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<◆大西洋・地中海方面 目次
<第二次大戦FAQ


 【link】

ハンガリー軍の対戦車兵器を紹介した映像
 自国のボフォース高射砲から外装弾と小銃擲弾,ゾロターン対戦車ライフルや,ドイツから供与されたパンツァーファウスト,パンツァーシュレックなど.
 珍しく,ドイツでも使用頻度の少なかったRW43プップヒェンが2度登場する.
(Hungarista Híradóより引用)
 標的になっているT-34/85の他に出てくる謎戦車は,恐らくT-34に偽装したトゥラーンⅠ
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1218480880944959488
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1218484941274505216
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1218505982101180418


 【質問】
 第二次大戦ハンガリー陸軍の対戦車火器には,どんなものがあったの?

 【回答】
・36.M 20mmゾロターン Solothurn 対戦車ライフル

 36.M 20mm repeszgránát (HE round) - 0.3625 kg
 36.M 20mm páncélgránát (AP round) - 0.38125 kg

・37/42.M 40mm L/26 カノン砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round)
 39.M repeszgránát (HE round)

・41.M 40mm L/45 カノン砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round)
 42.M repeszgránát (HE round)

・41.M 75mm L/25 カノン砲

 36/42.M páncéltörő gránát (AP round)
 42.M páncélromboló gránát (HEAT round)
 42.M repeszgránát (HE round)

▼・40.M 40mm 対戦車砲
 別項参照▲

・40.M 105mm L/20 榴弾砲

 38/33.M repeszgránát (HE round) - 15.04 kg
 37.M páncélgránát (AP round) - 14.16 kg
 42.M rombológránát (HEAT round) - 17 kg

・36.M 40mm L/60 対空機関砲

 36.M páncéltörő gránát (AP round) - 0.97 kg
 39.M repeszgránát (HE round)

42/a.M 対戦車ロケット砲 páncélromboló gránát

 最大初速 110m/s
 有効射程 150-200m,
 180 mm の装甲を貫通可能

 【参考ページ】
http://forum.warthunder.com/index.php?/user/292258-hebime/?tab=reputation&app_tab=forums&type=received&st=480
https://en.wikipedia.org/wiki/Weapons_employed_in_the_Slovak%E2%80%93Hungarian_War
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_3.pdf

対戦車ロケット砲
一部,戦後のものを含む
こちらより引用)

mixi, 20165.16

 40Mは40ミリ対戦車砲では?
 ドイツの37ミリ対戦車砲の派生形だそうです.
http://kabanos.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-daa4.html

 パンツァーファウスト作戦の時のハンガリー軍の写真.
 これでティーガー2を迎え撃つのは無理ですなぁ・・
http://kabanos.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/02/19/bundesarchiv_bild_101i6808283a18a_b.jpg

 この砲もカレンメグダン要塞にあるそうで,ベオグラードに行きたい気分・・.

 カレンメグダンにある個体
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/PAK-36_kalemegdan_3.jpg/640px-PAK-36_kalemegdan_3.jpg
http://farm8.staticflickr.com/7092/7221262096_f630a48e18_z.jpg
https://www.flickr.com/photos/massimofoti/7221059464

 その他,対戦車砲について
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?f=70&t=4258

ギシュクラ in mixi,2016年5月22日

 40Mはズリーニの主砲にも使われている105mm砲のことではないかと.

mixi, 2016.5.23
2017.5.18削除

ブダペスト北東のマートラで行われたルドヴィカ士官学校の対戦車訓練風景
(図no. faq210311at1~4,こちらより引用)

マーノシュ in twitter, 2021.2.17


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の対戦車砲部隊について教えてください.
Kérem, mondja meg a Magyar király Honvéd páncéltörő löveg csapatairől.

 【回答 válasz】
 1941年のフバII計画においては,歩兵大隊1個あたり対戦車砲兵1個小隊(37mm対戦車砲×4)が配属.
 歩兵大隊18個(すなわち歩兵連隊6個,すなわち歩兵旅団3個)で1個軍団(師団ではなく)を構成するので,対戦車砲兵は計18個小隊.
 これとは別に,連隊直属の対戦車砲兵1個小隊が存在するので,1個軍団当たり18+6=24個小隊,対戦車砲96門が配備される計画だった.

 歩兵軍団以外に自動車化された快速軍団が,当時のハンガリー軍には存在した.
 こちらは騎兵旅団2個と自動車化歩兵旅団2個から成るが,
・自動車化歩兵旅団麾下には
3個ある自動車化歩兵大隊にそれぞれ自動車化対戦車砲兵1個(37mm対戦車砲×4)=小計3個
2個ある自転車歩兵大隊にそれぞれ自動車化対戦車砲兵1個=小計2個
1個ある装甲偵察大隊に自動車化対戦車砲兵1個=小計1個
の合計6個小隊が配備されていた.

 これが,東部戦線で消耗した後の計画である,1942年2月のフバIIIになると,少なくとも編成上は対戦車砲部隊が殆ど見当たらなくなる.
 僅かに騎兵旅団のそれぞれ1個ある自転車歩兵大隊や装甲偵察大隊に,それぞれ1個の自動車化対戦車砲兵小隊が見られるのみである.

 しかしその後の師団編成では軽歩兵師団では合計8個中隊配属されており,
歩兵大隊麾下の中隊では37mm対戦車砲×4.
歩兵連隊直属の中隊では50mm対戦車砲×2,47mm対戦車砲×6
が配備されていた.
 また,第1装甲師団では1個ある装甲偵察大隊に自動車化対戦車砲兵1個中隊(50mm対戦車砲×4)が配属されていた.
 さらに,後方の治安維持のための警備師団にも2個小隊(1個小隊当たり37mm対戦車砲×2)だけだが配備されていた.

 もちろんこの数は定数であり,実数はこれを下回っていただろうことが容易に想像できる.

 なお,引用資料中には37mm砲となっているが,実際には40mm対戦車砲のことであろう.
 これについて詳しくは別項参照.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://www.niehorster.org/015_hungary/__vkf.htm

1枚目:ロシアの平原に配置された40.M 40mm対戦車砲.1942年,ドン川戦線
(図No. faq220321at,こちらより引用)

2枚目:ホント=ヴァルシャーニ・フェレンツ Hont-Varsányi Ferenc 大尉作「東部戦線のとある対戦車砲」.ハンガリーのプロパガンダ誌「マジャル・フタール Magyar Futár」に掲載されたもの
(図No. faq220321at2,こちらより引用)

mixi, 2022.3.21


 【質問 kérdés】
 43.M HAKとは?
Mi az 36.M hasábakna?

 【回答 válasz】
 1943年にハンガリー軍に採用された角棒状地雷で,43.M HAK または"43.M nagy hasábakna"(43.M 大型角棒状地雷)と呼ばれた.
 36.M HAKの対戦車版であり,36.Mと外見も大差ない.
 唯一の違いは地雷本体がより大きくなったことで,TNT 4kgが充填されていた.
 爆発するには加重200kgが必要だったという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438694/en/

2017.7.9


 【質問 kérdés】
 43.M TAKとは?
Mi az 43.M tányérakna?

 【回答 válasz】
 1943年にハンガリー軍に採用された tányérakna (平板型地雷; TAK).
(写真1)
 43.M nagytányérakna(大型平板型地雷)と呼ばれることもある.
 成形炸薬を用いた対戦車地雷であり,ミシュナイ・ヨーヂェフ Misnay József によって開発された.
 ミシュナイ技師は「ミシュナイ=シャルディン効果」で知られる.

 この地雷は筒状の段ボール製で,上面と底面は合板.
 この中に厚紙で蔽われた成形炸薬がある.
 段ボールでできた地雷本体は,外側を瀝青,内側をパラフィンで蔽われている.
 そして,カモフラージュ模様の防水キャンバス・カバーが地雷全体を覆っている.
 このように金属部品が使われていないため,地雷探知機での発見が困難で,地上と地中の両方で使用することができた.

 信管のための穴が,地雷底部の中央に開けられている.
 信管は機械式の感圧タイプであり,加重500~600kgの間で作動範囲を調整できる.
 この地雷では,特殊なL字型の梃を使用することができる.
 戦車がL字型の「腕」の上を通過すると,梃の原理により地雷が戦車の底面に押し付けられ,そして爆発する.
 充填量はTNTまたはペントライト 50/50が4.6kg.

 43.M TAKの生産数は正確には分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438708/en/ ※写真1引用元

2017.7.10


 【質問 kérdés】
 44.M LŐTAKとは?
Mi az 44.M lövő tányérakna?

 【回答 válasz】
 ミシュナイ=シャルディン Misnay-Schardin 効果で知られるミシュナイ・ヨーヂェフ Misnay József 中佐が開発した対戦車路肩地雷で,1944年にハンガリー軍が採用.
(図1)
(図2)
 LŐTAKはLövő Tányéraknaの略記で,直訳するなら「狙撃用平板型地雷」といったところか.
 これは恐らく世界で最初の路肩地雷といえた.
 この地雷の作動はトリップワイヤによるものか,観測員がいる場合はリモコンで起爆させた.

 この地雷は,通常の地雷のような爆発効果または成形炸薬効果(モンロー/ノイマン効果)に代わり,モンロー/ノイマン効果と金属発射体との組み合わせを利用する.
 地雷が爆発すると,鋼板とそれに取り付けられたロッドが,目標に向かって投射される.
 この地雷は隘路など戦車の通りかかりそうな場所に,三角形の木枠を使って設置される.
 地雷の中にはペントライト50/50が4.5kg充填されており,距離20mで100mmの装甲貫徹能力があった.

 この地雷の初陣は,カルパチア山脈での戦い.
 1944年3月,ドイツ軍によるハンガリー占領作戦「マルガレーテI作戦」が行われたときには,ドイツ軍に対して抵抗したハンガリー軍部隊が幾つかあったが,彼らはブダ城にてバリケードを作り,城へ至る道路には,この44.M LŐTAKを仕掛けた.
 その一つはオシュトロム Ostrom 通りで爆発し,建物を貫通して建物の反対側まで穴を開けた.
 オシュトロム通りには片側に駐車場が,両側に歩道があって,壁から壁までの幅は12mあった.
 この事実が,この地雷の威力を示していると言えるだろう.

 ブダペシュト攻防戦においても,この地雷が多数,道路脇,岩陰,木の根元などに仕掛けられた.

 44.M LŐTAKの正確な生産数は分かってはいない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438787/en/ ※図1引用元
http://jaszlajosmizse.hu/70-eve-tortent-1944-november-1/
http://www.honvedelem.hu/container/files/attachments/55327/haditechnika_2011_3_teljes_red.pdf ※図2引用元
http://mek.oszk.hu/12900/12993/pdf/12993_3.pdf

2017.7.11


 【質問 kérdés】
 第二次大戦ハンガリー軍にあった外国製の対戦車砲は?
Milyen az páncéltörő ágyúk voltak amagyar honvédség, akit idegen készült a második Világháború?

 【回答 válasz】
・ドイツ製3.7cm PAK-36
 全て40.M対戦車砲に転換

・ドイツ製 5cm PAK-38

・ドイツ製 7.5cm PAK-40

・ドイツ製 8.8mm PAK-43

・7.5cm PAK-97/98
 フランス製のCanon de 75 modèle 1897 をドイツ軍が鹵獲したもの
 ドイツ軍が鹵獲したフランス軍の1897年式75mmカノン砲 Canon de 75modèle1897の砲身に,スイスのSolothurn マズル・ブレーキを組み合わせ,ドイツ製のPak38の砲架に搭載した対戦車砲.
 弾薬も鹵獲されたフランス軍またはポーランド軍のものを使用.
 複数の枢軸国に供与され,ハンガリー軍には1942年11月までに供与.
 ハンガリー第2軍がこれを装備した.

1枚目:ハンガリー軍が操作するPAK97/38
1943.1.18,オストロゴジスクにて.
Pak 97/38, amelyet magyarok használtak, Osztrogozszk, 1943. január 18
ソ連軍のKV-1やT-34に対して第2軍が装備していた対戦車の砲の中で,ほぼ唯一この砲だけが有効だった.
この写真はOsztrogozszkが包囲された日に撮影された.
1月15日以降,枢軸軍はこの都市近郊でソ連軍と交戦しており,1月20日に包囲から脱出することができた.
(図表No faq191106at,こちらより引用)

2枚目:フィンランド,ハメーンリンナにある軍事博物館に展示されているPAK97/38
Pak 97/38 állítva ki a finn tüzérségi múzeumban, Hämeenlinna.
参考のために掲載した.
(図表No faq191106at,こちらより引用)

・ベルギー王立砲兵廠 1931年式47mm 対戦車砲 belga 47mm-es 1931 mintájú páncéltörő ágyú
 1940~41年,バルバロッサ作戦に際して対戦車砲の不足を補うため,ドイツ軍が鹵獲した砲,数百がハンガリー軍に供与.
  しかしスペアパーツの不足のため,活用には限界があり,また,ソ連戦車の性能の進歩によって役に立たなくなったため,その殆どが訓練用に.

ベルギー製1931年式47mm対戦車砲を操作するハンガリー第2軍兵士.1942年
(図No. faq191104at,こちらより引用)

・鹵獲したロシア軍対戦車砲

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/431232/en/
https://live.warthunder.com/post/519849/en/
https://live.warthunder.com/post/519857/en/
https://howlingpixel.com/i-en/7.5_cm_Pak_97/38

2017.5.18

7,5 cm Pak 97/38 1942 Don-kanyar
(図No. faq220805pk1~2)

Zsolt Dávid on twitter, 2022.6.28


 【質問 kérdés】
 40.M対戦車砲とは?
Mi az 40.M páncéltörő löveg?

 【回答 válasz】
 大戦前,ハンガリーはドイツから3.7cm PAK-36対戦車砲を輸入し,軍標準の対戦車砲として使用した.
 しかし1940年,このPAK-36の砲身は,水平スライド・ブロックつきの40nn口径の L/47砲身に交換された.
 この改造は,そのころハンガリーが対空自動砲のために40mm砲弾を生産しており,兵站をより円滑にするため,対戦車砲と対空砲の両方に同じ砲弾を使えるようにすることを目的として行われた.
 全てのPAK-36がこのように改造され,40.M対戦車砲という新しい名前が与えられた.

 この戦車砲の貫徹能力は,距離100m,仰角60度で46mm,距離1000m,仰角60度で30mmだった.

 1940年から1944年の終戦までの間に,ハンガリー軍に供給された40mm対戦車砲の総数は822門.
 1944年頃には閉鎖機 gun breech が半自動化された改良型が登場しており,当時の報道映画の中にも見ることができる.

 なお,ハンガリーには砲の研究部門が無かったので,より強力な対戦車砲を開発する努力はなされなかった.
 1942年12月,ハンガリーは40.M対戦車砲を更新すべく,ドイツの7.5cm PAK-40対戦車砲のライセンスを購入し,75mm 43.M対戦車砲と名付けた.
 だが,75mm対戦車砲は資材不足により終戦までに作ることはできず,トゥラーンIIIやズリーニIのための2種類の戦車砲があったのみだった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/431232/en/ ※写真1~2引用元
http://www.had.eoldal.hu/fenykepek/--tuzerseg/magyar-tuzerseg/
http://www.honvedelem.hu/cikk/43570
http://www.roncskutatas.hu/node/15688 ※図版3引用元

1枚目:40.M側面図
(図表番号 faq170514at4, こちらより引用)

2~4枚目:PákozdMilitary Parkで開催されたLive Historyイベントより
2014.4.12
(図表番号 faq170514at5~7, こちらより引用)

40.M接写
(図表番号 faq170514at, こちらより引用)

40.M対戦車砲陣地
1942年,ドン川
(図表番号 faq190609at, こちらより引用)

2017.5.18


 【質問 kérdés】
 42M徹甲榴弾について教えてください.
Kérem, mondja meg a 42.M páncélrobbantógránátról.

 【回答 válasz】
 1943年から導入された成形炸薬弾.
 ニムロード自走砲などの40mmボフォース対空機関砲,または40mm 40.M対戦車砲の砲口にとりつけて発射するもので,弾道を安定させるための安定翼がついている.
 起爆薬はペントライト50/50だが,円錐形のライナー周りの炸薬はTNT.
 装甲貫徹力は垂直で180mm.

 種類は42.Mと42/a.Mの2種.
 42.Mでは装填時,ボフォース対空機関砲のマズル・ブレーキを取り外す必要があったのに対し,42/a.Mはサイズが一回り大きく,マズル・ブレーキを取り外す必要が無くなった.

 【参考ページ Referencia Oldal】
https://live.warthunder.com/post/433036/en/
https://hungarianweaponryww2.wixsite.com/hungarianmilitaryww2/single-post/2018/03/29/SPAA-and-anti-aircraft-vehicles
https://hungarianweaponryww2.wixsite.com/hungarianmilitaryww2/single-post/2018/01/07/Part-III-Hungarian-Shell-types-and-Armor-plates

42M徹甲榴弾側面図
(図No.faq201109ag5,こちらより引用)

内部図解
(図No.faq201109ag6,こちらより引用)

42M徹甲榴弾を抱える将兵
(図No.faq201109ag4,こちらより引用)

36M 40mm高射砲に装填された42M徹甲榴弾
(図No.faq201109ag,こちらより引用)

42M徹甲榴弾を装填し,カモフラージュされた40.M 40mm対戦車砲
1944年,カルパチア山脈にて
(図No.faq201109ag2,こちらより引用)

40.M 40mm対戦車砲に装填された42M徹甲榴弾
(図No.faq201109ag3,こちらより引用)

mixi, 2020.11.11

ハンガリー軍のボフォース40mm対空機関砲による42M徹甲榴弾を使ったT-34への射撃映像
冒頭に同弾を装着したニムロードも映る
Magyar Világhíradóから

収納箱
長方形で底の穴に柄の先端を固定する作りになっている

(図No.faq210519bx1~3,こちらより引用)

マーノシュ in twitter, 2019-11-06~11-07

42/a.M図解
(図No.faq210519pg)

マーノシュ in twitter, 2021-05-14


 【質問 kérdés】
 第二次大戦でハンガリー軍が使用した携行型対戦車ロケット・ランチャーは?
Milyen az hordozható páncéltörő rakéták voltak, amit használt a magyar honvéd a második világháborúban?

 【回答 válasz】
・パンツァーシュレック Panzerschreck / Raketenpanzerbüchse 54
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

パンツァーシュレックを発射したハンガリー兵.1944年
(図表番号 faq190723rk, こちらより引用)

・パンツァーファウスト・クライン Panzerfaust Klein (ファウストパトローネ Faustpatrone)
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・パンツァーファウスト30
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・パンツァーファウスト60
 ドイツ製.
Németországban készült
 1944年以降配備.
1944-től használt.

・44.M対戦車ロケット・ランチャー
44.M páncéltörő rakéta
 ハンガリー国産.
 1944年以降配備.
1944-től használt.

▼ なお,ドン河での負傷後に再召集されガリツィア戦から従軍したハンガリー軍人の日記によれば,44年6月末付の記述ではパンツァーファウストやパンツァーシュレックについて言及し,その後自身が実際受けたパンツァーファウストの訓練に感激した内容も書かれている.
 とすれば前線のハンガリー軍部隊にそれらが届いたのは,早くて44年6月半ば頃の可能性がある.▲

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434988/en/
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1384384722868916224·
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1384478769952354312

2017.6.26


 【質問 kérdés】
 44.M 携行型対戦車ロケット・ランチャーとは?
Mi az 44.M páncéltörő rakéta?

 【回答 válasz】
 おそらくは1942~1943年頃のことだと思われるが,アメリカからソ連へのレンドレース兵器の中にあった初期型バズーカ砲に,ハンガリー軍は初めて遭遇した.
 そしてハンガリーもドイツ同様,個人携行可能な対戦車ロケットランチャーの開発を始めた.
 1943年のことである.
 それはドイツのパンツァーシュレックよりも,アメリカのバズーカ砲に似ていたが,他国の兵器のコピーではなく,パンツァー・シュレックや初期型バズーカよりも多くの点で優れていた.
(写真1)
(写真2)

 44.M ロケット・ランチャーは口径60mm.
 信管が頭部ではなく底部にあり,このためホローチャージの威力を弱めることがなく,装甲貫徹能力は100mmあった.
 弾頭カバーは亜鉛ベースのダイキャスト合金であり,これは弾頭に二次的な信管の効果を与えるだけでなく,製造も容易にした.
 弾道性能は米独のものよりも良く,ロケットの放物頂点は
飛距離50mに対して0.5m
100mに対して2m
150mに大使て4.5m
あった.
 また,初速は80m/s,有効射程距離は150m,最大射程距離は600mだった.
 量産型のランチャーには防盾がついたため,パンツァー・シュレックのように見えた.
 配備されたのが1944年後半だったため,戦局を挽回するまでには至らなかった.

 44.M ロケット・ランチャーの正確な生産数は分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434988/en/ ※写真1引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_rv_l_6.html ※写真2引用元
https://tortenelem.444.hu/2017/05/10/magyar-egre-magyar-lidercet

2017.6.26

ハンガリー軍による対戦車訓練風景
兵士達が使用しているのはドイツのパンツァーシュレックではなく,国産の44.M対戦車ロケットランチャー
60mm口径で装甲貫徹力は100mm,最大射程は150mだった
Magyar Vilaghiradoより

少年兵も混じってますね・・・ああ末期だ

マーノシュ in twitter, 2020.5.25

以前ツイートした44.Mロケットランチャー動画の0:45に登場する少年兵の身元は判明している.
ヴァーラディ・ラースローという17歳のレヴェンテで,45年1月19日にブダペスト防衛の際に戦死.
矢十字支持者を集めて編成した「ヴァンナイ」大隊に所属していたが,彼も矢十字党シンパだったかは不明

マーノシュ in twitter, 2021.10.9

Magyar páncélromboló járőr beásva 1944 őszén.
潜伏中のハンガリーの戦車猟兵.1944年秋.
A földbe ásott tüzelőállás előtt magyar gyártmányú 60 mm 44M kézi rakétavető, kétoldalt pedig német Panzerfaustok láthatók.
地面に掘られた発射位置の前方にはハンガリー製の60mm44M携行ロケットランチャーが,その両サイドにはドイツのパンツァーファウストが見える.
(図No. faq220805rk5)

Zsolt Dávid on twitter, 2022.6.30


 【質問 kérdés】
 44.M連装ロケット発射機とは?

 【回答 válasz】
 「ブゾガーニ・ヴェテー Buzogányvető( "鎚矛投げ")」または「サーラシ・レッペンテュー Szálasi-röppentyű( "サーラシ・ロケット")」という名でも知られる.
 1943年から開発された対戦車ロケット・ランチャーで,再装填・発射が可能だった.
 1944年から実戦配備されたが,同年秋にサーラシ・フェレンツが政権につくと,宣伝目的のためにSzálasi-röppentyű( "サーラシ・ロケット")と命名された.
 ドイツの傀儡政権だったので,他にやることがなかったらしい.

 発射筒の直径は100mm,長さ700mm.
 弾頭は直径215mmで,約4kgの爆発物(TNTとPETN)が装填されていた.
 弾頭は2種類.
 Buzogány(「鎚矛」)と名付けられたホローチャージ徹甲弾と,Zápor(「豪雨」)という名の榴弾.
 この徹甲弾は300mmの装甲を貫通することができた.
 鹵獲されたIS-2重戦車2両に対して発射試験が行われたが,200mの距離から戦車正面の装甲を貫通した.
 射程距離は300~1200mだったが,条件さえ良ければ2000mまで到達できた.
 初速は200km/h.
 操作班は4名だった.

 発射筒はパイプを組んだだけの,簡単な架台の上に搭載された.
 この兵器は低弾道性で,機銃用の照準器で狙いをつけるのだが,初弾発射後は硝煙で狙いをつけられなくなった.
 試製の3連装ヴァージョンもあったが,これは全て鹵獲されたソ連のPM M1910またはSG-43ゴリューノフ Goryunov 重機関銃の車輪付き銃架に据えられていた.

 また,ハンガリーではこれを車輌にも装備しようとした.ロケット発射機を搭載したトルディ軽戦車,荷台に搭載したトラックなど幾つかの計画が実行されたが,これら計画は全て間に合わせのアイディアだった.
 適切な方法を編み出すための十分な時間がなかったからである.

 約600~700基が生産され,実戦配備された.

 なお,ハンガリー軍では対戦車ロケット・ランチャーとしては,是の他にドイツの8.8 cm Raketenwerfer 43が,1944年から配備されている.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/433362/en/
https://www.masodikvh.hu/haditechnika/kezifegyverek/magyar-kezifegyverek/3022-44m-buzoganyveto-szalasi-roppentyu
http://www.roncskutatas.hu/node/12989
http://www.arcanum.hu/hu/online-kiadvanyok/Lexikonok-magyarorszag-a-masodik-vilaghaboruban-lexikon-a-zs-F062E/s-sz-F0D5A/szalasi-roppentyu-F0DAD/
https://tortenelem.444.hu/2017/05/10/magyar-egre-magyar-lidercet
http://ftr.wot-news.com/2014/04/02/hungarian-toldi-ii-lt-with-44m-buzoganyveto-anti-tank-rocket-launcher/
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1389080463046701057
https://twitter.com/Nasikandar_/status/1389081490269511680

1枚目:外観写真
(図No. faq170608rk,こちらより引用)

2枚目:ロケット弾搭載方法図解
(図No. faq170608rk2,こちらより引用)

3枚目:三面図
(図No. faq170608rk3,こちらより引用)

4枚目:徹甲弾図解
(図No. faq170608rk5,こちらより引用)

1枚目:トルディ軽戦車に搭載したもの
(図No. faq170608rk6,こちらより引用)

2枚目:クロップ・プロッツェの荷台に搭載したもの
極少数作られていたらしい.
荷台前部に追加されたロケットの発射炎を上に逃す為の傾斜鉄板で運転手を保護している.
(図No. faq170608rk7,こちらより引用)

3枚目:「ブリッツ」トラックに搭載したもの
用兵側の要望でブリッツの他にボトンドにも搭載した
(図No. faq210504sr2,こちらより引用)

2017.6.8

ハンガリーの模型フォーラムに,ブダペスト戦後の写真にてボフォースの側に遺棄されたサーラシ・ロケットの残骸があるとの指摘があげられていた.
実戦使用された証拠の1つになるだろうか.

(図No. faq210516sr)
ただし,発射器に使われたソコロフ銃架のものと車輪が異なる.
赤軍が鹵獲した低姿勢可能なタイプかもしれないけど,ドラム缶でよく分からない.
(図No. faq210516sr2~3)

マーノシュ in twitter, 2021.5.8


 【質問 kérdés】
 20mm 36.M ゾロターン対物ライフルとは?
Mi az 20 mm 36.M Solothurn páncéltörő puska?

 【回答 válasz】
 1936年,ハンガリーはスイスのゾロターン社からゾロターンS-18/100対物ライフルのライセンスを購入し,ダヌヴァア社で生産を行った.
(1枚目:図表番号faq170623am)
(2枚目:図表番号faq170623am3)
(3枚目:図表番号faq170623am4)

 これは銃身後座式の反動利用方式による半自動ライフル銃だが,幾つかの性能が原型とは異なっていた.
 銃身は900mmで,給弾は銃の左側面に水平に取り付けられた,5発入りの箱形弾倉からなされた.
(オリジナルのS-18/100には,10発装弾の弾倉もあり,通常はこちらが用いられたのだが)
 発射速度は毎分22~26発だったが,射手の習熟度合いによって,早い者は毎分30発も撃つことができ,一方遅い者は毎分10発でしかなかった.

 この銃は0.175kgのAPHE-T弾,または0.156kgのHE-T弾を初速762m/sで発射.
 ハンガリーのデータによると,装甲貫徹能力は以下の通り;
仰角90°,距離 100mで35mm
仰角90°,距離 500mで24mm
仰角90°,距離1000mで17mm
仰角60°,距離 100mで30mm
仰角60°,距離 500mで20mm
仰角60°,距離1000mで13mm

 有効射程距離は1500mだったが,最長射程距離は5500mだった.
 散布界は500mで25x25cm,1000mで100x100cmと比較的精密だった.
 射撃の際にはスコープが使用された.
(4枚目:図表番号faq170623am2)

 二脚に加え,大型の機関部を支えるため,床尾部下面には単脚があった.

 強力な弾丸のために反動が大きく,サイズや重量が大きいため,戦場では移動は困難だった.
Nagy, erőteljes lövedéke miatt hátrarúgása hatalmas, mérete és súlya miatt nehézkes a harctéren mozgatni.
 移動は馬による牽引か,それが困難な場合には,手押し車を使い,2人がかりで引っ張った.

 この銃や弾丸の製造単価は高価だった.
 また,極寒の東部戦線では,しばしば作動しないことがあった.

 36.Mゾロターン対物ライフルは,「トルディ」軽戦車や「チャバ」装甲車の主砲ともなった.
 水軍の警備艇にも搭載された.
 ハンガリーでは著名な銃器開発者,キラーイ・パール Király Pál とゲバウアー・フェレンツ Gebauer Ferenc は,航空機や戦車への搭載用に,この銃を全自動に改造しようとそれぞれ計画していたが,どちらの計画も手つかずに終わった.

 この銃の生産は1943年に終了したが,戦争の全期間を通じて使われた.

 この銃の生産数は正確には分かっていないという.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/434821/en/ ※faq170623am1・2引用元
http://magyarhonved.blogspot.jp/2012/11/a-36m-nehezpuska.html ※faq170623am3引用元
http://www.roncskutatas.hu/node/6696 ※faq170623am4引用元

1枚目:戦闘中のゾロターン対物ライフル操作班
1942年,ドン川
(図表番号faq190615am,こちらより引用)

2枚目:ゾロターン対物ライフルを構えるフサール
(図表番号faq190615am2,こちらより引用)

2017.6.23

3枚目:ゾロターン対物ライフルの銃弾
4枚目:側面図

(図No.faq2208091~2)

Zsolt Dávid on twitter, 2022.8.2


 【質問 kérdés】
 43.M 攪乱手榴弾とは?
Mi az 43.M vakító kézigránát?

 【回答 válasz】
 1943年,ハンガリー軍では歩兵の対戦車戦闘に新戦術を採用した.
 それはドイツ軍が使い始めた戦術と同じもので,このために新しい装備が必要とされた.
 それが43.M 攪乱手榴弾で,これはドイツのBK-1H Blendkörper (一説にはBK-2H Blendkörper)のライセンス生産版だが,僅かにドイツ製の物とは違いがあった.

1枚目:43.M 攪乱手榴弾写真
(図表番号 faq170701bl)
2枚目:43.M 攪乱手榴弾線画
(図表番号 faq170701bl2)



 これは洋梨型をしたガラス製の手榴弾で,中には290㎤の煙酸――三酸化硫黄とクロロ硫酸を1:1で混合したもの――が充填されていた.
 携行時は焼夷手榴弾と同じように,錫製の収納カプセルに入れられていた.

3枚目:収納カプセル
(図表番号 faq170701bl3)
4枚目:カプセルの携行方法
(図表番号 faq170701bl4)

 この手榴弾は戦車兵の目をくらませるために使用され,その隙に対戦車装備を持った兵士が戦車に近づくという算段だった.
 これが戦車(通常は展視孔)に向かって投げつけられ,ガラスが壊れて中から溢れ出た煙酸が空気と反応.
 これが塩化水素と硫酸に変わり,濃い白煙が沸き上がった.
 時にはガラス瓶の中身が戦車の隙間または閉鎖されていないハッチから戦車の中に侵入,煙酸が戦車乗員を呼吸困難にし,乗員が戦車から脱出してしまうこともあった.

 43.M の生産数は正確には分かっていない.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438241/en/ ※faq170701bl引用元
http://militiahungarorum.roncskutatas.hu/1920_f_k_ga_l_v.html ※faq170701bl2~4引用元

2017.7.1

43.M vakító kézigránát
(図No. faq220805vk)

Zsolt Dávid on twitter, 2022.8.5


 【質問 kérdés】
 WW2ハンガリー軍の焼夷手榴弾は?
Milyen az magyar honvéd lángránátják voltak a második Világháborúban?

 【回答 válasz】
 これはいつごろからハンガリー軍に採用されたのかは不明だが,第二次大戦勃発前には既に存在していた.
 この兵器は元々,敵の要塞や機関銃座に対して使用されたが,1943年以降,戦車のエンジン区画への投擲に用いられるようになった.

 ハンガリーではこの種の兵器としては,
38.M
38/A.M
39.M
39/A.M
の4つが知られている.
 モトロフ・カクテルに似た手榴弾で,38.Mは1938年,38/A.Mは1938.9.27,ハンガリー軍に制式採用された.
 39.Mと39/A.Mは1939年採用.
 このうち最も広く,最も多く使われたのが39/A.M(写真1)だった.

 この手榴弾は割れ易いガラス瓶でできており,0.4~0.5リットルの可燃性物質が充填されていた.
 材料はガソリン,ガソリンとエチル・アルコールの混合物,あるいはガソリンと焼夷油(タールとペントールの混合物)を2:1で混合したもののいずれかだった.
 ガラス瓶の底には,2つのアンプルを樹脂ワックスで接着した長方形の部分が隅にあった.
 これらアンプルには雷管となる液体が充填されていた.
 この液体は空気と反応すると直ちに発火する物質,おそらくは燐のようなものだったと思われるが,資料が失われたため,正確なところは不明.

 38.Mや39.Mはコルク栓で封をされていたが,38/A.Mや39/A.Mはネジ山付アルミニウム栓とゴムとで封をされていた.
 38.Mや38/A.Mは透明ガラス,39.Mや39/A.Mは緑色のガラスだった.
 錫の収納カプセルはどれも共通.

 生産総数は不明だが,戦後も幾つか改修されて生産が続けられた.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://live.warthunder.com/post/438335/en/

1枚目:39/A.M焼夷手榴弾
(図表番号faq170703fl,こちらより引用)

2枚目:T34/85への投擲
(図表番号faq190604t3485,こちらより引用)

39/A.M.手榴弾の投擲により炎上するソ連軍KV-1戦車
1942年7月または8月,ドン川戦線のTitchikha近隣の森,またはヴォロネジ州のUryv-Pokrovka近隣の「フォレスト66」にて撮影
ハンガリー軍の対戦車砲にはKV-1の装甲に対して貫徹能力が不足していたため,KV-1は難敵だった
(図表No.faq200106at,こちらより引用)

2017.7.3


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