦「ヴォロシーロフ」が損傷,レニングラード級駆逐艦「モスクワ」,潜水艦4隻(Shch-213、M-25、M-34、Shch-208)が沈没,ついでに1943年にはドイツのRボート「R-36」も沈没するという戦果を挙げた.
加えて対空戦闘でも12機撃墜を記録しており,第二次大戦のルーマニア艦艇中最も活躍した艦となり,1944年5月29日には,同艦に対してルーマニア星勲章とルーマニア王冠勲章が授けられている.
1944年9月8日,ソ連軍が鹵獲し,1988年,除籍・解体された.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://wikiazaz.top/wiki/romanian_naval_forces
https://vasile-giurgiu.blogspot.com/2018/07/capitolul-unde-aflam-cate-ceva.html
https://www.smmmfn.ro/pages/img/media/revista_poseidon/Poseidon_2016_003_44p_web.pdf
1枚目:カラー2面図
2~4枚目:写真
(図No. faq220712am1~4,こちらより引用)
mixi, 2022.7.13
【質問 kérdés】
「M」型駆逐艦について教えてください.
Kérem, mondja meg "M" típus Rombolóról.
【回答 válasz】
1913年にルーマニアがイタリアに発注した駆逐艦で,「マラシュティ」「マラシェシュティ」の2隻.
保有艦艇が旧式艦ばかりなことを憂慮したルーマニアは1913年,駆逐艦4隻をイタリアにあるナポリのパティソン社へ発注.
当初それらはヴィフォール,ヴィスコル,ヴルテージュ,ヴィジェリェと命名された.
だがそこに第一次大戦勃発.
1915年,建造中のこれら4隻をイタリア海軍は接収し,「アクイラ」「ファルコ」「ニッビオ」「スパルヴィエロ」と改名.
艦名ばかりでなく艦種も,当時のイタリア駆逐艦より大型で大口径主砲を装備していたことから軽偵察艦と類別し直した.
4隻は幸いにも全て大戦を生き残り,戦後の1920年,ルーマニアはそのうち2隻を返還.
「ニッビオ」→「マラシュティ」
「スパルヴィエロ」→「マラシェシュティ」
と改名された.
4隻全てを取得しなかったのは,おそらく財政上の問題からだろう.
1925~26年,イタリアにて大改装を実施し,武装を一新.
第二次大戦中は,「レジェーレ・フェルディナンド」級駆逐艦2隻と共に駆逐艦隊を編成.
主に船団護衛に従事した他,機雷敷設任務などにも携わった.
1943年7月7日,「マラシェシュティ」がソ連潜水艦M31を撃沈した.
1944年4月,クリミアへの補給船団を護衛中,「マラシュティ」が座礁して航行不能となり,以後終戦までコンスタンツァ軍港に係留.
同年8月20日,「マラシェシュティ」がコンスタンツァにてソ連空軍の空襲により損傷.
同年8月30日,コンスタンツァに侵攻してきたソ連軍によって両艦は鹵獲さる.
同年9月14日にルーマニアが降伏すると,マラシュティ級は戦利艦として正式にソ連艦隊編入.
「マラシュティ」→「ローフキィ」
「マラシェシュティ」→「リョーフキィ」
と改名された.
1946年,両艦はルーマニアに返還.
艦名はD11,D12に改名.
しかし既に旧式艦となっていた為,練習艦として用いられ,1963年に予備艦.
その後,スクラップとなった.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://www.rumaniamilitary.ro/distrugatoarele-de-tip-m-marasesti-si-marasti
https://rnhs.info/distrugatoarele-de-tip-m-marasesti-si-marasti/
https://historia.ro/sectiune/general/distrugatoarele-romaniei-asii-marinei-care-au-575598.html
1枚目:1920年代の近代化改装後の「Mărăşti」:
2枚目:1939年ごろのものと思われる「Mărăşti」
(図No. faq220709ms2~3,こちらより引用)
3枚目:冬の黒海を航行するマラシュティ級
(図No. faq220709ms,こちらより引用)
mixi, 2022.7.9
【質問】
「レジェーレ・フェルディナンド」級駆逐艦について教えてください.
【回答】
ルーマニア海軍が「マラシュティ」級駆逐艦に続き,イタリア・ナポリのパティソン社へ発注した駆逐艦.
設計はソニークロフト社で,英国のShakespeare級嚮導駆逐艦をタイプシップに,同社のナポリの造船所で建造されました.
同型艦は「レジェーレ・フェルディナンド Regele Ferdinand」「レジーナ・マリーア Regină Maria」の2隻.
共に1927年に起工し,共に1930年に就役.
砲はボフォースの12cm50口径砲,7.6cm高角砲,40mm機関砲もボフォース製,射撃指揮装置はジーメンス社製を装備してます.
後に対空砲を改めて,40mm砲をラインメタルの37mm砲とオチキス13.2mm機関銃にし,イタリア式の爆雷投射機を装備し,13.2mm機関銃は20mm砲に換装され,7.6cm砲は撤去,
更に12cmA砲は損傷修理の際,8.8cm両用砲と換装されています.
ルーマニア海軍の温存政策で,「レジェーレ・フェルディナンド」は「レジーナ・マリーア」と共に,主としてボスポラス~コンスタンツァ,コンスタンツァ~クリミアの船団護衛任務に就きました.
このとき「レジェーレ・フェルディナンド」は,1941年12月17日に爆雷攻撃でソ連潜水艦M-59を撃沈しています.
「レジーナ・マリーア」も主に船団護衛に従事しましたが,1941年6月26日,ソ連の嚮導駆逐艦「モスクワ」「ハリコフ」がコンスタンツァ砲撃を行った際,「レジーナ・マリーア」は駆逐艦「マラシュティ」「アミラル・ムルヂェスク」や沿岸砲部隊と共にソ連駆逐艦に反撃.
この戦闘中によりモスクワは爆沈しました.
また,1941年11月4日にはソ連潜水艦M-58を撃沈しています.
1944年4月,セヴァストーポリにて枢軸軍が包囲されると,海上からの撤退の輸送船団を共に護衛.
この撤退戦では5月11日,「レジェーレ・フェルディナンド」が空襲により燃料系を損傷.
コンスタンツァまで曳航されました.
同年8月20日,コンスタンツァ空襲により,「レジェーレ・フェルディナンド」は軽微な損傷を受けました.
同年8月29日,コンスタンツァにてソ連軍が共に鹵獲.
1945年9月14日にルーマニアが降伏すると,共に戦利艦としてソ連海軍が編入し,艦名も「リホーイ Лихой (「勇猛果敢な」という意味)」「レトゥーチイ
Летучий(「空飛ぶ」という意味)」と改称.
1951年7月3日,共にソ連海軍を除籍され,ルーマニアに返還.
共にD21, D22と改名されました.
共に1950年代末に退役し,共に1961年に除籍.
最後まで運命を共にした2隻でした.
ところで,今月発売の学研の仮想戦記「デュアル・パシフィック・ウォー」の最終巻に,やられ役ですが「レジェーレ・フェルディナンド」が出てきますた.
マラート級戦艦相手には役不足だろうと,突っ込みながら読んでました.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.wikipedia.org/wiki/Regele_Ferdinand-class_destroyer
http://www.ligamilitarilor.ro/istorie-militara/distrugatorul-nms-regele-ferdinand-timpul-celui-de-al-doilea-razboi-mondial/
http://www.ligamilitarilor.ro/istorie-militara/distrugatorul-nms-regina-maria-cel-de-al-doilea-razboi-mondial/
1枚目:「レジェーレ・フェルディナンド」
(図表No. faq191201rf,こちらより引用)
2枚目:「レジーナ・マリーア」
(図表No. faq191201rm,こちらより引用)
眠い人 ◆ikaJHtf2 : 軍事板,2002/09/30
青文字:加筆改修部分
【質問 kérdés】
ルーマニア海軍のCB型潜航艇について教えてください.
Kérem, mondja meg Román CB típusú mini tengeralattjárókról.
【回答 válasz】
CB型は元はイタリア海軍の潜航艇.
このうち1941年に完成した6隻,CB-1~6をイタリア海軍は,ドイツの要請によって鉄道で黒海まで輸送.
1942.5.2,ルーマニアのコンスタンツァ港に到着し,フランチェスコ・ミンベリ提督の指揮下でソ連海軍と戦った.
同年6.13,CB-5はヤルタ沖にて,ソ連軍航空機または魚雷艇のどちらかによって撃沈されたが,他の5隻は1943.9.8のイタリア休戦まで残存.
ルーマニア海軍はこの5隻を接収し,コンスタンツァ造船所で整備の上,再就役.
沿岸防衛任務に使用した.
ちなみにドイツ側は,これらはドイツ海軍に引き渡されるものと思っており,ドイツはルーマニアに抗議したという.
1944.8.23,ルーマニアでクーデターが起き,枢軸陣営から離脱すると,これら5隻は自沈.
ソ連軍がCB-6以外の4隻を引き上げて鹵獲.
同年10.20,TM-4,TM-5,TM-6,TM-7として再々就役した.
そして1945年,退役,廃棄されたという.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://en.wikipedia.org/wiki/CB-class_midget_submarine
https://ro.wikipedia.org/wiki/Submarin_clasa_CB
https://www.wikiwand.com/en/Romanian_submarines_of_World_War_II
https://naval--encyclopedia-com.translate.goog/ww2/romanian-navy.php?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
1枚目:CB型の3Dモデル
(図No. faq220728cb2,こちらより引用)
2枚目:コンスタンツァで撮影されたイタリア海軍黒海戦隊所属当時のCB艇隊
(図No. faq220728cb3,こちらより引用)
3枚目:ルーマニア海軍に編入されたCB艇
1943年後半,コンスタンツァにて
(図No. faq220728cb4,こちらより引用)
4枚目:ルーマニア海軍時代のCB艇
(図No. faq220728cb,こちらより引用)
mixi, 2022.7.29
【質問 kérdés】
NMS デルフィヌル Delfinulって何?
Kérem, mondja meg három sorban.
-róől
【回答 válasz】
1936年に就役した,ルーマニア海軍の潜水艦.
当初は1920年度計画においてフランスでの建造が企図されたが,財政的理由により断念.
その後1926年,予算のめどがついたため,イタリアに建造を発注.
イタリアは地域振興目的で,これをフィウメのQuarnaro shipyardにて行うことにし,1927年8月起工.
だが,同造船所は潜水艦建造は未経験だったため,建造は遅れ,進水は1930年6月.
1932年になっても完成しなかったためルーマニアは注文を取り消し,支払い済みの建造費の返還を求める訴訟沙汰にまで発展した.
1935年,和解成立.
1936年5月9日,ルーマニア海軍に引き渡し.
同年6月27日,ルーマニアへ向け出航.
同年8月15日,就役.
水上排水量650トン,水中排水量900トン,水中速力9ノット.533㎜魚雷発射管6門(前部4,後部2)と102㎜両用砲1門で,乗員は40名だった.
戦間期には黒海,地中海,大西洋を度々航海し,潜水艦戦に通じた士官の育成に努めた.
1941年6月に対ソ戦が始まると,コンスタンツァ沖に配置.
ソ連海軍によるコンスタンツァ襲撃の際には,デルフィヌルは攻撃は行えなかった.
その後,1942年7月までに9度の出撃を行い,輸送船1隻撃沈,タンカー1隻損傷の戦果を主張したが,いずれも未確認.
1942年7月以降,修理中の状態のまま,終戦を迎えた.
戦後,ソ連海軍に接収され,スペアパーツとして使用された.
1957年,殆ど難破船同然の状態でルーマニアに返還.
ルーマニア海軍はこれをなんとか修理したが,1970年代には退役.
1981年まで,IRCM(ルーマニア海洋研究所コンスタンツァ)にて使用された後,解体された.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://ro.wikipedia.org/wiki/NMS_Delfinul
https://www-militaryfactory-com.translate.goog/ships/detail.php?ship_id=nms-delfinul-diesel-electric-attack-submarine-romania&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
http://www.submarinesonstamps.co.il/userfiles/image/html/Delfinul.htm
https://wikitltl.top/wiki/NMS_Delfinul
https://www.youtube.com/watch?v=cr2Oa1rHqAk
mixi, 2022.7.18
【質問 kérdés】
NMSマルスィヌルって何?
Mi NMS Marsuinul?
【回答 válasz】
第二次世界大戦中にルーマニアで建造・就役した潜水艦.
ハーグのIvS(Ingenieurskantoor voor Scheepsbouw / Shipbuilder設計事務所)が設計.
当初は機雷敷設潜水艦として設計されたが,途中で攻撃型潜水艦に変更となっている.
1938年,ガラツィ造船所で起工.
1941年5月4日,進水.
その要目は全長58m,全幅5.6m,喫水3.6m,基準排水量620t.
2基のMANディーゼルエンジンと2基の電動モーターにより,海上で最大16ノット,海中で9ノット.
105mm砲,37mm対空砲各1基と,6基の533mm魚雷管を装備.
乗組員45.
潜水深度110m.
航続距離8,000海里以上だったという.
1944年4月,就役.
1944年5月11~27日,哨戒任務のため出航.
ソ連のバトゥミ港付近にてソ連艦艇と航空機から爆雷攻撃を繰り返し受けたが,損害は軽微で同月27日コンスタンツァ帰投.
これがマルスィヌルとしては唯一の任務となった.
1944年8月23日,ソ連軍が鹵獲.
同年10月20日,同海軍のTS-2として再就役.
1945年2月20日,搭載魚雷の爆発事故によりポティにて沈没したという.
【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.u-boote.fr/marsuinul.htm
https://www.worldwar2.ro/arme/?article=251
https://ct360.ro/submarinele-marinei-militare-romane/
1枚目:側面図
(図No. faq220723mr2,こちらより引用)
2枚目:進水式
(図No. faq220723mr3,こちらより引用)
3枚目:黒海洋上のマルスィヌル,1944年
(図No. faq220723mr,こちらより引用)
4枚目
原出典:N.Koslinski&R.Stanescu著『Marina Romana in al Doilea Razboi Mondial』(Fat-Frumos,1997)
(図No. faq220723mr4,こちらより引用)
mixi, 2022.7.24
【質問 kérdés】
Rechinulって何?
Mi Rechinul?
【回答 válasz】
ルーマニア語で「鮫」の意味.
NMS Rechinulのことなら,ルーマニア海軍の機雷敷設潜水艦.
ハーグのIngenieurskantoor voor Scheepsbouw (IvS) によって設計され,1938年,ルーマニアのガラツィ造船所にて起工.
「S1」という仮艦名の下,1941.5.23進水.
1943.5.9就役.
基準排水量(浮上時) 585 トン.
水中最高速度9ノット.
533 mm 魚雷発射管6基 (艦首4,艦尾2)
88 mm単装砲 1 基,20 mm 対空砲 1 基
垂直機雷発射管10基 (両舷に5基ずつ)
機雷搭載数,最大40個
乗員40名.
1944.4.20,トルコ沖での訓練のため,出航.
途中,トルコの連合国軍側参戦の気配があったため,ゾングルダク沖で警戒配置に着く.
その後,枢軸側のクリミア撤退を阻害しようとするソ連軍の動きを阻止すべく,バトゥミ~ノヴォロシースク間で敵艦攻撃任務に就く.
クリミア撤退完了後の同年5.15,コンスタンツァ帰投.
同年6.15,コーカサス沿岸でソ連艦艇を偵察するため出航.
任務中,何度か爆雷攻撃を受け,同年6.28には漏水を生じる軽微な損傷を受く.
同年7.19,帰投.
ルーマニアの枢軸離脱後,ソ連軍はレキヌルを接収.
ソ連海軍において補修部品取りに使われる.
1951年8月,ルーマニアに返還されたが,条約により,作戦可能な潜水艦の保有は禁じられていたため再就役することはなく,1959年解体.
【参考ページ Referencia Oldal】
https://adevarul.ro/stiri-locale/galati/ce-s-a-intamplat-cu-motorul-rechinului-submarinul-2164140.html
http://www.deepstorm.ru/DeepStorm.files/17-45/for_con/Romania/Rechinul/list.htm
1~2枚目:写真
(図No. faq221230rc3~4,こちらより引用)
3枚目:港に停泊中のレキヌル(S1)とマルシヌル(S1)
(図No. faq221230rc,こちらより引用)
4枚目:内部配置図
(図No. faq221230rc2,こちらより引用)
ガラツィ工科大学に保存されている,「レキヌル」機関部
(図No. faq221230rc5,こちらより引用)
mixi, 2022.12.30
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