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<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


 【link】


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリーの装甲列車について教えてください.
Kérem, mondja meg magyar pancélvonatokról.

 【回答 válasz】
 オーストリア=ハンガリーは装甲列車11本を有していたが,第一次大戦後,ハンガリーは4本を継承.
 それらにはIV号,VI号, VII号,IX号という番号がついていたが,1919年,ハンガリーは改めてI号,II号,III号,IV号と番号を付け直した.
(後にIV号はさらにV号と改番された)

 加えてハンガリーは民間列車のうちの8本を装甲列車に改造.
 最大時は装甲列車12本を有したが,そのうち2本はルーマニア軍やチェコスロヴァキア軍によって破壊された.

 1929年,ハンガリーは残存10本を調査.
 XII号は改造されて軍事史博物館となった.
 民間列車から改造された装甲列車は退役し,第一次大戦の生き残り組であるI号,II号,III号,V号だけが軍務を継続した.

 1932年,装甲列車は再び改番されて1号,2号,3号,4号となったが,1939年,さらに番号が改められて101号,102号,103号,104号となった.

 101号・103号はMÁV 377型蒸気機関車が牽引.
 砲車を後尾に接続していた.
 砲車は36.M 36mm対戦車砲(後に40.M 40mm対戦車砲に換装)1門,20mm対戦車銃1門を搭載する砲塔を有した他,07/31.M 8mmシュワルツローゼ機関銃4門を装備していた.
 列車トップは砲塔車で,18.M 8cm野砲×1,20mm対戦車銃×1を砲塔に搭載した他,07/31.M 8mmシュワルツローゼ機関銃2門を装備していた.
 また,地雷対策用に前後に空の貨車を1~2両接続した.

 この装甲列車の乗員は定員30名――各機銃や対戦車銃に2名,野砲や対戦車砲の要員が4名×4,通信兵2名以上,工兵2名以上,運転士1名(およびおそらくは運転助手1名),指揮官1名.

1枚目:装甲列車101号 Páncélvonat 101.(側面図つき)
(図表番号 faq190809pv,こちらより引用)

2枚目:高地を進む101号
A 101.sz. páncélvonat a felvidéki bevonulásban

(図表番号 faq190819pv,こちらより引用)

 102号は定員,牽引する機関車,砲車の兵装,空の貨車を前後に接続していたところまでほぼ同じだが,野砲は22.M 8cm野砲だった.
 22.Mは対空砲として使用できるほどの射高を有していた.

1枚目:装甲列車102号 Páncélvonat 102.
(図表番号 faq190811tr,こちらより引用)

2枚目:ウィーン裁定後,ベスキド Beszkid へ向かう102号
(図表番号 faq190820tr,こちらより引用)

 104号は軌道車部分のみハンガリー軍は保有.
 同車はガソリン・エンジン車で,砲塔に22M野砲,後部銃座に20mm対戦車銃,他に07/31Mシュワルツローゼ8mm機関銃×4を装備.
 また,地雷対策用に前後に空の貨車を1~2両接続した.

 乗員は20名.
 機関銃および対戦車銃に各2名.
 野砲に4名.
 通信兵2名.
 工兵2名.
 運転士1名.
 指揮官1名.

104号装甲軌道車 motorvonat 104.
(図表番号 faq190815tr,こちらより引用)

 101号・102号・104号はユーゴスラヴィア侵攻作戦(1941年)やバルバロッサ作戦に参加.
 1944~45年にはハンガリー国内で戦闘参加した.
 その後の消息は不明.
 戦闘で破壊されたか,戦後に廃棄されたと思われる.

 103号もユーゴスラヴィア侵攻作戦(1941年)やバルバロッサ作戦に参加.
 1944~45年にはハンガリー国内で戦闘参加し,ブダペシュト包囲戦で破壊された.
 ブダペシュトの東駅の前に放棄された103号前側車輌の写真が残っている.
(遺棄された場所
 市内を走る路面電車の線路に乗り入れて市街戦を戦った模様.
 こちらは現在の路面電車路線.

1枚目:装甲列車103号 Páncélvonat 103.
(図表番号 faq190813tr,こちらより引用)

2枚目:ブダペシュトの東駅に遺棄された103号
(図表番号 faq190820tr2,こちらより引用)

東駅で放棄された103号
前車(砲装備)のほか後車(機関銃)も駅前で火点として配置されており,されに機関砲の砲塔装備の謎の装甲列車も配置されていた(一番下の写真)
(図No.faq210403am, 『Fortress Budapest』より引用)

左側が見切れているが,上記の一番下の車両はこれっぽい
他の車両から改造されたと考えてるが、調べても出てこないから本当の来歴は不明
(図No.faq210403am2, こちらより引用)

 ハンガリー軍はまた,特設装甲列車も使用した.

 「エーヴァ Éva」はウクライナ占領地域の治安維持部隊がソ連パルチザンと戦うのを支援するため即席で用意され,1941年または1942年から1943年まで使用された.
 列車前後に地雷よけのための,岩石を満載した貨物車を2両接続.
 1両には鹵獲品である10.5cm野戦榴弾砲(詳細は不明)を搭載.
 歩兵搭載車輌が6~7両.これにはスリッパ材(車輌床から10-15cmの間隔をあけて付けられた鉄道の枕木.床との間のスペースは砂で満たした)を張り巡らし,その張り巡らしたスリッパ材の上に,これもスリッパ材で作った四角いオープントップの銃座を設置し,07/31.M シュワルツローゼ機関銃を装備.これら車輌の上部は装甲板で強化した.
 弾薬用の貨車×1.
 定員は50〜60名.彼等のための寝台車の数は不明.
 36.M 40mmボフォース対空機関砲を搭載した貨車×1.
 MÁV424型機関車に装甲板を貼った車輌2両が,これらを牽引した.

 詳しい履歴は不明.
 「エーヴァ」がいつハンガリー国内に撤退したのかも不明だが,少なくとも1944年には「ボトンド Botond」と改名され,以下のように装備を改められた.
・列車前後に地雷よけのための,岩石を満載した貨物車を2両接続.
 前後ともにそのうち一両には07/31M 8mmシュワルツローゼ機関銃×2が搭載された.
・牽引車はMÁV328型機関車×1(シリアル番号328.649)に.
・鹵獲したソ連軍のVS-60装甲鉄道車輌×1を接続.
 同車には7.62cm野砲×2,07/31M 8mmシュワルツローゼ機関銃×4,36.M 20mm対戦車銃×1,対空砲およびそれらの弾薬を搭載.
・3.7cm Flakzwilling 43 対空機関砲×1を搭載した,耐爆性を強化した貨車を1両接続.
・迫撃砲×4を搭載した無蓋貨車×1を接続.
 迫撃砲の種類は15cm迫撃砲またはオーストリア=ハンガリー時代のM15迫撃砲のいずれかと思われるが,定かではない.
・ガンマ・ユハース GAMMA-Juhász 対空警戒装置を備えた36.M 40mmボフォース対空機関砲を搭載した無蓋貨車×2.
・兵員用の寝台車輌の数は不明

 「ボトンド」は1944年から45年にかけ,ハンガリー国内での戦闘に従事したが,1945年1月20日,ナジカニジャ近郊でソ連軍機の低高度爆撃により破壊されたという.

1枚目:特設装甲列車エーヴァ rögtönzött páncélvonat Éva
(図表番号 faq190817ev,こちらより引用)

2枚目:「ボトンド」時代
(図表番号 faq190819bt,こちらより引用)

▼ また,ブダペスト包囲戦の際,矢十字党はガンツとマーヴァグ2社の協力で40mm機関砲(車輌上部)と80mm砲(車輌側面)の2門による3両編成の即席装甲列車を製作.
 2両目だけ装甲化した他,一説には機関車と各車両に矢十字のシンボルが描かれていたらしい.
 少なくとも1輌のT-34を40mmで撃破する戦果があったとの事.
 上述の謎装甲列車の正体は,この矢十字党装甲列車なのかもしれない.▲

 他に,ソ連軍の装甲列車OB-3型を鹵獲.
 ハンガリー軍に鹵獲された装甲列車はこれが唯一だという.
 OB-3型は標準兵装としては1902/30年式76.2mm砲×1,DT軽機関銃×1,4連装マキシム機関銃×1を搭載していた.

装甲列車OB-3型 OB-3 típusú Páncélvonat
(図表番号 faq190808tr,こちらより引用)

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/538047/en/
https://live.warthunder.com/post/538050/en/
https://live.warthunder.com/post/538055/en/
https://live.warthunder.com/post/538070/en/
https://live.warthunder.com/post/538283/en/
https://live.warthunder.com/post/538295/en/
https://live.warthunder.com/post/538306/en/
https://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/p-q-F0CB5/pancelvonat-F0CCF/
https://www.masodikvh.hu/haditechnika/kiserleti-fegyverek/magyar-kiserleti-fegyverek/1321-pancelvonatok-a-magyar-hadseregben
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1385483290052763650
https://mobile.twitter.com/Nasikandar_/status/1385485645963882500

mixi, 2019.8.23


 【質問 kérdés】
 MÁV242形蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV242 sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 日本にとって決してなじみがあるとは言えない国ハンガリー.
 しかしこの国は,かつてブダペシュトに広大な鉄道車輌工場を有し,世界各国に機関車や気動車を輸出していたこともあった.
 今回はそんな知られざる蒸気機関車輸出国,ハンガリーで作られた高速機関車のお話.

 時は1836年,日本では大塩平八郎の乱が起きる前年,当時ハプスブルク家の領土だったハンガリーに対し,皇帝フェルディナント一世は鉄道敷設の許可を与えた.
 1844年,ハンガリーで初めての鉄道がペシュト~ラーコシュパロタ間に敷設開始.
 これは1846年には開業し,オーストリア=ハンガリーが成立する1867年までに,ハンガリー国内の鉄道網の長さは2,341kmに達した.

 この鉄道網に鉄道車両を供給すべく,1868年に2つの合弁会社が設立された.
 一つはハンガリー=ベルギー機械&駆動機構会社.
 もう一つはハンガリー=スイス鉄道車輌工場だった.
 特に後者は,大平原リエカ鉄道の牽引車両の殆どを生産していたが,1870年までに両社とも破産.
 ハンガリー政府によって買収され,ハンガリー王立鉄道機械&車輌工場 Magyar Királyi Államvasutak Gép- és Kocsigyára として再出発した.
 これが後のハンガリー王立鉄鋼&機械工場 Magyar Királyi Állami Vas-, Acél- és Gépgyárak,略してマーヴァグ MÁVAG である.
 1873年には同工場最初の機関車を製造.
 1900年より機関車の輸出も開始し,以後,多数の機関車や気動車をイタリアやルーマニア,ソビエト連邦,エジプト,インド,ユーゴスラビア,北朝鮮等へ輸出した.

 ところがハンガリー鉄道にとって大打撃となる事態が発生する.
 第一次世界大戦である.
 この敗北によってオーストリア=ハンガリーは解体し,ハンガリーは領土を72%削られた上で王国となって再出発する.

 そんな敗戦のドン底の状態でスタートした上に,1920年代後半から1930年代初頭の世界大恐慌が追い打ち.
 支線運営会社などは殆ど倒産する始末だった.
 そのためハンガリー国鉄も車輌の更新が他国よりも遅れ,1930年後半までに小規模高速輸送の需要が高まっていた.
 他国では1930年代前半には注目され,英仏独などがしのぎを削っていた分野である.
 ハンガリー国鉄は需要を具体的に調査して,時速120キロの高速機関車を製造することとなった.
 これがMÁV242形である.

 車輪配置は4-4-4.
 すなわち先輪―動輪―従輪が4つ(左右に2つずつ)あった.
 当時,高速蒸気機関車は4-6-2のいわゆる「パシフィック」式が一般的だったが,これによる駆動車軸への荷重増加によって必要になる制動力の増加分は,ドイツ・クノール社製の圧縮空気ブレーキを装備することで解決することとした.
 また,ターンテーブルで機関車を反転させず,前後どちらにも高速走行できるよう,テンダー機関車ではなくタンク機関車とした.
 水・石炭を別の車両(炭水車)に搭載するのではなく,機関車本体に水・石炭も搭載する方式で,これには燃料積載容量が少ないことから長距離運行には適さないという欠点があるが,250km(160マイル)という比較的短い距離を走る,郊外の旅客サービス用である本車はそれで十分と判断された.
 実際それで十分で,たとえばドイツのタンク機関車BR61形で発生したような,水槽の水不足などの問題は起きなかった.
 台車はボギー台車.
 これは駅でのターンアラウンドタイムを短縮することが目的だった.

 MÁV242形の1号車は1936年完成.
 運行は概ね好調だった.
 計画速度120 km/hは容易に達成され,後にフリーゲンダー・ハンブルガーが走行していたベルリン~ハンブルク間の特急路線で行われた走行試験では,時速152 kmを達成.
 また,1961年にはハンガリーの蒸気列車の最高速度記録となる161 km/hを記録した.
 また,乗り心地の良さは特に注目された.
 上り下りの両方で高速走行時の動揺は少なかった.

 問題と言えば火室が鋼製だったことで,これはハンガリーの伝統的な設計に沿ったものだったが,鋼製火室にひび割れが発生.
 鋼製火室は最初の2台だけでやめ,3台目以降は銅製火室となった.

 しかしこの銅製火室のMÁV242も,1939年までに2輌生産されたのみで,以後,この車輌が作られることは無かった.
 第二次世界大戦が始まったからである.
 戦時中の活動は,筆者の浅学にしてつまびらかではない.
 だが,小規模旅客高速輸送の需要は第二次大戦中は大変に少なかったであろうことは想像に難くなく,であれば活動の場は殆ど無かったに違いない.

 戦後,電化の進展によりハンガリーの蒸気機関車も徐々に退役していったが,MÁV242は242.001号車のみ解体を免れた.
 同車は数年間,公園で静止展示されたが,ハンガリー交通技術博物館はこれを1998年から2002年にかけて動体復旧.
 この復旧に際して燃料を石炭からディーゼル燃料に変える改造を行っている.
 そして2002年より同博物館の特別列車として運行を再開しているという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://repozitorium.omikk.bme.hu/bitstream/handle/10890/5510/ertekezes.pdf?sequence=2&isAllowed=y
https://hu.wikipedia.org/wiki/M%C3%81V_242_sorozat
https://live.warthunder.com/post/537556/en/
https://hvg.hu/cegauto/20180510_tank_sebessegrekord_gozmozdony_solymar_szelhegy_budapest_esztergom_vasutvonal
http://100hires.hu/cikkek/mav-242-sorozatu-aramvonalas-gozmozdony
http://www.borsonline.hu/aktualis/nem-ez-nem-egy-tank-hanem-a-mav-160-nal-repeszto-gozmozdonya/139080

1~2枚目:博物館の特別列車として運航中の242.001
(図No.faq201720mv, こちらより引用)
(図No.faq201720mv2,こちらより引用)

3枚目:模型
(図No.faq201720mv4,こちらより引用)

4枚目:242.001の運転台
(図No.faq201720mv5, こちらより引用)

mixi, 2020.7.20


 【質問 kérdés】
 MÁV328型蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 328 sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 MÁV 327型を改良した過熱式蒸気機関車.
 第一次大戦後半以降の軍用列車や高速列車用の機関車不足を補うため,MÁVAG社によって1918年から製造開始されたが,当時,同社は他の諸々の注文によって生産能力の限界にあったため,ドイツのカッセルにあるヘンシェル社にもこの機関車100両が発注された.
 両社の328型には僅かに差異がある.

 この機関車の許容最大速度は時速100 kmで,完全に平坦な地形において,この時速で240トンを牽引することができた.
 運行速度は90km/h.
 車軸構成は2'C-h2(ホワイト式表記では4-6-0).
 駆動輪径1826mm.
 蒸気圧12 bar
 火格子面積164.7 m2
 運転整備時重量69t.
 機関車乗務員には,狭く,きつい運転姿勢のため不評だった.

 1919年,製造番号328 001~002をつけた最初の2両がMÁVAG社にて完成するが,当時ハンガリー国内は大変混乱しており,工場の敷地内で即ルーマニア軍に押収され,ルーマニア国内で使用された.
 MÁVAG社ではこの2両を含めて58両を生産.
 328 058までの製造番号がつけられた.
 一方,ヘンシェル社製造の車輌には328 601からの製造番号を付与.
 当時のインフレの下,蒸気機関車の平均的な購入価格は倍増していたが,最初の60両まではヘンシェル社は契約時の価格で納入した.
 もっとも同社に大きな経済損失は無かった.
 しかし残りの40両については,ハンガリー国鉄に対して合計2000万マルクの価格上乗せを要求.
 ハンガリー国鉄は費用捻出のため,その新車の内17両をチェコスロヴァキア国鉄に売却している.

 戦間期,全ての328型を近代化改修.
 また,1943年までにハンガリー国鉄の全ての機関車2,328両は,ブロータン=デフナー式ボイラーとなった.

 第二次大戦中は軍用列車の牽引に従事した他,1944~45年には1両の328型(製造番号328 649)が特設装甲列車「ボトンド」を牽引.
 この装甲列車は1944年12月からのバラトン湖の戦いにも参加した.

 終戦時,328型は72両がハンガリー国内に残存し,また,オーストリアやドイツ領内に逃げ込んでいた機関車もあったが,何両かはソ連軍やユーゴスラビアが押収.
 各国間の交渉の結果,112両の328型がハンガリーの手元に残ることになった.

 電化など近代化のため,1972年までに全車退役.
 2020年現在,現存するのはハンガリー鉄道歴史公園に展示されている1輌(製造番号328 054)のみである.
 この車輌は1922年にMÁVAG社にて製造.
 1972.3.14に退役して,ソンバトヘイのハラダス運動公園に展示されていたが,2000年にほぼオリジナルの姿に復元され,鉄道歴史公園に展示された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/536781/en/
http://www.kosanyo.hu/html_doc/goz_b.htm
https://hu.museum-digital.org/index.php?t=objekt&oges=25538&navlang=id
https://forum.index.hu/Article/showArticle?na_order=&na_start=1168&na_step=200&t=9036868
http://villamosok.hu/nza/bkvtpot1.html

1枚目:328型写真,1920年頃,ミシュコルツ Miskolcにて
https://hu.wikipedia.org/wiki/M%C3%81V_328_sorozat
(図No. faq200512mv,こちらより引用)

2枚目:側面図
(図No. faq200512mv2,こちらより引用)

3枚目:328型と雪かきする兵士・労務者
(図No. faq200512mv3,こちらより引用)

4枚目:ターン・テーブル上の328型
(図No. faq200512mv4,こちらより引用)

現存する車輌
https://www.youtube.com/watch?v=l0YHWOyLRms

mixi, 2020.5.13


 【質問 kérdés】
 OMÁV36.0型蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a OMÁV36.0 sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 1900年代のオーストリア・ハンガリー国立鉄道会社(OMÁV)における特急列車近代化の波の中,1908年にプラハのブルノ機械工場で製造された高速蒸気機関車.
 必要とされた性能を満たすため,新型のシュミット式煙道過熱器を装備.
 また,アセチレン照明とアセチレン生成装置とを設置した.
シャフト配列2C-h2
牽引力62.47 kN
最高速度90 km / h
ホイール径1820 t
自重 60.2 t
蒸気圧12 bar

 ハンガリー独立後,ハンガリー国鉄(MÁV)は多数のチェコ製機関車を引き継いだが,本車もその中にあった.
 ハンガリーではこれをMÁV 329型と呼称.
 車輌引き渡しは二度に分けて行われ(3輌と7輌),その引き渡し順にシリアル・ナンバー329.501~510が付与された.

 第二次大戦中,2両がトランシルヴァニア西部,オラデアに移動.

 終戦時,ハンガリー国内には4両が残存.
 赤軍の「T」戦利品となり,1948年まで返還されなかった.

 その後,順次退役していき,1963年に最後の一両「329.507」が登録抹消された.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.kosanyo.hu/html_doc/goz_b.htm
https://hu.wikipedia.org/wiki/MÁV_329_sorozat

OMÁV36.0型蒸気機関車
(1枚目:図No. faq200515om,こちらより引用)
(2枚目:図No. faq200515om2,こちらより引用)

mixi, 2020.5.17


 【質問 kérdés】
 kkStB 60型(MÁV 330型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg kkStB 60 (MÁV 330) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 オーストリア国鉄(kkStB)の貨物列車用蒸気機関車.
 オーストリアでは機関車設計技師,カール・ゲルスドルフが設計したもので,59型の機構と制御技術を殆ど踏襲したが,速度の向上が図られている.
 計画最高速度60 km/h.

 1895年にウィーン機関車工場で1号車が完成.
 時速40kmにおいて,平坦な軌道で1230t,10‰の勾配では215tを牽引できた.
(59型機関車でそれぞれ965tと170t)

 この好成績によりすぐに60型の量産が始まり,
•ウィーン機関車工場で95輌
・Floridsdorf機関車工場にて58輌,
•オーストリア=ハンガリー国鉄ウィーン機関車工場にて133輌,
•クラウス=マッファイのリンツ工場にて3輌
•ČKDのプラハ工場にて7輌
を生産した.

 第一次大戦後,60型機関車も一部がハンガリー国鉄(MÁV)に移管され,元の製造番号順に330,301–321のシリアル・ナンバー番号が付与された.
 移管された車輌はすぐにエア・ブレーキを装備している.

 ウィーン裁定によりチェコスロヴァキア領の一部がハンガリーに「返還」されると,チェコスロヴァキア国鉄にあった60型の派生型である334.1型23輌も,ハンガリーは入手した.

 しかし第二次大戦終結時にハンガリー領内に残存していたのは18両のみ.
 しかも走行可能なのは7輌のみであり,他に1輌修理中.10輌は修理もされないまま放置されていたという.

 戦後,ソ連軍に鹵獲された後,交渉を経て29両がハンガリーに残存することになり,1961年まで現役にあったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/KkStB_60_sorozat
https://oldtimer-veranstaltung.de/service/technische-museum-wien-1979-abteilung-eisenbahn/

ウィーン技術博物館に展示されているkkStB 60型
(図No. faq200520kk,こちらより引用)

KKStB 60型模型

mixi, 2020.5.23


 【質問 kérdés】
 MÁV 331型(KFNB IIIc型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 331 (KFNB IIIc) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 KFNB IIIc型蒸気機関車は,オーストリアのカイザー・フェルディナント北部鉄道 Kaiser Ferdinands-Nordbahn / Ferdinánd Császár Vasút (KFNB)が1902年に調達した貨物列車用蒸気機関車.
 輸送需要の増大に伴い,KFNBでは同年,機関車の設計と製造をウィーン機関車工場に発注.
 同工場では南部鉄道向けに製造されていた32f型機関車を改設計することで,その年の内に機関車を7輌(シリアル・ナンバー801~807)引き渡すことができた.
 翌年,蒸気室の火格子面積を増加させた後期型も製造された(808~811).

 第一次大戦後,オーストリア=ハンガリー解体により,これら機関車はチェコ国鉄に移管されたが,1939年,ハンガリー国鉄(MÁV)は本車を10輌獲得し,MÁV 331型と呼称.
 引き渡された順に331.001~331.010の番号を付与した.

 第二次大戦終結時,ハンガリー領内には2輌残存.
 しかしどちらも正常な稼働状態には無く,1両は空爆で損傷していた.

 戦後の交渉の結果,ドイツから帰国した1両を加えて3両がハンガリーの手に戻り,1953年まで現役にあったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/KFNB_IIIc
https://de.wikipedia.org/wiki/KFNB_IIIc

KFNB IIIc型
(図No. faq200524kf, こちらより引用)

mixi, 2020.5.26


 【質問 kérdés】
 MÁV 332型(SB/DV 29型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja meg a MÁV 332(SB/DV 29) sorozat gőzmozdonyról

 【回答 válasz】
 オーストリア南部鉄道で運行されていた3軸動輪の貨物用蒸気機関車.
 Lokomotivfabrik der StEGによって1860年に最初の20両を生産.
 当初,SB/DV 23型と称されたが,1864年に29型と改称した.
 改良を重ねながら,1872年までに同工場に加え,ウィーンの Neustädter Lokomotivfabrik やシュトッツガルトの Maschinenfabrik Esslingen といった工場において,計205両を生産.

 第一次大戦後,29型の一部はハンガリーの他,ユーゴスラヴィア,イタリアなどに渡った.
 ハンガリーではMÁV 332型と呼称.
 第二次大戦終結時も1両が残存した.

 現在,ブダペシュト交通博物館にて,「ハンガリー最古の蒸気機関車」として展示されている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.museum-digital.org/index.php?t=objekt&oges=21605
https://hu.wikipedia.org/wiki/SB/DV_29_sorozat
https://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%BCdbahn_Class_23_(old)
https://it.wikipedia.org/wiki/Locomotiva_SB_23
https://de.wikipedia.org/wiki/SB_alt_23

ブダペシュト交通博物館のMÁV 332
(図No. faq200527sb1~2,こちらより引用)

mixi, 2020.5.30


 【質問 kérdés】
 MÁV 333型(SB/DV 32c型)蒸気機関車について教えてください.
Kérem, mondja a MÁV 333 (SB/DV 32c) sorozat gőzmozdonyról.

 【回答 válasz】
 SB/DV 32c型は貨物列車用機関車で32aや32b型の改良型.
 1884~1900年に37輌製作され,オーストリア南部鉄道が南チロルやクラス(カルスト)地方,ハンガリーにて運行した.

 第一次大戦後,20両がオーストリアに残り,18輌がハンガリー国鉄に引き渡されてMÁV 333型と呼称.
 残りはイタリアに渡されFS 292型と呼称した.

 第二次大戦後,1966年に最後の1輌「333 018」が引退.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://hu.wikipedia.org/wiki/SB/DV_32c_sorozat
https://de.wikipedia.org/wiki/SB_32c
https://it.wikipedia.org/wiki/Locomotiva_SB_32c
https://www.fotocommunity.de/photo/sb-32c-bboe-58-fs-292-mv-333-mayr-johann/33691878
https://eisenbahnmuseum-heizhaus.com/de/sammlung/sb-32c1665

ウィーン技術博物館(Eisenbahnmuseum Strasshof)に展示されているMÁV 333型(SB/DV 32c型),1665号
1895年製造,無可動
本車はハンガリー国鉄で運行されていたものの1両である
(図No faq200601sb,こちらより引用)
(図No faq200601sb2,こちらより引用)

mixi, 2020.6.5


 【質問 kérdés】
 MÁVAG-Benz VL2とは?
Mi az MÁVAG-Benz VL2?

 【回答 válasz】
 1927~28年,マーヴァグ社はメルセデス・ベンツのL1,L2,L5,N1,N2トラックのライセンスを購入し,トラックやバスの生産を開始.
 1936年に同社が生産したのが鉄道トラックMÁVAG-Benz VL2で,これは100 hp(74.5 kW)エンジンを搭載した2,5-3トンのトラックだった.
 このトラックには通常の車輪があり,道路走行も可能だったが,この機能が使われることは滅多になく,専ら鉄路での輸送に従事した.

 ハンガリー軍では鉄道建設部隊用にこのトラックを数両導入,使用している.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/536575/en/
https://magyarjarmu.hu/ipar/mavag/
https://jarmuvekamultbol.blog.hu/2015/11/05/mercedes_buszok

1枚目:
(図No.faq200705mb,こちらより引用)

2枚目:
(図No.faq200705mb2,こちらより引用)

3枚目:1937年,シゲト,セント・エンドレにて Szentendrei-sziget
(図No.faq200705mb3,こちらより引用)

4枚目:
(図No.faq200705mb4,こちらより引用)

mixi, 2020.7.6


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